しつこいと言えば、この“ティアモ”からのメールはかなりしつこい。毎日大量に来る。しかもいくつかのパターンの内容があり、フィルター設定もなかなかやっかいだ。
TIAmoだのTi Amoだの似たような語句を微妙に変えているのも、向こうは向こうなりの対抗策を打っているのだろう。
■ティアモ■
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手を抜いているわけじゃないが、“一生”ということから、今日は映画「無法松の一生」の音楽。
岩下俊作著の「無法松の一生」は何度も映画化されている。3回目のリメイクとなる1965年に大映が製作した映画の音楽は伊福部昭(Ifukube Akira 1914-2006 北海道)が書いている。
このときの主役・富島松五郎こと“無法松”役は勝新太郎である。
CDは「伊福部昭・映画音楽全集第9巻」というサウンド・トラック。
収録曲は、コタンの口笛(1959)、眠狂四郎多情剣(1966)、氷壁(1958)、怪獣総進撃(1968)、キングコングの逆襲(1967)、宮本武蔵(1961)、日本列島(1965)、無法松の一生(1965)、好人物の夫婦(1956)、憎いもの(1957)、下町(1957)。
「無法松の一生」でここに収められているのは“無法松の最期”のシーンの音楽。中間で松五郎が叩く祇園太鼓が挿入されている。
ところで、このCDに音楽が収められている映画のなかで、私が観たことのあるものは「怪獣総進撃」だけ。
それはともかくとして、どれもが怪獣映画の音楽のようでもあり(それをワンパターンと非難する人もいる)、不気味さと独特の悲しさをたたえている。
高度成長下の日本。まだまだ貧乏であり、そしていろんな矛盾が社会に起こっていた時代だろう。映像は知らないが、音楽を耳にするとそれが伝わってくる感じがする。
レーベルはSLC(モノラル録音)。
さて、庭のバラたちは実に見事に咲いてくれ始めている。見よ、たとえばこの“クィーン・オブ・スウェーデン”を!。
が、一方で危惧したとおり害虫、とくにアブラムシのはびこりには目に余るものがある。実にしつこい。ティアモかアブラムシかってぐらいだ。いや、アブラムシの方がしつこい。
そして私は、昨日この写真を撮ったあと、こいつらにオルトラン液剤のシャワーを浴びせてやったというわけだ。
Amen!
June 2012
昨日ケシの花について書いたが、ケシと聞いて誰もが思い浮かべるのが、アグネス・チャン、それとアヘンだろう(ということにしてほしい)。
アグネス・チャンの「おっかのうえ、ひぃなげしぃのはぁなでぇ~」(日本語では「丘の上ひなげしのな花で」)という歌いだしは衝撃的だった。
モーツァルトの歌劇「魔笛」の「夜の女王のアリア」に匹敵する高音難曲と思われたほどだ。
ただ残念なことは、当時の私はまだ「夜の女王のアリア」を知らなかったために、アグネスの歌を「へんてこ」としか思わなかったことだ。
ごめん、アグネス。
それに私はアグネス・チャンよりアグネス・ラムの方が好きだったし……。重ね重ねごめん、アグネス。ちなみにこの曲名は(あらためて書く必要もないだろうけど)「ひなげしの花」である。
歌詞の続きは、「うぅらなうのぉ~、あぁなぁたぁのこーころぉ~」である(日本語では「占うのあなたの心」)。
つまり、丘の上でひなげしの花を使って私の心を占ってくれていたわけだ。
ケシの実からは麻薬の一種であるアヘン(阿片)が採れる。
もちろんすべてのケシから採れるわけではない。
ヒナゲシからはアヘンは採れない。だから栽培しても逮捕されない。詳しいことはわからないが、ふつう園芸品種として流通しているケシ類は大丈夫である。
ただ、ガーデニング・ブームが高まる中、よくチェックされないまま輸入されたケシを知らずに植えていて、問題になったケースがあるという(確か“青いケシ”の一種だったと記憶している)。
自殺するためにアヘンを飲んだが、量が足りなくて死にきれず奇妙な幻覚を見る……ご存じ、ベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-1869 フランス)の「幻想交響曲(Symphonie fantastique)」(1830/改訂'31)の第4~5楽章のことである。
あらためて書くと、第4楽章「断頭台への行進」では、片思いの女性を殺したために死刑を宣告され、断頭台へ向かう様子と刃が落ちて首が転がる様子が描かれる。第5楽章「魔女の夜宴の夢」では殺してしまった彼女が魔女の姿となって現われ、悪魔や化け物たちと饗宴を繰り広げる、というものである。
ベルリオーズはアヘンによる幻想を、イギリスの文学者であるトーマス・デ・クウィンシーの「阿片常用者の告白」を参考にしているという。また、ベルリオーズは医学部出身だったので、そちらの方面からの知識もあったのかもしれない。
今日はレヴァイン指揮ベルリン・フィルの演奏。
レヴァインと言えばオケをガンガン鳴らすイメージがあるが、この幻想交響曲に関しては思ったほどではない。第1楽章から第3楽章については正直なところ耳を引きつけるところは特 にない。内向的ではなく外向的な部類の演奏だが、それでも訴えかけてくるものが少ない。
第4楽章。ガンガンやってくれると思いきや、これまたそうでもない。そして、この曲にふさわしくない明るさがある。
終楽章。鐘は低めの渋い音。「怒りの日」のテューバはそれぞれの音が短めで、化け物たちが集っている場で鳴り響く“審判”のメロディーというには軽い。「怒りの日」のパロディーという点からは、これもまたありなのかもしれないが。
迫力も巷で評価されているほどには感じられない。レヴァインに「惑星」(ホルスト)のときみたいな迫力を期待していると、ちょいと肩すかし。ノホホンとした白日夢か?
第1楽章と第4楽章の反復あり。第2楽章のコルネットの助奏はなし。
1990録音。グラモフォン。
自分の方を向いてくれなかった女性にストーカー行為を繰り返したり、あげくの果てに殺してしまうという事件が多い昨今。それに比べるとベルリオーズの狂気はまだ健全なのか?(もっともベルリオーズもストーカーまがいのことをしたようだけど)。
現実の恐ろしさを考えると、レヴァインの明るい演奏は“当時風”なのかもしれない。
ところで、昨日自宅に戻ったわけだが、バラが開花のピークに向けてがんばっている。徐々に咲き始めているのだ。
写真はコンラッド・フェルディナンド・マイヤー[Hrg]。育てて10年になるがこんなに蕾をつけたのは初めて(枝ばかり旺盛に伸ばす)。あたりにはすばらしい香りが漂っている。
う~ん!育ててきて良かったと思う幸福のとき!
日曜日に“十勝ヒルズ”に行ってみた。
1か月ほど前に行ったときには、ずっと続いていた低温気象のせいでほとんど花が咲いておらず、またハーブや野菜畑もこれから作るという感じで、荒れた印象を持った。入場料は取られたものの、さすがにこの状態ではお代をいただくには申し訳ないと思ったのだろう。次回入場無料券をくれた。
今回はその無料券を持って行った。
中に入ると、少しは咲いている花が増えてはいたが、園芸品種が咲き誇る庭っていう感じではなかった。そもそもが自然を生かすというコンセプトなのだろう。名称も“ヒルズ”であって、“ガーデン”とは一言も謳っていないわけだし。
マーガレットのような花が咲き乱れていたが、まさにワイルド。私が目指すガーデンのタイプではない。
デルフィニウムも咲いていた。でも、咲き誇るのはまだもう少しあとか?
目立ったのはハーブ畑と野菜畑。
タネをまいたと思われる畑は、きれいに整地されていた。
バラ苗も植えてあったが本数はほんのわずか。品種名を書いたプレートがないので詳しくはわからないが、どうやら原種に近いバラのように見えた。つぼみもまだ、ほとんどついていなかった。
また、白い花のクレマチスも咲いていたが、敷地境界の雑木林の下に放置されているという感じだった。
ところでここではケシの花があちこちに咲いていた。
いやぁ、ケシってこんなにグロテスクな花だったんだ。
こりゃ、私の好みじゃない。
派手すぎる。奥ゆかしさがない。
なんていうケシか知らないけど、夜の街の、それも高級店にいる、信じられないほど着飾って、下地不明の化粧を施したホステスのようだ。って、これはあくまでドラマなんかからのイメージ。私は夜のススキノでも、ごく普通のスナックしか行ったことないから。でも、逆に言えばこのケシっぽい女性に遭遇しなくて済んでいる。
それと、なんつーか、この花を見ていると、なぜか出来そこないのパンダのぬいぐるみを思い出してしまう。
マーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第7番ホ短調「夜の歌(Lied der Nacht)」(1904-06)。
今日はベルティーニ指揮ケルン放送交響楽団。
ベルティーニの一連のマーラーと同様にすばらしい演奏だ。
整っている。清楚な女性という感じだ。
だが、この曲にはもっと毒っ気が欲しい。私としては。
清楚な女性のようであってはいけない。薄暗さで正体不明のケシも顔負けの厚化粧着飾り女のようなグロテスクさが必要なのだ。……いや、やっぱりそこまではしなくていいです。
でも、ベルティーニの演奏は全体的に明るくて、不健康な夜の世界ではなく健全なる世界。明朗会計のつぼ八だ。
なお、終楽章は-音楽の性格もあるにせよ-他の楽章に比べてやや散漫な印象。前の4つの楽章と同じメンバーが演奏しているの?って感じ。
前4楽章に対しこの第5楽章自体が唐突だということはいろいろなところで指摘されていることだが、という観点からすれば、見事に唐突な演奏。
ベルティーニのマーラー・シリーズの中では、この7番の演奏は私には良い方には感じなかった。
いや、あくまでも「このシリーズの中では」ということであって、かなり高水準の演奏であることには間違いない。
1990録音。EMI。
これから札幌へ出張。
週末は庭のお手入れができる。
素直にうれしい。
どうか晴れますように!
留守中に、いけない虫が、悪い病気が流行っていませんように。
先日、ショルティ/シカゴ響によるベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-69 フランス)の「幻想交響曲(Symphonie fantastique)」Op.14(1830/改訂'31)を取り上げた。1972年録音のものだ。
このメンバーによる「幻想」には再録音盤もある。
20年後の1992年のライヴ録音盤である。
この再録音盤はしかし、実に精彩を欠く。これがあのショルティなのかと。
おとなしい。
良い悪いは別としても、ショルティの持ち味であるバリバリとした鋭角的な音楽の推進力が感じられない。このときショルティは80才手前。さすがにかつてのパワーがなくなってしまったか。
この演奏で特に印象に残ったのは第5楽章の「怒りの日」。テューバの音がすごい。このテューバの迫力、底力の強さみたいなものは、他ではなかなか聴くことができないものだ。
カップリングのリスト(Liszt Franz 1811-86 ハンガリー)の交響詩「前奏曲(Les Prelides)」S.97(1848/改訂'52,53)は、「幻想」に比べると力演。
とはいえ、これまた1977年の録音(オケはロンドン響)のようなビシバシしたところがなくて、優しすぎない?って感じ。いや、これがショルティじゃなかったら、いい演奏じゃんって思うんだろうけど。
なんだか、私には痛々しく感じる演奏のCDである。
デッカ。
リストの「レ・プレリュード」ついでに、みなさんに問題。
プレリュード、マーチ、ラルゴ、エチュード、フーガ、コンチェルト、アルト、ビート……。これらに共通するのはなぁに?
答えは車の名前。
思いつきでかいてごめん。
車の名前にエチュード(=練習曲)っていうのも、どうしたものかと思うけど……
私が初めてボロディン(Alexander Borodin 1833-87 ロシア)の交響曲第2番ロ短調(1869-76/改訂'79)を聴いたのは、1979年7月14日のこと。
NHK-FMの「リクエスト・アワー」という番組で放送されたものをエアチェックしたのだったが、その演奏はアンドリュー・デイヴィス指揮トロント交響楽団によるもの。
当時は何にも考えていなかったが、この極めてスラヴ色が濃いと言われる作品を、まったくスラヴではないメンバーによる演奏で知り、親しんだのだった。
が、この演奏が私にこの曲、さらにはそれまでは「中央アジアの草原にて」くらいしか知らなかったボロディンという作曲家を好きにならせたのである。
先週の前半は札幌で会議があったので、月曜も火曜も空き時間にタワレコのピヴォ店に呼ばれてもいないのに顔を出したのだが、月曜日に立ち寄ったとき、このA.デイヴィス/トロント響のCDがあった。もちろん、ボロディンの交響曲第2番が含まれている。
迷った!
ふだんの私なら容赦なく、いや、有無を言わず購入するところなのに、このときは迷った。
30年以上も前の初恋の女の子に偶然出くわしたような動揺に襲われてしまっていたのかもしれない。そして、私は買うことをやめて、なぜか急ぎ足で店をあとにしたのだった。
翌日の夕方。
私は30年前に好きだった女の子をもう一度見たい、できることなら手に入れたい(いや、CDのことです)との思いで、再びタワレコに立ち寄った。
気がつくとボロディンの棚の前にいた。
が、昨日あったそのCDがない。
棚のちょうどそこの1枚分だけ、隙間が空いている。
どういうことだ?
A.デイヴィス/トロント響のボロディンのCDなんてかなりマニアックな人しか買わないはずだ。そうそう簡単に売れるはずはないだろう(私の場合はマニアックなのではなく、懐かしいわけで……)。
シャイな私は、ふだんなら絶対しないような行動に出た。
店員のお姉さんに勇気を奮って聞いてみたのだ。
「おのぉ、ちょっとお尋ねしますが……」
「はい、なんでしょうか?」
「アンドリュー・デイヴィスが指揮したボロディンの交響曲のCDを探しているんですが……」
そんなこといきなり言われても、すぐにはピンとこないはずなのに、そのときの彼女は何かを知っているような表情を見せた。私は続けた。
「実は昨日棚で見つけたのですが、いま行ってみたらなかったもので……」
「あっ、あの赤い背のやつですよね?」
私はもはや赤だったかドドメ色だったか覚えていなかったが、一応「はい」と答えた。
「午前中に電話でお問い合わせがあって、取り置きしておいてほしいとの予約があったんです。ですから棚から下げました」
なんだってぇぇ~?
電話で問い合わせた挙句、取り置きを命じただと!
私は、まるで自分がもう1人(それも性格は私と違って劣悪な)この世に存在してるんじゃないかと思ったほどだ。だって、このCDの存在を知っている人なんて、そうそういるわけがない。
「ということは、品切れということでしょうか?」
「えぇ~と、在庫を調べてみますね」
その言葉には、どう善意に解釈しても在庫はないことを十分認識しているようにしか響いてこなかった。
そして案の定、「在庫はないです。申し訳ありません」という答え。
私はその場で膝から崩れ落ちそうになりながら力なくぼそっと言った。「あぁ、こんなんだったら昨日のうちに買っておけばよかった……。あぁ、私は愚かなロバよりも愚かだ……」
「申し訳ございません」
彼女は再びそう言った。
私はその後も店内をしばらくうろうろした。
並んでいるブラームスのCDを一通り見た。その次にはベートーヴェンも見た。
何かの勘違いで、これらボロディン近隣の作曲家の場所にあのCDが紛れ込んで並んでいるかもしれないではないか!
その間に、店の電話が鳴った。
あの店員さんが応対している。
電話を切ったあと、キョロキョロと店内を見渡し、失意の私の姿を認めると、小走りでやってきた。
「お客様、いま電話がありまして、あのCDの予約はキャンセルになりました。赤いCDは晴れてお客様のものです。おめでとうございます。私もすごくうれしいです」
というような急展開を期待したが、何度も電話が来ていたのに、ついぞそのようなことにはならず、私はとぼとぼと店を後にした。
その夜の会食-あの白鳥のときだ-も落ち着かずに過ごした。落ち着かない上に暗い気持ちのままだった。
翌朝。
まず私がしたことは、タワレコのオンライン・ショップを検索することだった。
おぉっ!
まだ在庫がある!
こうして朝っぱらから注文した。
商品は数日で届いた。
こうして私は30年以上ぶりに、この演奏に再会できた。
今回も、見ず知らずの人に電話一本で初恋の子を奪われてしまったような形になったが、世の中が便利になったおかけで、結果的に私もこの演奏に再会できたのだ。
聴いてみて驚いたのは、かなり速めのテンポでグングン進むこと。
その後現在に至るまで、私が慣れ親しんできた主としてロシア、ソヴィエト系の指揮者による演奏とはかなり印象が違う。
洗練されている。若々しい。が、重量感がある。
本来のボロディン像とは異なるのかもしれないが、悪くない演奏だし、何度か聴いているうちに、あのころ受けた感動がよみがえってきた。
これ、けっこう名演奏だと思う。いや、思い入れじゃなく、そう思う。
録音年は不明。録音は良好。
newton・classics。ソニー・クラシカルが原盤のよう。
2枚組で、ほかに第1番と第3番の交響曲と「イーゴリ公」序曲と「だったん人の踊り」が収められているほか、バーンスタイン/ニューヨーク・フィルによる「中央アジアの草原にて」、サンクト・ペテルブルク・カメラータによる「夜想曲」(弦楽四重奏曲第2番第3楽章)も入っている。
赤いCDが手にできてよかった……
そして教訓!
そそられた輸入CDを見かけたら、金がなくても躊躇せずにGETすること!
月曜日である。
さあ、また一週間の仕事が始まるのだ(注:日曜日が定休でない業種に従事の方を除く)。
けさを張り切って迎えた方も少なくないのかもしれないが、重い気分で目覚めた方もこれまた少なくないだろう。
そんな私の心を見透かしたようなメールが……
仕事行きたくないー
そんなあなたに!
仕事に行かなくても大丈夫なお仕事をご紹介!
大嫌いな職場…大嫌いな上司…そんな苦痛から解放されたいですよね!
貴方が向かうのは駅前のパチンコ店!
そう、今回ご紹介するのはパチンコ店のサクラスタッフなんです!
サクラのお仕事ってどんなことするのかというと
指定された台でレバーを捻るだけの超簡単なお仕事なんです!
ただレバーを捻るだけっていうのも結構大変なんですよ!
そんな忍耐をお持ちの方をお待ちしています!(笑)
ただ、パチンコ店ですからかなりの騒音、そしてタバコがきついです。
騒音やタバコが苦手な方にはとてもおすすめできません…
でも片手は空いていますので騒音やタバコが気にならないなら
空いている手で携帯をいじっていようが
本を読んでいようがそれはアナタの自由です。
あ、もちろん出玉はちゃんと回収して下さいね(笑)
こんな仕事が世の中には存在するんですね…
それでお給料がさらにびっくりなんですけど
日給3万円可!って書いてあるんですよ…
何でも、レバーを捻ってることで発生する分と
出た球の分もプラスして、それがお給料になるみたいです
こんなお仕事があっていいのかと心配になってきました…
さすがパチンコ業界ということなんでしょうか
パチンコのサクラ、ちょっとならやってみてもいい気がしてきました(笑)
驚きの求人情報はコチラ!
http://rmjwzrxnnd.biz/m/recive.php?sp=*************
まぁ!なんてすばらしい!……ってか?
日給3万円“可”っていうのが、これまたなんなんだよ?「書いてあるんですよ」って、どこに?
しかも“(笑)”が多いぞ。そんなにおかしいか?
私はパチンコはやらない。
学生時代に友人に付き合って数回行っただけだ。
その初回。友人はあっという間に玉を失い、一方の私はビギナーズ・ラックとでも言うのだろうか、そこそこ玉が出ていた。
玉も軍資金もなくなったその友人は、私の所へ来て「これを5倍にするから、頼むから譲ってくれ」とハエのように手を擦りながら懇願した。
全然かまわない。
私は彼に7割がたの玉を渡した。
彼が「ごめん……」と言いながら戻ってくるまで10分もかからなかった。
パチンコなんてそんなもんさ。
彼に渡さなくたって、どうせ私もその玉をすべて失うのは時間の問題だったのだ。
だから私はパチンコはやらない。競馬もやらない。どーしようよーもないドラレコを買って、安物買いの銭失いは、ときどきする。
そこで今日はシュッツ(Heinrich Schutz 1585洗礼-1672 ドイツ)の「シンフォニア・サクラ第2集(Symphoniarum sacrarum 2)」Op.10,SWV.341-367(1647刊)。27曲から成るドイツ語による教会コンチェルトである。
1629年に出版された「シンフォニア・サクラ第1集」は1~3声であり、ザクセン選帝侯に献呈されているが、第2集の方は3~5声。デンマーク王のクリスチャン5世に献呈されている。
CDは「ダヴィデの詩編歌集」で紹介したシュッツの作品集を。
「シンフォニア・サクラ第2集」の演奏はLa Capella Ducale、Musica Flata Koln。指揮はR.ウィルソン。
1995録音。ソニー・クラシカル。
にしても、サクラは世の中に広く存在してるんだな。
来春はウチの庭にも登場する予定だし。
数年前にネットで購入した、ファイアスター社のドライブレコーダーFS-DR100。
車に取り付けたものの、しょっちゅうエラーが出るし、肝心の画像が保管されていないこともあって-これじゃあ意味ない-家の片隅で放置プレイの刑に処していた。
しかし、最近のニュースの特集で、万が一のときにドライブレコーダーの記録がけっこう有効であるというのを観て、再び装着してみた。特に交差点で出会いがしらに衝突したときなど、どちらが青信号だったかという証明をするには、泣く子も黙る証拠になる。
こうしてダメ元で再びFS-DR100を使ってみた。
うん、なかなか順調だった。録画中を示すLEDランプが非常に見にくかったが、ちゃんと画像は保管されていた。
ところが先日、エラーを示す青色のLEDが点灯しっぱなしになって、撮影できなくなった。
マイクロSDをパソコンでチェックすると、おやおや、画像ファイルがまったく保管されていない。
あらためてこの商品についてのご意見をネットで調べてみた。
最悪だった。
ご指摘はごもっともなものばかりだった。
私もそう思う。
いや、全部私が書き込んだんじゃないかと混乱するほど、私の経験と一致していた。
SDカードの容量がいっぱいになったら古いファイルから順次新しいものに上書きされ置き換わっていくという当たり前の仕様のはずだったのに、どうやらカードが満杯になるとエラーになるらしい。しかも、私の場合はファイル自体が消滅していた。
ネットでのレビューでは、消滅しないまでもおかしなファイルとして残っているという指摘もあった。そういえば、私もその経験がある。
購入したころ、ファイルをPCで再生しようとしたら画像が満足に見られない化け化けファイルになっていたのだ。そのときは心霊スポットで有名な平和の滝に行ったあとだったので、こりゃ心霊現象だわいと思ったのだが(3%ぐらい)、とんでもない、単にこの機械がおバカだっただけ。ファイルを上書き更新するんじゃなく、メモリカードがいっぱいになったら自らファイルの破壊行為を行なうという、画期的自虐機能を備えていたというわけ。
で、この機械には見切りをつけることとしたが、もはや私の精神はドライブレコーダーなしでの運転はなんとも不安というものになってしまった。私は万が一に備えたいタイプであり、だから生命保険に加入するのも必須と考えるタイプなのだ。
そこでハローズに行って、セール品になっていたKEIYO製のAN-R003を購入した。通常価格9,800円が限定3台5,980円。
ドライブレコーダーは通常フロントガラスの上部に吊り下がるような形でつけるが、私の乗っている車のフロントガラスの上部にはおしゃれにもブルーの色が入っているし、コードをシガーソケットまでぐるりと回すのも嫌なので、ダッシュボードの上に置いた。この商品は本体が360度回転するようになっているので、そのように取り付けても映像が天地逆になることはない。
見づらいだろうが、外から写した写真を載せておく。
さっそく使ってみたが、このような取り付け方でも撮影範囲に影響はない。ちゃんと写る。
FS-DR100は、電源が落ちるたび(エンジンを切るたび)に日付データが2008年何日だったかの初期値に戻り、日時機能は実質使い物にならなかったが、こちらはそんなことはない。内臓電池で記憶しておいてくれる。また、エンジンをかければ勝手に撮影を開始してくれるので、いちいち操作をする面倒がない。
なにより説明書が当たり前に“ふつう”だ。DR100は中国で作られたのが明らかな代物で、たとえばSDカードが未装着だと15秒後に電源が落ちるようになっていることを、「15秒ぐらい後、本製品は自動シャットダウンすること」だの、いたるところで日本語が崩壊してしまっていた。
AN-R003も中国製ではあるが、説明書はきちんとしている。
ということで、ドラレコはちゃんと働いてくれているだろうかと運転中絶えず心配することがなくなった。
そんなこんなで、ドラティ指揮の演奏を。
ドラティのレコード=ドラレコというお告げがあったわけだ、私に(CDだけど)。
ドラティがロンドン交響楽団を振った、リスト(Liszt Franz 1811-86 ハンガリー)の「ハンガリー狂詩曲第2番(Ungarische Rhapsodie)」嬰ハ短調(1847)。
リストのピアノ曲である「ハンガリー狂詩曲」は第19番まであるが、そのうち6曲が弟子のドップラーの協力によって管弦楽編曲されている。
ただし、原曲と管弦楽編曲版の番号は必ずしも一致せず、次のようになっている。
第1番S.359-1 ⇔ 原曲:第14番
第2番S.359-4 ⇔ 原曲:第2番
第3番S.359-3 ⇔ 原曲:第6番
第4番S.359-2 ⇔ 原曲:第12番
第5番S.359-5 ⇔ 原曲:第5番
第6番S.359-6 ⇔ 原曲:第9番
このうち、原曲でも、編曲版でも最も有名なのが第2番。
ドラティはここでリスト&ドップラー版ではなく、ミュラー=ベルクハウス編の版(ハ短調)を使っている。
また、このCDにはほかのオーケストラ版の5曲も収録されている。
1960/1963録音。マーキュリー。
そう、音が良いと村上春樹が書いていたマーキュリーである。このCDの音も良い。
また、このCDのエネスコのルーマニア狂詩曲第1番について、以前取り上げている。
私が「ハンガリー狂詩曲第2番」を初めて耳にしたのは、そしてその後も何回か接したのは「トムとジェリー」によってであった。アカデミー賞を獲ったという「ピアノコンサート」というやつである。
あれはトムがオーケストラをバックにピアノを弾くという、協奏作品のようにアレンジされていた。あれはオリジナルの版なのだろうか?
そういえば、ドラといえば、サッポロ・ドラッグストア(サツドラ)で、“さつどら焼”ってのが売っていたな。美味しいのかな?どら焼きに興味はないけど。
タイトルなしで舞い込んできたメール。
色々あって離婚は秒読みです。
こんな苦しい毎日から救い出してくれる優しい王子様はいないかな?
とサイトを利用してみました。
【離婚秒読みさん (29歳)】
この女性(と断定できる手がかりはほとんどないが)は、それにしてもいったいなぜ、私が王子様だとわかったのだろう?(王子様とわかっているから、同じ王子仲間を紹介してほしいという間接的な訴えだろう)。
これこれ、そこの人。私が大手製紙会社に勤務しているという意味ではないぞよ。
私は王子様のような人物なのである。自分で言うのだから、これほど確かなことはない。
もっとも周囲の人は私のことを“王子様”とはあまり呼んでくれない。
むしろ、“プリンス”、“貴公子”と呼ばれることの方がずっと、多くない。
“オージー”と呼ばれたことは過去に1回ある。わたしゃビーフかい?それとも、“Oh!爺”という意味だったのかい。だとしたら、まだビーフの方が人の役にたっている分、マシな気がする。
でも、そっか!王子様を求めているということは、この“離婚秒読みさん”は女性もしくは優しい王子様好きの男って推測が成り立つわけで、さらに言うなら、常識的には女性と判断するのがまともだろう。実際に書いているのはバイトの兄ちゃんなんだろうけど。
優しい王子はここにいるが(しつこく主張するが私のことだ)、この人にはわんぱく王子を紹介するにとどめておこう。
伊福部昭(Ifukube Akira 1914-2006 北海道)の交響組曲「わんぱく王子の大蛇退治(The little prince and the 8-headed dragon)」(1963/2003) 。“大蛇”は“おろち”と読んでくださいね。英名からわかるように、8つも頭がある蛇なわけ。
この作品は1963年に封切られた劇場用のアニメ映画「わんぱく王子の大蛇退治」のために書かれた音楽を、2003年になってオーケストラ用組曲として書き直したもの。伊福部は「ロンド・イン・ブーレスク」などでも、この映画音楽の素材を用いている。
私は小学生のときに学校でこの映画を観て(鑑賞させられて)いる。
窓に暗幕を張って暗くした音楽室に、同じ学年の児童全員が集められ、狭苦しく暑苦しい中で、これを観なければならなかった。
環境も悪かったが、映画もなんだがつまらなかった。そもそも登場する人物たちの絵のタッチが私の好みでなかった。
そのころは、のちに自分が伊福部昭の音楽にはまるなんて夢にも思ってなかった。そもそも、伊福部昭っつー名前すら知らなかったわけだし。あのころの私が知っていた音楽関連の人名は山本リンダとバーブ佐竹ぐらいだったと思う。あっ、あとピンキーとキラーズとか。
CDは本名徹次指揮日本フィルハーモニー交響楽団、弓田真理子のアルト独唱、コールジューンの合唱による演奏を。
2003録音。キング・レコード。
なお、この交響組曲は5つの部分(章)から成る。
第1章 「前奏曲~イザナミの昇天」
第2章 「スサノオの旅立ち~火の国」
第3章 「アメノウズメの舞」
第4章 「イズモの国~大蛇退治」
第5章 「終曲」
話は変わるが、先日札幌で大通からススキノ方面に向かう途中、狸小路5丁目を横切った。
そこにはオットーという喫茶店があった。あまりに地味な存在なのでこれまで気がつかなかったが、ここの2階こそが名曲喫茶の“シャンボール”があった場所である。
シャンボールはとうの昔に無くなったが、下のかつてはセコンドだった店は、オットー(OTTO)という店にかわってまだ営業してたのね。全然気がつかなかった。っていうよりも、懐かしむという概念が頭になかった。
で、発見した。
オットーの横に自販機が置いてあってそれが目隠しになっていたが、自販機の裏側にかつてのシャンボールへ上がる階段があることを。浪人中、講習をさぼってよくこの階段を上がったものだ。
シャンボールでピザ・トーストといった食事メニューを注文すると、下のセコンドから運ばれてきた。名曲喫茶には調理設備がなかったのだ。
ということで、あまり意味のない思い出話ですまん。
そうそう、伊福部昭の父親は帯広の隣町・音更町(当時は音更村)の村長をやっていた人物だ。でも、いま音更に行っても伊福部昭に関する何かがあるわけじゃないんだろうな、きっと。
なお、いずれも耳にしたことはないが、音更町の町歌、そして池田町の町歌は伊福部昭の作曲だという。
火曜日は札幌で大きな会議があり、夜には懇親会があった。
宴会で出てくる料理を見ながら、ふと白鳥の肉って果たして美味しいんだろうかと思った。
というのも、オルフ(Carl Orff 1895-1982 ドイツ)の「カルミナ・ブラーナ(Carmina Burana)」(1935-36)のなかで、そういう歌があるからだ。第12曲「焙られた白鳥の歌」だ。
独唱テノールが今や落ちぶれてしまった白鳥の嘆き歌う。
かつては美しかったが、いまや焼かれていて、自分の肉を食べようと待っている人たちのガチガチと歯を鳴らす音が聞こえる……。そんな内容だ。
いまでこそ食用は禁じられている白鳥だが、かつては食べられていたらしい。「カルミナ・ブラーナ」の歌詞は13世紀まとめられた歌集によるものだから、実際に詠まれたのはもっと前。そのころは食べられていたのだ。
白鳥の肉っていったいどんな味なんだろう。なんとなく私の口には合わないイメージが強い。
私は宴席で一人、このようなほかの人たちの想像を絶するような思いにとらわれていたわけだ。おかしいでしょうか?
それにしても、オルフの「カルミナ・ブラーナ」は何度聞いてもワクワクさせられる作品だ。なんてったって“世俗の賛歌”。高貴な私にとって、世俗のことを垣間見れる作品なのだ。
……何言ってんだか……
この曲のCDでは、前に取り上げた高関健/札響のライヴがすごい名演。
そして、それに次ぐ私のお気に入りはウェルザー=メスト指揮ロンドン・フィル、同合唱団ほかの演奏。この曲ではヨッフム盤が名演との誉れが昔から高いが、高関盤は最近のものだからともかく、20年以上前からあるウェルザー=メストの録音がなぜこんなに話題に上らないのか不思議。未聴の方、ぜひ聴いてみなさい!
1989録音。EMI。
♪
水曜日の午前中は打合せがあり、終了後の11:45ころに札幌駅に向かっていたら、エスタの地下通路で偶然にもアルフレッド氏に会った。
彼は私の手を握り、再会を喜んでくれた。
でも、ごめん。
その直前に私はトイレに寄り、「まっ、いいか」と、手を洗う作業をスキップしたのだった。
まあ、とはいえキレイですから、私。
そういえば、彼は爪楊枝をシーシーしながら歩いていた。
もうお昼ご飯を終えたところだったね、きっと。
早いのね……
ところで、私が出た懇親会の店はどんなところだったかって?
白鳥のことを思い浮かべるくらいだから、肉料理だと思うでしょ?
ブ、ブーッ!
海鮮和風居酒屋に分類される店で、畜肉は一切ありませんでしたです。
好きな作曲家を4人だけ挙げよ!という極めて難しい質問を浴びせられたなら、私はマーラー、ショスタコーヴィチ、伊福部昭、ベルリオーズと答える。
なぜ4人という中途半端な数なのかと問われると返す言葉はない。
が、なぜ中途半端なのだろう?こういうとき、たいてい“1人”とか“3人”という制限をかけてくるの世界的な憂慮すべき風習である。
もし無人島に行くとなったとき、1枚だけ持っていけるとしたら何のCDを持って行くか?というような質問がある。
ナンセンスだ。
無人島なら電気がないと考えるのが妥当である。
乾電池で動くプレイヤーがあったとしても、どうせすぐに電池切れになってすぐに聴けなくなる。
だとしたら何のCDを持って行ったって。鏡代わりとしては同じだ。って、こういうひねくれた考え方をするので、誰も私にはこのような質問をして来ない。
話を戻す。
実は1983年1月に伊福部昭の「ラウダ・コンチェルタータ」を聴き伊福部昭に心奪われる前までは、マーラー、ショスタコ、ベルリオーズの3人が私の愛の対象であった。
そこへ割り込んできたのが野蛮な形で心を揺さぶる伊福部昭だったのだ。私の本能を目覚めさせるような彼に、私はやがて抵抗できなくなり、自ら進んで身を、いや耳を捧げるようになってしまったのだった。イケナイかしら、アタシ。でも、どうしよーもなかったんです。
こうして“私の3大作曲家”からベルリオーズがはずれてしまった。
が、やはりベルリオーズも好きなのだ。
ということで、4人という拡大対策をとった事情についての説明を終える。
とはいえ、ボロディンも好きだ。
私はボロディンの音楽にも強く惹かれる。ボロディン(Alexander Borodin 1833-87 ロシア)の音楽も伊福部昭と同じく、人間の始原的本能を刺激する(ような気がする)。
最近彼の交響曲第2番ロ短調(1869-76/改訂'79)を、久々にスコアを追いながら聴いてみた。
ボロディンの音楽の特徴の1つに、メロディーを楽器で次々とリレーすることがあるが、スコアを追いながらあらためて知ったのは、耳で明らかにわかるリレー以外にも、いたるところでスイッチしたり、楽器で音を受け渡ししながら1つのメロディーを作り上げている箇所が多々あるということだ。
どんな曲だって難しいんだろうけど、こういう曲を演奏するのはかなり難しいんじゃないだろうか?ちょっとのズレでメロディーそのものが壊れちゃう恐れがあるから。
今回はN.ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団によるCDを。
ハチャトゥリアンの交響曲第2番の演奏のようにかなり力強くグイグイ押してくるような演奏をしてくるのかと思いきや、意外とほんわかしている。そうなるとボロディンの土臭い、あるいは心無い言い方だと田舎臭い色合いが薄れて、とても洗練されて聴こえる。
この曲の魅力はほんとうに言い尽くせぬほどで、どの演奏を聴いてもけっこう節操なく酔いしれてしまうが、ヤルヴィの演奏の特徴は温かみ。これまた名演のゲルギエフとは対照的。どっちもいいわぁ~。
一緒に収められている、有名な「夜想曲」(原曲は弦楽四重奏曲第2番の第3楽章。N.チェレプニン編)、交響詩「中央アジアの草原にて」、歌劇「イーゴリ公」の序曲を含む抜粋、いずれも非常に質の高い演奏だ。満足、満足……
交響曲第2番と「夜想曲」の録音は1991。それ以外の録音年は1989-90。
グラモフォン。
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