このところ、SWV.だのHWV.だのといった作品番号を登場させている。
前者はシュッツの、後者はヘンデルの作品についている番号である。
クラシック音楽の作品には、多くの場合作品番号がついている。
Op.(Opus)ってやつだ。これは、作曲順につけられるのが普通だが、楽譜の出版順になっていることもある。
また、作品番号がつけられていない作曲家も少なくない(これは作曲家自身がちゃんと管理していないことによる)。
そういう場合には、後年になって音楽学者などが整理して固有の番号をつけてくれる。これはとってもありがたいことだ。そしてかなり大変な作業だ。自分のイニシャルを使うのも無理もない。そして私たちは、その功績に感謝しなきゃならない。
そこで今日はそういった各作曲家に固有につけられている番号について、主要なものをご紹介してみたい。
・AV. R.シュトラウスの作品で、Op.番号がないものにつけられた番号。アソウによる「作品番号なしの作品」の目録番号。AVって聞くと、なんか別なことを考えてしまいません?
・B. : ドヴォルザークの作品。ブルクハウザーによる目録(1967出版)の番号。なお、ドヴォルザークの作品の多くにはOp.もついている。
・BWV. : J.S.バッハの作品。シュミーダーによる「バッハ作品主題目録」(1958出版)の番号。BWV.は、Bach-Werke-Verzeichnisの略。ただし、番号順は作曲年順ではなくジャンル別。教会カンタータ第1番の「暁の星のいと美しきかな」がBWV.1である。
BWV.のことを「ベーヴェーファー」と読んでいる人がいたが、たぶん「ビーダブリュヴイ」で構わないと思う。
・Bux.WV. : ブクステフーデの作品。カルルシュテットによる作品総目録(Buxtehude-Werk-Verzeichnis/1974)による。
・D. : シューベルトの作品。ドイッチュによる「Thematisches Verzeichnis seiner Werke in chronologischer Folge」(1978新版出版)の番号。1950年の旧版から番号訂正があった作品についてはカッコ書きで旧版の番号も記されることが多い。
・D. :タルティーニのヴァイオリン協奏曲につけられた、ドーニアスによる番号。
・F. : ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの作品。ファルクによる(1913出版)。
・F. : ファンナ(A.Fanna)ヴィヴァルディの作品。ファンナによる。ヴィヴァルディには他にP.、RV.の番号がある。Op.番号のついた作品もある。
・FS. : ニールセンの作品。 Fog & Schousboeによる目録(1965出版)の番号。
・G. : ボッケリーニの作品。ジェラールの作品目録(1969出版)の番号。
・G. : トレルリの作品。ギーグリングによる作品目録の番号。
・H. : ベルリオーズの作品につけられているホローマンによる番号(1987)。なお、ベルリオーズの作品の多くにはOp.番号もついている。
・H. : カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの作品。ヘルムによる作品目録(未出版)の番号。C.P.E.バッハには他にWq.(ヴォトケーヌ)番号がある。
・H. : M.C.シャルパンティエの作品。 ヒッチコックによるカタログ(1972出版)の番号。
・H. : ホルストの作品。I.ホルストによる作品総目録(1974)の番号。
・Hess. : ベートーヴェンの作品。ヘス編による作品目録(1957)の番号。
・Hob. F.J.ハイドンの作品。ホーボーケンによる作品目録(1957出版)の整理番号。なお、Op.番号がついている作品もある。
・HWV. : ヘンデルの作品。バーゼルトによる。なお、ヘンデルの器楽作品にはOp.1からOp.7の作品番号がある。
・J. : ウェーバーの作品。イェーンスによる(1871)。
・K. : ブゾーニの作品。キンダーマンによるブゾーニ作品目録の番号。
・K. : ドメニコ・スカルラッティの作品。カークパトリックによる番号。他にL.番号もある。
・K. : W.A.モーツァルトの作品。ケッヘルによる作品目録(1862初版)の番号。作曲年順に番号がついているが、その後の研究で作曲年が変わると修正され新たな番号がつけられている。現在は第6版まで出ているが、通常はもともとのケッヘル番号と、そのあとにカッコ書きで第6版の新番号を記すことが多い。また、初版以降に新たに発見された作品については「K.追加」番号がつけられているが、その番号は年代とは関係ない。疑作、偽作とされている作品はC.番号がつけられる。さらに器楽曲の通し番号は通常、ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社による旧全集の番号が用いられる。 なお、モーツァルトの生前に出版された作品でOp.番号を持つものもOp.17ぐらいまであるというが、重複したり欠落したりしている。
・L. : ドメニコ・スカルラッティの作品。ロンゴによる。なお、L.S.はロンゴ追加番号。D.スカルラッティの曲には、他にK.(カークパトリック)番号がある。
・M.S. : パガニーニの作品。モレッティとソレントによる整理番号。
・P. : ヴィヴァルディの作品。パンシェルルによる。ヴィヴァルディには他にF.、RV.の番号がある。Op.番号のついた作品もある。
・RV. : ヴィヴァルディの作品。リオムによる。ヴィヴァルディには他にF.、P.の番号がある。Op.番号のついた作品もある。
・S. : リストの作品。グローヴ音楽事典第5版(1954/61補巻)でのシャルルによる整理番号。
・S. : フンメルの作品。ザックスによる「フンメルの作品チェック・リスト」(1973-74)による番号。
・SWV. : シュッツの作品。ビッティンガーによるシュッツ作品目録(1960出版)の番号。Op.番号をもつ作品もある。
・Sz. : バルトークの作品。スールーシによる作品目録(1956出版/1965改訂)の番号。バルトークの作品にはOp.番号のついているものもあるが、Op.番号には1890年から始められたもの、1894年からのもの、1904年からのものの3つが存在している。
・T. : ヨハン・クリスティアン・バッハの作品。テリーによる作品目録(1967出版)の番号。
・WAB. : ブルックナーの作品。グラースベルガーによる「ブルックナー作品目録(Werkverzeichnis Anton Bruckner)」(1977出版)の番号。ジャンル別の通し番号。
・wo. : クレメンティのOp.番号のない作品。タイソンによる「作品番号なしのカタログ」(1967)の番号。
・WoO. : ベートーヴェンのOp.番号のない作品。キンスキーとハルム編の作品目録(1955)による「作品番号なしの作品(Werk ohne Opuszahl)」の番号
・Wq. : C.P.E.バッハの作品。ヴォトケーヌの作品目録(1905出版)の番号。C.P.E.バッハにはヘルムによる番号H.もある。
・V.~Z. : アイヴズの作品。新グローヴ音楽事典のジャンル別分類番号。
じゃあ、Op.番号がついておらず、かつ、別な整理番号がついている作品の例として、今日はなんとなくリスト(Franz Liszt 1811-86 ハンガリー)の「死の舞踏(Totentanz)」S.126(1849/'53,'59改訂)を。
ピアノと管弦楽のための作品で、作曲が構想されたのは1838年。グレゴリオ聖歌の「怒りの日(Dies Irae)」によるパラフレーズである。
「幻想交響曲」の終楽章やラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」など、多くの作曲がそのメロディーを自作に引用している、あの「怒りの日」を用いた、これまた代表的な作品の1つ。
リストはピサの墓所カンポサントにある「死の勝利」という壁画に感銘を受け、作曲した。曲はハンス・フォン・ビューローに献呈されたが、こういう成りたちの曲を贈られて、複雑な気持ちにならないのかしらん?
それと、まったく個人的なことだが、墓所という言葉を聞いたり見たりすると、「藤野聖山園」って歌が流れるのは私だけか?そこは永代墓所……。恐るべし、TVCMの刷り込み効果(何年も同じコマーシャルが続いてるってこともあるけど)。
「死の舞踏」はリストの作品中でも有名なものだが、いきなり「怒りの日」のメロディーがグァーンと出てくるインパクトが強い作品。あまりに露骨で、ちょいとやぼったい感じもするが……
上に書いたように、リストの作品にはS.番号が付くが、このS.は分類を手がけたイギリスの作曲家ハンフリー・サールの名前に由来する。リストの作品には他に、リスト博物館館長のペーター・ラーベによるラーベ番号(R.)もあるが、よく使われているのはS.番号である。
「死の舞踏」の演奏だが、ここでは「レリオ幻想曲」のときも紹介した、ベロフのピアノ、マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏をあげておく。
1977-80録音。EMI。
このほか、Op.という作品番号も、他者による番号も作品についていない作曲家もいる。
有名どころでは、マーラーやドビュッシー、ラヴェル、プッチーニ、ヴェルディ、ロッシーニ、ワーグナー、コダーイetc,etc……
でも、番号がなくてもあんまり不自由してないのが、不思議と言えば不思議。
聴いたことはないが、ベリオの作品に「Opus number Zoo」(1970)というのがある。この邦題は「作品番号獣番」。谷川俊太郎氏によってつけられた(訳された)日本語タイトルだが、これは見事な訳だと思う。
ところで、HMV.0というのはおわかりになるだろうか?
H.MUUSANのヴァイタリティーはゼロであるって意味である。
May 2012
ある日の夕方。
なかなかの腹ペコ状態でスーパーの惣菜コーナーに行き、しかも「20円引」とかと赤文字で書かれた黄色いシールがはられているのを見ると、ふだんでは手に取らないようなものをレジに持って行ってしまったりする。
空腹ホルモンが私の冷静な判断を阻害するのだ。
先日は焼いたフランクフルトが2本入ったパックを買ってしまった。20円引きで160円。
う~ん、お得ぅ~!……っか?
いざ食べようとしたとき、見事にまっすぐで姿勢の良い、しかし斜めに8本の切り傷を負ったフランクフルトを目にした私は、何でこんなものを買ってしまったんだろうと自己嫌悪に陥った。
いや、フランクフルトが悪いとは言わない。が、家で食べるなら、そりゃ便利ではあるけれど、ハム・ソーセージ売り場で袋に入った、身元のはっきりしたフランクフルトを買えばいいのだ。
そして、自分で好きな数だけナイフで切れ目をつけ、フライパンで焼けばいいのだ。お祭りじゃあるまいし、そのまま立ち食いするわけじゃないのだ。
そして、何よりも問題なのは、その“身元”だ。
こういうフランクフルトはたいてい不味い。
察するに、ポーク100%じゃないようだ。鶏肉か何かを混ぜる。そういう、まぁ、元値がお手頃な製品なのだ。だから、ちょっと変わった味がする。そして、やけにまっすぐな形をしている。
となると、ケチャップやら洋辛子を必要以上につけて味をごまかしながら食べることになるのだが、ほら言わんこっちゃない、ズボンにケチャップは垂らすは、袖口が辛子色に染まり、すぐに気付かないもんだから、それがシャツのあちこちに飛び火して、ズボンに付いたら危険な誤解を招きかねないような状況に陥ってしまうのだ。
ポークに何かを混ぜる。そんなフランクフルト。
そこで今日はマゼールが指揮したフランク(Cesar Franck 1822-90 ベルギー)の交響曲ニ短調(1886-88)。
長年聴いてきたミュンシュやジュリーニの演奏にはどこかノリきれず、クレンペラーの演奏で「おっ!」と思ったこの曲。この決して派手とは言えないのに、最近気が付くとこの曲を鼻歌ってる自分がいた。きっと、私が派手でなく謙虚な性格だからだろう。でも、鼻歌にはひどくふさわしくない曲のような気がする。
そこで安くなっていた混ぜる版、ならぬマゼール盤を購入してみた。
先日バルトークの「狂詩曲」で紹介したのと同じディスクである。
曲については上記の過去記事をご覧いただくとして、マゼールである。オーケストラはクリーヴランド管弦楽団。
いやぁ、ギラついてますわ。期待通りです。
テンポはよく動かすし、感情の起伏が激しい。クレンペラーは厳しくておっかない爺さんを連想させたが、マゼールの演奏は喜怒哀楽が激しいエロ爺を思い起こさせる。いや、この曲がここまでエロティックに聴こえるとは!
でも、好き嫌いは分かれるかもしれない。
私は好きだ。聴いていて体が火照ってきそうだけど。
それにしても、オーケストラが良く鳴っている。
1976録音。デッカ。
別な日のスーパーの総菜売り場。
やはりフランクフルトが売っていたが、2本で200円。
誇らしげな曲がり具合に、純情そうなピンク色。
あれは本物のフランクフルトだ。
でも買わなかった。なんとなくね。
力強く、開放的な人間の魅力――これがヘンデルの音楽のよさである。
こう書いているのは皆川達夫氏である(「バロック音楽」:講談社現代新書)。
同じ年に生まれたJ.S.バッハと異なり、ヘンデルはオペラとオラトリオを作曲の中心に置いていた。ヘンデルは舞台作品の興行主だったわけだ。
そこが一生教会に携わっていたバッハとは決定的に違う。
この本の中で、皆川達夫はこう書いている。
刻々と変化してゆく現実に対処して、つねに新しい効果的な音楽を作り出してゆくことがすべてであって、われとわが心に語りかける内省的な音楽を作曲する思索の時などは、一刻も存在してしていなかった。ヘンデルが、バッハとは対比的に、徹底して聴衆との共感の上に基礎をおいた開放的な音楽を生み出しているのも、ひとえに劇場音楽家としての彼の生き方、究極的には彼自身の人間的な資質に由来しているのである。
義務教育の音楽の時間に習ったと思うが、バッハは“音楽の父”でヘンデルは“音楽の母”と言われている。同じ年に生まれたこのバロック期の2人の大作曲家は、しかしながら似た者夫婦ではまったくなく、堅実な父と派手好きで破産までしちゃう母との組み合わせってことになる。
となると、そのあとの時代、父と母の間に生まれた(ってことになる)ハイドンは堅実な父親に似て、お金を使いまくったモーツァルトは母親に似たとも言える。実に意味のない話だが。
そのヘンデル(Georg Friedrich Handel 1685-1759 ドイツ→イギリス)の、メイン・ジャンルではないが、オルガン協奏曲を。
メイン・ジャンルの作品ではないとはいえ、彼のオルガン協奏曲は劇の幕間に演奏するための作品である。メイン・ジャンルと、だから関係なくはない。
なお、バッハにも“オルガン協奏曲”という名がついた作品があるが、これは独奏オルガンと管弦楽のための協奏曲ではなく、オルガン独奏曲である(BWV.592から597までの作品)。
ヘンデルには17曲のオルガン協奏曲がある。
第1集は1735年から'36年頃に作曲された6曲。作品番号(Op.)は4。HWV.番号は289から294(HWV.はバーゼルト(B.Baselt)による作品目録(Handel-Handbuch,1978-86出版)の番号)。この中ではハープ協奏曲にも編曲されているOp.4-6(HWV.294)が特に親しまれている。
ハープ協奏曲変ロ長調Op.4-6,HWV.294は、でも私には聴くとペンギンの映像が浮かんできてどうもまいる。というのも、昔この曲を使った天気予報がTVで流れていて、映像がなぜか動物園のペンギンの姿だったのだ。やれやれ……
第2集は1739年頃に作曲された4曲。Op.番号はついてなく、HWV.番号は295,296,304,305aとなっている。
第3集はOp.7で6曲。HWV.は306-311。
第1曲は1740年、第3曲は1751年、第5曲は1750年、残り3曲は1740~'51年に作曲された。
以上で16曲。もう1曲は、というと、異稿だと思われるが、Op.4-3bという協奏曲があるらしい。
まぎらわしいのだが、第〇番という通し番号になると、まずOp.4の6曲が第1番から第6番。第7番から第12番までがOp.7の6曲。第13番から第16番までが第2集の4曲となっている。第17番はOp.4-3bの作品である。
Wikipediaに書かれているオルガン協奏曲のHWV.番号は、しかし、私が持っている複数の資料とは別なものが書かれている。なぜでしょう?
また、井上和男編著の「クラシック音楽作品名辞典」(三省堂)では、第3集Op.7についてのHWV.番号の記載がない。
上に書いたように、ヘンデルのオルガン協奏曲はペダルなしの小型のオルガンのためのもので、劇場の幕間に演奏された。独奏楽器はオルガンまたはハープシコード(チェンバロ)とされている。
他からの編曲や引用も多く、「クラシック音楽作品名辞典」によると以下のとおりである。
第2集の第4曲(HWV.305a)は、「二重協奏曲」HWV.334からの編曲。第1曲と第2曲(HWV.295,296)は、1740年に「オルガン独奏曲」として出版されたが死後に器楽パートを加えた形で新たに出版された。第1曲の一部分は「ソナタ」Op.5-6の編曲で、第2曲の一部分は合奏協奏曲」Op.6-11の編曲。3~6は、それぞれOp.6の10、1、5、6の編曲だそうだ。
んっ?「3~6」だって?4曲しかないのにどーゆーこと?
また、第3集の第3曲の第1楽章には「ハレルヤ・コーラス」の冒頭の楽節が用いられている。
ま、とにかく、どの曲も実に心地よく耳に響く。オルガンが声楽のように歌う。そこにヘンデルの特長が凝縮されているように思える。
私としては、クラシック音楽を聴き始めたころに知ったOp.4-4のコンチェルトが、やはり特に懐かしさをそそる。あのころは、飽きもせずにむさぼるように何度も聴いたものだ。
前にコープマンによる演奏を紹介したので、今日はタヘッツィの独奏、アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクムによる演奏を。
第1集と第3集の12曲が収められている。
1975録音。apex(原盤テルデック)。
昨日も紹介したが、最近になって読み返した伊福部昭の「音楽入門」。
そのなかで、伊福部はヘンデルのことを、バッハと比較して次のように書いている。
この二人の天与の芸術家には、それぞれ特徴があります。ヘンデルは彼の「メサイア」を除けば、確かに作品にむらのある作家で、非常に優れた作品と、あまり優れない作品とが平気で配列されています。しかし、当時の時代的思考を知る上ではバッハよりも明確であるともいい得るのです。また作曲に当たっての素材の取り上げ方は中世のSymphonetesを思わせる面もあるのです。
バロック期の最後を飾り、バロック期を閉じた2人の大作曲家は、あまりにも生き方が違った。父と母?……結婚になんて至らないに違いない。
吉田秀和さんが亡くなった。
心からお悔やみ申し上げます。
何のことかいなって?
庭のラティス・フェンスの塗装である。
塗装と言ってもペンキを塗るわけじゃない。ステイン剤のガードラックを塗るのである(一応、色がついていて、私が使っている色はチーク)。これは防腐・防かび・防虫効果がある。
ご存知のように(あるいは、ご存知でないように)、この塗料はゴールデンウィーク中に私の手元に届き、ゴールデンウィーク中に私はこれを塗りぬり出来る予定だった。
しかしそれは実現できなかった。作業のときに着ようと思っていたとってもエレガントなオーバーオールが間に合わなかった、のではなく、塗料がその期間内には届かなかったからだ。そのあたりの複雑な経緯についてはここに書いてある。
それが昨日の夕方に届いた。
前日の久々の庭仕事で腰は痛いわ、股間は張るわ、いや、これは誤解を招く。正しくは股間の太ももの筋肉は張るわ、手首はひねってしまって普通じゃないわ、剪定ばさみの使いすぎで握力は失われているわで踏んだり蹴ったりのコンディションの中、しかし、陽気に誘われ て私は塗りぬり作戦を実行した。
上の写真が塗装前。下が塗装後である。
光の加減は異なるが、いかに輝きを取り戻したかがおわかりいただけるだろう。
いやぁ、この満足感。たまらんねぇ。
1年間ですっかりくすんでしまったフェンスは、このように見事な変容を遂げたのだ!
よく知らなかったが、同じころ、町内会による歩道の花壇づくりがあったようだが、すいません、参加せずに自分のことしか考えていなくて。でも、町内会活動のことは本当に知らなかったんです。
その社会的活動に参加するために道行くわずかな人の視線を浴びながら(そんな気がした)、私は自分のことしか考えずに自分の家の庭のラティスにステイン剤を塗っていたわけだが、おもて面だけで今回は終了。
その裏面やベランダの柵に取りつけているラティス、隣の家との境界に立てているラティスまで塗ると、きっと明日の朝は立ち上がれなくなる。
過去、私は一気に作業をやってしまい、翌日になって整形外科にかかった方がいいくらいの病人に何度もなってしまっている。今回はぐっと我慢して、残りは次回以降に行なうこととした。
ということで、「変容」である。
伊福部昭が書いた「音楽入門」(全音楽譜出版社)に、次のような記述がある。
たとえばエリック・サティの無類の傑作である「ジムノペディ(裸形の頌舞)」と、有名なシュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語れり」とを比べてみましょう。
音楽の愛好者の中には、このニーチェの哲学の背景をもつシュトラウスの作品に接すると、あたかも自分もまた哲学者ででもあるかのような荘重な面持ちで、その音楽いかんにかかわらず、大いなる感動を示す人が多いのです。一方、サティの「ジムノペディ」は外見も単純であって、極めて緩(おだ)やかな一本の旋律が繰り返し奏される短少な曲なのでありまして、世俗 的人気はシュトラウスに比ぶべくもありません。しかし、もし音楽を知る人であったら、その評価は完全に反対となるのです。「ジムノペディ」は人類が生み得たことを神に誇ってもいいほどの傑作であり、シュトラウスの作品は題名だけが意味ありげで、内容は口にするのも腹立たしいほどのものなのです。
すっごいですねぇ。リヒャルト・シュトラウスをぶった斬り。
伊福部昭の音楽作品を、私は神に誇ってもいいくらい好きだけど、彼が書いたこの文はさすがにR.シュトラウスがかわいそうな気がする(痛快な気もするけど)。それにしても、このあいだも取り上げたように、R.シュトラウスって、もちろん今でも人気作曲家ではあるけれど、かなり不評もかっているようだ。
ちなみに「音楽入門」が発刊されたのは1951年。その後、1985年に一部改訂されて再刊。さらに、2003年に再々刊された(現在では「ジムノペディ」を「らぎょうのしょうぶ」という人はいるまい)。
そのリヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss 1864-1949 ドイツ)の「メタモルフォーゼン(変容。Metamorphosen)」AV.142(1944-45)。副題として「23の独奏弦楽器のための習作(Studie fur 23 Solostreicher)」と付けられている。
R.シュトラウスには「死と変容」という交響詩があるが、「変容(メタモルフォーゼン)」はもちろん別作品。
別にR.シュトラウスをかばうつもりはないが、この作品は巨匠でなければ成し得ない深みがある。
彼には珍しく、表面効果狙いみたいなところがまったくない。
この曲が書かれたのは第1次大戦の末期。祖国ドイツがすっかりと破壊されてしまったことを悲しみながら作曲を進めたという。R.シュトラスはこの曲でドイツを追悼したのである。
聴いていても、その悲痛さが伝わってくる。ただし、自作の「ツァラトゥストラはかく語りき」などのメロディも引用されている。すいません、伊福部センセ、怒らないでね。
ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団の演奏を。
2002録音。アルテノヴァ・クラシックス。
確か今日は、宮部みゆきの「レベル7」のTVドラマがあるな。
せっかくの仕事がほぼ絶望的に無意味なものとなり、心の中がどしゃ降りとなった昨日の朝の8時前の私だったが、8時を過ぎると雨が上がり、やがて晴れ間も出てきた。
いやぁ、私の心にも日が差してきたですわ。
BBの人形をテルテル坊主がわりに振りまわしたおかげかしらん?(そのせいで、ファイターズが昨日負けんだったとしたら、すごくごめん)。
さて、そうなると庭の作業である。
2週間以上私にかまってもらえなかった庭は、上の写真のようになっていた。
芝は、株同士の競争によって生育にムラが生じ、しかも芝というよりは草むら状態になっている。手前で元気に黄色い花を咲かせているのはユーホルビア(2枚目の写真)だが、その 周囲の地面には、いや芝以外の地面全体に、たくさんの雑草がこれまた元気に芽を出し始めている。マイヅルソウ(写真3枚目)なんかも、必死に雑草と闘っている感じだ。
芝の奥側(フェンス側)にもバラが何本かあるのだが、この写真ではわからないくらい芝はボーボーとなっている。
雨上がりで芝が濡れているので無理だろうと思ったが、芝刈り機を押して長さを整えようとした。
思った通り無理だった。刃に濡れた草がからみついてしまい、私のような都会派の肉体ではそれ以上芝刈り機を押すことは困難。芝が乾くまで、その作業は後回しにすることにした。
まずは、ボーボー芝で負けそうになっているバラの株元の芝生を、円形にはがすことにした。
スコップで切れ目を入れ、芝をはがす。意外と、力がいる作業だ。
芝をはがすと淡い茶色のアリがたくさんいた。こんなところに巣があるらしい。
私は他のことは何も考えずに、アリ専用殺虫剤をかける。巣の奥まで薬が届いたかどうか はわからないが、慌てふためいて動き回っていたアリたちは、少なくとも私の視野からはいなくなった。
それを6株分行ない、次は芝生と花壇の境目、写真にあるカーブになっているところの芝生のエッジを整えた。これもスコップではみ出した芝を切りはがすのである。芝生のエッジを整えるだけでかなりだらしなさがなくなるのが不思議だ。
さらに過酷な、中腰での雑草とり。これが実にきついのである。
この作業の結果が4枚目の写真である。
いかがであろう?
変化がおわかりいただけるだろうか?
いや、最初はなかった影があるとか、構図がずれているとか、ゴム手袋の片方が芝生に放置されているとか、そういう違いじゃなくて……。
ちなみに木の形の影、これはプルーンの木の影だ。
なお、芝生の一部を切り抜き、昨年は鉢で育てていたバラ(プリ P.J. ルドゥーテを地植えした)。
作業中はシュッツの教会音楽を聴いた。突然の雨により中途半端になったが、それでもやつらの魂を奪ったのは事実だ。アリも駆除した。
そんなんで、祈りを込めてこういう宗教曲なんかどうかな?なんて思ったわけだ。
もう1つ別な理由がある。ノリのいい曲だと、作業しながら舞ってしまう恐れがあるからだ(私が)。
シュッツ(Heinrich Schutz 1585-1632 ドイツ)は、ドイツ初期のバロック音楽を代表する音 楽家。
その「ダヴィデの詩篇歌曲集(Psalmen Davids)」Op.2,SWV.22-47(1619刊)。合唱と器楽のための26曲のモテット集である。
各曲のタイトルは次の通り(カッコ内は歌詞にとなっている詩篇の番号)。
1. 主はわが主に言われた(110)
2. 何ゆえ荒れ狂う異教徒(2)
3. 主よ、われを責めたもうな(6)
4. 深き淵よりわれ汝を呼ぶ(130)
5. われに語られしとき、われ喜ぶ(122)
6. われらを統べたもう主よ御名は尊きかな(8)
7. 髪にそむいた者の忠告にまどわされない者は幸いである(84)
8. ヤハヴェよ、汝のすみかはいかに美わしく(84)
9. 主を恐れる者は幸いである(128)
10. われ山に向かって眼を上げ(121)
11. 恵み深い主に向かって感謝せよ(136)
12. 主はわが羊飼なり(23)
13. 全霊もて、われ主に感謝す(111)
14. 主に向かって新しき歌を歌え(98)
15. 全地よ、主に向かって喜びの声をあげよ(100)
16. バビロン川のほとりで(137)
17. アレルヤ、聖なる所にある主をほめたたえよ(150)
18. わが魂よ、主をたたえよ(103)
19. エフライムはわが最愛の子なのであろうか
20. 今ぞわが魂よ、主をたたえよ(103)
21. 涙とともに種まく人は
22. われらにではなく主よ、御名にのみ栄光あれ(115)
23. 主を恐れる者は幸いである(128)
24. 恵み深き主に向かって感謝せよ(136)
25. シオンは言う、主はわれを見捨てられたと
26. 全地よ、主に向かって喜びの声をあげよ(100)
とにかく、別世界へ入りこんだような、不思議な感覚になる音楽である。その音響世界は、しかし斬新でもある。
私が聴いているのはベルニウス指揮ムジカ・フィアタ・ケルン、シュトゥットガルト室内合唱団他による演奏のCD。
1991録音。ソニークラシカル。
なお、タワレコのオンライン・ショップに載っている、販売元による当CDの説明は以下のとおりである。
「シュッツ/宗教的作品集」のなかに収められている。モンテヴェルディの「倫理的・宗教的な森」を、ヨーロッパの著名なソリストを起用して全曲演奏し、その完璧な解釈で絶賛を博したフリーダー・ベルニウス。シュトゥットガルト室内合唱団を組織して、欧米初め世界各地で演奏会を開き、多くの国際的な賞を獲得している他、古楽アンサンブルのムジカ・フィアタ・ケルンとの活動などが高く評価されています。「ダヴィデ詩篇」は、師ガブリエリの影響を如実に示す壮麗で多彩な響きがドイツ語の歌詞の繊細な取扱いと結合した曲集です。新しい朗詠様式が特徴的な曲も含み、コンチェルト、モテット、カンツォーナはポリフォニックな形式で書かれています。シュッツの序文のように、音群の音色の対比や配置などを徹底的に研究し演奏されています。[Disc3]は、シュッツの作品でも最も親しみやすい語法で書かれた作品で、精緻に巧みに構築された構造を持っています。ベルニウスの意図と各奏者との高い共同作業が、この本質をしっかりと捉え、我々に提示してくれます。[Disc4&5]は、シュッツが1647年に滞在先のデンマークのクリスティアン4世の宮廷からドレスデンに戻り、数年前に作曲した作品をまとめて出版したものです。声のパートのモノディ風な扱いと器楽のいっそう独立した書法で際立っており、モンテヴェルディの昻奮様式の影響が見受けられる作品です。複雑なポリフォニーと明快なホモフォニーの対比を、見事に描き出しています。
さて、ずっと留め置きしていたガードラックも昨日の夕方届き、これからラティス・パネルに塗ろうかと思っているものの、昨日の作業の後遺症で全身が痛い始末。
さて、どーしよーかなー。
昨日仕事を終えてから自宅へと戻ってきた。
家に着いたのは、20:30。もちろんあたりは暗くなっていたので、バラたちの様子を見ることはできなかった。
そして、先ほど。
まだ近所の、そして統計的に見ておそらく遠所の住民もあまりお目覚めしていないと想定できる時間帯に、私はサンダルをつっかけて外へ出た。
「おはよう!小鳥さんたち!」とまずは笑顔で話しかけ(その前に飛び去ったが)、そのあと、展示品限りのパソコンを購入するにあたって、厳しい目で傷をチェックする客のようにバラたちの様子を一本一本確認した。
恐れていた通りのことが、ガーデン内で起こっていた。不幸中の幸いと言えるのは、それが広範囲に及んでいなかったことだ。
私の脳裏にある詩が浮かんだ。
おお薔薇よ、お前は病気なのだ。
闇を飛び、
怒号する嵐の中を飛ぶ
目に見えない小さな虫が、
お前の深紅の
喜びの床を見つけ、
その暗いひそかな愛が、
お前の生命を壊してしまうのだ。
もっとも、まだ花は咲いていない。だから“深紅の喜びの床”はないわけだが、新芽にはアブラムシが芸術的とも言える整然さでこびりついていて、その周囲には働き者のアリが何匹も行き来している。
物言わず無抵抗に蝕まれているかわいそうなバラ。私の個人的事情からすれば、村上春樹が書いているギリヤーク人よりもかわいそうだ。
この光景を見て殺意を覚えないバラ愛好家が果たしているだろうか?
こうして私は、「一寸の虫にも五分の魂」という諺を3度唱えながらも、殺戮作戦を強行した。
本日の朝のブレンドは、スミチオン乳剤(殺虫剤)にサプロール乳剤(殺菌剤)。そして、かけた薬がしっかりとバラに残るように、展着剤のダインを少々。
ところで「一寸の虫にも五分の魂」の意味だが、私はずっと「どんなに小さな虫にも魂がある。だからいじめたり、殺したらならない」という意味だと思っていた。
ということで、私が大嫌いな虫たち、および、虫に近い仲間の節足動物を駆除するときも、わずかながらうしろめたさがつきまとっていた。
だが、正しい意味は「どんなに小さく弱いものにも、それなりの魂や主張がある。小さくてもあなどってはならない」ということらしい。
ならば結構!侮っていて、逆にこっちがひどい目に遭っては困る。遠慮なく害虫と戦ってやる。
上の詩は、ブリテン(Benjamin Britten 1913-76 イギリス)の「セレナード(Serenade)」Op.31(1943)の第4曲「エレジー(悲歌)」のものである。
「セレナード」はテノール独唱と独奏ホルン、そして弦楽オーケストラのための作品で、8曲から成る。作曲のときにブリテンの頭にあったのは名テノール歌手ピアーズとホルンの名手ブレインの2人だったといい、そのためにこのような編成となった。
8曲のうち、第1曲と第8曲、つまり最初と最後は独奏ホルンのみの曲。
第2曲から第7曲の歌詞は、彼の「春の交響曲」と同じように、いろいろな時代に書かれた詩が用いられている。
テノールのピアーズとホルンの名手ブレインを念頭に置いて作曲された。
なお、ブリテンの歌劇や声楽曲の多くはピアーズが歌うことを前提に書かれているが、この2人は私生活においてもパートナーだったという。まったくもう……
また、ブレインは1957年に36歳の若さで交通事故で亡くなっている。
各曲の詩のタイトルと作者は、
第2曲「パストラール」:C.コットン(1630-87)
第3曲「ノクターン」:A.テニスン(1809-92)
第4曲「エレジー」」W.ブレイク(1757-1827)
第5曲「追悼の歌」:作者不詳(15世紀)
第6曲「讃歌」:B.ジョンソン(1572-1637)
第7番「ソネット」:J.キーツ(1795-1821)
となっている。
この曲はもっと聴かれるべき作品だと私は思っている。
ホルンも、弦楽も、実に美しい独特の響きを放つ。ブリテンらしさ満開の傑作だ。
CDはピアーズのテノール独唱、タックウェルのホルン、作曲者自身の指揮によるロンドン交響楽団の演奏を。
1963録音。ロンドン。
♪
農薬を散布した直後に、突然の雨。
これじゃ、いくらダインを入れたとはいえ、薬が流されてしまう。
アブラムシの怨念か?
あぁ、私の方が病気になってしまいそうな気分だ。
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生活費といえば、晩年のバルトークは経済的に苦しんでいたといわれる。
そのバルトーク(Bartok Bela 1881-1945 ハンガリー)の「ピアノと管弦楽のための狂詩曲(Rhapsodie)」Op.1,Sz.27。1904年に作曲されたピアノ独奏曲のための「狂詩曲」(Sz.26)を編曲したものである。演奏時間は25分弱と、けっこう大きな作品だ。
H.C.ショーンバーグはこの作品について、「ドイツ的伝統から派生した作品で、19世紀タイプのハンガリー民族主義によって強く裏打ちされており、リストがもう20年長く生きていたら、おそらくこのような作品を書いたであろう。というのは、リストの『ハンガリー幻想曲』のようなスタイルだったからである」(「大作曲家の生涯」:共同通信社)と書いている。
リスト(Franz Liszt 1811-86 ハンガリー)の「ハンガリー幻想曲(Fantasie uber ungarische Volksmelodien)」(1852?)は、「ハンガリー狂詩曲第14番」を改作した、ピアノと管弦楽のための作品である。
バルトークはこの曲を書いた翌年の1905年にコダーイと共に民謡採集を始めた。これが彼にとっての転換期となったのだが、「狂詩曲」はその転換期前の作品ということになる。おそらく、作曲者名を知らされずに聴いたら、これがあのバルトークの作品だとは最初はわからないかもしれない。それほど後年のバルトーク作品とは違う。また、この当時バルトークはリヒャルト・シュトラウスに強烈な影響を受けてもいた。
私が持っているCDはロジェのピアノ、ヴェラー指揮ロンドン交響楽団による演奏のもの。ロマンティックさとたくましさのバランスがよくとれた演奏だ。
1940年にアメリカに渡ったあとのバルトークは経済的に困窮していたと言われるが、これについてもショーンバーグは“ロマンチックな創作”としている。
ただし、最晩年、バルトークが白血病にかかった際に、アメリカ作曲家著作家出版社協会が、彼に苦境を乗り切らせるべく資金援助をしたのは事実であり、1,000ドルで委嘱され生まれたのが「管弦楽のための協奏曲」である。
この作品は今でもバルトークの管弦楽作品中で最も人気が高い作品だが、この作品、さらにピアノ協奏曲第3番などで多額の印税収入などが入りだした。
しかしその反対に彼の体力はどんどん低下し、1945年9月に亡くなった。
死ぬ前に「まだ表現すべきものが非常に沢山あるのに、この世を去らねばならないのが残念だ」と嘆いたという。
さて、今日は仕事が終わったら“帰省”する。
週末はガーデニングだ。
マーラーが“日曜作曲家”だとしたら(ふだんは指揮者の仕事で多忙だったので、作曲はその合間をみて行なわれたという意味だ)、私は“日曜ガーデナー”ってことになるが、んっ?、これって前からそうじゃん……
ブーレーズ(笠羽映子訳)の「ブーレーズ作曲家論選」(ちくま学芸文庫)を読んだ。
ここで取り上げられている作曲家は、J.S.バッハ、ベートーヴェン、ベルリオーズ、ヴァーグナー、マーラー、ドビュッシー、ヴェーベルン、シェーンベルク、ストラヴィンスキー、ベルク、ケージ。
作曲家としてのブーレーズ。彼の作品について、私が聴いたことがあるのは数曲だけだ。感想を一言で言えば、難解だ。いまのところ、私の人生になくてはならないタイプの音楽にはなっていない。
指揮者としてのブーレーズ。私の好みに合う演奏もあるが、どちらかというと感情を抑制しすぎているようで、楽しめない。でも、私の人生に関わりがある方が良い指揮者ではある。
今回、ベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-69 フランス)の章を読み、彼が振った「幻想交響曲(Symphonie fantastique)」Op.14(1830/改訂'31)を久しぶりに聴いてみた。クリーヴランド管弦楽団との2度目の録音ではなく、ロンドン交響楽団との1967年の録音である。
この演奏、私としてはすごく緩慢で面白味がないなと感じ、その後はあまり聴かなかったものだ。
緩慢と書くと、ブーレーズがきちんと取り組んでいないようにとられるかもしれないが、ほんとにそうで、「このおっさん、やる気あるんかいな」と思わざるを得なかった。やる気がないわけはないので、彼の計算結果として、こういう演奏をすべきだということになったのだろうが……
もともとこのCD、私が「幻想」の続編にあたる「レリオ」を聴くために買ったCDにもれなくついていたもの。いや、おまけじゃなくて、セット物のCDだった。
この演奏、初めて耳にするときにはかなり期待した。
けど、刺激が少なくてがっかりした。洗練度はなかなかだ。考えてみればベルリオーズだってフランス人。ドビュッシーなどとは時代も性格も違うだろうが、フランス的な芳香が漂ってもおかしくないし、ブーレーズの演奏にはそれに通ずるものがあるようにも感じた。でもね、やっぱベルリオーズっぽくない。
叫んだり暴れたりするのが「幻想」っぽいと言う気はないけど、聴き手をじらすかのような演奏には、わざとらしいとさえ思ったものだ。
このCDを久しぶりに聴いて、前ほどそんなことを感じない自分に気づいた。
進化か?深化か?退化か?赤ちゃん返りか?お前はもう死んでいるってやつか?
あるいは自分がわざとらしい人間になってしまったのか?
それとも、じらされることに快感を覚える体になってしまったのか?
物足りないと思った印象は美しく味わい深いという感想に変わり、気に入らなかった第4~5楽章の遅いテンポとノリの悪さは、なんか意味ありげに思えるようになった。
このCDは「レリオ」とセットで聴けるように配慮されているわけで、ブーレーズはこのあと「レリオ」が聴かれるのを考慮した上でのアプローチで「幻想」を演奏しているのかもしれない(それが何かはわからないが)。
なお、第1楽章呈示部の反復なし。第4楽章の反復もなし。第2楽章のコルネット助奏もなし。
クリーヴランド管弦楽団と組んでブーレーズが再びこの録音した「幻想」はたいした評判がよかったようだ。私は聴いたことがないが、すっごく聴いてみたくなってきた。
今さら書くまでもなく、ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、チェロ協奏曲史上の最高傑作である。文字通り最高の傑作だ。
音楽学的な構造など、つまり専門的なことは知らないが、とにかく聴いていても最高傑作だということがわかる。
そのドヴォルザークだが、協奏曲としては3曲残した。チェロ、ヴァイオリン、ピアノの各協奏曲だ。
H.C.ショーンバーグはこう書いている。
彼の協奏曲作品は生気を失っていない。彼は、ピアノ部分があまり効果的ではないが魅力的な『ピアノ協奏曲ト短調』、美しい『バイオリン協奏曲イ短調』、そして至高の『チェロ協奏曲ロ短調』を書いた。(「大作曲家の生涯」:共同通信社)
つまり、ドヴォルザークのどのコンチェルトも生命のオーラを放っているということだ。棺桶に片足を突っ込んでしまっているような顔色の悪い二日酔いの今朝の私とは違う。
そのドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904 チェコ)のピアノ協奏曲ト短調Op.33,B.63(1876/改訂1883)。H.C.S氏曰く、「ピアノ部分があまり効果的ではないが魅力的な」コンチェルトである。
とはいえ、この曲の演奏機会は少ない。
このコンチェルトはチェコのピアニスト、スラスコフスキーの依頼によって1876年の秋に書かれた。その前年には交響曲第5番が書かれており、ドヴォルザークの国民楽派路線がはっきりとしてきている時期にあたる。
ドヴォルザークの評伝を書いたエリスマンは、「ボヘミアの光がこれほど控え目にそして詩情をもってドヴォルザークの音楽を照らしたことも稀である。精緻な構成をもつこの音楽には香気がしみ通っている」と書いているそうだ。
初演は成功したが、ドヴォルザーク自身は出来に満足せず、また批評も芳しいものではなかった。その主な理由は、ショーンバーグが指摘しているようにピアノのパートにあったようで、のちにはいくつかの改訂版が作られることとなり、現在は原典版と改訂版が存在する。
ただし、このコンチェルトについてドヴォルザークは、ピアニストの名人芸を披露するような曲を書いたわけではない、と述べており、ピアノを伴った管弦楽曲という感じだ。
第1楽章は重厚で、交響曲的なところがブラームスを思わせる。第2楽章は素朴でしっとりとしたメロディーが印象的。終楽章はもっとも民族的色彩が強い。
CDはリヒテルのピアノ独奏、クライバー指揮バイエルン国立管弦楽団によるものを。
リヒテルのピアノを聴いている限り、ピアノ部分があまり効果的ではないなんて思えないのだが、それはリヒテルゆえだからか?
ちなみに、タワレコのオンライン・ショップでは、このCD、以下のように紹介されている。
1976年6月、ミュンヘンでの録音。当時、60歳を越え巨匠としての名声を確立していたリヒテル。一方のクライバーは、まだ45歳と指揮者としては何とも若々しい。とは言え、既に世界の歌劇場において精力的な活躍を見せていた訳で、この録音においても彼の俊才ぶりは十二分に実感出来ます。この録音は、2人の巨人の奇跡的出会いが生んだ白熱の名演であり、EMIが誇る不朽の1枚。チェロ協奏曲の陰に隠れて比較的地味なこの作品の魅力をフルに伝える事に成功している印象。第1楽章の構築性、第2楽章の内省、終楽章の躍動感…、絶妙のテンポと丁々発止の2人のやりとり。正に、全編聴き所たっぷりと言えるでしょう。高音質化で評価の高い“HQCD”仕様盤にて、巨匠リヒテル一流のピアニズムとオケ・パートの充実した響き、天才指揮者クライバーのアプローチの異能ぶりがより明白に感じ取れます。
原典版を使用。
1972録音。EMI。
なお、この曲を書いた1年前、ドヴォルザークは生まれて間もない娘ヨゼフィーナを亡くしている。
その悲しみがこの曲全体を覆っているようにも思われる。
ところで、「くらいばー」を変換すると、「暗いバー」になる。
なんか、やだ。
もっとも明るいバーっていうのはないけど(雰囲気じゃなく、照明の話)。
日々キンカンを食する習慣のことを金柑日食と言うのかどうかは知らないが(たぶん言わんだろうな。そもそもそういう概念自体ないだろうな)、昨日の金環日食は皆さんご覧になられましたでしょうか?
どこのTV局も金環日食フィーバーで、昨日起きた死亡交通事故などはあまり重大な扱われ方はされず、なんだか気の毒な感じがした。
北海道はもともと金環食は見られないということだったが、私が住んでいるこの地は朝から空は厚い雲で覆われお天道様は顔を出していない状態。
ということで、日食代わりに目玉焼きを焼いてじっくり観察してやろうかと思ったが、かえってさびしい気持ちになりそうなのでやっぱりやめ、ピーマンとウィンナー・ソーセージの炒め物、味付けのり、卵入り味噌汁を食した。
日食のせいでふだんとは違うことが起こったのだろうか?通勤途中、駅前でマイクを持った恰幅の良い人が近寄ってきて(その後ろにはテレビカメラもあって)、「アタシ大阪から来たんですけど、北海道の人って……」と、私にインタビューしてきたので、「えっ、今朝剃ってきたばかりなんですけどぉぅ」とトンチンカンなこと言おうかとも思ったが、こういうのには関わりあいたくないので「急いでいるんで、すいません」と取材拒否をした。急いではいなかったけど。とにかく、私はそっと生きていきたいのだ。TVになんて出たくない。私の美貌が放送され、ファンになりたいという人が殺到したら、ふつうの男の子でいられなくなる。
そのとき私は、ミヨー(Darius Milhaud 1892-1974 フランス)のピアノ協奏曲第1番Op.127(1933)を聴きながら歩いていたのだが、いやぁ危ない危ない。にやけたり、ピアニストのごとく腕を動かしてなくてよかった。だって、この曲、すっごく心弾むのだ。一応、外にいるときは分別ある紳士の振る舞いを保つようにしているのだが、今回はまさにそれに救われた。カメラ・クルーなど多くの人たちに妙(ミヨーと引っかけてます。一応)な人と思われるところだった。
私の持っているこの曲のCDは、先日紹介したジョリヴェのピアノ協奏曲と一緒に収められているものだ。ジャケットが金環食のデザインとなっている(どう考えても“妖星ゴラス”の写真ではないだろう)。
そんなことで、これを聴きたくなったわけだが、この曲、本当に心弾む。特に第1楽章はどこかで耳にしたことがあるようなメロディーがとても印象的で、もっと長く続いてくれよ、と聴くたびに残念に思ってしまう。
3楽章構成で、全曲でも14分ほどなのでしょうがないんだけど……
アントルモンのピアノ、作曲者の指揮によるパリ音楽院管弦楽団の演奏。
1966録音。ソニークラシカル。
ところで、昨日は昼近くになって晴れてきた。朝はあんなにどんよりしてたのに……
意地悪な雲だ。プンプン!
プンプンと言えば、よく事情はわからないが、怒ったメールが舞い込んできた。
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