読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行した「保存版」です。  いまは“新・読後充実度 84ppm のお話”として更新しています。左サイドバーの入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。  背景の写真は「とうや水の駅」の「TSUDOU」のミニオムライス。(記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

September 2008

断り切れず、明日は胃カメラ

 明日は朝から胃の再検査である。
 と、唐突に書かれても、今回初めてこのブログを目にする方もいらっしゃるだろうから、これまでのあらすじを記しておこう(余談だが、私は物心がついてからもしばらくの間「記す」のことを「きす」と読んでいた。別に欲求不満だったのではない。しかし、「しるす」と知ったのは物心がピークを過ぎた頃であった)。

 あらすじ

 《 8月初めに受診した人間ドックで、私は胃と胸部にアブノーマルな陰を発見される。私は再検査を丁重に固辞し、医師は「まっ、いいか」って感じまで説得できたのだったが、保健師を落とすことはできなかった。彼女は放置してはいけないと頑なに主張し譲らなかったのである。
 しかし私が固辞したのは根拠がないわけではなかった。
 まず胃であるが、これは「前庭部大弯」(いったいなんて読むのだろう……。それにしても、私の胃に前庭があるとは知らんかった)に潰瘍があるとかないとかである。実はこれについては、昨年も同じように引っかかっているのである。検診した場所は違うが、同じところで引っかかったということは、特定の医師や技師が私を陥れようとしていないことが分かった。そのため、昨年も胃カメラを飲んだのだが、潰瘍痕があるものの、異常はなかった。ついでにピロリ菌の住処になっていることは発見されたが……
 だから私は固辞したのだ。去年も同じように言われ、胃カメラを御馳走になりました。毎年毎年、そんなお心遣いは結構です、と。でも、職業意識に燃える保健師さんは許してくれなかった。
 胸部の陰影であるが、これは6年前に同じところが引っかかっており、再検査で異常がなかったところである。その後私は道外勤務で別な検診センターでドックを受けていたのだが、そこでは異常を指摘されたことはなかった。6年ぶりに札幌に戻ってきて、ここの検診センターで受診した結果、また指摘されたのだ。おそらく6年間の間、機器の清掃をしておらず、同じ箇所に陰が写ったに違いない。
 これも、医師は「何ともないだろーなー」と言ってくれたのに、保健師は許してくれない。彼女は何を生きがいにそんなに頑固でいられるのだろう?
 そういうことで、明日、まずは胃カメラを飲むことになった》

 なんと簡潔な「あらすじ」であろう。もう本文が必要ないくらいだ。

 胃カメラを飲むのは4度目となる。
 しょっちゅう飲んでいるわけではないのに、回を重ねるごとに飲むのに慣れてくるのは不思議である。
 最初のときなんか、ひどくオエオエしてよだれと涙でびちょびちょになってしまった。失禁しなかったのが不思議なくらいであった。
 でも、終始私の頭に手を添えていてくれた看護師さんのおかげでなんとか乗り切ることが出来た。あとから考えると、手を添えていたのは、苦痛でいつ暴れるかもしれない私を、いつでも押さえつけられるようにという臨戦態勢だったのだが……
 去年受けた病院(それが3回目であった)は特にスムーズに検査を終えることが出来た。たぶん腕がいいのだろう。ただ、「検査中は目を閉じないように」と言われた理由が分からない。その場に居合わせた検査技師や医師、看護師は、そんなに私の瞳の輝きを見ていたかったのだろうか?
 今年もその病院に行きたかったのだが、検査だけの予約はできないということなのであきらめることにした。

 今朝、明日の心得について読んでみて驚いた。
 夕食は18時までに済ませておくようにと書いてある。
 9時までなら暴飲暴食してもよいわけではないようだ。
 これでは人生が狂う(「今日の人生」分)。
 こうなると朝一番の予約が取れて良かったと思う。前夜の食事がそんなに早いのに、翌日の昼近くまで絶食するなんてことは、私には無理だからだ。そんなことしたら、空腹のあまり胃が自己消化し始めるだろう。
 検査が終わったあと、混みようによっては呼吸器科の方も受診してみようかと思う。呼吸器の検査は、検査だけの予約はできないシステムなのだそうだ。

 傷ついた胃壁をいたわるために、明日の夜はミノでもつつきながらビールを飲まな
ければならない。

ポンと蹴りゃ、ニャンと鳴く

 週末から今日にかけて、東北に出張に行ってきた。
 山形である。

 ずっと小雨が降ったり降らなかったりで、なんとも明 るい気分にはなれない天候。
 それはいいとして、一緒に行った部下が調べておいてく8631fc82.jpg れた天童市の蕎麦屋で昼に食べた「鶏中華」なる奇妙なメニューはひじょうに美味しかった。

 店の名は「水車」。
 「味も良し 生命も永く 水車そば 初め鶴々 後は亀々」というキャッチコピー。

 ここで、その「鶏中華」と板そば(これは2人で分けて食べた)をお召し上がりになった、私は。

 そばはとてもコシのある田舎風の太メン。とはいっても、田舎そばという語句はあっても、考えてみりゃあ、都会風そばって聞いたことはないな。おいしいが、初め亀々、後も亀々って感じ。
 そして、「鶏中華」であるが、これはこの店のいちc1e2b08c.jpg ばん人気のメニューだそう。
 つゆはソバだが、メンはラーメンである。
 もう少し厳密に、かつ、おおざっぱ、かつ、大胆に表現すると、めんつゆを鶏ガラスープで割ったスープのラーメンである。トッピングはかしわ(鶏肉)と天かすとのり。一見するとかしわそばのようだが、ラーメンである。
 これがうまい!
 ラーメンが現在のように「醤油」「塩」「みそ」というキャラクター別カテゴリーに分類される以前、すなわち、ラーメンと言えば「ラーメン」だった時代の、ラーメンの味のよう。
 これを食べると、今のラーメンはいかにメタボ系に進化してしまったかがよく理解できる。
 あっさりでおいしい。

21284067.jpg ここまで来たついでに、空き時間を利用して「山寺」に行ってみた。
 正式には「山寺 立石寺」。
 体が弱いにも関わらず、1000段だかの石段を登ってまいりました。
 「まあ、よく作ったなぁ」、と感心しながらも、頭の中は「山寺のおしょさんが……」の歌が“常動曲”状態。

 でも、帰ってきて調べると、「山寺の和尚さん」という手毬唄は東京のもので、山形は関係ないようa2a721c4.jpg だ。
 岩波文庫の「わらべうた」(町田嘉章、浅野建二 編)によると、

 《東京・長野・京都・広島・高知・大分とひろく分布するこの唄を、高知では、子供ずきで有名な越後の良寛和尚の山中の唄から歌い替えられたものとして伝承している》

とある。同書に載っている楽譜を掲載しておくが、とにかく山形の山寺は関係ないようだ。確かに毬つきをしている坊さんは見かけなかったし、怯える猫の姿もなかったし、お土産に手毬も売っていなかった。
 それにしても、いまなら問題になる動物虐待である。

 立石寺の段をほぼ登りきったところに、郵便ポストがあったが、毎日集配に来るのかと思うと、この地区を担当している郵政公社職員に同情してしまった。

 ということで、鶏中華は大収穫であった。



こんなところでも女性はハンディを背負ってる

 キタラにコンサートを聴きに行ったときにいつも思うのは、女の人ってたいへんだなぁ、ということだ。
 つまりはトイレの問題。前にも書いたような気がするけど……

 女性トイレから縄(“なわ”ですよ。“はえ”じゃないですよ)のように延びている空き待ちの列を見ると、心底同情していまう。
 先日のウィーン・フィルの演奏会の休憩時間のときもそうだった。
 休憩時間は20分だが、果たしてみんな用を足せたのだろうか?もし、並んでいる途中でチャイムが鳴り、おしっこができないまま、チャイコの5番を聴くなんて、私にはできないと思う。
 我慢しているということ自体が、より一層尿意を強くさせ、音楽に集中できなくなるのは間違いない。私の尿意は悲しいかな、そういうものなのだ。

 なぜそんなことを急に思い出したかというと、昨日札幌駅から新千歳空港に向かう途中、恵庭あたりで尿意を感じだし、それは栄養豊かな培地で快適な温度環境下に置かれたバクテリアの幾何級数的増殖のように急速に増し、千歳駅では膀胱から先(「先って何だ」ってそんなこと恥ずかしくて言えないわ)のあたりに痛みを覚え、南千歳に着く頃には、「あと数分だ。そしたらこの上ない排出の喜びが待っている。便器だって私を心待ちにしている」と精神力だけで耐え、新千歳空港駅に着いたら、外見では紳士的歩みながらも、心の中は滑降競技の選手のようであった。
 トイレで実際にすると、それは無色透明のいわゆる老廃物すら含有していないのではないか、蒸留水に近いのではないかと思えるほどの美しい尿で、しかも大量であった。ほんの40分ほど前に、札幌駅のトイレに寄ったのにである。特に大量の水分を摂ったわけではないのに、ビールだって飲んでないのに、これじゃまるで尿崩症のようだ。

 でも病気ではない。
 就寝中、夜中にトイレに行くことはまずない。別にトイレに行かないで、おねしょしちゃってるわけでもない。そんなことしたら、私は外に小屋を与えられて、そこで一生を過ごすことになる。昭和時代の飼い犬のように。
 だから私の尿意、頻尿感はたぶんに精神的なものなのだ。

 飛行機に乗ったときもそうだ。
 乗る前にトイレに行くが、それはしたくてもしたくなくてもである。搭乗して席に着き、上空で安定飛行になるまでの間に、耐え難い尿意に襲われたら困るからである。スチュワーデスさん(今はキャビン・アテンダントというらしいが、タバコの新銘柄みたいだ)に、笑われたくない。他の乗客から「しっこたれ」と言われたくない。
 着陸前30分になったらトイレに行く。
 もしも、着陸しようとしたが車輪が出ないトラブルに見舞われて、シートベルトサインが点灯したまま、ずっと空港上空で旋回なんぞされ続けたらたまらないからだ。
 でも、この時間にはたいていしたくなっている。しかしである。行ったあと、またすぐに行きたくなることも多々ある。いわゆる残尿感だ。困ったものである。

 何年か前に大阪フィルの第9を聴きに行ったことがあるが、このときはワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲をやったあと、休憩を挟まずに第9の演奏が始まってしまった。私にとっては重大な掟破りである。マイスタジンガー前奏曲の最後のシンバルがなった4分後に、尿意のピークをもってきていたからだ。
 いやいや、「歓喜の歌」が来る前に狂気に陥るのではないかとずっと心配して、第9どころではなかった(そのくせ終演後はトイレにも寄らずに1時間近くかけて帰宅しているのである)。

 キタラの女性トイレに話を戻すが、男性トイレの規模からいっても、女性トイレが狭いわけではないだろう。もちろん男性の小用便器と比較すると、設置できる数はかなり少なくなるだろうが……
 でも、やっぱり足りないのだろう。
 そういう余計なことを気にしないですべてを音楽に集中できるような配慮、女性トイレの増設ができないものだろうか?別にホール内でなくても、入場ゲートの外でもいいと思う(キタラの共有スペースにあるトイレはひじょうにスペースが小さい)。

健康維持もたいへんだ……

 健康維持をはかるのも大変である。

 私はいま、出張先のホテルの一室で、フロントでレンタルしたパソコンをいじりながら、「マルちゃん あつあつ豚汁うどん」と焼きたらこのおにぎりという、栄養士なら卒倒しそうな(妻なら罵倒してきそうな)朝食を摂りながら、自分の日々の努力について考えている。

 私は毎朝、起きるとすぐに水を一杯飲むことにしている。そのせいで、ほとんど毎日、起きがけのの血圧測定を忘れてしまうくらいだ。
 そのあとは寝ている間の悪夢のストレスから解放されるために、タバコを吸うことにしている。タバコを吸うと血圧が上がるから、もはや血圧測定は諦めざるを得ない。

 食事にも気を遣う。
 ご飯は炊きたてのものを食べる。前日の余りがあっても、それは子供に食べさせる。炊きたての熱いご飯で食道をやけどしないようにとの、子供に対する優しい配慮だ。
 粘り気のあるもの、昆布は体に良いとのことだから、両方の効果が期待できる「とろろ昆布」も食べる。しばしば醤油をかけすぎてしょっぱくなりすぎることもあるが、昆布対塩分で、最悪でも±ゼロだろうと、納得することにしている。

 食後もたいへんだ。
 健康維持・増進のために薬を飲まなくてはならない。心ない人(あえて誰とは言わない)は健康維持ではなく、病状悪化を防いでると言うが、仮に病状が悪化したら不健康になるのだから、それを防ぐことは、すなわち、健康維持・増進と言わざるを得ない。

 私の飲む薬の種類や量はなかなか豪勢だ。
 ブロプレス1錠(血圧に良い)、ベザトール1錠(中性脂肪に効果的)、ザイロリック(尿酸値を下げる定番)、ヨクイニン6錠(老人性いぼと戦ってくれる)、キューピーコーワ・ゴールド1錠(ビタミンを効率よく摂取)、亜鉛1カプセル(老いても元気)である。さらにこれで物足りなさを感じたときはザッツ21(胃薬)を3錠いただくことにしている。
 これで風邪をひいたときなんかは、デザートがわりにパブロンをいただくことになる。昔の漫画にでてきた宇宙飛行士の食事みたいだ。

 出勤するときも、いつなんどき、健康を損ねかけるかも知れないから、準備はしすぎるに越したことはない。
 「備えあれば憂いなし」
 昔の人は実に良いことを言ったものだ。
 「老いてますます元気」という言葉も嫌いではない。

 かばんの中には、
 ・ ボルタレン座薬
   (痛み止め。いつ尿管結石の発作が起きてもスマートに対処するため)
 ・ ストッパー
   (不意に襲う下痢にも水なしで対処。ただし、アロン・アルファのように瞬間的に効果が現れるものではない)
 ・ ロキソニン
   ( 予想もできない歯痛が起こったときのため)
 ・ タケプロン
   (耐えなれないほどの胃痛に襲われたときのため)
 ・ アレジオン
   (意に反して突発的にジンマシンが出てきたときのため)
といった薬が常に入っている。

 もし、心無い引ったくりが(心ある引ったくりなんていないだろうが)私のかばんを盗み去ったら、開けたときに「あぁ、オレは富山の薬売りを襲ってしまった」と嘆くに違いない。

 でも、私が持ち歩いている薬には、多少問題がある。あまり更新をしていないという点だ。これは、私の体が予想よりも丈夫で、薬を必要としないということにもなるのだが、中には何年も前の薬も入っている。こんなんでイザというときにはたして効くのか、たまに疑問に思ってしまう。
 特に座薬に関しては、酷暑の夏、極寒の冬を何度も耐え抜いてきている。容器の中で溶解したり固化したりを繰り返してるわけで、イザというときに満足に肛門に入るだけの強度があるか、とても心配である。崩れ去って、その勢いで自分の指が入ってしまったら嫌だわぁ。

 こんな感じで私は健康維持を図っている。
 今日は出張だが、もちろん薬は忘れていない。

 新千歳空港では「王華」という店で醤油ラーメンを食べた。苫小牧のラーメン店である。
 それにはとろろ昆布がトッピングされていた。
 しまった。これじゃあ昆布の摂りすぎだ。

 私は甲状腺が少し大きいという指摘も受けているのだ。
 海藻類の摂りすぎは甲状腺に悪いとも言われる。

 やれやれ。
 このように、運動を一切排除して健康を維持するのはなかなか大変である。

喜劇は終わった……

 変人コイズミを見ていると、こいつは罪深い男だと思う。
 本人はかっこつけているようだけど、要は形勢不利になってきたので逃亡しただけだ。

 総裁選では小池パンダを支持したが、おやおやコイズミ効果なんてちっともなく、おまけにクリームパンダの回収騒動なんかが起きてしまい、あらあらコイズミ大打撃。
 それに小泉チルドレンと呼ばれる無能の民たちが次期選挙で相手にされず流浪の民になのは明らかで、コイズミ教祖ももう責任とれない、厄介なことになるということで辞めたわけだ。
 これじゃ、ビューティフル・ジャパン安倍やボンビー福田となんら変わらない。
 それどころか、この「泥棒かささぎ」みたいな格差社会を作ったのはコイズミだ。

 いいだけ国をぐちゃぐちゃにしておいて、カッコよく辞めるなんてことがまかり通ってはいけない。マスコミはもっと冷淡に分析・報道すべきじゃないかなぁ。
 コイズミに期待して涙したバアサンは、今や乏しい年金生活で涙しているはず(表現はイメージです)。
 ベートーヴェンは死ぬ時に「諸君、喜劇は終わった」と言ったとか言わなかったとかだが、コイズミの場合は「そして、悲劇は始まった」というフレーズが続くって感じだ。

 ♪

 Windows Vistaのノート・パソコンに変えてからやや1カ月。
 インターネット、それもTREviewのときに、よくフリーズしちゃうのはなぜか?
 TREviewって、気づいたら画面のレイアウトが変わっていたり、集計がどんなタイミングか分からなかったり、そりゃあ私もレビュー記事を書いている当人だけど、私を含め数人が常連のようにランキングされているのは、かえって閉鎖的な感じがしてちょっと悲しい。それはフリーズとは関係ないけど。

 喜び勇んでReady Boost用にUSBフラッシュメモリを、いろんな容量、メーカーで試した。実のところ速度向上の実感はないんだけど、最終的にこれに使うUSBフラッシュメモリはSONYのLXシリーズの8GBのものにした。これを設定するとReady Boost用に約4.1GBが推奨で割り当てられる。搭載メモリが2GBなのでこんなに必要なのかどうかわからないが、忠実な羊飼いのごとく、私はVista様の推奨に従うことにした。

 昨日まではPrincetonの4GBのDualタイプというのを装着していた。読み書きがデュアルだから速いという、いかにも私のような中途半端な知識を持つ者の食指をそそるような製品だ。しかも、ブルーのLEDが私好み(SONYのLXシリーズはオレンジ色)。これに対してはVista様は3.8GBを割り当てよ、という指示であった。USBメモリのほとんど全部がReady Boostに割り当てられても専用にするからいいんだけど、なんか余裕が欲しい。
 で、SONYの8GBと、同じPricetonの8GBのどっちが効果的でしょうと、またもやビックカメラに参上し店員さんに聞いたら、「う~んSONYですかね。お値段もSONYの方が高いし」という、アキンドらしい立派な回答。で、SONYにしました。
 ちなみにさらにその前はSONYのLXシリーズの2GBを差し込んだのだけど、このときは1.9GBがReady Boostに割り当てられた。
 ネットで調べると、搭載メモリの2~3倍の容量設定が望ましい、とか、3GB以上の設定は意味がないとか書かれてあるが、詳しいことはよく分からない。
 まあ、私といたしましては、よく分かんないけど最終的に8GBのUSBメモリを使い、約4GBが割り当てられたということで、無駄はあるのかも知れないけど、手打ちすることにした。この製品のLEDの色はいま一つ気に入らないけど(やっぱりブルーかグリーンがいいな。LXシリーズは容量にかかわらず、同じオレンジのLED)、高速らしいから(この製品には転送速度の理論値が明記されている。他者の製品は従来品との時間の比較だったりして、速度に関する表記はまちまち。まあ、使用環境によっても異なるだろうから、理論値を明記してもあまり意味がないのかも知れない。でも、理論値は嫌いではない、私は)。
 この2週間ほどでウチのUSBフラッシュメモリの数は、ウチにある印鑑並みの本数になってしまったわい。
 そうそう、事実かどうか知らないけど、ハブ経由で使わない方がいいって、元気なノリのBICマンが言ってました。

 ということで、私、これから東北に出張してきます。

ロッシーニ in ねじまき鳥 3

 村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」(新潮文庫)は次のように始まる。

 《 台所でスパゲティーをゆでているときに、電話がかかってきた。僕はFM放送にあわせてロッシーニの『泥棒かささぎ』の序曲を口笛で吹いていた。スパゲティーをゆでるにはまずうってつけの音楽だった。
 電話のベルが聞えたとき、無視しようかとも思った。スパゲティーはゆであがる寸前だったし、クラウディオ・アバドは今まさにロンドン交響楽団をその音楽的ピークに持ちあげようとしていたのだ。しかしやはり僕はガスの火を弱め、居間に行って受話器をとった。新しい仕事の口のことで知人から電話がかかってきたのかもしれないと思ったからだ。
 「十分間、時間が欲しいの」、唐突に女が言った》

 この本を初めて読む人、いや村上春樹の小説に接するのがこれが初めてという人ならば(私がそうだった。私が最初に読んだ村上春樹の小説が「ねじまき鳥クロニクル」であった)、「なんておしゃれな日常。トレンディーな流行追求型ストーリーが展開されるのかな」と思うかも知れない。
 ところがどっこい、この先やっぱり井戸は出てくるし、向こうの世界も出てきて、どっぷりと重いストーリーとなる。

 G.ロッシーニの歌劇「泥棒かささぎ」は1817年に初演された2幕からなるオペラ・セミセリア。ドービニとケニエの合作悲劇から、G.ゲラルディーニが台本を書いた。
 オペラ・セミセリアというのは、オペラ・セリア(正歌劇。神話や古代の英雄物語を題材とする)とオペラ・ブッファ(オペラ・セリアの幕間喜劇。漫才的要素を多く含む)の中間に位置するもので、18世紀にフランスで流行した「救出物語」をルーツとする。その基本は、当時の社会の背景にあった身分の差によって弱者が不当な罪を負わされ、最後には救われるという流れである。

 「泥棒かささぎ」は、兵役中の恋人ジャンネットの屋敷で女中として働くヒロイン、ニネッタが、ジャンネットが帰ってきた日の夜に屋敷の銀食器が無くなってしまったために、その犯人にされ捕まってしまう。代官は自分の愛を受け入れてくれるなら助けてやろうとニネッタに迫るが、ニネッタは死刑になるほうを選ぶ。しかし、実は犯人はカササギだったことが分かり、ニネッタの無罪が証明され、ジャンネットに熱く抱かれる、というストーリーである。
 ここでは、身分の低いヒロインが権力者である代官に圧力をかけられるが、最後は救われ喜びのうちに幕が下りる、という構図になっている。しかも、真犯人はカササギと設定されたことで、観客にも精神的な不快感を与えないようにしてある。

 カササギ(鵲)はカラス科の鳥で佐賀県の県鳥になっているという。私が住む北海道にはほとんど生息していないらしい。別名はカチガラス、コウライガラスである。体長は50cm弱、体調は良くない(私の)。

 女性からの電話と言えば、今から15年ほど前のことだが、私が朝起きると家の電話の留守番メッセージのランプが点滅していたことがあった。この現象を科学的に説明するならば、誰かによって留守番機能にメッセージが録音されているということである。
 この日は妻とまだかわいらしかった幼児の子供は、妻の実家に帰省中であった。
 私は妻からのお小言だと思いながら再生してみた。

 泣きすする息の音(たぶん鼻の音ではないと思う)。
 そして若い女性の声。「昨日の朝、見かけました(ヒクヒク)。けど、あなたは私を見てくれませんでしたね(メソメソ)。ひどいです、こんなに好きなのに(シクシク)」というものだった。
 冷静に考えれば、このような状況で最も可能性が高い正解は、間違い電話である。次に考えられるのは妻の陰謀である。

 しかし私はそのようなことを考えなかった。
 というのは冷静でなかったからだ。天女の気分だった。瞬間記録ながら、鼻の下が背中ぐらい伸びたかも知れない。
 昨日の朝の一連の行動を詳細に思い出そうとしている男がいた。もちろん私のことである。
 あそこを通って、電車に乗って、あの道を歩いて……。
 いったい、どこで見られていたのだろう?この声は誰なのだろう?どこかで聞き覚えのあるような気がしないでもない。あぁ、きっと私は自分でも気づかない魅力のせいで、自分の気づかないところで、かわいらしい女性を恋に落としてしまったのだ!なんて罪深い僕!(←“しもべ”ではない)
 朝の出勤時には必要以上にキョロキョロと周囲に注意を払った。電信柱の陰で明子姉ちゃんのように涙を流しながら私を見ている女性がいないか、さりげなく見渡した。
 果たしてあの女性は誰なのか?この考えは7時間ほど続いた。
 その晩電話が鳴った。彼女に違いない。私は“彼女”にどのように接しようか悩みながら受話器をとった。心臓は電気刺激が与えられたかのように、収縮拡張を必要以上に繰り返した。

 受話器を取る。
 「うぅぅ…………アイシュくりぃむぅ」
 幼児の息子が乳児のようにわけの分からないことを言ってきただけであった。
 その晩、二度と電話は鳴らなかった。
 翌日も……。
 当時、ナンバーディスプレイが普及していなかったことが悔やまれる。
 私はいさぎよく、間違い電話だったことを自分の心に認めた。

 だけどさぁ、こんな間違い電話するなよなぁ。しかも、しくしくメッセージを留守録に入れるなよなぁ。もしこれが、妻がいるときだったら、私はニネッタのように無実の罪を着せられ、死刑以上のものを課せられるところだった。逆に言えば、妻がいないときという見事なタイミングだったから、妻の陰謀説が未だに囁かれているのである(私の右耳の奥で)。

 ところで「ねじまき鳥クロニクル」の最初に村上春樹が「泥棒かささぎ」序曲を使っているのは、主人公の日常の様子をリアルに表現するための単なる道具としてだろうか?別にパスタ=イタリアということからすれば「ウィリアム・テル」序曲でも「セヴィリアの理髪師」序曲でも構わなかったのだろうか?

 どうも違うような気がする。
 歌劇「泥棒かささぎ」にある身分の違いは、主人公オカダトオルと妻の兄であるワタヤノボルの“生きている世界の違い”を暗示しているのではないだろうか?
 オカダトオルは無実の罪は負わされないまでも、ワタヤノボルの圧力を受けざるを得ないのである。義兄によって妻は奪い去られるのである。
 カササギは“ねじまき鳥”そのものを重ね合わせており、小説ではいま一つその存在意義が分からないこの“ねじまき鳥”は、「泥棒かささぎ」の筋と照らし合わせると、オカダトオルの妻・クミコを盗んでいった役割を果たしているのかも知れない(象徴的な意味で)。

 また、「泥棒かささぎ」序曲は、2つの小太鼓の連打で始8771e290.jpg まるが、これは処刑を暗示している。つまりニネッタの処刑である。小説でオカダトオルがこの音楽を聴いているということは、クミコが処刑される(自分の手の届かないところへ行ってしまう)ことを予言しているのかも知れない。
 なお、オカダトオルは“向こうの世界”でも「泥棒かささぎ」を耳にすることになる。暗いホテルの廊下を歩いているホテルのボーイが、この曲を口笛で吹いているのである。

 紹介するCDはロジャー・ノリントン指揮ロンドン・クラシカル・プレイヤーズのもの。1990年録音。CDそのものは「ロッシーニ オペラ序曲集」である。“レコード芸術”誌の推薦盤にもなった(といっても、古(いにしえ)のような権威はないけど)。EMI-TOCE13232。1,300円。タワー・レコードのネット通販で取扱い中。

 って、私、無意味な深読みをしているのでしょうか……?
 それとも皆さん周知のこと?

Oh! Japanese!!

 外山雄三(1951- )のヴァイオリン協奏曲第1番(1963)。

136cd922.jpg 外山雄三と言えば、近年では指揮者としてのイメージの方が強いが、何といっても「おぉ、JAPAN!」と強烈に思わざるを得ない「ラプソディー」(1960)を書いた、その人である。

 「ラプソディー」は日本民謡を露骨に使った管弦楽曲で、1960年のNHK交響楽団海外公演のアンコール用ピースとして作曲された。すごく親しみやすいが(だってソーラン節だのなんだのが出てくるのだ)、聴いていてちょっと恥ずかしくなる音楽でもある。

 その点、ヴァイオリン協奏曲は、基本路線は「ラプソディー」と一緒だが、より洗練されている。
 で、けっこう耳に焼き付いてしまう音楽だ。
 この協奏曲は、当時N響のコンサート・マスターだった海野義雄の依頼によって書かれ、1963年に初演されている。同年の尾高賞に選ばれ、翌年のN響定期に取り上げられた。

 海野義雄なんて懐かしい名前……
 悪いことしちゃって、どこかに消えちゃった……

 ずっとCDが出ていなかったのだが、今は「日本のヴァイオリン協奏曲名作選」というタイトルの廉価盤で聴くことができる。海野義雄のヴァイオリン、外山雄三指揮NHK交響楽団。

 札響が初めて海外で公演した1975年。このときのプログラムにはこのヴァイオリン協奏曲が入っていた。こういう「珍しい曲」を披露するのが海外演奏旅行のパターンになっていた感じだった。

 なお、外山は1966年にもう1曲ヴァイオリン協奏曲を書いている。したがって、1963年のものは「第1番」ということになる。

ウィーン・フィル札幌公演を聴いて

4c151e48.jpg  昨日(2008年9月22日)19時から、札幌コンサートホールKitaraで行われたリッカルド・ムーティ指揮ウィーン・フィルの演奏会を聴きに行った。

 もともとはこのコンサートに行く気は全然なかった。
 プログラムが、
 ① ロッシーニ/歌劇「セミラーミデ」序曲
 ② ストラヴィンスキー/バレエ「妖精の口づけ」組曲(1950年版。4曲)
 ③ チャイコフスキー/交響曲第5番
という、私にとってはただでさえ入手困難なチケットを苦労して取ってまで行こうとは思えるものではなかったのだ。

 私はそんな感じだったのだが、会社の音楽好きな人に頼まれ、私の仕事のつてで、その彼のためにチケットを取ってあげていた。ところが、先週金曜日になって、彼が急に出張が入ってしまい行けなくなった。頼むから代わりに行ってくれ、と私にチケットが譲られてきたのである。

 天下のウィーン・フィルである。音楽好きならこういう機会に恵まれたことをウホウホと喜ぶのだろうが、なんか面倒だなぁって感じで足を運んだ。でも、こういうあまり期待してないときって、大当たりしちゃったりもする。しかもムーティとVPOである。

 ウィーン・フィルを聴きに行くのだ。
 コンサート中に「おなかが鳴ったらどうしよう」と、周囲への心配をしなくてもいいように、珍しく夕食を食べて行くことにした。
 相手はウィーン・フィルである。私が選んだディナーの店は、札幌駅近くのラーメン店であった。なんも考えていないミスマッチ。
 醤油ラーメン700円。しかも、老舗の有名店だが、こんな味だったかなぁという感想。

 開場の5分前、18:25にKitaraに着く。ロビーは大混雑。なんであんなに並ばんきゃならんのだろう?
 あと、どうでもいいといえばいいのだが、札響のときもそうなんだけど、中途半端な(と私には見える)和装の女性が何人もいるのはなぜなんだろう?

 開演になってオーケストラ・メンバーがステージに現れる。
 感心したのは、全員が出揃うまで着席しないこと。出揃ったのを見計らって、コンサート・マスターの合図で着席、チューニングを始める。
 比較するのは間違いなのかも知れないが、開演のずっと前から、ほぼ全員がステージ上に着席し、最後の「おさらい」をして会場内に騒音の嵐を巻き起こしているPMFオーケストラとは雲泥の差がある。
 いくら学生オケの発表の場だからといって、実際の演奏の前に騒音で聴衆の耳を汚すのはいただけない。そのせいでアナウンスだってまったく聞えない。言っていることは「撮影禁止」とか「携帯電話の電源を切るように」というお決まりの内容だが、それが聞こえないせいでカメラのストロボが光ったり、携帯電話が鳴る、っていううっかりミスが起こる何割かの原因にはなっているかも知れない。

 ウィーン・フィルはチューニングもあっという間に終わった。オーボエの音で合わせもしない。
 ムーティが登場する。登場して演奏に入るまでも早い。

 1曲目のロッシーニ。
 鳴りだしてすぐに、あぁこれが世界最高の一つの音なんだ、と思った。予想は十分していたが、響きの厚みや質感が違う。それはミュンヘン・フィルなどを聴いたときも思ったが、ウィーン・フィルの音はとても柔和だ。
 管楽器がソロ的に主要なメロディーを受け持つときには、まるでその奏者にスポット・ライトが当てられ、指向性の高いマイクで音を拾ったかのように、音が客席に迫ってくる。そしてオケ全体として鳴るときには、瞬時に集合体としてひと塊りになる。まるでウルトラホーク1号のようだ。ピッコロは音域の特性上もともと目立つが、特にフルートの音があれほど前に出てくるのには驚いた。
 メンバー全員が喜びながら演奏している感じだ。別にみんながニタニタしながら弾いているのではないが、演奏を楽しむという余裕が伝わってくる。

 1曲目の拍手が終わり、2曲目のためにムーティが出てくるのも早い。
 2曲目はストラヴィンスキー。
 私はこの曲を聴くのは初めて。
 バレエは1928年に作曲されている。チャイコフスキーの主題に基づいているとされ、当夜のメイン・プログラムであるチャイコフスキーの交響曲第5番につながっていくプログラム構成。1928年といえばストラヴィンスキーが「新古典主義」を宣言した年である。
 むずかしいリズムが散りばめられているのが聴いていてわかるが、これも余裕のよっちゃんで弾かれていく。オケの底力が分かる。曲もとても良い。CDを買わなきゃ。

 さて、メインのチャイコフスキーの5番である。当夜のプログラムでは私がもっとも期待していたものでもある。
 曲が終わり、スタンディングが起こるほど聴衆は興奮した。
 すごいパワーの演奏だった。乱れもない演奏だった。名演だったに違いない。
 しかし、勇気をふるって言うなら、私にはピンと来なかった。
 鳴らすときの音のパワーはすごい。第2楽章も美しく歌われる。第3楽章のワルツもとても優雅だ。終楽章でも乱れはなく、堂々と終わった。
 でも、どこか違和感を感じた。チャイコフスキーの曲らしく聴こえなかった。
 もっと陰があるのがチャイコフスキーなんじゃないだろうか?ムーティの演奏は豪華で健康すぎはしないだろうか?すばらしい演奏には間違いないが、心に沁み入る演奏とは、私には思えなかった。

 ところで、第2楽章から第3楽章にかけて、一匹のハエが私の周囲を飛び回っていた。ウィーン・フィルのただ聴きとは、大した度胸である。って、なんでホール内にハエがいるの?
 こいつは、私のズボンや腕にも何度かとまったが、今日の私は臭いのだろうか?ラーメンのせいだろうか?それとも私に温もりを感じるのだろうか?と考え込んでしまった。だからといって、それで聴くのがおろそかになったわけじゃないけど。

 第3楽章の後半になると、私の右隣りの女性、私より10歳くらい上と思われる初老の女性が(ということは、私も10年後には初老になってしまうということだ。初老にならないためには、この先10年の間で「まだ働き盛りで若いのに」と言われるうちにあの世に行くしかない)ワルツのリズムに合わせて頭でリズムを取り始めた。真横だからまだ救われたが、女性の後ろの方にいた聴衆はいい迷惑だったろう。さらにその隣の女性(初老の女性の知り合いらしい)も、同じく頭でリズムを取り始めたが、2人の頭の振り方がずれているのである。まさか強拍と裏拍を分担しているわけじゃないだろうが、いい気持になるのは分かるけど、周りにとっては相当迷惑だ。後ろの座席の人たちは壊れたやじろべえを見ている心境になっただろう。

 アンコールでヨーゼフ・シュトラウスをやったが(曲名は知らない)、5番のあとには合わない気がした。まぁ、ウィーンだから、最高のサービスなんだけど。

 この席、実際に買えば32,000円。私が自分のためにチケットを入手して行ったとしたら、あぁこんなに投資するんじゃなかって、落ち込んだかも知れない。

 

セレナードから交響曲への格上げ

 W.A.モーツァルト(1756-91)の交響曲第35番ニ長調K.385「ハフナー」(1783)。

 なんと健康的で、若々しさ、幸福感に満ちた音楽だろう!

 私が札幌交響楽団の定期演奏会に足を運ぶようになったのは、1973年12月、第133回定期演奏会からであった。当時は定期会員のことを「札響友の会」と呼んでいて、私もC席ながら、「友の会」に入り会員証をもらった。ただ紙のカードにボールペンで座席番号が記入されているだけのものであったが、妙にうれしくてそのためにわざわざパスケースを買って、それに入れて持ち歩いたことを思い出す。
 「友の会」に入って2回目の演奏会、134回定期の2番目のプログラムが「ハフナー」であった。ただ加入している一人に過ぎないが、「友の会」という学校以外の集団の一員になったという、ちょっぴり自立した気持ちがあいまって、「ハフナー」は私にとって青春、いや「前青春期」の嬉しさがのようなものとリンクした作品の一つである。

 134回定期は、いま思えば客席が独特の熱気に満ちていた。
 この日の指揮者は荒谷正雄だったのだが、久々に彼が札響の指揮台に立つということと、彼の還暦祝いの意味を込めた演奏会だったということで、歓迎ムードが高まっていたのだ。
 札響は1961年に誕生した。
 全国で第3番目の地方オーケストラであった。
 その初代常任指揮者が荒谷正雄。もともとはシゲティにも師事したことがあるヴァイオリニストだった。
 彼は7年間常任指揮者を務め、そのあとはバンベルク交響楽団の首席チェロ奏者だったペーター・シュヴァルツが常任となる。1970年からである(その間、山岡重信が常任ではなく兼任という形で札響とかかわっている。また、シュヴァルツは最初は常任の立場でなく、フリーな立場で札響を振っていた)。
 したがって、私が「友の会」会員になったときには、すでにシュヴァルツ時代であった。

 私は荒谷正雄がどういう人であるか当時は知らなかった。
 しかし、先に書いたように、あの日の歓迎ムードは、札響創設時からオーケストラを応援してきた聴衆たちの期待の大きさだったのだろう。
 「ハフナー」を耳にするたび、あの晩の札幌市民会館の雰囲気、そして興奮して力強く拍手していた斜め前の席のオバサンの横顔を思い出す(もう死んだかしらん?)

 ♪

 モーツァルトのところに父レオポルトを介してセレナード作曲の依頼があったのは1782年のことであった。
 ザルツブルクのジークムント・ハフナーⅡ世の爵位授与式のための祝祭音楽を書いてほしいというものであった。
 モーツァルトはその前にもハフナー家のためにセレナードを書いている。「ハフナー・セレナード」と言われる「セレナード第7番ニ長調K.250(248b)+行進曲ニ長調K.249」で、1776年にハフナー家のマリー・エリーザベトの結婚に際し、その前夜祭で演奏するための作品である。
 1872年に書かれた第2の「ハフナー・セレナード」は、多忙の中で筆が進められたため、出来上がった楽章から父宛てに馬車便で送られた。7月27日に「最初のアレグロ」を送り、7月31日には「2曲のメヌエットとアンダンテ、および最後の楽章」を父に約束している。8月7日には「ここに短い行進曲を同封します。全部が間に合ってあなたのもとに到着することだけを願っています」と送っている。こうして、6つの楽章から成るセレナードが完成した。
 
 翌73年になって、モーツァルトは新しい交響曲を書く必要に迫られた。3月23日に開かれる彼のコンサートで演奏するためである。モーツァルトは第2の「ハフナー・セレナード」を交響曲にすることを考え、父に自筆譜を送り返してもらった。
 セレナードからメヌエット1曲と行進曲を取り除き、両端楽章にフルートとクラリネットのパートを書きくわえてできたのが、「ハフナー交響曲」である。
 なお、削除されたメヌエットは紛失されたとされていたが、ザスローの研究によると、手紙にある「2つのメヌエット」は「メヌエットとトリオ」を意味し、最初から1曲のメヌエットだけが書かれたと推測している。「行進曲」の方はニ長調K.408-2(385a)と呼ばれているものである。

 私は以前、この交響曲はてっきり最初のセレナード、すなわちK.250を抜粋、編曲したものだと思っていた。どうりでK.250のセレナードを聴いても、「ハフナー交響曲」の旋律は出てこないわけだ……。あぁ、勘違い、しくしく……

 第1楽章は、モーツァルトが父宛ての手紙で「まさに烈火のごとく進まねばならない」と書いたもの。はつらつとしていて、健康的な明るさにあふれている。
 第2楽章は、優雅な貴族たちの集まりを連想させるような音楽。
 第3楽章も健康さがあふれたメヌエット。札響第134回定期で、荒谷はこの楽章をアンコール演奏した。
 終楽章は堂々とした輝きに満ちたもの。「ジュピター」とはf625ad8b.jpg また違った貫禄がある。

 私がよく聴くCDはユッカ=ペッカ・サラステがスコッティッシュ室内管弦楽団を指揮した演奏。ちょっとマニアックに思われるかもしれないが、安いから買って聴いてみたら、けっこういけた、ってもの。VIrgin CLASSICSの7245 5 61451 2 2(輸入盤)。2枚組で他に32,36,39,41番がカップリングされている。毎度のことですまないが、現在は廃盤中のよう。

 なお、ユッカ=ペッカ・サラステの名は、決してエサ=ペッカ・サロネンの書き間違いではない。紛らわしいが別人である。サロネンの方が見た目もいいし、ちょいと有名だが、サラステはサロネンより2歳上で、同じフィンランド人。紛らわしくてすいません。って、私が謝るようなこっちゃないけど……

あまねく音楽にバッハは存在する by Schnittke

 アルフレッド・シュニトケ(1934-98・ロシア→ドイツ)の「イン・メモリアム」(1978)。
 この作品は母の追悼のために作曲されたものだが、実は1972年から76にかけて作曲された「ピアノ五重奏曲」の管弦楽版である(母マリヤ・ヨシフォヴナは1972年に亡くなった)。
 私は「イン・メモリアム」について、「生きざまを顧みる音楽」というタイトルで昨年投稿しているが、今回再度書かせてもらうことにする。そーいう気分だから。

 矢野暢は「20世紀音楽の構図 同時代性の論理」(音楽之友社)の中で、次のように書いている。
 《ところで、シュニトケの最高傑作がなにかについては、 衆目の一致するところ、それは『ピアノ五重奏曲』(1972-76)だという意見のようである。母の急逝を受けて、追悼のための作品として書かれたこの曲は、たしかに完成度が高く、そして心を揺さぶられるような奥深い音楽美を宿している。しかし、この曲を聴いた指揮者のゲンナジー・ロジェストヴェンスキーの勧めもあって、シュニトケは、この五重奏曲のオーケストラ用編曲と取組むことになる。そして、1978年に完成したのが、『イン・メモリアム』である。私は、原曲の『ピアノ五重奏曲』よりも、こちらの方を買う。20世紀音楽のなかに、きわだった存在感をもって位置づけられうるすぐれた作品であるといってよい。そして、この作品は、シュニトケの音楽が、ほぼそのころ、主体性に満ちたひとつの独自の世界を築くことに成功したことを物語りもするのである。》
26f1b771.jpg
 私もまったく同感である。便乗しているんじゃなくて、あるいは権威主義に迎合しているんでもなくて、もちろん実は私が矢野暢その人でもなくて、心底そう思う。
 個人的にジャンルとしてオーケストラ作品が好きだということももちろんあるが、オーケストレーションによって、この音楽の表情は格段 に輝きを増した。悲しい輝きを。

 曲の始まりからして、胸が焼けつくような音楽の予感を感じさせる(楽譜・写真上)。

 第2楽章はグロテスクな切ないワルツ。それは、人の生きざまは滑稽な踊りだと言っているかのようである。このワルツの旋律はシュニトケの言う「音楽における悪の表現は流行歌的なものをおいて他にないと思う」(A.イヴァシキン/秋元里予訳「シュニトケとの対話」:春秋社)というものなのかも知れない。

 第3楽章の混沌とした瞑想と悲痛な叫び。鼓動の刻7197daa1.jpgまれるリズム。突然のオルガンの強奏!宗教的な響きは安らぎか?恐ろしい審判か?

 第4楽章の繰り返し襲ってくる「何か」。第1楽章冒頭の旋律が破壊的によみがえる。

 第5楽章(終楽章)は一貫してオルガンが田園風の旋律を繰り返す。その上に、それまでの楽章に現れたさまざまな旋律の断片が回想される。最後に平安を迎えようとするときに、これまでの出来事が脳裏に浮かび上がるかのよう。死の直前に走馬灯のように思い出がよみがえるというのはこういうことなのか?最後はオルガンの音だけが消え入っていく(楽譜・写真下)。 

c3393b6c.jpg  シュニトケは「多様式主義」を自称した。
 その「多様式」が、心にとめどもなく浮かんでくる、懐かしさ、つかの間の日差しのような安らぎ、とらえどころのない不安、やるせない思い、正体不明の憂鬱、取り返しのつかない悔いといったイメージを見事に表現していく。聴き手に安らぎを与えてくれそうにしてはくれるが、それははかない努力に終わってしまう。

 CDはどちらも廃盤。


 シュニトケのちょとしたブームは、今やすっかり落ち着いてしまったかのような感がある。
 しかし、得体のしれないいろいろな歯車が同時にバラバラ39a8723d.jpg な向きで回転しているこの世の中、再びブームがやってくるのではないだろうか?

 シュニトケはこう言った。

 あまねく世界に神は存在し
 あまねく音楽にバッハは存在する

 人が曲を書く時、人は世界を作り出しているのである……
 
 表現に値しない音楽の素材など一つもない……

 生そのもの、我々を取り囲むすべてのものが、
 かくも複雑な様相を呈しているので、
 そのすべてを呼び出そうとするなら、
 我々はより一層誠実になるだろう……

 聞き手が何を理解し、何を理解しないかは
 聞き手自身の決定に委ねるとしよう。  (出典:同)

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