レナード・バーンスタイン(1918-1990)の「前奏曲,フ ーガとリフ」。
7月19日のPMFOの演奏会で、私はこの曲を初めて生で聴いたが、けっこう印象に残っちゃったのであります。これまでは、ほとんど聴くことなかったんだけど。
このコンサートのプログラム(というか“しおり”)の解説によると、
《バーンスタインの代表的なジャズ・ピース。1949年にウディ・ハーマンの委嘱を受けて作曲されたが、ハーマン楽団の事情で初演されないまま放置され、結局、1955年、テレビ番組「オムニバス」のなかで初演された。そのとき、作曲者自身がスタジオのバンドを指揮した。
トランペットやトロンボーンの活躍する「プレリュード」、サクソフォーンによる「フーガ」、そして、クラリネットのソロがスウィングする「リフ」からなる》
とある(執筆は山田治生氏)。
生で聴いた後、家に帰って手元にあったCDを聴いたら、うん、やっぱりいい曲だった。
今までこの曲を放っておいた私が言うのは実に無責任な話ではあるが、まだ聴いたことがない人はお聴きになることをお薦めする。
私が持っているCDはペーター・シュミードルのクラリネット(今回のPMFO演奏会でも独奏を務めたおじさんである。おじさんといっても、ウィーン・フィルの奏者であり、PMFの芸術主幹という人なのである)、バーンスタインが指揮するウィーン・フィルのメンバーによるもの。
このCDには他に「キャンディード序曲」(1956)、「『ウェストサイド・ストーリー』から『シンフォニック・ダンス』」(1957)、「映画音楽『波止場』の『交響組曲』」(1954)が収録されており、指揮はすべてバーンスタイン。「キャンディード」と「ウェストサイド」のオケはロス・アンジェルス・フィル、「波止場」のオケはイスラエル・フィルである。すべてライヴ。録音は1982年と1992年。
グラモフォンの447 952-2(輸入盤)。
でも、現在は入手困難なよう。ただし、このCDにこだわる必要はないと思います、わたくし……。たまたま、私が持っているというだけでして……
ところで、「ウェストサイド・ストーリー」に話題を変えるが、この「シンフォニック・ダンス」には 有名な「トゥナイト」や、私の好きな(そんなの関係ないと思われるに違いないが)「アメリカ」が含まれていない。
「シンフォニック・ダンス」はバーンスタイン自身が演奏会形式にまとめた作品ではなく、あくまでバーンスタインは監修者である。したがって、選曲や曲順にあたってはどこまでバーンスタインの意向が汲まれたかは解らない。いずれにしろ、オリジナルのミュージカルとはちょっと異なるものと考えた方がいい。
ということは、やはり全曲を聴くことも価値あること(のように思える)。
バーンスタインが“管弦楽団”と“合唱団”を振ったCDがある(オーケストラと合唱団の名前が、このように無個性に記されているのは個人情報保護法によるものではなく、レコード会社との契約問題によるものだろう)。独唱はマリア役のソプラノがキリ・テ・カナワ、トニー役のテノールがホセ・カレーラスという、ウォって感じのもの。しばしばオペラチックになってしまって、聴いてるこちらが赤面しちゃう……。録音は1984年。しかし、写真を見ると、「これがマリアかねぇ」と、無意味に憂鬱な気分になってしまう。
現代版「ロメオとジュリエット」と言われるこのミュージカルだが、いまでは「ロメオとジュリエット」よりも古臭いストーリーって感じもする。ギャングの争い……だもん。
July 2008
昨夜はPMFオーケストラの2つ目のプログラムのコンサ ートを聴いてきた(19:00~。Kitaraにて)。
それに先立つ日中は、咲き終わって散って、すでに汚らしく変色して地面を覆っている花びらの掃除と、バラと、そして今夏はプルーンの木にまで被害を及ぼしている、コガネムシ退治を行なった。
ほんのちょっとの予定だったが、あまりにもコガネムシが多く、私の憎しみはピークに達し、しかも会社での悩ましい人間関係にまで妄想は発展し、コックローチのノズルを1匹1匹(半数以上は交尾中であったので、一度に2匹だった)に向けて噴射し殺害した。
このように起こっている1つ1つに手を打っているだけでは、何ら抜本的な対策になってはいないのだが、やりはじめると私の心の奥底に潜むちょっぴり残虐な意識が芽生え、やめられなくなってしまう。フマキラーやキンチョールでは効かないが、コックローチはよく効く。し かもストロー状のノズルだから、虫体にだけ局所的に噴霧することができるのだ。うふうふ。
そんなわけで、シュッ、シュッという音で、隣の家の窓が「バタン」と露骨に音をたてて閉められるのも、ちょっぴりとしか「すまぬ」と思わず、ほんのちょっとの予定が、私の腕と首に日光湿疹が出るほどの長時間になってしまった。私は心と同じように肉体も弱い。日光湿疹が出やすい体質である。先祖はモグラかミミズであるような気がする。
すっごく前置きが長く、かつ、くどくなったが、そんな作業をしているときに、ライラックとアロニアの葉の上で「待機」しているのを見つけたのが、写真のカエル君1号と2号である。双子のようにそっくりだが、2枚の写真は別な個体である(だからといって双子ではないという証明にはなっていないけど)。うぅ~ん、いい肌してる……
私はカエル君を大切に扱っている。カエル君はなんとなくいい奴だ。
村上春樹の「神の子どもたちはみな踊る」(新潮文庫)に収
められている「かえるくん、東京を救う」でも、カエル君は東京を救ってくれるではないか!(←タイトルのまんまじゃないか!)
木の葉の上のカエル君1号と2号は、しかしながら決して休憩しているのではなさそうだ。表情はどう見ても真剣である。このクソ熱いのに、しかも陽が直接照りつけている葉の上にいる目的は、間違いなく「潜んで待ち伏せして」いるということだ。きっと、ふらふらと飛んでくる虫をパクリッっとするのだろう。侮れない奴だ。賢い。なんならコガネムシも食べてくれればいいのに。
ということで、“ブログ人”の今週の写真のテーマがカエルだったから、という理由だけで載せる次第。
♪
さて、昨夜の演奏会の話(うわぁ、昨夜の演奏会のように盛りだくさんだ)。
プログラムはオール・バーンスタインで(なんといっても「ハッピー・バースディ、バーンスタイン! 生誕90年ガラ・コンサート、なのだ)、①キャンディード序曲、②交響曲第2番「不安の時代」、③プレリュード、フーガとリフ、④セレナード、⑤ウェストサイド・ストーリーのシンフォニック・ダンス、という“味噌ラーメン、ミニ・カレーライスと餃子3個付き」みたいなプログラムである。
指揮は①と④がルイス・ビアヴァ、②と⑤が尾高忠明、③は新進の川瀬賢太郎。ソリストは②が小曾根真(p)、③がペーター・シュミードル(cl)、④がアン・アキコ・マイヤース(vn)。
プログラムの性格上のこともあるが、全体を通じて活気ある楽しい演奏だった。ただし、オケがリズムに乗り切れていない場面も何度か感じられた。
私が当夜、あらためて感動的だと思ったのは交響曲第2番の後半部。アドリブも良かった。
この曲の終曲「エピローグ」で独奏ピアノが舞台後方のサブ・ピアノと掛け合いをしているときに、携帯電話の着信メロディーが3回鳴った(会場内は圏外になっているので、着信音ではないかも知れない。タイマーか?)。それでオケ・メンバーの数人の顔が「やれやれ」といった具合に曇ったし(当たり前だ)、少なからずの聴衆もがっかりしただろう。なんせシリアスさのピークの部分だから。
しかしここで小曾根がその着信メロディーのパッセージをそのままアドリブで加えて弾いた。会場からは笑いが漏れたが、これはやるせない気持ちを救われた、安堵の溜め息でもあっただろう。
いつも不思議に思うのだが、アナウンスで再三「携帯電話の電源は切るように」と言われても、なぜこういう人が後を絶たないのだろう。自分は大丈夫、と安易に考えているのだろうか?こういう人には何回アナウンスを流しても無駄だろう。困ったものである。自分が2,000人の聴衆の迷惑になっているという、事の重大さがなぜ解らないのだろうか?
それにしても、ピアニストの粋なはからいであった。
セレナーデは第1回のPMFで、五嶋みどりを独奏としてバーンスタイン自身が振った曲である(オケはロンドン響)。
あれから18年も経ったんだなぁ、とおじさんは考えてしまった。
ソロ・ヴァイオリンとかけあったチェロの首席(荒井結子)が好演。
「プレリュード、フーガとリフ」は楽しかった。
指揮の川瀬賢太郎は昨年東京音大を卒業した若手。なかなか堂々としたもの。千秋さまって感じである。clのシュミードルは、気さくでちょっぴりだらしないおっさんって感じで、見ているだけで楽しい。それは、この曲の「ノリのよさ」を印象付けるための演出か?(深読み)
シンフォニック・ダンスが終わり、最後に、ちょっと早いが バーンスタインの誕生日を祝って尾高の指揮による「ハッピーバースディ・トゥー・ユー」を演奏。ちょいと重いアレンジだったけどね。そうか、生きていれば90歳か……
楽しい演奏会だったが、なんせ盛りだくさん。最終的にオケがステージから引き上げたのは21:50ころ。
東京と違い、札幌はまだまだ交通機関が不便。特に土曜の夜となると……
土曜日の公演の場合、せめて18:30開演にしてもらえたら、と思った次第。
なお、交響曲第2番「不安の時代」については、本ブログの2007年12月24日に、「名曲喫茶で不安を煽る猛女の話」として、写真のCDを紹介している(国内盤はグラモフォンのUCCG4103)。
ねぇねぇ、その記事、ちょっと見てみれば?
ブロムシュテット指揮のマーラーの交響曲第2番ハ短 調「復活」。オーケストラはサンフランシスコ響。
マーラーの交響曲第2番は、何ともバランスが悪いというか(彼がソヴィエトの作曲家だったとしたら、「第1楽章は長すぎる、第4楽章は短すぎる、第5楽章はまたまた長すぎる」と批判されただろう)、疲れるというか、彼の交響曲の中でもとりたてて出来が良いとは思えないが、力技で感動させられてしまう不思議な曲である。
作曲されたのは1887年から94年にかけてで、第3楽章までは95年3月に初演されている。全曲初演は95年12月(その後1903年に改訂されている)。
マーラーは第3楽章までを書き上げたとき、指揮者ハンス・フォン・ビューローの葬儀の場でクロプシュトックの詩による「復活」の合唱を聴いた。これにすっかり感動した彼は、この詩による合唱を第5楽章に用いた。また先立つ第4楽章では、自作の歌曲「子供の不思議な角笛」の第12曲「原光」によるアルト独唱を加えている。
なお、「復活」のタイトルは作曲者によるものではなく、ニックネームである。
マーラーが1896年にマックス・マルシャルクに宛てた手紙には、《私は第1楽章を「告別式」と名付けた。さらに事情を言えば、ここで私が埋葬しようとしているのは、第1交響曲の主人公なのである。私はこの主人公の人生を、より高所からの澄んだ鏡に映し出しているのだ。それと同時に、大問題がある。なぜ君は生きたのか。なぜ君は苦しんだのか。人生は恐ろしい冗談にすぎなかったのか。われわれが生き続けなければならないのなら、否、ただ死に続けなければならないのであれば、これらの問題をなんとかして解決しなければならない。――こうした呼びかけが人生で鳴り響いたときには、誰でも解答を与えなければならない。私はこの解答を、終楽章で与えている》と書かれている(ハロルド・ショーンバーク「大作曲家の生涯」より)。
やれやれ、私だったらこういう手紙はもらいたくない。正直言って……。「大問題がある」って言われたってぇ……、である。あぁ、こういった手紙をくれる友達も知人も親戚も他人もいなくて良かった……
この曲、私にとってはなかなか気に入った 演奏にめぐり合わない。
その中では、冒頭に紹介した演奏が、ちょっぴり“お気に”である。
そして、この演奏の魅力は、第1楽章の、低弦が上昇するパッセージ(楽譜の4~5小節目。この楽譜は全音楽譜出版社のもの)で、(楽譜の指示に反し?)思いっきり音を引きずるところがおもしろい。「いやぁ~ん、わざとじらしてぇ。あなた、どこで覚えてきたの?いったい、どこの女に教えてもらったのよっ!?」っていう具合である。って、何が「具合」だか……
あらためて紹介すると、ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団&同合唱団。ソリストはソプラノがルート・ツィーザク、アルトがシャルロッテ・ヘレカント。1992年の録音。
国内盤はロンドンのPOCL1506-07で出ていたが、現在廃盤。ということは、英デッカの輸入盤(443 350 2。掲出した写真。まあ、青いバラだわ!)を探すしかない。
皆さんの活動を、私はそれを高所からの澄んだ鏡に映し出そうではないか!
7月16日付けの北海道新聞夕刊に北見医師会長の古谷聖児氏(芸名みたいな文字だ)が「排尿の利き手は左」というタイトルでコラムを書いている。
私はこれを読んで若干の不安と疎外感を感じている。
《世界中の小便小僧は例外なくオチンチンを「左手」で持って小便をしています》
えっ?知らなかった……
《実際に男性は、小便するときオチンチンを左手で持つのでしょうか?》
そんなことないでしょ!
で、このお医者さん、知人友人100人にアンケートをとったという。
《その結果。左手を使う人は85人、右手を使う人は15人でした。どうやら男の場合、排尿の利き手は小便小僧と同様に左手のようです》
ウッソォォォ~!
私は、いつも右手を使う。だって、チャックだって右手で下ろしません?(この質問の対象は男性です)
《しかし、この結論には半信半疑の読者も多数いると思います》
そうだ、そうだぁ!
《そこで排尿の利き手と医学的な症状が結びついた例について、私の経験をお話しします》
どうやら、私に有利には働かない予感。
《脳卒中で倒れて、半身まひのために左手が使えない状態になった患者さんです。小便をするとき、健康な右手を使ってオチンチンを持てばよいのに、どういう訳かまひしている左手で持とうと努力するのです。ところが、左手は動きませんから、マゴマゴしているうちに、下着の中に尿を漏らしてしまいます。これはこの患者さんの排尿の利き手が左手であるために生じた症状と考えられます。
大昔、男はすべて狩人で、必ず右手に武器を持っていました。狩りに行って小便をするとき、敵や猛獣から身を守るため、空いている左手でオチンチンを持つようになったのでしょう。この習慣が代々子孫の脳髄にインプットされ、伝えられてきたというのが、私の珍(チン)説です》
やっぱり私に有利な話の展開にはならなかった。
“チン説”は解ったけど、私は左手で持ってする自信はない。たまたま右手がふさがっているときに左手を使ったことはあるが、なんともぎこちない放水の構えとなってしまった。だから、こう書かれても納得できない。
それとも、私の祖先は狩りとは無縁だったのだろうか?(狩られる側にいたとか……)
本当に私は少数派なのだろうか?
これからはトイレに行ったとき、居合わせた人がどちらの手を使っているか集計することにしよう。
「ショスタコーヴィチはひどく神経質になっていたが、深く感動してもいた。彼は、『何も言えないけれど、でも……』と言っただけだったが」
これは1969年5月29日、カラヤン/ベルリン・フィルがモスクワ でショスタコーヴィチの交響曲第10番を演奏したあと、会場にいた作曲者がカラヤンに言った言葉である(中川右介著「
カラヤン帝国興亡史」(幻冬舎新書。この冒頭の文の原典はR.オズボーン著「カラヤンの遺言」)。
カラヤンはショスタコーヴィチの交響曲では、第10番しかレコーディングしていない。
1967年にグラモフォンに録音、81年にも再録音している。
ショスタコーヴィチの交響曲第10番ホ短調Op.93は1953年に作曲された。
前作の交響曲第9番(変ホ長調Op.70)が作曲されたのが1945年であったから、8年のブランクがあったわけである。
第9番は戦争終結の勝利の交響曲として作曲されたのだが、出来上がった作品は室内管弦楽的な軽妙な作品であり、このことが西欧的とされ、1948年の共産党の批判の対象になった。要するに、「第九」という記念碑的な意味合いをもつ番号の交響曲に、誰もがベートーヴェンの「第九」のような作品を期待したのだった。ところが、皆、肩透かしにあったのだ。
それから8年、彼の第10交響曲は発表されるときに世界中の注目の的となった。
この曲がスターリンの死の直後から書き始められたということも、様々な憶測を呼んだ。
発表されたこの作品に対するソ連国内での論争は、
(1) 暗すぎる。「社会的リアリズム」の芸術作品は、根底において人生肯定的・楽観的なものでなければならないのに、この曲はその要請にマッチしていない。
(2) 最初の3つの楽章と、終楽章とのバランスを欠いている。終楽章の「勝利」が弱い。
の2点に集約されるものだった。
ショスタコーヴィチ自身はこの作品について、「この作品のなかで私は人間の感情と熱情を描きたかったのである」と述べている。
いまやすっかり偽書に位置づけられてしまっているが、S.ヴォル コフの「
ショスタコーヴィチの証言」(水野忠夫訳。中央公論社。現在は文庫で出ているはず)の中では、この第10番について以下のように書かれている。
《スターリンを神格化する曲をわたしは書けなかった、まったくできなかったのだ。第9交響曲を書いていたとき、自分が何に向かって歩いているかを知っていた。しかし、それでもわたしは音楽で、つぎの第10交響曲のなかでスターリンを描いた。わたしがそれを書いたのはスターリンの死後だったので、この交響曲の主題が何であるかは、今日にいたるまで誰にも推測されていない。だがあれは、スターリンとスターリン時代について書いたものであった。第2部のスケルツォは、おおざっぱに言って、音楽によるスターリンの肖像である。もちろん、そこにはまだほかのものもたくさんあるが、それが基本的なものだった》(208p)
この曲は4つの楽章からなる。
そして有名な話であるが、第3楽章にはD-Es-C-Hのモティーフが現われる(スコアのフルートとピッコロのパートの48小節目の3拍目 の音から。スコアは全音楽譜出版社のもの)。ショスタコーヴィチは「この4つの音は自分の名前のドイツ音名、D.Schostakovich、であり自己の署名なのだ、と言っている。このモティーフはその後、何度も曲に現われる。
また、同じ第3楽章にはホルンによって、E-A-E-D-Aという音型が現われるが(下の楽譜)、作曲者はこの12回も繰り返し登場する音型については何も触れていない。触れていないのは実に奇妙である。
吉松隆はこれについて、「この音型と、それを先導するG音との組み合わせを並べてみると、Ge(n)aeda(ジナイーダ)という女性の名前が浮かび上がってくる」と指摘している(「世紀末音楽ノオト」音楽之友社)。
このようないろいろな問題をはらんだ交響曲で あるが、ショスタコーヴィチの交響曲の中でも傑作に位置づけられる作品である。
先に書いたようにカラヤンは1967年にレコーディングしているが、写真は、そのCDのリプリント盤である。エコー・インダストリーというところのもので、一時期、活気のないCDショップや本屋のワゴン、あるいはなぜかちょっと大き目のドラッグ・ストアなんかで売られていた。定価2,000円と書かれていながら1,000円以外で売られていたことはなかった。こんなリプリント盤に手をだしてゴメン……。私、いまで は反省してます。
この演奏を聴くと、整然としているが、それがあまりにも強く、私には楽しめない。でも、これがカラヤンという指揮者の演奏スタイルでもある。
そして、彼のモスクワ音楽院大ホールでのこの交響曲の演奏について、中川は「カラヤン帝国興亡史」でこう書いている。
《ショスタコーヴィチが終わった後の聴衆の熱狂ぶりにはすさまじいものがある(ライヴ録音され、現在はCDになっている)。実際、演奏もすさまじい。この曲が孕む狂気と絶望が、オーケストラの能力を超える推進力によって表現されている。破綻しそうになるのだが、そうはならない。絶望的なのだが、美しい。これこそが、カラヤンの音楽だった》
私はこのライヴ盤を聴いたことがないが、67年録音の演奏は(リプリント盤という影響も多少はあるのかも知れないが)そんなすさまじさはない。
そして、このステージのときに作曲者がカラヤンに言った言葉が、冒頭のものである。
ただし、中川はこう書いてもいる。
《演奏が終わると、客席にいたショスタコーヴィチは、聴衆の拍手を浴びながらステージに上った。カラヤンと話している写真はあるが、この作曲家がいつもそうであるように、本心を隠す、ぎこちない表情ではある。ショスタコーヴィチは後にオイストラフに「自分の交響曲がこんなにも美しく演奏されたのは初めてだ」と語ったという(もっとも、「美しい」がほめ言葉だったのかどうかは、この場合分からない)》
それにしても、カラヤンがショスタコーヴィチの交響曲の 中でも、なぜ第10番を気に入ったのか、不思議である。彼は「自分は作曲はしないが、もし、したとしたら、ショスタコーヴィチのような曲を書いたであろう」と語ったというが、その割にはレコーディングしたのは10番だけである。帝王は何思ふ……
なお、CDとしてはここではバルシャイ指揮WDR(ケルン放送)交響楽団の交響曲全集を挙げておく。
そういえば、LP時代に聴いていたキタエンコ指揮モスクワ放送so(メロディ)も、けっこうよかった……
中川右介著「
カラヤン帝国興亡史 ― 史上最高の指揮者の栄光と挫折」(幻冬舎新書)。
本書は著者の「カラヤンとフルトヴェングラー」(同)の続編に位置づけられるが、必ずしも先に「フルヴェン」を読む必要はないし、内容も「興亡史」の方が密度が高い。そう感じるのは、あるいは、より自分の生きてきた時代に近い話だからかも知れない。
それにしても、栄光をつかむためのカラヤンの努力はすさまじい。時として、その駆け引きは、滑稽でもあるし、ひどく憎たらしくもある。そして、良い悪いはともかくとして、そこまでして得た絶対的地位を失うことになる悲哀……
まあ、カラヤンに限らないことだが、芸術(クラシック)界っていうのは、驚くほど混沌としたブラックホール的世界だ。
地位と名誉と金……政治家と一緒である(政治家のことはよく知らないけど)。
ステージ上の笑顔や握手って……って感じになってしまう。
何にも考えないでバラの花びらを食いながら、交尾をしているコガネムシには想像できない世界だろう。でも、コガネムシは金持ちらしい、歌によると。
前にも書いたが、私はカラヤンの演奏が好きではない。
でも、なぜ好きでなくなったのだろう?
もちろん、カラヤンの権力闘争ストーリーなど知らないうちから、好きでなくなった。だから、彼の人間性がどうこういう問題ではない。
で、考えてみた。
一つは、中学生のときにテレビで流れた彼とベルリン・フィル(たぶん)の映像のような気がする 。
曲はベートーヴェンの第7交響曲だったが、オーケストラは通常のステージではなく、階段状のボックスのような中で演奏していた。それにひどい違和感を感じた。オーケストラは道具みたい。そういう印象が、私にアブノーマルな印象を植えつけた。
もう一つは、1975年頃の録音だと思うが、カラヤンの幻想交響曲のレコードを聴いたとき。
終楽章の鐘の音に、やはり強い違和感を覚えた。
この演奏の鐘の音は別撮りなはずである。別撮りが悪いとは言わない。そういう例はレコードでは少なからずある。
しかし、この音はひどく表面効果を狙ったものに思えた。除夜の鐘じゃあるまいし……
さらにはベームの存在。
カッコつけマンのカラヤンに対して、ウィーンのベームは地味ながらも、本当に音楽のために生きているような印象があった。カラヤンよりもベームの方が音楽性は高い、と勝手に思い込んでしまった私。もっとも、そんなにベームの演奏を聴いていたわけでもなかったが……。
ただし、本書でも触れられているが、ベームだってなかなかな爺さんではあったのだ。
カッコつけマンという点では、バーンスタインに対しても同じ思いが私にはあった。ただ、カラヤンは計算づくのポーズだったかも知れないが、バーンスタインは自然発生的にパフォーマンスをしてしまうようだ(ついでに言うと、彼の両刀遣いっていうのは、私は嫌だ)。
こういう些細なことで、私はカラヤンの演奏を敬遠するようになった(と思う)。些細なことの積み重ねで不仲になるなんて、恋人みたい。もしかすると、私、本当は彼を愛していたのかしら……?
本書はカラヤン君臨時代のクラシック界の勢力マップを知る上でも、またレコード会社の契約の問題などを知る上でも、ひじょうにおもしろい本である。
ぜひお薦めしたい。
新しいTREviewになって、何とか私もその新しい流れに参加することができたが、やっぱり完璧と言えない。
それでも、最初は大いにとまどったものの、何とか解決したことをここに書いておく。以下に述べる私の体験が、迷える子羊たちの道しるべになれば幸いなるかな。
って、なんだよ、そんなことでとまどったのかよ、なんて言わないでほしい。
まず、最初につまづいたのが、トラックバックしたのにランキングに反映されないという点。
奥ゆかしい私は「すばらしい」とか何とかの☆印の評価バナーを貼り付けなかったが、これを貼り付けないとダメらしい。実際、そう書いてある(最初っから読めよ!)。
あくまで、セットで貼り付けなきゃだめ。
それと、「あなたの記事にバナーを貼り付けるだけ」って、すっごくあっさり風味で書かれているが、これを貼り付けるには投稿画面をHTML編集画面に切り替えて貼り付けなきゃだめである。えっ?常識?私には専門知識に思えるけど……
それから、この1対になっているトラックバックと評価バナーだが、一つの投稿記事に固有のものとなる。だから、一度貼り付けたものをコピーで別な記事に貼り付けてはダメである(トラックバックと評価バナーがアンマッチとなる)。あるいは対になっていても、別な記事で貼り付けたものをそっくりコピーして貼り付けてもダメである(たぶん)。
もう一点。これはいまだによく解らないのだが、トラックバックと評価バナーをきちんと貼り付けても、どうやらポイントがゼロのままなら、カテゴリー別ランキングに表示されない。
これまでのTREviewではポイントがゼロでも、参加し受理(承認)されたものは一覧に表示されたが、そうではなくなったようだ。
私の「花」のカテゴリーで投稿した記事が、いまだに行方不明。マイページで自分の「花」のカテゴリーでの順位を見ても、とっても冷たく「―」が表示されるだけである。きっと全国のみんなが私のこの記事の存在にまったく気づいていないらしい。
もっとも、やっぱりトラックバックの仕方で間違いを犯してしまった可能性もある。
とはいえ、ポイントが入らなければ表示されないとなると、新規投稿記事が広く目に触れる機会は減ったことになる。
だんだん、自分の書いている文がくどくて腹が立ってきた。
とにかく、そんなところである。
過去の記事のすべてについて、トラックバックと評価バナーを貼り付けなおそうとしたが、結局は過去1ヶ月分でやめた。
その第1の理由は、張り付け替えた日が「投稿日」になってしまう。その日に30本も50本も投稿したことになる。これは気持ち悪い。迷惑メールみたいだ。以前のTREviewでは後日トラックバックしても、本来の投稿日が表示されていたような気がするけど……(←すでにもう覚えていない)。
第2の理由は面倒くさくなったのであるが、まああまり過去は振り返らないことにする。どうせ期待されている内容じゃないんだから……
ということで、悩める子羊たちよ!生ラムジンギスカンはお好き?
自ら「世紀末叙情主義者」という旗印を掲げていた吉松隆(1953- )の交響曲第4番Op.82(2000)。
彼の交響曲の中でも、特に全編にわたって優しげで幸せな雰囲気に満ちており、親しみやすいもの。
まさに世紀末に書かれた交響曲であり、当初の構想では重く暗いアダージョ交響曲になる予定だった。
では、なぜ全く違う作品になったのか?
作曲者曰く、
「ミレニアムの区切りに降臨した奇妙なミューズ(楽想の女神)の微笑みのせいだろうか、第3番という嵐の後の『谷間に咲く小さな花のような』間奏曲風で軽やかなミニ・シンフォニーのイメージがそれを押しのけて鳴り始めた。
それは新しい世紀に遊ぶ子供のイメージを持った、春の緑をたたえる小交響曲であるとともに、雑多な音楽の記憶を並べた音の『オモチャ箱』でもある。だから、この交響曲をひとことで言うなら、『パストラル(田園)・トイ(おもちゃ)・シンフォニー』ということにでもなるだろうか」
だってさ。イヤダっ、センセイったら、もう~、キザなんだからぁ~。
でも、作曲者の言うとおりなのだ(ウソは言わないか……)。
CDを買って最初に聴いたときに私が抱いた印象は、「うわっ、いいわぁ~!」って感じだったから。
吉松の音楽は印象主義、それもラヴェルの音楽に近い響きを感じさせるが、この曲は特にそれに接近している感じがする。
「オモチャ箱」だなんて、ショスタコーヴィッチ(の第15交響曲)を意識しているのかしら?
曲は4つの楽章から成っていて、吉松センセは以下のように解説している。
《第1楽章
アレグロ。さまざまなビート(リズム)とモード(旋法)の間を走り回る〈鳥〉の思考によるアレグロ楽章。少年時代の夢の中で、機会仕掛けの鳥、木彫りの操り人形、すましたお姫さまの人形、ブリキの兵隊たちとネズミたちなどなど、様々な玩具が春の田園を夢見ながら飛び回る》
ねっ、これを読むだけでワクワクしてくるでしょ?「〈鳥〉の思考」っていうのが、よくわかんないけど……コケコッコー(参考までに、私は小学生のときに家でニワトリを飼っていたことがある。名前はコケ太郎だった)。余計な口はさんですまん。
《第2楽章
ワルツ。歪んだワルツがひたすら堆積してゆくリズムの万華鏡としてのスケルツォ楽章。後半では過去のさまざまな交響曲作曲家たち(ベルリオーズ、ブルックナー、ショスタコーヴィチ、マーラー、ベートーヴェンetc)のワルツが乱舞しつつ織り込まれてゆく》
《第3楽章
アダージェット。ノスタルジックなメロディと甘いハーモニーによる後期ロマン派風の緩徐楽章。中間部とコーダには、遠い春の記憶がふと頭をよぎるように、ピアノによるオルゴールのメロディが走り抜ける》
《第4楽章
アレグロ・モルト。春を讚えてひたすら明るく軽やかに走り抜けるロンド風フィナーレ。鳥たちのパッセージと、幸せに満ちて春の野をスキップするようなリズムとが艶やかな饗宴を繰り広げ、最後は夢の向こうに消えてゆく》
という具合で、第2楽章なんかは「禁断の回顧特集~あの人は今?」みたいな感じ(何が禁断かどうかはわからないけど)。着想としてはベリオのシンフォニアを思い起こさせる(あんな病的ではないですが)。
第3楽章は、これまた吉松氏の音楽のキーワードの1つ とも言える“オルゴール”が登場(もちろん、本物のオルゴールが使われるわけではありません)。そして終楽章は、まさに「夢の向こうに消えてゆく」感じ。
この曲は2000年12月に完成し、公開初演は2001年5月29日、大阪において藤岡幸夫指揮関西フィルによって行われた。
CDはシャンドスから出ている(吉松は1998年にシャンドスの“コンポーザー・イン・レジデンス”の地位を得て、全てのオーケストラ作品をCD化するというプロジェクトが実行された)。
PMFオーケストラ(PMFO)の7月12日の演奏会(19:00~。キタラ)。
プログラムは細川俊夫の「『雲と光』 笙とオーケストラのために」と、メシアンの「トゥーランガリラ交響曲」。
指揮は準・メルクル。細川作品での笙は宮田まゆみ。メシアンでのピアノはピエール=ロラン・エマール、オンドゥ・マルトノは原田節。
2曲とも、オーケストラの演奏は私が期待していたものをはるかに上回るレベル。もちろんアンサンブルのちょっとした乱れのようなものはあるが、そんなものはプロ・オケにだってあるという程度。そして何より、このオーケストラには音楽に真っ向から取り組もうという熱気と、「こなしている」のではない、音楽を演る喜びが伝わってくる。
細川俊夫の「雲と光」は、笙のための協奏曲。ザールブリュケン放送局とPMFとの共同委嘱作品で、今年の4月に完成し、今回が本邦(アジア)初演とある。
この曲は弦楽群と、トランペットとトロンボーンが各1、ホルン4、パーカッション2名という編成。笙という楽器の珍しさという想いが私にはあったが、曲が始まると、弦楽群から紡ぎだされる様々な表情に引き込まれてしまった。その音はときに木管的であり、あるいは中性的な響きである。それがささやいたり、呼びかけあったり、ざわめいたりする。もう一度聴いてみたい作品である。
メシアンの演奏は、始まってすぐに「勝負あった!」というもの。もちろん良い意味で。すっごく良い意味で!
この曲の決定的名盤としてチョン・ミュンフンのCDがあり、 私もそれを愛聴しているが、PMFOの演奏は、実に生命感に溢れている。これを聴くとミュンフンの演奏がとても優等生的な最大公約数的演奏に感じてしまう。
もちろん、こう感じるのは生演奏であるということもあるが、こういった大編成の曲は、逆に生の方が再生音より物足りなく感じることも多い(だって、ボリュームつまみがないのだ)。ところが、キタラの大ホールが一回り狭くなったような密度の高い豊潤な響きが空間を埋め尽くす。オンド・マルトノの音もCDでは聴き取りづらかった部分まで耳に届く(これは視覚が大きな役割を果たしているが)。
ちょっと粗いかなと思うところもあった反面、これこそが生の躍動感、愛の叫びに相応しい。
CDではしばしば聴き飛ばしたくなるちょっぴり退屈な楽章も、すべてが素晴らしい。退屈させられることはまったくなく、すべての楽章がもつさまざまな魅力を突きつけられた。官能、色気、歓喜、法悦……それらに吸い込まれた80分であった。
そして準・メルクル。
初めて彼の指揮する演奏を耳にしたが、かなり良かった。はつらつとした機敏な動き。しかし、決して自らは音楽に溺れてしまわない。
そのメシアンの「トゥーランガリラ交響曲」。かつて私は本稿でミュン フン盤を推薦した。その気持ちはまだ変わらないが、昨日の体験を踏まえて、別な視野から聴きかえしてみようと思っている。私がこの作品に抱いていた先入観のようなものを一度リセットして……
なお、許光俊編著の「絶対!クラシックのキモ」(青弓社)では、この曲の推薦CDとして「ケント・ナガノ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団以外。うまいがあまりにきまじめで解放感のかけらもないこの演奏以外なら、ほとんどどれでもいい」と書かれている。
繰り返すが、昨夜の演奏を聴いてしまった今、ミュンフン盤に対しても私は同じように感じてしまっている。
あぁ、罪深い人、メルクル様……
ところで同一プログラムで、今日(13日)の午後、札幌・芸術の森でも野外コンサートがある。私は野外コンサートは鑑賞に相応しくないと思っているので勧めないけど……
村上春樹の「
海辺のカフカ」では、シューベルトのピアノ・ソナタ ニ長調について、長々と語られる。語るのは“甲村記念図書館”で受付をしている大島さんである。主人公のカフカ少年に向かって、とうとうと話す。
村上春樹作品に出てくる音楽作品については、これまでも本稿で取り上げてきた。「海辺のカフカ」の中で出てくる作品についても、既に書いている。
ところが(ってほどじゃないが)、先日片づけをしていたら、 雑誌「レコード芸術」から切り取っておいた記事が出てきた。2004年1月号からのもので、喜多尾道冬氏が書いた「村上春樹のシューベルト論」というものである(全4回。記事の写真を見ると解るが、当初は3回連載の予定だったようだ)。
たぶん、その頃に私は「海辺のカフカ」を読んだのだろう。でなきゃ、これを切り抜いて残しておくわけがない。まっ、切り抜いたこと自体を忘れていたのだけど……やれやれ
そこには、村上春樹が「ステレオ・サウンド」誌にこのソナタに関する長文のエッセーを寄せており、その中で彼の持っているこの曲の何種類ものディスクについて論評している、と書かれている。
ふむふむなるほど。面白い。
その前に、このシューベルトのピアノ・ソナタ第17番ニ長調D.850についてだが、この曲はけっしてメジャーな曲ではない。今から30年ほど前になる文章だが、渡辺学氏(昔、NHK-FMの番組でよく解説をしていたなぁ)は、この曲について以下のように書いている。
《1825年の3曲のソナタの最後のもので前作のイ短調D.845より約3ヵ月あとの作曲である。シューマンが「勇ましいニ長調」と評したように、明るく力強い楽想をもっている。ただこの曲ではシューベルトの気の向くままに自由に楽想を展開していったような感があり、第1楽章はよいまとまりをもっているが、第2楽章はそのために本来もってる旋律の美しさが、やや散漫になった気がする。スケルツォも気迫のこもった楽章だが、冗長さをともなうし、終楽章のロンドは前三楽章に比して軽々しく、その点全体の構成的な安定感にやや欠けるきらいがある》(レコ芸音楽史講座 ロマン派の音楽=上)
さて、この作品、村上春樹は「なぜか第17番のピアノ・ソナタは好きだ」というが、それぞれの演奏を次のように評している(□は村上氏の肯定盤。■は否定盤)。
■ブレンデル(1987年録音)、アシュケナージ(1975)
「楽章間のつながりが悪い代表例がブレンデルとアシュケナージの演奏だ。ガイドブックなんかでは、ニ長調の名演にこの2人の演奏を挙げる人が多いのだが、彼らの演奏のいったいどこがそんなにすぐれているのか、正直言って僕にはよくわからない」「ブレンデルの演奏は品の良い、知的な退屈さ」「アシュケナージは、特に第1楽章がいかにも内容空疎に聴こえる」
■リヒテル(1956)、ギレリス(1960)
「困るのはリヒテルとギレリスの演奏だ。この2人に共通しているのは、類まれなタッチで、ばったばったと弾きまくるところだ。音はきわめてクリアで正確、シューベルトのあいまいさは、戸口からきれいさっぱり、弁証法的に掃き出されてしまっている」
□ワルター・クリーン(1971-73)
「いかにも『これがウィーンだ』という空気。シューベルトを胸いっぱい吸い込んで、そのまますっと吐き出したら、こんな音楽が出てきました、という感じ」
□バドゥラ=スコダ(1993)
「ひとつの新しい世界が眼前に開けるような実感がそこにはある。ゆったりと音楽を聴いていることができる」
□クリフォード・カーゾン(1964)
「クリスプで正確なタッチ、わざとらしさのない簡潔なユーモア、長く着込んだ上等のツイードの上着のような心地よさ、柔軟な間合いの取り方、とりわけ緩徐楽章におけるいかにもたおやかな、優しい音楽の湛え方、どれをとっても一級品だ」
□リーフ・オヴェ・アンスネス(2002)
「深い森の空気を胸に吸い込んだときの、清新でクリーンな植物性の香りが、しっぽの先まで満ちている」
■内田光子(1999)
「彼女の演奏を取るか取らないかは、100パーセント個人の好みの問題。最終的には(僕は)取らない。演奏の枠の捉え方が、曲自体の生体枠に比べていささか大きすぎるような気がする。音楽の生活圏が、無理に拡大されているような雰囲気がある」
□ユージン・イストミン(?)
「べつのピアニストの演奏でこの曲に出会っていたら、これほど強くは惹かれなかったのではないか」
ちなみに、喜多尾道冬氏がこれらの中で評価しているのは、リヒテル、ギレリス、クリーン、スコダの演奏だが、村上春樹がイストミンに惹かれる理由として「演奏スタイルが明らかにアメリカの1950年代の雰囲気、村上春樹が強い憧れを抱いている50年代アメリカン・ドリームと重なっている」と分析している。
また、村上氏が「知らないかもしれない演奏」として、ギルバート・シュフター(1988)、トゥルーデリース・レオンハルト(1985)、イモージェン・クーパー(1987)を推薦盤として挙げている。
そんなこんなで、私は買ってしまいました。
アンスネス盤。 あの、横浜のタワーレコードに寄ったとき、C.P.E.バッハの受難曲と一緒に買ってしまいました。だって、Special Priceってシールが貼ってあったから……
輸入盤でEMIの50999 5 16448 2 6。2枚組でニ長調D.850の他に、ハ短調D.958、イ長調D.959、変ロ長調D.960が収録されている。録音は2001年から2006年にかけて。
で、聴いた感想。
まさに、さわやか!私も尻尾の先まで満ちました、何かが……(←深読み厳禁)
なお、喜多尾道冬氏はこの演奏について「エッセンスを水で薄めた感じで口当たりはいい。でも、僕にはちょっと水っぽすぎる。ハイサワーのような音楽」と評している。
それにしても、さすが村上春樹。音楽やその演奏を言葉で表すのってすごく難しいけど、すばらしい表現で書いている。ちょっと跳んだ例えもあるけど……
やれやれ、僕にはとても敵わないや……(←張り合おうと思っていたのか?)
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