昨日“五番館”のことを書いたが、私が子供のときは“五番館”がいちばんデパートらしい感じがして、行くとしたら“五番館”がいいなと思ったものだ。
カトレアの絵が描かれている包装紙もとても思い出深い。
小学生の時に学研のマイキットというおもちゃを買ったのも“五番館”でだった。
これ、電子ブロックの親戚のようなもので、遊びながら電気のことを学べるものだった。
当時の“五番館”は、このようなマニアックな教育玩具も置いてあるほど品ぞろえが充実していたのだ(ろう)。
高校生になって頻繁に市の中心部に出るようになったとき、ちょいとおじさんくさいが、“五番館”の最上階にあった大食堂のザルソバもよく食べた。
そばコーナーは古市庵とかいう名の店が担当していて、冷たいソバの甘めのつゆが絶品だった。
なのに、西武になり大食堂はなくなり、包装紙も変わった。
近くにあった経営母体だった札幌興農園という種苗・園芸会社のビルもいまはなくなってしまった。数年前までは園芸店として営業していたのに……(私は大学4年生のとき、卒業後は札幌興農園に就職したいと思い問い合わせたことがある。そのときは新卒は採らないということだった)。
そのような運命をたどった“五番館”。
“五番”に“運命”と来た日にゃ、もう避けられない運命だ。「運命」を紹介することが。
ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)の交響曲第5番ハ短調Op.67「運命(Schicksal)」(1805-08)。
といっても、「運命」っていうニックネームは、世界的に広く使われている呼び名ではないらしい……
この曲は、あらゆるクラシック音楽作品の中でも最も知られているものの1つだろう(冒頭だけだろうけど)。
また、ベートーヴェンといえばこの「ダダダダーン」(掲載譜・上。これは全音楽譜出版社のスコア)をまず当たり前に思い浮かべる人はかなり多いに違いない。
確かにベートーヴェンらしい力強い音楽であり、彼の肖像画から想像してしまう、その激しい気性にもあっているように思える。
が、この第5交響曲って、ほかの8曲の交響曲の中では異質な存在ではないだろうか?
第1~4番、第6~9番の8曲をみても、ここまで汗臭いというか暑苦しい曲はない。
第9がやや近いか?
第4番~第6番の3曲の交響曲は1806年から'08年の3年の間に書かれた。
第4番変ロ長調Op.60は1806年、第5番は1805~'08年、第6番は1807~'08年である。
第5番単独ではなく3曲セットで見てみると、第5番を具としたサンドイッチのように思えてくる。
この場合、具はもちろん衣が厚ーいハムカツ。ときおり無性に食べたくなるハムカツ・サンド。ソースがくどーいハムカツ・サンド。どことなく貧乏臭さを漂わせるハムカツ・サンド。
C.クライバーがウィーン・フィルを指揮したこの曲の演奏は、私としてはバイブル的な名演奏である。
が、今回ショルティ/シカゴ響のものを聴いてみると、演奏の凄さという面ではクライバーにかなわないが、クライバーの演奏は繰り返し聴くにはくどくてたびたび聴くには勘弁だ。ハムカツ・サンドでも、ハムカツにはちょいと使い古した油の匂いがし、しかもそれを真夏の柔道部の部室、汗臭ぁ~い部室の中で食べてるような味がする。
かといって、重心が高い響きの演奏、さらさら血液の健康型演奏は物足りない。
その点、ショルティの演奏も男として十分な機能を果たしているが―いや、この言い方はちとまずい―男臭さと力強さを持っているし、ずっしりとした重量感もあるが、クライバーほど暑苦しくはない。
ショルティの第5番の演奏で、いちばん私が不気味にニヤリとしたところは、第3楽章の中間部、ベルリオーズが「象のダンス」と言ったといわれる急速な低弦のパッセージ。ここはテンポの速さから1つ1つの音が粒だたなくなることが多いが、シカゴ響は見事なアンサンブルを聴かせてくれる。
さてさて、第5番がサンドイッチの具のハムカツだとすると、第4番と第6番はパンということになる。
私は常々思っていることがある。角食のことをなぜ食パンと呼ぶのかということだ。だいたいパンというものは食するものじゃないのだろうか?
という屁理屈はともかく、ショルティの演奏は第4番も第6番もいい。
第6番の第1楽章の掲載譜・下の箇所なんて(このスコアも全音楽譜出版社のもの)、ショルティだからってわけじゃないけど、マーラーの交響曲第1番の4度下降の“カッコウ動機”に聴こえてくる。
別に私はショルティの遺族から何かをもらってるわけじゃない。DECCAからも何ももらって ない。むしろ小遣いをはたいて貢いでいるくらいなのだ。
でもこんなに褒めるのは、ほんとに私の感性にフィットする演奏だから……
私の感性について半信半疑、もしくは無信全疑(こういう言葉はない)な方は、私の話を無視してくださって結構でございますけど……
交響曲第7番、第8番の演奏も同様にすばらしい。キレがあるのに豊かである。演奏と音響が。
この交響曲全集は、アメリカのオケなのに、とてもドイツ的な音がするのである。
第4~6番の録音は1974年(クライバーの第5と同じ年ではないか!)。DECCA。
昨日から旭川に来ている。
昨日は旭川からさらに北には、村上春樹の「羊をめぐる冒険」の舞台である十二滝村のモデルとなった町がある。が、そこに行ったわけではない。
途中、羊を売り物にしている士別市を通った。
羊を描いた、なんとも言えない看板があった……
午後に札幌へ戻る。
June 2011
考えてみれば今回の胃内視鏡検査は、昨年、十二指腸潰瘍が一応の完治をみた際、「1年後も念のため胃カメラで調べた方がいいですよ。二重の検査になるので人間ドックではバリウム検査は受けけなくてもいいでしょう」と医師に言われ、受けたものだった。
つまり、どこか異常があってカメラを飲まざるを得なくなったわけではない。
なのに、アタシったらすっかり再検査を受けるような気持になってしまって、前夜はよく眠れないし、朝に駅へ向かう時には葬送行進曲に合わせて歩みを進めているようだったし、A江が沈滞した空気を(悪い意味で)破ってくれたものの、検査開始前にはコフマンが振るショスタコーヴィチの交響曲第8番第1楽章が頭の中を浮遊する始末だった。
これ、ひとえに1~2週間前から続いているのどつまり感、水を飲んだときなどの胸の引っかかり感があったせいだ。そのためにすっかり食道の異常を再検査すべく病院を訪れることになった、未来のない人間のような感覚に陥ってしまっていたのだった。
現場判断による速報値ながらも食道に問題がないということは、こののどの違和感はなんなのだろう?毛玉がのどに詰まっているのだろうか?いや、私には毛づくろいの習慣はない。それに毛が詰まっているのなら、マジックハンド以上に高度な機能を有している内視鏡のことだから、きっとつまんで外に取り出してくれただろう。
その葬送行進曲についてだが、クラシックを聴き始めたころ、音楽評論家の大木正興氏が「あの葬送行進曲の演奏のすばらしいこと」とラジオで言っていたのを耳にしたことがある。まだ祖父の家では、水道ではなく井戸水をくみ上げていた大昔の頃のことだ。
それはカラヤンが振る「エロイカ」(ベートーヴェン/交響曲第3番)の第2楽章のことだったが、それは私にとって初めて聴くもので「知ってる曲と違う」と思ったものだ。
じゃあ当時、私が知っていた葬送行進曲ってどんな曲だったかというと、「ダァーンダーダダァーン、ダーダダーダダーダダー」ってもので、何書いてるんだかさっぱりわからないだろうけど、ショパンのピアノ・ソナタ第2番の中の曲であった。
当時はこれがショパンの曲だとは知らず、というよりもクラシック音楽作品だということも知らなかったが、かなりの幼少の頃からなぜかこのメロディーは知っていた。たぶんTV番組のいろんなところで使われていたんじゃないかと思う。
“ブロックくずし”がきっかけとなってアーケード・ゲームがブームとなったころの話だが、スペース・インベーダーの大ヒットの少し前に、人間(ピエロ?)をシーソーでジャンプさせ上空(画面上部)に並んで浮かんでいる風船を割るゲームがあった。
このゲームの名前すら知らないが、私はけっこう好きで、当時はたいていの百貨店にもゲームコーナーがあって、今は無き五番館(のちの五番館西武→西武札幌店)の上の方の階にもあり、このゲームのアップライト型の機械が置いてあった。五番館の良いところはとにかくゲームコーナーもすいているということで(だから西武になってしまったのだが)、都会っ子の私はしばしばここでゲームに興じた。
このゲーム、風船に当たった後に落下してくる人間をシーソーで受け損ねると死んでしまい、そのときに流れるのがショパンの葬送行進曲なのであった。
ゲームが下手な私は、何度この曲を耳にしたことか!
そんな悲しい思い出の反動があってかどうかは知らないが(んなわけないか……)、この曲、今ではあまり聴くことがない。
ショパン(Frederic Francois Chopin 1810-49 ポーランド)のピアノ・ソナタ第2番変ロ短調Op.35(1839)。
全4楽章から成り、「葬送行進曲」は第3楽章。そもそも「葬送行進曲」は1837年に作曲されていた独立した作品で、それをこのソナタの第3楽章に用いたのであった。
ソナタ自体にタイトルはつけられていないが、しばしば「葬送」とか「葬送行進曲つき」と呼ばれる。
全体にくらーい曲だが、ショパンの作曲の意図は知られていない。
以前はポゴレリッチのライヴ盤(1980録音。レーザーライト)をたまに聴いていたが、これは録音がひどく悪い。実はゲームで悔しい思いをしたせいではなく、後年になってこのCDのために私はショパンの第2ソナタを遠ざけてしまったんだと思う。
そんなわけで今日はアルゲリッチによる演奏を。
1975録音。グラモフォン。
ところであのシーソーゲーム。
ゲーム開始のときの音楽が好きだったなぁ。
ところでここ何回か、ブログのタイトルにその日取り上げる音楽作品名を“曖昧記”してきたが、どうもこれが微妙に不評なようだ。
「タイトルを見て、クラシック音楽の曲についてまじめに書いてあるブログだと思ったのに、読んでみたら、胃カメラを上手に飲めただの、親子丼が美味しかっただのという雑文であきれた」
「これじゃあ意味ありげなタイトルで誘導する迷惑メールのようだ」
というようなクレームが、私の知らないところで飛び交っている気がする。
だから、もとに戻すことにした。
改革失敗である。
さてと、今日明日は旭川に出張。
あさってとしあさっては東京に出張。
頭は働かせていないが、物理的移動で体は働かせている私である。
イカの次はタコとくるのがふつうだ。
何において、どのような根拠でふつうかは知らないが、ふつうだと思うことを提案したい。
そうそう、先日blogramというランキング・サイトで、私がこれだけタコ、タコ、ショスタコと騒いでいるのに、ショスタコーヴィチでのランキングには、エントリーすらされていないのが不思議だと、ちょっぴりプンプンしながら、でも素朴な疑問だと大人なふりをして書いた。
するとなんということでしょう。
私のブログがショスタコーヴィチ部門でもランキングに反映されることになった。
なんでだろう?
blogramの社員がブログ内容をいちいち読んでいるとは思えない。いや、ありえない。ありえたとしても、だったら疑問を呈する以前に、内容を見てもっと早くに反映させるだろう。
なんだかさっぱりわからない。
過去にもここでショスタコーヴィチでランクインしたことが何度かあるが、数日でランク外というか私のブログは抹殺されたかのように消え去ってしまった。だからちょいと様子を見ていたのだが、もう10日以上続いている。
今度はホンマもんか?
で、タコである。
ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)である。
先日ヤンソンス盤を取り上げた、交響曲第8番ハ短調Op.65(1943)。
本日は、コフマン指揮ボン・ベートーヴェン管弦楽団による演奏。2004録音。MDG。
この曲、少なくとも表向きは、ソヴィエトが戦争の苦難を乗り越え勝利へと前進するっていう内容を音楽にしたということになっているが、コフマンの手にかかると第1楽章なんてすすり泣きのよう。ほんと、こちらももらい泣きしそうになる。
胃カメラ検査のあと、医者が最初に「何ともないようです」と言うのか、「ちょっとただれてますが、たいしたことないようです」と言うのか、「組織を取りました。検査に回します」と言うのか、そのときのビビリ付き緊張感みたいなところもある。
全曲を通じてコフマンはこの曲の裏街道を進んでいく感じだ。
心の琴線に触れる、美しくもはかない演奏。第2、第3楽章だって、「騙されて浮かれちゃいかんのよ」という、さりげなく釘を刺して虚脱感を醸し出す。
第4楽章から終楽章へ入るところなんて、つかの間のささやかな幸せが垣間見えたかのような安堵感が漂う。その幸福はすぐにかき消されるんだけど……
ヤンソンス盤もコフマン盤も、方向性は一緒だろう。でも、別な曲じゃないかと思えるくらいコフマンはこの曲の表向きの仮面を最初からはぎ取っていて、「苦難は続き、国民は内部の力に敗北する」という、暗い悲歌となっている。
それで胃カメラ検査の報告であるが、ほぼ1年ぶりの受検とはいえもう慣れたもので、ちょっとだけオエオエしたものの、ほとんど涙目になることもなく、聞き分けの良い子供の散髪のように、実に粛々と進行した。
ご存知の方も多いと思うが、カメラを飲む前に看護師から問診がある。
「今までのどの麻酔で気持ちが悪くなったことはありませんか?」
「血圧の薬を飲んでますか?」
「今朝は飲んできましたか?」
「血をさらさらにするような薬を飲んでますか?」
「はずせる歯を入れてませんか?」
といった内容である。素直に「入れ歯」って言ってはダメなのかね?
私のようにY染色体を備えた人間には「前立腺肥大などで尿が出にくいといったことがありませんか?」という質問が加わる。
この部屋、男女混合で4人ほどが詰め込まれているが、もうプライバシーなんてないね、こりゃ。最後の質問のときに「ちびちびと、しょっちゅう尿意があるほどです」と言ってやろうと思ったが、私の他はY染色体をもたない高齢のホモ・サピエンス3体で、私としては彼女たちに笑いをサービスする義理もないし、だいいちに3人ともこれから舌を抜かれるかのような深刻な表情だったので、余計なことは言わないでおいた。
こうして、私は素直にアーンと口を開け、のどの麻酔を入れてもらった。
私より先にいた高齢の女性の1人、仮にA江とするが、は前立腺の質問はもちろん受けなかったが、閉経の質問もなく(不公平だ)、さらに去年私が超音波内視鏡を飲んだときのようにすっかり眠ってしまう麻酔を使うらしく、「今日は車で来ませんでしたか?」と聞かれていたが、それには「ええ、タクシーで」と答えていた。違うだろ、意味が。
今回の看護師はとてもかわいらしい声だったが、瞳は完全に笑いを失った冷徹な様相を呈していた。まあ、1日に同じことを何回も聞くのだ。いちいち受検者の答えにアメリカ人のようにオーバーにリアクションなんかしてられないのだろう。
このA江のとんちんかんな答えも完全に黙殺した。
で、A江は不安からか「血圧の薬は最近変わったので」と唐突に過去問に戻ったが、「それはもういいですから」と、看護師に一蹴されていた。
ここまでは多少A江に同情的だった私だが、このA江、もうのどの麻酔を出してもいいと言われたら、ゴェー、おぇー、ベーッ、カッ!と、よほどの酔っ払いでも出さないような汚らわしい声を発した。すでに自分も麻酔をのどにホールドしていた私だが、すっかり酔いがさめた、いや気持ち悪くなってしまった。
このようにして私はA江のことを嫌いになった。
私の検査時間は短かった。
被検者の態度が良いこともあるが、早いということは気になるところがないということだ。
こうなると、ほぼ同じ手間と時間と料金なのに、とちょっと損した気持ちになるのが不思議だ。
惜しくもカメラは私の口から抜き取られ、華麗な撮影テクを駆使した医者(なのかな)は「潰瘍はないですし、去年荒れた痕跡があった場所もピロリ菌の薬の効果があったのか滑らかになってます」と、私が理想とする言葉を言ってくれた。
「しょ、しょ、しょくどーはどうでしたか?」。このところのどに引っかかりを感じていた、私のいちばん気にかかっていたことを聞く。
「食堂は10時からです」と言ってくれたら面白かったのにとあとから思ったが、医者(なんだろうな)は「全然だいじょーぶっす」と太鼓判を押してくれたものの、最後の最後でのこの軽くぞんざいな言い方には、かえって多少不安が残った。
30分は水も含め物を食べないようにと言われたので、検査前に計画していた、検査が終わったら院内の喫茶コーナーで何かを食べよう(スパゲティ・ミートソースかカレーライスか迷っていた)という夢は、会計をすませてから実行に移そうとしたが(このとき9:15。地下のレストランはまだ準備中だから喫茶コーナーに白羽の矢が立った)、会計があっというまに終わってしまい、その時点で9:25。
しかたない、会社へ戻る途中にどこかの喫茶店ででも食べようと計画変更したが(この時点で、すでにカレーかミートソースしか選択肢になくなっていた。「カレーよりもミートソースの方が傷ついた食道や胃にはやさしいだろうな。でも、ミートソースでもタバスコは使えないな」などと、けっこう真剣に考えていた)、病院から会社への間はオフィス街でも交通拠点でも歓楽街でもないため、喫茶店らしきものはことごとく準備中で、結局は行儀の悪い学生のようにコンビニでおにぎりを買ってすませた。
ということで、主治医による診察は7月に入ってからであるが、「検査を担当した先生の話、ちょっと勘違い。けっこう気になるところがあるわ」なんてことにならないことを祈っている。
と同時に、私には膵臓の検査という関門が残っている。
その昔、「匂いのエロティシズム」という新書を買って読んだことがある(鈴木隆著)。もちろんいたって真面目な本である。
読後に無造作にリビングに置いてあったところ、それを見た当時小学生の息子たちがそろって「エロだって。やらしい」と言いだし、「こんなのを買うの恥ずかしくなかったの」と、まるでビニ本を買ったことを非難されるかの如く、軽蔑の目で見られた。
小学生でも「エロ」という言葉に、妙に反応し、その言葉の意味は決してあっけらかんとしたものではないととらえていたようだ。
エロティシズムっていうのは、つまりは♂♀間の性的なテーマを追求するものだから、そう正しくわかっているかどうかは知らないけど、エロ本とかからイメージが植えつけられるんだろう。
考えてみれば、私もはじめて「エロイカ」という言葉を耳にしたとき、「エッチなことに使うイカなんだろうか」と思った、ことはなかったが、なんか「ベートーヴェンのエロイカ」と口に出すことに抵抗感を感じたものだ。
私の言葉を聞いた人が、独身男のベートーヴェンがイカの胴体を使って旧約聖書のオナンのようなことをするのだろうか、と想像されたら困る、みたいな……
いや、それは嘘八百の話だけど、そしていつもタコのことばかり書いているから(ショスタコーヴィチのことね)今日はイカの話ってわけではないけど、エロイカである。
ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)の交響曲第3番変ホ長調Op.55「英雄(Eroica)」(1803-04)。
共和主義の象徴だったナポレオンに献呈すべく作曲されたが、ナポレオンが皇帝の座に就いたことを知り失望しイカったベートーヴェンが、「ボナパルト交響曲」から単に「英雄交響曲」という名に変えたと言われている。
この交響曲を聴くと、それ以前に書かれた交響曲(ハイドン、モーツァルト、自作の第1~2番など)とは大きく違うことがわかる。規模が大きく、構成的で、個性的だ。このジャンルにおいて革命的な作品である。
岩井宏之氏はこう書いている(昔の“レコ芸”の付録だった小冊子で)。
《この交響曲の第1楽章は、主題とよぶにはどこか不完全な、むしろ主要動機といったほうがふさわしい簡単な旋律に基づいて書かれている。それは主和音を上下に動くだけの単純な旋律である。この旋律、およびこれを支援する他のいくつかの旋律が、ベートーヴェン特有の運用によって、600小節以上の巨大な楽章に成長していくのだが、この楽章の興味の中心は、ベートーヴェンの創造力が最大限に発揮された展開部であろう。……
主題とよぶにはどこか不完全な旋律を用いてもなお、充実した展開部を生み出すことができる。この事実は、ソナタ・アレグロ楽章における主題の概念に、大きな変化を与えずにはおかなかった。すぐれたソナタ・アレグロを書くためには、もはや、たんに美しい主題では不充分なのである。それは、オーケストラのあらゆる能力を発揮させ、かつ音楽的発展に耐えるだけの、いうなれば、きたるべき運用に向かって開かれた性質のものでなければならない》
また、吉田秀和氏は「LP300選」のなかで、《素材の異常な豊富と、表現の強烈な大胆さという点で、ベートーヴェンの数ある傑作のなかでも、屈指のものだ》と述べているが、第2楽章について、《ときには実にすばらしいと思い、こんなふうに、一生の一瞬が深く充実しすぎてゆくならば、と願わずにいられなくなる時と、どうにももてあますほど長ったらしく感じられる時と、私自身のからだや心の具合で、ひどくちがってきこえる》と書いてあるところが、興味深いというか、すごくわかる気がする。
特にナポレオンを意識したものではないとされている第2楽章「葬送行進曲(Marcia funebre)」。私にとっては、この楽章はいまだにあまり得意ではない。ということは、もはや一生共感できないかもしれない。
これまでクリュイタンス盤と新しいベーレンライター版を用いたジンマン盤を取り上げたが、今日はショルティ/シカゴ響のものを。緻密なところからパワーのさく裂まで、実に音が豊かで推進力のある演奏だ。
ショルティは基本的にオリジナル楽譜に従っているようで、例えば前に書いた第1楽章のトランペットの補強も行なっていない。
いやぁ、第9以外聴いたことがなかったけど、ショルティ/シカゴ響のこのベートーヴェンはまことに良い。
1973録音。デッカ。
今日は9時過ぎから胃カメラを飲む。
やはり検査結果がどうなのか気にかかるのか、昨夜はよく眠れなかった。
しかも、検査を受け「いま見たところ、異常は……」という夢を、パターン違いでいくつか見た。何度も目覚めたが、そのたびにとても明るくない気分になった。
そして、今私は空腹である。
検査が終わったあとどれくらい経ったら物を食べてもいいんだっけ……?
昨日、My Garden(ドイツ語ならMein Gartenでいいのか?よくわからないなら書くな、と言いたい!)で、今季初のバラが開花した。
“オールド・ブラッシュ・チャイナ”である。
昨年はちょいと特殊な事情があったので違ったが、毎年このバラがいちばん最初に咲いてくれる。
“オールド・ブラッシュ・チャイナ”は、その名にあるようにチャイナ・ローズの1品種。四季咲きのバラとして中国からヨーロッパに導入された最初のバラとされる。
また、これにタイミングを合わせるかのように、たくさんの蕾をつけていたクレマティスのドクター・ラッペルも咲いた。
この花は、相変わらず夜の飲食店の女性従業員のように派手で、ある種の毒々しさがある。けばい女性を好まない私にはすごく好きな花ではないが、一緒に植えてある黄色いバラ(エバーゴールド)との色の組み合わせは悪くない。早く“エバーゴールド”が咲くことが期待される。
そんな陽光に照らされた庭を窓から見て、私はつかの間の幸福を味わいながら、でもなぜか「夜の歌」なんぞを聴いてしまってる。
天気の良い休日の朝(これでお察しいただけるかと思うが、天気が良い)に聴くにはお世辞にもぴったりだとは言えないが、ボクノコナンテ、ホットイテクレ!だって、今日も仕事だし……
マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第7番ホ短調「夜の歌(Lied der Nacht)」(1904-06。その後もたびたび手を加えた)。今回聴いたのはゲルギエフ指揮ロンドン交響楽団による2008年のライヴ録音。
ゲルギエフのマーラー演奏は、先日このCDを買って初めて聴いた。
ゲルギエフというとエネルギッシュかつロマンティックな演奏が特徴だ。だからどんなマーラーなのか期待して聴いたが、いや、さすがですわい。
エネルギーは確かにあるが、決して暴走しない。このあたり、高関/群響のような(おそらくは故意の)粗さがなく、“歌う”ことに重点を置いている。全曲をとおしてほのぼの感が漂う演奏だ。
特に“夜の歌”と題された第4楽章は、速めのテンポ設定ながら、実に美しく流れて行く。
一方、同じ“夜の歌”(夜曲)である第2楽章は、むしろサクサクとしており過度に感傷的にならない。
いままで聴いたことのない、でもとてもバランスがとれた演奏に私はかなりご満悦。が、もうちょっと暴走列車的なところがあったらワクワクするのにと思わなくもない。
いや、違う。
終楽章なんか、かなり激しくやってくれているんだけど、オケのアンサンブルがあまりにもそろいすぎているのだ。ワクワクしてんだけど、ハラハラしなかっただけだ。実際、聴きながら息切れこそしなかったが、動悸がしたもん。血圧も上がった、間違いなく。
それにしてもライヴ(なんだよな?聴衆のノイズが聞こえてこない。生き物相手の演奏会だったのか?)とは思えない、オケの巧さよ!
相変わらず私の携帯電話には、そしてパソコンには、変なメールが届き続けている。
最近はさらに相手のヴァリエーションも広がっているようで、
清水 巌さんからメールが届きました。
件名:一生のお願いです。私の貯金3000万、何も言わずに貰って下さい。私は原因不明の病に侵されてます。どうあがいても助からない…
というように、男性からも援助の申し出が来る始末だ。
それにしても「どうあがいても」という言い回しがすごく下品である。
そして、このメールの末尾に書かれている管理・発信しているのが
<<18禁>>
出張☆メンズデリバリー
という名のところ。
なんでアタシがメンズをデリバリーしてもらわんきゃならないの?
そういう趣味、170%ありませんから……
変なメール。
メールが変。
メールへん……
ツィンマーマン(Bernd Alois Zimmermann 1918-70 ドイツ)の「Marchensuite」(1950)。直訳すれば「おとぎ話(メルヘン)組曲」。
ツィンマーマンの作品で(いろいろな意味で)有名なのは「ある若い詩人のためのレクイエム」や歌劇「兵士」だが、特に「レクイエム」の方は音楽作品というよりは巨大で精巧な音響作品という感じで、私の耳にとってはかなり厄介な代物である。引用されたベートーヴェンやビートルズのメロディーがほんの一瞬ながらも聴こえてくると、すっごくほっとしてしまうほど緊張感あふれる作品である。
ツィンマーマンが謎の自殺をしたということが、この曲の重苦しい雰囲気に重なってなおさら私を困らせる。
そのツィンマーマンが1950年に書いた7つの小品から構成される管弦楽のための作品「Marchensuite」。
各曲は、
1. Prolog
2. Mussette
3. Der ritt durch den Wald
4. Das verwunschene Schloss
5. Die Erscheinung
6. Im Marchengarten
7. Festlicher Epilog
というタイトルがついており、全曲で18分ほど。
第1曲の開始こそ原始海洋のなかで浮き沈みするコアセルベートのうめきのような音楽だが(これがまた、とても良いのだ!)、全体的には明るく、各曲それぞれが個性的。さまざまな性格を持っている。
ツィンマーマンは1950年代から前衛音楽の手法を用いるが、この組曲はおそらくはそれ以前の新古典主義に書かれたのだろう。
紹介するCDは、P.Hirsch指揮ベルリン放送交響楽団の演奏によるもの。
この曲の世界初録音となるCDで、2001年のライヴ録音。WERGO。
おととい。
女満別空港に着いたあと、旧女満別町内にある「かご屋」という食堂に寄り、昼ごはんを食べた。なぜ、この店か?
同行した鉋さんがネットで“女満別 食事”というキーワードで検索したらヒットしたという、ただそれだけ。
「かご屋」というだけに、入口の引き戸を開けるときに緊張が走る。
店内がお猿さんだらけだったら困惑するではないか!
幸い、店内はすいていた。
メニューが多岐にわたっている。
定食系、丼系、そば系、カレー、パスタ……
私は当然のごとく親子丼を頼んだが、今になってミートカツスパゲティにすればよかったと、かなり悔んでいる。
味は327点満点中259点というところか。
そのあと時間があったので、能取岬まで行ってみる。道路標識ではNOTOROと書いてあるが、レンタカーのナビでは“のとりみさき”と入れないと「そんな場所ねーよ」と拒否された。
平日で、しかもけっこうマイナーな場所なので人っ子一人いないかと思ったら、けっこう次から次へと観光客が訪れていた。
私はちーっとも知らなかったけど、看板を見ると中国語での表記もあり、しかも“影”なんて字が認められることから、きっと映画の撮影地に使われたのだろう。
すごいねぇ、観光スポットってこうやって生まれるんだ……
そのあと網走監獄にも行ってみた。
なかなか見応えのある施設だった。
徳島からの修学旅行生が来ていたが、楽しんでいただけたでしょうか?おじさんも初めてだったけど、楽しめたですよ。
さて、夜はアルフレッド氏やムッカマール大佐と合流し食事。
そして仕事本番の昨日。
アルフレッド氏が致命的な手配ミス等をしていなければ、この仕事はうまくいくはずである。で、そのとおり万事がうまくいった。うまくいきすぎて、ちょっと残念なくらいだ。
話は戻るが、天気があまりよくなかったので能取岬からの眺めは全方位的にもやがかっていて、よく見えなかったが海の向こうはショスタコの祖国方面である。
だからショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の、今日は交響曲第8番ハ短調Op.65(1943)。演奏はヤンソンス指揮ピッツバーグ交響楽団。2001録音。EMI。
この演奏、最初からさすがヤンソンスとばかり、バシッっと決めてくる。
……のだが、どこか脇が甘い。言ってることは一瞬良いように思えるけど、目がドヨーンとしてしまっている現在の日本の首相のように、どこかアンバランスなのだ。
が、それが狙いなんだろう。
インバルと同じように、この曲は熱血漢的にやるのではなく(それも1つのアプローチだが)、「真剣こいちゃだめなの。こんなもんなんだもんねぇ~」と、ショスタコの本当の狙い、つまりは戦争への勝利を描いたなんて表向き、みーんなリセットしちゃいたい、みたいな脱力感が見事に表現されている。
第3楽章のおどけた感じなんて最高。でも、第4楽章の美しさに胸を打たれる。ドンッ!……痛ぁっ!
今日も雨。
私の心も雨模様だ。
昨日、飲み過ぎた……
ゆえに、今朝はあまり文が書けない……
消化器科の膵臓の担当医は、昨年と同じように世の中全体に対し不満を持っているに違いないというような顔つきをしていたが、やや痩せたように思えたし、顔色も全体的にレッドの成分が増したように感じた。
もしこの人が白衣を着ておらず、さらにこれまでの人生でおそらくは自然に身についてしまったのであろう偉そうに見える態度がなかったなら、外来を訪れた五臓六腑のいずれかを患っている患者と思われるに違いない。さらに、もしパジャマでも着ていようものなら、外来患者ではなく、外来患者をひやかしにきた入院患者だと思われるだろう。
五臓六腑の五臓というのは、肝臓、心臓、脾臓、肺(臓)、腎臓であり、残念ながら私が現在責められている膵臓は入っていない。
医師に呼ばれて診察室に入る。
「1年経過したわけか……」と、いきなり先制攻撃を仕掛けられた。
焦って、「先日ドックを受けました。昨年同様膵管の拡張が見つかったそうですが、太さは変わっていません。経過観察でよいと言われました」
急いでかばんからドックの結果表を出したが、慌てたせいで間違って最初に“前立腺検査・異常なし”というオプション検査の結果表を出してしまった(これだって、一応は褒められるべき結果なはずだ)。
私はあらためてドック本体の結果表を取り出し、広げ、震える指で“膵管拡張 3mm”という箇所をさしたが、医師はちらっと見ただけで「ドックでは膵臓は検査してないからね。血液検査の項目も膵臓に関係するものはないから」と、日本人間ドック健診協会に恨みでもあるようなことを言った。
“要経過観察”という決定打ではないが、私にとって唯一すがるべきか細いワラは、あっさりと切られてしまったのだ。
「じゃあ、CTの検査をしたらいいですね。いつなら来れます?」
もう有無を言わせない。
私はこの医師の忠実なしもべのように、瞬時に手帳を取り出し、「〇日なら大丈夫です」と答えてしまった有様だ。やれやれ……。
医師は院内用の携帯電話で検査室に電話をかける。すぐに予約を確定させ、「もう逃がさないわよ」という感じだ。
電話を終え(電話で話してるときの態度も感じが良くない。でも、私に対してだけではないとわかり、ちょっと安心した)、「〇日は朝一番しか空いてないけど、8:30に来れますかねぇ?」
「はい、喜んでっ!」
「じゃあ、あとは採血してって」
ということで、膵臓の診察の第1回目は終わった。
私の完敗だ……
次回の出頭日は7月の第1週。そこで私はCT検査を受け、さらに翌日に審判を言い渡される。
そんな私はこの日の朝、ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番、ではなく2番を聴いた。
ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)のピアノ協奏曲第2番ヘ長調Op.102(1957)については、作品そのものとバーンスタイン盤を前に紹介しているが、作曲当時モスクワ音楽院に在学していた息子のマキシム・ショスタコーヴィチのために書かれ、初演の独奏もマキシムが行なった。
息子が小さいときのピアノ・レッスンの思い出を盛り込んだのか、第3楽章ではハノンの練習曲が引用されている。
今日はオルティスのピアノ、ベルグランド指揮ボーンマス交響楽団による演奏を。
第1協奏曲と同様、トヨタの車のような奇をてらうような演奏ではないが、安心して聴いていられる。また、第2楽章のしっとり感は心にしみてくる。
1975録音。ブリリアント・クラシックス(原盤EMI)。
11時半前に血液検査の採血も終わり、すでに報告したように私は病院の地下のレストランに行き親子丼を食べた。
そのあと1階ロビーの待合室でウォークマンを聴きながら1時間以上を費やした。
途中何度か深い眠りに落ちそうになり、そのたびに今自分がどこにいるのか思い出すのに時間がかかった。
午後になって今度は胃腸科の診察である。
このあいだのドックでは胃内視鏡検査を受けることを前提にバリウム検査をパスさせてもらった。
担当医師にその旨を伝えると、「そうですね。そのほうがいいです」と、とっても友好的に接してくれた。午前の医師とはえらい違う接客態度である。
内視鏡検査を6月末に受けるよう予約し、さらにその結果の診察は膵臓の審判が下る日と同じにした。
こうして私の消化器科ダブルヘッダーは終わった。
2時過ぎに会社に戻ると、なぜかひどくおなかがすいた。
それにしても、腑に落ちないのは膵臓のCT検査を行なうと、きっぱりと言われたことである。
昨年、ドックの結果をもって新患として受診したとき、そのときの医師はCTに否定的で「確実なのは超音波内視鏡。CTではだいたいわかるだけ」と言った。
CTを受け、そのあと現在の無愛想な医師にかかったのだが、そのとき「CTなんてあまり意味がない。内視鏡検査をしなくてはだめだ」と、超音波内視鏡検査を受けることになった。
その彼が、今回CTを命じたというのはどうも矛盾している。
それに、造影剤の副作用とは言い切れないものの、去年私はCT検査後にひどく体調がおかしくなったのだ。
私は思わず「内視鏡検査じゃなくていいのでしょうか?」と言ってしまったほどだ。
彼は「内視鏡じゃなくて、CT!」と、ちょっぴり怒ったように言った。
CT検査をやったあと、「やっぱり正確を期すために超音波内視鏡検査をする」と言われたなら、私はきっとひざまずいて泣くだろう。
昨日からオホーツク方面に来ている。
昨日はどしゃ降りの歓迎を受けた。
そのあたりの話は明日にでも……
楽聖・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)が書いた交響曲は9曲である。このくらいの数がふつうだと我々は自然と思っている。
というのも、ベートーヴェン以後の作曲家で交響曲を書いた人たちのその数も、だいたいこのくらいだからだ。
でも、ベートーヴェン以前の作曲家、交響曲の父・ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809 オーストリア)の場合は番号付きの交響曲だけで第104番まである。
また、神童・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の場合は、第41番まである。
交響曲の父と呼ばれるだけあって、そんなに書けたハイドンは精力旺盛な父さんだったのか?
ハイドンの数には及ばないが、41番まで書けたモーツァルトはやっぱりお盛んなどーしよーもない女好きだったのか?
ベートーヴェンは女好きらしかったが、9番までしか書かなかったから独身のまま終わったのか?
当たり前のことながら違います。
それにしても、この数の急激な減少は、私のブログに関してのGoogleのウェブマスターツール問題を思い起こさせる(極めて個人的な問題であるが)。
私のブログの記事数は1300異常、いや以上になる。半年ほど前まではウェブマスターツールでの「送信されたURL」「ウェブインデックス内のURL」の数はほぼ記事数と一致していた。
ところが何が起こったかわからないが、ある日突然、その数がどちらも130に減少し、以後そのままである。
ヘルプを参照しても、別なヘルプを参照しなきゃならないくらいわかりにくい。
私が使っているこのOCNの“ブログ人”、もしくはグーグルの改変か何かがあったときからおかしなことになっているような気がするが、考えれば考えるほど自分がおかしくなってきそうである。
それはいいとして、交響曲の話に戻る。
ベートーヴェンが女好きというか、女性に惚れやすいタイプだったのは事実のようだ。
弟子のフェルディナント・リース(Ferdinand Ries 1784-1838 ドイツ)は、「ベートーヴェンは婦人を見るのが大好きであった。とりわけ若い美人の顔には目がなかった。……彼はじつによく女に惚れたが、たいていは長続きしなかった」と書いている(ヒュルリマン編、酒田健一訳「ベートーヴェン訪問」:白水社)。
あっ、ごめん。交響曲の話に戻らなかった。
今度こそ本気で戻す。
まず、ベートーヴェンは第9番までしか作曲しなかったが、その交響曲のどれもがかなり個性的である。そのあたりはハイドンやモーツァルトとは異なる。
しかし最も重要なのは、ベートーヴェンの意識である。彼は自らの交響曲(に限らないが)を芸術的な個性ある作品として作曲したのだった。
ハイドンやモーツァルトのころは、雇用主である貴族や作品を注文してくる人たちの需要を満たすことが最大の務めであり、作品は個性的でなければならないという概念は弱かった。つまり、作曲された作品は大量消費財であり、ほぼ使い捨てにされた。
ということは、この時代は作曲されてもまったく演奏される機会がないまま忘れ去られた、いまでは名前をも忘れられた作曲家の作品も大量にあったはずである。
ベートーヴェンはその風潮を断ち切った。
使い捨てはエコじゃない、というふうに地球のことを心配したのではなく、おいらが書く交響曲は芸術作品なのだ、という信念から。
ベートーヴェンには注文されたり、義務づけられて書いた交響曲が1曲もない。すべて、あの怖い容姿の内側から湧き上がってきた創作意欲に基づいて作曲されたのである。
この考え方はすごい。
いままでの音楽家(作曲家)の在り方を根底からひっくり返すものだからだ。そして、このあとの作曲家の立場は、ベートーヴェンと同じように“自由な職業音楽家”と位置づけられるようになったわけだ。
ただし、ベートーヴェンはすごいことをやってのけたものの、時代背景が変化したということもあった。
つまりこのような生意気なことを言っても許されるような環境に世の中も変化していった。
ハイドンは生涯雇われの音楽家でいなければならなかった。モーツァルトはそういう束縛がいやで逃げ出したが経済的困難に直面してしまった。
ベートーヴェンは自分らしさを最後まで貫くべく、自由な立場で創作した。けっこう金遣いはあらかったらしいが……
とにかくこういう生き方ができたのは、彼の強い性格ゆえに成し得たとも言える。
なにせ怖い性格というか、ある種変わり者であった。
たとえば、弟子のカール・フリードリヒ・ヒルシュ(Karl Friedrich Hirsch 1801-? )のこんな言葉が前掲書のなかにある。
ベートーヴェンは彼の弟子にたいしておそろしく厳格で、まちがいをおかしたりすると猛烈に腹を立てた。すると彼の顔はまっかになり、こめかみや額の静脈がみるみる怒張した。また機嫌が悪かったり、いらいらしているときには、この芸術の徒弟をしたたかにつねりあげた。それどころか肩にかみつくことさえあった。とにかくレッスン中の彼は非常にきびしかったのである。こうした怒りの発作はとくに《あやまてる五度や八度》にぶつかると激発した。そしてたけり狂ったベートーヴェンはもつれる舌をふるわせて同じ言葉をなんども繰り返す――「いったいなにをやってるんだ!?」 しかしレッスンのあとの彼はいつものたいへん《やさしい》人に戻った。
静脈が怒張?
つねりあげる?
肩にかみつく?
たけり狂う?
もつれる舌?
やはりフツーじゃない。
いくらやさしい人に戻ったからって、やっぱり近づきたくはない。
そんなベートーヴェンが書いた最初の交響曲と2番目の交響曲、つまり交響曲第1番ハ長調Op.21(1799-1800)と交響曲第2番ニ長調Op.30(1801-02)。
この2曲はセットで語られることが多く(実際、私もすでにセットで取り上げている)、それはベートーヴェンの交響曲ではこのあとの第3番になってその形が大発展したためであるが、第1番からしてやはり個性的であることは間違いない。
第1番は古典派の影響が強く、「おや?なんだか甘っちょろい、素人っぽい開始だなぁ」なんて、よく知らないくせに思ってしまいがちだが、心を無垢にして耳を傾けると、やっぱりハイドンでもモーツァルトでもない、つまりはベートーヴェン臭さが漂ってくる。なお早くも、この曲の第3楽章はメヌエットながらスケルツォ的性格を持っている。
交響曲第2番は第1番に比べずっと風格が増している。この曲も古典派の様式は残っているが、第3楽章ではスケルツォを用いている。
このころベートーヴェンは耳の疾患に悩まされ、人生に絶望して「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いているが、そんな時期に書いた作品にもかかわらず明るく甘い曲だ。
これは彼お得意の、悩みを克服した歓喜?
ベートーヴェンのところにはこのころから貴族の若い令嬢たちが弟子入りしたようで、その影響があるのかもしれない。
先日購入したショルティ/シカゴ響の演奏はとにかく私の好みに合っている。
第1番の若々しくも堂々とした演奏。第2番のスケール感。どちらもすばらしい。
録音は第1番、第2番とも1974。DECCA。
ということで、病院に行ったときの話については再び記述順延。
だって、今日はオホーツクの海が見える街に出張なんだもん。関係ないけど……
膵管拡張。
なんて一般的ではない言葉であろう。
昨日病院に行って来たことはご存知のとおりだ(ろう)が、今回の診察を受けるに当たって、私はある情報を得ていた。
それは、「そこのドックでは、けっこうな高率で“膵管拡張”という所見がなされる」というものだ。
だとしたら、私の所見もたいして珍しいものではないことになる。むしろ一人前として認められたことになるかもしれない。
そんなことを考えながら、せめて気持ちの面だけでも明るく行こうじゃないかと、朝に聴いたのはハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809 オーストリア)のチェンバロ協奏曲ニ長調(Concerto(concertino) per il clavicembalo)Op.21,Hob.ⅩⅧ-11(1782以前,1784刊)。
3つの楽章から成り、第3楽章は「ハンガリー風ロンド」として有名だそうだ。というよりも、この曲は10曲ほどあるハイドンのチェンバロ協奏曲の中で、最も有名な作品である。
演奏はアルゲリッチのピアノ、フェルバー指揮ハイルブロン・ヴュルテンベルク室内管弦楽団。
1993録音。グラモフォン。
先日紹介したショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番のCDにカップリング収録されているものである。
この曲、私は初めて聴いたが、冒頭からすっかり引き込まれてしまった。
それにしても、アルゲリッチが弾くピアノの音ってなんでこんなに粒だっているのだろう?
ハイドンなのにハイドンじゃないみたい。
明るい表情はさらに輝き、健康的な面はボディービルダーのようになり、しっとりした箇所は通販でお試しセットを取り寄せた化粧水の効果が出て来た肌のようであり、快活なところは若き日のモーツァルトのいくつかのピアノ曲のように「行け行けGo!Go!」だ。
かといって、押しつけがましいというわけではない(淡白ではまったくないけど……)。
ハイドンの曲は聴く者にとってはなかなか厄介だ。
一歩間違えれば退屈の極みに陥ってしまうから。そして少なからずの場合、一歩間違えてしまう。それは、聴き手の心の問題と演奏家次第ってことになっちゃんだけど……
この協奏曲は、作曲された時代的に独奏楽器はピアノではなくチェンバロ、もしくはフォルテピアノを用いるのが本来だが、アルゲリッチのこの多彩なピアノの音を聴くと、ピアノで弾くと面白いなぁと思ってしまった。
すごいよ、これ。
エビ天が3本入ってる天ぷらそばぐらい感動ものだよ。
私はこれまで聴いてきたクラシック音楽作品について、初めて聴いたのは何年何月何日かの記録をつけている。
ハイドンのこのコンチェルトは2011年6月4日と記録しなければならない。
んっ?
この曲、すでに聴いたことがあると記録されている。
それは「1982年6月17日、コンサートにて」ってことになっている。
あっ?
そっか……
札響の定期で聴いたことあったんだ。
でも、その演奏会のぼんやりと記憶はあるが、ハイドンの曲についての印象はまったく残っていない。
その後も私はこの曲を再び聴くこともなく、20世紀は終わり、岩城宏之は亡くなり、今回あたかも初めて出会うかのようにこの曲に接したのであった。
あのころは私も若かったから、ハイドンには全然感心がわかなかったのだろう。
逆に言えば、今は歳をとってハイドンも良いように感じるようになり、過去に聴いたことがあることを忘れるようになり、膵臓の管もだらしなく膨らんでしまっているのだ。
で、病院に行った結果だが、11:30に地下の自称レストランの食堂で親子丼を食べた。
それ以外の付随項目については、明日以降に触れていくこととする。
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