読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行した「保存版」です。  いまは“新・読後充実度 84ppm のお話”として更新しています。左サイドバーの入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。  背景の写真は「とうや水の駅」の「TSUDOU」のミニオムライス。(記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

June 2010

病院に飾られているマンドリンを弾く男の絵

40510008.jpg  血圧、中性脂肪、尿酸という、私の持病(私はまだ病気には至っていないと思っているが)の薬が切れるので、いつも通っている病院に行ってきた。

 本当は行きたくなかった。
 というのも、人間ドックの再検査で胃内視鏡検査および膵臓のCT検査を行なわされたばかりだからだ。つまり、すでに十分な医療費を私は使ってしまっている。
 病院にお金を払っているうちに昼食を食べるお金がなくなり、病死に至る前に餓死してしまうかもしれない危機に直面しているわけだ。

 そう考えると病院に向かう足取りも重くなる。
 そう考えなくても、病院に向かう足取りは軽くならない。

 かかりつけの医者は先日の再検査の結果を知りたがる。
 私のことを心から心配してくれているのか、医学的興味からなのか、時候の挨拶なのか私には判断がつかない。

 私は正直に自慢話と誤解されないように淡々と以下にあげるようなことを答えた。

 胃カメラのときによだれをたくさん流したこと。
 十二指腸潰瘍が見つかったこと。
 それで6週間薬を飲んで、そのあともう一度胃カメラを飲むよう指示命令されたこと。
 そのときそばにいた看護師さんが親切だったこと。
 でも、それは私に対してだけでなく、患者さんみんなに対してで、とってもすばらしいことだと思うけど、個人的にはちょっと面白くなかったこと。
 出された潰瘍の薬を飲み始めて4日目に、自分が自分でないような、いえいえ自分が美少女になっってしまったような甘美な感覚という意味ではなく、自分らしくない具合の悪さを覚え、いえいえ特に自分らしい具合の悪さって言うのはマニュアル化されてないんですけど、薬の副作用を疑って念のため薬を代えてもらったこと。
 でもその不調はもしかするとCT撮影のときの造影剤のせいかもしれないこと。
 代わりに出された薬の名前は今は思い出せないが、何となくラ行から始まる名前だったような気がすること。
 その薬はとりあえず様子見で2週間飲んでみること。
 あっそうだ、薬の名前は思い出せないけど黄色っぽい色をしていること。
 CT検査の結果でわかったことは、よくわからないということで少なくとも末期がんはなかったが、とにかくその医者の言い方がたいそう感じが悪く、なぜ私がそんな思いをしなければならないのか、とても切ない気分になったこと。
 そのいじわるじいさんの陰謀で、超音波内視鏡を飲む予定になったこと。

 「そっかぁ」とかかりつけの医者は、熱中先生が仮病児童の事情を聞きだすと時のようにうなずいた。
 看護師もうなずいた。特に感じが悪い医師だったというところで深く。

 ということで、いつもの薬をもらってきた。
 ベザトール、プロブレス、ザイロリックである。
 このように並べて描くとギリシャ時代における庶民の名前のようだ。

 でもこれだったら、薬だけ出してくれりゃあコトが足りるんではないか、と1時間も待った自分が良い人過ぎるように思えた。

 この小さな病院の待合室には、ちょっと痩せぎすで結核でも患っていそうな悲しげな顔の男が描かれた絵が飾られている。そして、絵の中の男は椅子に腰かけていて足を組み、マンドリンを弾こうといる。マンドリンがどういう楽器か詳しくは知らないが、リュートではないと思う。

 しかし、この絵を描いた人は、マンドリンをたしなむスマートでちょっとハイカラな男性を描こうとしたのだろう。
 ちょっと孤独っぽいのところがまたステキィ~ッって。

 マンドリンとは前時代的だが(今も演奏を楽しんでいる方、すいません)、マンドリルを抱きかかえているよりは珍しくない情景だろう。

 いずれにしろ、この病院の待合室にはマッチしてないような気がする。
 ムンクの「叫び」とか「不安」、あるいはミケランジェロの「輸血」なんかがいいような気がする(「輸血」なんて絵はないけど)。

 そんな不安定な心境の(誰が病院の待合室でスキップをしたい心境になるというのだろう!)私の頭に流れ始めたのが、エネスコ(Georges Enesco(George Enescu) 1881-1955 ルーマニア)のルーマニア狂詩曲第1番(Rhapsodie roumaine)イ長調Op.11-1(1901)だった。
 この曲のなかで、ヴァイオリン群がマンドリン合奏のように弾く箇所があるからだと思う。

 エネスコは作曲家であり、ヴァイオリニストであり、ピアニストであり、指揮者であり、音楽教師であったのだが、とりわけヴァイオリニストとして名が知られた。
 
 作曲では、初期はワーグナーやブラームス、パリ音楽院に学ぶようになって師のフォーレのほか、フランクやショーソンなどの影響を受けた。

 ルーマニア狂詩曲第1番はルーマニアの民俗色にあふれた明るく活気のある曲で、エネスコの作品中で最も愛好されている。

 のどかに始まるが徐々に力を増して色彩的な音楽が次々と展開される。最後は熱狂的に閉じられる。
 これはストレス発散になる健康的炸裂音楽だ。

 今朝はまだ新聞が来てないなぁ……

あなたはこの曲に宇宙を感じるか?

78c299e6.jpg  いつものように今朝も5時前に起き(正しくは、体力不足で眼が覚めてしまい)、慣例に従ってブログをアップしようと思ったら、グワショォォォ~ッ、“メンテナンス中”の文字。
 その終了予定時間は7時。

 私は、「12時のお昼休みまでは机でお弁当を食べてはいけません」という会社の厳しい掟を守る、忠実な社員のように我慢せざるを得なくなった。

 だから今日は先に朝食を食べ(10時頃には空腹にあるだろう)、「夏の間において私の家の庭で今日の朝になって咲いていたバラの花の写真を撮影するために」(英文の直訳風)、外へ出た。

de691d8f.jpg  おぉ、グラハム・トーマスも(上)、ピエール・ドゥ・ロンサールも、ヨハン・シュトラウスも(下)、ニコルも、それ以外もどどんがどんと咲きだした。

 そのあと水まきをする。
 お寝坊さんのお隣さんは、今日は雨だと勘違いしちゃったかしら。うふっ。 ← それにしても実に近所迷惑な男だ。私は。

 散水が嬉しいのだろうか、どこからか小さなカエルが飛び跳ねて来て、芝生をあっという間に横切る。小さなカエルでもあっという間に横切れるほど狭い芝生なのだ。

§

 作曲者は特に夏をイメージしたわけでも何でもないだろうが、私はこの曲に夏のイメージを感じる。

 えっ?そんなことないって?

 そうかもしれないけど、人によっては苦痛になりかねないこの流れも、夏の暑さをじっと耐えるのに通ずるものがあるような気も、ちょっとだけする。

 いったい何の曲かって?

 すいません。
 そうでした、そうでした。

 ブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック(Romantische)」WAB.104のことである。

 ブルックナーの交響曲の中では最も親しまれている作品。その要因としては演奏時間の長さもまだ我慢できるってことがあるのだろう。

 そう、ブルックナーなのだ。
 ドイツの夏、ロリコンの夏、あぁ水着少女……(書いていて恥ずかしくなってきた)

 でもこう書いてきて、この曲、ふと、“秋”ってイメージと感じないこともないな、とも思えてきた。
 あぁ、ブルックナーのように優柔不断な私。
 だって迷っちゃうんですもの……(危ない危ない。なぜかブルックナーのことを書くとオカマ言葉になりかける私)。

 作曲年は1874年。
 ブルックナーの“直し癖”のせいで、この曲も改訂が何度も行なわれており、第2稿は1878。第3稿は1879~'80年。第4稿は1886年である。

 この交響曲は各楽章に中世ロマネスク時代へのあこがれを示す標題的内容があるとし、ブルックナー自身が「ロマンティック」と名づけた。
 まるで「あのさ、ボクってロマンティストなんだ」と、聞いてもいないのに自ら訴えるヒトに似ている。

 ブルックナーが自ら標題をつけた交響曲はこの第4番のみ。
 また、第00番、第0番、第1~3番と、それまで交響曲は短調で書かれてきたのだが、この4番でブルックナーは初めて長調の交響曲を書いた。

 “中世ロマネスク時代へのあこがれ”と言われても、はてさて何のことやらって感じであるが、ドイツの森林で感じる自然に対する神秘的な思いを表現したという。

 私とブルックナーとの出会いも、この作品によってだった。
 その劇的でも何でもないいきさつは前に書いたとおりである。

 村上春樹は「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の中で、主人公の“私”に、《ブルックナーのシンフォニーの番号なんてまず誰にもわからない」と言わせているが、それは言いすぎ。
 ブルックナー・ファンならずとも、クラシック音楽ファンの少なからず人はちょっとから完璧の範囲内でわかるはずである。
 私はといえば、「まかせとき」と胸は張れないが、ビミョーにはわかるつもり。苦手な番号のものがあるのが胸を張れない理由だ。

 ただ、第4番の交響曲は間違いなくわかる。
 第6番も第8番も完璧にわかる。
 2番は不安。

 ブルックナーを知ってすぐのころ、FMで彼の交響曲第8番が放送されるのを知りエアチェックを試みたことがある。
 私は60分のカセットテープをラジカセ(ステレオラジカセじゃなくて、単なるラジカセ)に入れた。
 途中でテープが足りなくなった。
 だって、そんなに長い曲だって全然知らなかったんだもん。
 当時はまだFM誌も買ってなかったし……
 ということで、ブルックナーにはそのときのFUJIの安いテープ(当時の札幌市民生協西野店で、このテープは1本290円で売られていた。この値段は他のもの、例えばTDKのADなど、に比べるとかなり安かった)の、品のない赤いラベルの姿が結びついている。

 ところで“ロマンティック”って言葉はよく使われる ― 例えば、「MUUSANの容姿ってロマンティックね」というように ― が、ロマンティックというのは“夢のような”という意味だ。したがって、この例文を正しく訳すと、「MUUSANの容姿って実体がないのね」ってことになる。

 あるいは、「MUUSANの書いてることってロマンティックね」という場合、このロマンティックの意味は“非現実的”という意味だ。
 他にもある。「MUUSANが昼食を選ぶときの姿勢ってロマンティックね」という場合の意味は“情熱的”である。つまりハラペコ・ブッチ状態だ。端的にいえばがっついているということになる。

 空想家のことはロマンティストというが、ロマンティシストともいう。
 パフォーマンスする人のことをパフォーマーというが、だからといって先日アイゼンシュタイン氏がそういう人のことを話そうとしてパフォーマンシストと言っていたのは、おそらくウソ英語だ。

 で、作曲者本人が「ロマンティック」とした副題は、たぶん“夢のような”って感覚なんだろう。
 “ロマンティック”と最初からいわれているので、あぁ確かにロマンティックな作品だと自分が思い込んでしまっている面は否定できないが、ロマンティックってけっこうと漠然としている概念だ。

 ブルックナーの交響曲って、響きやメロディーが地味なようなイメージもあるが、その実、SFの宇宙映画のテーマに使えそうなけっこう過激な側面も持っている。

 交響曲第3番の出だしなんかはウルトラマン・シリーズのオープニングに使えそうだし、第7番の第3楽章なんて宇宙戦争のシーンに合いそうだ。

 第4番だって、「狩り」のイメージという第3楽章は、ウソの解説をされれば美しい星・地球を発見して喜び勇んで総進撃しようとするナニュメ星人の「歓喜の急襲のテーマ」のようだし、第1楽章冒頭だってロマンティックなことは確かだが、久しぶりに好天に恵まれて穏やか極まりない火星北部にある砂漠の俯瞰シーンに付けたとしても違和感はないだろう。

 ばかなたわ言はさておき、第4番第1楽章冒頭からの聴き手を包み込むような霧のようなトレモロ(トレードマークとなっているこの“ブルックナー開始”であるが、弦楽全部によるトレモロはこの曲のみ)と、ホルンによる伸びやかな呼びかけによって、私たちは神がお創りになられた偉大なる自然を賛美する世界へと引き込まれる。

 そうすべては神の思し召し。

 そう、自然を表現するにしてもブルックナーの場合は、静止画像とまでは言わないが、蟻が動き回っているのに気づかないくらい雄大なイメージの描写で、そこがマーラーとはちょっと違う。
 京急と都営地下鉄でさえ行なっている相互乗り入れが、マーラーとブルックナーの愛好者の間ではなかなかうまくいかないのは、こういうところが理由としてあるのだろう。
 もちろん両方好きな愛好家もいるし、なかには両者の作品の区別ができない人もいるだろうけど……

413a5d26.jpg  CDは、以前ブロムシュテット盤を紹介したので、今日は意表をついて(?)マズア/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団による演奏のものを。
 1975年録音。DENON。
 ただし、録音はドイツ・シェルプラッテンで、ここの特徴である厚みのある響きがブルックナーにとっても合っている。

 マズアの演奏自体も、張り切りすぎない素朴なブルックナーって感じで、ブルックナーの音楽を美化しすぎていないところが感じいいなって思っている。

 現在廃盤。

 この交響曲第4番、第1楽章の主題が重苦しく回顧されて進行する第4楽章になると、ちょっぴり様相が変わってくる。
 この感動ははまる人には応えれねーぜってくらい大きいが、相性が悪い人にとっては早く終わってくれよってくらい辛いものになる。
 特に体調がすぐれないときは要注意だ。

カッコウとペアを組むのはカエル?

cf3d42dc.jpg  ディーリアス(Frederick Delius 1862-1934 イギリス)の「河の上の夏の夜(Summer night on the river)」(1912)(「川辺の夏の夜」と訳される場合もある)。

 この曲は、「春初めてのカッコウを聞いて」(1911)とセットで、「小管弦楽のための2つの小品(2 Pieces for small orchestra)」として出版されている(「河の上の夏の夜」が第2曲)。

 「小管弦楽のための2つの小品」は、オーストラリア出身の作曲家グレインジャー(Percy Grainger 1882-1961。彼の作品では「ヒル・ソング」第2番などがよく知られている)が、ディーリアスに「イギリスには優秀なアマチュア・オーケストラが多いので、小編成の作品をかいたほうが受けいれられるのでは?」と助言したことをきっかけに書かれた作品である。

 「春初めてのカッコウを聞いて」はディーリアスの全作品中でも特に有名であるが、「河の上の夏の夜」も、新商品の日焼け止めクリームのようなしっとり感抜群、もうべたつかない!って感じで、味わいある作品である。

 ディーリアスはパリから10kmほど南西にあるグレという村の邸宅で作曲の仕事をしていたが、毎年夏になると、その家の近くを流れるロワン川で舟遊びをしたという。
 この曲は、夏の夜のロワン川の情景を描いたものだ。

 日本楽譜出版社のスコア解説(伊藤剛氏による)によると、スイレンの上を飛び交う虫や、柳の枝が垂れた川岸、生い茂る木々の上に漂うかすかな靄(もや)が、繊細に表現されている3932aa2c.jpg という。

 曲は夕方の靄を描く弦で始まる。
 独奏チェロが主題を奏で、それが他の楽器へと受け継がれていく。
 音楽は徐々に小さくなってゆき(掲載譜の練習番号7にあるように、スコアにその指示が記されている。なお掲載したスコアは上述の日本楽譜出版社のもの)、木管がカエルの鳴き声をほのめかす(掲載譜の練習番号8)。

 今回はロイド=ジョーンズ指揮ロイヤル・シコティッシュ管弦楽団の演奏によるCDを紹介しておく。2002年録音。ナクソス。

 ディーリアスは交響曲を書かなかった。
 彼が交響曲を書いたならどのような作品になったのだろう。
 きっと魅力あふれるものになったに違いない。

§

 会社での昼休み。
 昼食のあと、トイレの洗面台で歯磨きをする人が何人かいる。

 食後の歯磨きは実に良い習慣だ。

 でも、私はできない。

 だって、場所はトイレである。

 いくらいつも清潔に掃除されているとはいえ、どことなくほのかに匂う。

 歯磨きをしているときに、大用個室のドアが閉まっていれば、その臭気はより新鮮さを増す。ギュルピー、ボンッ!みたいな効果音が鳴り渡ることだってある。

 そんな環境下で歯磨きをするなんて、私にはできない。

 でも、歯磨きは良い習慣だ。
 それを実践している人にとやかく言う気はないし、むしろ感心しているくらいだ。

 その歯磨きメンバーに、わが課の嘱託おじさん、俗称・えっちゃんが加わった。
 いや、加わったのか、そのときだけの気まぐれか定かではないのだが、とにかく私は1度だけ見かけた。

 そのとき、えっちゃんは歯ブラシをくわえながらおしっこをし、おしっこを終えると洗面台のところで歯ブラシを動かし始めていた。
 排尿ブラッシング……

 まっ、ヒトに迷惑をかけてないから別にいいんだけどさ。

歳をとるとどうして早く眼が覚めるのか?

ee47607b.jpg  宮部みゆきの「鳩笛草(はとぶえそう)」(光文社文庫)。

 表題作と「燔祭(はんさい)」、「朽ちてゆくまで」という3つの中編を収めたものである。

 そのなかの「朽ちてゆくまで」

 祖母の突然死をきっかけに、孫娘にあたる“自分”が持っていたある能力が明らかになる。そして、幼い頃に亡くした両親は果たして本当に事故死だったのか?

 宮部作品、あいかわらず読み始めるとやめられない面白さだ。

 この小説のなかで、“自分”は祖母がしまっていたベータのビデオテープが入った段ボール箱を発見する。
 彼女の家では、いまやベータは再生できない。
 そこで、近くのショッピングモールにあるビデオショップに持ち込み、VHSにダビングしてもらう。

 私はここで現実的な問題を思い出してしまった。

 VHSがかなり近い将来になくなってしまうのは間違いない。
 わが家には永久保存版に匹敵するような貴重な映像を録画したビデオテープはそう多くはないが、それでも何本かはある。
 将来的に見たくなったときのために(そんなに将来が残ってはいないけど)それをブルーレイにダビングしなきゃならない。
 あぁ、面倒くさい。

4bcfcd5d.jpg  それをさらに億劫にしているのは、もともと画像のよくない映像を(しかも3倍速で撮ったものの方が多い)、大量の時間をかけて、ずっと画像の良いブルーレイ、あるいはDVDにコピーするという逆転現象行為が、なんとも後ろ向きに思えるからだ。
 あぁ、面倒くさい……

§

 わが家の庭でバラが次々と咲きだした。

 それにしても参ったというか、あるいは三文の得というべきなのか、今朝目覚めたのは3:40であった。
 もっと眠っていたいと思ったが、我慢は20分が限界。2度寝に陥ることができず起きることにした。

 なぜにそんな時間に目が覚めたか?
 トイレに行きたくなった?
 Non、である。

 カッコウの声のせいである。
 このところの暑さのため窓を開けて寝ているのだが、そのために外の音が部屋に飛び込んでくる。
 かなり近くでカッコウ、カッコウ、カッコウ、カッコウ、カッコウ、カッコウ、カッコウ、カッコウ、カッコウ、カッコウ、カッコウ、カッコウという声が聞こえてきたのだ。
 勤勉な小学生なら学校に行きたくなるだろう。

 あまりにも近いため最初は、隣で寝ているはずの妻が托卵名人のカッコウにベッドから突き落とされ、私の隣でカッコウが鳴いてるのかと寝ぼけて思ったほどだ。

 それにしてもカッコウ君、早起きだ。 

 先日、私と同年代の人と飲んでいたら、毎晩5時間くらいしか眠れず悩んだあげくに病院に行ったという。
 そこの医者曰く、「あのね、それは歳のせいですよ。眠るということは体力を必要とするんです。歳をとって体力が衰えてくると続けて眠ってられなくなるのです。若い時はなんぼでも寝てられたでしょ?それは体力があったからなんですよ」

 なるほど。
 歳をとると眠ることさえ自由にできなくなるのか……
 なにをやっても疲れるってことなのね……

 さて、あのコンラッド・フェルディナント・マイヤーは、姿はトゲが荒々しい野性的なのに、花はとても美しく香りも良い。そのギャップがたまらない。毛深くて気性が荒いオランウータンの太郎が、実はメスだったって感じか。(← 全然違うな)

b10b0d4c.jpg  うれしいから、また写真を2枚載せちゃおう。

 バラの写真については、しばらくサボっていたけど、フォトアルバムの“My Roses”(左のサイドバー)で更新・掲載していく所存。

 ということで、ディーリアス(Frederick Delius 1862-1934 イギリス)の幻想曲「夏の庭で(In a summer garden)」(1908)(「夏の庭園にて」という訳もよく使われる)。作曲者の妻の献呈された。

 いかにもディーリアスという音楽。鳥たちの鳴き声を思わせる管楽器の音が、これから暑くなるぞと告げているかのように始まる。
 そこから繰り広げられる自然賛美的音楽。あらゆるものが息づいているかのような世界!
 このころディーリアスは健康を害していたが、そのような気配は音楽からは感じられない。
 
7d895ffc.jpg  スコアには、以下のようなダンテ・ゲイブリエル・ロゼッティのソネットからの引用が記されている。

 All are my blooms; and all sweet blooms of love.
 To thee I gave while Spring and Summer sang.

 《すべての花が真っ盛り。春と夏が歌っている間に、愛の甘い花のすべてをあなたに差し上げる》

 頂戴、頂戴、くれくれたこら……

 庭に椅子を置いて、バラたちを眺めながらかき氷を食べる。そういうときに聴くのにぴったりだ。
 はい。
 ウソです。
 かき氷なんて食べたくありません。
 良く冷えたサッポロ黒ラベルです。
  
 CDは、マッケラス指揮ウェールズ国立歌劇場管弦楽団のものを。
 以前にも紹介したディーリアスの管弦楽作品集である。
 1989年録音。デッカ。
 すまない。現在は廃盤だった……

 さて、本日の記事は第974話目である。
 なお、1000話目にあたっては、ご供花ご供物は固くご遠慮いたしますとともに、現金、商品券等の金券類についてはご遠慮しないことといたしますので、ご理解をお願い申し上げます。

札響第530回定期演奏会(A日程)を聴いて

4dedb0d3.jpg  6月25日(金)19:00~。札幌コンサートホールKitara

 プログラムは掲載チラシ(修正版)のとおり。

 デュリュフレのレクイエムの演奏が、私の心の底まで浸み渡った。
 この作品が持つ透明なる美しさ。
 その響きだけとってみても、私を40分間とらえ続けた。
 ということは、それだけ優れた演奏だったということ。

 合唱もよく仕上げられていた。
 よくありがちな、でもしばしば致命的となる、フライング歌唱の団員はいなく、みごとに融合した集合体として理想的な“合唱”を生みだした。

 また、このような作品はいわゆる札響サウンドによくマッチする。
 多少不安定な部分もあったが、この祈りの音楽を持続した緊張をもって終曲の「天国へ」と進んだ。
f34484fe.jpg  独唱陣について、私はどう判断すべきかわからない。
 問題は感じなかったが、すばらしいというべき歌唱だったのかどうかは何とも言えない。

 サン=サーンスのソリストとして、急きょイッサーリスの代わりに登場したタチアナ・ヴァシリエヴァは、前評判どおり完璧なるテクニックの持ち主と感じた。
 しかし、やはりこの2曲のチェロ協奏曲自体が地味。
 2曲ともなかなか聴けないレヴェルの好演だったと思うが、聴衆を引き込むには曲そのものが魅力に乏しい(ただ、サン=サーンスの曲には、聴きこむうちにはまってしまう不思議な力をもっているものもある。この1年の間では、ホルンとピアノ(またはオーケストラ)のための「演奏会用小品」Op.94に、私はすっかりはまってしまった)。
 また、チェロ協奏曲の第1番に比べ第2番の演奏頻度は著しく低いというが、昨夜のコンサートでは第2番の方が私は面白く聴くことができた。

 最初の曲はオネゲルの「夏の牧歌」であったが、初夏の北海道を思わせるさわやかな演奏。ホルンが好演。

c164e877.jpg  レクイエムのカーテンコールの途中で尾高忠明がマイクを手に取り、7月末日で定年退団する(定期演奏会は今回が最後)トロンボーン奏者の余田さんを紹介、氏を指揮台のところまで招く。しかも、余田さんに挨拶までさせた。

 ちょっと待てよ。

 確かに余田さんのこれまでの活躍に感謝し、退団を惜しみたい。
 会場をうめた、多くの聴衆の方も同じ気持ちだろう。

 けど、この最中にこのようなセレモニーはそぐわないのではないか?

 私たちはいま鳴り終わったデュリュフレの演奏の余韻にひたりながら、その継続的な流れとして拍手をしているのだ。
 それを止めて、まったく違う儀式が突然行なうことは間違っていると、私は思う。

 昔は、さりげなくステージ上の、退団する人の席のところで花束が渡された。もちろん余計なアナウンスなどなく。
 聴衆は、プログラムのなかに書かれた退団のことを知っているから、そのときは演奏への拍手に加えていちだんと大きな拍手をおくったものだ。

 今回のようなやりかたがファン・サービスだと考えているのなら、それは勘違いだろう。
 オーケストラと聴衆の一体化をより推進し、ファン層の拡大を図りたい気持ちはわかる。ただ、それとこれとは次元が違う。
 その妙な儀式が終り、余田さんが自分の席に戻り、再び独唱者たちがステージ上に戻って来た時、その違和感は決定的なものになった。

[E:note]

6bdcb9ce.jpg  昨日は9月、10月の札響定期演奏会のチケット発売日でもあった。
 9月はいよいよマーラーの交響曲第3番。
 金土の両日、A日程とB日程のチケットを無事購入。一安心。

 また、11月にKitaraに来るトン・コープマンのチケットも購入。
 オーケストラ以外のコンサートで自分からチケットを購入しようと思ったのは、長らく生きていてこれが初めて。
 コープマンって、私は意外と多くのCDを持っていて、実は好きな音楽家。
 今回はオール・バッハ・プログラムのオルガン・リサイタル。
 地味に楽しみにしている。



干潟しじみ、見参!

 アイゼンシュタイン氏は“どら猫酔狂堂”の営業部長である。

 ナシニーニ氏は“デチュ熱風商会”の営業部長である。

 どちらもわが社の重要な取引先である。

 先日。
 久しぶりにアイゼンシュタイン氏と、夕食の卓を挟んでにらみ合うことにした。
 アイゼン氏と飲むのは5月のあの「茶碗蒸し事件」があったとき以来のことだ。

 店は札幌ESTA10階の「四川飯店」。
 この日、私は、どうしようもないくらい、にここの麻婆豆腐を食べたくなったのだ。

 私が主導権を握り料理を注文する。
 でなきゃ、あのときの如く、自分が嫌いな料理を、彼の行き先の知れない勢いで注文されかねない。
 私は当然、麻婆豆腐も頼む。
 氏に任せたら、十中八九麻婆春雨を、十中壱弐麻婆茄子を頼んだことだろう。

 麻婆豆腐が来る。プルプルと震える姿が愛らしい(豆腐のことである)。
 口に入れる。
 豆板醤が口内粘膜を刺激する。
 ここの麻婆豆腐は、私の体験上ではどこの店よりも美味い。

 アイゼンシュタイン氏は私が想像していたとおりのことを言う。
 「ご飯が欲しくなりますね」
 私は答えてあげる。優しく。
 「頼んではいかがです?」
 「いえ、ここは我慢です」
 どこなら我慢しないのだろう?

 他に、何品か頼んだが、この店でのアイゼンシュタイン氏の言動で特記すべきことはない。この日の彼は、少しノリが悪かった。いや、正確に言うならば「多少まとも」だった。
 せいぜい、カキ入り水餃子(餃子とカキの身を一緒に茹でたもの)が運ばれてきたときに、カキの姿を見て「なんかHっぽいですよね」と呟いた程度だ。

 その水餃子。運んできた若い店員さんは「お好みで当店特製の“食べるラー油”をつけてお召し上がりください」と言った。いま流行の“食べるラー油”だ。

 アイゼン氏は店員が去った後、私に尋ねた。
 「“食べるラー油”ってなんですか?」

 こんなに流行っているのに知らないのだ(まあ、永作博美のことも知らなかったくらいだけど)。おそらく、ラー油というものは飲むべきものだと思い込んでいたのだろう。
 名誉のために、彼の職業はここでは書かないが、〇〇業に携わっている人とは思えない。 
 やれやれ……

 食事のあと、場所を変え“ビバ・トレード”へ。
 しばらく行ってなかったのに、この週は打って変わって何回も訪問する結果となった。

 冷蔵ショーケースに入っていた3本の赤ワインのうち、1本を頼む。
 なぜか1本のボトルのネックに輪ゴムが巻いてある。
 カチャカポコナが、私が観察日記を書き始めているのに気づいて弁明する。

 「それだけ値段が高いの。わからなくならないように巻いてるの」

 3本しかないんだから覚えろよ!

 当然安いのを頼む。
 なかなか美味い。
 しかし、アイゼンシュタイン氏のペースが遅い。

 わかった。
 彼は緊張しているのだ。
 これから会う相手のことを考え、緊張しているのだ。
 あまりにも緊張しているせいか、ナタオーシャに向かって「餃子は股でぎゅっと作る。だからシワシワなんだよ」なんて、意味不明のことを言っている。
 あっ、いつもと同じか……

 干潟しじみ。
 彼女は、どら猫酔狂堂とデチュ熱風商会と同じ業種の会社である「山鳩親子舎」の営業部長である。
 つまり、どら猫酔狂堂とデチュ熱風商会と山鳩親子舎はライバル会社である。

 今回初登場の彼女。
 この干潟しじみという仮名の由来は、命名した者が口を固く閉ざしているので不明である(命名者は私である)。
 また3社の仮称の由来もテキトーである。

 この日、干潟しじみ氏に声をかけたのは私だった。
 彼女は、「アイゼンシュタインさんとは一度名刺交換させていただいたことがあるような気がします。でも、よく存じ上げないので、実際にどれほど超人的―いえいえい、いろんな意味でですけど―な方なのか、お話ししてみたいのです。MUUSANがその超人さんと飲むことがあったら、今度私にも声をかけていただけないでしょうか?」と、以前から私に言っていたからだ。
 しかし彼女はこの日出張で、札幌に戻ってくるのは22時を過ぎてからであった。

 “ビバ・トレード”に異常な人数の団体がやって来た。
 常連さんらしいが、だったらなおさら器の大きさと人数のことを計算して店を選定して欲しい。
 誰かが酸欠で倒れてもおかしくない。
 追い出されるようにして店を出て、“ルネサンス”に行く。

 ここに来るのも実に久しぶりである。
 エリザベートは現在、どこかのネジを損傷して入院中。
 心なしか店内の雰囲気が上品になったような気がする。

 やがて干潟しじみ氏がやってくる。
 いつもなら、5年間使用したあとのスタッドレス・タイヤでスケートリンクを走行するように暴走するアイゼンシュタイン氏なのだが、この日はあまり乱れなかった。

 干潟氏とアイゼン氏は、実質的にはこの日が初対面。
 干潟氏は私の事前予告を信じて、アイゼン氏の暴走、虚言、赤ちゃん返りを大いに楽しみにやって来たのに、肩透かしを食らった格好になった。

 彼女は私にこっそり言う。
 「案外まともじゃないですか?」
 そのがっかりした声に、私は申し訳なく思ってしまった。
 「でも、前に名刺交換した方、本当にあの人だったかしら」とも呟いていた。
 前と違うって?
 もしかすると、今私たちの前にいるアイゼンシュタインは、アイゼンシュタインの名を語った偽者で、本当はエイゼンシュタインなのかもしれない。

 氏は人生の先輩として(ただ年上だということに過ぎない)、尋ねられてもいないのに干潟氏にアドバイスを―あなたは知らないと思うが最近世の中は不景気だ、あなたは気づいていないと思うが私が愛しているのは数珠、いやジャズだ、etc.―し始める始末だ。
 しじみさんはきっと、自分の怖いもの見たさの無謀な好奇心に後悔したことだろう。

 アイゼン氏は突如、新理論でも発見したかのように、彼女に言う。
 「どうです?今度3人で飲みましょう。私とナシニーニさんと干潟さんとで。あっ、MUUSANも何なら一緒にどうです?」

 ナンナラ、かい……
 良いことじゃないか!
 企画するといい。
 ライバル3人で駆け引きしながら飲みゃあいい。
 私は結構。
 いや、遠慮じゃなく、頼むから誘わないで、呼ばないで、思い出さないで。
 三菱のマークを構成する3つの菱形のように、どうせバラバラな方向に走るのは間違いない。調整役はご辞退します。

 で、3人ね。

 例えば、シュニトケ(Alfred Schnittke 1934-98 ソヴィエト→ドイツ)の「合奏協奏曲第3番(Concerto Grosso No.3)」(1985)。
 2つのヴァイオリンとチェンバロを独奏楽器とする協奏曲である。

 ここに登場する3つの独奏楽器を、ナシニーニとアイゼンシュタインとしじみと見なして聴いてみると(成り行き上、チェンバロはしじみということにならざるを得ないだろう)、うん、酔っ払いのどーしようもない会話のように聴こえてきて面白い。
 噛みあいそうで噛みあわなかったり、噛み合わなそうで噛み合わなかったり……
 突然大きな声を出したと思うと、沈黙したり……
 不機嫌かと思うと機嫌よくなったり……

 私がこれに参加するとなれば、当然オーケストラ役ということになるが、うん、まさにこの曲のとおり、酔っ払いのぐにゃぐにゃトークを鐘の強打で一喝するわけだ。

50ba1a99.jpg  合奏協奏曲第3番が書かれた1985年は、シュッツの生誕400年、J.S.バッハとヘンデル、D.スカルラッティの生誕300年、ベルクの生誕100年という記念の年であり、各地で催し物が開催されたが、「そのささやかな1つである」とシュニトケが語ったこの作品は、「“美しく”、新古典主義的に始まるが、数分もすると博物館が爆発して、私たちは、危険で不安定に至る以前の過去の断片の引用とともにいる」という。

 もしこれを、3人の同業種交流会に適用するならば、「“顔色を伺って”、紳士的に始まるが、数十分もすると抑圧された心理が爆発して、私たちは、粗暴で明瞭に至る以前の過去のやはり不可解な断片の本質とともにいる」ことになるのだ。

 いや、それではナシニーニとしじみに失礼か?
 アイゼンシュタインは誉められたと誤解するだろうか?

 この作品自体はすばらしい。
 いかにもシュニトケらしい音楽。バッハやベートーヴェンの作品からの引用がある。
 一聴の価値あり!

 曲の終わり方は、飲みすぎてまともに起きてられないアイゼンシュタイン氏をリアルに描写しているかのようだ。
 
 私が聴いているCDは、合奏協奏曲第1番のときと同じ「Schnittke plays Schnittke」というタイトルのもの。
 ヴァイオリン独奏はオレグ・クリサとタチヤナ・グリンデンコ。チェンバロを弾いているのはシュニトケ。サウリュス・ソンデツキス指揮リトアニア室内管弦楽団(1985年録音(ライヴ)。TRITON)。

 ただし現在は入手困難のよう。
 また、コンチェルト・グロッソ第3番のCD自体が、現在のところは出ていないようだ。

 そうそう。
 昨日書いた浅田真央がシュニトケの「タンゴ」を使うという話。

 YouTubeにその画像が掲載されていた。

 それが本物の映像だと仮定して観てみると、音楽は合奏協奏曲第1番の第5楽章に現われるタンゴと同じメロディーであった。

ハチャトゥリアン→ラフマニノフ→シュニトケ

1490b0e9.jpg  数日前、私のブログとしては異例なことに、24時間でのアクセス数が300を超えた。
 はてさて、なんだろう?

 それらの多くは「シュニトケ タンゴ」というキーワードでの検索から来ていた。

 該当する私の記事は、シュニトケ(Alfred Schnittke 1934.11.24-1998.8.3 ソヴィエト→ドイツ)の「コンチェルト・グロッソ第1番」について書いた、'09年9月21日付けの「タンゴは死の象徴……シュニトケのCG第1番」である。

 「へぇ、コンピュータ・グラフィック第1番かぁ」って思った人は、相当私を小ばかにしている、もしくはご自身が相当地割れ傾向にあることを申し添えておこう。

 でも、なぜ、いきなりシュニトケ&タンゴなのか?

 う~ん、謎だ。ってほどでもなかった。

 同じ検索キーワードで表示される他のブログ記事の内容からわかったのは、浅田真央が新しく使う曲が「シュニトケのタンゴ」であるとの発表があったらしいのである。

 いやぁ、シュニトケかい。
 私が言うのもなんだが、マニアックだなぁ。カヤックはエスキモーの小舟だし……

 でも、「シュニトケのタンゴ」ってどの曲を指すんだろう?
 「マーラーのレントラー」というぐらい漠然としている。

 実際に浅田真央が演技で使う曲がどのようなものなのか私は知らない。だから、どの作品だと断定することもまったくできない。

 ラフマニノフの「鐘」は、正直なところ氷上の華麗な舞い、そして浅田真央のイメージには向いいないと思った。
 その二の舞にならないことを、別に浅田真央のファンじゃないけど、祈っている。

 こういうふうに楽曲を使うときって、やっぱり使用料(著作権料)を払うんだろうな。

 でも、ハチャトゥリアンの「仮面舞踏会」のように、めまいがするような切り貼りをされると思うと、シュニトケが気の毒にも思える(もちろんハチャトゥリアンも気の毒だった)。
 そもそもシュニトケの音楽は切り貼り風だと言われれば、まっ、そういうところもあるんだけど。

 「仮面舞踏会」のように、CDショップにいろんな「シュニトケのタンゴ」のCDが並んだりしたら、そりゃ想像もしていなかった光景となるだろう、30年前には。

 で、今の段階ではその「タンゴ」の原曲がわからないから、シュニトケの初期作品を。

 シュニトケが敬愛したショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906.9.25-1975.8.9 ソヴィエト)の死を悼んで書いた作品、「ショスタコーヴィチ追悼のための前奏曲(Prelude in memoriam Shostakovich)」(1975)。

 2ヴァイオリンのための、あるいは無伴奏ヴァイオリンとテープ(同一奏者が録音)のための作品である。シュニトケの友人のヴァイオリニスト、マルク・ルボツキーの依頼で作曲された。

 悲しみのどん底という音楽ではない。
 でも、そこには無念さが感じられる。

 私が持っているCDはクレーメルのヴァイオリンによる演奏。1995年録音、グラモフォン。
 このCDは、ショスタコーヴィチの交響曲第15番の室内楽版(デレヴィアンコとペータルスキーによる編曲)がメイン。シュニトケのこの曲は、嬉しいオマケとでも言えようか。

 で、紹介したこのCD自体は廃盤となっているが、これを含む2枚組みのCDが現在も入手可能である。

f8f7fc50.jpg   さて、バラの話。
 “オールド・ブラッシュ・チャイナ”に続け!とばかり、どのバラたちも蕾をぷっくりと膨らませている。う~ん、ステキな状況。
 こりゃあ一斉に来るぞえ~。

 もちろんバラといえば花を見るもの。
 でも、トゲや葉、品種によっては実(つまりはローズ・ヒップ。rose hip ってバラのお尻のことではありませぬ)も美しい。

 つまりはすべてが美しい。
 まるで私のようだ。
 写真は“コンラッド・フェルディナント・マイヤー”の新しい枝の様子。

 毒々しい美しさ!
 でも、古い枝のトゲはもう透明さのかけらもない。
 ヒトの肌と一緒なのね……
 いや、若いとトゲがあるという意味はまったく含んでいません。あくまで透明感とツヤのこと。


 そうそう、デレヴィアンコで思い出したのが、その昔函館にソヴィエトの戦闘機ミグ25が飛んできたときのこと。
 操縦していたのはベレンコ中尉。ミグに乗って亡命してきたのだ。

 その直後の札幌のある風俗店のチラシ。
 そこには「ベレンコ中尉もデレンコ」というコピーが書かれていた(私はそれを、後年、VOWで知った)。
 私は密かに、名コピーだと思っている。
 
 その後、体調は戻りました。
 あれは何だったのか?
 みなさん、ご心配かけてすいませんでした。


偶然か?モーツァルトが描かれている、ある集会の絵

aa690569.jpg  わが庭で今年最初のバラが開花した。

 オールド・ブラッシュ・チャイナである。

 四季咲きのバラとして中国からヨーロッパに導入された最初のバラで、1752年にスウェーデンで発見されたという(単に作出年が“1759年以前”と記載しているバラ本もある)。

 このオールド・ブラッシュ・チャイナが、毎年わが庭で最初に咲くバラとなっている。

 今年の場合はフレグラントヒルという品種が先に咲いたが、それは蕾のついた苗が春先に届いたたためで、あくまでも例外。
 枝振りが繊細で、弱々しい感じをあたえるオールド・ブラッシュだが、わが庭ではシーズン幕開けのシンボルである。

 えっ?感想ですか?嬉しいです。

0613bb70.jpg  井上太郎著「モ-ツァルト ― いき・エロス・秘儀」(平凡社)という本がある。
 非常に面白い本である。
 
 エロスに秘儀ときた。ちょいとワクワクである。

 エロスといえば、前にも書いたが、ダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」(角川文庫)の中巻に 《roseはギリシャ神話の性愛の神Erosのアナグラムである》 と書かれている。
 本当かウソか知らないけど、おそらくは本当なのだろう。

 ところで、モーツァルト(Walfgang Amadeus Mozart 1756.1.27-1791.12.5 オーストリア)は、1784年12月14日にフリーメイソン(フリーメイスン,フリーメーソン)に入会している。

 フリーメイスン……巨大な秘密結社である。
 謎めいている(だからこそ、“秘密結社”なのだ……)。
 しかし、フリーメイスンは、たとえば、政治的陰謀を企てているような団体ではない。

 フリーメイスンというのは、もともとは中世の石工組合から興った博愛主義の結社。
 モーツァルトは、自身が会員になると、父のレオポルトやハイドンにも入会を勧め、会員にしている。
 また、モーツァルトの作品は、フリーメイスン入会後に深みを増したとも言われている。

 ダ・ヴィンチ・コードの話からフリーメイスンの話に移ったが、両者(キリスト教とフリーメイスン)の関係がどうだったかを調べてみましょうと思っているのではない(そんなこと思いもつかなかったわい)。
 roseとerosのことを言いたかっただけ。そして、erosという男の子たちが大好きな単語から、あの書名を思い出しモーツァルトの話に移ったわけ。
 歳をとると思考がジャンプするのだ。
 皆さんはないだろうか?
 朝、目玉焼きを焼いているときに、急に年賀はがきで当たっていた切手の交換に行かなきゃなどと思いだすことが……

 歌劇「魔笛」において、モーツァルトがフルーメイスンの儀式を描いたのではないか、ということについては、以前書いたとおりである(その儀式をオペラとして公にしたために、毒殺されたという説もあったほどだ)。

 ところで、モーツァルトのよき理解者であったヨーゼフ2世。

 歌劇「後宮からの誘拐」の演奏後、ヨーゼフ2世がモーツァルトに「われわれの耳には美しすぎる。それに、ひどく音符が多い」と言ったという有名なエピソードがあるが(この場面は映画「アマデウス」でもきちんと描かれており、実に重要な場面だと思っている)、このヨーゼフ2世は、実はオーストリアにおけるフリーメイスンの保護者であった。

 そして、モーツァルトのカンタータ「フリーメイスンの喜び」K.471では、そのヨーゼフ2世の名が歌われ、讃えられているのである。

a2089469.jpg  ウィーン市歴史博物館に、フリーメイスンの儀式を詳細に描いた1枚の油絵が展示されているという。

 それが掲載した写真のもの(茅田俊一「フリーメイスンとモーツァルト」(講談社現代新書)より転載。現在入手不可)。実は右側のいちばん手前に描かれているのがモーツァルトだという。

 前出の井上太郎氏の著作によると、この絵に描かれている儀式は入会式で、1790年か91年、モーツァルトの最晩年の頃のものと考えられている。

 この絵の、モーツァルトらしき人物の部分を拡大したものを掲載しておく(井上氏の本より転載。なお、この本にも全体図が掲載されている)。

89e01b5b.jpg  私は、この拡大図を見たときに、なんというか、ある種ぞっとしたというか、感動したというか、驚いたというか、アタイ、うまく言えないっ!

 こんなところに、さりげなく、モーツァルト……

 モーツァルトはフリーメイスンのためにいくつもの曲を書いており、その作品集のCDも何点か出ているが、ここではケルテスが指揮したものを紹介しておく。

 収録作品は、

 ① 歌曲「おお聖なる絆よ(O heiliges Band)」K.148(125h)(1772)【詞:F.レンツ】
  ※ 入会前の作品。依頼主は不明。

 ②カンタータ「汝、宇宙の魂に(Dir, Seele des Weltalls)」K.429(420a)(1785)【詞:L.L.ハシカ】
  ※ フリーメイスンの最高の存在である建築家の象徴0f0d5c34.jpgである太陽を讃美。

 ③ 歌曲「結社員の旅(Gesellenreise)」K.468(1785)【詞:F.J.v.ラチキー】
  ※ 新たな階級に進んだ会員を歓迎する曲。

 ④ カンタータ「フリーメイスンの喜び(Die Maurerfreude)」K.471(1785)【詞:F.ペトラン】
  ※ 最高幹部のイグナツ・フォン・ボルンを讃えた内容。ヨーゼフ2世も歌詞に歌われる。

 ⑤ 「フリーメイスンのための葬送音楽(Maurerische Trauermusik)」ハ短調K.477(479a)(1785)
  ※ 結社員エステルハーツィ=フォン=ガランタ伯爵の葬儀のために作曲。

 ⑥ 合唱曲「今日ぞ泣かん、愛する兄弟よ(Zerfliesset heut',geliebte Bruder)」K.483(1785)【詞:シッタースベルクの領主 A.ファイト】
  ※ 8つあったウィーンの支部を3つに統合する際に書いた曲。ヨーゼフ2世が讃えられる。

 ⑦ 合唱曲「汝、われらの新しき指導者よ(Ihr unsere neuen Leiter)」K.484(1785)【詞:G.ヴァレスコ?】
  ※統合で閉鎖される支部に寄せた曲。

 ⑧ ドイツ語の小カンタータ「無限なる宇宙の創造者を崇敬する汝らが(Eine kleine deutsche Kantate "Die ihr des unermesslichen Weltalls Schopfer ehrt)」K.619(1791)【詞:F.H.ツィーゲンハーゲン】
  ※ レーゲンスブルクの結社からの依頼で作曲。

 ⑨ フリーメイスンの小カンタータ「われらが喜びを高らかに告げ(Eine kleine Freimaurer-Kantate "Laut verkunde unsere Freude)」K.623(1791)【詞:E.シカネーダー】
  ※ モーツァルトが完成した最後の作品。ウィーンに新築された結社の会堂の落成を祝う曲。

 ⑩ 合唱曲「みんなで腕を組み合わそう(Lasst uns mit geschlungen Handen)」K.-(623a)(1791)【詞:シカネーダー?】
  ※ K.623の付録として追加された作品。

である。

 タイトルだけを見ると、なんだかソヴィエト国家なんかで歌われてたようなものもあるなぁ。

 このCDの録音は1968年。デッカ。


 あのオールド・ブラッシュ・チャイナ。
 年代的に、モーツァルトが生きていた時代にはすでにヨーロッパに伝わっていたことになる。

 モーツァルトは果たしてあのピンク色の花を目にしたことがあったのだろうか?

 私は目にしてるんだもんねぇ~。

高かったのにCT検査は無意味だった……

ef01dbe8.jpg  ということで、昨日の朝、かっなり調子が悪い身に鞭打って、CT検査の結果を聞きに病院に行ってきた。

 「何でもありませんね」

 そういう心暖まる言葉を期待していたのに、膵臓が専門だという愛想っけのない医師は、「これで言えることは限られますね」と、お客様(つまり私)を悲しませるようなことを言う。

 「腫瘍らしきものは写ってませんね。歳をとると管が太くなることがありますが、あなたにはまだ早い。となると、何か?腫瘍でも早期のものは写りませんしね。CTでは限界があるんですよ。やはり確実なのは超音波内視鏡ですね」

 「それはかなり苦しい検査でしょうか?」

 「いや、受けてる方がいるわけですから、そうでもないですよ」

 実にカチンとくる言い方だ。

 でも、ここまで言われるとやらざるを得ない気になってくる。
 こんなんなら無駄にCT検査などしなきゃよかった。明らかに余計な検査をしてしまった。
 あのときの医者(今回とは違う)が、「あなた、どーせ、内視鏡をやるはめになりますよ」と、どうして強く勧誘してくれなかったのだろうか。

 「わかりました。謹んで検査を受けさせていただきます」

 このときだけ、医者の表情が少しばかり緩んだように見えたのは気のせいだろうか。

 ということで、7月の頭に、その過酷な検査を受けることにした。
 胃カメラよりも太いという。
 でも、麻酔をがっちり効かせるので、“人によっては”胃カメラより楽らしい。
 でも、私にはどうしても信じられない。「お客さん、4,000円ポッキリですよ」という、客引きの言葉に通ずる“裏”がありそうだ。
 太いウドン3本分くらいなのだろうか?

 検査の結果次第では、アルコールは飲めなくなるかも知れないな…………くすん。

 さて、もう一つの懸案事項である、潰瘍の薬の副作用についてであるが、担当医師が午後からの診療だというので、いったん社に戻る。

 課のみんなに、私がいかに追い込まれているか、どれだけ体調がすぐれないかを力説する。
 当然のごとく、反応はいまひとつだ。
 ふだんの生活の代償だと思っているのだろう。
 私よりたくさん飲んでいる人はたくさんたくさんいるというのに……

 午後、再び病院へ。

 こうやって行き来しているだけで、あの病人がひしめき合っている待合室で時を過ごすだけで、命の源泉が枯れていくような気がする。
 しかも体調が悪いのだ。食欲がなくて、昼ご飯も結局抜いた。

 やっと呼ばれる。

 医師は薬の副作用である可能性は低いというが、念のためと、別な薬(パリエットという名前。ブルボンなんかのお菓子にありそうな名前だ)を2週間分出してくれた。
 ただ、パリエットにしても、オメプラールと同じような副作用の懸念が書かれているが……
 このようなとき、最初の薬の2週間分はキャッシュバックしてくれないのが、ちょっと残念だ。
 しかも、2週間後に様子を診るというので、また受診料が私に重くのしかかってくる。
 やれやれだ。

 こんなにだるくて脂汗がにじみあふれ出ているのに、病院を行ったり来たりしたせいか、携帯電話の歩数計は13,400歩。
 いつもの2倍以上だ。
 通院は健康づくりに役立つ。

 話は変わる。

 先日、わが家にもエアコンが導入された。
 北海道ではまだまだエアコンをつけている家は多くない。

 だが、リビングにつけたわけではない。
 治療に専念し、ゆっくり寝ていられるよう、ベッドルームにつけられたわけでもない。

 高校3年生の次男の部屋につけたのだ。白くまくんを。

 次男の部屋は西日が強く差し込み、これからの季節、サンルームのようになる。あいつがトマトなら、巨大な水耕栽培の株のようになるだろう。
 受験勉強をしなけれなばならないが、こんなんだったら夏休みは毎日図書館に行かなくてはならないとのたまう。確かに図書館への往復でさえも時間の無駄だ。
 ということで、いちばん安価だった白くまくんをつけたのだ。
 決して贅沢させたわけでも、甘やかしているわけでもない。
 そのかわり、本人の意思を尊重し、高い予備校の夏期講習には行かせないし……

 エアコンを動かしてみて言った奴の言葉。
 「部屋から出たくなくなる。でも、これじゃあ季節感が感じられなくなるなぁ」
 蹴ったろか!

 これで、金がかかる大学しか受からなかったら、きっと妻は凶暴なヒグマくんに変貌するだろう。

 そういう私は、精神的に暑さを耐えなければならない。

 チャイコフスキー(Pytr Il'ich Tchaikovsky 1840-93)の交響曲第1番ト短調Op.13冬の日の幻想(Winter Daydreams)」(1866(第1・2稿)/1874(第3稿))。
 この曲を聴きながら、自分をだまくらかし、あぁ凍てつくなぁ、と思いながら夏を過ごすのだ。
 第1楽章を耳にすれば、冬の旅を夢想し、第2楽章を聴けば陰気な土地を思い出す。
 決して、蝉の声なんか聞こえない。
 って、無理だよなぁ。

 この交響曲については、以前マゼール盤を紹介したが、今回はエイドリアン・リーパー指揮ポーランド国立交響楽団による演奏を。1991年録音。ナクソス。 

 このCDは、オーケストラそのものは決して大きく感じないが、ホール空間の響きをたっぷりと録った音になっている。

 ……く~っ、現在廃盤。
 すいません。

 エイドリアン・リーパーは、来年1月の札響第535回定期に登場。ブラームスのピアノ協奏曲第1番と(ピアノは河村尚子。このピアニストはかわいい!写真でしか知らないけど)、プロコフィエフの交響曲第5番を演奏する。

夜中、ホテルの部屋で汗だくになる……

 旭川で朝を迎えた。

 実は私、ミスをしてしまった。
 旭川に出張で月曜戻りなのに、例の膵管の腫れに対するCT検査の結果を聞く予約を今日の9:45に入れてしまっていたのだ。

 ということで、朝早い“スーパーカムイ”で札幌に戻るハメになった。
 現象的には、まったく問題ないことだ。
 人様の目からすれば、そんなミスをこの私がおかしていたなんて、まったくわからないのだ。
 でも、自分がちょっと許せない……

 旭川5:20発。
 札幌6:43着。
 電車は途中でエゾシカをはねることなく、順調に走った。
 本当はここまで早いJRにする必要はないのだが、決断に至った経緯は後述。

 ところで、昨日出張に出かける前、ひどい下痢に襲われていた。
 水状ではない。
 水だ。
 腸と腎臓が結託して、バイパスを作ったのかと思った。

 いったいどうしたのだろう。
 寝冷えだろうか?
 とにかく、よくぞこんなに腹の中に水があるな、と感心した。
 同時に肛門の水滴を漏らさないという造りにも感心した。

 喉が渇く。
 脱水症状の予告か?
 水を飲む。
 またトイレに駆け込む。
 その繰り返し。

 この状態で、出張はきつい。
 いくら電車の中にトイレがあるといっても、つらい。

 しょうがない。
 昼に薬を飲んだ(わ~い! ← こんな余裕をかましてる場合じゃなかったんだけど)。

 その名も「エクトール」。
 下痢止めだ。

 エクトールと聞いて、皆さんがまず頭に思い浮かべるのはベルリオーズであろう(「皆さん」の定義については今後協議を重ね設定いたしたい)。

 エクトール・ベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-69 フランス)の「ファウストの劫罰(La damnation de Faust)」Op.24(1845-46)。

 H.C.ショーンバーグは書いている。

 《ベルリオーズ自身が勝手に作った、素性の知れない音楽もあった。『ファウストの劫罰』は一体何であろうか。オラトリオなのか、オペラなのか。ベルリオーズはこの作品を「演奏会用オペラ」と称した》(「大作曲家の生涯」:共同通信社)

 まあ、劇的交響曲「ロメオとジュリエット」の“劇的交響曲”っていうのだって、へんな名称だからなぁ。

 4部から成るこの作品を全曲聴きとおすのは、苦しいどころの騒ぎではない。
 2時間20分ほどかかるのである。

 ただし、ベルリオーズが書いた作品のなかで、おそらくは最も有名な曲がここには含まれている。
 それは、「ハンガリー行進曲(Marche hongroise.別名「ラコッツキー行進曲」)」だ。
 この曲は、しばしば単独でも取り上げられる(というよりも、全曲が演奏されることはまずないだろう)。

90318dee.jpg  ただ、ここでは全曲盤をご紹介しておく。

 C.デイヴィス指揮ロンドン交響楽団(LSO)、他によるもの。2000年のライヴ録音で、“LSO LIVE”というシリーズものの1組である。

 でも廃盤。
 ここだけの話ですがね、奥さん、実はね、私はね、このCD、そんなにお薦めじゃないんですよ。だから、そんながっかりしなくていいですよ。

 「ハンガリー行進曲」は多くのオムニバス盤や、ベルリオーズの作品のCDの余白に収めれているので、そういう聴き方がノーマルだろう。

 えっ?ノーマルはいやだって?
 知りません。そんなこと。

 さて、昨日の旭川の夜。

 私の体調は絶不調だった。
 体がだるくて(そして皮膚の感覚が妙に過敏で)旭川支社の方との食事も満足にできず、この私が、ビール1杯でもうそれ以上入っていかなくなってしまい、1人で先にホテルに戻った。

 即寝。

 ところが寒気がする。
 ふとんをかぶると今度はひどい寝汗。
 またふとんをとる。
 また寒気。

 その繰り返しで、1時間おきに目が覚めた。
 水状下痢も続く。
 変な夢も見た。

 実は今朝、こんなに早い列車で戻ってきたのは、不慣れな町にいるのが怖かったから。
 だから朝一番のJRで戻ってきたのだ。
 これだと、おそらくは空いていて(それは予想通りだった)、トイレに駆け込まなくてはならないときも、たぶん大丈夫だろうから。

 昨日はほとんど何も口にできなかったが、今朝札幌に着いたときに駅弁を買って会社で食べた。半分しか食べられなかったが、昨日に比べると大きな前進だ。

 この異常の原因、薬か造影剤の副作用じゃないかなって思っている。

 で、結局のところエクトールは無力だったってこと。まったくもってね。

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