読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行した「保存版」です。  いまは“新・読後充実度 84ppm のお話”として更新しています。左サイドバーの入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。  背景の写真は「とうや水の駅」の「TSUDOU」のミニオムライス。(記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

March 2011

実は内心ちょっぴり、イカ刺しも食べたかった……

 報告が遅れてしまったが、火曜日の朝の便で函館から札幌に戻った。

 実は人事異動があって、あのバタフリャー氏が(といっても、読者の誰1人として記憶にはないだろうが)いま、函館に居る。人事異動なわけだから、居るといっても単に函館に遊びに行ってるわけではなく、函館勤務となったのだ。

 その函館に、私はピョン太リーダー鉋(かんな)さんと共に赴いた。
 そして、バタフリャー氏は函館空港に私たちを迎えに来てくれていた。

 飛行機が着いたのは12時前。
 実は今回行く前に、彼から電話があって、「その日の昼は何が食べたい?」と親切に私に聞いてきた。どうやら私の希望をくんでくれるらしい。
 私は控えめに「海のものばかりだとちょいときついので、いろんなメニューがあるところが嬉しいです」と、心の中では豚生姜焼き定食を思い浮かべながら答えたが、この日連れて行ってくれたのはレストラン。スペイン料理らしい。

 「海のものばかりだときつい」というのは、例えば刺身定食と海鮮丼しかない店は勘弁してほしいという意味で言ったのだが、いきなりスペイン料理店まで飛躍するとは思わなかった。

 これはバタフリャー氏には思いつかないような店の選択である。で、やっぱり彼の単独犯ではなく、裏でアドヴァイスした人物がいたようで、しかも「うめっ!うめっ!」と連発しながら食べていたところを見ると、要するにバタフリャー氏は私たちのことなどより、単に自分がここで食べたかったに違いない(「この店、一度来てみたかった」と思わず言っていたし)。

 昼食のあと、方々を回って、あっという間に夜。
 ご親切に夜もご一緒してくれるという。
 子供じゃないんだから、別に私たちだけで食事を済ませることはじゅうぶんに可能なのだが、きっと彼もさびしいのだろう。
 で、彼は店も選んでくれていたのだが、「和牛だよぉぉぉ~ん」と言っていたので、てっきり鉄板焼きでメインが和牛ステーキ。その前には地元産のアワビなんかも焼いてくれるのかなと大いなる妄想をしていたのだが、本当にそれは妄想に終わった。

 焼肉だった。

 海の町・函館で焼肉。
 貴重な体験と言えば、貴重な体験だ。

 そして、注文してくれたのが、またまた張り切って特上コース。
 すっごいサシ。
 高級な肉だ。立派な肉だ。
 でも、でも、でも、私は4切れで「参りました」。
 あのね、私ね、上質な肉はすっかり受け付けない体になってしまってるの。
 牛の脂がよく消化できないの。

 にしても、バタフリャーは良く食べる。
 焼肉店が選ばれたのも、これまた結局のところ、昼と同じように彼の夢が成就させるためだったのだ。
 前からよく食べるのは知っていたが、私よりも歳をくっているくせに、私よりも小柄なのに、満腹中枢がないがごとく食べる。
 さらには、1人でサンチュも3人前食べていた。
 肉も食うが菜っ葉も食べる。
 あるときは猛禽、あるときは鱗翅目の幼虫のよう。

 私はその4切れと、さらには視野の片隅で繰り広げられている猛食いのせいで、すっかり胸焼け。
 彼と別れた後、こちらはホテルのそばでざるそばを食べ(胸焼けはしていたが、空腹だったのだ。あっさりしたものが食べたかった)、部屋に戻った。店の名前をきちんとチェックしなかったが、おいしいそばだった。

 焼肉店の名誉のために言っておくが、すばらしい肉だった。本当にすごく良い肉だった。こんな肉はそうそう食べられないだろう。
 ただ、私の体が弱いだけだ。

 胸焼けという病気の前症状に襲われていると、暗めであっさりとした音楽が聴きたくなった。

 ということで、ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第15番イ長調Op.141(1971)。
 そうだ!この曲の“点滴のリズム”というのも弱ったそのときの私にマッチする。

 §

 先日、私はショスタコーヴィチの器楽による交響曲の傑作ととして、第15番も挙げたが、冷静に考えてみると、確かに私は第15交響曲は好きだが、広く一般には傑作とは見なされていないのではないかと、急に自信がなくなってきた。

 何しろ交響曲第15番は不思議な曲である。
 オーケストラの編成は通常なのだが、打楽器群が拡大されている。
 交響曲としてはオーソドックスな4楽章構成だが、例えば第10番のように重厚とか巨大というものではない。マーラーの交響曲にしばしば見られるように、とても室内楽的に響く。オーケストラ全体が叫ぶのはほんの数か所だけだ。

 そして、相変わらず意味深な引用もある。ワーグナーの引用もある。
 これはかなり特殊な交響曲である。ということは、交響曲として傑作と言えるかどうか微妙である。

319d99d8.jpg  その第15交響曲。
 コフ・ボン・ヴェン(コフマン指揮ボン・ベートーヴェン管弦楽団)のコンビの演奏を聴いてみた。

 この組み合わせについては、すでに第5交響曲第10交響曲について書いてきたが、どちらも作品が持っているであろう裏の顔に振り回さえることなく、純音楽として極めてピュアピュアに演奏していた。

 とすれば、この声を潜めた第15交響曲だとより期待できそうだ。

 期待的中。

 コフマンの演奏スタイルはこの第15番にすっかりマッチしている。
 切なさ、悲しさ、苦しさ、憧れといった、この音楽が持っている要素を感情を抑えながら淡々と引き出しては進んでいく。
 それが、逆にすごく心に迫る。
 この曲で「しみたぁ~」と感じさせらた演奏は、ザンデルリンク盤以来。
 
 そして、私は思った。
 「やっぱ、この曲、傑作だ」と。

 第15番の録音は2005年。MDG。

あとの方が良い、ってわけじゃないみたい

 おもしろいもので、交響曲をたくさん書いたのに、いつも聴かれるのはその中の何曲かに限られているという作曲家がいる。

 ハイドンとかモーツァルトのように、ものすごい数の交響曲を書き、しかも初期の作品は交響曲という形式の発達途上だったという特殊なケースは別として、ロマン派以降でもそういう作曲家がいる。

 例えば、ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904 チェコ)。
 彼は9曲の交響曲を残した。
 このうち、第7番から第9番までの3曲はよく聴かれるが(それも第9番がダントツ、第8番がそれに次ぎ、第7番はちょっと落ちる)、それ以前の作品はあまり聴かれない。
 ドヴォルザークの交響曲の場合、その昔は有名な第9番「新世界より」は第5番という番号が与えられていた。つまり現在の番号と旧番号がぐちゃぐちゃとなっていた。若い番号の交響曲が不幸な状況に置かれているのは、そういう影響のせいなのかもしれない。

 例えば、シューベルト(Franz Schubert 1797-1828 オーストリア)。
 彼の場合の番号の混乱はもっとひどく、有名な「未完成交響曲」は長らく第8番だったが、いまでは第7番となっている。
 同じように「グレート」の愛称があるハ長調の交響曲は、以前は第9番、いまは第8番である。この「グレート」、その前には第7番となったり、第10番となったりして、「ここはどこ?私は誰?」みたいな状況に置かれていた。
 現在、シューベルトの番号付き交響曲は第8番(「グレート」)まで。そのほかに、番号なしの交響曲が3曲ある(ニ長調D.708A(1821。旧D.615に含まれていた3曲のニ長調交響曲の1曲)。ホ長調(旧第7番)D.729(1821)。ニ長調D.936A(1828))。
 このうちよく聴かれるものは、第7番「未完成」と第8番「グレート」の2曲。それ以外では第4番と第5番といったところか?

 シベリウス(Jean Sibelius 1865-1957 フィンランド)の場合は逆で、第7番まである交響曲のうち、よく聴かれるのは最初の第1番第2番
 あとに行くにしたがってあまり演奏頻度は高くなくなる。多くの場合、作曲者の成長とともに、つまり晩年に向かうにつれ傑作と呼ばれる曲が生まれ、聴かれる頻度も上がる傾向にあるのだが、シベリウスの場合は逆。
 これは、彼の作品が晩年に向かうにつれ親しみにくくなっていったいう事情が人気度に反映しているだろう(第5番も聴かれるほうだし、第6番は傑作と言われているが)。

 というように、何人か例を挙げたが、ねっ?おもしろいでしょ?(そうでもないか……)。

 私がよく取り上げているショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の場合は、彼を一躍スターにした第1交響曲が意外と今では聴かれない。
 第2番第3番はその曲の性格上、ほとんど聴かれない。ある種へんてこな面白さがあるんだけど……
 第4番は大曲で、おそらくは傑作だが、ショスタコの不満というかいらだちみたいなものが強烈で、そうそう気軽に聴けるものではない。
 そして、皮肉なことに汚名返上(ということは、たとえ裏があるとしても“迎合路線”)の第5交響曲が、ショスタコの交響曲ではいちばんの人気作という結果になっている。
 そのあとは第5番の路線にのって人気交響曲が続々かと思いきや、第6番は目立たない存在だし、またまた迎合路線の第7番はやや人気と、彼の交響曲の聴かれる頻度の高低が、ショスタコの人生の起伏にそのままに結びついている感じだ。

 でも、同時代のプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953 ソヴィエト)ときたら、7曲の交響曲を書いたが、第5番がダントツ人気。次は1番。でも、この2曲もあまり聴かれなくなってきているように感じるのは気のせいだろうか?

             ×                   ×

2f21447b.jpg  で、今日はシューベルト交響曲第4番ハ短調D.417「悲劇的(Tragische)」(1816)を。

 交響曲というジャンルを器楽曲の中心へと発展させたのはハイドンとモーツァルトであり、決定打を与えたのがベートーヴェンであった。
 しかし、次のロマン派の時代に入ると、その状況も変わっていった。交響詩といった管弦楽作品が書かれるようになってきたからである。

 そんななかで交響曲を絶やすまいとした1人がシューベルトであった。
 ただし、シューベルトのスタイルは、ベートーヴェンのように「これでもかっ!」と主題を積極的に発展させるというものではない。男臭くもない。 

 この交響曲第4番においてもベートーヴェンのような喧嘩ごしのところはなく、確かに悲劇性を感じさせる音楽ではあるが、あくまで抒情的である。
 この作品、シューベルトの生前には演奏されなかったが、「悲劇的」という名前はシューベルト自身がつけたと言われている。

 私が持っているCDはグッドマン指揮ハノーヴァー・バンドによる演奏。
 この演奏が良いのか悪いのかよくわからないが、私が今一つこの曲に愛着を持てないということは、(私との相性が)良くない演奏である可能性もある。
 ブリリアント・クラシックス(ニンバスからのライセンス)。録音年は不明(DDDである)。

 

指揮者はメタボのようなんだけど……

eea107d4.jpg  これまた健康優良児的な仕上がりだ。

 レヴァインの振るマーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第7番ホ短調(1904-06。その後もたびたびオーケストレーションの変更あり)の演奏である。オーケストラはシカゴ響。指揮者の外見とは違い、仕上がってる音楽は健康的。

 レヴァインのマーラーを初めて耳にしたのは第9番だったが、この演奏はいろいろな意味で思い出深いし、その個人的な悲しい思い出は別として、これは名演だと思っている。LP時代に買ったレヴァインによるマーラーはこの第9と第10(クック版)だったが、なぜか第10番の方はLPジャケットの写真は覚えているのに、演奏に対する記憶がない(今回CDを購入したので久々に耳にすることができた)。
 その後、CD化されてからだが、第1番第5番第6番を聴いたが、いずれも素晴らしい演奏であった。その感想は、それぞれこのブログでも書いてきた(だから青文字リンク対応を施しているんだけど)。

 先日書いたように、レヴァインのマーラー交響曲集を購入した。
 このなかで私がまだ聴いたことがなかったのは、第3番、第4番、第7番である。

 これまた先日、交響曲第3番交響曲第4番についての感想は書いたが、今回は第7番である。そして、第7番も第3番や第4番同じ傾向の音楽づくりである。つまり、冒頭に書いたようにとても健康的。ここにはちょいと心が病んでいたマーラーの陰があまりない。

 それにしても、どうも納得いかない。
 第1番、第5番、第6番、そして第9番では、若々しいが、しかし緊張感あふれる演奏をしてくれたレヴァインなのに、どうしてこうなんだろう?急に良い人に変貌した意地悪なおじさんのようだ。だから優しくて笑顔が素敵な、ドックでも結果がオールGのおじさんが好きな人にはお薦めの演奏である。

9035c9f8.jpg  それはオーケストラのせいもあるのかもしれない。

 第1番と第6番はロンドン交響楽団、第5番と第9番はフィラデルフィア管弦楽団である。
 しかし、私がちょいとばかし違和感を覚えた3、4、7番はシカゴ交響楽団なのである。

 そのせいかどうか断定はできないけれど、単なる偶然とは思えない。偶然でないとも言えないけど……

 この健康的なマーラーの第7番。特に、第4楽章が甘い「夜想曲」だということがはっきりと印象づけられて面白かった、かな。
 レヴァインの第7番は1980録音。RCA。

 ところで、シカゴ響のマーラーといえば、私が長い間絶対的に好んでいたショルティの指揮による演奏をどう考えても忘れられない、というか逃れられないのだが、先日当時のLPを取り出して眺めてみた。

 いやぁ、すっごく懐かしかった。
 このかっこいいショルティの写真にしびれたんだよね、当時は。
 私の青春の1枚ですわ、これ。

 タバコを買いに行ったら売り切れですと言われた。
 JTのアナウンスから品切れになるまで、ずいぶんと早い。
 それとも、またまた買いだめ軍団が迅速な行動をとったのか?

阿鼻叫喚図に宗教的音楽~カウンター・プンクトの効果

 今日は久々に出張。
 行き先は函館である。

 あの、とてつもないつめ跡を残していった地震と津波のあと、これまで予定していた出張はすべてキャンセル。今日が震災後初めての出張となる。

 ご存知の方もいると思うが、私はけっこう出張することが多い。今回これだけ行かなかったのは、それだけ出張予定先が混乱したり、あるいは自分の方も震災に関連する対応の仕事に追われたことによる。こんな私1人の日常を見ても、この2週間というものがいかに異常だったかということをあらためて痛感する。
 もちろん、被災地の方々の不自由な避難所生活、そして救援活動は今も続いているが、こうやって働ける者がいつものように働くということが、復興に向けての起動力の一助になっていくはずだ。
 自粛よりも活動。

 金曜日の北海道新聞夕刊のコラムに、「再建・復興とは、元どおりに戻す、ただ旧に復するということでいいのか、とする疑問が生じた」と、立正大講師の桂敬一氏が書いていた。

 なるほど。
 確かに元どおりにすることが良いのか疑問に感じるようになってきた。

 高度経済成長時代の流れにそった町づくりを再現しても、これからの時代にはマッチしないのかもしれない。
 氏の「地方行政も管理型の行政組織の大規模化・効率化に走り、大型市町村合併を繰り返してきた。その結果、生産と消費、住民の生活文化などを成り立たせる、地域の自助・自立の機能が弱まることになった」という指摘も非常に説得力がある。
 そんななか、一方で、テレビを通じて観る被災地で必死に頑張っている市長、町長の姿は頼もしささえ感じられる。いざとなれば中央がいかに頼りないかということを、いまの状況は如実に表しているようにも思えるのだ。

 同じ新聞に「『原爆の子』 米で上映へ」という記事が載っていた。
 いま福島原発の、見えない放射能の姿に日本中が大きな不安にさらされているときに、皮肉といえば皮肉な話ではある。

 「原爆の子」は新藤兼人監督が1952年に制作した映画。完成60年目にして初めてアメリカのニューヨークで上映されることになったそうだ。

 この映画は長田新が編纂した被爆児たちの体験記「原爆の子」を下敷きに、新藤監督が被爆した親戚の実話を挿入して作ったもの。

 1945年8月6日の原爆投下から7年後。被災したときに幼稚園の保母をしていた孝子(乙羽信子)が広島に行きかつての教え子たちの消息を追っていく。そこで浮かび上がる被爆者たちのその後……

 この映画の音楽を担当したのが伊福部昭だった。
 アメリカの映画音楽研究書に「The Technique of Film Music」というのがあるそうだが、そのなかの「Music for Human Emotion」の項目に、伊福部が「原爆の子」のある一場面につけた音楽が取り上げられているそうである。

 その場面というのは、原爆投下の前後。
 原爆投下直前のシーンでは、短いカットで様々な人の日常的な様子が映し出されるが、そこでは現実音は使われずに時計の針音のみ。
 原爆が投下されたところで画面は一瞬空白になり、爆発音も何もなく、全くの無音になる。
 そのあと数カットがあり、地獄に落とされた人々の叫びにやや先行して、伊福部のアダージョの音楽が流れる(先の研究書では「バッハのコラール前奏曲風の音楽」と形容されているそうだ)。

 私はこの部分の音楽を聴くだけで―もちろん観たことのないその映像を想像してしてしまうのだが―心が震えさせられる。

 原爆投下場面が無音であることに加え、それに続く音楽は通常なら悲劇的な絶叫的音楽が鳴るはずなのに、宗教的な慰撫するような音楽になっていることが、かえってこの上ない悲劇を効果的に演出している。

 このような技法をカウンタープンクトと呼ぶ。
 例えば、悲しい場面に悲しげな音楽をつけるのではなく、にぎやかな音楽をつけるという方法である。相良侑亮編「伊福部昭の宇宙」(音楽之友社。映画音楽の章の執筆は上野耕路)では、「死の床に伏したチンドン屋であった男の家の外を、はしゃぐ子供達に後を追われながらチンドン屋の一行がけたたましく通り過ぎていく」という例をあげている。
 逆に悲しい場面には悲しげな音楽を、楽しい場面には明るい音楽をつける場合(この方が一般的である)、これをインタープンクトと呼ぶ。

86ebf382.jpg  ここで紹介する、林友声指揮上海交響楽団による「伊福部昭 映画音楽選集」は、伊福部昭の映画音楽を純音楽作品としてスタジオで録音し直したものであるが、「原爆の子」からは1曲、原爆投下のあとの阿鼻叫喚図に流れる“コラール前奏曲風”と表現されていた音楽(重々しい下降する前奏のあと、ピアノの強音の律動の上にヴァイオリンが荘重なメロディーを奏する)が収録されている。
 映画ではヴォカリーズ(母音唱法)による女声合唱がこれに加わり、より宗教的な色合いを強めていたが、このCDではオーケストラのみによる演奏である。
 私は、サントラ盤LPで合唱が加わったものをずっと聴いていたため、オーケストラのみの演奏は物足りなくも感じるが、現在はサントラ盤はCD化されたものも廃盤である(もちろんサントラ盤はモノラルで音は劣悪)。
 合唱入りを聴くには、この映画のDVDを購入するしかないようだ。

 小学生の頃、浦河に住んでいたときに通っていた床屋には「はだしのゲン」の漫画が置いてあった。
 あのころの床屋は予約制なんて気の利いたものではなくて、待つときにはとことん待たされた。その間に(そういうことは1度ならず何度もあったが)読んだ「はだしのゲン」で、原爆って怖いものだと思ったのだが、まさか安全と言われていた原発がね……

目を閉じて「祈り」に耳を傾ける

 だいぶ積もった雪が減って来て、日差しも春を感じさせてくれるようになったが、それでもまだまだ春は遠いという感じだ。

e2ca46a9.jpg  わが家ではこの冬、雪庇(せっぴ)のために、電話の保安器(というらしい)が固定してあった庇からはがれ、写真のようにブランブランと電話線だけでぶら下がっている状態になっていた(クリーム色のボックス)。
 電話回線に障害は出ていなかったが、ノーマルな状態でないことは確か。しかし、その下のあたりの地面にも雪が深く積もっていたので修理依頼はかけないでいた。

 しかし、ついに思い立って昨日の朝の9時前にNTTに電話した。
 いやぁ、対応が早かった。
 10時前にはかけつけてくれ、その保安器を交換、取り付けしていってくれた。しかも無償修理。
 すごいね、この対応の良さと速さ。

一 方、金曜日にニトリから自宅に電話が来たそうだ。
 ウチの息子がこの春から東京に住むことになり、ニトリで買った家具類は現地に引っ越し日に合わせて届くように手配してあるのだが、ちょいとそんな対応はないんじゃないのということがあったことは先日書いたとおり。
 で、昨日の電話は「お買い上げいただいた本棚については、その日にお届け出来ない」という内容。理由は今回の地震で倉庫内の荷物(在庫)が倒れ、次の商品が入庫するまでは無理というもの。
 それはいたしかたない。こんな震災だもの。
 で、次の届け日はというと、4月中旬以降になるんだそうだ。

 ウチの息子はこの週明けに引っ越しを済ませ、またこちらに戻って来ることにした。というのも、大学の開始が1ヵ月近く遅れるという決定がつい先日なされたから。

 繰り返すが、こういう状況下だから、倉庫が被害を受け該当する商品の配送が遅れるということに文句はまったくない。
 けど、その説明がまた「しょうがないだろ」的な言い方で、それ以上の説明はなかったそう。
 だめだよ、ニトリ。そんなんじゃ。約20日も遅れるんだし。

 ニトリのどこから電話が掛かって来たか知らないけど、お客さんは大切にしなきゃ。
 こういう説明だから、それを又聞きした私は、他の家具は予定通り届くようなのに本棚だけなんで被害を受けたんだろう、とか、あれは客が組み立てするものだから段ボールに入っているだろうに、倒れたってどういうことだ、といろいろな疑問がわいた次第。
 ま、いいけどさ、でも、ニトリ、もうちょっと電話応対、接客応対の社員教育したらいいんじゃない?昨日のNTTの113で対応してくれた男性を見習ったら、と言いたいくらい。

 話は変わって、金曜日の昼の私。
 いつも行くクリニックに薬をもらいに行った。
 薬だけ出してもらうつもりだったのに、やっぱりちゃんと先生との面談があった。
 2カ月後にドックを受診するからということで、血液検査は勘弁してもらった。
 いつもは2カ月分の薬が出るのだが、今回は1カ月分。
 それは私の症状に著しい改善がみられたから、ではなく、震災の影響で今後しばらくの間薬が十分に届かないことも考えられるから、だそう。だからまずは1ヵ月で我慢してね、ということだ。1ヵ月後には潤沢になっているだろうということだが、北海道でこれだから、被災地の薬品不足は深刻なんてものを通り越しているに違いない。私の問題などミクロもミクロ……

 徐々に物流の問題は解消しつつあるようだが、いま見てて歯がゆいのは拠点まで届いて山積みされている物資が末端まで届かないこと。これはきちんとした集中的にコントロールして指示を出す体制になっていないことが大きな要因ではないかと思う。

 私が勤める会社は食品も扱っており救援物資の依頼もあるが、現地の各種団体から要請が来ることもあれば、道内のいろいろな団体や行政、あるいはこの時ばかりとパフォーマンスを考えているのか知らないが芸能界系だの、話が来る先がバラバラ。
 行政、つまり国、そして北海道なら北海道が先頭を切って、例えば窓口は道庁であるというように一本化し、それを広く周知するようなことをしないのが不思議。そうしないと本当に必要なものが集まらまかったり、重複して特定の物ばかりが大量に集まるなんてことが起こるだろう。
 スピードで言えば、赤十字の募金なんて、驚くほど早く、組織だって(るように見える)活動を開始したが、ああいうのを見習うべきじゃないかな(だからだろうけど、最近は民間やNPOによる援助活動の成功例の報道が多くみられるようになってきている)。

 そうそう、タバコも切れるっていうし……

 そして原発。一進一退って言葉がこれほど当てはまる現象は、そうそうないだろう。

 この問題がなければ、復興という目標に向かって、国民が一丸となって同じ方向に突き進めるはずだ。ふつうならもうそうなっているだろう。
 しかし、原発の問題がものすごく大きな不安として人々の気持ちにのしかかっている。
 放射能の問題は、復興活動の足かせになっている。

 政府が悪いのか、東電が悪いのかよくわからないが(たぶん両方)、現場で命をかけて作業をしている人たちがいるにも関わらず、政府や東電の経営陣の当事者意識がなんとも希薄に思えてならない。東電の混乱は想像を絶するものだろうが、それでも公表しなきゃならないことを出し渋っている、もしくは情報が社内で滞っているように思える。
 もはや「このぐらいの数値は安全です」なんて言葉を真に受けている国民はいないんじゃないか?いや、本当なのかもしれないが、あまりにも情報が少ないし、しょっちゅう状況が変わりもする。保安院などの「安全である」という例えも非日常的なものだし。

 マスコミもNHK以外は早くからワイドショー化している。NHKは好きではないが、こういうときはNHKはさすがにいちばん信用できる気がする。
 民法は、どこかの教授やら専門家をスタジオに迎えるのはいいが、言ってることがバラバラ。それをそのまま垂れ流すのは無責任すぎる。フリー・ディスカッションじゃないんだから。

 先日の札響定期では、チャイコフスキーの「祈り」(組曲第4番の第3曲)がマーラーの7番に先だって演奏された。

 今日の私が取り上げるのは、フランク(Cesar Franck 1822-90 ベルギー→フランス)の「祈り(Priere)」Op.20。

 この曲は1858年以降、終生パリのサント・クロティルド教会のオルガニストを務めたフランクが最初に書いた本格的なオルガン曲集「大オルガンのための6つの小品(6 Pieces pour grand orgue)」Op.16~21(1860-62)の第4曲である。

 フランクが活躍した時代(ロマン派の時代にあたる)、フランスでは他のヨーロッパ諸国以上に作曲家のオルガン音楽に関心が高まっていた。
 というのも、19世紀フランスにおいてはオルガンの改良が進み、従来のオルガンよりもはるかに色彩感が豊かな楽器が生まれた。そのために、フランスの一部の作曲家たちはこの機能豊かな新オルガンを使いこなすことに関心を持ったのだった。

79d89081.jpg  サント・クロティルド教会にはカヴァイエ・コルが製作した大オルガンが設置されており、フランクはこの新しいオルガンの性能を引き出すべく、「6つの小品」を作曲した。

 「祈り」は表情豊かな曲で、真摯に祈りを捧げていると、慰めが祈る者の頬を優しく撫でていってくれるような、聴いていてそんな感覚になる。

 震災で亡くなられた方々、いま苦しい避難生活を送っている方々、現場で懸命に復旧・復興活動に取り組んでいる方々、そしてさまざまな不安を抱いている私を含めたすべての人たちのことを思いながら、私は「祈り」に耳を傾ける。

 私が聴いているのはアランのオルガン演奏によるCD。
 フランクの「オルガン傑作選」で、この中からは以前、彼の最後の作品となった「コラール第3番」を紹介している。

 1995録音。エラート。サント・エティエンヌ教会のカヴァティエ・コル製作のオルガンを使用。

 ただし、このCDは現在廃盤。アマゾンにも中古出品がないようなので、私は聴いたことはないが、ラングレーのオルガン演奏による「フランク/オルガン作品全集」を紹介しておく。
 
 なお、「6つの小品」の6曲を参考までに記しておく。

 1. 幻想曲ハ長調 Fantaisie Op.16
 2. 交響的大作品 Grande piece symphonique Op.17
 3. 前奏曲,フーガと変奏曲嬰ヘ短調 Prelude,fugue et variations Op.18
 4. パストラール ホ長調 Pastorale Op.19
 5. 祈り Priere Op.20
 6. 終曲変ロ長調 Final Op.21

叩かれるのが私のさだめ(またはエリザベートの夜……)

 おとといの夜は、ナシニーニ氏と食事をした。

 有意義な会話をするのにあたり、何を食べるのがいちばん適切か、私は一生懸命考えた。
 信じてもらえないかもしれないが、私はいつもただ飲んだくれているわけではない。ような気がするのだ。自分で気づいているのだから間違いないだろう。

 このようにナシニーニ氏とアルコールを伴う打ち合わせする場合、(それはしばしば長時間に及ぶ)、話の内容の多くは仕事に関することなのだ(多くの場合、ディスカッションの後半は酔ってよく覚えてないので、明確にウェイトを提示することができないのが残念である)。

 私は会場選定というこの難しい問題を考えながら、2週間ほど前に開通したばかりの地下歩行空間(大通り―札幌駅間である)を“考える人”のような表情で歩いたが、この通路、けっこう幅が広いのにかなり人の流れが悪い。
 それは人が多いのもあるが、ポールタウンやオーロラタウンのような自然発生的な統制(左側通行)がとれていないからだ。まるで夕方の阪急梅田駅と阪急百貨店の間の通路のようだ。

 しかし、その雑踏の中を定速歩行しているうちにぼんやりと私の考えがまとまってきた。

 ① “福よし”に行って、美唄焼鳥を食べて、鶏飯(“けいはん”じゃなく、“とりめし”)も食べて、仕上げにそばのハーフを食べる。
 ② 某すし店に行って、鶏のもも焼きを食べて(寿司屋なのにその店にはちゃんと鶏さんがあるのだ)、仕上げに玉子の細巻を1本食べる(美しき親子メニューだ)。
 ③ ジンギスカンが好物というわけではないが、何となく思い浮かんだのでジンギスカンを食べる。

 この3案を心の企画書にしたためながら、ナシニーニ氏との待ち合わせ場所である、地下鉄大通駅近くの、かつてはペコちゃん人形が立っていた場所に行った。
 ここに立っていると、立ち食いそば屋の良い香りが私を襲う。
 私の気持ちは相当ハーフそばに傾いてきた。場合によってはフルサイズを平らげることも検討しなければならない可能性もでてきた。

 ナシニーニ氏が現れ、私は3つの案について話した。

 氏は言った。「ジンギスカン」と。

 はい、決定!ジンギスカンにしましょう!

 だから、狸小路4丁目の成吉思汗店「じんじん」に行った。
 この店は、長沼ジンギスカンの店であるが、肉はとても有名なかねひろジンギスカンではなく、やや有名なタンネトウジンギスカンである(かねひろもタンネトウも長沼町の味付きジンギスカンのブランド名である)。

 タンネトウのロースジンギスカンはクセがない上に柔らかく、ジンギスカンをあまり好みとしない私でもとても美味しくいただける(私はかねひろよりもこちらの味の方が好きだ)。
 また、タンネトウジンギスカンは焼き方が変わっていて、鍋周辺に水をため、野菜はそこで煮るため、煙があまり出ないし油はねも少ない。高貴な私にも安心である。
 ちなみに、「じんじん」の店長はカチャカポコナの友人である。

 けっこうな量を食べたあと(最後の20分間、私はただただ煮えあがったもやしを箸でいじって遊んでいた)、久々にエリザベートの巣窟である“ルネサンス”に行った。

 久々に見るエリザベートはほぼ完ぺきに健康になっていた。
 たぶん、私より健康であるに違いない。

 現在、なんと彼女はダイエットのために、夜中にボクシング・ジムに通っているのだそうだ(ボクシング用品店で深夜事務のバイトをしてるのではなく、鍛えているのだ)。

 「バッシバシ叩いてんのさ!スカッとするのさ」
 コーラを一気飲みしたかのように、楽しそうに彼女は言った。

 叩かれ続けた作曲家といえば、我らがショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-1975 ソヴィエト)である。なんで「我らが」なんだ?と自問自答してみたが解不明。

 彼は15曲の交響曲を残したが、そのなかの器楽だけで演奏される作品中でも傑作とされているのが交響曲第10番ホ短調Op.93(1953)である。

 ところで、彼の器楽のみによる(つまり声楽が入っていない)交響曲の何番と何番が傑作なのかというと、はて何番なんだろう?
 4番、5番、7番、8番、10番、15番ってとこか? となると、けっこうな数じゃん……。

 ここで整理しておくと、ショスタコの全15曲のうち、声楽が入らない純器楽交響曲は、第1456789、10、111215番。

 あくまで私の個人的な評価であるが、5行(空白行を含む)上に書いた6曲のほか、6番も9番もコンパクトながら魅力たっぷりだと思うし、体制に迎合したとされる第11、12番についても私は大好きであることは、すでにご報告のとおり。

 逆にショスタコ私は第1番はあまり聴かないし、第4番も聴く頻度は低い。
 でも、こうなると何が傑作かどうかよくわからなくなる。基準は何?

 でも、第10番を最高傑作と考える人が少なくないのも事実。

 第10番の特徴と言えば、ショスタコの名前に含まれる文字から作られた音列、つまりD-S(Es)-C-H音型が現れること。もう一つ、第3楽章で執拗に別な音型が現れること。このへんについては、前に書いた記事をぜひご覧してね、のゴラン高原(すんません)。

decddeb7.jpg  今日取り上げるのはコフマン指揮ボン・ベートーヴェン管弦楽団による演奏。私の中では、略して「コフ・ボン・ヴェン」。

 交響曲第10番の開始は、はっきり言って暗い。
 交響曲第8番の開始を暗闇に置いておいたら第10番の冒頭に変化したって感じだ。

 コンパクトな“第9”を書いて、そーとうひんしゅくをかったショスタコだから(1948年の共産党批判の対象になった)、ご機嫌を取るために明るく民族的な曲を書くかと思いきや、第10番は共産党に喧嘩をうるようなズシーンと重い曲(とはいえ、第9番のあと第10番が作曲されるまで8年もの期間があいている。これはショスタコとしては異例)。

 これ、間違いなく確信犯。
 ワザとやってる。
 ある種、ショスタコの態度は反社会的な不良的存在である。
 実際、発表された後、この曲の評価は真っ二つに分かれたという。
 それもショスタコには計算済みだったに違いない。

 ところがである、コフマンの演奏は“暗い”という一言では片付けられない。
 透明感のある暗さだ(ほら、二言になった)。
 いや、暗いというよりも深い美しさがある。鍾乳洞の奥にある湧水の池のような。
 淡々としているのに、しみてくる。
 茶室的演奏とでも言おうか……
 
 第10番で、ここまでの深遠さを感じたことはなかった。
 ただし、ショスタコらしいのかというと、そこは意見が分かれるところ。

 私は意外と違和感なく、むしろしみじみくるなぁと思いながら聴いたが、こればっかり聴いていると物足りなくなる可能性は大。私は文化的な人間だけど、異人種の体育会系人間の知り合いがまったく居なくても平気かというと、そうでもないということと同じようなもの。

 純粋な交響曲として、あまり作品に込められたメッセージに振り回されずに演奏したらこうなるだろうという、とても貴重なアプローチであり、それはそれで優れた演奏だ。また作品そのものの出来の良さがあらためてよくわかる。
 でも、感動的かつ新鮮ではあるが(録音も残響が多いものになっている)、何回か聴いているうちにやはりもっとタコタコ感した演奏に回帰したくなる。いくら美味しいタコしゃぶを食べたとしても、やっぱりたこ焼きの方が好き、っていう嗜好の問題に通ずるものがある(と言えなくもいない)。

 ただ、こういう演奏もあるんだなぁという意味で、一聴の価値は十分あるし、「おや、ショスタコって暗いか騒がしいかだけかと思ってたら、すっごくいいじゃん」と惚れこむ人もいるに違いない(それは先日書いた第5交響曲の演奏にも言えること)。

 2003録音。MDG。

近ごろのカラオケ、じゃない感じのトリトン

 昨夜のことだ。
 頭の中に突然「海のトリトン」の歌が流れた。
 不思議なことだ。
 私はこのアニメを、リアルタイムでも、再放送でも観たことがない。
 でも、歌は知っている。
 歌うことも、なぜかできる。
 私はカラオケを好まないが、この歌は歌える。ほかに「バビル2世」や「ガッチャマン」も歌える(実はこの2作品も観たことがある記憶がない)。けど、繰り返すが、私はカラオケを好まない。というのも、ほかに歌える曲がないからだ。

 ごくまれに職場の非公式飲み仲間と歌うことはある。
 が、非公式飲み仲間が歌う歌は、私の知らない歌ばかりだ。
 私はその人たちの歌を耳にすると、モンクの「近ごろの婦人」の初演にたまたま間違って居合わせてしまった一般通過客のような気分になる(Meredith Monk 1943- ベルー→アメリカ。“Our Lady of Late”(1973))。
 難解だ、でも上手だ、と。
 非公式飲み仲間が歌う歌は、私の耳にはそれほど歌うのが難しそうな歌に聞こえる。

 まあそれはそうと、とにかく「海のトリトン」の歌が頭の中に浮かんだのであった。「水平線の終わりには、あぁぁ~」てやつである。

 でも、おやや?
 何も考えないで歌っていたが(繰り返すが“たまに”である)、このメロディー、何かに似ている。

d8e874cf.jpg  おぉ!
 これは伊福部昭(Ifukube Akira 1914-2006)の「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲(ヴァイオリン協奏曲第1番)」の終わりの盛り上がりにそっくりではないか!(下の掲載譜のピアノ・パート)

 伊福部昭好きの私(私が愛する作曲家3傑はマーラー、ショスタコーヴィチ、伊福部昭である)。だから、無意識のうちに「海のトリトン」に惹かれたのかぁ。

 ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲(1948/75改訂)については、2008年5月2009年3月にこのブログで取り上げている。
 現役盤で出ているのは、久保田巧のヴァイオリン、井上喜惟指揮アルメニア・フィル(1993年ライヴ録音。Altus)。他に、ピアノ・リダクション版(オーケストラ・パートをピアノで演奏したもの)による演奏のCDも出ている(私は未聴)。

627da792.jpg

劇的で交響曲のように大きいクヮルテット

 《詩人なら自分のために詩を書くことができる。詩を書きとめずに、頭のなかにとどめておくことだってできる。詩を作るためには、詩人はそれほど多額の金を必要としない。いまや明らかとなっているが、詩は収容所のなかでも作られていた。実際、この仕事を監視するのは困難である。作曲家にたいしても、とりわけ、オペラやバレーを作曲するのでないならば、やはり特別に監視はできない。作曲家は小さな弦楽四重奏曲を作って、そのあと、友人たちと家で演奏することもできる》(S.ヴォルコフ「ショスタコーヴィチの証言」p.358)

b31e3ccb.jpg  ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の弦楽四重奏曲について、先日は第1番を取り上げたが、今回は弦楽四重奏曲第2番イ長調Op.68(1944)。

 先に書いたように、ショスタコーヴィチは“監視される”交響曲の作曲の間隙を埋めるように弦楽四重奏曲を書いた。
 弦楽四重奏曲第1番は交響曲第5番(1937)と第6番(1939)の作曲の間にあたる1938年に作曲されたが、弦楽四重奏曲第2番は交響曲第8番(1943)と第9番(1945)の間に書かれている。

 上記の“証言”内容がどこまで真実かはわからないが、ショスタコの場合は対社会的に厄介な問題が必ず起こった交響曲に対して、弦楽四重奏曲においては正直な心情や思索を表現することができたことは間違いないだろう。

 交響曲第8番も、やはり批判対象となった。
 そのあとに書かれた弦楽四重奏曲第2番は、6年前の第1番よりも複雑な曲になっており、演奏時間も30分を超える。

 第1楽章は“序曲”と書かれており、いきなり叫ぶように開始される。この劇的な第1主題の最初を聴くたびに、私は「さとうきび畑」(1967。作詞作曲は寺島尚彦(1930-2004))を思い出だす。

 第2楽章は“レチタティーヴォとロマンス”と書かれている。レチタティーヴォとは歌劇などにおいて話し言葉や朗唱を模倣するような歌のことを言うが、この楽章の前半は第1ヴァイオリンの“歌”である。後半のロマンスは美しい情緒的なメロディー。この楽章の雰囲気はアルビノーニの「アダージョ」を思い起こさせる。

 第3楽章は“ワルツ”。不気味なワルツ。次世代のシュニトケが書いたワルツのような雰囲気がある(シュニトケに影響を与えたと思われる)。

 第4楽章は“主題と変奏”。ショスタコーヴィチが得意としたパッサカリアである

 今回もCDはルビオ四重奏団のものを(全集)。
 2002録音。ブリリアント・クラシックス。

 弦楽四重奏曲第2番が書かれた頃は、戦争も終盤となっていたころ。
 この曲にもそれまでの戦争体験の内面心理が反映されているだろう。
 なんだかキュンとなる。きゅんきゅん……

この編曲版に全然ワクワクしない私

 おとといの朝刊に載っていたけど、悪人はどこまでも悪人なんだな。

 「あなたの愛のパワーで日本を元気に」というメールがあちこちに配信されているんだそうだ。
 で、クリックするとアダルトサイトにご案な~い、っていう仕組みなんだそうだ。

 新聞に取り上げられるほど氾濫しているようなのに、なんでこういうときに限って私のところには来ないのだろう。
 なんか仲間外れにされたようで、一抹の寂しさがある。
 最近は少なくなったが、昔はわが社にも昼休みともなると保険の外交のおばちゃんが入り込んできて、みんなの机にチラシを置いて行ったものだ。でも、なぜか自分の机にだけは置かれてなかったとしたら?
 そんな気分に近いものがある。

 その代わり、ではないが、私には後藤様から以下のようなメールが来た。

 =================================
 名前:無償支援家・後藤
 年齢:33歳
 職業:会社経営者
 =================================
 初めまして、後藤と申します。
 私は名前の通り、数々の支援を完全無償で行ってきました。
 ストレートに貴方に【5800万】を一括でお渡しさせて頂きます。
 私が貴方を支援する事が出来るというのは理由があります。
 一度はどん底に落ちた私ですが、今は支援を行う事で生き甲斐を感じてます。
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 いえ、私のような貧乏人が言うのは僭越ですが。

 で、そのあとの「パートナーをご紹介いたします」って、全然脈絡ないじゃない。
 もっと、文章構成を勉強するべきだよな。
 それにしても、某有名セレブ女性雑誌って何かな?婦人公論とかか?気になるな……

 気になるといえば、ずっと気になっていたショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の「室内交響曲(Chamber Symphony)」。
 ショスタコ好きの私だが、「室内交響曲」なる作品は聴いたことがなかったし、あまり関心も持っていなかった。というのも、これは弦楽四重奏曲からの編曲だから。
 でも、タワレコでセールをやっていたので買っちゃった。

 春秋社から出ていた「ショスタコーヴィチ大研究」の巻末には、「室内交響曲」として、次の4曲が載っている。

 ・弦楽器と木管楽器のための交響曲ヘ長調Op.73a
    ~弦楽四重奏曲第3番Op.73よりバルシャイ編
 ・室内交響曲ニ長調Op.83a
    ~弦楽四重奏曲第4番Op.83よりバルシャイ編
 ・室内交響曲ハ短調Op.110a
    ~弦楽四重奏曲第8番Op.110よりバルシャイ編【弦楽orch】
 ・室内交響曲変イ長調Op.118a
    ~弦楽四重奏曲第10番Op.118よりバルシャイ編【弦楽orch】

c8630b5c.jpg さらに今回買った、バルシャイ指揮ミラノ・ジョゼッペ・ヴェルディ交響楽団(おぉ、ボン・ベートヴェンといいとこ勝負の名だ)のCD(2枚組)には、室内交響曲Op.49a「アイネ・クライネ・シンフォニー」というのも収録されていて、これもバルシャイが弦楽四重奏曲第1番Op.49を編曲したものだ。

 つまりは、バルシャイが編曲したものをバルシャイがミラノなんとかを指揮したCDである。

 ところで、井上和男編著の「クラシック音楽作品名辞典」には「室内交響曲ハ短調Op.110a」だけが載っている。しかも、「作曲者の指示でA.L.スタセーヴィチが編曲を行なった」とある。とすれば、110aという作品番号をもつものが2曲あるということなのか?このへんの関係式は私にはよくわからない。

 とりあえず、「アイネ・クライネ・シンフォニー」なる、弦楽四重奏曲第1番を編曲したものを聴いてみた。

 う~ん、悪くない
 なんだか懐かしい気持ちになった。
 「あぁ、元の弦楽四重奏曲を聴きたい」って。
 ということは、最初っから原曲の弦楽四重奏曲を聴けばいいじゃん、って感じ。
 つまりは、オーケストラ編曲した意味というか効果というのがよくわからなかった。
  
 他の室内交響曲を聴いてないのでまだ何とも言えないけど、Op.49aについては全然ピンと来なかったということ。

 このCD、2005年のライヴ録音。ブリリアント・クラシックス。

 音楽とは関係ないことだが、私、どうしてもバルシャイの顔に親しみを持つことができない。
 なんだか憎たらしささえ感じる。
 これ、きっと幼少時にこんな顔したじいさんに何かでがっつり意地悪されたか叱られた経験があるからに違いない。まったく覚えてはいないけど、私の細胞レベルでは、たとえばミトコンドリアなんかは覚えているようだ。

飛び交い、絡み合い、鐘が鳴る鳴る……

36fb75ca.jpg  先週土曜日の札響定期演奏会。その会場で売られていた、マーラーの交響曲第7番のCDを私は購入した。

 指揮は高関健。オーケストラは群馬交響楽団。
 2007年3月のライヴ。

 これを聴き、金・土の札響定期の演奏会の場面、音楽、雰囲気が頭によみがえった。

 群響は力演。
 そして、(もちろん一緒ではないが)札響定期で耳にできたものと同じマーラーの7番の音楽が再現された。

 指揮者が一緒だから当たり前なのかもしれないが、この群響の7番、札響のときと同様、個性的な演奏である。おそらく他のどんなCDを聴いてもこういう演奏はない。

 それは楽譜によるものだろうか?
 私にはそれはわからない。
 ただ、間違いなく言えることは、高関のアプローチの仕方が4年前から一貫しているということ。
 荒々しいようにも聴こえるが、実のところ荒々しいのではない。これはこういう曲なんだ、という説得させられそうな力がある。
 なんとも言い難い、忘れ得ぬ演奏。

 このCD、いまどき珍しい正統派レギュラー価格なので躊躇したが、今は買ってよかったと思っている。
 札響の演奏も録音して欲しかったなぁ。
 でも、このCDに出会えたことでもとっても幸せ。

 群響は高関の棒について行くのにちょっとしんどそうなところがあるが、熱演。
 この録音、音が直接的で空間的なゆとりが少ないのが残念だが、しかし、この個性を放つ演奏は十分聴くに値する。

 2007年3月10日、群馬音楽センターでの演奏会。ALM-RECORDS。

 なお、タワーレコードのオンライン・ショップでは、このCDについて以下のような紹介文が載っている。

 2006年の「第2番《復活》」公演に続いて再びマーラーに取り組んだ高関健&群馬交響楽団。度重なるスコア改訂が行われ、演奏上の問題を多く孕むマーラーの交響曲の中でも、特に第7番は、初版段階から誤植が散見されるなど最も複雑な事情を抱えている。高関は、自筆譜ファクシミリなどあらゆる資料を収集し、国際マーラー協会と議論を重ねながらスコアを徹底的に検討し、本番に臨んだ。その妥協を許さない姿勢からは、作曲家への限りない敬意が感じられる。 [コメント提供;ALM RECORDS/コジマ録音]

 ところで、今回の札響定期における高関のプレトークにもあったが、マーラーの交響曲中では第7番がいちばん聴かれる機会が少ないことは間違いない。

 「夜の歌」という、マーラー自身が付したものではない曲全体のニックネームが誤解を招いているのが原因の1つというのも一理あるが、それはあまり大きなことではないと私は思っている。
 私はマーラーの交響曲の中でも、この第7番には早い時期に熱狂したが、それは聴いていてカッコイイからである。特に終楽章のティンパニの連打、それに続くメリーゴーランドのような展開、色彩感は、第6番とは対照的な魅力を感じた。また、同じ5楽章構成の第5番と比較しても、第7番がなぜ人気が出ないのかが不思議だった。

 音楽ファンのなかでも、楽曲の構成がどうだとかいうことを考えながら聴く人はあまりいないのではないか?多くの人は、聴いていて心地よくなり、アドレナリンが出たりアルファー波が出たりして、感激、感動、興奮できれば、あるいは癒されれば良いのではないか?

 ということは、この第7番があまり聴かれて来なかったのは、終楽章で突然どんちゃん騒ぎが始まるという聴き手の困惑の問題などではなく(そういう人ももちろんいるだろうが)、あくまで楽譜の問題、つまり指揮者が取り上げる頻度が少なく、何種類もの録音があるとはいうものの、音楽ファンが聴く機会が少なかっただけではないかと思う。
 実際、終演後、Kitaraから中島公園駅へ歩く人の列からは、「今日のマーラーの曲は明るくて良かったね」とか「あの鐘の効果が面白かったわ」という会話が聞こえて来た。
 こういう声を耳にすると、マーラーの第7番はただあまり知られてないだけであり、聴く側からすれば、問題を抱えているから、魅力に乏しいから敬遠されているということではないのだろう。

63a790f2.jpg  楽譜の問題は高関も意欲的に取り組んでいて、それが群響の、さらには今回の札響の演奏に適用されているわけだが、今後さらに研究が進み、形が定まり、演奏頻度が高まることをGM7好きの私としては期待するところである。

 なお、この曲のプラハでの初演(1908)の評判は良くなかった。が、同時に強い批判もなかったという。
 また、翌年のウィーン初演の際、熱狂的にこの曲を受け容れたのが、12音音楽の開拓者の1人であるヴェーベルンだったそうだ。

 札響定期の話をもう少し書くと、今回のステージ上の楽器配置も効果的だった。空間を音が飛び交い、呼応し、絡み合う。

 例えば、第1楽章が始まって少し経ったところ。
 テノール・ホルンが吹くメロディーに、ほんの一瞬ホルンが重なるところがある(掲載譜。このスコアは音楽之友社からのフィルハーモニア版スコア)。これはCDで聴いていても意識していないとすんなり通り過ぎてしまうところだが、今回の配置の、ステージに向かって右側のテノール・ホルンと左側のホルンの、ステージ両端からの出された音の融合は、はっとさせられる効果があった。

 高関/札響といえば、昨年2月にショスタコーヴィチの交響曲第8番を演奏。これはCDにすべく録音をしていたはずなのだが、1年以上たった今もリリースされていない。
 いったいどうしたのだろう?
 私は、(老人性イボが目立ち始めた)首をキリンにしながら待っているというのに……

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