読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行した「保存版」です。  いまは“新・読後充実度 84ppm のお話”として更新しています。左サイドバーの入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。  背景の写真は「とうや水の駅」の「TSUDOU」のミニオムライス。(記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

March 2009

異動時期。あの人は遠くへ行ってしまう……

 昨日の朝、いつものように電車が札幌駅のホームに滑り込み、私はホームのキオスクに立ち寄った。ヘルシア緑茶を買うためである。ヘルシア緑茶が中性脂肪の異常値軽減に効果があると解ってから、私はもはや1日1本、ヘルシア緑茶を飲まないわけにはいかないような、ある種の強迫観念に取り憑かれていると言ってもよい。

 前にも書いたように、ここのキオスクのお姉さんは、私の姿を見た瞬間にさっと冷蔵庫からヘルシア緑茶を出して、待ち構えてくれる。大人の私は、当然のことながら、その姿を見て「ジョージア・エメラルドブレンド!」と言ったりはしない。そんなことで彼女の善意を踏みにじってはいけないのだ。

 ところでここのキオスクには店員さんが2人いる。居るのは1人なのだが、日替わりで勤めている。日替わりと言ってもA子さんが何日も続くときもあるし、B子さんがずっと続くときもある。
 「私=ヘルシア緑茶」という学習がなされているのはB子さんのほうだ。
 A子さんはB子さんより年上のようだ。B子さんはA子さんより若いようで、私より一回り上まではいっていないと思う。

 今朝は、そのB子さんが店番をしていた。
 店番というのはなんと懐かしい響きであろう!それに店番というのは、1日に小僧が何人かしか来ない駄菓子屋に適用されるべき言葉であって、忙しいキオスクにはふさわしくない。だから正しくは「勤労していた」というべきだろう。

 彼女は電車から私が降り立つのを横目で見て、右向け右!をして、右手でシャーッと冷蔵庫の引き戸を開け、ヘルシア緑茶を取り出し、ガムが陳列されている上に置いた。
 私はいつもの無駄のない動きに、ご褒美に餌の生イワシでも与えたい気分になったくらいだ。
 私は私で、事前に用意し右手に握り締めた100円玉2枚を渡し、彼女は昭和59年産の10円玉1枚をお釣りとして返してくれた。

 ところが今日はもう一つ別な動きがあった。

 吠えたのだ!

 うそである。
 棚の左端に何枚か重ねてある紙の束から、私に1枚をよこしたのだった。
 その1枚を取るときに指を舐めたことに対して、私は「バッチイよ」とアドバイスしたかった。

c905d493.jpg  そのA5ほどの紙は、「キオスク春のイケイケ・フェア」とかのチラシではなく、お手紙だった。
 そのキオスクは閉店になるのだ。
 そして彼女たち(B子さんもA子さんも)も遠くに配置転換されるのだ。
 1・2番ホームから7・8番ホームへと、実に線路を6本も越えなければならないのだ(札幌駅の構造を知りたい方は全国版時刻表の前の方のページに載っている駅構内図を見たまえ!)。

 確かにこのキオスクはあまり混んでいなかった。
 混んでいたら、私=ヘルシア緑茶という結びつきなど起こり得ないのだ。私は毎朝何かを買う通勤客の1人であり、記憶には残らない通過人である。
 でも、あまり客がいないから、パブロフの犬の理論が正しいことが証明されたのだ。
 1・2番ホームは通勤列車ばかりが使う。東京と違って、北海道の通勤客はキオスクをあまり利用しないのかも知れない。
 中・長距離列車が使うホームのほうが売れるような気もするが、そんなに本数もないようにも思う。
 しかも、彼女たちの転勤先の7・8番ホームも、けっこう通勤電車が占めるんだけど…・・・

 それにしても、このようなお手紙を用意しているなんて、なんという心配りであろう。古き日本女性の情が感じられる。果たしてA子さんやB子さんが自らワープロを打ったのか、疑問は残るが……

 手紙には温かみを感じたが、彼女たちがいなくなるのは悲しいような気がする。
 7番ホームにはいるんだけど……

6970a148.jpg  ところで、「悲しい」といえば、ものすごぉぉぉくわかりやすいタイトルの「悲しい作品」というのがある。
 タイトルだけなら、悲しい物語や詩なのか、悲しい絵や版画なのか、悲しいトールペイントやパッチワークなのか、悲しい皮細工や籐細工なのか、なんなのか不明だが、音楽作品である。
 作曲したのはオヌテ・ナルブタイテというリスアニアの女性作曲家。「なら、ぶっ叩いて!」みたいな語感に好感がもてる。生まれは1956年。
 さっきの冗談じゃないが、彼女は詩や絵画の才能もあるそうだ。

 私はこの作品を、今から13年ほど前に知った。たまたま、昼のFMを聴いていたら(ある部屋にこもってFM放送を聴きながら仕事をしていたのであった)、吉松隆氏が解説しながら、この曲を放送したのだ。ペレーツィスの「コンチェルティーノ・ビアンコ」を知ったのもこのときである。

 「悲しい作品」は1991年の作で、タイトルのとおり、とにかく悲しいんだ、ということが伝わってくる静かに声を潜めた曲。蚊の大群が殺虫剤で一撃されたかのよう。

 唯一のCD(たぶん)は、カンガス指揮オストロボスニア室内管弦楽団の演奏によるもの(1994年録音)。フィンランディア・レーベルのWPCS4931。
 でも、今は廃盤である。それがまた「悲しい」……

 ところで、私に無条件にヘルシア緑茶を差し出してくれるB子さんは、洋子さんと宮子さんのどちらなのだろう?
 私としては洋子さんであってほしい気がする……

「花畑牧場」と「衰えた中高年の性」という2つの広告に思うこと

b85c059d.jpg   なぜ今のタイミングなのだろう?
 バッシングが顕著化してきたから、その予防線なのだろうか?
 昨日、3月29日付北海道新聞朝刊に掲載された、花畑牧場のカラー全面広告。義剛が真剣なような顔をした写真のメッセージ広告を見て、私はどこか不自然さを感じてしまった。

 田中義剛については以前にも書いたが、私が彼に感じる異質感は、よく世の中の事情を理解していないくせに(それはおそらく間違いない)にも関わらず、知ったかぶってご高説を唱えるところで、彼の背後には自分の利益しか考えていないことが透き通って見えるからである。

 ご存知のように、彼は青森出身。
 本人が言うには「牧場をやりたい」という夢を抱いて、札幌近郊の江別市にある酪農学園大学に進学した。
 でも、彼を見ていると、酪農学園出身者はみんなあんな風に軽薄でバカだ、と思われるんじゃないかと、迷惑してるんじゃないかな……

 牧場をやりたい→酪農学園大学へ入る、という図式はわからないではないが、ずいぶんと短絡的にも思える。若さゆえだったのかしらねぇ。
 しかも、その後は芸能人となったわけで(イナカッペイは今、何をしてるんだろう)、そこは彼なりの理由があるんだろうけど、そのころ芸能界入りを果たすときや、デビューしたてのころに世話になった人たちにも、今やまったく義理を欠いているらしい。

 プロダクションに借金したということで、花畑牧場を中札内村に作り、「牧場をやりたい」という夢はかなったわけだが、そのことにしたって農業に従事するということは金さえあれば出来るというものではなく多くの人々の協力があったからこそ実現したはずだ。
 私は牧場を開いたと最初に新聞で見たとき、「なんだ、観光農場かよ」と思ったし……

 週刊新潮が、義剛の裏側について何回か書き始めているが、それをすべて信じるかどうかはともかく、私が人づてに聞いている内容と、基本的には一致している。

 農業のあるべき姿みたいなことをTVで偉そうに話しているが、地元の農協(牧場を作る時に、土地の確保から始まって、かなり世話になっているはずだ)には協力的ではないようだし、近隣の農家とも友好関係とは言えないみたいだし、すでに、あるいは最初から、彼は地元や北海道の農業ではなく全国区の売名を目的としたんじゃないの、と考えざるを得ない。

 それでも、彼がまともなことを言って、少しでも農業振興に役立つようならいい。
 しかし、「政治家になりたいんじゃないの」と思わせる、空虚さが露骨な持論をTVで吠えているだけ。「じゃあ、あんたに何ができるの?」という、観ていて恥ずかしく、むかっ腹が立つことばかりなりけり。

 彼は農業者としてみると、その輪に入ろうとしていない。
 そういうやり方、つまりアウトローでいくならそりゃそれでいい。だったら、農業がどうこうなど、なおさら言うべきでないと思う。むしろ逆で、彼は農家の頂点に立ちたいみたいに思える。

 輪に入りたいなら、農協を通じて農家の輪を大切にしなきゃならないんじゃない?
 その農協だが、ときおり聞かれる農協不要論は正しくないように思う。それはたいていの場合、企業家的視点から見た理屈であり、農協がなぜ必要とされて誕生したかという基本の部分が忘れられているように思うのだ。

 いまでは生産者直送みたいな販売が増えているが、これこそがいつまでもうまくいくとは限らない。農協というのは、農家がお互いに助け合うために生まれたもの。直販がうまくいっているときは、つい農協なんていらないと感じてしまうが、農協があるからこそ農家全体が助かっているのではないだろうか?

 たとえば今年、北海道のAさんの作柄はとても良く、市場でも高く売れたとする。一方、Bさんは自然災害か何かで良い作物が収穫できなかったとする。Aさんのものは100円で売れたが、Bさんのものは50円でしか売れなかった。そこで、農家たちは今年の販売代金として、AにもBにも、平均価格の75円で清算する。その機能を果たしているのが農協だ。

 これだけをみると、当然Aさんは不満に思い。Bさんは助かったと思う。
 しかし、これはそのときだけの現象である。
 翌年は、逆にAさんは40円で、Bさんのものは110円で売れるかもしれない。
 そうなると、平均価格はやはり75円で、2年を通してみれば、AさんもBさんも安定した価格で販売でき、相互に助け合えたことになる。簡単に言えば、これが農協の重要な機能なのである。
 ここでAさんが最初の年に自分のは高く売れる、と思い翌年は農協を通さずに直売しようと考えたとする。チラシを作成し、予約をとる。ところが、その年は不作で満足なものがとれないかった。
 さあ、大変である。予約した客からは文句を言われ、かといって出来が悪かったのでやっぱり農協に出荷するとも言えない。
 顧客からの信用はガタ落ち。出荷できない、もしふつうに出荷してとしても40円の価格しかつかないものが物置に……

 農協は全体で最大の利益を得るよう機能しているのである(う~ん、私も大学で「農業協同組合論」をとっていただけある)。
 産直販売が悪いとは言わないが、農家が相互に助け合う場として機能する農協が、単純に不要と言えないと私が思うのは、この点である。
 これは生産物の販売だけでなく、たとえば肥料などの資材を購入するときにも役割を果たしているという。つまり、農家一人一人が肥料会社から購入するよりも、農協単位で取りまとめし大量に仕入れることによって、スケールメリットで価格を下げることができるという。

 田中義剛が農協に加入しているかどうかは知らないが、彼のマスコミでの言動を見ている限り、助けあい精神はないようだし、彼が本当に農家であるのかも疑問に思う。おそらく、こういった農協の意味合いもまったくしらないのではないか?
 大学で農協について講義を受けなかったのかねぇ?
 彼と大学で同級生だったという人に会ったことがあるが、授業にはあまり熱心に出席していなく、よく出席簿の代筆を頼まれた、と言っていたからなぁ……
 
 自分の農場でできたものに付加価値をつけて生キャラメルを作っているのではなく、こうなると菓子メーカーの社長であろう。
 そういうスタンスでいるなら私も嫌に思わない。成功して立派だと感心するだろう。
 でも、そこで牧場主として農業がどうだ、農政がどうだと、わかったようなことを言っているか5dcca671.jpg ら鼻につく。農業者でない人間に、農業がどうあるべきかなど語る資格はない。

 何か月か前に、地元の月刊誌に「俺をホクレンの会長にしろ!」という義剛のインタビュー記事が載っていたが(ホクレンは北海道の農協経済連)、地元農協で何か役立つことをしていないくせにこう言える愚かさ、いかにトンチンカンなことを言っているのか気づかないバカさ加減に、私はどーしよーもないなと思った。本人は「こんなこと言って、すげえだろ?」と信じてやまないんだろうけど。

 さて、「みんなを幸せにする会社」と書かれたこの新聞広告であるが、これがまた、週刊新潮に書かれたことに対してさりげなく言い訳しているのだ。
 ・「花畑牧場は、食べる人を幸せにする」
 これは、週刊紙で衛生管理がずさんと書かれたことに対してであろう。
 ・「花畑牧場は、つくる人を幸せにする」
 従業員をどなったとか何とかという、週刊誌記事に対してであろう。それに、本当にそう思うなら、今回の広告も義剛一人だけじゃなく、楽しそうな従業員の表情を載せればよかったのに、と思ってしまう。
 ・「花畑牧場は、地域の人を幸せにする」
 地元との関係が良好ではないという記事内容に対してだろう。確かに雇用の場としては重要なんだろうけど。
 さらには、夕張メロン生キャラメルのことにも触れられている。週刊新潮によれば、もう夕張メロンの果汁は今の販売先だけでいっぱいで、新規供給はできないはず。農協も義剛には供給できないと断りを入れているという。それなのに、まだ言ってるよ、って感じ。言ってしまえばこっちのもの、っていう戦法なのか?それなのに義剛は、夕張に夕張メロン生キャラメルを作るための工場を建て、夕張市を元気にすると言っているが、その考えは立派だとしても、パフォーマンス臭さはぬぐえない。

 奇しくもこの日の北海道新聞のトップ記事は、夕張市についてのもの。まさか、タイミングを図ったわけじゃないだろうけど……
 
fe13b9e2.jpg  私は別に田中義剛に特に恨みがあるわけでもなんでもない。
 ただ、道産子であり、北海道に住んでいる私には、義剛という金と名誉を追い続けているだけのような人間に、北海道をダメにするような悪いイメージを植えつけて欲しくないと心配しているのだ。
 今回の広告(花畑牧場としては異例じゃないだろうか?)は、明らかにバッシング対策。とはいえ、いまさら、というタイミングでもある。

 ところで、同じ新聞に「シルバーエイジの性生活」という通販の広告が出ていた。DVD2枚組のうちの2枚目「実技編」にある「衰えた中高年の性」というのがいったいどういう映像で、どういう内容なのか、ひっどく気になる私である。
 それにしても、この日曜日の朝刊は広告で腹をたてたり、疑問をもったりと、なかなか楽しめた。

寿司を御馳走してくれたのは神様?―小僧の神様

 遅ればせながら、札幌ステラプレイスにオープンした三省堂書店に行ってみた。

 旭屋書店が売り上げが見込めないとしてステラプレイスから撤退し、そのあとにそれまで大丸百貨店にこじんまりと出店していた三省堂書店が入ったのだった。
 札幌における三省堂書店について言えば、その前は(ずっと前になるが)、東急百貨店の中にそこそこの広さをもったスペースの店舗を構えていた。しかし、東急からは三省堂書店もさらに山野楽器もいつの間にか撤退してしまい、すっかりとおばちゃま向けの構成になってしまった(山野楽器は駅前通りに面したビルの一階に移転し、さらに現在はLoftにあるわけだ。札幌のこの店の特徴は、どこにあったときも、店員がどこか高慢なオーラを発しているということである)。

 新しい三省堂は、旭屋のあとなので広さは同じだが、書棚の配置がわかりやすい。
 音楽書、特にクラシック関係の本は旭屋のときより減ったが、それを残念がるほど私は音楽書を買うわけじゃないから、残念ではない。どうしても専門的な本が欲しいなら、札幌駅西側の紀伊国屋書店に行けばいいのだ(Loftの紀伊国屋書店も専門書はギブアップ状態である。しかし、ここにある古書コーナーは見ていて楽しい)。

0cd977ca.jpg  三省堂で「何か面白そうな本はないかなぁ」と歩いていたら、「小僧の神様」というタイトルの文庫本に目がとまった。表紙に書かれている文を読むと、買って読むべきのように感じた。
 岩波文庫で著者は志賀直哉。
 それまで志賀直哉を読んだことはなかったし、読んでみたいとも思わなかったが、この短編集を買ってみることにした。

 どれも何気ない日常を描いている。でも、心に少なからず余韻を残す物語ばかり。
 明るくはない。どちらかと言えば心労につながる日常の厄介なことや、心配ごと、不条理をテーマにしているが、それが淡々と描かれている。

 表題の「小僧の神様」は、誰もが子供ときに体験するような憧れや恥を描いている。あるいは「正義派」は、少女が電車に轢かれたのをたまたま目撃した男たちが、警察に見たことを伝え、そのあとは自慢げに人々に目撃談を話すが、結局は自分たちが望むようには耳を傾けてもらえず、むなしさが残るというもの。それどころか、事故をたまたま目撃したばっかりに、自分たちの存在がおかしくなりかけるのである。
 このほかのどの小説も、胸に「こういう気持ちってわかるなぁ」と大なり小なり共感してしまう。それは外国小説では感じない、私たち日本人だからわかるものなのかも知れない。

 本書の中で唯一私が名を知っていたのは「好人物の夫婦」。
 これもストーリーとしてはそれほど突飛な内容ではないのだが、夫婦の内面の葛藤や不安をみごとに描いている。
 どうして私はこの小説の名を知っていたのだろう?

4baa63b1.jpg  そう、これはかつて映画化され、その音楽を伊福部昭が担当していたのだ。
 もちろん、私は映画も観たことはない。1956年の作だから、封切られたのは私が生まれる前の話だ。
 ただ、伊福部昭の作品リストを見たり、あるいは彼の映画音楽集のCDを聴いていて、このタイトルは知っていたのである。
 「好人物の夫婦」につけられた音楽は、やはり決して明るくない。つねに不安に襲われているかのようだ。
 でも、こういう雰囲気って、私が子供のころ、世の中に漠然と感じていた空気のような気がする。別に、子供のころから何かを考えていたのではなく、こういう音楽を聴くと、あのころを自動的に思いだしてしまうのだ。ふだんは顕在化しないが、あきらかに体を流れる血液には、そういうものが含まれている。

 「好人物の夫婦」はこれまでも紹介した「伊福部昭 映画音楽デビュー50周年記念」CDにも収められている(1曲)。また、「伊福部昭 映画音楽全集第9集」(写真)には2曲収められていた。ただし、こちらのCDは現在入手困難なようである。

 それにしても、志賀直哉を読んで、やはりふだん見かけない言い回しにいくつも出会った。これは時代的な問題、つまりその言い回しはいまや古語となっているものなのだろうか?それとも、私が知らないだけなのだろうか。
 また、決してくどくどと書いてはいないのに、情景が浮かんでくることに驚いた。やはり教科書に名を残す人っていうのはすごいのかもしれない。

特撮&伊福部ファンが陶酔した夜

11e499ab.jpg  今朝は暖かい。日差しも春を思わせるもの。
 朝、思わず外に出て、バラのうち、すでに周りの雪が融けている株の冬囲いを外した。
 来るべきガーデニング・シーズンへ期待に胸膨らむときである。ポッポーォ~(解説:胸膨らむ→鳩胸→鳩の鳴き声)。
 ネットを外すと、もう新芽が膨らんでいるものもある。あぁ、芽生え!「芽生え」って語感は、どうしてワクワクさせるものを持っているのだろう?
 クロッカスもすでに色づいているものがある。雪の下で頑張っていたのだ。どうして雪の下や、カチカチに凍った土の中で頑張れるのか、私にはその根性が理解できないけど。

51eeae2e.jpg  昨日、伊福部昭が音楽を担当した「キングコング対ゴジラ」について書いたが、彼の特撮映画音楽の集大成としてオーケストラ曲が生まれたのは1983年のことであった。
 これに先立つ数年間で伊福部昭の人気は高まりつつあった。
 それは純音楽作品もそうであったが、映画音楽についても1977年に東宝レコード(キング)が「日本の映画音楽シリーズ」というLPを10枚発売したところ、第4集の「伊福部昭の世界」だけが驚異的な売り上げを記録した。このように伊福部昭を評価する動きが高まっていた(ただし、楽壇はいま一つ冷やかであった)。

 伊福部昭が最初に映画音楽を書いたのは1947年の「銀嶺の果て」であったが、氏が映画音楽を手がけた理由は経済的なものである。東京音楽学校の講師と招かれたため、このころすでに札幌から日光に移り住んでいたが、給料は月400円であった。東京と日光の列車運賃は片道100円であり、2回往復すれば給料がなくなってしまう。
 そのような状況のなか、先に上京し映画音楽の世界にも入っていた札幌時代の音楽仲間の早坂文雄の紹介で、伊福部は「銀嶺の果て」の音楽を依頼されることになる。当時、映画1本の作曲料は4から5万円だったという。
 「銀嶺の果て」の音楽は昨日も紹介した、以下のCDに収められている。この演奏でピアノを担当しているのは、まだ学生だった芥川也寸志である。
 
 これをきっかけに伊福部昭はおびただしい数の映画音楽を書くことになるが(手元のリストを数えると250作以上に及ぶ)、特に1954年に「ゴジラ」が書かれてからは、本人が好む好まざるにかかわらず、氏の映画音楽として必ずと言っていいほど「ゴジラ」が引き合いに出されることになる。もちろん、これだけの数を書いているので、メロディーの相互利用はある。

 ゴジラやそれ以外の怪獣、つまり想像上の生物に音楽をつけることは、伊福部昭にとってむしろ良かったのではないか?伊福部自身、「誤った芸術論に悩まされることもなく、ドラマトゥルギーに支配され過ぎて音楽の自律性がスポイルされることもなく、音楽としての自律性を失わずに効用音楽としての効果を万全に利用できるのが特撮映画音楽の特徴のひとつである」と述べている(相良侑亮「伊福部昭の宇宙」(音楽之友社)より引用)。

 1983年に話を戻すと、キングレコード、東宝音楽出版、東京交響楽団が、伊福部昭になんとか特撮映画音楽のコンサートを行ないたいと説得。ついには伊福部昭も納得し、元の楽譜を捜し集め、1曲10分ほどの3作品が完成した。
 それが「SF交響ファンタジー」の第1~3番である。

a75ab48b.jpg  この初演は1983年8月5日に、東京の日比谷公会堂で行なわれ、ほぼ満席の客席はその音楽に酔った。このとき、SF交響ファンタジー3曲のほかに、「オーケストラのためのロンド・イン・ブーレスク」(1983。1972年作曲の「倭太鼓と吹奏楽のためのロンド・イン・ブーレスク」のオーケストラ版)も演奏されたが、この作品にも「ゴジラ」「怪獣大戦争」「フランケンシュタイン対地底怪獣」「わんぱく王子の大蛇退治」のメロディーが使われている。

 もちろん私はこの演奏会に行ったわけではない。この日の実況録音LPがすぐに発売され、私もそれに酔ったのである(のちにCD化された=写真)。演奏は汐澤安彦指揮の東京交響楽団だったのだが、初演指揮者となった汐澤は伊福部が音楽をつけた特撮映画を観たことがなかったそうで、6月に何本かを観たという。彼は1940年ころの生まれのはずなので、ちょうどゴジラ世代に一致すると思うのだが、お坊ちゃまだったのだろうか?

 なお、同じ内容の演奏会は翌年札幌でも開催された。
 指揮は石井真木、オーケストラは札幌交響楽団。SF交響ファンタジー第3番のときに、会場を暗くし、ステージ奥のスクリーンにゴジラの映像を流したのが印象的だった。
 このコンサートは「勇崎企画」という会社がプロデュースしたが、勇崎とは伊福部昭の奥さんの旧姓である。

 さて、3曲あるSF交響ファンタジーのうち、特に第1番は単独で他の伊福部作品とのカップリングで収録されているCDも多い。おそらく、出だしがゴジラが出現する有名なメロディーで始まり、また最後はマーチが興奮を呼びこさずにはいられないからだろう。
 第1番は、「モスラ対ゴジラ」ゴジラ出現シーン→「ゴジラ」メイン・タイトルテーマ→「キングコング対ゴジラ」メイン・タイトルテーマ→「宇宙大戦争」愛のテーマ→「フランケンシュタイン対地底怪獣」バラゴンのテーマ→「三大怪獣・地球最後の決戦」ゴジラとラドンの闘争シーン→「宇宙大戦争」メイン・タイトルマーチ→「怪獣総進撃」マーチ→「宇宙大戦争」と「怪獣総進撃」のマーチが交互に進行、という流れである。

 第2番、第3番も、そして倭太鼓のオスティナート・リズムがきわめて印象的な「ロンド・イン・ブーレスク」もそれぞれに魅力ある作品だが、通俗性という点では第1番が群を抜いている。

 初演時のライヴ盤は現在販売されていないが、全集としては広上純一が日本フィルを振ったものがお薦めである(1995年録音)。


あらためて「キングコング対ゴジラ」を聴いてみる

 芸能界のことにはとんと疎い私であるが、藤原紀香が陣内なんとかの女性問題で離婚したという話題は知っている。今日のMSNのホームだって、その記事の項目が並んでいる。
 それで、よくはわからないけど、陣内が100%悪くて、藤原紀香が100%被害者みたいに報じられているけど、本当なのかなぁ、と思ってしまう。
 何か別な事情があるのではないだろうか?それを夫であった陣内がすべて被ったのではないだろうか?妻であった藤原紀香にマイナス・イメージを植えつけてはならないという配慮、もしくは指示によって、そのようになったのではないだろうか?
 そんなふうに思ってしまう私である。
 どーでもいいことなんだけど……

 最近、私のブログにクレームというか、リクエストがあった。
 ご存知のように私のブログの主な内容はクラシック音楽の作品紹介(CDの紹介ではなく、あくまでも主眼は音楽作品の紹介である。「えっ!そうだったの?」と思ったあなたは、男心がわからない人よ)と、本の読書感想がメインである。
 そして音楽の場合、自分がその作品を聴いているCDも紹介しているが(しつこくいうが、CDの聴き比べ評論を目指してはいない。私は新譜はまず買わないし)、読者からのリクエストというのは、「あのさぁ、CDの番号を書いてるけどさぁ、ありゃあないでしょ!そんでもって自分でタワーレコードなんかのオンラインショップで探せって言うのかい。そりゃあ不親切じゃないの?もっと市民のためのサービスを心がけるべきではあるまいかのダルマイカ!」というものであった。

 そこで私は、儲けにもならない作業をすることにした。
 「お客様、このたびはご指摘ありがとうございます。また、日ごろ『読後充実度 84ppm のお話』を流し読みしていただき、厚くお礼申し上げます。さっそく、内部で協議・検討した結果(私の体内での天使と悪魔との協議でございます)、今後は紹介したCDや本が購入しやすいよう、あるいはご確認しやすいよう、ダイレクトに商品ページにリンクするようにいたします。今後ともごひいきのほど、よろしゅうお願いいたしますわ」ということにした。徐々に過去のブログも修正していく予定ということを心がける予定。

 ただ、誤解してほしくないことがある。
 アフィリエイトの解説本には「銭儲けのためのユダヤの商人のような記事にならないようにしましょう」みたいなことが書いてあったが、私は決してそういう意味でリンクしているのではない、ということである。
 あくまで、市民、道民、国民の皆様が、時としてマニアックなCDを容易に発見できるよう、あるいは簡単に紹介した本を発見できるよう、心プア、いや心ピュアにして、取り組む所存であるのです。
 だいたいにして、クラシックのCDなんてそうたくさん売れるものではない。ましてや、私のブログ経由でCDを購入するケースというのは、寿司を食べる目的でわざわざ積丹まで出かけ、そこの寿司屋で“いなり寿司”を注文する人の数よりもはるかに少ないのだ。
 さらに言えば、私はアフィリエイトで収入を得たことはこれまでほぼ皆無である。だから、アフィリエイトで小遣いを稼ごうだなんて、ちょっぴりしか、思っていない。
 アフィリエイトの解説本には「毎月10万円副収入を稼ぐ喜び!」なんていう謳い文句が書かれているが、私はその喜びとは無縁である。
 もっと言うと、今回私にリクエストを寄せた人物が、私の親切心、誠実さを無視して、まったく購入しないということは、赤ちゃんでも想像がつくことだ。

 さてさて、昨日の記事で、東宝特撮映画の「キングコング対ゴジラ」について、ちょっとだけ、話の流れのついでに触れた。
 今日は、その「キングコング対ゴジラ」の音楽の話。
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 作曲したのは私が敬愛する伊福部昭。敬愛してるくせに呼び捨てにして悪いが、音楽家の名前は敬称略。たとえば、「カラヤンさん」と呼ぶこともしない。

 キングコング対ゴジラは、「ゴジラ」シリーズの第2作。1954年の「ゴジラ」から8年後の1962年8月に封切られた(この間、東宝特撮映画で伊福部が音楽を書いたものに、「空の大怪獣ラドン(56)、「大怪獣バラン」(58)、「宇宙大戦争」(59)がある)。この映画は、「ゴジラ」シリーズの中で最大のヒット作となった。
 私が初めて観た怪獣映画も「キングコング対ゴジラ」であった。浦河町の大黒座という映画館。小学2年の頃だと思うから、再上映ということだったのだろう。

 相良侑亮編「伊福部昭の宇宙」(音楽之友社。現在入手困難)には、この音楽について以下のように書かれている。

 《……この「キングコング対ゴジラ」でもエキゾチックな原住民の歌と踊りが魔人キングコングに捧げれている。しかしもとより架空の島、架空の民族であるため、音楽も全て伊福部昭の創作である。歌詞は劇中の原住民の台詞と同じく助監督がブロークン・イングリッシュを基に制作したとされるが、言葉の響きは時に伊福部昭のアイヌ語による歌曲を思わせる。シーン毎に歌詞やテンポを変え、ゆったりとバリトン・ソロから熱狂的な混声合唱のアレグロまで、まるでミュージッカル映画のように展開していく……》

 この音楽を全て聴くには「キングコング対ゴジラ」のDVDを観るしかないが、「メインタイトル」と「キングコング輸送作戦」の音楽(M1とM27。MはMusicの略)は、CDで出ている(「伊福部昭 映画音楽デビュー50周年記念盤 東宝映画ミュージックファイル」。vap-VPCD81223~4)。このCDは、伊福部の映画音楽第1作である「銀嶺の果て」(1947)からはじまり、41作品の音楽が収められている。
 どの音楽も、どこか暗い世相を思わせるような音楽で、戦後の日本をそのまま音で表しているようにも思える。

 伊福部昭の特撮映画の音楽は、1983年になって、作曲者自身によって3つの「SF交響ファンタジー」というオーケストラ作品でよみがえるが、それについてはまた別項で。

食べちまった鶏肉は生焼けだった……

 「ジャングル・ブック」という曲はとっても良い、という記事や投稿が「レコード芸術」誌にいくつも載ったことがあった。
 ジンマンの指揮によるこの交響詩集が世界初レコーディングされリリースされたときのことである。
 それなら、と私も飛びついた。1995年のことだ。

 作曲者はC.ケックラン(ケクラン)(1867-1950)。
 彼が、イギリスの作家J.R.キップリング(1865-1936)の「ジャングル・ブック」にインスピレーションを得て作曲したものである。

 期待に胸をふくらませて聴いてみたが、おやっ?、どうも私にはピンと来なかった。
 ちなみに、私は「ジャングル・ブック」なるものが、どのような内容の小説なのかは知らない。ただ、曲名が「ジャングル・ブック」というぐらいだから、きっとその音楽は民族色あふれるリズム、たとえばグァム島のディナーショーのときのような音楽を予想していたのだが、全然違った。飲み屋で天ぷらの盛り合わせを注文したら、揚げ天の盛り合わせだった、というくらいギャップを感じた(北海道では「ごぼう天」といった商品名で売られてはいるが、通常は「天ぷら」といえば、練り物の「天」シリーズを意味しないのだ)。

 ところで、三省堂の「クラシック音楽作品名辞典」のケックランの項では次のように書かれている。

 《C.フランク、フォーレ、ドビュッシーの影響を受け、フランス風エスプリ、平均値的作風の管弦楽曲、室内楽曲、ピアノ曲、歌曲を作曲。近代の和声学、対位法の教科書の著者としても知られる》

 たいして特記すべき点はないという感じだ。
 ちょっとかわいそうな感じもする。
 「平均値的作風」っていう言い方は、どうも褒めているようには受け取れないし……

 教科書を書いているように、彼は音楽教師でもあった。
 師はマスネやフォーレ。
 残した作品は200曲以上に及ぶ。
 また、フォーレの「ペレアスとメリザンド」のオーケストレーションも担当したという。
 私だってそのことを先に知っていれば、土着的なリズム、たとえば「キングコング対ゴジラ」のファロ島の原住民の音楽みたいなものを、イメージしたりはしなかったんだけど……。

 静かで上品な作風というわけだ。
 彼の弟子にはプーランクなどがいる。

 私にはいま一つピンとこなかった彼の代表作「ジャングル・ブック」(といっても、録音はずっとなかったということだが)だが、特にその中の1曲について、以下のように書いているものもある。
 
 《1930年代当時、ケックランは新ヴィーン楽派の技法に興味を示した数少ないフランスの作曲家のひとりであった。その影響は、彼のもっとも大がかりな、おそらく最も注目すべき作品『バンダール=ログ(猿のスケルツォ)』作品176にみることができる。1940年に完成されたこの作品は、キプリングの『ジャングル・ブック』にもとづくシリーズ中、7番めにして最後に位置afa80ed6.jpg する交響詩である。描写的な音楽としてのこの『猿のスケルツォ』は、両大戦間のどの作品にも劣らない華麗な効果をもち、輝くような複調和声、素晴らしいオーケストラの妙技(『猿たちの入場』)、アカデミックな対位法と十二音技法の正統的な所作に対する大胆なまでにコミカルなパロディをみせる》(ロバート・P・モーガン編/長木誠司監訳「音楽の新しい地平」:音楽之友社)

 なるほど、そういう思いを持って耳を傾けると、確かに「華麗」で「輝いている」ようにも聴こえてくる。「猿のスケルツォ」という曲名の割りに、あまりスケルツォに聴こえないのは、私の「猿といえば猿回しのジロー」という、実に広がりに欠けるイメージしかないせいなのだろう。

 交響詩集「ジャングル・ブック」は7曲からなるが、各曲のタイトルと作品番号は以下のとおりである。

 ・ 「3つの詩」Op.18
 ・ 「春に駆ける」Op.95
 ・ 「プールン・バガードの瞑想」Op.159
 ・ 「ジャングルの掟」Op.175
 ・ 「バンダール=ログ」Op.176

 ジンマン指揮ベルリン放送響による1993年録音のCDは現在廃盤のようであるが、これはRCAから出ていたものである。
 なお、「バンダール=ログ」の規模(曲の長さ)であるが、演奏に要する時間は17分ほどである。

 全然関係ない話だが、でも今日のブログのタイトルになっているのだが、先日の昼食で食べた幕の内弁当。メインは鶏の照り焼きだったが、ちょっとトリ臭さが強くて、噛み切りにくくもあった。
 最後の一切れになったとき、それが半焼け状態であることに気づいた。
 おいおい、勘弁してくれぇ~。
 新鮮鶏高級料理の店ではない。大衆食堂レベルの店だ。だから「鶏肉には自信あり。レアでどうぞ!」なんてありえないのだ。
 店にクレームをつけることはしなかったし、その後も腹痛は起こさなかったけど、気のせいか、何となく胃のあたりが不快。いや、どう考えても気のせいではない。胃の中でかすかな異変が起こっている感じである。
 寄生虫なんかいないだろうな……。ったく!

 調べてみると、ニワトリの寄生虫には鶏コクシジウム原虫、鶏ロイコチトゾーン原虫の2種類があるようだ。そして、どちらも「ヒトへの感染はない」という。
 ひとまず安心。それでも、もし私がシンビジウムだかコクシジウムだかに寄生されたり、あるいはロイコチトゾーンやら大損こいたら、私は「ヒト」でないということになるわけで、そうなると寄生虫だなんだと騒ぐレベルを超越してしまう。

 鶏肉の生食で問題なのは食中毒の方らしい。特にキャンピロバクター。幸い「超ビビビビッお通じ」に襲われなかったということは、もうその危険は去ったと思うが、胃部の不快感はかなり軽微な中毒反応のような気がしないでもない。

 私は大学生の時、キャンピロバクターによる食中毒に遭ったことがある。
 西友清田店がオープンした時の集団食中毒患者の1人となったのだ。
 あのときはウトウトと眠りかけただけで、肛門が緩み、ビチャァーっと出てしまうくらいひどい下痢だった。
 とにかく、鶏肉はちゃんと焼いて出してくれ!高級鶏料理店以外の飲食店なら特に徹底すべきだ!

魔女の成長記―マッケンの「白魔」。そして、ミッキーモウス。

9809d3f4.jpg  先週の日曜日(15日)、出張から札幌へ戻る際に羽田空港で乗り継ぎした。
 羽田空港の書店で購入した本が、小松潔著の「カラヤンと日本人」であることは、すでに書いた(だったら書くな、と言わないで!)。
 そのとき、読みかけの文庫本を持っていたのだが、ちょっと頭が疲れたので気分転換に「カラヤン本」を買ったのであった。

 では、その読みかけの本とは何か?
 マッケンの「白魔(びゃくま)」(南條竹則訳。光文社古典新訳文庫)である。

 アーサー・マッケン(1863-1947)は、イギリスの小説家。オカルトの世界に傾倒したという。
 本書には、少女が魔女に育っていくという、タイトルにもなっている「白魔」の他に、「生活のかけら」と「翡翠の飾り」から「薔薇園」「妖術」「儀式」が収められている。

 難解というものではないが、マッケンの文章はさらさらと流れが良いというものでもなく、私は読みながらしばしば頭を整理しなければならなかった。それはいままでに体験したことが無いような、行間から漂ってくる別世界の雰囲気のせいかもしれない。

 「生活のかけら」は、最初のうちは平凡な家庭生活の情景を描いているようなストーリーなのだが、進むにつれて、やはり異常な世界へと入り込んでいく。私は「白魔」よりも「生活のかけら」のほうが楽しめた。
 どちらもストーリーを書いてしまうとこれから読もうとする人に迷惑になるだろうから、あまり書かないが……

 ♪ 

4e7496fe.jpg  ところで、クラシック音楽のうち、魔法とか魔術、魔女といったことが題材になっている作品で、最も有名なのなのはデュカス(1865-1935)の「魔法使いの弟子」(1897)であろう。
 この作品、交響詩と位置づけられることもあるが、交響詩という語句は曲名にはついていない。実際には、「ゲーテのバラードによるスケルツォ」と副題がついている。

 デュカスはドビュッシーと同時期に活躍したフランスの作曲家。残した作品数は少ないが、その中でも特によく知られているのが「魔法使いの弟子」である。
 これは、「ある日、魔法使いの弟子が先生の留守に、ほうきに呪文をかけて水汲みをさせた。しかし、未熟な弟子は魔法を解く呪文を忘れてしまい、部屋のなかが水浸しになってしまう。困っているところへ先生が帰ってきて、呪文をかけると、水は一瞬のうちに消えてしまう」というゲーテのバラードを音楽で描いたもの。この点からすれば、交響詩と呼ばれるのもわかる。
 それにしても、言っちゃ悪いが、よくこんなストーリーを管弦楽曲にしようと思い立ったものだ。とても色彩的なオーケストレーションが特徴で、良い曲ではあるけれど、このストーリーを初めて読んだときには、ゲーテ様に逆らう気はないものの、笑ってしまった(共感的笑いでなく、くっだらねぇ的笑い)。

 私の知らない遠い昔、1940年の話だが、この曲はディズニーのアニメ映画「ファンタジア」で使われ、有名になったという。このアニメ映画ではミッキーマウスが魔法使いの弟子の役を演じたという。
 映画の中では、曲にかなりのアレンジが施されていたらしいが……

 映画とは全然関係ない話だが、数年前、近所の奥さんが着ていたトレーナーの背中にMickey Mouseではなく、Mickey Mooseとプリントされていたのを目にしたときは、ひっどく笑った(心の中で)。

 この曲を聴くときは、たいていの場合、フルネがオランダ放送フィルハーモニー管弦楽団を振った演奏のCDを聴いている。ジョルダンがBasler交響楽団を振ったCDも持っているが、このCD、中心から数ミリひびが入っているので、怖くてかけられないのだ。理由はそれだけ。

 私にとっては魔女(「魔法使いの弟子」はミッキーが演じたくらいだから、魔女ではなく男だろうけど)といえば、4~5歳のころ最初に見た「トムとジェリー」の中で魔女が出てくるストーリーがあって、魔女=バアサンという結びつきが、抗原抗体反応みたいに出来上がってしまった。あぁ、若くて美しい魔女がほうきにまたがっている姿を見てみたいわぁん。

C.P.Eバッハ「識者と愛好家のためのクラヴィア曲」―A君のこと

 昨日書いたように、高校を卒業したと同時に病に倒れ、そのまま帰らぬ人となったA君。

 W.F.バッハのファンタジアのほかに、彼が亡くなったころの漠然とした空気を思い出させるもう1つの曲が、C.P.Eバッハ(1714-88)の「ソナタ ニ短調Wq.57-4」である。
 短調の調べが、なんとも言えない悲しく厳しい気持ちにさせる。
 流麗で音の一粒一粒がきらめいているのが、かえって切ない。
 耳にするたび、自分の心の奥底に置かれている、「青春時代」という名の記憶棚の「陰」という引き出しを開けられたかのような、ちょっと重い気持ちにさせられる(でも、「陽」という引き出しのなかはほぼ空っぽだろう。でも、多くの人にとっても、青春時代の思い出は「負」のものの方が多いのではないだろうか?)。
 でも、聴かずにはいられない。この曲を封印することはできない。
 これってマゾ的なのかなぁ……

 このソナタは、「識者と愛好家のためのロンド付きピアノソナタ集 第3集」という作品の第4曲にあたる。
 私は当時、単独でこの1曲を知っただけだったが、このソナタ集というのが、これまたなんともすごいボリュームである。

20fe2c34.jpg  「識者と愛好家のための」という曲集は全部で6つあり、曲集のタイトルは微妙に違う。
 たとえば、第1集はソナタ集だが、そのあとはロンドが加わり、さらに後半は幻想曲も加わる。
 また、第1集はクラヴィア・ソナタとなっているが、第2集以降はピアノ・ソナタとなっている。ただし、原題は「クラヴィア」である。
 「ピアノ」と邦訳されているのは、おそらく第2集以降に収録されている楽曲が、強弱を自由に弾けるハンマー・クラヴィーアを意識して書かれていることを考慮しているためだと思われる。
 クラヴィアというのは鍵盤楽器の総称だが、強弱が表現できないチェンバロから、強弱が弾ける、ピアノの前身であるハンマー・クラヴィーア向けへと書法が変わっていっているのだろう。

 ここでいう識者というのは専門家のこと。おそらく職業音楽家のことだろう。
 そして愛好家というのは、文字通り音楽愛好家のことだが、今の世の中と大きく違うのは、当時の愛好家というのは、もっぱら自ら演奏して音楽を楽しんだ人たち、ということである。それはもっともなことで、なんといっても、当時はラジオもLPもCDもなかったのである。音楽鑑賞=愛好家という図式はなかったのだ。
 つまり、音楽を専門とする人も、クラヴィアを弾くのが趣味の人も、この曲集で練習しなさい、ということなのである。

 第1集は6曲、第2、3集は6曲(ロンドとソナタのセットが3組)、第4集は7曲(ロンドとソナタのセットが2組、ロンド単独が1、幻想曲が2)、第5集は6曲(ロンドとソナタのセットが2組、幻想曲2)、第6集は6曲(ロンドとソナタと幻想曲のセットが2組)である。

 念のため、全曲を記しておこう。何の「念のため」か、よくわからないけど。

◆識者と愛好家のための6つのクラヴィア・ソナタ 第1集Wq.55(1799刊)
 1.ハ長調/2.ヘ長調/3.ロ短調/4.イ長調/5.ニ短調/6.ト長調

◆識者と愛好家のためのロンド付きピアノ・ソナタ集 第2集Wq.56(1780刊)
 1.ロンド ハ長調,ソナタ ト短調/2.ロンド ニ長調,ソナタ ヘ長調/
 3.ロンド イ短調,ソナタ ハ長調

◆識者と愛好家のためのロンド付きピアノ・ソナタ集 第3集Wq.57(1781刊)
 1.ロンド ホ長調,ソナタ イ短調/2.ロンド ト長調,ソナタ ニ短調/
 3.ロンド ヘ長調,ソナタ ヘ短調

◆識者と愛好家のためのロンド付きピアノ・ソナタと自由な幻想曲 第4集Wq.58(1783刊)
 1.ロンド イ長調,ソナタ ト長調/2.ロンド ホ長調,ソナタ ハ長調/
 3.ロンド 変ロ長調/4.幻想曲変ホ長調/5.幻想曲イ長調

◆識者と愛好家のためのロンド付きピアノ・ソナタと自由な幻想曲 第5集Wq.59(1785刊)
 1.ソナタ ホ短調,ロンド ト長調/2.ソナタ変ロ長調,ロンド ハ短調/
 3.幻想曲ヘ長調/4.幻想曲ハ長調

◆識者と愛好家のためのロンド付きピアノ・ソナタと自由な幻想曲 第6集Wq.61(1787刊)
 1.ロンド変ホ長調,ソナタ ニ長調,幻想曲変ロ長調/
 2.ロンド ニ短調,ソナタ ト長調,幻想曲ハ長調

 現在は廃盤のようだが、私は全曲集としてcpoの999 100-2(1991年録音。4枚組、輸入盤)を持っている。演奏はGabor Antalffy。曲によってチェンバロとハンマー・クラヴィーアを弾き分けている。

 CDでは収録作品名のWq.番号が55-60となっているが、Wq.60は別作品。第6集はWq.61が正しいと思われる。
7509cc2b.jpg  その根拠は、三省堂の「クラシック音楽作品名辞典」では第6集がWq.61とされている点。さらに、現在販売されているC.P.E.バッハのクラヴィア・ソナタを収めたCDを調べてみると、全曲盤というのは見当たらないが、たとえば「幻想曲ハ長調Wq.61-6」というように、曲名とWq.61での番号が一致するからである。
 ただ、ではいったいWq.60はなんという曲かということについては、今回調べきれなかった(*1)。

 なお、抜粋盤としては、塩釜(もちろん地名の塩釜です)生まれのピアニスト・鶴田美奈子のピアノ演奏によるものがNAXOSから出ている。収録曲は、Wq.59-4、Wq.59-1、Wq.58-5、Wq.61-6、Wq.57-3、Wq.56-2、Wq.57-5、Wq.55-4、Wq.61-1である。私に意地悪するかのように、Wq.57-4は割愛されているけど……
 NAXOSの8.551210。2002年録音。

*1) その翌日、インターネット上で、Wq.60は鍵盤楽器のための「ソナタ ハ短調」(1766)であるらしいことがわかった。


早世した友人の思い出となった、ある幻想曲

 もう30年以上前の話になってしまうが、高校を卒業した私はそのままいさぎよく浪人生活に入った。しかも、「タクロウ」、つまり自宅浪人である。
 なぜ予備校に行かなかったのか?
 毎日のように学校に通うのが嫌だったからである。
 この1年は、通学という行為に煩わされることなく、自由に時間設計して過ごしたかったのだ。結果的には、だからその後もまた失敗したわけだけど(おまけに自由に時間設計できる期間は2年に及んだし……)。

 予備校に通っていた連中がたまに、その帰りに我が家に遊びに来ることがあった。彼らは予備校から自分たちの家とはまったく反対方向の、それも決して近くはない我が家に来るのだった。そして、皆で百人一首やら、トランプの七並べや、ブラックジャックをして遊んで行くのだった。説明するまでもなく、百人一首は古語の、七並べは数列の、そしてブラックジャックは確率の勉強のためである。

 夏が過ぎたとき、彼らから同学年だったA君が亡くなったということを知らされた。実は彼らもリアルタイム情報としては知らなかったのだ。
 A君とは2年生のときに同じクラスで、在学中は交流はそこそこあったのだが、卒業後はまったく連絡していなかった。彼もタクロウしているらしいという情報があっただけであった。

 病死であった。
 卒業を体調を崩し入院したが、わずか4カ月ほどでこの世を去ったのだった。
 あとから知ったので葬式には行けなかったが、49日法要にはなぜか私も呼ばれた。そのときのお母さんのサバサバした様子が、逆に痛々しかった。
 確か原因はガンだったと思う。
 若いころは学校の健康診断くらしか検診を受ける機会がない。だから異常の発見が遅れる。過度に不安がる心配はないのだろうが、若いゆえに進行も速い。若いうちからそれなりの検査は受けるべきだと思っている。

1f3d4245.jpg  そのころよく聴いていたのが、C.P.Eバッハの「ピアノ・ソナタ ニ短調Wq.57-4」、そして、W.F.バッハの「幻想曲ニ短調F.19」(1733-46の間に作曲されたとされている)だった。
 この2曲は私にとって、突然襲ってくる死の不安と、知っている人間が突然姿を消してしまう悲しさを想起させる。

 C.P.E.バッハのソナタの方は、大きな作品集のなかの1曲で、ここで取り上げると話が長くなるので明日以降、ということにし、今日は大バッハの長男ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(1710-1784)の作品について。

 この曲は「10のファンタジアF.14-23」の中の1曲。
 不安げな感じがする細かな音型が運動するところから始まる。不安げな感じというのは、友人の死と結びついているから、という理由からだけではない。私の個人的体験とは別にしても、彼の音楽は、いつもどこか不幸せな影を引きずっているのだ。でも、美しい。彼の苦悩がそのまま音楽になったかのようだ。そして、まだ見ぬ幸福で安心できる時間を夢想しているようなパッセージも出てくる。

 当時私は、エア・チェックしたものでこの幻想曲を聴いていたが、その後カセット・テープで音楽を聴くことをやめてテープをすべて廃棄してしまったあとは、ずっと耳にできないでいた。テープを廃棄したのは今から20年ほど前のことである。
 ところが昨年、ナクソスからCDが出ているのを発見!もちろん即購入!
 こういうときの喜びがいかに大きいか、ご想像していただけるだろうか?

 そのCDはW.F.バッハの鍵盤楽器作品集の第2集というもの。
 ジュリア・ブラウンのチェンバロによる演奏で、録音は2007年。「幻想曲ニ短調」を含め全部で14の作品が収められている。NAXOSの8.570530(輸入盤)。タワーレコードのオンラインショップに在庫あり(下記参照)。
 なお、本作品については、昨年も一度書いてあるので、重複する点はあるが、良ければご覧ください→こちら

 W.F.バッハは父親の偉大さからのプレッシャーからか、人格破壊的になって、才能を開花することなくこの世を去った。しかし、このCDを聴くだけでも天才であることがうかがい知れると言えるのではないだろうか?
 それは、弟たちと違い、どちらかと言えば父親寄りの音楽と言えるかも知れない。


シミ…ヨクイニンをさぼっていた罰か?

 昨日は休日だからひげを剃らなかった(Today,tooだが)。
 だから顎に触れるとジョリジョリしていた。

427c52a8.jpg  ジョリジョリはよいとして、歯を磨いているときに鏡を見て驚いた!
 わが身のの美しさに対してではない(そのことについては、すでに慣れた)。
 いつの間にか、頬とこめかみの間あたりが若干黒ずんでいるではないか!
 シミの予兆であるに違いない。あぁ、ダミアン!
 考えてみれば、いや、考えなくても、実はここ2ヶ月ほど、ヨクイニンを飲むのをさぼっていた。飲み切ったあと、買わないまま放っておいた。いけない子だ、僕。
 イボ対策のために、「クラシエヨクイニンタブレット」+「イポロン」という大作戦(すでに長期化しているが)を展開中なのに、私はヨクイニンをおろそかにしてしまったのだ。
 ヨクイニンの効能には「いぼ、皮膚のあれ」としか書いていないが、おそらくはシミにも有効であるはずだ。実際、ヨクイニンを飲んでいた期間は、少なくともシミらしき黒ずみの新規発生は認められなかった。ところが、休んだとたん、あいつらは私の美しい皮膚に住み始めたのだ!
 私は一刻を争う重大事が起こったかのように(実際、起こったのだが)、ドラッグ・ストアにヨクイニンを調達しに行った。マイカーに救急車のサイレンがついていればいいのに、と思ったほどだ。
 いけないわ!スキン・ケアは根気が大切……

  それはそうと、今日は超カッコイイ、トランペット協奏曲の話。
 これを「腸(e)」って書くと、なんだか精密検査の謎の結果のようだ。
 いま急に思いついたんだけど……

 そんなわけで、フランスのA.ジョリヴェ(1905-74)について。この作曲家は、知られているような知られていないような、ビミョーな存在である。偶然にも私は、クラシックを聴き始めてすぐに彼の曲を耳にする機会があり、その名を知ったが、そうでなきゃ知る機会はなかったかも知れない。フランス人の名前はよくわからないが、ジョリヴェというのも、ちょっと変わった感じがするし……

 彼は現代音楽に人間性と民族性を回復する方向を目指したという。非ヨーロッパ地域の神秘的題材を好んだその作風は、きわめて生命力に富むとされる。

 例えば1949年~50年に作曲されたピアノ協奏曲は、当初「赤道コンチェルト」と呼ばれた。
 この曲はフランスの植民地を取材した作品としてフランス国営放送から委嘱されたもので、各楽章にはアフリカ、極東、そしてポリネシアの音楽が用いられている。それが植民地解放運動と結びつけて考えられたために、その題名は削除された。

 私が彼の作品のなかで最も好きなのは(といっても、多くを知っているわけではないが)、トランペット協奏曲第2番(1954)である。

 ジョリヴェにはトランペットのための協奏曲が2曲ある。第1番にあたるものは「トランペット、弦楽とピアノのコンチェルティーノ」という作品で単一楽章。1948年に作曲されている。

 一方、第2番は3つの楽章からなる作品である。ソロ・トランペットは各種のミュートを使い分けて音色の効果を出す。
 第1楽章は、ミュートをつけた独奏トランペットの悲しそうな旋律で始まる。腹いたを起こした犬の声のようだ。ところが一転、強烈なリズムの刺激的な音楽が繰り広げられる。う~ん、非西欧的!
 第2楽章はさびしげで神秘的な音楽。恋患いを起こした犬の心の描写のようだ。
 第3楽章は行進曲風の音楽。攻撃的で単純なリズムが呼応しあう。虫歯の痛みをどこにぶつけていいかわからない犬の気持ちのようだ。こういうときには危険だから近寄らない方がいい。
 短いながらも、聴きどころ満載のユニークなコンチェルトである。

3c8f149f.jpg  CDは「アンドレ、20世紀を吹きまくる!」というタイトルの、ちょっと買うのが恥ずかしい感じのもの(どこがじゃっ!?)。トランペットはモーリス・アンドレ。ジョリヴェの第2コンチェルトは、作曲者自身が指揮したコンセール・ラムルー管弦楽団と、アニー・ダルコのピアノで演奏されている。エラート・レーベルで、録音は1964年。
 このCDには他にジョリヴェの第1コンチェルト、H.トマジ(1901-1971)のトランペット協奏曲(1948)、そして近年聴かれる機会が多くなってきた(ように思う)、これまたカッコイイ、A.アルチュニアン(1920- )のトランペット協奏曲(1949)が収められている。
 アルチュニアンの協奏曲は、ハチャトゥリアンのピアノ協奏曲にも出てくる素材(たぶんアルメニアの民謡)が使われている。

 それにしても、アンドレってやっぱりすごい人だったのね……

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