読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行した「保存版」です。  いまは“新・読後充実度 84ppm のお話”として更新しています。左サイドバーの入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。  背景の写真は「とうや水の駅」の「TSUDOU」のミニオムライス。(記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

September 2007

プフィッツナーが描いた新緑の季節

 プフッツナーという作曲家は、一般にはあまり知られていないのではないだろいうか?
 いや、音楽ファンの間でも、「私はプフィツナーの作品を1日に1度は聴かないと、食事も喉に通らないんですよ」という人は、まずいないと思われる。

 プフィッツナーはドイツの作曲家で、1869年に生まれ、1949年に没しているので、時代的にはマーラーやリヒャルト・シュトラウスと重なることになる。
 しかし、彼はロマン主義からいわゆる“現代音楽”への流れに反し、ロマン主義を貫いた。
 ところが、時代の潮流の中では、本人の意志は立派だったのかもしれないが、作品としてはほとんど忘れ去られる結果となったようだ。彼にはカンタータ「ドイツ精神について」なんていう、タイトルを聞いただけで身構えてしまいそうな曲もある(私は聴いたことがないけど)が、なんだか「らしいなぁ」と思ってしまう。

 そんな彼の作品の中でも、とても愛らしくすがすがしい曲f745b79b.jpgがある(といっても、私は彼の曲を数曲しか知らないのですが)。
 「小交響曲ト長調Op.44」。
 名前の通り20分ほどの小曲であるが、4つの楽章からなっている。
 この作品を私が知るきっかけとなったのは、毎月通い始めた札幌交響楽団の定期演奏会のプログラムにのったからである。さらには同じ年の1974年に札響初のレコーディングとして、ベートーヴェンの第3交響曲とのカップリングで東芝からLPレコードが発売された。指揮は当時の札響の常任指揮者であったペーター・シュヴァルツ。
 このレコードは、「小交響曲」としては、おそらく世界初録音だったはずである。
 
 このLPの解説で横溝亮一氏―この方は、当時の札響定期のプログラムに解説を書いていた―は、「私は札幌でのレコーディングを聴きながら、ヨーロッパの春、そして、ライラックの花香おる北海道の新緑の季節をしきりと思い浮かべた」とb17d5eed.jpg書いているが、まさにそのような感じの曲。ここには「ドイツ、ドイツした重さ」はない。

 現在、私が聴いているのはアルベルト指揮バンベルク交響楽団のもの(輸入盤CPO 999 080-2。1989-1990録音)。このCDには、(おそらくは)プフィッツナーらしい「がっちりとした響き」の交響曲第2番も収録されている。

 ところで、札響のLPのデータには、“録音年月日1947年2月6.7.8日”と書いてある。

 「おいおい」である。

伝ヴィヴァルディの「忠実な羊飼い」

 「忠実な羊飼い」って、何だかとても素敵な響きd914677a.jpg をもった言葉だと思う。
 でも、なぜ羊飼いなのだろう? 「忠実な羊飼い」はいるのに、「忠実な牛飼い」とか「忠実な鵜飼い」という言葉は聞かない。歴史が証明しているのは、忠実なのは羊飼いだけだ、というなのだろうか。

 その昔、NHK-FMで朝の6時15分から「バロック音楽のたのしみ」という番組が放送されていた。
 朝の気分にバロック音楽が合うのか、それとも朝にバロック音楽を流す放送を聴いたためにバロック音楽は朝に合うと思うようになったのか、いまではさっぱり自分でもわからない。でもどちらにしろ、それでも朝にふさわしい番組だったように思う。
 番組では、皆川達夫氏と服部幸三氏が交替で解説を担当していた。声質的には服部氏の声の方が爽やかだったように記憶している。皆川氏のちょっとしわがれた声は、きびしいお方のようでちょっぴり怖かった。
 
 この番組のオープニングで使われていた実に爽やかな音楽が、ヴィヴァルディのフルート・ソナタ集「忠実な羊飼い」Op.13の第2番ハ長調第1楽章であった。この曲を、朝のあの番組のテーマ曲に選んだ人を、私は今もって尊敬してしまう。

 いやなことがあって、どうしても学校に行きたくない日でも、このオープニング曲が流れてくると「よし、今日も持ち前の爽やかさで頑張るゾ!」って気になったものだ(超誇大表現)。
 ヴィヴァルディの音楽というのは、正直なところガチャガチャしている印象が強いし、どれも似ているのだが(ダルラピッコラは「ヴィヴァルディは600の協奏曲を書いたのではなく、1つの協奏曲を600回書き換えたのだ」って言い放っている)、この曲は違う。なぜか?

 この曲は本当はヴィヴァルディの作品ではないからである。
 本当の作曲者はニコラ・シェドヴィル(1705-1782・フランス)。
 1974年に音楽学者のフィリップ・レスカがヴィヴァルディの作品かどうかの疑問を呈し、1989年になってフィリップ・レスカがシェドヴィルの作品であることを突き止めたのだった。
 当時の記録から、楽譜出版社のマルシャンが、知名度の高かったヴィヴァルディの名を借りて―当然ヴィヴァルディには必要な金を支払った―シェドヴィルのこの作品を出版したである。

 ソナタ集「忠実な羊飼い」は、実のところフルートのために書かれたソナタというわけではない。楽譜には「ミュゼットまたはヴィエール、フルート、オーボエ、ヴァイオリン、および通奏低音のためのソナタ」と記されていて、このなかのどの楽器を独奏楽器に用いてもよいことになっている。
 なお、ミュゼットというのは17~18世紀にフランスで流行したバグパイプの一種。ヴィエールというのは別名をハーディ・ガーディといい、棹のないリュート型の胴に1本か2本の旋律用の弦と数本のドローン弦(音を引き伸ばす低音弦)が張られており、弓の替わりに回転板で弦に振動を与え鍵盤状のもので音程を調節するというものだそうだ。
 また、フルートという楽器にしても、当時のフルートは私たちが知っている現在の楽器とは異なるものであった(現在のキー・メカニックを備えたフルートは19世紀に考案されたのである)。

 最初の話に戻るが、「忠実な羊飼い」というのは、16世紀の詩人ヴァリーニ(1537-1612)が書いた牧歌劇のタイトルなんだそうである。ただし、シェドヴィルがソナタ集のタイトルになぜこれを用いたかは不明である。

 この曲のCD(LP)は長らく販売されていなかった。エラートから再発売出たのは今から12年前。この曲のCDの発売を、首をキリンにして待っていた私は、当然のごとく飛びつきました。

 CD番号はエラートWPCS4611/2(2枚組。もう1枚にはヴィヴ68677298.jpg ァルディのフルート協奏曲集Op.10が収められている)。演奏はランパルのフルート、ヴェイロン=ラクロワのチェンバロ。「バロック音楽のたのしみ」で使われていたのも、この演奏であったはず。なお、国内盤が廃盤になっている場合のためにエラートのCD番号を記しておくと、0630-11130-2である。
 また、私は聴いたことがないのだが、ラリューのフルート、V=ラクロワのチェンバロによる盤は今でも販売中のようである(デンオンCOCO-70691)。これは\1,050とお値段も手ごろ。

 とにかく、爽やかな作品。こういう曲はむしろ、このように現代楽器のフルートで伸びやかに吹いた方がマッチするような気がする。

 ところで、冒頭の絵はプッサンの「アルカディアの牧人たち」。“忠実な羊飼い”ってこんな人たちなのかしらん、と勝手に思い込んでいる私である。この絵の石室の中には、歴史を揺るがすような重要なものが入っていたと言われているのだが……(荒俣宏さんの「レックス・ムンディ」によると)。

 さて、当時のNHK-FM放送はクラシック番組のオンパレードだった。
 「バロック音楽のたのしみ」のあと、7時からはポピュラー音楽の番組だったが、8:00からは「朝の名曲」、9:00からは「家庭音楽鑑賞」(すごい番組名だ)……と続く。
 それらの番組については、また別なときに触れていくことにします。
 あぁ、我が青春の日々!

 ※人の勝手だけど、羊が丘展望台で、草原でのんびりと過ごしている羊たちを「きゃっわゆーぃ」なんて言って眺めがら、ジンギスカンを食べている人たちって、すごいと思う。

「ノーラ」という名のフルート協奏曲

 “Nola”はタジキスタンの作曲家、ベンジャミン・ユスポフ(1962- )の作品(1994年作曲)。
 フルート協奏曲とはいってもふつうのフルートだけを用いるのではなく、バス・フルートも使われる(紹介したCDの解説には、5種の“横笛”を手にした、ソリストのZiegler氏の写真が掲載されている)。

 曲は2つの楽章からなるが、特に第2楽章が圧巻!
 民族的な色合いの濃い舞踊的な旋律が、打楽器の原始的とも言えるリズムの上で奏でられ、聴いていて興奮を禁じえない。独奏フルートはときに高音で、ときには超低音で吹きまくる。いや、叫ぶというほうがあっているかも知れない。とにかくすごい!

 私はこの連休、何度もこの曲(第2楽章)を聴いた。とにかく一度聴いたら、もう1回、もう1回、と吸いつけられる曲だ。
 
 タジキスタンという国は、キルギス、ウズベキスタン、中国、アフガニスタンに囲まれた国であるが、そのためかここでの音楽はロシア的というよりは、中東を思わせるものである。
 CDは(これも店頭在庫のみのようだが)ARTENOVAの74321 82556 2(輸入盤)。 

 1999年7月のライヴ録音だが。録音状態はとても良いcf897f25.jpg (終演後の聴衆の興奮ぶりもすごい。私もCDに合わせて、みんなと一緒に拍手したりなんかした。振り返ると、ちょっと恥ずかしくておバカな独り暮らし男だ)。

 演奏は、フルート独奏がZiegler、ヘルムラート指揮のドレスデン響。
 
 ほかにカンチェリの「ドゥダックの方へ……」、テルテリャーンの交響曲第3番、アミーロフの「交響的ムガーム『バーヤティ・シラーズの花の庭』」が収録されている(CDのタイトルも“MUSIC FROM TAJIKISTAN,GEORGIA,AZERBEIJAN,ARMENIA”というものである)。

 それにしても、クラシックCDの販売寿命って相変わらず短いなぁ……。

 私が紹介するCD(というよりも作品の場合が多いが)は、ほとんどが新譜ではない。したがって、もう廃盤になっているものも少なくないと思うが(すいません)、その場合は店頭在庫や中古品をあたってください。あるいは、再発売を待つか……

 そういえばCDが誕生してから30年ほどになる。

 CDも経年劣化があると言われているが、実際のところ果たしてどうなのだろうか?

 私の所有しているもののなかでは、数枚がおかしなノイズを発するようになっているが……

熊川哲也の「コッペリア」

 Kバレエカンパニーによる、ドリーブのバレエ「コッペリア」(1870)。

 2004年5月20日にオーチャード・ホールで行われた公演を収めたDVDである(ポニー・キャニオンPCBX50643)。

 とにかく楽しさあふれる活き活きとした舞台で、観ているほうも思わずほほ笑んでしまう←「笑えるクラシック」かぁ?
 バレエの筋は、「コッペリウスの作った自動人形コッペリアに恋した青年と、彼を恋するスワニルダの嫉妬から巻き起こる喜劇」であるが、主演の熊川哲也は、人形に恋してしまうちょっと軽薄な青年を見事に演じているし、スワニルダ役の神戸里奈も実に表情豊か。とにかく、舞台全体が楽しさに満ちている。

 私はこれまでドリーブの作品をほとんど耳にしたことがなかったが(なんとなく退屈そうな先入観があって)、最近になってときおり聴くようになった。彼はフランス古典バレエの傑作を残したと言われているが、確かに親しみやすいメロディーは魅力いっぱいであるし、なにより舞台上の動きと音楽とが一体となっている(バレエそのものと、それまでは拍子とり程度の役割しかなかった付随する音楽とが、ストーリー性をもって一体化したのは、ドリーブの功績であると言われている)。

 演奏はトワイナー指揮の東京交響楽団。ときには繊細に、ときには躍動感あふれる演奏で、決して舞台そのものにひけをとっていない。
 難点はディスクの値段が8,190円と高いこと。


ベルリオーズ/幻想交響曲

 私にとっての「失恋傷心打破」音楽。お薦めはガーディナー/オルケストル・レヴォリュショネル・エ・ロマンティークのDVD。1991年のライヴである(Ph-UCBP9003.期間限定特別価格盤で¥2940。調べたところTOWER RECORDSのネット通販では、まだ在庫有り。下記通販でも在庫有り)。ピリオド楽器による演奏で、最初は「幻想はモダン楽器でバリバリやってくれなきゃ」と思っていた私だが、聴いてびっくり、観てびっくり。バリバリやってくれているし、それまで聴いたどの演奏よりもエキサイティング。

 第2楽章ではハープを6台使用(そのなかの鼻の高いおじさんが素敵)。後半の2つの楽章では、テューバの代わりにオフィクレイドとセルパンが活躍。オフィクレイドを吹いている痩せ型の奏者のひょうひょうとした態度が印象的。

 また、コントラバスのトップの女性がとっても美人。ノースリーヴの衣装だが、顔に似合わない肩から腕にかけての隆々とした筋肉がカッコイイ(?)。常に冷静な表情のアシスタント・コンサートマスターはレイダースに出てくるナチの悪党を思い出させるし、終楽章の「魔女のロンド」が始まってすぐには、なぜか歯を見せて笑いながらヴィオラを弾いているお姉さまがアップで映る。

 高校3年生のとき、私は大失恋をした。世の中のすべてがモノトーンに見えていたとき、NHK-TVでブルゴスが指揮する幻想交響曲の演奏を観た。筋書きがテロップで出ていたこともあり、目からうろこ、棚からぼた餅、論より証拠、泣きっ面に蜂と、とにかく感動!そうか、あの娘は魔女だったのか―中略―ということで、失恋から立ち直ったのであった。めでたし、めでたし。

 そんなこともあり、私は幻想に関してはその後もいろんな演奏を聴いてきたが、今はこのDVDの演奏がイチ押し!

 なお、モダン楽器による演奏ではC.ディヴィス/アムステd9b62261.jpg ルダム・コンセルトヘボウoの演奏が好きである(1974録音)。同じくTOWER RECORDSの通販では¥1,290で購入できる(輸入版Ph4757557。右の写真のジャケットは私が持っているCDで、型番もジャケットデザインも異なっている)。

 ところで、私に転機を与えてくれたブルゴスの演奏だが(オケは忘れた。確か来日公演)、良い演奏だったが第5楽章の鐘がめちゃくちゃだった……

清水脩/合唱組曲「山に祈る」

 私がこの合唱組曲を初めて聴いたのは中学3年生のとき、学校の音楽の授業においてであった。
 小学校でも中学校でも、音楽鑑賞の時間というのは音楽の授業のなかで必ず設けなければならないはずなのだが、私が通っていた中学では、ほとんどそんな時間がとられなかった。
 とにかく合唱に熱心な中学で、授業でもいつもいつも歌うことばかりさせられていたのである。そういう力は「合唱部」だけに向けて欲しいのだが……
 中学の音楽の授業で鑑賞した曲で記憶に残っているのは、ヴィヴァルディの「春」と(文部省的に表記するならば“ビバルディ”)、この合唱組曲「山に祈る」だけである。たぶん他には聴かされなかったはずだ。その頃、私はすでにクラシックにのめっていたから、鑑賞の時間が増えたら、その感想文で少しは通知表のポイントも上がっただろうに……
 「山に祈る」は文部省が推奨する「鑑賞曲」には入っていないだろうから、このときに聴かされたのも、やはり「合唱」がらみの何かの目的で聴かされたと思う。
 教師の目論みはともかくとしても、私はこの曲のドラマティックな展開と、親しみやすい旋律をすっかり気に入ってしまった。 

 簡単に作品について述べておこう。
 昭和34年、山岳遭難事故を減らすために、長野県警が遭難者の遺族の手記を集めた「山に祈る」という小冊子を発行した。男性ヴォーカル・グループのダーク・ダックスが、そのなかにあった上智大学山岳部の学生の遭難について、彼が残した手記と母親の手記によって合唱組曲にする企画をたてたのだが、その作詞・作曲を清水脩が依頼されたのだった(1960年出版)。

 曲は、山に向う元気な歌から、遭難し死にいたる場面へと曲(ストーリー)が進んでいく。曲と曲の合間に、母親役としてのナレーターが手記を朗読する。
 現在、この曲には男声合唱版、混声合唱版があるが、混声合唱版の方が私は好きである。混声合唱版の演奏としては森正指揮東京都響,日本合唱協会によるすばらしいものがかつてLPで出ていたのだが、残念ながら現在は廃盤。fd7b4c64.jpg 今、手にできるのは男声合唱版と混声合唱版の両方を収録したCD(ビクターVZCC60)である。

 このCDの混声合唱版は作曲者自身の指揮、東京フィルハーモニー交響楽団、二期会合唱団による演奏だが(1960年録音)、録音が古いこともさることながら、男声四重唱の中のバス独唱の歌がひどい!ちょっと勘弁である。樋口裕一氏ではないが「笑えるクラシック」になってしまうのである。
 そこで、残念ながら男声合唱版の方で我慢しているが、これは若杉弘指揮ビクター・フィル、同志社グリークラブの演奏である(1970年録音)。なお、私は男声合唱版よりも混声合唱版の方が好きだということであって、この若杉による演奏は優れたもの。だから、ここに紹介している次第である。
 作曲者自身が、効果を上げるために誇張やフィクションがある、と述べているが、山で遭難し、独りどうすることもなく死を迎えざるを得ない状況、そして最後の最後まで母への思いを綴った感動的な作品である。

 なお、この曲のナレーションは加藤道子が多くの演奏で担当しているようで、このCDの混声合唱版もそうである。しかし、男声合唱版では女優の河内桃子がナレーターを務めている。

 それにしても、こういうとき、なぜ「おとうさん」は出てこないのだろう……

 おとうさんは斧で切り倒されるしかないなんて、かわいそうすぎやしませんか……、と。


「笑えるクラシック」

 これは樋口裕一著の本のタイトル(幻冬舎新書)。サブタイトルは「不真面目な名曲案内」である。率直に言えば「読んでいてイライラした」。著者の思い込みを読者に強要しようとしているような記述が鼻につくのだ。とぉ~っても。

 それにしても、相当な思い込みである。「と学会」の研究対象にして欲しいくらいである。

 “まえがき”からしてこうだ。

 「勉強のできる演奏家たちが、それを勉強として演奏してしまう。作曲家は、それほど生真面目に書いたわけではないのに、それを生真面目に演奏してしまう。そして、本来の音楽の持っていた味わいを消してしまう。そんなことが、往々にして行われているのではないか」。

 って、真面目に音楽の解釈に取り組み、演奏することが悪いことなのか?「それを勉強として演奏してしまう」って、そんなふうに言い切っていいのか、君?

 「私は、そろそろ日本人も、クラシック音楽に本来音楽が持っていたはずの笑いの精神を取り戻すべき時期に来ていると思う」。

 本来持っていたはずの笑いの精神っていったい何だよ?たとえば、モーツァルトが冗談好きだったからって、何でも「エイヤッ!」で演奏しろってことかい?

 
 ベートーヴェンの第9交響曲の章。終楽章について、「私が言いたいのは、この『第九』は「親しみやすいミサ曲」ではないということだ。現在、多くの人が、『第九』を親しみやすいミサ曲、すなわち、クリスチャンでなくても宗教的な気分を味わえる大規模な曲とみなしているのではないか」と書いている。

 多くの人って何千万人なんだろうなぁ。私は彼が言うところの「多くの人」みたく、この曲に接したことはない。と同時に、著者の言う「第3楽章までの生真面目さを捨て、笑い転げながら、世界に向けて楽しく歌う」ものだとも思っていない。笑い転げたら、楽しく歌うどころか、歌えないではないか。笑い転げながら歌うという、高度なテクニックをもった人を、私は見たことがないっすよ。だいたい世界に向けて、ってどういう意味でございますの?

 ラヴェルのボレロについては、「『ボレロこそ、笑えるクラシック音楽の最大の傑作だ』と確信したのだった。そして、これを笑いながら聴くことこそが正しい聴き方であるということも、知ったのだった」。

 そうですか、確信しちゃったのですね。それはよかったですね。笑いながら聴くのが正しい作法なんですね。私はその仲間には入りません、誘われても。

 リヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」の章では、「リヒャルト・シュトラウスは、欧米では大作曲家として扱われているわりに日本のクラシック音楽通の間で、あまり評判はよくない。日本でシュトラウスというと、ほとんどの人が、『美しく青きドナウ』や『ウィーンの森の物語』を作曲したヨハン・シュトラウス2世やその弟のヨーゼフなどを思い浮かべる始末だ」という記述。
 えっ?日本の音楽通―音楽通って……―の間で、あまり評判がよくないの?彼には悪い噂でもあるのかなぁ。私は彼が痴漢の常習犯だとか万引き癖があるとか、そんなよくない評判は聞いたことないなぁ。

 それに「ほとんどの人」って、音楽通の「ほとんどの人」を言っているのだろうか?だとしたら、この記述は間違った、読者を誘導する宗教勧誘的記述だろう。だって、“音楽通”なら、ヨハンと同じくらいリヒャルトの名を思い浮かべますよ。少なくとも、ヨーゼフよりは認知度が高いに違いないですわよ。私は魔王に誓ってそう申し上げます(だいたい「思い浮かべる始末だ」ってなんちゅう表現だ?)。もし、「ほとんどの人」が世間一般の人という意味なら、果たしてヨーゼフの名を思い浮かべる人なんてどれだけいるだろう?ヨーゼフ……まずいないだろうな。

 ねっ?ハラたってきません?

 「私は実は中学生のころからシュトラウスの大ファンなのだが、その私ですらあきれ返るほどに安易だ」。これはリヒャルト・シュトラウスの「皇紀2600年奉祝楽曲」について書いている文だが、読者のことを考えるなら、「シュトラウスの大ファン」ではなく「リヒャルトの大ファン」と記述すべきでしょうね。ここ、減点対象。「その私ですらあきれ返る」って、謙虚なのか高慢なのか、私、よく理解できません、あなたのこと。
 
 「ベートーヴェンの『運命』のでだしを、「朝ゴハーン、朝ゴハーン、しっかり食べよう朝ごはん、しっかり食べよう朝ごはん、サービス定食サービス定食、朝は600円。混ぜゴハーン、混ぜゴハーン、……」と歌う上海太郎作詞「交響曲第5番朝ごはん」がある。これも、大笑いしてしまう。私はそのような音楽の楽しみ方も、大人の楽しみの一つだと思う」。

 こういうことを「大人の楽しみ」って言うなんて知りませんでした。私はまだまだ子供です。大人って、とっても楽しそうですことぉ。

 こんな具合の文章が続くのである。
 私は著者・樋口裕一氏に何の恨みもないし、彼の著書の商売妨害をする気もない。著者の思っていることを自由に主張することに、私がケチをつける権利もない。

 しかし、これはかなりの「とんでも本」である。音楽にこれから接しようという人が、この優良図書によって洗脳されなければいいなと、「おそらくは音楽通の一味」であろう私は思ってしまう。幸い「地底人は笑いながらショスタコーヴィチを聴く」とか「UFOの船内では落語がわりに第九を聴く」なんていう記述がないのが救われる。いや、残念だ。
 著者は実は小論文指導に携わっており、文章記述に関する著書も何冊かあるし、小論文の専門塾の塾長も務めている。でも、この本を読んでみた限りでは、正直なところ小論文の権威者が書いた文とは思えない。じゃあ、どんな文がすばらしいのかと言われると困るが、この本の文章は決して読みやすいとは言えないし、洗練されてもいないし、思い込みと押し付けが強すぎる。
 まあ小論文っていうのは、自分の主張を述べるものなのだと言われれば、「はい、それまでよ」だけど……

43ではなく33です

 昨日のケージの作品名、4'43"ではなく4'33"です。

 申し訳ありません。まったく弁解の余地がありません。自分でもなぜ勘違いして10秒足してしまったのかまったく解りません。お恥ずかしい限りです。本文はすぐに修正し、もちろんタイトルも直しましたが、タイトルに関しては最初に投稿したものがずっと残る仕組みになっているそうです。自分の罪を真摯に受け止めるため、この恥さらしの刑を素直に受けます。

 ところで、間違いといえば全音のマーラー/交響曲第3番のポケット・スコアの背表紙。社名が「全音楽譜出版社」ではなく「全音譜楽出版社」となっております。いえ、自分のひどい間違いをこれでごまかすわけではありませんが、話題としては良いかな、なんて思いまして……

 このスコアを私が購入したのは、今から30年ほど前のことだと思います。確か初版です。その後、版が重ねられたようですが、背表紙のこの自社名の誤植は直されることなく、少なくとも次の版が出るまではそのままだと思われます、たぶん。

 たぶん、と言うのは、私はついにがまんできなくなって―それは、社内の誰もが気づかないのが気の毒だという意味で―春先に全音に「ご指摘メール」を送ったからです。

 「王様の耳はロバの耳ぃ~!」と。

 もちろん、冗談です。私はすごく控えめに「もし私が間違っていなければ、マーラーの第3交響曲のスコアの背表紙の貴社名が、間違っているような気がしてなりません」と送ってしまったのです。

 担当の方からは「誠に申し訳ありません」という返事が来ました。いえいえ、私は何も迷惑していません。でも、こういう返信が来るって、きっと真面目な会社なんだろうな、と思った次第です。「こんなこと中身と関係ないだろ!ったく!」ともみ消されることだってあり得ることですから。

 でも、ついでに言うと、このスコア、第1楽章で、パート名の表記で「Hp(ハープ)」が本当のところが「E-H(イングロイッシュ・ホルン)」と誤表記されているところもあります。クレーマー呼ばわりされたくないので、ここは指摘しませんでしたが。

 なお、マーラーの交響曲のスコアに関しては、音楽之友社のミニチュア・スコアの方がずっと印刷がきれいで見やすいです。

 あっ、誤解を招いては困りますので申し上げますが、私はスコアは読めません。眺めて追うことができるだけです。中学校のときの音楽の成績も、けっこう悲惨でした。

 ということで、10秒勝手にたしてしまったこと、重ねてお詫びいたします。


ケージ/4'33",Radio Music

 ケージの4'33"(1952)と言えば、多くの人がその名を知っている有名曲。にもかかわらず、その演奏を聴いたことがある者はほとんどいないという、秘密結社的作品である。まあ、もっともその気になれば、時計片手に自分勝手に「鑑賞モード」に入ることが出来るのだけれど。

 新ためて言うまでもないが、この曲は「偶然性の音楽」の代表的な作品。ケージはキノコマニア(妖しいなぁ)だったが、その彼が偶然性にこだわっていたのは、「辞書を引くとキノコ(mushroom)はミュージック(music)の隣にある。全然関係ないものが隣り合っている偶然性は、世にも稀な美しい姿だ」ということだそうである。非凡な人は、凡人には考えも及ばないようなところに美を感じるんですね。796d8afc.jpg

 私も物好きなもので、この4'33"の楽譜、購入しました。 どんなだったかというと、音符の羅列、ではなくて、音符は一つも書かれていません。どうぞご覧下さい。安くなかったのに騙された気分もしないわけではない。

 同じケージの偶然性の音楽で私がちょっぴり気に入っているのが「ラジオ・ミュージック」(1956)。これは8つのパートに分かれた奏者(?)が、指定された演奏時間内で、指定されたことをこなす、というもの。もっと解りやすく言えば、6分の間に、各人が楽譜(?)に指定された周波数にラジオのチューニング・ダイヤルf4a28eb3.jpgを合わせていくというものである。ははははっ、という音楽(?)なのであるが、たまたま持っていて、ここに紹介しているCD(輸入盤CRAMPS RECORDS CRS-CD101)では、キューとかビリビリという周波数ノイズのなかに、かすかにモーツァルトのピアノ協奏曲なんかが聴こえてきて、妙に郷愁を誘われたりする。「おかぁさぁ~ん」って叫んでしまいそう。こういう風に聴くと、モーツァルトの音楽ってすばらしいなぁ、と実感してしまう。

 ところで、学習能力に欠ける私は、この曲の楽譜も買ってしまいました。音符が1つもないところは4'33"と同じ。5d1f1999.jpg だが、こちらは「お得なことに」、ちゃんとAからHまでのパート譜に分かれてます。

 そんな偶然性という一回限りの音楽を録音に残すということが作曲者の望むところかどうかは別としても、聴いてみたいというのが人情というもの。

 紹介した「ラジオ・ミュージック」のCDは、おそらく店頭にはなく、ショップに注文しなくてはならないと思う。人生に刺激が欲しい人は買っても損はないはず。もちろん、このCDには4'33"も収録されています!←ブログタイトルに偽りなし!

 

 

コンチェルティーノ・ビアンコ

2f6e5fb0.jpg  この作品はラトヴィアの作曲家、ペレーツィス(1947- )が1984年に書いた、ピアノと室内管弦楽のためのもので、調性はハ長調。CDは一種類しかでておらず、そのCDはリュビモフのピアノ独奏、シフ指揮ドイツ・カンマーフィルによる演奏である(1995録音。エラートWPCS4926)。

 とてもやわらかくて、優しくて、爽やかな作品。ビアンコというのは白のことで、つまりはピアノ・パートは白鍵だけを使って演奏するように書かれているようだ。BGMになりそうな音楽で、深みがないと言えばその通りかも知れないが、病みつきならぬ、耳つきになってしまう。私なんか、聴いていてなぜか顔がほころんでしまう。危ないヒト……

 マニアックな曲なのかも知れないが、騙されたと思ってぜひぜひ聴いてみてほしい(本当に騙されたと感じても、私は責任を負いません)。

 なお、カップリング曲として、ウストヴォルスカヤ、グバイドゥーリナ、グレツキの協奏作品も収録されている。私がお薦めしたいのはペレーツィスの作品だけですけど……

 

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