お盆前の話だから、すっかり過去の話になる。
あのころ「さて、出陣!」と張り切っていたお化けさんたちもシーズン・オフを迎え、いまやどこかで暇を持て余していることだろう。
そう、フォンテックから発売された「伊福部昭作品集」を購入したのがお盆前。
買ってすぐにその印刷物に誤記があることがわかり、おやおや交換しなければということになったのも、やはりお盆前。
でも、交換のためにフォンテックに送付したのはお盆明けのことだった。
フォンテックの対応は速かった。
数日後には正しいものが送られてきた。ものすごく誠意が感じられた。
前に書いたように、この伊福部昭(Ifukube Akira 1914-2006)のCDに収められている演奏で、すでに私がCDで持っていなかったのは結果的に1つだけ。1980年のライヴで芥川也寸 志指揮の新交響楽団による「タプカーラ交響曲(Sinfonia Tapkaara)」(1954/79改訂)」である。
これまでCD化されていた芥川/新響のCDは1987年のライヴ。
そのCDは私もずいぶんと聴いてきたが、どこか線が細いというか、洗練され過ぎちゃっている感じがした。
一方で、骨太大狂乱のすさまじい迫力の演奏としては、前に取り上げた井上道義/新日本フィル(1991ライヴ)の演奏があり、伊福部の作品が持つ野蛮ともいえるパワーががいかんなく爆発させられている。
これはこれで名演なのだが、繊細な部分への配慮が乏しい恨みが無きにしも非ず。
その点、芥川の1980年ライヴは-これは「タプカーラ交響曲」の改訂版の初演となるもの -、土俗的な迫力がある一方で、全曲を通じて根底に横たわっている“悲哀さ”が見事なバランスで表現されている。
私にとって「タプカーラ交響曲」のベストCDである。
ところで、最近送られてきたこういうメールにも、すごい野蛮さ(そしていやらしさ)を感じずにはいられないっす、私。
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なんだかすごい正式名称の法律ができたんですね。
みなさん知ってました?
私はちっとも知らなかったです。
でも、失礼ながらいちばん悪徳なのは……って感じてしまうのは、私が素直じゃないせいでしょうか?
途中で文字化けしているところがありますが、なんて書いてあったのか気にならないでもない?=E 0ね。
あっ、そうそう誤表記が正しく直された「伊福部昭作品集」の新しい印刷物。
でも、「タプカーラ交響曲」の欧文名が「SINFONIA TAPKARA」になっていて、どうもAが1つ足りないと感じられる昨今です。
October 2011
村上春樹の「村上朝日堂の逆襲」(新潮文庫)。
そのなかの「酒について」という文章。
こんなことが書かれている。
昔、僕が小説を書き始めてまだ間がない頃、当時『太陽』の編集長だった嵐山光三郎氏に「あー、村上くんね、君はずっとビールばっかり飲んでいるようだが、それはまだ若いからだよ。ある程度トシを取ると、ビールから他の酒へシコーがうつるようになる、うん」と言われたことがある。
「へー、そんなもんですか」とそのときは半信半疑で答えたのだが、たしかにそれから六年あまりたった今、つらつら考えてみると全体の酒量の中でビールが占める割合は少しずつ減少している。
もっと正確に言うと飲むビールの量そのものはあまり変わらないのだけれど、それにプラスしてウイスキーやワインを飲む量が増えてきたのである。
ご存知か、あるいは興味がないから知らないかもしれないが、私もけっこうなビール党である。
このことについて、歴史的経過を述べておく必要は特段ないだろうけど、一応は書いておく。いや、書かせてほしい。
私がいい加減な人間だと思い込んでいる世間知らずの人が、皆さんの中にはいるかもしれないが(何となくそんな気がしてならない)、私がアルコールを初めて口にしたのは20歳を過ぎてからであった。つまり、法に触れることは一切していない。
その代わりと言ってはなんだが、タバコは10代から吸ってしまっていた。法に触れることをしてしまった……
家の自分の部屋でタバコを吸うのはいいが、問題は吸殻を公に捨てられないことだった。
そこで、紙袋にためて2階の自室の窓からせり出していたベランダに隠し置いていたのだが、その紙袋がある日、折からの強風で庭に落下。庭でシャクナゲの枝の剪定をしていた父の頭に計算されたかのようにポーンと当たり、私が肺に負荷をかける人体実験をしていることがばれてしまった。
父は私を叱ろうとした。
しかし、そのころまだご存命で同居していた祖母が、父に向かって「おまえだって高校生のころから吸っていたではないか!」と発した一言で、私は解放された。
祖母に対して私が持っている最高の思い出である。
そのような私も、酒は20歳を過ぎるまでは口にしなかった。
なぜなら、当時はコーラが大好きだったからだ。
二浪して大学に入ったのが20歳のとき。
そこでのコンパで初めてビールを飲んだ。でも、別に美味いとは思わなかった。
1年生の夏休みに札幌駅の手荷物預かり所でバイトしたが、それには泊まり勤務もあった。国鉄OBのおじさんと夜を供にするのである。
23時に店を閉め、寝る前にワンカップを飲むというのがおじさんたちの習慣。
そこで飲んだ日本酒はなぜかとても美味しく感じられ、「うーむ、やっぱり労働の後の酒は美味い」ということを知った。
しかし、そのうちに美味しく感じる条件を忘れ、労働しなくても酒が美味く感じるようになってしまった。
こんなことで、学生時代はとにかく日本酒を飲んだ。
日本酒だと安いものはとにかく安くて、焼酎は別として、学生が飲むのに適したアルコール飲料だったのだ(焼酎を飲む風潮は当時まだなかった。卒業するころに後輩が焼酎の番茶割りを頼んだのを見て、「こんなものを?」と私はひどく驚いたものだった)。
学生時代にも日本酒では相当いやな思いをした。
つまり飲み過ぎてである。その象徴ともいえる事件が“太田胃酸事件”だったわけだ。
社会人になってからは、少しはまともな日本酒を飲めるようになったが、質の悪い酒の飲み過ぎによる具合の悪さが、質の良い酒の飲み過ぎの具合の悪さに変わっただけで、酒が良かろうが悪かろうがオェッと来るときの辛さは一緒だということを知った。
村上春樹も書いている。
僕は今では日本酒というものをほとんど飲まないが、これは学生時代に日本酒で悪酔いをつづけていた後遺症である。
私も彼も似た境遇……
勤めて5年ほどしたころから私はビールをチョイスする頻度が高まり、ついには最初から最後までビールを飲み通すようになってしまった。
日本酒と違って喉が妙な枯渇感に襲われないし、アルコール度数が低いから安全。
こうして、ピーク時には家でも2000~2500mlを飲むという、実に経済的でないことをしてきた。
それがここ最近は、私も上に載せたエッセーのように、村上春樹と同じになってきた。
ちょっと違うのは、ある程度トシを取るとじゃなく、私はもう十分トシを取った点である。
私はなぜそうなったのか?
理由として考えられるのは、
① 遅ればせながら、やっと飽きが来て、ビールが前ほど美味しく感じられなくなったのかもしれない。
② いくらビールでも量を飲めば結構なアルコール摂取量になるという節制根性が生まれた。
③ ビールは私の健康を脅かしている高尿酸血症と高中性脂肪に多大なる影響を及ぼしているのは間違いないと真実に向き合った。
④ 膵臓の医者が、2年後が楽しみだと脅したことに腹を立てたが、内心おびえている。
⑤ たまたま飲んだハイボールが実に口触りよく、美味しかった。
⑥ ハイボールの方が、ビールをたらふく飲むよりもアルコール摂取量を抑えられるはずだという計算結果が導き出された。
という6項目である。 ついつい興奮して文が長くなった。
この続きはまたにするとして、古今のクラシック音楽の作曲家の中でもっともビールを飲んだのは、おそらくブルックナーである。
いや、確証はない。もっとビール好きの作曲家がいた(いる)のかもしれない。
が、昔読んだ武川寛海著の本に、とにかくブルックナーはビールを何杯も飲み、医者から量を減らすように言われたというようなことが書いてあったからそう思ってるのだ。
ただ、医者が言ったという「せめて〇杯にしておきなさい」というその〇杯ですら尋常でない数だった。数字は覚えてないけど。
ブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲第3番ニ短調WAB.103。
この交響曲の作曲年は1872~73年だが、初演を準備していた際に演奏不可能とされ、初稿の初演は見送られた。
1876~77年に指揮者のシャルクの協力によって書き直した第2稿は、'77年に作曲者自身の指揮によるウィーン・フィルによって初演されたが、曲が理解されなかったこととブルックナーの指揮がまずかったせいで、演奏終了時にはほとんど客が残っていなかった。ただ、その残っていた数少ない聴衆のなかに、若きマーラーがいた。
この初演の失敗でブルックナーは1年ほど作曲をしなかったが、1888~89年に大幅な改定を行なって第3稿を完成、この初演は成功を収めた。
今日はヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団による1992年のライヴを(RCA。版は第3稿)。
ヴァントといえばブルックナー指揮者としての名声が高いが、彼がこれほどまでに評価されるようになったのは1990年ころからである。
私もヴァントのブルックナーは良いと思うが、正直なところこれほど多くの人がそろって彼を賞賛するのはちょっと不思議でに思う。
この第3番の演奏もすばらしい。
ただ、ライムンドさんがブログに書いている感想と同じで、私もこの演奏に圧倒されることはない。物足りないってほどじゃないんだけど……
つまりは、「やっぱヴァントに限る!」って気持ちにはならない。
誰の演奏がいいんだろうな……
にしても、第3番の第1楽章や第4楽章の冒頭って、私は決まって膨張し続ける宇宙をイメージしてしまう。
ビールをたらふく飲み続けたブルックナーだが、その死因はアルコールとは関係なかったらしいところが立派!
先日ボッケリーニのフルート五重奏曲を取り上げたが、今日は彼のギター五重奏曲を。
ボッケリーニ(Luigi Boccherini 1743-1805 イタリア)は古典派時代のイタリアを代表する作曲家だが、初めはチェリストとしてパリで活躍した。その後室内楽作品で認められ、1769年にマドリードに移ってスペイン宮廷の音楽家となった。
ボッケリーニには“ギター五重奏曲(Quintetto per chitarra e archi)”が第1番から第12番まである(ボッケリーニの作品目録を作りG.番号で整理したジェラールが、ギター五重奏曲に通し番号をつけた)。
第1番ニ短調G.445(1798)は「協奏的ピアノ五重奏曲ニ短調」Op.57-4,G.416にメヌエットを加えた別稿。
第2番ホ長調G.446(1798)は同じOp.57-4にアレグレットを加えた別稿である。
第3番変ロ長調G.447(1798)は「協奏的ピアノ五重奏曲Op.57-5,G.417の別稿。
第4番ニ長調G.448(1798)は「弦楽五重奏曲ニ長調」Op.10-6,G.270(1771)の第1~2楽章と、「小弦楽五重奏曲ニ長調」Op.40-2,G.341(1788)の第1~2楽章を編曲したものである。
第5番ニ長調G.449(1798)は「弦楽四重奏曲ニ長調」Op.53-2,G.237(1796)の第1~2楽章と、同ハ長調Op.52-1,G.232(1795)の第4楽章、「ピアノ五重奏曲ニ長調」Op.56-5,G.411(1797)の第4楽章から編曲。
第6番ト長調G.450(1798)は「小フルート五重奏曲ト長調」Op.55-1,G.431(1797)の第1楽章、「小弦楽四重奏曲ハ長調」Op.53-5,G.240(1796)の第1~2楽章、「小フルート五重奏曲ト長調」Op.55-1の第2楽章からの編曲。
第7番から第12番はボッケリーニのパトロンだったマドリードのベナベンテ侯爵の依頼で、これまたやはり旧作から編曲した。
第7番ホ短調G.451(1799)は「ピアノ五重奏曲ホ短調」Op.56-1,G.407(1797)の編曲。
そして今日取り上げる第9番ハ長調「マドリードの帰営ラッパ(La ritirata di Madrid)」G.453(1799)は、「ピアノ五重奏曲ハ長調」Op.56-3,G.409の編曲に「小弦楽五重奏曲ハ長調」Op.30-6,G.324(1780)の第5楽章の編曲を加えたものである。
なお、第8番と第10~12番は現存していない。
ギター五重奏曲第9番「マドリードの帰営ラッパ」の第4楽章こそが、私がとても好きなベリオの「ボッケリーニの『マドリードの帰営ラッパ』のオーケストラ編曲」の素材となっている曲なのである。
ベリオによるオーケストラ編曲作品から私は原曲であるボッケリーニのギター五重奏曲を知ったわけだが、五重奏曲の方はしっとりとした味わいの作品で、第4楽章もやさしく語りかけてくるよう。さぁ、営舎に帰る時間だよ……
そして何より、ベリオの匠のワザにあらためて感心してしまうのである。
ここではトコシュのギター、ダニュビウス・カルテットの演奏を。
1992録音。ナクソス。
にしても、CDジャケットの絵のおじさん、頭でかくね?
それと、小学生の時に使っていた絵の具、考えてみればギター・ペイントっていう名前だったな。
北野さんへ
こないだは本当に興奮しっぱなしの1日でした♪
日曜日の昼にテレビにかじりつきだったのなんて
何年ぶりだろ(笑)
教えてもらったココの情報通り
http://recruit-operate.info/m/recive.php?dis=6***&meno=****9&adid=1
10-3-14を買ったら結果本当に来ちゃって212,610円になっちゃって
1万円かけてたらマンションとか買えちゃってたかも(笑)
今って携帯から予想して買えるんですね
教えてもらった通りにしたらすぐ買えました。
今度も京都大賞?ってG2っていう大きなレースなんですよね?
よかったらまた次も教えてください♪
でもこんなに簡単で興奮する遊び覚えちゃったら働かなくなっちゃうかも(笑)
なぁ~んてまたお店にも顔出してくださいね
今回のお礼もしたいし
待ってま~す♪
by ヒカリ
どの店のヒカリだろう?
でも、私の知っている飲食店従業員にヒカリという人物はいない。
それ以前に、そもそも私は北野さんではない。
宛先を誤って送信してしまったと見せかけて、ちゃっかりと競馬サイトへの誘導を図っているこずるさ。でも、ある意味感心してしまう。
送りつけられた人の中には「おっ、なんか儲け話を偶然にも知ってしまったぞ。しめしめ」とニヤニヤした者もいるのではないか?
でも、きちんと買い方説明まで網羅されているところが(携帯から予想して買える、大きなレースだ……)冷静に読むとおかしいではないか。
ヒカリといえば、ノーベル賞作家大江健三郎の子どもは作曲家(というのが適切かどうかはわからないが)の大江光(Oe Hikari 1963- 東京)である。
大江光は生まれたときに後頭部にこぶがあり、すぐに切除手術を受けている。一命はとりとめたものの、知的発達の遅れが見られた。
音と音楽に鋭い感性を示し、13歳から小曲の作曲を始め、1992年にはCD「大江光の音楽」が発売され話題となった。
また、'94年には「大江光ふたたび」もリリースされた。
私は“大江光ふたたび”しか聴いたことがない。
しかし、その後も続けてCDが出ていた。
「大江光ふたたび」に収められてるのは、
雪/悲しみ第3番/夢/6月の子守歌/子供のメヌエット/バロックワルツ/夏休み/楽しいワルツ/シチリアーノ ホ短調/アダージョ ニ短調/ザルツブルグ/悲しみ第2番/なつかしのアダージョ/夜のカプリース/アンダンテ・カンタービレ/ソナチネ ハ長調/ヒコーキがおちないように/ノクターン第2番/Mrs.Iのレクイエム/8月のカプリース
である。
曲はとても清らかなものであったり、あるいは、くったくのない笑顔のようなものであったり……。しかしどの曲からも伝わってくるのは、やはりこれは独特の感性から生まれてきたものだな、ということ。
不思議な、しかしほっとするような音楽だ。
演奏は海老彰子(p)、小泉浩(fl)、加藤知子(vn)である。
1994録音。DENON。
土曜日。
比較的暖かく、まあまあ良い天気。
でも前回の庭の作業の続きをする気力はなく、ただ偉そうに庭を巡回しただけ(巡回といっても1分もかからない)。
この時期になってもまだバラのいくつかは花をつけ続けている。特にボッサノヴァ(ボサノヴァ)は、今季これまででいちばん形も色も良い花を咲かせている。
うまく褒めてあげられないが、たいしたもんだ。
うれしいから3枚も写真を載っけちゃうことにしよう。
ボッサノヴァは私がバラを育て始めて最初のころに買ったバラの1つだが、数年で根頭がん腫病で枯れてしまった。
この病気については予防法がなく、発症した場合も「患部を切除する。この病気で枯れることは少ない」と書いてある本もあれば、「患部を切除するが、衰弱していってその株はほぼ枯れる」と宣言している本もある。 私の経験からすると、かなりの確率でその株はだめになる。元気に再生したということは、これまでない。
まだブログを始める前、今とは別な名でmixiへの書き込みを頻繁にやっていたとき(といっても、今の名前も知らんだろうが。ナイショだもん)、バラのコミュニティでこの病気のことを書いたら、1人のオバサンの愛好家が「根頭がん腫病で枯れるなんてありえない」ということをしつこくアドバイスして来て閉口したことがある。
そのボッサノヴァが枯死したあと、別な株を探していたのだが、ボッサノヴァを店はもちろん、カタログでも発見することなくあきらめていた。と同時に、私の好みはイングリッシュ・ローズに移っていったが、ボッサノヴァの花が好きなら、当然のようにイングリッシュ・ローズの花も好きになる。花の造りが似ているから。今になって気づいたけど……
ボッサノヴァという品種については、このブログのフォト・アルバムをご覧いただければ、ち ょっとだけ詳しく書いている。
そのあきらめていたボッサノヴァの株を偶然にも見つけたのは今から2年前のことである。
その劇的な再開、発見の喜びを綴った、それなのに明らかに手抜きして書いている記事はこちらである。
そんなボッサノヴァな土曜日に、楽天に注文していた文庫用のスライド書棚が届いた。
もういい加減、昔買った新書やら文庫を整理しないと、私の部屋(家の見取り図上は納戸と表記されている)の中はトムとジェリーが戦争ごっこをしたあとのように、整然という言葉とは無縁の状況が続くことになる。
スライド書棚でここは解決! そこで私は、土曜日の昼下がりにこれを組みたてた。
自分でも今回はスムーズに作業できたと思うが、組み立てたあと2階へ移動させるときに傾いたせいでスライドしてきた棚に手をはさんだ。それぐらい性能がいいのだ、スライドの。
新しい棚に本を収めたが、重要なことを見落としていた。
棚を置く場所がない……
しょうがない。すでに棚板が崩壊しかけている古い文庫本用の棚を処分することにした。
完璧だ!
新たな問題が湧き起った。
「マーフィーの法則―現代アメリカの知性」に書かれている“チザムの第1法則”のとおりだ。「何かが順調なときは、何かがおかしくなる」……
つまり、1つ書棚を処分するということは、そこに収められていた本の行き場がなくなるわけ で、新しくスライド書棚を買ったからといって、その分が純粋に収容量増にはならないということが判明したのだ。
やれやれ……
私は決断した。
もう捨てよう。
1日明けた日曜日。
ブルーバックスや文庫本で、もう役に立たないと思われる本を処分する後ろ向きな作業に取り組んだ(10数年前に出版された「薬の新常識」なんて本が今や役立つと言えようか?)。前日に、前途洋々とばかりに棚を組み立てていた自分とは別人のように自分を感じた自分である。
ネット・オークションに出品することも考えたが、いくつもの同じ本が救いようのない価格で出品され、かつ、入札されていない現実を知り、「めんどうだわい。明日は町内会の資源回収の日だし」と、片付け作業に入った。
片付け作業のときは、片付けに集中できるような自己主張の強くない音楽をかけるのがよいと思い、私は珍しくもクレメンティのCDを選んだ。 クレメンティ(Muzio Clementi 1752-1832 イタリア)は、当時W.A.モーツァルトのライバルだったピアニスト兼作曲家。ピアノという新たな楽器の改造の仕事にも携わり、ピアノ奏法やピアノ音楽の様式の開拓者として足跡(そくせき)を残した。
捨てる本の選別、そして紐かけ作業のときに聴いたのは、P.SpadaとG.Cozzolinoのピアノによるソナタと連弾ソナタ集。
収録曲は、
ソナタ イ長調Op.2-4(1779刊)
ソナタ 変ロ長調Op.2-6(同)
3つの連弾ソナタOp.3(同)
連弾ソナタハ長調Op.6-1(1780頃-81刊)
1981年から83年にかけての録音。ARTS。
クレメンティのピアノ音楽は、心を震わすものに欠けるところがあるが(それゆえに、現在はモーツァルトに比べると圧倒的に耳にされる機会が少ない)、しばしばはっとするような美しいメロディーが現われる。
モーツァルトとここまで差が出るとは、本人も考えもしなかったのではないか?
もうちょっと聴いてあげてもいい作曲家のような気はする。
個人的にはクラシック音楽を聴き始めたころ、彼のあるピアノ・ソナタを偶然耳にし、「なんか、イイっ!」と感じた経験がある。そのイイ話はまた今度。
捨てる本を縛りながら、なんでここまで捨てずにおいたんだろうと考えた。
そうだ。
子どもがある程度大きくなったら、興味を示して読むかもしれない。そう思って書棚に並べ続けていたのだ。
しかし2人の息子は私と違って理科というジャンルにまったく興味を示さなかった。だから特にブルーバックスのシリーズなんて読むことはなかった。
ただ、これまた「マーフィーの法則」の中にある“リチャードの所有権の法則”の「1. 何でも長時間持っていると、捨てやすくなる。 2. 捨てるとすぐに必要になる」ってことにならないか、やはり心に引っかかっている。
最近発見したことなのだが、白菜キムチと山海漬を一緒に口に入れると、口では言い表せられないような絶妙な変な味がする。
↑ この項終わり。
こんなちっちゃいことを発見しただけで狂喜乱舞していたバチだろうか?
こんなどでかい内容のメールが来た。
妊娠希望 えりさん[写真付き]からのメッセージ。
*件名*
私を【2億】で妊娠させてくれませんか?跡継ぎが必要なんです…お力を貸してもらえませんか?
*本文*
はじめまして、高岡えりです。私を妊娠させて欲しいんです。
まずお礼は【2億】差し上げます。そして、無事に元気な子を出産することができたら、成功報酬としてさらに【2億】という条件で親権などの面をクリアした上で、お願いできませんか?
夫は、47歳年上の70歳で、某企業の会長なんですけど、もう男性としての生殖能力がありません。そして跡継ぎもいないので今回このように名無しさんにお願いしています。
夫の親族からは、事情も知らず私が妊娠できない体質なのではないかとまで疑われてしまう始末です。
名無しさんへのお願いに関しては夫も了承済みですが、極秘にお願いしたいです。
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しっかし、書いてあることが矛盾だらけ。いつものことだけど……
「する」だけで2億、受精が成功し出産したらさらに2億(ただし、2億を貰えるとわかっていても、どうにも奮い立たない相手ということも十分に考えられる)。
親権の面のクリア?
それに血液型はAでもBでもCでもいいらしい。
でも、何も気にしないわけにはいかんでしょうが……
勝手に妊娠しなさい!
どーでもいいわい、私には。
にしても、2億のあとに続く単位はなんなんだろう?ナノ円?ナノポイント?……んっ?、匹か?精子2億匹で私を妊娠させてもらえませんかって……
ビゼー(Georges Bizet 1838-75 フランス)の「アルルの女(L'Arlesienne)」(1872)。
なんでいきなり?っと思ったあなたは正しい感性の持ち主。
説明しよう。
ビゼーの「アルルの女」はA.ドーデの劇のための音楽。
つまり“どーでもいい女”という、地球と海王星ぐらい遠いものの強引な結びつけでございます。
劇音楽「アルルの女」は27曲から成るが、このなかから作曲者自身が4曲を選び編曲した。それが現在第1組曲と呼ばれるもの。
さらに、ギローが4曲を選び組曲にしたものが、第2組曲である。
各曲は、
第1組曲(Premier suite)
1. 前奏曲 Prelude
2. メヌエット Menuet
3. アダジエット Adagietto
4. カリヨン(鐘) Carillon
第2組曲(Deuxieme suite)
1. パストラール Pastorale
2. 間奏曲 Intermezzo
3. メヌエット Menuet(歌劇「美しきパースの娘」より)
4. ファランドール Farandole
どの曲も非常に有名で、ふだんクラシック音楽を聴くことがない人でもどこかで耳にしたことがあるメロディーばかりである(と思う)。
今日はビシュコフ指揮パリ管弦楽団の演奏によるCDをご紹介。
最近ビシュコフという名はさっぱり目にしないが(少なくとも私は)、この「アルルの女」、そしてカップリング収録されている「カルメン」組曲を聴くと、なかなか色彩豊かで悪くないなと思う。とはいえこの演奏、もう18年も前の録音だけど……
ビシュコフ、いま何してるの?どんな演奏してるの?
1993録音。フィリップス。
わが家のキッチンの水道。
シンクから立ち上がっている水道栓がぐらぐらするので、シンクの下に収納されているもの-ボウルだとかザル、洗剤やポリバッグのストックなど-を全部出して、仰向けになって頭をそこに突っ込み、無理な体勢で固定してあるナットを締め直した。
締めたあと、そのままの体勢で私は妻にぐらつきが治まったかどうか聞いた。
「水は出る」
それが答えだった。
何もわかっちゃいない……
私はしばらくの間、その暗闇に頭を突っ込んだまま気持ちを立て直したのであった。
やれやれ……
高関健が今年度いっぱいで札響の正指揮者を退任するそうだ。
残念だ。
この人の名はまったく知らなかった。 メユール(Etienne-Nicolas Mehul 1763-1817 フランス)。
タワレコのapexレーベルCDの特売コーナー。
その棚の前で目つきの悪い変質者のように(目つきの良い変質者っているのだろうか?)、中腰で(中腰になれるということは、まだ若い証拠だ)獲物を物色していたら、棚にはもうそんなに枚数は残ってなかったけど、1枚の背に見慣れぬ綴りを見かけた。
Mehul。
メフル?メフール?メウウル?
「知らんなぁ。ゲンダイオンガクかな?」と独りごちて裏面を見ると、生没年からして、もろ古典派。
王子様(製紙会社のことではなく、私のこと)は、「なんだ。じゃあワタクシめの好みには合わないだろうな」と、棚に戻しましたとさ。めでたしめでたし。
その後、私は別なCDを数点手にし、レジに向かおうとしたのだが、なーんとなく気になった。仮称・メフルのことが。CDに姿を変えられてしまった王女様かもしれない……
790円だし、「まいったぁ~、まったく奥さんには負けたよ!えぇい、ここは1枚おまけだ!」とばかり、MehulのCDも手にし、いさぎよくレジへ。
要するに、おまけどころか、1枚多く買っちゃっただけという話。
さて、名前すら聞いたことのないこの作曲家について、私は深夜、自宅で調べてみた(家に帰ったのが深夜だったためで、家人に隠れて調べ物をしたわけではない)。
まず、音楽之友社の昔のCD総目録を開く。この目録は作曲家のアルファベット順に配列されているからだ。Mehul……おぉ、あった!
メユールと読むのか……
関係ないが、昔、ATOKのことを「エイトック」ではなく「アトック」ときっぱり言ったPC販売員がいたな……
次に「クラシック音楽作品名辞典」(三省堂)を開く(こちらはカナ読みのアイウエオ順の配列なのだ。読み方がわからないと人物特定作業はけっこうな困難を極める)。
おぉ!あった。
こう書いてある。
パリでグルックの作品を聴いて感銘、グルックに私淑してオペラ・コミック作曲家となる。フランス革命時代には時流にあった題材の歌劇で人気に投じ、多くの革命歌も作曲。1795年創立されたパリ音楽院の5人の監督官の1人となり、ナポレオン時代にかけて活躍。
ふ~ん。
で、私淑ってどんな意味だっけ?
“直接にその人教えを受けるのではなく、ひそかにその人を手本として、わが身を向上させる”とある。
「私は淑子」っていう意味じゃなかった。
相撲好きがポテチを食べながら相撲のTV中継を観て太ることも私淑と言うのだろうか?
このCDには交響曲第1番ト短調(1809刊)と交響曲第2番ニ長調(1809刊)が収められているが、この辞典によると彼は番号付きの交響曲を5曲残しているそうだ(第5番は未完)。
第1番を聴いてみる。
おやっ?
はなから期待していなかった私の期待を裏切り、キビキビとしていて、ちょいと陰があるがすっごく激しい音楽。各楽器(パート)が複雑に絡み合いけっこう刺激的。これでもか、これでもかと攻めてくるところなんか私好みで、Mっ子MUUSANになっちゃいそう。C.P.E.バッハのシンフォニアっぽくもある。
古典派の交響曲の中間楽章はしばしば聴き手を船漕ぎ労働へと誘うが、この交響曲はまったく緩むところがない。2つの楽章とも第1楽章の雰囲気を受け継ぐ躍動的なもの。メロディーがフーガっぽく進んだりして楽しい。
が、私がどってんこいたのは第4楽章。
ベートーヴェンの交響曲第5番、つまり「運命」の第1楽章を思い浮かべないわけにはいかないものだ。
これはおもしろい!
「運命」のパクリか?それとも尊敬の表れか?
そして、実はこの前の楽章でもすでに“運命動機”がちょこちょこっと顔を出しているのだ。
ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)の「運命交響曲」が作曲されたのは1805年から1808年にかけて。初演は1808年だ。
一方、メユールの交響曲第1番の作曲年は1809年以前(出版が1809年なので)。
んー、微妙だ。
にしても、快感を覚えるほど運命エキスが私の全身に浸みわたる。
全曲を通して、とにかく音が細かく動き回る活動的な楽曲。バラの花の中で喜び勇んでいるハチのようだ。
フランスっぽい音楽には感じないように思うのだが、それはドイツの作曲家グルック(Christoph Willibald Gluck 1714-87)に私淑したためか?
って言っても、私はグルックの作品はほとんど聴いたことはないけど……
でも、この交響曲、私は一級品と認定した。
メユールを知らなかったんだから知らんのは当たり前だが、メユールはウェーバーやワーグナーなどにも影響を与えたそうだ。
久々に新たな感動的な出会いを経験した。
クラシック音楽の世界ってほんと、広くて深い。自分の知らないことがまだまだたくさんある。だからCDショップ通いはやめられない←正当化。
このCDの演奏はミンコフスキー指揮 Les Musiciens du Louvre(邦訳は“ルーヴル宮音楽隊”らしい)。
1989録音。apex(原盤エラート)。
同じくこのCDに収められている交響曲第2番については、また日を改めて(書くか書かないか決断する)。
ガーデニング話の追加。
夏の間、外に出していた鉢植えを家に取り込むときには注意が必要である。
いくら表面上がきれいでも、土の中に悪い虫が潜んでいる可能性がある。
特に鉢底の水はけ用の穴のあたりが要注意。
家に取り込んだとたん、このあたりからコバエみたいな虫がヌクヌクと家の中を舞うってことにもなりかねない。
無農薬主義の方にとっては卒倒するような話かもしれないが、これを防ぐには農薬を使うしかない。農薬と言っても、強い薬でなくてよい。
鉢が入るくらいの大きさの発泡スチロールの箱に、マラソン乳剤の溶液を作り、1時間ほどそこに鉢を入れておくのだ。鉢の半分の高さぐらいまで浸かるのが好ましい。マラソン乳剤じゃなくても、スミチオンでもオルトランでもいいだろう。
こうして薬を鉢底から土に吸わせ、土中の虫やすき間に隠れている虫を退治するのである。
日曜日にこの作業をしていたときのこと。
アロエの一種のディコトマという品種の鉢を同じようにしようとしたのだが、この鉢植えは本来植えてある鉢を、カバーのようにさらに一回り大きい素焼きの鉢のなかに入れてある。安定感をもたせるためだ。
で、中の鉢を持ちあげると、なんということでしょう!鉢の下、つまり外側の鉢の底にカエルさんが潜んでいるではありませんか!
当然のごとく、びっくりして跳びはねたね、私が。
まさか彼、ここで冬眠しようとしたわけではあるまいな?
こんなとこにいても凍え死んじゃうよ。めんどくさがらずに、ちゃんと土に穴を掘って、そこで眠りなさい!
私はカエルくんを取り出し(まったく無抵抗だった)、庭の土の上に置いた。
最初はボーとしていたが、やがてノソノソと歩き始め、どこかへ行った。
ちゃんと穴掘っただろうな……
という話はさておき、今日は2→4→3→1という順序の話。
この数字の配列に規則はあるのか?
数学が得意な人はどうぞお考えください。
私は数学、特に数列が苦手なので考えません。
この並びの答えはモーツァルトのホルン協奏曲の作曲順。
なんでカエルの冬眠の話からモーツェルトのホルン協奏曲の話へと飛ぶのかというと、モーツァルトのホルン協奏曲が聴きたくなったから。
たぶん、上に載せたCDのジャケットが晩秋のさびしさのようなものを感じさせるからだわ、きっと。
そんなことはさておき、「えぇっ!なんだって!?1→2→3→4の順じゃないの?」とわざとらしくオーバーに驚いた方、それだったらわざわざこのMUUSAN、話題にしませんから。
モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-1791 オーストリア)は4曲のホルン協奏曲を作曲しているが、そのいずれもが親友のロイトゲープのいために書いた。
従来考えられていた作曲順が、その後の研究によって誤りであることがわかり、現在各曲の作曲年は次のように考えられている。
第1番ニ長調K.412(386b)+K.514(1791。2楽章。未完)
第2番変ホ長調K.417(1783)
第3番変ホ長調K.447(1787?)
第4番変ホ長調K.495(1786)
ということで、作曲年順で言えば、2番→4番→3番→1番ということになる。
なお、第1番の作曲年研究の経緯、およびロイトゲープとの関係についてはここに書いている。
4曲のうち特に優れているのは後半の第3番と第1番。
特に第3番は完成度の点で別格であると思う。
この寒々しいジャケットのCDはパイアットのホルン、マリナー指揮アカデミー・オブ・セントマーティン・イン・ザ・フィールズ(アカデミー室内管弦楽団)の演奏によるもの。
マリナーらしい丁寧で生真面目な演奏。これに物足りなさを感じる人もいるかもしれない。ホルンも巧いが、これまた優等生的すぎるかも。
つまりお手本ともなりそうな整った演奏なのだが、もう少しワクワク感がほしいっていうか……
4曲の協奏曲のほかに、ホルン五重奏曲変ホ長調K.407(386c)も収録されており、こちらのメンバーはパイアットのほか、シリトー(vn)、スミッセンとティーズ(va)、そしてオートン(vc)。
1996録音。apex(エラート原盤)。
熊出没騒動。
今日現在ではかなり盛り下がってきた話題ではあるが、去る9日の日曜日の夜には西区の平和の滝に熊の姿らしきものが見かけられたそうだ。
平和の滝は前に書いたように心霊スポットである(らしい)。
見かけたのは20代の男性グループだというが、この寒い中、しかも今回に限らずいつも“クマ出没注意”という看板が立っている危険な場所・平和の滝に、お化けを見に行ったのかしらん?
一方で、中央区の目撃情報はここにきて混乱し始めている。
110番通報した人の1人は「犬か子供だったかも」と話が変わってきているらしい。
確かに目の前に熊が出たら怖いが、地下鉄円山公園駅から円山動物園までタクシーに乗って来た人もいるっていうのも、ちょいと変な感じがする。すぐ近くでは高校野球の新人戦でギャンギャンとにぎわっているんだし……
もうずっと昔になるが、今と同じ時期、10月の初めに平和の滝から手稲山に登ったことがある。先の若者たちのことを言えた立場にないが、“クマ出没注意”の看板を横目に、私とK君は山頂を目指した。 当時私は“植物研究会”なるサークルに所属していて、そのサークルの目的は北海道の植物図鑑を自分たちで作り上げることだった。それで私たちは写真を撮るために山に入ったのだった(そのころはもう花なんか咲いてないのにね)。
登り始めてすぐに雨が降り始め、風も強くなって来た。
ササが大きく揺れたが、クマが出るかもという認識はなかった。
山頂に着いたときにはずぶぬれ。冷えたおにぎりを震えながら食べ、帰りは手稲本町へつながる車道を歩いた(つまり、ひどい目にあったけど-自業自得だ-クマには遭わなかった)。
写真は登山前に平和の滝で撮った私の元気満々の姿だ(右側の腕)。なお、この写真を見て、変なものが写っていると今さら言われても、私としては非常に困る。
15時ころに山を下りきった場所である手稲本町に着いたとき、とにかく暖まりたくて、当時はけっこう流行っていた24時間ベンダーショップに入った。温かいものが口にしたくて、私は何をとち狂ったのか、カレーライスの自販機でカレーを買った。
「ピーピーピー、できましたよ」という音がして、皿を取り出すと、そこには皿に盛られた白いご飯だけがあった。
カレーがかかっていない。
幸い管理する人がいたので事情を話すと-その時の私は凍え死にしそうな家出少年のように見えたに違いない-、そのおじさんは鍵を使って自販機のドアを開けて調べてくれた。
口がカットされたボンカレーの袋が途中で金具に引っかかっていて、カモメの死骸のように斜めにぶら下がっていた。
私はこのときに学んだ。
こういうのって、ボンカレーだったんだ!
K君元気にしてるかな?
いくつになったのかなぁ?
あっ、私と同い年か……
それはそうと、今回の連休の中日(“連休のなかび”であり、連休中のドラゴンズとは関係ない。10月9日のことだ)は珍しいほど穏やかで暖かだった。
そう。そういう日にはガーデニング作業をするに限る。
今回はのこぎりを使って、プルーンとナツツバキとオオデマリの木の古くなった太い枝を切るという、実に退屈な作業である。
面倒くさいがやるしかない。
こういうときにはさわやか、かつ、匿名的な音楽を聴くに限る。音楽に集中してしまったら切り落とした枝に大切なおつむをぶつけてしまう恐れがあるからだ。
ということで、ボッケリーニ(Luigi Boccherini 1743-1805 イタリア)の「6つの小フルート五重奏曲(6 Quintettini per flauto e archi)」Op.17(Op.21),G.419-424(1773)。
編成はフルートと2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ。
小フルート五重奏曲と言っても、フルートが小さいわけじゃない。それじゃあピッコロだから。
各曲とも2楽章構成。
それぞれの調性は、ニ長調、ハ長調、ニ短調、変ロ長調、ト長調、変ホ長調である。
ボッケリーニという作曲家、有名なような有名でないような存在だが、古典派時代のイタリアを代表する作曲家である。オーストリアのJ.ハイドンと同時代に古典派音楽を推進したために「ハイドン夫人」の異名があった。
ハイドンの奥さんは悪妻として知られる。いっそ、ボッケリーニ君が妻の方が幸せだったかも。
このフルート四重奏曲も、明るく清らかなメロディーが耳に心地よいもの。レストランでこういう曲が流れていたら、その店の主人はセンスがいいなぁって思ってしまうだろう。私は今回、枝切りしながら聴いてたけど……
私が持っているCDは、マグニンのフルート、ヤナーチェク四重奏団による演奏。
1995録音。ナクソス。
なお、ボッケリーニの作品についている作品番号(Op.)は、作曲者自身によるもののほかにいろいろな出版社が付けたものがあり錯綜している。また、G.はY.ジェラールによる作品目録の番号である。
切り落とした枝葉は40リットルのゴミ袋2つと、20リットルのゴミ袋1つになった。
合計すると100リットルだ。
よく働いたものだ。
西友がKY(カカクヤスイ)宣言をして久しいが、土曜日に西友(厚別店)に立ち寄って実感したのは、かつてのお澄ましした方針から本当に大きく転換したんだなぁということだった。
なんで厚別の西友まで行ったかというと、厚別のスバルに無料点検を受けに行ったからだ。私ではなくクルマの。
私の実家がある西野に西友がオープンしたのは昭和51年のことだったと思うが(現在は閉鎖され、近くに西町店がオープン)、実はそれ以来私は西友ファン。
オープニング・イベントの一環でコーラを無料配布していたのをきっかけに、すっかりファンになったのだ。安い男ですまん。
でも、かつての西友は高級路線で、食品をちょっと買っても他のスーパーで買うよりもずいぶんと高くついたものだ。しかし、もちろんその分、モノにもこだわっていたのだが、今の西友は良いモノも置いてあると同時に、低価格お買い得品の品ぞろえがものすごく充実している。 いまや店内にはなりふり構わないといった感じで、お買い得を直接訴えるポスターがあちこちに貼られ(女性の口がガマ口になっているものとか、「お母さん買って!」とお父さんがビールを差し出しているポスターなど)、あの当時、西友と百貨店の区別がつかなかった私には、感慨深いものがある。
で、私はハム好きで、大量パックのものが安かったので妻に、店内のポスターのごとく「ハム!ハム!買って!」と直訴したが、却下された。
悲しいから、今日はショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-1975 ソヴィエト)の「ハムレット」。
ショスタコーヴィチには「ハムレット」という作品が2つある。 1つは1931から32年にかけて作曲された劇付随音楽「ハムレット(Hamlet)」Op.32(改訂1954)。
N.アキーモフ(1901-58)の新しい演出による「ハムレット」のための音楽。この劇はシェイクスピアの原作を徹底的に批判的に解釈したもので、ハムレットは陽気で酒好き、オフェーリアはあばずれで、妊娠がわかったことで飲みすぎて溺死するといった内容。
この曲、私は未聴だが、ショスタコーヴィチの音楽もごった煮のように場面場面でいろいろな表情を見せるそうだ。13曲から成る組曲(Op.32a、1932)がある。
もう1曲は1963から64年にかけて、G.M.コジンツェフ監督の映画「ハムレット」のために書いた曲(Op.116)。
この映画はシェイクスピア生誕400年祭のための映画で、そのような映画がはちゃめちゃなわけはなく、悲劇としての伝統的な解釈。ショスタコの音楽も重厚で悲劇性に満ちている(ときにとても愛らしいメロディーも出てくる)。
こちらにはL.アトヴミヤン編による7曲から成る組曲「ハムレット」Op.116a(1964)がある。
今日はこちらの「ハムレット」について。 私は組曲「ハムレット」Op.116aのCDを2種類持っている。
1つはグリン指揮ベルリン放送交響楽団の演奏によるもので、8曲から成り、アトヴミヤン編と明記されている(1988録音。カプリッチォ)。
もう1枚はクチャル指揮ウクライナ国立交響楽団の演奏によるもので、こちらもアトヴニヤン編らしきことが解説の本文に書かれており、曲数も8曲だが、この2枚の演奏を聴くと、微妙に収録されている曲が違う。
これどういうこと?
わかりません。
西友でサッポロビールが出している発泡酒“金のオフ”を、その缶の色があまりに美しいので1缶だけ試しに買ったことはすでに書いた。
意外といけたことも書いた。
値段がコーラ並みの120円だということも書いた。
しかしやっぱりビールである“黒ラベル”の方が美味しいのは当たり前。
昨日、庭仕事を終えた後、汚い格好をしたまま近くのスーパーにビールを買いに行った。もちろん、購入対象はサッポロ黒ラベルである。
高いけどビールを買ってあげないと、ビール会社がビールを製造するのを放棄し、発泡酒づくりに専念されては困るからだ。
が、350ml6缶パックで660円という価格を見て、一瞬悩んだものの、“金のオフ”を買ってしまった。安い上に、パックの写真が永作博美だったし……
しかし1缶あたり110円かぁ。
ビールは特殊な飲み物に昇格しちゃったのかなぁ。
そして、博美さん。書かれているとおり、ビール党の私も飲んでしまいましたよ!
だから、髭ははずしてね。
そうそう、「ハムレット」のことだけど、私はクチャル盤の演奏(と選曲)の方が好きである。
金と言えば、最近よくCMが流れているジュエリー・カフェだかの「♪ 金もダイヤも生まれ変われるぅ~」のあとの歌詞、「もぐらも、おけらも、きっと私もぉ~」っていう意味、さっぱり理解できない、納得できない。
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