村上春樹の小説に出てくる主人公(“ぼく”とか“私”とか)は、出会った女の子といとも簡単にセックスをしてしまう。あるいはしょっちゅうセックスしている。たいしたものだ。
ところがそのときにきちんと避妊しているような描写はない。
「ぼくはその子と自然に交わった。性交するなんて簡単なことなのだ。でも、もちろんその前にコンドームをつけた。つけるのは自分でした。少し薄暗かったのできちんとペニスにかぶせるのに手間取ってしまった。やれやれ」なんてことは書かれていない。
確か「少年カフカ」の中に書かれていたように思うが(「少年カフカ」とは、「海辺のカフカ」が刊行されたあとに、読者から寄せられた質問や感想のメールに村上春樹が答えたものを集めた本である)、読者から「(登場人物は)いつも避妊していないようですが、妊娠の心配はしないのでしょうか?」というような質問があった。
それに対する村上春樹の答えは「それをいちいち書くとストーリーの流れが悪くなるから」みたいな感じだったと思う(違うかもしれないけど)。
耳のきれいな女の子とするときも、ユミヨシさんとやっとできたときも、図書館の女の子とやったときも、それ以外のあらゆるセックス場面で避妊なんてまったくしていない。女性がみんな亡霊だとか、ピルを欠かさず飲んでいるとかっていうのも考えられない。
あるいは「ねじまき鳥」のクミコだって浮気相手とケダモノのようなセックスをしているが、避妊している様子はない(彼女は子供をおろしたことがある。もちろん夫との間にできた 子だが)。
それなのに「1Q84」の青豆はセックスのときには異常なまでに避妊に気を遣っている(いや、それが当たり前だと思う)。
友人のあゆみと男を引っかけて激しいセックスをした翌日、彼女は酔っていたせいで前夜の行為を途中から覚えていない。そしてコンドームをつけてもらったかどうか不安になる。そしてあゆみ(彼女もセックスのときはきちんと避妊する)から、きちんとつけていたことを教えてもらいほっとする。
村上春樹はなぜ突然避妊に目覚めたのだろうか?
青少年に対し、エイズ感染防止のためにコンドームを使う大切さをほのめかしているのだろうか?
「1Q84」を読んで、この部分がそれまでの作品とちょいと違うなと感じた。
村上春樹ともセックスとも直接関係はないが、曲のタイトルがちょっぴりHなことを連想してしまう(私だけ?)作品集をご紹介。
ヒューム(Tobias Hume 1575頃-1645)の作品集で、ナクソスから出ている「ヒューム大尉の詩的音楽集第1巻」というCD。
収録されている曲は、
重苦しい眠りを止めよ~女王の新年の贈り物
デンマーク王の喜び
楽しい空想~女王の喜び
私の望みは甦る~サフォーク夫人の喜び
私の楽しみは来る~ベッドフォード夫人の喜び
音楽と歓喜~ハットン夫人の喜び
モンゴメリー伯爵の喜び
始まり~サセックス夫人の喜び
アルメイン~ケイン夫人の喜び
アルメイン~ホルストン公爵の喜び~公爵のアルメイン
仮面劇~サセックス伯爵の喜び
フランス風アルメイン~レックス公爵の喜び
アルメイン~M.S.ジョージの喜び
何と大きな悲しみ
甘美な音楽~ソールズベリー伯爵のお気に入り
である。
「XX夫人の喜び」なんていうと、ついついあっちの方の喜び、いや悦びのことなのかなぁ、なんて考えてしまう俗物の私。
「楽しい空想~女王の喜び」だなんて、女王様ったらどんな空想をしておられるのかしら?ムチで打つこと?ろうそくのロウをたらすこと?ヒールの高い靴で男を踏むこと?
そうなると、サセックスとかレックスとかM.S.いう文字まで、私の神経系は別なものに読み間違えてしまう……
まっ、実際はどんな内容の曲(歌)か私にはわからないんだけど(ちゃんと調べろよな、って?)、音楽に対する歓喜だって言うのなら、それはちょっとウソくさいと私は思い込んでいる。でも、「詩的音楽集」だからなぁ……
ふふっ、仮面劇……
June 2009
ということで、2日目の金曜日は1日遅れでやって来るメンバーを迎えるため、再び広島空港へ。
そして、空港で昼食。
入ったのは前日と同じ「あじろや」。
また親子丼を注文しようかとも思ったのだけど、それじゃあまりにも芸がない。ということで、ハンバーグを注文する。
といってもただのハンバーグではない。何とかという名物のポークを使ったもの(その豚肉の名前は忘れてしまった)。よく練られていてきめが細かく味もなかなかだったが、ほっぺたが脱落しそうなほどというものではない。
また、注文してから出てくるまでとても時間がかかった。他の2人が食べ終わるころ(2人が注文したのはカツ丼とアナゴ丼)やっと出てきた。すっごい孤独感……
搭乗まであまり時間がない人には危険なメニューである。
それにしても、広島って運転しにくい(といっても、私は助手席に座っていただけだけど)。急に車線が減少したり、交差点の車線がわかりにくかったり、左折しようとしたら強引に向かいから右折して入ってこようとする車がいたり……
夜は中区胡町の一角にある「鷹風味(たかふみ)」という瀬戸内料理店へ。この店は知ったのは、ホテルのロビーに置いてあったフリー誌に載っていたから。
この店も美味しかった。写真撮ってこなかった……
瀬戸内料理というからには当然生ものも多いだろうから、私には向かないジャンル。
私は生ガキはまったく食べられないし(なお、この日の生ガキは岩ガキ)、小いわしの刺身も見ただけでジンマが出そうになるので口にしなかったが、カキのバター焼きで舌を満足させた。
店の名前は、ここの代表の名前が「隆文」だから。
別にいいけど……
店の雰囲気がもう少し明るければもっといいのだけど……
さて土曜日。
札幌へ帰る日。
12時のフライトなので、ホテルをチェックアウトしてそのまま空港へ。なんと、3日連続で広島空港内で昼食をとることとなった。
さすがに「あじろや」はやめて、「菜の里」というそば屋にした(箸袋には「ROYAL」と書かれていた。向かいにあったROYALの出張所なのだろう)。天ざるそばを食べる。まあまあの味。麺はちゃんとソバの味がした。これ、当たり前なようでなかなか最近は当たり前ではないことなのだ。看板に書いてあった「手打ち」というのはきっと誇大表現だと思うけど。
注文を取りにきた女の子の感じが良かった。
ということで、私の広島グルメ旅行は終わった……違う、違う!ちゃんと仕事してきました!
家に帰ると庭ではあらゆるバラが花開き、アリが徘徊し、夏椿はボトボトと花を落としていた。まったく夏椿って、咲いたらすぐに散ってしまう。見てごらん、この汚さを!これを拾い集めるのたいへん。
そんななか、今日はフリュイテというバラの写真も載っけちゃおう(上の写真)。背景のフウロ草との対比もきれい(カラーバランスとしては誉められたもんじゃないだろうけど)。
昨日は“大きな”トラブルはなく、父の四十九日法要が終了。
大きなトラブルがないということは、小さなトラブルは多発。
たとえるなら、胃の検査をしたら潰瘍は見つかりませんでしたが、小さなポリープはたくさんありますって感じである。
でも、まずは終わってよかった……
MANZOKUという文字づらを目にして、「すすきのMANZOKU情報」を連想してしまうあなたはちょっぴりH。
すでに書いたとおり木曜日から土曜日にかけて広島方面に出張してきた。
宿泊したのは広島市内である。
まず木曜日。
昼過ぎに広島空港について、まずは空港内で食事。
何軒かある飲食店のうち「あじろや」という店に入る。
広島名物が一通りそろっているようだ。
ここで私は“親子丼”を注文した。
文句を言わないでほしい。
わざわざ広島に来て親子丼を食べたからといって、私にいったいどういう罪があるというのだ?
それにこの日の私は、前日たいした飲んだつもりはないのに、朝食後に急速に具合が悪くなり(なぜか二日酔いの症状に酷似。朝食は元気にたっぷり食べることができたのに……)、広島に着くころにやっと5割ほど回復したところだったのだ。加えて、私は親子丼が好物なのだ。
で、お味。
ちょっと汁けが多い、いわゆるツユだくで、「お姉さん、スプーン貸して!」と言いたくなる衝動に駆られるものだったが、味はとてもよかった。塩加減もしょっぱくなく、でも物足りなくなく、ちょうどいい。こういう言い方をして失礼だが、空港内のレストランって値段の割りにたいしたことないケースが圧倒的に多いが、これは良い!
ちなみに同行した部下は、広島名物の“あなご丼”を注文。
あっ、感想聞くの忘れた。
その日の夜は、洋食が食べたい衝動に駆られた。
私はよくいろんなものに駆られるのだ。
広島に来て洋食を食べたくなったからといって、私にいったいどういう落ち度があるというのだ?
洋食が食べたいという私の“駆り立て”は心理学的、生物学的に説明がつく。
まず、前日の夜の、出張日の午前中の私を廃人にした原因が、和食での会食だったこと。第2に、この日の翌日、つまり金曜日の夜は広島名物の和食店で食事をすることが決まっていたこと。
ということで、洋食にしたのである。
なぜ中華が選択肢に入らなかったのかというと、2人で中華はボリューム過多で何品も食べられないと判断したからである。
泊まっているホテルの裏側に、こじんまりとした、ガラス越しに店内を覗くとちょっとしゃれた感じの店があったので入ってみた。「洋食とワイン grande」という店である。
シェフは若い男性。
結論から言えばすごくおいしかった。
注文したのは前菜セット、シーフードのガーリックバター炒め、ラグーソースのラザニア、チーズ盛り合わせ。あと、ビールと白ワインたくさん。
前菜のセットは「本日の魚のカルパッチョ」「アンチョビをのせたパン」、それに野菜のトマトソース煮込みが、肴向けとして少量ずつ盛ってある。
これを見て食べた瞬間に、シェフの勝ち!と思っちゃいましたね。いや、別に何かの勝負をしているわけじゃないけど……
シーフードの炒めは、エスカルゴ風の味付け。まっ、ガーリック・バターだから当然と言えば当然なのだろうけど、こうやって炒めるとシーフードもまた変わった印象になる。
そしてラザニアは絶品!肉の風味が口の中でふわっと広がる。ただ、それが個性を主張しすぎることなく、チーズのうまみと渾然一体となっている。塩加減も絶妙。こういう料理ってちょっとしょっぱいな、とか、塩味が物足りないなとか感じることが多いが、完璧!ヤマオカシロウも真っ青!
広島の塩加減って私に合うのかしらん?
このお店、広島市中区幟町、チサンホテルの裏側。電話は082-227-1966。シェフもとても感じがいい。ランチもやっているようだ。
翌日にあらためて店の外観の写真を撮りに行ったが、こうやってみると外観は味も素っ気もしゃれっ気もない。何とかしようがあるように思うが……
翌日(2日目)の朝は、昨日の記事で触れたようにコンビニ食。豚肉がさびしそうに浮遊しているカップ豚汁とおにぎり。
午前中に空き時間があったので、近くの三越、を通り越して、その隣にある天満屋へ。
三越に特別な感情はないが、わざわざ全国区の三越に行くのも芸がないと思い(そのくせ親子丼やら洋食やらを食べているのだが)、天満屋を選んだのだ。
天満屋って名前を耳にしたことはあったが、正直言って、デパートだとは認識していなかった。どこで耳にしたのかって考えたら、そうだ、北京オリンピックでマラソン代表だった中村って選手が天満屋だった。
地下でおみやげの“もみじまんじゅう”を買う。
おやおや。もみじまんじゅうって赤福のような固有名詞じゃないんだ……
“にしき堂”と“宮島 藤い屋”の商品があったので店員さんに「どっちがどうなんだろ?」と、一応気を遣って曖昧に尋ねてみた(「どっちがおいしいの?」と聞くのは意地悪ってもんだろう)。
店員さんは、どう答えるべきかちょっぴり困惑したように「全国的にはにしき堂さんのが有名ですが、地元の方は藤い屋さんのを買うことが多いようです」と答えた。
うそかもしれないが、店員さんを信じることにして、藤い屋のものを買う。
そのあと、この日合流する人を迎えに広島空港へ向かった。
この旅行記はもう1回続けてよいかしら?
よし。続く……
広島は昨日も良い天気!
良すぎて暑すぎる……
やはりいくら子供たちに夢を与え、かつ、生物の生態について学ばせるという理由とはいえ、日本国の動物園でペンギンを飼うのは彼ら彼女ら(←のこと)にとって酷過ぎると思う。
広島にいる北海道人は、ふと、そう思った。
で、何しに来てるのかって?
仕事です。出張です。
何の仕事かって?
内緒です。
出張内容を書いたりなんかすると、そのうち「もしかして、これ書いてるのあいつか?」ってなっちゃうから。バレても支障があるわけじゃないけど(仕事のことや会社のことを書き連ねているわけじゃないから)、やっぱりそこはほれ、読む人によっても秘密の方が夢があるじゃない。私はすごい美男子だってこともばれちゃうとまずいし……
もっともそんなこと心配しなくても、世の中にはぜんぜん知り合いなんかいないんだけどね。
ただ今回は一言。「おめでとう!」。わかる人にはわかる、奇妙人からのメッセージ。
あっ、念のため申し上げておきますが、この写真、私ではまったくありません。
あとに書いているように、私よりもはるかに立派な方です。
立派な方ですが、失礼ながら、私はこういう姿に憧れませんし……
それにしても、ここ広島の中心部。道路は広いのになんで夕方はこんなに渋滞しているのだろう?
路面電車のせい?バスのせい?
いやなによりもあちこちで客待ちしているタクシーのせいだ。
なかにはきちんと縦列しておらず、ケツが中央車線にはみ出して停まっているのもある。おばさんドライバーかっ!?
ひどい。
で、その話とは脈絡はたぶんないが、いや実際のところ本当にまったくないのだが、今日はふと思い立って深井史郎(Fukai Shiro,1907-1959 秋田出身・写真上)の「パロディ的な四楽章」(Quatre Mouvements Parodiques 1936)を取り上げる。
看板に偽りなしで、この曲、その名のとおり4つの楽章から成り、それぞれ「ファリャ」、「ストラヴィンスキー」、「ラヴェル」、「ルーセル」と副題がつけられている。
この曲の原曲となったのは、1933年に深井がNHKから作曲を依頼されて書いた「5つのパロディ」という作品。鎌倉でこの新たな依頼作に取り組んだ深井だったが、同じような西欧の音楽作品を研究すればするほど自分のオリジナルな作品を書くことに行き詰まってしまった。それなら西欧の作曲家のスタイルを取り入れてみようと発想を転換したところ、すんなりと書くことができたという。
この「5つのパロディ」のうち、「マリピエロ」の楽章を1933年に削除し、さらに「バルトーク」とついていた楽章を「ルーセル」に変え(バルトークがルーセルに!)、「パロディ的な4楽章」となった。
初演は1937年に日比谷公会堂で行われている。
作曲者は初演の際に各楽章に対してコメントを書いている。
第1楽章「ファリャ」
マニュエル・ド・ファリャ様。あなたを生み、あなたが数々の創作の中で夢みられた美しいあなたの土地は、いまや砲火と殺戮の巷と化したようです。後再び、あなたが廃墟に立って、かつてあなたが描いた庭や丘を見わしたなら、あなたは涙なしにはいられないでしょう。これはくずれおちた煉瓦の山の上に足を踏みおろしながら、荒れ果てた四方を見て涙をおとしているあなたの肖像画です。
第2楽章「ストラヴィンスキー」
イーゴル・ストラヴィンスキー様。私たちは随分あなたの軽業をみてきました。随分突飛なこともあなたはなさいましたね。けれども軽業では、人の心を泣かすことも騒がすこともできないでしょう。このあいだ街をとおるチンドン屋を見て、ふとあなたのことを思い出しました。どうぞお怒りにならないで下さい。これはシルクハットに燕尾服のいでたちでチンチンドンドンをやって行くあなたの肖像画です。
第3楽章「ラヴェル」
モーリス・ラヴェル様。あなたはとうとう結婚なさいませんでしたね。婚礼の日に待てど暮らせどその亭主がやってこないみたいだって、罪のない孔雀をルナール様と一緒にお笑いになったあなたでしたが。しかし、私はあなた自身にこの孔雀を感じてならないのです。これはもう羽もぼろぼろになった一匹の孔雀の絵です。失礼なことですが、顔はあなたに似せて書いておきました。(弱音器をつけたトランペットでこの孔雀が4回鳴きます。もうお婆さんなので昔のような声は出ません。)
第4楽章「ルーセル」
アルベール・ルーセル様。あなたを尊敬しておりますので、どうもこの肖像画は書きにくうございました。ご老体なのにエネルギーにあふれた作品をお書きになるのにはほとほと感心しております。これはあなたが1人でビフテキを4人前お平げになる図です。トランペットとトロンボーンが開幕の合図をするので、あなたは舞台の上であわてて最後の大きい奴をほおばりこむのですが、これは不幸なことに喉につかえてしまうのです。もちろん苦しいのであなたはドタバタなされますが、この音はティンパニに書いておきました。
深井史郎の作品集としてナクソスからCDが出ている(上のポートレートもこのCDのライナーノーツに載っているものを転載している)。
ヤブロンスキー指揮ロシア・フィル。2004年の録音。ナクソスの8.557688J。
さてと、これから札幌に戻る。
帰ったらアリの不法侵入がないかどうかチェックして、風がなかったら夕方にバラとプルーンに薬を散布して(今回は初めて“ベニカX”を使ってみる)、まだ気力と体力があれば、庭に回している枕木に“ケミソート”を塗ろうと思う。
今年は春先に防腐剤かつ防虫・防蟻剤である“ケミソート”を塗らなかったが、そのせいでアリが多く発生しているのかもしれない。“ケミソート”は、発がん性で販売中止になった“クレオソート”に替わるもの(おぉ、ここでも私は発がん性物質を扱っていたのか!)。色が薄いのが気に食わないが、もうクレオソートが手に入らないのだから仕方ない(ただし右に掲載したように、別タイプの「環境にやさしい」クレオソートは出ている)。
ケミソートはどうかわからないが、クレオソートの場合は、塗った枕木に隣接して植えてある植物の生育が悪くなるのは事実。ケミソートに替えたとはいえ、今回も庭側になるべくこぼさないように注意しよう。
ただ、家の裏側には枕木もないので、そこから入ってくるアリについてはまったく事情が違う。根気よく繰り返し隊列通路を攻撃するしかない。
そんな光景って、すっごくパロディ的かな?
昨日、おとといは朝から晴れ!
本当に久しぶりだ。
長い間の湿った天気のせいで、ほかのバラたちの先鞭をきってすでに花をつけていた“オールド・ブラッシュ・チャイナ”の花柄はカビっぽくなってしまっている(言い訳するが、私は雨のせいで満足に花柄摘みができていないのだ。アリ退治にも忙しかったし……)。
それを見るだけで、これまでの天気がいかに健康に良くないかが感じられる。もちろんバラにとって、ということだけど。
そして久しぶりに晴れ渡ったことを喜ぶかのように、朝早くから新たに開花したバラがある。
写真上は“ウィンチェスター・カセドラル(キャセドラル)”。イングリッシュローズで、メアリー・ ローズの枝変わり品種である。メアリー・ローズの花はピンクだが、こちらは白。ただ、ときどき写真のように花にピンクのアクセントが入ることがあり、むちゃかわいい[E:lovely]。
写真中は“エバーゴールド”。
ツルバラである。わが庭では2番目に植えられた、マイガーデンの中では歴史ある品種。
写真下は“メニー・ハッピー・リターンズ”。光の関係でピンクが鮮やかに写っていないが、これからどんどん咲き続けてくれるだろう。
とにかく、この名前が良い!
もともと幸薄い私にとっては、リターンも何もないのだけど(そういえば、浪人生活中に「次は合格するぞ!」とマーラーの交響曲第2番「復活」を聴き込んだことがあったが、もともとダメだったんだから「復活」も糞もないという、ひじょうに知的な気づきをした経験が私にはある)。
さらに下に載せた写真は何回か掲載した“ボサ・ノヴァ”。たくさん花をつけてくれている。
[E:note]
さて、音楽の話。
先日、フランクの交響曲ニ短調の記事のときに触れた(さらには、かつてショスタコーヴィチの交響曲第15番のときにも触れた)、終楽章に“Muss es sein?”と書き込まれた動機がある、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の弦楽四重奏曲(Streich-quartett)第16番へ長調Op.135(1826)について。
この曲はベートヴェンが完成させた最後の弦楽四重奏曲であると同時に、ベートーヴェンのまとまった大曲としても最後のものである。
4つの楽章から成っているが、その第4楽章は「ようやく定まった決断」と題されている。そしてこの楽章の冒頭2つの動機には“Muss es sein?(いかにあるべきか?)”、“Es muss sein!(かくあるべし!)”と書き記されている。
結果的には最後の大曲となった作品に、このようなメッセージが書かれていることに対し、当然のごとく多くの人(興味のない人はもちろん除く)によって、その「謎解き」が試みられている。
ここにはひじょうに深遠な何かを示しているという説もあれば、友人からの借金をどうするかについての決断である、といった現実的で人間的なものであるという説もある。
弦楽四重奏曲第16番のあと1826年に、ベートーヴェンは弦楽四重奏の1つの楽章(プレスト楽章)を書いている。ベートーヴェンはこれを弦楽四重奏曲第13番変ロ長調Op.130(1825)の最終楽章(第6楽章)に充てた。
そして、それまでこの曲の終楽章だったものは独立曲とされた。「大フーガ(Grosse Fuge)」変ロ長調Op.133(1925-26)がそれである。「大フーガ」はルドルフ大公に献呈されている(弦楽四重奏曲第13番はロシアのN.ガリツィン公爵に献呈されている)。
ベートーヴェンは第12番(変ホ長調Op.127(1822-25))までは伝統的な4楽章構成の弦楽四重奏曲を書いていたが、第13番では6楽章、第14番(嬰ハ短調Op.131(1826))は7楽章、そして第15番(イ短調Op.132(1825))は5楽章と、数の拡大を図った。
しかし最後の第16番では再び4つの楽章に戻っている。第16番は友人のJ.ヴォルフマイヤーに捧げられており、初演は1828年、すなわちベートーヴェンの死後に行なわれている。
私は室内楽曲をあまり聴く機会がなく、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲についても数種類の演奏を聴き比べしたことがないので、「この演奏をお薦めする」という経験、元気、自信、根拠がない。
だから謙虚に私が持っているCDの紹介だけ。
アルバン・ベルク弦楽四重奏団による全集。1980年録音。
他の演奏はわからないけど、これ、悪くないと思っている。私がこれを選び、買った動機は“Es muss sein!”という点の声が聞こえたから、ではなくて、価格がお手頃だったからに過ぎないが、うん、悪くない!
§
今朝の7時のNHKニュースは、マイケル・ジャクソンが死んだ(らしい)というもの。確かにビッグ・スターなんだろうけど、しかも確定情報ではないのにこういう風に取り上げられるのって、ちょっと不思議。麻生(札幌の地下鉄南北線のアサブ、ではない)とか国政情報が後回しなのね。ま、いいけど……
「マイケル・ジャクソンさんは50歳……」ってアナウンサーが言っていたけど、ふ~ん、もう500くらいになるのかと思ってた……
まっ、すっごいお金持ちだから、ベートーヴェンの苦渋の決断のことなんて理解できないんだろうな、マイケル君は。
同じNHKニュースで、カズオ・イシグロという作家が特集で取り上げられていた。
私はぜんぜん知らない人。けど、小説はおもしろそうだ。
彼は「人生の岐路は誰にでも訪れるが、だいじなのはそのときどう自分に向き合うかということ」と話していたが、う~ん、なるほど。
広島のホテルで、コンビニのおにぎりとカップ味噌汁(の豚汁)という朝食をとりながら、「なんて豚肉の少ない豚汁なんだ!逸品亭という商品名のくせに!」(ちなみに、ハナマルキの商品。ハナマルキのものって北海道で売っているのかなぁ)と不満をもらしている私は、まだまだ若輩者である、と反省(してないけど)。
その広島で昨夜飛込みで入った洋食店はおいしかった。
その話は北海道に帰ってから書くことにする。
※ あらあら、ファラ・フォーセットも死んだんだ……
コダーイ(Kodaly,Zoltan 1882-1967)の組曲「ハーリ・ヤーノシュ」。
コダーイの作品をこのブログで取り上げるのは「ガランタ舞曲(Galantai tancok)」(1933)以来だと思う。
管弦楽による組曲「ハーリ・ヤーノシュ(Hary Janos)」は、もともとはプロローグとエピローグをもつ4幕の歌劇(ジングシュピール)であった。作曲年は1925~26年。初演は1926年にブダペストで行われた。作品番号は15である。
歌劇の内容は、ナポレオン時代のウィーンが舞台で、伝説的なハンガリーの豪傑ハーリ・ヤーノシュの5つの冒険物語が繰り広げられるという喜劇である。
コダーイはこのなかから6曲を管弦楽組曲にした。
その6曲は、
① 前奏曲、おとぎ話のはじまり
② ウィーンの音楽時計
③ 歌
④ 戦争とナポレオンの敗北
⑤ 間奏曲
⑥ 皇帝と廷臣たちの入場
となっている。
私がこの曲(組曲)を耳にしたときに思ったのは、この中のいくつかをどこかで聴いたことがあるということだった。
さんざん考えた挙句、出てきた結論は、幼少のころに観ていたNHKの「おかあさんといっしょ」で使われていたのではないか、ということだった。
第4曲の「戦争とナポレオンの敗北」。
よくわからないが、何かでアレンジされていたと思う。
もちろん確証はない。
「おかあさんといっしょ」ではなくて、別な子供向け番組の可能性もある。
だが、どうしてもそのころにまで感覚がさかのぼってしまうのだ。
あぁ、あの頃は母親も厳しいながらも非常識ではなかったように思えるのだが……
クラシックを聴き始めてからは、音楽とそのころの情景が結びつくことが多い。いや、それが当たり前のようになっている。しかし、もっと以前にさかのぼるのは珍しいケースである。
コダーイはバルトーク(Bartok,Bela 1881-1945)と協力してハンガリー民謡を収集し、その音楽的語法を作曲の基礎とした。ただし、バルトークが1920年代から新古典主義の方向に進み、現代音楽としての民族主義を確立したのに対し、コダーイはあくまでも穏健な様式にとどまった。また、バルトークが第2次大戦でアメリカに渡ったのに対し、コダーイは祖国にとどまった。
H.C.ショーンバーグの「大作曲家の生涯」(共同通信社)では、「バルトーク」の章でコダーイについて次のように触れられている。
《コダーイの作品は、バルトークに比べると平凡な感じを受ける。コダーイはもっと礼儀正しく、世間の慣習を守る人間で、優れた作曲家であったとはいえ、アカデミックな、すなわち19世紀風の公式から完全に離れることはできなかった。ところが、バルトークは完全にそこから訣別し、自らに適するようにソナタやその他の形式を変え、民謡的要素を大胆な新方法で用いた》
この「ハーリ・ヤーノシュ」を聴いても、民謡収集で共同作業をしたとはいえ、やはりバルトークとはずいぶんと違う音楽である。
逆にいえばバルトークより親しみやすい。
民族楽器であるツィンバロンという珍しい楽器の音に魅了もさせられる。
しかしそのうちにスパイスが欲しくなる。
だが、私には幼少期の淡い記憶をよみがえらせてくれる数少ない曲の1つである。
CDは「ガランタ舞曲」のときにも紹介したドラティ指揮フィルハーモニア・フンガリカによる演奏を。「ハーリ・ヤーノシュ」ではジョン・リーチなる人がツィンバロンを弾いている。
録音は1973年である(掲載写真は輸入盤のもの)。
さて、今日から中国地方(中国ではなく、関西の西側の地方)に出張。
暑いんだろうなぁ……
このところ舌の縁に少し痛みがある。右側である。
鏡で見ても大きな変化は発見できない。
鏡でじっと観察していると、決して気持ちの良い光景ではない。
でも明らかにどこかが荒れているに違いない。だって痛いんだもの。
私の上の前歯の裏側はかなりガタガタである。
歯医者で相談しても、寝ている間にかなり力を入れて歯を食いしばっているせいで、そのせいで裏側が削れてすり減っているという。そのために夜間はマウスピースを装着するように言われている。
しかし、ついつい装着を忘れてしまう。
ますます上前歯の裏側はゆっくりゆっくり減り、同時に下の前歯もおかしくなり、ついでに全体の歯ぐきが不健康になっている。実際、歯ぐきの治療でずっとずっと通院しているのだ。
もしかすると、夜中に歯を食いしばっているときに、稀に舌を噛んでいるのかもしれない。
さらに、日中は歯の裏側のガタガタが気になってしょっちゅう舌で触る。それで舌が傷つくのかもしれない。でも、だとしたら舌の先端が荒れるはずだ。しかし、私の場合は舌の右側の縁だ。
右側の奥歯に何か問題があるのかも知れない。
かぶせた冠のどこかが鋭利な刃物のようになっているのかもしれない。
いずれにしろ、こういうのをずっと放っておくと舌ガンになることがあるということだ。
どうしてこう私には不安材料ばかりが集まってくるのだろう。
どうしていつも星占いで下位をさまよっているのだろう。
それにしても、舌の痛みというのは明らかに腫れていたり変色していない限り問題箇所が発見しにくい。あっ、別に舌に限ったことじゃないか……
良く見ようと鏡や顔を動かすと、逆に視覚に入ってしまい見たくもない鼻の穴の中を見てしまうハメになる。その際、鼻毛に白髪が混じっているとけっこうショックである。
歯医者に相談してもなかなかピンとした答えが返ってこない。
そうだ。彼におかれましては歯の医者であって舌の医者じゃないのだし、やはりなかなか問題箇所を発見できないのだろう。
どうしたらいいのですか、ボクは。
舌のニヤチクした痛みと(ニヤニヤするようなでも鋭角的な傷み)、和室のふすまの問題、どうしたらいいですか、ボクは。
とりあえず舌には、あてずっぽで“ケナログ”を塗ったくろうか?
私は小学生のときに、学研の図鑑セットのなかの「理科の実験」という巻を読んで、その中に載っていた物質の結晶の美しさに強く惹かれた。
そこに載っていたのは、ミョウバンやホウ酸、塩化ナトリウムに硫酸銅、重クロム酸カリウム、赤血塩(フェリシアン化カリウム)などであった。
私は思い立って薬局に行き、これらの薬品を注文した。
ミョウバンとホウ酸と塩化ナトリウム(つまり食塩)はすぐに売ってくれた。
もっとも、もし薬局のオヤジに何か疑念を抱かれたなら、きちんと答える用意はしてあった。
ホウ酸の場合は「母が目を洗うのに使う」でよいし、ミョウバンの場合は「父がナスの漬物を漬けるのに必要だと言っている」と言えばよいのだ。だが、もちろん何も言わずに売ってくれた。
硫酸銅は劇物だからダメと言われた。
フェリシアン化カリウムは値段を聞いてあきらめた。
で、重クロム酸カリウムは、薬局のオジサンが頭を悩ませた挙句、売ってくれた(実は劇物で小学生に売ってはいけない。それにしても田舎町の薬局に重クロム酸カリウムが在庫されていたのが不思議だ)。もちろん、販売台帳に住所と氏名を書かされ拇印を押した[E:good]。私がこのときどういう理由を申し立てたのか思い出せない。父に「買って来い。でなきゃ物置に一晩入れる」と言われたといった「泣き」を入れたのかもしれない。
売ってくれた重クロム酸カリウム(現在は二クロム酸カリウムと呼ぶことの方が多いようだ)は、粉末(といっても粉状結晶)ではなく、米粒ほどの大きさの結晶で、その赤っぽいオレンジ色は実に美しかった。さらに大きな結晶にしようと、一度水に溶かし冷却したが、大きな結晶にはならなかった。
たいした知識のない私はそういった実験もどきのことを、素手で行なっていた。
しかしである。私はのちになって知ることになるが、これは実はおそろしい物質だったのだ。
みなさんは六価クロムという言葉をご存知だろうか?
環境問題にもなった六価クロムである。発ガン性物質である。
重クロム酸カリウムを構成するクロムは六価なのである。
K2Cr2O7
O(酸素)は-2価だから、それが7つで-14価。K(カリウム)は+1価だから、それが2つで+2価。ということは、この化合物を構成するクロム原子2個で+12価でないと±0にならない。つーことは、どう考えてもこのCr(クロム)は1つ当たり6価なのである。
何を言いたいかというと、私はちょっぴり怯えているのである。
かつて素手でいじっていた六価クロムの化合物のせいで、体のどこかにガンが発生しないかと(ただし口に入れたりはしなかった)!
長々と書いたが、言いたかった結論はこれである。父もガンで死んでるし……
[E:note]
この春に“ボサ・ノヴァ”と一緒に購入したイングリッシュ・ローズの“スィート・ジュリエット”が咲いた(写真)。
しかし、やはり低温のせいか、外側の花びらが美しくない。
かわいそうに……
私の周りには良いことがない。
次の花は健康的に輝きながら咲くんだよ!
今朝は久しぶりに、本当に久しぶりに晴れている。気温も上がるそうだ。
さまざまなバラのつぼみが開きそうである。
私も健康維持のために体に良いものを飲む所存である!
やれやれである。
かねてからやらなくてはならないと思っていた和室の押し入れのふすまの修理に取り組んだ。
日曜日のことである。
要は、ふすまが完全に閉まらなくなっていたのだ。
つまりは、何らかの原因で鴨居が下がってきており、ふすまの動きが悪くなったのだ。
かねてから、と言っても、もう5年以上前からのことだ。
ただ、湿度などの関係から状況が好転することもあったし、そう急ぐものでもないだろうと思ったので放っておいた。
しかし、鴨居はゆっくりゆっくりと下がってきていたのだ。そのスピードは鳥取砂丘が狭くなってきているというスピードとどっこいどっこいぐらいだろう。
いよいよ直すことにした。
要は一度ふすまをはずしてその上部をカンナで削ればいいのだ。
私はカンナがけができる。
中学の技術・家庭の授業でやったことがある。
中学以来なので緊張が走る。
中学のときに取りまとめで買わされた「大工道具セット」に入っていたカンナも、久々の作業に駆り出されて緊張しているのがわかる。
さて、、、、っと。
まあ、たいへん。
まずはふすまが敷居からはずれない。
4枚あるうち、左2枚は絶望的に上にずれない。
右2枚は少しずれる。
私は鴨居をウェイトリフティグのように上に押し上げ、その間に妻がふすまをガタガタいじり、なんとか右2枚ははずすことができた。もし、私がはずす係で、私より力がある彼女が鴨居を押し上げる係だったらもっとスムーズに作業が進んだかも知れない。
はずしたふすまの上部にカンナをかける。
なかなかおもしろい。
そしてもとに戻す。
おぉっ!ふすまがスムーズに動くということがこんなに劇的なことだなんて!
あたりまえのことがあたりまえにできる喜びぃっ!
ところがである。
左側2枚はびくともしない。
どうしたらいいのだろう。
夏場になったら少しは湿度の影響で事態は好転するのだろうか。
それとも、結局はまったくはずれないまま、いつかはふすまを破壊しなくてはならないのだろうか?
どうしてこう次から次に苦悩の材料が増えるのだろう……
この日の昼は腹いせにラーメン屋に行った。
江別市の野幌まで足を延ばした。
店の名前は「天味(てんまい)」(「天昧」と書くのかと思っていたが、日曜日に見たところ「天味」らしい.昧という字の意味は「夜明け」。味はもちろん「味」)。
ここに行くのは久しぶりだ。
3番通を札幌方面から江別市外に向うと左手にある。湯川公園のそばである。
初めて行ったのは今から10年ほど前で、そうしょっちゅう行くわけではないが(今回はたぶん2年ぶり)、良い店である。
ラーメンを食べようと思ったが、椅子に座った瞬間に思考はコペルニクス。
チャーハンを頼んだ。
これがまた絶品。
いわゆるラーメン屋のチャーハンという感じだが、美味い!
皿に半球形に盛られたチャーハンをスプーンで崩し、湯気を浴びる幸福感!
しかしである。チャーハンを頼んだ後、ラーメン+半チャーハンセットにすべきだったと反省しきり(半チャンは、昔はメニューになかったのだ)。
あぁ、おバカな私……
こんな性格だから、バイキングのときにいきなり入口近くの焼きそばを食べてしまい、肝心のローストビーフを取り損ねてしまうのだ……
あぁ、テンマイ……
ラーメンはあっさり系。
感じの良いご夫婦二人で切り盛りしている。
§
昨日の北海道新聞夕刊に札響第520回定期演奏会の評が掲載されていた。書いているのは北海道情報大学教授の三浦洋。
内容は、「カルミナ・ブラーナ」については、技術的には優れているが作品解釈には疑問ありというもの。「修道院で見つかった詩に潜む嗚咽を聴きとり」たかった、という。そうなのかなぁ?グレツキの交響曲第3番とは違うんだからなぁ。
メンデルスゾーンの改訂版の交響曲第4番については、「牛頭蛇尾の印象」だそうだが、私はむしろ逆に感じた。
人ってみな感じ方が違うのね。
アゥゥゥゥ~ン……
カバレフスキー(Dmitry Borisovich Kabalevsky 1904-87)のチェロ協奏曲第2番ハ短調Op.77(1964)。
カバレフスキーと言えば組曲「道化師(The comedians)」である。
あまりにも有名である。
全国の小学校で運動会の時に流されてると言っても過言ではないと言い放っても過言ではないだろう。
なんと親しみやすい曲であろうか。
それもそのはず。
カバレフスキーはモスクワ音楽院時代に、芸術の大衆化を目指す「学生制作集団(プロコル)」に属していた。彼はそれ以来、他の誘惑に負けず、理解しやすい音楽に取り組み続けた。
特に彼が力を注いだのは児童用作品で、組曲「道化師」のもととなった「発明家と道化役者」(1938)は、M.ダニエルの児童劇のための音楽である。この劇は田舎回りの喜劇の一座の生活を扱ったものだが、カバレフスキーは翌1939年に10曲を選び組曲「道化師」Op.26としたのであった。
特に有名なのが第2曲「ギャロップ」だが、私は大学生の時に音楽とはまったく関係のない何気ない会話の中で、「スキップ」と言うべきところを勘違いして「ギャロップ」と言ってしまい、相手に完璧に理解されなかった恥ずべき経験がある。あぁ、クラシック・シンドローム……
なお、「道化師」でお薦めなのはやはりコンドラシン盤。何年経っても、何十年経ってもコンドラシン盤をしのぐ演奏がなかなか出てこない。このCDには浅田真央の演技曲で有名になったハチャトゥリアンの組曲「仮面舞踏会」も収められているが、こちらのほうもやはりコンドラシン盤を超えるような演奏は出てきていない。
さて、そんなカバレフスキーの音楽だが、チェロ協奏曲第2番は違う。
私は1988年12月の札響定期演奏会でこの曲を初めて耳にしたが、きっと楽しげで頭がからっぽにできるような音楽を期待して行った(なんせ、ものの本によっては、カバレフスキーは“思索的な深みに欠ける”とまで書かれているのだ)。ところがどっこい、全然違い、むしろ眉間にしわを寄せて哲学的な表情で聴かなくてはならなかった。
ひじょうに“まじめ”な音楽。難解とか親しみにくいとかいうのではないが、ニタニタして聴いていたらバチが当たりそうな音楽である。
カバレフスキーはチェロ協奏曲を2曲書いている。
第1番(ト短調Op.49)は1949年に書かれているが、これは「青少年のため」に捧げられている。私は聴いたことがないが、楽しい曲なのかしらん?
第2番は先に書いたように、渋い、重い、瞑想的である。
悩みを音楽化したかのよう。あぁ、カツカレーとエビフライカレー、どちらにするべきか……と選択を迫られた時のことを想像するとわかりやすいだろう……か?
アルト・サキソフォーンが編成に加わっており、これがまたいい味を出している。
3楽章からなるが、すべてアタッカで続けて演奏される。
私が聴いているCDは、ラファエル・ウォールフィッシュ(Raphael Wallfisch)のチェロ、ブライデン・トムゾン(Bryden Thomson)指揮ロンドン・フィルハーモニックの演奏によるもので、シャンドス(Chandos)のCHAN8579(輸入盤)。1987年の録音。
カップリングはグラズノフ(Aleksandr Glazunov 1865-1936)の「吟遊詩人の歌(Chant du menestrel)」Op.71 (1900)と、ハチャトゥリアン(Aram Il'ich Khachaturyan 1903-78)のチェロ協奏曲ホ短調(1945-46)。ただしこのCDは現在入手困難。
昨日、“コンラッド・フェルディナンド・マイヤー”(Conrad Ferdinand Meyer)が開き始めた。
このバラは、ピンクはピンクでもちょっと感じが違う。シルバーピンクって感じか。
ただ今シーズンは低温と日照不足のせいか、どのバラにも病気が多発している。
心配である。
どうして毎週毎週、土日となると天気が悪く寒いのだろう。
まったくもって今年はガーデニング作業の苦痛と喜びの両方を味わえない。
せめて喜びだけでも味わいたいものだ。
でも、雨のしずくに濡れたバラもきれいなものだ。
写真はこの間もご紹介した“ボサ・ノヴァ”であるが、今回写した花はちょっと変わっている。まるで細巻を三つまとめて太巻にしたような花である。これまた美しいものだ。
さて、タイトルにあるのは札響のコンサートマスターであり、個人的にも活動の場を広げている大平まゆみさんのファースト・アルバムの名前である。実際に販売開始されたのは昨年2008年の3月である。もう1年以上たっている。ごめん……。共演はハープの田中資子。
なおセカンド・アルバムについては「ここ」に書いてある(失礼なこと書いて反省しておる次第です)。
収録されている曲は、グリーンスリーヴズ変奏曲(イギリス民謡。V=ウィリアムズのものではない。それがかえって貴重)、マスネ/タイスの瞑想曲、エルガー/愛の挨拶、ドヴォルザーク/ユーモレスク(第7曲)、グノー/アヴェ・マリア、モンティ/チャルダッシュなど全部で15曲。
なかには日本人作品として、滝廉太郎の「荒城の月」、成田為三の「浜辺の歌」、日本古謡である「さくらさくら」が収められている。
いわゆる名曲集であり、大平、田中も「音楽の楽しさ、すばらしさを分かち合うために」と書いているように、このCDの演奏に「高い芸術性が感じられる」だの「何々の中間部ではもっと情感が欲しかった」などと言うのは愚の骨頂。
ま、もっともどんな演奏に対してもあーだこーだ言ったり書いたりしていることすべてが、負け犬の遠吠え的上から目線の「じゃあ、おまえに何ができる」なんだけど……。反省しています。
というわけで、このCD、純粋に楽しめました。
プライベート盤ではないが流通範囲は限られているようなので、一般のCDショップに並んでいるというものではないだろう。
M-toneのMM200803。1,500円。規格番号が発売年月なのね……。購入したい場合、どこに問い合わせたらいいのかな?よくわからないけど、札響事務局に聞いてみるのが手っ取り早いかも知れない(Tel.011-520-1771)。札響さん、もし迷惑がかかったらごめんなさい、と私は言いたい!
ところで、滝廉太郎(1879-1903)。
生没年をみると、予想以上に昔の人で(どんな予想だ?)、時代的にはマーラーとすっぽりとかぶっている。
唱歌曲「荒城の月」が学生たちの間で愛唱されるようになったのは明治の終わりころからだったが、滝廉太郎の名前が広く知られるようになったのは大正末期だという。昭和初期には、彼の短い生涯が映画化されたらしい。みんな感動して観たんだろうな。
日本音楽界においてはすごい人なんだけど、私は彼に良い印象を持っていない。
浦河で通っていた小学校の音楽室に貼ってあった彼の肖像画が実に暗いものだったからである。
なんだか、学校の石炭庫の奥から不機嫌に現れる用務員(当時はこずかいさんと言った)、の、しかも見習いみたいな感じだったからだ。
私が悪いのではない。あの肖像画が悪いのだ。
そういえば、この前行ったすすきののスナックの女の子が浦河出身だと言っていた。どーでもいいですね、そんなこと。
先日、大平まゆみさんとお話しする機会があった。
やはり若い世代の人がもっと札響の定期演奏会に来てくれるようにならなきゃ、と憂慮していた。彼女はいま音楽のファン作りのために、一生懸命その種まきの活動をしているのだろう。
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