読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行した「保存版」です。  いまは“新・読後充実度 84ppm のお話”として更新しています。左サイドバーの入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。  背景の写真は「とうや水の駅」の「TSUDOU」のミニオムライス。(記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

July 2010

顔? 私には樹皮の模様としか……

03e82f8a.jpg  宮部みゆきの「小暮写眞館」(新潮社)。

 主人公は高校生。
 このように若者が主人公となるパターンも宮部作品には少なくないが、なんでなんだろう?
 別に疑問に思うことじゃないのかもしれないけど。

 もとは写真館だった古家に引っ越してきた一家。
 その一家の長男が、なぜか自分のところに持ち込まれた何枚かの心霊写真(のように見えるもの)のカラクリを、解決していくというストーリー。

 主人公である高校生からの視点、表現が中心となっているので、文体にはあまり緊張感はないが(これはこれで、勉強になる。うん、なるほど。高校生っぽい発想と表現だ、と。)、ストーリーは面白い。

 でも、どーして宮部みゆきはしばしば未成年者をメインに据えるのだろう(それに加えて、もっと小さな子供もまたまた重要な役割を果たす)。真剣に疑問に思うことじゃなくて、作者の勝手なんだけど。

 ただ、逆にこのような設定のために、温かな気持ちになって微笑みながら読める小説でもある。
 そう。
 この本を読んでいる私を見かけたなら、あなたはこの上ないステキな微笑を目にすることができたのだ。もちろん私の。

 心霊写真といえば、その昔、私が撮った写真に“心霊”らしきものが写っていたことがあるそうだ。

 それは中学の修学旅行のときの写真。
 十和田湖畔。

 私がクラスメート3名を写したものだ。彼らの後には巨木が写っている。
 また、写真の右端にはやはり同じクラスの境田君が半身が切れかかって写っていた。
 その境田君の像が、写りこんだ霊ということではない。確かに気持ち悪い男ではあったが。

 こういう旅行のスナップ写真のとき、私はといえば、たいして頼まれもしないのになぜかみんなの写真を撮ることが多い。そして、みんなは(たぶん故意ではないと信じたいが)私の写真をあまり撮らない。その結果、まるでその行事に参加していなかったかのように私の写真は少ない、という結末を繰り返してきた。

 で、この修学旅行のときもそうだった。
 私の写真は少ない。

 見返すこともない、自分以外の人々の写真がやたら多かった。
 でも、どうしろというのだ?
 セルフタイマーをセットして自分の写真を撮る方が、よっぽど変だ。

 それはいいとして、この写真の異変に気づいたのは境田君であった。
 背中半分がフレーム外という半身ながらも、一応は「この写真焼き増しするかい?」って、親切心で聞いてやったのが余計なお節介だった。

 その写真を凝視していた境田君は、背景の木に霊が写っていると言い張る。
 さっき「あるそうだ」と書いたのは、境田君がいくらそれを指し示して説明してくれても、私にはただの樹皮にしか見えなかったためだ。

 その写真。
 境田君にくれてやった。
 それまでまったく知らなかったのだが、彼は心霊現象や心霊写真に興味を持っていたらしい。本人の存在が心霊現象のようだったが。

 別なクラスメートがある日の夕方、ラジオの地元放送を聞いていたら、「ボク、心霊写真を持っているんですけど」と、局に電話をかけてきた境田君の声を聞いている。
 やれやれである。

 その境田君。中学卒業後どうしているのか、私は知らない。
 いや、中学卒業前にも、どうしていたか記憶にないし、果たして卒業式にいたのかも記憶にない。でも、卒業アルバムには載っているから、いたんだろう。

 霊を信じるか信じないか?
 私は信じないが、奇怪な現象が起こりうるとも思っている。起こって欲しくないけど。
 私は科学的に解明できないことを信じたくはない。
 でも、怖いものは怖い。

 心霊現象を体験したという人よ、実はウソでしたと一斉に白状して欲しい。
 そうすると、私は快適な夜の生活を送れるだろう(なんだかやらしい表現だな)。

 音楽では、ベルリオーズが「レリオ」のなかで「亡霊の合唱」なんて曲を書いているし、シューベルトの歌曲には「霊の挨拶」なんていう、エルガーの「愛の挨拶」の対極にあるようなタイトルのものがある。メノッティには「霊媒」という歌劇もある。

 どーしよーかな。

6c4778b2.jpg  よし、ここでは安易にベートーヴェンの「幽霊」(ピアノ三重奏曲第5番二長調Op.70-1)に逃げることなく、グラナドス(Enrique Granados 1867-1916 スペイン)の「ゴイェスカス(Goyescas)」(1911)を取り上げよう。

 2部7曲からなるこのピアノ曲集は、サブタイトルに「恋をするマホたち(Los majos enamorados)」とつけられており、第6曲目のタイトルが「エピローグ『幽霊のセレナード』(Epilogo “La serenada del espectro”)」。

 セレナードというのは恋人などを称えるために屋外で奏される音楽だが、幽霊は誰のために演奏するのか?
 なんか怖い……見初めないで、私を。

 「ゴイェスカス」は“ゴヤ風の曲集”という意味。ゴヤというのは言うまでもなく画家の名前だが、だからといってゴヤの絵画と曲との間に明確な関連性があるわけではない。

 グラナドスは次のように述べている。

 《私が夢中になったのは、ゴヤの心理状態や彼のパレット、ゴヤ自身、彼のミューズであるアルバ公夫人や、彼とモデルや愛人、おべっか使いたちとの口論。白みがかったあの桃色の頬と対比をなす、黒いビロードの生地。アコヤガイのような手と、漆黒の装飾品にもたれかかったジャスミンの花。こういう人目を引かないものに、私はとり憑かれているのです》(Wikipediaより引用)

 各曲のタイトルは以下のとおり。

 第1部

 1. 愛の言葉 Los requiebros
 2. 窓辺の語らい Coloquio en la reja
 3. ともし火のファンダンゴ El fandango del candil
 4. 嘆き、またはマハと夜鳴きうぐいす Quejas o la maja y el ruisenor

 第2部

 5. 愛と死(バラード) El amor y la muerte(Balada)
 6. エピローグ「幽霊のセレナード」 Epilogo “La serenada del espectro

 追加

 7. わら人形 ― ゴヤ風な情景 El pelele - Escena goyesca

 なお、マホ、マハはそれそれ伊達男、伊達女、または美男、美女の意味である。

 私が持っているCDはHeisserのピアノ演奏によるもの(このCDは「オリエンタル」のときにも取り上げている)。1992録音。エラート。

季節が変わりカッコウは死んで落っこちました、とさ

76c811bf.jpg  年齢を重ねるごとに1年1年が短く感じるようになる感覚は、多くの人が実感していることだろう(1センテンスに“感”が3つ。くどい)。

 でも、地球の公転周期は変化していない。
 少なくとも私には、地球の公転周期が短くなってんですのよ、という井戸端会議連盟からの報告はない。

 じゃあなんで?
 その理由として、たとえば、10歳のときの1年は人生の中で1/10の長さだが、40歳のときの1年は1/40の長さになるわけだから、分数を理解できる人もできない人でも、とにかく分母が大きくなればなるほど短く感じるのだ、というのがある。

 私が名づけるに、年齢実感相対性理論である。
 この説、説得力がある。
 分子を365にして、分母を365日×年数にしても同様の結果が得られるところが、実に理論的である。もっと言えば、うるう年を計算に入れると、より精度の高い感覚値が導き出されるのである。

 すごいではないか。

 たとえば、今年の私の1年はこれまでの人生の中で2.857%のウエイトなのかと、予測することも容易である。元旦の習慣にすると楽しいかもしれない。

 でも、いま一歩、間違いなくそうだとも言いきれない。
 そこがこの“年齢実感相対性理論”の弱みである。
 科学的なのに科学的でない。
 これに生きざま要素を加味できる補正係数が発見できれば少しはまともになるのだが……

 ぼけ老人の場合はどうなんだろう?
 81歳のときと82歳のときでは、やはり「年々1年が速く感じる」とばかり、82歳のときの方が速く過ぎ去るのだろうか?それとも、ぼけると時間の概念は銀河系級になるのだろうか?
 うん。補正係数は永遠に導けそうにない。

 そんなことを考えながら、「若き日の歌(Lieder und Gesange aus der Jungendzeit)」を聴く。

 マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)が書いた歌曲集で、全部で14曲から成る。なお、原題からすれば、一般的な邦題である「若き日の歌」ではなく、「若き日のリートと歌」という方がより近い。

 作曲年は、第1~5曲は1880年から83年にかけて、第6~14曲は1887年から91年にかけて。

 歌詞は、第6~14曲は「子どもの不思議な角笛」からとられているが、第1~2曲はR.レアンダー、第3曲は伝承によって作曲者、第4~5曲はスペインの詩人T.de.モリナの「ドン・ファン」からL.ブラウンフェルスが訳したものが用いられている。

 この歌曲集の初版は1892年に3冊に分けて出版されており、そのときのタイトルもただの「歌曲集」であった。
 「若き日の」というタイトルは、マーラーの死後に再版された際に出版社によってつけられたものである。おそらく彼の「最後の7つの歌」(1899,1901,1902。この7曲のうち、第3~7曲を「5つのリュッケルトの歌」と呼ぶ)と対となるように、こうつけたのだろう。
 近年になって、出版の際、原題である「歌曲集」を尊重する動きがある。

 各曲のタイトルは以下の通り。

 1. 春の朝 Fruhlingsmorgen
 2. 思い出 Erinnerung
 3. ハンスとグレーテ Hans und Grete
 4. ドン・ファンのセレナード Serenade aus Don Juan
 5. ドン・ファンの幻想 Phantasie aus Don Juan
 6. いたずらな子をしつけるために Um schlimme Kinder artig zu machen
 7. 私は緑の森を楽しく歩いた Ich ging mit Lust durch einen grunen Wald
 8. 外へ、外へ Aus! Aus!
 9. たくましい想像力 Starke Einbildungskraft
 10. シュトラスブルクの砦に Zu Strassburg auf der Schanz'
 11. 夏に小鳥はかわり Ablosung im Sommer
 12. 別離と忌避 Scheiden und Meiden
 13. もう会えない Nicht wiedersehen!
 14. うぬぼれ Selbstgefuhl

 このうち、第3曲「ハンスとグレーテ」(この曲のもととなったのは「草原の5月の踊り」という歌曲)のモチーフは、交響曲第1番の第2楽章で使われていることは前に書いた

 さて、今日書いておきたいことは、第11曲「夏に小鳥はかわり」。
 季節の移り変わりによって、自然の歌い手の交代を歌っている。
 つまり、カッコウが死んで、夜鳴きうぐいす(ナイチンゲール)が登場するのである。

 歌詞は、

 カッコウが斃(たお)れ、斃れて死んで落っこちた。
 緑おりなす牧場の隅で、牧場で死んだ!
 カッコウが死んだ! カッコウが斃れて死んだ!
 いったい誰が、この夏 ぼくらの暇を
 潰し、憂さを晴らしてくれるのだろう。
 カッコー! カッコー!

 そうだ! ナイチンゲールに代わってもらおう。
 緑なす枝にとまっているあのご夫人に!
 ちいさな姿で上品な あのナイチンゲール夫人、
 かわいらしくて愛嬌たっぷりなナイチンゲールに!
 あの夫人なら歌いもすれば躍りもするし、
 ほかの鳥が黙っているときでも賑やかだ。

 ぼくらはみんな 楽しみにして待っている、
 緑おおう生垣に棲みついているナイチンゲールを!
 こうして、カッコウが最期を遂げると、いつも
 ナイチンゲールが羽ばたき啼(な)きはじめることになる!
     (歌詞邦訳は長木誠司「マーラー全作品解説事典」音楽之友社による)

というもので、曲の長さは2分もない。

 しかし、この短い曲のメロディーは、交響曲第3番の第3楽章に転用されているのである。

 改訂によって削除されてしまったが、交響曲第3番の第3楽章にかつて付けられていたタイトルは「森の動物たちがわたしにかたること」。
 この楽章の背景に、上の歌曲がもつストーリーが関連するということは(まったくないとは言えないはずだ)興味深い。

 ここで紹介するCDは、ツィザークのメゾソプラノ、ガッティ指揮ロイヤル・フィルのもの。交響曲第4番の余白に、この歌曲集の第7、9、11、13曲の4曲が収められている。オーケストレーションはデイヴィッド・マテウスとコリン・マテウスによるもの。
 1999年録音。BMG-CLASSICS。
 ただし現在廃盤。

 一応念のために、そしてこういう余計な説明は最後にしようとは思うが、CDの写真の人物はガッティであり、マーラーではない。

 それにしても、マーラー、第1交響曲ではカッコウをあんなに大切にしておいて、ここでは平気で死なせるなんて(詩はマーラー作じゃないけど、こういう詩を採用して)、あなたって冷たいのね。

 でも、いかにもマーラーっぽいよなぁ。

お面を変えてぐるぐる回った。最後は破裂した

8326b3ec.jpg  浅田真央がシュニトケのタンゴを使うということで、一時期局地的にこの作曲家の名前がゲリラ検索されたが、今日はそのシュニトケ(Alfred Garrievich Schnittke 1934-98 ソヴィエト→ドイツ)の、比較的親しみやすいことから、面白さと魅力が割とすんなり伝わってくる作品をご紹介。←くどくて消化できていない文だな。

 「ピアノと弦楽のための協奏曲」(1979)。
 単一楽章のコンチェルト。

 シュニトケには1960年に作曲した「ピアノ協奏曲」があり、そのために「ピアノと弦楽のための協奏曲」を「ピアノ協奏曲第2番」と称することもある。

 オーケストラは弦楽群だけなので、当たり前のことだが、シュニトケが好んで使うことが多いチェンバロはここには登場しない。

 A.イヴァシキン編「シュニトケとの対話」(春秋社)のなかで、この作品についてイヴァシキン(I)と、シュニトケ(S)が以下のように対話している。

 I シュニトケさんの「ピアノ(と弦楽オーケストラのための)協奏曲」ではロマン派的原理が優勢を占めていて、僕が思うに、これがシュニトケさんの作品の中で最もロマン派的な作品なのですが、素材そのものは一定の和声の原則に厳格に従い、セリーさえ使われています。このようにして、素材そのものが、ロマン派的感情吐露を制御しています。

 S 「ピアノ協奏曲」のロマン派的体験と手法は、あまりにも紋切り型であると同時に、そこに何か奇妙な混ざり物が隠されているような、あまり「ざっくばらん」じゃないような感じがあるんです。問題は素材が制御しているというだけでなく、この協奏曲には夢遊病みたいなものがあって、曲全体がほとんど自動的といってよいものだということです。

 I この協奏曲には同じ輪の中を、一回ごとにお面を変えて、ぐるぐる回っているような感じがありますが、このことも音楽に夢遊病的性格を与えているのでしょうか?

 S ええ、でもこの螺旋は結局、最後に破裂します。

 また、次のような対話もある。

 I (ピアノ協奏曲を含む)シュニトケさんのいくつかの作品では、旗印的な、教会の歌のような調子が現われるでしょう?これを使ったとうことには、宗教的な意味が隠されているのですか?

 S ……「ピアノ協奏曲」ではその根拠さえわかりません。そもそも僕は、偶然の、くだらない現象でさえも、創作の過程で生じたものは全てとりいれてしまいます。潜在意識のどこかで生まれたということは、理性的計算の中に入らなくても、やはり必要だったということですから。

 この曲が始まってほどなくして、弦楽による不協和なのに美しい音の層で、どこかで聴いたことがある、それもとても親しんできているようなメロディーが現われる(これは曲の終りでも出てくる)。

 ブルックナーからの引用か?
 そうかもしれない。
 でも、違う気もする。
 もっと有名で、もっと身近なメロディーのような。
 「レベル7」の主人公のように、ここまで出てきているのに思い出せない。ここまでって、どこのことか曖昧だけど。
 とにかく、印象的で背筋がぞくぞくする感動的な“歌”なのだ。
 私がどの部分を言っているのか、この曲を実際に耳にしてみればすぐにわかるはずだ(わからなくともあなたの人生に問題は生じないから心配なく)。

 曲は、深く深く物思うって感じのピアノ・ソロで始まる。
 弦が絡んできて、混濁しつつも美しいあの“歌が”高らかに!
 ピアノは叩く、叩く!
 それが過ぎると、すごく美しいが妖しいピアノと弦の絡み。「イン・メモリアム」を思い出す。
 と思いきや、「エスキース」にあったような、昔の社会風刺コメディー映画で主人公が危機に瀕して逃げ回るときに使われそうな、ドタバタな音楽が顔をのぞかせたり、緊張感に満ちた部分が続いたりと、魅力満載。
 そして、シュニトケ曰く、「螺旋は最後に破裂する」。

 私が聴いているCDは、ポースニコヴァのピアノ、ロジェストヴェンスキー指揮ロンドン・シンフォニエッタによる演奏のもの。1992録音。apex(原盤エラート)。カップリング曲は、シュニトケの「ピアノ連弾協奏曲」(1987-88)。こちらの曲では、ピアノ独奏にイリナ・シュニトケが加わる。

 あぁ、あの弦楽の高らかな“歌”のメロディー、何かに似てる。
 なんだったかなぁ。
 イライラ……
 こういうのが、いちばん脳に悪い。

 頼む!
 誰か「MUUSAN、バッカだなぁ。気づかないの。こんなに露骨なのに。これは〇〇の〇〇じゃん」って教えてくれ!(必ずしも、実際には語尾や文末に“じゃん”をつけなくてもよいから)

 私が先に解明するか、あなたが先に私に教えてくれるか、勝負だ。
 えっ?そんな勝負には参加しない?
 そんなぁ~

 ↑ ブルックナーの第7交響曲だった。

(ロシア+イラン+ウルトラQ)÷3 = 時に涙、か?

238f12b5.jpg  聴いていてとても力(りき)が入るCDである。

 ナクソスから出ているアミーロフ(Fikret Dzhamil Amirov 1922-84 アゼルバイジャン)の作品集。
 ヤブロンスキー指揮ロシア・フィルの演奏。2008年録音。

 CDの帯にはこう書かれている。

 《ロシアとイラン、他に様々な人種が入り混じった国。ここの音楽は野趣に溢れ、時に涙を誘う》

 まっ、そりゃ置いといて、アミーロフの作品としては、前に交響的ムガーム「バーヤティ・シラーズの花の庭(Gyulistan Bayati Shiraz)」(1968)を紹介した。
 ムガームというのはアゼルバイジャンの吟遊歌手の旋律形である。

 今回紹介するナクソス盤には、この「バーヤティ・シラーズの花の庭」(このCDでは、この曲の作曲年は1968ではなく1971となっている。どちらが正しいのか私にはわからない)のほか、アミーロフの代表作とも言える、交響的ムガーム「シュール,キュルディ=オヴシャーリ(Shur - Kyurdi Ovshari)」(1948)、「アゼルバイジャン奇想曲(Azerbaijan Capriccio)」(1961)が収録されている。

 「アゼルバイジャン奇想曲」には、「バーヤティ・シラーズ」でも現われる“ウルトラQ”(1966)のオープニング・ミュージックに似たメロディーが執拗に出てくる。個人的にはそこに郷愁を誘われちゃったりする(このメロディーをもうちょっといじくると、ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲第1楽章のメロディーになる気がしてきた)。

 「シュール,キュルディ=オヴシャーリ」は(どういう意味なのでしょうね?)、ハチャトゥリアンのような、さらには、ときに伊福部昭的な音楽。骨太だが、どこか物悲しさが横たわっている。
 要するに、これこそが、このような憂いが、民族的なる音楽ということになるのかもしれない。

 このCD、ご家庭に1枚あってもおかしくない、いや、無駄ではない。
 夫婦喧嘩のときのBGMにも良いだろう。
 おぉ、エキサイティングぅっ!

 アミーロフの音楽がウルトラQに与えた影響は……まずないだろうな。
 けど、似てるんだよな。

 昨夜8時ころ、すすきのの「うなぎのかど屋」の前を通りかかったら、長蛇、とは言わないまでも、けっこうな人数が歩道に並んで待っていた。
 あぁ、丑の日なわけね。
 で、うなぎを食べるわけね。
 ふだんなら、この店、まったくにぎわってないのに、こりゃたいへんだ。ご飯を炊く分量、ちゃんと計算できたかな。
 それにしても、ニポン人って……

 今日の午前中は、会社からお暇をもらって歯医者に行って来る。
 さし歯を作りかえるのだ。
 今までのさし歯をはずし、型を取り、出来上がるまでの仮歯を作って入れる、というのが本日のメニュー。
 仮歯を作るのに2時間くらいかかるそうだ。
 前歯だから、本歯ができるまでの間、歯無しってわけにいかないもんな。

ニコルくんと命名した。でも、無名に戻った。

e2fb54c7.jpg  現在、庭のバラは1弾目の花盛りを終え、次の開花までの小休止中である。とはいえ、それでもいくつかはしぶとく(これじゃあ誉めていないみたいだけど)咲いている。

 コガネムシは誘ってもいないのに多数襲来し、今咲いている花を食し、人目もはばからずそのあたりで交尾する。アダルトビデオに出てくるような変態カップル以上に変態的だ。何しろ行きずりでいきなりだもん。

 そんなこともあって、満開になるかならないかで、すぐに花柄を摘むようにしている。この夏は特にこの変態虫の発生数が多いらしく、やつらに忌避効果あるいうパセリも、これじゃあ株数不足だ。

 昨日の朝、そのような作業をし、ニコルという品種のバラを見ると、おぉ、花にカエルくんが腹這いになっているではないか!
 まぁ、仰向けのカエルって、少なくとも元気なヤツでは見たことないけど。

 前に書いたように、とにかくわが家の庭の場合、ニュー・アヴェマリアという品種のバラをカエルくんたちが休憩コーナーにしていることが多いのだが、ニコルで見かけるのは初めてだ。

 私が、その周囲の花に寄ってきているコガネムシに“カメムシ・キンチョール”を噴霧していても、びくともしない。カメムシ・キンチョールはコガネムシにすごく有効ではないが、体表が濡れるくらいかけてやるとさすがにもがいて(後ろ脚を上に上げるのだ。あいつら、何かっていうとすぐに後ろ脚を上げる)、死ぬ。
 本当はゴキブリ用殺虫剤が即効で痛快なのだが、残念ながら北海道では売っている店がほとんどない。

 私はこのカエルくんを、ニコルくんと名づけることにした。
 というのも、ニコルの花のなかでノターァとしていたからである(おお、聖書的な言い回しだ)。

 ニコルくんは私に微笑むかけるわけでもなく、かといって嫌そうな顔をするわけでもなく、とろんとした目をしている。
 暑くないかいと声をかけても、無言である。
 無言の方が自然でありがたいが……

 私がコガネムシと戦っているのを見て、少しは手伝ってやろうとは思わないのだろうか?
 パクリと食べてやろうって気にならないのだろうか?
 まあ、美味くなさそうだもんな。

527b4f89.jpg  コガネムシとの戦いというところから、強引にシャイト(Samuel Scheidt 1587-1654 ドイツ)の「戦いの組曲」。

 シャイトの名は一昨日のシュッツの記事のときにも出てきたが、そのシュッツ、そしてシャインとともにドイツ初期バロック音楽の「3S」と呼ばれている人だ。

 シャイトの生まれはドイツのハレ。アムステルダムでスヴェーリンクに学んだ。

 「戦いの組曲」は昔からフィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブル(PJBE)が良く取り上げていた作品だが、実際にこのような名前の作品をシャイトが書いたのではないようだ。

 というのも、シャイトの作品にはこのような名前のものがなく、この組曲を構成する3曲、すなわち「戦いのガイヤルド」「悲しみのクーラント」「イギリス風ベルガマスクの模倣によるカンツォーナ」は、いずれもシャイトの「音楽のたわむれ(Ludorum Musicorum)」という曲集に含まれるからだ。
 ということは、PJBE(あるいは別な人)によって再構成された組曲と考えた方が良いだろう。

 「音楽のたわむれ」(1621出版)は32曲からなる。
 シャイトは4部に及ぶ曲集を考えたようだが、結局は第1部にあたるこの「音楽のたわむれ」だけが完成した。

 「戦いのガイヤルド(Galliard battaglia)」は第21曲、「悲しみのクーラント(Courant dolorosa)」は第9曲、「イギリス風ベルガマスクの模倣によるカンツォーナ(Canzon ad imitationem bergamaas angle)」は第26曲にあたる。

 シュッツは三十年戦争(1618-48)で疎開もしたというが、シャイトの戦いに関するこれらの曲も、この同じ戦争を背景として書かれたのかもしれない。

 「戦いの組曲」を含むPJBEのCDは「戦い/P.J.B.Eバロック・コンサート」というタイトル。
 この曲の録音は1974年。デッカ。
 ただし現在は廃盤。

 あれから3時間後。
 ニコルくんはいなくなっていた。
 散歩にでもいったのだろうか?
 こんなことならもっとよく観察しておけばよかった。
 だって次にカエルくんを見かけたって、それがニコルくんかどうかさっぱりわからないからだ。
 首筋にホクロがあるとか、そういう特徴をきちんと調べておけばよかった。

 ニコルくんはニコルから去って、無名のカエルくんになっちゃったのだった。

レモンとか意見が同じとか、そういうサンセイじゃなくって……

5f7a4aaa.jpg  今回私が受講した研修は、そのほとんどの時間が4人の固定グループによって進められた。

 グループ学習というのは、そのメンバーによって時間の価値性が大きく変わるが、今回のメンバーには日本語の読み書きができない人もおらず、しかも程度の差はあれ、私の既知の人たちだったので、かなり温かな雰囲気で進められた。
 その3人が私のことをどう思っていたかはしれないが、少なくとも部屋に入れてくれないといったことがなかったので、概ね受け入れられたのだろうと思う。

 4人でいろいろなことを話し、お節介かもしれないが自分のことを棚に上げてアドバイスをする。いわば、4声の音楽のようだ。ただし、あまり対位法的ではなかったが(そうでなかったら、対立構造となってしまうし)。

 趣味について話したとき、1人が昔やりたかったが買ってもらえなかったフォークギターをこれから始めると言った。
 実に前向きな姿勢だ。
 その話を聞きながら、私は心の中で日曜の昼にやっていたスーパー・ジョッキーだか何とかというTV番組の賞品のことを思い出していた。奇人・変人コーナーとかに出ると白いギターがもらえたのだった。

e7938a31.jpg  別な1人は、子どもの頃に習っていたピアノを再開するという。
 もちろんピアノ製作ではなく演奏だ。

 バッハとショパン、特にショパンを練習しているという。
 若くて美しい女性教師と密にお話ができて、とてもうらやましい限りだ(想像だけど)。

 てなことで、バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750 ドイツ)を取り上げる(ショパンじゃないんかい!)。

 「3声のインヴェンション(シンフォニア)(Inventione a 3 (Sinfonia))」BWV.787-801(1720⇔23)。長男ヴィルヘルム・フリーデマンのクラヴィア練習用に書かれた作品である。

 今さらながらに言うと、“3声”の“声(せい)”というのは“声部”のこと。英語で言えばpartである。「3声のインヴェンション」のような楽曲の場合は、「フーガなどの対位的多声楽曲における各旋律線」のことをいう。

 上に載せたのは、この作品(15曲からなる)の第1曲の前半部分の楽譜(音楽之友社)。
 矢印で示したように、旋律線が3本あるのだ。
 だから3声。
 バッハの作品は“対位的”楽曲なわけで、この3つの旋律線が各々独立しているように進んでいく。
 簡単に言っちゃったけど、すごいことではある。

af2de3f9.jpg  「3声のインヴェンション」ついでに書くと、先日紹介した「考える人」の村上春樹ロング・インタビューのなかで、村上春樹は次のように語っている。

 《BOOK1、BOOK2は平均律クラヴィーアを踏襲しているわけだけど、BOOK3は三人のボイスで進行していく話で、これはバッハで言えば三声のインヴェンションみたいな感じですね。なぜそういう書き方が可能になったかというと、三人称で書けたからです。BOOK1、BOOK2に関しては三人称で書いてはあるけれど、青豆の視線も天吾の視線も、ある部分、一人称を引きずっている。でも、牛河に関しては、これは三人称でなければ絶対書けない。彼がそのように入り込むことによって物語がさらに膨らみました。三人称の必然性がはっきりしてきて、僕としてはそういう手応えがあった》

 ふ~ん。
 BOOK1とBOOK2って、“踏襲”していると言えるくらい平均律クラヴィーアのようなものだったかな?章数はそうだったけど。

 これまた、余計なお世話の基礎的な話だろうが、一人称っていうのは「僕」とかっていう書き方で、三人称っていうのは「牛河」とか「ナカタさん」という書き方。ついでに二人称ってのは「あなた」とか「おまえ」といったもの。
 中学の国語レベルのことだろうけど、正直なところ私、ときどきこんがらが(“か”が正しいのか?)ります。

 さて、「3声のインヴェンション」のCDでは、前にシフのピアノ演奏によるものを紹介したが、やっぱりこの曲はチェンバロで聴きたい。
 そこでコープマン盤(このCDは「2声のインヴェンション」のときに紹介した)。

63aee089.jpg  1987年録音。カプリチオ。
 ところがぎっちょん、この名演CDは現在廃盤。

 代わりに、ここはひとつ、トヨタ車のように、すごい面白みはないもののまあ間違いはない(このところ、そうは言えないけど)レオンハルト盤を紹介しておく。

 ラベンダーの花も終わり(写真は1週間前のもの。あんときゃあ良かった)、アカトンボが飛び回るようになり、やれやれ、いまや冬に向かって一直線である。


教会版「月が出たでたぁぁ~、月がぁぁぁ出たぁ~」

37d0183b.jpg  わずか2日間ながらも、研修所に缶詰めになり、研修を終えたとき、私は自分がわずかながら変わっていることに気づいた。

 少なくとも2日分は歳をとった。

 研修の1日目。
 19時近くに1日のプログラムを終え、夕食。

 トンカツだった。
 口内粘膜を傷つけるのではないかというような、散髪直後のハリネズミのようなコロモであった。

 そして、ビールを飲まずにいきなり食事をするのは、私にとっては極めて、極めて、極めて非日常的な出来事である。

 お義理程度に“摩耗した剣山”に箸をつけ、外へ飲みに出ることも考えたが(門限はあるが、それまで3時間ほどあった)、天気もあまり良くないのでそれはすぐに思い直した。

 トンカツをおかずに自販機で買ったビールを飲もうかとも思ったが、他のみんなは誰一人そのような行動に出る気配がない。

 まるで断酒会の食事会のような雰囲気で、みんな黙々と固いカツと格闘しているだけだ。

 そんななか、私だけがプシュッゥ~とリングプルを引く勇気はない。
 それ以前に、食堂にある自販機でビールを買う勇気もない。コインを入れてガラガラゴットンと缶が落ちる音が響いただけで、一斉に笛を吹かれそうなのだ。

 やれやれ。
 私は、山道に迷ったあげくに行きついた異教徒の館に一晩泊めてもらうことになった山火事防火員のような気持ちになった。

 食事を終え自分の宿泊室に戻る。

 おなかが満たされ、同時に軽い胸やけすら覚える今、もはやビールを飲みたいなんてと思わなくなっていたが、でも、それは私の生き方に反する。

 もう一度食堂に行き、誰もいなくなっていたことを幸いに、500缶を1本だけ買う。
 こういう施設だから儲けなんて出すべきじゃないと思うのだが、1缶320円もする。
 コンビニより高いし、下手すりゃビジネスホテルの自販機より高い。もっと高いホテルももちろんあるけど。

 部屋に持ち帰り、無味乾燥な部屋で独り飲む。
 そして、私は寝た。

 今回の研修は、ノウハウ研修ではなく、これからの自分の人生について考えるものであった。
 う~ん、老いていくのだ。
 「わが青春はすでに過ぎ去り」。

 「わが青春はすでに過ぎ去り」は、ネーデルランドのスウェーリンク(またはスヴェーリンク。1562-1621)のオルガン曲(けっこう有名なメロディー)だが、同じ時代、ドイツではシュッツ(Heinrich Schutz 1585-1672 ドイツ)が活躍していた(三十年戦争中はしばしばデンマークに行って戦禍を避けた)。

 シュッツはドイツ初期バロック音楽を代表し、シャイト(1587-1654)、シャイン(1586-1630)とともに「3S」と呼ばれる(アタシは「3S」というトリオ、今まで知らんかったけど)。
 特に宗教戦争時代のドイツの苦悩を体験した人として、J.S.バッハ(1685-1750)に至るドイツ音楽の基礎を築いた作曲家とされる。

 私はシュッツの名前はずいぶんと前から知っていた。
 学生時代に、時々ヤマハにスコアを見に行っていたのだが、シュッツの曲の楽譜がずいぶんと目についたからだ。

 でも、それだけ。

 作品を聴いたことはなかった。

 それが、今月になって聴いてみちゃったわけだ。
 CDが安売りされてたから。790円で。

 その作品は「シンフォニア・サクラ(Symphoniae sacrae)」第1集Op.6,SWV.257-276(1629出版)。桜交響曲ではない。20曲からなる教会コンチェルトである(シュッツはG.ガブリエリに師事し、ヴェネツィア楽派の複合唱様式やコンチェルタート様式をドイツにもたらした人物である)。

 教会コンチェルトと聞くと、器楽の協奏曲と思っちゃうが、お客さん、歌も入ってますぜ。

 私が買ったCDは全20曲の中から、16曲を抜粋したもの。抜粋というよりは、CD1枚に収まる分が16曲だったということか?

 1曲目に収録されているのは第19曲の「新月にラッパを吹き鳴らせ(Buccinate in neomenia tuba)」という、天吾あたりが夜にアパートの部屋で聴いていそうなタイトルのもの。

 これが歌われ始めると、しかし、すっごく明るい気分になる。
 プップカプーってしたくなる(ラッパがあれば。ラッパが吹ければ)。
 ザクセン選帝侯に献呈されたこの曲集、健康的でストレス・フリー。
 研修終了後に聴くにも適している。
 なんか、オレ、また頑張るぞ!みたいなぁ~

 なお、シュッツは「シンフォニア・サクラ」を第3集まで書いている。

 私が購入したCDはDietschy(ダイエットしちゃいたい?)とBellamyのソプラノ、Laurensのメゾ・ソプラノ、Zaepfelのアルト、ElwesとDe Meyのテノール、Fabre-Garrusのバス、Les Saqueboutiers e Toulouse の演奏。
 1985録音。apex(原盤:エラート)。

 なお、SWV.の番号は、ビッティンガー(W.Bittinger)のシュッツ作品目録(1960)の番号である。

 さあ、そして、私は1001回目をこうやってスタートした(2進数じゃないですから)。
 そうそう、みなさん、1000回目のお祝いの言葉、ありがとうございました。
 特にアイゼンシュタイン氏様からの心暖まる長いコメントに、7月24日朝現在の私は感動しました。

作曲者が祝おうとしたのものは?

 本日、1,000回目の記事となる。

 これまでこのブログをご愛読いただいた方々に、あらためてお礼を言っちゃいたい気分である。

2822fa92.jpg  私と、そして皆さんにバラの花を!

 また、偶然にもたまたま今日、初めてこの記事にヒットした方々、「継続は力なり」という言葉があることをご存知だろうか?そう、これを機に当ブログを続けて読むことをお薦めしたい。
 必ず力がつくはずだ。書いている私が薦めているのだから間違いない。
 脱力とか他力、無気力といった力だ。場合によっては不可抗力を被ることもあるだろう。

 さて、私の記事の傾向を知っている方々なら、私の記事に傾向がないことを理解しているだろうが、それでも1,000回目はマーラーの交響曲第8番、つまり「千人の交響曲」あたりを取り上げるだろうと予想した人は多くはないだろう。
 というのも、「千人の交響曲」自体を知っている私の読者がほとんどいないだろうから。

 そのような嘆かわしい現状は別として、確かに「千人の交響曲」もちらりと考えたが、この曲、別に1,000人ちょうどの演奏者が必要というわけではないのでやめることにした。
 こういう点では、意外と神経症的な私である。

 私は閃いた。
 そうだ。タコだ。
 アイゼンシュタイン氏の好物であるタコ。
 そうすれば栄えある1,000回目にアイゼンシュタイン氏も登場できることになる(この2行で登場終了)。

 でも、タコはタコでもショスタコーヴィチ(Dmirty Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)を取り上げる。

 私が好きな作曲家ベスト3は、マーラー、ショスタコーヴィチ、伊福部昭である。

 ショスタコーヴィチが交響曲第9番を作曲中であると語ったとき、皆がベートーヴェンの「第九」を頭に描き、その新作はきっと壮大なものになるだろうと期待した。

 ところが発表された交響曲は室内管弦楽的な30分にも満たない愛らしいものであった。

 この精神を私も引き継ぐべきだろうか?
 引き継ぐべきなのだろう。

 昨日のブログではベートーヴェンの「第九」を取り上げ、環境も整えてあるし。

 だから、例えばここで、ショスタコーヴィチの「自作全集への序文とそれについての短い考察」Op.123(1966)なんて曲を取り上げると、1,000回目を迎えるに当たって紹介する作品としては、実に自虐的でいい。祝祭的な気分ゼロだ。肩透かし、スケスケだ。

 この作品は、「出版されてもすぐに忘れられ、大げさな肩書きをつけても無駄だ」といった自嘲的な詩による作品。詞は作曲者自身による。

 これを私のブログに言い換えるならば、「投稿しても忘れられるどころかすぐに埋没してしまうので、ウケを狙ったタイトルをつけても無駄だ」ということになる。もともと、タイトル付けに苦労している割りに、満足したものはできないんだけど……

 でも、ここで重大なことに気づいた。
 私はこの曲を聴いたことがない。
 この事実はまさに致命的。紹介することができない。
 それに、ちょっとはお祝いモードになりたいなって欲望もある。

e22fe134.jpg   そこで「祝典序曲(Festive Overture)」Op.96(1954)。

 ひと昔前にはあまり録音もなかったが、近年になってショスタコーヴィチの作品の中でも人気作品となっている管弦楽曲である。

 ショスタコーヴィチは1948年に党中央委員会に糾弾されズタスタになったあと、その決議に従ってオラトリオ「森の歌」Op.81(1949)、カンタータ「我が祖国に太陽は輝く」Op.90(1952)といった、表面的には政府に迎合する音楽を書いた(でもそういう背景を背負いながらも、「森の歌」は良い曲だ)。

 「祝典序曲」もこの一連のグループに属する作品で、第30回革命記念日を祝うために1947年に作曲された。

 しかしこのときは演奏されず、その7年後の第37回革命記念日の委嘱作品として改作、発表された。つまり改作版の初演は1954年である。
 ただし、ドン=ヴォルガ運河開通に捧げられたという話もある。

 輝かしいトランペットのファンファーレで始まり(掲載譜。このスコアは全音楽譜出版社のもの)、曲は元気いっぱいに進んでいく。

99a36cfb.jpg  ショスタコーヴィチはこの作品について、「困難な戦争の時代を体験し、敵に踏みにじられた祖国を復興させる1人の男の感情を描きたい」、「新5か年計画の再建事業への熱狂の表現」と語っているが、完成されたのがスターリンの死(1953年)の翌年であることから、スターリン体制からの解放を密かに祝っているのでは、という憶測もある。

 私の手元にはいくつかのCDがあるが、いちばんよく聴くのはテミルカーノフ盤。オケはもちろんサンクト・ペテルブルク・フィル。
 1996録音。RCA。

 この私のブログ、第1回目の記事は「お盆にショスタコ」というタイトルのものだったと思う。
 思う、というのは、すでにこの記事は削除してしまっているからで、自分の書いた文にもかかわらず、記憶が曖昧なのだ。

 この記事では、彼の交響曲第15番をお盆に聴いたらどーたらあーたら、って書いたはずだ(なお、投稿後削除した記事については1,000回には含まれていない)。

 そして、奇しくも1,000回目もショスタコ。

 こうなったら、わざとらしく3周年記念記事もショスタコにするんだろって?

 どーしてわかっちゃうのかなぁ、私の発想を。

会場を埋め尽くした聴衆、じゃなくて演奏者たち

c1be5cdb.jpg  クラシック音楽を聴き始めた頃、私にとって年末の札響「第9の夕べ」に行くのが、年間の恒例行事となっていた。

 クラシックを聴く身としては、それは当然のことであると、実に大いなる勘違いをしていたのだ。
 と同時に、当時はこれだけの規模の人数で演奏される曲っていうのは、ほかのコンサートではなかなかなかったため、オーケストラの醍醐味を味わえる曲でもあったわけである。

 そして、やがて第9の演奏会に足を運ばなくなっていった私。

 その後、あるとき目にしたチラシ。

 “999人の第九”という文字。

 なんかすごいな、と思った。
 良くない意味で。

 いや、第九を歌いたいという希望、努力。そして達成感を味わいたいという気持ちはわかる。自分で参加しようとはこれぽっちも思わないけど理解できる。

 この「999人の第九」というのは、1985年に開催された「ボランティア愛ランド・北海道フェスティバル」のフィナーレを飾るために企画された1,000人規模のボランティアコンサートから始まったもの。

 「999人の仲間とともに第九を歌いましょう。1000人目はあなたです」と広く道民に参加を呼びかけ、そのときは合唱約980人、オーケストラ約200人という規模のコンサートとなったのだった。会場の札幌中島体育センターだったという。

 規模は合唱が300人ほどと縮小されたものの(これでも積載オーバーと思うけど)、このコンサートは続いていて今年で25周年となる。

 これでもすごいと思う(でも、聴きに行きたいとは思わない)けど、もっと狂気なイベントがある。

 ご存知のことと思うが、「サントリー1万人の第九」である。

 あるとき回転寿司屋に行ったとき、店内は満席で、だから店外で食べた、のではなく、待合コーナーでボゥーっと座っていたら、天井近くの壁に取り付けられているTVで、すさまじい数の合唱団が第九を歌っている映像が流れていた。

 すっごく奇妙な映像だった。
 金もないくせに、また北朝鮮で何かの威信をかけた儀式をやってるのかと思った。

 ところが、指揮をしているのは佐渡裕じゃないか。
 アリンコの群れのような合唱団を、暑苦しい様相で感極まりながら指揮している。

 大阪城ホールでやってるらしいけど、これって聴衆はいるんだろうか?

 なんだか某国のマス・ゲーム的だ。

 楽しみ方は自由だけど、これを見てベートーヴェンは喜ぶのだろうか?
 喜ぶかも……な。

 いえいえ、参加している人たちに文句も何もありません。
 感動ものでしょう。

 私個人として、違和感を覚えるだけです。あくまで、私個人として。

 さて、最近マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(LGO)による“第九”、つまりベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)の交響曲第9番二短調Op.125(1822-24)のCDを買ってみた。
 新しい録音のCDではない。1981録音のライヴ。ベルリン・クラシックス。

 マズアとLGOの組合せとなると、まさに独独した、つまりドイツ、ドイツした演奏が期待できるが、まさにそのとおり(私はこれまでスィトナー盤を聴くことが多かったが、これはこれでずっしりとした響きの名演である)。

 最初から最後まで緊迫感に満ち、私たちが思い浮かべるベートーヴェンの肖像画、あの厳しくて不機嫌そうな作曲家が書いたにふさわしい演奏だ。

 面白いと思ったのは、第2楽章の有名な(?)、ティンパニがタンタタと4回叩くところ。
 1回目がいちばん強く、2回目以降弱めていく。ふつうはここは4回目以外は同じ強さでいくことが多いが、ここが新鮮だった。

 このCD、合唱はライプツィヒ合唱団他、独唱はモーザー(S)、ラング(A)、シュライアー(T)、アダム(Bs)。
 
 ということで、今日のこの記事は第999回目である。

 §

 前にご案内したように、私は今日から明日の夕方まで研修を受けなくてはならない。
 泊り込みの研修である。
 自由に使えるパソコンも、不自由に使えるパソコンもない。

 この状況が打破されない場合は(99%打破できる気がしない)、明日の投稿は夕方以降になる。
 皆さんにおかれましては、クビをキリンにしてアップを待つべし。

アタシとしては活動後にゆっくりする方が好きです

fc2e29c1.jpg  アバド指揮によるルツェルン祝祭管弦楽団のマーラー交響曲第6番
 2006年8月のライヴDVDである。

 このオーケストラは上手い!
 まあ、名手を集めたスペシャル・オケだから当たり前じゃないかとも言えるが、いやいや、各個人が優秀であればあるほど、たいていの場合、集団活動としての成果は上がらないものである。

 何かの立ち上げプロジェクトで各セクションから優秀な人材を集めてチームを作ったものの、そのプロジェクト・チームは全然うまくいかないって話はよくあるが、そりゃそうだ。

 個人個人が優秀なほど人と強調して何かを作り上げていこうという意識は希薄だから。
 自分でできちゃう、あるいは自分の主張がいちばんだと思っているから、チームとして機能しなくなるのだ。

 でも、このオーケストラはすばらしい。
 間違いなくそれは、アバドというボスの統率力のためだろう。

 このルツェルン祝祭管弦楽団は、イタリアの大指揮者トスカニーニによって始められたルツェルン音楽祭のためにアバドが新たに作ったオーケストラである。

 アバドが胃がんから復帰したのは2003年。
 ベルリン・フィルの芸術監督という最高のポストからもフリーとなっていたアバドは、1997年に自ら作ったマーラー・チャンバー・オーケストラを核として、新たなルツェルン祝祭管弦楽団を誕生させたのであった。

 このオーケストラのレパートリーの柱はマーラー。
 第2番を皮切りに第5番→第7番、そして第6番を演奏した。

 先日取り上げた(さらりとだったが)第3番の演奏は2007年である。

 やわらかな交響曲第6番だ。
 淡々とした流れの中に深い情感がある。矛盾した言い方だけど。
 DVDなので、終楽章でハンマーが振り下ろされるところもバッチリ観ることができる。
 
 さて、交響曲第6番はマーラーの交響曲中、もっとも優れた作品だと言われている。
 私もそう思う。
 でも、私が涙ながらにそう訴えなくても、村井翔氏はズバリと書いている(「マーラー」:音楽之友社)。

 《第6交響曲では、これまでの諸作品にも増して、交響曲の構成原理であるソナタ形式と曲の内的プログラムがすさまじいせめぎ合いを演ずる様を見ることができる。すなわち、ここではその素材=女性原理が形式=男性原理を極限まで膨張させ、解体の一歩手前まで追い込むが、ソナタ形式もぎりぎりのところで、かろうじて持ちこたえることができた。この作品が傑作と呼ばれる理由はここにある》

 この文の前には、マーラーが妻アルマに対しては「男性的」であろうとしたが、彼は自分の女性性=ユダヤ性を抑圧しようとしていた、と書かれている。その女性性がマーラーの作品に回帰してくるというのだ。

 ところで第6交響曲の中間の2つの楽章は、多くの場合、第2楽章がスケルツォ楽章、第3楽章としてアンダンテ・モデラートの楽章の順で演奏される。 
 マーラーはこの2つの楽章の演奏順序を最後まで悩んでいた。
 というのは、第1楽章とスケルツォ楽章の冒頭が主題の面で似ていたためで、第2稿でマーラーは第2楽章にアンダンテをもってきて出版した。
 しかし、その後すぐに第1楽章→スケルツォ→アンダンテ→フィナーレの配置に戻している。

 現在でも、マーラーの最終的な意図はわからないということで、アンダンテ→スケルツォの順で演奏されることもあるが、楽譜の全集版ではスケルツォ→アンダンテとなっている(音楽之友社から出版されているスコアの解説では、《(アンダンテ→スケルツォの順では)作品の基礎になっている理念が壊れてしまうことをすぐ悟り、マーラーは再びもとの楽章配列(つまりスケルツォが第2楽章)に戻した。だが、残念なことに、総譜を出版する際の手落ちで、然るべき言及が添えられなかった。そのために、マーラーの望んだ楽章配列は不明確であるという考えがいつも支配的であった。この問題も同様に、全集版のこの巻によって今やなくなった》と記述されている)。

 先の村井氏によると、マーラーは、《第3楽章が変ホ長調で終わった後、平行短調のハ短調で終楽章の序奏が始まったほうが、つながり具合がいいのは明らかだが、マーラーはイ短調の第2楽章が第1楽章と似た雰囲気のため、第1楽章末尾の勝利感が第2楽章で帳消しにされ、また同じ音楽かという印象を聴衆に与えるのを恐れた》のだという。

 私がこれまで聴いてきた第6交響曲の演奏は、すべてスケルツォ→アンダンテの順であったが、このアバドの演奏では第2楽章がアンダンテ・モデラート、第3楽章がスケルツォとなっている。

 う~ん。
 慣れの問題もあるんだろうけど、やっぱりスケルツォ(3拍子の快活な曲)が先でアンダンテ(ほどよくゆっくり。モデラートは中ぐらいの速さで、の意。中ぐらいの速さでほどよくゆっくり?) が第3楽章、そしてフィナーレへという流れが圧倒的に好きである。
 アバドはどのような観点から、この順序を選んだのだろう。

 §

 昨日の朝のこと。
 大学生の長男が珍しく、早起き、というか、少なくともまだ私の在宅中に起きてきて、朝ごはんを食べ、そのあとはオヤジくさく朝刊を読みながら、信じられないことにバナナチョコアイスをデザートとして食べていた。

 「朝からよくアイスキャンディーなんか食べれるな。腹を壊すんじゃないか?」
 「もう、調子悪いんだけど」

 アホか、こいつは!
 この無計画さ。

 そして新聞を放り投げ、トイレへと行った。

 やれやれ。
 私は新聞をざっと読んで、出かけようとした。

 するとなんということだ。
 ワイシャツのおなかのあたりが赤黒く汚れている。

 「なんだこりゃ?」

 妻がそれを見て言う。
 「血だわ。どっかから血が出てるんじゃない?」
 「じゃないじゃないだろ。これは血じゃない」
 「じゃあ何だって言うの?」
 「あいつが食べていたアイスのチョコが飛び火したに違いない」
 「そんなバカな」
 妻は私の主張を信じようとしない。

 もしや……

 私が新聞を調べてみると、下の辺のあたりがチョコでべっとり。
 そのあとに私が読んだので、そこが腹部に触れたのだった。

 息子がトイレから出てきたので、「アイスを食いながら新聞を読むな」と言ったら、ヤツは「出掛けに新聞を読まないことだね」と言いやがった。
 悔しいが一理ある。
 いや、ないない。

 時間がないのに、ワイシャツを着替えあたふたと家を出る。
 そのせいで、タバコとライターを忘れてしまった。
 
 私は今後、朝一番に汚れなき状態の新聞を読むことに決めた。

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