読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行した「保存版」です。  いまは“新・読後充実度 84ppm のお話”として更新しています。左サイドバーの入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。  背景の写真は「とうや水の駅」の「TSUDOU」のミニオムライス。(記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

November 2008

鋭利で醜悪?―ショスタコ/Sym15-Ⅲ

 D.ショスタコーヴィチ(1906-75)の交響曲第15番イ長調4f645b48.jpg Op.141(1971)の第3楽章について。

 まずは、毎回ご紹介している森泰彦氏の解説(エラートWPCS5539)。

 《第3楽章は、きわめて醜悪なスケルツォ。ふいごつきのドローンの上で、クラリネットが吹き上げる角張ったスケルツォ主題はまたしても12音列で、下行するときは丁寧に正確な転回形。「交響41b51c3e.jpg曲第5番」でと同様、17~32小節、53~72小節、98~126小節、147~168小節は、その直前の楽器の編成を変えたほぼ正確な反復で、スケル ツォのダ・カーポでは、反復の省略まで作曲されている。12音音列、マーラーのレントラー、打楽器アンサンブル、変拍子。さまざまな楽器のソロからなる手の切れそうな鋭利な音楽は、出発点と同じg音できっぱりと終わる》

 第3楽章、アレグレット、2分の2拍子は、第2楽章のから休みなく続けて演奏される。
 骸骨の踊りを思わせるようなスケルツォで、雰囲気的に第1楽章の主題をも思い起こさせる。前楽章のファゴットによるffの3音からアタッカで始まるこの楽章だが、いきなりクラリネットによって第1主題が吹かれる。これは上行する12音と続く下行する12音でできている(譜例14。掲載したスコアは全音楽譜出版社のもの。以下同様)。
6ad071c4.jpg  鋭いが、しかし気の抜けたようなトランペット、トロンボーンのファンファーレによってトリオ(中間部)に入る。ここでソロ・ヴァイオリンが新しい主題を弾く(譜例15。新しい主題は矢印の部分)。
 そのあと再現部に入るが、冒頭主題は管ではなく弦、それも中間部と同様にソロ・ヴァイオリンが主役となる。
 それにしても、この交響曲は楽器がソロで歌う部分がひじょうに多い。
 再現部は短いが、ここでは終楽章の終り、つまりこの交響曲全体の終りで執拗に繰り返される無機質な打楽器によるリズムの“予告”が行われる(譜例16)。この打楽器の不思議な刻印は、ショスタコーヴィチのメッセージのようなもので、第4交響曲やチェロ協奏曲第2番にも顔を出している。
 また、第3楽章自体もこのリズムで終わる(譜例17)。

a4bdfc33.jpg  ここでは、別なCDも紹介しておきたい。
 ショスタコーヴィチの演奏ではとても良いと私が思っている、ハイティンク指揮ロンドン・フィルによる演奏。
 15番の演奏も、良い意味で教科書的な整然とした演奏。スコアが読めない私が言うのはほとんどオオカミ少年的だが「スコアが見えるような演奏」である。録音も良好。
 
 面白いことに第3楽章のトラックは、第2楽章の最後の3小節、すなわちファゴットのffの3音から始まっている。確かに、この3小節は第2楽章というよりは第3楽章の性格が強いと思う。ただ、こういうトラック分けは混乱のもとかもしれない。
 DECCAの417 581-2(輸入盤)。国内盤もかつて出てい たが、現在は廃盤のよう。良い演奏なのになぁ。このCDには「ユダヤ民族詩より」も収録されている。

形勢一転!凱旋する半病人!

 昨日の朝に書いたように、私は採血のために病院に行った。
 8:30に行ったのに、すでに待合室は病人予備群でいっぱいであった。
 しかし、私は採血の予約をしている。つまり、ほとんど待たされずに呼ばれた。ちょっとした優越感……

 まずは体重を計る。
 65.2kg。何と素晴らしい!夏前には自己ワーストの67kgまで増量し、看護師にも軽蔑の眼で見られていた(ような被害妄想にかられた)のだが、なんとかこの2ヶ月ほどは65kg台まで戻した。私は長年63kgを維持してきたので(といっても、何かの対策を打っていたわけではない)、春先にスーツを買いに行った時に、A体からAB体に変えざるを得なかったときはショックであった。しかし、これならばまたA体で大丈夫だ。身長も174cmと縮んでいない。

 血圧も正常。
 採血をする。
 この場はこれで終わり。15時に結果を聞きに行くことになっている。

 昼は思いっきりマーボー豆腐ランチの大盛りでも食べようと思ったが、15時からの審判を前にヤケになってはいけないと思い、ちょっぴりチャーミングな盛り付けの(つまり量が少ない)弁当にした。

 そして、15時。
 医者に呼ばれる。

 ちらりと結果のシートが見えた。

 下がった!下がった!下がった!

 医者が「え~と、今回の結果は……」と言い出した瞬間に、私は待ち切れずに「下がりましたね!グレート!」と叫んでしまったほどだ。ただただ嬉しくて叫んだだけだったが、思い返すと反省点は多々ある。コブシをつけて演歌調に叫ぶべきだったのではないか、とか、歌舞伎調に威厳さを湛えて言うべきだったのではないか、など……

 今回の中性脂肪の値は350であった。正常値は149未満であるから、それに比べるとまだおつりがなんぼあっても足りないほどの高値だ。しかし、1ヶ月前の510という値と比較すると30%も減少したのだ。この間、西友で冬靴が20%OFFになっているのを喜び勇んで買った私としては、わけあり的に低い数字なのだ。

 医者「おぉっ!下がったね。ちゃんと2週間禁酒したんだね!」
 こうなると、気持も高ぶっているし、少しは素直になりたいという思いもあるし、禁酒令を解いて欲しいという切なる願いもあるので、私は目の前に骨をぶら下げられた野良犬のようにおだちながら言った。
 「いやぁ、それがですね、センセッ、なかなか禁酒は計画通り進まなかったんですよぉ」
 ほとんど友達言葉である。しかし、そのペースに医者も巻き込まれつつあるのが伝わってきた。
 「そうなの?じゃあ、それまでの飲酒量が10だとしたら、この2週間はどのくらいだった?」
 「う~ん、6ってところかな」
 さすがに私の冷静な思考機能が働いた。危うく正直に12と言いそうだった。
 「じゃあ、ほかに改善につながったと思うようなことある?」
 「センセッ、こういうことを言っちゃあ怒られるかもしれませんが、この2週間、毎日ヘルシア緑茶を飲みました」
 「ほほぅ」と頷き、彼はカルテに「ヘルシア緑茶」と記入した。
 「それから、DHAのサプリを飲みました」
 「ん~っ」
 おや、DHAはお気に召さなかっただろうか?それとも、正式な名前はDHCの勘違いだったろうか?
 医者は友達モードから職業モードに戻って言った。
3dd34922.jpg  「ヘルシア緑茶は薬と違って詳細なデータはないけど、今のところ副作用の報告もないし、続けたらいいかもしれないな。けどね、DHAは副作用の報告もある。だから、混ぜ物がないちゃんとした製品を選ばなきゃだめだ。それと、DHAは確かに血栓予防の効果はあるけど、直接中性脂肪を減少させるわけではないんだ。だから、無理に飲まなくていいよ。けっこう値段も高いだろうし」
 私は「単なるDHAではありません。EPAとナットウキナーゼも含まれているのです。信頼できる小林製薬の製品でもあります。それからα-リポ酸のサプリも飲んでます」と言いたかったのだが、この場はぐっと我慢して、それ以上反抗するのをやめた。
 いずれにしろ、彼には言えないが酒量がほとんど減っていないにも関わらず、値が改善されたのは、いまのところヘルシア緑茶の効果が大きいと考えられる。

 ヘルシア緑茶の350mlには茶カテキンが540mg含まれる。これは「ヘルシア緑茶」も「ヘルシア緑茶“まろやか”」も同じである。私は渋みが低い“まろやか”のほうが好きだが、これはどこにでも置いてあるわけではない。
 なぜヘルシア緑茶に目をつけたかというと、黒烏龍茶などは「脂肪の吸収を抑える」と書いてあるが、ヘルシア緑茶のほうは「脂肪を消費しやすくする」と書いてあったからだ。「吸収を抑える」となると、ビールを飲みながら交互に黒烏龍茶を飲まなくてはならないような気がする。しかし、消費しやすくするなら飲食しながら同時に飲まなくてもよいはずだ(シロウトの発想では)。だから、ヘルシア緑茶にしたのだ。ただ、消費された部分はどのように放散されているのか謎だ。便の中性脂肪含有量が高まるのだろうか?

 じゃあ、茶カテキンって実際のところどのような効果があるのか?
 蒲原聖可の「サプリメント小事典」(平凡社新書)で「カテキン」を調べてみると、これは緑茶に含まれるポリフェノールの一種で抗がん作用が期待されるという。特に中性脂肪を下げるとは書いてない。しかし、販売者である花王のホームページには脂肪低減のデータが掲載されている。中性脂肪のみならず、コレステロールも下げるようだ。

 いずれにしろ、私は12月24日に控えた次回検査のために、これを飲み続けてみることにする。それから、残っているDHAとα-リポ酸も。
 なお、緑茶は胃腸障害や不眠を起こすことがあるが、それはカテキンのせいではなくカフェインのせいである。だから、そういう人はカテキンのサプリメントを飲めばいい。

 あぁ~、なんて言うかぁ~、すっごくぅ、ヘルシーになったキ・ブ・ン!

 追記)甲状腺の血液検査の結果も異常はなかったが、CTの結果と合わせ何とかという病名がついた。ただし、1年に1度の確認検査だけでよいことになった。

言い訳がみつからない……

 今日はかかりつけの医者のところで血液検査をする日である。
 いつもは2ヶ月に1度なのだが、前回、中性脂肪の値がまったく落ちる傾向がないため、2週間完全に酒を抜いて再検査することになったのだ。

 2週間。
 つまり、14日から禁酒して、私の高脂質血症の原因がアルコールであるかどうかの比較をしてみるという、画期的な原始的比較論である。

 で、検査を受ける前の結論であるが、完全に酒を抜くことはできなかった。

 ① 完全に酒を抜くことは、できなかった。
 ② 完全に、酒を抜くことはできなかった。

 私の場合、答えは②。
 1日たりとも酒を休んだ日はなかったのだ。

 仕事がら、とにかく夜飲むことが多い。それでも、朝から飲むことがないだけまともなサラリーマン人生だと思っている。
 では休日は、というと、家族からの抑圧から逃避するため、やはり飲むのである。

 もちろん、医者の言葉、そして自分がしぶしぶながらも約束を受けたことは忘れていない。

 だからこそ、ヘルシア緑茶を飲むようになったし、DHA+EPA+ナットウキナーゼのサプリも寝る前に飲んだし、昼間はα-リポ酸のサプリも飲んだ。
 これらの効果がどれだけあったか。今やその効果を確認するために血液検査を受けるようなものだ。

 それにしてもだ。
 医者に対してどのような言い訳をしようか?
 それがひじょうに重い課題としてのしかかってきている。

 そうそう、今日は甲状腺に関する前回の血液検査の結果も出ているはずだ。

 あぁ、病気の総合商社だ……

「私が育んだ石」 第3部の2

 「私が育んだ石」 第3部「醤油ラーメン舌鼓編」 その2


 週があけた火曜日。
 私は不測の事態が起きてもよいように生命保険証書を家の分かりやすい場所に起き、契約印を分かりにくいところに隠し、子どもに「今年はサンタクロースは来ないかも知れない」と告げて病院に向った。

 まず最初にCTの再検査。
 あの石絵未季には似ていない検査技師は、同情の瞳で私を迎えてくれた。
 「手術することになったんですってね」
 「はい。手術することになりました」
 「自然には出なかったんですね」
 「ええ。自然には出ませんでした」
 「では検査をしましょう。もしかすると気づかないうちに流れ出てしまっているかもしれません」
 「あなたの優しさに神の祝福あれ!」

 検査結果の結果、石はちゃんと元の位置にとどまっていた。
 すぐ分かるようなウソをつきやがって。彼女は性の悪いうそつきか、驚くほど世間知らずなのだろう。でも、憎めないタイプだ。美人というものはちょっとしたことで鼻につくが、この水準の女性は実に中庸的で得をするタイプなのかもしれない。

 医者が言う。
 「う~ん。ちょっと腎臓の働きも弱っている感じがしますねぇ」
 以前、様子をみろと言ったくせに……
 「やはり明日、石をとりましょう!」
 実に健康的なノリだ。まるで金鉱探しに出かけましょう、と誘われているかのようだ。これで本当に金が出てくるのなら、私だって志願して手術を受けるところだが……

 入院着、つまりパジャマに着替える前に、近くのセブンイレブンに買い物に行くことにする。コンビニで立ち読みしているボーッとした学生や、おにぎりを突っつきながら品定めしている近隣住民らしきおばさん、暇そうにしている店員の兄ちゃんは、よもや私が明日手術を控えた病人だなんて想像もつかないだろう。そう考えると、自分がすごい苦悩を人知れず抱いているようで、ちょっぴりおセンチになってしまう。

 私はミネラルウォータを山ほど買ってきた。病院へ帰るわずかな距離に、買い物袋を持った手がもげてしまうのではないかというくらい。
 冷蔵庫の扉が開くとそこにはミネラルウォーターのボトルが整然と並んでいる。
 そんなコマーシャルのような光景が、病室で私に与えられた冷蔵庫にも繰り広げられた。あまりにも整然と並んでいるので、飲むのが惜しくなったくらいだ。

 さて、パジャマに着替えたあとは……することがない。
 明日チンチンの先に管状のものを突っ込み、石をつまんで取り出すだけだ。
 特に事前の準備は必要ないらしい。心の準備だけでいいのだ。
 最後に残されたかすかな望みは、このミネラルウォーターによって自然排泄されることだが、ほとんどその可能性はないだろう。

 病室は6人部屋。部屋に入ると左右に3床ずつベッドが並んでいる。私の側は私だけ。いちばんドア側のベッドが与えられた。オシッコに行きやすい配慮だろうか?
 向かいの側は入り口側と中央のベッドに年齢条件をそろえたような爺さんが入院していた。よくは分からないが、前立腺の手術をするらしい。つまりこの部屋の住人は、私を含めて3人である。
 2人は数日前から入院しているらしく話も弾んでいたが、こと病気に関する話題になると、聞いていても腹立たしくなるくらいトンチンカンなことを話していた(無知という意味で)。

 「お兄さんはどこが悪いの?」
 「結石です。明日手術します」
 私は会えて「で、そちらさまはどこが悪いのですか?」とは尋ねなかった。ひどいことに巻き込まれるに違いない。

 無意味な雑談を無視して、私はひたすら水を飲み続けた。

春樹的闇の世界?―ショスタコ/Sym15-Ⅱ

 D.ショスタコーヴィチの交響曲第15番イ長調Op.141(1971)の第2楽章。

 まずは、森泰彦氏の解説(エラートWPCS5539)から。

 《第2楽章アダージョは、水と油以上に異なる闇の音楽。金管6022b9dd.jpg のヘ短調を中心としたコラールとチェロの調性的12音列によるレチタティーヴォが交替する第1部、そのなかの金管の動きから派生した葬送行進曲が映画「ハムレット」でのように無慈悲に高まる第2部、そして第1部の大きく変容しつつ短縮された再現部と短いコーダからなっている。なお、第2部の直前、それに第1部の再現の直前に別世界からのように聞こえてくる木管の和音と金管の和音は、終楽章でも回想される》

 さらに、第2楽章に関して氏は、次のようにも書いている。

 《コラールに続くチェロのレチタティーヴォ主題は、この楽章の終わり近くで転回され、チェレスタに現れる。その結果、実はこの主題自体がショスタコーヴィチの「交響曲第1番」の印象的な冒頭動機の転回だったことが種明かしされる》

 この第2楽章はアダージョ、ヘ短調、4分の3拍子。64ad73c9.jpg 複合三部形式である。
 最初の金管のコラール(譜例9。掲載したスコアは全音楽譜出版社のもの。以下同様)は、このあとにくる第4楽章の冒頭を連想させる。
 森氏の文にもあるが、終楽章で登場する「別世界からのように聞こえてくる和音」は、最初に116小節に出てくる(譜例10)。
 中間部ではオーケストラは爆発する(譜例11)。しかし、この楽章が271小節からなっているのに対し、全奏部分はここの13小節のみである。
 楽章の終り近くに、私は懐かしい人を見かけたような気持ちにさせられる。譜例12で矢印をつけたヴ25250de5.jpg ィオラのパッセージ。これはマーラーの交響曲第9番の最後に現れる音型と同じである(譜例13の矢印部分。このスコアのみ音楽之友社刊)。
 そして、「いったい何事が起きたのだ」という具合に、楽章最後の3小節でファゴットが5度の和音をffで3回吹き、そのまま第3楽章に入る。

 この楽章の不気味な穏やかさは、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」に描かれている「向こう側の世界」に通じるものがある。感覚的に。
 主人公のオカダトオルが、井戸の壁を通り抜けて入り込んだ「向こう側の世界」。真っ暗なホテルの一室。何も見えない。そこには女がいる。いなくなってしまった妻・久美子のことを知ってるかもしれない女。だから希望はまったくないわけではない。でも、あまりにも暗くて、あまりにも非日常的。
 「ねじまき鳥クロニクル」を読んだ時に、私はこの0cfbc5fa.jpg第15交響曲の世界、特に第2楽章を思い起こしてしまった。

 ところで、この曲が書かれたころの ショスタコーヴィチの体調はどうだったのだろうか?
 1967年8月、彼は足を骨折。10月に退院。
 1969年1月、神経科の治療で1ヶ月半入院。
 1970年2月、数年来痛めていた腕と足の治療のため、ウラル山脈南東のクルガンという町に行き、3ヶ月半滞在。8月末に再訪問し、2ヶ月滞在。

 第15交響曲が書かれた1971年は、9月に2度目の心臓発作に襲われ1ヶ月入院。同年12月には4f3c49a8.jpg左肺に悪性腫瘍が見つかった。
 第15交響曲は1971年の夏に完成しているが、この作品 に作曲者が人生の思いを書きこんだことは十分考えられるのである。

 なお、この作品の初演は1972年1月8日。ショスタコーヴィチの体調の良い時を見計らうように初演が行われたのであった。

「私が育んだ石」 第3部の1

 「私が育んだ石」 第3部「醤油ラーメン舌鼓編」 その1


 「おやっ?第3部は『クリスマス前の奇跡編』だと予告してたんじゃなかったぁ?」と考えた人がいたとしたら、そういう人間は小さい小さい。そんなことを小姑のようにねちねちというようなら、この情報化社会は生きていけないし(情報は絶えず変化するのだ)、3日以上前のことを覚えているなんて執念深すぎる。忘れなさい。

 第3部は「醤油ラーメン舌鼓」編である。結末を言うならば、私は醤油ラーメンに舌鼓をポンッ!と打つわけだ。
 某局のアナウンサーが以前ニュースで「会場を訪れた人たちは、巨大な鍋で作られた豚汁に、みなシタヅツミを打ってました」と、平気な顔してしゃべっていたが、このバカ者!なにがヅツミだ。
 とにかく、著者が「醤油ラーメン舌鼓」が第3部のタイトルとしてふさわしいと決めたのだ。文句言われる筋合いはないもんね。

 本題に入ろう。
 12月初めの土曜日の朝。私は目覚めると腹部に違和感を感じた。
 違和感といっても、「おなかの中で赤ちゃんが蹴ってるわ、ふふふ」とかいう違和感ではない。端的に言うならば、痛みの芽みたいなものだ。
 妻はときどき、腹部の鈍痛を「おなかがニヤニヤする」と表現するが、それはこんな感じなのだろう。それにしても「おなかがニヤニヤする」って、広く世間一般に認められている表現なのだろうか?それに、ニヤニヤすることはあっても、おなかがデレデレしたり、おなかがウハウハするといった表現は聞いたことがない。「おなかがニヤニヤする」というのは、ちょっぴりうさんくさい表現ではある。病院で「センセッ、おなかがニヤニヤするんです」って言ったら、「何かいいことあったんですか?」と返されそうだ。

 そのニヤニヤは時間とともに強くなってきた。
 これは結石では?
 さすがにこれだけ石にいじめられてきたのだ。私のみならず、ロバだって、自己診断がつくようになるだろう。

 私がとった行動は、まずは座薬をいれることであった。もちろん肛門に。
 自分で肛門に座薬を入れる時って、なんかすっごく罪深いことをしているような気になってしまう。教会が近くにあったら、落ち着いたら懺悔に行かなきゃって気持ちになる。

 「うぅぅっ……」と声にならない官能の溜息を吐き、座薬挿入完了。再び横になる。

 座薬を挿入した後の宿命的な副作用は、便がしたくなることだ。
 でも、我慢である。ここで出してしまったら、融けかけた座薬(それはもうあの挑戦的な形状を保っていない)が流れ出てしまう。すべてが直腸から吸収されるまで我慢しなければならない。私は「少なくとも45分は我慢しよう」と心に決める。

 このように、座薬を挿入するということは、してはいけないことをしてしまったという罪悪感、便意をこらえるという人並み外れた忍耐力、我慢することでやがて痛みから救われるというマゾ的な新たな時代に期待する幸福感がいっぺんに経験できるという、いわば人生の縮図のようなものである。
 今後は新社会人になろうという大学生には、社会生活の模擬体験の意味からも、座薬挿入を自主的に行うことが望まれる。
 なお、挿入時に他人の手を借りた場合には、これに羞恥心も加わり、より自分の惨めさを強調できる。

 カチカチカチ(時計の音)……
 ぶふぁぁぁぁ~、だめだぁ。
 とうことで、私は36分でトイレに駆け込んでしまった。まだまだ修行が足りない。
 36分しか我慢できなかったという悔しさはあるが、出せるということは至福の時でもある。ハンバーガー屋のシェイクの最後の一口をストローで吸うときのように、ズズズズボボボッって音がした。つまり、空気ばっかりで中身、というか液状体物質はわずかなのだ。

 ところがである、肝心のおなかの痛みはというと、強くなってきてはいるものの、まったく弱くなんかなっていない。いや、もんどりうつほどの痛みにはまだ襲われていないので、あるいは座薬の効果はあるのかもしれない。けど、こんなもんか……

 私は病院に行くことを決意した。幸い、E泌尿器科は土曜日も診療しているのである。
 自分で運転して、自分一人で、病院に行った。車で15分ほどである。

 待合室に座っていると、徐々に痛みが強くなっていくのが分かる。分娩直前の妊婦というのはこういう感じなのだろうか?
 待合室で読んだ週刊ポストのグラビアに載っていたAV女優の石絵未季って子が丸顔でかわいいと思ったが、その後は消え去ってしまった。どーでもいい話ではあるが。

 診察室に呼ばれると、あの医者だった。
 相変わらず痛みは耐えるのみ、みたいなことを言う。こいつ、今が縄文時代と勘違いしてるんじゃないだろうか?
 CT検査を受けることとなった。
 窓のない部屋にいながら浅黒い、けど感じは悪くないあの若い女性技師は、「あら、また来たの?気の毒ねぇ」って表情で私を見た。野犬狩りで捕まえられた野良犬を見るような「かわいそうに。けど悪いのは自分のせいよ」って目が訴えていた。

 検査に入る時になって、おなかの痛みは急激に強くなった。
 「大鵬」の上で、技師の求めるポーズ、いや体勢をとるのもままならなくなった。
 短時間のうちに産道が全開になったかのようだ。
 もし彼女が石絵未季で、「ねぇ、痛みが我慢できるならここで私と楽しいことしましょう。大丈夫、X線使用中のランプを点灯させておけば誰も入って来ないから」と、私を誘惑したとしても、とても応じ切れないくらい痛いのだ。

 「痛いんですか?」
 「痛いというものを超えた概念です。太陽の中心に放り込まれたかのようです」
 すると彼女は医師を呼び、太陽の中心は暑すぎるから痛み止めを打たないと検査を続けられない、と報告した。
 なんてやさしいのだろう。こういうとき、人間は恋に落ちてしまうのだ。
 もし恋に落ちてしまったら、たった1本の痛み止め注射のために、何百本も針を刺されるような苦痛な生活を強いられるようになるかも知れないのだ。

 医者がやってきて、「んっ?どうしたの?」なんて聞く。
 実に底意地の悪い男だ。きっと尿管結石の痛みなんて、理論上でしか知らないに違いない。
 「しかたない。注射を打つか」
 そういって、やっと肩に注射を打ってくれた。けど、ここまで痛み止めを打とうとしないのは、何か彼なりの考えやこだわりがあるのかもしれない(例えば、注射を打つのが不得意、とか)。

 15分ほど休ませてもらい、痛みが治まってきたところで検査開始。
 検査の結果、今回ははっきりと右側の腎臓と膀胱の間の尿管に石らしき影が写っていた。
 どうやらこの石、前回からそのあたりに引っ掛かっていて、今朝なにかの衝撃で向きを変えて尿をせき止めたようだ。いったい、実際にはどのくらいの大きさなのだろう。石が出てしまったら体重が少し減るくらいのものなのだろうか?

 医者は「まだ残っていたということは、時間もだいぶ経っていますし腎臓の機能にも影響を与えかねないですね。手術で取っちゃいましょう」という。「取っちゃいましょう」って、駄菓子屋で万引きをするようなノリだ。注射にはあれほど消極的だったのに、手術には積極的だ。やっぱりサドだ。

 手術日は毎週水曜日と決まっている。
 私は週明けの火曜日の午後に入院し、水曜日の午後に「取っちゃう」ことになった。
 開腹はしない。オチンチンの先からスコープを入れて取るそうだ。
 大学卒業間近に体験した、あのいやな思い出がよみがえる。
 しかし、もうあとには引けない。

 痛みが治まっていたので、帰りの運転にも支障はないと思ったが、痛み止めのせいなのだろう、頭がぐらぐらして、まるで酔っ払い運転のようになってしまった。
 それでも、なんとか家にたどり着いた。

 家族に週明けに手術をするといったら、心配されるどころか「ふだんの不摂生のせいだ」と非難される始末。
 心がニヤニヤと痛んだ。

午前3時の終幕?―ショスタコ/Sym15-Ⅰ②

 D.ショスタコーヴィチの交響曲第15番イ長調Op.141(1971)の第1楽章後半(展開部以降)について。

 まずはエラート盤(WPCS5539)の森泰彦氏の解説から。

 《サーカスのような小太鼓のロール、そして前述のマーラー的b3798550.jpg なファンファーレによって展開部がはじまる。しかし何が展開されるべきなのか。猿回しのような太鼓に乗って(ペトルーシュカばりに?)シロフォンやピッコロが何か意味のあることを発言しようとするが、何ももっともらしいことを言えず、ファンファーレが再びそれを遮る。楽器どもはやむをえずラッパ議長の言葉をオウムがえしに語ったり、また基本動機を展開しようとしたりする。混乱のうちに大太鼓の大砲が炸裂し、第2主題も登場、弦がクラスター風の興奮を示す。しかしこれもファンファーレと3回目の「ウィリアム・テル」で断ち切られ、今度はソロ・ヴァイオリンが2つの主題を組み合わせてまともなことを言おうとする。しかしそうしているうちにショスタコーヴィチの初期のスタイルで非合理的なポリフォニーがはじまってしまう。第1ヴァイオリンが8分音符、第2ヴァイオリンとヴィオラが4分音符の3連符、低弦が4分音符の5連符といった具合で(しばしばb-a-c-hという進行が出てくるのはなぜだろう)。これをもまたファンファーレが断ち切ると、音楽はなぜか突然高揚し、そして奈落の底に沈む。不思議な低弦、第2主題と組み合わさ188c2f6d.jpg ったファンファーレ、コントラバスとヴァイオリンの2人による不思議なセッション。そうこうしているうちに、4回目の「ウィリアム・テル」をはさんで、11~25小節あたりまでの音楽がかなり忠実に帰ってきて、すぐに第2主題に戻る。しかしこれが展開部の音楽で中断されると鞭が鳴り、基本動機が巨大な権力者のようにトロンボーンとチューバでパレードする。
 これでやっと419小節まで辿りついたわけだが、そこからあとは以前の音楽がよく切られたトランプのように順序を変えて整然とした混乱のうちに再現するのが大部分。以上で大まかな地図は書いたつもりなので、あとは各自探検されたい》

 森氏の解説を読むと、この音楽(第1楽章)がモザイク様に不思議に進んでいくことが感じとれると思う。けど、「あとは各自探検されたい」なんて、「せっかくその気にさせといて、あとは放っておくね、いけない人」って感じである。

 文中に「前述のマーラー的な」とあるのは、森氏がその前で《e56910b6.jpg マーラーの影響は特に第1楽章に強く、マーラーの「交響曲第4番」のような子供の世界であること、玩具のようなラッパのファンファーレが次第に牙を剥くことなどは、ほとんど引用にさえ近い》と書いていることを指している。

 展開部は145小節目、練習番号15からである(譜例5。スコアは全音楽譜出版社刊)。小太鼓のロールに導かれてトランペットがファンファーレを吹く。そのあと(譜例5の続き)には「シロフォンやピッコロが何か意味のあることを発言しようとする」が、「何ももっともらしいことを言えない」まま終わる。
 「大太鼓の大砲が炸裂し」とあるが、余談だがこの2e2a5914.jpg 大太鼓、ザンデルリンク/クリーヴランド管のCD(エラートWPCS5539)では惚れ惚れするほどの生々しい音で収録されている。

 「非合理的なポリフォニー」は譜例6に示した255小節目からはじまる。そういえば、ショスタコーヴィチは第2交響曲で「ウルトラ・ポリフォニー」なるものを書いた前科(?)がある。
 森氏は「しばしばb-a-c-hという進行が出てくるのはなぜだろう」なんてシロウトのようなしらばっくれたことを言っているが(だいたいシロウトは音名をb,a,c,hなんて呼ばないものだ)、作曲者の意図はわからないまでも、明らかに計算ずくでバッハの名前をこの“ポリフォニー”場面に潜り込ませている。
 ショスタコーヴィチは自伝のなかでバッハについてd3f623ce.jpg 、「このドイツの作曲家の音楽の何が我々をこれ程ひきつけるのか。それは、何よりもまず彼が民俗芸術の無尽蔵の泉からその霊感を引き出しているからである。彼の器楽曲、声楽曲は常に、ドイツ民謡との深い結びつきが感じられる。ヨハン・セバスティアン・バッハはポリフォニーの偉大な巨匠であり、彼の作品は旋律的豊かさ、ポリフォニーの手法の完全さによって特に優れている」と書いている(出典:「ショスタコーヴィチ大研究 春秋社)。
 とすれば、ショスタコーヴィチが自ら書いた“ポリフォニー”の中に、バッハの名前を入れて讃えたことは十分に考えられることだ。
 さて、この12音的な「非合理的ポリフォニー」を聴くと、ひじょうに落ち着かない不安定な気分になる。「ねっ、イライラするでしょ?」というショスタコーヴィチの狙いどおりなのかもしれない。私はこのポリフォニー部分が、ショスタコーヴィチの人生を脅かした「密告者たちの囁き」を描いているように思えてならない。R.シュトラウスが交響詩「英雄の生涯」で「英雄の敵」を描いたように。
 ここでの「非合理的ポリフォニー」は弦楽によって展開され9bbdbabf.jpg るが、曲が高揚したり沈んだりして進行していったあとの439小節目からは、今度は木管楽器によってこのポリフォニーが展開される(譜例7)。

 そのあと譜例8にあるように、クラリネットによって最後となる「ウィリアム・テル」の引用が行われ、提示部の終りのときと同じように冒頭動機が3度、音を上げながら繰り返されこの楽章は終わる。このときにはカンパネッリを伴う。つまり、鐘の音が3回聴こえるわけだ。

 午前2時に始まったこの不思議な物語の世界は、午前3時に突然幕を下ろすということか?

 ザンデルリンクがベルリン交響楽団を振ったCD(ドイツ・シャルプラッテンTKCC15036)の解説(東条碩夫氏による)によると、ザンデルリンクはこの第1楽章について「こんなにも踊るような音楽だが、これは誰かに操られ、表面上いかにも楽しそうにしているマリオネットだという気はしないだろうか」と考えていたという。
 踊るような音楽と言えるかどうか、私にはちょっと抵抗もあるが、この文を読むと森氏が「ペトルーシュカ」を持ち出していることにも意味があるように思えてくる。

午前2時の世界?―ショスタコ/Sym15-Ⅰ①

c593ae52.jpg  D.ショスタコーヴィチ(1906-75)の交響曲第15番イ長調Op.141(1971)。
 
 ショスタコーヴィチ最後の交響曲。そして、実に不思議な交響曲である。
 だが、私は彼の15曲の交響曲のなかで、この作品に最も強く惹かれ続けている。
 これまでショスタコーヴィチの交響曲について書いてきたが、30数年聴き続けても未だ謎めいて聴こえるこの交響曲については、何回かにわたって多少くどめに書かせていただきたいと思う。今日は第1楽章の前半部分(提示部)について。

 この作品で私がいまのところ決定打だと思うCDはクルト・ザンデルリンクがクリーヴランド管弦楽団を指揮した1991年録音のものだが、このCD(エラートWPCS5539)のもう一つの魅力は、森泰彦氏による通り一辺ではない解説である。
 長くなるが、説得力のあるこの解説から、まずは第1楽章にc283f559.jpg ついての前半の部分を引用させていただくことにする。

 《第1楽章アレグレットは、たびたび拍子が変わるものの4分の2拍子を主体とし、最初の144小節と402~475小節がイ長調の調号、そのあいだの145~401小節が調号なしで書かれている。そこから想像されることとして、たしかに144小節までが提示部にあたり、その次が展開部にあたる。しかし402小節以降は再現部というよりはコーダの性格がつよく、そう簡単ではない。
 全曲はカンパネッリによるe音の2打ち、という異様な始まりかたをする。メトロノームの指示を守れば、この2打ちは1秒に1回ずつ打たれることになり、そうすると時刻を告げるベルがイメージされる。しかしそこからくりひろげられる怪奇の世界を考えると、これは2時は2時でも、午前2時にちがいない。
 第1楽章の第1主題、というより基本動機は、いきなりフルートのソロで出る。音型そのものは、まあどうっていうこともc41efbfc.jpgないが、es-as-c-h-aという動きは最初から変で、これだけ見れば前半が変イ長調、後半がイ長調でなくイ短調というわけで、調子が狂っているのやらねじれているのやら、というわけだ(オーケストラで聴くとそれほどでもないが、ピアノで弾くときわめて異様)。ちなみにこの動機の2つめの音asを省略すると、全体の輪郭は前述した(引用者注:曲全体の解説で触れられている)トリスタン動機、あるいはグリンカの歌曲の動機と同じになる。冒頭楽章と終楽章の主題はどちらが先に発想されたのだろうか。
 さてフルートは40小節まで第1主題を提示する努力をつづけるが、報われることなく、バトンをファゴットに譲る。ファゴットもチャイコフスキーの「交響曲第5番」のワルツに迷い込んだりして役目を果たせず、次は低弦の番。これが木管の基本動機で断ち切られると、弦楽がようやく明確なイ長調で上機嫌に走り出したように思える。しかしイ長調の伴奏のままでメロディーはたちまち間違った嬰ヘ長調(!)にはずれ、変ホ長調を経て、トランペットが無調的な第fb224129.jpg 2主題を提示しはじめる。すばらしい第1主題を提示しようという試みは、すべて徒労に終わったのだ。
 第2主題もうまくいかない。最初の4小節以上は進めず、基本動機に由来する音楽や「ウィリアム・テルによって、そのたびに遮られてしまうのだ
 提示部は基本動機によって強引にイ長調で終止する》

 交響曲第15番は、11、12番という標題交響曲、13、14番という声楽を伴った交響曲のあと、第10番以来の純音楽としての交響曲である。
 森氏の解説にもあるように、この交響曲ではロッシーニとワーグナーの作品のテーマが引用されており、他にもさまざまな引用があると言われているが、この2つがことさら目立つ。
 第1楽章で引用されているロッシーニの「ウィリアム・テル」序曲の有名な旋律について、ショスタコーヴィチ自身、初演後のインタビューで「第1楽章はこども時代。こまごまとした飾b1008092.jpgり物の置いてあるまったく幸せな『おもちゃ屋』だ」と語っている。
 これが「まったく幸せな『おもちゃ屋』だ」とするならば、それは「幼少期の彼の憂鬱な思い出」の逆説的発言であるように思われる。こんな音楽で表現されているのだから。

 しかしながら、別なインタビューでは次のようにも述べている。
 《「交響曲第15番」に決まった標題はありません。漠然としたイメージだけがあって、第1楽章はおもちゃ2eb57038.jpg 屋で起こるようなことだ自分で述べたことがあります。でも、私自身がそう言ったからといって、まったく正しいと考えるべきではありません。―中略―私の作曲生活は長く、かなり昔からたくさんの作品を作曲していますが、今に至るまで、なぜこうしたか、ああしたかということを正確に説明することはできないでいます。―中略―これらの断片をなぜ私が「第15番」に用いたかということも、この部類に属していて、正確に説明することは不可能でしょう》(1973年、アメリカのTV番組収録時の談話)

 このショスタコーヴィチの言葉は、意味深い。
 つまり、いままで自分が自作品について言ってきたことなんか信じるなよ、と言ってるに等しいからだ。やっぱりねぇ……

 また初演時の指揮者である、息子のマキシムは「この交響曲第15番は人間の生涯を回想したものであり、父ドミトリーが少年期にロッシーニの音楽に引かれていて、おもちゃ屋で遊ぶ楽しさを描いている」と語っている。
 この曲を書いていたとき、ショスタコーヴィチが自分の死がd462681d.jpg近づいてきていることを認識していたことは間違いないと考えられ、その意味で彼はこの交響曲に自分の生涯の思い出を集約させたと考えることに無理はないだろう。
 だからこそ、なんと闇に覆われた人生だったのだろうと考えさせられる。

 楽器編成はpicc,fl 2,ob 2,cl 2,fg 2,hrn 4,trp 2,trb 2,tuba,timp,大太鼓,トム・トム(ソプラノ),タンブーラ・ミリターレ,シンバル,タム・タム,トライアングル,カスタネット,レーニョ(ウッドブロック,むち,シロフォン,グロッケンシュピール,ヴィブラフォーン,チェレスタ,弦5部(16-14-12-12-10)。2管編成だが弦楽部が(最少の場合の)人数が指定されているように管に対して大きく、また拡大された打楽器群に特色がある。
 しかしながら、曲そのものの響きは全体を通して室内楽的であり、全奏で咆哮する箇所は全曲を通じても数か所しかない。

 曲全体にまつわること、この作品が書かれたころのショスタコーヴィチの体調などについては次回以降で触れていくこととして、ここでは第1楽章の前半部まで、スコアを見ながら森氏の解説の確認をしていきたいと思う。
 なお、私は楽譜が読める人間ではない。曲に合わせて追っていくことはできるが、読むことはできない。楽譜を用いた説明は、だからこそ不親切だと自分でも思う。しかし、楽譜は絶対的な目印となるものである。それは音楽における言語だから。その点、ご容赦いただきたい。

 第1楽章はアレグレット。4分の2拍子主体だが、4分の3拍子が介入してくる。全奏部分はこの楽章では10小節しかない。
 曲は譜例1のように始まる(今回掲載したスコアはすべて全音楽譜出版社刊のもの)が、森氏の指摘しているとおり、カンパネッリ(グロッケン)の2打で始まる。この澄んだ音は、まさに時計の鐘を思わせる。だが、これから起こることは「くるみ割り人形」のような魔法の話ではなく、心の闇の映写であるかのようだ。
 すぐに始められるフルート・ソロの主題は、彼のチェロ協奏曲第1番の冒頭(譜例1')を思い起こさせる。
 森氏によると、この動機の2音目を取り除くとワーグナーの「トリスタン動機」と一緒になるというが、これはまた、トリスタン動機と同じ進行で始まるグリンカの「故なく私を誘うな」という歌曲に酷似しているという。この歌曲の歌詞はE.バラトィーンスキイ(1800-1844)による「幻滅」という原題の詩だという。その歌詞は、

 故なく私を誘うな、
 また再びやさしいそぶりを見せて。
 夢を失った者には無縁なのだ、
 過ぎ去った日々のすべての誘惑は!
 私はもはや誓いの言葉を信じない、
 私はもはや愛を信じない、
 そして私はもはや再びふけることはできないのだ、
 一度裏切られた夢には!
 私の言葉なき憂いを増すな、
 過ぎ去ったことをまた言いたてるな。
 そして世話好きな友よ、病みつかれた男の
 まどろみをそっとしておいておくれ!
 私は眠る、私にはまどろみは心地よい、
 昔の夢は忘れるがいい――
 私の心に波だつものがある、
 だが君が呼び起こすものは愛ではないのだ(伊東一郎訳。WPCS5539の解説から)

というもの。森氏はこの詩の内容が、交響曲第15番という作品の内容を暗示しているのではないかと指摘する。

 フルートからファゴットに主題がバトンタッチした部分が譜例2である。ただ、ここにチャイコフスキーの第5交響曲のワルツが絡んでいるということについては、いまだに私はよく分からないままだ。
 トランペットによる第2主題は、そのあとに出てくる「ウィリアム・テル」序曲の終曲を予言しているかのようである(譜例3)。次いで、その「ウィイリアム・テル」序曲が現れる(譜例4)。
 この引用は全部で5回。この行進曲風の旋律の引用は、第15交響曲の初演時から話題となったというが、確かにこの引用が交響曲への興味を高めているのは確かであろう。しかし、これは何を意味するのか?おもちゃ屋での幸福な思い出か?それとも、1973年のインタビューでのように、そんなことはないのだろうか?ここに「ウィリアム・テル」が引用されたことは、もっと別な意味を持っているのかもしれない。ウィリアム・テルはスイス独立運動の闘士だったのだが……

 こうして曲は進み、ライト・モティーフ(第1主題を構成する動機)が3度反復されて提示部を終わる(譜例5)。このライト・モティーフ3度反復というのは、第1楽章の終りも同じである。

 次いで、展開部に入るが、それは次回以降とする。

「MURAKAMI」を読んで

028c7648.jpg  清水良典の「MURAKAMI 龍と春樹の時代」(幻冬舎新書。2008年9月30日刊)を読んでみた。
 清水良典氏は文芸評論家で、私にとってこの人の本を読むのは「村上春樹はくせになる」(朝日新書)に次いで2冊目。

 この本を本屋で見るたびに「買おうかな、やめようかな」と思ってきた。
 というのは、まさに本書の「はじめに」に著者が書いてあることが、私の心にもあったからだ。

 《それぞれに固有の多くのファンを持つ大作家である。どちらも好きという読者はそれほど多くないかもしれない。じっさい私の周囲では、龍のファンは春樹が苦手で、春樹のファンは龍が嫌いだったりする例が少なくないのだ》

 そうなのだ。私は村上春樹は好きだが、村上龍は好きではない。いや、村上龍の著書は読んだことがない。「読まず嫌い」なのだ。
 「限りなく透明に近いブルー」というタイトルは知っていても、その中身は「自分とは無縁の世界」を描いたもので、読んでも面白くないと決めつけてきたのである。黒人たちの乱交パーティーやドラッグに溺れる人たちの話が、私を惹きつけるわけがないのだ。
 だから、本書の半分が村上龍に割かれてるなら、はたして買う価値があるのだろうかと躊躇していたわけだ。

 しかし、出張の時に飛行機内で読んでみようと買ってみた。
 それは、前に読んだ著者の「村上春樹はくせになる」が面白かったというせいもあった。

 村上龍のことはさておき、村上春樹の文体について本書で書かれている、以下の部分がひじょうに印象的だった。

 《いわば彼ら(嵐山光三郎や椎名誠のこと)は、物書きでありながら「文学」という重苦しい観念を、うっとしい外套のように脱ぎ捨てていたのである。『村上朝日堂』のエッセイも、「文学」的であることを故意に避けている。村上春樹の中の、デビューしたての意気軒昂な「文学」者の部分、英米文学翻訳者としてのインテリの部分を切り捨てて、なんとなくギョーカイのうさんくさい自由人「村上さん」に扮することで、このくだけた話し言葉は成立している。
 村上春樹という全体から、明るい部分だけを取り出して、気さくに読者に向かってしゃべっているようなスタイルである。
 80年代には、「明るい」「暗い」の二分法が大きな威力を持った。明るい(軽い)ことが好ましくて、暗い(重い)ことは疎んじられた。根が暗いという意味の「ネクラ」という表現が差別語のように跋扈し、そのレッテルを苦にして自殺する若者さえいた。
 デビュー作以来、死や孤独と向き合った、誰が読んでも「暗い」作風の村上春樹は、対照的な「明るい」スタイルをエッセイで発揮することによって、この80年代とのバランスをとることができたといえる。それは彼が83年からマラソンに精力的に参加するようになったことと時期を同じくしている。作家として「暗い」テーマを追求する「村上春樹」と、エッセイで「明るい」スタイルで語る「村上さん」、現代人の病的な闇の部分を探究する文学者と、健康的な生活を送るアメリカンな「僕」、その両軸を彼は自分のパブリック・イメージとして持つことに成功した。彼の長持ちの秘訣は、そこにあるといってもいいかもしれない》(106~107p)

 なるほどぉ。納得。
 「どれが本当の『村上春樹』なのか?」なんて考えることは、所詮ナンセンスだったわけだ。どれも村上春樹なのだ。当然と言えば、当然だけど。
 考えてみれば、自分だってブログの内容によって書き方は自然と使い分けているもんなぁ(村上春樹と比較するこの大胆さ!)

 そういえば、「ダンス・ダンス・ダンス」に登場する刑事の一人は、「僕」によって「文学」とあだ名が付けられていた……

 ところで、村上龍であるが、本書を読むと、春樹と龍の作品というのが、内容の時代性という点からは驚くほどパラレルに発表されているのが分かる。
 春樹の「ねじまき鳥クロニクル」に対する龍の「五分後の世界」、龍の「希望の国のエクソダス」に対する春樹の「海辺のカフカ」といった解読を読むと、村上龍の作品も読んでみたくなってきた。

 とても面白い本書であるが、今回も春樹が作品中で取り上げている音楽作品については触れられていない。登場する音楽は、実際はあまり意味はないのだろうか?

2008札響東京公演を聴いて

66780743.jpg  今年の札響の東京公演が、去る11月18日に東京・新宿(初台)のオペラ・シティで行われた。
 プログラムはヴォーン=ウィリアムズの「タリスの主題による幻想曲」(1910/改訂'13,'19)、ディーリアスの「楽園への道」、そしてペインが補筆完成したエルガーの交響曲第3番という、オール・イギリス物。指揮は尾高忠明。
 このプログラムは11月の札響の定期演奏会とまったく同じものである(14,15日)。

 オペラ・シティに入ったのは私は初めて。真四角の妙なホールだと思ったが、つまりはオペラ用の器なのだから、こういう形は当たり前なのかも知れない。1階席は傾斜が緩く(というか、かなりフラット)、客席の段差が低いため、もし運悪く自分の前の席に日本髪を結った女性に座られたりしたら、ステージが全然見ることができなくなるだろう。私は2階席中央に座ったが、こちらの段差はほぼ理想的だった。

 さて、このホール、どんな音がするのだろうとかなり非好意的に思ったが、1曲目がはじまってみると、なかなか豊かな響きだと感心してしまった。
 「タリスの主題による幻想曲」は、チューダー朝時代の作曲家タリスの主題をもとに書かれた弦楽による作品だが(弦楽群は2群に分かれる)、札響は豊かな低音の響きの上に透明な高音が紡ぎだされた、まさに昔の絵画を見るような演奏だった。

 ディーリアスの「楽園への道」は、若い男女の悲恋の物語である歌劇「村のロメオとジュリエット」の間奏曲であるが、この日の演奏では、最初のうち、ところどころで粗い音が聞こえてきたものの、全体としては、2人が死を選ぶ(楽園へ向かう)という悲しさが表出された好演だった。

 最後のエルガーは実によく鳴り切った演奏。退屈するかと思ったが、その心配は無用だった。
 H.ショーンバーグが指摘しているように、エルガーという作曲家も大音響に喜びを感じるタイプだったが、この第3交響曲もそう。ということは、ペインがいかに研究を重ねてエルガーの作品となるように補筆していったか、という偉大なる成果だという証拠だ。全般を通していかにもエルガー的な響き。私はC.デイヴィス盤でこの曲を予習していたが、札響の演奏の方がはるかにパワフルで情緒的だった。尾高/札響のCDは「買い」かも知れない(私は買う気になっている)。参考までに記しておくと、このCDは英シグナムレコード・レーヴェルで、SIGCD1187a74fd34.jpg である。

 さて、ここではもう一つ、ディーリアスの「楽園への道」のCDを1枚紹介しておく。
 マッケラスの指揮、ウェールズ国立歌劇場管弦楽団。2枚組でディーリアスの管弦楽作品の主要なものから珍しいものまでが収録されている。

 ディーリアスの音楽は、そのうち日本ではブレイクしそうだと思うのだが……(私がそう思うようになって20年以上経ってるけど)。

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