読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行した「保存版」です。  いまは“新・読後充実度 84ppm のお話”として更新しています。左サイドバーの入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。  背景の写真は「とうや水の駅」の「TSUDOU」のミニオムライス。(記事内にアフィリエイト広告が含まれている場合があります) コメント欄は撤去しました。

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

2010/11

ブラームスに潜む「マルティン兄貴」?

37efd793.jpg  クラシック音楽を聴き始めて1年ほど経ったころのことだと思う。

 何のレコードを買ったときか覚えていないが、ショップの店員さんが大きなポスターをプレゼントしてくれた。
 そのモノクロのポスターは、テオドール・グシュルバウアーがレコーディングしているときの、ラフな格好での指揮姿であった。

 私が買ったのはどう逆立ちしようとも間違いなくグシュルバウアーのLPではない。廉価盤の何かだ。でも、店員さんが私にこのポスターをくれた理由として以下の2点が考えられる。

 ① 私があまりにも美しい少年だったので、店のお姉さんが私とお友達になりたいがために、気を引くことを目的としてくれた。
 ② その店では、クラシック音楽のレコードなんて1年に平均で2.3枚くらいしか売れなく、ポスターが余っていた。余っていただけではなく、邪魔だった。

 なかなか解答の選択が難しい問題だが、おそらく②が正解である可能性が高い。

 私はそのポスターを部屋の壁に張った。
 物心ついてからの私の癖は、右の人差し指を鼻の下に添えるものだが(もちろん手の指だ)、グシュルバウアーもそんなポーズをとっていた。

0057bcad.jpg  さて、それから1年も経たないうちに、なんとグシュルバウアーが札響の定期演奏会に登場した。第144回定期である(なぜかこのときだけ、会場は札幌市民会館ではなく北海道厚生年金会館だった)。

 そのときのプログラムに載っていたグシュルバウアーの写真とプロフィールが上に載せたもの。あのとき35歳だったんだ。若い指揮者だったんだ。でも、今なら71歳かぁ。

 プログラムはウェーバーの「オベロン」序曲、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」、そしてブラームスの交響曲第4番であった。

 この日のプログラムにはグシュルバウアーによるモーツァルトの交響曲第40&41番のLPの広告も載っているが、彼は最近録音したこともあって(宣伝もかねて)この日の演目に加えたのだろう。
 それにしても、CD-4レコードっていうのがすごく懐かしい。さらに、TDK-SDのカセットテープ。私はこのテープを使ってエアチェック・ライブラ85f25498.jpg リーを増やしていったが、当時このテープは高級品の部類に入っており(なんせ「お求めはデパート、有名電気店……」と謳われてるもんね)、もっと安いテープの数の方が多かったが……

 この日の演奏がどうだったかは覚えていないが、私にとってブラームスの第4交響曲を聴いたのはこの夜が初めて。第1楽章の終わりのティンパニにしびれちゃったりしたが、ただそれだけではなく、お気に召したのだろう。そのあとすぐに廉価盤ながらこの曲のLPを購入している。

 ブラームス(Johannes Brahms 1833-97 ドイツ)の交響曲第4番ホ短調Op.98(1884-85)のCDでいちばん評価(人気)が高いのは、現在のところC.クライバー指揮ウィーン・フィルの演奏(1980録音)のようだ。
 でも、最近聴きかえしてみて、「んっ、これもがっちりしてていいじゃん」と思ったものがあった。
 ザンデルリンク指揮ドレスデンン・シュターツカペレ(ドレスデン国立管弦楽団)の演奏である(1972録音。DENON)。

332ae728.jpg  ブラームスの第4番は私にとって、今までのところ彼の4曲の交響曲のうちでは、1番とともに聴く機会が多い(逆に言えば、第2番と第3番はあまり聴かない)。
 第4番はどの楽章も素敵だが、特に第1楽章が好きである、私は。

 それも、マーラーの交響曲第1番第3楽章のカノン主題(民謡「マルティン兄貴(フレール・ジャック)」に基づく)に似た、表立っては鳴り響きかないメロディーがやたら気になる(譜例下線部。掲載スコアは全音楽譜出版社のもの)。
 なお、マーラーの交響曲第1番が(ブタペストで交響詩として)初演されたのは1889年のことである。

 この裏メロディー(?)、最初に出てくるのは第1楽章が始まって1分過ぎちょっと、ヴァイオリンによる高い音の目立った下降メロディーの背景鳴っているが、ほんと、最近はこのメロディーばっかり気になる。
 個人的な話で申し訳ないけど……(いつも個人的な話ばっかりか……)

  昨日はナシニーニ氏たちとの打ち合わせが昼近くまでかかったので、一緒に昼食でもということになり、ESTAの四川飯店に行った。タンタンメン定食(タンタンメン+ライス)に加え、麻婆豆腐を4人でシェアした(つまりこれで4人で行ったことが判明した)。そのせいで、夕食時になっても、ちーっともおなかが空かなかった。
 明らかに食べすぎだ。
 でも、美味しかった。ゴマは体に良いというし……

 なお、ナシニーニ氏は汁なしタンタンメン+小ライス(そして、麻婆豆腐1/4人前)を食べていたが、汁なしタンタンメンは非常に辛く、つらそうに咳き込んでいた。
 私は優しい目でそれを黙って見守るしかなかった。


ボディコン・ギャル総立ちのクラシック演奏会って……

 ある人物についての説明である。

 ① 高エネルギーと凝縮度で圧倒的に聴衆を打ちのめす、ヘヴィ級ロシア人。その細部まで透徹された途切れぬ緊張感は、実際にナマ聴きしなければならないもの。録音でもその響きは堪能できるが、その過剰さにこっちが醒めてしまうことがしばしば。

 ② 日本のコンサートにおいて、終演後に立って拍手しているのは、ほとんど女性という、何とも果報な指揮者。大阪公演では「ボディコン・ギャルが総立ち」という、90年代とは思えない輝かしい光景が展開された。軟弱なオトコがもてはやされる御時勢、彼のワイルドな容貌と演奏が、失われたセクシャリティを満たしてくれる対象として、彼女たちのハートを掴んだに違いない。

 鈴木淳史は「クラシック悪魔の辞典【完全版】」(洋泉社新書。初版は2001年)なかで、彼のことをこう書いている。

 さて、このボディコン・ギャルにモテモテの人は誰でしょう?
 私かな?
 それとも、僕かな?

 ブ・ブーッ!

 ゲルギエフのことである。

 なぜ、クラシック音楽のコンサート会場にボディコン・ギャルが多数いたのかはよくわからないが、まっ、大阪のことだ。想像不能のことが起こったとしてもしかたない。

 ゲルギエフのCDを私はそんなに数多く聴いているわけではない。

 ただ、ラフマニノフの交響曲第2番ボロディンの交響曲(第1&2)などを聴くと、やはりすごい指揮者だと思う。濃密な音楽を作り上げる。

 こういう比較の仕方は一面的なのかもしれないが、例えば、ボロディンの交響曲第2番。

 名演と言われるアンセルメ盤やスヴェトラーノフ盤。名演と誰かが言ったとは聞いたことはないけど、ガンゼンハウザー/チェコスロヴァキア放送響盤(ナクソス)。これらと聴き比べると、ゲルギエフが毛布だとすると、他のそれらはガーゼのようだ(録音年代の問題を差し引いても)。あるいは、ゲルギエフは生クリーム入りのネクターって感じだ。よくわからない例えだろうけど、とにかく重くて濃厚。

 ただ鈴木が指摘するように、ゲルちゃんの演奏、醒めてしまうというか、もうおなかいっぱいって感じになることがあるのも確か。攻め続けられると快感が薄れていくのと同じような……
 そうなると、アンセルメのが懐かしいなぁ、聴きたいなぁ~なんて思ってしまうのも事実である。
 
8705d733.jpg  その、ゲルギエフがマリンスキー(キーロフ)劇場管弦楽団を振った、ショスタコーヴィチ(Dmitri Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第5番ニ短調Op.47(1937)。
 この曲のCDでは、つい先日、インバル指揮ウィーン交響楽団の演奏を、ワタクシ、お誉めしたばかり。

 それがロシアの巨砲(あなたのお好きな意味でお受け取りください)ゲルギエフにかかると……いやぁ、重厚。激しい。アタシ、もうフラフラ……
 期待通りエネルギッシュな演奏であり、ズンズン、ドキドキ、快感の絶頂である。
 録音もすばらしく、最後のティンパニと大太鼓の重ねワザなんてゾクゾクする響きだ(フラフラしたりワクワクしたり、ドキドキしたり、ゾクゾクしたりして申し訳ない。決して体調が悪いときの症状ではない)。

 ただ、すごい演奏ではあるのだが(これを生で聴いたら鼻血が出る人がいるかもしれない。たまたま会場を訪れた禁欲生活を送っている修道院居住者とかが)、あったり前のことながら、ショスタコーヴィチはロシア国民楽派ではない。ここまでロシア的というか、土っぽくていいのだろうか?とふと考える私。
 ショスタコーヴィチはロシア音楽の流れを汲むというよりは、ヨーロッパのスタイルの作曲家である。モダンだ。ニュー・ウェーヴだ。先端を進もうとしていた。だからこそ、ソヴィエト当局ににらまれたのだ。しかも、作品には表と裏の顔があり、そのあたりの病的さも大切。

 ということで、すっごく素敵ですっごく感動する演奏ではあるが、僕はインバルをとる(←いきなり宇野功芳センセ風かい……)

 でも、ぜひ聴いておくべき演奏。
 2002年のライヴ録音。デッカ。

 カップリングは交響曲第9番変ホ長調Op.70。
 軽快ではなく遅めのテンポで始められるこちらの演奏は、この曲が単に、「小さいシンフォニーに仕上げて、“第九”という期待を裏切ってやれ」という作曲者の反抗だけでは決してなく、小さいながらも内容的に重みのある交響曲であることを実感させられるものだ。

君づけで呼んでいたあいつは今や上司?

 昨日の記事で石井眞木の「オーケストラのための『序』」を取り上げたが、私がこの曲を札響定期で聴いた日の演奏会パンフを懐かしく読んでいたら、ほほぅという記事にぶつかった(あっ、痛っ!)。

 それはそのころ連載されていた「楽界プロムナード」という記事で、書いているのは音楽評論家の横溝亮一。
 その記事の最初の部分を紹介しよう。

 今、東京文化会館で開かれたコレギウム・アウレウム合奏団のコンサートを聞いて帰ってきたばかりである。この団体は―(中略)―いかにもドイツ的ながっちりしたアンサンブルをみせる合奏団である。すべて直線的というが、モーツァルトの曲などでは、しなやかさがあまりなくて、少々そっけない面もある。しかし、バッハの管弦楽組曲など、弦5人、フルート1人、チェンバロ1人という最少人数で演奏して、バッハの勤めたケーテンの宮廷におけるコンサートもかくやとしのばせる面白さがあった。
 ところで、この曲でフルートを吹いたのは有田正広君という若い日本人であった。フルート・トラヴェルソ、つまりフルートが横笛になったばかりの時代の、キイがひとつしかない古典的楽器を操って、有田君はたいへん見事な演奏をした。他の6人のドイツ人たちに一歩もひけをとらず、よく融合しつつ、かつ、自己を主張する演奏として、とても立派だった。


 コレギウム・アウレウム合奏団は、古楽器オーケストラの先駆的存在である。
 いまでは当たり前になったとも言える、ピリオド演奏も当時はまだまだ珍しかったのだろう。横溝氏の困惑した気持ちが文面に表れている。
 私なんかは、このころはまだピリオド演奏というものをまったく知らなかった。

 それはともかくとして、ここで有田正広がまだ“若い日本人”として“君”づけで書かれていることを発見して、私は「へぇ、この大家がこんなところで紹介されてたんだ」と感心というか、驚いたのだった。

783e3bb9.jpg  先日のテレマンの「6つの四重奏曲集」のときに取り上げた有田正広。
 彼は1949年生まれだから、横溝氏が東京文化会館でのコンサートを聴いたときにはまだ26歳前後。
 確かに有田正広“君”である。
 それが今や世界に認められるフラウト・トラヴェルソ奏者なんだから、立派になってくれて嬉しい、って感じだ。

 そういえば、就職したときに課の先輩が私にこういう教訓をたれた。
 「来年以降、君の後輩にあたる新人が毎年入って来るだろうけど、少なくとも7年以内の人は君づけで呼ばない方がいい」
 どういうことかというと、いつ、その後輩の方が自分を追い越して偉くなるかもしれないからってこと。7年もあけば、よほどのことがない限り追い抜かれることがないってことらしい。
 しかしねぇ~。
 そういうこと考える前に、自分の仕事をちゃんとすりゃあいいと思うんだけどなぁ。

 その有田とトウキョウ・バロック・トリオの演奏による、テレマン(Georg Philipp Telemann 1681-1767 ドイツ)の「パリ四重奏曲(Pariser quartette)」。

 「パリ四重奏曲」は第1部と第2部に分かれており、第1部が先日紹介した「6つの四重奏曲集(Quadri)」。こちらは1730年刊(ハンブルク)で、再刊は'36年、パリにおいてである。

 今日紹介する(CDでの表記が)「パリ四重奏曲」の方は第2部にあたり、正式には「6つの組曲からなる新四重奏曲集(Nouveaux quatuors en six suites)」という名である。

 各曲は、

 第1番ニ長調TWV.43,D3
 第2番イ短調TWV.43,a2
 第3番ト長調TWV.43,G4
 第4番ロ短調TWV.43,h2
 第5番イ長調TWV.43,A3
 第6番ホ短調TWV.43,e4

で、出版は1738年、パリにおいてである。

 この作品も、とても健康的で、いかにもバロック音楽という爽やかさがある。

 CDの録音は1992年。DENON。


 一昨日、私の上司であるピョン太リーダーが私のところにやって来て、「MUUSAN、すまないけど、来週鹿児島に出張に行って来てくれないか」と言った。
 おぉ、突然!
 でも、なんとかスケジュールを調整すれば行けないことはない。
 でも、ピョン太リーダーが次に言った言葉は「でも、体がしんどかったら無理にとは言わないけど」というものだった。
 そんなに弱っているように見えるのだろうか?私。
 生きる屍のようなのだろうか?我。

 ということで、来週の後半は鹿児島に行って参りまする。

異様な眠気は壊滅的体調不良の序か?

4f5751dc.jpg  昨日の朝は、午前中、会社を遅刻するという手法を用いて歯医者に行ってきた。

 歯医者に行く前に銀行に寄って、ATMでLOTOを購入。
 まだ8:50くらいだったので人けはなかったが、私が使っていたATMの隣のATMがやたらおしゃべりさんだ。「画面の上に物を置かないで下さい」。あまりにも空虚におしゃべりさんだ。

 何度もそのように訴えているが、そのATM、誰も使っていない。
 画面の上を見ても、そこに風呂敷包みや缶コーヒー、銀のウクレレなど置かれてはいない。
 不思議だ……

 おや?
 左上隅の画面の上に小さな綿ぼこりみたいなのがのっかっている。
 厚手の靴下を履いて歩いたあと、靴のつま先の方に残っている繊維の塊のようなものだ。
 あんまり触りたくなかったけど、善良な私はつまんで床に捨てた。

 ATM機は「ありがとう、MUUSAN。ずっとしゃべり続けていて、もう喉がカラッカラだったの」とは言ってくれなかったが(水をかけられるという危機を感じたのかもしれない)、その後おしゃべりをやめた。

 歯医者に行くには、札幌のど真ん中、三越前の4丁目の交差点を通らなければならない。
 おや、4丁目プラザ前の歩道に3~4人が集まっている。
 何かなと思ったら、女の人が倒れている。
 見た感じ若そうだ。
 歩道のど真ん中だから、突然倒れたのかもしれない。
 意識があるのかどうか、私がいるところからはわからない。
 すでに119番通報していたのだろう、2分ぐらいで救急車が到着した。

 私は先を急いでいたので(歯医者が私を待っている)遠目でちょっと見ただけでどういういきさつか知る由もないが、こういう光景を見て明るい気分になる人はいないだろう。見ず知らずの人ながら、たいしたことがないことを祈る。

 歯医者では新たに虫歯が発見されてしまった。
 やれやれ、また新規費用が発生する。

 ところで、おとといの晩は雪が降っていてとても冷え込んでいたのだが、帰宅の道を歩んでいた私は、家の玄関まであと20メートルというところで、突然の寒気に襲われ、がたがたと震えがきてしまった。たちの良くない悪寒である。もっともたちの良い悪寒というのはないけど……

 家に入ってからもガタガタは止まらず、歩き回るのもままならない。それでも体温計を取り出してきて測ったら(私は体温計を脇の下にはさむと、すぐに本当に作動しているかどうか取り出してみたい衝動にかられる。そういうことないですか?)、あらあら37.2度。確かに微熱ではあるが、この程度ならここまで私の体を震撼させるほどではないだろう。

 実は私、少ないときには2年に1度くらい、多いときには1年に2~3度、こういうことが起きる。何かがきっかけで寒気がきて、ガタガタという震えが治まらず、まさに歯がガチガチ鳴るくらいになるのだ。その点、あくまで比較論だが今回のは軽症だった。

 これが起こるきっかけはさまざま。
 このように、寒いなっというのがきっかけで起こることもあるし、肘とかひざをどこかにぶつけたのがきっかけで、ぶつけた箇所の痛みから全身が共振したかのようになることもある。
 何とも変だし、なかなか説明のしようがないのだが、こういう人ってほかにいないでしょうか?
 なお、その晩はものすごい寝汗をかき(ふとんに入っても最初は寒くて震えがとまらなかったのに)、朝の体温は36.5度だった。

 歯の痛みについての曲は以前紹介した(私の虫歯はまだ痛みを発していないけど)。「トゥルバドゥールの音楽」というナクソスのCDに収められている、ボロ・ド・ボルネーユの「歯の痛みを抑えきれない」である。こういう人間らしい行為(歯の痛みを音楽化するという行為)は私、好きである。

 それよりも深刻なのは原因がよくわからない激しい悪寒である。
 そして、悪寒はいつものように1時間ほどで治まったが、寝汗、そして続いている全身のだるさが厄介だ。いくらでも眠れそうなくらい、太ったわけでもないのにまぶたも重い。
 悪寒はともかく、過去の経験からするとこの異常な眠気は風邪とか、あるいは得体のしれない極度の体調不良の序である恐れがある。

 序といえば、石井眞木(Ishii Maki 1936-2003 東京)の作品に「オーケストラのための『序』(Jo” for Orchestra)」Op.26という作品がある。作曲は1975年。

 私はこの作品を初演時('75年9月のN響定期)のTV放送で知ったが、そのすぐあと、同年10月の札響第153回定期で生で聴くことができた(この日は岩城宏之が札響の正指揮者に就任した第1回目のコンサートだった)。
 TVで観て録音もしていたが、不思議な打楽器によるガムラン音楽のようなメロディーが何度も繰り返されるのが印象的で、定期演奏会でもそれがすごく印象的だった。

 ところがこの曲、あれから35年も経つというのにその後再会できていない。CDも出ていないようだ。
 石井は翌'76年に「日本太鼓とオーケストラのための『モノ・プリズム』(“MONO-PRISM” for Japanese-Drums and Orchestra)」Op.29を作曲、この作品は尾高賞を受賞しているが、どうやら「序」は単独作品ではなく、「モノ・プリズム」の第1部という位置付けになったらしい。
 というのも、下で紹介するCDの解説に次のように書かれているからだ。

 《……アジア民族的な要素もみられる「オーケストラのための『序』」がうみだされていく。これは鬼太鼓座(おんでこざ)のために作曲した「日本太鼓とオーケストラのための『モノ・プリズム』の序曲のような役割で演奏されることもある》

 《「モノ・プリズム」は、第Ⅰ部と第Ⅱ部とから成り(第Ⅰ部には日本太鼓群は登場しない)第Ⅱ部には「オーケストラのための『序』」が演奏される》

 2つ目の文の、「第Ⅱ部には「オーケストラのための『序』」が演奏される」というのは、明らかに「第Ⅰ部には」の誤植であるが、これらによって「オーケストラのための『序』」が「モノ・プリズム」を構成する1曲となったことがわかる。
 そして、演奏される場合も当初の「モノ・プリズム」(つまり日本太鼓が加わる、第Ⅱ部となるOp.29の方)が単独で取り上げられるケースが多いようで、「序」の方はますます耳にできにくくなっているようだ。

 「序」という作品について(この題名は、作曲者のこれまでの響きからの、新たな世界への旅立ちをこめているという)、石井は以下のことを挙げている(札響定期のパンフより)。

 ・ 原始的リズムの回帰と音色の多様化(日本のみならず東南アジア民族等からの影響として)

 ・ 音響の集約化(トーン・クラスターの後退とカオス的音響群の凝縮として)

 ・ 構成の簡素化(音楽の再現性(反復)の再認識として)

8956aea7.jpg  「序」のCDは出ていないようなので、代償行為として「モノ・プリズム」のCDを。
 以前、岩城宏之/N響、鬼太鼓座のものを紹介したので、今回は朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団、鬼太鼓座による演奏のCDを。
 1978年のライヴ録音(当夜のコンサートでも第Ⅱ部のみが演奏された)。ビクター。

 それにしても、札幌市民会館で岩城宏之の指揮にワクワクしながら(なにせ、最新の現代日本の作品を意欲的に取り上げてくれるというのも、それまでの札響にはなかったことだったし。かといって、現代音楽が3度の飯より好きだというわけじゃないけど)、「序」を聴いたのがもう35年も前。
 そりゃあ、体も弱くなるわな……
 それより、この曲、もう一度聴けるチャンスは訪れるのだろうか?

 そうそう、石井眞木は伊福部昭の門下生。
 でも、あのころ、私はまだ伊福部昭をきちんとした形では知らなかった。
 弟子の方を先に知ったわけだ。

朝からドゥダメルのマーラー/第1に興奮しまくる

aeb9801c.jpg  生に限らずCDやDVDで感動することは少なくないが、いやぁ、このDVDにはすっかり引き込まれてしまった。
 やっぱり話題になるだけのことはあってすごい。人を引き付ける魅力がある。指揮する姿も、そしてそこから引き出される音楽も。

 グスターヴォ・ドゥダメル
 彼がロス・アンジェルス・フィルを振った、マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第1番ニ長調(1883-88/改訂'93-96)のDVD。

 2009年10月8日にロス・アンジェルスのウォルト・ディズニー・ホールで行なわれた、ドゥダメルのロス・フィル音楽監督就任コンサートのライヴである。

 私にとってドゥダメルの演奏にきちんと接するのは、マーラーの交響曲第5番に次いで2回目。

 いやぁ、参りました。
 すごい演奏だ。
 これまで聴いたマーラー/第1のなかで最もすごい、とまでは言わないが、DVDを視聴してこんなに興奮し、感動するのは私にとって初めて。
 そして、ドゥダメルの表情もいい。音楽の表情とドゥダメルの表情がみごとに融和している。音楽を表現することを全身で喜んでいるかのようだ。

  特に終楽章の曲の終わりの部分は何度も観返したが、そのたびに目頭が熱くなり、とても幸せな気持ちになる(ラトルによる第1番でぼやで終わった私は、これで全焼してしまった)。
 このDVD、最初は土曜日の朝に観たが、もう、朝からそんなに興奮しちゃってぇ~、であった。

 聴衆の堰を切ったような拍手とスタンディングが、当夜の会場の興奮を表しているが、まあ、こんな演奏を目の前でやられた日にゃ、それは燃えるわな、わななくわな、失禁しちゃ……はないわな。

 アメリカ人だからオーバー・アクションだろうってことを割り引いても、それでもこの演奏に対する聴衆の熱い感動は伝わってくる。
 カーテンコールのときにホールの天井から紙吹雪が舞ってくるが、これはいかにもアメリカっぽい。掃除すんの大変だろうけど。

 こんなことを言うと叱られそうだが、別なオケ、アメリカじゃなくてヨーロッパのオケだったらどんなふうになっちまうんだろう(もちろん、もっとすごい方向へという期待)と、ワタシ、抑えきれなくなっちゃう、欲望を。

 いやぁ、とにかくすごい指揮者が出てきたものだ。
 これから先、どのようになっていくのか?
 頼むから、スター扱いされていることでおかしくならないで、キャリアを積んでいって欲しい。

 このすばらしさ、ご覧になっていない方はぜひDVDを観ることをお薦めする。

 カップリングは、世界初演となったJ.アダムス(John Adams 1947- アメリカ)の「シティ・ノワール(City Noir)」(2009)。

すっかり落ちぶれた神童の最後のステージ

6b07c239.jpg  その昔、毎週日曜日の9時のNHK-FMの番組は「名演奏家の時間」であった。

 番組名が示す通り、名演奏家と呼ばれている演奏家のレコードをかけるという内容だったが、なんとも芸のない番組名である。これを応用して「ピアノ奏者の時間」とか「指揮者の時間」、「テューバ奏者の時間」なんていう、さらに突っ込んだ内容の番組が生まれなかったのは、エネーチケーの良心か?

 前に書いたが、この番組のオープニングはバッハの「平均律」をアレンジした音楽で始まった。
 ステレオ放送受信のためのテストということで、左右別々にリコーダーによるメロディーが流れる。そのあと弦楽合奏で両チャンネルから臨場感ある音楽が流れるのである。

 まだ、ステレオ放送を受信することが当たり前になる前の時代だ。
 ラジカセがステレオ・ラジカセでない時代で、短波も受信できた時代だ。
 トランジスタラジオもあったが、100Vの真空管ラジオがまだまだ活躍していた時代だ。

 私も“ただのラジカセ”でこれを聴き、どこが左右に分かれてるんだろうと、純粋に悩んだものだ。

444d7f00.jpg  この「平均律」の弦楽合奏にアレンジした部分。
 私はモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)のピアノ協奏曲第27番の第1楽章に1度だけ現れる、美しい弦のかけあいを耳にすると、それを思い出す(楽譜を掲載した箇所(225小節目から)。この楽譜は音楽之友社のもの)。

 モーツァルトのピアノ協奏曲第27番変ロ長調K.595(1791)。
 モーツァルトは1791年の12月5日に亡くなったが、この協奏曲はその年の初め、1月5日に完成し、、彼のの最後のピアノ協奏曲となったものである。

 1784年から1786年末までに、モーツァルトは12曲のピアノ協奏曲を作曲し、器楽作品の創作の頂点に達したのだったが、1786年12月5日に行われた予約演奏会でピアノ協奏曲第25番K.503を演奏し、頂点の幕が下ろされてしまう。

 そのあとに書かれた2曲のピアノ協奏曲、第26番K.537と第27番K.595は、演奏されるめどがないままに書かれたのであった。

 1788年に書かれたピアノ協奏曲第26番については、ウィーンで人気が凋落してしまったモーツァルトが、その前の年のプラハでのオペラ公演成功、そしてヨーゼフ2世から“皇王室宮廷室内作曲家”の称号が与えられたことをチャンスととらえ、ウィーンでの人気を取り戻すために作曲したものだったが、その3年後、第27番のコンチェルトが書かれたときには、モーツァルトの人気はさらに落ち、経済状況も最悪となっていた。さらには健康状態も悪化していた。

 あの栄光を再び、と予約演奏会の開催を企画するがそれは実現せず、この第27番のコンチェルトが初演されたのは3月4日、宮廷料理人イグナーツ・ヤーンの家で行われたクラリネット奏者ヨーゼフ・ベーアの音楽会においてであった。友人のベーアの演奏会に“出させてもらった”わけだ。
 モーツァルト自身が初演を行なったが、この音楽会が演奏家モーツァルトとしての最後の舞台となった。

 いろいろな人が、いろいろなところで指摘している通り、この曲は澄み切っている。力みがまったくない、“素材をいかした料理”のような味わいがある。余計な味付けは無用というような……

 このような聴き方が良いのかどうかは別として、このときのモーツァルトが置かれた状況を考えながら聴くと、ほんの微かな“復活”の期待をもちながらも、人生のすべてを諦めたような素朴な美しさがここにはある。

 今日紹介するのは内田光子が独奏を務めたCD。
 とはいっても、この11月3日にリリースされたクリーヴランド管弦楽団との演奏(指揮も内田光子。2010録音)ではなく(だって聴いてないもん、ワタシ)、テイト指揮イギリス室内管弦楽団との演奏。1987録音。フィリップス。

 良い演奏だ。
 でも、もっと枯れてもいいと思う。
 新録音はどんなんだろう?

アイゼン氏を象徴しているかのような曲

c94c8838.jpg  このところFC2のブログランキングへの最新記事の更新が一発でなされない。

 私は新たな記事を投稿した後、FC2については手動で新規記事更新の措置をとるのだが、以前はそれでOKだったのに、最近は4~5時間経ったあとも更新された記事が表示されないことが多い。それで、何度も同じ作業をするはめになっている。
 どうもお調子が悪い。
 
 一方で絶好調なのは、アイゼンシュタイン氏である。
 ほうぼうで精力的に送別会をこなしているらしい。
 まあ、人生の中でもこのように主役をはれることは滅多にないことだから、気持ちはわからないでもない。

 「送別会続きで3キロも痩せてしまいましたよ。ふふふっ」と言っていた。

 痩せたのが別な原因(例えば、初期のがんとか、自宅の体重計が狂っている、など)でないことを祈る。

 その今が旬のアイゼンシュタイン氏と、昨夜は差しで飲んだ。

 送別会againである。
 でも、私が誘ったのではない。先方からの遠慮なき申し出による開催である。
 折しもみぞれ混じりのひどい天気。
 まったくやれやれだ。

 相手のことを思いやる私は、先日は氏のために“活イカの踊り食い”を準備したが、報告したように、思いのほか氏は無感動だったので、昨日は「どうでもいいや。リーズナブルな店にしよう」ということで、美唄やきとりの“福よし”に行った。

 ちなみに、私の昼食は醤油ラーメン+小ライスだった。夜はこのように焼き鳥と仕上げのそば。
 いやぁ、成人病まっしぐらって感じだが、何となく日本のサラリーマン的でささやかな満足感もある。

 美唄やきとりというくらいだから本店は美唄市にあるのだが、いまや札幌にも数店出店、さらには銀座にも出店しているらしい。
 ここのやきとりの看板メニューは「美唄のもつ」であり、1串にいろんな内臓部位が刺さっていて、1串で鶏全体を味わえるというコンセプトだ(精肉だけが刺さった「美唄のせい」というのもある)。私は内臓系の料理は不得意だが、ここのはクセもなく、美味しくいただける。

  「美唄の性ってかなりなもんなんですか?」と、アイゼンシュタイン氏は言いはしなかったものの、瞳にはそんな疑問が浮かんでいた。
 もし氏が口に出したら、「そりゃ雄鶏がココココッ、雌鶏がケケケケケッ、ってすごいらしいですよ」と、真顔で騙そうと思ったのに残念だ。 a8b187d1.jpg


 で、アイゼンシュタイン氏を送別するにあたってふさわしい曲を紹介したい。

 なんとなく雰囲気がぴたっりなのだ。
 最初は深刻っぽいのだが、すぐに「そんなのウソだよ~」みたいな展開になって、盛り上がらない祭囃子のような音が聴こえたり、ジャズっぽい音楽が混じり込んだり……
 真剣みがないというか、一貫性がないところが氏にふさわしい。

 その曲はアンタイル(George Antheil 1900-59 アメリカ)のピアノ協奏曲第1番(1922)。

 アンタイルという作曲家については、前に交響曲を紹介したときに書いているので、ご面倒でもそちらを見ていただくとして、このピアノ協奏曲、あまり耳にできる機会は多くないが、とても楽しい曲である。

 私が聴いているCDは、ミヒャエル・リシェのピアノ、クリストフ・ポッペン指揮バンベルク交響楽団の演奏によるもの。2001録音。アルテノヴァ・クラシックス。
 他にコープランドのピアノ協奏曲、オネゲルのコンチェルティーノ、ラヴェルのピアノ協奏曲が収録されている。
 
 そういえば、アイゼンシュタイン氏は以前私に、「飲んで帰る途中、気持ちが悪くなって、よその家の庭にゲロを吐いた」という話をしていた。それも1回のことではなかったようだ。
 「アイゼンの“せい”」によって、被害に遭われた善良な一軒家が気の毒でならない。

 この間、エッシャーの版画集を眺めていて、そのなかの“H.ボッシュより”という作品で、そのことを思い出した。それを掲載しておく。
 アイゼン氏のような人が描かれていたからだ。昔っからいたんだ、アイゼン氏みたいな人。

 えっ?どれがそれだかわからない?
 確かにアイゼンっぽい人がたくさん描かれているからなぁ。
 アイゼンを探せ!、ってこれです!
 この人です! ↓

1e9488fb.jpg

 






 おお!なんという偶然!今日11月11日のこの記事、1,111話目である。

アクセル全開~コープマン・orgリサイタル

b3309ba8.jpg  札幌コンサートホールKitara

 ここの大ホールにあるオルガンはケルン社製。パイプ本数は4,976本(うち装飾用14本)、4段鍵盤、ストップ数68である。
 残響は満席時で2.0秒であるという。

 このKitara大ホールのオルガン。
 私はこれまで、オーケストラとともにという形で耳にしてきた。サン=サーンスの交響曲第3番とかマーラーの交響曲第2番ヤナーチェクの「タラス・ブーリバ」などで。

 しかし、昨日は本格的に、このオルガンの音を堪能した。

 トン・コープマンのオルガン・リサイタル。
 掲載したチラシのとおり、オール・バッハ・プログラムである。

5e17c13b.jpg  考えてみれば、オルガンに限らず、私は器楽作品の演奏会って行くのは始めてかもしれない。オーケストラばかりで、室内管弦楽団が数回。そんな記憶しかない。

 日本のコンサート・ホールにオルガンを設置するというブームのきっかけになったのは、たぶんNHKホールのオープンだったんだろう(NHKホールをコンサート・ホールと称するのはきっと間違いなんだろうけど)。

 NHKホールができたとき、イージ・ラインベルガーというオルガニストが来日、いくつものオルガン曲を演奏した。
 FM放送を通じてこれらの演奏を聴き、私はバッハの「トッカータとフーガ ニ短調」という曲を初めて知り、強烈に感動した。
 また、フランクの「コラール第3番」もこのときに知った。

7f15d5a7.jpg  同じくこのときに演奏された、N響とのヘンデルの「オルガン協奏曲ヘ長調Op.4-4」はTV放送でも観た。オルガンの鍵盤部分だけがステージに置かれて演奏していたのがすごく印象的だった。
 今でもああいう演奏形態をとることがあるのだろうか?

 Kitaraではオーケストラとの共演のときも、オルガニストはオルガンの前におすわり。指揮者の指示は、オルガンの譜面台のそばにあるモニター画面で見ているけど……

 さて、思ったよりも小柄なコープマンが登場。
 お辞儀の仕方がちょっぴりお茶目。

 最初の音が鳴り響く。

 意外だったのは、ちゃんとオルガンのある方向から音が聴こえてくるということ。もっと無指向性的にホール全体に音が満ち溢れるものかと思っていたのだが、そうではなかった。

 コープマンのオルガン演奏はブリリアント・クラシックスのCDで聴いていて、全般的に、ちょっぴりびっくりさせられる装飾(即興)付きのサクサクした速めの演奏であることは知っていたが、昨夜の演奏はさらに速かった。

 特に「トッカータとフーガ ニ短調」は速い速い。
 「誰かこのおっさんを止めてくれぇ~」って感じ。

 この曲に限らなかったが、ミスタッチなのか即興なのか判別できない音も出て来るし、幾層もの音の重なりがカオスとなって襲いかかってきて、旋律を見失ってしまう。なんだか、ゲーセンでUFOキャッチャーに取り囲まれた感じだった。

 さて、今回の演目の中で私がいちばん好きな曲は「パッサカリアとフーガ ハ短調(Passacaglia und Fuge)」BWV.582(1710頃)。

 この作品については以前にも書いているが、レゾン(Andre Raison 1650以前-1719 フランス)のオルガン作品の旋律をもとにした低音主題がずっと繰り返される。

 私がこの曲を初めて知ったときには、単に「パッサカリア ハ短調」と呼ばれることの方が多かったように記憶しているが、最後のフーガも変奏とみなした場合は「パッサカリア ハ短調」と呼ばれるようだ。
 この曲でもコープマンの演奏は、速め。
 ただ、とても感動的な演奏だった(少なくともこの曲は)。
 「バッハって偉大だなぁ」と、肌で感じたような感じがした感じだった。

 全体を通じ、速いのはともかく、粗いようにも思ったのだが、こういうスタイルなのだろうか?(CDではここまでぶっとんでない)。

 まあ、とにかく、生で聴くオルガンの響きの美しさ、荘厳さ。 
 カオスもすごいけど、まあまあ驚くべき楽器だ。
 思ったほど(CDで体験するほど)は、重低音が来なかったけど。

 お客さんの入りはかなり良くなかった(3階席は完全クローズしていたにもかかわらず)。
 アンコールはバッハのBWV.639とブクステフーデのBux.174。

6c2a8ec3.jpg  なお、Kitaraには他に3台のオルガンがある。大リハーサル室、小リハーサル室、そしてポジティーフ・オルガン(移動可能)である。

 おととい、月曜日の夜は高校時代のクラスメートと飲んだ。

 実は彼は、私が勤める会社と非常に密接な関係のある会社に勤めていて、ときどきビル周辺なんかで顔を会わせていたのだが(ビルも隣同士)、「そのうち一杯やろうよ」と言いながらも、「そのうち」が何年にも及んでしまっていた。

 ということで、場所は“花桐”。

 私は店に入り、まずは言い訳をしなければならなかった。
 店長とブンコーさんに。

 「すいません、すいません、すいません!あれだけ宣言したのに、すいません、ほんっとすいません、まだタバコやめることできてないです。いえいえ、本数はあのころの3分の1か4分の1に減りました。けど、やめられてません。ですから、灰皿は片付けないでいてください」

 というわけで、私はまだ、タバコを止められないでいる。禁煙までの長い序曲が続いている……

悲しき笛の音

bb3dea2f.jpg  前に書いたことがあるかも知れないけど、中学時代の楽しくない思い出話。

 私が通っていた中学校は、卒業式で卒業生が次から次へと証書を受け取っている間、2年生の各クラスから数名ずつ選ばれた生徒が、リコーダーで音楽を演奏するという過剰サービスともいえるしきたりがあった。

 私はそのリコーダー部隊に選ばれた。
 もちろん立候補したわけではない。
 誰が好き好んで、特に男なら、参加するというのか?

 じゃあこの私めがなぜにそのリコーダー三重奏部隊に選ばれたのか?
 ちょっとした心の隙。ちょっとした余計な善意のせいだった。
 身から出たさび。

 我がクラスで選ばれたのは、AさんとB君とC君であった。
 この微妙な使い分けでお気づきになった方は鋭いと感心するが、実はAさんは女の子であった。
 B君はややツッパリで、クラスのツッパリ仲間の強い推薦で選ばれた。どうやらB君、仲間内でひんしゅくを買うようなことをして、その仲間たちからの報復措置として推薦されたのだった。そりゃあもちろん、リコーダーが上手なツッパリがいてもおかしくはないが、B君の場合はとても自然にリコーダーの演奏がきわめて不得意で、それ以前にリコーダー演奏を極度に嫌悪している人物だった。
 C君は小学校教師の息子で(担任教諭を呼ぶときにしばしば間違えて「お父さん!」と言っていた)、それはこの話とは全く関係ないのだが、どちらかというとお人よしで、それで本人が気づいた時にはなぜかアルト・リコーダーの担当に選ばれてしまっていた。

 さて、私はそのころすでにクラシック音楽好きであることが、ある程度周囲に知られていたが、その知られざまは「中学生のくせにクラシック音楽なんて聴いて、じじくさい」という、極めてマイナスのイメージを帯びたものであった。

 めざといB君は、とっても優しい声で私のところに寄ってきて、「ねぇ、笛、代わってくんないかなぁ。今度“ウィンキー”のクリームパンおごってやるからさぁ」と言った(“ウィンキー”というのは、中学校の近くにあったパン屋であり、当時、パン専門店というのは画期的存在であった)。
 私はB君のことを嫌いではなかったので(その年の正月に、担任教諭の家に遊びに行って、一緒に百人一首をした仲だったのだ)、「うん、いいよ」とあっさり答えてしまった。

 実は私はリコーダー演奏に自信があった。
 というのも、レコードやテープに合わせてリコーダーをよく吹いていたからだ。もちろん自宅でだが、クラシック音楽好きだからリコーダーを吹くのも嫌がらないのではないか、というB君の考えはやや当たっていたことになる。

 ところが1つ重要なことを見落としていた。
 私は楽譜が読めない。楽譜通りには吹けない。4分音符と8分音符の長さの違いの感覚がわからなくなる。
 つまり、耳でよく知ったメロディーはリコーダーで吹けるが、未知の曲は吹けないのだ。
 九官鳥が人の言葉を繰り返し耳にしてその物まねはできるが、表札は読めないのと同じである。

 Aさんと私とC君の苦悩のトリオが結成された。
 いや、Aさんはいとも簡単にピーヒャララと笛を吹いていた。
 ソプラノ・リコーダーのセカンド・パートを仰せつかった私は、最初の2小節をマスターしてからは、まったく向上意欲を失ってしまった。
 C君はアルト・リコーダーであったが、私よりさらに楽譜が苦手なうえに、パート的にメロディー・ラインがはっきりせず、吹き口を噛み砕くのではないかと思うくらい力んでいた。

 放課後の練習。
 あちこちの教室から、物寂しいリコーダーの音色が響いてくる。
 私たちの演奏は、物寂しいどころか音楽になっていない。
 ときどき練習を巡回しに来た音楽教諭にも、数日して見放された。

 そんなとき、幸運なことに私は体調を崩した。
 原因は不明だが、なぜか黄疸にかかってしまったのだ。
 ということで、トリオから離脱。

 あとはAさんとC君にがんばってもらった。
 卒業式当日、セカンド・パートを欠いたデュオ・アンサンブルはなかなかの出来栄えだった。C君、よく頑張ったね。私は自分のことを完璧に棚に上げ、純粋にC君の演奏に拍手喝采したのだった(心の中で)。

 でもさぁ、リコーダーの音って、どこか物悲しくない?
 こういうの卒業式に演奏し続けるって、どうかと思う。
 別れはつらいものっていう深い意味が込められているのだろうか?
 そうではないな?
 だってそのあとは「ハレルヤ・コーラス」の大合唱になってたわけだから。

 私たちの三重奏団(先の事情により、MUUSANboyはすぐに脱退)が与えられた曲は、テレマンの三重奏曲であった。

 この曲のオリジナルがどういう楽器編成によるものなのか、そもそもあの曲は正式には何という曲なのか、未だに判明していない。
 テレマンのリコーダー・アンサンブル用の楽譜を店で立ち読みしたりしたが、見つけることができていない。私としては、ちゃんとした演奏で聴いてみたいと思うのだが……(ちゃんとした演奏だと、あのときと同じ曲とは気づかないかもしれない)。

 そこで今日はテレマン(Georg Philipp Telemann 1681-1767 ドイツ)の作品を。
 「6つの四重奏曲(6 Quadri)」の1730年ハンブルク版(これが初版。1736にパリで再版)。

 テレマンは四重奏曲を40曲ほど作曲しているが、これは最初に出版された曲集で、2つの協奏曲と2つのバレット(舞曲=フランス組曲)、2つのソナタから成る。

 その各曲は以下のとおり。

 協奏曲第1番ト長調TWV.43,G1 (3楽章)
 協奏曲第2番ニ長調TWV.43,D1 (3楽章)
 組曲第1番ホ短調TWV.43,e1 (6曲)
 組曲第2番ロ短調TWV.43,h1 (5曲)
 ソナタ第1番イ長調TWV.43,A1 (4楽章)
 ソナタ第2番ト短調TWV.43,g1 (4楽章)

 いずれの作品もいかにもバロック音楽という美しさとさわやかさを持っている。
 こういう音楽を聴きながらミラノ風カツレツなんかを食べると最高だろう。
 
 紹介するCDは有田正弘のフラウト・トラヴェルソ、寺神戸亮のヴァイオリン、上村かおりのヴィオラ・ダ・ガンバ、ルセのチェンバロによる演奏。
 1995録音。DENON。
 

 余談だが、その昔、バッハ時代の頃は、リコーダーのことをフラウトと呼んだ。これに対して横型の笛(現在のフルートの原型)は、フラウト・トラヴェルソと呼ばれた。

 

アイゼンシュタイン氏の決断

8c36a3d2.jpg  先週の金曜日、アイゼンシュタイン氏と酒を飲んだ。

 メンバーは私とアイゼンシュタイン氏、そして私の上司であるピョン太リーダーとアイゼンシュタイン氏の上司であるベリンスキー侯である。

 この飲み会、実は単なる飲み会ではなかった。

 アイゼンシュタイン氏の送別会だったのだ。

 ここでついに隠蔽してきた真実を話そう。

 アイゼンシュタイン氏は11月末をもって、勤務先である“どら猫酔狂堂”を辞めるのだ。

 本人の名誉のために言っておくと、「辞めさせられる」のではなく、自分の意思で「辞める」らしい。少なくとも私たちはそのように聞いている。こう聞いても、中国人なら「それはねつ造だ」と反発するかもしれない。

 この話を聞いたのは10月の半ばすぎであった。
 しかし、もしかすると「あれはウソでした」と言いかねない性格のアイゼンシュタイン氏だ。ベリンスキー侯が「これは事実です」と言っていたものの、私は鵜呑みにしないでいた。
 だが、送別会を催してさしあげたのだ。もはや後戻りはできない。何としても辞めてもらうしかない。

 氏の退社情報が流れ、その噂は一気に広まった(私によって)。ナシニーニ氏や干潟しじみさんは一様に驚いていた。
 氏の部下のアルフレッドにとっても、社内で急に伝えられたので、寝耳に水。だから、ちょっぴりおかんむりだった。

 「タクシーの運転手になるんだろうか?」、「いや、あの方向音痴さでは無理だろう」。
 「ジャズ喫茶でも始めるんだろうか?」、「けど、ラジカセしか持ってないといってたぞ」。
 「自宅でパソコンを使って何かを始めるんじゃないか?」。「いや、無理無理。だって、AV観ようと、検索で“アダルト”って入力する人だぜ。しかも、Hな画面が次々と出てきて自分では消せなくなって、ついに奥さんにヘルプしたくらいだぜ」。「じゃあ、まったく無理だな」。
 「おかまバーでも開くんじゃないか?」、「案外似あってるかも」などとの憶測が流れた。
 私とピョン太リーダーはそのあたりを確かめるべく、送別会の場を設けたのだ。

 私はアイゼンシュタイン氏の好物であるイカ刺しを、それもとびっきり新鮮なイカ刺しをご馳走してあげたいと考えた。

 そこで選んだ店は“函館開陽亭 すすきの店”であった。ここなら新鮮なイカ刺しを出してもらえる。氏がまたとち狂って茶碗蒸しを注文しないよう、あらかじめ料理も“活イカ踊り食いコース”を頼んでおいた(この店に茶碗蒸しがあるかどうか知らないけど……)。

 アイゼンシュタイン氏とベリンスキー侯が現われた。

 アイゼン氏に「今日はイカの踊り食いですよ」と言うと、まったく予想した通り、あたかも私と打ち合わせしていたかのように、「じゃ、アタシも踊っちゃいましょうかね」という返事が返って来た。
 私はベリンスキー侯の方をちらっと見た。ベリンスキー侯は「OK!」とばかりの視線を返してくれた。

 方針は決まった。
 今日は主役をいじめよう。

 ところで、この店、宴会が始まると、立て続けにコースの料理が出てきた。
 もう少し間合いってものを考えてくれませんかね……

 イカ刺しは美味しかった。皿に一緒に盛られた脚付きのイカの頭がいま一つ元気がなかったが、送別会だからおとなしくしていたのだろう。

 アイゼン氏は、「美味しいですね」と透明でシャキシャキしたイカ刺しを食べていたが、思ったほど感動していなかった。もしかすると、乾き気味の刺身コンニャクと勘違いしていたのかもしれない。それに、店内の水槽に入っていたタコの方に、より興味を持っていたようでもある(氏はイカよりもタコの方が好きなのだ)。

 ピョン太リーダーが、氏に、今後どうするのか尋ねる。

 「いやあ、節目の年ですからね。思い切って辞めることを決断しました」
 そういう返事が返ってきたが、節目って、歳だって50歳とかいう切りの良い年齢ではないのに、いったいぜんたい、どこが節目なのか不明。

 サラリーマンは続けないことはわかったものの、では一体何をするのか、いくら尋ねても答えてくれない。
 これほどまでに答えてくれないということは、おそらく先のことは何にも決まってないのだろう。

 「MUUSAN、12月の札響、連れてってくださいよ」
 最後にそう甘えてきた。
 子供じゃないんだし、行きたきゃ自分で行きなさい。

 ということで、おとといの土曜日の夕方。
 あの「12月の札響、連れてってくださいよ」という、気弱な悪魔がささやいたような声が頭によみがえり、家のステレオで、久々に当日の出し物であるチャイコフスキー(Pytr Il'ich Tchaikovsky 1840-93 ロシア)の交響曲第4番ヘ短調Op.36(1877-78)を本格的に聴いた。この曲は、チャイコフスキーの「運命交響曲」と言われるものだ。
 うん、そう考えると、いまアイゼンシュタイン氏が聴くにはふさわしい曲なのかもしれない。

 名盤といわれるムラヴィンスキー盤をかけたが、おや、こんなに音がキンキンしてたっけ?
 大きな音で聴くにはちょっと耐えがたい。

 そこで、買ったまま放置しておいたオールソップ指揮コロラド交響楽団のCDをかけてみる。放置しておいたというわけは、このナクソスのCDは「マリン・オールソップの芸術」という4枚組で、チャイコフスキーの第4交響曲のCDは聴かないままでいたという、単純なこと。このCD集では、以前、バーバーの序曲「悪口学校」バレエ組曲「メデア」を紹介している。

 オールソップの交響曲第4番の演奏だが、おやおや、なかなかいいのだ。
 女性指揮者だから燃えきらないのではないか、という先入観を見事に吹き飛ばしてくれた。
 終楽章の大太鼓なんか感動的強打である。
 2000年のライヴ録音。

御多分にもれず参加中・・・
私へのメッセージ(非公開)
プロフィール

MUUSAN

 クラシック音楽、バラ、そして60歳代の平凡ながらもちょっぴり刺激的な日々について、「読後充実度 84ppm のお話」と「新・読後充実度 84ppm のお話」の2つのサイトで北海道江別市から発信している日記的ブログ。どの記事も内容の薄さと乏しさという点ではひそかに自信あり。

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