読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行した「保存版」です。  いまは“新・読後充実度 84ppm のお話”として更新しています。左サイドバーの入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。  背景の写真は「とうや水の駅」の「TSUDOU」のミニオムライス。(記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

July 2009

お楽しみのところ申し訳ありませんが……

 あぁ、三連休も「アッ!」という間に終わってしまった。
 3日間私は果たして何をしていたのだろうか?

 えーと、土曜日は雨。ずっと家におこもりでブログ書き。いや、パソコンでエッチな動画収集。
 う~んと、日曜日は雨。ずっと家におこもりでブログ書き。いや、片っぱしから収集したエッチな動画のセレクト(あのぅ、冗談ですからね)。
 それでも、夕方にドラッグストアに行き、出張用の小さな歯磨き粉を買ってきた。何も、この日にわざわざ出かけて行って買わなくてもいいようなものだが、人間の思いつきなんてそんなものだ。
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 そして連休最終日の昨日。朝方は曇っていたが、ついぞ農薬散布を決行。雨が降ったり風が強かったりで、バラたちと庭木に殺虫剤・殺菌剤を散布できない状態が続いており、私の欲求不満はピーク[E:up]に達していた。
 久々に3リットルの薬剤を入れた噴霧器を肩にかけ、脚立に上ってプルーンの木に薬をかけようとしたら、余りにも久しぶりだったせいでバランスを崩して脚立から転落するところだったわい。

 アブラムシの数がすごい。もしこいつらが食用に適していたらどんなにすばらしいことかと、良くない想像をしてしまう。コガネムシも昨年ほどではないが多々飛来している。コガネムシが嫌がるというパセリをたくさん植えているのに、どうやらこのあたりのコガネムシはパセリが嫌いではないらしい。イタリアかぁっ。
 農薬を散布すると(この日はベニカXにディプレックス乳剤を混合し、さらに武田マイシンも加えた)、アブラムシはほどなく死滅するが、おもしろいほどコガネムシには効かない。だから、散布後にコックローチを片手に見つけるごとに噴霧する。コックローチの効果は劇的だ。私はバラの花の中で交尾中のコガネムシにシュッっとコックローチをかけるのがなんとも好きだ。あぁ、Sな私。悪趣味な私。
 でも、見よ!白昼堂々と人目もはばからず、性交にいそしむ二人を[E:lovely]!こいつらは目隠しになる花の中ではなく、葉の上で堂々とやってやがった。あぁ、Hな画像……
 そんなこんなで朝の7時から10時まで、結局3時間も外で作業をしてしまった。日焼け止めも塗らずに、なんて無謀なことをしてしまったのだろう。

 それにしても、この日の朝も5時に目が覚めてしまった。前日は21時30分に寝てしまったのだから当然ともいえるが、それでも寝足りない感じがする。強く。
 もしかすると軽度の無呼吸症候群なのかも知れない。
 この間、妻に「夜中息が止まってることはないだろうか?」と尋ねてみた。彼女は「あるわよ。しょっちゅう死んだように止まってるわよ」と平然と答た。
 
 まあいい。
 そういうことで、昨日の午後はお昼寝をした。
 自分で確認できないのが残念だが、きっと天使のような表情で寝ていたに違いない。

 寝るときのBGMにかけたのはブルックナーの交響曲第8番である。
 全然眠るときにふさわしい音楽ではない。
 でも、なんとなく聴きたくなったし、本当に眠りに落ちるときは何がかかっていようと落ちれるものだ。

 ブルックナー(Anton Bruckner 1824-96)の交響曲第8番ハ短調WAB.108(1884-87,改訂1889-90)については、村上春樹が小説のなかで触れていることにこじつけて以前取り上げたが、そのときはインバルの指揮による原典版について書いた。
 今日はふつうの、というか、一般的な改訂版について。

b7a39921.jpg  ギュンター・ヴァントが北ドイツ放送交響楽団を振った、1987年の録音。ハース版を使用。
 ヴァントといえば、ブルックナー指揮者としてすっかり有名になった人だったが、まさに急に有名になったって感じだった。
 この盤も名演に数えらているものだが、私は別に「すっげぇ~」とは思わない。ごくふつうの演奏のように感じられるのは、まだまだ私が若造だからだろうか?
 ヴァントって、本人が悪いわけではまったくないけど、周囲(愛好家)が一気に巨匠に祭り上げたて感じがする。もちろん、悪くはないけど。
 RCAのBVCC889-90。第9交響曲とカップリングの2枚組。

 私は第8番第1楽章に現われるトランペットの葬送風ファンファーレを聴くと、マーラーの交響曲第5番の冒頭を思い起こしてしまう。
 さぁ、そのマーラーの第5番は、今度の土曜日のPMFオーケストラ公演で演奏される。



微湿的魅力―トムゾン指揮エルガー第1番

e0489ec4.jpg  エルガー(Edward Elgar 1857-1934)の交響曲第1番変イ長調Op.55(1907-08)。
 「変イ長調」という調性は、このように入力しているときにちょっと指が先走ると「屁ニ長調」と変換されてしまうので予断を許さないものである。

 H.C.ショーンバーグに言わせれば、《シュトラウスやマーラー同様、エルガーも大音響に喜びを感じる作曲家だった》(「大作曲家の生涯」:共同通信社、1978年(絶版))わけだが、交響曲第1番もゆったりとした雄大な音楽やちょっと女々しいメロディー(女性を蔑視しているわけではない)、そして大絶叫の喜びが備えられている作品である。

 エルガーの作品中、私にとって交響曲第1番は「エニグマ変奏曲」と並んで大好きなものなのだが、残念ながら生で聴いたことはない。
 20数年前だったと思うが、札響の定期演奏会で演奏されたことがあった。その日はどうしても東京に出張に行かなければならないハメに陥り、その生演奏を聴けなかった。
 その夜の演奏は、後日FM北海道で放送されたが、それがまたすごく良い演奏というか良い曲だった(私がエルガーの交響曲第1番を耳にしたのは、このときが初めてだった。もし演奏会に行っていたなら、新たな名曲との出会いにちびっていただろうに……)。

 ところがその数ヵ月後に、札響が定期とまったく同じプログラムで東京公演を行なうことになった。私は何とか用事を作ってその日東京に出張できないかと画策したが、やっぱりダメだった。しくしく……
 ということで、生で聴けてないのである。
 「あぁ、生はすばらしいんだろうなぁ」とHっぽいため息をつきながら嘆く私。

 パーセル(Henry Purcell 1659頃-95)亡き後に、200年の間続いたイギリス音楽の不毛の時代。エルガーはそのあとに登場した作曲家である。
 パーセルのあと、イギリスにその後継者は現れなかった。ヘンデルが活躍したが、彼はドイツから渡ってきた人物だった。
 そのあとにイギリスに強い影響を与えたのは、これまたドイツ人のメンデルスゾーンだった。ヴィクトリア女王は、すべての音楽がメンデルスゾーンの作品のようであることを望んだという。こうしてエルガーが出現するまでイギリスでは1人として大作曲家は生まれなかった。
 イギリスが生んだ大作曲家・エルガーの人気はすごかった。しかし、その後急速に降下。1960年代になって再び上昇した。

 ショーンバーグはエルガーの交響曲について、《2つの交響曲は後期ロマン派系の長大な作品で、ブラームスの伝統を多分に受け継ぐとともに、シュトラウスの感触をも留めている。いずれも力感にあふれた名曲で、典型的なエルガーの旋律が用いられており、作曲者の満足感がひしひしと伝わってくる。これらの交響曲は人気を回復しつつあり……》(同)と書いている。
 この本は30年以上前に書かれたものだが、その後エルガーの交響曲の人気がさらに高まったとは言えないのではないか?
 ただ、国内版スコアが出版されるまでにはなったというのは注目度が上がっていることなのだろう(オイレンブルク・スコアによる全音のものと、日本楽譜出版社からも出ている。こんなことなら高かったオイレンブルクの輸入譜を買うんじゃなかった)。
 エルガーの作品で、近年いろいろな形にアレンジされて聴かれているのは行進曲「威風堂々第1番」である。これがなぜこんなに急速に人気が出たのか私にはわからないが、すごい普及度である。
 彼の交響曲に話を戻すと、2曲の他に未完の第3番というのがあり、ペインが補筆完成している。

8ca59639.jpg  私が持っている交響曲第1番のCDは2種類で、1つは“サー”の称号まで与えられている、ショルティがロンドン・フィルを振ったもの(1972年録音。DECCA 475 8226(輸入盤))。

 もう1つはブライデン・トムゾンが同じロンドン・フィルを振ったもの(1985年録音。ChandosのCHAN8451(輸入盤))である。

 行司軍配はトムゾンの方に上がる(このたびの行司は私である)。あくまでも2枚を比べたら、という了見の狭いなかでの判断だが。

 ショルティの演奏は、これが彼の特徴でもあるが、ちょいとドライすぎる。それがこの曲にはどーかなーって思う。
 この交響曲では、朝鮮の泣き女よろしく、泣きわめかなきゃならないところもある(特に第4楽章の中間あたり)。マーラーの「大地の歌」とは対照的な叫び方で、悲しみのなかでのたうちまわらなきゃならないのだ。
 このあたり、ショルティは「でも、僕の場合は強いんだもん」みたいなところがある。f610a8f8.jpg まっ、最後は勝利的爆発で終わる曲ではあるけれど。
 それとショルティは都会的すぎるかも知れない。交響曲第1番の(あるいはエルガーの曲の多く)の演奏には、かすかな田舎臭さというか、センスのズレみたいなものが必要である気がするのだ。
 通勤時のサラリーマンの中に、1人だけカウボーイハットをかぶった奴がいる。そんなようなズレが(本人は、良い、似合っている、おしゃれ、と思っているのは言うまでもない)。
 ということで、ねっとりしっとりしているトムゾン盤の方が私は好きである。
 ちなみに、同じエルガーでも「エニグマ変奏曲」の演奏では、ショルティの音楽作りは成功していると思っている。この曲の方が、ドライ風味に合っているのかもしれない。

 ちなみに今年の札響の東京公演(11月)は、またまた尾高忠明がエルガーを演る(11月定期と同じプログラム)。
 彼のエルガー病もけっこう深刻なものだ。去年はエルガーの未完の第3交響曲を演った
 都会的センスの尾高は必ずしもエルガーに適しているとも思えないが、本人が自信を持っているのだからきっと良い演奏が期待できるのだろう。

 イギリスといえば、ガーデンの国。
 バラもD.オースティンが育種したイングリッシュ・ローズがすっかり有名になった。
 ということで、本日は私が育てているイングリッシュ・ローズのなかからティージング・ジョージアを載せてみましたです。

30年ぶりの“かっこう鳥”との再会!―春にちなんだ古楽集

 先日書いたが、30年前に聴いてその後ディスクを買いそびれ、ずっと耳にできなかった曲がある。理屈っぽいことを言えば、30年前に初めて知って、その後何年かは録音したものを聴いていたから、まるまる30年間聴けないでいたというのは厳密には誤りで、正確には26~27年間耳にできなかったのであるが、そこはほれ、穏便に済まそうじゃないか。
 これこれ、ここですでに読むのに嫌気がさしているようじゃ、この世の中生きていけないですわよ[E:happy01]。

 聴けないままになっている音楽は、年数の長短は別としていくつかあるが、カイモ(Gioseppe Caimo 1545頃-1584 イタリア)が書いたマドリガルの「かっこう鳥」は、1979年5月21日にNHK-FMで流れたのをエアチェック、数年間聴いた後にテープがダメになったため、ずっと耳にできないでいた。
 もっとも、私の方も鬼のようになってこれを探し求めたわけではなかったけど……

 そんなこんなで、1カ月ほど前にタワーレコードのオンラインショップで、現在唯一この曲が収められているCDを発見、注文した次第である。←だからそのことはもう知ってるって!→知らない人はここへジャンプ

54e13be7.jpg  昨日届いた[E:present]。
 CDのタイトルは“PRIMAVERA”。ATMAclassiqueというレーベルのACD2 2258。18曲の小曲が収められたオムニバス盤である。

 収められているのは、モンテヴェルディ(Claudio Monteverdi 1567-1643 イタリア)やマレ(Marin Marais 1656-1728 フランス)、バード(William Byrd 1543-1623 イギリス)など、ルネサンス期の作品が中心である。
 CDのサブタイトルとして“MUSICAL BOUQUET BY SUSIE NAPPER”と記されているが(直訳すれば「スージー・ナッパーによる音楽の花束」になる)、NAPPERというのは、どうやらここでヴィオラ・ダ・ガンバを弾いている女性奏者らしい。
 このS.NAPPERの作品も2曲収められており、それは“La Sacre du Printemps”(つまり「春の祭典」だ)と“Les Oiseaux”(「鳥」だ)という曲の名だが、わざとストラヴィンスキーを連想させるような名前をつけているに違いない(理由、背景、目的はわからないけど)。

 このCD、まず何といっても音がきれい。器楽の音も、ソプラノとカウンターテノールの声も、音楽にぴったりな味わいで録音されている。リコーダーは、喜びながらさえずり回る小鳥を思わせる。こういう「良いCD」が国内のCDショップでそこそこに取り扱われないのが不思議。何十枚しか売れないのかもしれないけど……

 さて、再会を待ち望んでいたカイモの「かっこう鳥」だが、これは器楽のみでの演奏だった。それは残念だが(そして、アレンジも私が聴いていたものとはけっこう異なる)、跳ねまわる小鳥とカッコウのうれしそうな鳴き声(リコーダーが奏でる)は、あの「かっこう」であった。
 あぁ、懐かしや、懐かしや!
 1分弱のこの曲のために、私は30年間この日を待っていたのだ。
  私はメイのように呟きたい。「カッコウ!」と。←「ダンス・ダンス・ダンス」の話です。

 古楽ファンじゃなきゃこういうCDを探し求めないのだろうけど、そして私も「かっこう鳥」だけでこれにたどり着いたのだけど、聴いていてすがすがしくなるCDである。
 演奏者は、ヴィオラ・ダ・ガンバがSusie NapperとMargaret Little(この2人のコンビ名がCDジャケットに記されている“LES VOIX HUMAINES”のようだ)、ソプラノがSuzie LeBlanc、カウンターテノールがDaniel Taylor。リコーダーはMatthias MauteとFrancis Colpron。ヴァイオリンはOliver BraultとHelene Plouffe。Slyvain Bergeronのリュートに、Vincent Dhavernasのパーカッション、である。

 えっ?「PRIMAVERAってどういう意味だ」って?
 どうやら、「春」という意味らしいです。
 ここに収められているモンテヴェルディの“O Primavera”というマドリガルの邦題は「おお、春よ」だから、“PRIMAVERA”の意味は「春」だと推測されます。
 だから春にちなんだ曲がこのCDには収められているのだと思われます。

 カッコウの声って本当に素敵だ!
 北海道では初夏を告げる声だ。
 なのに、あまり暑くならないまま今年はもう夏だ。
 札幌の手稲プールは昨日だかおとといにプール開きをしたそうだが、ニュースに映っていた少年少女たちの唇はチアノーゼ状態のような色をしていた。

 そして今日はどしゃ降りだわい。

 あっ、そうそう、おとといで思い出したけど、おとといのブログで紹介したWindows Vistaの書籍名、「高速カスタマイズ」じゃなく、正しくは「倍速カスタマイズ」でした。すいません。
 なんぼがんばっても倍速にしかならないってことか……。倍速になれば十分すぎる効果だけど。

PMFのマーラー「復活」から1週間経って……

 それでどうなったかというと、私は身も心もどっぷり「復活」状態である。

 ポータブル・デジタル・オーディオプレーヤーに3種類の「復活」(曲名をあらためて正確に書くと、マーラーの交響曲第2番ハ短調「復活」である)を保管し、通勤の時も通学の時も昼休みもそれを繰り返し聴いてきた。ただし、1週間の間、「通学の時」というのを一度も経験できなかったのは残念である。これは、私に学習意欲がないという理由からではなく、もはや学生には戻れないという不可逆的加齢現象が強いた技である。ただし、囲碁教室や詩吟教室に通学する道は未だ閉ざされてはいない。

 7月11日のKitaraにおけるPMFの演奏に関しては、ご存知のとおり(と仮定する)すでに書いたわけだが、エッシェンバッハ指揮によるあの演奏は独特の“間”をもった演奏だった。バリバリと力づくで推進していくような音楽づくりではなかった。
 どーでもいいことだが、和食の飲食店などで、各個室に「独特の間」とか「特有の間」とか「束の間」みたいな名前がついていたら案外楽しいのではないかと思う。
 「いらっしゃいませ。ご予約のMUUSAN様でいらっしゃいますね。お待ち申しあげておりました。お部屋はお二階の“沈黙の間”でございます」なんて案内されたら、宴席が盛り下ること「間違いなし」だ。

 それはさておき、コンサートの感動を新たに、と3種類の「復活」を繰り返し聴いていると(といっても80分ほどの曲だから20回も30回も聴き返せるわけがない)、肝心の11日のコンサートでの演奏の印象、記憶、感銘が曖昧になっていくのもまた事実である。何が真実だったのかわからなくなる。井戸に入ったオカダトオルのようだ(←村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」の話)。
 結論から言うと、当たり前のことながら、良い悪いではなく、コンサートのかわりになるものはなかったということ。あくまでCDは代償、合理化、白日夢である。

 その3種の演奏。

68c49ec0.jpg  まずはショルティ/ロンドン響、同合唱団、ハーパー(S)、ワッツ(A)の演奏(1966年録音。Decca475 8501(輸入盤))。このCDについては過去に書いてある。ほらほらイケイケGo!Go!のマッハ号のような演奏。PMFの演奏とはベクトルが違う。

 もう1つは、同じくショルティの指揮だがオケはシカゴ響。ブキャナン(S)、ザカイ(A)、シカゴ交響合唱団による演


奏(1980年録音。Decca-45f28bff.jpg UCCD3738)。
 先のショルティの「復活」初録音から14年後のものだが、演奏スタイルは旧録音と同じ。いや、イケイケ度はむしろさらに増している。どーしようもならないスタミナおやじだ。ニンニク卵黄を毎日欠かしていないのでは、と思ってしまう。舞台裏からの金管群の響きがちょっと不自然。

 

 とはいえ、この録音の圧倒的迫力と切れ味はほとんど捨てがたい“魔性の女”的魅力がある。“魔性の女”ってぇものに出会ったことはないけれど……。恍惚度98%!

 3枚目はメータ指揮イスラエル・フィル、プラハ・フィルハーモニー合唱団、グスタフソン(S)、クイc59318c3.jpg ヴァー(A)によるもの(1994年録音。テルデックWPCS21103)。
 メータといえば、村上春樹に表記させるとツビン・メータになる。それはどうでもいいけど。
 私はメータをどう評価していいのかちょっとわからないところがある。おそらくメータも、お前なんかに評価される筋合いはないと確たる信念をもっていることだろう。
 1980年ころだと思うが、メータがニューヨーク・フィルハーモニックを振ったベルリオーズ/幻想交響曲のLPが発売された(1979年録音)。当時、幻想大好き浪人生だった私は、その“高音質重量級LP”の新譜を無収入の身のくせに購入した。すっごく期待して購入した。そして、腑抜けの演奏に自らの頭も腑抜けになってしまった。だからその後の受験も失敗した、とは言わないが、こんなに無気力な「幻想」があってよいのだろうかと思った。良かった箇所は第4楽章の終わり、断頭台の刃が落ちる描写の前の大太鼓の音だけ。この重量級の大太鼓の響きはなかなかである。でも、わざわざ通常のLPよりも厚くした“重量級レコード”の意味合いは感じられなかった。
 そんな悪印象からメータのことはちょいとばかり敬遠気味。
 でも、今回メータの振った「復活」のCDを買ってみて、「おっ、けっこういいじゃん!」と、関東人のような口ぶりで思ってしまった(実際には口に出していない)。
 鳴らすところは鳴らし、抑えるところは抑える。ショルティほど機械的ではない。バランスがいい。ちょっと見直してしまった。
 あぁ、ユダヤの血!

 なお、メータの腑抜け「幻想」だが、実はCDになってからも買ってしまった。犯罪者が事件現場に舞い戻るのと同じ心理状態のようなものだ。CD番号はデッカのPOCL9826である(今から10年前の番号だけど。現在は廃盤のよう)。

834c4689.jpg  今回私は、ご家庭におかれましてはバーンスタイン指揮ロンドン響によるDVDもあらためて観てみた。といっても、あまり家に滞在することはなかったので、終楽章だけ。独唱はアームストロング(S)とベイカー(Ms)、合唱がエディンバラ音楽祭合唱団。1973年のライヴ。
 演奏がどうしたことか野暮ったい。ライヴなのに“作られた”感じがする画像(ライヴといっても実際のコンサートのあとに収録した可能性もある)。カメラは楽器のアップが中心で、あまり奏者を写さない。まるでカラヤンのビデオのよう。
 白熱した演奏なのだろうが、それが伝わってこない。
 前時代的な映像のせいもあるのかも知れない。
 だったら、ここで取り上げることもなかったのかしら?
 グラモフォンのUCBG9030だが、現在は廃盤のよう。

 ブロムシュテット盤ギーレン盤はこの1週間は聴き直さなかった。でも、記憶上ではギーレンの演奏が迫力には欠けるかもしれないが、もっともよい演奏だと私は思っている。今のところは……
 なお、マーラーのスペシャリストでもあるインバル盤は、こと第2番「復活」に関していえば、あまりにも整いすぎているような気がする。
 ちなみに、今回集中鑑賞したショルティとメータのCDは1枚もの。逆にブロムシュテット、ギーレン、インバルのCDは2枚組である。

 マーラー(の「復活」)を集中的に聴いたら、さすがに過労状態。
 不思議なことに、というか、やっぱり、というか、モーツァルトが聴きたくなった。のどが渇いた金魚のように……
 そこで聴いたのがピアノ協奏曲第24番ハ短調である。
 モーツァルトを欲したと言っても、長調の[E:notes]アッハラアッハッハァ~[E:shine]みたいな曲にはなんとなく飛びつきたくなかった。だから渋くハ短調のコンチェルト(コンサート(concert)にoがついてconcertoになると「協奏曲」になるのがちと不思議)。
 内田光子のピアノによる演奏。ちょっと軽いタッチの演奏(オケが)だが、解毒剤としてはちょうど良い気がした。


 

Windows Vista のReady Boostって……

…本当に役立つものだろうか?

 過去に私はこの機能に期待して、ご丁寧にも8GBのUSBメモリを購入して、しかも、4GB近くを(Windows様の主張するがままに)Ready Boostに割り当てた

69621ac7.jpg  ところが先日買った「バリバリチューン Windows Vista高速カスタマイズ」なるノウハウ本には、Ready Boostなんて、やめときぃ~って書いてある。
 なんでこのような本を買ってしまったかというと、ソースネクストの“驚速”を購入したものの、驚くほどPCの速度に変化がなかったため、その代償行為として何かをしなくてはならない衝動に駆られたからだ。

 この本の中でReady Boostについて、以下のように書かれている。

 《「Windows Ready Boost」は、マシンにメモリーメディアを挿すだけで、Windows Vistaを高速化する技術…とされている。どこぞの本は、たいした検証もせずに「Windows Ready Boostで高速化!」などと無責任な記事を掲載している……》

 ヴェッ!
 私はその「無責任な記事」を信じ、USBメモリを一生の伴侶にしようとしたのだ。
 でも、かなり暗雲垂れ込める書かれ方をこの本ではされている。

 《Windows Ready Boostは誤解が多い機能なので、簡単にもう一度説明しておこう。Windows Ready Boostは「メモリーを拡張する」機能でも、「ページングファイルの代わり」になる機能でもなく、プログラムファイルをキャッシングして、「アプリケーション起動を高速化させる機能だ……》

 って、どこが簡単な説明かよくわからないが、いずれにしろ私が期待していたような夢のような機能でないことは伝わってくる。ひしひしと。

 だったら、もうやめちゃおうか。
 と思ったものの、やはり未練タラタラの私。
 まずは割り当てを4GBから2GBに減らして様子を見ることにした。
 メモリを増設すりゃいい話なんだろうけど、裏蓋を開けてまで速さを追求する気もない。

 でも、ほんと、PC雑誌っていい加減だ。
 もっとも、じゃあ本当にReady Boostをはずしてしまったほうが速くなるのか、という確信も勇気も知識もない。
 どーしたらいいですか?

 それはそうと、今後、本に従ってできるところから「高速化」を図っていこうと思う。まっ、レジストリの書き換えとかまではしないけど。
 ああ、“驚速”なんか買わないで、最初からこの本を買っておけばよかった[E:weep]

素敵な天婦羅屋での〆は激辛スープカレー

 昨夜は北見市内に泊まった。
 夕食はわが社の北見支店の方と。
 案内されたのは“海老蔵”。店名を見ておわかりになると思うが、ウナギ専門店ではない。天婦羅屋である。
 清潔な店内。感じの良い若旦那。
 そして、何より天婦羅が美味しい!
 ビールを飲みながら揚げたての天婦羅を味わう幸福感。あぁ、なんて体に悪そうなんだろう!
 夕食を食べ始めるころは、まだ昼のカレーがもたれていたのだが、天婦羅はちゃんとおなかに入っていった。よい油を使っているのだろう。

 支店の方が、「仕上げにカレーがお勧めです」という。加齢とは思わなかったが、鰈だと思った。
 ところが激辛のスープカレーだという。

 私はすでにおなかが満たされていたのと、昼食が昼食だったがゆえに、ごくごく小盛にしてもらう。
 出てきたカレーはスパイシーで実に美味しい。が、私にはあまりにも辛い。泣いたね……
 カレーでも有名な店であるということに納得。

 それにしても、一口に「カレー」といっても、実に幅があるものだ……

[E:note]

 今朝はセイコーマートの“助六寿司”に、セイコーマート・オリジナルのカップ豚汁。
 この豚汁、初めて食べたが、具も豊富でけっこう旨い!一応、肉を噛んでいると実感できる程度に豚肉も入っている。これで118円は安い!
 少し前までなら、豚汁ではなくカップ麺を汁物替わりに食べていたのに、肉体的に守勢に回ってしまった私……

 どーでもいいけど、今週はカレーを食べすぎた。
 実は月曜日は家に帰ると夕食はカレー。翌火曜日は。朝から前夜のカレーを食べた(ふだんは朝からカレーを食べるともたれるので絶対に食べないのだが、この日はもたれてみたい気分だったのだ)。そして昨日の昼と夜。
 小学生2年生のころ、「インド人のかあさん、メシ食ってパピィーッ!」って言うのが流行ったが、あれはなんだったのだろう……

長時間じっくりと……カレー

bb37f626.jpg  朝から比較的強い風と、時折投げつけられるような滴の雨。
 一般的にいうと、嵐の子供。わかりやすく言うと、風雨やや強し。

 そんななか、今日は網走に出張である。

 丘珠空港から女満別(おんな・マン!・ペツ、ではなく、めまんべつ、と読む。世界中に生息している私の大切な読者のために、念のため丁寧に書いておく)空港へ。
 きっと出発が遅れるか、うまくいけば欠航になって、さらにうまくいけばそのまま今日は有給休暇にしちゃおうというずるい考えもむなしく、ANA4865便は完璧に定時出発。ひじょうに褒め称えるべきことではある。ふつうなら。
 到着は5分遅れ。ただし、飛行機を降りて、地上をちんたら歩いて、空港ターミナルビルに入って数歩歩けば、もうそこはビルの反対側の出口って感じの空港だから、5分の遅れなんて関係ない。羽田だったら、到着の何が定時かという概念さえ曖昧だから。

 車で網走に向かう。
 昼は会社でうわさを聞いてきた「麦わら帽子」というカレー屋へ行く。いや、厳密に言えばカレーが有名な喫茶店である。
 初老の夫婦2人でやっている店だ。
 実は昨年も一度この店に寄ったのだが、その日は日曜日で混んでいるということもあってか、ほかに2名ほどアルバイトか娘かわからないが、働いている人がいた。でも、今日は夫婦だけだった。
 私たちが行ったときには、すでに6名の客がいた。
 そのうち2人はカレーを食べ終えていて、食後のコーヒーを待っていた。なぜそれがわかったかというと、私と同僚が店に入ると、店のオヤジが「ちょっと待って」と、コーヒーを淹れるのに専念していたからだ。のちのち判明するが、このオヤジ、マルチタスクができない性分らしい。
 席について4分後にオヤジが注文をとりにきた(といっても、カウンター越しだから目と鼻の先に位置している)。私たちはシーフードカレーを注文した。

 店のもう1人、奥さんらしき人物は奥で調理をしている。
 数分間店にいても、先に来ていた客になかなかカレーが出てこない。1人で作るのは大変だろうが、それにしてもカレーらしからぬサーヴの遅さだ。
 やがて、2人分のカレーが男性客2名のところに運ばれていった。
 ややしばらくして、次に奥から奥さんが1皿持ってきて、私の前に置こうとした。「ビーフカレーです」と。
 明らかにその前からいる客の分だ。
 それを見ていたオヤジが奥さんに文句をつける。ただでさえ良いとは言えない様子の店内に、もっと良くない空気が漂う。
 そうこうしているうちに男性客2名はあっという間に食べ終わり、オヤジに金を払い、領収書を要求する。オヤジは領収書(の用紙)がいつも置いてあるところにない、とパニくっている。あちこち引っ掻き回した後、奥に入って行き新しい領収書を持ってくる。が、この間5分以上経過。
 そこに常連客らしきみたいのがやってくる。
 オヤジと話している。「いやあ、領収書がなくなっててさ」と、男性客を待たせながらお話し開始。話してる場合じゃないだろうが……
 よくあのお客さん、黙ってがまんしたものだ。
 常連客も空気読めって。

0c5c466e.jpg  そのあとオヤジはテーブルの食器も下げないで、常連客と「カニがうまかった」などとだべっている。そこに何をとち狂ったのか、10人の団体が来る。
 オヤジは注文をとるかと思いきや、いきなり先ほどの男性客たちがいたテーブルの食器を下げ始める。やることがいちいちズレている。ブラウン運動のような動きだ。
 一方、私たちの注文したカレーは30分後にようやく出てきた。

 ホタテやえびをソテーしたものがカレーソースに入っている。ただ一緒に煮込んだものをライスにかけるのよりは確かに手間も時間もかかるだろう。でも、30分はないだろ?これじゃ、勤め人の限られた昼食時間ではとても利用できない(場所柄、そういう客はほぼ皆無なんだろうけど)。これが空港のカレーショップなら、3日でつぶれるな。

 味はまあまあ美味しいのに(5段階評価の3.5)、この段取りの悪さは最高峰。
 どうなってんだ?
 まっ、奥さん1人で調理しているのだから、当たり前といえば当たり前。もう一人いたらスムーズにいくだろう。あと、オヤジさんの段取り……。よく解釈すれば、私たちが行ったときはたまたまその店にとっては非日常的状況だったのかも知れない。

 ってことで、タイトルの……は「待たされる」である。
 店の横にはオープン・ガーデンが。クレマチスが数種、さびしげに咲いていた。

野暮ったさが魅力のメンデルスゾーンの「イタリア」改訂稿

 改訂版によるメンデルスゾーンの「イタリア」。
 私はこの版による演奏を、先月6月の札響第520回定期演奏会(指揮は高関健)で初めて聴いたのだが、けっこうお気に召してしまった。そこでCDを探していた。やや真剣に。

 あらためてきちんと曲名を書くと、メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn-Bartholdy 1809-1847)の交響曲第4番イ長調Op.90「イタリア(英:“Italian”,独:“Italienische”)」(1831-33)である。
 なお、「イタリア」というタイトルは通称であって、作曲者がつけたタイトルではない。この通称はメンデルスゾーンの死後、それも1880年頃になって呼ばれるようになったものであって、存命中の作曲者の意図に反する(第3番の「スコットランド」も同様)。

 私たちがふだん耳にしている第4番の演奏は、初演時の楽譜によるもの。しかし、メンデルスゾーンは初演稿を改訂したがっていた。つまり現在、善良なる地球人たちは、作曲者の「不本意稿」を聴いていることになる。

5d1f0a1d.jpg  うれしいことに、エリオット・ガーディナー指揮ウィーン・フィルによるCD(グラモフォンUCCG4123)には、この交響曲の通常の演奏(つまり初演稿による)のほかに、第2~4楽章の改訂版の演奏も収められている。ワッヒョイ[E:sign03]
 これは世界初録音となったものである。
 ところがどっこい、このような貴重な録音にもかかわらず、CDのライナーノーツに書かれている内容は、大いなる勘違いなのかどうかはわからないが、間違いなく間違ったことが書かれている。
 この間違いについては既に他のサイトなどでも指摘されている。

 やれやれ……

 音楽之友社から出版されているこの曲のスコア(表紙の“ONGAKU NO TOMO”って、なんかいやだなあ)には、付録として改訂稿について詳しく触れられてもいる(星野宏美による)。そこで以下、音楽之友社のスコアの解説と、札響定期のプログラムに高関健が寄せている文を参考に、また引用して、ご節介にもこのCD解説の誤りを整理してみたい。

2b233d43.jpg

この交響曲第4番は1830/31年の冬、作曲者がローマに滞在していたときに書き始められたと考えられている。ドイツに帰国後、1832年に、メンデルスゾーンはロンドン・フィルハーモニック協会から新作の交響曲の依頼を受け、ローマ滞在中に手がけていたこの作品の作曲を再開。1833年3月13日に完成している。
 初演は1833年5月13日に、ロンドン・フィルハーモニック協会の定期演奏会で行なわれた。このときに指揮をしたのはメンデルスゾーン自身である。

 ただ、初演のあと、メンデルスゾーンはこの交響曲を公にはしなかった。その理由は不明だが、作曲者がこの初演時楽譜(以下、初演稿)に満足していなかったのは確かで、再演あるいは出版するには改訂の必要があると繰り返して言及している。
 そして実際に、メンデルスゾーンはデュッセルドルフで第2楽章から第4楽章の3つの楽章の改訂作業に取りかかる。1834年の6月下旬のことだ。
 ただこのとき、楽譜はロンドンに置いたままであり、作曲者の手元にはない。というのも、委嘱作品であることから、フィルハーモニック協会は作品をいつでも演奏する権利と2年間の版権を有していたのだ。そのような理由から初演時の自筆譜はロンドンに残されたままだったのである。メンデルスゾーンは記憶をもとに(すっげぇ~[E:sign03])改訂作業を始めたのだった。

 さて、このCDの解説では次のような記述がある。

 《……(1833年の初演後)その出来に満足できなかったメンデルスゾーンは、さらに手を加え、1837年には改訂稿を完成し、ロンドンで演奏したと推測されている。しかしそれでも十分には納得できなかったメンデルスゾーンは、この作品を生前には出版しなかった。改訂ヴァージョンがドイツで初演されたのは彼の死後の1849年、出版されたのは51年になってからだった。当CDではこのめずらしい改訂前のヴァージョンの第2、3、4楽章が演奏されている。……》

 先に書いたように、メンデルスゾーンが初演稿に満足していなかったのは事実であるが、ここに書かれている《1837年には改訂稿を完成し》というのは事実ではない。そして、《めずらしい改訂前のヴァージョン……》は大法螺である。これは「めずらしい野鳥であるカラス」に匹敵する表現。「改訂後」が正解[E:sign01]

 交響曲第4番は、メンデルスゾーンの存命中にロンドンで3回再演されている。再演を指揮したのはいずれも作曲者以外である。
 最初の再演は1834年6月2日、2回目の再演は1837年5月15日、3度目は1838年6月18日である。

 CDのライナーノーツにある《1837年には改訂稿を完成し、ロンドンで演奏したと推測されている》というのが事実ではないというのは、1837年5月15日の再演のあとの8月から9月にかけてメンデルスゾーンはイギリスに出かけたが、その際にロンドン・フィルハーモニック協会の人に「本来は改訂稿を再演に使ってほしいが、大幅に変更されるべき第1楽章がまだ完成していない」という旨のことを話しているからである。
 この年の12月には、協会からメンデルスゾーンに改訂の約束を確かめる手紙も来ている。
 しかしながら3度目の再演にも改訂版は完成せず、結局のところすべて初演稿で演奏された。そしてメンデルスゾーンは協会から初演稿が返ってきたときにはすでに改訂の意欲を失っていたようである(関心は1840年に完成した第2交響曲と1842年に初演された第3交響曲に向いていたと考えられる。メンデルスゾーンの交響曲の番号順は出版順であり、完成順にはついていない)。

 この1837年改訂稿完成説は、オイレンブルク・ミニチュア・スコアの旧版(1946年)に書かれていた「1838年にロンドンで改訂稿が初演され、1849年のドイツ初演では、さらに改訂を加えられた最終稿が用いられた。そしてそれが初版の版下となった」という記述に基づいているらしいが、星野はこれを「全く根拠のない誤り」としている。

 ドイツでの初演は1849年であるが、これは作曲者の死から2年経ったあとである。つまりメンデルスゾーンは生前は母国でこの曲を演奏する意思がなかったとも言える。さらに楽譜の出版は1851年になってされた。
 メンデルスゾーンは楽譜を出版することが本当の意味での作品の完成とみなしていたようだが、それからすると、生前に出版しなかったということはこの曲は未完であると考えていたことになる。つまり“最終稿(完成された改訂稿)”なんて存在しないのである。

 なお、1851年に出版された初版楽譜はもちろん1833年の初演稿であり、その後若干の変更が加えられてメンデルスゾーン旧全集に収められ、広く普及していくことになる。しかし、すでに書いたようにこの楽譜はメンデルスゾーンが満足したものではないのである。

 とはいえ、だったらこの交響曲は残された第2楽章から第4楽章までの改訂稿を初演稿に替えて演奏するべきだ、と言えるかというと、「1834年稿(改訂稿)はあくまで不完全な作曲譜であり、普及版(初演稿)に取って代わり得ない」(星野)というのも事実である。
 作曲者は本当はこんなふうにしたかったんだ、という手がかりを示してくれるに過ぎないということだ。

 ところで第1楽章の改訂に着手できなかった理由であるが、第2楽章以降の改訂作業を行なっていた時期と重なる1834年6月26日付けのメンデルスゾーンの手紙には次のように書かれている。
 「……第1楽章だけは今回、書き起こさなかった。というのも、いったん手を付け始めたら、第4小節以降主題全体を変更することとなり、それに伴って、第1楽章全体を大きく変更せざるを得なくなると恐れるからだ。……」(星野は、手元に楽譜がなかったメンデルスゾーンの記憶違いで、第4小節ではなく第5小節だとしている)。

 この改訂に関する話は、このように“ONGAKU NO TOMO”のスコアに詳しく書かれてあるので、興味のある方はぜひ読むことをお薦めしたい。

 さて、CDのライナーノーツには、さらに次のように書かれている。

 《……ガーディナーはいわば特別付録として『イタリア交響曲』を1833年当時の原典版に基づいてレコーディングすることにしたのだ》

 だから違うって!
 1833年当時の原典版というのは、ふだん私たちが耳にできるものと同じ初演稿である。ガーディナーが特別付録としてレコーディングしたのは1834年の改訂稿である。

 やれやれ……

 改訂稿による音楽は、初演稿に比べるといささか野暮ったい感じがする。
 慣れ親しんだ初演稿が洗練度が高く快活にまとめ上げられた音楽であるのに対し、改訂稿の音楽はいささか陰があって素朴である。逆に、初演稿が何の引っかかりもなく心地よく耳を通過していくような音楽だとしたら、改訂稿は田舎風スパイスが効いていて舌に残る味わいがある。

26e393a1.jpg  特に私が惹かれたのは第2楽章。
 ここでは主要主題が良い意味で「どん臭く」なっている(譜例)。
 この改訂稿を見た姉のファニー・メンデルスゾーン(Fanny Mendelssohn-Bartholdy 1805-47。すぐれたピアニストで、ピアノ曲や歌曲などの作品も残している)は、「最初の旋律の変更は、あまり気に入りません。なぜ、このように変えたのですか。イ音が多すぎると考えて、それを避けようとしたのでしょうか。もとの旋律の方が自然で良かったのに」と、1834年8月1日付けの手紙に書いているが、その気持ちはわかる。しかし、改訂稿も忘れがたい魅力がある。「何か気になるな。どうも引っかかるな。もう1回聴きたいな」、みたいな。

 第3楽章は初演稿よりもトランペットのパートが活躍。やはり野暮ったいが、ホルンとトランペットのしつこい呼びかけ合いが、これまた忘れがたい。
 終楽章は改訂稿でも主題に手は加えられていないが、曲の後半が拡大されている。

 ということで、不思議な魅力をもつこの「不完全な改訂版」。私はかなり「お気に」である。

 

巷ではチキンソテーのわさび風味がブームなの?

 土曜、日曜と2日続けて中島公園とその周辺に出向く用事があった。

1875d544.jpg  ただでさえ出不精なのに加えて、緊急課題として家の庭に散りまくっているバラの花びらを掃除しなければならないというときに(特にアンジェラのがひどい。花の数が多いから。しかも、自分の花の重さに耐え切れず多数枝折れまでしている。写真のように咲いてる盛りはかわいいのに)、私としては異例の事態である。

 土曜日はすでにご承知のとおり、KitaraでのPMFオーケストラ演奏会を聴くため。
 日曜日はちょっとしたプライベートな用事で、午前中に幌平橋の方まで出かけた(私がコンサートに行くことだって“プライベートな用事”以外の何ものでもないのだが……)。

 土曜日は中島公園まで車で行った。出し物はマーラーの第2番だけだがそれでも帰りは遅くなる。これが平日の夜だったら、「ちょいと反省会でもして[E:wine]」ってワケのわからないこじつけの理由で一杯、オッパイ、はは元気ぃ~、してから帰るのだが……

 駐車場に車を入れた後、中島公園をどこで食事をしようかなと考え、幌平橋の方にある“ベーカーリーレストラン サンマルク[E:bread]”(南16条西5丁目)に行くことにした。全国チェーンの“サンマルク”である(そういえば以前、知り合いのあるおばさんに真面目な顔で「あちこちに[E:parking]って看板が出てるけど、これはどこのお店のマークなの?」と聞かれたことがある。こういうことを知らない人もまだいるのだ。おぉ、Discover Japan!)。
 中島公園を突っ切り、途中、相変わらず過剰に元気になくカラスたちを一瞥し、寄ってくる浮遊物のような虫どもに露骨に不快感を表しながら歩いた。どんなに露骨に不快感を表しても虫どもには通用しないのだけれど。

 “サンマルク中島公園店”に入るのは1年3ヶ月ぶり、2度目。前に寄った時は昼だったが、今回入ってみると夜はコースメニューが主体であった。
 コンサート前に腹がはち切れるほど食う気はないので、単品で“チキンソテー 香草ワサビソース”にライスとドリンクをセットして頼む。
 ちなみにこのメニューはディナーメニューの中では最安値で934円。まっ、そうだとしたらこの店は安いって感じではないが、落ち着いて時間が潰せるのがよい。これが、キタラにあるレストランだと結構混んできてゆっくりとしてられない。混む前にと思ってたとえば17時半に入っても、30分で食べ終わったらそのあと何してろっていうのだ。
 私は満腹、だから君たちもねって、公園の池に行ってカモに餌をあげるような趣味は私にはない。何しろお値段も高い。
 一方、もう少し遅めの時間に行くと、混んでいてすぐにはまず入れない。客は迫りくる開演時間に殺気づいてきている。落ち着き払ってる店の人々が悪魔に思えてくる。そしてサラリーマンで混む昼の定食屋の12:45頃に似た様相を呈してくる(雰囲気が)。高いビーフカレーを餌を食うように焦って食うなんて嫌だ[E:pig]。
 このレストランはパークホテルでやっているのだが、じゃあパークホテルで食べるという選択肢はどうか?1階のレストランは味は悪くないが何となく落ち着かない。雑然としている。お値段もやっぱり高い。

 で、“サンマルク”であるが、いまさら言うまでもなくパン屋のレストラン。でも、私はご飯好きだからライスを注文したのだが、このご飯がけっこうおいしく炊けていた。チキンソテーの味もとても美味しかった。焼き野菜ものっていて、これで934円なら安い!と心が変わった私。

 開場の18:30に合わせて店を出たが、コンサート前に耳を静かに休めることもできた。
 既に書いたように、今回のコンサートは本番前のステージ上での無法地帯的音出し練習もなかったから、とても良い状態(お腹も、耳も、心も)でマーラーの大作を聴く態勢になれた。
 ほかの店舗には行ったことはないが、“サンマルク中島公園店”は接客態度も良好。アンケート用紙があって、そのなかに「今日いちばん笑顔が輝いていた店員は誰でしたか[E:shine]?」みたいな質問項目があった。
 店員たちは命がけでスマイルしているのだろうか?でも、わざとらしさのない、自然で好感が持てる笑顔であった、みんなが。
 ちなみにアンケートで誰って聞かれても、最初から名札をチェックしているわけじゃないからなぁ……

 そうそう、サンマルクで食事していたら、ちょうど店内にあるピアノを使った生演奏が始まった。グラナドスの「オリエンタル」なんかが弾かれて、私好みの選曲だった。

 翌日曜日。
 この日は地下鉄で幌平橋へ。
 用事を済ませた後、ちょうど昼だったので静修高校向かいにある“グリル ラパン”へ。
 初めて行く店だが、けっこう有名らしい。場所は南17条西6丁目ラパンビル1階(←おっ、おやじ、けっこう儲けてるね?)。
 いわゆる「街の洋食屋さん」って感じの店(「山頂の洋食屋さん」なんてあまり聞かないけど)。ちょっと懐かしい感じがするような……

 私はランチメニューのメンチカツ御膳を頼んだが、これが880円。デミソースがかかったメンチカツに、大根とイカの煮物の小鉢、ライスに味噌汁に漬物という内容で880円。これはコストパフォーマンスが高い。味も良い。涙が出るほど美味しいってほどじゃないが、よだれが出るほど美味しい。適度な混み具合も「落ち着く」とまではいかないが「せわしなくない」。
 味は、前に食べた神戸三宮のL'Ami(ラミ)を思い出した(つまり美味いってこと)。

 店ではテレビがつけられていて、「はねるのトびら」の再放送が流れているあたりが(ツカジがおでんを取り損ねていた)、そして若いコックがときどきチラチラってTVに視線を向けて無表情のふりしてニタリとするところが、まさに「街の洋食屋さん」的アトモスフェア。この雰囲気は「地獄の洋食屋さん」ではありえない。
 単身赴任の身で近所にこういう店があったら、週末なんて毎回来てしまいそうだ。豚の生姜焼きもオムライスもカレーも食べてみたい!
 Kitaraでコンサートがあるときも使える!時間があるときは……
 ちなみにこの日の日替わりランチ(ホリデー・ランチ880円)は、「チキンのわさび風味」。偶然にも同じようなメニューを2日続けて目にし、土曜日には食べちゃったりもしたが、このメニューはNOWのトレンドなのだろうか?トレンドという言葉自体がもはやトレンドではないが……
 味を追及する人ならここぞとばかりこのホリデーランチを注文して味の比較を試みるだろう。あるいはメニューを選ぶのが面倒な人も。でも私はメンチカツにした。わざわざ出かけた先で同じようなものを続けて頼むこともあるまい……。家では何回も同じものを続けて出されることを経験しているのだから(たとえばカレー。日にちが経つほど美味くなるなんてウソをつくな!)。

 そのあと大通でいったん地下鉄を下車。
 久しぶりに玉光堂の4丁目店に寄った。
 するとあったのである。
 ガーディナー指揮によるメンデルスゾーンの交響曲第4番の改訂稿による演奏のCDが!取り寄せ注文かネット通販しかないなとあきらめかけていたCDである。いやぁ、仕入れ担当者がマニアックなのか(ここにはかつてあった“PALS21”のクラシックコーナーの縮小撤退先なのである)、単に売れ残っていたのか知らないが、私にとっては余計な手間をかけずに済んだ。
 その御祝儀の意味を込めて、他にマーラーの交響曲第2番のCDも2種類買った。メータ/イスラエル・フィル盤とショルティ/シカゴ響盤である(ともに廉価盤)。PMFの演奏を受け、さらに別なCDを聴いてみたくなったのだ。それらの感想についてはまた後日。
 いま、私の安っぽいデジタル・オーディオ・プレーヤーには「復活」の演奏が3つ入っている。まったく“復活兄ちゃん”だ。いや、“復活オヤジ”だ。←他意はない。


PMF2009、「マーラー/復活」を聴いて

0951f2d8.jpg  昨日7月11日19時から札幌コンサートホールKitaraで行われたPMFOコンサート。
 指揮、独唱、合唱は写真の通り。
 
 とても美しい演奏だった。
 私の中には「熱狂的な興奮」ではなく、「じわりと来る感動」が渦巻いた[E:typhoon]。そして、マーラーの音楽の緻密さが実によく「見えた」演奏だった。「復活」ってこんなに奥深かったのか~。マーラーの交響曲の中では、いままでちょっぴり邪険に扱って悪かった……

 弱音が美しい。最強音になっても混濁しない。
 この若いオケが、各主席に座ったウィーン・フィルの先生たちのリードのもと、しっかりとエッシェンバッハの棒についていった姿も見事。オーケストラは1つの生命体のように反応した(終楽章が始まってすぐは一時期危ういところがあったように思ったけど)。

 もちろん最後の音が鳴りやんだ時の会場は感動のブラボーと拍手の嵐[E:typhoon]。
 しかし、私にとってこの夜の演奏は、血圧が上がるようなものではなく、穏やかながらもぞくぞくする、風邪による発熱の前兆である震えに襲われたようなものに近かった。

 エッシェンバッハの動きは、時に飛び跳ねもするエネルギッシュなもの。でも、必要以上に暴れたりはしない。
 後ろ姿からは井上道義を思わせるが、あっ、それは頭のせいか……

 第1楽章で特に感じたのは、テンポが遅めということ。ただ本当に遅かったのかどうかはわからない。感覚的なもので、時計で測ったらそうでもないのかもしれない。ただ、私にはそういうふうに聴こえた。
 この日の演奏では、この曲がいかに全休止が多いのかもあらためて感じた。マーラーの音楽では、こういった「間」が重要な役割を果たしているようだ。遅く感じたのはそのせいかもしれない。

 それにしても、「復活」ってただ大叫びするだけの曲じゃないってことを教えてもらった。やはり「マーラーの曲」だったのだ。
 決して田舎臭くなく、かといってあっさりしすぎの演奏でもなく、私には「復活」の魅力を教えられた演奏となった。

 独唱陣もなかなか。
 メゾ・ソプラノが良かったのにソプラノはイマイチ、とか、その逆のケースが多いのだが、この日は両者とも優劣なし。ただ強いて言えば、個人的にはメゾのペトラ・ラングはもう一度聴いてみたいと思った。

 先にも書いたように、大音量になってもオケの音が破綻しなかったのもすごい。
 この曲の編成ではトランペットは6本で、舞台裏にさらに4本必要となるが、最後は舞台裏の4本までがオン・ステージとなった。各楽器を細かくは数えていないが、ホルンも最後は11本(マーラーの指定では10本)。コントラバスも11本……
 逆にいえばオルガンの音がほとんど聴こえてこなかった。まあ、CDを聴いてもオルガンの音が飛び出してくるものは聴いたことはないけど。
 合唱はもう少し重厚感が欲しかったかな……

 それから、昨年私は、開演のチャイムが鳴る前からオーケストラ・メンバーのほとんどがステージに出てきており、各人思い思いに最後の「おさらい」をして会場内は騒音の渦になってしまっていることに苦言を呈した。
 今年はそれがなかった。
 ごく普通の、あたりまえの登場のしかただった。
 本番の演奏前に、これから音楽を聴こうとする耳に騒音を浴びせられるのは勘弁。そこが改善されたのは感謝したい。

 一方で私の2人隣りの席にいた初老の女性。
 演奏中に何度も飴を食べてカサカサと袋の音をたてるな!
 最低限のマナーは守っていただきたい。

 ところで「尿だれ」の話。
 昨日そう書いたのは、今から15年前の1994年の悪夢があったからだ。
 いや、悪夢と言っても演奏中に私が尿だれ、尿漏れ、あらあら粗相、をしてしまったわけではない。本当の夢の話だ。
 1994年9月7日。札響は初めてマーラーの第2番「復活」を定期演奏会で取り上げた。第361回定期である(そのときの指揮は、いまは亡きデヴィット・シャローン)。
 それをあまりにも期待していた私は、その日の未明に夢を見たのだ。
b6d3065d.jpg  会場(北海道厚生年金会館)の自分の席で開演のブザーを聞いたとたんに恐ろしく強い尿意を感じ、もうだめだと思ってトイレに走る。ところがなかなか出ない。
 やっと出て会場に戻ろうとしたら、係員に「演奏中ですから入れません」と言われる。「えっ、まさかもう始まってる[E:sign02]チューニングは?」と不思議に思いながら、「じゃあ、第1楽章が終わったら入ります」と言うと、「もう、まもなく演奏は終わります」と言う。するとかすかに、この曲の本当の最後のフレーズが漏れ聞こえてくる。そう、私が行ったのは竜宮城のトイレだったのだ。そのせいで、演奏を聴くことができなかったのだ。
 ということ。
 こういう夢をみると、気づいたらおねしょしてた、ってオチが多いんだけど。もちろんしていませんから!

 昨夜の演奏会の話に戻るが、会場で手渡されたパンフ(地の色は黄色)に黄色の目隠しテープが貼られて文字が消されていた。でも透けて見える。消されているのは「公演協賛:(株)あらた」という文字。
 「おっ?ドタキャンで協賛辞退か?」と思ったが、調べてみると、この会社の協賛公演は18日のPMFO演奏会。
 間違えられて、いろいろ憶測されてお気の毒に……

 補足)マーラーの交響曲第2番については、過去にも何度か触れている。例えば08年7月19日なんかで。


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