血圧、中性脂肪、尿酸という、私の持病(私はまだ病気には至っていないと思っているが)の薬が切れるので、いつも通っている病院に行ってきた。
本当は行きたくなかった。
というのも、人間ドックの再検査で胃内視鏡検査および膵臓のCT検査を行なわされたばかりだからだ。つまり、すでに十分な医療費を私は使ってしまっている。
病院にお金を払っているうちに昼食を食べるお金がなくなり、病死に至る前に餓死してしまうかもしれない危機に直面しているわけだ。
そう考えると病院に向かう足取りも重くなる。
そう考えなくても、病院に向かう足取りは軽くならない。
かかりつけの医者は先日の再検査の結果を知りたがる。
私のことを心から心配してくれているのか、医学的興味からなのか、時候の挨拶なのか私には判断がつかない。
私は正直に自慢話と誤解されないように淡々と以下にあげるようなことを答えた。
胃カメラのときによだれをたくさん流したこと。
十二指腸潰瘍が見つかったこと。
それで6週間薬を飲んで、そのあともう一度胃カメラを飲むよう指示命令されたこと。
そのときそばにいた看護師さんが親切だったこと。
でも、それは私に対してだけでなく、患者さんみんなに対してで、とってもすばらしいことだと思うけど、個人的にはちょっと面白くなかったこと。
出された潰瘍の薬を飲み始めて4日目に、自分が自分でないような、いえいえ自分が美少女になっってしまったような甘美な感覚という意味ではなく、自分らしくない具合の悪さを覚え、いえいえ特に自分らしい具合の悪さって言うのはマニュアル化されてないんですけど、薬の副作用を疑って念のため薬を代えてもらったこと。
でもその不調はもしかするとCT撮影のときの造影剤のせいかもしれないこと。
代わりに出された薬の名前は今は思い出せないが、何となくラ行から始まる名前だったような気がすること。
その薬はとりあえず様子見で2週間飲んでみること。
あっそうだ、薬の名前は思い出せないけど黄色っぽい色をしていること。
CT検査の結果でわかったことは、よくわからないということで少なくとも末期がんはなかったが、とにかくその医者の言い方がたいそう感じが悪く、なぜ私がそんな思いをしなければならないのか、とても切ない気分になったこと。
そのいじわるじいさんの陰謀で、超音波内視鏡を飲む予定になったこと。
「そっかぁ」とかかりつけの医者は、熱中先生が仮病児童の事情を聞きだすと時のようにうなずいた。
看護師もうなずいた。特に感じが悪い医師だったというところで深く。
ということで、いつもの薬をもらってきた。
ベザトール、プロブレス、ザイロリックである。
このように並べて描くとギリシャ時代における庶民の名前のようだ。
でもこれだったら、薬だけ出してくれりゃあコトが足りるんではないか、と1時間も待った自分が良い人過ぎるように思えた。
この小さな病院の待合室には、ちょっと痩せぎすで結核でも患っていそうな悲しげな顔の男が描かれた絵が飾られている。そして、絵の中の男は椅子に腰かけていて足を組み、マンドリンを弾こうといる。マンドリンがどういう楽器か詳しくは知らないが、リュートではないと思う。
しかし、この絵を描いた人は、マンドリンをたしなむスマートでちょっとハイカラな男性を描こうとしたのだろう。
ちょっと孤独っぽいのところがまたステキィ~ッって。
マンドリンとは前時代的だが(今も演奏を楽しんでいる方、すいません)、マンドリルを抱きかかえているよりは珍しくない情景だろう。
いずれにしろ、この病院の待合室にはマッチしてないような気がする。
ムンクの「叫び」とか「不安」、あるいはミケランジェロの「輸血」なんかがいいような気がする(「輸血」なんて絵はないけど)。
そんな不安定な心境の(誰が病院の待合室でスキップをしたい心境になるというのだろう!)私の頭に流れ始めたのが、エネスコ(Georges Enesco(George Enescu) 1881-1955 ルーマニア)のルーマニア狂詩曲第1番(Rhapsodie roumaine)イ長調Op.11-1(1901)だった。
この曲のなかで、ヴァイオリン群がマンドリン合奏のように弾く箇所があるからだと思う。
エネスコは作曲家であり、ヴァイオリニストであり、ピアニストであり、指揮者であり、音楽教師であったのだが、とりわけヴァイオリニストとして名が知られた。
作曲では、初期はワーグナーやブラームス、パリ音楽院に学ぶようになって師のフォーレのほか、フランクやショーソンなどの影響を受けた。
ルーマニア狂詩曲第1番はルーマニアの民俗色にあふれた明るく活気のある曲で、エネスコの作品中で最も愛好されている。
のどかに始まるが徐々に力を増して色彩的な音楽が次々と展開される。最後は熱狂的に閉じられる。
これはストレス発散になる健康的炸裂音楽だ。
今朝はまだ新聞が来てないなぁ……