読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行した「保存版」です。  いまは“新・読後充実度 84ppm のお話”として更新しています。左サイドバーの入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。  背景の写真は「とうや水の駅」の「TSUDOU」のミニオムライス。(記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

April 2010

ぬるぬるしたもの

da529aa1.jpg  昨日、新千歳空港から羽田に飛んだ。
 ピョ~ォォンッ!
 ↑ アホです。

 出張である。
 昭和の日に出張である。
 東京に出張と思ったあなたは早とちり。
 東京から電車に乗って、一路田舎へ。
 暗い街で一晩を過ごした。
 こういう場所に宿泊する唯一のメリットは、ホテル料金が安いことである。

 今回の出張では、宮部みゆきの「名もなき毒」(カッパノベルス)を持ってきた。
 もちろん読むために、である。
 誰が重石代わりに持ってくるものか!
c4a63fb9.jpg  
 さて、火曜日に2カ月に一度の恒例となった血液検査を行なった(これを繰り返すうちに高齢になるのだろう)。
 今回は厳密には2カ月ちょっとあいたが、それは毎日医師の命令に忠実にしたがって飲んでいるのに、なぜか薬が残っていたからである。
 しかも血圧の薬はあと5日分まで減っているのに、高尿酸血症と高脂血症の薬は2週間分も残っている有様だ。
 これは不思議だ。

 そういえば、妻も家で不思議がっていた。
 妻が飲んでいるビタミンCのサプリメント。90カプセル入り。1日3カプセル。
 飲み進むと切りよくちょうどなくなるはずだ。
 しかし、なぜか1カプセルだけ残ってしまったという。

 私は心の中で言った。
 1回だけ私が2カプセル盗んで飲んだんだよ、と。

 その血液検査の結果だが、尿酸値と血圧は正常値。
 薬がきちんと効いている。
 私がごく控えめに「そろそろ血圧の薬は休んで様子をみるというのはいかがなものでしょうか?」と医師に提案したが、「まだだめ」とあっさり言われた。
 医師の後で看護師のお姉さんが一生懸命メモをとっていたが、そこにも書いたのだろうか?「まだだめ」と。

 問題は中性脂肪の値である。
 相変わらず絶好調的に高い。
 「こんなんじゃ、毎日190円出してヘルシア緑茶を飲む意味ないじゃん」と、心のなかで八つ当たりする私。
 医者はビールを控えろと言う。
 妻と同じことを言う。
 もっとビールを飲みなさいという友人を作りたくなる。
 サッポロビールの人と友だちになろう。

 つまりは私の血液はドロドロ、ヌルヌルなのである。
 
 そこでブルックナーの「ぬるぬる」

 ブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)が1863年に書いた、習作の交響曲である「交響曲へ短調」WAB.99(1863。WAB.はグラースベルガー(R.Grasberger)による作品目録(1977出版)の番号)。この曲の通称が交響曲第00番なのである。

 0のことをヌル(null)という。だから00番はヌルヌル。

 この交響曲が第0番ではなくて第00番なのは、第0番というのが別に存在するから。

 1863年頃から'64年に作曲されたニ短調の交響曲が第0番WAB.100(改訂'69)。
 ブルックナーは、晩年になってこの交響曲の草稿に“試作”と記し、第0番と呼んだ。

 ヘ短調の交響曲は第0番よりも先に作曲されているので、第00番と呼ばれるようになったのである。「マイナス1番」と呼ばれることもあるが、一般的なのは「交響曲へ短調」か「交響曲第00番」。

 ここではスクロヴァチェフスキ指揮ザールブリュッケン放送響のCDを紹介しておく(写真をみてわかるように、このCDでは「交響曲へ短調」の表記である)。
 2000年録音。アルテノヴァ・クラシックス。カップリングは序曲ト短調WAB.98。

 掲載した写真のCDは現在廃盤。ただし、同一ソース(に間違いないと思う)の輸入盤が現役で残っている。OEHMS CLASSICS。
 
 なお、ブルックナーが一般常識的に第1番(ハ短調WAB.101)という番号の交響曲を作曲したのは、1865年から'66年(改訂'90-'91)である。

 さて、今後の健康対策をどうするか……。明日、発表!

田舎の結婚式って、退屈なものなのだろうか?

c8eccf71.jpg  宮部みゆきの「とり残されて」(文春文庫)。
 7篇の作品が収められた短編集である。

 このなかの「おたすけぶち」。
 未読の方のために、私の出来る範囲内でストーリーがわからないように書こうと思うが、……早くも限界に達してしまいそうだ。
 でも、ボク、ガンバル。

 「おたすけぶち」は、その体の模様から“ぶち”と呼ばれている犬が、いざ人命救助となると、そこらへんの犬も、人間も、ホルスタインも真っ青になるくらい活躍するという話、ではまったくない。お助けブチ……

 この“ぶち”は“淵”である。
 その、なんていうか、モゴモゴ……、山奥の閉鎖的な集落で、ある男が結婚していたって話。ほぅら、何のことだかさっぱりわからないでしょ?
 上出来、上出来。

 そういえば、大学生のときの友人が家で飼っていた犬の名は「ハク」だった。
 私が「マージャン牌みたいな名前だな」というと、彼は「うんにゃ、はっくだぁ」と答えた。
 ちょいとばかり田舎から来ていた奴だったから、発音が悪かったのだ。
 白(はく)じゃなくてハックだった。
 なかなかしゃれた名前だ。

 名前の由来を聞くと、彼は「白いから」と答えた。
 なんだ。やっぱり白(はく)じゃん……

 宮部みゆきの小説の中の、その男がちゃんとした結婚式を挙げたとは考えがたいが、とりあえず枝豆、じゃあなくて、とりあえず話はゴルトマルクの「田舎の婚礼」について。

 ゴルトマルク(Goldmark Karoly 1830-1915 ハンガリー)は、優れたヴァイオリニストとして活躍した人である。また、作曲家として、あらゆる分野に作品を残している。

 そうそう、ハンガリーでは日本と同じく、姓の次に名前がくるそうだ。
 だから、バルトークの場合なら Bela Bartok じゃなくて Bartok Bela。ゴルトマルクの場も、Goldmark Karoly って表記になる。

 ゴルトマルクは交響曲を3曲残しているが、交響曲だけでなく彼が残した全作品のなかで最も人気があるのが、交響曲第1番「田舎の婚礼(Die landliche Hochzeit)」Op.26(1876)
 田舎での婚礼の情景を描写的に扱った、5つの楽章からなる交響曲である。

 曲は5つの楽章から成り、交響曲というよりは組曲のような作品。

 第1楽章は「結婚行進曲」。とはいっても、メンデルスゾーンのような輝かしいものではなく(だって田舎なんだもん)、低弦による素朴でユーモラスなテーマから始まる。このテーマは変奏され、第1楽章は主題と13の変奏曲という形となっている。

 第2楽章は「婚礼の歌」、第3楽章は「セレナーデ」、第4楽章は「庭にて」、終楽章は「ダンス」。

 親しみやすい旋律も多いのだが、しかし全曲を通して聴くのはちょっとしんどい。
 結婚披露宴で、なぜか延々と自分の自慢話をする、自分の肩書きに執着するタイプの人の新郎新婦への(実は自分への)御祝辞を聞いているかのように、つらくなってくる。

 だから、この曲がゴルトマルクの作品の中で最も人気が高いと言われても、、あくまでもどこまでもゴルトマルクの作品の中では、ということ。人気と言い切っていいのかどうかも、ちょいと自信がない。

c60d8ff1.jpg  ちなみに、この交響曲が作曲された1876年に生まれた他の作曲家の作品を挙げるてみると、ブラームスの交響曲第1番、ドリーブのバレエ「シルヴィア」、マーラーのピアノ四重奏曲(断章)、チャイコフスキーのスラヴ行進曲、ワーグナーの「ジークフリート」と「神々のたそがれ」などがある。

 それらに比べると、どうしてもゴルトマルクの「田舎の婚礼」は無害すぎる。
 いや、比べてはいけないのかもしれない。
 「素朴でいい人なんだけどねぇ。でも……」と、ランク付けされる人に似てなくもない。

 私が持っているCDは、ガンゼンハウザー指揮アイルランド国立響による演奏のもの。
 この演奏自体、ちょっと響きが軽いかもしれない。1993年録音。ナクソス。
 他に彼の序曲が2曲収録されている。
 

インテリの好物はソース焼きそばだった

9d0d25c5.jpg  その昔、田舎に住む親戚の葬式に出て非常に違和感を覚えたことがある。

 葬儀はお寺で行なわれたのだが、寺の壁面に所せましと並べられていたのは花輪、ではなくて花輪を写したポスターだったのだ。

 同じポスター、花輪だけが無機質に写っているポスターが駅貼り広告のように並んで貼られている。
 これは異様な光景だ。
 遺族によっては故人をバカにしてるのか、ってことになりかねない。

 私にとってはまったく未知の体験だったので、恐る恐る地元の人に聞いてみた。
 その人は当然のように答えた。

 「これはね、新生活運動っ!」

 はぁ……
 つまりは新しい生活の運動なわけか……
 なんでも、生花はお金の無駄。だからポスターにする、ってことらしい。
 別に私が文句や不満を言うようなことではないから、珍しいものを見させてもらったわい、とあとは黙っていたが、まだあの運動は続いているのだろうか……?

 あと半月ほどで父の1周忌である。
 ご存じのように、あるいはご存じないように、もしくはご興味がないように、父の49日法要のあと、あの好戦的な母親と生ける屍的な弟が住むあの家を、私は訪れていない。
 1周忌も避けて通りたいのだが、さすがにそうはいかない。

 そういえば、先日妻が、近所の奥さん(友人)に聞かれたそうである。
 お父さんが亡くなって、旦那さんにも少しは分けてもらえたんでしょう?、と。
 それは嫌味とか興味本位ではなく、純粋にそうあるはずだという感じで。

 しかし、私は何も分けてもらっていない。
 財産なんてないが、家が建っている土地は札幌市内にある。
 それも、生前の父の言葉によって(もちろん法的根拠はない)、母親の名義になるよう分割は放棄した。
 ほかにもなんにももらっていない。
 その奥さんは驚いていたようだが(入院からお葬式まで、何かと物入りだったでしょうに……)、もしかすると親戚筋でもそう思っている人が少なくないのかもしれない。
 そうだったら、そういう誤解を受けているのはすごく嫌だ。
 何らかのものを寄こせと言う気はまったくないが、何かをもらっておいて、もらったら行き来しなくなったと誤解されるのは耐え難い。

 まあいいや。
 今日のところは。

 今から27年前、「おやじ、涅槃でまっている」という遺言を残して新宿のホテルから飛び降り自殺したタレントがいた。
 沖雅也。31歳だった。
 その前から、かなり心を病んでいたらしい。
 これで涅槃という言葉を知った人は少なくなかったはずだ。少なくとも当時の私のような子どもには。
 「涅槃で待ってる」って言われた方はたまらんな。「あの世でも会いたくない」と言われるのと、どっちの方がイヤだろう?

 黛敏郎(Mayuzumi Toshiro 1929-1997 神奈川)の「涅槃交響曲(Symphony Nirvana)」(1958)。1959年の第7回尾高省受賞作品。

 この作品の第1楽章には、前年に書かれた「カンパノロジー」で試みられていた、梵鐘の音響解析した成果をオーケストラによって再現する方法が取り入れられている。
 さらに、禅宗や天台声明の経文から採られたテクストが合唱によって歌われる。
 曲は6つの楽章から成る。

 ここでは岩城宏之指揮NHK響による1972年の演奏を。NHK-CD。他に間宮芳生、三善晃の作品が収められている。
 
 黛敏郎は芥川也寸志とともに、一時期はTVのクラシック番組の司会者などでスター的な存在でもあった(師は芥川と同様、伊福部昭である)。
 黛は、しかし、天皇制や改憲論、反共産主義、戦争責任といった活動を盛んに行なった。彼がこういった政治的な側面を強くもったために、その音楽作品にたいしても色メガネで見られていることは否定できない。
 正直、私も黛の名を聞くと、すぐにそういったイメージがわいてくる。

 ただ、私は「涅槃交響曲」はけっこう好きだ。
 皆さんはお経を聞いて、「なかなかいいなぁ」と感じたことはないだろうか?
 私はずっとずっと昔、祖父の葬式の時に初めてそう思った。
 僧侶1人が読経したときにはそう思わないが、3人での“重唱”ともなればある種のエクスタシー状態。
 その音響が涅槃交響曲にもある。

 黛の「題名のない音楽会」の司会、ズドーンと重かったなぁ。
 でも、ソース焼きそばが大好物だったんだってさ。

ハンガリーの組曲量産時代に書かれた1曲

eb3ef2ed.jpg  私がもっとも不得手とする分野の1つが(他にもわずか200~300の不得手な分野がある)、ファッション・ブランド。それに「組曲」というのがある。

 ファッションに組曲っていうのはなんだか奇妙だ。
 でも、展覧会的な意味、ファッション・ショー的な意味として考えるとしっくりとしてくる。

 バルトークの組曲を聴きながらそう思った次第。
 私、冴えてるぅ~[E:flair]!
 もしくは、考えすぎぃ~!(いや、下記の本を読んだからそう思ったんだけど)

 バルトーク(Bartok Bela 1881-1945 ハンガリー)は自伝(バルトーク/岩城肇 編訳「バルトーク音楽論集」/御茶の水書房)のなかで、1902年にブダペストで演奏されたR.シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」に、稲妻の電撃のようにとらえられ、シュトラウスの作品研究に身を捧げ、それをきっかけに再び作曲を始めたと書いている。

 同時に、ハンガリー的なものが創造されなくてはならないという当時の風潮から、民俗音楽の研究に注意を向けるようになった、とも書いている。

 そのころに書いた作品の1つに、管弦楽曲の「組曲第1番(Szvit No.1)」Op.3,Sz.31(1905/改訂'20)がある。

 しかし、伊東信宏の「バルトーク―民謡を「発見」した辺境の作曲家」(中公新書)によると、《当時「ハンガリー的」と考えられていた種類の旋律は、さまざまな加工・展開が可能な音楽的素材というより、むしろ展覧会の陳列品としてしか扱い得ず、そこから緊密で複雑な構成を持つ形式(たとえば交響曲や室内楽のような楽曲)をつくり出すのは容易ではなかったのである。そして、演奏会における展覧会とはすなわち組曲というジャンルのことであった。つまり、「ハンガリー的」素材に展開の可能性があまりなかったとしても、印象的な情景をパノラマとして提示する組曲としてなら簡単にまとめることができたのである。実際、この時代のハンガリーにおいては非常に多くの組曲が作られた》

 その多く作られた組曲の中に、バルトークの管弦楽のための「組曲第1番」と「組曲第2番」Op.4(1905-07/改訂'20,'43)も含まれるのである。

 私は、クラシック音楽を聴き始めた比較的早い時期に、この組曲第1番を知った。
 エアチェックした、フェレンチク指揮ハンガリー国立管弦楽団の演奏をよく聴いた。

 のちのバルトークの音楽に特徴的な鋭角的な面は見られないが(でも、ここにあるのはやはりバルトーク以外の作曲家にはない音楽である)、温かみがあり、メロディーも親しみやすく、とても良い曲だと思ったし、今でもそう思っている。
 しかし、「ただ陳列したもの」ということなのからか、CDの点数も少なく、またこの作品について書かれているものもほとんど見かけない。
 私もあまり情報を持っていないが、健康的で幸福な感じのこの音楽がもっと聴かれるようになればいいなと思う。

 曲は5つの楽章から成り、全曲の演奏時間は35分ほどと大きな作品である。

 私が現在持っているCDはTibor Ferencという人の指揮、ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるもの。1988年の録音。IMP CLASSICSレーベル。秋葉原の石丸で偶然見つけたものだが、現在は廃盤。

 タワーレコードのサイトを見ていたら、現在はコチシュがハンガリー国立フィルを振ったCDが出ている。私も聴いたことがないが、これはいけそうだ ↓ 。

 H.C.ショーンバーグの「大作曲家の生涯」(共同通信社)のなかで、この組曲第1番について触れられている。

 《バルトークの作品が演奏されることのめったになかった1915年に、彼の『組曲第1番』が演奏されたことがあったが、それは一部省略のある演奏だった。バルトークは直ちにブダペスト・フィルハーモニー協会の役員会に抗議の手紙を書き、「個々の楽章は主題の上での相互の結びつきが極めて強いので、ある楽章中の数小節を理解するには、それに先立つ楽章がどうしても必要だ」と指摘している》

 そうなのである。
 この曲では、各楽章が旋律的に非常に結びつきが強い。
 それがまた統一感があって、聴いていて「ここはどこ?この先、どうなるの?」ってならないのがいい。

フルートのさえずりにのって、しずちゃんのスッキリ

36f945b4.jpg  最近よく見かけるテレビ・コマーシャル。

 「朝スッキリぃ~」と南海キャンディーズの“しずちゃん”がしゃべってるカゴメの植物性乳酸菌ラブレのCM。

 朝の時間帯に、このCMはずいぶんと流れている。
 私は朝食をとりながら、“しずちゃん”のドバッ、スッキリ、を想像する。
 ……ふぅ~。

 ここで使われている音楽はグリーグの「ペール・ギュント」の「朝」をアレンジしたもの。
 CMの後半、フルートのフラッター・タンギング奏法の音が印象的だ。

 実は私は、フルートのフラッター・タンギングの鳥のさえずりのような音が好きだ。
 でも、“しずちゃん”は特に好きではない。
3b1b2bd4.jpg
 最近の記事では、ショスタコーヴィチの交響曲第8番の第4楽章に、この奏法が使われている箇所があることに触れたが、私が最も好きな作曲家、マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)も、フルートにこの奏法で吹かせている。それも、ほんとうにちょっとだけ、スパイス的に。

 「もっとぉ~っ!」と、甘ったるい声でおねだりしたくなる私。

 ここでは、交響曲第7番の終楽章の後半のところ、「大地の歌」のオーケ3dbb473c.jpg ストラのみの部分が始まってすぐのところ(このオーケストラのみの部分が終わって歌われる歌詞は「とこしえに天は青く、大地はゆるぎなく在り、春来れば花咲く」である)、そして交響曲第9番の第3楽章のスコアを載せておく(いずれも音楽之友社のフィルハーモニア版)。

 う~ん、萌えるぅ~。
56fcb99c.jpg    春来れば、花は咲くんですぅ~。

 これまでさりげなく聴き流していた人は、ぜひとも今一度のご確認を!

 そして今日は、ブーレーズがシカゴ響を振ったマーラーの交響曲第9番のCDを。
 はっきりいって、そんなに燃えているわけじゃないし、なんだか落ち着きすぎてる演奏なんだけど、聴き返すうちにはまっちゃう演奏だ。
 ブーレーズはあんまり好きじゃないんだけど(“しずちゃん”よりはずっと好きだ)、すっかりはめられてしまう感じ。My best 1のCDには成りえないタイプの演奏ではあるけど……
 1995年録音。グラモフォン。

 昨日の夕方、寒い思いをしながらもラティス・パネルにガードラックを塗っていた。
 午後から陽が照ってきて暖かくなりかけたので、一挙に面倒なこの作業をやってしまおうとしたのだ。
 私の決意は固く、作業は無事終了。
 でも、しばらくの間、寒さとずっと刷毛を握っていたせいとで、手がプルプルと震え、しびれていた。
 その作業中、サカタのタネからバラが1株届いた。
 フレグラントヒルという品種である。
 箱を開けると、まあ、もう蕾を持っているではありませんか!
 過保護は厳禁と思っている私だが、一晩家の中に置いてあげた。
 今日から外に出そうと思うけど、けっこう強い雨が降っている。
 自分が外に出たくない……

「1Q84」Book.3読了 ← 一言感想

ac76ac4f.jpg  春だというのに北海道はなかなか暖かくならない。
 こんな低温なら今年の農作物の作柄が早くも心配になる。
 アイスランドでは火山が噴火。天を覆う灰の影響で、おそらくは日照不足になり、ヨーロッパの農作物もちゃんと育つかどうか心配。
 さらには、このところ地震も多い。

 世の中どうなってるんだろう?

 そのうち、夜空を見上げると月が2つあったりして……

 はい。
 ということで、木曜日、村上春樹の「1Q84」Book.3、読み終えました。
 楽しく読ませていただきました。
 が、、、
 一言だけ感想を書かせて欲しい。内容はばらさないから。

 えっ、こういうエンディングなの?
 力抜けちゃったよ、私は……
 やれやれだよ、私にとっては……
 
 ごめん。三言になった。

 どうも納得いかない気分で、ススキノに飲みに出る。
 と書くと、やけ酒のようだがまったく関係ない。
 取引先と会食があったのだ。

 会食は楽しかった。
 何が楽しかったのか、宴会が終わった直後に忘れてしまうぐらい、参加者との会話は仮面劇的に楽しかった。
 そして酔った。
 時刻は9時を過ぎたばかりだったが、酔い方が正しくない感じがしたので、そのまま帰ることにした。

 さて、気分を変えて話をもとに戻す。
 宴会の話ではなく、春はまだ来ないという話だ。

ca50aa2f.jpg  それでもちょっと陽が差すと「あぁ、春だぁ」と思う。
 庭のバラはちゃんと芽を伸ばすスタンバイができている。
 なんてけなげで我慢強い子たちなんでしょう。
 写真はコンラッド・フェルディナント・マイヤー(開花した状態はサイドバーの「フォトアルバム」をご覧いただきたい)。
 原種に近いせいか、トゲは密生して生えてる。痛そうでしょ?

 では、異常気象が治癒するよう願いを込めて、喜ばしい春の出来事の音楽を。

 コープランド(Aaron Copland 1900-1900 アメリカ)のバレエ「アパラチアの春(Appalachian spring)」(1943-44/改訂'45)。
 13の楽器という室内楽編成で書かれており、台本は振付師でダンサーのM.グラハム。
 1945年にコープランドはこの作品をオーケストラ用の7曲から成る組曲に編曲している。

 バレエは、19世紀初め、アパラチア山地にできたアメリカ開拓民の村の風俗を扱っている。
 農家の新婚夫婦。家も新しく建てられた。近所の人たち集まり2人の新たな門出を祝福する、という内容である。

 親しみやすく、また、心に染み入るような優しげな音楽。ときに軽快。
 決して豊かとはいえないけど、心が満たされた日々。
 そんな雰囲気が醸し出される。

 私が聴いているCDは、コープランドの恋人(!)だったバーンスタインがニューヨーク・フィルを振ったもの。1961年録音。CBS。
 このCDは現在廃盤。


牛河利治、入浴しながらFM放送を聴く

b76bd1ab.jpg  最初にお断り。

 「1Q84」のBook.3に関連した記事をいくつか書いてきているが、ご安心していただきたいのは、私はストーリーがわかってしまうようなことは書かないということ。
 余計な不安を抱く必要はないです。

 《良い考えが頭に浮かばないとき、牛河はいつもぬるめの長風呂に入ることにしていた。だから自宅に帰ると、まず風呂をわかした。そしてプラスチックの浴槽につかって、ラジオでシベリウスのヴァイオリン協奏曲を聴いた。とくにシベリウスを聴きたかったわけではない。またシベリウスの協奏曲は、一日の終わりに風呂に入りながら聴くのに相応しい音楽とも思えなかった》(257p)

 その次にFM放送で流れた曲は「シンフォニエッタ」。
 湯船で「シンフォニエッタ」。
 どんな感じなのかなぁ。

 入浴中にクラシック音楽を流しているなんて、財団法人新日本学術芸術振興会専務理事の牛河利治もなかなかしゃれてる、のか、なぁ~?

 オイストラフの独奏によるシベリウスのコンチェルトの現役盤を調べてみたら、入手が比較的容易なのは、オーマンディー/フィラデルフィア管弦楽団とのSONY盤(1959年録音)と、エールリンク/ストックホルム・フェスティバル管弦楽団とのTestament盤(1954年録音。モノラル)があった。

 牛河がチャポチャポしながら耳にしていたのは、FM放送でモノラル録音のものを流すことはそう多くないという勝手な仮説から、なんとなくオーマンディーとのSONY盤のように思える。

 Book.1&2のヤナーチェクの「シンフォニエッタ」はセルの指揮によるLPだった。
 これもSONYレーベル。
 これは偶然か……?

 それにしても、牛河まで「シンフォニエッタ」を耳にするなんて……
 「シンフォニエッタ」って偶然耳にするほど、FM放送でそうそうかかる曲じゃないように思うけど……
 はいはい、まじめに皮肉めいた余計なことを考えないことにします。

 今日は同じシンフォニエッタでもヤナーチェクのではなくて、他の作曲者による作品を2曲。

6332ace8.jpg  1つはルーセル(Albert Roussel 1869-1937)が弦楽合奏のために書いた「シンフォニエッタ(Sinfonietta)」Op.52(1934)。
 ルーセルはかなり重い肺炎を患い転地療養していたが、その療養先で女性指揮者のジェーン・エヴラール(1893-1984)から作曲を依頼された。
 こうして生まれたのが「シンフォニエッタ」である。
 
 曲は3つの楽章から成り、第1楽章はいかにもルーセルらしい躍動的なリズムで始まる。
 格式高いホテルにいる宴会サービス係のベテラン女性チーフのようにきびきびとし、緊張感がある。でも、彼女の実態はどんなものなのか?それと同じようにつかみにくい音楽でもある。
 第2楽章はその場に応じて自分の立場を演じきれるベテランの葬儀屋さんのよう。
 第2楽章から続けて演奏される第3楽章は、シュリシュリシュルルと快く進むが、「もう、や~めたっ」って感じで終わる。

 CDはネーメ・ヤルヴィ指揮デトロイト響のものを。1992年の録音。シャンドス。

 もう1曲は、トゥビン(Eduard Tubin 1905-1982 エストニア→スウェーデン)の「エストニアのモティーフによるシンフォニエッタ(Sinfonietta auf estnische Motive)」(1940)。

 H.C.ショーンバーグは「大作曲家の生涯」(共同通信社)のなかで、ストラヴィンスキーのことを“カメレオン”と書いているが、トゥビンの場合もストラヴィンスキーと同じように、あるいはそれ以上に作風が変わった。
 トゥビンはコダーイに指示したこともあり、初期の作品ではエストニアの民俗音楽の影響を受けていた。しかし、第2次世界大戦時の1944年、ドイツの占領下にあったエストニアにソヴィエト軍が侵攻し占領したときに、トゥビンはスウェーデンに亡命、それを機に国民楽派の作風は希薄になっていった。

 3つの楽章から成る「エストニアのモティーフによるシンフォニエッタ」は、民俗音楽の影響があった時期の作品。聴いていても気難しいところがない、自然賛歌的な健康的な音楽。エストニアの風景が頭の中に想起される。もっとも、私はエストニアの風景というものをまったく知らないけれども……

 CDは、これまたやはりネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ響のものを。1987年の録音。BIS。

 いえいえ、村上春樹のこだわり(?)に対抗して、ヤルヴィにこだわっているわけではありません。私が持っているこの2曲のCDが偶然にもヤルヴィだったというだけ。
 しかも、偶然は重なるもので、2枚とも廃盤のよう。

 そうそう、青豆の名前は雅美。
 青豆雅美だ。
 某宗教の信者である女性タレントの〇〇雅美を意識してつけたわけじゃないだろうけど……

正格、変格、性格変革……

5ee25f1f.jpg  土曜日になって、2週間近く私を悩ませていた胃痛が消えた。
 最初は毎食後、2時間ほどするとキリキリと痛み、その痛みと調子を合わせるかのように背中も鈍く痛んだ。
 最後の5日間ほどは、朝食後2時間ほどするとキリキリと痛み、やはり背中も傷んだ。

 ところが土曜日になって、それはほぼ消失した。
 何だったのだろう。
 おそらく胃潰瘍だと思う。
 LG21(飲むヨーグルトの方)を毎日飲むようにしたおかげだろうか?毎日飲むといっても4日間だけだけど。

 痛みが完璧になくなったなけではない。
 それでも憂鬱になるほどではなく、ほぼ消え去った感じだ。
 6月には人間ドックを受診するので、きちんと診てもらいましょ……

 私は音楽療法というものを信用するに至っていないが、なんでも胃腸障害に悩まされているとき(ただし精神的ストレスによるもの)には、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番とか、バッハの管弦楽組曲第3番、モーツァルトのピアノ協奏曲第21番なんかが良いそうだ。

 私が今回の胃痛に悩んでいる間、これらの曲を聴いたかというと、まったく耳にしていない。
 そうなのだ。私は音楽に頼らないで治したのだ。
 LG21とタケダのザッツ21に頼ったのだ。
 もっとも潰瘍なら悪さをするのはピロリ菌で、精神的ストレスじゃないと近年では言われているから、その間に聴いた曲なんて関係ないのだろうけど。

 と、ここまでは日曜日に書いたのだったが、月曜日になると、それまでほどではないが、軽い胃痛が……
 えっ?もしかして、仕事行きたくない病?
 それとも、月曜日の、燃やせるゴミのゴミ出しやりたくない病?
 あるいは、土日は夢だったという夢遊病?
 やれやれ……
 痛みに対する戦法を変える必要があるのだろうか?
 例えば、クスリを漢方に変えるとか、痛みなんか気にしない“性格”になるよう自己を“変革”させるとか……

 話は強引に変わる。

 教会旋法というのがある。
 教会の旋法のことである。

 自分のよく知らないことを説明するときに、このような書き方はとても便利である。相手に物を言わせない、この冷徹に突き放した書き方。

 でも、それじゃああまりにも尖峰キャラすぎる。

 戦法変更。って戦ってるわけじゃないけど、ちゃんと説明する。
 というか、本を書き写す。ちょっといじりながら。

 教会旋法は、もともとは中世キリスト教会のグレゴリオ聖歌のメロディーを整理分類するために考えられた、全音階組織に基づく音体型である。

 全音階組織?音体型?
 私の経験値にはない言葉だ。

 伝統的には正格4種、変格4種の8種類があり、番号で呼ばれる。
 また、ハインリヒ・グラレアヌス(1488-1563)がさらに4旋法を加えた12旋法による理論を提唱した。それが次のものである。

 終始音D 正格 第 1旋法 = ドリア旋法
 終始音D 変格 第 2旋法 = ヒポドリア旋法
 終始音E 正格 第 3旋法 = フリギア旋法
 終始音E 変格 第 4旋法 = ヒポフリギア旋法
 終始音F 正格 第 5旋法 = リディア旋法
 終始音F 変格 第 6旋法 = ヒポリディア旋法
 終始音G 正格 第 7旋法 = ミクソリディア旋法
 終始音G 変格 第 8旋法 = ヒポミクソリディア旋法
 終始音A 正格 第 9旋法 = エオリア旋法
 終始音A 変格 第10旋法 = ヒポエオリア旋法
 終始音C 正格 第11旋法 = イオニア旋法
 終始音C 変格 第12旋法 = ヒポイオニア旋法

 各旋法は、旋律の終始音と支配音、旋律の音域的な広がり、旋律進行の定型的パターン、などによって特徴づけられるという。
 正格というのは、旋律の音域的な広がりが原則として終始音のオクターヴ上まで及ぶものをいい、変格というのは終始音の4度下から5度上に及ぶものをいう。

 ところで、大学のときに“ヒポ”というあだ名の女の子がいた。
 顔も体型もカバ=hippopotamusに似ていたからだ。
 でも、本人もそう呼ばれるのが友だちの証として、喜んでいた。
 ヘンなの……
 それだけ。

 レスピーギ(Ottorino Respighi 1879-1936 イタリア)は教会旋法を用いた作品をいくつか残している。

 ヴァイオリンと弦楽のための「グレゴリオ聖歌風協奏曲(Concerto gregoriano)」(1921)、ボストン交響楽団委嘱作品の管弦楽曲「第12旋法によるメタモルフォーゼ(Metamorphoseon modi ⅩⅡ)」(1929-30)、「ドリア旋法の弦楽四重奏曲(Quartetto dorico per archi)」(1924)、ピアノ曲「グレゴリオ旋律による3つの前奏曲(3 Preludi sopra melodie gregoriare)」(1921)である(その他の作品でも、たとえば「ローマの松」などで、教会旋法を用いている)。

 そして、「ピアノと管弦楽のための『ミクソリディア旋法の協奏曲』(Concerto in modo misolidio per piano e orchestra)」(1925)。
 この協奏曲はあまり聴かれることのない作品だが、第1楽章でピアノが登場するところなんか実にかっこいい。
 教会旋法、ミクソリディア旋法の特徴みたいなことは私にはわからないが、新鮮な感じがするメロディーラインであることは確か。そして親しみやすい。懐かしさすら感じる。あぁ、ミクソリディアぁぁぁぁ~ん。
 ロマンティックさもたっぷり。もっと聴かれて良いと思う作品だ。
 ただし、30分ほどの曲ながら、ちょいと間延びするというか、メリハリに欠ける面があるのは事実。それがこの曲の知名度がイマイチな理由なのだろう。

 私はシチェルバコフのピアノ、グリフィス指揮スロヴァキア放送ブラティスラヴァ響による演奏のナクソス盤を聴いている。1995年録音。

 さて、あれから3日経った今日の木曜日。
 あいかわらず私の胃痛は、じめじめと続いている。
 そして、今日も燃やせるゴミの収集日である。

 参考)大角欣矢「ポケット楽典」/音楽之友社

バッハの鍵盤音楽 in 「1Q84」Book.3

562407d2.jpg  《音楽も聴いた。老婦人はクラシック音楽のカセットテープを段ボール箱に詰めて届けてくれた。マーラーの交響曲、ハイドンの室内楽、バッハの鍵盤音楽、様々な種類と形式の音楽が入っていた。彼女が頼んだヤナーチェックの『シンフォニエッタ』もあった。一日に一度『シンフォニエッタ』を聴き、それに合わせて激しい無音の運動をした》

 村上春樹の「1Q84」Book.3の91ページ、今の青豆の生活を描いた一節である。

 まだこのころはカセットテープの全盛期だったなぁと、変なとところで感心する私。

 1984年の5~6年前に、SONYがエルカセットっていうのを発売した。Lサイズ(文庫本サイズ)のカセットテープとそれ用のデッキ。カセット並の操作性の良さと、オープンリール並の音質の良さが売り。

 でもほとんど陽の目を見ずに消滅ちゃった。
c9bfcefa.jpg SONYのページで写真を見つけたので載せておく。
 どのくらいの人が買ったんだろうなぁ。
 実は私は欲しかったんだけど……

 J.S.バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750 ドイツ)の鍵盤音楽。
 そう一口に言われても、かなりの作品数だ。
 チェンバロ(クラヴィア)曲なのか、オルガン曲なのか……
 あるいは、アルヒーフ:バッハ鍵盤作品大全集みたいな、重厚家具的なセットが青豆のもとに届けられたのか?
 って、そんなこと考えることがナンセンスです。わかってますって。

7cfd22f2.jpg  そこで今日は、「6つのパルティータ(6 Partiten )」BWV.825-830(1725⇔31)。「クラヴィア練習曲集第1部Klavierubung,1 teil)」Op.1として1731年に出版された。

 6曲のうち第2番と第6番が6つの楽章から、他の4曲は7つの楽章から成る。

 ここではスコット・ロスのチェンバロによるCDを。
 1988年の録音。エラート。掲載したCDの写真は国内盤のもので現在廃盤。輸入盤は ↓ のように入手可能。

 スコット・ロスは、1951年にピッツバーグに生まれたが、30代後半から不治の病におかされ、1989年6月に早すぎる死を迎えた。

 このパルティータの録音は死の前年ということになる。
 彼はスカルラッティのソナタのすばらしい録音も残している(私は抜粋盤しか聴いたことがないけど)。

 青豆は独り、バッハの何を聴いていたのだろう?
 そして1984年といえば、まだロスも生きていた。

あぁ、NHK、エネーチケー、エッチなケ

1f8737d6.jpg  大阪で単身赴任生活していたとき。
 土曜日の夕方。
 ちょっぴりHなビデオを観ていたら、ピンポォ~ンとチャイムの音。
 モニターには見知らぬおばさんが映っている。
 私はビデオデッキの再生を止め、警戒もせずにドアを開けてしまった。
 「こんにちはぁ。NHKですぅ」

 「NHKを観ることはないんです。本当に。そもそもテレビ自体観ないんです。いや、テレビはありますよ。でも、それはビデオとかDVDを観るためなんです。オペラとかバレエとか、そういうものです。NHKさんに敵意はないですけど、観ないものにお金を払うっていうのは、私の生活スタイルのオプションとしてはないんです」と、私は丁重に説明しようとした。そして、実際、NHKを観ることなどなかったのだ。

 しかし、おばさんと会話を始める前に、部屋の中から「ハッケヨォ~イ、ノコタ、ノコッタ」という声が。
 再生を止めたのでTVモードになり、運悪くデッキのチャンネルがNHKになっていたってこと……。女性のきれいな裸の映像が、太った男のTバック姿の映像に替わっていたってこと……

 何も言い訳できない。
 口座引き落としの書類を受け取りました。
 その日は意地で18時まで相撲を観てやりました。

 その後、私はインターホンの電源そのものを切っておくという生活を選択した。
 ずっと……
 だって単身赴任の私の所になんて誰も来ないもの。来るのはエネーチケーとか読売新聞とかだけ。

 さて、話は1979年7月15日にまでさかのぼる。
 この日の19:15からのNHK-FMの番組は、「NHKシンフォニーホール」。

 最後に放送された曲は、レスピーギの交響詩「ローマの祭り」だった。 曲が終り、解説者(局のアナウンサーではなかったはずだ)が言った。

 「ただいまのはレスピーギの交響詩『ローマのまつ』。指揮は岩城宏之さん。管弦楽はNHK交響楽団でした」

 このあと、「それでは今夜はこのへんで……」とか何とか言ったかどうかは覚えていないが、「り」はどこかに捨ててこられたまま。「り」はどーした?

 レスピーギはローマに寄せる深い愛着を表した作品として、「ローマ三部作」と呼ばれる交響詩を書いた。それは「ローマの噴水」(1914-16)、「ローマの松」(1924)、「ローマの祭り」(1928)である。
 つまり、「祭り」の「り」を忘れることで、「ローマの松」という、実際にある別な作品名になってしまうわけだ。

 リスナーでこの日初めてこの曲を耳にし、「あぁ、この曲は『ローマの松』っていうんだ」と、誤った情報を刷り込まれ、のちに公の場で赤っ恥をかくハメになった気の毒な人がいたかもしれない。そして、「祭りなんてだいっきらいさ!」と、心に傷を負うことになったかもしれない。

 そりゃ、「ローマの松」の方が、「ローマの祭り」よりも優れた作品だと言われるが(そして、それは間違いないのだが)、思い込みか口が滑った(のではなく、止まった)のかは知らないが、とってもいけない間違いだったと思う。

 解説も生放送じゃなかったと思うので、チェックできなかった“エネーチケー”がほとんどすべて悪いんだろうけど……

 村上春樹の「1Q84」のBook.3で、“エネーチケー”の集金人が執拗に青豆の部屋のドアを叩きわめくところを読んで、このことと大阪の話を思い出した次第。

 それにしても、タイトルのエッチなケって何だ?
 Book.3に「豊かな濃い陰毛」っていう記述が出てきたから、つい……
 すまん……

 レスピーギ(Ottorino Respighi 1879-1936 イタリア)の交響詩「ローマの祭り」(Poema sinfonico "Feste romane")は、「ローマの松」よりも大きな編成のオーケストラを必要とし、第3部ではマンドリンまで加わる。まあとにかく色彩的で派手で俗っぽいのだが、それゆえ深みには欠ける。そこが「松」との大きな違い。

 演奏頻度も「松」に比べるとかなり少ないが、それはオーケストラの編成上の事情もあるだろうが、作曲当時、ファシズムを讃える作品ととらえられた影響もあるという。
 
 曲は4つの部分から成り、各部は切れ目なく演奏される。

 第1部「チルチェンセス(Circenses)」
 チルチェンセスは古代ローマ帝国時代に円形競技場で行なわれた暴君ネロの祭りで、捕まえられたキリスト教徒たちが群集が見る中で猛獣に食い殺されるもの。いかにもそれらしい金管の叫びで始まる。

 第2部「五十年祭(Il Giubileo)」
 ロマネスク時代の祭り。巡礼者たちがモンテ・マリオの丘に集まってローマを讃える歌を歌う。

 第3部「十月祭(L'ottobrata)」
 ルネサンス時代、ローマの城で行われた祭り。やがて日が暮れ、セレナーデが流れてくる。
 第4部「主顕祭(La Befana)」
  主顕祭の前夜祭。その場のさまざまな情景が次々と繰り広げられる。狂乱の世界のまま曲は終わる。

 そして、「ただいまのは『ローマのまつ』でした」ってかぁ。

 その「ローマの祭り」だが、私はマゼールの演奏が気に入っている。また、「ローマの松」もマゼールの演奏が気に入っている。録音も良い。 
 

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