読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行した「保存版」です。  いまは“新・読後充実度 84ppm のお話”として更新しています。左サイドバーの入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。  背景の写真は「とうや水の駅」の「TSUDOU」のミニオムライス。(記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

March 2008

逃げ場のない重い悲しみ

 モーツァルトのピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491(1786)。

 クラシック音楽作品名辞典(三省堂)によると「ニ短調(第20番)の曲と並ぶ短調の作品で悲愴感に満ち、終楽章が変奏曲形式であることが特徴」とある。
 まったくそのとおり。異議を唱える何ものもない。
 しかし、この悲愴感はすさまじいものがあるように思う。
 ニ短調の協奏曲第20番も確かに哀愁にあふれた作品であるが、終楽章ではむしろユーモラスな楽想も出てくるし、曲の終わり方は「悲しみからの解放」といった感がある。
 ところが24番はというと、逃げようのない悲しみ、不幸、あるいは苦悩ともいうべき、それはそれは重い重いものである。

 この作品は1786年の四旬節の予約演奏会のために書かれたたが、おそらくは前年の同じ予約演奏会のために書かれたニ短調の協奏曲に対応するようにするために短調で書かれたのだろう。
 それにしても、当時の演奏会の形からして、このような「暗い」曲を作曲し演奏したというのは、客に喧嘩をうっているようなものではなかったのだろうか?

 また24番の協奏曲ではオーケストラの編成で木管がすべて用いられており、それらは独立性を与えられ前面に出てくる。
 「ピアノ付き交響曲」と呼ばれたのはブラームスのピアノ協奏曲第2番であるが、この24番は元祖「ピアノ付き交響曲」という感じである(ブラームスの第2番は異例の4楽章形式だったためにそのように呼ばれたという事情もあるが)。

 前にも書いたが、私はある日偶然にFMで耳にしたモー4f4a88c9.jpg ツァルトのピアノ協奏曲に魅せられクラシックを聴くようになった。その協奏曲の名前がわからなかったために、それを探し求めるためにモーツァルトのピアノ協奏曲を時間をかけて(お金がなくてLPをそうそう買えなかったので)聴きはじめたのだが、その最初に耳にしたのがこの24番であった。
 これは名曲ではあるが、モーツァルトのピアノ協奏曲としては特異な作品である。
 のっけからそんなのを聴いて、よく自分がその後悪い道に進まなかったものだと思う。

 で、お薦め盤は何と言っても内田光子が弾いた演奏。テイト指揮イギリス室内o。1988年録音。フィリップスのUCCP7004(写真は旧盤のもの)。カップリングはニ短調の協奏曲第20番(こちらは1985年録音)。タワーレコードのネットショップに在庫あり。1,000円。

 いまや日本で最も優れたピアニストともいうべき内田光子だが、若い頃には札響にも共演しにきたことがある。私はステージに現れた彼女を見て思った。
 「顔でかい……」

 失礼いたしました。


ピアニストの栄光と挫折

 青柳いずみこ著「ボクたちクラシックつながり ピアニストが読む音楽マンガ」(文春文庫)。

 著者はピアニスト、文筆家、大阪音楽大学教授であり、91300244.jpg 祖父は東京・阿佐ヶ谷文士村に生まれた仏文学者の青柳瑞穂である(私は知らないけど)。
 いずみこという名前はちょっと変わっているが、私は昔、新聞のおくやみ欄で“たらこて”というおばあさんの名前を目にしたことがあったので、さして驚きはしない。

 タイトルにあるように、この本は「のだめカンタービレ」などの音楽マンガの登場人物、ストーリーを追いながら、実際の音楽家の「実態」を書いたものである。いろいろな新聞、雑誌の書評で誉められている。
 読んでみると、確かに知られざる音楽家の苦労といったものが解るが、書評で書かれているほど大げさなものではない。だから過度の期待をもって読むと物足りなさを感じるが、おそらく先入観なく読めば、なるほどと思わせるところは多々ある。
 もう一点、「のだめ」などのマンガを知らない人には、知っているという前提で書かれている部分が多いので多少わかりにくいところがある。

 それにしても、一線で活躍できる音楽家になることが、そしてそれを維持していくことがいかに大変かが伝わってくる。

 そういえば伴奏ピアニストとしては日本でトップである奏者の息子と、中学生のときに同じ学年だったことがある。そのピアニストは一時的に数年間、札幌に住んでいたのである。彼とは一緒に札響の演奏会に行ったりしたが、高校は別になった。
 高校に入ってから彼はオーボエを習い始めたと聞いたが、その後楽壇デユーしていないところをみると、挫折したか飽きたのであろう。

 その彼と、札響でアンドレ・ワッツの独奏で聴いたチャイコフ スキーのピアノ協奏曲第1番。当時はまだ新進のピアニストだったワッツの演奏はすごかった(指揮の尾高も若かった!)。
 彼は興奮して私に言った「まるで指が10本あるみたいだ!!」
 私も「そうだね!」と答えた。
 でも、よく考えると、いやよく考えなくても、一般的に人間は指が10本あるのだ。
 ありゃまあ……

 ところで著者はピアニストだからピアノに関する話が中心となっているが、私はピアノという楽器の音が長い間どうも好きになれなかった。金属的でも木の音でもないその音色が、どうもなじめなかった。
 でも、それがピアノの音なのだ。私が文句を言った4609dab9.jpgり好き嫌いする権利はない。地球が丸いのはけしからんと言っているようなものだ。


 そして、ワッツが弾くリストの「パガニーニによる超絶技巧練習曲集」(1838)の第5曲ホ長調「狩」の演奏をCDで耳にしたとき、初めてピアノという楽器の表現力の広さ、音色の変化というものを思い知らされた。私の人生にはワッツが絡んでいるのだろうか?(絡んでない、絡んでない)

 そのCDは「リスト名曲集」として発売されている。EMIのTOCE13040。タワーレコードのネットショップに在庫あり。1,300円。「狩」の中間部、テンポアップするところでの音色はピアノではないかのよう。
 やっぱりすごい楽器なのね、ピアノって。

熟す前に落果してしまった貴重な実

 ハンス・ロット(1858-1884)の交響曲第1番ホ長調(1878-1880)。

 ロットはウィーン音楽院でマーラーと同期生であり、天才的75c98b7b.jpg な作曲家としてマーラーのライヴァルと目されていたが、発狂して亡くなった。ブルックナーのお気に入りの生徒でもあった。
 村井翔 著の「作曲家◎人と作品シリーズ『マーラー』」(音楽の友社)には、次のように書かれている。

 「1878年、音楽院の卒業製作として提出した交響曲の第1楽章はマーラーのピアノ五重奏曲に敗れて作曲部門第1位を逃したが――この時、マーラーの母は息子の受賞を喜ぶどころか、ロットの曲のほうが良かったのに、と言ったそうだ――ロットはこれに3つの楽章を書き加えて交響曲ホ長調を完成させた。彼はブルックナーの弟子だったが、ブラームス崇拝者でもあったので、1880年度のベートーヴェン賞に応募する前に有力審査員の1人、ブラームスにこの交響曲を弾いて聴かせた。1880年9月のことである。ところが、ブラームスの反応はきわめて冷淡で、音楽家をやめたほうがいいとまで言われたようだ。失望したロットは遠いアルザスにあるミュールハウゼンの合唱指揮者のポストを受けたが、任地へ向かう列車の中で、ブラームスが汽車に爆弾をしかけたという妄想にとりつかれてしまったのだった。その20年後、マーラーはバウア=レヒナーにこう語っている。
 
 彼を失ったことで音楽のこうむった損害ははかり知れない。彼が20歳のときに書いたこの最初の交響曲でも、彼の天才はこんなにも高く翼を広げている。そしてこれは――誇張でなく――彼を新しい交響曲の確立者にするほどの作品だ、と僕は思っている。確かに彼の目指したものは、まだ完全に達成されてはいない。それは、きわめて遠い所まで物を投げようとして振りかぶったが、まだ不器用なので、完全には的に当らなかったようなものだ。でも僕は、彼が目指していた方向は分かる。それどころか、彼は僕自身の資質ととても近いところにいるので、僕と彼は同じ土から生まれ、同じ空気にはぐくまれた同じ木に実った2つの果実のような気がする」(55~56p)

 余談だがこの本はひじょうに読みごたえのあるマーラーの解説本である。1,500円という価格は安いと思う。

 この交響曲第1番はイギリスの音楽学者ポール・バンクスによって再発見された。また先のように書いているマーラーも、自分が指揮するコンサートでこの交響曲を取り上げたという記録はない。
 ミュールハウゼン(ミュールーズ)に向かう列車内の出来事から、ロットは「幻覚性の被害妄想による精神障害」と診断され、1884年に数回の自殺未遂のあと、結核で亡くなっている。

 ブラームスの言葉がロットに致命的なダメージを与えたことは事実ではあるが、かといってブラームスが彼を死に追いつめたと考えるのは正しくはないだろう。
 そのブラームスが書いたメロディ、交響曲第1番終楽章の「喜びの主題」が、ロットの交響曲第1番の終楽章でオマージュとして登場するのは何ともいえない悲しさがある。

 このブラームスの旋律は、以前にも書いたように「ベートーヴェンの第9の『喜びの歌』」に似ているのではなく、ドイツの学生歌「われらは立派な校舎を建てた」がもとになっていると私は思っている。この学生歌の旋律は、ブラームスの「大学祝典序曲」ではっきりとわかるように引用されているが、マーラーの交響曲第3番の冒頭、ホルン8本が吹く旋律もこの学生歌によっている。
 マーラーの第3交響曲の第1楽章は、この冒頭主題がいろいろと形を変えて全体を作り上げている(すごいよなぁ。そして、終楽章にも現れる)。しかし、マーラーがこの交響曲で学生歌の旋律を取り上げたのはなぜだろうか?村井翔が書いているように「ひょっとすると、ブラームスに『殺された』ハンス・ロットのホ長調交響曲の終楽章で、この主題(ブラームスの交響曲第1番終楽章の「喜びの主題」のこと)にオマージュが捧げられていたのを思い出したのかもしれない」(205p)のである。

 さてロットの交響曲第1番であるが、マーラーの交響曲に比べると響きがとてもピュアな感じである。マーラーほど神経症的でもないし、通俗的な要素が突然入り込んできたりもしない。もっとも、最初の交響曲1曲だけで判断することはできないのだが……。それでも、スケルツォ楽章はマーラーの第2交響曲のスケルツォ楽章や第5交032edca9.jpg 響曲の終楽章を思い起こさせる。
 問題のブラームスへのオマージュが現れるところは感動的。といっても、私は本を読むまで「われらは立派な校舎を建てた」から生まれた旋律であることに気づかなかったけど……。この旋律が繰り返されながら発展し曲は終わる。

 私が持っているCDはARTENOVAのBVCE38080(国内盤)。詳しい解説がついているのがありがたい。
 演奏はセバスティアン・ヴァイグレ指揮ミュンヘン放送o。録音は2004年。他に「管弦楽のための前奏曲ホ長調」「『ジュリアス・シーザー』への前奏曲」という2曲が収録されている。
 現在は残念ながら国内盤は廃盤のよう。タワーレコードのネットショップでは輸入盤の方の在庫がある(artenova8287657748、830円)。

 それにしても、ロットが夭逝していなければ音楽はどのような方向に進んだのだろうか?マーラーの作風は変わっていったのだろうか?

機械にボルトを入れたのは誰だ?

 ショスタコーヴィチのバレエ「ボルト」Op.27(1931年初演、3幕)。ソヴィエトの工業化政策推進にからむ官僚主義の俗物を風刺した内容で、台本はスミルノフ。

 前年の1930年にはゴーゴリの小説をもとにした彼のオペラ「鼻」が同じレニングラードで初演されているが、「床屋の手違いで切り離された鼻が、ペテルブルグに出没して大混乱を巻き起こす」という、無教養な下級官吏を風刺したこのオペラは、その後モダニズムゆえに無視された(1974年に復活上演)。
 そしてバレエ「ボルト」も公演は一度だけに終わった。このバレエはショスタコーヴィチの「最悪たる形式主義的誤謬」として葬られたのである。

 台本の筋は「ある工場が、新たな作業場の開設準備を進めている。怠惰と飲酒のために解雇されたレンカ・グルバはその復讐を企てているが、そんな中で若い見習労働者ゴシュカが、ボルトを機械の中に差し込んで事故を起こしてしまう。しかし守衛はレンカによって告発された若い共産主義者のボリスを逮捕する。何が起こったのかをただちに悟ったゴシュカは、自らの罪を後悔して告白する。ボリスは釈放されるが、ならず者のレンカは、その正体を暴かれ、逮捕される。ちょうどその時、労働者と赤軍の兵士たちが到着、演奏会が催される」というもの(全音楽譜出版社の組曲版スコアの解説(大輪公壱による)より引用)。

 美しい話じゃないですか!涙があふれ出てくるよう8f177759.jpgな話!(←ただし、あくびに伴う涙よ~ん)
 それにしても、なぜ演奏会?赤軍合唱団か?
 私たちには「ばかばかしい」と思われるようなこういった話による音楽作品が、当時のソヴィエトではいくつも書かれていたのである。なんと道徳的のなのでしょう!

 バレエの筋はともかく、音楽そのものは若いショスタコーヴィチの特徴に満ち溢れている。それまでにはない独特の色彩感!
 ただし、全曲を聴くのはちょっと、という向きには組曲版がある。

 組曲版には2つあり、1つは1931年の8曲からなる版。Op.27a。この組曲版はショスタコーヴィチの「バレエ組曲第5番」とも呼ばれる作品である。
 もう1つは1934年の6曲からなる版。これは19319cb12172.jpg 年版から2曲をカットし、さらにオーケストレーションやタイトルの変更が成されている。
 私は組曲版からこの作品を知ったのだが、今回ご紹介 する全曲版のCDを見つけたときには体中のボルトがキシキシ音をたてて「買えよ!買うしかない!」と私の大脳皮質に働きかけをした。
 でも……ふだんは組曲版で十分かも(急にトーンダウン)。

 その全曲盤はロジェストヴェンスキー指揮ロイヤル・ストックホルムpoによる演奏(1995年録音)で、シャンドスのMCHAN9343(2枚組。写真は輸入盤のもの)。タワーレコードのネットショップに在庫あり。5,460円。
 組曲版で私がお薦めのCDは、ヤルヴィ指揮スコティッシュ・ナショナルoによる演奏(1988年録音)。この2枚組CDはショスタコーヴィチのバレエ組曲第1~4番と、「カテリーナ・イズマイロヴァ」からの組曲(バスカル編)も収録されている。シャンドスのCHANX10088で、同じく4,295円。

 あっ、「ボルト」って「ねじ」のことです。
 でも、私の体には「ネジ」は1本も入っていません。100%生体。念のため。

甘美な甘美なピアノ・コンチェルト

 スクリャービン(1872-1915)のピアノ協奏曲嬰へ短調Op.20(1896)。

 ラフマニノフと同様に優れたピアニストであったスクリャービンだが、彼の場合はピアノ協奏曲を1曲しか書かなかった。
 ショパンの影響を受けていると言われるこの協奏曲は、スクリャービン自身がヨーロッパ各地で演奏しいつも好評を博していたというが、今ではこの曲が演奏会のプログラムにのることは少ない。おそらくはオーケストラのパートが魅力的でない、あるいは貧弱だからであろう(そういう点ではショパンの協奏曲もオーケストラの音がつまらない)。先日書いたように、「スクリャービンの管弦楽法の知識は豚がオレンジを見分ける程度のものだ」というくらいだから…・・・。
 それにしても、豚がオレンジを見分けることができるなんて2a415a09.jpg どう考えてもやっぱり不思議だ。ロシアの豚は特殊な技能を身につけているのだろうか?私はオレンジが甘いかすっぱいか、見た目でも臭いを嗅(か)いでも解らない。ロシアの豚以下だ。悲しいブゥ~。

 さて、このスクリャービンのコンチェルトであるが、3つの楽章からなり、どの楽章も決して爆発することがない気品(?)を保ったもの。特に第2楽章は変奏曲形式による緩やかな楽章で、とても甘い、腐る寸前のみかんのように甘い主題が変奏されていく。
 でもやはり、健常的な精神構造の人が書いたものではないような感じはする。

 私はこの曲を1度だけ生で聴いたことがあるが(札響定期)、なかなか良かったブー。

 私の愛聴盤はアシュケナージのピアノ、マゼール指揮ロンドン・フィルのもの。1971年録音で写真は旧盤のもの。現在はデッカUCCD3876として出ているが、そのジャケット・デザインは、LPで出ていたときと同じ陰気な炎の写真である(炎の感じにも陰気なものと陽気なものがあるのだ)。タワーレコードのネットショップに在庫あり。1,200円。カップリングはスクリャービンの交響曲第5番「プロメテウス」他。

 ラフマニノフとは対照的なピアノ協奏曲だが、あぁロマン!、って感じである。高校生の片思いのような……

口に含むと幸福感が広がる“そば”

 昨日から出張で東京に来ている(といっても今日帰るが)。
 今回はどうしても「きくかわ」と「小松庵」に寄りたいと思ってやってきた(と言っても食のルポルタージュを仕事にしているわけじゃない。単に私の欲望。仕事はちゃんとやっています。でも、腹が減っては戦はできぬ、って言うでしょ?)。

 昨日の昼は「きくかわ」日比谷店(帝国劇場地下)へ。帝国劇場のあたりには若い女性たちが大挙して待っていた。私が鰻重を食べにやって来ることをどこかで嗅ぎつけた、歓迎のための「喜び組」かと思ったら、その集団は完全に私を無視した。誰を待っていたんでしょうね?ふん!
 ここのうなぎはやっぱりおいしい。いやな臭みがない。札幌ではこういう鰻は食べられない。
 「原価高騰につき、鰻重の2尾を1尾半にさせていただきます」といった内容の貼り紙が貼られていたが、それがなんとなく微笑ましかった。それに1尾半でも私には十分なボリュームである。

 夜は、深刻ではないがかなり真面目な話を、初対面の方としながらの食事。場所は丸の内オアゾの中国料理店。
 この店は雰囲気もいいし料理も美味しい。ただ、強いて言うなら、食事をしていてもどこかくつろげる感じにあまりなれない。これは昨日の私が置かれたシリアスな状況とは関係ないだろう。以前来たときも同じように感じたからだ。私は緊張するラマ教徒のような顔をしていたかも知れない。小型マイクを装着しながら業務連絡をとりあっている店員たちに、「業務的な臭い」を感じてしまうせいかもしれない。
 でも、料理は美味しいし、一品一品のボリュームも少人数で行ってもいろいろ頼めるくらいでいい。三人くらいで中華を食べに行って二品くらい頼んだら、もうそれだけでご馳走様ってことになった経験ないです?酢豚と青椒肉絲だけで呆然。一品にそんなに盛るなよ、って。この店はそれがない。こういうメニュー作りって嬉しい。

 生真面目な話を終え先方と別れたあとに、くつろいだ気分で少し飲み直そうと、部下と一緒同じオアゾの中にある「小松庵」へ。さきほどの店でいくらあまり食べなかったとはいえ、中華のあとそば屋に寄るという気持ちは、私の国際度の高さと相関関係に……ない。どうしても、今日の昼食まで待てなかったの、私、ここのおそばが。
 「小松庵オアゾ店」は以前にもこのブログで私が紹介した店。私はここのそばがたいそうお好きであられるのである。転勤で東京を離れるときは、頼まれもしないのに、私は別れの挨拶を店長にしに行ったくらいだ(断っておくが、私はそば屋ストーカーではない)。
 昨夜は店長はいなかったが、前回挨拶できなかった女性店員さん(お名前は解らない。ここでは便宜上、庵子さんとする)は店にいた。私は庵子さんにオーダーしながら、最近のそば粉相場について二~三、言葉を交わしたが、彼女は元気そうであった(半分虚偽報告)。
 ここは一品料理の「さつま揚げ」もとてもふっくらして(私のほっぺたのように)美味しいのだが、部下が先に板わさを頼んでしまったので、練り物ダブルは無理と断念。めそめそ……
 そして仕上げにせいろそば。やっぱり美味い!
 めんの洗いがいい。
 水切りがいい。
 しゃきっとしている。
 そばの一本一本に緊張感があるって感じだ。

 目的を達成し、幸せな気分でホテルに戻った私であった。その足取りは緊張感がなかったけど……
 そば以下の私……
 
 ※「庵子さん」は文中に二回しか出てこないので、あえて仮名をつける必要はなかったかも知れない。しかも一回は命名のいい訳だ。でも、私なりにかなり考えぬいて(12秒くらい)つけた名前だからそのまま使った。小松 庵子……。すいません……

お姉さんといっしょ!

 モーツァルトの「2台のピアノのための協奏曲変ホ長調K.365(316a)」。彼のピアノ協奏曲の通し番号では第10番にあたる。私はこの曲を、中学生のときにNHK-TVで観て知った。
 ソリストはパウル・バドゥラ・スコダとイエルク・デムス。大物ピアニストの共演であるが、そんなことよりも私はステージ上でのピアノを向かい合わせ5b93b0c7.jpg に配置してある光景を観て、「なるほどぉ。ピアノというのは向かい合わせにすると、ちょうどうまくはまるような形をしているんだ」と感心してしまった。

 ところで、モーツァルトは複数台のピアノのための協奏曲を2曲書いている。
 1つはこの2台のピアノのための第10番で(番号は通常のピアノ協奏曲を含めての通し番号である)、もう1曲は3台のピアノのための第7番(ヘ長調K.242)である。

 わざわざ2台のピアノを必要とするこの協奏曲をモーツァルトが書いたのは、4才半上の姉であるナンネル(マリア・アンナ・ヴァルブルガ・イグナチア・モーツァルト)と一緒に演奏することを目的としたからだと考えられている。
 しかし、姉と共演したという記録は見つかっておらず、作曲年も一応1779年とされてはいるが、この作品の楽譜用紙による時代研究によって1775年から77年の間に書かれたという説もある。
 この作品について残っている記録は、1781年にモーツァルトが弟子のヨゼフィーネ嬢とこの曲を演奏し大成功を収めたという記録であり、姉との演奏ではない。また、1782年にもヨゼフィーネと共演したという記録がある。

 作曲された時代的にも、2人の奏者がぶつかりあって競演するといった内容の協奏曲ではなく、意識しないで聴いていると2台のピアノが鳴っているようにはあまり感じられない。参考までに、第1楽章で最初にピアノが登場する部分の楽譜を掲載しておく。この部分は2台のピアノだけで演奏される。
 逆に言えるのは、全体を通じて温かみが感じられることで、姉との共演を心から楽しみたいというモーツァルトの気持ちが伝わってくるかのようである。第2楽章で、ヴァイオリンが囁くように奏でるモティーフも印象的である。
 アットホーム的に音楽を奏でることを心から楽しみた2fa72c01.jpg い。この曲にはモーツァルトのそういった想いが音楽から伝わってくるようだ。そして、音楽そのものも、もちろん魅力的である。

 私が聴いているCDはブレンデルとクーパーのピアノ、マリナー指揮アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ(それにしても長い名だ)による演奏のもの(1977年録音)。
 フィリップスのPHCP3840であるが、現在は残念ながら廃盤のよう。カップリングはピアノ協奏曲第7番(モーツァルト自身が2台のピアノ用の協奏曲に編曲した版)。

 CD写真をみると、クーパーってごくふつうのオバサンって感じだ。今ではもっとオバサンになっているはずだ。でも、なんとなく上品な感じで私は好きである。
 強いて言えば、もっときれいなオバサンのほうが、私はさらに好きであるが……(きれいなお姉さんはもっとずっと好き)

インスタントコーヒーVS胃腸薬

 村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」―これは「羊をめぐる冒険」の続編にあたる―のなかで、主人公の「僕」の高校時代の同級生で今は俳優をや2bd9ced8.jpg っている五反田君が、こう話す部分がある。

 「広告には2本出ている。胃の薬と、インスタント・コーヒー」(講談社文庫、上巻295p)

 この部分を読んだとき、私は今は亡き指揮者、岩城宏之の書いた文を思い出した(「棒ふりの休日」、文春文庫)。
 
 「去年(1977年)の5月まで、ぼくはまる2年間インスタントコーヒーのテレビコマーシャルをやっていた。例の『違いのわかる男―ネスカフェゴールドブレンド』だ」

 「例の」と言われても、今の若い人たちには(あぁいやだ、こう言っている自分が)ピンと来ないかもしれないが、昔は著名人が出たゴールドブレンドのシリーズCFがあったのだ。確か最近になって、復刻バージョンで遠藤周作が出ていたこのCFが流れていたと思う(ANAのSIGNETでこのCFの音楽がBGMで流れていたことがあったが、ちょっとアンマッチだった)。
 この時期といえば、岩城が札響の常任でいたころで、札響の演奏も一部CFに使われるということで地元では話題になった(数十人に)のを記憶している。

 岩城はこう書いている。
 「契約書の項目を見て、なるほど業界というものは厳しい7e87f985.jpgものだワイ、と感心したのは、この3年間(注:放映中の2年間と終ってからの1年間)に胃腸薬のコマーシャルに出てはならぬということだった。あっ、あの男、コーヒーを飲みすぎて、胃を悪くしたのだな、というイメージを避けたいらしいのだ。
 まるでマンガみたいにおかしい話だと思っていたが、ある時、会社側の心配は杞憂ではないというのがつくづくわかって感心した。どこかのナントカカントリークラブでゴルフをやっていた。手拭いでほおかぶりをしたキャディのおばさんが、こっちの顔をしげしげ覗き込んで、感にたえた声を出したのだ。
 『アンタはん、ほんとに大変やねえ。一日中あんなにコーヒー飲んでお腹へんにナラン?』……」

 個人的な経験からも、コーヒーは胃にくる。私は中高生時代はものすごくコーヒーが好きだったが、あるときからコーヒーを飲むと胸焼けがして苦しくなるようになった。検査をしても特に悪いところはないのだが、今でも一日に2杯か3杯が限界。しょっちゅうコーヒーを飲んでいる人がうらやましいやら不思議やら、である。
 仕事の打ち合わせでお客さんなんかといるときも、私があまりコーヒーに手を伸ばさないので、なかには「あいつはきっと、宗教的な理由でコーヒーを飲まないのだ」と誤解している人もいるかも知れない。

 村上春樹に話を戻すと、きっと彼はこういう業界の事情を知っていて、わざと「胃薬とインスタントコーヒー」と書いたのではないだろうか?さりげなくやってくれるね村上さん、って感じだ。

 ところでネスカフェの会社は今ではネスレと呼んでいるが、昔はネッスルと言った。綴りは同じだが、読み方が変わったのだ。DENNONも昔はデンオンだったのに、今はデノンだ。
 どこかで読んだ話だが、昔(昔話が多くてすいません)、女性を引っかけてベッドを共にするときに、男は「君と夜明けのコーヒーが飲みたいな」と誘う言葉があったという。
 「ねっ、する?」ってわけだ。
 自分で紹介していて申し訳ないが、アホらしい。夜明けのコーヒーで、ネッスル?誰かの作り話のような気がする。もっと青年はまじめに引っかけるべきではあるまいか?「ねぇ、やろう」とか……

 でも、「ダンス・ダンス・ダンス」で、僕と五反田君がコールガールを呼んで一夜を過ごしたあとの描写も、「さりげない技」っぽい。

 「静かに音もなく大要が上り、東京タワーが眩しく輝いていた。それを見ていると、僕は昔のネスカフェの広告を思い出した。たしかあそこにも朝の東京タワーが出てきたはずだ。東京の朝はコーヒーで始まる……違うかもしれない。何でも良い。でもとにかく東京タワーが朝日に光って、僕らはコーヒーを飲んでいた。それで僕はふとネスカフェの広告を思い出したのだ」(同318p)

 これを読むと、「ねっ、する?」っていう誘い方が本当にあって、彼も使った口かも、なんて思ってしまう。



 せっかく岩城の名前を出したので、CDを1枚紹介して7953c8ba.jpg おく。
 石井真木の「日本太鼓とオーケストラのための『モノプリズム』」(1976)。
 石井真木は伊福部門下で、東西音楽の統合を目指した。惜しくもすでに亡くなってしまった。
 この作品は、和太鼓ブームのさきがけともなった作品で、曲名は和太鼓群の単色(モノクローム)とオーケストラの音色の多彩さ(プリズム)の合成語である。第25回の尾高賞受賞作。
 CDはキングのKICC3025。オケはNHK響。タワーレコードのネットショップに在庫あり。2,500円。
 このCDには他に別宮貞雄と廣瀬量平の作品も収められているが、岩城が振っているのは「モノプリズム」だけである。
 なお言うまでもないのかもしれないが、写真の中央が若き日の岩城。
 築地の魚屋にいそうな、生意気な若頭って雰囲気ではある。

 岩城宏之は現代日本の作品の紹介にひじょうに積極的であった。
 これはもっともっと評価されるべきものだろう。

 

前世紀のフルート協奏曲の最高傑作

 フランスの作曲家ジャック・イベール(1890-1962)のフルート協奏曲(1932-33)。
 イベールは「クラシック音楽作品名辞典」によると、「第1次大戦で海軍に従事。印象主義と新古典主義の技法を生かした、フランス風エスプリの作風で広く愛好された」とある。「愛好された」と過去形で書かれているのが気にならなくもないが、エスプリなのである。
 ところで、エスプリって何だろう?機知や才気、精神、魂、心、といった意味らしい。「フランス風精神の作風」ってことか……。よく解るようで、でも濃霧の中でスチームアイロンをかけているようなボワンとした理解しがたい感じもある。

 彼は映画音楽や付随音楽も少なからず残しているが、海軍にいたときに経験した地中海の寄港地の印象を音楽化した「寄港地」(1922)が有名である。

 そして、このフルート協奏曲。
 この作品は20世紀に書かれたフルート協奏曲としては代表的な傑作とされている(20世紀にほかにどれくらいのフルート協奏曲が書かれたかは知らないけど)。フルートの名手、モイーズに捧げられている。

 すごいフルートのテクを要するんだろうな、という曲だ。いや、実際、かなり難しいのだろう。
 ところで、音楽としては「フランス風エスプリ」というよりは、私には「東洋風」に聴こえる。大和魂とまでは言わないけれど。
 そういえばこの曲がもっている雰囲気は、ドップラー(1821-83・墺)の「ハンガリー田園幻想曲」の前半部分に似ている。その部分は妙に東洋的で、実際日本では結構人気があった曲だが、最近はあまり耳にする機会がなくなった。ただそれだけの話だけど……

 全体的には色合いの薄い絵画のよう。決して陽気になりきらない(これはイベールの特徴でもある)。
 第1楽章は途中で「山寺の、おしょさんが……」の歌の「ポンとけりゃぁ~」の部分に似た旋律が出てくる(だから東洋風というわけではないが)。第244f72587.jpg 楽章は陰鬱な香りが漂うもの。フルートの切ない嘆き!第3楽章は明るく振舞おうとしているが、どこか心に引っかかるものがあるような盛り上がり。大好きな女の子に振られたあとに、おせっかいな友人にいやいや合コンの席に連れて行かれたような感じだ。

 さて、私の愛聴盤はハッチンズのフルート、デュトワ/モントリオール響の演奏(1992録音)。ロンドンのPOCL5254で、タワーレコードのネットショップに在庫あり。2,039円。
 このCDはイベールの管弦楽作品集であり、他に珍しい「ボストニアーナ」や「バッカナール」、「モーツァルトへのオマージュ」なんかが収録されている。

 私は高校生の頃に札響の定演で聴いた、工藤重典のソロによるこの曲の演奏が忘れられない(ような気がする)。

スクリャービンに対するときのポーズ

 村上春樹の「羊をめぐる冒険」のなかには、以下の27be10e9.jpgような描写がある。

 「列車は二両編成で、全部で十五人ばかりの乗客が乗っていた。そしてその全員が無関心と倦怠という太い絆でしっかりと結びつけられていた。(中略)太った中年の女はスクリャービンのピアノ・ソナタに聴き入っている音楽評論家のような顔つきでじっと空間の一点を睨んでいた。僕はそっと彼女の視線を追ってみたが空間には何もなかった」(講談社文庫・下巻100ページ)

 すばらしいなぁ、この表現。
 確かにスクリャービンの音楽、特に後期の作品は鼻くそをほじりながらとか、江戸揚げを食べながら聴いてはいけないような圧力を感じる作品である。

 スクリャービン(1872-1915)は、同じロシアのラフマニノフ(1873-1943)とほぼ同時期に活躍した作曲家であり、二人とも驚くほどの才能を持ったピアニストである。
 ラフマニノフは同じパターンから外れることなく作品を書き続け、スクリャービンは晩年に精神に異常をきたし、わけの解らない音楽を書いた神秘主義者として没したのであった。
 「私の『第10ソナタ』は昆虫のソナタである。昆虫は太陽から生まれる……太陽の接吻である……物事をこのように観察するとき、世界観はなんと見事に統一されることか」といったことをスクリャービンは述べている(ショーンバーグ「大作曲家の生涯」共同通信社より引用)。やれやれ、である。

 スクリャービンは1903年の交響曲第3番とピアノ・ソナタ第4番から、作曲上のあらゆる約束事を無視し始めたと言われ、特にピアノ曲はひじょうに複雑になった。
 正直なところ、私もこの「神秘時代」に突入した彼の作品は、あまり恋心を抱けない。

 そこで、今回はそれ以前の、しかも交響曲について。
 交響曲第1番と第2番。これらの作品は、鼻くそをほじりながらでも、よだれを垂らしながらでも、貧乏ゆすりをしながらでも聴ける。空間の一点を睨まなくてもよい。
 交響曲第1番ホ長調Op.26(1899-1900)は6つの楽章から成る声楽(メゾ・ソプラノとテノール独唱、合唱)つきの作品。全体を通じて穏やかで愛らしい旋律が続く。終楽章ではスクリャービン自身が書いた短い詩による芸術賛美が歌われるが、だからといってこの曲を「芸術賛歌」というタイトルで呼ぶのはちょっと変な気がする(そういうCDもあるのだ)。
 一方、第2番ハ短調Op.29(1901)は、私がけっこう好きな類の曲である。とにかく、終楽章(第5楽章)の堂々とした音楽がカッコイイのだ。また第3楽章は、グリエールの第3交響曲の第2楽章のような雰囲気で、鳥たちがさえずり合うような美しい曲。でもやっぱり、終楽章がカッコイイ!
 なお、彼の交響曲(後半の作品はむしろ交響詩である)7adee916.jpg は5番まであるが、よく知られているのは第4番Op.54「法悦の詩」。神秘和音を用いて人間の精神的・肉体的エクスタシーを表現したものである。言っていることがよく理解できないが……
 ついでにいうと、第3番は「神聖な詩」、第4番が「法悦の詩」、そして第5番(オーケストラのほかに、ピアノ、合唱、投光オルガンが用いられる)は「火の詩」という名がついている。

 話を戻すと、私が聴いている第1、2番のCDはインバル/フランクフルト放送響のもの(フィリップス454 271-2。輸入盤。国内盤はフィリップスのPHCP20157-8)。このCDには1番から4番までが収められている。1978年から79年にかけての録音。タワーレコードでも新星堂でも在庫がないが、ファミマコムで扱い中。

 ところで、ヴォルコフ著の「ショスタコーヴィチの証言」にはスクリャービンについて次のような記述がある。

 「ある講演のとき、ソレルチンスキイはスクリャービンのことを話していた。彼はスクリャービンのことがそれほど好きではなかった。スクリャービンの管弦楽法の知識は豚がオレンジを見分ける程度のものだ、というわたしの意見に彼は同意していた。わたしの見るところ、スクリャービンの交響詩のすべて、『神聖な詩』にせよ、『法悦の詩』にせよ、『火の詩』にせよ、いずれもちんぷんかんぷんである」

 う~ん、あのショスタコ先生にしてもそうなのね。もっとも、この本は偽書であるという説が有力になっているけど……。それにしても、オレンジを見分けることができる豚って、すごいとも思うんですけど……

 へんてこな世の中だから、スクリャービンの作品が再評価され脚光を浴びる日も近いかもしれないと、個人的には無責任に思っている。


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