読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行した「保存版」です。  いまは“新・読後充実度 84ppm のお話”として更新しています。左サイドバーの入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。  背景の写真は「とうや水の駅」の「TSUDOU」のミニオムライス。(記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

February 2011

ミックスグリル定食も一流シェフの手にかかると……

 どういういきさつがあったのかはわからない。
 しかし、それはまぎれもない事実であった。

 先日の朝、台所に前夜のおかずの残りと思われる焼き魚が皿に盛られ、ラップをかけられ、大衆食堂のサンプルのように置かれていた。
 しかし、いつもと様相を異にしているのは、それがサバの塩焼きと、鮭の切り身と、サンマのみりん干しだった点だ。
 なぜ、焼き魚が3種類も?
 前の晩、遅くに帰宅した私には、その事情など皆目見当がつかない。猫の来客でもあったのだろうか?

 でもその光景を前にした私の頭には、一つの言葉が浮かび上がった。オーケストラの響きのなかから小音量のハーモニウムの音が浮かび上がってくるかのように。

 「ミックスグリル」

 空港の洋食店やファミレスにあるメニューのなかでも、私の心をつかんで離さないものに「ミックスグリル」定食がある。
 1枚の鉄板の上に、小ぶりのハンバーグ、小ぶりのチキンソテー、1本のウインナーがのっていて、一度にいろいろな味を楽しめる、1粒で2度おいしいどころか3度おいしい(という期待を持たせてくれる)メニューである。店によっては、その一品がサイコロステーキ2~3個だったり、厚く衣をまとった海老フライ1本だったりする。
 逆に考えれば、すべて中途半端な量なのだが、思わず「ミ、ミックスグリル」と頼んでしまうのである。

 で、台所で焼き魚3種盛りを目にしたとき、「そういえば、なぜ魚のミックスグリルってないのだろう?」と思ったのであった。魚好きにはたまらないメニューのはずだ。

 グリルという言葉を辞書で調べると、「焼肉料理」と書かれている。
 なるほど、だったら魚料理には当てはまらないのかもしれない(ひねくれた考え方をすると、魚の身だって“肉”なんだけど)。
 しかし、別な辞書では「焼き網料理」となっている。とすれば、焼き魚を盛り合わせたものでも「ミックスグリル」と呼んで差し支えないのではないだろうか?
 もっとも、そういうメニューがあっても、私は注文しないけど……

 マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第8番変ホ長調(1906)は、マーラーが丹念に調理したミックス・グリル的作品だ。それも、ハンパではなく、ギネスブックに載るようなてんこ盛りミックスグリルである。

 ただ、ミックスグリルはそれを目の前にした者にこの上ない幸福感を与えるが、不幸にどっぷりと浸かるような音楽を書いたマーラーがミックスグリルを作り上げると、当然のことながら不幸せ感が乏しくなる。だから第8交響曲は、ある一面、マーラーらしくない結果となってしまっている。

 私が第8交響曲にあまりなじめなかったのは、間違いなくそのせいである。
 私はマーラーの「不幸のうちでのたうち回る(H.C.ショーンバーグによる)」ような音楽を快感としていたのだ。だから幸せの中で大騒ぎしているマーラーはなじめなかったわけだ。

 とはいえ、私はもうこれから先50年60年も生きられない(だろう)。
 マーラーが最高傑作と自負したこの作品の魅力を知りたい。
 ということで、前に書いたように真剣にこの曲に取り組んでみた(集中して聴いたという意味)。長木誠司氏の分析本とスコアとを照らし合わせ、何度も聴いた。

 はまった……

 これはすごい曲だ。
 一流レストランの一流シェフなんかミックスグリル定食なんて作らないだろうが、この曲はまさかの一流シェフの手によるミックスグリルだ。一見見事で「うぅっおぉぉ~」と喉の奥で叫ぶものの、食べ始めると質感に不満が残るファミレスのミックスグリルとは違う。

 私は、特に第2部「『ファウスト』の最終場」になじめないでいたのだが、じっくりと聴くと、讃歌である第1部と、讃歌とは関係のないファウストが音楽的に見事なまでに関連づけられ、物語は“解決”していく。
 いやぁ、まいったね。
 背筋がぞくぞくしたね。
 もちろん、風邪じゃないよ。

 音楽之友社から出ているフィルハーモニア版スコアの解説にF.S.氏が書いているように、第8交響曲によってマーラーは、「すでにオペラを完成していた」のだ。

 この曲にはマンドリンやハーモニウム(リード・オルガン)という、ふつうに考えれば大編成オーケストラの中からは聴こえてこないような楽器も用いられている。実際、ボーッと聴いていたり、あるいはCDの録音によっては聴こえてこない。
 しかし、ちゃんと聴いてみると、それが実に効果的に鳴り渡ることがわかる。
 恐るべしマーラー!
 はっきり言って、そうとう好きになっちゃいました。

 この作品を初めて耳にしてから、かなりの歳月となるっていうのに、私はこの曲を漠然としか聴いてなかったことになる。
 あぁ、時間を無駄にしてしまったか?それとも、急がば回れ、か?

70e7d721.jpg  でも、マーラーはこの曲の大成功についてこう手紙に書いている。
 「この曲がいつでも典型的な強い印象を与えるというのは滑稽です。わたしのまさしく最も重要な作品が、もし最もわかりやすいとしたら、奇妙じゃないでしょうか」と。

 いえいえ、マーラーさん、私にとってはこれまでずっと十分わかりにくい作品でした。

 今日はテンシュテット指揮ロンドン・フィル他によるCDを。
 1986録音。EMI。

 この演奏は、テンシュテットの貫禄をことさら印象付ける。
 産業祭りで特大鍋に作られたキノコ汁のようなオーケストラや合唱を(ミックスグリルからキノコ汁かい……)、まったく危なげなく、むしろ余裕のよっちゃんのようにコントロールしている。かなり苦しそうになりがちな独唱陣や合唱も、決して絶叫に陥ることがない。
 安定した演奏とはこういうことをいうのだろう。
 演奏自体も奇をてらったところがない、むしろオーソドックスなもの。どっぷりと第8サウンドに浸れる。
 ただし、音の美しさや繊細さという点では、私はラトル盤を取る。

 あぁ、マーラーってすごい……(決して“ー”を取り除いて読まないように)

この本、崩壊する前に返したいんですけどぉ

1f4b6e31.jpg  金曜日の札響定期に、アイゼンシュタイン氏は姿を現さなかった。
 親戚に不幸があったらしい。
 不幸すら寄りつかなそうな人に不幸があるなんて、私にはその事実を素直に受け止めることができない(まったく深い意味はない)。

 今回は久しぶりにアイゼンシュタイン氏に会うことを、実は私、望んでいた。

 会うのを楽しみにしていたのではない。

 返さなければならない本があったのだ。借りている本をいつまでも返さないでいることは(だって、無理やり貸しつけられたのは昨年の11月というはるか昔のことなのだ)、私のポリシーに反する。

 いや、これがアイゼンシュタイン氏のものならばそんなに気に病まない。まったく気にしないといっても過言ではない。その本はうずらさんのものなのだ。
 うずらさんが読んですっごく面白かったという本を、アイゼンシュタイン氏がうずらさんから借りて、アイゼンシュタイン氏もその書かれてある内容がまるで自分のことのように共感しすっごく面白いと感じ、いったんはうずらさんに返したのかもしれないが、なぜかその本がアイゼンシュタイン氏経由で私に貸されたという、書けばしちめんどくさいが、流れとしては行って帰ってまた行ってという直線運動である。

2d35863d.jpg  その本は石原たきび編の「酔って記憶をなくします」というもの(新潮文庫)。
 つまりは酔っ払ってしでかしてしまった体験談を集めたものだ。

 アイゼンシュタイン氏はこの本の話を私にしたときに、かつて幼稚園児だった私の次男が夕食がドラえもんカレーだと聞かされて嬉しさのあまりよだれが止まらなかったときのように、話しながらも笑いが止まらないのだった。その様子は見ていて「大丈夫か、この人?」と思うようなものであった。

 で、私は読んだわけだが、まぁ面白いけど、2人して(うずら&アイゼン)すっごく面白いと訴えることが納得できるほどのものではなかった。
 この2人が実は編者の石原たきびであり、自分たちで口コミを流布してんじゃないのかとの疑念を抱いたほどだ。
 そうそう、だいぶ傷んでいますから、と言っていたが、確かに人に貸すには(私なら)はばかられるような傷み方の本であった。

 このなかで1つ気になった体験談があった。
 それはこういう内容だ。

 以前、酔っ払ってスーパー銭湯に行った翌日。
 お財布があまりにも厚いのでびっくり!中を見ると一万円札6枚が千円札60枚に変わっていました。同行した旦那様によれば、券売機でチケットを買ってはフロントで払い戻すという謎の行動を繰り返していたそうです。彼はそんな私を「アホな事しとるなぁ、明日困るやろなぁ」と思いつつ、遠目で見ていたとのこと。
 見てるだけじゃなくて止めてほしかった!

 どうであろうか?
 私がどの部分で気になったかがおわかりになったろうか?
 わかるまい。
 だって気になったのは本文ではなく、投稿者の名前だったからだ。

 その名は「うずらたまご 38歳 女」である。
 これは、あのうずらさんなのではないか、と思った次第(旦那様が関西弁であることが確証を阻んでいる)。
 まっ、どうでもいいけど。
 早く返させてくれ、この傷んだ本。

a653c6e2.jpg   さて、来シーズン(4月~2012年3月)の札響定期のプログラムが先日発表になったが、創立50周年の今期はベートーヴェン・チクルスを行なう。私にとって唯一残念なことは、私はベートーヴェンだけを聴きにわざわざホールに足を運ぶ気力がないということだ。

 4月はドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904 チェコ)の、これまた滅多に生では聴けない曲が演奏される。
 「スターバト・マーテル(Stabat Mater)」Op.58,B.71(1876-77)。
 指揮はエリシュカである。

 スターバト・マーテルはラテン語で「悲しみの聖母はたたずむ」の意味で、セクエンツァ(続唱)の1つだが、ドヴォルザークは自分の子供の死を悼んでこの宗教曲を完成させた。
 1875年に長女を失い、ドヴォルザークは翌年に「スターバト・マーテル」の作曲に着手した。しかし、他の仕事で多忙を極め、スケッチの状態のままだった。
 ところが、1877年に次女と長男が相次いで亡くなり、ドヴォルザークはこの子供たちの冥福のために作品を完成したのだった。
 出来上がった作品は悲しみに打ちひしがれるというものではなく、平安を求める穏やかなものとなっている。

 私が持っているのはクーベリック指揮バイエルン放送交響楽団、同合唱団他による演奏のCD。1976録音。グラモフォン。


札響第536回定期演奏会(A日程)を聴いて

f4f4676c.jpg  2月25日19:00~、Kitara

 指揮は尾高忠明。チェロ独奏はミクローシュ・ペレーニ。

 プログラムは、武満徹/ハウ・スロー・ザ・ウィンド、ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第2番と交響曲第5番。

 あまり生で聴ける機会がないチェロ協奏曲第2番と、ショスタコーヴィチの作品ではいちばんよく知られている交響曲第5番ということで、楽しみにしていたコンサートである。

 1曲目の武満の「ハウ・スロー・ザ・ウィンド(How slow the wind)」(1991)は、札響としては初めて演奏する作品だそう。

 武満徹(1930-96)は世界中に名が知られている日本を代表する作曲家であり、札響との縁も深かったが、私には彼の音楽の“魅力”がよくわからない(尾高/札響の演奏でシャンドスから出ているCDの「波の盆」はとても美しく感動的な曲だとは思う)。

 この日初めて耳にした「ハウ・スロー・ザ・ウィンド」も、どこも”つかめない”まま終わってしまった。私は武満作品とよっぽど相性が悪いのだろう。
 ただ、私が知っている武満作品のなかでは、この曲はまだ友好の兆しがあった。
 西洋的な響きの中に日本的な響きが交わっていくような音楽。演奏もすばらしかったのではないかと思う。

 チェロ協奏曲第2番は、どこか深みに欠ける演奏。オーケストラが悪いのではなく、これが尾高の解釈なのか?切なさ不足という感じか?独奏のチェロも音が鳴りきっていない印象があった。
 なお、この曲はスコアでは、作曲者の指示として「ハープは最低2本」とされているが、この日は1台であった。

 交響曲第5番は、オーケストラも非常に良く鳴っており、札響サウンドを堪能できた興奮ものの演奏。
 不思議なことにショスタコーヴィチの交響曲第5番は録音の場合、評判の良い演奏(CD)でも、聴いてみるとオーケストラの響きが薄くてがっかりさせられることが少なくないのだが、生で聴くとそんなことは全然ない“厚い”作品である。当夜の札響の響きはとても密度が高いもので、まさに鳴りきっていた。
 ただ、興奮させられたし、好演だったが(これは3月1日の東京公演でも、東京の聴衆に満足してもらえるだろう)、終わってみると「良かったね……」の一言で済ませられるようなものでもあった。

 尾高の演奏は全体に速め。それは悪くはない。が、強弱やメリハリがあっても、あっさりと音楽が進んでいく。
 
 尾高がこの曲をどのようにしたかったのか?鳴り渡らせて興奮を呼び起こすように調理したかったのか?
 少なくとも私には、深遠という言葉はあまり当てはまらないアプローチに思えたし、そのとき興奮はしたが感動は残らなかった。
 男って終わってしまうと冷たいのね……

 オーケストラは非常に良い演奏をした。
 特にショスタコの2曲では、ホルンとフルートの見事な演奏に熱い拍手をおくりたい。

5b69d13a.jpg  いま、ヤンソンス/ウィーン・フィルによる第5番を聴いているが、昨晩の演奏はこんな感じの演奏だったような気がする(だったら良い演奏じゃないかって?そう、良い演奏なんだけど……)

 演奏後、今回で定年となるパーカッションの真貝さんの挨拶が。
 カスタネットの演奏でパフォーマンス。
 常々書いているが、こういう儀式を一連のコンサートの流れに組み込むことに私は反対である。
 ただ、この好演だが名演かどうかわからなくて困惑していた私には、これで気持ちを切り替えられて良かった(困惑する必要はないんだけど……)。

 出張で3月の東京公演も聴くことができる。
 もう一度、期待をこめてコンサートに臨みたい。

 ヤンソンスのショスタコーヴィチ交響曲全集のなかで、第5番は1997録音(写真上がボックスの写真。下が第5番のジャケット写真)。EMI。
84fbc66b.jpg  第4楽章はゆっくりした歩みで始まるが、すぐに急加速するところが面白い。

 













そっかぁ、ブルックナーの7番だったのかぁ!

f8317b90.jpg  私も昔はけっこうブルックナーを聴いたものだが、最近はそれほど聴かなくなった。

 昔というのは、ブルックナーの音楽を知ったのはマーラーを知ったのと同じころで、当初から私はマーラーの方が好きだったものの、そしてブルックナーの延々と続く(ように感じられる)音楽に退屈な思いもしたが、それでもブルックナーは好きな作曲家であった。

 それがいつの間にか、マーラーは相変わらずしょっちゅう聴いていて未知の演奏を聴くのも楽しみにしているのに対し、ブルックナーのCDを買うことはめっきり少なくなってしまった。

 一歩一歩(自然死ということでは間違いなく)死に向かっているのだから、神の音楽のようなブルックナーに徐々にでも親近感が増してもよさそうなのだが、やっぱりキリスト教信者じゃないせいか、あるいは私におかれましては天国ではなく地獄に向かっているせいか、彼の音楽を一層好きになるどころか、ちょいと後退気味である。

 大学生の頃、ひょんなことからある牧師さんと話をする機会があったのだが、その人はブルックナーが好きだと言っていた。なんかよくわからないが、すごく納得した。牧師さんにはブルックナーが合う感じがしたから。
 その人は若いころはマーラーが大好きだったのに、ブルックナーの音楽に触れてからマーラーの音楽を聴く気にならなくなったと語っていた。

 今回、昨年のPMFで演奏されたブルックナーの交響曲第7番のCDが手に入ったので聴いてみた。先日紹介したマーラーの第5交響曲のCDと一緒にいただいたもので、タイトルは「ハーモニー・オブ・ピース vol.20」。2010年7月31日にKitaraで行われた演奏のライブ録音(マーラーのときと異なり、この日一発の収録)で、指揮はファビオ・ルイジ(オケはPMFオーケストラ)。

 PMFのブルックナーといえば、第1回のときにバーンスタインが第9交響曲を振る予定になっていて、相当楽しみにして行ったのだが、プログラム変更。ひどくがっかりした経験が私にはある(そのころはまだブルックナーがけっこう好きだったのだ)。

 イタリアはジェノヴァ生まれのファビオ・ルイジという指揮者について、私はなじみがない。
 PMFには2004年に客演、'08年に首席指揮者として指揮台に立っており、昨年からPMF芸術監督となったが、私は一度もルイジの演奏を耳にしたことがない。
 つまりこれがルイジ初体験。

 ブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲第7番ホ長調WAB.107(1881-83)は、その第2楽章がR.ワーグナーの死を予感して作曲が進められたとされており、1883年にワーグナーの死の報を受けると、追悼曲として仕上げた(ブルックナーはワーグナーを最も尊敬していた)。

 ブルックナーの交響曲の響きには、非常に骨密度が高い大腿骨のようにがっしりとした部分と、ロリロリ・スイートのような官能美の部分があるが、ルイジの演奏はバランスが甘美さ側に寄っている。作曲者のロリコン趣味にスポットを当てたのか?それとも、陽気なイタリア人気質をルイジは隠し切れなかったのか?

28ebc08c.jpg  ところで、ワーグナーの追悼曲にしたというこの曲の第2楽章のフレーズは、シュニトケの「ピアノと弦楽のための協奏曲(ピアノ協奏曲第2番)」に露骨に出てくる。

 実はシュニトケのこのコンチェルトについて書いたとき、私はそのフレーズが何だったか思い出せずに悶々としたのだが、いまはこのように気づき、すっきりしている。
 美しく、そしてなぜかすごく懐かしく感じられるこの引用。狙いは私にはよくわからないが、シュニトケは“ワーグナー”という視点から行なったのかもしれないな、と思いつつある今日この頃の私である。

 「このCDは宝くじの普及宣伝事業として作成されたものです」と表記されている。
 私がくじけずにいつも買い続けている宝くじの代金がこのように使われていると思うと、私も世の中の役にたっているんだなぁと思う。役に立たなくてもいいから当てて欲しいけど。

 でも、CDをかけたら最初に「このCDは、宝くじの普及宣伝事業として助成を受け、作成されたものです」っていう男性の暗めなナレーションを入れるのは勘弁してほしかった。

“対決”から“友好”へ。種を超えた和解!?

850f09ae.jpg  これは、このあいだの土曜日から月曜日にかけての沖縄出張についての記述である。

 土曜日、羽田からの沖縄便はほぼ満席状態であった。
 予約をとったときにはたまたま周辺のシートが空いていた、最後部から2列前の座席を私はキープしていた。しかし、なんのことはない、当日の機内はぎっしりと規則正しく席が埋まっていた。出来の良いトウモロコシの粒のように。

 私は通路側をとっていたが(いつも通路側をとる)、それでも出発ギリギリまで私の隣の席には誰もこなかった。もしかするとラッキーなことにここだけ空くのかしらんと期待していたが、事態は良くない方向に。背が高い青年風欧米人がやって来たのであった。

 彼がこちらに向かって来ている時点で、最後部に4人並んで座ってる観光客以外の何者にも見えない若いお姉ちゃん4人が、「うわぁぁぁ~、見て!見て!かっこいい~」とひそひそではなく、けっこう大声でしゃべり始めた。その興奮状態は、すぐにでも体を許してしまいそうな勢いである。やれやれ……

 そして、彼は私のところへ。
 中の席に通してあげるために私は立ち上がった。当然のことながら、彼と私は一瞬並んで立つことになった。

 すると、あの姉ちゃんたち、「見て見て!すごく大きい。隣の人よりずっと背が高くてかっこいい」

 隣の人とは私だ。
 悪かったね。
 なんで私が比較対象にされなきゃならないんだよっ!
 それに私だって一応は身長が174.5cmあるんだよ。
 背が高いからってなんだよ。物入れを開けた時に頭をぶつけるリスクが増えるだけじゃないかよ。

 やれやれ……

 こうして飛行機は那覇空港に着いた。那覇行きだから当たり前だが、こういう当然と思われることでも、機長が気まぐれで行先を変えなかったことに感謝したい。

 那覇空港にはアルフレッド氏たちが迎えに来ていて、そのまま名護へ。
 名護のホテルについて、すでに報じたように、部屋でインターネットが使えないことが判明したことで必要以上に私は困惑し、でもおなかがすいたのでみんなで食事に行った。

 店を選定してくれたのはアルフレッド氏。
 地元ではけっこう有名らしい「大家(うふやー)」という店。店は年代物の建物といった風格があり(自然な造りなのか、そのように模して作ったのかは知らない)、なかなか外見の雰囲気が良い。
 案内された2階席は、窓の外が山の斜面のようになっていて、小さな滝がある。
 素敵なようだが、暗くなったら水の音しかしない。当たり前だが。

 夜はコース料理しかなく(一品料理は数点のみ)、酒飲みの私たちとしてはどうも馴染めない。ツアーで来て、イナゴの大群のように腹を膨らませるにはいいのだろうけど……。5人で行って、蒸ししゃぶしゃぶ3人前と長寿鍋2人分を頼み(人数分のコース料理を頼まなくてはならない決まり)、食べ終えてしまったので1時間ちょっとで退散。
 どこかで飲み直そうかとも思ったが、結局コンビニで各自アルコールを購入し解散した。

 翌日の昼はまたまた“よしこそば”。今月に入って2回目。なかなか熱心な客である、私は。

110cd18d.jpg  そのあとちょいと足を延ばし、ついに“ハブとマングース”ショーをやっている建物へ。
 ついぞ敷地内に侵入し、車を停め、いざ!と思いきや、次のショーまで1時間ある(私たちが着いたのは12:30.次のショーは13:30から)。併設のおみやげ店で時間をつぶそうとしたが、5分でつぶしきってしまった。
 どうしても見たいと訴えるアルフレッド氏を説得し、ショーを見るのはあきらめることにした。

 ところで私は(そして他のメンバーも)気づいた。
 上の写真を見ていただきたい(CDの写真ではないことはもちろんである)。
 正面の上に掲げられている黒地の横長の看板。これはけっこう年数が経っている看板のようだが、「ハブvsマングース」と書かれている。
2584ec28.jpg  しかし、地面に置かれている看板(新しそうだ)には「ハブ&マングース」と書かれている。
 つまりは、“vs=対決”が、この平和な時代になって“&=と”になったのだ。ハブとマングースの絵も、こちらではすっかり愛玩動物風に描かれている。

 つまり、両者は様々な人たち(動物愛護団体など)の説得の結果、友好的な関係を築くことに成功したのだった。
 ということで、結局私にとってもハブとマングースのショーは縁のないものだったようだ。
 それにしても、下の写真の看板のように、本当に「感動体験」で、「スゴイ」のだったんだろうか?

 帰路、名護パイナップル・パークに寄る。
 パイナップル号に乗って、アルフレッド氏も気持ちを取り直したらしく、元気になった。めでたし、めでたし。

c0cfbc65.jpg  そうそう、名護市内で入った某直売店。
 クレジットカードが使えるというのはわかるけど、お茶目である。描くのたいへんだったろうな……
 
 今回沖縄の地では、フランセは聴かずに、ファリャ(Manuel de Falla 1876-1946 スペイン)のバレエ「三角帽子(El sombrero de tres picos)」(1918-19)を聴いてみた。単純に「南国っぽいかな」という、実に奥が深くない発想である。

 2幕から成るこの曲については、以前プレヴィン盤を紹介しており、そのときに楽曲についても触れている。今回はデュトワ/モントリオール交響楽団による演奏を持って行った(1981録音。デッカ)。

 プレヴィンの演奏は軽快でとても楽しめる演奏だが、デュトワの方はより音楽作品としての表現を重視しているような感じだ。ちょいと重いと感じる人もいるだろうが、私はデュトワ盤の方が実は好きである(プレヴィン盤を紹介したときにはデュトワ盤よりプレヴィン盤の方が好きだったんだけど……)。

 で、沖縄の風土とファリャの音楽はしっくりといったか?

 いったような、そうでもないような、結局はわからなかった……

下品な私の誕生花……

6c5c09d3.jpg  で、しつこく2月18日の話。

 「YOUR BIRTHDAY FEBRUARY 18」という本がある。

 予想通りけっこう胡散臭く、かつ、軽薄な内容である。厚手の表紙だけが不経済に感じられる。

 この「2月18日生まれ」に人のための本には、このように書かれている(見出しをいくつかピックアップ。便宜上番号をつけた)。

 ① カンが鋭く、自分の主義を持った人。でも、イザというとき、ためらうことも。
 ② 心理学や哲学、精神分析などに興味を持ち、個性的なものの考え方をするタイプ。
 ③ お金がなくても苦痛を感じないタイプ。貯金にもほとんど関心を示さない。
 ④ 大器晩成型で、必ず成功する運がある。
 ⑤ カメラマンや画家、小説家、占い師など、個性と洞察力を生かせる仕事を選ぶと吉。
 ⑥ ヨガで心身ともにリラックスすると効果的。
 ⑦ この日の誕生花はタチイヌノフグリ。

 まず①だが、そりゃあ私だってためらう。地下鉄のホームに立っているときに電車がやってきたら、さすがに白線の外側にいることはためらう。それができるのはファルケ氏だけだ。

 ②については、確かに心理学や精神分析は好きである。が、哲学には全く興味がない。この項では、「周囲から理解されないことも多い」とも書かれている。ふんっ!多いどころか誰にも理解されていない気がする。

 ③は絶対違う。お金がないと苦痛に感じるタイプだ。私は。貯金に関心がないのは事実だが、それは貯金残高がないためである。

 ④は、もはやわが人生は晩期に入ったと言える。なのにこんな日々をおくっている。「若い時期はいろいろと苦労しても、それが実になって成功できる運を持っています」と書いてはあるが、それって、先週やっとロト6で1,000円が当たったことを指しているのだろうか?

 ⑤に関しても、占い師は勘弁してほしい。案外向いてるかもしれない可能性は捨てきれないけど……

 ⑥だが、私はまれによがることはあっても、ヨガはしない。

 で、⑦。
 誕生花がタチイヌノフグリ?
 雑草だよ、これ。確かに花はきれいだけど(すっごく小さいが)、だいたいこの名前、「立犬の陰嚢」だからねぇ(「ふぐり」って「陰嚢」、もっと簡単に言えば「きんたま」のこと)。
 なんかションベン臭そうな誕生花だ……

5a99a0fa.jpg  さて、ションベン臭いまま本稿を終わらせたくはないので、誕生日にちなんで私はここでパーセル(Henry Purcell 1659頃-95 イギリス)のオード(頌歌)をとりあげたい。
 「メアリ女王の誕生日の頌歌『来れ汝ら芸術の子ら』(Ode for the birthday of Queen Mary "Come ye sons of art away")」(1694)。

 うん、私の誕生日にふさわしい曲だ。……と思いきや、1年前もこの曲を取り上げていた
 やれやれ、歳とともに記憶力も急激に低下している。

 で、1年前にはピノック盤を紹介した(でも廃盤だった)。
 だから、せめて、今年は別な演奏を紹介しておく(実は1年前もこれを取り上げてはいる。ピノック盤の代替品として。さらにこのCDは、「メアリ女王の葬送音楽」のときにも紹介している。誕生日と葬送か……)。
 ガーディナー指揮モンテヴェルディ管弦楽団、同合唱団他の演奏。
 1976録音。apex。

 そうそう。あの本では同じ誕生日の著名人として奥村チヨとか越地吹雪なんかが挙げられているけど、なんかなぁ……
 そういえばわが社で同じセクションにいて、この間ご卒業なさったおじさんも2月18日うまれだったな……

要するに買ったり食いに来いって誘い

491c5dd0.jpg  私の誕生日であった2月18日の話である。

  この日は朝から私のところに宿泊、じゃなかった、祝福メールが殺到した。

 ANAマイレージクラブから。JALから。OCNから。楽天から。YAHOOから。登録してあるホテルから。登録したことも覚えていない焼き鳥屋から……。
 これを殺到と言わずに何といったらよいのか?たぶん「卒倒」ではないだろう。

 でも、ちょいと心に引っ掛かるものがある。
 個人対応がない……

 そうなのだ。
 歳を重ねるごとに、誕生日を祝ってくれる人など、例え義理であっても、3次関数グラフの下降カーヴのように急激に減少していくものなのだ。

 話は変わる。

 あの日の晩はすごかった。
 すっごく興奮した。
 トムったら激しいんだから、もう……。

 2009年7月のこと。
 M.T.トーマスが指揮するPMFオーケストラによる、マーラーの交響曲第5番の演奏のことである。
 そのときの感動については、このように私も熱く語っているが、そのライヴ・レコーディングCDを手にすることができた。こういうの作ってんのね……。早く教えてよ!

 このCD、私は仕事関係の方から頂いたのだが、たぶん関係者のみに配られる非売品だろう(企画・制作は(財)PMF実行委員会)。CDのタイトルは「ハーモニー・オブ・ピース」で、解説によるとこれが19作目だという。毎年作っているわけか……

 このマーラーのCDは、2009年7月25日~29日のコンサートのライヴと書かれている。
 つまり、札幌のKitaraで私が聴いた演奏の他に、東京公演、大阪公演のものが編集されて1曲まとめあげられているわけだ。どこの部分(楽章)が札幌のものなのかはわからないが、これを聴いてみると、あのときのコンサートとはずいぶんと印象が違うな、というものだった。

 まだ1度しか聴いていないのであまり偉そうなことは書けないが(いや、私はいつも謙虚である)、私がコンサートで聴いたものはズンズンと重量級かつスピードある演奏に感じたのが、録音を聴くと前半などはけっこうねちっこい。
 もう、トーマスったらぁ~。

 後半もさほどエネルギッシュに感じない。
 生では、特に終楽章のパワーはすごかったのに、そうではない。
 少なくとも終楽章は札幌での演奏ではないと思われる。だいいち、拍手喝采、ブラボーの声の盛り上がり方が違う(CDではおとなしめ)。
 よくわからないが、あの晩の感動がよみがえりはしなかったのは事実だ(繰り返し書くが、まだ1度しか聴いてない。しかも通勤中に。印象が変わったらまた取り上げたいと思う)。
 ただし、全体的に演奏自体はなかなか良いものである。

豊かさに満ちた舞

 私は今日の8:05那覇発の東京便に乗り(すなわち、ここであまりうだうだとしている時間はまだあるが、私の精神的余裕はない)、羽田経由で新千歳便に乗り継いで、もちろんそのあとは会社に行く。

 今の私の心情としてブログに書きたいことは、まずは世界的に祝祭ムードに包まれた2月18日のこと。まさか知らない人はいないとは思うが、この日は私の2,654回目の誕生日。当然のこととして(必然というべきか)、それに関しての話である。

 もうひとつは土曜日から今朝までの沖縄出張に関すること。どーせまた食べ物のことが主体となると思われるだろうが、それでもハブとマングースについてちょいと書かずにはいられない。

 しかしである。
 土曜日に名護で泊まったホテルの部屋には、にわかには信じられないことにLANの端子がなく、かつ、当然のことながら蘭の花束もなく、1Fロビーには自由に使える利用料無料のPCがあったものの、そのアクセス速度は脚を捻挫した亀の歩行のようにとろく、気持ちがアクセクするだけで使い物にならなかった。PC自体は新しく、WINDOWS7機だったので、常識的に考えれば通信速度がゾウガメ仕様なのだろう。

 ということで、いま私がいちばん書きたいことは今日のところは投稿不可能。
 それをやっていると飛行機が私を置き去りにしてしまうこと必至。
 誕生日と出張の話は後回しにして、いきなり流れを変えて、国語の勉強。

 この語句について調べてみた。

 【豊満】  ① ゆたかに満ち満ちていること。
       ② 肉づきがよいこと。「―なからだつき」
 【舞子】  舞を舞ってさかもりに興を添える少女。
           以上、小学館「新選国語辞典」より。

 ということで、私のところに(おそらくは②の意味であろう)肉づきがよい、舞を舞ってさかもりに興を添える少女から、メールが来た。
 なお、このメールにおいて、私はゲスト扱いされている。つまりは酒席の来賓らしい。

 【ゲスト】さんへ【豊満舞子】さんから新着メールが届きました!!

 件名(タイトル)
 ~~~~~~~~~~~~~~
 デブでは抱いてもらえませんか?

 本文
 ~~~~~~~~~~~~~~
 実は以前、web上で知り合った人と人と会いました。その後、自然な流れでホテルに直行。シャワーを浴びた後、裸になって言われた言葉は「デブは抱けない」でした。それから男性とのお付き合いする事も怖くなり、web上でお相手を探しても会って裸になる事を怖いと感じるようになりました。だから最初からこうしてお伝えしてるんです。はっきり言いますが、私はデブです。その上で抱いてもらえる人を探したいんです。無理なら無理で素直に諦めます。抱いてもらえる可能性が低い事も分かっています。ダメ元だけど、もしちょっとでもこんな体でも抱いてもらえる可能性があるなら会ってくれませんか?ただの性処理としてでも良いからこの体を使ってくれませんか?デブでも一応女だから性欲だってあるんです、抱かれたいって思うんです。


 私は最初、豊満舞子さんが気の毒でならなかった(自然な流れというのがいまひとつピンとこなかったけど)。
 というのも、私は、100人中99.52人がデブと非難するくらい豊満な女性は、やっぱり好きではないが(でも、それを「豊満」と呼ぶ人は、語彙に乏しい人であろう)、しかしながら、やや肉づきがいい女性の方が健康美を感じて、むしろ好みであるからである。参考までに言うと、ただしこれが男の場合、例えばこの人のように、私はひどく迷惑を感じる。

 しかし、この切ないメールをしっかり読み直すと、逆に「豊満舞子のウソつき野郎!」と、顔も見たくなくなった(これまでも見たことはないけど)。

 まず、この舞子、一度に男2人を相手にしようとしている。「人と人と会いました」のだから。

 次に、こいつは常識がない。シャワーを浴びたあとに裸になったのだから。それとも濡れた衣装が肌にへばりついているところを見せて、相手の欲情を浴場で誘おうとしたのか?

 男も男だ。裸になるまでデブだって気がつかなかったのか?

 ダメ元デブ、ウソつきデブ、おまえを性処理じゃなく、生処理しちゃうぞ!

 という具合に、スパムメールに対し真剣に怒ったふりをしてみた私。
 まあ、豊満舞子っていう名前自体がお遊び心たっぷりで、許してあげたくもなった。
 久々に心温まるメールであった。←どこが?

 私は豊満舞子って名前を見た瞬間に、「象のダンス」とベルリオーズが言ったという、ベートーヴェン交響曲第5番(ハ短調Op.67(1805-08)。俗にいう「運命(Schicksal)」)の第3楽章スケルツォを頭のなかで奏でていた。
 あまりに太ると舞えなくなって、“豊満子”って改名するのかな。
 いや、この場合、ユタカミツコって読んでくださいね。

398d4f60.jpg  ベートーヴェンの第5交響曲については前にクライバー盤を取り上げているし、私が聴いた中ではこの演奏がベストだと思うのだが、今日はベーム/ウィーン・フィルの1977年の東京公演ライヴを。
 第6交響曲と第5交響曲、そして当日のアンコール曲の序曲「レオノーレ」第3番が収められた2枚組のCDである(Altus)。

 第6番レオノーレのときにも書いたように、会場はひっどい盛り上がりである。
 でも、どこが良いのか私にはあまりわからない。
 やっぱベームのオーラ、そして会場の雰囲気が、マタタビの枝で作った檻の中に入れられた猫のように聴衆を陶酔させてしまったのだろう。

 そうそう、こんなスパムメールも届いていた。

 ◇キャンペーン管理事務局さん(99)よりメールが届いています。

 [-タイトル-]

 【再送】《1万円ご当選おめでとうございます》

 [-メッセージ-]

 http://********************

 ・出会いスペース
 
info@dsp**.com
 【18禁】

 99歳にもなって、よう働くわ……

“新型のモーツァルト”とか“パパゲーノ”とか……

04955f28.jpg  昨日からまた沖縄に来ている。
 もちろんお仕事である。

 考えてみれば沖縄には何度も来ているが、海に指1本入れたことがない。
 このような沖縄訪問者もいるわけだ。

 前回の出張で、沖縄には少なくともマクスウェル=デイヴィスの曲は合わないと書いたが、今回はジャン・フランセ(Jean Francaix)の小品集を聴いてみた。

 ジャン・フランセ……洋菓子店みたいな名前だが、フランスの作曲家でありピアニストだった人物だ。1912年生まれ、亡くなったのは1997年である。

 私が持っている彼の唯一のCDには、以下の管弦楽曲(あるいは室内楽曲)が収録されている。

 ・ Onze varoatuons sur un theme de Haydn
    ハイドンの主題に基づく11の変奏曲(1982)
 ・ "Mozart new-look" モーツァルト・ニュールック(1983)
 ・ "Musique pour faire plaisir"  愉しみの音楽(1984)
 ・ Hommage a l'ami Papageno 友パパゲーノ礼讃(1984)
 ・ Quasi improvvisando 疑似的即興曲(1978)
 ・ Danses exotiques 異国風舞曲(1981)

 フランセはパリ音楽院に学び、ラヴェルやストラヴィンスキーの影響を受け、新古典的な様式と現代的感覚で早くから認められたという(井上和男「クラシック音楽作品名辞典」による)。

 このCDを聴いていてもストレス・フリー。
 いや、ストレスを感じないのがストレスか?

 過去の有名なメロディーを引用したりして、少しも現代作品っぽくない。
 これはBGMにも向くだろう。例えば、ハブとマングースの対決待ちのときなんかに……

 だからといって、これらの作品が沖縄の空気にマッチするかというと、そこはほれ、ちょいとビミョー。マクスウェル=デイヴィスよりはるかにマッチするのは確かだけど……

 このCDは作曲者自身のピアノほかの演奏。
 1987録音。wergo。

 ところで、このホテル、ネットができる環境にない。それを知った私の落胆ぶりなどについては、あらためて書く。とりあえずはこの記事、未完成気味ながら携帯から投稿する。

 ↓

 16:30過ぎに那覇のホテルにチェックイン。
 普通にLAN端子があるので、修正を加えて再投稿する。
 だから、今あなたが読んでいるのは修正後の「改訂稿」である。 

ショスタコをいじめないで!

5bef7cca.jpg  ショスタコーヴィチヴァイオリン協奏曲第1番イ短調Op.77(旧Op.99)(1947-48)。

 この曲については前にも紹介しているが、完成後に作曲家批判があったために発表が見送られたといういきさつをもつ。

 曲についてもそのときに書いているので詳しくは触れないが、音楽之友社の作曲家別名曲解説ライブラリー「ショスタコーヴィチ」では、以下のように書かれている。

 この曲はショスタコーヴィチの作品の中で、すこぶる特殊な意味をもった作品である。それは、その音楽的内容という点よりも、むしろその作曲のいきさつについてであって、第二次大戦後のソヴィエト楽界において、この曲のたどった運命は、たんにショスタコーヴィチ個人のものではなく、ソヴィエト芸術全体に対する一つの試練でもあったであろう。というのは、この曲が発表されたのは1955年であったが、その作曲はすでに大部分1947年から48年にかけてすすんでいたのであり、発表まで7年近く作曲者の篋底深く秘められていたことが事実だからである。すなわち1948年2月の共産党による作曲家批判により、ショスタコーヴィチも交響曲「第9番」その他で西欧的モダニズムに感染し、フォルマリズムに陥ったとの非難を受けた。おそらく彼は自己の芸術に対する方向に混迷をきたして、書き上がっていた《ヴァイオリン協奏曲》の発表を、さしひかえたものと思われる。

 この曲は、しかし、とても胸を打ち、そして力を与えてくれる作品である。
 好きだなぁ、抱きしめたいくらいに!

 今日紹介するのはヴェンゲロフのヴァイオリン、ロストロポーヴィチ指揮ロンドン交響楽団による演奏のCDを。
 安くてお買い得な、すてきな演奏のCDだ。
 第1番のコンチェルトの録音年は1994。
 カップリングは第2番のコンチェルト(1996録音)。
 apex(テルデック)。

 先日、ホテルのロビーで時間をつぶすことがあったのだが、そこで流れていたのはなんと、ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第2番!
 けっこう長い時間そこにいたのだが、深遠な第1楽章、そして続いてあの「買ってくださいブーブリキ」のメロディーが!
 いやぁ、ホテルのロビーにはおよそ似つかわしくない曲だ。
 でも、ショスタコ好きな私には嬉しいサプライズだったけど。

 そのチェロ協奏曲第2番は、今月の札響定期で取り上げられる。
 楽しみぃ~!

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