気持良く晴れ渡った十一月の午後、第三機動隊が九号館に突入した時にはヴィヴァルディの「調和の幻想」がフル・ボリュームで流れていたということだが、真偽のほどはわからない。六九年をめぐる心暖まる伝説のひとつだ。
僕があぶなっかしく積み上げられたバリケードがわりの長椅子をくぐった時には、ハイドンのト短調のピアノ・ソナタがかすかに聞こえていた。山茶花の咲いた山の手の坂道を上り、ガール・フレンドの家を訪ねる時のあの懐かしい雰囲気そのままだった。
[E:book]
村上春樹の第2作の小説となる「1973年のピンボール」(講談社文庫)の7ページである。
「風の歌を聴け」では、Beethovenをベートーベンと書いていたが、こちらではVivaldiをビバルディではなくヴィヴァルディと書いている。
ヴィヴァルディ(Antonio Vivaldi 1678-1741)の合奏協奏曲集「調和の幻想(=調和の霊感。Concerti "L'estro armonico")」Op.3は、1712年に出版された12曲からなる作品である。トスカナ大公だったフェルディナント3世に献呈されている。
各曲は3楽章のものもあれば4楽章から成るものもある。
第2曲、第3曲、第9曲、第12曲はチェンバロ用に、第6曲、第11曲はオルガン用に、第10曲は4台のチェンバロと弦楽、通奏低音用に、J.Sバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)が編曲している。
一方、ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809)のピアノ・ソナタであるが、ハイドンは番号付きのもので第52番まで、番号なしのもので4曲を作曲している(疑作も含む)。これらのソナタのうち、初期の作品はパルティータ、もしくはディヴェルティメントが本来の名称である。
小説に書かれているト短調というソナタは1曲しかなく、第44番(旧32番)Op.54-1である(1771頃~83?)。
ヴィヴァルディにしろハイドンにしろ、学生運動での占拠や闘争とはまったく別な世界にある音楽のような感じがする。とても健康的だ。思想的ではない。
だからこそ、この学生たちと世間とのギャップをこれらの作品で提示したのだと思われる。
こういう場面でマーラーの交響曲なんかが流れていたとしたら、あまりにはまりすぎ、って感じだから……
正直なところ、私はヴィヴァルディの作品をほとんど聴くことがない。
だから「調和の霊感」についても、どの演奏が良い悪いと言える立場にはない。「調和の霊感」に限らず、実のところどの音楽作品の演奏に対してだって偉そうなことを言える立場にないんだけど、サクラ、それを言っちゃあおしまいよ、である。
November 2009
「それからベートーベンのピアノ・コンチェルトの3番。」
彼女は黙って、今度は2枚のLPを持って戻ってきた。
「グレン・グールドとバックハウス、どちらがいいの?」
「グレン・グールド。」
彼女は1枚をカウンターに置き、1枚をもとに戻した。
[E:book]
村上春樹のデビュー作「風の歌を聴け」のなかの一節である。
主人公の“僕”がレコード・ショップに立ち寄る。
そのレコード・ショップの店員は、偶然にも1週間前に知り合った(というほどでもないのだが)女の子だった。
それにしてもぞんざいな言葉遣いだ。この部分だけではよくわからないのだが、前後を読むと、たいした親しくもないのにどっちも遠慮というものを知らないような話し方だ。たぶん、退廃的な時代背景を反映しているのだろう(この小説は1970年8月の出来事として書かれている)。
このLPはその後、“僕”の友人の“鼠”に、誕生日にプレゼントとして渡された。
「そうか、寂しいね、あんたがいなくなると。」鼠はそう言って包みを開け、レコードを取り出してしばらくそれを眺めた。
「ベートーベン、ピアノ協奏曲第3番、グレン・グールド、レナード・バーンステイン。ム……聴いたことないね。あんたは?」
「ないよ。」
「とにかくありがとう。はっきり言って、とても嬉しいよ。」
この小説では、「 」内に句読点が打たれている。つまり、《「そうか、寂しいね、あんたがいなくなると。」鼠はそう言って包みを開け、レコードを取り出してしばらくそれを眺めた。》、といったように。
しかし、村上春樹ののちの小説では、《「どうかしら」と彼女は言う。》という書き方になる。
う~ん、個人的には「 」のなかで“。”を打つのは嫌いである。
デビュー作で、村上春樹自身、書き方の試行錯誤中だったのだろうか?
もう1つ。
ここでは、“ベートーベン”と表記されている。
しかし、「海辺のカフカ」では、《「うん、ずっとベートーヴェンの伝記を読んでいたんだ」と星野さんは言った》、というように、“ベートーヴェン”と書かれている。
「風の歌を聴け」で、なぜ“ベートーベン”と書いたのか、とても不思議ではある(ただし、新聞などでは、Vの音をヴで表記していないようだ)。
さて、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ協奏曲第3番ハ短調Op.37(1800-03)であるが、まあそこそこ有名な曲ではあるが、「目についた小さなレコード店」に、しかも2種類のLPが置かれているというのは不自然な感じがする。そこまでメジャーな曲ではないはずだ。
ベートーヴェンはピアノ協奏曲を5曲書いているが、第1番と第2番に対し、この第3番はベートーヴェンの個性、ベートーヴェンらしさというものがはっきりと現れた作品である。
作曲が着 手された1800年というのは、ベートーヴェンの創作期の第1期の最後にあたるとされている年であり、この第3番のコンチェルトには第2期の作風が現われ始めているのである。
村上春樹がこの曲のレコードを“僕”に選ばせたのは、“僕”の新たな転機を暗示しているのかもしれない。でもそれは、私の大いなる考えすぎのような気もする。
私が持っているCDは杉谷昭子のピアノ、オスカンプ指揮ベルリン・シンフォニーカーによる演奏の廉価盤(ブリリアント・クラシックス)。
杉谷昭子は1943年和歌山生まれのピアニストである。
で、このCDの演奏だが、全体的にコンパクト。もしかするとこれがベートーヴェン時代の演奏スタイルに近いのかもしれないが、私には物足りない。
グールド+バーンスタインの録音については、私は聴いたことがない。
「ノルウェイの森」ではバックハウスを取り上げていた村上春樹。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番の場合には、グールドの演奏の方が好きなようだ。
ところで、昨日(11月28日)の北海道新聞朝刊に気になる記事が。
道(北海道のことです)が、2010年度の札響に対する補助金を前年度に対し20%削減する意向を示しているというのだ。札響は「このまま決まると、来年度の事業を組み替えなければならない」と危機感を強めていると書かれているが、そりゃそうだわな。
2009年度の道の補助金は9,720万円。
20%削減となると約2,000万円カットということになる。
札響事務局は「過去の財政危機のような事態を招きかねない」として、道に再考を求める考えだ、とあるが、考えてないですぐに再考を求めなさいな。
こういっちゃ悪いけど、札響の事務局の人たちって、なんとなくのんびりしている。のんびりしている場合じゃないんだよ。
来年はマーラー・イヤー。
マーラーを演るには、お金もかかる。
がんばってね、事務局さん!
エリザベートのことを覚えているだろうか?
あの、ウ〇コネタにまみれた人物である。
そのエリザベートの顔はウサギイヌみたいな感じである。ウナギイヌじゃないのでくれぐれも間違えないように。イヌに似たウサギの顔、もしくはウサギに似たイヌの顔なのである。悪意をもってそう書いているのではない。なかなか整った顔立ちなのだ。読者の方々もそういう顔を想像してみてほしい。たぶん、想像不可だろうけど……
そのエリザベートが私にクレームをつけてきた。
文章が長すぎるというのである。
携帯で読むにはしんどいらしい。
老眼という避けがたいハンディもあるのだろう。
だから、とりあえず今日はいつもより短くするよう試行してみる。
で、またまた楽しいスパム・メールの話題。
今回携帯に届いたのは“わいわ〇ワールド”というところから。
もちろん、私にはまったく心当たりがないサイト。
でも、なぜか“会員特典”なんだそう。
メールをくれた女性の名はさくらさん。
サクラと引っかけているよな、きっと。だとしたら、なかなかユーモアがある。
メールの内容は、
わいわ〇ワールド会員特典
送信・閲覧完全0pt中♪
☆終了時間未定だよぉ☆
【写真付】
【26歳】
【プレミア】宮原さくら≪無料≫様より
『【無料time】突然のメールでごめんなさい…手付金で500万をお渡ししますので私のお願いを聞いてもらえませんか…?冗談でもありませんし…変に気を張らないで聞いて欲しいんです!自分の育ての親以外知らない事ですが…私は孤児院育ちです…』
で、このあとに続きを閲覧するためのURLが掲載されている。
そっかぁ、さくらさんは孤児院育ちなのかぁ。きっと苦労したんだろうなぁ。
孤児院といえば、私には“ちびっこハウス”の印象が極めて強い。
そう、タイガーマスクが育った孤児院である。
でも、さくらさんはすっごく努力したんだろう。
だって、見ず知らずの男に、快楽を与えてもらう代償として500万円を、しかもそれはほんの手付金でポンッと払えるくらいにまで人生に成功したんだから。
で、無視していたら、また、さくらさんからメールが来た。
【写真付】
【26歳】
【プレミア】宮原さくら≪無料≫様より
『【無料time】さくらです。連絡が来ないのですが…孤児院育ちの私では、信用なんてできませんよね…?仕事もある…生活に不自由をしていない…私の悩みは贅沢な物だと思いましたか…?でも、こんな私でも辛い気持ちになるんです…前向きに聞いて欲しいので手付金500万を』
というわけで、このあとに続きを閲覧するためのURLが掲載されている。
違うんだよ、さくら!
君の過去なんて、君が孤児院育ちだったことなんて、全然関係ないんだよ。
そんなもの、2人の愛の障害になるわけがないじゃないか!
僕が返信しなかったのはね、致命的にうさん臭いからなんだよ、さくら!
500万円あるなら、孤児院に寄附しなさい、さくら!
ところで、プッチーニ(Giacomo Puccini 1858-1924)の有名なオペラ「蝶々夫人(Madama Butterfly)」(1900-03)。
このオペラは長崎に入港したアメリカの軍艦の士官であるピンカートンと蝶々さんが結婚するが、蝶々さんは捨てられ死を選ぶという物語である(蝶々さんとミヤコ蝶々とは関係ない)。
そのオペラの中に「桜の枝をゆすり、花びらを敷き(Scuoti quella fronda di ciliegio)」という二重唱の曲がある。
だから何だと言われれば、何でもないとしか答えようがないが、さくらさんにちなんで書いてみた。
500万円欲しいなぁ。
どうだね、いつもより短いけど、これでよかったかね?
あ~ァ、永作博美も母親になっちゃうのか……
熱心なファンどころか、ただ何となく永作博美ってかわいいなと思っている一庶民の私には、嘆く権利なんてないんだけど……
アイゼンシュタイン氏よ、このことについてどう思う?
ところでアイゼンシュタイン氏について、巷の一部では疑念が生じている。
シューマン(Robert Schumann 1810-56)は、架空の団体“ダヴィッド同盟”を設立して架空座談会による音楽評論を行なったが、その座談会のメンバーにフロレスタンとオイゼビウスという人物がいた。この架空の人物2人はシューマンに成り代わって意見を述べたわけだが(簡単に言ってしまえば、彼らはシューマンのペンネームってことだ)、アイゼンシュタイン氏も実はMUUSANの実体なき分身ではないか、という疑念である。
はっきり言おう。
冗談じゃない。
そのせいで、昨日の夜中、就寝中の私は、なぜか左足ふくらはぎが吊ってしまった。
寝ている間にこむら返りが頻繁に起こるようなら、糖尿病を疑う必要があるらしい。
でも、昨日の私のはアイゼンシュタイン氏の悪夢のせいだと思う。
アイゼンシュタイン氏は実在するのである。
確かに浮遊霊っぽい雰囲気はあるが、実在する。氏が世の中に対して有益な存在か無益な存在か私には判断がつかないが、それでも残念ながら実在する。
それにもし私の分身、代弁者として作り上げるなら、私はもっとかっこよくて惚れ惚れするようなキャラ設定にする。
もう一度言おう。
アイゼンシュタイン氏は私の心に潜む、もう1人の私ではない。間違いなく札幌の街に生息している。
でも、氏はナガサクヒロミのことは知らない。
さて、先日のブログ記事で取り上げたが、アイゼンシュタイ氏の上司であるベリンスキー候(侯爵に昇格させてみた)はクラシック音楽、特にショスタコーヴィチを好み、そのうえバラを栽培しているという。
おそらくバラが好きなのだろう。多くの場合、バラが嫌いならば育てはしないと思われるからだ。
ベリンスキー候は75株ものバラを育てているというが、残念ながら私にはネコの額ほどの広さの庭しかないため、30株程度で我慢している(本当にネコの額程度なら1株も植えられないが……)。
ベリンスキー候は広い領地を持っているのだろう。もしかすると園丁(庭師)を雇っているのかも知れないし、もしかするとベリンスキー候は実は園丁で、雇われ先の庭にバラが75株あるというオチかもしれない。
のうど・かいほう……
ところで、イエスが園丁(えんてい)の格好をした絵を目にしたことがおありだろうか?
なぜイエスが園丁に?
これは、イエスが昇天する前、鋤や鍬を持った庭師の姿でマグダラのマリアの前に現れたという言い伝えがあるからである。かつてエデンの園の園丁だったアダムが、イエス・キリストとして再生してこの世の楽園を再び作るというわけだ。
どう思う、アイゼンシュタイン?
スキヤカマだよ、アイゼンシュタイン!
さて、ここまできたら、キリスト教と薔薇(何となく以下漢字表記)の関係について。
数年前に随分と売れた小説「ダ・ヴィンチ・コード」。
このなかにも薔薇とキリスト教に関するウンチクが語られている。クを書き落とさなくて何より……
例えば、
・「roseはギリシャ神話の性愛の神Erosのアナグラムでもある」(アナコンダでなくてよかった)
・「バラは秘密の花(ラ・フレール・デ・スクレ)である」(何だかデザートの名前みたい)
・「ロサ・ルゴサは花びらが5枚で五角形の対称性を備えており、導きの星である。金星と同じく図像学的に“女性”との結びつきがある」(キンボシと読まないように。ごっつぁんです)
・「羅針盤はコンパス・ローズ」「子午線はローズ・ライン」 という。
なんて記述である。
へぇ~、そうですか……(全然関係ないが、こういう文を読んでいると、ふと村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の上巻にある、《ペニスとヴァギナは、これはあわせて一組なの。ロールパンとソーセージみたいにね》(170p)という言葉を思い出す)。
ところで、クラシック音楽はキリスト教と深く関わりながら発展してきたわけだが、キリスト教のシンボルである薔薇を直接作品名に使った作品は、私の知る限りではそれほど多くあるわけではない。
カンタータ「われ、つめに刺さったバラのトゲの痛みに耐えぬ」とか、モテット「ローズ・ヒップはバラの尻の意にあらず」とか、シャンソン「薔薇の枝に打たれ、汝、涙目になれ」なんて作品はない。
近年になってからは、R.シュトラウス(Richard Strauss 1864-1949)のオペラに「ばらの騎士(Der Rosenkavalier)」Op.59(1911初演)がある。
また、ハチャトゥリアン(Aram Ilych Khachaturian 1903-78)のバレエ「ガイーヌ(Gayne,Gayaneh)」(1942初演)には「バラの娘たちの踊り」という有名な楽曲がある。ばらの娘たちって何なんだ?トゲ女か?
私は耳にしたことがないが、フランスのモンシニ(Pierre-Alexandre Monsigny 1729-1817)という人は「ばらと馬鹿者(Rose et colas)」(1764初演)という、私を讃えるかのようなオペラ作品を書いているようだし、サティ(Erik Satie 1866-1925)にも「ばら十字教団の鐘の音(Sonneries de la Rose +Croix)」という作品がある(サティは神秘主義的秘密結社である“ばら十字教団”に接近していたという)。
今日のところはハチャトゥリアンの「ばらの娘たちの踊り」を。
前にバレエ「ガイーヌ」そのものについて書いたが、「ばらの娘たちの踊り」は「剣の舞」とともに、単独で演奏されることがある。
CDは前にも紹介した、チェクナヴォリアン指揮による全曲盤(原典版)を。
ロシアのバラって、野生のバラなんだろうか?
だって、ロシア(ソヴィエト)で作出されたバラの品種って聞いたことがない。
「バラの娘たち」のバラはハマナスなんかだったりするかもしれない。
さあさっ、ジャム作り、ジャム作り……
それにしても、roseとErosねぇ……。
確かにそうだけど……。あぁ、KyotoとTokyo 。
そう言えば、昔、次の二人の名前を一文字ずつ交差して読んでも同じになると聞いてひどく驚き、皇室の奥深さに畏敬の念すら抱いたが、二人とも6文字で2,4,6文字目が共通だからそうなるだけ。あんなに驚く必要はなかったか……
カ ワ シ マ キ コ
× × × × ×
オ ワ ダ マ サ コ
そういえば星飛雄馬の恋人(?)ミナコさんは、薔薇のトゲが爪の奥に刺さり込み、それが原因で死んだ(と記憶している)。
薔薇を栽培する場合も、十分に気をつけなければ……
バッハ・ファミリーの話。
このシリーズ、ブチッ、ブチッと話が連続しないのは私の気まぐれのせい(一応、シリーズのつもり)。
昔、全30巻の百科事典なんかでも、第1回配本は第6巻なんてことがあったではないか!だから細かいことは言わんといて欲しい。
大バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の次男C.P.E.バッハ(Carl Philipp Emanuel Bach 1714-88)。その次男坊の「6つのシンフォニア集」Wq.182の記事のときに書いたが、1700年ごろからオペラの序曲(イタリア式序曲)の人気が高まり、そのなかでも特に優れた序曲は、それ単独で演奏会で演奏されるようになっていった。
コトはそれで収まらない。さらにはイタリア式序曲の形式(急-緩-急の3部分による構成)による独立した管弦楽曲としての“シンフォニア”が作られるようになったのであった。
オペラの序曲から独立曲へ転用されたシンフォニアの有名な例として(といっても、誰もが知ってるってほど有名じゃないが)、J.S.バッハの末っ子(母親はアンナ・マグダレーナ)であるヨハン・クリスティアン・バッハ(Johann Christian Bach 1735-82)の「シンフォニア変ロ長調」Op.18-2がある(“シンフォニア”ではなく“交響曲”と表記する場合も多いが、個人的にはまだこの時代のシンフォニアを交響曲と呼ぶことに抵抗がある)。
Op.18-2のシンフォニアはオペラ「ルチオ・シルラ(Lucio Silla)」(1774年初演)の序曲をそのまま転用、独立させたものである。
オペラから独立したシンフォニアは音楽作品としてしっかりと自立していかなければならない。そこでソナタ形式の確立へ向けて発展していく。音楽はホモフォニックなものとなり、通奏低音は切り捨てられる方向へ進んだ。心地よいチェンバロのブンチャカブンチャカはお呼びでなくなっていった……
こうして交響曲が誕生していったのだが、そう、ご存知のとおり、音楽の教科書では、交響曲のパパはハイドンとされているわけである。パパァ~ン(←ファンファーレじゃなく、パパに甘える悪女の猫なで声のつもり)。
シンフォニア→交響曲という流れのほか、イタリア式序曲は室内楽曲などにも影響を与えた。
3部分から成るイタリア式序曲の構成は、トリオ・ソナタやクラヴィーア・ソナタなどの作品に導入された。すなわち、急-緩-急という3楽章構成である。3つの部分に切れ目がなく続けて演奏されていたイタリア式序曲は、独立した3つの楽章をもつ作品へと変わっていったのだった。
バッハの息子たちはこの過渡期にいたわけだが、彼らはバロックから古典派への橋渡しをした重要なメンバーである(バッハの息子たちの様式はスチール・ギャランと呼ばれる)。
C.P.E.バッハの書いたシンフォニアは冒険的ではあるものの、父親のような厳格さの片鱗とやや暗い雰囲気を備えている。しかし、J.C.バッハのシンフォニアにいたっては、ほとんどモーツァルト的であり、耳に心地よすぎるようにに流れていく。
ここには父J.S.バッハの強固な建造物のような印象はないし、兄のC.P.E.バッハとの音楽よりも流暢である。
C.P.E.バッハとJ.C.バッハは兄弟とはいえ、異母兄弟である。母親の違いも作風の違いに反映されているのかもしれない。
なお、ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809)はJ.C.バッハよりも3歳年長である。3歳の差はあってないようなものではあるが、あとに生まれたJ.C.バッハが過渡期の音楽のままで終わり、先に生まれていたハイドンの方が交響曲をほぼ完成させたことになる。
J.C.バッハが“交響曲の父”になれなかったのは、ハイドンと異なり、人を楽しませる音楽を書くことに偏りすぎたせいかもしれない。あと、ハイドンが長生きしたおかげと……
モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91)はJ.C.バッハを生涯にわたり敬愛したというが、私がクラシック音楽を聴くきっかけになったのは、モーツァルトの作品によってであった。
何度か書いているが、その曲は偶然FMラジオで耳にしたモーツァルトの「3つのピアノ(クラヴィーア)協奏曲」K.107(1765)の第1番の第1楽章であった(そのときの演奏は独奏がチェンバロで、初めて聴くチェンバロの響きが実に新鮮であった)。
ただ、この曲はJ.C.バッハの「6つのピアノ・ソナタ(6 Sonate per fortepiano)」Op.5(1768刊)を、少年モーツァルトが協奏曲に編曲したものである。
ということは、私にクラシック音楽の魅力を教えてくれたのは、実のところJ.C.バッハと言うことになるかもしれない。
J.C.バッハに小声で言ってみよう。……す、すてき…です……ね……
J.C.バッハは全部で40曲のシンフォニアを書いたという。
そのうち私が聴いたことがあるのは半分にもならないが、そのなかで特に気に入っているのは、「シンフォニア 二長調」Op.6-3(1770刊)と「シンフォニア変ホ長調」Op.9-2(1773刊)である(先に書いたOp.18-2はあまりグッとこない)。ほっとする音楽って感じである。
なお、Op.9-2はオペラ「ツァナイダ(Zanaida)」(1763初演)の序曲である。
私が聴いているCDはナクソスの全集盤(分売)。
ハンスペーター・グミュールの指揮によるカメラータ・ブダペストによる演奏。録音は1994年。モダン演奏。
考えてみれば私はJ.C.バッハのシンフォニアをピリオド演奏で聴いたことがない。どんなふうになるのだろう。隠れていた過激な顔が現われたりするのだろうか?
そうそう、ちなみにモーツァルトが第1番の交響曲を書いたのは1764(もしくは'65年)のことである(変ホ長調K.16)。
それから100余年で、交響曲はマーラーによってとてつもないものへと成長した。
そしてさらに100年経った今では、“クラシック音楽”はいろんな方向に分派したのはご承知のとおりである。
私は中華料理が好きである。
そんな私が「絶対美味い!」と思う店が、すすきのにある。
できれば教えたくなかった。
だって、これを読んだ人々によって店が混み始め、行っても入れないとか、食べていても混んでいて落ち着かないとか、店の人が図にのって値段を上げるとか、そういう現象が起きたら嫌だからだ。
えっ。
「そんなにこのブログの読者はいないだろ」って?
ファイナル・アンサー?
正解!
その店の名は「楽〇」(らくまる)。
まったく中華料理店的ではない名だ。
この店は、かつて札幌駅前のESTAの10階の四川飯店にいた2人が店長と料理長を務めている。
ESTA10階の四川飯店は、一時期悲惨なほど味が落ちたが、この2人はそれ以前の、いわば絶頂期にいたコンビ、カップル、アベック。←男のダブルスです。
誤解を招くといけないので補足するが、現在はESTAの四川飯店も味が戻り、ひじょうに美味しい。
私は札幌で四川料理を食べるなら、ESTAの四川飯店か楽〇(ただし楽〇は夜のみの営業)に限ると思っている。
で、とっても美味しい楽〇なのだが、値段を聞いてびっくり。ジャパネットの社長も頭のてっぺんから奇声を発しそうだ。
40品のなかから5品チョイスし、それに飲み放題2時間分がついて、1人3,000円なのである。
もし。6品だったら3,300円、7品だったら3,600円である。
ヒルマンなら「シンジラレナァイ」と言うだろう。
なぜ、教えたくない店をこのように情報開示したかというと、最近は不景気のせいか暇で、店長が「このままなら死んでしまう」と、「浮世(この世)の生活」の少年のようなことを叫んでいたからだ(「浮世の生活」はマーラーの「子供の不思議な角笛」の1曲)。
どうみても死にそうには見えないが、私が意地悪して、というよりも協力しないで、この店が閉店に追い込まれてしまっては困る。
だから、みなさんにお教えしたってわけだ。
でも、5品で飲み放題でモトがとれるのかね……?
私は5品コースでボリューム的には満足。
ビールもたらふく飲んでしまう。
あっ、私のようにビールをガンガン飲む人がいるから経営を圧迫するのだろうか?
もちろん、通常メニューも充実している。
楽〇 札幌市中央区南5条西2丁目 第7グリーンビル(入口は仲小路側)
電話 676-9080
本日は11月24日。
勤労者だというのに、私は昨日誰にも感謝されず、今日を迎えてしまった。
あと1カ月でクリスマス・イヴなのよぉぉぉぉ~。
だからといって、クリスマス・イヴの夜に私にとってワクワクするようなことがあるわけじゃない。
どうせ見ず知らずの女の名前で、お金を上げますから私に歓喜の声をあげさせて、などといった迷惑メールが届く程度だろう。
だいたい、その夜、私は教会に行かなくてはならないのだ。ウソだけど。
私はJ.S.バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の「クリスマス・オラトリオ(Weihnachts-Oratorium,英:Cristmas oratorio)」BWV.248(1734)が、さらにそのなかでも第1曲「歓喜の声をあげ、いざ、この日を讃えよ(Jauchzet,frohlocket,auf,preiset die Tage)」が大好きである。
クリスマス・オラトリオについては、リリング盤(写真上)を聴いていると以前書いたが、ほんとうに私はリリング盤しか耳にしてこなかった。で、その演奏に満足していた。
でも、急に他の演奏も聴いてみたくなり、先々週から先週にかけて3種類のCDを購入した。
まったくやることが極端だね、ワタシは。
その3種というのは、
・鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパン盤(BIS。1998年録音。あの米良氏も参加)
・アーノンクール/コンツェントゥス・ムジクム・ウィーン盤(ドイツ・ハルモニア・ムンディ。2006年録音)
・Guttler/Virtuosi Saxoniae盤(ベルリン・クラシックス。1995年録音)
私はリリングの指揮する、スカッとしたモダン演奏に満足していたが、今回ピリオド演奏のものを聴いてみると、「ピリオドもモダンもいいなぁ」と、どの演奏にも魅力を感じる。まるで浮気性の女のようだ。
ただ、Guttler(この指揮者については、私は何の情報も持っていない)の演奏は、モダンのようにも聴こえる。なんていい加減な私。
モーツァルトやハイドンなら、こうはいかないだろう。
やはりモーツァルトやハイドンの演奏では、私はピリオドが好きだ。モダン演奏だと、多くの場合退屈してしまう。
でも、バッハはちょっと違う。
おそらく、バッハの音楽はジャズにアレンジしても活き活きと響き渡るという、その秘密がここにあるような気がする。
バッハの作品は、あまり演奏スタイルで悪影響を及ぼされないのではないか。そう勝手に思い始めている(もちろん、聴きたくないような演奏はあるけど)。
モダン演奏ということでは、ヘンデル(Georg Friedrich Handel 1685-1759)の「水上の音楽(Water music)」(a.1715-aft.1717)なんかも、モダン演奏でのびやかにスカッ、とやられると、これまた快感である。
まあ、とにかく「クリスマス・オラトリオ」の随所にすばらしい音楽がある。
でも、私はダントツで第1曲が好きなのである。
私はタワーレコードの店頭で3組のCDを買ったのだが、オンライン・ショップではこのなかのアーノンクール盤しか出ていなかった。
他のは在庫処分だったのだろう。
3連休後の今朝。私の体は予想通りだるい。間違いなく精神的な萎えからきているのだろうが……
3連休の最終日である。
私の場合は、平日勤務のサラリーマンなので、月曜日から水曜日、あるいは火曜日から木曜日、もしくは水曜日から金曜日というような場合の3日間は絶望的に長く感じる。それなのに、このような連休の3日間は、ペルセウス流星群の、1つのはかなき流れ星のように一瞬にして過ぎ去ってしまうのは、どうも納得できない。
でも、世の中、納得できなくても受け入れざるを得ないこともあるのだ。
あ~あ、しょうがないなぁ。
この3日間、私が行なったこと。
土曜日:ファイターズのファン・フェスティバルに行ったので、それで1日を費やした。
日曜日:午前中は床屋へ。午後は庭の薔薇や木の冬囲いの仕上げ。物置の片づけ。雪かきを準備。ママさんダンプのスタンバイ。車のタイヤ交換は2週間前に終えていたが、ワイパーを冬用に替える(すぐ終わることだが)。そのあと喪中はがきのあて名書きをする。
今日:天気も悪いし、明日以降に備え、休息中。
である。
これをロシア民謡の「一週間」の替え唄にすれば、「リーダーよ、これがワタシの、3連休の仕事ですぅ。テュラテュラ……」ってことになる。
リーダーというのは、私に指示命令を出す“統率者(=妻)”のことではなく、みなさん、つまり読者のことである。
冬囲いを終えた庭は写真のようになった。
ネットの色を青か緑かに統一すりゃいいものを、行き当たりばったりで買い足していくからこんなふうになる。私がブルーとグリーンのカラー・コーディネートを考慮してこのようにしたわけではないのだ。
なんだか、巨大なミノムシの墓地のようだ。
そういえば、ショスタコーヴィチ(Dmitri Shostakovich 1906-75)は、「ショスタコーヴィチの証言」(ヴォルコフ著)のなかで、「私の交響曲は墓碑である」と書いてある。
墓碑はともかく、読者の方はご存知の通り(ご存知でなければ、この場を借りてご存知になるとよいだろう)、父が5月に亡くなった。
それで喪中はがきのあて名書きをしたのだが、なんせ冬囲い作業のあとである。うまく字が書けない。ロープでネットを結びつける作業をしていたので手に力が入らないのだ。
ただでさえ上手くない字が、まるで泥酔状態の小学生が左手で書いたような字になってしまった。読者の中で、私からの喪中はがきを受け取った方、そういう事情だから勘弁してほしい。
床屋に行ったと書いたが、大阪に勤務していた時、課の女の子は私が床屋に行った翌日は「散髪に行きはったんですか?」と言っていた。あちらでは床屋と言わないのだろうか?それとも、単に彼女の語彙不足であろうか?
で、話はショスタコーヴィチへと移る。
先週末の金曜日、つまり3連休の前日の夜、私はある会合でアイゼンシュタイン氏の上司に会った。上司と言っても、その会社の支社長である。偉い人なのだ。
偉い人なんだけど、とても気さくで紳士的な人だ。これで私に小遣い銭でもくれようものなら、神のように崇めるのだが……
とりあえず、氏の名前をベリンスキーということにしよう。
ベリンスキー氏と雑談をしてみて驚愕の事実が発覚した。
なんと氏はショスタコーヴィチが好きなんだという。
私は驚いた。
ショスタコーヴィチが好きだという人類が、私以外にも少なからず存在することは噂には聞いていた。しかし、そのような人物が生身で自分の前に現れ、会話をするなんて機会はそうそうあるものではない。
「私もショスタコーヴィチが好きなんです。で、どの曲が特に好きなんですか?」
ベリンスキー氏は、「『革命』です」と答えた。
ほほう、いきなり王道で来たか……
その言葉を聞くと、何となくベリンスキー氏は革命家のようにも見える。
私は氏に、自分はショスタコーヴィチのほかにマーラーと伊福部昭が好きなんです、と話したが、まったくごくふつうに流されてしまった。氏のこういう側面は、いかにもショスタコ・ファン的である。根拠はないけど。
そこで、ちょっと話題を変えて振ってみた。
「アイゼンシュタインさんはジャズが好きなんだそうですね」
「えっ?そうなんですか。意外だなあ」
「詳しいようですよ」
「それで、いくつくらい集めているんでしょうね?」
「CDとかLPの枚数ですか?」
「いや、数です。数珠が好きなんでしょ?」
はいはい、上の段落の後半3行はねつ造しました。
ショスタコーヴィチの交響曲第5番「革命」については過去に2度ほど取り上げているので、 今日は彼のピアノ曲、「24の前奏曲とフーガ(24 Preludes and Fugues)」Op.87(1950-51)を。
ショスタコーヴィチは1950年に、ライプツィヒで行なわれたJ.S.バッハの没後200年祭に参加したが、そのときに着想、バッハに対する尊敬の念からこの曲を作曲した。
曲名のとおり、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」にならい、24の調性による曲集に仕上げた。
古い民族歌謡の形式“ブィリーナ(叙事詩)”からムソルグスキーにいたるまでの素材を、ポリフォニックな様式で処理することを試みている。
私が持っているCDはタチアーナ・ニコラエーワのピアノによる演奏。1987年録音。メロディア。ただ、現在は廃盤のよう。
ということで、アイゼンシュタイン氏とその周囲の人物は、今後もなにかと刺激を与えてくれそうだ。
先日、バッハの抜きんでた性的能力の高さについて書いた。
いや、バッハの息子たちについて書いた。もちろん、息子というのは、“男の子供”という意味であり、裏意味はない。
それでちょっと思い出した。ある知り合いの人が、その昔、温泉地に行ったときの話。
温泉に入っていたら、その人、立ちくらみで倒れてしまった。で、周囲にいた人たちが彼を脱衣所に運び、仰向けに寝せたらしいのだが、そのときでも息子は元気に立っていた、という。その噂を聞いて「すっげぇなぁ」と心から感心した人もいたようだが、何のことはない。一緒に行っていた小学生になる彼の息子が、裸のまま横になっている父の横に立っていた、というだけの話である。
いずれにしろ、長湯はするな!
間が開いたが、今日はバッハの息子ではなく、妻にまつわる作品を。
アンナ・マグダレーナ・ヴィルケ(1701-60)は、J.S.バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の2人目の妻である。1721年に結婚した。
ということは、結婚したときアンナは20歳。バッハは36歳。やるねぇ~、バッハ!気難しそうな顔して、だてにカツラをかぶってるわけじゃないんだ。よくわかんないけど……
バッハには、そのアンナ・マグダレーナのための作品集がある。
「アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳(Notenbuchlein fur Anna Magdalena Bach)」である。
実はこの「音楽帳」は第1巻と第2巻がある。
第1巻は1722年に書き始められている。
第1巻には「フランス組曲(Franzosische Suiten)」BWV.812-817(1723頃)の第1曲から第5曲までが含まれている。しかし、不完全な形でしか残っていない。
一方、第2巻は1725年に書かれ、パルティータBWV.827と830のほか、多くの小品が含まれており、コラール編曲や歌曲もある。ただし、他人の作品と推測されるものが多く、歌曲以外はバッハ作品目録番号(つまりBWV番号)では“追加(Anhang)”として扱われる。
この第2巻について、磯山雅著の「J.S.バッハ」(講談社現代新書)には次のように書かれている。
《開いてみると、まずバッハ自身の筆で、パルティータの第3番と第6番の記入がある。それが41ページで終わると、あとは妻の筆写したやさしいクラヴィーア作品となり、やがて、エマーヌエルを初めとする息子たちの筆もまじってくる。息子の稚拙な写しを母と父が移調・低音付けした、ほほえましい合作も存在する。
後半は、歌の曲や理論の学習も書き込まれて、変化に富んでいる。フリーデマンの筆跡があらわれないのは、彼がすでに『ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集』をもらっていたためであると推測される。
この曲集の小品には作曲者不詳のものが少なくないが、最近の研究によって、うち2曲の作曲者が割り出された。その一つ、やさしいピアノの曲集に収められて有名になっているト長調のメヌエット(BWV.Anh.114)は、ドレスデンの宮廷オルガニスト、クリスティアン・ペツォールトの作であるという。またト長調のポロネーズ(BWV.Anh.130)は。同じドレスデンの人気オペラ作曲家、ヨーハン・アードルフ・ハッセの作とみられる。
これらの作品は、おそらく彼らがバッハ家にやってきたときに筆写されたのだろう》
ちなみに、BWV.Anh.122~125と129は、次男のC.P.Eバッハの作曲である。
アンナ・マグダレーナは宮廷歌手であった。
きっとバッハ家ではこの音楽帳でホームコンサートを開き、アンナ・マグダレーナも歌ったのだろう。
それにしても、あの誰もが(ただし乳児を除く)知っている、「メヌエット ト長調」(写真。掲載譜は全音楽譜出版社のもの)がJ.S.バッハの作ではないなんて、なんだか「今さらなんだよぉっ」って気分になる人も、中にはいるだろう(乳幼児は除く)。
この音楽帳からの抜粋盤だが、私はアメリングのソプラノ、レオンハルトのチェンバロなどによる演奏のCDを持っている。
全部で18曲が収められている。1966年の録音。ドイツ・ハルモニア・ムンディ。
昨日は、札幌ドームで行なわれた、日本ハムファイターズのファン・フェスティバルに行ってきた。私は特に、というよりも、ほとんど野球に興味がないが、いろいろな事情から行くことになったのだ(すごく単純で浅い理由であるが)。
でも、思ったより退屈しなかった。
それにしても、ファイターズのファンの方々の思い入れと熱気には感心してしまう。
そうなのだ。
マーラー(Gustav Mahler)が生まれたのが1860年。
つまり、2010年はマーラー生誕150年という年なのだ。
マーラーをこよなく愛する私だが、札幌交響楽団が発表した2010年度の定期演奏会のプログラムを見るまで、そのことにまったく気づかなかった。
まったく、ふだん、いったい何を考えてんだか……私は。
その札響の来年度のプログラムは私にとってワクワクするようなものが多い。
かなり嬉しい。
チケットも手配してないのに(まだ売ってないけど)、相当舞い上がってる。降り始めた雪が。
何と言ってもまずは9月の第531回定期。
曲は生誕150年というマーラー・イヤーにちなんで交響曲第3番。
指揮は尾高忠明。メゾ・ソプラノは手嶋眞佐々子。
平穏な日常生活に支障をきたすほど嬉しい。
もっとも、いつも私の生活は平穏を脅かされているのだが……
他に気になるプログラムはというと……
4月はラドミル・エリシュカの指揮で、ドヴォルザークの序曲「謝肉祭」Op.92(この曲大好き!)と、村上春樹の「1Q84」でちょっと有名になった、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」をやる(他に、メインとしてドヴォルザークの第5交響曲)。
6月のデュリュフレの「レクイエム」Op.9もちょっぴり楽しみ(尾高忠明指揮)。
年が明けて2011年。
1月はエイドリアン・リーパーの指揮でプロコフィエフの交響曲第5番。
なかなか楽しみ。
2月は尾高の指揮でショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第2番(独奏はミクローシュ・ペレーニ)と交響曲第5番が演奏される。札響がやるショスタコの第5番はなかなか良いのだ。
そして3月。
高関健の指揮でマーラーの交響曲第7番。
すっげぇ楽しみ。
あらっ、やだっ、私ったら下品な言葉つかちゃって……
1年間のうちに、なぜまたマーラー?
幸せすぎてなんだか怖い……
実は(実はも何もないが)、2011年は、今度はマーラーの没後100年に当たるのだ。
マーラー・イヤーが2年連続するってわけだ。
3番と7番。どっちもかなり好き。
永作博美か小西真奈美かってくらい。
それにしても、マーラーもいつの間にか100年も前の作曲家になってしまっていたのね……
そうそう。10月の532回定期はコンサート・マスターの1人、大平まゆみがラロのスペイン交響曲のソリストを務める。
個人でもいろいろな活動を精力的に行なっている大平まゆみだが、札響定期で独奏者としてステージに立つのだ。
再来年の話になっちゃうが、2011年は札響の50周年の年でもある。
マーラーの第7番をやる2011年の3月の537回定期以降、いったいどんなプログラムが用意されるのか、それもとても楽しみである。
ところで、ラロ(Edouard Lalo 1823-92)の「スペイン交響曲ニ短調(Symphonie espagnole)」Op.21(1874)。
“交響曲”とあるが実質は協奏曲で、ラロのヴァイオリン協奏曲第2番となるものである。
5つの楽章から成るが、かつては第3楽章「間奏曲」がしばしば省略されることがあった。
現在は5楽章すべてが演奏されることが多い。
私が持っているCDはムターのヴァイオリン、小澤征爾指揮フランス国立管弦楽団の演奏(1984年録音。EMI。写真は旧盤)だが、なんかピンと来ない。
本当に私と小澤征爾氏とは破局してしまったようだ。
そうそう、やや信頼できる筋からの噂によると、来年度の札響東京公演は2010年の11月ではなく、2011年の3月になる可能性があるらしい。とすると、2月定期の武満&ショスタコを持って行く可能性が高い。
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