エリザベートがご立腹である。
自分がブログに登場しないとご立腹である。
「アイゼンさんが出てくるのに、なんで出してくれないっ!?」ということらしい。
そりゃいたしかたない。
最近、エリザベートと接触する機会がないからだ。
そんな怒らないでおくれ。
あんまり腹を立てると、勢いでお漏らししちゃうよ。
その怒りは誰かに向けて、例えばアイゼンシュタイン氏のわら人形を作って、それに五寸釘を打つとかすることで晴らして欲しい。
そんな私は現在、「火車」に続く宮部みゆき作品として、「誰か――Somebody」(文春文庫)を読んでいるところ。
話リターン。
アイゼンシュタイン氏に何の罪もないが、私だってエリザベートを登場させないからといって罪にはならないのだ。そういう意味では、私はいさぎよく身を引いて、罪をアイゼンシュタイン氏に譲ろう。
そしてエリザベートには、この曲を贈ろう。
フェヴリエ(Pierre Fevrier 1696-1762?)の「とても心地よいもの(La Delectable)」。
フェヴリエという人はジャコバン修道女院のオルガニストだったという。
レオンハルトがチェンバロを弾いた「バロック・チェンバロ・リサイタル」というCDに収められている。
タイトルそのものの「とても心地よいもの」が何であるかは知らないが、甘美で色っぽい曲だ。ということは、たぶん五寸釘を打ってすっきりした、という類のものではないだろう。
CDの録音は1988年。フィリップス。
あっ、廃盤……ごめんなさい、エリザベートさん。
廃盤……廃人……
そういえば、って、上の行とは関係ないが、アイゼンシュタイン氏とは10日くらい前に寿司屋に行った。
イカとタコの刺身を頼んでいた。
あっちの仲間の味が好きなようだ。
寿司といえば、大学時代のゼミ・コンパを思い出す。
よく使っていた寿司屋があって(とても安かったのだ)、そこを何度か利用した。
寿司屋といっても、寿司は最後にちょこっと出るだけ。イカとかタコとか(ここまではアイゼン的だ)、シメサバとか。だいたい1人当たり全部で3貫ぐらいしか当たらない数。
でも、私は構わない。そもそも生魚が苦手なので、寿司には執着がないのだ。
とにかくここの宴会はいきなり鍋からスタートするのだ。
いや、初めとか終りとかという概念はなくて、事実上これだけなのだ。
そこで初めて知ったこと。
鍋用のタラの切り身を何気なく見ていたら、おぉ、いるはいるは、たくさんいる。
身の中から顔を出したり、出きったりしている細くて白い線虫のような寄生虫が。
へぇ、こんなに寄生されてるんだ、タラちゃんったら……
多少気味悪かったが、むしろ感心した。
へぇ、こんなの気づかずに食べてたのかぁ、って。
こりゃ生で食ったらえらいこっちゃ。
みなさんもぜひ一度ご観察あれ!
たとえ鍋に入れて火が通ったとしても、そんなの耐えられないって言う人は、観察しない方がいい。
私は現在も、念のため“タラの昆布〆め”は敬遠気味にしておりますし。
それにしても、宿主であるタラが死んじゃってからだいぶ時間が経っているんだろうけど、すごいね、死体の中でウネウネと活動している生命力。
村上春樹の「蟹」を、あるいは「野球場」を読んだとき、私はこのときのことを思い出した。
寿司屋といえば、やはり大学時代のことで、別な寿司屋での話。
このときはゼミの仲間3人と行った。
そのうちの1人がふだんそこでアルバイトをしていて、休みだったので「安くしてくれるかも」と期待して行ってみたのだった。
板さんは「サービスするよ!」、なんて雰囲気をまったく出してくれなかったので(バイトしていた奴は、よっぽどふだんの働きが悪かったのだろう)、高くついたらまずいと思って食べ物はお通しだけで、ひたすら日本酒を飲んだ。
あまりにも酔ってしまって家に帰れず、その日は学校に戻ってゼミの研究室に泊まった。
研究室といっても実験室である。羽毛布団も柔らかい枕もない。私は床の上で寝袋に入って寝た。
何だか知らないが、やかましいおやじの声がする。うるせぇなぁ!と思って目を開けると、そこにはハゲチャビンの教授がいるではないか!
もう、朝になっていたのだ。
ただでさえソートウ具合が悪いのに、その興味深い視線に、私は絶命寸前のような状態になってしまった。
この教授、何を騒いでいたかというと、私が実験用のエチルアルコールを盗んで飲んだと疑っていたようだ。
思いっきり顔に息を吹きかけてやったら、日本酒の臭いがしたらしく誤解は解けたが(息をかぐなよな)、今度はうって変わって優しくなった。
「こりゃ大変だ。私が愛用している太田胃散をあげよう。これは効くんだ」
それまでの人生経験の中でも、胃薬には比較的縁が深かった私だが、太田胃散は試したことがなかった。
缶をあける。
いやな芳香だ。
プラスティックの中ぶたを開ける。
飲みにくそうな粉末だ。小さなプラスティックのスプーン(というよりは匙と言った方がふさわしい)が入っている。教授はそれに山盛りすくって飲め、という。そして白内障の眼でじっと私を見つめている。もう、飲むしかない。
でもなぁ、この匙、いつもこのおやじが使ってるんだよな。確かに口の粘膜や舌には触れてはいないだろうけど、何だか嫌だなぁ。
私は観念して飲んだ。鼻腔に広がる漢方の香り。
上あごにへばりつく微粒粉末!
直後、私は思いっきり吐いた。昨夜から未消化のまま胃に滞留していた日本酒(の酸性化した液体)とともに太田胃酸を思いっきり吐いた。
幸い、床を汚すことはなかっし、ハゲチャビンに吹きかけることもなかったが、実験器具を洗う流し台の中に吐いた。
まいった。
ゲロまみれのビーカー群なんて、人生の中でそうそう目にできるものではない。
洗ってもらえるを待っていたのに、もっと仕打ちをされたのだ。
私としても遺憾に思う。
「何やってんの?」と教授は疑問を呈した。すごっく素朴な言い方で。
彼の頭の中では理論付けられない現象が発生したからだ。
うるさいわい。見ればわかるだろ!流しを掃除しているように見えるか!?お前のせいで吐いたんだ。
私は自分の汚物で詰まった流し台を掃除しなければならないはめになった。また、吐きそうになった(実際、もう一回吐いた)。
私が太田胃散を飲んだのはその一度だけ。 今なら、どんなに胃の調子がよくても、あれを飲めば吐ける自信がある。
太田胃散のTV-CFで使われていた曲は、ショパンの「24の前奏曲」の第7曲イ長調である。
CFだから全然問題ないが、この曲自体は40数秒の短いものである。
CDをかけていると、当たり前のことながらすぐに次の第8曲嬰ヘ短調に突入してしまうのだが、あのときの私の具合の悪さったら、この第8曲に近いものがある。
太田胃散を飲んだ直後に、体調は嬰ヘ短調になってしまったわけだ。
ショパン(Frederic-Francois Chopin 1810-49 ポーランド)の「24の前奏曲(24 Preludes)」Op.28(1836-39)では、以前に第15番変ニ長調「雨だれ」について書いたことがある。
ご承知のように私の鑑賞レパートリーの中心はオーケストラで、あまり器楽曲や室内楽曲は聴かない。CDもそんなに持っていない。
したがって、「雨だれ」のときと同じピリス盤(1975年録音。エラート)しか私は持っていないが、そのCDは現在廃盤。
ちくしょう、カズシゲめっ!
何が「ありがとう。い~い薬です」だっ!(←八つ当たり)
March 2010
札幌の新札幌に(って書くと、人を小バカにしたような記述に思われるかもしれないが、バカにしてしない。極めてまっとうな表現である。“京極の新京極に”とは事情が異なる)、カテプリという名の百貨店がある。
カテプリがオープンしたのは10年ぐらい前だったろうか?
オープンしたときのキャッチフレーズは「会いたくて、咲きました」。
「何が咲くの?」って聞きたくなる気持ちをぐっと抑えて(誰に聞いていいかわからなかったし)、私は「あぁ、プランタンはなくなったんだなぁ」と思ったものだ。
そう。
カテプリはプランタン・デパートのあとに開店したのだ。
確か、契約の関係でプランタンという“屋号”が使えなくなったとかで。
キャンプのときにランタンがないと不自由だが、プランタンがなくなったからといって、私には何の不自由もない。もともと自由もない。
ただ、銀座にあるのと同じ名の百貨店が、新札幌という、言っちゃ悪いが集客を望めない街にあることに、なんとなく不思議な感じを持っていただけだ。
銀座プランタンはけっこう若い人たちで混んでいるし、高級な雰囲気がある。初売りのときには片栗粉を保管している器を床にひっくり返してしまったかのような、手がつけられない状況になる(TVを観る限りでは)。
けど、新札幌のプランタンはたった3階建てで、しかも店内の見通しは極めて良く(がらすきで)、札幌市内の他の各デパートと比較しても、あきらかに毛色が違うピントのずれた催事をしばしばやっていた。
そのギャップが痛々しいと思っていた。
実際、新札幌プランタンにはそんなに行ったことがない。
たまに行っても、「パリの香りがする」というキャッチフレーズのわりに、客層はパリとは無縁のような人ばっかりだったし、そんな香りを感じたことはなかった。ときどきドムドムバーガーの匂いはした。
私が何を言いたいのかというと、プランタンというのは“春”という意味だということ。
ちなみにカテプリ(QUALITE PRIX)というのは、フランス語のQualite(品質)とPrix(価値)なんだって。代々、フランス語がお好きなようだ。
ちなみに今週のカテプリの催事を新聞で調べてみると、
《えっ!カテプリが秋に変わるようだ。
改装に向かうカテプリはおかげさまで10周年!
春の誕生祭&改装への売りつくし》
やっぱ、10年経ってたんだ……
それにしても、誕生祭と改装売りつくしの不協和音!
建物がジレンマでノイローゼになってしまわないか心配だ。
しかも雪解けも済んでないのに、秋の話。
あるいは、何の誕生?
ボッティチェルリの3枚の絵を音楽化した作品、レスピーギの「ボッティチェルリの3枚の絵」を先日の記事で取り上げた。
その第1曲目は「春」であった。つまりPrimaveraである。
記事ではWikipediaに載っていた絵を使わせてもらったが(といっても断って使ったわけじゃないが)、別なところでもっとワイドなものを見つけた。Wikipediaのは端がカットされていたようだ。そのワイド版を今回載せておく。
さて、上に載せた写真はその名も「PRIMAVERA」というCDである。
このCDはカイモの「かっこう鳥」のときに紹介した。
私にとって、カッコウは春というよりも初夏の季語なのだが、そんなことはまあいいか。
そして私は気づいてしまったのである。
CDジャケットの足は、絵の右端の女性のものだと。
だからどうしたって?
いや、ボッティチェルリの「春」って、いろんなところで人気があるんだなって思っただけ。
それにしても大胆なトリミング。
「なんで足なんだろ?」と思っていたけど、こういうことだったのね。
このCDでは、そのものずばり、「O Primavera」っていう曲名の作品も収められている。
1つは、当時広くその名が知られていた女声アンサンブル“コンチェルト・デレ・ダーメ”を組織し、またフレスコバルディの師でもあったルッツァスキ(Luzzasco Luzzaschi 1545?-1607 イタリア)の作品。
もう1曲は、モンテヴェルディ(Claudio Monteverdi 1567-1643 イタリア)の曲(マドリガル曲集第3巻の第9曲。1592刊)である。詞はG.B.グァリーニ。
CDに収められているのは全部で18曲(詳細情報は ↓ )。
いずれもしっとりとした品のある音楽である。
陽気な春って感じではあまりないけれど……
ボッティチェルリの絵にだって不吉なもの(死神?)が描かれていて、“足の女性”は怖がっているみたいだし……
あの足は、逃げ惑う足だったのか……
「いやっ!私に付きまとわないで!」みたいな……
“デレ・ダーメ”って、「デレっとしたらダメですよ」、みたいだなと連想する私のセンスは、かなりオジサン化しているのだろうか?
読み始めをたことをすでにご報告していた宮部みゆきの「火車」(新潮文庫)。「かしゃ」と読む。貨車といっしょの音である。でも、JR貨物の経営事情について書いたものではない。
でも、内容についてここでは書きませんのでご安心を。
すでに、いろんなところで書かれてはいるけれど……
ただ、裏表紙に書かれているあらすじだけ書いておく。
《休職中の刑事、本間俊介は遠縁の男性に頼まれて彼の婚約者、関根彰子の行方を捜すことになった。自らの意思で失踪、しかも徹底的に足取りを消して――なぜ彰子はそこまでして自分の存在を消さねばならなかったのか? いったい彼女は何者なのか? 謎を解く鍵は、カード社会の犠牲ともいうべき自己破産者の凄惨な人生に隠されていた》
ところで、ストーリーとは全然関係のない話。
この小説では冒頭から智という少年が登場し、その後もたびたび出てくる。
しかし、この名前に「さとる」というルビ(ふりがな)がふられるのは、私が気づいた限りでは161pにまで進んでから。さらに、そのすぐあとの164pでもルビがふられている。
なぜ、ここまで進んでから初めて読み仮名が付けられているのだろう?しかも、最初に読み仮名を付けたすぐそのあとで、再び付けられているのはなぜだろう?
そこが気にかかる。
素朴な疑問だけど、こういうルビをふるタイミングって、業界の中で何か法則があるのだろうか?それとも、「このあたりで付けとっかぁ」的な軽いノリなのだろうか?
あるいは、「さとる」の場合は、ルビをふることに単なる読みだけではない、もっと別な意味合いがあるのだろうか?
私は悩む……
失踪した婚約者の女性は平成2年4月1日に、その前の住所から、失踪するときまで住んでいた地へ住所を移している。
平成2年4月1日。
私の長男の誕生日である。
あいつはそんな重要な日に生まれていたのか……
確か日曜日だったような気がする……
ということで、ひと足早いが、土曜日の夜は家族で夕食を食べに出かけた。
といっても、焼き鳥屋というか、今なぜかあちこちで店が増えている鶏料理の店である。
味はまあまあ。
それよりも私が気になったのは、お座敷で30人ほどで宴会をやっていたグループのこと。
男性は3人くらい。あとは“お母さん”らしき人たち。
おそらくは小学校のPTAの集まりとか、あるいは、例えば少年サッカーチームのコーチを囲んでの集まり。そういう雰囲気を息苦しくなるくらい発散していた。だいたい、彼女らの中途半端なおしゃれ着でそれがわかる。
その宴会はわれわれが食事を始めてから30分後くらいからスタートした。
私たちはテーブル席についていたが、私からはそこの様子が自然と目に入った。
ん~っ、宴会の基本がわかっていない。
最初に飲み物を頼んでいたが、なかなか出てこない。
席についた彼女らは、なんにも気にしてないのよ、というふりをしているが、別にここで話をしなきゃならないようなことでもないことを、隣の人と、さも面白いことを話しているかのようなオーバーな笑顔とアクションで演じており、明らかに宴会が開始されない手持ちぶさたを解消していた。
そこへ飲み物がやってくる。
最初に運ばれてきたのはウーロンとかグレープフルーツとか巨峰とかカルピスといったたぐいの焼酎割り。梅酒ソーダもあったに違いない。
しかし、これでも全部ではない。
そこで1人の“母さん”が立ち上がり、通路で「なんでこんな遅いんだろっ!ちょっと言ってやらなきゃっ!」とぶつぶつ独りごとを言いながら、つっかけた店のスリッパをシャッシャッと鳴らして、私たちのテーブルの横を通り過ぎ、厨房の方へ向って行った。
やがて、生ビールが10杯以上運ばれてくる。
こんな頼み方しちゃ、時間がかかるのは当たり前だ。
まずは乾杯するなら、瓶ビールを何本か頼めばいい。
そのあとに好きな飲み物を注文すれば、イライラしなくて済むのだ。
瓶ビールが嫌なら、じっと我慢しなさい。
コースのためなのか、飲み物より先に出てきたフライドポテトをじっと眺めていなさい。
文句を言われる店側が気の毒だ。
それにしても、あの“ぶつぶつ母さん”、かなり気合が入っていて怖かった。
さて、火車というのは悪行を重ねた人間の死体を盗む妖怪のことだが、中国では蒸気機関車をこう呼ぶらしい。
そう考えると、怖くて乗りたくないな……
オネゲル(Arthur Honegger 1892-1955 フランス)の交響的運動第1番「パシフィック231(Pacific231)」(1923)。
オネゲルについては、以前、彼の交響曲を紹介した時に書いたのでここでは省略。
パシフィック231というのは蒸気機関車の形式名。
前輪軸が2、動輪軸が3、後輪軸が1のパシフィック型蒸気機関車。この機関車が発車し、驀進し、停車するまでをオネゲルは描いた。この曲は即物主義の音楽としてセンセーショナルを巻き起こし、オネゲルの出世作となった。
CDはオネゲルの交響曲を紹介した時と同じく、デュトワ盤を。
また、冨田勲がシンセサイザーで編曲・演奏したものも面白い(踏切の音のドップラー効果が快感)。
でも、現在はどちらも廃盤のよう。
なお、蒸気機関車の警笛が入る曲としては、これも以前紹介したが、ライヒ(Steve Reich 1936- アメリカ)の「ディファレント・トレインズ(Different trains)」(1988)が素敵!
アメリカの戦前、ヨーロッパの戦中、アメリカの戦後の3つの時代の鉄道。その車内で語られていた会話の断片が散りばめられ、変形していく、ミニマル・ミュージックである。
あぁ、胸が締め付けられるぅぅぅ~っ……
2週間ほど前に東京に行ったとき、帰りに羽田空港のラウンジ(シグネット)で、ポストカードをもらってきた。佐原和人さんという人が描いた「花雨(はなあめ)」という絵のポストカードだ。
Signetでは定期的に新進芸術家の作品をラウンジ内に展示(掲出)しており、そのなかの1作品を使ったポストカードが自由に持ち帰られるようになっているのだ。
今回の絵は色合いもきれいで気に入ったので持ち帰り、職場で卓上カレンダーに並べて飾っていた。
でも、3日前になって、何となくこの絵に違和感を覚えてしまった。
なぜだろう……
はてな?
凝視してみた。
宝くじの当選番号を調べるかのように……
そしたら、重大なミスが発見された。
私はこの絵をさかさまに飾っていたのだった。
やれやれ……
すいません、佐原様。
正しい天地で見たら、人がたくさん描かれていることがわかりましたです……
本当にすいません。
さあ、良くないことは忘れよう(私にとって)。
春だ春だ。
カエルも喜ぶ春だ!
2枚の写真は3月27日にわが家の庭で撮ったもの。
ほぅら。クシャクシャってなっているけど、雪の下でもミントは息づいていた。
ナツツバキだって、ちゃんと新芽をご用意中。
早く雪が融けきらないかなぁ……[E:sun](と思ってたら、この日は夕方からまたまた雪。やるせないわぁ)
ボッティチェルリ(ボッティチェリ。Sandro Botticelli 1445?-1510 イタリア)が描いた絵のうち、3枚の絵を題材にした曲がある。
レスピーギ(Ottorino Respighi 1879-1936 イタリア)の小オーケストラのための作品、「ボッティチェルリの3枚の絵(Trittico botticelliano)」(1927)。
3枚の絵の印象をそれぞれ音楽にした3つの楽章から成るが、その絵(=楽章のタイトル)は、
1. 春 La Primavera
2. 東方の3人の博士たちの礼拝 L'adorazione dei Magi
3. ヴィーナスの誕生 La nascita di Venere
である。
Wikipediaによると、ボッティチェルリの本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピ(Alessandro di Mariano Filipepi)。ボッティチェルリの名は、兄が太っていたためにつけられた、“小さな樽”という意味のあだ名だそうだ。
じゃあ、兄は大きな樽だったということだわな。
レスピーギが曲に用いた絵画が書かれた年は、“春”(写真・上)が1477~78年頃、“東方の3人の博士たちの礼拝”(写真・中)が1475年頃、“ヴィーナスの誕生”(写真・下)が1485年頃とされる。
“東方の3人の博士たちの礼拝”でいちばん右に描かれているのがボッティチェルリの自画像であるという(なお、ここに掲載した絵の写真はWikipediaから転載させていただいた)。
ところで“春”であるが、この絵についてはドビュッシーも題材にしている。交響組曲「春」である('09年8月20日の記事参照)。
第1楽章「春」。
訪れた春の喜びを抑えきれないという感じの曲。あらゆるものが息づく。
この季節の私の気持ちのようだ。
第2楽章「東方の3人の博士たちの礼拝」
神秘的な雰囲気が漂う音楽。
第3楽章「MUUSANの」……おっと“美”という点で、あまりにも似ているので間違えた。「ヴィーナスの誕生」
どこまでも優しく繊細で美しい曲。
CDはシモーネ指揮イ・ソリスティ・ヴェネッティの演奏によるものを。このCDについては'08年8月19日付けのレスピーギの「リュートのための古風な舞曲とアリア」の記事でも紹介している。1987年録音。エラート。カップリング曲は、「リュートのための古風な舞曲とアリア」の第1と第3組曲、ならびに組曲「鳥」。
おお、ヴィーナスの顔のど・アップ。
誕生したばかりなのに、もうお股を隠さなきゃならないほどなのね。早熟なんだからぁ~。
それにしても、ボッティチェルリの自画像とされている、あの右端の男。なかなかいい男だ。
かっこよく描きすぎじゃないの?
昨日、車の調子を見てもらいにSUBARUに行ってきた(私はSUBARU車に乗っている)。
先日エンジンをかけたら、すごくエンジン音が大きく、しかもダッシュボードがブルブルと音をたてるほど振動したのだ。そのまま走りだすとしばらくして治まったが、最近何度かエンジン音が大きいと感じることがあった。
そこで見てもらいに行ってきたのだ。
しかし、案の定、わからなかった。
異常なし。いや、異常発見できず。
SUBARUに行くまでにエンジンは暖まってしまっているし、こういうのは再現することが極めて困難。
「一晩置いていきますか?明日の朝、冷えた状態から調べてみますが……」
でも、毎回症状がでるわけじゃないので、今回はお引き取りしてきた。
それにしても、SUBARU厚別店の人たちは接客態度がすばらしいといつも思う。
変な夢を見た。
クモがたくさん出てくるのだ。
クモといっても、雲じゃなくて蜘蛛である。
家の玄関から外に出ると、あっちこっちに蜘蛛がいるのだ。
どいつも妙に胴体が長い。蜘蛛というよりはウチワエビに似ている。
なぜかすぐ横には木の棚があって、フマキラーとかキンチョール、アースのスプレー缶が並んでいる。さらにはダイン(農薬の展着剤)のボトルとか、半分残ったままになっているミツカン味ポンのビン、それからスコッチガードの缶まで置いてある。
私は蜘蛛に、そのうちのどれをかけようか迷う。
家の前の、道を行くおじさんが、「それにはフマキラーが効くよ!」とこちらに向かって叫んでいる。おせっかいな人って、私の場合は夢にまで登場するようだ。
そこでフマキラーを蜘蛛たちに向かってかける。
蜘蛛たちはその場でヘニャリとなったあと、これまたなぜか消滅する。……
いったいなんじゃい、この夢は?
謎のまま話題を変える。
私は蜘蛛が大嫌いである。
タイトルは忘れたが、「ウルトラQ」で巨大な蜘蛛が人を襲う回があったが、私なら逃げる前に失神するだろう。
他にも嫌いなものはたくさんある。
たとえば生ホヤの臭いをかぐのも嫌いだが、蜘蛛を見るのも嫌いである。
しかしホヤを触ることはできるが、蜘蛛が皮膚に触れるなんてことがあったなら、私に対する偉大なる冒とくであると思っている。
ところがである。
かつてどうしても大きな蜘蛛を採取し、しかもそれを触らなくてはならないハメに陥りそうになったことがある。
結論から言うと、すんでのところでそれを回避できたので、その後も精神的に病まずに済んでいる。
私は大学で農学を学んだ(単に在籍していたというほうが、ニュアンス的には近い)が、在学中に7つ以上の実験の単位を取る必要があった。
当然のことながら植物系や化学系の実験を選んだが、どうしてもあと1つ、それ以外のメニューを選択する事態となった。
そこで私が選んだのは「害虫学実験」であった。
昆虫が嫌いな私が、何をとち狂ったか「害虫学実験」を選んでしまったのだ。
魔が差したとしか言いようがない。
それでも、菜食主義者のアオムシや、土の中に居るセンチュウを実体顕微鏡で見ながらスケッチしたりしているうちはよかった(ちなみに私は絵も苦手である。年老いたチワワが左手に鉛筆を結わい付けられ、そのままフラフラと歩き回った跡ぐらい下手である)。
しかし、ある日のテーマは「蜘蛛の脚の観察」。
しかも、まずは自分で蜘蛛を採集して来なさいという。
私は、ある種のムシに行動が似ている実験担当の講師に抵抗した。
「蜘蛛は昆虫ではありません。昆虫に近い仲間です。ですからこの授業のタイトルに反しています。どうでしょうか?ここはひとつ、黒アリの脚の観察に変更するということで手を打ちませんか?」
却下……
「では申し上げますが、蜘蛛は農業にとって害虫と言えるでしょうか?農業の大敵である悪い虫たちをおぞましく粘る網に引っかけ、体液を吸い取る。むしろ役に立つ虫もどきと言えるのではないでしょうか?」
却下…
私はその場で舌を噛み切ろうかと思ったほど落ち込んだ。
この瞬間に、学校敷地内のすべての蜘蛛が消滅してくれないかと、真剣に考えた。
でも、蜘蛛の採集は4人ずつにグループ分けされた各グループで1匹でよいということになった。
そりゃそうだ。脚は1人1本あればいいのだ。
カニを振舞われるのなら1人1杯は確保したいが、形は似てても今は蜘蛛なのだ。
私は、グループの中にいたちょっとお人よしのY君にこの重大任務を任せた。
岩手の山奥出身。
幼少の頃から蜘蛛とは親しんでいるはずだ。
「頼むよ!君しかいない。だってこの班は僕と君以外の2人は女性だ。まさか女性に蜘蛛を取らせるわけにはいかないだろう?そして、女性以上に繊細で臆病な私に、そんな汚れ役ができるわけがないだろう?ねっ?君しかいないよ、これができるのは。その代わり、次回の化学の過マンガン酸カリウムを使った滴定実験のときには、僕がレポートの下書きをしてあげるから」
私は予想される実験結果から実験プロセスを逆算することが得意だったのだ。
彼としては好条件だと思われるこのようなエサを提示すると、彼は「わかった」と無感動に答えた。
もっともY君がだめだったら、女子学生のどちらかに頼めるという勝算はあった。女子学生は2人とも相当たくましく、特にH美という超名前負けの子は、家で蜘蛛を飼育していると言われても納得できるような感じだった。
Y君は、よりによって張り切りすぎて、巨大な蜘蛛を捕まえてきた。
無感動で引き受けたわりに、実はかなり張り切っていたようだ。
その蜘蛛の脚をもがなくてはならない。
蜘蛛には8本の脚があるが、そこから4本を根元からもぎとるのだ。
「あのさあ、Y君。ここまできたら、最後まで君にまかせるよ。自分で捕まえてきた蜘蛛なんだから愛着もあるだろう?他人にまかせることなんか忍びないだろう?僕は君がもいだ脚の1本をもらうから。もちろんいちばん短い脚でいいよ」
Y君は脚をもいだ。
そのたびに蜘蛛は大暴れする。
当たり前だ。
「きゃぁ~っ」「ぎょえぇぇ~っ」「ヴォォォ~ッ」「んがぁぁぁ~っ」
実験室に悲鳴がこだまする。私の(ちゃんと4脚分)。
これが実験と言うのか?殺戮だ。
Y君からおぞましい脚の1本をもらい、私はそれをピンセットでつまみ(誰が素手でさわれるものか!)、実体顕微鏡で観察した。
顕微鏡を覗いてみても、やっぱり気味の悪いことに変わりはなかった。
観察スケッチは、やけになって、うんと毛深く書いてやった。
ルーセル(Albert Roussel 1869-1937 フランス)のバレエ「蜘蛛の饗宴(Le festin de l'araignee)」Op.17(1912)。
ファーブル昆虫記に触発され書かれた。のちに組曲に編曲している。
ジョロウグモの巣に引っかかった食べられる虫たちのお話である。
ジョロウグモ、女郎グモ、女郎蜘蛛……ぞっとする。
印象主義的で緻密な曲。
でも、題材がねぇ……
だからというわけじゃないけど、まっ、ちょいと、積極的になれない……
なお、ルーセルの作品としては、前に交響曲第3~4番について書いてある。
村上春樹のエッセー集「ランゲルハンス島の午後」(新潮文庫)のなかに「八月のクリスマス」という話が載っている。
このエッセー集については、先日LimeGreenさんが寄せてくれたコメントでふと思い出し、私の血糖値も一瞬急激に下がった経過にある。ということにしておこう。
ランゲルハンス島とは?
アドリア海の、ペスカラ近くにある小さな島、ではない。
”家庭の医学”を読むのが無上の喜びであるという人なら周知の事実であろうし、たぶん学校の理科の時間にも習ったことがあると思うけど、ランゲルハンス島というのはすい臓のなかにあって、グルカゴンとかホルモンのインスリンを分泌する細胞が集まった箇所である。
決して、村上春樹が長期滞在しそうな風光明媚な島、のことではない。
その「八月のクリスマス」の冒頭。
《行為それ自体はさして困難なものではないにもかかわらず、なんとなくやりずらい――というタイプの作業が世の中にはいくつか存在する。たとえば夏の盛りにクリスマス・レコードを買い求めるというのもそのうちのひとつだ》
この気持ちは私もわかる。
真夏にお雑煮を食べるとか、11月に線香花火を楽しむとか、とてもやりずらい。
でも、村上春樹氏に勇気付けられて、ここで私も季節はずれのことをしちゃいましょう。
まだ雪が残っているけど、盆踊りの話である。
高校野球だって春もやっていることだし、いいじゃない?
それも、(かつては)大人の妖しい目的があった正統的盆踊りではなく、子供のための盆踊り。その曲である「子供盆おどり唄」について。
これって北海道ローカルらしい。
全国各地で使われている有名曲だと思ったのに。
歌詞は、
そよろそよ風 牧場の街に
吹けばチラチラ 灯がともる
赤くほんのり灯がともる ホラ灯がともる
シャンコシャンコシャンコ
シャシャンがシャン
手拍子そろえて シャシャンがシャン
というもの。
これが聴こえてくると、「あぁ、夏も終わるんだなぁ」って感慨無量になる私。
私にとって、そして少なからずの北海道民にとっても、「ソーラン節」や「北海盆唄」よりも「子供盆おどり唄」のほうが、“盆踊り”と言えばコレ!って感じじゃないかと思う。
この歌は、札幌の隣町の江別市で教員をやっていた坪松一郎(1910-69)が1952年頃に作詞したという。作曲は山本雅之という人。
それがこんなロングセラーというか、ずっと使われているんだからすごい。
クラシック音楽には“踊り”の曲たくさんある。
たとえば交響曲。
交響曲という形式はマーラーによって事実上の終りを迎えたが、そのマーラーだってレントラー舞曲を交響曲に取り入れている。
でも、ここではどうしてもH.ヴァイス(Harald Weiss 1949- ドイツ)の「My wooden dancing shoes」(1990)について触れたい。といっても、この曲については、2007年12月4日付の記事で書いているので、詳しくは書かない(ひどく昔のことのように感じる。実際昔か……)。
なんで「子供盆おどり唄」からヴァイスのこの作品なのかというと、この曲の第10曲「ポロネーズ」で一瞬挿入されている流行歌のような音楽が、「子供盆おどり唄」のエンディングの「チャチャ~ンのチャン」にちょっぴり似ているからだ。
以上、どうでもいい気づきについての報告を終わる……
小学校の4年生のときだったと思うが、友だちの梅田君と2人で自転車で少し遠出したことがある。
遠出というとオーバーだが、それでも鉄道(国鉄)の駅、一駅分を22インチサイズの自転車で走ったのだ。たった一駅と思われるかも知れないが、東京と有楽町とはわけが違う。浦河-絵笛間は約5kmもあり、しかも砂利道で、さらに平坦ではない。
当時私は浦河町の堺町という地区に住んでいた。
自転車で山の方に向かうと、踏切があり、競走馬のセリ場があり、さらに辺りは競走馬の牧場になる。途中で左に曲がり、少し上りになった砂利道をずっと進んでいくと、絵笛という駅に着く。浦河よりも1つ苫小牧寄りの駅で、無人駅だった。
当時の私には、駅に誰もいないというのが不思議だった。
どうやって切符を買うんだろう?
降りたとき、誰に切符を渡すんだろう?
もう少し私が利発な少年だったなら、これをヒントにキセル乗車や無賃乗車の研究を極めたかもしれないが、純粋な私はただただ、「寂しいな」と思っただけだ。
それにしても、絵笛って変わった名前だ。
絵に描いた笛?笛を描いた絵?
どっちも同じか…・・・
秋口のことだった。
あたりはあくまで静か。
軽種馬の牧場しかないのだ。
駅にも誰もいないのだ。居たら逆にちょっと怖いんだけど……
駅(といってもバス停の雨よけよりも貧弱な小屋もどきがホームに建っているだけだ。ここに長居しても苦にならないのはクモぐらいだろう)の横を通り過ぎ、さらに進んでいくと、なんと道路にヘビがいた。
そのヘビは暑さのせいかどうかは知らないが、砂利道の真ん中で堂々と横たわっている(立つわけないけど)。
そのとき一緒にいた梅田君は、「おっ、ヘビだ」と叫んだ。別に叫んでくれなくても、私にだってヘビだってことはわかるんだけど……
梅田君は「ヘビは悪い奴だから、殺してやらなきゃ」と、まるでヘビにとり憑かれたように言った。
そして道端にあった大き目の石を拾ってきて、いきなりヘビの頭と尾の中間あたりに投げつけた。
ギョエェェェェッ~。
もしヘビが叫べたなら、そう叫んだに違いない。
私は恐ろしかった。
だって、ヘビは恨んで出てくるというではないか!
梅田君は次から次へと小ぶりの漬物石みたいなのを拾ってきて、ヘビに投げつける。
5発目ぐらいにヘビの腹が裂けた。
そのあと彼は長い枝を拾ってきて、それにヘビを引っかけ、道端の草むらのなかへ放り投げた。
「逃げようぜ」
そう梅田君は言って、自転車にまたがり街へと向かってこぎだした。
やれやれ。
こっちは何がなんだかわからない。
何で逃げなきゃならないんだ?
でも、私だってその場に居たいわけがない。
なんだか、すっごく恐ろしい気分で家に帰った。
その夜、全然寝つけなかった。
ヘビの幽霊が出てきそうで怖かった。
ヘビ……
スネーク……
宮部みゆきの「スナーク狩り」(光文社新書)。
出張があると読書が進む(こっちの気分次第だけど)。
日曜日、福岡からの帰りはこの本を読んだ。
ストーリーは書かないが、これも非常に面白かった。
このなかで、ある結婚披露宴の場の描写が出てくる。
新郎新婦がお色直しして入場。
そのときの音楽が聞こえてくる。
それはパッヘルベルの「カノン」だ。
私はときどき後悔する。
自分の結婚式のとき、1曲もクラシック音楽作品を使わなかったことだ。
こんなにクラシック音楽を贔屓にしてきたのだ。
自分の結婚式に使ったってバチは当たるまい。
けど、どうも妻の方に選曲権が自然に与えられ、私に残ったのは選挙権だけだった。
その結果、最初の入場で使われた曲は、「いよぉぉぉ~っ」みたいな掛け声と、それに続く尺八の調べであった。クラシック音楽が使われたのは、ケーキ入刀のときのみ。メンデルスゾーンの「結婚行進曲」だけだった。これだって、自分が選んだのではない(誰がそんなありきたりな曲を選ぶものか!)。
私は今でも想像する。
もし自分に選曲権があったらどうしただろうかと……
最初の新郎新婦の入場。
このときにマーラーの交響曲第5番の冒頭を流すなんてステキじゃないだろうか?
ソロ・トランペットの上昇音。シンバルの一打。グランカッサの震動!
そこで会場のドアが開き、新郎は重々しい葬列の足取りで入場するのだ。
これがあまりにも将来を暗示しすぎていてシャレにならないというのならば、ベートーヴェンの第九なんかはどうだろう?ただし終楽章の「歓喜の歌」じゃなくて、第2楽章“モルト・ヴィヴァーチェ”。でも和装の私は、飛び跳ねるように入場しなきゃならないし、草履だから絶対つまずくだろうから危険か……
お色直しの新婦の入場には、
でも、パッヘルベルの「カノン」は使いたいとは思わないなぁ。
パッヘルベル(Johann Pachelbel 1653-1706 ドイツ)の有名な「カノン」は、いわゆる「パッヘルベルのカノン」と呼ばれ親しまれている曲である(変な文章)。
この曲は、「3声のカノンとジーグ 二長調(Canon a 3 con suo basso und Gigue)」のカノンの部分にあたる。
パッヘルベルはJ.S.バッハの先人として、ドイツ・バロックのオルガン音楽の発展の上で、重要な位置にある音楽家である。
CDはいろいろ出ているが、エトリンガーがカペラ・イストロポリターナを指揮した演奏は、「カノン」だけではなく「ジーグ」も入っていた(ナクソス。1988年録音)。しかし、現在は廃盤のよう。
そこで今回は、ミュンヒンガーがシュトゥットガルト室内管弦楽団を振った、バロック名曲集を取り上げておく(写真は旧盤のもの→ロンドン・レーベル時代)。デッカ。1984年の録音。
前に私とひどくウマが合わない人がいて、その人の携帯着信音が「パッヘルベルのカノン」だった。単にベルのカノンだったら(リーンリーンというのがカノン的にぐちゃぐちゃに鳴り響く)良かったのに、そのせいで私は「パッヘルベルのカノン」はあまり聴かなくなってしまった。
別に意識しているわけじゃないが、今日もコルネットが編成に加わっている作品を取り上げる。
しかも正気な人間なら、なかなか書かないような曲。
ベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-69 フランス)の「葬送と勝利の大交響曲(Grande symphonie funebre et triomphale)」Op.15(1840)。
“大”交響曲ときたもんだ。
しかも、これは本来の交響曲ではないときたもんだ。
この曲は吹奏楽のための管弦楽曲である。そして、作曲者ベルリオーズはソナタ形式による本来の交響曲というものに仕上げる気もなかったようだ。
楽章数も3つ。
第1楽章「葬送行進曲(Marche funebre)」、第2楽章「追悼の辞(Oraison funebre)」、第3楽章「昇天(L'apotheose)」。
吹奏楽のための作品と書いたが、編成はピッコロ4,フルート5,オーボエ5,小クラリネット5,クラリネット26,バス・クラリネット2,ファゴット8,コントラファゴット1,ホルン12,トランペット8,コルネット4,トロンボーン10,バス・トロンボーン1,オフィクレイド(またはテューバ)6,ティンパニ,小太鼓8,大太鼓,シンバル3,チャイニーズ・シンバル,タム・タムである(コントラファゴット、バス・トロンボーン、ティンパニは任意)。
さらに第3楽章には400人の合唱隊を必要とする(アド・リビトゥム=任意)。その歌詞はアントニー・デシャンの作品である。
しつこいベルリオーズは、1840年の初演後、第1楽章と第3楽章に、演奏会場用のための弦楽のオプショナル・パートも書いている。
オプションって、旅行じゃないんだから……
この曲は7月革命の10周年に、革命の英雄的な犠牲者たちを追悼するための曲として政府から依頼されて作曲された。
初演はパリの街頭で行なわれ、ベルリオーズの指揮のもと、軍楽隊はバスティーユ広場まで数時間をかけて、葬列にしたがって行進しながら演奏した。
それにしても風変わりな“交響曲”である。
とはいえ、特に終楽章の「昇天」なんか、昇天しちゃいそうなくらい激烈である。
私が聴いているCDはドンディーヌ指揮パリ警視庁音楽隊による演奏のもの(弦のオプションと合唱は加わっていない)。1976年録音。カリオペ・レーベル。現在廃盤の様子。
無茶苦茶な発想で書かれた曲ではあるけれど、第1楽章や第2楽章の厳粛さは忘れ難いも尾があるし、しばしばはっとするくらい美しい。
ぜひ聴いておくべし、とは言わないけど……
この土日、出張で福岡の方へ行ってきた。
土曜日は新千歳空港から福岡空港行きの直行便に乗ったので、羽田空港強風による混乱(着陸待機)での遅れとは無縁だったが、福岡もそこそこ風があったようで、着陸のときには明らかに機体が風にあおられているのがわかった。
ちょっぴり足に力が入った私……
そのあと新幹線に乗り換え、ちょっと東に戻る。
そこが目的地。
夜は新幹線の駅前のホテルの地下にある中華料理店で食事した。
この中華料理店で驚いたのは、とにかく料理が出てくるのが速いということだ。
最初にホイコーローと麻婆豆腐(いずれもハーフサイズ)、そしてザーサイを頼んだが、ザーサイよりも先にホイコーローが出てきたし、何より、出てきたタイミングは、まだビールをグラスの半分くらいまでしか飲んでいなかった時点だった。
その後の料理もことごとく速いので(おそらく駅のホームの立ち食いそば並だ)、料理を運んでくるお嬢さんに「とても速いですね」と感心して言うと、「えっ、えぇ」と、考えようによっては意味ありげな返事をしていた。ザーサイが調理しなければならないメニューより遅いのも不思議だし……
かといって、冷凍していたものをレンジで温めたようでもないし、私には魔術のように思えた。
この出張の行きの行程では、宮部みゆきの「魔術はささやく」(新潮文庫)を読んだ。
相変わらずとても面白かった(「相変わらず」って表現はほめ言葉でないようだけれど、ここではほめ言葉なのだ)。
新聞に載る小さな扱いの記事。
でも、それに関わる人たちにとっては、どれだけ重大な出来事が現実に起こっているのか……。考えてみれば当たり前のことなのだが、この小説であらためてそのことを認識させられた。
それにしても読者をドライヴする宮部みゆきのパワーとテクニックは凄い。
なんと表現したらいいのだろう……と思っていたら、北上次郎氏(ここで坂上二郎を思い出した人は、私と似た感性の持ち主である)による巻末の解説で見事に指摘されていた。
《巷にあふれている小説の大半は〈描写〉より〈説明〉を中心にしているのだ。あるいは、〈描写〉を指向しても力量不足のために結果として〈説明〉に堕ちてしまう。宮部みゆきが際立つのは実にこの点である。類稀な資質と努力と小説に対する誠意によって、この作家の作品は凡百の小説から鮮やかに一歩も二歩も抜け出ている》
うん。
そうなのだ。
これだもん、私が小説を書けるわけがない。
何かのマニュアルなら書けそうだ。
つまり私は描写的ではなく、説明的な人間なのだ。どちらかというと。
それは、俗に言うならば「くどい」ということになるのかもしれない(反対に「描写的」は「意味不明」なのかもしれない。その辺にいる人の場合なら)。
「魔術はささやく」を読んでいて「おやっ?」と思ったのは、オーウェルの「1984年」が出てきたことである。「ビッグ・ブラザー」が出てくるという「1984年」だ。
そう。村上春樹が「1Q84」を書き、そのなかでは「リトル・ピープル」が出てくる。
1984と1Q84。ビッグ・ブラザーとリトル・ピープル。
その対比、解釈が話題になった「1984年」が出てくるのである。
いえ、それだけです。
出張の行きは、福岡空港に着いて博多駅まで移動し、新幹線に乗り換えたのだが、機内で「魔術はささやく」を読み終えたので、乗り換えの時間が迫っているにもかかわらず、駅地下の書店で、またまた宮部みゆきの小説を購入した。血相変えて本屋に駆け込む私は、きっと危なかしいヒトに思われただろう。
そうして、先の中華料理店の話につながるのだが、味は中の上であった。
なお、いろいろ注文しているが、もちろん私1人でその店に行ったのではない。
昨日は、直行便ではなく羽田経由で千歳へ。
強風のためダイヤが乱れていて、ちゃんと跳ぶのか心配だったが、福岡→羽田便はほぼ定刻通り。羽田→千歳は20分遅れたものの、その程度の乱れで済んだ。
最後の乱れは(←いやらしっぽい)、JR。快速エアポートが間引き運転中&遅れ。
これも結果的には幸運なことに、さほど待たされずに発車。
もし、もっと遅れたら福岡空港で買った「いちご大福」の保冷剤の有効時間が過ぎてしまうところだった。って、そんなレベルの問題じゃないけど、でも、大切なことでもある。
それにしても、こういう時間のストレスって、私にはいちばんこたえる。
今朝。
おいおい、雪が積もってるぜぇ。
まさか、まだ雪かきしなきゃならないなんて覚悟していなかった。
出張先では桜が咲き始めていたっていうのに……
もういいっ!
放っておきゃ、じき、融けるだろう。
そういう、怠惰な悪魔が私にささやいている。
昨日のコルネットについて書いた記事で、ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky 1882-1971 ロシア→アメリカ)のバレエ「ペトルーシュカ(Petrouchka)」(1910-11,'46改訂)の1911年版(原典版)で、この楽器が用いられていることに触れた。
さらに書き添えておくと、たとえば、第3場でバレリーナが登場するときに、コルネットのソロが入場の行進曲を吹く。生でこの曲を聴いているときには、うまくやってくれるかなと聴く側も緊張する場面である。
その部分のスコアを掲載しておく(掲載譜はNORTON CRITICAL SCORE)。
これに続いて、バレリーナとムーア人の踊りが始めるが、そこでもコルネットがカンタービレ(=歌うように)と指示された印象的なメロディーを吹く。
ところでアルフレッドとコルネットの話をしていた場には、アイゼンシュタイン氏もいた。
アイゼンシュタイン氏が素朴だがなかなか良い質問をしてきた(コルネットの話からはちょっと飛躍した質問だったが、本当のことを言うと、この話をしたのはその日の夜になってからであった)。
それは、「フルートは金(かね)で出来ているのに、なぜ木管楽器というのか?」というものであった。これまでの人生で、ずっと悩んでいた形跡もうかがえた。そんなんなら、自分で調べてみりゃいいのに、と思ってしまうが、事情はそんな簡単ではなかった。
よく話を聴いてみると、氏は疑問を抱いていたのではなく、「フルートもサキソフォンも金管楽器である」と信じていたのだ。
私が「フルートは木管楽器ですよ」と答えてはじめて、先ほどの「カネで出来ているのに……」という質問にまで発育したのだ。
氏はそのあとの話を聞こうともせず、「あっ、そうか昔はフルートも木で出来ていたんですね。うふうふ」と言葉を続けたが、じゃあサックスもオール・ウッドだったのかという私のいじわるな反撃には、聞こえないふりをしていた。
確かにフルートはその昔木製だった。
だが、木管楽器と金管楽器の分類はそうではない。
木管楽器というのは、唇の振動を発音源としない管楽器の総称である。
管の材質は木であるとは限らない。
木管楽器はさらに、リードのないフルートやピッコロ(無簧(むこう)楽器)、1枚のリードを持つクラリネットやサックス(単簧楽器)、リードを2枚持つオーボエやファゴット(複簧楽器)に分けられる。
一方、金管楽器というのは、ヒトの唇がリードの役目をし、それが発音源となっている楽器である。
簡単に言えば、唇の振動を音にするのが金管楽器、空気の流れから音を出すのが木管楽器である。
この説明をアイゼンシュタイン氏にしたとき、氏はひどく感心していた。
あまりの感動に抱きつかれたらどうしようかと心配になったくらいだ。
話を「ペトルーシュカ」に戻そう。
このバレエ音楽については過去に書いているので、今日は前とは別のCDをご紹介。
ブーレーズ指揮クリーヴランド管弦楽団の演奏によるもの。もちろん1911年版。
1991年録音。グラモフォン。
写真は私が持っている、「春の祭典」とのカップリング盤だが、現在はブーレーズによるストラヴィンスキー管弦楽曲集として販売されている。
それにしても、ブーレーズの顔って、近しくなりたくない偏屈じいさんみたいだ。
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