読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行した「保存版」です。  いまは“新・読後充実度 84ppm のお話”として更新しています。左サイドバーの入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。  背景の写真は「とうや水の駅」の「TSUDOU」のミニオムライス。(記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

November 2007

恋人との会話(Sonata27)

 ベートーヴェン(1770-1827)という作曲家の音楽は、「運命」の印象があまりにも強いせいなのだろうか、無骨で男臭く力強いというイメージがある。

 それに、たぶん今はもうあんなださいノートは売られていないのだろうけど、小学生用の音楽ノートの表紙になっていた有名なベートーヴェンの肖像画――シュティーラーという人が書いた油絵で、1819年の姿。赤いタイが印象的。でも、ベートーヴェンの肖像画って、描いた人によってずいぶんと顔つきが違うのも事実――が、これまた便秘でいきんでいるような表情で、見るものを圧倒してきたわけである。「切れても出すぞ、便べ便!」みたいな強靭な意志が表情に表れている。学校もののホラー映画でも、夜中の音楽室で恐い顔に変わるのはベートーヴェンの肖像画と相場が決まっているくらいだ(ただでさえ恐いのに)。

 しかしながら、いろんなベートーヴェンの曲を聴いていくと、無骨で力強い音楽よりも繊細で優しげな音楽の方が、より彼の特徴的な面であるように思えてくる。社会になじめず、耳が聞こえないことでますます外界からの孤独感を味わったベートーヴェンが、自らの心を慰めるような音楽。それが、彼の特徴であると(特に晩年は)。

 作家の故・五味康祐氏は「音楽巡礼」(新潮文庫)のなかで、《私はベートーヴェンのピアノ曲が好きだ。ことに『ハンマークラヴィーア』と作品109、作品111の終楽章――この三つがあればほかにピアノ・ソナタは必要ないとすら思う》と書いている。「そりゃ、ウソでしょ、このぅ~っ!」と言いたくもなるが、私はベートーヴェンのピアノ・ソナタ第27番ホ短調作品90が好きである。

 この第27番のソナタの前に書かれたピアノ・ソナタは「告別」だが、それから5年あとにこの曲が書かれたとき、世はナポレオン没落後で大きく変化をしており、ベートーヴェンの聴力もほとんど失われていた。ますます彼が内へ内へと入っていく時期である。

 曲は2つの楽章からなっているが、シントラー(1798-1864。『ベートーヴェン伝』の著者として重要な貢献を果たしたが、その内容にはかなりの粉飾があるとされている)によれば、ベートーヴェンは2つの楽章を「理性と感情との闘い」「恋人との対話」であると説明したという。この作品はリヒノフスキー伯爵に献呈されているが、伯爵は当時c97b895a.jpg 再婚することになっていたため、それにちなんで作曲されたと言われている(「理性と感情との闘い」って、ちょっとやらしっぽい)。

 私はブレンデル盤(1975録音。フィリップス438 374-2。輸入盤。2枚組みでピアノ・ソナタの27番~32番までが収められている)を好んで聴いている。

 それにしても、「恋人との会話」とベートーヴェンが言ったという、この曲の第2楽章の優しさ、甘さ、美しさ!私の清らかな心が、さらにいっそう癒されていくようだ。恋人同士の仲むつまじく、端から見ていても微笑ましい様子さえ感じられる。

 えっ?おまえはどうなんだって?
 妻とはいつも「くまばちは飛ぶ」っていう感じ。やれやれ……

アメリカ大陸初の作家

7f47457d.jpg  ソル・フアナの「知への賛歌」(旦 敬介訳。光文社古典新訳文庫)を読んだ。私を賛美する作品だと思ったら、ちょっと違った(←冗談ですってっばぁ)。

 この本のセールス・コピーは「詩こそが最高の文学だった17世紀末に世界で最も愛されたメキシコの詩人、ソル・フアナ。美貌の修道女でありながら、恋愛や抑圧的な社会への抗議をテーマに、率直な言葉で社会の規範や道徳と闘った。……」というもの。
 とはいえ、どこかの国の、どこかの街の、「なまくらスケベ坊主」の女性版というのでは決してない。

 すらすらと鼻歌まじりで読める文とは言えないが、「今の日本語」に訳すことがいかに大変だったかが読んでいてもわかるし、ここまで読みやすく訳してくれた訳者に感謝したい。
 そして読みにくいといっても、1日で読み終えることができる厚さである(私の頭にどの程度残っているかは別として)。

 扉に彼女の絵が掲載されているが、確かになかなかの美人である。しかし、妥協はしないという意思の強さが伝わってくる表情である。訳者はあとがきに「(文の内容に)小生意気なところ」があると書いているが、確かにそうである。こういう女性を恋人や妻にしたら、一生頭が上がらない感じだ。こういう女性でない女性を妻にしても、やはり頭が上がらない私が言うのだから間違いない。

 収録された作品のなかで、もっとも長いのが「ソル・フィロテアへの返信」である。
 ソル・フアナが書いた「アテネー書簡」という作品が「誰か」によって勝手に出版されたのだが(そのように出版されることはむしろ光栄なことなのだそうだ)、その勝手出版物の序文にソル・フィロテアという人物が寄せた文は、作品を賛美するどころか非難するものであった。この「ソル・フィロテアへの返信」は、それ対する著者自身の反論文である。
 いやぁ、すごい。謙虚さを保ちながらも、ネチネチと攻め立てる文章。ある種、怖い。
 例えば、別れた恋人からこのような知的かつ執拗かつ正当な手紙を寄こされたら、私なら胃けいれんを起こしてしまいます。「怨念」って感じ。
 実は、ソル・フィロテアという人物は実在しなく、ソル・フアナは序文を書いた本当の人物も解ってたのだが、それを前面に出さないで書き綴るところもすごい。
 このあたりは、訳者が親切な解説を寄せているし、巻末には彼女についての詳細な解説もある。

 時代的にはバロック期。文学におけるバロック作品である。
 そのころにこんな女性がいたとは。
 ほんと、知的な、でも堅物ではない女性です。

生保見直し体験談(その7)

§7. 審判。そして三度目の訪問。朗報。

 私の携帯にNさんから電話がかかってきたのは、わずか5日後であった。
 あまりに早すぎる……
 案の定、ロクなことになっていなかった。
 「A社さんの死亡保障の保険のほうは審査がとおり加入できました。しかし、C社さんの医療保険方は告知内容から加入できないということで……」
05f5ca6f.jpg  私は顎がはずれ、膝が折れたような気がした。Nさんは続けた。
 「しかし、C社さんの医療保険は特に成人病保障に重点をおいていますから、それでだめだったのかも知れません。別な方法を考えてみませんか」
 私は力なく答えた。
 「はい。残念ですがわかりました。近くたまたま札幌に戻る用があります。そのときに相談に伺います。ところで、どこがいちばんの問題だったのでしょうか?中性脂肪でしょうか?」
 「いえ、よくはわかりませんけど、たぶんバランスよくトータル的にだめだったと思います。ふふふっ」
 実に遠慮のない明解な答えであった。
 審判が下った……
 たぶんC社の担当は私の書類を見た瞬間にハネたに違いない。私としては書かれた文の「行間」を読み取って欲しかった……

 数日後、三度目の訪問。たまたま札幌に戻る予定とぶつかっていて良かった。

 この数日間の間、Nさんは気を利かせていろいろと調べておいてくれた。
 「やはりC社さんのは成人病がらみの審査が厳しいようです。で、A社さんに私は聞いてみました。A社さんは死亡保障保険で提出してあるドックの結果の写しと告知書を見て、これなら医療保険もがん保険もOKだということでした」
 ほっとした。少なくとも最後はA社のものに加入できる保証ができたのだ。

 そこで前回は検討の結果惜しくも選ばなかったD社と、加入できることが判明しているA社のものを比較した。
 入院保障額と保険料を見るとD社の方がよい。同じ保険料でD社なみの保障額をA社で考えるならば、払い込み期間を長く設定する必要がある。つまり、70歳近くまで払い続けなければならない。逆を言えば、D社なみの保険料でA社のものに入ろうとするとならば、保障額が下がってしまう。両者とも多少の差はあるものの、手術時の給付金は同じくらいである。ほかにも細々な違いはあったが、私にとってはD社の保障内容のほうがマッチしていると思われた。こういった妻とNさんの「保険料をいかに抑えるか」という会話を聞いていると、自分の命が競売にかけられているような気持ちになる。

 結局、医療保険の第一希望はD社、第二希望はA社とした。D社でだめだったことを考え、A社の申込書も同時に書いた。
 「できるだけ詳しく書いた方が、逆に良いようです」と、NさんはD社向けの書類に別紙として現在の治療内容を書くように言った。その用紙に細かく私は記述した。
 書きました。わざわざ使い慣れている自分のペンを持参して、懇切丁寧に書きました。

 また、同時にD社のがん保険も申し込むことにした。

 一週間後。
 Nさんから電話。またもや予想より早い。嫌な気がした。

 しかし、電話口の先の声は明るかった。
 「入れました!医療保険も制約条件なしで入れました!よかったですね~。私もうれしくて!」
 たいへんな喜びようである。私の方が彼女に「よかったですね」と言いそうになったほどだ。
 「ありがとうございます。じゃあ、ニッセイは解約しても大丈夫ですね?」
 「ええ、大丈夫です。本当によかった。あきらめないもんですねぇ」
 「いえ、Nさんのおかげです。これから祝杯をあげることにします」
 「また、いろんな数値が上がりますよ!」
 最後の語調は恐かった。

 希望通りD社の医療保障保険、がん保険に加入することができた(だから言うわけではないが、C社の判定でなぜ落とされたのかやはり腑に落ちない。告知書に誤解されるような記述をしてしまっただろうか?)。

 A社の死亡保障、D社の医療保障にがん保険。この3つで月々の保険料は25,000円弱となった。今のニッセイの保険よりも全般的に保障はやや下がることになり、掛け金よりも3,000円ほどアップするが、5年後の更新時期のことを考えるならばはるかに安い。この3つの保険料はこれから先途中で上がることはないし、医療とがんは保障期間が終身なのだ。
 いずれにしてもほっとした。最後の砦としてA社の医療保険が残ってはいたが、それよりも自分に合ったD社の保険に入ることができてよかった。その喜びはじわじわと湧き起こってきたのであった。もう死んでもいいと思った(冗談)          To be continued.

 ※写真は「つるシュネービッチェン」。私の心のように白い……。もちろん写真と本文は関係ありません。


「海辺のカフカ」と「大公トリオ」(2)

 ホシノ青年は、自分でも「大公トリオ」のCDを買った。
 《街道沿いのCDショップのクラシック音楽の売場はそれほど大きなものではないし、そこには『大公トリオ』は廉価盤1枚しか置いてなかった。残念ながら百万ドル・トリオの演奏ではなかったが、とにかく青年はそれを1000円で買い求めた》(279p)
 村上春樹の、こういった日常に存在するなにげない現実の描写はとても巧い。商店街やショッピングセンターの中にあるCDショップのクラシックCDの品揃えは、カレーライスの本体が盛られていない福神漬けだけの皿のようなものだ。そう売れるものではないだろうし店に文句を言う気はまったくないが、その陳列されているCDを見ると、誰がどういう意図で選んだのだろうという情景である。それなら、どこか1社の廉価盤シリーズを並べてくれた方が親切だ。ホシノ青年は、その点では幸運だった。

 部屋でCDを聴いたあと、ホシノ青年はナカタさんに言う。
 《「作曲家が耳が聞こえなくなるなるってのは、つまりコックが味覚を失うようなもんだ。……さっき聴いていた『大公トリオ』だって、耳がずいぶん聞こえなくなってから作曲されたものだ。だからさ、おじさんも字が読めねえってのはきっと不便だろうけど、つらいこともあるだろうけど、それがすべてじゃないんだ。たとえ字が読めなくたって、おじさんにはおじさんにしかできないことがある……」》(285p)
 このあたりのホシノ青年のナカタさんへの言葉は、胸を打つ温かみがある。そして、ナカタさんが応える言葉はあまりにも悲しい。
 《「しかしホシノさん、ナカタはここのところよく夢に見るのです。夢の中ではナカタは字が読めます。何かの加減で字が読めるようになったのであります。ナカタはもうそれほど頭が悪くありません。ナカタは嬉しくて、図書館に参りまして、本をいっぱい読んでいます。本が読めるというのはこんなに素晴らしいことなのかと思っております。次から次へと本を読んでいきます。ところがそのとき部屋の明かりがぱっと消えて真っ暗になります。誰かが明かりを消しました。何も見えません。もう本は読めません。そこで目が覚めます。たとえ夢の中のことではありましても、字が読める、本が読めるというのは素晴らしいことであります」》(285p)。
 

 ところで、二人が「目的地」であった甲村記念図書館を訪れたとき、ホシノ青年はベートーヴェンの伝記を読んでいた。そして受付の仕事をしている大島さんと会話する。
 《「うん、ずっとベートーヴェンの伝記を読んでいたんだ」と星野さんは言った。「なかなか面白い本だ。ベートーヴェンの人生をたどっていると、考えさせられることがいろいろとある」
 大島さんはうなずいた。「はい。ごく控え目に言って、ベートーヴェンの人生はかなり大変な人生ですから」
 「うん、あれはずいぶん大変な人生だ」と青年は言った。……》(327p)

 《「ええと、大島さん」と青年はカウンターにある名前の表示を見ながら言った。「あんたは音楽に詳しいんだね?」
 大島さんは微笑んだ。「詳しいというほどではありませんが、好きですし、一人の時にはよく聴いています」
 「じゃあひとつ訊きたいんだけどさ、音楽には人を変えてしまう力ってのがあると思う?つまり、あるときにある音楽を聴いて、おかげで自分の中にある何かが、がらがらっと大きく変わっちゃう、みたいな」
 大島さんはうなずいた。「もちろん」と彼は言った。》(329p)

 そのあと、物語が進んだある場面で、ホシノ青年は《居間に行って『大公トリオ』のCDをかけた。最初の楽章の主題を聴いているときに、両方の目から涙が自然にこぼれ落ちた。とてもたくさんの涙だった。》(406p)となる。
 
 なお、ホシノ青年の買ったCDのカップリング曲が「幽霊トリオ」(ベートーヴェン/ピアノ三重奏曲第5番ニ長調Op.70-1(1808))であるというのも、何か意味ありげである。

 大変な人生を送ったベートーヴェンと援助者かつ弟子だった年下のルドルフ大公との関係が、一般社会に受け入れられない「頭が悪い」ナカタさんとなぜかナカタさんに惹かれていくホシノ青年との関係を思わせると書いたが(ルドルフは皇位後継者ではなかったし、ホシノ青年は三男坊で実家のあととりではなかったという境遇も同じである)、ではなぜその作品が「大公トリオ」なのか?ベートーヴェンがルドルフ大公に献呈した作品は他にもあるのに、なぜトリオなのか?
 そこには、トリオの3つの楽器が登場人物の象徴となっているのと考えられないだろうか?つまり、ナカタさんが完結しなければならない「作品」の3人の登場人物ではないか、と思うのである。
 これは考え過ぎかも知れないが、そうやってこの本を読むと、「3」という数字が目立つ。
 ホシノ青年は「5人兄弟の三男」で「3年で仕事を辞め」た。幼少の頃のナカタさんは事故のあと「3週間ばかり死んでいた」。少年カフカの部屋に深夜に訪れる少女によって「絵、少女、僕、その三つの点」が形作られ、やがて「三角形の一角が崩れる」。ほかにも「午前三時前の重い闇」「三度ばかり停学」「三桁の短縮番号」「三冊のファイル」「三匹の子豚」「**3丁目」「3階の部屋」という記述。ホシノ青年は美女相手に「三度もいって」しまったし、「三本目のコーラ」を飲んだ。

 では、トリオを構成する登場人物は誰か?
 一人は少年カフカであり、もう一人は佐伯さんであることは間違いない。もう一人は誰か?
 大島さんかさくらさんであろう。私は、現実か夢の中でかはともかくとして、相姦という意味づけから考えると、登場頻度は高くないものの、それはさくらさんではないかと思う。カフカ-佐伯-さくら。この3人がナカタさんが完結しなければならなかった作品のプレイヤーである。それを作者は「大公トリオ」という音楽作品で暗示したのではないだろうか?
 大島さんがトリオに入らないと思うのは、彼がシューベルトについて語っているからである(上巻231p~)。大島さんは《ある種の不完全さを持った作品は、不完全であるが故に人間の心を強く引きつける》と話す。ベートーヴェンの音楽が完全であるかどうかは別として、大島さんにはマッチしなし、プレイヤーの一人ではないと思われる。作者は大島さんにこう語らせることで、トリオのメンバーではないことを示唆したのではないだろうか?
 さらに言えば、ホシノ青年が喫茶店の店主から聞いたハイドンの話にキーがあるのかも知れない。
 《ハイドンはある意味で謎の人です。彼が内奥にどれほどの激しいパトスを抱えていたか、それは正直なところ誰にもわかりません。しかし彼が生れ落ちた封建的な時代にあっては、彼は自我を巧妙に服従の衣で包み、にこやかにスマートに生きて行くしかありませんでした。そうしなければ彼はきっと潰されていたでしょう。……》(218p)。大島さんは、ハイドンのように《どれほど静かな闇を自分の中に抱え込んだ複雑な人間であったか》(218p)ではないだろうか?

 物語の最後で、カフカ少年は森の中を歩み進み、いったん別な世界へ入る。この街は著者の「世界の終わりとハード・ボイルド・ワンダーランド」の「世界の終わり」を思い起こさせる。
 この世界でカフカ少年はフランソワ・トリュフォーの映画「大人は判ってくれない」を思い出すが(423p)、この映画はホシノ青年が暇つぶしに入った映画館で観た映画である(215p)。このような別々の場所で起こった現象がリンクする話が(というよりもすべては一つの円の中で起こっているのだ)、この作品では象徴的に出てくる。ほかにもう一つあげておくと、《「ナカタは頭が悪いばかりではありません。ナカタは空っぽなのです。それが今の今よくわかりました。ナカタは本が一冊もない図書館のようなものです。……》(168p)というナカタさんの言葉。これに対応するかのように、カフカ少年が行った「別な世界」にいる少女が言う。《「ええ。でもその図書館には本は置いてないの」》(429p)、《「……記憶は私たちとはべつに、図書館が扱うことなの」》(463p)(このあたりは本当に「世界の終わりと……」的だ)。

 9・11テロの1年後に発表され大ヒットしたこの小説「海辺のカフカ」を読んだ読者の多くが、「癒された」とか「救いを感じた」という感想を述べているらしい。しかし、この作品の本質は癒しとか救いではないと思う。また、とても読みやすいが、細部を気にしだすとひじょうに複雑な話であることがわかる。そして、私はナカタさんの不幸な人生が気の毒に思えてならない。それも何かの象徴なのだろう。

 大島さんがホシノ青年と「大公トリオ」の話をしたときにこう言っている。《「僕の個人的な好みはチェコのスーク・トリオです。美しくバランスがとれていて、緑の草むらをわたる風のような匂いがします。……》(329p)。

 スーク・トリオは何度も「大公トリオ」を録音している。ここで言わ567e011b.jpg れている演奏がいつのものかわからないが、私は1961年に録音されたスーク・トリオのCDを聴いている。ピアノはヤン・パネンカ、ヴァイオリンがヨゼフ・スーク、チェロがヨゼフ・フッフロで、1,300円の廉価盤である(日本コロンビア・スプラフォンCOCO6788)。カップリング曲はシューベルトのピアノ五重奏曲「ます」。右のタワーレコード・ネット販売で購入できる。
 参考までに、スーク・トリオの「大公」の、1975年録音のものはデンオンCOCO70442、83年録音のものはコロムビアCOCO70852で、いずれも右のタワーレコード・ネット販売で1,050円で購入できる。

 手元に平野昭著「ベートーヴェン」がある(新潮文庫。カラー版作曲家の生涯)。掲載したルドルフ大公の写真もこの本に載っていたものだ。偶然といえば全くの偶然だろうが、この本の中に服部公一氏が寄せている文のタイトルが「もう一つの入口」である。あぁ、びっくりした。「海辺のカフカ」をすでに読んだ人なら解ると思うが……。

「海辺のカフカ」と「大公トリオ」(1)

 村上春樹作品の中でも最も人気が高いのが「海辺のカフカ」 f806ec26.jpg だろう(以下の文では、まだ読んでいない人のことを考えて、なるべくストーリーがわからないようにしたつもりです)。

 

 その下巻、読む者をどんどん引き込みながらクライマックスへと進む展開の中で、ベートーヴェンの「大公トリオ」が出てくる。これは、エピソード的にも見えるが、実は「何か」を象徴暗示――春樹流に言うなら「メタファー」?――しているように思えてならない。
 「海辺のカフカ」では、村上春樹のほかの小説と同じように、いくつかのクラシックの作曲家や作品について触れられているが、「大公トリオ」はひときわ大きな役割を果たしている。ホシノ青年にそれまでの人生を考えさせるほどの位置付けにあるのだ。ただ、なぜ「大公トリオ」でなくてはならなかったのか?

 「大公トリオ」の話が出てくるのは、ナカタさんと旅をともにするはめになったホシノ青年が、一息つくために入った喫茶店で流れていた場面である。店主はホシノ青年の質問に応えて曲の説明をし、ホシノ青年はポツリと言う(新潮文庫下巻(以下同)213p)。
 《「この曲はベートーヴェンによってオーストリアのルドルフ大公に捧げられました。それで正式につけられた名前というわけではないのですが、俗に『大公トリオ』という名前で呼ばれております。ルドルフ大公は皇帝レオポルト二世の息子で、要するに皇族です。音楽的資質に恵まれ、16歳の時からベートーヴェン弟子になり、ピアノと音楽理論を学びました。そしてベートーヴェンを深く尊敬することになりました。ルドルフ大公はピアニストとしても作曲家としてもとくに大成はしませんでしたが、現実的な局面では世渡りの下手なベートーヴェンに援助の手をさしのべ、陰に日向に作曲家を助けました。もし彼がいなかったらベートーヴェンはいっそう苦難の道を歩んでいたことでしょう」
 「世の中にはそういう人もやはり必要なんだな」》

 これに対応しているのが、ナカタさんが「行かなくてはいかない場所」である甲村記念図書館を訪問したあとに、ホシノ青年に言う部分である(394p)。
 《「もしホシノさんがいらっしゃらなかったら、ナカタはずいぶん途方に暮れていたと思います。この半分の用事も済ませられなかったのではないでしょうか」
 「そう言ってもらえると、このホシノくんも働きがいがあった」
 「ナカタはとても感謝いたしております」》

 ベートーヴェン(1770-1827)のピアノ三重奏曲第7番変ロ長調Op.97「大公」は1811年に作曲されており、「店主」の説明にあるようにルドルフ大公(写真) 9619b9cf.jpg に捧げられたためにこの通称がある。この曲は、ベートーヴェンのみならず、それまでのピアノ三重奏曲(ピアノ・トリオ)の頂点に位置するもの傑作とされている。
 ピアノ三重奏曲という作品は、ヴァイオリンとチェロ、そしてピアノという編成をとるが、ベートーヴェンによってこれら三つの楽器が対等な位置付けを与えられるようになった。また、4楽章構成のピアノ・トリオを書いたのもベートーヴェンが最初である(それ以前は3楽章構成)。
 ルドルフ大公(1788-1831)は、皇帝レオポルト二世の末っ子で、皇帝フランツの異母兄弟にあたるため皇位継承権はなかったが、たいへんな音楽愛好家であった。彼は1819年にオルミュッツ大司教に任ぜられ、生涯をキリスト教に捧げた。
 ベートーヴェンはルドルフ大公が15歳のとき(カフカ少年と同い年だ)から彼にピアノを教え始めたが、ピアノのほかに作曲も教えた。ベートーヴェンにはピアノの弟子は何人かいたが、作曲の弟子は生涯を通じてアドルフ大公一人だけであった。ベートーヴェンがアドルフ大公に献呈した作品はピアノ・トリオ第7番だけではなく、ピアノ協奏曲第4番、第5番、ピアノ・ソナタ第26番「告別」、ミサ・ソレムニスなどがある。

 このように見てみると、ベートーヴェンとルドルフ大公の関係は、「海辺のカフカ」におけるナカタさんとホシノ青年の関係にオーバーラップする。
 ベートーヴェンは決して社会に適応するような性格の持ち主ではなかった。それを援助した人物の一人がのがルドルフ大公であった。一方、ナカタさんは少年期のある事件によって「頭が悪く」なってしまった。字も読めない。そのナカタさんとひょんなことで知り合いになり、ナカタさんの「人生の目的」達成を援助したのがホシノ青年である。
 ここでベートーヴェンを持ち出しているのもう一つの意味合いとして、ナポレオンとの関係があるようにも思える。カフカ少年が、1812年のナポレオンのロシア遠征について書かれた本を読む場面がある(264p)。また、彼は後日その話を思い出す(345p)。ベートーヴェンが自由な芸術家としての自己を確立した時期、つまり1803年から15年ころは、ナポレオンがヨーロッパを制覇し、神聖ローマ帝国が解体するなど封建的な旧体制が崩壊した時期であった。また、ベートーヴェンの後期(1815年から27年)は、ナポレオン没落とウィーン反動体制の時代に相当し、作品は人類的理想を求めたものとなった(このカフカ少年が読んでいたナポレオンの話は、カーネル・サンダーズがホシノ青年に、天皇について話したことに関連すると思われる(125p))。
 ついでに言うと、ルドルフ大公に献呈されたピアノ・ソナタ第26番変ホ長調Op.81a「告別」(1809-10)は、1809年にナポレオン軍によってウィーンが占領された際の、ルドルフ大公が疎開し翌年帰還するまでの事情が託された作品である。各楽章に「告別」「不在」「再会」の標題がつけられている。

 ところで、ホシノ青年が喫茶店で聴いた「大公トリオ」の演奏は、3d51f836.jpg ルビンシュタインのピアノ、ハイフェッツのヴァイオリン、フォイアマンのチェロによる演奏であった。店主によればこのメンバーは「百万ドル・トリオ」と呼ばれ、そのレコードは1941年録音のモノラル盤である。この演奏は国内盤CDで発売されている。RCA-BVCC37650。右のタワーレコードで購入できる。価格は1,680円。カップリング曲はシューベルトのピアノ三重奏曲第1番変ロ長調Op.99である。(続く)

生保見直し体験談(その6)

§6. 二回目の相談。加入手続き。

 再び、保険相談窓口を訪れたのは、10月の末であった。
 私の保険に関しての相談であるが、すでに一回目の訪問時にc756ecc2.jpg いろいろなプランを提示してもらっていたので、そのなかからこちらが要望する保険の加入手続きをした。

 それでも「やはり保障を1,000円落として、保険料を下げよう」とか「62歳払い込みを65歳にしたら保険料はどう下がるのか?あと、63歳にしたの場合は?」などと、相変わらず妻が細かな注文を出したために簡単には終わらず、相談は2時間半に及んだ。
 その間、私はカウンターに置かれている「ご自由にどうぞ」というミルキーを6粒も食べてしまった。これで血糖値まで上がったら、妻の責任以外の何物でもない。

 私の場合、自覚症状は何もないのだが、夏前のドックで引っかかった箇所がある。また、医者に勧められるままに、ありがたがって飲み続けている薬もある。告知しなければならない不運な現状は以下のとおりである。

 (1) 高尿酸血症~これは10年以上前にドックで引っかかったのを機に、薬を与えられ続けている。ずっとユリノームを飲んでいたが、医師の意向で今年9月からザイロリックに替えている。薬を飲み続けているため、もちろんドックなどでは正常値である。
 (2) 高血圧~ドックでも何ともない。しかしながら、正常の範囲内でやや高め(最低血圧が高めで、最高血圧と最低血圧の幅が少ないという)。そこに目をつけたかかりつけの医師が、今年の春から薬を処方。与えられるのならと、それを喜んで飲んでいる私。薬の名はブロプレス8mg。先に書いたように、実際には正常値からはずれたことはない。
 (3) 高脂血症~中性脂肪の値が数年前から高いと言われていたが、今年のドックで治療を考えてみる時期だ、と言われた。かかりつけの医師に言うと、いったん様子を見るためにも薬を飲みましょうと、優しく誘われた。今年9月から服用。薬の名はベザトール200mg。
 (4) 胃粘膜のただれ~これは夏前のドックで引っかかった。お盆前に地元の病院で内視鏡検査を受け、細胞検査の結果は異常なしだった。粘膜を治す薬を飲んだが、飲み終わったあとに治ったかどうかの検査は受けていない。


 保険申込書の告知欄にこれらの「病気」を記入してると(私の辞書では「未病」に過ぎない)、妻が聞こえるように露骨にため息をついた。実は、高血圧と高脂血症のことは、知れたら有無を言わさず罵られると思ったので言っていなかったのだ。それがこんなところで明るみになるとは!
 一生懸命記入している私の横で、妻はさNさんに言っている。
 「私の友人の旦那さんが、中性脂肪が高くて保険に入れなかったらしいんですけど。これじゃあウチもダメですね」。自分がすんなり保険に加入できたので、すっかり威張りくさって私を見下していやがる。
 「保険会社によって基準も違いますし、一概には何とも言えませんよ」とNさんは答えている。

 それにしても私もタイミングが悪い。高血圧の薬だって、もう少し様子を見てからにしてください、と医者に言っておけば何でもなかったのだ。ふだんの血圧測定では異常値を示すことはなかったのだから、あのとき薬を拒否していれば今だって告知する事実は生じなかったのだ。。
 中性脂肪についても、医者はもう少し様子を見ようかどうか考えていたのだ。そこで、そうしましょう、と私が言わなかったために「先月から」薬を飲むはめになったのだ。それに、毎年のドックで高い値が出るのは、前夜の8:55までビールを飲んでいるせいだと、自分で解っているのだ(21時以降は飲食をしてはいけないのだ。それは守っている)。
 でも、あとの祭りである。阿蘇の祭りはどんなものだろうか?


 高尿酸血症については、今のニッセイの保険に入るときもパスしたし、痛風症状を起こしたことも一度としてないので、これは心配していなかった。胃の症状についても、胃カメラで組織検査まで行なって大丈夫だったのだ。
 そうやって考えると、私はまだまだ健康じゃないか!単に医者の誘惑に負けた、精神力の弱い男にしか過ぎない。もし書類の告知欄に「ここ2年以内に意志薄弱である」という項目があったなら、「はい」に○をつけただろう。でも、もはや薬を飲んでしまっているからにはウソの告知はできない。ウソをついて加入できても、いざというときに告知義務違反で保険金が支払われないだろう。


 さて、まず死亡保障保険。これはA社とB社との比較検討(アルファベットは社名とはまったく関係ありません。以下同様)。
 保障内容を比較するとわずかばかりB社が良かったが、保険料が高い。そこでA社にすることにした。
 この保険は、保障期間が65歳。保険料の払込み期間は63歳までとした。
 亡くなった場合に毎月20万円の保険金が出るというもの。しかも、払い込みが終了する63歳から保険終了の65歳までの間に死亡した場合は、猶予期間として死亡した年から5年間は保険金が出るというものである。毎月20万ずつ受け取るのではなく一括して受け取ることも可能だが、その際は総支給額が若干下がる。
 この保険でも、「月々の保険金を15万に下げて、払い込み期間を60歳、保険期間を70歳にした場合は?」とかいろいろな横槍を妻が入れてきて、時間を食ったが、最終的に先に書いた内容にした。
 こういった、年齢とともに保険金の支払い総額が減っていくタイプの保険は、どの歳で死んでも最初に設定した額の(一律の)保険金が出るタイプのものより割安につく(加入当初の保障額が同じ場合)。
 なお、65歳以降になると私には死亡保障がない(もう要らないけど)。それを補うものとして、Nさんは積み立て型の死亡保険を紹介してくれた。貯金代わりになるもので、100万円程度の保障で加入するのも一つの手だと言われたが、妻は「それなら貯金する」と拒絶した。
 それから、この日に先立って、私はニッセイに今加入している保険を「払い済み保険」に変更できないかどうか、コールセンターに聞いてみた。答えは「ノー」であった。妻のときと違い、私は切り替えてから5年という短い期間しか経過していないため、「払い済み保険」にはできないということだった。


 次に、医療保障である。これはC社とD社とを比較。
 入院給付期間を延ばせる特約があるか?払い込み期間、入院保障額と保険料との兼ね合いはどうか?成人病特約はどうか?などを検討した結果(いずれも保険期間は終身である)、C社のものを申し込んだ。
 がん保険は、この2つの加入が決まってから手続きをとることにした。
 加入できたかどうかの結論は2週間後ほどになるという。
 そして、ちょっと大きめのアフラック・アヒルをくれた(アフラックの保険は申し込んでいないんだけど)。もう加入できるのは間違いないと思った。というのも、私ぐらいの前病気症状を隠し持っている人などザラにいるはずだからだ。私程度で加入できないなら、保険会社は加入不適合者ばかりで潰れてしまうだろうと思った。


 相談を終え、そのショッピング・センターの中にあるラーメン屋に入った。もう2時近かった。
 私が醤油ラーメンと小ライスを頼むと、「そういう食べ方をするから、血がドロドロになるんでしょ?まったく、タバコだって止める気もないし、ビールだって休む日がないし……」
 言われなくたって、いまリアルにそのことを実感しているというのに、どうしてこいつはしつこく言うのだろう!だから妻には友人がいないのだ(海外には)。

 すっごくすっごくすっごく腹がたったが、黙っていた。胃潰瘍になったらおまえのせいだと、腹話術で言ってみたが、初挑戦だったので失敗に終わった。
 でも、そのラーメン・ライスは美味しかった。
 食べたあと、わざとタバコを2本吸ってやった。    To be continued.

 ※写真のバラは「バフ・ビューティ」。写真と本文は関係ありません。花にとまっているのは私の妻ではありません。



俳句が苦手な私は日本的律動感欠如?

 「ピアノと管弦楽のための『リトミカ・オスティナータ』」は、伊福部昭(1914-2006)が1961年に書いた作品。

 「リトミカ」は「リズム(律動)の」を意味し、「オスティナータ」は「執拗に反復される」を意味する音楽用語である。
 作曲者は次のように述べている。


 《リトミカ・オスティナータとは、執拗に反復される律動という意です。
 作曲者が嘗(かつ)て中国に遊んだ時、小さな仏像が四方の壁全面に嵌め込まれている堂を見て、その異様な迫力に深い感動を覚えたことがあります。そのことが、この作品の構成のヒントとなっています。
 一方、吾が国の伝統音楽の律動は2と4等の偶数で出来ていますが、不思議なことに韻文では5と7が基礎となっています。この作品ではこの韻文のもつ奇数律動を主体としました。又、旋法としては伝統音階に近い音音階(ヘクサトニック)を用いましたが、これ等三つの要素の統合によって、アジア的な生命力の喚起を試みたものです》


 作曲者の説明にもあるように、この作品のリズムeccaa17b.jpg は日本人が本来持っている律動感(俳句の5・7・5。和歌の5・7・5・7・7。歌舞伎のセリフの7・5調など)に由来する、7と5に基づいている。ピアノが独奏楽器として用いられているが、それはピアノという楽器がもつ野蛮(バーバリック)な律動感に着目したためであり、ピアニスティックな効果は要求されていない。

 曲はA-B-A’という三部形式をとっている。ホルンによる全体の主題の提示のあと、ピアノがリズム主題を弾き始める。この主題はオスティナートの軸となるものであるが、5小節単位の5拍子によるもので、これは大きく2+3に分けられる(木村重雄氏のCD解説による)。
 中間部Bの部分はa-b-a’に分けられる。aとa’の部分は東洋的。bではAのリズム主題がクライマックスを築く。木村氏によると、この部分では「ヘテロフォニー」が軸となる。ヘテロフォニーとは「同時に演奏される二つのパートの一方が、原型とやや型を変えるのが『ヘテロフォニー』の原理で」ある。「作曲者はこれを西欧の『ポリフォニー』『ホモフォニー』とは別種の日本の伝統音楽の特質の一つと見て、この曲にそうした技法をとり込んでいる」(同)。
 A’は冒頭と同じように始まり、熱狂のうちに曲は終わる。

 楽譜は全音楽譜出版社から出ているが、参考までにその一部の写真を掲載しておく。

  

 さてCDであるが、これまで3種類が発売されてきた。

 (1) 小林仁(p)、若杉弘/読売日本交響楽団(ビクターVIf657effd.jpgCC23010)
 私がいちばんお薦めする演奏。録音は1971年(写真上)。

 (2) 藤井一興(p)、井上道義/東京交響楽団(フォンテックFOCD9087)
 1983年のライブ録音。会場の熱気が伝わってくる。ただしA’の部分に入ってすぐにピアノがとちってしまうのが惜しまれる。
 CDタイトルは「協奏三題」で、他に伊福部の「二十絃筝とオーケストラのための『交響的エグログ』と「ヴァイオリンとオーケストラのための協奏風狂詩曲(ヴァイオリン協奏曲第1番)」が収録されている。この2曲についても920b3162.jpg 今後本稿で触れていきたいが、それを考え合わせると絶対買いのCDである(写真は旧盤のもの)。
 新星堂のネット通販ではまだ在庫有り。右のバナーで入り、曲名で「リトミカ・オスティナータ」と入力して検索すればヒットする。価格は2,039円。

 (3) サランツェバ(p)、ヤブロンスキー/ロシア・フィル(ナクソス8.557587J)
 3種のなかでは最も新しい録音。CDタイトルは「日本作曲家選輯Vol.11。「タプカーラ交響曲」と「SF交響ファンタジー第1番」も収録されている。個人的にはいま一歩「野蛮さ」に欠ける印象。
 こちらはタワーレコードのネット通販に在庫有り。「リトミカ・オ スティナータ」で検索するとヒットする。890円。


 半世紀近く前の1961年という年に、このような「画期的な」作品が日本で生157d7b7b.jpgまれていたと思うと、なにか不思議な感じがしてしまう。前衛音楽の「画期的さ」とはまったく違った意味で。

 そうそう、石見銀山に行ったときに、仏像がたくさん並んでいるお寺(五百羅漢)を見学した。あれも、何ともいえぬ無言の迫力があったなぁ。



生保見直し体験談(その5)

§5. 払い済み保険

 ところで、ここまで読んで、私の妻が死亡保障の保険に加入していないことに気づいただろうか?
 どうせ不死身なんだから必要ないだろうって?まあ、そうも言えなくもないが……
 実は話のなかで、妻はNさんとその点についても相談していた。長い話に飽きて、私がタバコを吸いに行っている間に密談が行われたらしい。その内容は、

 (1) 今の第一生命の保険を、死亡保険(払い済み保険)にできないか?
 (2) できるとしたら、保障額はいくらになるか?
 (3) できないとしたら、解約返戻金で別な保険に入ることを検討する。
 というものであった。油断ならない女どもである。


 翌日、さっそく問い合せた。
 第一生命の地区営業所に相談する気は、もはや妻にはなかった。
 コールセンターである。

 聞いたところ「できる」という。
 いま解約すると返戻金は30万円ほどにしかならない。しかし、今の保険を「払い済み保険」にすると、保障額は180万ほどになるという。


 話は前後するが、申し込んだ医療保険キュア・ダブルの加入OKの返事が来たら、妻は変更手続きをすることに決めていたようだ。まったく、女というのは何を企んでいるのかわかったもんじゃない。
 手続きは、何だかんだしつこい地区営業所に言うのではなく、契約者である私が札幌の第一生命お客様サービス窓口に出向くことに決定されていた。といっても、単身赴任の身の私である。次回、札幌に出張する用件があるのは10月の上旬である。

 ということで、次に札幌に戻ったときに意を決して行って来た。
 以前、何かの用で、第一生命のこのビルには来たことがあった。そのときの印象はあまり良くなかった。銀行並みにけっこう混んでいて。いくつもの窓口で相談している人たちは、みな険しい表情をしていた。待合の椅子に座っていた私のそばにいた女性に、相談を終えて帰ってきた女性が言った。
 「全然話が違うわ。これじゃお金は出ないって」
 その憤懣やるせないという言葉が私の耳に入った。
 どんな見解の相違なのか、どちらが悪いのかはもちろんわからなかったが、そんな記憶があって、今回の手続きも多くの抵抗があるのではないかと思った。だから行くには「意を決する」必要があったのだ。


 朝いちばんに行ったせいもあって、私以外に相談者はいなかった。私の身に何か起こっても、第三者の立場としての目撃証人はいないことになる。否が応でも緊張感が高まる。

 私の対応をしてくれた女性は、しかしながら友好的で、まだ若かったがきびきびとこちらの用件をこなした。私のにこやかな表情がが彼女にそうさせたのかも知れない(早く用を済ませて帰ってもらいたい)。
 私はてっきり一度解約することになるのかと思ったら、単純に内容の見直しということだった。そのせいか、手続きに対してあーだこーだ難癖をつけられることは全くなかった。
 コールセンターで照会してあったとおり、現在解約するとなれば、その額は30万円ほど。これを「払い済み保険」に当てると180万ちょっとの保障になる、ということだった。


 私は払い済み保険というものを知らなかった。これまでの掛け金をそのまま死亡保障に当てるもので、もちろん以後の保険料の支払いはない。今回、妻の保険は切り替えることによって180万ほどになったわけだが、端数を切って180万ちょうどにできないかと聞くと、それはできないということだった。充当金をそのまま切り替えるしかないので、端数調整はできないのだそうだ。
 それから、この切り替えた死亡保障保険の解約返戻金であるが、これから先も年々上がっていくことがわかった。これはどう考えても、いま解約する方が損である。


 こうして、妻の保険については、死亡保障(第一)、医療保障(オリックス)、がん保険(アフラック)ということで決着した。
 3つ合わせた保険料は、それまでの第一生命の保険料に、単純にがん保険分を足したものとほぼイコールとなった。
 これまでもなかったがん保障を除けば、今までと同額となる。つまり第一の掛け金見合いが、新しく入った医療保険の掛け金に置き換わっただけである。これで、医療保障は62歳で払い込み終了(60歳だったかも知れない。ちょっと記憶が曖昧)、一生涯保障。第一の、払い込み終了後は特約が消滅する保険と比べると、どちらが良いかは一目瞭然である。さらに、もうこれ以上支払うことなく、180万円の死亡保障を残すことができた。

 私が手続きをしたその日の夕方、第一の地区営業所から妻のところへ電話があったそうだ。
 「今朝、ご主人が奥様の保険の切り替え手続きをしたそうですが、奥様はそのこと、ご存知だったのでしょうか?」
 おいおい、いい加減にしてくれよな……。まるで私が悪いことをしているかのようじゃないか。


 さて、今度は中途半端な病気持ちの私の番となった。   To be continued

 


ギリシア神話、大いなる壁

 ようやっとアポロドーロスの「ギリシア神話」(高津春繁訳。岩波文庫)を読み終えた。

 年寄りくさい言い方だが「難儀」した。
 まるで子供の頃に行った、登山遠足を終えたような気持ちだ。ただ、頂上を目指すことが精一杯で周囲の景色を楽しんでいる余裕などない、というような。
 つまり、私は字を追うことだけに精一杯で、じゃあストーリーなり、言わんとしていることが理解できたかというと、申し訳ない……

 解ったことは、ギリシア神話というのは「淫行」と「殺戮」の物語bf82f7a7.jpg であるということだ。それしかない。
 村上春樹の小説に登場する登場人物もしょっちゅう交わっているが(なぜなんだろう?ちょっと必要以上にそういう場面が多くないか?)、こちらは数行ごとに交わっている。当然、登場人物(神)もどんどん増える。本書は約300ページだが、本文は約200ページ、訳注20ページ(それがまた、これが注釈なの?と私をいじめる)、固有名詞索引が約60ページである(ただし人名だけではないが)。これをみても、登場人物(神)がいかに多いかわかるだろう。下手な田舎の村のハローページよりも掲載人物が多いかも知れない。

 固有名詞が羅列されていて読みにくいのはあきらめるとして(いざとなったら読み飛ばしても大勢に影響はない。私には)、事実ばかりがボツッ、ボツッと書き続けられており、状況説明の記述が少ないから難解なのだ。それから、代名詞が誰を指しているのかも解りにくい。これは訳がどうこうというよりも、原典の問題もあるのだろう。

 例えばこんな感じ(こういう唐突な引用はフェアじゃないかも知れないけど)。
 《しかし、ペレキューデースは、アルゴーが彼の重量を運ぶことができないと声を出して言ったのでテッサリアーのアペタイに置き去りにされたのだと言っている。しかしデーマラートスは彼をコルキスまで航海したことにしている。というのはディオニューシオスが彼はアルゴナウタイの指揮者であったとさえ主張しているからである》(第1巻第9章)
 まるで私の小学校2年生のときの作文のようではないか。
 〔でも、お父さんはお母さんの体重は持つことが出来ないと大声を出して言ったので、隣近所の空き倉庫に置き去りにされたのだと言っていました。でも山田さんはその人を東京までドライブしたことにしました。というのは太郎さんがあの人は名古屋の八百屋さんだったと言い張っているからです〕(すいません……) 

 《イアーソンが牡牛をどうしてつなごうかと困っていると、メーデイアが彼に恋をした。この女はアイエーテースとオーケアノスの娘エイデュイアとの間の娘であって、女の魔法使いである。イアーソーンが牡牛に殺されはしまいか心配して、自分を妻とし、船に乗せてギリシアにつれて行くと誓うならば、牡牛をつなぐのを助け、彼に皮を手渡すと、父に隠れて約束した》(同)
 私も牡牛を持って佇んでみようかな、なんて思ってしまったりする。

 本書を読んで、それでもなんとか今回何となく自分のためになったのは、
 (1) ゼウスが交わった最初の人間の女の名はニオベーという。
 (2) 性交の喜びを10とすれば、男と女の快楽は1対9である。10のうち男の快楽は1にすぎない。
 (3) 有名なオイディプースの物語(知らずに実の母と交わってしまう)は2ページの分量にすぎない。
 である。
 このオイディプースの話なんかは、良い子のギリシア神話全集なんかだったら、いろいろな説明描写をつけて1冊の本になってしまうのではないかと思う(良いd3efd292.jpg子にはふさわしくない題材か)。いずれにしても、原本がこんなに短いとは思わなかった。

 それにしても、昔の日本人ってきっと語学力が今よりもあった んだろうな。こんな本を読みこなすなんて……。1953年第1刷発行、78年第29刷改版発行、2006年第74刷発行ですもん。

 ところで、私が「ギリシア神話」で苦労している話を聞きつけた会社の世話好きのお姉さま(いや、親切な先輩)が、阿刀田高の「ギリシア神話を知っていますか」(新潮文庫)を読んだらいい、とアドバイスしてくれた。なぜ読んだらいいのかについての言及はなかったが……

 はい。これから読んでみます。

生保見直し体験談(その4)

§4. 最初の相談

 妻に命令にしたがって、その保険窓口に行ったのは9月の 下旬のことだった。
 自宅から車で30分ほどのショッピングセンターの1Fに、それはあった。スタッフは女性だけ。
 私たちの対応をしてくれたのは、そこの店長、Nさんであった。

 まずは妻の医療保険。
 現在の第一生命の保険をチェックしたあと、あらかじめ候補に上げておいたアフラックとオリックスの商品のほかに何社かのプランを紹介してもらう。


 医療保険を選ぶには、次の点で絞っていっていった。
 (1) 保障額が同じ場合(例えば入院給付額が1日1万円とした場合)、保険料はいくらか?
 (2) 入院給付額の保障日数は?さらにオプションで日数を増やすことができるか?
 (3) 終身保障か?また、保険料の払い込み年齢は何歳か?
 (4) 手術時の給付額はいくらか?通院保障はどうか?


 例えば、同じ1万円の入院給付額で一生涯保障の場合、60歳で保険料の払い込みを終了すると、それを65歳に設定した場合より保険料は高くなる。また、通常パンフレットでは入院給付額1万円の場合の年齢ごとの保険料が表になって掲載されているが、これを9,000円や8,000円にすることもできる。9,000円の保障にすると保険料は当然落とすことができる。
 入院給付金の限度日数も、オプションで180日などに伸ばすことができる。伸ばすと保険料は上がる。

 この窓口では、こういったいろいろな条件によるシミュレーションを瞬時でやってくれる。パソコン端末で自由にできるのだ。これに対して、ニッセイや第一のセールスレディが自宅にやってきて話をしても、「持ち帰って」となることが多く、時間がかかる。
 そして、これが売りでもあるが、ニッセイならニッセイの保険しか扱っていないが(当然だが)、ここではいろいろな保険会社の商品を比較検討できる。もちろん、スタッフが「こういう商品もありますよ」と、保険会社、商品ごとの長所短所をアドバイスしてくれる。
 結局、妻はオリックス生命のキュア・ダブルを申し込んだ。
 キュアという医療保険に、入院保障期間を延ばした特約をつけたものである。延ばす分、保障額を9,000円に落とし、また払い込み年齢を60歳から62歳に延ばして、保険料のアップを抑えた。もちろん、払い込み年齢まで保険料は変わらないし、保障期間は終身である。つまり、今の保険料金額を62歳まで払い込むと、そのあとは死ぬまで保険料を支払う必要はないのである。
 妻は、できれば60歳までに保険料の支払いは終えたいと言っていたが、保険料の兼ね合いから62歳にした(もちろん、65歳にも、70歳にもできる。そうすると保険料は下がるが、老後に収入が減少、もしくは無くなったときまで、保険料を払い続けるのは避けたいと考えた。ただし、先に加入したがん保険は、終身払いしかなかった)。


 次は私の保険である。この日はまずは相談だけということにした。
 ニッセイの保険については、やはりこれからの人生ステージでは見直す方が良いとのことだった。何よりも更新したときの保険料のアップは大きく家計を圧迫するというのだ。
 死亡保険、医療保険についていくつものプランをシミュレーションしてもらった。家に帰ったときに、どれがどれかわからなくなったほどだ。
 死亡保険については、年齢に応じて保障額が下がるタイプを紹介してもらった。例えば50歳死んだときも、60歳で死んだときも同じ3,000万の保障ではなく、50歳なら3,000万、60歳なら2,000万というものである。年齢がいくほど、保障額は大きくなくてもよくなっていくからだ。 医療保障については、妻の場合と同様の様々な条件のシミュレーションをしてもらった。
 がん保険については、まずは死亡と医療の保険が決まってからということで、保留にした。


 相談は3時間にも及んだ。しかし、正直なところ、ニッセイはニッセイ、第一なら第一、というようにその会社の商品の中でしか選択できないものと違い、さまざまな視点からの検討ができることに満足した。

 かつて、「ニッセイのおばちゃん」というCFが流れていた時代は、おそらくどの保険会社のセールスレディも加入している家族にもっと密接に結びついていて、まさにトータル・ライフ・アドバイザーだったのだろう。しかし、個々人の生活パターンが多様化し、また保険の内容も複雑になった。一方で、セールスレディがそれに応えていけているかというと、そう簡単にはいかなくなっている。新規契約を伸ばす方に力を置かざるを得ない事情もある。そして今の多くのセールスレディには、保険の知識が無さすぎると言ってもいい。それは、企業(保険会社)側の研修体系の問題もあるだろう。どうやら、こういうセールス形態は時代にそぐわなくなってきているように思う。
 

 妻の医療保障でもわかったように、医療保険は掛け金が途中でアップすることはないし、終身保障であるというのは、ニッセイや第一のパッケージ・更新型保険とはまったく逆の内容であった(すでに書いたようにがん保険は終身払いである。もちろん保険料は上がらない。ただし、その後、払い込み年齢を設定できるがん保険も発売されたかも知れない)。保険料は途中で上がるもの、払い込みが終わったら保障は切れるか下がるもの、という私の概念を覆すものだった。


 数日後、Nさんから妻に「加入できました」との電話が来て、最終の手続きのために自宅を訪れた(こちらから窓口に行かなくても、依頼すれば先方が訪問もしてくれる)。

 さて、次は私が加入手続きをする番だ。
 ただ、私は現在服用している薬がある。果たして制約条件なしで加入できるだろうか?独り悩む私であった。                                To be continued.

 



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