私の机の引き出しには、MONOの消しゴムが入ってる。
私のスーツの内ポケットにはMONOのペン型消しゴムが入っている。
MONOってどういう意味か?
もちろん“物”ではない。
でも、その由来を調べてみたが、今一つよくわからなかった。
鉛筆の芯がモノマーとかいう意味かと思ったのに、単なる思い込みに過ぎなかったようだ。しくしく……
ところで、モノ(mono-)というのはギリシア語数詞で1のことだ。
レールが1本の鉄道のことをモノレールって言うでしょ?音源をチャンネル1つで録音・再生するものをモノラルって言うし、あるいはモノトーンとかモノクロとかって言葉もある。
ついでに(というふりをしながら、計算ずくで)書くと、2はジ(di-)。反する2つの事柄の板挟みにあうことをジレンマというが、その“ジ”だ。レンマが2つじゃなくて3つになるとトリレンマ状態に陥ってしまうが、トリ(tri-)は3を示す。
トリオやトリプルのトリ、トリレンマのトリ、毒草のトリカブトは兜が3つあるんじゃなくて鳥兜の意。あと、三脚はトリポッドだ。トライアングルの“トライ”もtriである。
4はテトラ(tetra-)。もうすでにそんなもん知らんという世代が多いかもしれないが、画期的に登場した三角型の紙パックの容器のことをテトラパックと言った(商標)。角が4つあるからだ。海岸に波を防ぐために置くのはテトラポッドだ。
5はペンタ(penta-)。その形が五角形のアメリカ国防省の俗称はペンタゴンだ。ペンタックスという旭光学のブランドは、カメラにペンタプリズム(5角プリズム)を搭載したことが由来だ。英語で五目ご飯のことをペンタライスと言うとは、しかしながら耳にしたことがない。KFCあたりで新商品でチキン・ペンタなんぞを売り出すと面白そうなのに……(きっと売れないだろうけど)。
6はヘキサ(hexa-)、7はヘプタ(hepta-)。そして8はオクタ(octa-)。オクターヴのオクタである。
ちなみに、5音音階はペンタトニック、6音音階はヘキサトニック、7音音階はヘプタトニックという。 そんな状況のなか、本日は芥川也寸志(Akutagawa Yasushi 1925-89 東京)の「弦楽のための三楽章(TRIPTYQUE for String Orchestra)」(1953)。
この話の展開のなか、私が選んだのは“トリ”、つまり3である。
この曲は1953年にN響の常任指揮者だったクルト・ヴェスの依頼によって書かれた。
「三楽章」っていうくらいだから3つの楽章から成り(トリプティークというのは三連画のこと)、各楽章とも対位法がすばらしい。
冒頭からパワフルに弦が暴れる第1楽章(アレグロ。譜例.1)。その音型はショスタコーヴィ チの“DSCH音型”を思い浮かばせる。また、芥川にしては珍しく野蛮とも言える音楽だ。
第2楽章(アンダンテ)には「子守歌(Berceuse)」の名がついている。娘のために書かれた子守歌だという美しい旋律と、楽器を叩く「ノック・ザ・ボディ」(譜例.2)の音が印象的。
じわじわと沸き立ってくるような開始の変拍子の第3楽章は、祭り太鼓のリズムに乗って進 むかのよう。
この曲の演奏では、録音は古いが重量感と日本的哀愁といった感性とのバランスが見事な森正指揮東京交響楽団の演奏がお薦め。
1961録音。東芝EMI。
なお、作曲者自身が新交響楽団が振った1986年ライヴが現役盤で出ている。こちらの方はいかにも芥川らしい繊細でどこか病弱感が漂ってくるような演奏である。
そうそう、ちなみに伊福部昭の「土俗的三連画」の欧文名は、“TRIPTYQUE ABORIGENE”である。
November 2011
おととい紹介したレスピーギの「風変わりな店」の初演は1919年だ。
この年号、最近どこかで目にしたことがある。
……そうだ、オリンパスの創業年だった。
で、ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75)の「忘れがたき1919年(The Unforgettable Year 1919)」Op.89。1951年に作曲された映画のための音楽である。
この映画音楽は1953年にアトヴミヤンによって組曲版が作られているが(Op.89a)、今日はその中から“The Assault on Beautiful Gorky”を。
ピアノが独奏的に加わる管弦楽のための曲だが、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の冒頭、あるいはラフマニノフの第2コンチェルトの第1楽章を連想させるような豪華っぽい音楽。
ん~、マダム・ヤン!(アトヴニヤンから浮かんだだけです。それだけのことです)
assaultって“強姦”という意味があって、私に緊張が走ったが(なぜ?)、つまりは襲撃って方の意味を採用すべきなんだろうな。
でも、襲撃を受けたような悲劇性を帯びた曲では全然ない。
新婚旅行で東京を訪れた若きロシア人夫妻が、この先は順風満帆、なんの不安もないというような、ほのぼの甘々した曲だ。ちょいと現れる暗めな箇所だって、この夫婦の唯一の不安は、記念写真で背景のスカイツリーがフレームに収まるだろうか、程度のものだ。
ということで、正しい訳だとどうなるんでしょう?この曲のタイトルは?
先日紹介したショスタコのピアノ協奏曲他が収録されたCDに入っていた。
アレクセーエフのピアノ、マクシミウク指揮イギリス室内管弦楽団。
1983録音。EMI。
月曜日の夜から急に冷え込み、火曜日の朝は札幌では積もりはしなかったものの、かなり冷え込んだ。
私も今季初めてコートにライナーを付けて着用し、さらに手袋を履いた(手袋を履く、という言い回しは北海道語らしい)。
大地は凍てつき、歩道のアスファルトはところどころ薄氷によってブラック・アイスバーンになっていて、おっと危ない、ここで転んじゃ頭をモロ打っちゃうと、真剣にペンギン歩きをして駅に向かった。
そして、また今年もバラや庭木の冬囲いのタイミングを間違ってしまったと悔やんだ。
こんなことなら日曜日にすべきだったのだ。けど、日曜日は長男の用に付き合わざるを得なかった。
今度の週末?
そう、それしかない。
予報では天気が悪そうだ。
私はみぞれ降る中、バラたちの枝を切り詰め、支柱を立て、ネットで囲むのだ。
きっと寒さで鼻水が出て、注意が散漫になると同時に寒さでかじかんで動きが鈍くなった指はトゲで血だらけになり、そのうち下半身も冷えて尿意間隔が短くなり、挙句の果てに咳まで出るようになり、その日の夜には熱まで出て、いわゆる俗にいう風邪をひいてしまう。
こういうマイ・シナリオを私は描いている。
マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の「大地の歌(Das Lied von der Erde)」(1908-09)。
この曲の終楽章(第6楽章)の終わり。友に別れを告げ、これから去ろうという人物が歌うのは「春になれば至るところに花が咲き、緑新たになる。永遠の彼方まで新緑の青き光。永遠に、永遠に……」という詞。
この歌詞を見ると、この別れは今頃の季節のことなのかなと思う。
クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団、ルートヴィヒ(A)とヴンダーリヒ(T)の独唱による演奏。
この演奏も昔から名演とされているものだ。
マーラーの「大地の歌」は、作曲者がオーケストレーションの改訂を施すことができずに終わった作品だ(過去の交響曲のことを考えるなら、マーラーはこの作品についても改訂を行なったはずだ)。
そのせいか、全般的にオーケストラの響きが薄い。それは、室内楽的に響くという言い方もできるが(同じく室内楽的な響きの箇所が多い第9交響曲もマーラーには改訂の時間がなかった)、オーケストレーションがまだ不完全な状態ではないかとも言えるわけだ。
この作品は、耽美主義的、厭世主義的、悲観的と言われる。
確かにその通りだ。
もう、僕悟っちゃったもん……という諦観に染まっている。
しかし、クレンペラーの演奏を聴くとちょっと様相が変わってくる。
とても骨太の演奏で、もちろん室内楽的にしっとりと響くところもあるが、他の多くの「大地の歌」とはちょっと違う。
諦めというよりは、「この世の中が悪いのは誰のせいだ?あまりにも無常だ!」ってな感じで、恨んだり怒ったりしている(一言で言えば怨怒ね)ように聴こえてくる。
2人の歌唱、特にルートヴィヒがすばらしい。
そしてこの演奏、なんとなく懐かしい感じがするのはなぜだろう?
1964録音。EMI。
新緑が萌える季節が待ち遠しい……
そんなこと思ってるのに、今朝は信じられないくらいに雪が積もってしまった。
いずれにしろ、このクレンペラーのCD、最初は躊躇したものの、お金もないのに勇気を奮って買ってよかったという結果になった。残る第2、第9についても、近く書く予定。
日曜日。
車で札幌から1時間ほどのところにある町へ、長男を乗せて行った。
どうしても避けられない用事が長男にあったのである。
長男の用事が済む間、私はシャッターが下りた物静かに寝ているかのような商店街を歩いてみた。
アッ!という間にその儀式(=徘徊)は終わってしまったので、用もないが道沿いにあったスーパーに入ってみることにした。
次から次へと車が店の前に来て、なぜか駐車場には誰も車を入れず、示し合わせたかのように路駐している。しかし、店内はあの人たちはどこに消えたのだろうという感じに閑散としていた。
なんというか、期待を裏切らないいかにも田舎のスーパーの条件を満たしていた。建物は古く、清潔感はなく、照明は暗い。ここは食品スーパーでなく問屋の倉庫と言われても容易に納得できる。
無造作に商品が並べられており、そこには陳列によって販促効果を狙うという概念は皆無という印象を受けた。
私が衝撃を受けたのは、ポリのトレーにオリジナルでパックされたウインナーソーセージの盛り合わせだった。
「チキン&赤ウィンナー・ミックス」
なんと、茶色っぽいいわゆるチキンウインナーと、魚肉の赤ウインナーが混ぜこぜにパックされている。しかも、パックによっては1本以外はすべて赤ウインナーだったりする。
どういう感覚があればこういうパッキングを思いつくのだろう?
私は軽いめまいを覚えた。
レスピーギ(Ottorino Respighi 1879-1936 イタリア)のバレエ「風変わりな店(La boutique fantasque)」P.120(1919初演)。
S.ディアギレフのロシア・バレエ団から依頼を受けて作曲されたが、「ロッシニアーナ」と同じようにロッシーニの晩年の小品集「老いのいたずら」を編曲し作り上げたものである。
この曲は楽しい(ただし、バレエは面白くないという)。
私にとってはレスピーギの代表作である「ローマ三部作」に次いで、彼の作品のなかで好きな曲である。
バレエの筋は、海沿いのおもちゃ屋を訪れたアメリカ人の家族とロシア人の家族に、店の主が音楽に合わせて踊る人形を見せる。その1組の人形のうち1体が買われて行くが、夜中になって残った人形たちが動きだす、というもの。ロシアvs.アメリカかい……
音楽は、序曲、タランテラ、マズルカ、コザックの踊り、カンカン、ヴァルス・レント、ノクターン、ギャロップの8曲から成る。
今日はフロンタリーニなる指揮者がMoldavian交響楽団というオーケストラを振ったCDを。この曲にふさわしい明るいノリ、そしてほのぼの感がある演奏だ。
1993録音。ARTS。
また、「魔法の鍋」やJ.S.バッハの曲をオーケストラ編曲した「前奏曲とフーガ」のときに紹介したノセダ指揮BBCフィルの演奏も良い(2002録音。シャンドス)。こちらの演奏はどっしりしていて、ちょいとノリが悪いと感じる方もいるかもしれない。
私はLP時代にはドラティ盤を愛聴していた。この演奏もお薦めだ。
フロンタリーニによるこのCDには、カゼッラ(Alfredo Casella 1883-1947 イタリア)の狂詩曲「イタリア」(Rapsodia Italia)Op.11(1909)も収められている。
カゼッラはパリ音楽院で学んだこともあり、フランス印象派の影響を受けたが、イタリア音楽復興を目標として国民音楽教会(のちのイタリア現代音楽協会)を設立した。
狂詩曲「イタリア」はシチリアとナポリの民謡を土台としているが、R.シュトラウスが民謡と間違えて使った「フニクリ・フニクラ」のメロディーも用いている。
その長男であるが、内定をいただいた企業の顔合わせが週末にあるそうだ。
そしてなぜか、おっさんの私にも知らない企業から内定のご案内が来た。
(株)DreamDerby採用担当の綾瀬と申します。
昨日お電話をさし上げたのですが、ご不在のようでしたのでメールにして失礼いたします。
先日は弊社の新規採用にご応募ありがとうございました。
慎重に選考を重ねました結果、あなたを採用することが内定いたしましたのでお知らせいたします。
つきましては、下記のURLをご覧いただき、必要事項をご記入の上、弊社からのお電話をお待ちください。
・・・・・・・・・・・・
http://join-operable.info/m/recive.php?dis=2***&meno=2****&adid=1
・・・・・・・・・・・・
ご応募誠にありがとうございました。
今後もよろしくお願い致します。
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(株)ドリームダービー採用担当
綾瀬 佳織
ayase.staff@dream***.co.jp
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電話、留守電にも入ってなかったし、その後も電話は来ないままだけど、それは私が指定のURLにアクセスしなかったから誠意がないと思われたんだろうか?
でも、採用に応募した記憶がないんです、アタシ。
もしかして、息子が申し込んだんでしょうか?
だとしたら、自宅のメルアドに来たこのメールを勝手にすぐに削除しちゃった私は親としてとんでもない間違いを犯したのでしょうか?
いや、息子は騎手とか馬関係を目指しているとは言ってなかったですし……
でも、綾瀬佳織ってって名前って、すごくアクセスしたくなるような名前ですね。
さすが計算されてます。ウツボカズラの蜜のような感じです。
これが馬場トメ子とかだったら、全然気にならないと思いますから……
私が小学1年から5年の秋まで浦河町で過ごしたことは、すでに皆さんお忘れのことと思うが、実際そうであった。
あれは4年生のときだったろうか。
クラスメイト数人で地元の高校の学校祭を見に行ったことがある。
科学部だかの展示室に行くと、その前後の流れのことはよく覚えていないのだが、高校生のお兄さんが展示していた試薬品の結晶をくれた。もう学祭のエンディングの時間が近づいていて、展示品処分に入っていたのだ。
科学部の展示室に訪れる人なんてそうそう多くないようで、われわれは大歓迎された。
私には半透明の深い紫色のほぼ立方体に近い物質。
友人の一人は鮮やかなブルーの結晶。他の数名は半透明の白い結晶。
私はそのブルーの方が欲しかったのだけど、それはしょうがない。
お兄さんは「絶対口に入れたらだめだよ」と言った。
おおらかな時代である。
というのも、そのブルーの結晶は硫酸銅の結晶だったのだから。
私がもらった物質は何だったのだろう?それは、いまだにわからない。
自宅にある図鑑の「理科の実験」という巻を読むのが好きだった。そこに載っていた硫酸銅 の写真と全く同じ鮮やかな結晶が目の前にあった。 私はその後、化学に対する興味が高じて試験管やビーカーといった化学実験器具を親に買ってもらい、適当な試薬も買い、やみくもに混ぜたりして遊んだが、結晶を作るのが楽しかった。
ミョウバンの結晶を何度も作り、やっと理想的な形のもの、四角錐の形のものができたときは本当に嬉しかったが、しかしそのことを自慢する相手がいないのが寂しかった。
だいたいにして、私が興味を持つものって、同世代の人とはマッチしない。
クラシック音楽にしたって、中学生のころはその話をできる人は皆無に等しかったし……
薬局のおじさんをだまして、その後は劇薬や毒物も購入したが、ついぞ硫酸銅は売ってもらえなかった(二クロム酸カリウムは売ってもらえたのに)。
それにしても劇薬の硫酸銅の結晶を小学生にプレゼントとするなんて、もしかしたらあの高校生のお兄さんが恐ろしく無知だったのかもしれない(掲載した硫酸銅の結晶(五水和物)の写真はWikipediaから拝借した)。
宮部みゆきの「パーフェクト・ブルー」(創元推理文庫)。
彼女の処女長編作である。
高校野球界のスーパースターが殺害され、野球に挫折したかつての同級生が犯行をほのめかした遺書を残して自殺する。
最初の段階のうちに、すでに事件は解明したかのように進んでいく。が、これで終わるはずがない。
しかも、こういうふうになるんだろうなという予想を次々とかわされ、最後は意外な真実が……
そして、実は物語中に美しいブルーの例えとして硫酸銅が出てくるのだ。
この小説のなかで、とても気に入ったフレーズがいくつかある。
たとえば、次の3つである。
・ どんなに風情のいい店でも、トイレを観たとたん里心がついてしまうようなところは駄目だ
・ 彼女にそれを求めるのは、角氷を握って暖をとろうとするようなものだ
・ 何とかできたかもしれなかったのに、という後ろ向きの希望は、絶望より悪い
うまいですねぇ、さすがみゆきさん。
ガーシュウィン(George Gershwin 1898-1937 アメリカ)の「ラプソディ・イン・ブルー(Rhapsody in blue)」(1924初演)。
ピアノと管弦楽のための作品で、有名なジャズ・バンドのリーダーであるP.ホワイトマンの依頼によって、彼のジャズ・バンド用に作曲された。ジャズとクラシック音楽におけるピアノ・コンチェルトが融合したような作品で、TV-CMなどでも使われることが多いので、聴いたことがない人でもどこかでメロディーを耳にしている可能性は高いと思われる(近年では、「のだめカンタービレ」でベートーヴェンの第7交響曲と共にテーマ曲に使われていた)。オーケストラ版、ジャズ版の編曲はグローフェが担当した。
今日はよく得体の知れないCDをちょぴり取り上げちゃってみようかな、っと。
H.グリーンバーグ指揮ヨーロピアン・フィルハーモニック管弦楽団による演奏。
「ラプソディー・イン・ブルー」はピアノを独奏とする協奏的作品だが、しかしこのCDにはピアニストの名前が記されていない。あまりにもひどい仕打ちだ。
これ、いまから20年ぐらい前に、確か秋葉原の石丸電気で買ったものだが、単に安かったから買ったんだと思う。一応“DDD”(すべてデジタル処理)だし。
でも、録音が良くない。DDDっていうのに……
何より、音場の奥行きがない。広がりもない。缶詰のなかで聴いているような感じ。
演奏が意外と悪くないので(特に匿名のピアニストによる独奏が)、このことがとても惜しまれる。
Tringというレーベル(“LICENCED FROM LONG ISLAND MUSIC”という表記がある)。
録音年?わかりません。
なぜスミレ?知りません。
で、このディスク、今でも手に入るのかしらん?と検索したら、思ったとおり、やっぱりタワレコでもamazonでもヒットしなかった。
じゃあ、ここではレヴァインがピアノと指揮の両立を果たしているCDをご紹介。オーケストラはシカゴ響。1990録音。グラモフォン。
昔、「ラプソディー・イン・ブルー」をカーステレオ(死語か?)でかけながら運転したことがあるが、この曲の開始のクラリネットの音がとても心臓に悪いのですぐにやめた。
パトカーのサイレンに聞こえるからだ。
金曜~土曜は“観楓会”であった。
観楓会。かんぷうかいと読む。
私にとってはまったく当たり前の語句だが、パソコンで変換するとまずは“還付迂回”となるし(還付は直接してほしいものだ)、ついぞ”観楓会”という文字列にはならなかったので、全国レベルでは存在しない語句なのだろう。
Wikipediaには“観楓会”の説明があるが、やはり北海道ローカルの言葉であるようなニュアンスで書かれている。
では“観楓会”とは何か?
字のごとく、楓を観るミーティングである。つまり、この時期(実際にはすでに遅いが)に紅葉を観る慰安旅行である。
金曜日の終業後、私が属する部の一行は貸切バスに乗り、札幌から1時間半ほどの、とある湖のそばに建つ温泉宿へと向かった(こういうときにバスの中で、なぜそんなに、というくらいビールを飲んでしまい、トイレに行けぬまま下腹部の内圧に苦悶する人があとを絶たないのはなぜであろうか?)。
宿に着くや否や、すぐに宴会に突入。
私は初めて来たホテルだったが、料理がなかなか良かったし、雰囲気が良かった。
考えるに、給仕する人が若いからだ。温泉宿というと初老のおばさんが料理を運んできたり、たて続く酒の注文にパニくったり、早く宴会を終わらせてよとばかりにご飯をついだりするが、スタッフがすべて若い。おばさんがダメとは言わないが、いかにも温泉宿に来ましたっていうパターンでないところが、実はさりげなく雰囲気のアップにつながっていた。
ただ、いつものことなのだが、コースの3品目くらいで早くも私は満腹になってしまい、ほとんど味わうことなくあいも変わらずお酒をたっぷり飲みましたとさ。
翌日も、楓を観に散策するなんて発想はなく(小さな羽虫が空気中の酸素分子の数に匹敵するくらい飛び交っていたし)、観楓会という本来の目的は果たさず、でも飲むという裏の目的は達成して帰って来たのであった(私は湯当たりしてしまうので、温泉には入らない)。
さて、土曜日はそういう業務上の理由できちんとした(自分なりに)記事を投稿できなかったが、その記事の方が自分できちんとしていると思って書いた記事よりも、たとえばTREviewでは上位になってしまうというこの不条理さ。さっぱりわかりましぇん。
それはそうと、そのときに「抒情的断章」のみを取り上げ、中途半端な紹介に終わってしまったホルストのCD。
あのCDはホルスト(Gustav Holst 1874-1934 イギリス)の管弦楽作品集。
ホルストと言えば組曲「惑星」が、そして強いて挙げればほかには吹奏楽ための組曲(この第1番は私が大好きな曲)が有名だが、それ以外の主要な作品を集めた面白いディスクである。
収録曲は以下の7作品。
・ 「セント・ポール組曲(St.Paul's suite)」Op.29-2(1912-13)
・ 「抒情的断章(Lyric movement)」(1933)
・ 「ブルック・グリーン組曲(Brook Green suite)」(1933)
・ 「フーガ風協奏曲(A fugal concerto)」Op.40-2(1923)【fl,ob,str】
・ 「ピアノとオーケストラのための7つのスコットランドのエール(7 Scottish Airs)」(1908)
・ 「6つのモリス・ダンス(6 Morris Dance Tunes)」(1910)
・ 「冬のさなかに(In the Bleak Midwinter)」(?)【M.メシター編】
このうち、4曲から成る「セント・ポール」組曲は、ホルストがセントポール女学校の教員だったときに、そこの弦楽オーケストラのために作曲した作品。第4曲「ダーガソン」では「グリーン・スリーヴズ」のメロディーが出てくる(吹奏楽のための組曲第2番の第4曲の編曲)。
また、「7つのスコットランドのエール」の終曲では、「蛍の光」(というよりも、その原曲のスコットランド民謡「オールド・ラング・サイン」)のメロディーが突然現われ、はっとさせられる。
どの作品も親しみやすく、また郷愁を誘うものばかり。
“「惑星」のみの作曲家”としておくにはあまりに惜しいホルストのほかの作品を、ぜひ聴いてみていただきたい。
演奏はポープル指揮ロンドン・フェスティバル管弦楽団。独奏陣は、ベケット(fl)、メシター(ob)、ボルト(va)、フレイハン(p)。
1995録音。ARTE NOVA。
木曜日に鹿児島から羽田まで乗ったANA便は共同運航便で、ANAの共同の相手というのがソラシドエアという会社だった。
あれ、おかしいな?
予約したときにそんな名前だったかな?記憶にないな?
そもそもソラシドエアなんて名前聞いたことないな。
ソラシド?まあ、ソラミミよりは名前としてはいいか……機内で空耳、やだからなぁ。
機内に乗り込むと、シートはレザー。
おお、高級感漂うじゃん。
でも、お尻に汗をかきそうだな。
CAの制服も、ちょいとおしゃれっぽい。
が、接客態度は今一つって感じ。別に嫌な目にあったわけじゃないが、なんだか高圧的事務的態度。チーフだかキャプテンは感じが良かったけど。
予約したときの控えを調べてみると、SNA航空との共同運航便と書いてある。
Sはソか、Nはラと解釈すればいいの?Aはシ?ドはドこ行った?
って、SNAってスカイネットアジア航空のことだ。 じゃ、ソラシドって何?
あとで調べてみたら、今年の7月から使い始めたSNAのブランド名なんだそうだ。
で、ソラシドエアはSolaseed Airということで、音階のソ・ラ・シ・ドじゃないみたい(じゃなくて、「ない」)。
頭の中でソーラーシードーって歌って損した。
そうやってソーラーシードーと歌ったとき(絶対音感がないから、音は相対的にずれているんだけど)、どっかでこのフレーズ聴いたことあるなと思い、数分間考えた結果、あっ、マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第4番ト長調(1892,'99-1901/改訂1901-10)の第1楽章に頻繁に出てくるフレーズだってことに気づいた。なんですぐに気づかないのか、頭にきた次第である(自分に。隣の席のおじさんにあたるわけにはいかない)。
譜例を示したように、この4つの音のフレーズが何度も(でもしつこくを感じさせずに)第1楽章に現われる。
う~んと、でも、これはレミファソだ。自分の頭の中ではドレミファソラシドって歌ってみて、さらにソラシドの部分だけを歌い直してみて、「おっ、この曲に一致する」と思ったのだが、ほれ、そこは相対的な私の脳。ずれてたわけね。よくあるでしょ?こういうことって。パジャマのボタンを一段ずれてかけていたとかさぁ……
しかしである。
この部分はト長調らしい。
ト長調の主音はトである(ハニホヘトイロハの音名で言えば)。
移動ド唱法、つまり長調の曲では主音を常に“ド”として呼ぶことに従えば、ト長調では主音であるトがドとなる。つまりはふつう(ハ長調)でソと呼ばれている音が、ト長調ではドになる(そこの君、嫌な顔しないで!)。となれば、譜例で線を引いた箇所は「ソラシド」になる。
おぉ!偶然頭に浮かんだとはいえ、すっげえ! ということで、今日はクレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団、シュヴァルツコップのソプラノ独唱による演奏を。
先日マーラーの第7番の異常なまでの低速度演奏を紹介したクレンペラーだが、この第4番はけっこうノーマル(変な言い方だけど)。
あまり細かなところにはこだわらず、全体像をずっしりとまとめ上げているが、だからといってありきたりの表現にとどまっていないところはさすが。こういう演奏、1つボタンをかけ違えたなら退屈なものになるのだが、そうならないのが不思議でもある。
鈴木淳史は「クラシック悪魔の辞典(完全版)」(洋泉社新書)のなかで、
マーラーのような、狂気と倒錯の文脈に入らざるを得ない演奏が主流とされている作品でも、クレンペラーは外側に立ち、終末論的立場からすべて何が起こるかを透視するのが常。この作曲家にとってそれがもっとも正しい方法なのかはともかく、マーラーを分解し、一つひとつの部品に全体から意味を投射することができた唯一の指揮者であることは間違いない。
と書いているが、透視しているかどうかは私にはよくわからないが、全体像をもってこの曲を表現するのがわかるような演奏である。
独唱のシュヴァルツコップもすごくいい。
1961録音。EMI。って、EMIのこのロゴもこの先、見られなくなるんだろうね……
みなさん、こんにちは!
このから元気がわざとらしいと勘ぐったあなたは正しい。
急な出張、積もり積もった心労、突発的な口角炎、そして社の慰安旅行、疲労のシグマ、といった非日常的な出来事の余波をモロに受け、ただでさえいつもレベルの低い文章なのに、本日はさらに低いという現実を、みなさんに知ってもらうしかないのだ。
寛大なあなたは許してくれるかしら?
心の余裕のなさ、時間のなさのせいで、ありがたい、こんなお誘いメールにも応えることができない。
好きなお時間に出来る簡単な副業とお考え頂いて構いません。
ただ今、貴方様との独占的契約希望者が既に待機しております。
契約に関しては、下記URLよりご参加登録の上、女性様から直連絡が参ります。
http://7**p.d5***c**u.biz/****_mm0**n_ang
報酬は、一回最低50万円以上で女性様から同意を頂いております。
最低50万円の報酬をお支払いできない女性様はご利用になれないシステムですので、実質上完全保障となっております。
待機中の女性様の中には、長期契約であれば特別報酬と致しまして、数百万円以上を支払う方も居られます。
アルバイト気分で結構ですので、人肌寂しい女性様のお相手を是非お願い致します。
※容姿、既婚等の条件は一切不問です。心をこめた肉体関係のみが条件です。
※18歳未満利用禁止
私との独占的契約を希望している女性様が待機しているらしいというのに、時間があればなぁ……
ただ、“実質上”完全保障っていうのが気になるけど……
それに“保障”じゃなくて“保証”じゃないのかなぁ。
息子に「いいバイトがあるぞ」って教えてあげようかなぁ……
とりあえず枝豆、じゃないけれど、今の自分の気分のようなタイトルのホルスト(Gustav Theodore Holst 1874-1934 イギリス)の「抒情的断章(Lyric movement)」(1933)でも聴くことにしますわ。
この曲はヴィオラと室内管弦楽のための作品。
ボルトのヴィオラ、ポープル指揮ロンドン・フェスティバル管弦楽団の演奏でどうぞ。
1995録音。アルテノヴァ。
オリンパスがとんでもないことになっている。
ほかでもない、光学機器メーカーのオリンパスのことだ。どこかの山のことではない。
私は大学生のとき、植物写真を撮るサークルに所属していた。
本来の目的は野草の植生を調べ、ひいては北海道の山野草の植物図鑑を作ることだったのだが、だんだん植物図鑑を作ることばかりに目が行き、つまりは皆で写真ばっかり撮ることが趣味化してしまった。
しかも野草というのは咲く時期というのが決まっているから、メンバー全員が、たとえばミズバショウの季節になると一斉にミズバショウばっかりを撮るので、ムラが出るったらりゃありゃしない。メリハリのハリばっかりで、そこで私が「分担を決めてシダを撮る人を決めよう」と提案したところで、「じゃ、その“メリ”んとこはおまえがやれ」って具合だった。
私はシダは嫌いじゃないが、シダを撮ったところでその品種を特定するのは至難に近い技だし、やっぱり春暖かになって開花する花を撮りたいと思う気持ちは誰にも負けないわけで、そんな極端に偏ったライブラリーのために結局は植物図鑑なんてできないまま終わった(私が卒業して数年後、サークル自体が消滅したらしい)。
そのときの主たるメンバーは、同学年のK君、S君、Ki君、そして私。後輩のI君にT君だったが、持っているカメラとレンズとなると、私とI君はペンタックス、K君はキャノン、S君はオリンパス、関西出身のKi君はワテノメ(つまりカメラを持っておらず、自分の目に焼き付けるということだ)、T君はミノルタであった。
もちろん私はペンタックスの製品の性能がいちばんだと思っていたが、「ここのがいちばん」と自己主張が強いのがS君だった。オリンパス信奉者だったわけだ。
一方、いちばん肩身が狭かったのがT君だったような記憶がある。
確かミノルタのカメラのストロボを装着するレールは他社と凹凸が逆で、ほかのメンバーが持っているストロボを装着できなかったような気がする。
またフィルムにもそれぞれのこだわりがあって、S君とK君はフジのフジクローム派、私はコダックのコダクローム派、T君とI君はコダックのエクタクローム派、Ki君は裸眼派であった(これらのフィルムはKi君を除き、いずれもリバーサル・フィルム(スライド用)である)。
特に私の場合はASA25という低感度のフィルムを使っていたので、絞り込むためにシャッター時間が長くなる接写の場合には、常に「あぁ、神様、風を止ませてくださいな!」と祈りながらの撮影だった。
風の噂によると、卒業し地元に帰って就職したS君はオリンパスの新しいカメラ(もちろん一眼レフ)を買ったらしい。
時代的にはデジタル・カメラの初期モデルだったんじゃないだろうか?
S君とはその後、年に1度、ジャガイモを送る程度の割り切った大人の関係になっているので、わざとらしく「君の大好きだったオリンパスがたいへんなことになって、私も胸が張り裂ける思いだ」なんてお手紙を出す気はないが、きっと今回の不祥事の報道を株主でもないのにいらいらして見ているに違いない。
なお余計なことを言うと、当時K君はキャノン純正マクロレンズを使っていた。私は50mmの標準レンズに、必要に応じて接写リングを使っていた。そしてS君はやはりマクロレンズだったが、タムロンだかシグマのレンズを使っていた。やはり経済的な理由には勝てなかったのだろうし、Ki君は大学の4年間を拙者で過ごした。
私も大学のゼミの実験で、学校にあったオリンパスの製品を使ったことがある。
レンズの先端に装着するリング型の照明で、私の卒論テーマではなかったものの、同じゼミの人間が花粉の研究をしていて、イネの花が開花するところを接写で撮る作業をAランチ2食分とおごるという条件で引き受けたのだった。
これは便利なものだった。被写体全体を包み込むようにしてライトを照射するわけで、影のムラがでない。資料としての写真を撮るには最適だった。
欲しいと思った。
しかし、カメラ用品カタログには載っていない。おそらく医療用機器だったのだろう。
いうまでもなく、オリンパスはカメラだけではなく、顕微鏡やおそらくは天体望遠鏡も作っているはずだ。そして、確か医療用機器(私がいやいや飲まされた胃カメラや超音波内視鏡など)のシェアが相当高いはずだ。
私も天体望遠鏡を持っているが、kenkoの製品だ。ケンコーが悪いとは言わないが、あそこはレンズではなくてフィルターのメーカーというイメージが恐ろしく強い。しかも同じ名のマヨネーズ会社もある(関係ないが)。
天体望遠鏡といえば、子供が小学生のときの夏休みの自由研究で、星の撮影をしようと思ったことがある。学生時代に使っていたペンタックスのカメラをケンコーのカセグレン式天体望遠鏡に装着し、まずは月を撮影してみた。
プリントしたその写真を息子に見せたら、「すごいね!お父さん!」と言うかと思ったら、「へぇ~」だった。
よし、こうなったら惑星を撮ってみよう。そうしたら少しは感心してもらえるかもしれない。
そう思って土星や木星を狙ってみた。
しかしもう目がすっかり悪くなっていた私には、どの惑星にも照準を合わせることができなかった。
しかも、「こんなもの子供一人でできるわけないでしょ!」という妻の介入によって、月の写真さえもが自由研究から却下された。
その天体望遠鏡はその後、私に何度かなぜられただけで、今は納戸の奥にしまいこまれたままだ。とても邪魔だ。特に丈夫で重くて、たたんでも収まりの悪い形をしたままの三脚が……
ホルスト(Gustav Theodore Holst 1874-1934 イギリス)の組曲「惑星(The planets)」Op.32(1914-16/全曲初演1920)。
本日は、ラトル指揮フィルハーモニア管弦楽団、アンブロジアン女声合唱団の演奏を。
1980録音。EMI。 ラトルの演奏は聴いていて体が熱くなってくるとか動悸ドキドキってタイプのものではない。
うまくいえないが、「なるほどなぁ~」と冷静に感心してしまう。その点ではハリウッド映画的と言われるレヴァインなんかとは対象的だ。逆に、金星や土星、海王星でのラトルは、とても美しく神秘的に響く。
どちらのタイプが好きかは人によって分かれるだろう。デミソース・カツがレヴァイン、和風おろしカツがラトルって感じか?
ただし、いやいやどうして、十分エネルギッシュだし、繰り返し聴いても食傷気味にはならない。
ところでこの曲、決して個々の惑星を科学スケッチのように描こうとしたものではない。世紀末思想の延長上で占星術なんかに影響されて書いた作品。
ところが多くのCDではそのジャケットに、とりわけ見栄えの良い土星の写真を使ったりして、健全な音楽青少年に誤解や間違った期待を抱かせているのは残念である。
今後はタロットカードの図柄のようなおどろおどろしいデザインのものが増えたらうれしいと願っている(その点、レヴァイン盤なんかは、なんとなくそういう雰囲気をたたえている)。
動悸ドキドキと言えば、おととい乗った新千歳→羽田便。
飛行機からボーディング・ブリッジが離れ、バックで駐機場から誘導路へ出た直後に、私の席の後の方から「すいません!」という客室乗務員を呼ぶ大きな声が……
その男性が駆けつけた客室乗務員に「心臓が悪いんです」とか言っているのがかすかに聞こえてくる。
その後、「機内で体調の悪い方がおりますので、いったん駐機場に戻ります」というアナウンスがあり、それは嘘ではなく、本当にまた駐機場に入った(出発したときとは別のゲート)。ドアが開き、シートベルト・サインが消えると、客室乗務員の誘導でその男性は“自分で歩いて”降りていった。思ったより若そうだったが、まあまあ大きな体の人だった。
こうして出発が遅れた。
どうせだったら最初からドアが閉まる前に言って降りてほしかった気がするが、離陸してすぐにそうなるよりははるかに良かったと考えるべきなんだろう。
お元気になられましたでしょうか?
地味ながらも意外に好評を博している“スパム・メール”シリーズ。
今回はワインを飲みながらピアノを弾けるという曲芸マダムからのお便り。
気軽なキモチでいいんです。
夫とは家庭を、もう1つはあなたと素敵な時間を...、
お互いに立場もありますから秘密厳守、お願いします。
明日の待ち合わせはどのようにしたらよろしいでしょうか?
出会ってから、合いそうもないと判断したら、それはそれでかまいせんから。
http://me****ea.com/deaiG/
今日はいきつけのワインショップで店長おすすめのワインを買いました。
ボルドーの赤飲みながら、ピアノ弾いてます。
すごいですね、奥さん。
ピアノ、お弾きになれるんですね。
きっと指先の動きもすごいんでしょうね。秘密厳守の素敵な時間にも期待が持てるというものです。
でも赤か白かはともかく、ワインを飲みながらピアノを弾いてるなんてストローマグを使ってるのでしょうか?
まさかですよね?ははははっ!
さらりと弾いては一口。またポロンと弾いては一口ってことですよね。
でも、奥さん。くれぐれもグラスをピアノの中に落とさないようにしてくださいね。プリペアド・ピアノみたくなっちゃいますからね。
奥さんはワインを飲みながら、どんな曲を弾くのでしょうか?
まさかリストの超絶技巧練習曲なんかじゃないですよね?ワイン飲みながらじゃ無理ですよね?
やっぱり私としては、ワイングラスをピアノの中に落っことしちゃって、ケージの曲なんか弾いてくれたら面白いなって思うんですけど……。いや、あなたの立場もわかりますよ。
ピアノ弾いてるなんて嘘っぱちなこと…… ケージ(John Cage 1912-92 アメリカ)の「ソナタとインタリュード(Sonatas and interludes)」(1946-48)。プリペアド・ピアノのための作品である。
ケージは1940年代後半からインドの思想や禅の教えに傾倒したが、この作品はインドの哲学者アナンド・クマーラスワーミーの著書に影響され、ヒンドゥー古来の概念としてのさまざまな不変の感情、すなわち、ヒロイズム、エロティシズム、驚き、落着き、悲しみ、憎悪、怒り、恐れ、歓喜の9つを表現したものである。
このインドの思想に基づく音楽が、これまたアジア的な音色を持つプリペアド・ピアノで奏されるのである。
この作品は16のソナタと4つのインタリュード(間奏曲)から成るが、いずれも短い曲である。
なお、ケージはこのあと易に関心を寄せて、偶然性の音楽を始めることとなる。
今日はボリス・ベルマンが弾くCDを。
1998録音。ナクソス。
で、奥さん。その行きつけのワインショップの店長さんはいかがなんでしょうか?
話も弾むと思いますけど……
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