土曜日に「のだめカンタービレ」を観に行った。
最終楽章後編である。
「しぇんぱい、お別れでしゅ」というCMが流れていたやつである。
公開されてからもうだいぶ日にちが経っているので、映画館は平日の午後の田舎町のバス待合所のようにすいていた。
いや、シネコンだから他の映画も上映されているのだが、映画館(という表現が正しいのかどうか知らないけど)自体が、妙にひと気がなかった。
売店の売り上げが気になった私は、ポップコーン(バターしょうゆ味)を買い求め、鳩のように食べた。
「のだめ」の結末はコミックで読んで知っているので、映画を観てひどく驚くとかがっかりするということはなかったが、シリアスなものを表現したいという気持ちと、これまでの流れの面白路線も踏襲したいという、その相反するものをうまく融合させられないか、という制作者の葛藤が伝わってきた。そして、それはうまく解決できなかったように感じた。
それにしても、シュトレーゼマンと突然コンチェルトを協演することになったのだめだが、いつ練習したんだろう?
あっ、どーでもいいことですね。
昨日の日曜日。
そう、私がカッコウの連続コールで目覚めた昨日。
あまりにも良い天気だったので、昨日分のブログを更新したあと、私が行なったことは、まずビールを買いに行くことだった。
すいません……
いえいえ、昼間っからは飲みません。
あとから出かけるのが面倒だから、先に買いに行ったのです。
そのあとはガーデニング。
満開となったプルーンに殺虫剤をかける。
木が高く伸びてしまっているので、なかなか大変だ。
しかも、私には、去年脚立から落ちるという悲劇と打撃を経験している。
恐怖と緊張……
プルーンの木の周りには黒くて醜い大きなハエのような虫が飛び回っている。
産卵だろうか?
聞くところによると、プルーンの場合、花が咲くと同時に何とかという害虫が産卵するのだそうだ。その卵は結実した実のなかにそのまま包み込まれる。つまり、実の中で幼虫が誕生するというわけだ。
それが本当なら、いまのうちに薬をかけるしかない。
「高いところは嫌いなの」なんて言ってる場合じゃないのだ。
ということで、散布。
そのあとは雑草取り。
庭の中にアリの巣を発見。
アリ殺しスプレーのノズルを穴に差し込み噴射。
こんなに良い天気の日に殺りく行為する自分が、すっごく悪い人のように思えてくる。
さて、のだめがシュトレーゼマンとの協演で弾いた、ショパン(Frederic-Francois Chopin 1810-49 ポーランド→フランス)のピアノ協奏曲第1番ホ短調Op.11(1830)。
ショパンというと、ロマンティックなイメージと女性的な感覚を思い浮かべがちである。確かに彼はロマン派時代の作曲家ではあったが、ショパン自身はロマン派が嫌いだったようだ。
個人的な親交はあったが、ショパンはリストの音楽は粗野だと考え、シューマンの作品は大嫌いであり、ベルリオーズやメンデルスゾーンは無視し通したという。先人のなかでショパンは認めた巨匠は、バッハとモーツァルトだけであった(ベートーヴェンは偉大だとは認めたが、乱暴だと感じていたようだ)。
史上最大のピアニストの1人であったショパンだが、生存中ほとんどコンサートを開かず、主としてサロン・ピアニストとして通した。というのも、病身のせいもあり(肺が悪かった)、どんなに熱演しても音量に欠けたからである。
ショパンはピアノ協奏曲を2曲残しているが、いずれも彼がパリに出る前にポーランドで作曲したものである。第1番はショパンがポーランドを去る告別演奏会で彼自身の独奏で初演された。第2番の方が先に作曲、初演されているが、出版はホ短調のこのコンチェルトの方が早かったため、第1番となっている。
私はショパンのピアノ協奏曲をめったに聴かない。
良い曲だと思うが、オーケストラの響きが面白くないからだ。
ショパンはオーケストラの扱いは苦手だったようだ。
だからCDも1種類しか持っていない。
ニキタ・マガロフの独奏、ロベルト・ベンツィ指揮ラムルー管弦楽団のもの。
1962年録音。フィリップス。
現在は廃盤のよう。
もしかすると、私も他の演奏によるものを聴いてみるべきかもしれない。
そうそう、1984年12月17日に北海道厚生年金会館で行なわれた札響第254回定期演奏会。
指揮は秋山和慶。
この日のプログラムの2曲目が、ショパンのピアノ協奏曲第1番だった。
ということもあり、私は行かなかった(メインがシューマンの交響曲第2番だったし)。
でも、あとから新聞評を読んで、行かなかったことを悔やんだ。
ソリストはエバ・オシンスカという人。
確か美人ピアニストと騒がれていたような気がする。
そのピアノが信じられないくらいひどかったらしい。
調子が悪いというレベルではなく、下手ということ。
とてもオーケストラと協演するレベルじゃなかったそうだ。
いやあ、どんだけひどいもんだか観てみたかった。
そういえば、鳩時計ってのがあるが、あの時刻を告げる鳴き声は、カッコウみたいじゃないだろうか?
May 2010
本日は2010年5月30日。
全国的に日曜日である。
今朝は、久しぶりにゆっくり寝ていようと思った。
そして、ずいぶん寝坊したような気がした。
バックライトで照らされているかのように、カーテンが明るく輝いていたからだ。
時計を見る。
あらっ?まだ4時半だ。
こういうとき、すごく儲けた気がする。
まだしばらく寝ていても、神様も仏様も閻魔様も私を許してくださるだろう。
ふだんのこの時間なら自動制御ロボットのように起き上がる私だが、今日はお寝坊さんになっちゃおう(といっても、私がお寝坊さんになったときでも、家族のほかの誰よりも早く起きる結果になるのだが)。
うとうと……
うとうとうと……
んっ?
泣き声が聞こえる……
うとうと……
いや、鳴き声だ。
うとうとうと……
マーラーの交響曲第1番の提示部、第1主題が頭の中に流れてくる。
うとうと……
♪ チャチャーン、チャチャーン……
うとうと……
♪ チャチャッ、チャチャッ……
うとうと……
うとうとうと……
うとうとうとう……
うとうとうとうとう……
とうとう起きた。
ガバッ!と起きた。
カッコウだ!
カッコウが鳴いてる!
夢ではない!
カッコウの声が聞こえる!
「お客さん、ひひっ、ナマの格好でっせ」という牛河的な声が聞こえそうな、生カッコウだ。
生声なのだ!
今年初めて耳にするカッコウの声だ。
でも、ディーリアスの「春初めてのかっこうを聞いて」のようなしっとりした世界ではない。
いま聞こえるのは、執拗にカッコウ、カッコウ、カッコウとこれでもかと鳴き続ける、元気な声だ。やっと鳴けるぞ、と喜んでいるような声だ。
私も喜ぶ。
良い声だ。
一緒に「カッコー」って叫びたいけど、品位と人格を疑われそうなので我慢する。
これで、“さつきみどり2号”の種がまけるぞ(インゲンの品種である)。
“菜々子”だってまけるぞ(コマツナの品種である)。
そしていま、私は喜びと感動にあふれた気持ちで、朝早くからこの文章を書いているのだが(珍しく当日記述。投稿はもっとあとになると思う)、窓を少し開けている。
カッコウの声が良く聞こえるように。
でも、あらあら、鳴きやんじゃった。
もう、カッ子ったらぁ~。
マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第1番ニ長調(1883-88/改訂'93-96)。
この曲については過去にも書いているが、当初はJ.パウルの小説「巨人」に発想の根拠をおいた2部5楽章の交響詩として作曲され初演された(1889)。
しかし、第2楽章(「花の章」)を除いて4つの楽章から成る交響曲に改作した(交響曲としての初演は'99年)。現在でもこの交響曲が「巨人(Titan)」と呼ばれることがあるのは、そのようないきさつによる。
第1楽章の序奏部分で、すぐにカッコウの鳴き声を模倣した動機が木管群で示される(譜例.1)。このカッコウの声のモチーフは、この交響曲全体にわたって重要な役割を果たす。
また、ふつうカッコウの鳴き声の音は3度下降となるが、マーラーは1度間隔を開け、4度下降としている。
私が今朝、うとうとしながら頭の中で流れて聞いていた提示部のカッコウの声は譜例.2の部分である。
鳴き続けるカッコウの声を耳にしながら、マーラーのこの部分のカッコウ動機の鳴り方が、実に本物の鳴き方に似てるなとあらためて思った次第。カッコーー、カッコーー、カッコーカッコー。
楽曲の途中についてはここでは書くことを省くが、この交響曲の終りも、カッコッ!となっている(譜例.3)。
今日はレヴァイン指揮ロンドン交響楽団の演奏によるCDを。
レヴァインは1974年からマーラーの交響曲全集の録音に取りかかったが、第1番はそのシリーズのなかで2番目に録音された('74年8月)。レヴァインが31歳のときのことで、若々しい感性の演奏として話題となった。
いまでもこの演奏は輝いていると思っている。私はマーラーの第1番の演奏としては、ラインスドルフ盤とレヴァイン盤が好きである。
LPで最初にリリースされたときは、上に載せた写真と同じ写真(当時のレヴァイン(エマニエル坊やじゃありません)の写真)を使ったジャケット・デザインだったと記憶している(上に載せたのは、下に書いた、私が持っているCDの解説の裏表紙の写真である)。
現在販売されているのは、下に載せた2枚組のCDで、第6番とのカップリングである(私が持っているのも、この2枚組である)。
なお、このときのレヴァインのマーラー交響曲全集は、結局、第2番と第8番は録音されないまま終わっている。
それにしても今日は良い天気だ。
カッコーに温かな日差し。
プルーンの花も満開である(いまのタイミングで殺虫剤をかけなければ……)。
こんな日は、家でブログを書くに限る……紫外線を浴びないために。
いや、雑草取りをしなければ……
昨日の午前中、〇〇ランドの猪川なる人物から職場に電話が来た。
〇〇ランドの猪川というのは、そう、火曜日の夕方、銀座へ向け超高速2本足歩行していた私を呼びとめ、「いま、新人研修中なんです。今日一日で100人の方と名刺交換をしなければ、社に帰れないのです」と言ってきた、あの若者である。
場所はゆりかもめ新橋駅近くだった。
私が快くとは言わないまでも、慈悲深い心で名刺交換に応じたことは、すでにみなさんご存知のとおりである(ご存知でない方は、ここをクリックして存じ上げますか?(推奨))。
その猪川君からの電話である。
どうして私の勤務先の電話番号がわかったのだろう?
そっか、名刺を渡したからか……
「ワタクシ、葛飾アニマルランド(仮称)の、イノカワと申します」
「はぁ」。
私はすぐにあの若者だとわかったが、ちょいとじらしてみた(以下、私の発言に相当量の虚偽表現あり)。
「あの、覚えていらっしゃいますでしょうか?」
「ふぅ」
「先日、新橋で」
「いやぁ~ん」
「名刺交換を」
「あぁ、チェンジしたYouね」
「そ、そうです。あのときは本当にありがとうございました」
「House、House」
「おかげさまであのあと社に帰ることができました」
「それはよかったですね」
「はい。M様はよく東京に出張でいらっしゃるのですか?」
「もっと、いじめてぇぇん。もっと、Sっぽくぅ~」
まっ、ともかく、なかなか礼儀正しい青年ではないか。
「ところで、ワタクシども、葛飾アニマルランドのことはご存知でしょうか?」
「もう知らないっ!」
「都内のマンションを扱っているのですが……」
「へぇぇぇぇぇ~っ!」
「そこで、お電話したのは、研修第2弾ということで、M様に当社の商品についてご説明差し上げなければならないのです」
来た来た……。話題の転調。
私は、彼をちょっと信じていたが、ちょっとで良かった。
なんとなくだが、こんな展開になるような気がしていたのだ。
私はかぶりを振った。グワァァァァ~ん。向こうに見えないのが残念だ。こっち側の周囲の人は、私を奇異に思ったのが残念だ。
「そういうのにまったく興味ないんです」と私。
「このようなお電話はよくあるのでしょうか?」
「しょっちゅう」。私はウソを言った。
「しかし、わが葛飾アニマルランドの物件は、投資するには……」
ほらほら、マンション販売じゃなくて投資だ。
でもね、アナタのココロはお見通しよ!透視されてるのよ!
だいたい、私はいま、投資どころか住宅ローンの借り換え手続きで忙しいのだ。
「まっっっっったく興味ないですから。まっ、がんばってください」
そう言って、私は電話を切ろうとしたが、最後にU君は言った。
「このあいだは、本当にありがとうございました」
ここに、彼が(たぶん)悪い人間ではないということを垣間見た気がする。
捨て台詞、例えば「お前の母ちゃん赤でべそ」といった言葉を吐いたり、向こうからガチャンッと電話を切ったりする豹変型が多いなか、彼は感謝の言葉を、それが儀礼的なものであるにせよ、言ったのである。
どこまで信じていいかよくわからないけど、葛飾アニマルランドの猪川君がんばるんだよ。そのうち辞めそうな気もするけど……
猪川君が悪いのか、葛飾アニマルランドという会社がうさんくさいのか、それとは逆に葛飾アニマルランドは社会に貢献するすばらしい企業なのかどうかは知らないけど、ああいう手段で名刺をゲットし、営業に利用するというのは、どう考えても正攻法とは思えない(逆のパターンで、営業マンが古書店の古書のなかに自分の名刺を挟みこむ、という手を使った話が、宮部みゆきの「淋しい狩人」(新潮文庫)に納められている)。
ということで、何となく善意を踏みにじられたような気がするので、悪者をやっつける話の音楽。
プロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953 ソヴィエト)の交響的物語「ピーターと狼(Peter and the wolf)」Op.67(1936)。
子供のために書かれた作品で、各楽器に登場人物(動物)の役割を与え、わかりやすくオーケストラの楽器を紹介している。
オーケストラの楽器を紹介する作品としては、ブリテンの「青少年のための管弦楽入門―パーセルの主題による変奏曲とフーガ」があるが、ブリテンの曲ではナレーションを省くと純粋に音楽作品として楽しめるものの(むしろナレーションがないほうがいい)、「ピーターと狼」は物語に沿っているのでナレーションなしというわけにはいかない。
もっとも、英語のナレーションを聞いていても何が何やら、やれやれやれな私だけど(繰り返し聞いても英語は覚えられないものだ)。
だからといって、日本語の語りがあったほうがいいかというと、その昔、中山千夏(懐かしい名だ)が語りを務めた演奏を聴いていたが、その語りを聞いていてなんとも恥ずかしい気持ちになって(中山千夏に惚れていたというのでは、もちろんない。そのテンションに、だ)、これまた聴きたくなくなったものだ。
書いてることが無茶苦茶だが、まあ、「ピーターと狼」はナレーション抜きでは曲が進行していかないのである。
「ピーターと狼」はプロコフィエフのほかの作品に見られるような、ギスギスしたところや、三角定規の先端のようなところがない。子供を対象にしていることを配慮したのだろう。なんだ、人に気を遣うことができるんだ。プロコフィエフも。
でも、こういう曲にこそギスギスした要素を取り入れ、子供に世の中の厳しさを教えるべきではないだろうか。ないな……
先に書いたように、ナレーターがストーリーを進めていくが、最初に楽器の役割と、その音色(性格づけられたメロディー)を紹介する。
楽器の配役は、フルート=小鳥、オーボエ=アヒル、クラリネット=猫、ファゴット=ピーターのおじいさん、3本のホルン=狼、ティンパニ=ハンターの鉄砲の音、弦楽=ピーターで、これらの役割を与えられた楽器が、ストーリーにしたがって主役となり、オーケストラとともに物語を進める。
ストーリーは以下のとおりである。
昔、むかし、あるところにピーターという少年がいました。
ピーターは、門を開けて、牧場に駈けて行きました。木の上には小鳥がとまっていました。「静かだね。」。
アヒルがよたよた歩いています。アヒルは、牧場の中の池を目指しているのです。
小鳥は、「空を飛べないんじゃ、鳥じゃないよ」と言いました。
アヒルはそれに対して、「黙れ!」と言って、池にきれいに飛び込み、すいすいと泳ぎました。
カエルたちは拍手喝さい。
小鳥が岸辺をはねているときに、アヒルは池で泳いでいました。 突然、ピーターの目に何かがとまりました。それは芝生の上をこっそり歩いている猫でした。
猫は、そっと忍び寄り、「小鳥は、こっちに気がついていないぞ。」と、小鳥を襲おうとしました。
「気をつけろ!」とピーターが大声で叫ぶと、即座に小鳥は木の上に飛びました。アヒルは猫に対して勇敢にもガーガーと、池の中から鳴いています。
猫は、木の周りをうろうろし「木に登ったとしても、その前に小鳥は逃げてしまう。もし、羽があったらな」と悔しがりました。
そのときに、ピーターのおじいさんが現われました。
おじいさんは、ピーターが草原に出ていたことをとても怒りました。「危ないぞ。狼が出てきたらどうするんだ」。
「男の子は狼なんか怖くないのさ」と、ピーターは言いました。でも、おじいさんはピーターの手を引いて、門の中に入りました。
ピーターが門に入ってまもなく、森から大きな灰色の狼が出てきました。
猫は驚いて、翼がないにもかかわらず、木に登ってしまいました。
アヒルは、ガーガー鳴き反動で池から出てしまいました。アヒルは、よたよた歩いていましたが、そこに狼が後ろから、そーっとそーっと近づき、ついに狼はアヒルを捕まえて、一息で食べてしまいました。
猫と小鳥は、木の上にいました。その木の回りをうろうろしながら、狼はどうやって猫と小鳥を食べようか、考えていました。
ピーターは門の陰で、その様子をじっと見ていました。そして、家まで走りロープを取ってきました。
狼がうろうろしていた木の枝は壁まで届いていました。そこでピーターは、壁によじ登り、その枝に飛び移りました。
ピーターは小鳥にささやきました。「狼の回りを飛んでおくれ。気をつけて。決してつかまらないようにね」。
小鳥は狼の鼻先・耳をかすめて、尻尾をくちばしで突っつきました。狼は、噛み付こうとしたがうまくいきません。そして、歯をむき出してうなりました。
ピーターは狼を捕まえる準備をしました。
ピーターは、ロープで輪を作り、それを上からたれ下げました。そして、それで狼の尻尾を捕まえたのです。
ピーターが力いっぱい引っ張ると、狼は「しまった」と気がつきましたが、もう遅い。ピーターはもう一方の端を木に結びつけました。狼が暴れれば暴れるほど尻尾がきつくしまってきました。
そのあとすぐに数人のハンターが狼の足跡を追って出てきて、狼を撃とうとしました。「撃たないで! 僕達は狼を捕まえたんだ。狼を動物園に連れて行くのを手伝ってよ」。
さて、これからパレードです。
先頭は、ピーター。
それから狼を引っ張っているハンター。
それからおじいさん、そして一番最後は、猫。
おじいさんは、ちょっと浮かない顔です。「もしピーターが狼を捕まえられなかったら、どうなっていたことであろう」。ちょっと心配顔です。
小鳥は、頭上を飛び回っています。
あれ? よく聞いてみると、狼のお腹でアヒルが鳴いているではありませんか。なんと、アヒルは、まだ生きていたのです。
もう、突っ込みたくなるところが736箇所はある内容だ。動物園に許可を取ったのか?そんなことで拍手喝さいしてる場合か、カエル?etc,etc……
弱肉強食の自然社会を子供に教えつつも、悪は滅び善が勝つという構図。でも、狼は狼らしい振る舞いをしただけで、悪じゃないよなぁ。
それにアヒルがハラの中で生きていたって?この狼、胃酸が弱かったのかな。確かピノキオも鯨のハラの中で生きていたな……。やっぱ、よく噛まないと消化に悪いんだな。
私だったら、驚きのあまり猫は木から落ち、アヒルは溺れ、一度は狼を捕らえるのに成功したピーターだが、ロープが切れて狼に逆に襲われ、狼は一息ではなくできるだけ恐怖が長続きするようにネチネチと噛み、爺さんはまだ長生きしたいから身を隠したまま。現われたハンターはウォッカの飲みすぎで手元が狂って仲間を撃ってしまい、小鳥は気が狂ってガーガー鳴きながらスイスイ泳いでしまう、というストーリーを……いえ、何でもありません。
まあ、とにかく、フルートやオーボエ、クラリネット、ファゴットの役割付けは、楽器の特徴を良くとらえているし、全曲を通じて現われるピーターのメロディーは親しみやすい。
ティンパニが鉄砲の音というのは、ちょっとどうかと思うが…(どう思うかは、うまく言えない)。ホルンだって、本当は優しい音が素敵な楽器なのだ……
この特殊作品が、しかし、日本でよく親しまれているのは、小学校の音楽の授業で鑑賞必須曲に指定されている(いた?)から。 私は鑑賞した記憶がないのだけど。
私の持っているCDはM.サージェント指揮ロンドン交響楽団の演奏によるもの。ナレーションはR.リチャードソン。
1970年録音。DECCA。
このCDはまるで当たり前のように今は廃盤になっている。
私は狼の餌食にはならないよ。
だって、男は狼だもの。
じゃなくて……
猪川君も気づいたら餌食になっていたなんてことにならないよう、気をつけてね。
おとといの水曜日。
前日に続いて汐留で会議。
夕方、これまた前日と同じようにゆりかもめの駅のあたりを歩いた。さすがにこの日は〇〇ランドの、100人斬り、じゃなくて、「名刺交換友だち100人できるかな」兄ちゃんには出会わなかった。
そうそう、昼食は会議で出た弁当だったが、私はグワァ~と一気に食べ(そのせいで、そのあとおなかが痛くなってしまった)、YAMAHAまで行ってみた。
なんかおしゃれ。
でも、ちょいと暗い雰囲気。
楽譜は以前と同じようにたくさん売っているが、CDは少なかった。
なんとなく、居心地が悪いというか、落ち着けない店だった。慣れてないだけなのかもしれないけど。
夜は丸の内オアゾの小松庵へ。
私が行くと、店の女性がすごく懐かしそうに私を迎えてくれた。
こういうのって嬉しい。
前に、仮名ながらも、小松庵子なんて書いてすまなかった。
店長も、亡霊を見るかのように驚いて迎えてくれた。
わざわざ札幌から来てよかったと、ひしひしと感じる。いえ、小松庵に寄るために飛行機に乗ってきたわけじゃないけど……
おいしい肴とそばを堪能。
一緒に行ったのは東京支社の2人。
私は彼らより一足先に店に着いたので、上に書いたような亡霊目撃みたいな感動的再会の挨拶をしたのだった。
2人が来るまでの間、独りで“おかめ抜き”を注文しビールを飲んだが、店内にはバッハのインヴェンションが流れていた。
う~ん、そば屋にバッハ。
インヴェンションのピアノの音が、これまたしっくりと合っていた。
東京の2人も満足してくれたようだ。
ちなみに“おかめ抜き”というのは、“おかめそば”のそば無し。つまり、具である。
岩のりとかまぼこ、しいたけとホウレンソウ、玉子。
彩りがあるのに上品。あたかも、私が椀に収まっているかのようだった。
昨日、6月に行われる札響第530回定期演奏会の1曲目で取り上げられるオネゲルの「夏の牧歌」について書いたが(曲のことはたった数行だけど)、今日は同じくその日に演奏されるサン=サーンス(Camille Saint-Saens 1835-1921 フランス)のチェロ協奏曲について。
帰りの飛行機の中で、騒音にもめげずに聴いた。
第1番イ短調Op.33(1872)と第2番ニ短調Op.119(1902)の2曲が演奏される。2曲といっても、時間的なことだけいえば、それぞれ20分弱の曲だから、2曲でも40分までかからない。あくまで時間だけのことだけど。
ソリストはS.イッサーリス。
私はサン=サーンスのチェロ協奏曲をこれまで聴いたことがなかった。
そこで予習のためにCDを購入。
CDのソリストは客演のために来札するイッサーリスその人。指揮はM.T.トーマス。オケはロンドン交響楽団。
まず第1番だが、色っぽいというか官能的。両端楽章なんか絡み合いを想像してしまうほどHっぽい(何が絡んじゃったのかしら?)。
独奏チェロは、あたかも恋人にじゃれつく女の子のようだ。いや、チェロという楽器の音の高さからすると「女の子」じゃなくて「男の子」でもいいんだけど、それは想像したくない。また第2楽章は、やさしくささやき合うような感じ。
ただ、これはサン=サーンスの良いところであり、同時に優等生的な弱点でもあると思うのだが、あくまでも上品さを失わず俗っぽくならない。そこがオジサンには物足りない感じもする。こんなもんじゃないんだぜ、って……だって、CDジャケットのあの花を見てごらん。
いやぁ、なんのことやら……
第2番は、第1番の官能的に対して激情的。
彼のホルンのための「演奏会用小品」の性格に似ているかもしれない。
第2番もけっしてつまらない作品ではないが、第1番と比較すると演奏会で取り上げられる頻度はずっと落ちるそうだ。
なお、第1番も第2番も各楽章は続けて演奏され、単一楽章の作品のようになっている。
イッサーリスのチェロによるこのCDは、サン=サーンスのチェロ作品集。1992録音。RCA。
東京の暑さは思ったほどではなかったが、それでも札幌に比べればはるかに暖かである。
札幌の気候でいうと、いまの東京の気温は夏真っ盛りに近い。
「夏の思い出」(1949)という有名な歌がある。
作詞は江間章子、作曲は中田喜直。
「夏がくれば思い出す はるかな尾瀬 遠い空 ……」という歌詞だ。
ところで、私にとって、夏の思い出って何であろうか?
あまり夏についての思い出がない。
小学生のとき、青森の祖母のところに遊びに行き、近くの少年と仲良くなり、どこかの畑でスイカを盗んだ、というぐらいだ。
あとは、遠くから聞こえる盆踊りの歌の音。
なんというか、広大な風景と結びつくような、つまり大自然的な思い出はない。
自然と結びつくのは、いつも春とか秋だ。私にとって。
もっとも、北海道の場合は夏というものが、春と秋との間に瞬間的にしか存在しないせいもあるのだろう。パンが厚くてハムがパラフィン紙並みに薄い、うそっぱちなハムサンドイッチみたいなもんだ。
私は札幌に生まれ、途中5年間ほど浦河町で育ち、そのあとはずっと札幌で暮らしてきた。大学も自宅から通ったし、就職した会社は北海道内各地や本州の主要都市に支社があるが、私は新入社員から18年間は本社勤務だった。
そんな私の初めての転勤が、いきなり環境激変地区の大阪だと決まったときには、地動説を始めて耳にした聖職者ぐらいの衝撃を受けた。だって、生まれてこの方、独り暮らしなんてしたことなかったんだから(つまり単身赴任を決意)。
その大阪の夏は、暑さを通り越して、無料天然サウナのようであった。
セミはやかましいし、クモはでかいし、街は臭いし……
いやぁ、よくしなびてしまわずに、ぴちぴちのままに暮らし抜いたものだ(実際は途中激やせして、ガンじゃないかと陰で噂されていたらしいけど)。
それを経験してから東京に異動したので、東京の夏はそりゃ暑かったけど、ずっと楽だった。
こうして、何日か東京に滞在していると、3年ほど前の東京生活を思い出す。
おっ!これぞ夏の思い出か?
都会の夏は、当たり前ながら牧歌的な雰囲気なんてないが、今日はオネゲル(Arthur Honeger 1892-1955 フランス)の小管弦楽のための作品である「夏の牧歌(Pastorale d'ete)」(1920)。
この曲は来月、つまり6月の札幌交響楽団の定期演奏会の1曲目として演奏される(指揮は尾高忠明)。
「夏の牧歌」は、オネゲルが夏のスイスの風光に魅せられ、A.ランボーの詩「イリュニナシオン」のなかにある「夏の暁を抱きて」にインスピレーションを得て作曲された、演奏時間が7分ほどの小品である。
自然の喜びを全身でひしひしと味わっている感じの美しい曲だ。
オネゲルはすでに1916年に「6人組」としてデビューしていたのだが、1921年に初演された「夏の牧歌」が、このときの人気投票で1位となり、ヴェルレイ賞を受賞するとともに、作曲家としての地位を固めるきっかけとなった。
CDはフルネ指揮(フルネが指揮棒をふるね、なんてくだらないギャグは、指が12本あっても打たない、私は)オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるものを。1993年録音。DENON。
CDの詳細は ↓ 。このCD、レコード芸術誌の推薦盤に選ばれた演奏である(たぶん初出のときのことだと思うけど)。
高校3年生の夏休み。
私はクラスメートと2人、オホーツク海側の方へと旅行した。
その行程の中で、湧別から網走まで鈍行列車に乗ることがあった。とっくに廃線となってしまった湧網線が、まだあったのだ。
途中、計呂地(けろち)という、カエル君が駅長を務めてるんじゃないかというような名の駅で降り、サロマ湖まで行ってみた。
駅長さんに聞いて(そう、あの駅、無人駅じゃなかったのだ)、駅の裏手から湖につながる未舗装の道を歩いた。左側は湿地のような感じで、右側は林だった。
歩き出してすぐに、大量のアブが寄ってきてたいへんだった。久しぶりに獲物が来たって感じで、ふだんは人なんてほとんど来ないことが、やつらの喜びダンスでわかった。
このときに撮った風景写真の1枚を、「夏の牧歌」が入ったカセットテープのケースに入れていたことがある。
そうそう、自分の写真も撮ったが、胸ポケットにタバコが入っていて、クラスメートには堂々とその記念写真を見せられなかったという記憶がよみがえってきた。
湖を見て、駅に戻ると、駅長(もちろんニンゲン)は昼寝していた……。日に何本も列車が走ってるわけじゃないからなぁ。
って、けっこうあるじゃん、私にも。
夏の思い出が。
今朝の食事は、ローソンの「塩むすびセット」(温めずにお召し上がりください、という表示がホテルの部屋におこもりの私には心強い)と、……マルちゃんのワンタン(スープがおいしい、という表示が幸せを感じさせる)。
あっ、そうそう昨日の夜は久しぶりに丸の内オアゾの小松庵に行って食事をした。
その充実したひとときについては明日のブログでちょっぴり書きたいと思う。。
今日、午前中の便で札幌へ帰る。
昨日、汐留で行われた会議(正しくは会議ではないが、説明するとややこしいので会議ということにする)は、17:30までかかった。
終わったあと、急ぎ足で新橋の方に向かっていたら、スーツ姿が初々しい、とは必ずしも言い切れない、若者に声をかけられた。
「すいませ~ん」
「気づいていなかったですが、私に謝らなければならないようなことをしたんですか?初対面のお方よ!」
「違います。突然お声をかけてすいません。いま、新人研修中なんです。名刺を100枚交換してるんです。ご協力お願いします」
「いま、100枚も名刺を持ち合わせていません」
「いえ、あなたとは1枚でいいんです。100人の方たちとという意味です」
「それは助かった」
「私はこういう者です」
そう言うと、彼は自分の名刺を出した。
私は彼の言ってることをすぐに信じる気にはならなかったし、一夜あけた今も、心から信じているわけじゃないが、ありえない話ではない。
それにしても、100人と名刺交換することに、果たして何の訓練効果があるのだろう。勇気をつけるのか?それならバンジー・ジャンプを10回やらせた方がいいんじゃないだろうか?
彼の名刺には、社名が“何とかランド”と書いてあった。
富士急ハイランドとかディズニーランドなら私も知っているが、そういう名前ではない。
「何の会社なの?」と、私は聞いた。このように言い方が完全に自分優位になっているのが、我ながらおかしかった。くすくす。左心室の奥のほうで私は密かに笑った。
「不動産です」
「私は東京の人間じゃないですが、その名刺でもいいの?」
完全に私の言い方は上からモードだ。いやな男だ、私は(←あくまで単なる謙遜です)。
「えっ?では、今日は観光か何かで?」
「どちらかというと、あとの“何か”の方です」
「そうですか。お疲れ様です。ぜひ、名刺をいただけないでしょうか」
ということで、私は名刺を出した。
こういうときに、カチャカポコナとかナタオーシャの名刺を持ち合わせていたらよかったのにと、自分の準備不足を悔やむ。それを出したらどんな顔をするだろう、彼は。私のことをサラリーマンに扮した女性だと思うだろうか?
このような、貴重だけどためにならない経験をしたあと、私は銀座へ歩みを速める。
18時にナシニーニと待ち合わせをしているのだ。
中央通りを歩いていていると、おぉ、何ということだろう!
東京に住んでいたときには建て替えが始まっていたYAMAHAのビルがキラキラと、少女漫画の主人公の親友の瞳のように輝くビルに生まれ変わっているではないか!
寄ってみたいところだが、時間がないのと、1つ前の信号でYAMAHAの向かい側に渡ってしまっていたので断念。
山野楽器に着き、2階のCD売り場に行く。
急いでいたのは待ち合わせの前に、CDを探したかったからだ。
ハチャトゥリアンの交響曲第3番。
この作品、全音からスコアが出ており、買いたいなと思っているのだが、肝心の音楽を聴いたことがないのだ。山野楽器にならCDの店頭在庫があるかな、と期待したのだが。“交響曲-作曲者名 は”の棚には、その前に他の人への気遣いがない邪魔くさいオジサンがしゃがみこんで何かのCDを探している姿があるだけで、私が求めるCDの姿はなかった。
ネットで買うか……
そのあと銀座でナシニーニに食事をご馳走してもらい、食事のあとは私が東京時代に接待で使っていたクラブ(といっても、実質はススキノでいうところのスナックだ)に行ってナシニーニに夕食のお返しをし、東京人のように山手線で帰った。
その帰りの電車の中で、若い女性が1人、優先席に座って念入りに化粧をしている。
23時に、なんで化粧をしているのだろう。
彼女は1人、これからどこへ行くのだろう?
家に帰るんじゃないのだろうか?
東京にはやっぱりイロンな人がいる……
ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の映画音楽「女ひとり(Odna)」Op.26(1930)。
先日私はこのナクソスのCDを購入したが、これが完全全曲盤としては初レコーディングとなるものだ、と書いてある。
だから当然、私も初めて全曲を聴いたことになる(それまではロジェストヴェンスキー編の組曲版は聴いていた)。
どんな映画か知らないが、CDジャケットの写真―これは映画の1カットに違いない―を見る限り、大爆笑映画でないことは確かだろう。
でも、開始も終わりも、そして途中の少なからずの曲が、明るくて、能天気なにぎやかさがあって楽しい。
そして、この作品の締めくくりの曲は、彼のバレエ「明るい小川」Op.39(1935)の前奏曲と同じ音楽である(もちろんそっくり同じではない)。
最初に使っても、終わりに使っても、この楽曲はとっても良い曲で、違和感もない。
「女ひとり」は、オーケストラのほかに歌手、合唱が入るうえ、テルミンまで用いている。ずいぶん大規模な映画音楽だ。
CDはマーク・フィッツ=ジェラルド指揮フランクフルト放送響他による。2006年録音。
今日も1日、汐留で会議(に類するもの)。
帰りに、またあの兄ちゃんに声をかけられたりして。
そう、昨日の私のことをすっかり忘れて……
……あると思います。
昨日羽田に到着したのは19:30頃だった。
定刻なら19:05に到着するはずだが、羽田空港が混雑していて遅れたのだ。
そのあと宿泊するホテルのある田町へ移動。
京急って実際の乗車時間はそうじゃないのに、すごく長く乗り続けているような感覚がある。モノレールの方がすごく高速に感じるのは、あの揺れのせいだろうか?
ホテルのロビーには取引先の部長であるナシニーニがすでに来てくれており、美しい私を待っていてくれた。
私より少し早い便で、先に東京入りしていたのだ。
さて、遅くなったが夕食だ。
最初に和食の店に行く。
店に入ると、「ラスト・オーダーまであと30分ですが、よろしいでしょうか?」という。
まだ20:30だ。
ラストオーダーは21:00、そして閉店はその30分後の21:30。
う~ん、こりゃだめだ。
少なくとも、ラスト・オーダーまであと48分、閉店まで88分は欲しい。
それにしても、この閉店時間、下手すると百貨店のレストラン街よりも早い。
ということで、雨の中、別な店に向かう。
笑笑だ。
この店には、8日前の日曜日にも来ている。
もちろん私は、店の人たちの何人かの顔を覚えている。
向こうは覚えていないだろうが、私がわざわざ札幌から、この芝浦の笑笑に2週続けて来ているなど、彼らは夢にも思っていないだろう。
そして、今回も前回同様、揚げウィンナーと塩カルビチャーハンを頼んでいるという、その中毒的な習慣性にも気づいていないだろう(前回はその前日に別な店で魚肉ウィンナーまで食べたのだ)。
先週のときは日曜日ということで、店内はガラガラ。笑笑というよりは哀哀(あいあい)の雰囲気が充満していた店内だが、昨夜は確かに誰かかれかの笑い声が聞こえた。
今朝。
相変わらず4:30に目が覚めた。
今日は9:00にホテルを出発すればいいので、もう少し寝てようと努力して二度寝を試みる。
しかし、だめだ。
私は諦め、シャワーを浴びて、部屋で朝食をとり、としていたつもりだが、簡単に二度寝してしまっていた。髪は洗われていなかったし、買ってあったコンビニのおにぎりも部屋にあった。
夢だった。
時刻は5:30。
いよいよ起床(ほんとはもっと寝ていたかったけど)。
ブログをアップしようとしたら、なぜか私が利用しているBlogzineにアクセスできず、エラーがでる。
しかたないから、おにぎりとマルちゃんのワンタンを食べる(最近はおにぎりとマルちゃんワンタンというメニューが多い。若い頃はワンンタンメン(激メン)でもOKだったのに)。
腹も満ちたし、再アクセス。
おや、あっさりと成功。
ワンタンの湯気がレンタルパソコンを元気づけたのか?
東京への機内で読んだのは宮部みゆきの「淋しい狩人」(新潮文庫)。
短編集だが、それぞれの話に古書店の主人・イワさんが登場する。
そのなかの1つ、「うそつき喇叭」。
喇叭はラッパである。
ふつうはこの漢字、書けない。
しかし、クラシック音楽のなかでも作品数が多いレクイエムでは、その歌詞対訳のなかで「喇叭」と記されていることが少なくない。
「うそつき喇叭」というのは、この小説中に出てくる童話だが、その内容が暗い。でも、印象的だ。ここでは書かないが……
うそつき喇叭とは関係ないが、井上喜惟(いのうえひさよし)指揮アルメニア・フィルによる、ハチャトゥリアンの交響曲第2番のCDを買った。
“JAPANESE MUSIC FESTIVAL 2000 IN ARMENIA”というタイトル。同じシリーズのCDで、伊福部昭の、「ヴァイオリンとオーケストラのための協奏風狂詩曲」(ヴァイオリン協奏曲第1番)とヴァイオリン協奏曲第2番を以前ここで紹介し、私はあまり好意的な感想を書かなかった(攻撃もしなかったつもりだけど)。
このCDもタイトルのとおり、2000年の録音(ライヴ)。レーヴェルはAltus。
ハチャトゥリアンの交響曲第2番だが、予想したとおりというか、期待を裏切られたというか、なんとも軽い。
迫力がないとか、オケが下手でズタズタというのではないが、迫りくるものが希薄。伊福部の演奏のときも思ったが、オーケストラの楽器の音の層がうまく融合しあっていない感じだ。もっとも、伊福部のヴァイオリン協奏曲第2番のときは、そのスケスケ感がある種面白くも感じたのだが……。
うそ、いや、喇叭、いや、金管群の音も玩具的に軽い。
このシンフォニー、私はヤルヴィ盤、ハチャトゥリアン盤に続き3番目のCD経験となったが、3種の中でいちばんやれやれ。もっと怒りを込めてやってくれ!と思う。それとも、この脱力感が井上なりの怒りや悲しみの表現なのか?
楽譜は1969年版を使っている。
そうそう、このCDの最初に収録されている「君が代」のアレンジが美しくてすばらしい!
先日タワーレコードに立ち寄ったら、井上喜惟が指揮するマーラーの交響曲のCDが何点か出ていた。あの、空気が薄いような演奏でマーラーがどう鳴り響くのだろうか?ちょいと、まだ投資する気になれなかった。
先週の土曜日。
珍しく1日中ほとんど風がなかったので、今年初めてバラたちに殺虫剤と殺菌剤を散布した。
まずは右手人差し指を舐めたあと、顔の前に立ててみる。
風向きを確認するためだ。……って、こういうの、昔の冒険ストーリー漫画なんかで見かけたよな気がするが、私がやったというのはウソです。
薬剤を2リットル作り、かけて回る(駆けて、ではない)。
おやおや、あらためて見ると、もうすでに何本かのバラの新芽にアブラムシがたかっているではないか!
危ない危ない。楽観してた。
あいつらの行動の方が早かったのだ。
シューッ!
突然の死!
かわいそうだが、これもバラのためだ。
庭の状態だが、ユーフォルビアが咲きだした(写真上)。
正確な名前はわからないのだが、おそらくはユーフォルビア・ポリクロマという品種だと思う。この苗は、どこかの店でバラを購入した際にオマケでもらったもの。こういう経緯で仲間入りした植物の方が、意外と元気いっぱいに育ったりする。
ユーフォルビア属はトウダイグサ科で、特徴は樹液(この品種は草だけど)がミルクのように白いこと。
ユーフォルビア属の植物は多肉植物でも多く育てられおり、特に一般的なのは柱サボテンのような形状のサイウンカクである。
ほかに、バラの病気予防のためにあちこちに植えてある、ハーブのチャイブも蕾を持ちだした(写真下)。
この日の午前中は床屋に行った。
床屋の主人は「まだ、カッコウが鳴きませんねぇ」と言った。
私は「そうですね」と答えた。
カッコウが鳴いたら野菜のどんな苗も植えつけていい気候になった、ということを言いたかったらしい。
早く鳴け鳴け、カッコウ君。
ヴィヴァルディ(Antonio Vivaldi 1678-1741 イタリア)のヴァイオリン協奏曲イ長調「かっこう(Il cucu)」P.219,RV.335(私が持っているCD(MUSICA AD RHENUMによる演奏。1994年録音。ブリリアント・クラシックス)では、オルガン協奏曲と書かれている)。
「カッコー、カッコー」というモロな音型は出てこないが、鳥を描いていることは、あるいは鳥の鳴き声に似ていることは、よくわかる。
所有CDでは、第3楽章で鳥の鳴き声が加えられている。
はい、廃盤のようです(このCDは8枚組のうちの1枚)。
さて、本日からまた出張に行って来る。
東京。
何食べようかな……
先日、職場(部レベル)での“花見”があった。
花見といっても、実際に桜のある戸外でするのではなく、どこかの店で酒を飲むだけだ。つまり、忘年会や新年会の春バージョンである。
その日はジンギスカンであった。
本州の人は花見といっても、“お花見弁当”を持っていって食べるだけ。焼き肉をする習慣はあまりないようだ。
しかし、北海道では何かといえばジンギスカンや焼き肉である。
ノロシを上げるのが好きなインディアンのように、北海道の人も火をおこすのが好きなのだ。
ただし、私はある程度の年齢になってからジンギスカンが非常に苦手になった。
羊の臭いが、耐えがたいと言わないまでも、かなり受け付けなくなってしまったのだ。
でもそれは、決して“羊男”のせいではない。
あるとき、大量の羊肉を在庫している場所に行くことがあり、その強烈な臭いが充満する部屋に入らされたときがきっかけだと思う。
この日行った店は新しくできたジンギスカン店。
こぎれいだが、店に足を踏み入れた瞬間に、シープちゃんの臭いが全身にまとわりついてきた。臭いはソープに限る。
われわれ数十人の一行が、あちこちで点火し焼き始めると、私はほぼ失神状態。
ほとんど物を口にせず、ビールだけを飲む。
そのビールも、飲み放題コースであるため、ピッチャーで来る。
やがて、ビールから焼酎などに飲み物を変える人が増え、回転が悪くなったピッチャー内のビールがぬるくなってくる。
拷問的晩餐。
楽しげに羊を食べているみんなと、一線も二線も画しているような孤独感。
頭の中に悲しげな鐘の音が鳴り響く……
最近聴きまくっているハチャトウリアンの交響曲第2番「鐘」のような音ではなく、もっと悲しげなもの……
ということで、リスト(Liszt Ferenc(Franz) 1811-86 ハンガリー)の「鐘(ラ・カンパネラ,La campanella)」。
この曲は、6曲から成る「パガニーニによる超絶技巧練習曲集(Etudes d'execution transcendante d'apres Paganini)」(1838)の第3曲にあたる(嬰ト短調)。
第3曲「ラ・カンパネラ」はパガニーニのヴァイオリン協奏曲第2番ロ短調Op.7(1826)の第3楽章、他の5曲は「24の奇想曲」の編曲で、クララ・シューマンに献呈されている。
6曲中、最も有名なのが「ラ・カンパネラ」。
短い序奏のあと、哀愁を帯びたテーマが流れ出す。
いやぁ、何とも素敵な曲だ。
それにしても、楽譜(掲載譜は全音楽譜出版社のもので、ブゾーニ校訂版をベースにしたもの)を見ても、私なんかには旋律線がどこなのかすぐにはわからない。
すごいねぇ。
春先の山の中にある、人があまり近寄らない池の様相(オタマジャクシがうようよ)。
私はやはりワッツの演奏が好きだ(辻井さんのはどんな演奏なのかなぁ)。
このCD、同曲集の第5番ホ長調「狩(La chasse)」のときにも取り上げている。
1985年録音。EMI。
私が持っているCDは輸入盤で、同じものは現在廃盤。
ところで、夜寝つけないときに「羊が1匹、羊が2匹……」って数える、アタシに言わせりゃ気休めにもならない非効率的な方法があるが、あれってもともとは英語圏のもので、sheepとsleepをかけてるんだとさ。
ボロディン(Alexander Borodin 1833-1887 ロシア)の交響詩「中央アジアの草原にて(On the steppes of central Asia)」(1880)は、短いがとても優しい気分になれる曲である。
穏やかに旋律と旋律が絡み合う。素朴な美しさ。
園部四郎氏が言うように、「かれの音楽には憎しみをもつグロテスクさがない」のである(ボロディンが「五人組」のメンバーだったことについては過去の記事を参照のこと)。
この交響詩(原題は音画「中央アジアにて」)は、1880年、アレクサンドルⅡ世の即位25周年祝賀行事として企画された活動画の伴奏音楽として作曲された。
中央アジアの草原をアジアの隊商がロシア兵に護衛されながら進んで行く様子を描いたもので、楽譜の扉には以下のように記されている。
《見渡すかぎり広々と広がる中央アジアの広原を平和なロシアの歌が不思議な響きを伝えてくる。遠くから馬とらくだのあがきに混じって東洋風の旋律が響き漂う。アジアの隊商近づく。かれらはロシア兵に護衛されながら果てしない砂漠の道を安全に進む。近くなり、やがて遠ざかっていくロシア人の歌とアジア人の旋律がうまく合して不思議なハーモニーを作る。そのこだまは次第に広原の空へ消えていく》(全音楽譜出版社のミニチュア・スコア解説より)。
現れる主題は、ロシア兵を描いたものとアジアの隊商を描いた ものの2つ。
最初にロシア民謡に基づいているといわれる“ロシア兵”の主題がクラリネットで現われる(上の楽譜、第5小節目から。掲載スコアは全音楽譜出版社のもの)。この旋律はホルンに受け継がれる。ヴァイオリンの持続音が広原の雄大さを表わしている。
続いて、低弦のピッツィカートによる“歩み”のリズムに乗って、コーラングレ(C.ingl)が東洋的な“アジアの隊商”の旋律を吹く(44小節目から。掲載した楽譜(掲載譜・中)はページの関係で45小節目からの部分となっている)。
再び“ロシア兵”の旋律(これ、サザンの何とかという曲に似てる。「いぃ~ことだ~よね…」ってやつだ)が。
今度は弦楽器群によって「隊商」の旋律が奏される。バックでは、一群の足音を思わせるようなリズムがずっと刻まれている。
感動的なのは、両者の旋律の融合。193小節目(掲載譜・下)から、オーボエが“ロシア兵”、弦楽器群が“隊商”の旋律を同時に奏でる(複旋律対位法というらしい)。
おぉ、cantabile!
このあと、弦楽器群(ロシア)とホルン(隊商)と、弦と管の役割が交代、さらに続いて弦の低音部(ロシア)と弦の高音部(隊商)と引き継がれ、一行が遠くに去っていくように音量が徐々に小さくなっていく。
あたかも、無音に近い静けさだけが残されたかのように。
ええなぁ、このもの寂しさ。健康的孤独感。人恋しくなる感じ。
「日曜作曲家」であったボロディンの残した作品は数少ないが、どの曲も魅力的だ(彼の本職は化学者であった)。
決して“ぼろ雑巾”などと聞き間違えてはならない。←誰が?
複数の旋律が絡み合って進行するケースはいろいろな音楽作品で見受けられる。「中央アジアの草原にて」ではシンプルな形で見通しよく対位されており(そのため、現在はどうか知らないが、以前は小学生の音楽の時間での鑑賞曲になっていた)、逆にそのことが心に深く残る効果をあげている。
ここでは、チャイコフスキーの序曲「1812年」のときに紹介したヤルヴィ指揮エーテボリ響の演奏をお薦めしておく。
1989年録音。グラモフォン。
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