読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行した「保存版」です。  いまは“新・読後充実度 84ppm のお話”として更新しています。左サイドバーの入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。  背景の写真は「とうや水の駅」の「TSUDOU」のミニオムライス。(記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

April 2012

ロロロロ、ララララ、ルルルルと歌うよう。Vivaldi/Fg協奏曲

f658c8ae.jpg  土曜日は良い天気だった。

 マイカーに乗り、高速で札幌へ向かう。
 車は多かったが流れは順調。
 にしても、片側1車線の高速道路って、後ろにぴったりつく車がいると非常に嫌なもんだ。

 家に着く前に、近くのガソリンスタンドに寄りオイル交換をしようと思ったら、タイヤ交換の車が待ち行列中。別に今すぐオイル交換をしないと車が動かなくなるわけじゃないのであきらめる。
 じゃあせっかくだからと思って、自動洗車場の方へ行くと、これまた数台の待ち行列。
 別に今すぐ洗わなきゃ湿疹が出てくるってわけじゃないのであきらめる。

 そのあとオートバックスに行き、ETC車載機を買う。
 ETCなんて要らないとずっと思っていたが、けっこう頻繁に乗るようになりそうなので、そうなると割引ですぐに元がとれるというアドバイスもあり、購入することにした。
 21f72c3b.jpg7,000円ほどで安いと思ったら、他に工賃とセットアップ料が取られるということをここにきて純真な乙女のように初めて知り、車載機本体の代金の倍近くを支払う。本当に元がとれるのか不安になる。
 店に行ったのは午前11時だったが、作業に入れるのは14時からだという。
 17時にもう一度来ると予約を入れて帰宅する。
 なんでこんなに混んでるのかというと、やっぱりタイヤ交換だ。

 ごく簡単に昼食を済ませ(セブンイレブンのレンジでできる天そば)、バラたちの冬囲いを外す。
 ネットを外すたびに悲惨な姿を目にしなければならなかった。
 バラたちはことごとく雪の重みで枝が折れていた。
 かなり太い枝が、裂けるように折れているものも多数あった。
 だいたいにして支柱が写真のような状態なのだ。
 ひどいものだ。
 心が痛む。

 今回の雪の被害は、歩道と庭の間に立てているラティス・パネルの支柱にも及んだ。
 グラグラになった。
 土台のコンクリートブロックがひび割れしていると同時に、柱自体がグラグラになっている。
 このままラティスパネルを付けるのは危険だろう。
 うまくできるめども自信もはまったくないが、セメントを買って来て修理することを決心する。

 それにしても、こんなところでアリがチョロチョロしているのを見ると、無性に腹が立つ。
 もしかして、アリがコンクリートの浸食に加担したんではないかと疑ってしまう。

 そのあとタイヤ交換をする。
 私はちゃんと自分でタイヤを交換した。
 案外と私はタイヤ交換をするのが速いのだ。4本替えるのに30分かからなかった。
 仕上げに空気圧を測る。
 ゲージが3.0を示した。
 信じられない。
 適正は前輪2.2、後輪2.1だ。一冬置いておいた夏タイヤだ。空気圧が冬前より上がっているなんて、それも1.0近く上がっているなんて信じられない。
 そこで空気を少し抜いて、適正にした。
 だが、聡明な私はゲージが壊れたことを疑った。空気を抜く前に聡明さを発揮できればよかったのにと悔やんだ。
 そして、17時にオートバックスに行ったときに(正確には16:48だったが)、新しいタイヤゲージを買った。ETC車載機を買ったときにもらった500円の割引券を使おうと思ったが、だめだった。2,000円以上のお買い上げじゃなきゃ使えないんだそうだ。惜しくもゲージは980円だったのだ。

 翌日曜日。
 つまり昨日。

 朝、まず古いゲージで測ってみる。
 前日にエアを抜いてあるので、適正値を示している。
 次に新しいゲージで測ってみる。

 同じ値だ……

 賢明な私は、古いゲージは壊れていなかったということを理解した。

 にしても、すっごく変だ。
 なぜ保管中に空気圧が上がったのだろう。
 私の目を盗んで誰かが空気を入れたのか?
 タイヤは雪に埋もれていたけど……

 すっごく気にかかる。
 けどこの疑問に答えてくれる人は誰もいない。
 宮部みゆきの小説のように、カラスのアインシュタインが見ていて教えてくれるんなら助かるが、そもそも私は言葉がわかる犬のマサでもない。

 昨日はホーマックに肥料を買いに行き、その帰りにオイル交換をした。
 スタンドに行ってみると、そのときタイヤ交換中だった車以外に待っている車はなく、すぐにできたのだった。
 スタンドのお兄さんにタイヤの空気圧の怪現象について尋ねてみようかと思ったが、そんな勇気はなかった。
 オイル交換のあと、洗車機も空いていたので洗車もした。土曜日に果たせなかったことができて満足だ。私が洗車中に待ちの車が2台来たのが見えた。すぐに洗車機に入れたことに些細な幸せを感じた。

8150dea0.jpg  さて、今回の札幌への移動では、あらためて鑑賞しましょって気にはなかなかならない曲のCDをかけながら運転した。

 ヴィヴァルディ(Antonio Vivaldi 1678-1741 イタリア)の作品で、ファゴット協奏曲が8曲入ったCDだ。
 リオムによる整理番号(RV.)でいうと、466、467、474、486、487、491、499、500である。
 ヴィヴァルディはたくさんのファゴット協奏曲を残しているが(調べてみたら37曲あった)、この8曲だけでもかなりたらふくになった。
 というより、ドライブは2時間以上に及んでいるのに、トータル収録時間71分のCDが到着した時も終わっていなかった。
 やれやれ、2回目のリピート演奏に入って久しいのに気づかなかったのだ。
 今までほとんど聴いたことがなかったCDではあるが、それにしてもそれぐらい“なんとなく”な曲だ。
 でも、装飾の多い歌唱のようなファゴットの演奏は、そのあともう一度聴いてみると(昨日聴いてみた)なかなか面白くはあった。映画「カストラート」でファリネッリが兄貴の作曲した歌っているかのように(もちろんファゴットだから音は低いけど)。

 熱狂的なヴィヴァ・ファンにはたまらないのかもしれないし、そうでない人(私を含む)でもそこそこ楽しめるが(なかなかファゴットが活発だ)、運転中に向くかどうかは……

 私が聴いたのはD.Smithの独奏、Ledger指揮イギリス室内管弦楽団によるもの。
 1996録音。ブリリアント・クラシックス。ASVからのライセンス。
 ヴィヴァルディの協奏曲集の1枚。

鶏肉のトマト煮がなぜ狩人風なのだろう?ハチャトゥリアン/Sym1

 昨日のブログ記事ではドイツ風なんて言葉を書いた。
 そんでもって、なぜか今日は狩人風。

 カチャトーリャ(カチャトーラ)というのは肉のトマト煮の総称らしいが、その意味はイタリア語で“狩人風(alla Cacciatora)”。
 肉はなんでもOKらしいが、鶏肉を使うことが多いようだ。
 鶏と狩人っていうのは、なんだか関係が希薄な感じがするけど。

 私が小学校5年以降の多感な年代を過ごした札幌の西野。その伸び行く街の象徴的存在だった商業ビルの“カスタムパルコ”。
 このビルの地下飲食店街に“レストラン ニュー銀座”という店があった。

 そこのスパゲティ・ミートソースと“ポークステーキ ニュー銀座風”がとても美味しかった記憶があるが、メニューのなかに“スパゲティー・カチャトーリャ”というのもあった。
 鶏肉をトマトソースで煮込んだものが、鉄板の上でジュージュー叫んでいる炒められたスパゲティにかけられた料理だった。
 
f7889fd6.jpg  そんなことを思い出しながら、今日はハチャトゥリアン(Aram Il'ich Khachaturian 1903-78 ソヴィエト)の交響曲第1番ホ短調(1934-35)。ハチャトゥリアンが大学から大学院に進む際に書いた卒業作品であり、アルメニアのソヴィエト連邦加入15周年記念の意味を込めている。

 この作品についても以前取り上げており、そのとき紹介した演奏はガウクの指揮によるものだった。 
 でも、今回はもっともっと新しい録音を(とはいえ、もう20年前)。

 さて、ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)が卒業作品として書いたのも交響曲だった。
 ハチャトゥリアンのよりも10年前に書かれたショスタコの交響曲第1番ヘ短調Op.10(1924-25)は、軽妙で洒落た新時代を予感させるヨーロッパ的音楽であったのに対し、ハチャトゥリアンの交響曲第1番は民族臭がぷんぷんするものだ。
 アルメニア音楽において最初の交響曲となったこの作品、すっごくアルメニア臭いのだ(行ったことも知り合いもいないのであくまでイメージ)。

 初演は好評でその後も演奏される機会があったが、現在ではあまり聴かれることはない。
 卒業作品ということで、まだまだ作りが甘いってことだろうが、やはり臭いがきついっていうのがあるのかも。ただ、ここまで忘れ去られるのは気の毒。第2楽章の美しさはかなりイケてるし、第3番よりずっとまともに思える(ハチャトゥリアンの3曲の交響曲のなかでは第2番が突出してすばらしい)。

 今日はチェクナヴォリアン指揮アルメニア・フィルの演奏を。
 「ガイーヌ」でなかなか素晴らしい演奏をしてくれた彼だが、この演奏もむせ返るほど臭くなく、かといってやっぱり民族色濃厚で楽しめる。
 変態チックな交響曲第3番とのカップリング。
 1993頃の録音。ASV。

 スパゲティ・カチャトーリャは私も自分で作ることがある。
 といっても、薄切りにした鶏肉を炒め、そこに市販のミートソースを入れるだけ。
 本来の作り方なら鶏肉のほかにタマネギやピーマンも炒めトマトソースを加えて味を整えるものだが、それだと単品料理ならいいがパスタソースとしては物足りない(私には)。そして何より面倒だ。
 市販のミートソースはひき肉の量が少ないから、このように鶏肉を加えるとパスタのソースにはちょうど良くなるって寸法だ。
 ぜひ狩人の味をお試しあれ。

 さて、“レストラン ニュー銀座”はもともとは留萌に本家があったそうだ。西野の店は現在“シェみながわ”の名で、西野二股近くに移転した。
 ただし、2年ほど前に行ったときには“スパゲティ・カチャトーリャ”も“ニュー銀座風”の味付けのポークステーキもメニューにはなかった(2023年記:現在は閉店)。

フランス産だがドイツ風に。クレンペラーのフランク/Sym

822d8b8e.jpg  フランク(Cesar Franck 1822-90 ベルギー→フランス)の「交響曲ニ短調」(1886-88)は、フランスで生まれた交響曲の中でも代表的な作品である。

 しかしながら、フランスっぽくない。
 実にドイツ音楽っぽい。

 それは、フランスで活躍したためにフランスの作曲家と言われることはあっても、フランクの生まれはベルギーであり、また、もともとドイツ系の家系だったためだろう。また、ドイツ・ロマン派やリスト、ワーグナーから強い影響を受けたのであった。
 
 交響曲ニ短調はお世辞にも明るい調子の音楽とは言えない。そして、親しみやすい曲だと言うと、それは詐欺行為に等しい。

 しかも、「交響曲第〇番」ではなく「交響曲ニ短調」という名称が、慣れない者にとってはヘンテコなものとして目に映るし、人を拒絶するような威圧感さえある。
 そして、楽章は3つしかない。
 伝統的な流れからすると、これまた中途半端な奇異な印象を受ける。
 でも、何度か聴いているうちに鑑賞レパートリーからはずせなくなる魅力がある。

 ドイツ的なことと直接関係ないかもしれないが、この曲の第2楽章(この楽章がいちばん有名)が始まってすぐに始まるコーラングレ(イングリッシュ・ホルン)による美しいメロディー。その途中からコーラングレを支えるように入ってくるヴィオラによる対旋律は、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」第2楽章の歌い出しのメロディによく似ている。 

 この作品、私はこれまでジュリーニやミュンシュの演奏を聴いていたが、いつも「もうちょっとずっしり、がっちりしたのはないもんかのぅ」と思っていた。

 そこで最近目をつけて購入したのが、最近の指揮者じゃ全然ないが、この1年ほどでけっこう好きになったクレンペラーのCD。
 そして、うん、なかなか当たりだった!
 CDのくせして30分程度のこの作品1曲しか入っていないという贅沢盤、というよりは、はっきり言って超不経済盤。HQCD(ハイ・クオリティCD)だが……

 非常に堂々としていて、陽気になれないこの曲を実に厳しくやってのけてくれている。クレンペラーの写真に見られるあの厳格な表情が目に浮かぶ(実際にはけっこうな変態おやじだったんふだけど)。そして、そんな厳しさの中にほっとするような温かみが見え隠れするところがうるっと来ちゃう。
 こういう演奏があってるね、この曲には。

 オーケストラはニュー・フィルハーモニア管弦楽団。
 1966録音。EMI。

 昨日はこんなメールが来た。

 住田真帆さんより新着メールです。

 大学院で遺伝子の研究をしています。理系なのでまわりは男性ばかりなんですけど、それでもモテません。...(続く)


 だからなんだっていうの?
 黙って顕微鏡で染色体の観察してたら?
 率直(フランク)に言いいますが、遺伝子を前面に打ち出してくるあたりに、真帆さんがモテないワケがあるように思います。
 

サプライズなこの春の出来事。染みる「アパラチアの春」

 荷物が届いたのは火曜日の朝のことだった。
 こちらに来ていた妻がそれを受け取った。

 その荷物は長男からだったで、開けてみると、それはワイングラスだった。

c0eb0022.jpg  この春就職した長男坊とは、その前日、月曜日に話す機会があった。
 初めての一人暮らし。アパートでの電気の関係でわからないことがあって、「教えてほしいことがある」と電話が来たのだった。

 しかし、もともと口べたなところがあって、こちらには状況も聞きたいこともなかなか伝わって来ず、いらいらしてくる。
 奴は奴で、人に聞いておきながら、伝わらないことにいらいらし生意気な口ぶりになる
 
 こうなると、こっちの語気も荒くなる。
 悪循環だ。

 まさか勤め先でもこんな話し方や態度をしているんじゃないだろうな、と心配になる。と同時に、親として育て方は正しかったんだろうかと、いまさらどうしようもないことながら不安になる。

3da17f02.jpg  勤め先がある街の百貨店から送られてきたその荷物の伝票の受注日には日曜の日付が書かれていた。
 あのいさかいのようなやりとりを電話でした前日に買っていたのだ。

 そして、伝票に手書きされた小さくて子どもっぽい文字を見ると、その文字から新しい環境で寂しい思いや苦労をしているんだろう、すごく疲れているんだろうというのが伝わってくるような気がする。慣れるまでは大変だろうけど、踏ん張らなきゃだめだ。親としてはそう心で応援するしかない。
 実は私も新たな環境にはなかなかなじめないタイプだから、長男の状況は理解できる

 メッセージを書いたメモは入っていなかった。
 品物だけだ。
 でもわかる。
 彼は彼なりに、初めての給料で親への感謝の気持ちを表してくれた。

 でも、こんなに実用的じゃないものはない。
 使って割ってしまったら困るからだ。

 その夜耳にしたコープランドの「アパラチアの春」。その第1曲のとてもゆっくりしたこの音楽が、実に優しげに心に染み入った。

20数年ぶりの劇的再会……スボボダ/シーズンへの序曲

9d6e6503.jpg  20数年ぶりに再び耳にすることができた!

 スボボダ(Tomas Svoboda 1939-  チェコ→アメリカ)の「シーズンへの序曲(Overture of the Season)」Op.89(1978)である。

 この作品については、なんとかもう一度聴くことができないものかと嘆き悲しむ文を載せたことがあった。

 一度だけコンサートで耳にし、その後は2人の子どもが生まれ、人間ドックで引っかかり、転勤し、またまたドックで引っかかり血圧の薬を飲むようになり、スピード違反で捕まり、父が死に、CDプレーヤーが壊れたので買い直し、アナログ放送が終了した。それぐらいの長い月日が経った。

 それがなんと、タワレコのオンライン・ショップで発見することができた。先月のことだ。
 入荷待ちで待つこと約40日。
 今週の頭に届いた。

 素直に言おう。
 ウレピ~っ!
 前の記事と重複するが、私がこの曲を知ったのは1989年9月の札響定期演奏会。そのときの指揮は“のだめカンタービレ”で実名が出てくるデプリーストだった。

 「シーズンへの序曲」のシーズンとはオーケストラ演奏会のシーズンのことで、1978年にオレゴン交響楽団83季開幕のために委嘱を受け作曲された。 

 このときの演奏会プログラムには、作曲家としては極めて異例のことだが、写真入りでスボボダのプロフィールが載っている。
0e7afdc7.jpg  それ転写したが、本文をあらためて転記しておく。

 1939年チェコ人の両親のもとにパリで生まれる。第2次大戦中はボストンで過ごし、3才からピアノを始める。戦後、両親と共にチェコに帰り、1954年プラハ音楽院に入学して早くから作曲の才を発揮、最初の作品は9才の時で、交響曲第1番がプラハ交響楽団で初演されセンセーションをまき起こしたのは、16才のときであった。1964年両親と一緒にアメリカへ移住、数多くの作品を書き、中でも1985年、コープランド85才の記念曲をアメリカ著作権協会から委嘱される名誉を受けている。現在、ポートランド市のオレゴン州立大学で作曲を教え、米国のメジャーオーケストラの作曲委嘱が2年先まで約束されるなど多忙な活躍をしている。

 もう20年以上前の話で、その後のことはわからないが、CDが出ているということは精力的に活躍しているということだろう(Wikipediaでは引っかからない)。

 「シーズンへの序曲」は祝祭的な華々しい派手で堂々とした作品ではない。
 楽しみをうきうきわくわくしながら迎える。そういう感じの音楽で、冒頭から引き込まれてしまう魔法のような曲だ。

 CDはデプリースト指揮オレゴン交響楽団。
 2000録音。Albany。

 そして、このCDにはセンセーションを巻き起こしたという交響曲第1番も収められているが、その音楽鑑賞文についてはまた後日。

 それにしても、長生きはするもんじゃい…… 
 再会の歓びが大きすぎて、今日はもはやバカなことを書けない気分。

 私の今年のガーデニング・シーズンもすばらしいものになりますように……

見世物小屋の正体は?ブリテン/イリュミナシオン

 もうすぐ連休前だからだろうか?
 このところ短いながらもけっこう説得力のある(?)お誘いメールが立て続けに来ている。

 「時間が全て解決してくれる」あの言葉があったからこそ、一人でも頑張ることが出来ました。
 月日が経つのは早いですね。話したいことがたくさんあります。
 友達リストの最新の所に番号を書いたので、直接、話しましょう
 From: 真由美
 http://sml-cojp.info/member/pp.do?pp**********


 今度のお店は評判も良いみたい。★★★★☆になってたから、レビューを一応見ておいて下さいね。
 http://sml-cojp.info/member/pp.do?pp**********
 あの時に嫌な思いをさせちゃったので、今回は、ご馳走させて下さいね。
 From:美由紀


 住所と地図を載せてあるので、気軽に遊びに来て下さい。お土産とかはいらないですよ(笑)
 http://sml-cojp.info/member/pp.do?pp**********
 五十路に突入した敏子より(照)

 個室居酒屋を予約しようと思うのですが、ここで良いですか?
 http://sml-cojp.info/member/pp.do?pp**********
 料理は美味しいらしいけど、ちょっと照明が暗いみたいです。
 FROM:らんちゃん


 ゴールデンウィークに突入してしまったら世の多くの男性もいろいろな予定が入ってしまい、こういうお誘いに引っかかる人が少なくなると危惧して、駆け込み勧誘をしているのではないかと思う。

 真由美~感謝を装って再会を求めている。こういうのって、「おやっ?こいつ誰だったろう?もしかしたら本当に知ってる女性かも」と、受取人男性の頭の中はグルグル回る。なかには幼稚園の頃に同じ“ひよこ組”だったまゆみちゃんまで対象の可能性をさかのぼっている人もいるかもしれない。でも、時間はいったい何を解決したのだろう?あ、そっか、それは直接話さなきゃわからないってことね。

 美由紀~食い物で機嫌をとろうというタイプ。柔道部員とかアメフト部員なら引っかかるかもしれない。「今回は」ということは、前回はこちらがご馳走させられたということか?少なくとも私にはそういう記憶はない。ストーリーを描くとすれば「あのときは評判の良くないお店でごちそうしてもらったけど、特上カルビを10人前も食べてしまって支払いのときに嫌な思いをさせてしまった」と謝っているって感じか?支払い以前に、目の前でそんなに食われたら興ざめだろうけど。

 敏子~さりげなく五十路にふさわしい名前だ。このあたりからして巧みに考えられている。気軽に遊びに行くと、とっても危険な遊戯が待っていそうだ。お土産とかいらないっていうが、一般的にはこういう場合のお土産といえばたい焼きだろう。たい焼きなんかよりもいったい何が欲しいのだろう?そういうことを妄想しながら、エクアドル気分で手ぶらで遊びに行く男性もいるのだろうか?

 らんちゃん~なぜか彼女だけFromじゃなくFROM。ちょっと照明が暗いというところが夜行性オオカミの食欲をそそりそうだ。らんちゃんという名も、乱を暗示しているに違いない。きっとフランクフルトとはまぐりが美味しい店なんだと思う、とバカな男性は思い込む。

 ということで、送信元はすべて同一。
 彼らも休み前に一儲けして、連休はゆっくり家族サービスしようっていう考えなのだろう。

 最初っからこれは作り話、滑稽な見世物という視点で読むと、いずれのメールも短いながらもよくできてるなぁと私は思ってしまう。

875efb50.jpg  「私だけが、この野蛮な見世物芝居を解く鍵を持っているのだ」

 これはブリテン(Benjamin Britten 1913-76 イギリス)の「イリュミナシオン(Les Illuminations)」Op.18(1939)のなかで繰り返し歌われる歌詞である。
 「イリュミナシオン」はテノール(またはソプラノ)独唱と弦楽のための9曲から成り、ブリテンの名を広く知らしめた作品の1つ。

 ブリテンは英語の歌詞の声楽曲を数多く残しているが、この作品はフランス語の詩による。作者はフランスの詩人ランボー(1854-91)で、同名の詩集から8編がとられている。

 1. ファンファーレ
 2. 町々
 3. a.断章/b.古代
 4. 王権
 5. 海景
 6. 間奏曲
 7. 美しくあること
 8. 行列
 9. 出発

 この歌詞の内容を一言で説明するのはなかなか難しい。二言、三言でもかなり難しい。
 なんだかすごく奇妙な詩だ。
 そしてブリテンの音楽は、暗く不気味さが漂う一方で華やかさもあるこれまた奇妙な感覚のものだ。なお、第1曲「ファンファーレ」と第6曲「間奏曲」で、上に書いた「私だけが、この野蛮な見世物芝居を解く鍵を持っているのだ」と歌われる。

 この不思議感覚は聴いてみないとわからない。と、自分の表現力不足の言い訳としたい。

 作曲家自身が指揮した、ピアーズのテノール独唱、ロンドン交響楽団の演奏を。
 1966録音。ロンドン(デッカ)。

ペトレンコが振る超有名曲。ラフマニノフのヴォカリーズ

7e62556b.jpg  先週の土曜日。

 帰りの列車まで時間があったので、今回は行くまいと思っていたのにもかかわらず、タワレコのピヴォ店まで足を延ばしてしまった。

 今回の出張では中村紘子の「チャイコフスキー・コンクール」(新潮文庫)を携えてきた。
 その最初の方に、ヴァン・クライバーンのことが出てくる。

 クライバーンは1958年に創設、開催された第1回チャイコフスキー・コンクールのピアノ部門の優勝者である。
 その後、1962年に彼の名を冠した“ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール”が創設されたが、2009年のこのコンクールで日本人として初めて優勝したのが辻井伸行。そのおかげで、クライバーンの名を耳にしたことがある人も多いのではないだろうか?

 その第1回チャイコフスキー・コンクール。
 アメリカの一青年が冷戦で敵対するソヴィエトのコンクールで優勝した。
 それはそれは大騒ぎとなり、クライバーンの人気はハンパなものではなかった。

 だが、この新たなるスターは休むことさえできなくなった。
3e53bb56.jpg  どこでもチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を弾くことを要求され、新たなレパートリーを勉強する時間もなくなった。
 そして腕の筋肉も、さらに心もズタズタになってしまった。
 一日中、真っ暗な部屋に閉じこもるようになったという。

 私はクライバーンの演奏(もちろん録音)を聴いたことがない。
 高校生の時に、クラシック音楽が特に好きなわけではないが、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番だけは好きだという奴がいた。彼は「クライバーンのLPを持ってるんだぜ」と自慢げに話していた。そのことを思い出してしまった。

 中村紘子はこの本のなかで(この本のもともとの刊行は1988年)、クライバーンの優勝記念演奏会について、「このとき演奏したチャイコフスキーとラフマニノフの協奏曲は、ライヴ録音盤で残っているが、特にラフマニノフのピアノ協奏曲第3番の演奏の美しさは、今日に至るまでこれ以上の名演を私は知らない」と書いている。
 そのせいというわけではないが、私はタワレコに行かねばならないような気になった。

 チャイコフスキーの棚に行ったが、そのCDはなかった。

 次にラフマニノフのところへ行った。
 と、そこに見慣れた顔が写っているジャケットが。

 おぉ、ペトレンコ様ではないか!
 ナクソスのコーナーでも、ショスタコの棚でもないのに、「ペトレンコちゃん、こんなところで何してるの?」
 私は危険なおじさんのようにつぶやいてしまった。

 それはラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943 ロシア)の交響曲第3番のCDだった。レーベルはナクソスではなくEMI。
 もう、アタシに内緒でこんなの録音しちゃって、水臭いんだから!

 今日は交響曲第3番ではなく、一緒に収録されているとても有名な作品「ヴォカリーズ(Vocalise)」。
 この曲は「14の歌曲」Op.34(1912)の第14曲だが(この曲のみ作曲年は1915)、いろいろな楽器のために編曲され演奏されている。
 そのくらい有名。

 ヴォカリーズというのは母音唱法のことだが、母音唱法で歌われるように作曲された楽曲のことも指す。

 ペトレンコは、ショスタコーヴィチでも聴かせてくれるような、変に情に溺れないしっかりとした演奏を聴かせてくれる。当たり前のことながら、こういう“名曲アルバム”的存在の作品に対してもでもきっちりと取り組んでいることに、とっても好感と頼もしさを感じる。
 2009-10録音。

 ということで、ペトレンコのCDを手にした私は、もうすっかりクライバーンのことは頭から吹っ飛んでしまった。そのあとクライバーンのことを思い出したのは、JRに乗ってからだった。

 母音唱法…… 
 若い人は歌舞伎町とかでボイン商法に引っかからないようにね。
                 ↑ どんなんだよ、それって?

じわりじわりとしみて来る……ステンハンマル/Sym1

23211e48.jpg  週末に“スーパーおおぞら”に乗って石勝線を通った。

 天気が良く、そして列車はとても空いていて、とてもリラックスできる移動となった。

 列車でも飛行機でも、私は通路側の席ばかりを利用する。
 いざ(たとえば抑えきれない尿意など)というときに気兼ねなく出入りができるからだ。

 今回も通路側の指定席をとったのだが、隣に客がいなかったため(そして前にも後ろにも)窓側にお尻をスライドさせて移動し、眺めを楽しんだ(もちろん外の。天井とか眺めてどうする?)。
 ただし、新札幌、南千歳までは隣に来るかもしれないとそれなりに遠慮して礼儀正しく自分の席に座り、そして南千歳を出るとあとはトマムまで停車しないので窓側にずれたはよいが、すっかりリラックスしてしまいちょっとばかりうとうとしてしまった。

 新夕張駅よりも少し手前の“滝の上”から“十三里(とみさと)”のあたりでは、列車が速度を落とすと線路わきにたくさんのフクジュソウが咲いているのが見えた。
 きれいだ。
 いいねぇ、こういう眺め。
 簡単に人が入ってこられるような場所だったらすぐに掘って持ち帰られるんじゃないかと思う。

 が、やがて国道と線路が一瞬並行するところでも、道端にタンポポのごとくフクジュソウが咲いていた。
 国道わきにフクジュソウなんて、なんだか不思議な感じがした。

 こういう車窓からの草木の姿、あるいは山々の姿を、私は今回、ステンハンマル(Wilhelm Srenhammar 1871-1927 スウェーデン)の交響曲第1番ヘ長調(1902-03)を聴きながら眺めていた。

 う~ん、詩的で素敵ぃ~(私が)。

 聴くにあたっては、ディーゼルカーのエンジン音がかなり厄介だったけど。
 こういうときはノイズキャンセラー機能付きのヘッドフォンにすりゃあ良いのだろうが、緊急事態が起きたとき(トンネル内火災とか脱線とかが続いた路線なのだ)にアナウンスが聞こえないと困るし……と意外と備え万全な私である。

 ステンハンマルは20世紀初頭のスウェーデン音楽の中心的人物となった人。ベルリンでピアノを学び、また指揮者としても活躍した。ピアニストとしては1892年にデビュー、指揮者としては1897年から活動を開始している。

 北欧の作曲家としては、ノルウェーにグリーグ(1843-1907)が、フィンランドにシベリウス(1865-1957)がいる。デンマークにはニールセン(1865-1931)がいた。
 しかし、ステンハンマルの作品はあまり、いや、相当知られていない。

 ステンハンマルはスウェーデンの民謡を用いたワグネリズム(ワーグナー主義)の劇音楽や合唱作品で成功を収めた。ワグネリズムであり、そしてベートーヴェンやブラームスといったドイツ音楽に強い影響を受けたため、のちに国民楽派としての作品を書くことを目指したものの、そして彼の作品は間違いなく北欧を思わせるものの、そこには後期ロマン派の余韻が強く残っている。
 そのあたりがシベリウスやニールセンと同じように位置づけられないところだ。

 交響曲第1番は、ホルンの雄大な景色を目にするかのような響きで始まる。それに続く、ひどく懐かしい感じのするメロディーが心にしみる。
 第2楽章は古謡を思わせるしっとりとした美しい音楽。レスピーギが「リュートのための古代アリアと舞曲」第3組曲のシチリアーナで用いたメロディーを思い出ださせる。
 第3楽章はベートーヴェンの「田園交響曲」の第3楽章「農民たちの楽しい集い」のような性格。
 第4楽章のたっぷりと堂々と歌われるメロディーも非常に魅力的だ。

 全体を通して温かみがあり、第1楽章のみならず説明のつかない懐かさがある。おじいちゃんの匂いがするような……
 
 アタックしてくる、あるいは打ちのめされるような衝撃的興奮はないが、それでも聴いていてじわりじわりと気分が高揚してくる。
 とはいえ全曲で50分以上の大曲。長ったらしく感じないと言えばウソになるが……

 N.ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団のCDを。
 1982年ライヴ。ブリリアント・クラシックス。

人間は考える葦である……桃の香りが放たれたとき……

 お昼の弁当の時間になった。

 皆がそれぞれ、気の合う仲間同士で2人あるいは数人のグループになって、広場のあちこちに場所を確保した。

 おだち屋でおっさんくさい澤本君は、「よーし、メシだメシだ」と独り言を言いながら、どしっと草の上に腰を下した。シートを敷くなんてことは澤本君の頭にはまったくない。しかも単独行動だ。別に誰かとつるまなくたって飯は食えるのだ。大人だ、澤本君は。

 だらしなく足を広げて座ったが、なにせ半ズボン姿だ。股の隙間からいなり寿司みたいなものが見え隠れしているではないか!でも、そんなことも澤本君にはどぉってことないらしい。

 澤本君は原っぱのへりに陣取ったが、すぐ後ろは林になっていてそこには急な下りの小道があった。不用意におにぎりを置くと、“おむすびころりん”になってしまいそうだ。
 そして彼はそこを下って行って姿を消し、再び姿を見せたときにはその手に濡れた缶ジュースを持っていた。それは不二家ネクターだった。

 当時としては、ネクターは高級品に入る飲み物だった。
 賢いことに、彼はバナナを食べたあと、原っぱの下の方のきれいで冷たい水が流れる小川の底にジュースを沈め冷やしていたのだ。エキノコックス症なんて知られてなかった時代だ。私たちはよく近くの山に遊びに行ったものだが、こういう小川でザリガニを採り、のどが渇いたらその流れの水を飲んだ。
 キタキツネが宿主だというエキノコックス症。いまなら、恐ろしくて川の水を飲むなどという無謀なことはできない。

 当時の缶ジュースのほとんどがそうだったが、飲むためには缶に穴を開けなければならなかった。リングプルなんて便利な仕組みではなかったのだ。
 鳥のくちばしのような缶切りならぬ“穴開け”の金具が必ず缶についていて、それをはずして缶の上部に直径2mmくらいの穴を2つ開けなければならなかった。1つは飲むための穴だが、小さいのでそこに口をつけて飲むと缶の中に空気が流れ込まず中身が出てこない。そこで反対側に空気穴を開けなければならない。
 穴開けの金具はふたに弱く接着されていたが、澤本君が小川から引き上げてきたネクターには必ずあるべきそれがなかった。

 澤本君の顔色が変わった。
 当たり前だ。
 あれがないとのどの渇きを潤すことができない。

 リュックを逆さにして振ってみる。
 すると、きらきらと光を放った穴開けが……落ちてこない……

 木の根がところどころ露出していて一歩間違えると足を引っ掛けそのまま小川までドッボーンという危険な小道を急いで駆け下り、その谷へ行ってみる。

 おぉ!まさに缶ジュースを沈めておいた川底にきらきらと輝く物体が……、まったくない。
 つまり、澤本君の持ち物の中にも、小川にも、そして行き来した小道にも穴開けは存在しないということが明らかになった。

 陽光の下、みるみる澤本君の表情は驚きと焦りと飢餓の和となり、仕上げに10%サービス料をONされたような絶望に満ちたものになった。
 私は見ていて子供心にもひどく気の毒に思ったものだ。

 「穴開け、誰か持ってないかぁ~」と、騒ぎ出すのにそう時間はかからなかった。
 そう。だってあれがないと澤本君は小川の水を飲むしかないのだ。

 でも缶ジュースを持って来ている児童なんて他にいなかった。
 みんな水筒持参だ。
 というのも、缶ジュースの場合はおやつとしてカウントされる決まりになっていたから。貴重なおやつ代をジュースに費やすなんてことは誰もしなかった。マーブルチョコやカルミン、森永キャラメルを買った方がいろんな味が楽しめるし、甘い時間を長く過ごせる。
 バナナはおやつ代の対象にならない。だから澤本君はバナナを持ってきていたのだ。巧みな計算だ。そして、おやつ代の多くの部分を不二家ネクターに振り向けたのだった。

 なのに今の彼には缶を開ける術がない……

 あのくちばし金具を調達することはできなかった。
 こうなると、缶ジュースなんて彩り豊かに桃の絵が描かれている単なる円柱にすぎない。
 澤本君は必死でほかのクラスの子にも聞いて回った。
 「誰か穴開け持ってない?」
 先生にも聞いた。
 「穴開けありませんか?」
 すべて徒労に終わった。

 澤本君は泣き出す寸前だった。
 あの調子なら帰りは歩けないんじゃないだろうか?
 もう彼の「ラッパ!パンツ!ツララ!」という無意味な念仏を聞くこともできないだろう。
 悲愴な面持ちというのはまさにああいうのを言うのだ。一挙に15歳くらい老け込んだようにも見えた。

 そんな彼に救いの手が差し伸べられた。
 ジュース缶の穴開けがあったのではない。
 代替として使える器具を持っている子がいたのだ。
 それは室谷君だった。

 みなさんは信じてくれないかもしれない。
 でも、これは本当にあった話だ。
 室谷君のお昼は、大きなおにぎり1個(その中身が福神漬けだったのが、私にはとても珍しく思えたものだ)。そしておかずとして持ってきていたのがコンビーフだった。

c55c61cf.jpg  コンビーフといっても缶のまま。あの台形のような変則な形をした、そして牛の絵が描かれたコンビーフ缶をそのまま持ってきていたのだった。これがキャンプだと思えばさして奇異ではないかもしれない。でも、本日は小学校の遠足なのだ。そして、唐突なのと同時に、なんかリッチだ。

 だって、コンビーフは高級品なのだ。ネクターなんて足元にも及ばない高級品だ。
 そして室谷君は家も立派だった。おもちゃもたくさん持っていた。野球ゲームも消える魔球が使える立体版だった。トランプは紙製じゃなくプラスチック製だった。
 このようにちょっと贅沢な暮らし向きをしていた子だった。だから1缶まるごと彼の口に入れても良いような優遇を受けていたのだ。

 当たり前のごとく、遠足にコンビーフを缶のまま持って来ているのを見た周囲の子たちはざわつき恐れおののきひざまずいた。
 いや、そもそもコンビーフなる妙なる缶詰を見たことがない子の方が圧倒的に多かった。

 「すげぇ、缶詰そのままかよぉ~」
 「オレなんて、鯨の大和煮の缶詰しか食べたことない」
 「それって、牛の肉なの?」
 「室谷の母さんって料理できないの?」

 最後の言葉を発した工藤君は、その後絶交された。
 でも考えてみれば、おにぎりの中身も福神漬けで室谷君のお母さんは瓶から出したものを使っただけである。

 決して皆は室谷君を妬んでいたのではない。単にいろいろなことが珍しかったので興味を抱かずにはいられなかったのだ。その室谷君は鼻高々って感じだ。
 若い読者の方に説明しておかなければならないだろう。現在では鯨は高級品だが、そのころは手ごろな肉といえば鯨で、鯨の大和煮の缶詰は非常に一般的だった。

 このちょっとした騒ぎは先生の知るところにもなった。
 そりゃそうだ。学年全体で100人もいない集団の遠足なのだ。
 室谷君の高級肉の缶詰を見た先生は、「うまそー」とつぶやいた。
 それぐらい、庶民が気軽に買って食べられるもんじゃなかった。

 澤本君と室谷君。
 この両極端の状況に置かれた2人。
 まるでサミュエル・ゴールデンベルクとシュムイレのようではないか! 

4adb2d39.jpg  コンビーフの缶のことをご存じだろうか。
 あの缶を開けるときは、缶の下の方にぐるりと一周している帯状の部分を巻き取る。そのためにTの字型の金具がついている。ゼンマイばねの巻きねじを簡単にしたような形だ。

 先生がこれに目を付けた。
 これを釘の代わりのように使って、石で打って澤本君のジュースの缶に穴を開けるのだ。

 山の中の原っぱでの荘厳な儀式。
 失敗は許されない。
 もちろん執り行ったのは先生だ。

 コツコツ……

 だめだ。

 ゴンゴン……

 ちょっと缶のふたがへこんだだけだ。
 しかもコンビーフ用金具が少し曲がった。
 もう一気にやるしかない。

 ガンガン……

 ジュッという音とともに、穴が空いた。

 ついでにもう一回ガンガン……

 空気穴も開いた。

 成功だ!

 澤本君は1週間禁酒していたアル中のじいさんのように、目を細めながら喉を潤した。
 
 でも、もうかなりぬるくなっていたと思う。

 みんなに笑顔が戻った。
 澤本君のただでさえクシャクシャ仕様の顔は、もっとクシャクシャになった。

 ♪

90d53c0e.jpg  シューマン(Robert Alexander Schumann 1797-1828 ドイツ)のモテト「悲しみの谷に絶望するなかれ(Verzweifle nicht im Schmerzenstal)」Op.93(1849)。
 リュッケルトの詩による男声2重合唱のための作品。1852年にオーケストラ伴奏用に編曲されている。悲しみの谷というのは、深い悲しみのこと。
 「悲しみの谷にも絶望しないで 多くの喜びは苦しみの中から生まれるものだから 絶望しないで」と歌われる。

 CDはホルスト・ノイマン指揮ライプツィヒ放送交響楽団の演奏によるものを。
 ここでの歌唱は、ライプツィヒ放送合唱団のメンバーが2群の男声四重唱を組んで歌っている。また、オルガンはH.バーンシュ。
 1978録音。ドイツ・シャルプラッテン。

 なお、ご存知の方も多いだろうが、「サミュエル・ゴールデンベルクとシュムイレ(Samuel ff8dbaf1.jpg Goldenberg et Schmuyle)」はムソルグスキー(Modest Petrovich Musorgsky 1839-81 ロシア)の組曲「展覧会の絵(Tableaux d'une exposition)」のなかの1曲(各「プロムナード」もすべてカウントした場合に第10曲目にあたる)。
 この絵、そしてこの曲は、2人のユダヤ人、裕福で傲慢な男であるゴールデンベルクと貧しく卑屈なシュムイレの会話である。ゴールデンベルクが尊大ぶって話を始め、次にシュムイレがいらいらとするような声でペチャクチャとしゃべりだす。しかし、ゴールデンベルクの威圧的な声でシュムイレを圧倒する。

 今回はピアノ原曲版の演奏のCDを載せておこう。
 ブレンデルの独奏によるもの。1985録音。フィリップス。
 そして、お得(?)なことに、これにはラヴェル編曲による管弦楽版も収録されている。その演奏の方はプレヴィン指揮ウィーン・フィル。1985年のライヴ。ロシアというよりはもうフランス音楽になっているって感じの演奏だ。

  今回、コンビーフ缶の写真をどうしても掲載しなければならないと感じ、私はこれまでほとんど買ったことのないコンビーフをスーパーで買い、上のように写真を載せた。
 なんと読者サービスがすばらしいブログであろうか!
 さぁ、今日はコンビーフ料理だ!成り行き上……

 ただ、あの穴開けタイプの缶ジュースはさすがに発見することができなかった。
 

ラッパ→パンツ→ツララ→ラッパ→パンツ→ツララ→ラッ……

 ほんとうに、缶ビールは瓶ビールより不味いのだろうか?
 私はそうは思わない。

 あるときのこと。居酒屋で飲んだのだが、そのときはどう考えても公共交通を使って帰るにはだるすぎると私は根性なしになってしまった。そこでタクシーに乗っちゃったのだが、行き先を聞いて車を発進させてすぐに、運転手さんが機嫌よさそうに話し始めた。

 「お客さん、今日は何を飲んだんですか?」
 余計なお世話だと思ったが、彼にとってはそこそこの長距離客がついたのでうれしかったのだろう。愛想を振りまくように語りかけてきたのだった。こういうときに「ベンザ」とか「パブロン」などと答えるほど、私は意地悪ではない。

 「ビールです。最初っから最後までビールを飲みました。私はビールってやつが好きなんです」
 「あたしも休みのときはビールを飲みます。でもね、お客さん。あの缶ビールってやつはダメだね。不味くって」
 ここで、私がそうは思わないと答えたところで、車内の雰囲気が悪くなることはあっても良くなることはないだろう。それなら最初に「ルル」と答えたほうがまだ角が立たない。

 「そうですね」
 そう答えて、寝たふりをした。
 会話を中断させるには効果的な演技だった。

 よほどのことがない限り、私は缶に直接口をつけてビールを飲むことをしない。
 衛生的じゃないから?違う。
 唇が繊細で金属のアレルギー症状が出るから?違う。
 そうやって飲んでも美味しくないからだ。

 缶から直接飲むビールはとっても不味い。
 あの運転手さんも、話の流れからすると、そうやって直接飲んでいるようだった。
 しかし、ビールはグラスに注いで飲むべきものだ。泡立たせて飲めば、缶ビールだって当たり前に美味しい。
 瓶ビールだってラッパ飲みしたら美味しくないはずだ。海外の一部のビールにはそういう飲み方をし、それがまたおしゃれだに受け取られているようだが、キリンラガーの大瓶をそのように飲む人はいないだろう。早飲み大会とかなら別だが、そんなの不味いし、変だ。

 缶ビールを直接飲んでも美味しくないのは泡立ちがないためで、グラスに注ぐ手間を惜しむから美味くないのだというのが、私の持論。
 

 缶ビールに限らず、缶入りの飲料の口を開けるにはリングを引くのが現代では当たり前だ。リングプルである。でも、本当はプルリングと言うのが正しいらしい。
 ひと昔前なら、リングは缶から外れたが、捨てられたそれを誤って野鳥が食べてしまうとか何とかで、缶から外れない構造になった。だから缶ごとその辺に捨てる人が増えた、かどうかはわからないが、一体化したためにリングプルを集めて車椅子を寄贈しましょうという活動に協力するには、リングの部分を一生懸命はずさなくてはならない。

 でも、缶から外れようが残ろうが、私が小学校低学年のころはそんな便利な仕組みにはなっていなかった。……

 私は遠足を思い出す。
 澤本君を思い出す。
 澤本君はいつも目の下にクマができていて実に老けた印象を放っていたが、その顔と半ズボン姿がまったく釣り合っていなかった。でも、とても人の好い男の子で私は彼からモンキースパナをもらったことがある。

 「これ、やるよ」
 「何に使うの?」
 「自転車の修理に使える」
 「なんでぼくにくれるの?」
 「拾ってきたから」

 私は今になって思う。
 変な話だと……

 浦河町の小学校に通っていたとき、春には遠足が、秋にはバスに乗っての社会見学が行事としてあった。
 社会見学といっても、2年続けて静内町の池内べニヤの工場と雪印静内工場に行ったことがある。よっぽど他に見学すべき社会施設が近くにはなかったのだろう。

 春の遠足では、街からはずれた山へ歩いていくことが何度かあった。
 といっても遠くではない。ちょっと歩けば子供の足でもすぐに街からはずれるような狭い街だったのだ。

 おやつは150円までです。果物はおやつ代に入りません。水筒の中身はお茶か水です。
 こうして、子供たちは経済観念を学ぶことになる。

 あるとき。
 朝学校を出発し、クラス単位で列になって山の方へと向かった。その日の遠足の目的地は絵笛という地区だ。
 絵笛に何があるのか?
 何もない。
 未舗装の道の両側は馬の牧場ばかり。さらに進むと道は緩やかな上り坂になる。途中横道に折れ、小高い山へと入る。そこにある原っぱが目的地だ。
 こうやって書いていると、村上春樹の「海辺のカフカ」で幼少のナカタさんが遭遇した事件の光景とオーバーラップしてしまう。でも、私たちの遠足では大きな事件は起きなかった。些細なハプニングがあっただけだ。

 おだち屋の澤本君は行きの道中、「ラッパ!パンツ!ツララ!」などと終わりのない“しり取り”を大声で叫んでいた。まるで常動曲だ。
 最初はクラス全体が声をそろえていたが、こんなつまらないこと、すぐに飽きる。
 でも、澤本君はみんなが唱和するのをやめ1人になってもしばらくは叫び続けていた。
 とにかく元気なのだ。こういう無駄で無意味なエネルギーの浪費が目の下のクマとなって現れていたんじゃないかと思う。

 歩くこと1時間半で、小高い原っぱに着いた。
 先生がおやつを食べましょうと許可を出す
 みんながリュックからおやつを出す。おそらく遠足の中で最も幸せな瞬間だ。
 澤本君は満足げにバナナを食べていた。その後の私の人生経験でも、あんなに満足げにバナナを食べている姿なんて、動物園の猿山でさえも見たことがない。
 いずれにせよ、バナナが好きだからモンキースパナを拾ってきたわけではないと思う。

 おやつの時間のあと、お弁当の時間まで私たちは何をして過ごしたのだろう。
 そして、先生のおやつは何だったんだろう?
 私たちは“自由行動”という有意義そうな名の時間を、実のところは広い原っぱにただ放牧されていただけのような気がする。
 サッカーをしたり、花を摘んだりした記憶はまったくない。不思議なことだ。

 そして、昼の時間である。
 それは缶にまつわる澤本君の悲劇の時間でもあった。

 ♪

43c9cd17.jpg  “常動曲”というのは“無窮動”とも言われる曲の形式だ。
 大きな作品の一部の楽章に使われることもあるが、独立した作品の場合は、何度も繰り返し演奏可能なように書かれた曲をいう。つまり、曲が終わりになるとまた冒頭に戻って最初から始まるのである。何回繰り返すかはほとんどの場合指示されていない。

 “音楽界の異端児”と言われるサティ(Elik Satie 1866-1925 フランス)が書いた21曲から成るピアノ曲「スポーツと気晴らし(Sports et Divertissements)」(1914)の第16曲「タンゴ」は、終わりの指示がなく永遠に繰り返すようなっている。

 また、同じくサティの「ヴェクサシオン(Vexations)」(1893-95)。「嫌がらせ」の意)の場合は、52拍の約1分の曲を840回繰り返すようにと指示されている。

 “異端児”ではなくとも、ヨハン・シュトラウスⅡ世(Johann Strauss Ⅱ 1825-99 オーストリア)にも「常動曲(Perpetuum mobile)」Op.257(1861初演)がある。多くのCDの演奏を聴くと、曲の終わり近くになると、指揮者が「これ以上は何回やっても同じです」というようなことを言って終わらせている。
 この曲は昭和40年代後半から50年代前半にかけて放送されていた「オーケストラがやってきた」というテレビ番組のオープニング曲として、各楽器を紹介するような形で多少編曲されて使われていた。

 ここでは「スポーツと気晴らし」が収められたCDをご紹介しておく。
 高橋悠治のピアノによる演奏。
 1979録音。DENON。

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