読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行した「保存版」です。  いまは“新・読後充実度 84ppm のお話”として更新しています。左サイドバーの入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。  背景の写真は「とうや水の駅」の「TSUDOU」のミニオムライス。(記事内にアフィリエイト広告が含まれている場合があります)

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

ケージ/4'33",Radio Music

 ケージの4'33"(1952)と言えば、多くの人がその名を知っている有名曲。にもかかわらず、その演奏を聴いたことがある者はほとんどいないという、秘密結社的作品である。まあ、もっともその気になれば、時計片手に自分勝手に「鑑賞モード」に入ることが出来るのだけれど。

 新ためて言うまでもないが、この曲は「偶然性の音楽」の代表的な作品。ケージはキノコマニア(妖しいなぁ)だったが、その彼が偶然性にこだわっていたのは、「辞書を引くとキノコ(mushroom)はミュージック(music)の隣にある。全然関係ないものが隣り合っている偶然性は、世にも稀な美しい姿だ」ということだそうである。非凡な人は、凡人には考えも及ばないようなところに美を感じるんですね。796d8afc.jpg

 私も物好きなもので、この4'33"の楽譜、購入しました。 どんなだったかというと、音符の羅列、ではなくて、音符は一つも書かれていません。どうぞご覧下さい。安くなかったのに騙された気分もしないわけではない。

 同じケージの偶然性の音楽で私がちょっぴり気に入っているのが「ラジオ・ミュージック」(1956)。これは8つのパートに分かれた奏者(?)が、指定された演奏時間内で、指定されたことをこなす、というもの。もっと解りやすく言えば、6分の間に、各人が楽譜(?)に指定された周波数にラジオのチューニング・ダイヤルf4a28eb3.jpgを合わせていくというものである。ははははっ、という音楽(?)なのであるが、たまたま持っていて、ここに紹介しているCD(輸入盤CRAMPS RECORDS CRS-CD101)では、キューとかビリビリという周波数ノイズのなかに、かすかにモーツァルトのピアノ協奏曲なんかが聴こえてきて、妙に郷愁を誘われたりする。「おかぁさぁ~ん」って叫んでしまいそう。こういう風に聴くと、モーツァルトの音楽ってすばらしいなぁ、と実感してしまう。

 ところで、学習能力に欠ける私は、この曲の楽譜も買ってしまいました。音符が1つもないところは4'33"と同じ。5d1f1999.jpg だが、こちらは「お得なことに」、ちゃんとAからHまでのパート譜に分かれてます。

 そんな偶然性という一回限りの音楽を録音に残すということが作曲者の望むところかどうかは別としても、聴いてみたいというのが人情というもの。

 紹介した「ラジオ・ミュージック」のCDは、おそらく店頭にはなく、ショップに注文しなくてはならないと思う。人生に刺激が欲しい人は買っても損はないはず。もちろん、このCDには4'33"も収録されています!←ブログタイトルに偽りなし!

 

 

コンチェルティーノ・ビアンコ

2f6e5fb0.jpg  この作品はラトヴィアの作曲家、ペレーツィス(1947- )が1984年に書いた、ピアノと室内管弦楽のためのもので、調性はハ長調。CDは一種類しかでておらず、そのCDはリュビモフのピアノ独奏、シフ指揮ドイツ・カンマーフィルによる演奏である(1995録音。エラートWPCS4926)。

 とてもやわらかくて、優しくて、爽やかな作品。ビアンコというのは白のことで、つまりはピアノ・パートは白鍵だけを使って演奏するように書かれているようだ。BGMになりそうな音楽で、深みがないと言えばその通りかも知れないが、病みつきならぬ、耳つきになってしまう。私なんか、聴いていてなぜか顔がほころんでしまう。危ないヒト……

 マニアックな曲なのかも知れないが、騙されたと思ってぜひぜひ聴いてみてほしい(本当に騙されたと感じても、私は責任を負いません)。

 なお、カップリング曲として、ウストヴォルスカヤ、グバイドゥーリナ、グレツキの協奏作品も収録されている。私がお薦めしたいのはペレーツィスの作品だけですけど……

 

グラス/ヴァイオリン協奏曲

 グラスと言えばミニマル・ミュージックの代表的作曲家。ミニマル・ミュージックというのは解ったようで解らないような理屈―いえ、理論と言わなくては―からなる音楽だが、確かに手の込んだことが行われていることには違いない。このミニマル・ミュージック、毎日耳に繰り返し入ってくるCM音楽と同じで―パブロフの犬とか、パブロンの塩化リゾチームと同じ効果か―けっこう親しみやすいのは事実(ただし、親しみにくい曲もある。例えばライヒのクラッピング・ミュージックとか……)。

 このヴァイオリン協奏曲も、執拗なまでの繰り返しでちょっぴりイライラして来るのだが、やがて聴き手は無抵抗のまま立ち直れなくなっていく感じの作品である。過剰ともいえる切なさと、砂糖不使用のような甘さ、「あら、あれは……まぁ、雪よ、雪が舞い降りてきたわ(足元で落ち葉が風でカサカサと音をたてる)」といった初冬を迎えるかのような寂しさ。

 「ほらほら、一緒に落ち込め、落ち込め!でも強要はしないよ」と言われ、「そんなことにはならないよ」と強い意思を持ちつつも、気がついたら私はあなたの僕(しもべ)になっている、という危険作品である。

 あまり激情に走らない演奏なら、アンソニーのヴァイオリン、湯浅卓雄指揮アルスター管弦楽団の演奏をお薦めする(ナクソス 8.554568。1999録音)。カップリングは同じくグラスの「カンパニー」と「アクナーテン」。一方、自分も寂しさの中でバカ騒ぎしたいなら、クレーメルのヴァイオリン、ドホナーニ指揮ウィーン・フィル盤がお薦め(グラモフォン G437 091-2。1992年録音。輸入盤)。でもなぁ、個人的には生で見たときのクレーメルの表情が頭に浮かんじゃって……。シベリウスのヴァイオリン協奏曲だったんだけど、彼ったらステージの上にいるにもかかわらず、人目を気にせずにすっかり陶酔しちゃって、あのだらしない半開きの唇からはヨダレが今にも垂れそうで……。危ない人みたいですっごく怖かったの、私……。

 というわけで、どちらもすばらしいが、演奏の傾向が違うということ。なお、クレーメル盤のカップリングはシュニトケのコンチェルト・グロッソ第5番。

 ところで、私が紹介している作品(演奏)には現代音楽が多いが、決して私は現代音楽マニアではない。ちょっと、現代音楽に造詣が深いだけ……うそうそ、一度言ってみたかっただけです、こういうカッコいい言葉を。忘れてください。造詣という言葉もよく知らないくらいですから。

 お願いですから、トラックバックで「ゲンダイオンガクの巨乳写真」とか「ウソにまみれたゲンダイオンガクのあの写真」みたいなの、勘弁してくださいね。

 あっ、そうそう、昨夜のジンマシンは、かわいいお尻あたりだけですみました。局地的にすっごく痒かったけど。

間宮芳生/子供の領分

 「子供の領分」と言ってもドビュッシーの作品ではなく、間宮芳生(まみやみちお)の「合唱のためのコンポジション第4番『子供の領分』」(1963)である。推薦盤は井上道義指揮東京都響,東京放送児童合唱団の演奏(フォンテックFOCD3306。1996年のライヴ録音。ただし拍手はカットされている)。しかし、この盤は現在廃盤になっているようで、店頭在庫のみだろう。

 この作品は、子供たちが歌っていた「わらべ歌」を後世に残すために書かれたもので、作曲者は「全曲を通じて少なくとも34以上のわらべうた、またはその断片が用いられている」と述べている。

 5つの楽章は「ゆかいなうた」「なつかしいうた1」「絵かきうた」「なつかしいうた2」「フィナーレ」となっており、子供の頃に自分たちが実際に歌ったり、あるいは耳にしたことある作品が次々と現れる(私が知っている曲は2曲しかなかったが。歌声のない環境下で幼少期を送ったのだろうか?)。「でぶ、でぶ、百貫でぶ、電車にひかれてペッチャンコ」で始まるこの作品は、日本の音楽遺産を集約した、しかし無条件で楽しめるものだ(原詩にある「土人」とか「クルクルパー」という、今ではおそらく禁止用語であろう言葉も、きちんと残されている)。

 作曲者は、これをピアノ伴奏用に編曲したものの依頼を少なからず受けているようだが、児童合唱とオーケストラという組み合わせは譲れないと、これを拒否しているという。実際、ときに後期のストラヴィンスキーを思い起こすようなオーケストラの響きが美しい。

 井上盤以外では、岩城宏之が指揮したものがある(読売日響,東京放送児童合唱団。ビクターV-VZCC41。こちらの録音は1968年と時間が経ったが、音は明瞭。しかし、ステレオ再生を意識しすぎた、過剰に左右に広がる音場が気にかかる(特に第3楽章)。一方、井上盤はライヴゆえか、歌詞の明瞭さは岩城盤ほどではないが、自然で豊かな音が広がる。

 なお、今年の1月、都響がこの作品を定期演奏会で取り上げた(指揮は高関健)。すばらしい演奏で、とりわけ乱れのない児童合唱がみごとだった。このような作品を生で聴けることはめったにないだろうが、とても幸福感を味わえた一夜であった。

プーランク/ピアノ協奏曲

デュシャーブルのピアノ、コンロン指揮ロッテルダム・フィルの演奏が私は好きだ(エラートWPCS4021-22)。この曲の録音は1984年で、2枚組のこのCDには他に、「2台のピアノのための協奏曲」「クラグサンと管弦楽のための“田園のコンセール”」「オルガン、弦楽器とティンパニのための協奏曲」などが収められていて、プーランクの協奏作品が網羅されている。

 プーランクのピアノ協奏曲(嬰ハ短調FP.146(1949))を聴くと、私はフィッツジェラルドの小説、「グレート・ギャツビー」に横たわる“雰囲気”を思い浮かべてしまう。これはたぶんに第3楽章にフォスターなどアメリカを象徴するような音楽が引用されているせいなのだろうが、この当時のアメリカの「豊かさ」、その陰に潜む「矛盾」や「葛藤」という世の中の状態が、この曲の陰鬱な第1楽章や、少なくとも表面上は朗らかな第3楽章、物思いに沈むような第2楽章と結びついてしまうのだ。

 「グレート・ギャツビー」の登場人物たちの、表面的には幸せに満ちているが、それぞれに苦悩を抱えている状態。そしてその背景にある世相。そんなものをこの曲は私に連想させるのだ(もちろんその時代のアメリカを私が知っているわけではない)。

 プーランクはそんなこと考えてはいないのだろうけど、アメリカ音楽が表面に出すまいとしている“陰”がここにはある。アメリカでプーランクは何かを感じ取ったのだろうか?(注:プーランクはフランスの作曲家です。アメリカではないです)。

 「トムとジェリー」(もちろん元祖)に出てくるアメリカの豊かな暮らしや、「じゃじゃ馬億万長者」のような一獲千金ドリームストーリー。我が家の生活の貧困さとのギャップを感じながら、これらを観ていた幼少時代の私。でも、あれはアメリカ人にとっても「当たり前」のことな95e8492d.jpgんかではなかったのだろう。

 にしても、このCDのシリーズ「DUO BONSAI」シリーズって……。ご丁寧に盆栽の写真まで載っていて……。ちょっと、勘弁ってネーミングである。

C.P.E.バッハのシンフォニア

Wq.178。バロック的音色と古典派的メロディーの融合!

 あのバッハ(ヨハン・セバスティアン)の次男であるカール・フィリップ・エマヌエル・バッハは、当時、すでに父親以上の名声を博していたが、それは「音楽の潮流」が変わっていたからに他ならない。

 ヨハン・セバスティアンは決して「代表的」なバロック音楽の作曲家ではなく、時代遅れの学者的存在であったが(この点については“岡田暁生著「西洋音楽史」:中公新書”に興味深い記述がある)、新たな時代の音楽―スチール・ギャラン様式―で人気を博したのが、カール・フィリップであり、またその弟のヨハン・クリスティアンであった。

 彼らはモーツァルトなどの古典派音楽への橋渡し的存在であったが、ヨハン・クリスティアンがモーツァルトに多大な影響を与えたのに対し、カール・フィリップの方はベートーヴェンに影響を与えた。実際、カール・フィリップのシンフォニアはベートーヴェンに通じる武骨さがある。そして、シンフォニアこそ、その名のとおりシンフォニーの前身である。

 ここで紹介しているシンフォニア ホ短調Wq.178は管弦楽によるもので(Wq.177は弦楽のみの異稿)、一度聴いたら忘れられない曲。へぇ、こんな時代に、こんなモダンな(死語ですか?)曲が書かれていたのね、と驚いてしまう。

 推薦CDはRemy指揮Les Amis de Philippeの演奏(CPO CD418-2↓)。暴れまくる弦楽群。ホルンなんか一歩間違えれば演奏を台無しにしてしまうほどの過激さ。この頃の音楽って、実は耳に心地よいだけではなくて、かなり暴れまくるものなのだと認識を改めさせられる。ただし、この盤、今は廃盤になっているかも知れない。いいよぉ~、これ。

 この曲のほかのCDとしては、廉価盤のブリリアント・クラシックから出ているものがある。確かこちらはセットもので、バッハの息子たちの作品を集めたもの。6~7枚組だったと思うが値段は2000円くらいだったと思う。CD番号は99785。演奏はヘンヒェン指揮のC.P.E.カンマー・オーケストラ。

 C.P.E.バッハには他にもシンフォニアがあるが、6曲からなるWq.182のシンフォニア集(弦楽による)と、4曲からなるWq.183(管弦楽)は、ぜひとも一家に1セットご常備あれ!

ショスタコーヴィチ/森の歌

 スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団、モスクワ放送合唱団他。1978年のライブ録音。VENEZIA-CDVE04255(輸入盤)。

 ショスタコーヴィチのオラトリオ「森の歌」ほど、人気が急落してしまった作品もないだろう。その昔、歌声運動とかいう動きのなかで、日本でも各地で「森の歌」が歌われていたというが、それはこの作品の持つ政治的な意味によるものだろう。それ故に、逆に時代が変わったことで、演奏されることはほとんどなくなってしまった。

 「偉大なるわが父よ」とスターリンを讃える歌を、どうして今さら演奏する必要があるのか、というわけだ。
 しかしながら、この音楽はショスタコーヴィチが体制のご機嫌取りのために書いたものだから、とても親しみやすい旋律に満ちているのである。「迎合音楽だから駄作」と切り捨てるにはもったいない。
 発売されているCDも多くはないが、やはりスヴェトラーノフのライブ盤が迫力満点、崩壊寸前の演奏である。第2楽章の合唱の入りは見事にずれていて、ライブならではのハプニング(?)。第5楽章のホルンの咆哮は、「ホルニストたち、何か腹立ててるの?」という状態。スターリンだか緑化計画だか叫んでいる時代錯誤な曲だが、どうせやるならハチャメチャしちゃえ、ってノリだ。
 なおカップリングはコンドラシンが指揮した、同じ作曲者カンタータ「我らが祖国に太陽は輝く」。

 ソヴィエトが輝ける未来に希望を託した時代の、ドキュメンタリー風の二作品である。

髪が復活?救いの石鹸!

 わがオフィスの○○課長の髪の毛が最近増えてきたという、もっぱらの評判。私はまったく興味がなかったので解らなかったが、確かに生まれたてのハゲタカの雛が、少し成長したときのような様相だ。

 「植え始めたんですか?」と私は率直に聞いてみたが、「違う、違う」と嬉しそうに否定。そして教えてくれたのが、「Voo Voo Keep 石鹸」なるもの。日本語名は「ボーボーキープ石鹸」で、いかにも駄洒落っぽい名だが、単に音が一致するだけで、駄洒落ではないらしい。

 この石鹸、韓国からの輸入品で、氏は2年前からこの石鹸で洗髪しているという。

 私は、まだ髪はしっかりとあるからどーでもいい話なのだが、こういう「救い」を求めている人はたくさんいると思う。なお、氏が言うには、氏の兄はもっと髪が生えてきたという。

 どれどれと、アフィリエートにあるかどうか探してみたら、あら、ありました。一応紹介しておきます↓。

 この課長さん、絶対に良い、と力説しています。私には2年間も信じて使い続けている精神力に感服いたします。

 「信じるものは救われる」

モーツァルト/Sym40&41

 マッケラス指揮プラハ室内管弦楽団(1986録音。テラーク CD80139↓)の切れ味のよい演奏がお薦め!この演奏では、当時の演奏形態の再現を試みて、通奏低音であるチェンバロを編成に加えているが(拍子取りの役割を担っている)、オーケストラの響きの背景からかすかに聴こえるチェンバロの音が耳に新鮮である。

 交響曲第40番ト短調K.550(1788)は、演奏によっては特に中間の2つの楽章が「だらけて」しまうが、マッケラスの演奏では決してそんなことはない。とりわけ第3楽章では、弦の掛け合いの場面で戦闘的に音が飛び交い、他では聴けないような緊迫感がある。

 交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」(1788)においては、40番に聴かれたほどの鋭角さはないものの、それがこの作品のもつ「壮大さ」にマッチしている。

 まあ、「ジュピター」に関しては、大きな編成のオケでずっしりと演奏される「一昔前」の演奏も時折聴きたくなる私であるから、マッケラス盤とそれ以外を聴き分けているのだけれど……

ジークハルトのモーツァルト/Sym25

 モーツァルトの交響曲第25番は、同じト短調の第40番に対して「小ト短調」と称される名曲である。ところが、意外とCDの発売点数は多くなかった。それでも、もう20年ほど前に封切られた映画「アマデウス」のオープニングに使われた頃から、徐々にCDも増えてきたように思う(もう20年も経つのかぁ)。

 この曲が、名曲と言われるのにもかかわらず、今一つヒット(という言い方は変か……)しなかったのは、従来の「甘美さを強調した」演奏―1960~70年代の、主に巨匠と呼ばれる人たちが指揮した、音が厚くロマンティックな演奏―では、この曲の持つ旋律や調性の関係もあって、ちょっと聴きとおすのが大変、という理由があったように思う。実際、そういうことを見通してか、当時の演奏ではスコア上の反復を省略した演奏が多かった(短く切り上げたいのね、つまり)。

 私が推薦するこの作品のCDは、ジークハルトなる指揮者(CDジャケットの写真を見る限りでは、セルロイド眼鏡が素敵なださっぽいおじさん)が振った演奏(1997録音)。オケはリンツ・ブルックナー管弦楽団。アルテノヴァ・レーベルの74321-49700-2である(国内盤も出ているかもしれない。いずれにしろ1000円するかしないか)。

 この演奏は、コープマンの演奏ほど過激にピリオド、ピリオドしていないものの、動きは機敏で若々しい。コープマンが短距離走なら、こちらは1500m走か……(書いてる自分にも意味不明)。

 省略されることもある各楽章の反復もすべて行われているが、まったく退屈さを感じさせない。録音も、各楽器が見通しよく収録されており、特に第3楽章のトリオで美しいホルンの音がこれほどはっきりと聴こえてくるのは“快感!”。

 カップリングは同じくモーツァルトの交響曲第36番と、お父様であるレオポルドの「新ランバッハ交響曲」。

 モーツァルトって、やっぱりいいよねぇ。年を重ねるごとにそう思う、人生の護りに入った私。

御多分にもれず参加中・・・
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MUUSAN

 クラシック音楽、バラ、そして60歳代の平凡ながらもちょっぴり刺激的な日々について、「読後充実度 84ppm のお話」と「新・読後充実度 84ppm のお話」の2つのサイトで北海道江別市から発信している日記的ブログ。どの記事も内容の薄さと乏しさという点ではひそかに自信あり。

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