読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行した「保存版」です。  いまは“新・読後充実度 84ppm のお話”として更新しています。左サイドバーの入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。  背景の写真は「とうや水の駅」の「TSUDOU」のミニオムライス。(記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

July 2009

青少年限定じゃありません。大人も楽しめます。

 “変奏曲”の話である。キャバクラの店舗奥にある“変装局”(という部局名はついていないだろうけど)の話ではない。
 今日ご紹介する変奏曲は、ブリテン(Benjamin Britten 1913-1976)の「青少年のための管弦楽入門 ― ヘンリー・パーセルの主題による変奏曲とフーガ(The toung person's guide to the orchestra ― Variations and fugue on a theme of Henry Purcell)」Op.34(1946)である。

 ところで“変奏曲”って何なんだろう?
aa3d4e16.jpg  “変奏曲”の定義をきちんと本[E:book]で調べてみることにしよう。
 手元に「音楽形式」(音楽之友社)という本がある。著者は門馬直衛。初版は昭和24年4月25日発行。えらい昔だ。しかし私が持っているのはその「新版」である。新版が発行されたのは昭和55年6月30日。う~ん、それでも十分古い。発行というよりも発酵している感じだ。で、この本、現在入手困難中。

 門馬直衛という人物は学者ではなく評論家で、1897年生まれ1962年没である。この時代に西洋音楽の仕事に携わっていたなんてモ・ボだ(←モダン・ボーイのこと)。
 たぶん、30年ほど前にちょっとザワっと脳天を刺激する声質でNHK-FMのクラシック音楽番組でブイブイ解説をしていた、門馬直美のファザーじゃないかと思う。

 何を目的としていたのか今となってはまったく不明だが、私がこの本を買ったのが昭和57年。
 時代の流れには逆らえない。買ったときにはインクの香りがしていた(ような気がする)この本は、今ではすっかり黄ばみ、古い本に独特の変な香りもする。加齢臭だ。仏壇に置いてある過去帳にも似た臭いだ。

 このロングセラー本(?)を開いてみる。
 買ったときに読んだはずなのに、今回開いてみると(それにしても臭うな…)、あたかも初めて目にするような記述ばかりである。保管している間に、記述が変わったのであろうか?
 いや、20年以上も前に読んだとき、一文字も覚えらないくらい無感動だったか、私の内部で痴呆が進行しているかのどちらかだ。

 さてと、

 《変奏曲形式(英、Variation Form.独、Variationenform)は、変奏曲の形式である。》

 究極まで無駄を削ぎ落としたみごとな文章である。JR時刻表の凡例ページの方がはるかに人間味がある。しかも短い1センテンスのなかに、キーワードである“変奏曲”と“形式”を2度も織り込む熟練技を駆使している。

 しかしである。確かにそうかもしれないけど、もう少しものには言い方ってもんがあるんじゃないの?
 続き……

 《変奏曲(英、Variations.独、Variationen)というのは、短い句にこれを変化したものを幾つか続けたものである。この場合にいちばん初めに出て次々と変化されていく本(もと)の句は、主題で、これを変化したものは、変奏である。従って、変奏曲は、厳密には、主題と変奏というのが正しいのであって、現にそういっている作曲家も少なくない。》

 これでもかと折檻されているような気になってくる。
 直衛さまの言ってることは完璧である、多分。でも、なんか言い方が気になるのよね。

 そう思って、怖いもの見たさから他の部分を見てみる。
 “ソナタ形式”の章の出だし。

 《ソナタ形式は、古典派のソナタの重要な楽章に用いる形式である。》

 はぁ~。頬杖(ほおづえ)をつく私。
 こうなりゃ、いろいろ拾って楽しんじゃえ!もう頬杖はつかない私。

 《音楽は、人間の感情を音の集積連続によって表出したものである。ところが、その感情は、千差万別、多種多様である。例えば、紅いばらの花をみても、ただきれいだと思う人もあるし、うっとりとなる人もあり、言葉をかけたくなる人もあり、あの人がいた時はと考える人もある。それに、感情は、自由自在に刻々と微妙に変わってゆく。そういう感情をできるだけ音を通して表出したものが音楽である。であるから、音楽はきまりきった形式などには従っていられないではないか―こうもいえるわけである。それもたしかに一理ある。しかし、気まぐれな感情のままに音を秩序なくならべていったのでは、音楽とはならない。そういうものは、作った当人には音楽になるかもしれないが、聴く方の側にすると、何が何だかいっこうにわからないものである。音楽は、感情を表出するものに違いないが、理解され共感されるものでなければならない。これがためには、まず第一に、一般に理解できるように構成してあることが必要である。そして、理解されるには、それだけの方法に従うことが要件となる。その方法、それが形式である。》

 音楽に形式というものが必要であるということを、こんなにご丁寧に、考えに考え抜いて書いて下さるとは感謝せざるを得ない。
 また、ばらといえば“アカ”という発想が、いかにも世代を物語っている。しかも“赤”ではなく“紅”と書くところが心憎い。文中、本来なら漢字を使うべきところを、敢えてひらがな表記にこだわっているところも、細かなテクニックだ。
 でも、何かが違う。ボルトとナットのサイズが合っていないような、ニュッとした抵抗を感じる。

 《シューマンは、気分を重んじた作曲家として知られ、いろいろな幻想的な作品を残した。その中に、作品12となっているピアノ用の『幻想曲集』がある。全部で8つの小曲からできているもので、その8曲は、どれもみな幻想的であるが、第4曲は、恐らく、一番気まぐれものの一つで、その名も『気まぐれ』となっている。》

 “気まぐれもの”って言葉があるのだろうか?

 《音楽にあまり馴れていない人は、新しい曲に初めて接した時、何だかよくわからないとか取りつきにくいとか感じることが少くないようだが、それは、多くは、その曲の形式がわからないからである。形式さえわかれば、大抵の音楽は親しみやすくなる。少なくとも、わかったという感じが起こるものである。》

 そうでしょうか?
 音楽を耳にしたって形式がわかるとは限らないのでは?
 いや、相当な高率でわかりゃしないと私は思う。
 そんないけない私でも音楽に親しんできました。だいたい、「形式さえわかれば」っていうけど、その「さえ」が難しいんでしょ?だからこそ、あなたもこんな本を著してくださっているわけだと思うのですが……

 《ベートーヴェンの第5交響曲をその形式もわからないでぼんやり聴いて、やれ運命と闘争しているとか何とか勝手に想像するのは、結局、第5交響曲の音楽を聴いているのではなくて、無理にあるいはでたらめに勝手な想像をしているだけの話である。》

 で?
 ぼんやりするな、ということでせうか?
 ぼんやりと勝手な想像。ヤラシ……

 《古典派以前の音楽で私達に直接に、あるいは多くの関係があるのは、バロック音楽である。つまり、バッハやヘンデルなどで頂点に達した音楽である。そして、この本は、それも扱っている。しかし、さらにそれ以前の音楽、つまり、17世紀の初め以前のものは、特殊な研究や音楽史のようなもので調べてもらいたい。》

 この投げやりとも開き直りともいえる書き方!しかもバロック以前の音楽については「特殊な研究」ときた!すごいなぁ。

 《和声や対位法は、形式を研究するために勉強するようなものである。和声でくたびれてしまって、形式まで及ばないでやめてしまう人があるが、これでは、列車に乗るには乗ったものの、酔いで下車して引き返すようなもので、結局何にもならない。》

 酔った勢いで風俗店に入ったものの、酔っ払いすぎて何も出来ないで終わったようなものでしょうか?

 で、いつまでもかまってられないので、別な本で“変奏曲”を調べてみた。

 《変奏とは、主題や楽句などの音楽的素材にさまざまな方法で変化を加えることをいい、そのような変奏技法に全面的に依存している音楽形式を、変奏曲という。》

 よくわかんないけど、こっちの方がマトモな気がする。
 以上、“変奏曲”講座閉講。

 さて、パーセル(1659頃-95)については先日の記事で「メアリ女王のための葬送音楽」を紹介した。
 偉大な作曲家が極端に少ないイギリスにおいて、最初の偉大なるキム…、いや偉大な作曲家とされるパーセル。副題にあるように、そのパーセルが書いた主題をもとに、同じくイギリスの作曲家ブリテンが書いたのが「青少年のための管弦楽入門」である。
 曲名は、イギリス政府制作による音楽教育映画「オーケストラの楽器」のために作曲されたことからこのようにつけられている。
 確かにオーケストラで用いられる楽器を紹介している“入門曲”なのかもしれないが(だとしたら、もうちょっと明るい楽想を選べば良かったのに、と思ったりもする)、単なる機能音楽ではない。名曲である。だから私は、この曲を「パーセルの主題による変奏曲とフーガ」という名の方で呼びたい。

 映画の内容について私は知らないが、この作品が演奏される場合には、各区切りごとに音を延ばし、その間に指揮者が楽器の特徴などを解説するように指示されている(もともとの説明文はE.クロージャーによる)。ただ、純粋に音楽作品としてこの曲を味わうには、ナレーションなしの演奏の方が当然のごとく良い。
 最初にオーケストラ全体でパーセルの主題が演奏される。このパーセルの主題はA.ベーンの劇のために書いた付随音楽「アブデラザール(Abdelazar,or The Moor's revenge)」(1695)によるという。続いて、この主題は木管群→金管群→弦楽群→打楽器群で演奏され、再びオーケストラ全体で提示される。
 このあと、各楽器が個々に紹介されるにしたがって、主題が変奏されていく。

 各楽器による変奏が終わるとフーガになるが、ブリテン自身による主題(これもパーセルの主題に由来しているように思える)がピッコロで提示される。
 これは、フルート、オーボエというように加わってくる楽器とフーガを形成するが、ファゴットが加わるときにはフルートはパーセルの主題を奏する。つまり、ブリテンの書いた主題とパーセルの主題との二重フーガになる。最後に全オーケストラによって再びパーセルの主題が力強く演奏され、曲は終わる。

 ところで、私たちの目からすれば、イギリスという国はヨーロッパのなかでも代表的な国である。それなのに、(前にも書いたが)なぜこの国では大作曲家といえばパーセル、エルガー、そしてブリテンぐらいしか現れなかった音楽後進国になかったのだろうか?岡田暁生著「西洋音楽史」(中公新書)には次のように書かれている。

 《(西暦800年頃から発展しつつあった)「芸術音楽」とは、イタリア・フランス・ドイツを中心に発展してきた音楽なのである。ロシアなどはいうまでもなく、中央ヨーロッパ文化圏から外れるイギリスなども、芸術音楽の歴史全体の中では、あくまで辺境にとどまり続けた。この「アングロサクソンは西洋芸術音楽の主流でなかった」という点はとても大事で、実際イギリスからはなぜか「大作曲家」がほとんど現れなかったことは瞠目(どうもく)に値する。対するに現代の709e5d08.jpg ポピュラー音楽帝国がアングロサクソン主導であることも興味深い。「西洋音楽史」の実体とは「伊仏独芸術音楽史」に他ならないのである》

 油断して紅茶ばっかり飲んでいたせいなのかなぁ……

 私の愛聴盤はアンドルー・デイヴィスがBBC交響楽団を振ったCD。
 A.デイヴィスって一時期は日本でもけっこう紹介されていたけど、今の活動状況はどうなっているんだろう。トロント響時代は真面目な人って印象だったが、その後は髭なんか伸ばしちゃってワイルドっぽくしていたような気がする。

 そうそう、ご存知だと思いますがフーガのことを日本語では遁走曲(とんそうきょく)って言いますのです。遁走とは逃げ走ること。最初にこの名を考えついた人はすごい。

悲歌~予兆なくふと頭の中で響くオーボエの叫び

 村上春樹の「1Q84」に登場する“天吾”は、時折前触れもなく乳児だった時に見た光景を思い出す。その時の天吾の状態は、周囲から見れば、いったい何が起こったのだろう、急病で倒れてしまうんじゃないだろうか、というものだ。

 その光景とは、自分の母親が父親ではない男に乳首を吸われているというもの。
 そんな乳児の時に見たことなんて記憶に残ってはいないはずなのだが、天吾はその記憶に襲われ、その間は普通ではない状態に置かれる。

 こんなに激しく自我破壊的じゃないだろうが、みなさんも不意に頭によみがえってくるような何か特定の記憶(光景なり音なり)ってないだろうか?

 私には、3歳か4歳のころに住んでいた集合住宅(玄関が共同の社宅)で、タイツをきちんと履いていなかったためにつま先でブラブラとしていたタイツの先端を踏んでしまって2階から階段を転げ落ちたときの恐怖が、しばしばよみがえる。
 まったくバカな子供であるが、不意にそのときの記憶がよみがえる。

 音でいえば、バルトーク(Bartok Bela 1881-1945)の「管弦楽のための協奏曲」Sz.116(1943)の断片が、しばしば、なんの前触れもなく、そのときしていることとの関連性もまったくなく頭で響き渡る。ほんのちょっとのフレーズ。それもいつも同じ箇所。
 それは、無意識に頭の中で曲を歌っているとか、あるいは実際に音を出して鼻歌を歌うというのとはまったく違う次元のことである。まるで耳鳴りのように鳴り響く。

 私が「管弦楽のための協奏曲」を知ったのは1975年1月のことだ。
 3月に札響定期に岩城宏之が来ることになっていた。そのメイン・プログラムがこの曲だった。
 岩城宏之と言えば、そのころはN響をしょっちゅう振っていて、その演奏はTVでもしょっちゅう流れていた。私にとっては、もっとも有名でかっこいい日本人指揮者だった。
 その人の姿を、生演奏を聴けるのだ。
 予習のために「管弦楽のための協奏曲」を聴いたのだった。

d3790099.jpg  この曲にはたくさんの聴きどころがある。全編にわたって聴きどころとも言える。
 ただ、私の頭に不意に鳴り響くフレーズは、はっきりしたメロディー部分ではない。
 第3楽章「悲歌」の、始まって1分になるところ、掲載した楽譜の矢印部分である(掲載したスコアはBOOSY & HAWKES社のもの。現在は日本楽譜出版社から国内譜も出ている。掲載スコアの下の部分を見ればわかるように、バルトークはその箇所までの演奏時間まで指示している)。オーボエが悲しい叫びのように音を放ち、フルートが受け継ぐ。この3小節ほどが、私の頭を襲うのである。
 このようなことがいつから起こり始めたのかわからないが、当然のことながら、1975年1月にこの曲を知ったあと、もっと言えば、終楽章のような親しみやすい部分から全体へと関心が向かった、その数ヵ月後ぐらいからだと思う。
 最初のうちは、頭に浮かんでくるこの“音”が、何の曲のどこの部分だったのかわからなかったほどだ。
 で、何を言いたいのかって言うと、そういうことはありませんか、みなさん?ってことである。

 えっ?ない?
 ふ~ん。

 実は、岩城/札響の演奏会の1週間ほど前に、私は原因不明の黄疸にかかってしまった。原因不明というのは、結局病院に行かないままで終わらせてしまったからだ。ちょっとしたことで、全身に猛烈な震えがきた(けっこう発熱していたのだと思う)。
 演奏会に行けなくなるかと心配した。
 当日もまだ治っていなかったが、会場に行った。
 幸い演奏中は、震えは来なかった。
 それと今の頭での鳴り響きとは関係ないだろうが、これが頭に浮かんだときはなんとなくUnhappyな気持ちになる。

588c0b04.jpg  私が最初に聴いた「管弦楽の協奏曲」の演奏は、カラヤン/ベルリン・フィルのものだったが、ほどなくしていまだに名演と言われているライナー/シカゴ響のLPを買った。さらに、私の好きなショルティがロンドン響を振ったもの、さらにシカゴ響を振ったものなども聴いてきたが、やはりライナー/シカゴ響の演奏がベストだと思っている。1955年の録音だっていうのに、驚くべきことである(現役盤は掲載写真とデザインは異なる)。

 そういえば、今回のPMFで札響が高関健の指揮で、「管弦楽のための協奏曲」を演奏した(7月17日)。私は聴きに行っていないが、1週間ほど後の北海道新聞に載った批評では“ダメ出し”されていた。
 2年ほど前に同じ組み合わせで定期でやったときには、そこそこよっかたんだけどなぁ……

66ce5055.jpg  バルトークの「管弦楽のための協奏曲」で私が思い出すのは、小澤征爾と武満徹の対談集「音楽」(新潮文庫)に書かれた箇所。この本は1978年から79年にかけて行なわれた2人の対談を収めたもの。
 小澤征爾はこう話している。

 《実はきょう桐朋学園でオーケストラを指揮していて、気になる事が起こったんです。というのは今度僕は、日本に十日しかいられない。その十日のうちの二日間だけ母校のオーケストラを指揮しようと決めたんです。十日のうち二日だから僕にとってみれば、大変大事な時間なんで、子供たちと一日は遊びたいんだけれども、その二日間、どうしても母校の若い連中を教えに行くことにしたんです。ところが彼ら、バルトークのオケ・コンすなわち『コンチェルト・フォア・オーケストラ』を管の人なんかがちゃんと吹けてないで来ているんです。吹けてないだけじゃなくて、完璧にやろうという熱意が感じられない。バルトークのオケ・コンは、音楽家になろうと思った瞬間には、特にオーケストラの演奏家は、知り尽くしていなきゃいけない二十曲のうちの一曲で、これを避けて通ることはできないはずなんですね》

 ちなみに、これに対する武満の言葉は《そうだよね》である。

 この当時(もう30年前だ)は、日本ではまだまだ「オケ・コン」は難曲だったんだろうか?

 どーでもいいけど、いい歳になってからも自分のことを“僕”っていうことに、私はちょっと抵抗感を感じるんだけど……

 

永逝~若杉弘が残した合唱組曲「山に祈る」

 もう古新聞になってしまったが、指揮者の若杉弘が亡くなった。7月21日。多臓器不全によって。74歳であった。

 私が若杉の指揮する演奏を生で聴いたのは一回だけだ。
 1996年3月18日の札響第378回定期演奏会。曲目はマーラーの交響曲第9番だった。
 私がマーラーの9番を生で聴いたのは、いまのところ、このときの演奏だけである。
 白熱した演奏だった。でも、ちょっと雑な感じがした。

 私が受けた印象とはまったく関係ない話だが、後日FM放送で若杉がこの日の演奏会について語ったとき、「マーラーばかりやるとオーケストラの音が荒れてきます」と言っていたのが記憶に残っている。
 ばっかりやってなくても、その日の演奏は音が荒れていたように思う。

[E:note]

 今回私は、「若杉弘のCDって何を持っていたかな」と確認してみた。意外なことに現代日本の作品のCDしか持っていなかった。そんなこともあって、若杉弘って名前も顔もよく知っていたが(楳図かずおを思い出してしまう私は変だろうか?)、どうも縁がない感じがしていたのはそのせいだったようだ。
 持っているCDは、伊福部昭の「リトミカ・オスティナータ」(1971年録音。これは名演)や、三善晃のヴァイオリン協奏曲や、別宮貞雄のヴィオラ協奏曲など。「リトミカ・オスティナータ」はすごくよく聴いたが、別宮や三善の曲は1回聴いただけって感じだと思う。
 しかし、もう1つ、随分と聴いている演奏がある。清水脩の合唱組曲「山に祈る」である。
0d044d1c.jpg  「山に祈る」と、若杉によるこのCD演奏については2007年9月20日に記事を書いている。若杉の演奏はとても合唱が美しく揃っていて、好感がもてる。ちょっと優等生っぽい感じすらする。この曲のナレーターでは加藤道子がはまり役だが、若杉の演奏では河内桃子が務めている。加藤よりもちょっと若くてかわいらしい母親って感じの語り口である。モモコ……

 ここでは「山に祈る」について、CDのライナーノーツなどを参考に、そのときよりももう少し詳しくここで書いておこうと思う。

 清水脩は合唱運動を続けるかたわら、作曲活動を行なった。
 寺院に生まれ、また父が楽人だったため、幼少の頃から雅楽、お経、筝に親しんだという。
 大阪外語学校卒業後、東京音楽学校で学び、卒業後の「花に寄せる舞踊組曲」が第4回音楽コンクール作曲部門に第1位入賞、作曲家としてスタートするが、戦後になって本格的な活動をはじめた。
 全日本合唱連盟の設立に参画したほか、プロ、アマ含めた合唱活動の振興と普及に尽力した。

 もうかなり前からのことだが、雑誌「レコード芸術」に長木誠司が「運動としての戦後音楽史」という連載を書いていた(たぶんこの連載は昨年か一昨年あたりまで続いていたと思う)。
 そのなかで何回かにわたって合唱運動についても詳しく触れられていた。1948年に全日本合唱連盟が誕生し徐々に合唱コンクールが盛んになったが、そのころに清水脩が書いた文章がここで紹介されていて、私にはとても印象に残った。

 《採り上げる作品のスタイルも、合唱界はあえて先進的な作曲技法から距離を置こうとする傾向があった。当事者がアマチュアだからである。清水脩は、1960年暮れに行われた、とあるアマチュア合唱団の演奏会プログラムに十二音技法ばりの作品があったことに眉をひそめている。
 「ぼくの腑に落ちないのがあった。合唱団の名をあげるのははばかるが、曲目の中に、とてもアマチュアでは手に負えない曲を、これみよがしにかかげているのがあった。つまり、いまはやりの十二音音楽まがいの曲である。
 青臭い『文学青年』に似て、そのひけらかす態度には、鼻持ちならぬものがある。
 合唱団が、何を歌おうと勝手だが、かれら団員の間で交わされているであろう、青臭い議論が、招待状の白い紙から、ぷんとにおってくるようである。
 それだけ力量があるなら結構だが、どう見ても、力があるとは思えないのだから、噴飯ものだ。
 アマチュアはアマチュアらしくあれ、というのがぼくの持論だ。」》

 長木は清水のこの講評(批評)を紹介した後、《ここには合唱連盟の目指す、ジレンマを内包した「アマチュア」精神が集約されている。それは、もう一つのアマチュア精神であるはずの「チャレンジ精神」とは無縁である。最大の価値はおおらかな趣味人としての完成度だ。でも、それはプロのそれであってはならない。あくまでも「道楽」としての技術的完成度こそ肝要である。究極のアマチュア音楽家がそこでは求められているが、合唱は同時に“実験”を糧にする歴史の先端からは遠く離れていくことになった》と続けている。

 清水脩が“噴飯”物と攻撃しているように、清水自身は合唱音楽作曲家として「山に祈る」のような親しみやすい曲を書いた(といっても、私は氏のほかの曲をそれほど知っているわけではないが)。

 合唱組曲「山に祈る」について、清水脩は1960年の出版時に以下のように書いている(ここに転記するにあたって、一部の漢字等の標記について修正してある)。

 《この曲はもと男声四重唱と小管弦楽のためにかかれたものであるが、出版にあたり、移調などをして多人数の合唱団用に改編し、ピアノ伴奏付としたことを最初におことわりしておきたい。
 昭和34年秋、長野県警察本部では、山での遭難の頻発に業を煮やして、遭難者の遺族たちの手記を集めた「山に祈る」という小冊子を発行して、遭難防止を訴えた。ダーク・ダックスは、その巻頭に載った、上智大学山岳部の飯塚揚一君の遭難を、同君の残した日誌と同君の母親の手記によって、一篇の合唱組曲に作る企画をたて、私はその構成、作詞、作曲を依頼された。
 この曲を作るに当たって、私は前記「山に祈る」の小冊子を中心に、春日俊吉氏の「山岳遭難記」、上智大学山岳部誌「モルゲンロート」、「マウンテン・ガイド・ブック」、地図その他を参照したが、特に遭難当時のパーティであった上智大学山岳部の学生諸君から、じかに当時の模様を聞くことができたのは幸いであった。それは、雪山登山とその遭難について、できるだけ嘘のないものを書きたいと思ったからである。しかし、これは音楽物語であるために、いくらか誇張されたところもあるし、フィクションもある。また、私自身の山への思慕も盛った。
 内容は前述の通り、一遭難者が書き残した最後の手記と、わが子を亡くした母親の悲しみとを、母親の朗読と歌とで進めたものであるが、曲はできるだけポピュラーなものにしようと努めた。誰もがすぐに口ずさめる平易なメロディーで埋めた。
 全体の構成の上で特に言っておきたいのは、母親の朗読で物語の筋を進め、歌はその外側にあって、物語の情景や情緒を表現する役目を果たしていることである。従って、主人公の元気な姿から死にいたる筋に合わせて、最初の「山の歌」から、最後の「お母さん、ごめんなさい」にいたる6曲の歌は、明るい曲調から次第に暗い曲調へ移ってゆくようにした。
 この曲の初演の時は、栗山昌良氏に演出を、今井直次氏に照明を担当していただいたが、多人数の合唱団が演奏する際には、特に演出の必要もない。ただ、演奏に際し、ごく大切な一、二の注意を述べておこう。
 朗読の母親の年齢は44、5才。テノール2人、バリトン、バス各1人のせりふと朗読は、合唱団員が担当すること。母親の朗読は聴者によく解るよう配慮し、終末に近づくに従って悲しみの感情が強くなるようにすること。朗読だけはマイクロフォンを用いるのがよい。
 最後に、この曲が、頻発する山の遭難防止に少しでも役立てば、作者として望外の喜びである》

 作者が書いているように、この曲は男性4人のヴォーカル・アンサンブル“ダーク・ダックス”の委嘱によって書かれた。最近ではこういった形態のグループをTVで観ることはないが、私が子供の頃にはダーク・ダックスやボニー・ジャックス、デューク・エイセスといったグループがよく出演していた。彼らは玉川カルテットとぴんからトリオに駆逐された(冗談ですって)。

 この作品は最初、ピアノ伴奏と男声四重唱のための作品であったが(ダーク・ダックスが演奏するための作品だから当然だ)、のちにそのまま男声合唱で歌われるようになり、さらに混声合唱版も書かれ、オーケストラ伴奏の形に編曲された。
 
 この曲には誇張やフィクションがあると作曲者自身が書いているが、確かに“できすぎ君”が書いたような手記の内容も、ときにある(母親と兄弟にとても気を遣っている(でも、父親に関しては1回も出て来ない))。また、「リュック・サックの歌」や「山小屋の夜」で4人のソロが語る場面も、演出が過ぎていると感じる向きもあるだろう。(「リュック・サックの歌」の場面は、“僕”とヌーボー倉田の2人しかいないのだから、4人の人間で掛け合いをするのはおかしい。また、「山小屋の夜」の場面では、“僕”一人のはずだが声の掛け合いがある。はいはい、すいません、バカみたいなあげ足をとって)。
 とはいえ、実話に基づいているというリアル感、そして作曲者自身が平易に努めたというメロディーが、純粋に感動を呼び起こすことは間違いなく、私はあっけなく負けてしまうのである。
 
ルート  今回は大サービスで私がいくつかのサイトに載っていた地図から切り貼りして作った、現地の地図を掲載した。中房温泉、燕山荘、牛首など曲中の歌詞に出てくる地名が書かれている。見づらいが参考になればと思う。

 先日、大雪山系トムラウシで大きな遭難事故があった。たとえ夏山であっても、山を侮ってはいけないのだ。だいいち、まだ雪が残っているのだ。R.シュトラウス(Richard Strauss 1864-1949)の「アルプス交響曲(Eine Alpensinfonie)」Op.64(1911-15)みたいに、途中で嵐にあっても無事下山できたというように、必ずしもうまくいくとは限らない(ただ、「アルプス交響曲」は本格的なアルプス登山を題材にしているのではない。日帰り登山である)。
 私も大学生のとき、札幌近郊の手稲山に“平和の滝”ルート(このルートはいくつも滝があり、ガレ場もあって自然を満喫できる)から登ってひどい目にあったことがある。この登山道を使って何度か山頂まで行ったことはあったが、そのときは10月。途中からみぞれ混じりの雨が降り出し、風も強まり、体が冷えてガタガタ震えながら上った。ササがざわめく中、山頂近くまで登り、まだひと気のないスキー場のリフト小屋に不法侵入し、そこで雨をしのぎなから雪玉みたいに冷えたおにぎりを歯を折らないように食べた。何の味もしなかった。
 雨が弱まり、登山道ではなく車道を歩いて下山することにした。ずぶ濡れでテクテクとみじめに、ドブに落ちたキタキツネみたいな格好で歩いた。この季節、幸い車はまったく走ってなく、他人にその格好を見られることはなかった。見た人がいたら、みじめというよりも、山中のアジトからの逃亡者と思ったかもしれない。
 でも、下りてからはバスに乗って、人目にさらされながら帰ったのだが……

 考えてみれば、季節的にクマが出てもおかしくなかった。
 あぁ、怖っ!

 

過激~ショスタコの作品番号1とモンテヴェルディ

89eaf49b.jpg  ショスタコーヴィチ(Dmitri Shostakovich 1906-1975)が残した作品の中で、記念すべき作品番号が1のものは「スケルツォ嬰ヘ短調(Scherzo)」(1919)というオーケストラ曲である。
 私はこの曲を1993年4月19日の札響第346回定期で知った(指揮は外山雄三)。

 ショスタコーヴィチのこのスケルツォの最後の力強く奏されるメロディーは、モンテヴェルディ(Claudio Monteverdi 1567-1643)の「祝福されし聖母マリアのための晩課(聖母マリアの夕べの祈り。Vespro della beata Vergine)」(1610刊)の第6曲「われ、喜べり(Laetatus sum)」で低弦がボンボンボンと刻む旋律に似ている。これは単なる偶然なのだろうか……
 この「聖母マリアの夕べの祈り」(「ヴェスプロ」って言うと、とっても通っぽくて、ちょっと嫌な奴になれる。「モンテのヴェスプロ」なんて言うと、怪訝な顔をされること間違いなし[E:sign01])の第6曲は6声と通奏低音によって演奏され、詞は詩編の121篇である。

 ショスタコーヴィチの「スケルツォ」で私が持っているCDはロジェストヴェンスキー指揮のソヴィエト文化省交響楽団(?)のもの。2枚組で、主にショスタコーヴィチの初期作品が13曲収められている。Op.7の「スケルツォ」も収録されている。1979年から85年にかけての録音。BMG-CLASSICSのメロディア・レーベルの74321 59058 2であるが、現在は入手困難なようである。
 それにしても、このCDジャケットの絵、もろ昔々のお金持ちのお嬢様って感じで良い良い。振り向いたら若造りのおばあさんって可能性もあるけど。

ba76a689.jpg  さて、「スケルツォ」Op.1の最後に似ていると私に指摘された(といっても時代的にはモンテヴェルディの方がlong long agoに書かれているわけだ。ショスタコは意識してその旋律を使ったのか?)「聖母マリアの夕べの祈り」については、ガーディナーの演奏を私は聴いている(1989年録音)。
 モンテヴェルディはバロック初期の人だが、まだルネサンス様式も引きずっていて、ちょっぴり異質のバロックに聴こえる。そして何より、意外と刺激的というか過激な表情を見せる。

 実は「聖母マリアの夕べの祈り」は、「聖母マリアのための無伴奏6声のミサと、さまざまな声部のための晩課(Sanctissimae virgini missa senis vocibus ad ecclesiarum choros ac Vespere pluribus decantandae)の第2部にあたり、全13曲から成る(第13曲のマニフィカートが7声のものと6声のものの2曲がある。両者は編成以外では「主の祈り」の部分が多少異なる。下記のガーディナー盤では両方が収録されている)。第1部のほうは「無伴奏6声のミサ(Missa da cappella a 6 voci)」で、これはN.ゴンベールのモテット「イエスこれらのことを言いたまいしとき(In illo tempore intravit Jesus)」によるパロディ・ミサだそうだ。
 この「聖母マリアのための~」は、ローマ教皇パウロ5世に献呈されている。

颯爽~「ロマンス」だけじゃない「馬あぶ」の魅力

84f11a0a.jpg  今年の北海道の夏は、本当に気温が上がらない。
 こりゃあ、農産物が冷害でダメになっちゃう恐れもある。
 ウチのミニトマトだって、ようやっとこの程度に赤く色づいてきた状態だ。
 それにしても、こんな形のミニトマトの苗を買った記憶はないのだが、こういう形に実っているということは、こういう形の実がなる品種なのだろう。弁当箱に入れるには高さ制限に引っ掛かりそうだ。そんなこと、弁当を持参して仕事に行っていない私個人にはまったく関係のない話だが……

 このところ、壊れたジュークボックスのようにマーラーの「復活」を集中的に聴いていたら、ショスタコーヴィチも聴きたくなってきた。こういう自分が、なんだか救いようもなくしちめんどくさい奴のように思えてならない。困ったものだ。
 まっ、ショスタコーヴィチはマーラーを好んでいたというから、私の思いつきも突拍子のないことではないのだけど(注:この記事は7月25日のM.T.トーマス指揮によるPMFオーケストラのすっさまじく素晴らしかったマーラーの交響曲第5番の演奏の前(その日の朝)に書き終えておりました。つまり、その、またマーラー・リピート作戦(今度は第5)を決行しそうな予感、気配、決意)。

 で、ショスタコーヴィチ(Dmitri Shostakovich 1906-75)が映画のために書いた音楽である「馬あぶ(The Gadfly,独:Die Hornisse)」Op.97(1955)。
 この映画はE.ヴォイニチの小説を映画化したものだそうで、監督はA.ファインツィンメルという人。
 ストーリーは19世紀のイタリアが舞台。“馬あぶ”というあだ名がついている活動家の主人公の純愛を描いたもの。これだけじゃよくわからないが、まっそういうことだそうだ。なんでも、権力に対していろいろと警告を発している人を“馬あぶ”というらしい。ぶぅんブン。うるせえ奴ってことだ。

 この映画音楽からアドヴミヤンが12曲を組曲化したものが、作品番号97aをもつ「馬あぶ」である。なお、この曲は「馬あぶ」ではなく「馬ばえ」と呼ばれることもある。

 実際にそのような昆虫がいるのかというと、どうやらウマアブという虫はいないようだ。ウシアブというのはいるが、ウマアブというのは検索しても出てこない。
 私は高校3年生の夏休みに、受験勉強もせず、サロマ湖の方に旅行に出かけた。今は廃線となっている湧網線の計呂地(けろち)というサロマ湖畔の駅でディーゼルカーを降り、この上なく暇そうにしている駅長に道を教えてもらって、駅裏から林を抜けて湖に出る道を歩いた。何匹ものウシアブがまとわりついてきた。大群だった。怖かった。そして刺されて血を吸われた。痛かった。もし私がウシだったなら、尾でぴしゃりと叩きつけることができたのに、と単に丑年でしかないことを恨んだ。あの駅長さん、善人そうに見えて、実はアブどもからバック・リベートをもらっていたのかもしれない。
 あの日は暑かった。夏らしい日だった。あぁ、今年の夏はどこに行ったのかしら?
 何の話だったかというと、和名でウマアブという名がついた昆虫はいないようだということ。  
 以上。

 組曲「馬あぶ」の12曲は、
 1. 序曲(Ouverture)
 2. コントラダンス(Kontratanz)
 3. 祝祭(Volksfest)
 4. 挿話(Interludium)
 5. 手回しオルガンのワルツ(Drehorgel-Walzer)
 6. ギャロップ(Galopp)
 7. 導入曲(Introduktion)
 8. ロマンス(Romanze)
 9. 間奏曲(Intermezzo)
 10. 夜想曲(Nocturne)
 11. 情景(Szene)
 12. フィナーレ(Finale)
である。

 このなかでは第8曲の「ロマンス」が突出して有名。というよりも、曲中で唯一有名。
 「ロマンス」が有名になったのは美しいということもさることながら、かつてこの曲がメイン曲の余白に収録されたLPが売られたことがあり、曲中唯一聴く機会がもてた曲だったというせいもあるだろう。漢文みたいになってすまぬ。

 フィギュアの中野友加里選手が(中野友加里の人形ではない。それはフィギアか?)この「ロマンス」を演技に使っていたことがある。それにしても“選手”って「選ばれた手」である。変な言葉である。ましてや、フィギュアは“手”でなく“足”じゃないのか?
 すまん、偏屈じじいで……

 しかしである。私が「馬あぶ」の中でいちばんに推薦する曲は、第3曲の「祝祭」である(直訳すると「民族の祭り」ということになる)。チョーお薦めである。
 この曲の生き生きとした生命力、躍動感、幸福感はショスタコーヴィチのあらゆる作品中でも最高峰に位置すると言っても過言ではない(ような気がしないでもない)。音楽は颯爽と快走する。湧網線を走っていた汽動車とはえらい違いだ。
 ぜひ聴いてみていただきたい。こんなに素直に楽しんでいるショスタコーヴィチを!
 そうね、なんて言ったらいいのかなぁ、そうそう、前年の1954年に作曲された「祝典序曲(Festive Overture)」Op.96と同じ傾向の音楽っていうかぁ~。

eca0d48f.jpg  1936年の党からの批判によって、ショスタコーヴィチは「おまえはもう死んでいる」状態になり、音楽も当然のごとく変わった。H.C.ショーンバーグに言わせれば、《どの点から見ても、彼の作曲家としての経歴は破滅した》(「大作曲家の生涯」:共同通信社1978。絶版)のであった。
 ただ、批判後の“仮面の下はどんな表情かわかったもんじゃない”というような作品群も、ひじょうに魅力があることは、あらためて言う必要もないだろう。だって、そっちの方がむしろ傑作とされていることが多いのだし……
 こんなことを言っては不謹慎だが、彼が致命的な批判を受けたことで、私たちはハツラツとしたやんちゃな天才の音楽と、さまざまな想いを内に秘めた天才のネクラな音楽の両方を聴くことができるのだ。聴く側としてはありがたいとも言えるわけだ。

 私が聴いているCDはレオニード・グリン指揮ベルリン放送響の演奏によるもの。Capriccioの10 298(輸入盤)。1988年録音である。カップリングは同じく映画音楽の「ハムレット(Hamlet)」Op.116(1964)。「ハムレット」も「馬あぶ」も、最初の音楽はTV時代劇のような感じの音楽である。まぁ、何か良いことがあったのかしら?黄門様が峠の茶屋でアッハッハ!
 なお、ショスタコーヴィチにはもう1曲「ハムレット」という作品があるが、それは劇付随音楽で1931-32年に作曲(1954年改訂)。作品番号は32である。

 グリンのCDは国内盤でも出ていたが、現在は入手困難なよう。「馬あぶ」を試しに聴いてみたいという人は、ナクソス盤が手に入りやすい。

至福~2009.7.25 PMF マーラー/第5番を聴いて

625b757b.jpg  2週間前にマーラーの第2交響曲の素晴らしい演奏―一生の間にこういう体験が果たして何度できるだろう?―を聴かせてくれたPMFオーケストラ。
 そのPMFOの演奏会が昨日7月25日19時からKitaraで行なわれた。指揮はマイケル・ティルソン・トーマス。私がM.T.トーマスの演奏を生で聴くのは、20年前、第1回目のPMF以来である。年とったなぁ、トーマスは。私もだけど……

 プログラムはM.T.トーマスが作曲した「シンフォニック・ブラスのためのストリート・ソング」と、マーラーの交響曲第5番。
 当然のごとく、この日の演奏会ではマーラーの5番に大いなる期待をしていたわけだが、さすがにあの第2番を聴いてしまったあとだけに、ちょっと私の心の中ではハンディがあるかなと思いながら、雨の中、ホールに向かった。

 どうでもいい話かもしれないが、昨日は中島公園近くの“ゼップ”で何かのライヴ・コンサートがあったらしく、Kitaraに車で行ったときにいつも使っている駐車場の周りは、前時代的とも近未来的とも、なんとも言い難い格好をした若者たちで混雑。車が近づいても、耳が聞こえない野良猫のように、道路の端のほうによけてくれないから、というよりも逆に横切ったりするものだから危かしいったらありゃしない。おまけにその駐車場は、そのせいで満車。駐車場探しで余計な時間を費やし、やれやれであった。

 1曲目のM.T.トーマスの「シンフォニック・ブラスのためのストリート・ソング」は現代的な様相を見せもするが、聴いていて「よくわからん」というところがない曲だった。その名の通り金管のみの編成だが、あるときにはステージ上の空間に各楽器の音が豆まき合戦のように飛び交いぶつかりあう。かと思うと、各楽器の音が層を作って色合いの美しい菱餅のように重なり合う。また聴いてみたい作品である。各奏者もとても上手だった。

 休憩後のマーラーの第5番。
 おじさんがあれだけお願いしたにもかかわらず、休憩時間中からオーケストラ・メンバーがステージに勢ぞろいし、各人、思い思いに(勝手気ままにのようにも見える)最後のおさらいをしている。この響きを聴いて「新作の前衛音楽」と勘違いした人もいるかもしれない。でもたぶんそんな人はいるわけないかもしれない。
 これはやってほしくない。大きな騒音の直後に、音楽を聴くというのは避けたい。でも、だんだん「どうでもいっか!」って気分になってきた。無気力になってきた私。

 マーラーの第5番は、まず出だしのトランペットで「技あり」のポイント・ゲット。どれだけ緊張するか聴き手にも想像がつくソロ・ファンファーレの開始。すばらしいファンファーレだった。いや、全曲を通じてアッパレ。Karin Bliznik、ただ者ではない。ひじょうに上手かった!

fcbb77b7.jpg  第1楽章の始まり、弦が悲しげなメロディーを奏でる部分(楽譜の矢印から始まるところ)。なお、掲載した楽譜は音楽之友社のもの)で、M.T.トーマスはゆっくりとしたテンポで、「先に進みたくないよ」というように弾かせた(誤解を恐れずに言えば、運動会での入場行進の練習をダラダラとしている中学生のように)。そう、これは葬列の歩みなのだ。先に進みたくないのだ。いやいやながら歩みを進めなくてはならないのだ。感服。
 なお、この日の演奏では、これをはじめ、これまで聴いたことのないような(遅い)テンポや“待ち”が何か所もあったが、若いオーケストラはよくこらえて指揮者の指示に反応していた。これまた見事である。

 トランペットのことを書いたが、ホルンのElizabeth Schellhaseも実に上手かった。これまた「技あり」。ほんのわずかながら温かみに乏しい音色のような気もしたが、特に第3楽章での活躍は完璧。エリザベス、惚れたぜ……。こんなに安定感のあるホルン、アタシ初めて……

 終楽章が始まったときに、「おや、ちょっとオーケストラが疲れたかな?」と思ったが、どうやらそうではないらしく、M.T.トーマスの計算によるもののようだ(前の楽章で休んでいた管の方が疲れて聴こえ、弦の方は元気で艶やかだったし)。最後はオケ全体が自信と幸福に酔っているかのような音色で曲は閉じられ、会場の中は私がこれまで経験したことのないような熱狂と賞賛の叫び声と拍手であふれた。

73fb8df1.jpg  トランペットとホルンの2奏者のことを書いたが、この曲は2人が活躍するので目が行きがちなのは当然。でも、とにかく全員のレベルが高い。すごいオーケストラだ。音楽を作り上げていくんだ、自分たちですばらしい音楽を演奏したいんだ。そういうオーラが伝わってくる。

 終楽章の最後。楽譜を載せた箇所(矢印からの部分)はトロンボーンの音がトランペットにかき消されがちである。トロンボーンはfff、トランペットは なのに、不思議なほどトロンボーンが聴こえてこない演奏が多い(私が知っている限り、CDでトロンボーンの音がいちばんはっきり聴こえてくるのは、ショルティ/シカゴ響(1970年録音)である)。しかし、当夜の演奏ではトロンボーンとトランペットのバランスがきちんととられ、トロンボーンのメロディーがはっきりと響き渡った。最後の最後であり、興奮も極みで気がついていない人もいたかもしれないが、このトロンボーンの頑張りは絶賛されるべきものである。「効果」。

 私はこれまで何度かマーラーの5番を生で聴いている。
 最初に聴いたのは1987年6月、札響がこの曲を初めてとりあげた第282回定期だった。指揮は今は亡きデヴィット・シャローン。興奮した。会場も熱狂した。何かよくわからないが、初体験に自我は自我でなくなっていた。言ってることがわからんが……

 そのあと聴いたこの曲の演奏は、どれもいまひとつ、あるいはかなり物足りなかった。
 そして昨夜の演奏。これがこの曲の本当の姿なんだと思った。
 ステージから目を離せなかった。余計なことを考えるなんてこともなく、耳を神経を演奏に集中した。いや、吸いつけられた。
 これまで聴いた生演奏は、昨夜の演奏と比較すると、すべて平板に思えた。昨夜の演奏は立体的、三次元的世界であった。オケが巨大な建造物のように思えた。

 同じコーヒー豆を使っても、アメリカンにするか、ストロングにするか、淹れ方によって味も風味も変わる。マーラーの第5交響曲がすばらしいコーヒー豆だとすれば、私はこれまでアメリカンでしか味わっていなかった。そのアメリカンのなかでも、今日のはおいしい、この間のはちょっと……と言っていたのだ。きちんと淹れたコーヒーを味わってしまったいま、それはとても幸せなことだが、今後これを生で聴くときにはあらかじめ覚悟が必要になるのだろう。今日はたぶんアメリカンだろうな、と。

 マーラーの交響曲は、大編成のために聴こえてこない音がある、というのはよく言われることだ。しかし、昨夜の演奏では各楽器が実に良く聴こえた。座席のせいもあるのかもしれないが、フルートもオーボエもクラリネットのファゴットもきちんと聴こえた。埋没せずに前に押し出てきた。
 マーラーはすぐれた指揮者であり、オーケストラのことを、各楽器のことを熟知していた。そういう人が書いた曲なのだから、「きちんと」演奏されれば「きちんと」聴こえるはずだ。そして、昨日はそれがなされた。マーラー自身が指揮をしたら、こういうふうに鳴り響いたのかもしれないと思った。優れた指揮者、そして前向きに取り組んで練習を積んできた若きメンバーの、良い意味で訓練されたオーケストラが、それを2009年7月25日の札幌で実現させた。「イッポン」。

 昨日の演奏会に札響のメンバーあるいは関係者は聴きに来ていたのだろうか?
 札響とPMFOとを単純に比較することは酷なのだろうが、もし聴きに来ていたとしたらあの演奏を聴いてどう感じたのだろう?

 この演奏会で私の今年のPMF、私の今年の夏は終わった……って高校球児かいな……
 大阪と東京のみなさん、この素晴らしい演奏の再演を期待して待っていてください!

 2週間前の「復活」と昨日の第5。マーラーの交響曲を1カ月の間に2曲、それもともに自分にとっては過去最高という演奏で聴くことができた。こんな幸せがあるだろうか!
 この2つの演奏のどちらがより素晴らしかったかということは比較できない。しかし、敢えて言うなら、私は第5番の方により震えさせられた。←だったら「比較できない」なんて言うな、ですよね[E:sign02]

 なお、マーラーの第5交響曲のCDについては、過去に[こちら]に書いてあるので、よろしかったら読んでいただきたいと思う。

棄教~「1Q84」の青豆の少年版のような善也

9b33097e.jpg  村上春樹の「1Q84」に出てくる2人の主人公、青豆と天吾はともに子どものときに親と事実上の縁を切っている。
 青豆の場合は、親と一緒に“証人会”の布教に歩くのを拒否することによって(“証人会”が“エホバの証人”のことであるのは明らかである)、天吾は父の仕事であるNHK受信料の取り立てに連れて行かれるのを拒否することによって、親と決定的な溝を作るのである(NHKが日本放送協会のことであるのは疑いようがない)。
 また、「1Q84」の“ふかえり”についても、宗教(これがオウム真理教をモデルにしているのは明きっと間違いない)の教祖である父からは離れた世界―日常の世の中。とはいえ、天には月が2つある世界―に“退避”している。

 村上春樹の小説では、親からの子の独立とか、妻が夫の前から姿を消すなど、つねに根底には“別れ”というか“拒絶”がテーマにあるように思う。「1Q84」では天吾の人妻の彼女も突然姿を現さなくなった(これまた、どういう経緯があったのか読者にとっては気にかかる)。

699cb801.jpg  1999年に書かれた「神の子どもたちはみな踊る」(新潮文庫。現在出版されている文庫のカバーデザインは掲載した写真と異なる)。
 この本は阪神大震災をテーマにした短編小説集だが、本のタイトルにもなっている「神の子どもたちはみな踊る」には、次のような文章がある。

 《……13歳になって、自分が信仰を捨てると宣言したとき、母親がどれほど深い悲嘆にくれ、取り乱したか、善也は今でもよく覚えていた。半年間ほとんど何も食べず、口をきかず、風呂に入らず、髪もとかさず、下着も替えなかった。生理の手当てさえろくにしなかった。そんなに汚く臭くなった母親を目にしたのは初めてのことだった。……》

 《小学校を卒業するまで。善也は週に一度は母親と一緒に布教活動に出かけた。母親は教団でいちばん布教の成績がよかった。美人で若々しく、いかにも育ちがよさそうで(事実よかった)、人好きがした。おまけに小さなな男の子の手を引いている。……》

 社会人となった今も、善也は母親と同居しており、親子の別れあるいは独立、拒絶ということにまで至ってはなっていないが、「1Q84」の10年前に、宗教が子供に及ぼす影響を同じような形ですでに表現されている。さらにいうと、善也の勤めている会社は神谷町にある。通勤には中央線に乗り、そのあと地下鉄丸の内線と日比谷線に乗る。そして神谷町。このあたりはオウム真理教が引き起こした地下鉄サリン事件を思い起こさずにはいられない。
 布教のために母親に連れ歩かされる善也の姿は、同じく布教活動に連れまわされた青豆を、また受信料を集めるために父親にだしにされた天吾を思わせる。ただ、善也の場合はこれを苦痛とは感じていなかったが……

ea630f4e.jpg  「神の子どもたちはみな踊る」の内容については、未読の方もいらっしゃるだろうからここではあまり書かないが、もう1つ触れておきたおきたいことがある。それは“耳”についてである。
 村上春樹は、この小説でも“耳”に意味づけをしている。
 ただし、「羊をめぐる冒険」などとは違って、ここでの“耳[E:ear]”は目印は目印でも「きれいな」ものではない。
 「右側の耳たぶが欠けている」男が出てくるのである。それは善也にとって重要な目印なのである……。
 偶然見かけたその男を尾行する善也。男は袋小路へと入っていく……。このあたりは「ねじまき鳥クロニクル」の、塀で囲まれた目的を果たしていない路地を思わせる。

 なお、この本に収められている「かえるくん、東京を救う」では、《かえるくんは大きく口をあけて笑った。かえるくんにはきんたまだけではなく、歯もなかった》という記述がある。あの牛河はきんたまはあるだろうけど……

91b0a6d0.jpg  1999年という世紀末。
 その前の世紀末といえば、マーラーがあれやこれやと思い悩んでいたときだ。
 あるいは新しい世紀がやってきて、ホルストは占星術といった神秘的なものに傾倒し「組曲『惑星』」を書いた。
 “世紀末”とまでとはまだ切羽詰まった騒ぎ方をされていなかった(であろう)1984年に、どんな音楽が書かれていたのだろう。
 たくさんの曲が生まれている。もちろん私はその一部しかしらない。
 その一部しか知らないなかで、私が気に入っている曲もいくつかある。
 ハラルト・ヴァイスの「冬の歌」と「箱舟」。
 シュニトケの「真夏の夜の夢、ではなくて」。
 林光の「山河燃ゆ」(これはNHK大河ドラマのテーマ曲だ)。

 でも、アンドリュー・ロイド=ウェッバーの「レクイエム」がいちばん印象的だ。
 このすばらしい現代のレクイエムについては2007年8月27日に書いているので、詳しくはそちらをご覧願えればと思う。第7曲の「ピエ・イエス(Pie Jeus)」はすっかり有名になってしまったが(掲載したヴォーカル・スコアはHAL LEONARD社のもの)、全編にわたってスリリングで美しく、なにより敬虔な音楽だ。
 CDは初演時メンバーによる録音しか未だに出ていないが(マゼール指揮。これも現在では入手困難なよう)、ぜひ別な演奏のものも聴いてみたい曲である。

 今日は土曜日。
 またまた、朝から雨だ。
 でも、アジサイには雨が似合う。
 花色が青い。
 土が賛成に偏りすぎているようだ。
 さぁ、石灰、石灰……

「何か気乗りしないんだよね」って感じのワルツ

d950b59a.jpg  ショスタコーヴィチ(Dmitri Shostakovich 1906-1975)の「バレエ組曲」。

 ショスタコーヴィチは4つの「バレエ組曲」を書いているが、いずれも作品番号はついていない。第4番の組曲のみ3曲から成り、他はそれぞれ6曲から成る。
 作曲年は第1番が1949年。第2番が1951年。第3番が1952年。第4番が1953年。
 いずれも架空のバレエのための組曲で、第2番では付随音楽「人間喜劇」Op.37(1934)の、第3番では映画音楽「イワン・ミチューリン」Op.78(1948)の音楽が使われるなど、彼の他の作品の流用もある。

 いわゆるロシア的な雰囲気があふれる音楽。私の言う「ロシア的」っていうのは[E:notes]「赤い靴、履ぁいてた、女の子ぉ~」の曲に代表されちゃうんだけど。

 第1番の最初の音楽からして、「おぉ、ロシア」。「みんな、暗ぁ~く楽しんでる」って感じ。そして、どれも親しみやすい。あるいは、どこかで耳にしたことがあるようなもの。
 薄ら暗い雰囲気も相まって、なかなか自虐的に楽しめる音楽だが、さすがに聴き続けると飽きが来るのも事実。ショスタコーヴィチの曲としては、準傑作までにさえ到達していないかも。ただ、聴いておいて損はない。

 私の持っているCDはネーメ・ヤルヴィ指揮ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団の演奏によるもの。1988年の録音。CHANDOSのCHAN7000/01(2枚組。輸入盤)。
 このCDには第1番から第4番までの「バレエ組曲」のほか、「祝典序曲(Festive Overture)」Op.96(1954)と、歌劇「カテリーナ・イズマイロヴァ(Katerina Ismailova)」Op.114(1963初演)からの組曲(5曲)、そして、「バレエ組曲第5番」Op.27aが収められている。
 この第5番というバレエ組曲は、バレエ「ボルト」Op.27(1931初演)から、1931年に8曲を選んで組曲にしたもので、ふつうはバレエ組曲「ボルト」と呼ぶ。あまりバレエ組曲第5番とは呼ばない。
 バレエ「ボルト」はショスタコーヴィチの大傑作とはいえないまでも、作曲者の若いエネルギーが伝わってくる傑作であることは間違いない。
 そして、このバレエ組曲「ボルト」は、第1番から第4番までの「バレエ組曲」と比べると、やはり格が違う。退屈な間がない音楽が繰り広げられる。

 なお、このCD、残念ながら現在は入手困難なようである。

 さて、昨日名古屋にやって来たが、千歳からの飛行機はけっこうすいていた。
 ふだんは通路側にしか席をとらない私だが、出発で飛行機のドアが閉まったあと、空いていた窓側席に移動、ひさびさに窓(車窓じゃなくて、なんて言うのかね?飛行機の窓のこと)からの景色を少しだけ楽しんだ。
 名古屋に近づくにつれて、入道雲のような雲の固まりを巻くように飛行機は航行。あの入道雲から私めがけて(私の窓めがけて)稲妻が走ってくるんじゃないか、などとまたまた余計なことを考えたりもした。
 稲妻……。稲の妻だぜ。よくわからないけど、すっごい強そうだ。“妻”という一文字だけだって十分に泣く子を黙らせるほどの強烈な暴力性を感じさせるのに、それに“稲”がついちゃったら、まるで妻の名前が“稲”みたいだ。
 って、何言ってるのかよくわからんでしょ?
 私,too.

 今日のうちに札幌に戻るけど、名古屋の暑さの中、帰る前に干物になってしまわないよう気をつける所存である。

聴いていて、メアリ女王を心から尊敬したのが伝ってくる曲

 このところパーセルの名前をちょくちょく書いている。
 ヘンリー・パーセル(Henry Purcell 1659頃-95)。
 彼が亡き後、イギリスは200年にわたって優秀な作曲を生み出すことができなかったのである。じゃあ、パーセルってどれぐらいすごい作曲家だったのか?というと案外とその音楽は知られていない。

 パーセルの作品では最もよく知られていた「トランペット・ヴォランタリー(Trumpet volintary)」も、実はパーセルの作品ではなく、クラーク(Jeremiah Clarke 1674頃-1707)が作曲した、正式には「デンマーク王の行進」という名の曲であることがわかっている。
 この「トランペット・ヴォランタリー」は、私が子供の頃にはよくTVのCFに使われていた。CFといってもローカルの、画面の動きがまったくない、いかにも安く作りましたって感じのもの。この曲が流れて、ナレーションが「明日9時開店」と大声で叫んで、もちろん画面にはパチンコ店と、出て出てウハウハのおじさんなんかが映っているようなタイプのCFだ。
 でも、この有名曲、いまでは【伝パーセル】という但し書きがつくようになって久しい。

 パーセルはチャールズ2世の時代から名誉革命の時代にかけて、“国王の楽団”の作曲家及びウェストミンスター寺院のオルガニストとして活躍。36年間という短い生涯にもかかわらず400曲という膨大な数の作品を残したという。

 彼の音楽は、しかしながら、すっごく心に感じてくるというものには私には思えない。音楽史上では偉大なる作曲家なのだろうが、鑑賞していてぞくぞくするようなキャラはあまり持ち合わせていない。よく言えば上品過ぎる。
 だから、パーセルの偉業の重圧によってその後イギリスには長らく大作曲家が現われなかったという話は、私にはどうもピンとこない。もっとも、パーセル本人にしてみれば、そんなことオレには関係ない、って話である。私がぞくぞくしようがしまいが、この当時の音楽は“機会音楽”なわけだから、鑑賞がどうのこうのなんて余計なお世話である。

 そんなパーセルの作品で、私が知っている曲は数曲、人様にお薦めできる曲はほんのわずか。
 そのわずかな中から厳選して(何言ってるんだか……)本日ご紹介するのは「メアリ女王の葬送音楽(Funeral music for Queen Mary)」(1695)。

 ここでいうメアリ女王というのはメアリ2世(1662-1694)のことである。
 メアリ2世は、イングランド王であったチャールズ2世の弟のジェームズ(当時ヨーク公)の長女で、1677年にオランダのオラニエ=ナッサウ家のウィレム3世と結婚した。
 めんどくさい歴史の話は強烈に割愛するが、メアリ2世はのちにイングランドを治めることになる(在位は1689年2月13日~1694年12月28日)。彼女は1694年12月28日に天然痘で死去した。

 「メアリ女王の葬送音楽」はその名のとおり女王の葬儀の際に演奏されたが、この年(1695年)の11月21日にはパーセル本人もこの世を去ることとなった。
 この曲は、全編が沈痛な表情のまま進行していく。作曲者が女王の死を心から悼んでいるという感じである。

 CDはガーディナー指揮モンテヴェルディ管弦楽団、同合唱団、エクアーレ・ブラス・アンサンブルによる演奏を。独唱陣は、ロトのソプラノ、ブレットとウィリアムズのカウンターテナー、アレンのバス。
 apexの0927 48693 2(輸入盤)。1976年の録音。

 さっ!今日は名古屋に出張である……

「水金地火木土天海冥」ではなくて、占星術なわけです。

 巷では皆既日食がどうのこうのと話題になっているが、太陽の話ではなく惑星の話。
 ホルスト(Gustav (us Theodore von) Holst 1874-1934)の組曲「惑星」Op.32(Suite “The planets" 1914-16)。

 エルガーの交響曲第1番の記事のときに、イギリスではパーセルのあと200年間に及ぶ音楽不毛時代があったことを書いたが、ホルストはそのイギリス音楽復興において、エルガーと並ぶ作曲家である(エルガーは1857年生まれ)。なお、ホルストの父はスウェーデン人である。
 ただ、今になってもホルストについての評価というか研究はいまひとつの感がある。「あっ、『惑星』を書いた人ね……」って具合に片づけられてるというか……。

 ホルストはなぜ惑星を題材にした曲を書いたのだろうか?科学的興味からであろうか?
 そうではないだろう。
 だとしたら、各曲に惑星の名前のほかに副題なんて付けなかっただろうから。

 あらためてかくと、この組曲を構成する7曲は次のとおりである。

 1.火星   戦争の神(Mars―The bringer of war)
 2.金星   平和の神(Venus―The bringer of peace)
 3.水星   翼のある使いの神(Mercury―The winged messenger)
 4.木星   快楽の神(Jupiter―The bringer of jollity)
 5.土星   老年の神(Saturn―The bringer of old age)
 6.天王星  魔術の神(Uranus―The magician)
 7.海王星  神秘の神(Neptune―The mystic)

 ここには地球と、作曲当時にはまだ発見されていなかった冥王星(数年前に惑星から格オチされててしまったが)は含まれていない。
 また、実際の惑星の並び方は、学校で習ったことを真実とするならば、太陽に近い順から水星→金星→(地球)→火星→木星→土星→天王星→海王星→冥王星となるが、ホルストの組曲の順序はこのとおりにはなっていない。
 私には詳しいことはわからないが、この曲が科学的興味から書かれたのではなく、神秘主義的なアプローチで書かれたことは間違いないと思われる。
 脇田真佐夫は、「絶対!クラシックのキモ」(許光俊編著:青弓社)のなかで、この曲のキモを、《テーマ的には世紀末芸術にも顕著だった占星術などの神秘的なものへの傾倒が顕著であることと、それを表現するオーケストレーションの妙にある》と書いている。

 中学生の時、私は近くの小さな小さなレコード・ショップでこの曲の廉価盤LPを見つけて買ったが(セラフィム・レーベルのストコフスキー/ロスアンジェルス・フィルのもの)、このLPのジャケットは、いかにもって感じで土星の写真が印刷されていた。
 私がレジに行くと、これまたいかにも雇われ臨時店長(もしくは主任)って感じの若い男の人と、やっぱりいかにも学生アルバイトって感じの女の子が、運命的にいかにも暇そうにしていた。
 私が差し出したLPを見て、店長らしき男がバイトらしい女の子に「この星なんていうか知ってる?」と質問した。女の子は「う~ん、何て言ったっけ?」といかにも困惑した表情で答えている。明らかに中学生の前で恥かかせやがって、とちょっぴり怒っている。それ以上に明らかなのは「何て言ったっけ」と思い出せないのではなく、明らかに最初から何も知らないということだ。
 店長らしき男は、私の方を見てニヤリとしながら、「これも知らないなんて困ったもんだよね?土星だよね!」と言った。もし、ここで私が「いえ、これは海王星だと学校で習いましたが……」と答えたらどんな展開になっていたのだろう。今になって「ええ」とだけ答えた自分が悔やまれる。
 ストコフスキーの演奏はつまらなかった。というよりも、ほとんど記憶に残っていない。もっともその頃の私のレコードプレーヤーったら、ターンテーブルがEPレコードサイズで、LPをのせると皿だけが異常発育した河童の頭みたいになってしまうもの。ろくな音は出ていなかったのだ(それでも感銘したLPは多々あるから、やっぱりストコフスキーが悪いのだろう)。

300f60d0.jpg  いま私が最高と思っている「惑星」の演奏は、レヴァインがシカゴ響を振ったもの。
 もう、こんなに鳴り響くというか、鳴り響きすぎる「惑星」はそうそうないだろう。しかも乱れるところがちっともないところがさすが!1989年の録音。レーベルはグラモフォン。冥王星が落ちぶれた今、もはや1,000円で買えちゃう。全然関係ないけど……
 ジャケット・デザインも、よく考えられている感じだし、いいわぁ~。

 ところで、この曲の終楽章である「海王星」では、舞台裏から女声合唱が流れてくる(混声6部。歌詞はない)。「あぁ、神秘的な美しい歌声。どんな人たちが歌っているのかしら」と思ってしまうが、彼女たちは最後まで姿を現さない。拍手の時になっても現さない。
fe71e42d.jpg  ここでの指示は「コーラスは舞台裏に位置し、最後の小節まで開けられていた扉をゆっくりと静かに閉じよ。そして最後の小節の女声コーラスは遠くに消えるまで繰り返せ」という、秘技「フェード・アウト」(掲載したスコアはBOOSEY&HAWKES社のもの。現在は国内版スコアも出ている)

 小池ちとせは「オーケストラの秘密」(金子建志編:立風書房。現在入手不可)のなかで、《いずれにしても終演後の拍手の最中に着がえもなしに(ステージに出ないので衣裳を着ける必要がない)一早く帰途につくのも女声コーラスのメンバー達である》と書いているが、うん、確かに言われてみれば衣裳をつける必要はないわけだ。
 海王星を聴きながら、この美しい合唱は実はジャージ姿のばあさんたちだったらどうしようと、またまた余計なことを考えてしまう私である。

 ついでに一言。
 土星はサターンだが、悪魔もサターン。ただ、悪魔の方の綴りはSatan。
 土星は悪魔の星じゃなくってよ[E:sign01]年寄りかもしれないけど……

意味はないが励みになるかも
最新とは言い難いコメント
お暇ならメッセージでも

名前
メール
本文
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

本日もようこそ!
ご来訪、まことにありがとうございます。 日々の出来事 - ブログ村ハッシュタグ
#日々の出来事
サイト内検索
楽天市場(広告)
NO MUSIC,NO LIFE. (広告)
月別アーカイブ
タグクラウド
読者登録
LINE読者登録QRコード
QRコード
QRコード
ささやかなお願い
 当ブログの記事へのリンクはフリーです。 なお、当ブログの記事の一部を別のブログで引用する場合には出典元を記していただくようお願いいたします。 また、MUUSANの許可なく記事内のコンテンツ(写真・本文)を転載・複製することはかたくお断り申し上げます。

 © 2007 「読後充実度 84ppm のお話」
  • ライブドアブログ