読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行した「保存版」です。  いまは“新・読後充実度 84ppm のお話”として更新しています。左サイドバーの入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。  背景の写真は「とうや水の駅」の「TSUDOU」のミニオムライス。(記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

February 2008

座ったままで身長が伸びる?

 ソヴィエトの作曲家・グリエール(1875-1956)の交響曲第3番ロ短調Op.42「イリヤ・ムーロメッツ」(1909-1911)。
 この曲はグリエールの代表作といわれるが、実際、もっと聴かれてもよい傑作だと思う。

 曲名の「イリヤ・ムーロメッツ」とは、モスクワ東方の都市・ムーロメッツのイリヤの意味。イリヤは、キエフ・ロシアのウラジミール大公の時代にいたとされる伝説上の英雄である。なんでもイリヤは、生まれてから30年もの間じっと座っていたので背が伸びすぎ、身長が3m以上になったと伝えられている。残念ながら、その間に足がしびれて腐りかけたとか、変形したというような話は伝えられていないようだ(座り続けていたのなら、胴だけ伸びたのだろうか)。
 イリヤは10世紀の終わり頃、キエフを支配していたウラディミール公に仕え、超人的怪力の持ち主として知られていたという。

 私はこの曲を1989年12月の札響定期演奏会で初めて聴いた。指揮は秋山和慶。そのころ札響の常任だった秋山は、よく知られざる名曲を取り上げてくれたが、これもその一環であった。
 その後、このCDを見つけて購入したが(ユニコーンというレーベルの輸入盤だった)、そのCD、いまはシャッシャッというノイズで聴けたものではない。間違いなくCDには寿命があると思う。半永久的というのはウソだと思う。

 さて、曲は4つの楽章から成るが、各楽章が彼の冒険伝説を扱っている。
 各楽章のタイトルは、 
 第1楽章「さまよえる巡業者達~イリヤ・ムーロメッツとスヴャトゴール」
 第2楽章「山賊ソロヴェイ」
 第3楽章「ウラディミール公の宮殿での祝宴」
 第4楽章「武勇伝とイリヤ・ムーロメッツの石化」
となっている。
 
 イリヤを表すモティーフが全曲を支配しており、とても統一感がある。情景が見えるようだとは、恐れ多くて言えないまでも、垣間見えるような音楽である。
 ついでに言うと、第3楽章の明るい喜びに満ちた華々し2ebcc467.jpg い音楽は実に親しみやすい。

 私が聴いているCDはオーマンディー指揮フィラデルフィアoによる演奏。
 RCA-BVCC38294。1971年録音。
 オーマンディーの演奏って、あまり心の底に響いてくるものが少ないのだが、色彩感やストーリー性のあるこの作品の演奏に関しては、良い方向で出ていると思う。
 録音も古くなったが(終楽章で大太鼓が思いっきり連打するところがよく聴こえなかったりする)、概ね良しと言える。タワーレコードのインターネットショップで1,575円。

 しかし、30年間じっと座り続けて、最後には石になったのね。
 イリヤって、動かないのが好きなのね。

 座ったままで痩せられる、なら話題になるだろうな……

クリスチャンの教授様は少女好き

 「ブルックナーの交響曲でも、第6番を聴くようになると、かなり“”と言えるだろう」といった文章を、LPレコードの解説か何かで読んだ記憶がある。
 マーラーの音楽とともに、ブルックナーの音楽も聴かれ始めた頃の話である。まあ、その時代には確かにそうだったのかも知れないけど、こういう言い方って私は嫌いである。

 その私であるが、ブルックナーの交響曲第6番(イ長調)は、彼の交響曲のなかでも早くに耳にした。最初に聴いたのは第4番「ロマンティック」。そして、次に知ったのが6番だったと思う。だから、私は“通”でもなんでもなく、タイミング的にそういうふうになったのだ。
 岩城宏之がN響の定期で取り上げたのをFMで聴き、テープにも収めた。その少し後に、岩城宏之が札幌交響楽団の定期でこの曲を指揮した。
 だから彼の作品のなかでも、私は早くに知ったのである。それだけ。

 私はマーラーとほぼ同じ時期に並行してブルックナ9be8321a.jpgーも聴くようになったが(マーラー・ブームという言葉はあったが、ブルックナー・ブームという言葉はなかった)、この二人の作品はまったく質を異にするもので、マーラー好きはブルックナー が好きになれないし、その逆のことも言える、と当時は言われていた。
 確かに、私はマーラーの音楽には深く共感したが、ブルックナーには心底惚れはしなかった。でも、今ではそんなこと自体、あまり言われなくなってしまったし、別に私も特別に対立構造のように意識はしていない。
 いったいあれはどういう根拠の“楽説”だったのだろう。
 
 ところで、第6番であるが、ブルックナーとしては規模が小さく(長さという面で)、メロディーだってとてもいい。“通”どころか、逆に入門曲にさえなるのではないかと私は思っている。少なくとも私には、有名な第4番よりもずっと楽しめる。
 私が好きな演奏は、レーグナー指揮のベルリン放2331b091.jpg送響のもの。1980年の録音。シャルプラッテンのKICC9515(タワーレコードのインターネットショップで1,800円。なお、写真は旧盤のもの)。シャルプラッテンの響き豊かな録音が、この曲にとても合っていると思う。

 そういえば、ブルックナーの音楽には女性ファンが少ない、という話を聞いたことがある。
 ホンマかいな?
 解るような気もするけど。

 でも、女性作家の高野史緒の小説「ムジカ・マキーナ」では、ブルックナー教授なる人物が準主役級で登場している。こういう扱いを受けているということは、ブルックナーにだって女性ファンはいるということだ。当たり前かも知れないが(ブルックナーがロリコンだったことも、ちゃんとにおわされている。でも、物語中のブルックナーは、しっかりした意思の持ち主に描かれすぎかも)。
 物語はおもしろいが、途中ちょっと間延びしてしまうのと、先が読めちゃうところがあるが、音楽を題材にしたサスペンス(?)として、音楽ファン(特にブルックナーとウィンナ・ワルツのファン)にはじゅうぶん楽しめると思う。

中華三昧。気になる音楽。

 昨日は昼も夜も、中華料理店で過ごした。
 過ごしたというのは、食事をしたという意味であって、そこで読書に没頭したとか、もしかしたら近くに心臓ペースメーカーをつけた人がいるかも知れないというのに携帯メール打ちに熱中したということでは、もちろんない。

 昼はどうしてもタンタンメンに小ライスを召し上がりたくなったので、思い立ったら吉日で食べに行った。私はタンタンメンには絶対ミニチャーハンでも大チャーハンでもなく、ピュアは白ご飯は最高の組み合わせであるという理論の持ち主である。だから、心の中で企んだとおり、タンタンメンと小ライスを頼んだ。

 自分で決断したことが実現されたのだ。そりゃあもう、気分は万里の長城。延々と続く至福の時であった。
 ところが、最後のひき肉の断片(ひき肉はもともと断片だが)をいとおしく口に入れたときに、「あっ!今日は夜の食事も中華だった」ということに、ふと気づいてしまった。しかも、中華料理と決めたのは他ならぬ私である。言うまでもないが、家で妻がチャイナドレスを着て餃子を作っているという意味ではない。外で中華料理を食べながら「冷凍餃子の安全性を考える会」の会合があったのだ(結果的にはこの席での餃子に関する討議は30秒で終ったが)。
 まあ、私は中華料理が好きなのでいいのだが、こんなことなら小ライスは苦渋の思いで我慢して、少しおなかを空け気味にしておくべきだった91e2f801.jpgと、ちょっぴり悔やんだ次第である。

 そんなことで、今日は中国の作品を取り上げる。
 「月を追う色とりどりの雲」という曲。これは広東の俗謡で、手元にあるCD(ナクソス8.554499)の演奏はピアノ独奏によるもの。王健中と殷承宗の編曲と書かれている。
 この曲が、絶対昔どこかで聴いたことがあるに違いない曲なのだ。童謡か歌謡曲か解らないが、ひどく懐かしい。
 私には、まだ物心がつく前に、何者かの陰謀によって中国に連れられていったことがあるという事実はないし、だいたいにしていまだに物心がついていないというかすかな自信もあるくらいだから、日本の、何かの曲で耳にしているはずなのだ。
 何を言いたいかというと、誰かそれを教えて下さい、という謙虚なお願いである。わかったか!?

 なお、このナクソスのCDのメインとなる収録曲はピアノ協奏曲「黄河」。
 いやぁ、聴いていて恥ずかしくなるようなロマンチシズム。「大丈夫かぁ~?血管切れないかぁ?」と思わせる高いテンション。あぁ、チンジャオロースー!

 今から30年以上前、中国の中央楽団だか何だかが797aba37.jpg 来日したことがあるが、NHKホールでかの国の音楽を絶叫して歌っていた中国人歌手(男)の、恐ろしく元気な顔が嫌がる私の頭に思い浮かぶ(私はTVで観たのだ。曲名は革命交響楽「智取威虎山」(ちしゅいこざん)というものだった)。
 あっ、ナクソス盤はタワーレコードのインターネットショップで1,190円で売ってます。

 ついでにもう一曲。
 こちらは「黄河」に比べればはるかにマトモで、なかなか抒情的で感動的な曲。その名は琵琶協奏曲「草原の小姉妹」。「小+姉妹」ということの意味はよくわかんないけど。それとも「小姉+妹」、つまり小さい姉とふつうの妹かも知れないけど……
 作曲者は呉祖強(ウー・ツーチャン)で、1973年の作。内モンゴルの姉妹が猛吹雪の中でを守り抜いたという物語による標題音楽である。
 現在は廃盤のようだが、フィリップスから小澤征爾指揮ボストンso、独奏・徳海によるCDが出ていた(PHCP9234)。再発売になった暁にはぜひ聴いてみることをお薦めしたい。

テープに残された断片の繰り返し効果

 ショスタコーヴィチのピアノ五重奏曲ト短調Op.57(1940)。
 最近、ショスタコが続いてすいません。耳にタコ、いや眼球にタコ、でしょうか?

 FM放送でエア・チェックした曲を鑑賞していた頃は、テープの余白に適当な曲を録音して「無音」時間をつぶすことが多かった。
 たとえば、C-90のカセットテープ(つまり片面は45分である)に42分の曲を録音したとしたら、残り3分ほどに収まるような曲はあまりないので、2fc55a57.jpg 適当な何かの曲の断片を録音するのである。その「穴埋め曲」は、既知の曲のときもあったし、たまたまFMで流れていた未知の曲の場合もあった。

 ショスタコーヴィチのピアノ五重奏曲は、そのようにして知った「未知の曲」である。

 何の作品のあとだったかは忘れたが、テープの最後の数分にこの曲の冒頭部分が録音されていた。「未知の曲」だから作品名は解らない。
 しかし、何度も耳にすることになったから、晴れて「ショスタコーヴィチのピアノ五重奏曲」なる作品を正式に(?)耳にしたときには、ひどく親しんできた曲に感じたものだ。

 この曲の冒頭は、まるで何かを問いかけてきているかのようだ。それもけっこう内容が良くない質問。そして、清澄ながら思慮深い音楽が続く。
 第2楽章も声を潜めた、悩み事を考え込んでいるような音楽。
 第3楽章では快活さを見せるが、どこか乗り切れない。
 終楽章も穏やかなやさしさに満たされているが、前半楽章を否定するまでの勢いはないという感じ。
 作品全体としては、古典の様式に帰ろう、という感じのものである。
 この曲もショスタコーヴィチが書いた作品中、傑作に数えられるもの。
 漫才を見てゲラゲラと笑っている場合じゃないぞ、と言われているかのようである。難解な例えですまないが……

 私はリヒテルによるピアノとボロディン弦楽四重奏団による1983年のライヴ録音盤を愛聴している(そういえば、愛鳥週間っていつだっけ?)。EMIのCDC 7 47507 2。

 現在は廃盤のよう。でも、きっと遠くない将来には再発売になると思いますです。

私は無思想の賃金労働者……

 ショスタコーヴィチの「ニュー・バビロン」Op.18。日本語に訳せば「新バビロン」。訳す必然性はないか……。

 この作品は、G.M.コジンツェフとY.トラウベルグの共同監督による無声映画「ニュー・バビロン」のために書かれたものである。作曲年は1928年から29年にかけてで、ショスタコーヴィチが22歳の頃ということになる。

 タイトルの「ニュー・バビロン」はパリのデパートの名前で(変な名前……)、映画のあらすじは、このデパートで働く少女がパリ-コミューンの戦士として処刑され、政府軍にいた恋人がプロレタリア意識に目ざめるというもの。
 何か時代を感じるなぁ。コミューンだって。これは自治行政区のこと。すでに死語か?
 で、どうして戦士の処刑によって恋人がプロレタリア(無産者、賃金労働者)意識に目ざめるのかも、よく解りません、私。
 それに戦士なんて聞くと、私は美少女戦士「セーラームーン」を想像しちゃうなぁ。「月に代わっておしおきョ!」。

 この筋を読んで私が疑問に思うのは、この少女はいったい何売場で働いていたのかということ。だって、真の姿は“戦士”なんだぜ。とても地下1階の饅頭売場にいるとは考えにくい。

 いつもいつも昔の話で恐縮だが(真剣にそうは思っていないけど)、今から30年くらい前にこの曲のLPが初めて発売された。
 そのときに「レコード芸術」誌に載っていた広告には、某音楽評論家が(名前を伏せているのではなく、単に忘却)「ニュー・バビロンのレコードが出ると聞いて驚いた。実際に聴いてみてもっとたまげた」みたいなメッセージを寄せていた(あくまでイメージ表現)。
 このセールス・コピーに引っかかった素直な私は、すぐにLPを購入した。この演奏はロジェストヴェンスキーが改訂・抜粋したもので、LP1枚に収まっていた。

 確かになかなか新鮮な音楽で、おもしろい。けど世の中には、たまげることがほかにもっとあるんじゃないか、とは感じた。
 音楽そのものは、若きショスタコーヴィチの作品に共通9a4ae35b.jpg する活き活きとしたもの。「天国と地獄」の引用があったり、童謡「赤い靴」にそっくりな旋律が出てきたりして、楽しめる。

 私が持っているCDは、全曲盤でジャッド指揮ベルリン放送交響楽団の演奏のもの(1989年録音。カプリッチョ10 341~342。輸入盤)。このCDは現在販売されていないようだが、同じ音源はカプリッチョの「ショスタコーヴィチ映画音楽集」に収められていて、今でも販売されている(カプリッチョ49533(7枚組。輸入盤)。タワーレコードのネットショップで6,500円)。

 映画のための音楽なので、曲だけを全曲聴きとおすにはちょっと辛いものもあるが、聴いてみたら、もしかするとあなたも「おったまげる」かも知れない。保証はまったくしないけど。

さあ、おまえら、喜べ、喜べ!

 ショスタコーヴィチの交響曲第5番(ニ短調Op.47)は、6593bff7.jpg 本人が望んでいたかどうかは別として、彼の作品中もっとも有名な曲である。
 作曲されたのは1937年。批判に対し「反省したことを表明するため」に書かれ、みごとに名誉回復を成し遂げることができた「傑作」である。ショーンバーグに言わせれば、「彼の作曲活動は事実上破綻した」というのだが……

 実はこの曲は、私が初めて買ったLPのうちの一つであった。このとき買ったLPは、ラフマニノフのピアノ協奏曲第1、2番のLP(リヒテルのピアノ独奏のモノラル盤)と、ストコフスキー(!)指揮のこの曲のLPであった。

 第5番のLPはレジで検盤したときに第3楽章の部分に大きな傷がついていて、店員は売るのをしぶったが、どうしてもすぐに聴きたくて、「いま売ってくれなきゃ、家で寝たきりの危篤状態の爺さんが死んでしまう。死ぬ前に聴かせなくてはならないのだ」などと言って、無理やり売ってもらった(冗談である)。
 そのせいで、すっかり第3楽章を聴く機会は少なくなり、いまだに他の3つの楽章と比較すると第3楽章はちょっぴりなじみが薄い(第3楽章のある箇所になると、私の頭の中で自動的に傷のノイズが鳴り響くのだ)。

 ついでに言うと、ラフマニノフの方はモノラルだと気づかずに買ってしまった。まったくもって私という人間は、細かいことを気にしない実に大らかな人間であるものよ!

 ラフマニノフもショスタコも、その少し前にTV放送で知った作品だった。特にショスタコの方は、第4楽章に聞き覚えがあり「一目惚れ」してしまった。確か、暗~いTVドラマ・「部長刑事」(芦田伸介が出ていたやつ。名前の漢字が違っていたらごめん)のオープニング曲に使われていたと思う。それで知っていたのだ。

 このLPの解説には、「この曲は苦悩から歓喜へと進む。最後は革命を成功させた民衆たちの勝利の喜ばしい行進である」といったことが書かれていた(この曲には「革命」というタイトルがついている。今はあまり呼ばれることはなくなったが)。いや、この解説に限らず、その後私が目にしたこの曲に関する記述は、大同小異こんなものであった。
 ベートーヴェンの「運命交響曲」と同じ考え方に立っているとも書かれていた(表面的には、ショスタコーヴィチはそれを意識していたと思われる)。
 しかしながら、私にはどうしてもこの曲の終楽章、つまり「民衆の勝利の行進」が明るく喜ばしいものには思えなかった。例えて言うなら、華々しく楽しい運動会に、思い気分で参加している私のようなものに思われた(私は体育がクモと同じくらい嫌いである)。

 それから何年か後、ヴォルコフによる「ショスタコーヴィチの証言」が刊行され、大きな話題となった。
 この本が偽書であるかどうかはともかく(偽書という見解が一般的になっているらしい)、少なくとも第5交響曲の終楽章について書かれていることは、私の長年の疑問を氷解させてくれた。
 「あれは強制された喜びである。労働者たちは『さあ、喜べ、喜べ』とムチを打たれて行進しているのだ」といったようなことが書いてあったが、私が「歓喜の行進には聞こえない」と世界中の誰にも黙って密かに心に抱いていたことが正しかったことが証明されたのだ。
 この一件は、たとえ音楽評論家などの権威者が書いたものだからといって、その解説文を鵜呑みにしてはいけないということを、私に痛感させた。中学生の私が疑問に感じたことでさえ、少なくとも私が読んだどの解説にも、「勝利、歓喜」に疑問を投げかけているものは一つもなかった。みんな、一つの文を引用し、それをちょっと書き直しているかのように、同じ内容だった。
 こうして私は人を信じることができない悲しき人間となった。アマラのように(カマラでもよい)。

 話は変わるが、高校生の頃、「自切俳人(じきるはいど)のオールナイト・ニッポン」という番組があった。この番組、なかなか面白かったが、そのなかでこの曲の第2楽章をテーマ曲としたコーナーがあった。
 ただそれだけの話である。

 有名曲だからCDも多いし、いろいろなアプローチの演奏がある。
 私は、良い意味でオーソドックスなハイティク/アムステルダム・コンセルトヘボウoの演奏を聴く機会が多い。デッカのUCCD7040。録音は1981年。カップリング曲は彼の第9交響曲。タワーレコードのネットショップで1,000円(写真は旧盤のもの)。

 それにしても、ショスタコのティンパニと大太鼓を重ねて強打させるというやり方、私好きです。

小川君。君、暗いよ!

 ショスタコーヴィチのバレエ「明るい小川」Op.39(1934-35)。
 このバレエは全3幕からなるもので、F.ロプホフとA.ピョト6718e278.jpg ロフスキーの台本による(って書いているけど、私はどちらの方もまったく存じ上げません)。
 「クラシック音楽作品名辞典」(井上和男編著。三省堂)によると、この作品は《クバン地方のコルホーズを訪れた芸術家と民衆の交流をカリカチュアライズした。音楽がリアリティをもたないとの理由で、1936年「ムツェンスク群のマクベス夫人」とともに共産党の批判を受けた。のち、この楽想から数曲のバレエ組曲として活用された》とある。

 私が持っているCDはゲンナジー・ロジェストヴェンスキーが改訂したとされる抜粋版のもの(シャンドスCHAN9423。国内盤はMCHAN9423。少なくとも国内盤は申し訳ないですが廃盤。私が謝るようなことではないけど。演奏はロジェストヴェンスキー指揮のロイヤル・ストックホルムpo)。
 この抜粋版は全曲(おそらく44曲)から、繰り返しや他作品からの転用曲を除いた29曲が収められている。

 曲であるが、最初の序曲がなんといっても素晴らしい。これからどんな音楽が繰り広げられるのだろうかと期待させる音楽。この最初の曲ですっかりワクワク、気分は極楽。若々しいショスタコーヴィチの自由奔放な音楽だ。
 とは言っても、そのあとは期待過剰のせいか、必ずしもすっごくワクワクするほどではないのだけれど。クスン……
 そこは若書きということもあるから仕方ないとしても、屈託のない、「いじめ」を受ける前のショスタコの姿がそこにはある。

 「明るい小川」か……
 私の知っている小川姓の人物には、明るいと言えるやつはいないかも知れないな……

マルセリーノ、起きなさい……

 ソロサバルの「マルセリーノの歌」。
 この曲は1955年のスペイン映画「汚れなき悪戯」の中の挿入歌である。

 映画の内容は、修道僧に育てられた捨て子のマルセリーノが、教会の屋根裏に置いてあるイエス像にパンを運んであげるうちに、そのイエスに「願いを叶えてあげる」と言われ、天にいる母のもとへ行く、というもの。
 坊やのいじらしさに世界が涙した、という名画である。
 マルセリーノ役のパブリート・カルボは当時6歳。ということは、今年59歳ということになる。余計なことだけど。

 この曲をクラシックとして扱うことには抵抗がある人もいるだろうが、ソロサバルのことはよく知らないものの、多くの映画音楽は純音楽作曲家が書いていることもあって、クラシックのジャンルに入れられることが多い。
 パブロ・ソロサバルは1854年生まれ1988年没のスペインの作曲家。
 「マルセリーノの歌」は素朴ながら美しい旋律が心に残る6bf563d2.jpg音楽。歌は、マルセリーノと修道僧たちが歌っている。

 私が中学3年生のクリスマス近くに、この映画がTVで 放映された。
 クラスでも少なからずの人が放送を観たようで、翌日話題になったのを記憶している。別にクリスチャンの中学に行っていたわけではないので、念のため。
 たまたま「英雄の生涯」のLPを、近所の恐ろしく小規模なレコード店「ぴぴ」(名前も恐ろしいほど間が抜けている)に買いに行ったら、店構えとは裏腹に「マルセリーノの歌」のシングル・レコードがあったので、購入した。
 それを友人たちに貸してたいそう感謝されたが、そのうちどこかに行ってしまった(誰がどうしたかの目星はついている。もう時効だが)。

 モノクロ、モノラル録音だが(当たり前か)、DVDが出ている。IVCのIVCF2040。3,500円。興味とお金のある方はぜひご購入を!(なぜか、紀伊国屋書店のDVDコーナーにはきちんと置いてある)。

マーラー好きは心が病んでるのか?

 マーラーの「大地の歌」は、彼にとって9番目の交響曲に当たる。

 彼は、少なからずの作曲家が交響曲において9という数字に触れたあとこの世を去っていることから、自分の9番目の交響曲には番号を付けなかったのである。
 「大地の歌」の完成後、マーラーは危険は過ぎ去ったと考えたのだったが、やはり第10番(実際には11番目)を完成させることなく亡くなってしまった。第9交響曲の中で「大地の歌」のフレーズを登場させたりした祟りだろうか?

 フィルハーモニア版のスコア(音楽之友社刊)にある解説では(R.なる人物による)、「交響曲第9番では、《大地の歌》において達成されて個人的告白のために使われた表現の手段が、さらに発展し、われわれ皆が直面しなければならないいろいろな問題との対決において客観化されるのである」と記述されている。「なるほど」と感心してしまうような説得力がある、ような気がするのである、かも知れないのである。

 「大地の歌」は、李太白、銭起、孟浩然、王維などの漢詩をドイツ語に訳した「支那の笛」をテキストに用いているが、ハンス・ベードゲなる人物によるその訳自体が原詩には忠実ではなく、文学的には決して一流とは呼べないらしい。それに、作曲家自身がさらに改変を加えている。
 それでも聴く者の胸を打つのは、その優れた音楽によるためだろう(先のR.氏によれば「ここでも言葉が音楽を近づきやすいものにしている」というが、それはどうかなぁ)。
 なお、最近では“交響曲「大地の歌」”ではなく、単に“大地の歌”と呼ばれることの方が多いようだ。

 私はこの曲をライナーが指揮した廉価盤(LP)で知った。
 このLPのジャケット裏面には歌詞の訳が載っていたが(対訳ではなく、邦訳のみ)、文語体でなかなか風情があった(もうそのLPは手元にないので、訳者が誰かは解らない)。
 
 そのあとショルティ盤(LP)を買ったのだったが、それは私がショルティのマーラー演奏のファンだったこともあるが、歌詞の原詩である漢詩が解説に載っているという広告文句に踊らされたためである。
 結論を言えば、漢字が並んでいるのを見ても別に楽しくなかった。
 その原詩はともかく、渡辺謙氏によるこの盤の対訳もひじょうに味がある。
 曲の最後の訳は「いとしき大地に春来たりて、いずこにも花咲き、緑新たなり!遠き果てまでいずこにも、とこしえに、とこしえに蒼き光、とこしえに、とこしえに……」というもので、これに慣れてしまうと、現代風の「永遠に新緑の輝き、永遠に、永遠に」にみたいな日本語訳だと軽い感じがしてしまう。

 それはともかく、私はいまだにこの曲ではショルティの243d6d3c.jpg CDを聴くことが多い。オーケストラはシカゴ響、ミントンのメゾ・ソプラノイ、コロのテノール(犬みたいね。「コロ!」「わんわん」)。
 1972年の録音でCD番号はデッカのUCCD3745.タワーレコードのオンライン・ショップで960円(LPのときは3,000円近くしたような気がする。音盤って本当に安くなったものだ)。
 なお、掲載した写真は旧盤(ロンドン・レーベル時代)のもの。CDになってからは原詩の掲載はない(少なくとも私が持っているロンドン盤には)。
 なお、多感だったコロの、いや、頃の私が聴いていたライナーの盤(シカゴ響。1959録音)はRCAからSACDで発売されている。



 そういえば、以前私は心理学系の公開ビジネス・セミナーに参加したことがある。自分の行動パターンや性格を知り、組織活動における人間関係の改善に役立てようというようなセミナーである。別に自分が職場で悩みを抱えていたのではなく、仕事の関係上、どういう内容なのか参考にするために参加したのだった。
 その最初に、自己紹介で「音楽はマーラーが好きです」と言ったところ、研修の後半で「マーラーが好きだといってましたが、心に何か暗いものを背負っていると思います」と厚化粧の講師のおばちゃんに言われた。
 余計なお世話だ!そんなもん背負ってなんかいないわい!
 じゃあ何か、「伊福部昭が好きです」って答えたら、「あなたはゴジラ並みの強靭力があります」とでも言うのか?

 占いじゃないんだから、厚化粧した顔で適当なこと言うなよな!まったく……
 ずっと心の奥にしまって置いたんだけど、あぁ~、せいせいした。

自らを“英雄”とみなす自信……

 R.シュトラウスの「英雄の生涯」Op.40。
 まぁ、自意識過剰の臭いがする曲ではあるが、やはり名曲である。ドイツドイツ(ドドイツと誤入力しないよう、特に注意した私)した重心の低い響きも、時折無性に聴きたくなる。

 私がこの曲を初めて聴いたのはライナー指揮シカゴ響3c016ebb.jpg のもの。RCAの廉価盤だった(1,000円盤と呼ばれていたものが、オイルショックの影響で1,300円に値上がりしていた。新しい値段のシ-ルがさりげなく貼られていて、旧価格を覆い隠していた)。
 なんと録音は1954年。しかしながら、いまだになかなか迫力ある良い音なのだ(もちろんステレオ)。写真でいうと100年プリントみたい。100年経って色がどうなるかは知らないけど。
 “英雄の戦い”のようなオーケストラが爆発する部分では、木管の音などが隠れがちであるが、それは仕方がないというもの。全体を通してみると名演奏、そして当時としては超絶的に名録音である。

 この演奏のCDはRCAから出ており規格番号はBVCC37153。タワーレコードのオンライン・ショップで1,700円である。カップリング曲は「ツァララトゥストラ」。

 このLPを買ったとき、一緒に映画「汚れなき悪戯」の曲、「マルセリーノの歌」のEP盤も買った。あの挿入歌もいい曲だ(ソロサバル作曲)。そのうち取り上げたいと思っていますが……

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