600曲を超えるモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-1791 オーストリア)の作品の中で、いちばんの傑作はどの作品だろうか?
交響曲第40番?
「ジュピター」と呼ばれる交響曲第41番?
魔笛?
ピアノ協奏曲第20番?
って書いても、ナンセンスだよなぁ。
ただし、全作品の中でこれが最高傑作だと言われているものもある。
クラリネット協奏曲イ長調K.622(1791)である。
この曲はモーツァルトの死の年に書かれた、彼の協奏曲としては最後の作品。
作品については前にも書いているので、ここでは簡単に触れておく。
この曲の自筆譜はなく正確な完成日は不明だが、モーツァルト自身が書き込んだ作品目録からすると1791年10月に作曲されたと推測されている。
そしてこの曲は、モーツァルトの友人で同じフリーメイスン(「ツル・パルムバウム」という支部)のメンバーだったクラリネットの名手シュタードラー(Anton Paul Stadler 1753-1812)のために作曲された。
A.シュタードラーとその兄弟のヨハンは、クラリネットとバセットホルンの名手として知られており、1787年には皇帝および王室の宮廷楽団に採用されている。モーツァルトとの出会いは、1784年に管楽セレナードの演奏に加わったときで、その後シュタードラーがフリーメイスンに入会したことで、付き合いが深まった。
なお、シュタードラーのために、モーツァルトはクラリネット五重奏曲も作曲している。
この協奏曲、もともとはクラリネットのために書かれたものではなく、バセットホルン協奏曲ト長調K.584b(621b)(1787?)として構想された(これもシュタードラーをソリストとして書かれた)。
バセットホルン協奏曲は第1楽章が書かれたが(199小節まで)、モーツァルトはこれをイ長調に移してクラリネット用とし、さらに第2楽章と第3楽章を新たに作曲したと考えられている。実際、バセットホルン協奏曲の完成されていた部分とクラリネット協奏曲の編曲版の内容はほとんど一緒だという。
バセットホルンという楽器は今ではすっかりすたれてしまったが、クラリネットよりも音域が5度低く、モーツァルトもいくつかの作品で用いている。
なぜ今日いきなりモーツァルトのクラリネット協奏曲をとりあげたのか?(って、いつだって予告なんてしてないけど)
マーラーを聴いたあとにモーツァルトの楽曲、特にこの曲が流れだすとすごく感じがいいのである。
もっともマーラーのようなヘビーな曲を聴いたあとは、ふつうは大いなる疲労感もしくは脱力感に襲われてしまい(恍惚というべきか)、耳を静かにしておきたいのだけど、たまたまウォークマンで第3交響曲の次にこのコンチェルトが流れ出てきて、おやまあ、素敵じゃないですか!ってことだったわけだ。
わびだねぇ、さびだねぇ~。
今日はBoerのクラリネット、Markiz指揮アムステルダム・ニュー・シンフォニエッタによる演奏のCDを紹介しておく。
September 2010
サイモン・ラトルがバーミンガム市交響楽団を指揮した、マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第3番ニ短調(1893-96、改訂1902)。
私は最近動揺している。
第1番、第4番を除きマーラーの名演と言えばショルティを超えるものはないと、長い間ずっと信じていたのだが、ここにきて大いにその思いがぐらつかせられているからだ。
もちろん、ショルティが指揮した以外のマーラーの録音は数多く聴いてきた(第3番について言えば、最初に聴いた演奏はクーベリック指揮のものだった。また、ラインスドルフ盤も好きである)。
それでも、1970年前後にショルティがデッカに録音したマーラーがいちばん私に感銘を与え続けてきたのだ。
柴田南雄は、岩波新書の「グスタフ・マーラー」(初版1984)のなかの交響曲第3番の章で、次のように書いている。
「第3交響曲」にはすぐれたレコードが少なくない。ゲオルグ・ショルティ指揮のシカゴ交響楽団による録音は燦然たる音の輝きに眩惑されるような出来ばえである。しかし、わたくしはその見事な音の饗宴に接して、これは、今日のマーラー理解という世界的現象のほんの一面、いわばその感覚的な表層しか代表していないと思った。要するに、もっぱらエレクトロニクスと商業主義によって鼓舞されている今日の音楽状況の一面が、ここには協力に、露骨に、集約的に、いわば夾雑物なしに提出されている。それゆえこそ、レコード・ジャーナリズムからはおそらく歓呼をもって迎えられるレコードであろう。しかし、同時に多くの人が、歓呼の彼方に振り切ることの出来ぬ空虚感の広がるのを実感せざるを得ないだろうと思う。その理由は何か。……(後略)
このあとに書かれている理由というのは、かいつまんで言えば、楽譜の指示通りにメカニックに演奏しても感動は与えられないといったものだ。
今から26年前、この文章を読んだときに、そしてそのあと読み返したときにも、私は別に動揺しなかった。
柴田南雄氏の言っていることはわかるが、それでもショルティの演奏は快感なのだ。恍惚とする興奮をもたらしてくれるのだ。
ところが最近比較的集中的にいろいろな演奏によるマーラーの交響曲作品を聴いていくうちに、柴田氏の言葉がずしんと私を圧迫し始めた。
ショルティの演奏を、こんなすさまじい演奏をもし生で聴いたなら、それはもう失禁ものだろう。でも、繰り返し聴かれる録音ゆえに、深みの希薄さがある。それはわかっていたのだが、私にとってはスピーカーの前に繰り広げられる音の饗宴がその弱点を打ち消していたのだ。
でも、ラトルやテンシュテットなんかを聴き始めると、最初は物足りなさを感じるものの、その深さ、人間臭さ(それがマーラーの本来の姿なのだ)が心にしみわたってくる。
今になってようやっとそのことに感づき始めた私は、うふっ、ちょっと奥手かなっ?
ショルティの演奏を否定するつもりは私にはまったくないが、どうも時代が変わってしまったらしい。それは方々で指摘されてきたことだけど、私と人生という“時代”さえも過去のものになりつつあるようで、ちと寂しい。
さて、ラトル指揮のマーラーの第3交響曲。
全集盤ではCD2とCD3に収められており、CD2には第1~5楽章が、CD3には第6楽章と「子供の不思議な角笛」から8曲が収められている(全集なのでいたしかたないが、第5楽章から続けて演奏される第6楽章が分断されてしまっているのは残念)。
ラトルの演奏は都会的で荒れ狂いまくることはないが、まったく冷たさや上品ぶったところはない。オーケストラの音は細部までよく聴こえる。しなやかな演奏だ。
第1楽章はゆっくりしたテンポで始まるが、たえず小まめにテンポを変えている。第1楽章も魅力ある演奏だが、この交響曲ではむしろ第2部(第2~6楽章)の方がよりすばらしい。
第2楽章の優美な愛らしさ、第3楽章の夜の動物たちが自分たちの時間がやって来たとばかりに幸福な気持ちをを静かに奏でる第3楽章。
そして第4楽章。アルト独唱はBirgit Remmert。この夜の深さを歌うこの楽章に、彼女の声質が合っている。この演奏でいちばん驚いたのは、32節以降に現れるオーボエ(あるいはイングリッシュ・ホルン)の上昇音。歌を受けて寂しげに吹かれるこの音が、ほかでは聴いたことがない鳴らせ方なのだ。
これってポルタメントというのだろうか?
確かにスコアをみると、この部分には(これ以降の同じ音形のところにも)hinaufziehenという指示がある(掲載譜。このスコアは音楽之友社のもの)。このドイツ語は「引き上げる」という意味だ。ラトルはここでねちっこく音を引き上げさせ、それが独特の情感を漂わせている。
第5楽章は夜の世界からぱっと明かりが灯った世界に。合唱にはけっこう力があるが、決して粗くならない。
終楽章の美しさも涙もの。この二重変奏の繊細なメロディーの動きがじつによくわかる。
たまらん……
この演奏、合唱はバーミンガム市交響合唱団とバーミンガム市少年少女合唱団。
1997録音。EMI。
なお、9月28日付の北海道新聞夕刊に、マーラーの第3交響曲が演奏された札響第531回定期演奏会の評が載っていた(A日程分)。
こんなことを書いたあと、ショルティ/シカゴ響のマーラー3番の第1楽章をまたまた聴いてみた。
やっぱりすさまじいことは間違いない!
新潟出張の話の続き。早くも最終回。
2日目の昼は“須坂屋”でそばを食べた。
そのあと午後の仕事を終え、ホテルに帰るためにタクシーに乗る。
「ねえねえ、運転手さん、ホテルの前にあるお寿司屋さん、けっこう有名みたいだけど美味しいんですか?」
「ん゛~、いやぁ、まぁ、そう゛てすにゃあ……」
「えっ?本当のところ言ってくださいよ?もう手遅れですか?あと何ヵ月生きられますか?」
じゃないけど、運転手さんに聞いてみた。
「あとこはまあ美味しいてすも。けどっさ、お、お、おぅ値段もいいでつかわね」
「えっ?」
「うんません。あっち発音悪いのんで」
「いえいえ、いいんですよ」
「ちょっと食べただけで、お客さん、なんつーけ、すぐに1人ごせんべんはいきますからね。そんよりそのぢかくの、いかのしゅみって店がにんちあるですよ。そこたったら、ごせんえんたべりゅったら、もう、そりゃ、おなかかいっぺいになりんす」
「いかの趣味?」
「いえいえぃ、いかのスみ」
「いかの墨ですね?」
「そう、なんでもあるんでしゅわ」
「そうなの、じゃそこにするわ」
携帯で検索してすぐに電話。
でも、すでに満席で入れないという。
「運転手さん、満席だって」
「ありゃ、そんじゃ、あわしまっつぅ店はどうですかにぃ?ノドグロとか、とか、とか、とか、とんかくいろいろあるだに」
「ほかにお薦めは?」
「あとは、あわしまのちょっと手前にチュー華料理屋があって、そこも人気ですなぁ。ギョウーザとか焼かれたりするッす」
そりゃあ中華料理店なら、ギョウザが焼かれる光景は珍しくないだろうけど。
「ありがとう。それだけ教えていただければ安心です。じゃあとりあえず、ホテル前にとめて下さい」
「ホテルの裏にもたくさん店がいらっしゃるんですよぉ~」
楠田枝里子か……?
「美味しいところあるの?」
「たくさん店がおられるんですわい」
「お薦めはある?」
「たくさん店がならんでてねぇ」
これ以上、彼を追い詰めてはいけない。そう判断した。
でも、その運転手さん、気を遣ってくれて、わざわざホテルの裏側の道を通ってくれた。
「ほれ、明るいでしょ、ここは寿司屋、その隣は寿司屋、向かいはウナギもやってる寿司屋、その角は、ほれ、なんつーの、ラヴホテェルですわ、はっはっはっはっはっ」
はいはい。
ということで「あわしま」という店へ。
予約なしだったが、たまたま先客が帰るところで席に着けた。
“あわしま”の名前は新潟沖の粟島からきている。
この店は粟島の渡佐旅館の姉妹店だそうで、郷土料理の店。
メニューは魚と寿司。海藻メニューも多い。
ただし料理の系統としては私の好みではない。
焼き海苔は美味しかった。
けど5枚(5切)で750円。美味しいけど高いなぁ。
一緒に行ったうちの1人が張り切ってノドグロの刺身を注文する。
が、さきほど売り切れたというつれない返事。
でも、焼きならあるということで、1匹焼いてもらう。
脂がのって美味しかった。
それにしても、私はノドグロと聞くと、村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」に出てくる“やみくろ”をどうしても思い出してしまう。
大きな店ではないし、人生経験豊かそうな年齢の女性たちで構成された店員も何人もいるのだが、なかなかシステマチックには仕事がはかどっていない感じだ。
ノドグロの刺身で空振りをくらって、今度は鯖の押し寿司を頼んだが、今日は鯖が切れたとのこと。あらま……
品切れが多いな。店に入ったのが20時だったけど、そんなに遅くはないよな……
その代わりに“かっぱ天国”なるものを頼む。
メニューには「かっぱ巻きの上にマグロのたたきが乗って一石二鳥」と書いてある。
出てきた。
これはちょいとあまり品が良いとは言えないのでは……
それにこれってタタキじゃないと思う。
翌朝は先に書いた通り午前中に精力的に仕事をたたみかけた。
ここで1人(“朝漬け”発言の彼だ)が新潟駅から新幹線で東京へ。
私と、私の上司であるピョン太リーダーと、もう1人(寡黙な彼だ)は空港へ向かった次第。
空港では早めの昼食をとるために、再びSilver Skyに入る。
たった2日間だが“郷土料理”系が続いたので、洋食が食べたい。
私はハンバーグ定食にするか豚生姜焼き定食にするか迷ったが、ちょっと胸焼けがしていたのでオムハヤシライスにした。オムライスにデミソースがかかったものだ。
結果的には全然軽い食事ではないが、美味しかった。どっかのマツモトローよりも美味しいと私は思った(胸焼けしていたにもかかわらず、完食したくらいだ)。
でも、なぜハヤシオムライスという名ではないのだろう?
だって、オムカレーライスとは言わないよね、もしあったとしても。
ピョン太リーダーは石焼ビビンバを頼んだ。
なぜにして新潟空港で石焼ビビンバなのかいぶかる向きもあるだろうが、食べたかったのだろうからしょうがない。それにピョン太リーダーの本名には“石焼ビビンバ”に共通する文字が含まれているので、郷愁を覚えたのかもしれない(本名に“ビビ”とか“ンバ”とかが含まれているわけではない)。
もう1人の寡黙な彼は、親子丼を頼んだ。
ずっと気付かなかったが、きっと彼は到着した日に私がここで親子丼を食べているのを横目で見て、「よし、いつか僕もきっとここで親子丼を食べよう」と、心に固く誓っていたに違いない。
ということで、3人とも米どころにやって来たとは思えないメニュー選択をした。
家で夕食を食べながら思った。
当初の便だったら、今頃まだSilver Skyにいて、ビールを飲んでデロデロになっていたかもな、と。
早く帰ってこれてよかった。
さて、昨日の日曜日。
午前中に強引に仕事を終わらせ(厳密には一部割愛して)、12:40新潟空港発のAIRDO機で札幌に戻って来た。
本来ならば13時過ぎの用務が一件あったのだが、それをまともにこなすと、飛行機は19:00過ぎまでない。ということは、その用務が14時に終わったとして、19-14=5。
ほうら、おじさんたちは5時間も時間を持て余してしまうのだ。
そこの小学1年生。計算できたかな?
これじゃ、おじさんたちかわいそうでしょ?
ということで、午前中に強引にすべての用務をこなしたわけだ。
昼前に空港に着いた私たちは、またまたレストランSilver Skyに寄った。
今回の出張はSilver Skyで始まり、Silver Skyで終わったわけだ。
“何でも屋”なんて言って悪かった。
で、そのとき気づいたのだが、空港の中にも“須坂屋”が入っていることがわかった。
一昨日、新潟空港に降り立ったときには「新潟と言えばお米を食べなくては」と、そば屋なんかに見向きもしなかった。なんて、偏った視点だったのろう……
やれやれ……
そしてまた、空港に着いたとき、タクシー乗り場の先頭に並んでいたのは、私たちが初日に北方文化博物館に連れて行ってくれたあの個人タクシーだった。
今日もそういうお客さんをつかまえるんだろうか?
その北方文化博物館の話だが、まあ広いのも広いが、庭がきれいだった。
ただでさえきれいな心が、さらに洗われる感じがした。
そんなことを思っていたら、外通路の水たまりに足を突っ込んでしまった。
やれやれ……
博物館というくらいなので、ここではこの豪農・伊藤家にまつわる史料が数多く展示されているが、なぜかエジプトとかどこか海外のものも展示されており、ややグチャグチャ化している。
そんなグチャグチャ・シリーズを見ていて、私は驚いた。
なんとアッケそっくりの胸像が展示されていたのだ。
アッケというのはスナック「ルネサンス」にいる女性従業員の名前だ。
「ルネサンス」は、そう、あのエリザベートが出入りしている店だ。
アッケさん(これは本名に由来する)は、話し方に鉛、いや訛りがあって、自分のことをかわいらしく「アッケねぇえ」なんて言うのだが、私個人の感想を言わせてもらえば、ちっともかわいくない。
それはそうとして、この胸像の顔が彼女によく似ているのだ。
いっそのこと本人もここに並べて陳列してもらえばいいのにと思った。
あっ、でも、これって首から上だから、胸像でないな。
こういうのなんて言うのかな。
首像?
さて、夜は“越後一会 十郎”という店に行ったと報告したが、この店は本当に良い店だった。料理がとても美味しい。
ここはお薦めである。
私は生ものをあまり食べないが、一緒に行った他の3人のうち2人が、“あさづけ”の鯖の刺身が美味いと言っていた。
1人が思慮浅く「今日の朝漬けたの?」と不用意に店員さんに聞いたら、「いえ、浅く漬けたという意味です」とレスポンスの良い言葉を返された。つまり、あまり〆ていない〆鯖ということだ。
そんな話を聞きながら、私は炙りベーコンを食べた。
また、一緒に行った他3人のうち、やはり2人は鯖の押し寿司も絶賛していた。
そんな絶賛の声を聞きながら、私はポテトサラダを食した。
なお、先ほどから3人のうち2人の反応しか書いていないが、残り1人はあまりにも寡黙すぎて彼の心のうちを知ることができなかったからである。
さて、翌日の昼は「へぎそば」を出す“須坂屋”に行った。
この店の支店が実は新潟空港にもあったということは、上に書いたとおりである。
教えてくれたタクシーの運転手さん(初日に乗った、そして昨日も空港で客待ちをしていたタクシーである)は、なぜ空港にもあることを教えてくれなかったのだろう?
駅前の“須坂屋”はビルに入っていて、複数フロアを使っている。
まるで大手カラオケ店のようだ。実際にカラオケ店も同じビルにあるようだけど。
4人で行ったわけだが、3~4人盛りのへぎそば(写真)では足りなく(まあ、当然といえば当然か)、追加で1.5人盛りを頼む。
写真は最初に頼んだ方だが、見ておわかりのように、刺しゅう糸のように1回分ずつ分けて盛りつけられている。
これは食べやすい。
食後の休憩時間はラトル指揮のマーラーの「大地の歌」を聴く。ちょっとだけだけど。
うん、なかなかいいぞ。
ということで、この新潟出張話は明日に続く(今日のタイトルは宗男さんの応援者がかつて歌ったヒット曲からヒントを得ましたです)。
昨日の土曜日。
新潟の朝、2日目。
くもり時々晴れ。
ときたま暖かいが全般的には涼しい。
新潟とはまったく関係ない話だが(でも駅前の牛丼屋を見て思い出した)、先日紀伊国屋書店の札幌本店をぶらついていたら、奇妙な絵の表紙の画集が目にとまった。
石田徹也、とある。
この人の名は知らなかったが、不思議な雰囲気の絵だ。
もっと言ってしまえば不気味だ。
そして、私、嫌いではない。
31歳で亡くなったそうだ。
画集は買わなかったが(9,000円近い)、病的な空気がにじみ出ているなんとも言えない数々の絵に強いインパクトを受けた。
表紙に載っていたのは、この「燃料補給のような食事」という絵。
牛丼屋の情景を見事に突いていると、私は感心してしまった(ほうら、新潟につながった。一応)。
さて、新潟滞在の話に戻る。
昨日の昼は、前日にタクシーの運転手さんにお勧めと言われた「須坂屋」というそば屋へ。新潟駅の近くにある。
ここのそばの珍しいところは、麺にフノリが練りこんであること。これを「へぎそば」と言うんだそうだ。知らなかった。新潟でまた1つ賢くなった。
細めの麺で、特に海苔の味がするわけではないが、のど越しがよく、またこの店のたれも美味しかった。われわれが頼んだのは3~4人前。これで足りなくて、このあと1.5人前のを追加注文した。
夜はホテルの近くにあった「あわしま」という郷土料理店へ(ちなみに泊まったホテルは新潟第一ホテル。でも、おそらく新潟第二ホテルというのは存在しないと思う)。
こぎれいで、味も良かったが、混んでいて店員が準パニック状態になっていた。
昨日も書いたように、越後ツアーの写真については、帰国、いや、帰札後にアップしようと思っている。
この出張中は、ワーグナーやデュファイのほかに、ラトルが指揮したマーラーの「大地の歌」、交響曲第8番をウォークマンに入れてきた。
はい。すいません。
また、マーラーです。
わかっているんです。
でも、体が我慢できないんです。
ただ、まだラトルによるマーラーの交響曲について、きちんと書くまでにいたっていない。いや、聴いたのだが、記事に書くにあたってはこの新潟滞在中という環境は、やや不自由なのである。録音データなんかの資料面で。
ところで、木曜日、ウチの車、レガシーを運転した妻が、何かエンジンの音がおかしい、と言い始めた。
私はそれを今年の春前から主張している。でも、妻はそんな感じはしないと言っていたのだった。
で、何度かSUBARUに持っていった(実際には車を持っていくことはできないので、正しくは運転して訪れた、ということ)。
しかし、別に変な音はしないですよ、と一蹴されてきた。
この神経質病的男と思われてるに違いないという気配すら感じた。私の被害妄想なんだろうけど、でもこの上ない孤独感を味わったのは事実だった。
ただし、低速時にエンジンの回転が何度かおかしくなったことは、エアフロセンサーの異常の可能性があるとは言われた。その点検時、残念ながらコンピューター診断では異常は検出できなかった。また、エアフロセンサーが本当にまずい状態になった場合は警告灯が点灯するらしい。
で、木曜日の妻の体験。
運転中、すぐ上をヘリコプターが飛んでいるかと思ったという。
そんなにかい……
それを受け、夕方にSUBARUに行ってみた。
ショールームで待つこと30分。
私はこれほど待たされたことに、実はひそかな喜びを感じていた。
テーブルの上に置いてあった飴が食べ放題だったからではない。
時間がかかるということは、何らかの異常が検知されたに違いないと思ったからだ。
サービスフロントの人が厳粛な面持ちでやって来る。
実に場に合った雰囲気だ。祭囃子とともにやって来たなら、私としてもとっても嫌な気分になっただろう。
「変な音が確認できました」
ほらっ!やっと私の主張が認められたのだ。検察に勝った気分だ。
「2つの異音が聞こえてまして、1つは燃料系統の音です。おそらくダンパーが古くなったせいでしょう。もう1つはエンジンの中です。中でピストンがぶつかっているような音がします。これも経年変化でしょう。きちんと調べるにはエンジンを分解してみなくてはなりません」
「それは走行に支障がでるものでしょうか?」
「いえ、そうではありません。エンジンが停止したり、燃料系で危険があるものではありません。我慢していただけるならそのままで構いません」
「もし、修理するとしたら?」
「はい、エンジンのオーバーホールとなりますので、費用が結構かかります」
「どれくらい?」
言いにくそうに彼は言う。「50万円ほど」。
「我慢します!」。ここで急に、それまでタッチの差で回答権を得られなかった0枚のままのアタック25の回答者のように、妻が叫んだ。
ここに児玉清がいたら、「そのとぉりっ!」って叫んだだろう。
でも、そりゃそうだ。中古で140万で買った車だ。
ここで50万かけるなら、突然エンジンが自己分解するまで乗り続けたほうがいい。50万払って2~3年で買い替えとなると、明らかに無駄ってものだ。
だが、エアフロセンサーの方は?
「こちらの方は、今日も異常は検知できませんでした。もし、エンジンの回転がおかしいという症状が出ましたら、またお知らせください。ひどくなるとエンジン警告灯がつきますので、その場合はすぐにお持ちください」
「前に見積もっていただいたときには3万弱ということでしたが」
「その際は清掃で済ませるだけの箇所もあったのですが、警告灯が点灯するようでしたらそこも合わせて交換ということになると思いますので、5万ほどに」
「わかりました。様子をみます」
こうしてSUBARUを後にした。
実に親切な対応であった。
そして、私の耳は正しかった。
やっぱり私の耳はチャイコフスキー並に繊細だったのだ。
ということで、今回はチャイコフスキーの交響曲第4番もウォークマンに入れてきた。ムラヴィンスキー盤である。
昔はよく聴いた曲だ。
最近はほとんど聴かなくなったが、聴いたら聴いたで、引き込まれる曲である。
なぜ、この曲を聴いたのか。
12月の札響定期でこの曲をやるからだ。
12月の定期は聴きに行くつもりである。
チャイコフスキーの「運命交響曲」と言われる第4番については、こちらの記事を読んでいただければと思う。
掲載した写真のCDは現在廃盤。 今日は13時過ぎに用務が終わるが、何と言うことでしょう!帰りの便が19:00過ぎまでないのである。
やれやれ……
ここ数日の朝夕の冷え込みは、けっこうなものだ。
すっかり秋だ。
まあ、暦としては当たり前なんだけど、ついこの間まであんなに暑かった(これが異常)ことを思うと、ちょっと不思議。
なんせ火が恋しくなるくらいなんだから。
くろす・ふぁいあぁ~っ!
それにしても、今年は例年以上に庭のプルーンの落果がひどい。
落ちている実のすべてに、小さな虫食い穴が空いている。全部と言っても、10個ぐらいしか確かめてないけど。
庭に落ちるのはすぐ拾える。が、物置の屋根に落ちたものは梯子をかけて上ってとらなきゃならない。
怖い。
前に梯子から落ちた私としては、すごく怖い。
でも、木曜日には勇気をふるって屋根に上った。
汚い惨状だった。
面倒くさい思い、かつ、怖い思いをして、なんでこんな後ろ向きな作業をしなきゃならないのだろう。
めそめそ……
という私は、今朝は新潟で迎えた。
新潟もなかなか本気モードで寒い。
夕べも寒かった。
さて、昨日は昼に新潟に着く飛行機(エア・ドゥだったが、機内のドリンク・サービスはまだ行なっていた。かつてはANAやJALよりもサービスが合理的だったが、いまや逆転した)で新潟に着いたので、昼食は空港で。
空港は申し訳なくなるくらいすいていた。
3階のレストラン街(といっても、すし屋と中華料理屋と何でも屋くらいしかない)は、気の毒になるくらいすいていた。
で、ロッシーニじゃないが、便利なファミレス的品揃えの“何でも屋さん”に入る(歌劇「セヴィリャの理髪師」に「何でもの屋の歌」という有名なアリアがある)。
ここには和食から洋食、中華まで何でもある(たぶん「黒ごまタンタン麺は隣の中華料理屋からデリバリーされると推測される)。
私は親子丼を頼んだ。
ごく普通の味。でも、親子丼はフツーがいちばんだ。
仕事は夕方からだったので、タクシーの運転手さんに「どっか観光すべきとこころはなぁい?」と尋ねると、「ん~、何にもないんだけど、北方文化博物館ってとこは、んー、まぁ、お勧めです」と言う。
北方から来た私たちが、南下して来てすぐに北方博物館に行くのもどうかと思ったが、越後随一の豪農の館だというので行ってみることにした。
いやあ、確かにでかかった。
敷地8,800坪、建坪1,200坪、部屋数65。
恐るべし、豪農。
夜は事前にネットで調べた「越後一会 十郎」という店で食事。
夕方に予約の電話を入れたのだが、混んでいて、カウンター席4席を確保するのがやっとだった(つまり出張は4人で行ったわけだ)。
料理はとても美味しかった。
店員の応対もとても感じがよかった。
こういう店、札幌にだってなかなかない。
強いて言えば、狭くてちょいと落ち着けないかな、ってところ。まあ、カウンターだったせいもあるだろうけど。
私はあまりワーグナーを聴かないのだが、今朝は「ジークフリート牧歌」なんぞを聴いている。
マーラーの呪縛から逃れるための一環として、このやさしげな音楽をウォークマンに入れてきたのだ。まっ、ワーグナーの音楽が健康的かといえば、それはハテナだけど、この曲は書かれた経緯からして、少なくとも不健康ではない。
何度も書くが、私はマーラーの音楽が大好きである。大好物なのだ。
ただ、いくら好きだといっても、あんまり続くとさすがにきつい。
親子丼ばっかり食べていると、たまには違ったもの、たとえば玉子丼を食べたくなるのと一緒だ。
と言いながらも、新潟でも親子丼を注文した整合性のとれてない私。
ワーグナー(Richard Wagner 1813-83 ドイツ)の「ジークフリート牧歌(Siedfried-Idyll)」(1870)は、長男ジークフリートが生まれた翌年の妻・コジマの誕生日のために作曲された小オーケストラの作品。
彼の楽劇「ジークフリート」に出てくる動機を用いている。
こう書くとこんがらかるかもしれないが、ワーグナーは自作の楽劇の主役の名前を息子につけたということだ。タイガースの熱狂的なファンが娘に虎子とつけるのと同じだ。
ところで、妻のコジマというのはリストの娘である。
彼女は指揮者のハンス・フォン・ビューローの妻だったが、ワーグナーの愛人になり、最後は妻となった。ワーグナーの死後はバイロイトの支配人を務めた。また、日本にも渡り某家電量販店の礎を築いた、というのは根も葉もないウソである。
自分の妻・コジマがワーグナーの愛人になったのを、おそらくビューローは知っていただろうが、ワーグナーを崇拝していたビューローはそんな素振りを見せなかった。
1865年にコジマは女児を出産する。名前はなんとイゾルデ。
これまたワーグナーの楽劇に出てくる女性の名前だ。
でも、でも、でも、ビューローはイゾルデを自分の子として受け入れた。
ちなみに、コジマと結婚したワーグナーは、のちに自分よりも40歳も若い女性(人妻)にも惹かれ、肉体関係を持ったという。《楽劇「パルジファル」の第2幕には彼女(ジュディット)がワーグナーに与えた性的刺激を読み取らないでおくことはむずかしい》と、H.C.ショーンバーグは書いている(「大作曲家の生涯」中巻)。
まったくどーしよーもない男ちゃんだが、「ジークフリート牧歌」は、とても心洗われる部類に入る音楽である。
ここではマタチッチがNHK交響楽団を指揮したCDを。
マタチッチといえば、私は、中学のときに通っていた塾の試験で、成績貼りだし用のニックネームとして“マタチッチ”の名を使ったことがある。
成績はともかくとして、貼りだされたときに、それを見て「マタチッチって、よくこんなすけべな名前つけたよな。誰だ、この大胆なやつは?」とひそひそ話している奴らがいた。
そうじゃありませんって。
指揮者の名前ですって。
1968録音。DENON(掲載した写真は旧盤のもの)。
私はいま、新潟での写真をまだアップできない環境におかれている。
だから、写真は戻ってからね。
そうそう、中国の人は別に嫌いじゃないけど、中国って国がちょっと嫌いになったな。今回の尖閣諸島事件で。
いくら私がマーラー好きといえども、毎日毎日立て続けに聴いて浸っていると、右脳は疲れ、左脳は麻痺してくる。
それくらいマーラー漬けになっているかということは、最近のブログを読んでいただければわかると思う。
えっ?面倒くさい?
そんなこと確かめる気はない?
そもそも善良な読者にそのようなことを強いるのか?
はいはい。いいですよ。
確かめなくても……
関係ないけど、エリザベートが退院して1カ月くらいになる。
退院おめでとう!
飲みすぎないように!
ということで、リフレッシュが必要だ。
私の脳がまだリフレッシュできるくらい柔軟ならば、の話だが……
そこでマーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)から遡ること約500年。
デュファイ(Guillaume Dufay 1400頃-1474 フランドル)の世俗音楽を聴いてみた。
CDは、5枚組のタワーレコード・ヴィンテージ・コレクションから出ている「デュファイ 世俗音楽全集」で、ロンドン中世アンサンブル他の演奏。1980録音(原盤:オワゾリール)。
このうち、1枚目については、前に記事を書いたが、今回はDISC2。
ところで、デュファイはブルゴーニュ楽派を代表する作曲家。
ルネサンス初期の音楽家である。
といっても、掲出した音楽史年表(これは音楽之友社の音楽中辞典に載っているもの。紙がよれて(最初からこんなふう糊づけされていた)見にくいが、バロックのあとは下に向かって、前古典派→古典派→ロマン派→近代・現代である)を見ていただくと、ブルゴーニュ楽派はルネサンス初期というよりも、その前のゴシック後期の時代に活躍したようだ。
ただ、ブルゴーニュ楽派がルネサンス音楽への道を拓き、その後フランドル楽派にとってかわられたので、ルネサンス音楽の先駆者と言えるのだろう。よくわからないまとめだけど……
そのブルゴーニュ楽派(Burgundian school)は、15世紀にブルゴーニュ公国で活躍した作曲家の総称で、代表的な作曲家がディファイとバンショア(Gilles Binchois 1400頃-1460 フランドル)である。
ブルゴーニュ公国は1477年に滅亡したが(デュファイの死後3年だ)、現在のフランス東北部、ベルギー、オランダを領土とした。
さてCD2だが、「心をとろかす、たおやかな美女よ」、「心とろかすその姿」、「「私に悦びを下さるのならば、私もお返ししよう」「美しい人よ、私をあなたの召使いに」といった、ワクワクするようなタイトルの曲がいっぱい。
なんてたって、“宮廷風の愛”なもんで……
一方で、現在の私にぴったりの名前の曲もある。
「かつてなし得たことも、もはやできぬ私」
いや、その、どういう意味かはご想像にお任せしますけど……
今日から新潟に出張。
新潟に行くのは初めて。
AIRDOに乗る。
さて、先日買ったラトルの指揮バーミンガム市交響楽団によるマーラーの交響曲全集から、まずは第4番を聴いてみた。
交響曲第4番はこのところ私がのめり込んでいる作品である(札響定期後の土曜日以降は第3番に転換しているが)。
ラトルの第4番については、鈴木淳史氏が「クラシックCD名盤バトル」(洋泉社新書)で取り上げ推している。
(バーンスタイン/ウィーン・フィル(海賊盤)に比べると)ラトルはもっと醒めきった悪戯のようだ。第1楽章冒頭、序奏から主題へ入るときには大胆なテンポの切り替えを披露、聴き手の出鼻をくじいておくことだって忘れない。第2楽章の独奏ヴァイオリンは、ここまでやっていいのかと思えるほどに下品な表情で登場する。第3楽章は美しい。だが、それは作られた美しさであり、すべてが終わってしまったあとの美しさだ。
第3楽章を除けば、伸びやかに歌っている部分は少ない。これはウィーン・フィルのような性質のオーケストラでないこともあるだろう。人によっては、ラトルのやっていることは、すべてわざとらしく、非人間的である、と憤慨する人だっているはずだ。少なくとも、マーラーという人間が生きていた時代を純粋に享受できる者はバーンスタイン盤を愛好するのだろうし、そういう時代が遠くなったことを感じる者はラトル盤の方にリアリティを覚えるのだろう。
私は鈴木氏が書いてあることに何にも反論はない。
ちっともない。
それにバーンスタイン盤(ライヴ。First Classics)を聴いたこともないし。
ラトルの演奏は全体にわたって響きがとても美しい。
テンシュテットとは逆の第4番だ。
冒頭はひじょうにゆっくりしたテンポで始まる。そして、鈴木氏が書いてあるように、テンポはおやっと思うくらい切り替えられ速くなる。
でも、私には出鼻をくじかれたとまでは思わない。
これまでの人生で、何度も出鼻をくじかれてきたから驚かないんだもん。これからだって、たくさんくじかれることがあるだろうしね。
第1楽章を聴き進んでいくと、テンポの切り替えが目立つが特にわざとらしく感じるところはない。
第2楽章。
独奏ヴァイオリンは確かに下品だ。
でも、下品な表情のモノはこれまで何度も見てきた。
つい先日行ってみたダイニング・バーのおじさん店主だって上品な表情とは決して言えなかった。選んでくれたワインは美味しかったけど。
これまた下品さはテンシュテット盤の方が上をいくと思う。やっぱりラトルは根が上品で現代的なのだ。だからこそ、マーラー時代という遠き時代を冷静に表現できるのかもしれない。
第3楽章もとても美しい。終楽章も夢のような世界だ。
ただ、ソプラノのAmanda Roocroftの声質が、もうちょっと愛らしかったらなぁと、おじさんは思う。
ラトル盤を聴いても、今のところこの曲の私のベストはテンシュテット。
ただし、第2位はガッティを抜いて、このラトルになりそうな予感。
そして、私の中ではガッティ盤と並んで好きだったインバルを確実に抜いてしまった。
えっ、シノーポリ?。ごめんなさい……
1997録音。EMI。
それにしても、ラトルの舌、エッチっぽい……
「つまり手と足。これが日本の文化なわけですね。トラディショナル・カルチャーてやつです。ははははっ」
何のことかおわかりだろうか?
私はちーっともわからない。
でも、この言葉は9月17日22:08にアイゼンシュタイン氏の口から発せられたものである。
9月17日というと、札響の第531回定期演奏会があった日である。
22:08というと、演奏会が終わってその日の演奏についての反省会を開いていた時間である(鑑賞態度に問題はなかったか、など)。
この日、彼は、マーラーの交響曲第3番の第1楽章を聴いた後、退館。
でも、執念深い氏は自分の用が済んだあと、反省会に半ば強引に合流してきたのだった。モロボシ・ダンが出したカプセル怪獣が、何の役にもたたないままカプセルに戻るのと同じように、氏は呼んでもいないのに帰ってきたわけだ。
私とアルフレッド氏はその日の演奏会の、特に第2楽章から第6楽章までについて話し合っていた。
話題に入り込めないアイゼンシュタイン氏が悔しまぎれに口を挟んできた。それが冒頭のセリフである。
さて、祝日だった21日、私は朝からカレーを作った。
その日の夕食でどうしてもカレーを食べたくなったのだ。
朝から作り始めることもないのだが、朝から作り始めた。
タマネギをみじん切りする。
もう、涙も枯れて出てこない。
ボールいっぱいのタマネギ。これを飴色になるまで炒めるのは大変だ。
そうそう、電子レンジで加熱してから炒めると良いと、最近読んだ雑誌に書いてあった。
そのようにすると、確かに楽だった。
で、今回のルーはジャワカレーだったのだが、冷蔵庫の中を見ると、前に使い残したバーモントカレー中辛2片とコクまろ中辛3片があった。これもブレンドしなくては(使ってしまわなきゃ)ならない。
よく、カレールーはいくつかの種類(商品)を混ぜて使うと美味しくなると主張する人がいるが、本当なんだろうか?
そうだったら、ハウスやS&Bの開発スタッフは、とっくに最初からブレンドした商品を作り出すんじゃないだろうか?実験室レベルで、すり鉢の中でバーモントカレーとジャワカレーとインドカレーを混ぜて、再成型。ハウス「ジャインモンド・カレー」なんて簡単に作り上げられるだろう。
でもそうしないということは、混ぜ合わせりゃ美味くなるって単純な話じゃないんだと思う。要は、上手くなるんじゃなくて、その家庭の好みに合うものができるって話なんだろう。
そんなことを考えながらカレールーを投入していたら、縦じまが美しい私のパジャマにカレーがはねてしまった。
じま、と言えば、最近「東京島」という映画のCMがTVで流れていた。
このCMを観て真っ先に思い浮かんだのは「アナタハン」のことだ。
島に女1人ということで。
ところが、ネットで調べてみると、桐野夏生の原作であるこの物語、男の数も「アナタハン事件」と一緒だ。「東京島」は「アナタハン」をモデルに書かれたってことのようだ。
「アナタハン事件」は、私が生まれるずっとずっとずっと前の話。
じゃあなぜ知ってるかといえば、伊福部昭が映画「アナタハン」の曲を書いていて、サウンド・トラックLPでその曲を知っていたからだ。
アナタハンはサイパン島から北へ約100kmのところにある島で、全長約9km、幅約4kmの大きさである。
太平洋戦争の真っ最中だった昭和19年6月、ここに海軍に徴用されていた日本の船が3隻漂着する。船員21名、兵士10名の31人。
この島は戦前から日本企業によってヤシ林の経営が行われており、すでに農園技師の男性とその部下の妻・比嘉和子の2人が暮らしていた(そのとき、和子の夫は島を離れたまま戻れなくなっていた)。また、現地の住民70人も暮らしていた。
和子と技師とはすでに親密な関係になっていたという。
こうして男32人、女1人の日本人が集まった。
こうしたなかで、男たちによる和子の争奪戦が始まっていくのである。
最終的に7年後にアメリカ軍に救出されるまでに11人の男が何らかの形で亡くなっているが、和子をめぐっての殺人であった可能性が高い。
比嘉和子は男たちの救出よりも少し前に救出されている。
救出後の昭和27年、アナタハン島で起こったことが大きくマスコミで取り上げられることになる(和子のブロマイドが飛ぶように売れたという。やれやれ)。
そして、翌28年、和子本人が主役となったB級映画「アナタハン島の真相はこれだ」(吉田とし子監督。新大都映画)が公開されることになる。
この映画が、たまたまジョゼフ・フォン・スタインバーグ監督の目にとまり、「アナタハン」いう映画を同年製作した。主演女優は根岸明美。
スタインバーグ監督の映画は大和プロダクションというところの製作だったが、東宝が支援したという。
そして、この音楽を担当したのが伊福部昭。
サウンド・トラックLPに収められていたメイン・タイトル曲は、南国的な、でもどこか物悲しさをはらんだ音楽である。
なお、林友声指揮上海交響楽団による管弦楽編曲版のCDも出ていた(1997録音。キング)。ただし、このCDではメイン・タイトル曲は収められておらず、劇中音楽である(ライナーノーツによると、楽器編成上の制約から、民族楽器が前面に現われないものを選曲したとのこと)。
さて、カレーは昼前にはすっかり出来上がった。
で、私は昼にそれを食べた。家にいた次男坊も昼にカレーを食べた。
その結果、私たちは夕食もまたまたカレーを食べることになった。当たり前のことだが。
昼にカレーを食べたあと、私は2台の扇風機をしまう作業を行なった。
あんなに暑かったのに、あんなに活躍してくれたのに、もうお役御免なのだ。
扇風機をしまいながら(なぜ、箱に収めるときに発砲スチロールの型にすんなりはまってくれないのだろう)、汗が出てきた。
扇風機で風をかけたかったが、どう考えても無理なので我慢した。
ケージ(John Cage 1912-92 アメリカ)の作品に「ラジオ・ミュージック(Radio Music)」(1956)というのがある。
ケージといえば偶然性音楽で有名。
「ラジオ・ミュージック」は最大で8人の奏者(?)によって演奏される6分ほどの作品。奏者たちは楽譜にしたがって、ラジオのチューニング・ダイヤルを指定のところに合わせていく。
掲載した楽譜(と言うんだろうか?)はパートA、つまり第1奏者(操作者とも作業員とも言える)のものである(掲載したのはPETER社から出版されている楽譜)。
ラジオのチャンネルを合わせるということは、演奏するときによって出てくる音が違う。あったり前だ。
日本で演奏するならば、落語だったりニュースだったり流行歌だったり演歌だったり気象警報だったりCMが混然と響き渡る。その行為を、たとえば10分後に同じようにやったとしても、決して同じ音の集合にはならない。
だからこそ偶然性の音楽なのだ。
二度と同じものは生まれない。
ところが私はこの曲のCDを持っている(CRAMPS RECORDS)。
偶然性の音楽という使命をもったこの作品を、録音として残すなんて邪道なのかもしれない。ケージが生きていれば怒りまくるかもしれない。
でも、どんなものだか聴いてみたくなるのも事実。
ということで、“あるとき”の偶然によって生まれた演奏を、私も持っているわけだ(このCDには4'33"も収められている)。あくまでの一例ってわけだ(どんな曲だって、録音はある時点での一例なんだけど)。
ピーッ、ギャラララ、ピュウ~ン、英語のナレーション……
そんな“雑音”のなかから突如、美しいメロディーがかすかに聞こえてくる。
モーツァルトだ!
こういうとき、それはとても懐かしく感じられる。
モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)のピアノ協奏曲第26番ニ長調K.537(1788)。聞こえてきたのは、その第1楽章のほんの一部である(スコアを載せた下線の箇所。このスコアは音楽之友社のベーレンライター版)。
ウィーンでのモーツァルトは、自ら催した予約演奏会によって人気の絶頂を迎えたが、それはピアノ協奏曲の創作においても、もっとも輝かしい時期であった。
その絶頂期は1784年から86年までの3年間で、この間に12曲のすばらしいピアノ協奏曲が作曲された。しかしこのあと、1791年末にモーツァルトが死ぬまでの間に書かれたピアノ協奏曲は、たったの2曲にすぎない。
1786年12月5日(とされている)。
この日はモーツァルトの4回にわたる待降節予約演奏会の最後の日で、ピアノ協奏曲第25番K.503を、モーツァルトは演奏したと考えられている。
その記録が正しかった場合、モーツァルトの輝かしい日々は12月5日をもって急に幕を閉じたことになる。
その理由の1つは、1787年から死の1791年の5年間のモーツァルトの関心はオペラや交響曲、室内楽曲といったピアノ協奏曲以外のジャンルに向いたことにある。
しかし、もっと現実的な問題として、あれほどお客がやって来た予約演奏会を開こうにも、もはや開けなくなっていたことがあげられる。予約演奏会を企画しても、お客が集まらず演奏会中止を余儀なくされるということが起こっていたのである。
そして、それは当然のこととしてモーツァルトの経済状態の悪化をもたらした。
1787年、モーツァルトは歌劇「ドン・ジョヴァンニ」によってプラハで成功を収める。「フィガロの結婚」についでの成功であった。
さらにこの年の秋には、亡くなったグルックの後任としてヨーゼフ2世から“皇王室宮廷室内作曲家”の称号が与えられた。
こういった追い風を受けてモーツァルトはウィーンでの栄光を再び夢見た。そして、翌’88年、四旬節の予約演奏会を開くことを企画、2月末にピアノ協奏曲第26番ニ長調K.537を完成した。
しかしこの予約演奏会は結局のところ開催されなかったようである。つまり、それまで彼が生み出したピアノ協奏曲と違い、完成、即発表という形をたどらなかったわけである。
この曲がモーツァルトによって初めて演奏されたのは、完成から1年余り経った1789年の4月、ドレスデンの宮廷音楽会においてだったと推測されている。
なお、モーツァルトは翌1790年にフランクフルトでこの協奏曲を演奏している。レオポルト2世の戴冠式祝典を目当てにこの地を訪れて演奏会を開いたのだった。
このときはこのK.537の協奏曲とK.459のピアノ協奏曲(第19番)の2曲が演奏されたようだ。
というのは、K.537はJ.アンドレから初版が出版されたのだが、その同じ年にK.459の初版も出版されており、それぞれの表紙に「この協奏曲は、皇帝レーオポルト2世の戴冠式の折に、フランクフルト・アム・マインで作曲者自身によって演奏された」と記されているからである。
そして、このようなことからK.537のピアノ協奏曲は「戴冠式」と呼ばれることがあり、またK.459の方も「戴冠式」と呼ばれることがある。
第26番K.537は当初の目的のためか華々しい音楽になっているが、その前の12曲のピアノ協奏曲ほどは複雑ではないとされている。
また、この曲のピアノ・パートには、他の協奏曲と比べても特に不完全な部分が多い。しかし、J.アンドレ社から初版が出版された際には、自筆で欠けている部分にも補筆がなされ完成されている。これを行なったのが誰かははっきりしないが、おそらくはJ.アンドレその人だろうと考えられている。そして、この補筆された楽譜が現在も受け入れられている(ベーレンライター版スコアでは、その箇所の楽譜は小さな音符で印刷されている)。
CDではグルダが弾いた、アーノンクール/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のものをあげておこう。
1983年録音。テルデック。
参考:作曲家別名曲解説ライブラリー「モーツァルト〈1〉」(音楽之友社)
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