読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行した「保存版」です。  いまは“新・読後充実度 84ppm のお話”として更新しています。左サイドバーの入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。  背景の写真は「とうや水の駅」の「TSUDOU」のミニオムライス。(記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

December 2011

生々しくない超名演。テンシュテットのマラ7、93年ライヴ

bc9f3648.jpg  2011年最後の日は、今年没後100年に当たったマーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の作品を。

 おや、あらためてみると、マーラーの人生ってたった51年間だったんだ……。きっとさまざまな心労が彼の死期を早めたんだろうな……

 曲は交響曲第7番ホ短調「夜の歌(Lied der Nacht)」(1904-06。その後たびたび管弦楽配置を変更)。
 演奏はテンシュテット指揮ロンドン・フィル。

 このメンバーでの7番は、1980年録音の演奏を前に紹介した。すばらしい演奏である。

 そして今日は、これまた名演との高い評価を得ている1993年のライヴ盤を。
 評判は知っていたが、私は今回初めて聴いた。

 どのくらい評判が良いのか?

 例えば許光俊は「クラシックCD名盤バトル」(洋泉社新書)で、次のように書いている。

 この曲では、テンシュテット最晩年のライヴが大演奏である。これはテンシュテットの正規盤としてはおそらく最高傑作だろう。もしかしたら生涯最後のコンサートかもしれないが、たいへんな演奏をやってのけたものだ。これで聴くと、第7番は難しくも何ともないし、複雑ですらなく、それどころか、明晰の極みである。時間の流れに身を任せてじっと聴いていれば、ことさら秘密めかしたものなど何もなく、たちまちのうちにすべてわかってしまうと思われるほどだ。……しかも、録音もきわめて明瞭で、作品の多層性や相矛盾する要素の同時進行を克明に伝えている。……

 本当にそのとおりだった。許氏の書いてあることに嘘はない。
 
 この演奏は大音響でぐいぐいと押して押して押しまくってくるようなものではない。
 5つの楽章のうち、「夜曲」である第2楽章と第4楽章が特にすばらしい。美しく、見通しが良く、優しく、ちょっと恐ろしく、少し切ない。

 また、終楽章は圧巻。ただ、バカ騒ぎするとか、叫びまくるというものではない。
 この曲の最大の問題点として、前の4つの楽章の流れに反し、バカ陽気のような終楽章が唐突であることが言われるが、この演奏を聴いているとそんな矛盾は感じない。

 第1、第3楽章はあまり、なのか?
 いや、完璧とも言える演奏だ。でも、2、4、5楽章がそれを上回っている。

 この演奏、第7番の名盤としてずっと残ることは間違いないだろう。
 最後の会場の熱狂した喝采が、こちらもまたうれしい気持ちになってしまう。
 ただし許氏は、

 もっと生々しい葛藤が描かれるべきだという意見はあろう。テンシュテットの演奏では思い出を思い返すようなノスタルジックな雰囲気が強い。しかし、人により、年齢により、さまざまな真実がある。これはひとつの真実として圧倒的な強度を持っている。

とも書いている。
 そう。いくら名演といえども、それ1つだけで他は要らないということには、なかなかならない。
 そして、私は「体調により」「気分により」ということも付け加えたい。

 いずれにしろ、倒錯したエロス感覚のクレンペラーに誘惑されそうになっていた私は、年末になってノーマルな世界へ引き戻してもらうことができた(この変態的演奏を欲することも、あるいは他の様々な演奏の7番を欲することも、「気分によって」はもちろんあるのだけど)。

 EMI。

GM/「大地の歌」のPf稿。そして、私の余計な思いつき……

213657ba.jpg  マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の「大地の歌(Das Lied von der Erde)」(1908-09)。

 今日ご紹介するのは通常のオーケストラ版ではなく、マーラー自身によるピアノ版。
 演奏は、独唱がファスベンダー(Ms)とモーザー(T)、ピアノはカツァリス。

 このピアノ稿は、オーケストラ稿とは多少の違いがある。
 つまり、ピアノ稿はオーケストラ部分を単にピアノ用に編曲したものではなく、オーケストラ稿とは独立し、並行して書かれたものだ。

 「大地の歌」には交響曲としての側面と、連作歌曲(歌詞はベドゲが独訳した中国の漢詩)としての側面があるが、ピアノ稿で聴くと歌曲としての性格が一層強く感じられる。

 また、交響曲でもある二重性格のため、ピアノ稿といえどもピアノは単に伴奏にとどまらず多彩な表情を見せてくれる。この版の演奏を最初に聴く前は「物足りないだろうな」と覚悟したのだが、オーケストラ稿に比べそのような印象はさほど感じなかった。
 マーラーの歌曲などでも、オーケストラ伴奏版とピアノ伴奏版がある場合、私は迷うことなくオケ版を選択する。ピアノじゃ物足りなく感じるからだ。しかし「大地の歌」はオケ版の“交響曲「大地の歌」”とは別物として私の中では位置づけられた。ピアノは実にドラマティックに響く。
 このCDは1989録音。apex(原盤テルデック)。

 ところで、「大地の歌」の終楽章「告別」の歌詞は、孟浩然の詩「友を待ちながら」と王維の詩「友の別れ」を連結し、かなり改編したものだが、楽章中2人の人物(AとBとする)が登場する。

 楽章の最初から登場しするAは、これから去っていく身なのだが、最後に友に別れを告げるために、その友を待っている。オーケストラによる長い間奏の手前までがAの言葉である。
 間奏後の「Er stieg vom pferd und ~(友は馬から降り~)」から、歌詞は王維の原詩のものとなっているが、ここの部分は情景(Bの動き)を描写している。

 馬から降りるのが2人目の登場人物Bだが、「Du,mein Freund,seine Stimme war umflort(友よ、この世は私に幸を恵まなかった)」以降は、曲の終わりの「ewig」までBがAの言葉をそのまま綴り伝えているといえる。

 ところで、 「大地の歌」はテノールと、アルトまたはバリトンの2人の独唱者が歌う。奇数楽章がテノール、偶数楽章がアルトまたはバリトンである。
 多くの場合はアルトを起用しているが、バーンスタイン(1966録音)やラトル('85)はバリトンを起用している。

 私は思う。
 この終楽章である第6楽章を2人の歌手で歌ったらどうなるのだろうかと。
 つまりAの役をアルトが、Bの役をバリトンが歌ったら(その逆でもいいけど)、より状況がはっきりするのではないかと思ったりするのだ。

 いえ、すいません。
 偉大なるマーラーがそんな指示を一つもしていないのに、素人が興味本位に余計なことを言ってしまいました。
 反省します。

この野蛮さでストレス解消。Bartok/Allegro Barbaro

 いやぁ、おどろいた。

 おとといの朝、携帯電話を見てみると、夜中の間に39通もの新着メールがあった。
 もちろんスパムメールだ。

 送信者のアドレスはぐちゃぐちゃ。
 うわぁ~、こりゃまいった。どうフィルターをかければいいのか?

 しかし、これらのいずれも結構長いアドレスを丹念に調べたら、末尾が2種類に分かれて共通していることがわかった。

 1つは“.ne11.jp”である。そしてもう1つは“.ne-jp.jp”である。
 この前に“@docomo”とか“@softbank”、“@ezweb”がついている。
 さらに“@”の前はまったくランダムなアルファベットの羅列となっていた。

 いやぁ助かった。
 これで受信拒否設定ができた。
 ドメインでの拒否指定だと、文字列の部分一致ではじいてくれるからだ。

 で、それとは別にこんなメールも。

 プリン先生は子供たちにつけられているあだ名です。小学校の教師をしている品川真奈美です。小学校の教師でも良かった…(残念ながら続きを読むためにはアクセスが必要)

 なんだか心温まるメールだ。
 何がって?
 “プリン先生”っていう響きが、だ。私は思わず「プッチン~」とつぶやいてしまったほどだ。
 でも、顔が台形だったりしたら嫌だな……

 さらには別な女性からこんなメールも。

 すぐにでもびっくりドンキー美香保店待ち合わせで会えますか?

 いえ、会えません!
 だって、まだ5:14だよ。日も昇ってないんだよ。雪かきしなきゃならないの、私は。
 朝からハンバーグ……食べれなくはないが、ちょっと重くね?

 一応、そのあとでネットで調べてみたら、確かに美香保店っていうのは実在していた。
 営業時間は6:00~6:00と、私にとっては新鮮な書き方がされている。「24時間営業」と書いてないところが新鮮なのである。いったい「6:00」に何が起こるのか気になるところである。店員が一斉に交代するのだろうか?5:30になると「お客様ラスト・オーダーです」って言われるのか?あるいは、締めの関係で、一旦会計を済ませなきゃならないのか?

 いずれにせよ、環境的には待ち合わせ可能。つまり嘘は書かれていない。

 とはいえ、だから何だ?
 なんだかいらだってきた。せっかくプリン先生に癒されていたというのに……

6c27cb75.jpg  そこでストレス解消!

 バルトーク(Bela Bartok 1881-1945 ハンガリー)のピアノ曲「アレグロ・バルバロ(Allegro barbaro)」Sz.49(1911)。

 この曲はバルトークの出世作ともなった作品で、強烈なパワーと、特有の音階とメロディー(ハンガリーとルーマニア民謡に依る)が聴き手に迫ってくる非常に印象的な曲である。
 なにせ「アレグロ・バルバロ」っていうのは、「野蛮なアレグロ」って意味なのだ。

 ここではまだ若き日のコチシュの演奏を。
 叩きつける強烈な音は、ドンキーもびっくり、プリンをも崩しかねないほどだ。
 1975録音。DENON。


師走1日。風に立ち向かう私とWeissの変態的作品

ac9dd702.jpg  おととい。
 昼ご飯は会社の地下で弁当を買った。
 なぜなら外は吹雪模様だったからだ。
 いや、私はふだんから昼食のために外へ出ることはない。たいていはビル内で済ましている。
 じゃ、吹雪模様だから弁当にしたってえのはおかしいじゃないか、と私に食ってかかろうとしている人がいるかもしれない。
 でも、よく考えていただきたい。

 吹雪模様→ビル内の食堂が混む→ひどく待たされる。

 このようなホップ、ステップ、ジャンプのような現象が想像できる。
 だから早めに弁当を買ったのだ。
 前にこのような気象条件のときに、ビル内の定食屋に行ったらふだんなら5分ほどで出てくる日替わり定食が私に供されるまで25分も要し、しかもその日のメインはデミソースのハンバーグだったが、食すると中心部が冷たかった。
 これで、この店は要冷蔵のレトルトハンバーグを湯煎していることがわかった。あまりにも混んだので、温めが間に合わなかったのだろう。

 それはともかく、私が買ったのはしょうが焼き弁当だ。
 ふつうの人は理解してくれると思うが、しょうがを焼いたものがメインのおかずというわけではない。豚肉のしょうが焼きだ。

 で、しょうが焼き以外にも、小ぶりながら鶏の唐揚げが2個入っている。
 これは男心をくすぐるラインナップだ。

 で、昼休みに入る。
 最初に鶏のから揚げを口に入れる。
 噛む。
 きょえ?
 鶏の唐揚げではなく、さつま揚げのようなものを揚げたものだった。
 口の中に広がる予期せぬフィッシュ・フレーバー……
 これは私をへこますには十分すぎる。
 わざわざ、さつま揚げに衣をつけないでほしい……揚げ揚げ……

 その吹雪であるが、23日から25日は、札幌とその周辺では大荒れになるという予報に反し、幸い穏やかであった。
 しかし、25日の夜になって、大雪警報が発令された。
 嫌な予感がした。
 私は119番通報を受けた消防士がすぐに消防服に着替えるようにパジャマに着替え、すみやかに寝た。
 なぜか?
 早朝に雪かきをしなければならないからである。

 除雪車の音がした。
 時計を見ると2:40だった。
 が、私はそのまま寝続けることにした。
 いくらなんでもこの時間に雪かきをするのは病的だ。
 3:50に再び目が覚めた。
 私は4:00にセットしてあった目覚ましのスイッチをONからOFFにし、飛び起きようとしたがそこまでの元気がなかったので、のそっと起き上がった。

 2階の窓からバルコニーの雪を見る。
 なんだ、全然積もってないじゃないか……。これなら雪かきの必要はないんじゃないか?あの除雪車の音ももしかすると夢だったのかもしれない。こんな量で除雪に入るわけがないもの。

 とはいえ、念のため階下に降り、窓から外を確認する。
 グァ~ン!
 敷地前には除雪車が押し寄せて行った雪の山が日高山脈のように連なり、玄関ドアを開けてみると、10数センチは積もっていた。バルコニーに積もってなかったのはなぜだろう?

 私は119番通報を受けた消防士がすぐに消防服を身にまとうのと同じように、パジャマの上からスエットのズボンと、シャツを着て(はっきり言って上下バラバラである)、耳あてをつけ、帽子をかぶり、ダウンを着て、外へ飛び出した。

 私が焦るのは、間もなく個人で契約している除雪業者がやって来るからだ。このありがたい契約は、市の除雪が入って残して行った雪の壁を小型のブルで除けて行ってくれるのだ。
 私は道路から玄関までの、いわゆるアプローチ部分の雪をママさんダンプで一生懸命雪の壁に運び、上に乗せた。こうすれば、きれいに持って行ってくれるはずだ。
 逆に言えば、これに間に合わなければその雪は庭に積み上げるか、裏の空き地に運ぶしかない。裏の空き地に運ぶにしても、そこまでの道筋をつけなきゃならないし、だんだん雪が積み上げってくると、繊細な私にはその坂をママさんダンプで押し進むことが困難になるのだ。

 私は働いた。
 下手な新聞少年よりもすばやい動きで、アプローチの雪を必死に道路側へと運んだ。
 なんとか大方の雪を運び終えたときに、民間除雪車がやってきた。4:40だった。
 まずい。
 私は家の中に隠れた。
 一応大前提として、敷地内の雪は出してはいけないことになっているからだ。でも、きっとばれてる。彼は知ってるのだ。だからこそ、私が暗闇で必死に雪を出している場面を見せてはいけないのだ。
 こうして、わが家のアプローチも道路に面した部分もきれいになった。
  
 そのすぐあとに朝刊が来た。新聞配達のおじさんも「うわぁ、歩きやすいや!」と、きっと喜んでくれたと思う。

 7時過ぎ。
 急に吹雪になった。
 私が家を出たときには、先ほどあんなにきれいにしたいたるところが、すでに5センチ以上の雪で覆われていた。

 私は毎日駅まで歩いている。
 この日は向かい風の吹雪だった。
 細かいあられのような粒が顔にぶちあたる。
 私のメガネにはワイパーがついてないので、視界が悪くなる。
 指で雪をぬぐう。が、どうやら雪は内側まで回り込んでいるようで、視界はよくならない。
 こんなとき、熱線がレンズに入っていればいいのにと思う。
 とにかくすごい吹雪で、周りの音が聴こえない。というのも、けっこうなボリュームでウォークマンで笑っちゃいそうなH.ヴァイスなんぞを聴いていたからだ(もちろんヴァイスはまじめにやっているんだけど)。
 一度メガネをはずして内側も拭いたが、耳あてをしてるため再装着がうまくいかず、結局はずすことにした。メガネをはずして外を歩くなんて、何十年ぶりだろう?なんだかすっ裸で外を歩いているような恥じらいを感じた。

 しかし恥らっている場合ではない。
 近視と乱視、加えて老眼も入って来た私の裸眼は、ただでさえ白一色の歩道の凹凸が全然わからない。清水脩の「山に祈る」の吹雪の歌を思い出した。

 しかし私は頑張りぬいた。
 駅に着いたのだ。
 そのときの私は、雪の石北峠を走り抜けてきた特急オホーツクの先頭車両のように雪まみれだった。

 私が乗った電車は9分遅れて発車した。
 もちろん雪のせいであって、私が落ち着くのを待ってから発車したわけではない。
 が、札幌駅に着いたときには29分の遅れに拡大していた。
 やはり電車に乗る前はおしっこをしておくこと。これが今回の教訓である。

 ヴァイス(Harald Weiss 1949-  ドイツ)の「TROMMELGEFLUSTER」(1979-80)。
 ヴァイスのによる打楽器と声の演奏で、邦題は知らないが(たぶんついていない)Trommelというのは打楽器という意味である。

 これまでもヴァイスの作品はいくつも紹介してきたが(私、けっこうファン)、その中でもこの作品の奇奇怪怪度はレベルが高い。

 さまざまな打楽器を打ち鳴らしながら、ときには厳粛に、ときには変態チックにヴァイスが叫ぶ。ガムラン的であったり、神秘的であったり、あるいは陽気なお経のようであったり……

 吹雪の中を進軍しながら聴いていると、なぜか心が温まってくる←うそです。
 でも、なんだかすっごく深遠な(感じがする)曲であり、またパフォーマンスであることは間違いない。
 打楽器マニアには垂涎ものの1枚と言えるような気がしてきた。

 1982録音。ECM。

さっちゃんはバナナ半分だけど、彼はAC5粒。で、ピアソラを

 先日“どら猫酔狂堂”と忘年会を挙行した際に、どういう話の展開からかさっぱり覚えていないのだが、ベリンスキー侯がクーデター計画を打ち明けるかのように私に言った。

 「私はアーモンドチョコレートが好きです」
 「は?」
 「白と赤のパッケージの、明治のアーモンドチョコが好きなんです」
 「はぁ……」
 「MUUSANはお嫌いですか?」
 「いや、好きですよ。ボタモチよりは相当好きです。でも、明治ならストロベリーチョコが絶品だと思います」
 「そういうのもありましたね」

 どうやらアーモンドチョコ以外には興味がないらしい。
 少しいじってやろう。

 「アポロチョコのストロベリー部分に比べると、ストロベリー・チョコは天にも昇る美味しさですよ。私はあれならペロッって食べちゃいますね。あっ、そうそうチョコベビーっていうのも明治じゃなかったでしたっけ?子どものとき、虫歯で穴があいた奥歯にチョコベビーを入れてみたんです。ぴったりのサイズだったんです、粒の大きさが。でも、即死するぐらいの痛さでしたね。同じようなものでも、正露丸を詰めるのとは真逆なわけです」
 「アーモンドチョコはやはり明治でなくてはなりません。他社のは……」
 「板チョコはどうですか?やはり明治ですか?」
 「無論です」
 「私は昔は板チョコは明治以外はないと思ってました。しかし今は違う。ロッテのガーナがいちばんですね」

 ここでようやっとムッカマール氏が加わる。
 「プッポポォ~」
 昔のガーナチョコのTVコマーシャルの、アルペン・ホルン(要するに角笛)の真似をしたのだ。
 私とベリンスキー侯はそれを、大昔の風林火山の軍団の戦の合図かいな、と思いつつもさりげなく無視した。

 ベリンスキー侯はあきらかにじれていた。
 そしてついにこう言った。

 「でも、美味しすぎるから、1日5個と決めてるんです」
 このことを言いたかったのだ。
 私は大好きなものもきちんと節度をもって食べてますよ、と。
 いい歳のオヤジが何言ってんだか……

 しかし、このように自分を制するところはたいしたものだ。
 美味しすぎるから、じゃなくて、糖尿病になったら困るから、というのが本音だろう。
 で、私は自分で明治のアモチョコを買ってみた。

 開封して、中身を数えると、23個入っていた。内容量は96グラムとある。
 つまり1個の平均重量は4.173913043グラムである。頼むから割り切れるようにしてほしい。
 ということは、ベリンスキー侯は健康のために、1回あたりの摂取量を20.86956521グラムに抑えているということだ。この数を見ただけで、精神的にはよくないような気がする。

 ということで、私はそのとき13個食べた。54.26086955グラムである。
 どうです?ベリンスキーさま、羨ましいでしょう?

 どら猫酔狂堂北海道支社の社員諸君、支社長を操るのにマタタビは要らない。アモチョコで十分だ!

 そうそう、猫といえば先日TVに皆川おさむが出ていた。
 今の彼である。つまりオッサンで、でぶっていて、アーモンドチョコを一度に4、5箱食べていそうな感じだ。そしてなんとなく普通じゃない風貌だった。怪しげな感じ。

 皆川おさむといえば「黒猫のタンゴ」である。
 大ヒットした曲だ。なのに宅急便のコマーシャルソングに使われないのは、やはり皆川おさむが過去に犯罪を犯したせいだろう。いや、単に迅速・丁寧・正確なイメージに、あのボケーっとした歌が合わないだけか?

 タンゴといえばピアソラだ。
e4e90686.jpg  ピアソラ(Astor Piazzolla 1921-92 アルゼンチン)は作曲家であると同時にバンドネオン奏者。少年時代を過ごしたニューヨークで、父親から買ってもらったバンドネオンに魅せられた彼は、16歳でアルゼンチンに帰国したあとタンゴ演奏家の道へと進んだ。
 しかし、クラシック音楽をやることもあきらめきれず、1954年になってパリのブーランジェ(Nadia Boulanger 1887-1979。世界最高水準の音楽教師と言われている)に師事する。ピアソラはブーランジェから「あなたの進む道はタンゴである」と言われ、再びタンゴ音楽に取り組むこととなった。その後はモダン・タンゴの作品を数々と作曲する一方、クラシックの作品も手がけた。

 ここ10年、いや20年くらいだろうか。
 クラシック音楽界にもピアソラ・ブームがじわりじわりと起こった。

 私もブームに遅れまいとして聴いてみたが、正直なところ私が好む傾向の音楽ではない。
 とはいえ、どら猫→黒猫→タンゴということで、CDを1枚ご紹介。

 パサレジャのバンドネオン、ガロワのフルート、セルシェルのギター、バカロフのピアノ、チョン・ミュンフン指揮サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団によるピアソラ作品集。

 収録曲は、

 ・「リベルタンゴ(Libertango)」(1974)【バカロフ編】
   オリジナルはジャズ・ロック・アンサンブル版。古い因習から脱した自由なタンゴという意味を込めて「リベルタンゴ」と名づけられた。

 ・「アディオス・ノニーノ(Adios Nonino)」(1959)【バカロフ編】
   ノニーノはピアソラの父の愛称。父を追悼する曲。

 ・「タンゴの歴史(Histoire du Tango)」(1986)【全4曲】
   タンゴの誕生から現在までを30年刻みで追ったもの。「酒場1900」「カフェ1930」「ナイトクラブ1960」「現代のコンサート」の4曲から成る。

 ・「ブエノスアイレスの四季(Quatro Estaciones Portenas)」(1965,'69)【カルバレーロ編】
   四季をテーマにした4曲から成る作品。曲の順序は秋、春、冬、夏。第4曲の「夏」は1965年にムニョスの舞台作品「金の垂れ髪」の挿入曲として書かれたもの。これが好評だったため、残りの3曲が作曲された。

 ・「タンゴ組曲(Tango Suite)」(1983)から第2曲【ガロワ&セルシェル編】
   ブラジルのギター・デュオ、アサド兄弟のために書かれた3楽章から成る曲。

 このCDは1996,99録音。グラモフォン。

 うん。実に耳に新鮮に響く。
 でも、やはり私にはずっと聴き続けることが難しい音楽である。
 はまる人はとことんはまるんだろうけど……(その人は私とは健全な友好関係を築けないかもしれない)

 タンゴと言えば、浅田真央が使っていたシュニトケのタンゴは、「仮面舞踏会」のようなブームにならなかったな……

 えっ?バンドネオンって何かって?
 簡単に言えばアコーディオンみたいな楽器です。

 私は、本当は好きじゃないんだけど、ススキノのネオンをよく目にしてます。

原発事故と2011PMF。そしてルイジのマラ1

939209d5.jpg  今年のPMFのメイン・コンサートは「ルイジのマーラー」という謳い文句の(Kitaraでの)最終公演だった。

 プログラムは(マーラーの)「リュッケルトの詩による歌」と交響曲第1番だった。

 この演奏会、私はチケットを購入することができたのだが、直前になって行くことができなくなり人に譲ったという、聞くも涙、話すも涙の裏話がある。
 その後の新聞評では「ひどく聴衆が熱狂した」とあって悔しい思いをしたかと思えば、「あれはねぇ」というブログでの評もあって、「んじゃ、行かなくてよかった」と、イソップの「すっぱいぶどう」のキツネのような気分にもなった。

 非売品ながら、あるツテからその日の演奏会のCDを聴くことができた。
 2枚組のCDで、1枚目には7月23日のKitaraでの公演が収められている。演目はマーラーの「亡き子をしのぶ歌」とブラームスの交響曲第2番。
 2枚目は、7月30日のkitara最終公演で先に書いた、リュッケルトと第1交響曲である。
 両日ともバリトン独唱はトーマス・ハンプトン、ルイジ指揮PMFオーケストラ&PMFファカルティである。

 その交響曲第1番。
 非常に若々しい演奏で、またルイジはテンポに多めの変化をつけるが、そのアクセルとブレーキに若きオーケストラもしっかりと反応している。
 音も非常によく出ている。
 これは会場にいた人はよほどのひねくれ者でない限り、音の渦に飲み込まれ、興奮し、熱狂せずにはいられなかっただろう。実際、曲が終わると同時に叫び声と拍手がわれんばかりである。
 私もそうなっただろう。
 でも、CDで聴くとハテナ?というところがけっこうある。
 まず、全体的に軽い。これは音が軽いのではなく、作り上げられた音楽に深みが乏しい。一本調子と言った方が近いかもしれない。
 第2楽章はちょいと陽気さが強すぎないかいって感じ。まぁ、楽しい船出ってことからすれば、こういうのがあってもいいんだろうけど。
 ルイジのイタリア人気質が出たのか?「フニクリ・フニクラ」を思い起こしてしまった。
 第3楽章は全体的にテンポが速め。これもちょっと……
 第4楽章は、お客様がお望み通りの炸裂。さすがヤング・パワー!けど、どこかバカ騒ぎっぽい。

 ただし、先ほども書いたように、ホールでこれを聴いていたら興奮するのは必至。ホールを出た後、気がついたらみんなマッサージ機の契約書を持たされていた、ってことがあるくらい空気に飲まれてしまっただろう。

 でも、なんとしても行けばよかったかな……
 何年か前だったか、やはりルイジが振る最終公演の「幻想交響曲」を、直前になって行けなくなったことがある。
 そう、実は私はルイジを生で聴いたことがないのだ。生ルイジを見たことがないのだ。

 彼とは、どーも縁遠いような気がする。

 今年のPMFオーケストラは、ウルバンスキ指揮の公演1回しか聴かなかったが、そのときはフェスティバルが始まったばかりというものあったのか、特に各人の聴かせどころが多いボレロがさんざんだった。“のだめ”で千秋がボレロを振った場面を再現してるかのようだった(最後に打楽器奏者が転ぶことはなかったが)。
 しかし、このマーラーの第1番を聴く限りでは、例年ほどじゃないまでもオケの水準は高いと思った。
 ウルバンスキの公演から20日くらいでこんなにレッスン効果が現われるんだなぁ、と感心してしまった次第。

 2011PMFは福島の原発事故の影響から開催が危ぶまれた。ウルバンスキのコンサートも、当初はアルティノグルが振る予定だった。
 しかし、来日中止となったアーティストはわずかで、無事開催にこぎつけたのは、事務局サイドの目に見えない努力の賜だと思う。

崩壊から20年目の今日、コフマンのDSch/Sym12を聴く

 メリー・クリスマス!

 は、さておいといて、今日はソヴィエトが崩壊して20年目にあたる日だ。

 ゴルバチョフ大統領が辞任し、エリツィンの時代を経て、プーチン、メドベージェフと、ロシアは20年の歴史を刻んできた。

 1905年の第1次ロシア革命、1917年2月の第2次ロシア革命、同年10月の十月革命などのあと、1922年にソヴィエト国家が誕生した。そして1991年に崩壊した。
 小学校のころ、世界地図を見ると“ソビエト連邦”と書かれた驚くほど広い国があるのに強烈な印象を持っている私としては、今ではそこにロシアって書かれていることがピンとこないけど。

6b404e1c.jpg  ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第11番の標題は「1905年」であり、第12番の標題は「1917年」である。さらに、「十月革命」という交響詩も書いている。

 ただし、1917年時点でまだ10歳そこそこのショスタコーヴィチが、革命に対しどのような期待や夢を抱いていたかは疑問である。
 彼はその後の社会的地位を築いたあとに、革命によって生まれたソヴィエト国家に死の直前まで追い込まれたことがあったわけで、むしろ過去に起こった革命には否定的、とまでは言わないまでも、望ましい形にはならなかったと考えていたのではないだろうか。

 実際、交響曲第11番と第12番はそれぞれ1957年と1961年の作であり、また交響詩も1967年に書かれており、そんな時期になって題材にしたのは今さらながらの感があるし、何らかの体制への“迎合”と批判されても無理はない。いや、別に迎合したわけではないのかもしれない。うるさい党幹部の声をやりすごすために、善い人のポーズをとっただけかもしれない。予防のために、ちょっと虫よけスプレーでもかけておくかのように……

 また、「革命」という名で呼ばれていた(現在はこの名で呼ばれることは商業的な場面を除けばほとんどない)交響曲第5番は1937年の作ではあるが、これはまさに批判からの名誉回復のために書いた曲であって、ショスタコーヴィチが革命を賛美しているわけではない。
 また、1927年に書かれた交響曲第2番は「十月革命に捧げる」というタイトルがついており、革命10周年を記念して作曲されたが、このときは革命に対してというよりも、前途洋々な若手作曲者が革命を題材に腕試ししたという感じがする。

 となると、これらの曲、いやショスタコの音楽はどのようなスタンスで演奏するのが正しいのかという、もはや解決できない問題に演奏家はぶつかってしまう。
 一方、聴き手は(私も含め)好き勝手なことを言っている。熱くなって演奏するのは作曲者が狙ったことではない、とか、でも大爆発が快感だとか……
 でも、聴く分においては、最終的には好みの問題だからね……

 彼の交響曲第12番ニ短調Op.112「1917年(The Year 1917)」(1961)。

 この曲については、ここでも過去にハイティンクヤンソンスギーレンの演奏を取り上げており、曲の内容についても触れてある。上に書いたように、第11番とともに、非常に酷評されることもある作品だ。それは、なぜこういう題材をいまさら用いたのか、という点で。

 今日はコフマン指揮ボン・ベートーヴェン管弦楽団による演奏を。

 コフマンによるショスタコの交響曲演奏はこれまでも取り上げてきたが、彼のアプローチはどの交響曲に対しても過度に熱くならない。「ショスタコの曲は熱くなっちゃいけないんだよ。ぜんぶ、陰でアッカンベーしてるんだから」というものだ。

 この第12番。
 通常、冒頭は低弦がずっしりと力強く始まるが、コフマンの全然気合が入っていない。早く終らせちまって、飲みに行こうぜ!って、考えてるのかしらん。
 でも、これなのだ。彼のやり方って。
 「だってショスタコだっていやいや書いたんだから。いやいやっぽくやればいいんでしょ。それが正しいと思いますよ」って感じ。斜に構えてるんじゃなく、真剣にそう解釈した結果だ。

 私はこれが正しいありかたのように思える。
 けど、ズンズン、バコバコの12番の演奏の方が好きではある。少なくともストレス発散面からは。

 2006録音。MDG。

 ソヴィエト国家が崩壊し、ロシアが誕生して20年。
 ショスタコーヴィチの、特に革命などの政治と結びついた作品は、その背景ゆえに今の時代に合わなくなってきているのは間違いない。
 ただ音楽そのものは決して時代に合わなくなっているのではない。
 そう考えるとき、表面的に作品との関係が説明されている革命、レーニン、スターリンといったキーワードから離れ、純粋に当時のショスタコの思いを想像しながら作品を解釈するということが、ますます重要になってくるのかもしれない。

 かつて主流だった甘ったるいバッハやモーツァルトの演奏が、ピリオド奏法の解釈によって大きく変わったように、ショスタコーヴィチの音楽もコフマン的な解釈が主流になっていく可能性はある。

 じゃ、メリー・クリスマス!ってことで……

チームA、加ト吉、北海道新幹線、そして王子様

88ac5905.jpg  この1週間ほど、携帯へのスパムメールが異常に増加している。
 同じメアド、あるいはドメインのものが繰り返してくる場合には拒否設定ができるが、微妙に違う送信者アドレスだと、対処が非常に難しい。

 もう自分のメルアドを変更するしかないのか?
 となると、登録しているいろいろなサイトへの変更をしなくてはならないし、概ね2万人に及ぶ友人知人たちに変更の案内をしなくてはならない。これはたいへんだ。

 こうんなふうに私としてはやや深刻目に悩んでいると、逆に「メアドを変更しました」というメールが届いた。
 アドレスは“mariko”から始まっている。

 篠田です!おはようございます!
 先日はごちそうサマでした。こないだはあれからあっちゃんもすぐ帰っちゃって解散て流れで……
 そんで携帯は結局アドレス帳全滅状態で、とりあえずアド変更したんで登録お願いします。
ちなみに来週の撮影の件で打ち合わせあるみたいで既にチームAの何人か待機中との事です。
 加ト吉にも連絡する予定なので起きたらお返事ください


 おぉ!篠田のまりこちゃんじゃん!

 って誰だ……?

 私は何をごちそうした?
 すぐ帰ってしまったあっちゃんって誰だ?
 「解散て流れ」って、“っ”が抜けてないか?
 全滅したのに、なぜ私のアドレスがわかった?
 チームAとか撮影とか、加えて「ちなみに」ってワケがわからん?
 で、結局は冷凍エビフライが食べたいとでもいうのか?それともコロッケか?

 私は返事をしてみたい欲望をなんとか抑え込み、放っておくことにした。

 そしたら2通目が来た。

 お疲れサマです篠田です!
 もし時間あえば今日は一緒に行こうと思ってたんですけど、お忙しそうなのでとりあえず先行ってますね!


 私は一緒にどこに行く予定だったのだ?
 忙しいことがどうしてわかった?

 アドレスを確認してみると、@docomo.ne.jpに続いて、.mailerfwdcom.netというのが続いている。
 つーことは篠田はノーマルな人間ではないな……。ふつうのドコモ・ユーザーならこんなアドレス得られないもの。

 はい、着信拒否!

 でも自分のメルアドを変えるべきか悩んでいるときに、タイミングよくこんなのが来ると、ますます悩みは大きくなる。

 ところで、ふと思った。
 mailって手紙って意味だと無批判に思い込んでいたが、考えてみれば手紙はletterだ。和製英語かもしれないが、便箋と封筒のセットはletter-setであって、mail-setではない。
 手元にあるポケット英和辞典を調べると、mailの意味は「郵便物、郵便」とある。
 あっ、そうか!電子郵便って意味か、電子メールって。電子手紙じゃなかったんだ。
 いまさらくだらんこと問題提起して、セルフ納得してすまぬ。

 それよりもこの辞書で、mailの別な意味が載っていた。“甲殻”……
 やっぱり、あの「加ト吉」という語には何か特別な暗号が隠されているのかもしれない。加ト吉のエビフライ……

 そんなことはどうでもいいか……

 どうでもいいと言えば、北海道新幹線。
 号外まで配られたそうだが、そこまでの話かね……
 函館市も合意せざるを得ない状況に追い込まれてかわいそうな気がするし。

 新聞を読むと、街で聞いた「子供のところに遊びに行きやすくなります」っていう喜びのコメントが載っていたが、その人74歳……。新幹線開業まで少なくとも20年はかかる。どうか、長生きしてください。もっとも、「できたころには私はいないかもしれない」といった、やはり70歳代の人の声も載っていた。これ、とっても正しい判断。
 というか、新聞も新聞だ。もっと、もう少し若い人間のコメントを載せろよな!

e2523cc6.jpg  新年度の札響定期のプログラムが発表された。

 マーラーの交響曲第5番が取り上げられているが、う~ん、尾高指揮か……
 エルガーの交響曲第1番はぜひ生で聴いてみたい曲。でも、尾高か……
 尾高は日本人指揮者としてはいまやトップの地位にあると言っても過言ではないだろう。
 昔は私も好きだった。
 でも今は、良い指揮者だと思うものの、その安全運転的な演奏に多くを期待できないでいる。できすぎ君って感じちゃうのだ。だからなぁ~。

 で、このなかで個人的にいちばん聴きたいのは10月。
 ベルリオーズの「イタリアのハロルド」に期待している。

 再びスパムメールの話に戻る。

 王子様へ
 白鳥晃(余命1年)様よりポイントプレゼントがございました。


 どうして私が王子だとわかったのだろう?
 でも、いまトレンディーなのは大王なんだが……

 ということで、クラーク伝パーセル)の「デンマーク王の行進」(トランペット・ヴォランタリー)を聴いて、威勢よく昼寝をした昨日の私であった。

 白鳥晃(しらとりあきら)さん、新幹線ができるまでがんばって生きてください。

傷つけといて、「あっ!」で済ますつもりか!?Khacha/vn協

83b3bb20.jpg  1月の札響定期ではゲッシェルの指揮で「幻想交響曲」が演奏されるということを、特に求められてもいないのに先日書かせていただいた。←う~ん、謙虚ぉ~。

 しかし、それだけではない。
 もう1つの出し物がハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲なのだ。実はアタシ、このコンチェルトも病的なまでとは言わないまでも、けっこう好きなのである。
 そしてこの曲の持つ、明るく振る舞っていてもどこか憂いがある感じと、ある思い出が濃密に結びついている。

 大学生のときだ。
 私にも付き合っていた女の子がいた。
 言っておくが、私の心をスパイク長靴の底で踏みにじった、モモンガ・ハイツに住んでいた子とは違う。

 その子が家に遊びに来たとき、私はちょいと自分のおしゃれさと鷹揚さをアピールするために、彼女にあるLPレコードを手渡し、「これをちょっとかけてくれる」と、彼女にディスクを取り出しセットしてかけるようにお願いした。

 彼女は、でも「大丈夫かしら」とか遠慮するところなく-結局のところ、この非謙虚さがのちに別れる原因となったのだが-、大胆とも言える大胆な扱いでLPレコードをジャケットから取り出し、さらにシュリッと勢いよく中袋からも出し、ターンテーブルにのせようとした瞬間、万が一起こったらどうしようと思っていたことが、万が一の確率で起こってしまった。

 LPレコードは嫌がるように彼女の手から離れ、床へと落ちた。

 私のお部屋の床にはカーペットを敷いてあった。
 だから通常ならディスクに傷はつかないはずだった。いや、傷ついたとしても軽微なもので済むはずだった。

 しかしこの日レコードの落下地点には、彼女が背負ってきたデイパックが置いてあり、しかも金属製の小さな笛がぶら下げられていた(彼氏の家に遊びに来るのにデイパックだぜ!山ガールじゃあるまいし。しかも笛だよ!痴漢除けじゃなく、間違いなくクマよけだ。魔除けよりはまだ救われる気はするが)。
 繊細なレコードちゃんは、それによって一生元に戻らない傷を負ってしまった。
 
 私は「いいよ、いいよ」と言ったものの、そのときにただ「あっ!」とだけしか言わなかった彼女に怒りと失望感を覚えた。いくら私に言われてやったからといって、そしてわざとではない事故だからといって、「ごめんなさい」の一言もなく、「あっ!」だけってゆーのはないだろうが!

 そのレコードは傷が癒えることもなく、聴くたびに第2楽章で「ザッ!ザッ!ザッ!ザッ!ザッ!ザッ!」と6回にわたって痛々しいノイズを発するようになった。
 
 そう。それがハチャトゥリアン(Aram Ilyich Khachaturian 1903-78 ロシア)のヴァイオリン協奏曲ニ短調(1940)のLPだったのだ。シェリングの独奏、ドラティ指揮ロンドン交響楽団の演奏だった。
 なぜ、B面のプロコの第2番の方を下にして落下しなかったのだろう……

cf054b1b.jpg  そんなことで、今日ご紹介するのはこの曲。今さら書かなくても、もう薄々気がついていただろうけど。

 前にパールマンの独奏による演奏(メータ指揮イスラエル・フィル)のCDを取り上げたが(1984録音。EMI)、今日はとっても古い録音を。
 リッチの独奏、フィストラーリ指揮ロンドン・フィルによる1956録音のものだ。デッカ。

 さすがに最近の録音のものに比べると音は劣るし、独奏ヴァイオリンがいきなり左に寄ったあげく(ヘッドホンで聴いていると)頬のあたりに接近してくるようなところもあるが、それでも'56年録音とは思えない良い質を保っている。何より演奏が情熱的。私は好きだ。

 ハチャトゥリアンの作品集で、ピアノ協奏曲仮面舞踏会第2交響曲と、おいしい作品が勢ぞろいしている!

プロバイダー&回線乗り換え検討会が出した結論は?

492dee12.jpg  もう3週間ほど前のことになるだろうか。

 土曜日の昼間、家の中でただ独り番犬のようにソファに寝そべっていたら、電話が鳴った。

 発信者の番号は見たことのないもの。
 だからすっごく無愛想に出ると、カナリア、の店員のような声で「生地は最低50cm単位でしか切り売りできません」という怖い言い方ではなく、うがいしたてのウグイスのような美しい声で、「こちら〇〇でございます」と某大手通信会社の名を語った(正確には、某通信会社の代理店と言った。それとカナリアっていうのは札幌の老舗の手芸店)。

 皆さんも経験があるだろうが、こういう人って芸術的なリズムの持続によって、こちらに口をはさむ隙や、電話を切るタイミングを与えない。いくらこちらで「ストップ!」とばかりに、受話器を持っている反対側の手で指揮棒を横に振ったところで通用しない。

 で、何とか「い、い、いえ、結構です」と言うタイミングを見計らっていたのだが、シャワートークを耳に入場させているうちに、なんとなく興味がわいてきてしまった。
 そういえば爪に、いや、妻に「最近はインターネットの料金が下がってきているというのに、うちは見直す気はないのでしょうか?」とレンホウのように言われていたことも思い出した。

 でも、アドレスが変わるのは面倒だし、だいいち自分のブログに多大な影響を及ぼす。過去の偉大なる粗大遺産が失われる危機に直面することになるだろう。
 とはいえ、けっこう安くなりそうだし、スピードも速く、回線端末機器の利用料もかからないという。
 どうやら救いの手があるようで、ブログにしても、メルアドにしても月額262円で現在のOCNのを継続利用できるという。

 彼女の言葉の間に八分休符が挟まったとき、私は勇気を奮って言葉をはさんだ。

 「詳しいパンフ、送ってください」

 こうして、私は住所まで彼女に教えてしまった。

 その4日後くらいだったろうか。
 封書が届いた。
 中身は“bvひかり”(仮称)のパンフレットであった。

 さて、詳しく現在契約中の“OCN光 with フレッツ”と“bvひかり”の月額を比較してみた。

 光回線とプロバイダー料は、OCNが5,565円。bvひかりは5,460円。
 現在かかっている屋内配線と回線終端機器の利用料と、無線LANのカードとひかり電話対応機器使用料が1,755円が、bvひかりではゼロ。
 ひかり電話の基本料とナンバーディスプレイはどちらも同額なので、ここまでで1,860円下がることになる。

 一方、増高要因はOCNのメルアドやブログ人を継続するためのバリュープランに加入するために、月262.5円かかる。263円としてその分を加味しても、月1,597円下がる。

 ただし、bvひかりでインターネットを無線LANで利用するには、市販品の無線LAN機器を購入しなくてはならい(一時的な支出で収まるけど)。
 bvひかりの方が速度が速く、費用も安い。
 いろいろな移行がめんどくさいけど、悩むところだ。いや、私の気持ちはbvに傾きつつあった。

 パンフが届いてから3日後。曜日はまたも土。
 私は前回とまったく同じように番犬ごっこをしていたところに電話が来た。

 彼女だ!

 相変わらず丁寧かつ美しい声。この人が美人じゃないなんてありえないという印象だ。
 彼女は言う。
 「パンフレットは届きましたでしょうか?」
 「ウゥ~ッ、ワンッ!」 ←「はい」の意。
 「先日MUU様は無線LANのことを心配しておられましたが、その後、今月にご契約していただいた方に限り、無線LAN機器を無償で提供するキャンペーンを実施することになりました」
 「無償で提供……ですか?」
 「ええ。つまり、ただであげちゃうってことです。今月限りですが」
 私が時間的ストレスに弱いということを知っているかのような攻め方だ。今月中か……。

 でも、これは美味しい話だ。昼寝から目覚めたら極太の骨が目の前にあったようなものだ。
 「きゃん、ウウウ~、キャイン、ワン!」
 つまり、もう一度詳しく検討して明日私から電話すると彼女に伝え、電話を切った。彼女の名前がサカガミさんだということも知った。

 その夜、妻にこのことを報告すると、「月1,500円も下がるのはどでかすぎる。変えるしかない!」と叱咤激励された。さすが、近所のスーパーよりも50円安い洗剤を、遠くの店にガソリンを1リッター使って買いに行くだけある。

 しかしである。
 ここで私はある報告をした。

 現在ひかりTVも契約している(基本コース)。私はTVを観ることがほとんどないが、妻はファイターズのファンでGAORAを非常によく見ているのだ。
 しかし、bvひかりの映像サービスではGAORAはサポートされていない。
 ファイターズを優先的に中継するチャンネルもない。

 OCNひかりTVの月額は2,625円。チューナーはTVに最初から内臓されているので必要ない。
 一方、bvひかりの映像サービスは基本コースで1,539円。しかしこれに機器レンタル料が毎月525円かかるので、合計2,064円。差は561円。

 先ほどの分と合わせると、bvの方が2,158円も下がる計算になる。
 が、なんせGAORAを観ることができなくなる。

 では、GAORAだけスカパーと契約したらどうなるか?
 スカパーの利用料で1,500円くらいになる。この1チャンネル狙い撃ちでも。
 となると、現在の契約とbvひかり+スカパーとの差は600円くらいまで縮まってしまう。
 しかも、さらにスカパーを契約するのも面倒だ。

 ということで、今回は見送ることにした。
 検討会座長の妻としては英断ともいえる判断だった。

 次の日、私は「嫌だなぁ。かけたくないなぁ」と思いながらも、サカガミさんに電話をかけた。

 別に私は悪いことをしたわけじゃないが、とっても申し訳ありません、はい、GAORAが、ええ、妻がファイターズが好きで、いえスカパーも考えたんですが、御社のはたいへん安くて魅力的なのはよく理解できました、はい、でも、今回は見送るということで、という言い訳に終始した。

 丁寧さは失わなかったサカガミさんだが、最後はタテガミが怒りで立ったんじゃないかと思われるような冷たい声色に変わっていた。
 そして、蜜月のころはあんなに電話を切るのが惜しそうにしてたのに、今回はあっさりと切られた。「またよろしくおねがいします」という儀礼的な挨拶とともに。

 でも、正直なところ私はほっとした。
 いくら継続使用できるとはいえ、ブログがらみでいろいろ手続するのは面倒だし、なんかかんだ言ってOCNがこれだけのシェアを維持しているのはそれなりの理由があるからだろう。

 それに、Bフレッツ+OCNの料金とbvひかりの料金自体は100円程度しか変わらないことを今回知った。高くついているのはNTTサイドの回線終末機器とかひかり電話の機器の使用料によるもの。NTTがこれを下げてくれればよいのですが……。他社に追い抜かれないためにも、NTTさん、下げてみません?

 じゃあ今日はJ.シュトラウス2世(Johann Strauss Ⅱ 1825-99 オーストリア)のポルカ「雷鳴と稲妻(Unter Donner und Blitzen)」Op.324(1868)。「雷鳴と電光」と呼ばれることもある。

 理論値だけを観ると、Bフレッツとbvひかりでは、bvひかりの方が10倍速い。
 つまり、ろうそくの灯の光と稲妻の光の違いぐらいありそうだ(*1)。
 とはいえ、PCの性能や、それ以上に無線LANでの使用という速度へのマイナス要素によって、果たしてどこまで速くなるのかは疑問が残る。

 それはともかく、「雷鳴と稲妻」はシュトラウスの数あるポルカの中でも最も有名なもの。雷鳴を表す大太鼓、稲妻を表すシンバルが、ドカドカ、ジャンジャン鳴り響き、実に楽しい。

 今日はスウィトナー指揮シュターツカペレ・ドレスデンによる演奏を。
 なんだか軽快感が足りず、今一つノリの良くない感じの演奏だが、逆に「J.シュトラウスの曲ってしっかりしてて、音楽性が高いんじゃん」ということを気づかせてくれる。
 1979録音。ドイツ・シャルプラッテン。

  *1) とはいえ、光速度自体には違いがないことはもちろんである。

 

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