入院中の父は、本院で病床の空きが出たため今日の午後、分院から本院の終末ケア病棟に転院する。イン、イン、くどく書いて申し訳ない。
強い痛み止めのせいなのか、あるいは病気そのもののせいかわからないが、父は昨日からかなり「寝ぼけ」状態だという。
病室で母親(つまり彼の妻)に向って「包丁を持ったまま歩くな」などと言っているらしい。
ただ、母親の気性の激しさからすると、けっこう的を得た発言であるようにも思えるし、朦朧状態を演じて過去の恨みをこめて彼女を皮肉っている可能性も、わずかながら考えられる。
さて、サン=サーンス(Camille Daint-Saens 1835-1921)の交響詩「死の舞踏(Danse macabre)」Op.40(1874)である(いったい何が「さて、」なんだろう?)。
サン=サーンスはフランスの詩人アンリ・カザリスの詩を歌詞にした歌曲 「死の舞踏」を書いていたが、この交響詩はその歌曲をもとに作曲された。
そのストーリーは、「夜中の12時に死神が墓場に現われ、ヴァイオリンを弾く。それに合わせて骸骨が踊る。雄鶏が朝を告げると骸骨たちは墓場に戻る」というもの。
曲で中心的役割を担っているソロ・ヴァイオリンの調弦は変則で、本来は「G,D,A,E」のところを「G,D,A,Es」としている。そういえば、マーラーの交響曲第4番の第2楽章のコンマスも変則調弦である。死神には変則がふさわしい?
曲はストーリーにそってわかりやすく進む。
曲は夜中の12時を告げる、ハープの12回の音で始まり、「死神が弾く」ソロ・ヴァイオリンが現われる。グレゴリオ聖歌の「怒りの日(Dies Irae)」の旋律も現われる。骸骨の踊りはシロフォンで表される。オーボエが朝を告げる雄鶏の鳴き声を模すと曲は静かに終わる。
なお、このシロフォンによる骸骨の踊りは、彼が生前には出版を許可しなかった組曲「動物の謝肉祭(Le carnaval des animaux)」(1886)の第12曲「化石(Fossiles)」で、パロディー的(自虐的?)に用いられている。
CDは、イベールのディヴェルティメントのときにも紹介した、マルティノン/パリ音楽院管弦楽団のものを、私はぜひともお薦めする所存であります。
録音は1958年・1960年と古いが、さすがのデッカ・サウンド!大太鼓の音なんか、ズシーンと最高!ただし、このすごいズシーンは歪んでいるせいもあるんだけど。この2曲のほか、サン=サーンスの「オンファールの糸車」、ビゼーの「子供の遊び」が収録されている。
April 2009
いやいや、昨日はハラがたった。
いやいや、夜、一緒にお酒を飲んでいた某氏とケンカしたわけではない。
夕方に携帯にきた電話で、私はプリプリ・プッチンプリンになったのだ。
それは母親からであった。
「んっ?父の容態の急変か?」
そう思ってでると、いきなり「オタクの家の電話、何回かけてもずっと話し中なんだけど、受話器はずれてるんじゃないのっ!」という、サド侯爵もビビるような、詰問調。序奏なしの不明瞭な動機による第1主題の提示である。
この「オタク」という言い方、実に不愉快な響きである。
やれやれ。
「さぁ……」
仕事中の私にそんなことわかるわけがないのだ。
で、彼女は続ける。
「じいちゃん(自分の夫のこと)かなり体力も落ちてるっていうんで、あさって本院の緩和ケア病棟の方に転院するから」
父がかかっている病院は本院と分院に分かれており(寺院みたいだ)、本院は満床。そのために分院に入院しており、放射線照射や検査のときには病院が出すマイクロバスに乗って本院に行っていたのだ。
これは末期がん患者にとっては重労働であるが、まぁ、やむを得ないとしか言いようがない。
「それは、よかったじゃない」
私は答えた。
「そういう言い方しかできないのっ!」
じゃあ、どう言えば良いというのだ?
で、電話は切れた。
全然緊急を要する内容ではない。
救急車をタクシー代わりに呼ぶ非常識な人間に匹敵する。
私は妻の携帯に電話をかけた。
妻は20分間ほど実家と電話で話をしていたそうだ。
まったく、何が「ずっと」「何回も」だ!
母親のために優先的に電話回線を空けておくわけないじゃないか!
そのくせ自分は夕飯どきだろうがなんだろうが、自分の都合にあわせて電話をかけてよこすのだ。
そういうわけでハラが煮えくりかえったわけである。
こういうストレスや怒りの時にスカッとするには、ムソルグスキー(Modest Mussorgsky 1839-1881)の交響詩「禿山の一夜(A Night on the Bare Mountain)」(1881-83)をでっかい音で聴くに限る。それもグングン進んでいくショルティの指揮の演奏で!
「禿山の一夜」(「はげ山の一夜」って書いた方がいいのかなぁ)はリムスキー=コルサコフ(Nikolai Rimsky-Korsakov 1844-1908)によって、ムソルグスキーの死後に編曲・完成したものである。
その原曲は「禿山のヨハネ祭の夜」(1867)であるが、この曲は最終的に、歌劇「ソロチンスクの定期市」(1874-80。未完)の中の「若者の夢」 になったとされている。
1860年頃、ムソルグスキーはメグテンの戯曲「妖婆」に関心をもったが、その戯曲は、伝説よったもので、聖ヨハネ祭の前夜に、キエフの町の近くのある禿山の上に妖怪たちが集まって饗宴を行なう、というものである。
この戯曲に基づいて、ムソルグスキーはオペラを書こうとしたが断念、そのときに書かれた付随音楽が「禿山の一夜」の原曲となった。
楽譜には、《地下に響く不思議な声。闇の精たちの登場、続いて闇の神、チエルノボーグの出現。チエルノボーグに対する頌歌と暗黒ミサ。魔女たちの饗宴。饗宴が頂点に達したところで、遠くの村の教会の鐘の音が鳴り響き、闇の精たちは消え去る。そして夜明け》と書かれている(音楽之友社のスコアの解説(菅野浩和氏による)を引用)。
夜が明けて「不気味な者たち」が消え去るというのは、サン=サーンスの「死の舞踏」も同じである(「死の舞踏」についてはいずれ別項にて書きたいと思っている)。
ショルティ/ロンドン交響楽団の演奏は、はげ頭をパシーンッ!と手のひらで叩いたときのように痛快である(叩いたことないけど)。
録音は1965年だが、音もGood!
掲載した写真は旧盤のもの。
現在は別な作品とのカップリングで販売されている↓。
昨日の朝は6時前にゴミ・ステーションにゴミを出し、きちんとネットをかけた。もちろん、私の話である。
ところが、7時過ぎに出勤のためにその前を通ると、無残にもウチのゴミ袋がカラスにつつかれ、中の生ゴミが産卵子弟た、いや、散乱していた。
何かの事情―悪意ある者がネットをちょっとずらした。局所的な暴風がネットをちょっとずらした。驚くほど知能の高いカラスがネットをちょっとずらした、私がきちんとネットをかけたというのは勘違いだった、など―によって、ウチの内情そのものとも言えるゴミがさらし者になったのだ。
すっごく嫌な気分だ。透視メガネでパンツの中を覗かれたような気分だ。
でも、破かれたものは仕方ない。荒らされたものは仕方ない。そこでゴミ袋を補修する余裕などなかった。
今後、私のゴミ出し作業は、今以上に神経を使うものになるだろう。
カァー、カァーッ!
♪
北海道新聞社取材班による“追跡・「夕張」問題 ― 財政破綻と再起への苦闘”(講談社文庫)を読んだ。
私は夕張には2度しか行ったことがないが、実は父方の祖父は、夕張の北炭(北海道炭礦汽船)の炭砿マンであった。そのため、祖父や祖母が生きていたときには、何度か夕張に住んでいたころの話を聞いたことがある。特に、朝鮮人労働者が夜中に無言で行列を組んで歩いていて恐ろしかった、という話は印象的だった。
太平洋戦争が始まったときに、日本人の炭鉱夫は兵隊にとられてしまった。しかし逆に石炭は増産しなければならない。そこで、朝鮮人や中国人を強制的に連れてきて働かせるという方策がとられたのだった。
無理やり連れて来られた彼らは、無言の抗議デモを行なっていたのだろう。
本書を読むと、国の石炭政策による街の衰退、そして何とかしなければと観光事業に走った、夕張市の苦渋の歴史がわかる。そして、中田元市長の功罪……
夕張がどんどんと観光施設を作っていったとき、「バリバリ、ゆーばりっ!」というテレビCFを観ながら、「こんなもんどんどん作って大丈夫なのかなぁ。あんなところまでわざわざ人が行くのかなぁ」と学生だった私でも思ったものだ(そのCFには、若かりし頃の田中義剛が出ていた)。
内容的に「おもしろかった」と言ってはいけないような気もするが、本書は「おもしろかった」。ぜひともお薦めしたい。
そして、ここでも小泉首相時代の政策が果たして良かったのかという疑問が呈される。
もう10年近く前になるが、家族で夕張に行った。
私の2度の夕張訪問のうちの2度目である(一度目は小学校のときのバス遠足)。
「石炭の歴史村」をはじめ、どの観光施設も悲惨なくらいすいていた。また、内容の割りに料金が高いとも思った(「石炭博物館」、特に「模擬坑」はこれらの施設のなかで、唯一ひじょうに高い価値があるものだと思う)。
レストランや売店も、こうなると痛快なくらい、ガラガラだった。
遊園地には多少は家族連れがいたが、中途半端な人影が痛々しかった。
「めろん城」には他に誰も見学者はいなかった。
夕張の街はさびしかった。
だが、過疎化したさびしさだけではない。もっと何か別の独特な雰囲気が漂っていたように感じた。
重苦しさというか、もの悲しさというか……
私が大学生のとき、1981年に北炭で大きな事故があった。
その報道はよく覚えている。
そういう記憶が、夕張に行ったときに無意識にリンクしたのかもしれない……
余談だが、今では“炭鉱(鑛)”と書くが、昔は“炭砿(礦)”とも書いた。
“礦”は「掘り出したままの鉱石」を意味するらしいが、まあ、“鉱”とイコールということだ。
祖父が亡くなったとき、父は「戒名に“礦”の字を入れて欲しい」とお寺に頼んだが、ボーサンは“鑛”の字を入れた戒名を持ってきた。
「おやっ?字が違う」と父が気づいたのは、葬儀が終わって、しかも、ずっと経ってからであった。
どっちもどっちである。
ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の「ハイドンの主題による変奏曲(Variationen uber ein Thema von Joseph Haydn)」Op.56a(1873)。
同じ1873年に書かれた2台のピアノのための同名の作品(Op.56b)の編曲で、主題はハイドンの「6曲のフェルト・パルティータ(6 Feldpartiten)」(1780頃作曲?)の第6曲変ロ長調(Hob.Ⅱ-46)の第2楽章に用いられた「聖アントニーのコラール(Corale St.Antoni)」である。この「フェルト・パルティータ(=野外のための組曲)」は、2ob,2cl,2fg,2hrn(または、2ob,2hrn,3fg,セルパン)という編成の曲である。
ハイドンの主題を扱った作品としては、一昨年に、ゲンダイオンガクであるルジツカ(Peter Ruzicka 1948- )の「ハイドンの主題による交響的変容」(1990)を取り上げたが、当たり前のことながら、ブラームスの変奏曲はルジツカの作品のように恐ろしげな緊張感は漂っていない。むしろ、素朴でほっとする温かさがある。
と同時に、ブラームスらしい骨太さもある。
なんせ「ドイツ3大B」の一人なのだ。
このような作品でも、きちんとドイツっぽい厚い響きがある。
ところで、原曲となった主題だが、全音のオイレンブルク版スコアの解説によると、今日ではハイドンのものではないとされている、ということだ。
ハイドン自身がこの曲を作品目録に書いておらず、自筆譜も発見されていない。
また、3本のファゴットとセルパンという編成は、通常のハイドンのウィンド・アンサンブルには見られないものである。さらに、この曲が書かれたと推測される1780年頃、ハイドンはエステルハージ家に仕えていたが、ここのオーケストラにはクラリネットがなかったという。
こういったことから、ハイドンの作品目録からはずされたのであるが、ホーボーケンは偽作としながらもHob.Ⅱ-41~46の番号をつけている。
ブラームスが使った主題にしても、「聖アントニーのコラール」という名がついていること自体、ハイドンのオリジナルではなく伝統曲であることを思わせる。
そういう事情はともかく、この曲はややコンパクトながらも、ブラームスならではの音を楽しめる。
冒頭の主題がフィナーレで輝かしく再び現れる部分は、なかなか感動的である。
CDでは、カール・ベームがウィーン・フィルを振った1977年録音の演奏を、私は好んでいる。写真は旧盤のものだが、現在は別番号で販売されている。カップリングは交響曲第1番。名演と言われた録音である。
「冬眠中はお静かに」という今日のブログ・タイトルで、「トムとジェリー」のことを思い起こした人は、意外と私と仲良くなれそうだと思っていただきたい。迷惑だと思うだろうけど……
TVで放送されていた「トムとジェリー」(もちろん「新」ではない)は1日分が3話仕立てで、真ん中のアニメは、トムとジェリーが主人公からの立場を変えて劇場でその映画(アニメ)を観ているという設定になっていた。何日か分を別として、その真ん中のアニメの主人公は、熊のバーニーさんだとかドルーピーなどである。
自分が幼い時には面白いと思わなかったが、ある程度大きくなると(20歳ぐらい)、「善人エドさん」とか「へんな体験記」のような作品のアイロニーが込められたものも好きになった。いい歳になっても観ていた私には、多少アブノーマルな血が流れているという指摘は、真摯に受け止めたい。
「冬眠中はお静かに」は犬のスパイクが出てくるものだが、音をたててはいけないというパターンは、「トムとジェリー」のほかのストーリーにもあった傑作パターンである。
昨日、少しだけ庭仕事をした。
土から顔を出し始めた雑草を抜き(まさに「芽を摘む」のだ)、冬前に地面に落ち、雪のせいですっかり地面に貼りついた落ち葉を拾った。
枯れ葉を拾っていると、おや?、その下に冬眠中のカエルちゃんがいるではないか!
かわいいぃぃ~。
「おいおい、もう春だよ!でも、まだ少し風が冷たいから、もうちょっと寝ていな!」
私はそのようにほとんど危険人物になって、彼(あるいは彼女)にささやき、枯れ葉を掛け布団がわりに戻したのであった。
家に入り、カエルがいたことを妻に話した。
すると彼女が言ったのは、「ふ~ん、うれしそうに……まったくカエルが好きみたいね!そんなに好きならいっそのこと飼ったら?」であった。
なんと夢のない女だ!
なんと自然の営みに無感動な女だ!
カエルに飲み込まれる夢をみて、うなされ、苦しみ、自らがガマの油のような寝汗をかくがいい!
クラシック音楽で、直接カエルをテーマにした作品は少ない(と思う)。
そんななか、今日はビーバーの―ここで話をカエルからビーバーにすり替えたのではない―、ボヘミアのビーバー(Heinrich Ignaz Franz von Biber 1644-1704)の曲を取り上げたいと思う。
「クラシック音楽作品名辞典」(井上和男編著:三省堂)によると、ビーバーは皇帝レオポルトⅠ世バイエルン宮廷、ザルツブルクの大司教に仕えたヴァイオリニストで、ドイツにおけるヴァイオリン音楽の確立者。スコルダトゥーラ奏法(scordatura 「調子はずれ」の意味で、正規の調弦を用いずに、その曲だけのための特殊な調弦をするもの)を採り入れた一人とされ、器楽表現の新規な試みを行なった、という。
その彼の書いた、9曲から成る「描写的ソナタ」(Sonata Representativa 1669)の第4曲が「カエル」である。「はっ?はぁ……」って感じであるが……。というのも、音楽は決して「ゲロゲロゲロ」というようなものではないからで、カエルのどういうところを描写したのかわかりにくいのである。曲の長さは1分半もない。
ちなみに、ほかに描写されている動物は、ナイチンゲール、カッコー、雄鳥と雌鶏、うずら、猫である。
私が持っているCDは、ロマネスカ(ヴァイオリン奏者のアンドルー・マンゼ他で結成)によるもの(ハルモニア・ムンディ・フランス)だが廃盤。
ところで、ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809)の作品にも「カエル」と名がついたものがある。
弦楽四重奏曲第49番ニ長調Op.50-6,Hob.Ⅲ-49(1787)である。
ハイドンの作品の「あだ名」にありがちな話ではあるが、この「カエル」というのは「終楽章の感じからカエルと呼ばれる」のである。ただ、「カエル」だけではなく、「火事の家」とか「ウィーンの競艇」と呼ばれることもあるそうだ。
やれやれ……
それにしても、本当に廃番になってしまいそうで不安でいっぱいである。
何の話かというと、私が20数年来愛用し、お世話になっているタケダ胃腸薬「ザッツ21」のことである。発売当初は「♪飲み過ぎたのはぁ、あなたのせいよぉ~」という、のちのヒット曲をCMソングに使っていた小品である。
私が「ザッツ21」に寄せる全幅の信頼については以前書いたとおりである。でも、ここでしつこく書くと、私は胃酸が弱いタイプなのでふつうの制酸剤を飲むと、かえって胃の調子がおかしくなる。しかし、「ザッツ21」には「pH(ペーハー)センサー」なる摩訶不思議なものが入っていて、私の胃の中の酸度に合わせて効いてくれるって寸法なのである。Oh,great!
北海道ではバカみたく店舗の数がある「くすりのツルハ」でも、もう扱っていない。「ザッツ21」を置いていないツルハなんて、私に言わせれば「ペットフードのツルハ」」「カップめんのツルハ」「ウィンド・ウォッシャー液のツルハ」である。
羽田空港の地下の薬局にもなかった。
一昨年出張で埼玉の某市に行ったとき、何軒か薬局を渡り歩いた末、トミヤ薬局という平成初期型の店構えの薬局にはあった。私が胃の痛みを忘れて狂喜乱舞したのは言うまでもない。しかし、去年、再び出張で行ったときにはもう扱ってなかった。店の人は「では、ザッツ21と同じような効き方をする胃薬はありますか?」という私の問いに、相当考えた挙句、何とか言う薬を勧めてくれたので買ってみたが、効かなかった。
現在私の通勤経路上で「ザッツ21」を置いているのは、「コクミン薬局」だけである。冷静に考えると実にへんてこりんな店名である。でも「ザッツ21」を置いてくれている。この際だから、「コクミン」でも「ジンミン」でも「ミンミン」でも許す。
もはやわがままを言える立場にないが、あるのは120錠のビンだけで、50錠のものを置いてくれていないのが残念ではある。
もし、「ザッツ21」がこの世からなくなってしまったら、私は代替品を見つけられるのだろうか?今のところめどが立っていない。
中外も、三共も、パンシロンも、サクロンも、キャベジンも私の体質に合わない。私の胃の不調を改善しない。だいたいにして、同じタケダでも「ザッツ21」ではなくて、ただの「ザッツ」だったら効かないのである。バラの蕾にたかるコガネムシにスミチオン乳剤をかけても死なないのと同じである。あぁ、老後の不安材料がまた一つ増えた……
そんなわけで、昨日の交響曲第2番つながりで、今日もJ.シベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)の作品を。
曲は組曲「カレリア(Sarja“Karelia”)」Op.11(1893)。
この組曲のもととなっているのは、1893年に書かれた9曲から成る付随音楽「カレリア」である。
カレリアの州都ヴィボルグで上演する野外劇のために作曲したのだが、劇音楽としては失敗に終わってしまった。そのために、序曲「カレリア」Op.10と3曲から成る組曲「カレリア」に改編した(もとの劇付随音楽は破棄)。
カレリアというのは、フィンランド南東部~ロシア北西部の森林と湖の多い地方の名前で、その地方に住む人たちのことをカレリア人と呼ぶ。カレリアはフィンランド人の発祥の地であるという。
シベリウスは1892年に結婚したが、新婚旅行でカレリアを訪れた。そこの民謡や伝説に曲のインスピレーションを得たのだが、翌年にヘルシンキ大学の学生団体から野外劇の作曲を依頼されたため、シベリウスはカレリアの歴史劇の音楽を書いたのだった。
先に触れたように、組曲「カレリア」は3曲からなるが、各曲は、
1. 間奏曲 Intermezzo
2. バラード Ballade
3. 行進曲風に Alla marcia
となっている。このうち第3曲はとりわけ有名で、その喜びに満ちた音楽は、行進曲と言うよりも舞曲のようだ。
もともとの劇の筋はともかく、組曲に収められている曲はどれもメロディアスで親しみやすい。その響きはシベリウスらしく、じつに自然描写的。目を閉じて聴くと、そこには針葉樹の森や静かな湖が鳥瞰したかのように浮かんでくる。
この曲、昨日紹介したCDにも収められている。
J.シベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)の交響曲第2番ニ長調Op.43(1902)。
なんだかんだ言っても、ときたまこの曲を無性に聴きたくなる。
そのときは何らかの現実逃避傾向があるようである。
というのも、この曲を聴くと、絵にならない漠然とした、ややマイナス寄りの懐かしいような記憶オーロラが心の天空で波打つのだ。どの頃かはともかくとして、「あぁ、今思えば、あのころは良かった」みたいな……。だから、現実逃避したい、犬の人生は気楽だろうな、などと思っているときに、プチ・家出のように聴きたくなるようだ。
自分のことを他人のことのように言うのは変だが……。
そして、この交響曲はモロ、そういう雰囲気を備えている(ワタシニトッテハ)。
あぁ、郷愁!
あぁ、自然!
あぁ、冷涼!
あぁ、孤独!
あぁ、慰撫!
あぁ、愁心!
あぁ、懐想!
おぉ、オーロラのようではないか!
現在、交響曲第2番はシベリウスの全作品のなかでも最もポピュラーであり、1902年の初演も大成功だった。
フィンランドの作曲家であるシベリウスの作品が一般的に評されるように、この曲もいわゆる北欧的であるが(何が北欧的かと聞かれたら……あぁ、涕泣(ていきゅう:涙を流して泣く)。辞書ひきながら難しい言葉を探すのって、無駄な作業だ)、作曲が主に進められたのは家族と長期滞在していたイタリアにおいてであった。そう言われれば、実にいわゆるイタリア的に聴こえてくる(うそですってばぁ)。
第1楽章は、晩秋の山道で風によって落ち葉がこすれあうような開始。わたしゃもうここで、自分が脱水状態の枯れた人間のように思えちゃうのである。続く木管は、ワタシとは別世界で楽しく過ごしている生命体の歌のようだ(宇宙の果てに存在するかも知れない珪酸生物とかいう意味ではない)。
あぁ、エレジー!
あぁ、M化しそう……
ワタシは得体の知れない孤独と不安を感じる。
とにかく寂しいんだよォ~!
昔は周りに人がたくさんいた(ような気がする)。
第2楽章となると、もっと枯れる。
枯れ葉はカサカサ音を立てたくても薄氷で固定モード。
あぁ、寂しい……
足先はもうシモヤケになっているかもしれない。
抜け毛で悩む犬の気持ちが理解できそうな気になってくる。
昔は若かった(間違いない!)。
第3楽章は力強い音楽。雄弁、壮大、時々気弱のち繊細。ところによっては絶叫。
ワタシは本当にアナタを信じていいの?
もうシモヤケの心配はしなくていいの?
Sに転身していいの?
昔はこんなに疑い深くなかった(かも知れない)。
第4楽章は第3楽章から休みなく続く。
おやっ、急に鉛色の雲が全天を覆い始めた。
木枯らしピューピュー。
物悲しすぎる!
アナタを信じた私が甘かった……
頬は赤くカッペタンになりそう。
でも、最後は盛り上がってくれてありがとう。
「感動したっ!」
素敵な45分間だった。
現実に戻ることにしよう。
昔は45分がこんなに短く感じなかった(加齢による相対的時間感覚の短縮化傾向)。
ここでは1970年にオッコ・カム(Okko Kamu)がベルリン・フィルを振った演奏をご紹介。
これはヘルシンキ生まれ(1946年)のカムの本格的デビュー盤で、1970年代では評価の高い演奏だった。あまり派手派手しくない演奏だが、それがまた清楚な感じを出している。
M.シャルパンティエ(Marc-Antoine Charpentier 1634-1704)の「テ・デウム 二長調H.146」(1690年代初頭作曲?)。
その最初に響き渡る「前奏曲」は実に活気があって健康的、そして喜びに満ちている。とにかくトランペットがカッコイイ!
実際、この「前奏曲」(凱旋行進曲。Prelude “Marche de triomphe”)はとても有名で、単独で演奏されることも多く、Wikipediaによると、「ヨーロッパ放送連合のsignature tuneとしてきわめて有名で、ウィーン・フィルハーモニー・ニューイヤー・コンサートやユーロヴィジョン歌唱コンテストの開始テーマにも使われている」という。
私自身も「前奏曲」だけはクラシックを聴き始めてほどなくの1974年に知ったが、全曲を聴いたのは1980年と、その6年後であった。
シャルパンティエはフランスにおけるバロック音楽の代表的作曲家であるが、宗教音楽をメインとしフランス宮廷とはあまり関わらなかった(ルイ14世の楽長の地位をリュリと争って敗北した)。そういうこともあって、経歴や生涯については不明なことが多い。
私も彼の作品を数曲しか知らないが、「テ・デウム」を聴いてもわかるとおり、とても洗練されたメロディーと響きが特徴と言える。「テ・デウム」の全曲を聴くと、有名な「前奏曲」以外にも魅力あふれるメロディーが随所に出てくる。
テ・デウムと名のついた楽曲では、他にブルックナーやベルリオーズの作品が有名だが、テ・デウム(Te Deum)はカトリック教会の聖歌の一つで、テキストの最初が「Te deum laudamus」(われら汝を主と讃美し奉る)であることから、このように呼ばれている。
カトリック教会の聖務日課で、日曜・祝日の朝課の最後に歌われ、また列聖式や戦勝の際などにも歌われてきたという。
最近では何種類かの全曲盤CDも出ている。
私が持っているのはマリナーが指揮したものだが現在廃盤(EMI-CDC 7 54284 2)。
なお、シャルパンティエの作品につけられたH.の番号は、ヒッチコック(H.W.Hitchcock)によるカタログ(1972出版)の番号である。
風が冷たく強かった。
昨日の朝の話である。
髪の毛はパーマをかけたばかりだというのに、お湯を入れたものの20分くらい忘れられていたカップヌードルの麺のようになってしまった。
駅に着くと、いつも乗っている折り返し始発電車の到着が大幅に遅れるというアナウンス。風で舞い上がったビニールが架線に引っかかるトラブルがあって、早い話、まだまだ来ないよ、ということだ。
たぶん、スーパーのビニール袋か何かが引っかかったのだろう。マイバッグ時代になったといえ、まだまだビニール袋はあちこちで風に流され飛び回っている。
わが家の庭もそうだ。
風の通り道、というよりは溜まり道、あるいは行き着く場であるかのように、わが家の庭にはゴミが風に運ばれて来る。通過点なら許せるが、ウチの庭が終点のようだ。あぁ、浮遊物の墓場。
もちろん、私はその生い立ちが定かではないゴミを拾い、有料であるにもかかわらず、ご親切に自宅からのゴミの仲間に入れてやり、週に2回ゴミステーションに出してあげている。なんと道徳的な好人物であろう!
でも一度だけ、いや、何回か、わが家の庭で産卵を終えた鮭のようにじっとしているビニール袋を、道路の、それも向こう側に持って行って放置したことがある。どうしてそんなことをしたかというと、きっと風でそいつはどこか遠いところに飛んでいってしまうだろうと思ったのと、誰も見ていなかったからである。
ところが30数分後、そいつは戻ってきた。
私が投げるブーメランよりもはるかに見事なリターンである。
どうすれば風の流れを変えられるのか、めどは立っていない。
それにしても、昨日の寒さはいったい何だ、という感じだ。日曜日(夜に坂本龍一のコンサートがあった日だ。コンサートの最初の方で演奏された曲は2台のピアノによるものだった。1台は坂本氏が弾き、1台はあらかじめ坂本氏が弾いたものをコンピュータによって自動演奏させるというものだった。それなのに、私の妻は、自動演奏のピアノの方で、上半身は隠れて見えなかったけど奏者の足が見えたと、実に気味の悪いことを言っていた。気味が悪いのは……だけにしてくれ)の日中は、バラの移植やゴミの掃除をポカポカ陽気のなかでしたというのに、まるで冬に向っているかのようだ。こんなに寒くて、移植したバラちゃんはちゃんと根を出せるだろうか……
ところで、ホームでアナウンスを耳にした私は、目の前でまもなく発車しようという電車に乗った(毎日この電車を見送って、そのあとに入線してくる当駅折り返しの電車に乗っているのだ)。この電車はトラブル発生箇所とは逆方向の遠い街から来ているので遅れの影響はない。
もし大きな影響が出るとすれば、それは私の肉体に対してだ。つまり、座れない、混んでいる、ということなのである。おまけに会社に早く着きすぎてしまう。
その電車は定刻どおり運行された。
立ちんぼで肉体に負荷をかけている私にとって、その時間が延びなかったのは何よりであった。そして、電車の中で聴いてきたバッハの管弦楽組曲がその苦痛を和らげてくれた。
J.S.バッハ(Johann Sebastian bach 1685-1750)の「管弦楽組曲(Suite)」は4曲あるが(第5番は偽作)、ご存知のように第2番と第3番が、ほかのもう2曲に比べ圧倒的に有名。いや、第1番と第4番はあまり聴かれることがない。和を尊重する私も、だからあまり聴かない(ただし、ある事情があって第3番は私の中で現在封印中)。
でも、この日は第1番(ハ長調BWV.1066(1718頃作曲)を聴いたのだった。
いやぁ、この曲、朝の気分にぴったりだ(満員電車という意味ではなく)。目覚めの音楽にも良いに違いない。
高校生のときにストラヴィンスキーの「火の鳥」を目覚まし時計代わりにかけた時期があったが、あれは失敗だった。「怖いよぉ~、起きたくないよぉ~、学校行きたくないよぉ~」ってなってしまう。ずっと気づかなかったが、管弦楽組曲第1番は実に良い。
第2番はちょいと暗さに支配され気味だし(優雅とも言えるんだけど……でも優雅さと暗さは別な次元のことだよなぁ)、第3番は“Air”を別とすればテンション高すぎ。その点、第1番は適度に甘く、落ち着きある軽やかさがある。バッハの特徴である重厚さや山手線のダイヤグラムのように無数の線が織り成す緻密さ(それがまたバッハの魅力なんだけど)が前面に出ていないので優しく響き、ときにテレマンのようにも聴こえる(ヘンデルまではいかない)。それが新鮮(とはいえ私には、聴いたことのない曲だとしてもバッハとテレマンの曲を明確に聴き分けることができると、言い切る自信があるわけではない)。
もっとも演奏によっては(リヒターなど)がっちりとなるらしいけど。
第1番は2本のオーボエ、1本のファゴット、弦楽と通奏低音というコンチェルト・グロッソに見られるような編成。7曲から成り、各曲は、1.序曲/2.クーラント/3.ガヴォット/4.フォルラーヌ(ヴェネツィアの踊り)/5.メヌエット/6.ブーレ/7.パスピエとなっている。
この曲のCDで私が持っているのは2種類だが、ここではガーディナー指揮イギリス・バロック管弦楽団のものをご紹介(第1番から第4番までの全集。1985年録音)。エラートの4509-91800-2(輸入盤)。
同じCDに収められている第2番の演奏が、ピリオド、ピリオドした、板の間に正座しているような感触の演奏であるのに対し、第1番でのガーディナーはもっとふんわりとした、薄手だけど座布団用意したからね、みたいな音作りをしている。言ってることわかってもらえなくても別にいいけど……
なお、ガーディナーのこの演奏では、最後に(第8曲として)コラールが演奏されている。それは「汝エホバに、われ歌わん(Dir,dir,Jehova,will ich singen)BWV.299」だが、この曲は186曲からなる「4声のコラール(Chorale)BWV.253~438」のなかの1曲である。
ちなみに、許光俊は「生きていくためのクラシック」(光文社新書)のなかで、この第1番のカール・リヒターの演奏を挙げ、《「第1番」はあまり有名ではないけれども、リヒターで聴くと異様な美しさに輝く。序曲は壮麗でありながら、不思議な悲しみを湛えている。精一杯歌われる第4曲「フォルラーヌ」も忘れがたい》と書いている。
そうだ!最近ウチの車の冷却水点検してないな……
……クーラント……
……
プップカプー~ッ!
日曜日の夜に、私は札幌のKitaraで行なわれた坂本龍一のコンサートに行ったのだったが、家に帰ってからはコンサートの余韻に浸りながらビールをたっぷり飲んでしまった。
家まではタクシーを利用したのだが、そのタクシーの運転手、運転は荒いは、下手だはで、家に着く頃にはかなりNiceな余韻が薄れてしまった。だいたいにして、左折車を右から追い抜こうとして、対向車とぶつかりそうになる+左折車に接触しそうになる、なんてことはプロのドライバーにあるまじき行為じゃない?しかも、運転しながら判断・決意を躊躇しているのがこちらに伝わってくる。それから、自分が左折しようとして横断中のオジサンをひきそうにもなった。
あの、浮遊するかのようなコンサートの印象がどんどん減少していく。私の胃の中の乳酸菌が悪玉大腸菌に食われていくかのように……
そんなわけで、家に着いたときには、無事着けたことに感謝する始末。わけわかんない……。
そんなわけで飲みなおさずにはいられなかったのだが、実は翌日月曜日の朝は2ヶ月に一度の血液検査が控えていた。飲み始めたときには典型的な小心者モードで「飲みすぎちゃ、明日の結果が著しく悪くなる」と憂慮していたが、すぐに「まっ、いいか!」って感じになっちゃって、ほらほら、検査の結果は著しく悪かった。中性脂肪の値がまた500台に戻ったのだ。
午後に結果を聞きにいくと、医師は「いったいどうしたの?」と、下半身スッポンポンの男にいきなり遭遇してしまったかのようなリアクションをした。
私は言い訳をした。当然である。
「実は昨日はイベントがありまして、そのあと、どうしても飲まなきゃならなくて、夜の11時過ぎまで飲んでいたんです」
「そっかぁ、それは上がるはずだ。そういう機会はよくあるの?」
「あまりありません」
「じゃあ、薬は同じように出すから気をつけるように」
「はい」
ということで、あんまり叱られずにすんだ。
どうやら仕事の付き合いで飲んだと誤解を与えてしまったかも知れないが、私の言葉には基本的にはウソはない。
それにしても、検査結果を見る限り、私の体は正直者だと言わざるを得ない。
私の遠慮も受け入れられずに持たされたたくさんの薬を持って、地下コンコースを歩きながら会社に戻った。
地下コンコースでは、ドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918)の「夢想(夢)」(Reverie 1890)が天井の方からかすかに聞こえてきた。
そのゆったりとした音楽は、人々のせわしない歩みを自然とゆったりとさせ、るわけでもなく、単なる義務のように鳴っていた。
たまたま前日に坂本龍一のコンサートを聴いた私は、彼とドビュッシーの音楽には似たところががあると思った(メロディーや響きの「雰囲気」が)。坂本龍一がドビュッシーのことをどう位置づけているのか、影響を受けたのかどうかは私にはわからないけど……
幻想的なピアノ小曲である「夢想」は、ドビュッシーが経済的に苦しいときに切羽詰って書いた曲だという。そのため、本人は作品に満足せず、出版されたのもずっとあとの1908年である。
しかし、作曲者自身はこれを「駄作」と呼んだかも知れないが、聴く分には幻想的なメロディーと響きがわかりやすく聴こえる名曲である。。
CDはいろいろな種類が出ているし、編曲ものもある。
私は、写真のウェルナー・ハース(Werner Haas)が弾いた盤を聴いている(輸入盤で2枚組みの割に安かったから)。
現在は廃盤。
変わった編曲ものでは、Genevieve Grenierがオンドマルトノで弾いた盤が出ていた(写真上。
ごめん、これまた、廃盤。
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