読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行した「保存版」です。  いまは“新・読後充実度 84ppm のお話”として更新しています。左サイドバーの入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。  背景の写真は「とうや水の駅」の「TSUDOU」のミニオムライス。(記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

January 2009

ミニマリズム世代の次……

7dae0200.jpg  アメリカの作曲家、ジョン.C.アダムズの「フリジアン・ゲート」(1977)。

彼は1947年にマサチューセッツ州のウォーセスターに生まれ、1971年にハーヴァード大学を出たあとカリフォルニア州に移り、1983年までサンフランシスコ音楽院で教鞭をとった。その後、サンフランシスコ交響楽団の専属作曲家を務めた。

 ジョン・アダムズはミニマル・ミュージックの後継者の一人と言われているが、自分自身のことを「ミニマリズムに飽きたミニマリスト」とか「ミニマリストというよりはポストモダニスト」などと呼んでいる。
 「過去をふりかえることなくして、創作のエネルギーを得ることはない」と自ら述べており、アダムズには伝統に対する強い意識がある。

 彼が広く注目されるようになるのは1970年代後半、ピアノ・ソロのための「フリジアン・ゲート」(フリギアの門)と、弦楽七重奏のための「シェーカー・ループス」(揺れる音型の環,1978)によってであった。
 これらの作品からアダムズは、ミニマル・ミュージックとロマン主義的要素を混合させたような「ポスト・ミニマル」のスタイルへと変化したのであった。
 「フリジアン・ゲート」の“ゲート”とは、旋法や調性の突然の転換のこと(という意味では、「フリギアの門」という邦題は誤解を招くかもしれない)。この“ゲート”が、聴き手に心理的、情動的な変化を呼び起こすことを作曲者は狙っているこの曲は、アダムズとしては既存の旋法性を扱っている唯一の作品ということで、タイトルのとおりフリギア旋法が使われている。。

 「フリジアン・ゲート」は、まるでムード・ミュージックのように始まる曲である。それは、ミニマル・ミュージックらしい特徴を備えているとも言えるが、そこは「ポスト・ミニマル」と呼ばれているように、ちょっと違うものがある。(ミニマル+ロマン)÷2ということが、よくわかる。
 そして、しばしば強烈なアタックによって、曲調が変化していくのである。
 これを退屈と受け止めるか、恍惚になるかは個々の好みの問題だが、私個人としては、ミニマル・ミュージック全般よりは恍惚感は少ないととらえている。そのかわり、ミニマル・ミュージックより現実感がある。つまり、全面的に白日夢に入り込めない、という感じである。

 私が持っているCDは、ヘルマン・クレッチュマーのピアノによる演奏(1997年録音)で、CDそのもののタイトルは「ジョン・アダムズ作品集」。ほかに「シャイカー・ループス」と「室内交響曲」が収録されている。RCAのBVCC789。

 J.アダムズについては、遅々として進んでいないものの、もう少しいろいろと作品を聴いてみたいと私が関心を持っている作曲家である。勝手にすれば、と言われりゃそれまでだけど……

 参考文献:E.ストリックランド/柿沼敏江・米田栄 訳
         「アメリカン・ニュー・ミュージック」(勁草書房)
        長木誠司監修 「作曲の20世紀Ⅱ」(音楽之友社)


悲しいことに、

峠を越したと楽観視していた私の微熱型風邪が、今朝からは装いも新たに嘔吐・下痢型風邪にリニューアル。「震えが止まったあなたに、こんどは内側からの肛門刺激で、退屈させない」と、さびれた遊園地のキャッチフレーズのように、私を渦中に置いた。  けさ最初に私が行なったことは、便器に向かって吐くことだった。通勤の電車では吐き気と戦っていたが、手に密かに隠し持っていた緊急時のためのビニール袋(エチケット用)は汗でびしょびしょになった。しかも徐々におなかが下っていく違和感が顕著になってきて、いやあ、肛門に力が入ったなあ……  それにしても、どうしてこういう日に限って、先行列車が遅れ、自分の乗っている電車も遅れるのだろう……  昼までに4回個室に行った。吐き気はおさまったか下痢は低気圧のように発達したままである。  昨日、今日と携帯から投稿。短くてすみません。

未成年なのに勝手に登録!

 数日前のことである。
 私の次男(高校生)の携帯に見知らぬ番号からSMS(ショートメール)が届いた。
 たまたま私が早く家に帰っていたので、ふだんはアンチ素直な彼も不気味がって私のところに携帯を持ってきて。
 親子そろって新たな冒険に踏み出すかのようにそのメール読もうとすると、「スキャン機能」という画面になり、「注意! 電話番号やURLの記述があります。送信元に心当たりが無い場合にはご注意ください」というメッセージが表示された。こんな画面があること自体、私は知らなかった。
 送信元の電話番号に、息子はまったく心当たりがないという。勇敢な私は、無謀な息子とともにメールを開いてみた。
 その内容は***********(携帯の電話番号)様は現在仮登録中で、変更しなければ本登録が確定する、という一方的でわけがわからないものであった。その下にはURLが書かれている。  そのURLを開くとつながったのはアダルトサイトであった(ここではあえて、そのサイト名は書かないでおく)。
 一応規約が書かれており、「18歳未満の方は登録できません。すみやかに退場してください」なんて書いてあるが、退場も何も、誘導しておいて何を言ってるんじゃい、だ。だいたい年齢も性別も関係なく、勝手に「変更しなければ本登録確定」と書いてきたのはそっちだろ!こういうのが弁護士なんかに送られたらおもしろいかも……
 しかも、そこには「登録しない」あるいは「退場する」なんていうメニューがまったくない。「登録する」ばかりが点在している。「問い合わせ」というメニューはあったが、ここで「ボクは18歳未満なので登録できません。どうすればいいですか?」なんて問い合わせたら、向こうの思うツボだ。名前やら住所やら聞き出され、請求書が送り付けられるに違いない。で、私たちの危険な冒険もここで中断。
 すると、しばらくしてまたSMSが来た。今度の送信元は別な電話番号である。 またスキャン機能が働き、同じメッセージが表示される。
 内容を読むと、***********様に大切なお知らせがあります、って内容。書かれてあるURLに入ると、なんとまあ、***********様はもう会員になってしまっている。早くお金を振り込みなさいだって。5万だか何万だかよく覚えてないけど、これじゃすれ違いざまに「金を出せ!」って言ってるのに等しい。
 なぁに、言ってんだか!
 頭にきたからその携帯の設定を「SMS受信拒否」にした。息子は不満そうだったが、きっとそこからのSMSの回数は増えるに違いない。早く金を払え、遅延金はいくらだとか書いてくるぞ。そんなのわずらわしいだろ?と言って納得させた。私としてはいくつの電話番号を使い分けてくるのかちょっぴり興味深かったけど……

 こうやってワン切りのように、SMSをばらまいているのだろうが、きっと中にはわけがわからないまま、気味悪がって、お金を払う人もいるのだろう。ウチにはそんなお金はない。
 私があらためて言うことではないが、絶対にこちらから先方に問い合わせしないこと。相手はこちらのことは何も知らない。機械的に拾ってヒットした電話番号だけだ。個人情報が知れてしまうようなことはせず、無視すること。
 こういう手口ってまだあるんだなぁ。
 ひどく腹が立つ。

 ♪
 話は変わるが、私のこのブログにもときどきアダルトサイトがトラックバックされる。気づいたらすぐに削除するようにはしているが、一時的に残っていた場合はお許し願いたい。
 このトラックバック、タイトルは違ってもほぼ毎回同じサイトにつながる。そのサイトは「逆援」のもので、女性からお金がもらえるってもの。ところが、そこで「登録画面」に入ってみると、まったく別の出会い系サイトにつながる。つまり、逆援なんかじゃない。しかもそのサイト、ネットの口コミでは「サクラ」ばかりという話だ。
 どうかお気をつけください。

冬の日の幻想……寒さで幻覚?

5201d06b.jpg  私が住んでいる家の近くには大きな川と、そして小さな川がいくつかあって、そのため夏にはホタルが少しながら発生するというが(私は目撃したことがない)、冬になると少なからず霧が発生する(私は見たくはないが、見たくないどころが霧に包まれてしまう)。

 霧が発生するのは気温が急激に下がる時で、温かい水温の川から、オヤランモヤランと霧が立ち上ってくる。
 つい先日も、夜の9時過ぎから霧が立ち込めはじめ、朝になってもそのまま。ウルトラQの世界なら、その向こうからトドラが出てきそうな雰囲気であった。

 しかし、この霧は美しい霧氷を作り出す。
 見ている分にはきれいだが、こびりつかれた木にとってはいい迷惑だろうし、実際そんな朝に通勤に出陣するこちらとしても、精神的に迷惑である(肉体的には苦痛)。
 この日の朝は、それでも思ったほど冷え込まなかったために、霧氷も霧氷と呼ぶほどにはしゃきっとしていなかったが、それでも写真のような状態になった。桃色夏椿の枝と、その枝に雪対策のために巻いている縄についたものである。よく見ると、なかなか美しいではないか!
 周囲が暗いのは、まだ日の出前だから。たまたまゴミ出しに外に出たらこんな状態だったので撮ったのだ。それにしても日の出前にゴミを出すというのも、我ながら怪しいと思う。
 雪の結晶っぽい姿がわかるだろうか?
 でも、これって田舎の小さな商店の、アイスクリームの冷凍ケースを連想させる。霜で覆われた、いつから鎮座しているのか不明のアイスクリーム……

 おそらく日中の温度が上がらないまま、何夜もこれがくり返されると樹氷まで成長するのだろうが、さすがに私が住んでいるあたりはそこまで寒くはない。幸いなことに……

 こういうのを見ると、頭に浮かぶのがチャイコフスキーの交響曲第1番ト短調Op.13「冬の日の幻想」(1866/1874改訂)である。
 4つの楽章のうち、第1楽章には「冬の旅の夢想」、第2楽章には「陰気な土地、霧の土地」という名がついているが、あらまあ、私が住んでるところなんかは第2楽章そのものだわぁ。そして「幻想」じゃなくて「ゲンジツ」である。やれやれ……

 チャイコフスキーとロシア国民楽派の対比についてはこれまでも書いてきたが(たいしたことは書いてないけど)、チャイコフスキーの音楽が季節的に秋から冬のイメージを連想させることが多いのに対し、国民楽派の骨太の音楽は黒々とした土が見える夏を思い起こさせる。あるいは没季節的に聴こえる。

 交響曲第1番の冒頭は、いかにも「凍てつく冬」って感じだ。どういうわけか私は、寒さで力を発揮できなくなったウルトラセブンの話を思い出してしまう。温かい炎が恋しい……。弱ったウルトラセブンはこのときに幻覚を見ていたような記憶があるが、その記憶自体が私の幻覚だったりして……

 チャイコフスキーの番号付き交響曲6曲のうち、後期の3曲は圧倒的な人気があるが、前半の3曲は後期3曲に対し極端に過小評価されているように思われる。音楽の構成とか完成度とか、難しいことはわからないが、前期3曲もなかなか良い交響曲である。

 H.C.ショーンバーグだって、《チャイコフスキーの交響曲は、最初の3作でさえ、個性と旋律面の魅力に富んでおり、永遠の新鮮さを今日も保っている》と書いているではないか!(「大作曲家の生涯」:共同通信社刊)。この本は30年ほど前に刊行されたが、2009年になった現在では、すでにここに書かれている“今日”ではない、なんてことはないっすよね?

 後期の交響曲のなかで、私は第4番が最も交響曲らしくて好きなのだが(マーラーとかベルリオーズが好きなくせに、「何が交響曲らしく」だ、という文句には耳を貸したくない)、第1番は第4番のような曲運びである。メロディーもチャイコフスキーらしく病的に神経質で繊細。

 S.ヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」(中央公論社)のなかには、チャイコフスキーの交響曲第1番について、R=コルサコフが語ったという話について書かれている。もちろん、この話の背景には、R=コルサコフがチャイコフスキーと敵対していたという事情がある。

 《しかしながら、敵意は残った。プロコフィエフが語ったところによると、彼はチャコフスキイの交響曲第1番の総譜にある誤りを発見したそうでf12c3eab.jpgある。総譜ではフルートが変ロ音に下がっていたからだ。彼はそれをリムスキイ=コルサコフに見せ た。リムスキイ=コルサコフはチャイコフスキイのこの失敗にたいそう満足し、ほくそ笑んで、このようなことを言った。「そうだ、チャイコフスキイはここでなにか間違いをしでかした……間違ったのだ……」》(104p)

 私がふだん聴いているCDはロリン・マゼール指揮ウィーン・フィルの演奏(1964年録音)。ロシア陣でないのが不思議?いえいえ、このころのマゼールの勢いは、けっこう凄い。録音も良く、重低音もビンビン、ドンドンである。
 ロンドン・レーベルのPOCL3852(2枚組。掲載写真は輸入盤のもの。細かい話だが、雪をホウキで掃いている男性に、なぜか共感を覚える。さらにどうでもよい話だが、そりを引く馬が、さびれた遊園地のメリーゴーランドの人造馬に見えてしまう)。タワーレコードのネット通販に在庫あり↓。2,957円。このCDにはほかに、第2番と第3番の交響曲と幻想序曲「ロメオとジュリエット」が収められており、お買い得!チャイコフスキーの前期3交響曲を聴くにはもってこいである。

 ところで、朝青龍のガッツポーズに対し文句をつけている権威者がいるが、そんなに悪いことだろうか?谷亮子だってオリンピックで金を取った瞬間にガッツポーズをしたような気がするけど、誰も何も言わなかった……。相撲と柔道でそんなに厳粛度が違うのだろうか?

埋蔵金というからには、聴く価値あり?

d12f32b1.jpg  とても恐れ多いことに、私のブログに作曲家であり指揮者でありヴァイオリニストである玉木宏樹氏(1943- )からコメントが寄せられた。まぁ、びっくり!それは1月24日、偶然にも、私が夜に発熱した日である(な~にが偶然だか……)。

 玉木宏樹氏は山本直純を師とする。TV番組の「怪奇大作戦」や「大江戸捜査網」の音楽は彼の作曲。

 コメントには、「MUUSANの書いている音楽についての文章に、いつも感心しています。毎日、更新されるのを楽しみにしています」なんてことはまったく書かれていなかったが、「文章に拙さが残るものの、着眼点には期待するものがある」とも書かれてはいなかった。
 簡単に内容を紹介すると「私は『クラシック埋蔵金 発掘指南書』なる本を出版した。汝のためになるはずだ。読んでみてはいかが?」というものであった。

 なぜ、私のブログのようなマイナーなものにコメントを寄せてくれたのだろう?
 氏の目にちょっとだけとまったのだろうか?それともコメントする相手を、いくつかの“運命のいたずら”的な段ズレの連続によって、間違えたのだろうか?

 でも、せっかくコメントを寄せて下さったので、さっそく本屋に行って見てみた。もうすぐ撤退する札幌旭屋書店に……

 その本は音楽書の棚にあった。2冊あった。すでに店頭在庫が2冊にまで減ってしまったのか、最初から2冊しか入荷していなくてまだ1冊も売れていないのかわからないが、とにかく2冊が目立つ場所に置いてあった。

 内容を読む(立ち読み。すいません……)。
 隠れた名曲、埋もれた名曲、あるいは珍曲がいくつも紹介されている。
 すごいなぁ。なかなかだなぁ。
 紹介されている作品中、私が実際に耳にしたことがある曲はそう多くないので、「隠れた“名曲”がまだこんなにある」と言うことはできないが、「へぇ~っ」と感心することしきり。マニアックな世界だ。
 この本の、S.ライヒの「ディファレント・トレインズ」を紹介している文中で、氏が鉄道マニアであることが触れられているが、鉄道マニアって、あらゆる点でマニアックな方向に走る傾向があるのだろうか?(というのも、私もかつては鉄道マニアだったので、ちょっぴりわかるのだ)

 大納得したのは、カリンニコフの交響曲第1番とペレーツィスの「コンチェルティーノ・ビアンコ」が紹介されているところ。すでにかなり認知されてきている前者はともかくとして、「ビアンコ」を聴いて嬉々としているのは、日本では氏と私ぐらいしかいないだろう。私が知っている範囲内では、の話だが。

 んっ?つーことは、氏は私のブログを読んで、「この程度で珍しい曲を紹介してるなんておごった気持ちになるんじゃないよ」という意味をこめて、コメントを寄せてくれたのだろうか?(とことん被害者的思考)
 でも、私は埋蔵作品を見つけ出すことを主目的にしているわけではないのだが……

 この「クラシック埋蔵金 発掘指南書」(出版芸術社)は、確かに珍しい作品を紹介してくれているという点で「お役に立つ」が、「1,800円を出すのはちょっと」と思い私はこの日は購入せず。というのも、氏自身が「読み物としておもしろく」なるよう文を書いたといっているものの、逆に紹介作品に関する記述が物足りなく感じたから。もうちょっと書いてぇ、と言いたくなる(全体的に文章量は少ない)。そう、どのような埋蔵金なのか、もう少しわかるように……。
 自著の紹介のコメントを寄せてくれたのに大絶賛しなくて、氏には申し訳なくもないが、そこは公正な判断ということでご容赦願おう。
 でも、何だかんだ言いつつ、最後は買っちゃいそうな自分がここにくすぶっている。

 それにしても、氏は、なぜよりによって1月23日の記事に対してコメントを寄せてきたのだろう?
 この日の内容は、犬のオシッコの話だった。
 それをあえて選ばなくてもいいのに……。意地悪ね。

風邪だ!微熱だ!パブロンだ!

1ae62ac0.jpg  久々に発熱。
 悪寒でガタガタと震えるはめになってしまったが、なかなかつらかった(まだ“ing”だけど)。

 ちょっと鼻がグシュグシュするなぁと思ったのが土曜日の朝。
 ご存知のとおり、その日は札響の定期演奏会に行ったが、そこでは演奏中に破壊的なクシャミをすることもなく鑑賞。
 どうも変だなぁ、と思ったのは、その日の夜、外の物置にゴミを持って行ったとき。
 誰もが止めようもない、激しい震えに襲われた。
 実際の寒さが、眠っていた悪寒中枢のスイッチをOnにしたのだ。

 夜中は寝汗でビチャビチャ。

 ところが昨日(日曜日)は、運悪く、休みではなく日帰りながらも出張しなければならない日。しかも新千歳空港発一番機(に近い)。

 風邪で敏感になった肌は、起きようとしてパジャマがすれるだけで、アッハァァァァ~ン、ではなく、痛いというか何というか、表現できない不快感。

 日の出前に空港に向かったが、ほとんど地獄に行くような気分と実感。

 空港に着くと、前夜からの雪の除雪などで出発遅れ。
 ただでさえ時間に余裕のない行程だったため、私には時間のストレスという因子がさらに防備相手として加わる。

 しかし、遅れながらも、飛んだ飛行機の窓から(車や列車なら「車窓」だが、飛行機の場合はなんて言うのかね?)は美しい青空が!
 ふだんは通路側にしか座らない私だが、昨日はあまりにも空いていたので、ちょっと移動して窓の外を写してみた。

 とはいえ、空が青かろうが、飛行機がすいていようが、風邪の状況は、今朝も変わっていない。

 やれやれ……

札響第515回定期演奏会を聴いて

c6605d8b.jpg  昨日1月24日、15:00から行われた札幌交響楽団第515回定期演奏会。

 指揮は飯守泰次郎。ピアノが横山幸雄で、ワーグナーの「さまよえるオランダ人」序曲、伊福部昭の「ピアノとオーケストラのための『リトミカ・オスティナータ』」、サン=サーンスの交響曲第3番というプログラム。
 伊福部昭ファンの私としては、「リトミカ・オスティナータ」に期待して行ったわけだが、期待をはるかに上回る演奏だった。

 すっかりお年を召してしまった飯守だが、最初のワーグナーから飛ばす。オーケストラもそれに応えた迫力ある演奏。後ろ姿の飯守は、かつての山田和男を思わせたりもする。

 2曲目の「リトミカ・オスティナータ」は、私はこれまで数え切れないほどLPやCDを繰り返し聴いてきたが、生演奏は初めて。
 実際に生で聴くと、それまで気づかなかった(あるいはCDでは再現できなかった)新鮮な音色や楽器の用法が分かる。期待して916128d2.jpg 行ったが、過度の期待は裏切られることが多いもの。しかし、この日は聴いていて久しぶりに完全集中させられたし、何度も背筋に寒気が走った(帰宅して測ったら微熱があったという事実もそれに加担しているだろう)。
 中間部でピアノの背景でピッコロとトロンボーンが重なって吹かれている、あの不思議な音色(譜例1。掲載スコアは全音楽譜出版社のもの。以下同様)。これはCDでは分からなかった。「管絃楽法」の著者だけに、やっぱりオーケストレーションがすごいのは当たり前ってことか。
 打楽器群の荒々しさもCDでは、これまで録音された演奏の問題もあるだろうが、ピアノをメインに録るとなかなか再現できない。そう、これなのだ。打楽器でピアノが聴こえない箇所があってもいいのだ。この曲がピアノに求めているのはメロディーではなく、リズムなのだから。
 さらにはppも、繊細なppと力を秘めたppがあるということを、飯守は巧e0b5ddeb.jpg みに表現していた。
 最後のゲネラル・パウゼ(譜例2)で、誰かが飛び出ませんようにと祈ったが、ここも完璧。
 ピアノもオーケストラも伊福部音楽の魅力を十分に表現した、見事な演奏だった。
 これ、CD化してほしいなあ。

 サン=サーンスの交響曲第3番は、過去にも何度か生で聴いたことがあるが、実際にパイプ・オルガンを用いた演奏を聴くのは初めて。
 この交響曲は循環形式によって、最初のメロディーが全曲を通して現れ、統一感を図っているのだが、私は最初のムカデが忍び寄ってくる397e58b1.jpgような不気味な旋律(譜例3)が、のちの第2楽章第2部(実質的な第4楽章)で現れる輝かしい旋律(譜例4)に化けているなんて、最初の20年間気づかなかっ た。しくしく……。皆さんは、そういうのすぐ分かります?しかも、これってかなりそっくりそのままの形で化けているんだよなぁ。一回気づくと、何で20年もの間気がつかなかったんだろうって、自分が情けなくなる。まっ、気づいたとしても儲け話にはつながらないけど。
 肝心の演奏だが、この曲でも札響はほぼ完璧。ワーグナーとは異なる、フランスの世界を美しく響かせる。
 ただ、交響曲自体が意外とつまらないかも、と思った。演奏が良いだけに、かえってそれが目立って感じた。パイプ・オルガンの響385b9dd8.jpg きも「こんなもんか」という感じ(オルガンの演奏が悪いということではない)。かつて、電子オルガンを使って演奏された札響の響きとあまりスケール感は変わらない。
  実は感動を与えるタイプの作品じゃないのかな、と思ってしまった。

 それにしても、この日の札響の演奏はほぼ完璧!こう言っちゃ失礼だが、第一級指揮者とは言い難い飯守の棒で、このような演奏が聴けるとは!
 客の入りはいま一つ。しかも年配者が多い。このままじゃ、次代の聴衆は育たないな、とちょっと心配する次第。

 「リトミカ・オスティナータ」については、昨年11月25日にCD紹介を兼ねて投稿しているが、いまのところ、録音ではそのときに紹介した藤井一興の演奏がいちばんだと思う。管楽器の入りが1拍遅れていたり、藤井一興が弾くピアノで、指がこんがらかったりするところがあるけど、ビクター盤やナクソス盤よりは伊福部らしいバーバリックな響きが聴ける。

ルーツはウルトラセブンの音楽?

  幻想振動症候群……
 英語ではPhantom Vibration Syndromeっていうんだそうだ。

 皆さんも経験がおありだと思うが、携帯電話の着信を気にするあまり、バイブ・モードのときに振動したという錯覚を頻繁に起こす現象をいう。

 私も少し前まではそうだった。
 携帯電話をシャツの胸ポケットに入れていることが多いのだが、しょっちゅう震えたような気がしたものだ。あるいは、実際に振動していたのかも知れないが、それは携帯でなくて心臓が異常微振動していた恐れもある。

 それがである。
 なぜかは不明だが、最近は本当にバイブ・モードで震えていても(本来ならヴァイブって書くのが正しい気がするが、何となくすっごくイヤラシイ感じになるので、バにしておく)、全然気がつかないことが多くなってしまった。携帯電話の根性がなくなってきたのかとも思ったが、うんにゃ違う、私が鈍くなったと断定せざるを得ない。
 やれやれ……あんなに敏感だった私はいずこへ?

 さらに記憶力の低下。
 着信イルミネーションを使い分けしているのに、どの色が誰、もしくはどのグループという設定の多くを忘れてしまっているのだ。
 例えば、夜のススキノのお店で勤労している女性が教えてくれたアドレス。その女性からメールが来た場合にはピンクのイルミネーションが輝くように設定したとしても、実際にその色で輝いても、すぐにピンと来ないのだ。別にすぐにピンと来なきゃならない必要なんかないといえばないんだけど……
 ただ、私の脳みそが衰えてきているだけではないと言える。
 もう一つ別な大きな要因がある。実際にはほとんどメールが来ることがないから、忘れるのも無理がないということだ。ふんっ!

 着信イルミネーションに関して言えば、実際に光ったときに青と水色の微妙な色の区別ができないという問題もある。これは私だけの問題だろうか?

 こうやって書いていると、よほど大切な相手以外は、イルミネーションの設定をしない方が無難なような気がしてきた。無難というよりも無意味。

 携帯のイルミネーションとはまったく関係ないが、私はP.グラス(1937- )の歌劇「浜辺のアインシュタイン」(1976)を聴いていると、次から次へとフラッシュする光を連想してしまう。

 はっきり言って、ヒトを食ったような音楽であるが、学問的に言うと「ミニマル・オペラといわれた、ネオ・ダダ的文明告発の作品」なんだそうだ。
 歌われてる歌詞が「ワン・ツー・スリー・フォー……」の繰り返しだったり(「ウルトラセブン」みたいだ)、「ソシラシド、ソシラシド……」の繰り返しだったりで、面白いんだけど(そしてけっこう引き込まれるんだけど)危ない誘惑のような音楽なのだ。

 私は抜粋盤(ノンサッチWPCS5197)を持っているが、抜粋盤といっても全曲盤みたいなもの。というのは、全曲は、抜粋盤に収められている音楽がもっと反復されるだけだからだ。
 このCD、現在は廃盤のようだが、再発売になった折にはご購入をお薦めする。
 ストレス発散にうってつけ!
 一応言っておくけど、オペラとはなっているが、いわゆるふつうのオペラとはまったく違うものです。

さまざまな「黄色」

 冬の朝の通勤道では、いたるところで大胆に色づけされた雪を見かける。
 それは曲がり角に多いが、あらまぁ、歩道の中央の場合も稀にある。
 その色づいた雪を見ると(いやでも目に入ってくるのだけど)、私はそれを描いた主の健康状態が気になる。

 もうお解りだと思うが、何の話かというと、尿で色づいてしまった雪のことである(話の展開が私の妻が話してるかのようにまどろっこしくて、ふふ、イライラしたでしょ?)。
 その描き手(正確には汚し手)はお犬様である(と信じたい。中には夜中のうち、あるいは日の出前にヒトが立ちションで色づけしたものもあるだろう)

 それにしても、まさに至る所、である。
 こんなに朝のうちから大規模な散歩合戦が繰り広げられているのが、不思議であり、ある意味奇妙である。きっと自分のタバコを買いに行くのも億劫がるくせに、犬の散歩だけは強風波浪着雪警報が出ていてもやり遂げる飼い主が少なからずいるのだろう。

 そのオシッコの色であるが、とても一般的な水彩絵の具では再現できないくらいバリエーションに富んでいる。“尿色千差万別”である。
 まるでオロナミンを多めに飲まされたに違いないと思われるような、レモンシロップのかき氷のような、鮮明なレモン・イエローに染まった雪もあれば、お酒に酔った翌朝の中年オヤジのションベンみたいな色のものもある(ある意味では、これが一般的なのだろう)。
 心配になってしまうのは、日焼けしたラクダみたいな色の痕跡だ。
 大丈夫だろうか?ポチは腎盂炎になってしまったのではないだろうか、と見ず知らずの犬に仮名をつけて心配してしまう。飼い主は、かわいいペットが気の抜けたコーラのような色のお小水を出しているのを見て、何も感じないのだろうか?(注:下線部を「気が抜けていない新鮮なコーラ」と置き換えても問題は生じません)
 だとしたら、お犬様はかわいそう……
 それとも、体質的に酸化しやすい尿を出しやすくて、実は「したて」は美しい淡黄色を呈しているのだが、すぐに褐変してしまうのだろうか?

 時にはゲロもある。犬だって朝起きて急に散歩に連れ出されたらオエッってくることもあるんだろうなぁって、違う違う、明らかにゲロオヤジの仕業だ(過去に私も実行者になったことがある。すいません。でも、ちゃんと雪で覆い隠しましたけど……)

 こういう、多数点在する排尿マーカーを、今朝(投稿する今日から見れば昨日)はZEN-STONEボロディンの交響曲第1番を聴きながら、まるで地雷を遠巻きにして避けるように駅まで向ったのであった。
 ZEN-STONEって何かというのをもう一回説明すると、Made in Chinaのデジタル・オーディオ・プレーヤーで、Walk Manとか買えないところが悲しい。もっと悲しいのは、こいつは胸の内ポケットに入れて置かなくては、寒さで、かすかに「ひゅんっ」っていう、首をひねられたミミズのようなうめき声を上げて、完全停止してしまうのだ。やれやれ……
 こういうのって、1年間の保証期間が過ぎたとたんに、温めようが何しようが再起できない危篤状態に陥ってしまいような予感もする。

 こんなに排尿痕があるということは、雪のない季節は見過ごして踏んでることがけっこうあるのだろう。ウンチさえ見過ごして踏みそうになることがあるんだから、うん、間違いなく尿は踏んでいるな。

 それと、重要な教訓。
 「尿の後がある近辺ほどアイスバーンである」
 なぜかはわからないが、「おぉ、尿痕だ。気をつけなきゃ」と思った瞬間、滑って転びそうになることが多い。まるで、尿に引き寄せられるように……
 気をつけなきゃ。

 朝の通勤は(帰りもだが)、気を抜けない1日の試練の序奏なのだ。


そりゃ、バイト代は欲しいけど……

 なぜだかわからないが、今年に入ってやたら迷惑メールが増えている。
 その内容は「日雇い日払いの高収入バイト」というもので、パチンコやパチスロの台に座って、当たりを出すというもの。つまり、指定された台で「こんなに出るんだよ」というサクラを務めるのだ。
 なんでウチのアドレスがわかったのか、とっても不思議。
 しかも、送信元の毎回アドレスが違う。
 あぁ、うざったい、と思ったが、そっか、ウィンドウズ・メールでルール設定すればいいんだということに、つい先ごろ気づいた次第。
 迷惑メールのフォルダに振り分けるのも邪魔なので、本文に「日雇い」「日払い」「高収入」「パチスロ」の語句が含まれるものをそのまま削除するようにしたが、これってすっごく便利な機能なのね。知らんかった。人間、長生きするもんだなぁ。

 
 数ははるかに少ないが、同時期から別な迷惑メールも来るようになった。
 「地域のコミュニティで、元水商売の人もいて……」って、要するに出会い系である。こちらも本文のいくつかの語句を指定して、設定は「サーバーから削除」というようにしたが、これって「サーバーからダウンロードしない」という設定と、具体的にどのように違うのかいま一つ私にはわからない。
 私はこういう些細なことに結構悩むタイプなので、とっても悶々とした日々を過ごしている。メール関連の参考書にも、この「ルールのアクション」の各項目についての詳細な説明がない。しくしく……

 それにしても、どこからウチのアドレスが漏れたのか?
 あのときに見たアダルト・サイトのせいか?
 それとも、子供がよからぬことを?……

 わかんないや。

 メールの話に関連して……
 一昨日パソコンを起動したら、セキュリティ・ソフトが働いていません、みたいなエラー・メッセージが出た。何が原因かはわからないが、ウィルス・セキュリティ・ソフト“ZERO”が働かなくなっている。
 マニュアルを読むと、「そういうときには再インストールしてください」と、ごくふつうのことのように書いてある。
 はいはい、そうしました。
 これでバッチリ元通り……って、こんなのがしょっちゅうあったら困るんだけどなぁ。

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