私はカッコウの鳴き声がとても好きだ。
あの声を聞くと、「ああ、やっと本格的な夏になるんだなぁ」という気持ちになれる。その夏というのも、くそ暑い体力を消耗するような夏ではなく、初夏の訪れである。
本州ではどうなのかは知らないが、北海道ではカッコウの鳴き声は、初夏の到来を告げる喜びの合図である。
村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」(講談社文庫)には、メイ という名の高級コールガールが出てくる(メイという名の女性は「ねじまき鳥クロニクル」にも登場する。「ダンス・ダンス・ダンス」のメイとは、まったくキャラクターとしては別人である。村上春樹は5月に何か特別な思い入れがあるのだろうか?)。
主人公の“僕”がメイと一夜を過ごした翌朝、
《……食卓についてコーヒーを飲んだ。パンも焼いて食べた。バターやらマーマレードやらを回した。FMの「バロック音楽をあなたに」がかかっていた。ヘンリー・パーセル。キャンプの朝みたいだった。
「キャンプの朝みたいだ」と僕は言った。
「かっこう」とメイが言った。》(上巻317p)
この部分、何とも言えず好きだ。一夜を共に過ごした女性と一緒に、マーマレードを塗ったパンを食べたいとか、朝はパーセルの音楽に浸りたい、というのではない。このメイのさりげないユーモアが好きなのだ。
今朝、外に出て、庭のバラたちの様子を一株ずつ見ていたら、遠くからカッコウの鳴き声が聞こえた。このところとても風が強い。気温も上がらない。今日もかなり風が強く、まだまだ夏の気配は感じられない。けど、私にとっては今朝のこの、春(というのか夏というのか)最初のカッコウの声は、何かウキウキさせるものがあった。
カッコウの鳴き声は、古くから多くの作曲家を魅了してきたようだ。
曲名は解らないが、中学生のときにそれこそ朝のFM番組で聴いた(番組名は「バロック音楽をあなたに」ではなく「バロック音楽のたのしみ」であるが)、確かスカルラッティのオルガン曲には、露骨にカッコウの鳴き声が取り入れられていた(ドメニコかアレッサンドロか、どちらのスカルラッティか解らないし、当然、曲名も解らないままだ)。
ヨナーソン(1886-1956)の「かっこうワルツ」はそのま まのタイトルだし(この曲は、私に子供のころ住んでいた街の、ゴミ収集車を思い起こさせる。この曲を流しながらゴミ集めに来ていた)、L.モーツァルトの「おもちゃの交響曲」では「かっこう笛」が楽しい。
大きな曲で有名なのは、マーラーの交響曲第1番だ。マーラーらしくカッコウの鳴き声の音度をそのまま用いてはいないが、繰り返しカッコウが鳴く。掲載したように当時のカリカチュアには、その譜と鳥の絵まで描かれている。
ほかにもいろいろな音楽作品でカッコウの鳴き声は現われる。作曲者が意識したものもあれば、無意識に旋律に用いたものもあるのだろう。それだけカッコウの鳴き声は音楽的ということだろうか?
しかし、カッコウでまっさきに私の頭に浮かぶ音楽作品は、ディーリアス(1862-1934)の「春初めてのカッコウを聞いて」(1911)である。
この曲は「小管弦楽のための2つの作品」の第1曲で、もう1つの作品は「川辺の夏の夜」(1912)である。
ディーリアスの両親はドイツ人であるが、彼の生まれはイギリスである。若いころはアメリカのフロリダ州で商業に従事した。ハロルド・ショーンバーグの「大作曲家の生涯」(共同通信社)から引用してみよう。
《ある意味でディーリアスは、フォーレに似た作曲家 だった――すこぶる個性的で、時に繊細、優雅、かつ伝統的だがアカデミックではない、という点で。作品の数は少なく、大作曲家として認められるまでに多くの歳月を要した。……
1924年には麻痺と失明に見舞われた。イギリス人の忠実な弟子エリック・フェンビーがディーリアスに付き添い、口授による作曲法を案出した。……
ディーリアスの作品について説明することは困難である。イギリス的印象主義と評した人々もいるが、必ずしもぴったりではない。多くの影響が重なり合って、フレデリック・ディーリアスなる複雑な人物を作り上げたのである。……
基本的には彼は音響を素材とする画家で、熱狂的な即興により自己を表現した》
まさに、絵画のような音楽である。
「春初めてのカッコーを聞いて」は、彼のほかの作品の傾向と同様に、モノトーンの 水彩画を見るかのような音楽である。
春を告げる(北海道では初夏だが)カッコウの声。すべてが生き生きとしてくる春の到来。しかし、ディーリアスは喜びの感情を噛みしめるかのように、穏やかな音楽でそれを表現している。なお、楽譜では、クラリネットがカッコウの鳴き声を奏する部分に「Cuckoo」と注記がある(掲載した楽譜は日本楽譜出版社のもの)。
CDだが、ここではノーマン・デル・マーが指揮した、ボーンマス・シンフォニエッタのものを挙げておく。とてもしっとりとした演奏(曲そのものが本来そうなのだが)。薄い“もや”がかかった朝の林を歩いていると、どこかからカッコウの鳴き声が聞こえ、同時に“もや”が引いていく。今日は暖かくなりそうだ。そんな印象を与える演奏である。
シャンドスのCHAN8372(輸入盤)。現在入手できるかどうかは解らない。
なお、イギリスではトーマス・ビーチャムがディーリアスの音楽に関心を寄せ、彼の音楽の紹介に努めた。ビーチャムの演奏によるディーリアスのCDも出ている。