ロベフという名の指揮者は、本当に全然知らなかった。そこが昨日のセレブリエールと若干異なるところだ。私にとっては。
前回立ち寄ったときも、前々回立ち寄ったときもタワレコのピヴォ店の棚に置かれていたCD。それも、ジャケットが見えるようこちらに顔を向けてディスプレーされていた。
根負けだ。
その「ねぇ、買ってぇぇぇぇ~ん」というような態度に負けて買った。安かったし。
曲はオルフ(Carl Orff 1895-1982 ドイツ)の「カルミナ・ブラーナ(Carmina Burana)」(1936)。
オーケストラはソフィア・フィル。独唱はバレヴァ(S)、カメノフ(T)、ヤヌコフ(Br)。合唱はブルガリア国立オブレテノフ合唱団にブルガリア国立放送児童合唱団。
1986年のライヴ録音である。
はっきり言って「おやおや」って演奏だ。でも「やれやれ」って断じることもできない。
それは「カルミナ・ブラーナ」という曲が、粗野っていうかウマヘタっぽくても面白い曲だから。もちろん程度問題だが、整然とした演奏は向いていない。
でも、そうは言ってもこれ、十分に粗い演奏だ。お世辞にも上手いとは言えない。あか抜けない。
が、「うわっ、なんかやっちゃいそうだな」っていうスリル感は楽しめる(CDだから、それも最初のうちに限るわけだけど)。
ロベフは、追い越し禁止車線ではきっちり制限速度で走るくせに追い越し可の道になるとなぜか急加速する意向不明のドライバーのように、ときにアクセルをぐっと踏んで音楽を進めたりする。速度制限を守っているときはまだ少しはいいが、アクセルを踏まれたらオケも合唱も「えっ、マジ?」って感じで、混乱しているのが伝わってくる。
独唱陣もふつうなのか下手なのかビミョー(多分ふつう以下)。バリトンは表現過多で、浮き足立っている。ソプラノにはヴィックスドロップを舐めさせたくなる。まだテナーはふつうか?
そして、ついぞ第23曲「私のいとしい人」でソプラノのバレヴァが崩壊!声が出なくなってしまう(最初っからここ歌えなかったんじゃないのかな?)。こんな歌声で「私のすべてをあげましょう!」って言われても……
いや、指揮者のせいだけじゃなく、オケ、歌い手のいずれも本人たちの技術の問題だな。 児童合唱団の衣装にブルガリアを感じる。
むかしブルガリア・ジャムってのがあって、イチゴの粒の形が残っているジャムなんてそれまで見たことなかったから、ブルガリアってすごいところなんだなって思った記憶があるが、だからってこの子らの衣装になぜブルガリアを感じるんだろう?私は。
とにかく、魚肉入りハンバーグのような味わい。いや、ジャムじゃなくて演奏が。
つまり美味いとは決して言えないが、独特の味があって食えないってものでもない。好んで食べたくないけど……
録音はあまり良くない。ちょっと変わったトーンだ。
FORLATE。
ところで連日の暑さで、清涼飲料水をがぶ飲みしている人もいるのではないかと推察される。
そしてこんなメールが。
森田彩香といいます。
27歳、清涼飲料水関係の仕事をしています。
あのう、えっち友達を
募集しているそうですね?
いえ、何かの間違いです。募集していません。
で、「カルミナ・ブラーナ」は高関/札響のライヴ盤がすっごく良い。
July 2012
ホセ・セレブリエールという指揮者のことはほとんど知らなかった。
ほんとは「全然知らなかった」と書きたところだが、ワードで作ってある自分のCDリストを検索して調べてみたら、その名があった。
彼が指揮したパン(Carter Pann 1972- アメリカ)の作品を集めたナクソス盤を持っていることがわかってしまったのだ。だから、あわてて「ほとんど」と書き直したが、実情は「全然」である。
なぜならば、そのCDは数年に1度聴くか聴かないかで、CDを買ったのが数年前だから、つまりこれまで1度か2度聴いただけ。パンのことは知ってるし先々週の日曜日にも食べたが、演奏者名までは記憶に残っていなかった。
先日、古書市で購入したボロディンの交響曲の中古CD。
なんで古書市なのにCDも売っているのだろう?
そんなことを疑問に思い始めると、地下鉄はどこから入れるのかぐらいイライラしてくるので深追いはしないものの、でも本とCDはお友達のような気がしないでもない。少なくとも焼き物とワラジよりは納得性がある。
というのも、札幌駅の近くにあるビルの地下に、むかし弘栄堂書店というのがあった(いまPASEOにある弘栄堂書店とは別な場所。そこはいま文教堂になっている)。そこにはCDコーナーもあった。すっごい品ぞろえは豊富でなかったけど。
それが本とCDは友達じゃないかと私が思った理由の1つ。
2つ目は、ちょいと出所不明の安いリプリント盤CDが本屋の店頭に並べられたりしていた時代があったから。
安いといっても1,000円だったから、いまの水準からすると安いとは言えない(定価は2,000円と印刷されていたけど)。そんなんで、本屋とCDは決して水と油ではないと淡く思ってしまう。
そういえば、最近本屋でCDを見かけなくなったと思ったら、替わりに昔の映画のDVDが売られている。あれは正規盤なんだろうか?
これまでの話を要約すると、私は百貨店の催事の古書市で中古CDを買ったということ。ボロディンの交響曲の。
その指揮者がセレブリエールだったわけ。
セレブリエールは、私が持っている音楽之友社の指揮者名鑑みたいな本には載っていない。10年前の本だからかもしれない。
ネットで調べたら1938年生まれのウルグアイの指揮者・作曲家なんだそうだ。なんだ、全然新進気鋭の指揮者じゃない。これで、「いやぁ、最近の指揮者のことはよく知らなくて」という私の言い訳は通用しなくなった。74歳だから全然新鋭の指揮者じゃない。ただただ、私が知らなかっただけだ。でも、私だけが悪いんじゃない。指揮者名鑑に載ってなかったんだもの……
善良なみなさんが悪い誘いに引っかからないよう、いつもセレブ女性からのメールを紹介しているというのに、指揮者であるセレブリエールのことはノーマークだったなんて……。ごめんなさい。あっ、なんか今、脳裏にセレブ女性(どうしても叶姉妹っぽいイメージから逃れられない)がエリエールで鼻をかんでいる姿が浮かんでしまった……
そしてここでのオーケストラはローマ交響楽団。
でもカッコ書きで“RAI”とある。
RAIというのはイタリア放送協会のこと。
実はかつてイタリア国営放送は、ローマ、ミラノ、トリノにオーケストラを持っていた。NHK交響楽団が函館と甲府と高松にあるようなものだ(列挙した地名を選んだ理由は特にない)。
それが1994年に統合されイタリア国立放送交響楽団となった。中心となったのは3つの中で歴史が最も古いトリノのオーケストラだった。
このCDは1989年の録音(ライヴ)。だから、ローマ交響楽団(RAI)と書かれているのだろう。
ウルグアイの指揮者とイタリアのオーケストラによるロシアのボロディン(Alexander Borodin 1833-1887)。どんなもんだかすっごく気になった。
本もCDも基本的には中古品は避けてきた私だが、最近は歳を取って寛大になったせいか、中古品も少し買うようになった。今回、「激写・135人の女ともだち」の古本にも心動かされたが、12分くらい悩んだ末に私はセレブリエールを選んで買った。
収録されているのはボロディンの全交響曲。
つまり、
交響曲第1番変ホ長調(1862-67)
交響曲第2番ロ短調(1869-76)
交響曲第3番イ短調(1882,86-87) 【未完。管弦楽:グラズノフ】。
↑ ちょっと色気づいてみました。
イタリアのオーケストラだからと先入観を持つのは良くないことだが、でも明るい陽射しに照らされているようなボロディンだ。
これはこれで悪くないのだが、どうも心に訴えてくるものが希薄。表面をなぞっただけのように聴こえるところもある。
第1番の冒頭に出てくる低弦によるメロディーなど、じっくりと噛みしめるように音が紡ぎだされていくところなんかなかなか素敵で、「おぉっ!」とクレヨンしんちゃんのように叫びそうになったものの、3曲ともあっけらかんとしている。決して丁寧じゃないわけじゃないんだけど。
ただ、どの曲もお客様は拍手喝采!
聴衆がすっごく満足している。私も会場にいたとしたら手のひらが真っ赤になるくらい拍手したと思う。それぐらい鳴ってはいるんだけど……
レーベルはASV。
ボロディンの交響曲はもともと健康的でチャーミングな要素を持っているが、セレブリエールの演奏を聴いたなら、絵奈さんも元気になってくれそうな気がする。というのも、不満は書いたが、幸福色のある演奏だからだ。
で、絵奈さんからのメール。
突然メールしちゃってゴメンナサイ。
でもどうしても寂しかったので、10分以内の距離にいてすぐに会える人を検索してメールしちゃいました。
だって、仲良くなっても遠い人だとすぐに会えないんだもん。
実は絵奈って今すっごく元気がないんです・・・。
今月から一人暮らしを始めたんですけど、こっちには友達もいないし、相談できる人もいなくって、今一番ホームシックなんです。
本当に寂しくって、週末とかどうしようかってそんなことばかり考えています。
勝手なお願いなのは分かっているのですが、絵奈と一緒にいてくれませんか??
絵奈は男の人は中身だと思っているので、見た目とか年齢は一切気にしません。
それよりも絵奈をなでなでしてくれる人が良いです。
でも絵奈がどんな子かも分からないのに、そんな約束できないですよね・・・。
あ、じゃあ写メ載せておくね。
http://ccddsstwitter.com/m/recive.**********
もし気に入ってもらえたらここに絵奈のメールボックスがあるのでメール下さい。
すぐに詳しい住所と絵奈の携帯番号送りますね。
優し人お願いします。
自分で言うのは勝手だから言うが、私は優しい人に入ると思う。でも、残念ながら、優し人ではない(ヤサシビトってナニあるか?)
私が10分以内に会える場所にいるって?このメールが来た時間にはトマムと占冠の間あたりを移動中だった。山の中だ。
クマか?絵奈の正体って。
しかも人に向かって「見た目とか年齢は一切気にしません」って、私が年寄りで見た目がひどいと言ってるようなもんじゃないか。失礼な!
なでなでしてって、熊か?エナって?
熊がなでなで好きかどうかは知らんが……
あっ、ごめんごめん。
セレブのボロを着、いや、聴いて、幸せな気持ちになっておくれ、絵奈。
きっと心が軽やかになるから。
このように反対のことを書いて、煽る手法はなかなか斬新だ。
〈タイトル〉
完全無料の掲示板ですが、20歳未満閲覧禁止とさせて頂きます
〈本文〉
本日ご紹介するサイトは20歳未満の閲覧を完全禁止しております。
http://monthly-official.net/m/recive.********
-----主な理由は-----
【理由1】
あまりにも淫乱な男女が集まっているため若年層は気絶してしまう可能性があるため。
【原因2】
最近の傾向としてメタボリック症候群な男性が人気を集めています。25歳以下の場合サイトの質が落ちてしまうため。
【原因3】
主に肉体関係のみを求めている男女が集まっています。若年層は割切った関係を保てな恐れがあるため。
以上のご注意を守れる方のみご入場下さい。
20歳未満だと気絶してしまう可能性があるって?
25歳以下はみんなスリムだから、場違いで和を乱すわけだな(20歳未満禁止なのに、なんで25歳なんだ?)
そうそう、若い奴は本気になっちゃうかもな……
このように、「よし、大人の私なら条件にふさわしい」と思ってしまうスケベなオヤジがいてもおかしくない。だって、なかなか上手な訴え方だもの。あぁ、逆説の妙!
致命的なのは、「主な理由は」と書いておきながら、【理由1】はOKとしても、そのあとが【原因2】【原因3】となっているところ。理由を原因に変えるなよ。っていうか、きっとこのメール内容の派生バージョンがあって、そこは【原因】から誘導する文になってんだろうな。コピペでチャックを怠ったのかな?
若年層は気絶って、いったいどんなにすごいんだよ?
あまりにもアホらしくて、この書き手に拍手したい!
気絶はしないが、最近けっこう驚くほど激しく太鼓を叩きまくっている「ガイーヌ」を聴いた。
スヴェトラーノフ指揮ボリショイ劇場管弦楽団の演奏による、ハチャトゥリアン(Aram Ilyich Khachaturian 1903-78 ソヴィエト)のバレエ「ガイーヌ(ガヤネー。Gayaneh)」(1939-42/改訂'52,'57)の抜粋盤(10曲)である。
ハチャトゥリアンといえば、浅田真央が演技で使った「仮面舞踏会」がすっかり有名になってしまったが、もともと彼の作品でいちばん広く知られていたのはこの「ガイーヌ」のなかの「剣の舞(つるぎのまい)」だった。
この録音の“レズギンカ”や“剣の舞”のパーカッションがすごい。皮が破けるんじゃないかと思うほどだ。
特に“レズギンカ”。チェクナヴォリアン盤の“レズギンカ”もすごく良いが、迫力の点でははるかにこちら。これは興奮ものだ。
「剣の舞」もティンパニを始めバンバン叩きまくる。
もし、名曲コンサートなんかでこんな演奏をしたら、幼児は泣き叫び、乳児は気絶する。いや、すっかり魅了されて将来打楽器奏者を目指すようになるか?
2000年録音。ブリリアント・クラシックス。
Licensed from National Music Publishers,Russian Federationとのこと。
カップリングはバレエ「スパルタクス(Spartacus)」から5曲。
宮部みゆきの「英雄の書」(新潮文庫)を読み終えた。
この物語は中学2年生の優等生と言える森崎大樹(ひろき)が同級生を殺傷し失踪。その原因が“英雄”に憑かれたためだっと知った小学5年生の妹・友理子は、兄を探すべく“無名の地”へと旅立つというもの。
“英雄”に憑かれた大樹は、しかし、学校でいじめにあっていた。それも同級生の女の子をかばったがために……
先日もちょっと触れたが、大津市立中学2年の男子生徒がいじめを苦に自殺したとされる事件。その後続々と出てくる学校での出来事。何よりも、教師らのいい加減さに腹が立つ。
教育委員会のあり方、教師のあり方にメスを入れるときが来た。「生徒に命の大切さを教えることを強化」なんて筋違い。大人のあり方を根本から変えなければならない。
「英雄の書」の終わり近くに次のような文がある。
学校の先生たちは知っていて知らん顔をしているか、隠している。ビクビクと口をつぐんでいるに違いない。それは大樹の同級生たちも同じだ。あるいは、学校側から口止めされているのかもしれないし。
数多くの学校でこのようなことが起こっているのだろう。
心が痛む。
教育委員会、教師の“慣習・風土”を抜本的に見直すことが必要なように思える。
この小説では小学5年生の女の子が主役だが、それはこの物語にとって必然的なものだったのだろう。しかし、宮部作品にしばしば登場する子どもに共通して、こんなことできるわけが……って思ってしまうのも事実。まあファンタジーなんだからそんなことを言っちゃオシマイよ、だけど。
また友理子が、他の人々が話していることが難しくてよく理解できないという場面があるが(それは当然だろう)、ある場面では心の中で大人も使わないような難しい言葉で考えを巡らしたりして、おかしいなぁ、これはいただけないなぁと感じるところがあるが、それらは整合性が取れていないのではなく、宮部の設計どおりなのだろう。じゃなきゃはなからこんな風には書かないだろうから。
「他人の言葉に、もっときちんと耳を傾けることを学ばねばいかん。今のおまえは、何も聞かない。考えない。ただ自分の感情に溺れて、勝手に右往左往しているだけだ」
小学生の女の子に向けるべき叱責ではない。……
良い言葉だ。そして、まさに小学生の女の子に向けるべき内容ではない。
そして、こう言ってるのはアッシュという人物のだが、別なところでは「何でも聞くな」と言っている。ひどいぞ、アッシュ!
未読の方もいらっしゃるだろうから、ストーリーに関わることに触れるのは避けよう。
小学生が主人公で、未熟な彼女にちょっとまどろっこしさを感じたりする部分もあるが(これまた宮部みゆきの仕掛けなんだろうが)、今回もとても面白いストーリーでいっきに(いや、ほぼいっきに)読み終えた。最後はちょっぴり感動した私。
いただけない「英雄」と言えば、ハイティンクがロンドン交響楽団を振ったベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)の交響曲第3番変ホ長調Op.55「英雄(Eroica)」(1803-04)を、私は思い出す。2005年のライヴだが、これがハイティンクなの?と思う演奏だ。初めて聴いたとき、すっかり勝手に右往左往してしまうぐらい期待はずれだった。
テンポの速いサクサクとした演奏。今風のベートーヴェン演奏と言える。
評価する向きには「テンポよくスマートな演奏」ととらえられており、確かにそうも言えるが、味わい不足で引き込まれない。
しかも録音が悪い。響きが乏しく平板。録音の悪さが演奏自体を悪く聴こえさせているのかもしれない。いや、たぶんそうだ。そうに違いないように思えてきた。
ライヴだからって時は2005年。もっともっとちゃんと録れたはずだと思うのだが……
で、このジャケット・デザインはどういう意味が込められているのだろう?
なおカップリングは、あまり録音されておらず聴く機会が少ない序曲「レオノーレ(Leonore)」第2番Op.72a(1804-05)。歌劇「フィデリオ(Fidelio)」の第1版初演のときの序曲である。
オペラの第2版初演のときの序曲は、現在序曲「レオノーレ」第3番Op.72bと呼ばれている曲で、この第2番を改訂したものが第3番である。その違いを聴くのは何となく楽しい。
LSOライヴ。
ちなみに、タワレコ・オンライショップ内に掲載されている販売元提供の当CDの紹介文は以下の通り。
ハイティンク&ロンドンSOによるベートーヴェン・シリーズ第3弾。第7番&三重協奏曲、「田園」&第2番につづいて「英雄」&「レオノーレ」序曲第2番の充実カップリングが登場します。斬新でドラマチック。それまでの交響曲の流れを変えたとさえいわれる「英雄」に、激しく複雑な「レオノーレ」。ともにシリアスな内容にふさわしく、シャープでギュッと凝縮感のある響き。力強い低域に支えられ快速のテンポで進む演奏を、一貫したサウンド・ポリシーによる完成度の高い録音が万全にサポート。かねてよりLSOが幅広い音楽に柔軟に対応できる機能性の高さを備えたオーケストラであるのは誰もが認めるところ。新しくも普遍的なベートーヴェン像を構築する当シリーズ。
これを読むと、「何だ?話が違うじゃないか!」と、あなたは私のことをウソつきと思うでしょう、たぶん。
ぜひ、ご自身の耳で判断してみてください。
そして、私の書いていることが間違っていて、ハイティンクの名誉を傷つけたと感じたならば、それはそれでそっとしといて下さい。
昔のSF映画なんかにあるような場面。
主人公である正義の味方が、ろくでもないことしか考えていない悪の化学者-だいたいは過去にタイム・トリップして歴史を変え、自分が世の支配者になる。とか、透明人間になって女の子のスカートの中を見放題っていうような壮大な野望を抱いている-の実験室に忍びこむ。
薄暗い部屋の実験台の上には中で真っ赤な液体がポコポコと沸騰しておるフラスコや、真っ青な液体が入ったビーカーが置かれている。
そんな場面に流れてきそうだなぁと思う曲がある。
リスト(Liszt Franz 1811-86 ハンガリー)の「ファウスト交響曲(Eine Faust-Symphonie in drei Charakterbildern)」S.108(1854)の冒頭である(感じ方には個人差があります)。
「ファウスト交響曲」には上の原題にあるように、「3人の人物描写による」という副題が付いている。
その3人というのはファウスト、グレートヒェン、メフィストフェレス。
グレートヒェンはファウストが恋する街娘で、ファウストの子どもを身ごもることになる。メフィストフェレスは誘惑の悪魔である。
3つの楽章から成るこの曲は、交響詩と交響曲の中間のような作品で、第1楽章でファウストを、第2楽章でグレートヒェンを、そして第3楽章でメフィストフェレスを描く。
描くといってもこれらの人物の性格描写である。
当初は管弦楽のみの編成で書かれたが、1857年に第3楽章に“天使の合唱”を追加。テノール独唱と男声合唱を用いるようにした。
リストにゲーテの「ファウスト」を読むように勧めたのはベルリオーズだというが、その後リストは「ファウスト」にすっかりと魅了されることになった。
私が悪の実験室を連想する冒頭部分は、第1楽章「ファウスト(Faust)」でファウストがいろいろなことにモンモンと悩み考える部分。そのあとファウストは情熱的に、さらに英雄的に扱われれる。
第2楽章「グレートヒェン(Gretchen)」は第1楽章と異なり愛らしい性格描写。
第3楽章「メフィストフェレス(Mephistopheres)」では第1楽章のファウストの主題が変形されて用いられる。最後は暗黒から光が差し込み、高らかに終わる。
全曲は1時間ほど。聴きとおすには忍耐を要するかもしれないが、ベルリオーズが用いた“固定楽想”という考え方を、リストも導入。何度か聴いているうちに「あれっ、けっこう良い曲じゃね?」と感じてくるだろう(感じ方には個人差があります)。
私が聴いているCDはマズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、ライプツィヒ放送合唱団、ケーニクのテノール、H.バーンスタインのオルガンによる演奏。
申し訳ないが、私はこの曲で他の演奏を聴いたことはない。
録音は1977から'80の間。EMI。
庭のアジサイが徐々に色づいてきた。
私はアジサイの花があまり好きではない。
なんだかお寺を連想してしまうから。でんでん虫がたくさんいそうだから。
そしてまた、イングリッシュ・ガーデンを志向しているわけじゃないが、一応バラ中心の庭にしているので、どうもアジサイはそこに調和しない。
ではなぜ植えてあるのか?
勝手にやって来たのだった。
もう10年以上前になるが、下の息子が「ウチの庭にもライラックを植えてほしい」と言ったことに結びつく。
まだ小学校の1or2年生ぐらいだった息子がなぜライラックを望んだのか?
考えられるのは、ライラックぐらいしか木の名前を知らなかった可能性が低くない。
そこで私は実家の庭にあったちょっと濃い色の花をつけるライラックをもらって来たのだが、そのとき今は亡き父は「これは珍しい色だ」と、ちょっと自慢げに言っていた。 そしてあとでわかったのだが、ライラックの株にアジサイもくっついていたのだ。
ライラックの成長はあまり速くなく、今でも私の背丈ほどしかないが、アジサイは元気いっぱい。ライラックの花が散った頃からどんどんと背を伸ばし、今年も多くの花を持っている。
先に書いたように、アジサイはどうも好きになれない。
そこで目立たないよう、やや日陰の家の横へ移植しようと思ったのだが、ライラックと離すことができないほど株元が絡み合っているのがわかった。
やれやれ、これも父の供養だと思ってがまんするか……
バラでは今年鉢植えから地植えに戻した“ミミエデン”がおととい開花した。前に地植えしていたときは蕾の段階で腐ったようになってしまってなかなかきれいに咲かなかったが、今年は木陰の雨があまり当たらないところに植えたのが良かったのか(あるいは降水量が少ないせいか)、きちんときれいな花を咲かせてくれた。
また、もうピークは過ぎたがクレマチスの“アロマティカ”もたくさんの花をつけてくれる。クレマチスとしては目立たない感じの品種だが、色合いが美しい。 なお、“アロマティカ”はつるが絡まない直立性の品種である。だからちゃんと麻ひもで結んであげないといけない。手のかかる子だこと。
そんなこととは一切関係なく、今日は吉松隆(Yoshimatsu Takashi 1953- 東京)の交響曲第3番Op.75(1998)。
いや、関係なくはない。
ライラックを植えたのが1998年頃だったのだ。それだけですけど何か?
この曲について、吉松は次のように語っている。
「交響曲」とは何か?と聞かれたら私はこう答える。「オーケストラという音響合成システムで紡がれた巨大な質量とエネルギーとを持つ音の構造物」であり「作曲家というひとりの人間の内部に仕込まれた音楽の記憶のすべてを収斂させた情念(パッション)の複合体」。
人間の心の中に〈希望〉や〈調和への希求〉とともに〈怨念〉や〈破壊への衝動〉など様々な情念が混在しているように、20世紀後半の日本に生まれた私の中には大いなる〈西洋クラシック音楽の記憶〉や〈東洋音楽の記憶〉とともに〈ロック〉や〈ジャズ〉や〈民族音楽〉あるいは〈アヴァンギャルド〉〈コンピュータ・アート〉など様々な20世紀の記憶が混在している。 それらの感情や記憶のすべてを「交響曲」と言うフォーマットの中に解放し、〈五線譜〉というソフト・ウエアで走る〈オーケストラ〉というハード・ウエアをフル駆動させる音楽。そして、現代音楽が封印してきたメロディやハーモニーそしてビートを完全に解き放ち、ベートーヴェンやチャイコフスキーやシベリウスの交響曲を聴いてワクワクした少年の頃の音楽への情熱を小賢しい知性の歯止めなしに全開にする音楽。
私は、そういう音楽を書きたかった。そして、前作であるピアノ協奏曲「メモ・フローラ」op.67の女性性(女神)に対して、男性性(男神)の性格を持った対の作品を考えていた。それは怒りや悲しみや夢のエネルギーと共に莫大な労力と無意味さをも吸い込んで、4つの棟を持つ奇妙な神殿のように私の内なる地平に屹立した。それがこの交響曲である。
第1楽章:アレグロ。「陰」と「陽」、「希望」と「怨念」、「慈悲あるもの」と「凶暴なるもの」と言った相反する二面の性格が交錯しぶつかり合うドラマとしてのアレグロ楽章。
第2楽章:スケルツォ。ジャズやロックからアフリカやアジアの民族音楽に至る様々なリズムの断片がパズルのように錯綜し変化してゆく、リズムの万華鏡としてのスケルツォ楽章。
第3楽章:アダージョ。アジア風の暗い情念によるアダージョ楽章。2本のチェロが核となって語られる悲歌でもあり、真夜中の走馬灯の中に映る遠い昔の記憶のような仮面劇でもある。
第4楽章:フィナーレ。前3楽章の素材が合流し堆積してゆく大団円としてのフィナーレ。雲の切れ目から射すかすかな日の光が巨大な日の出へと拡大してゆき、太陽の祝祭を迎える。
ということです。
この交響曲も、第2番や第4番にも現われる旋律が聴かれる。
いわゆる“吉松節”だが、それをワンパターンと言うのは間違い。マーラーだってそうだったではないか!
そして、氏の曲は甘酸っぱいような漠然とした懐かしさを私に提供してくれる。
私の視床下部は、いったい何を懐かしがっているのだろう?
しかも、それは今ぐらいの季節、つまり夏なのだ。
私の延髄は、夏の何を懐かしがっているのだろう?
交響曲第3番は第2番の完成後すぐに構想されたが破棄された。その理由は今の日本では交響曲を発表するということが絶望的だったからだという。一部はギター・ソナタ「空色テンソル」Op.52(1992)に転用された。
しかし、その後シャンドスが吉松作品のシリーズ録音を開始することとなり、4楽章から成る純器楽交響曲として再構成された。
藤岡幸夫指揮BBCフィル。1998録音。シャンドス。
♪
自宅のパソコン(Vista機)が頻繁にブルー・スクリーンとなりシャットダウンを繰り返すようになった。
1ヵ月ほど前に、ウィルス対策ソフトをソースネクストのウィルス・セキュリティZEROから、軽快とされる無料のキングソフトのものに入れ替えたが、考えられる原因はそれぐらい(ネットブックや単身赴任先のWindows7機もキングソフトのものを使っているが、そちらにはそのような異常はない)。
昨日の午前中にキングソフトのものをアンインストール。再びZEROに戻したら、異常は出なくなった。
今日、また単身赴任先に戻るのでこのパソコンにはしばらく触れず、経過観察はできないし、もしかすると原因は別なところにあるのかもしれないが、ご参考まで。
昨日今日の日程で、江別駅前の道路などを会場にして“江別やきもの市”が開催されている。
昨日、私もそこに立ち寄ってみたが、かなりの出店者数であることと、特に焼き物に興味があるわけでもなく、そそくさと帰って来た。
しかし、私の心に相当な衝撃を与える店があった。
いや、やきもの市の出店者ではない。
会場となっている道路に面した日用品店である。
その店、やきもの市に便乗して、いや失礼、やきもの市を盛り上げようと、大セールを繰り広げていたのだ。店頭の歩道にまで陳列して。
それが写真の品々だ。
わらじ…… このような店がわらじを取り扱っているなんて、思う人はふつういないだろう。
しかし、皆さんも急にわらじが必要になったのにコンビニでも売ってなく、とても困った経験をしたことが一度や二度はあるだろう。いざ、わらじが必要となったときにはこの店のことを思い出すといいだろう。ふだん店を開けているのかどうかは知らないが……
にしても、“Dead Stock”っていうのが笑わせる。というか、店主の誠実さ、正直さが伝わってくる。
600円のわらじの他に、800円という高級わらじもあった。実に品ぞろえが豊富だと感嘆せざるを得ない。
唐草模様の風呂敷の上に陳列しているところが、ここの店主のセンスの良さを感じさせる。値札のコメントどおり、まさにルームアクセサリーにぴったりの一品だ。
部屋の壁にさりげなく飾ったわらじは、訪れたお客さんにあなたのさりげないこだわりを感じさせずにはいられないだろう。何のこだわりかは知らないが……
そして、まさに昭和!
良き時代の思い出に浸れる“水差し”。
こういうの、家にあったなぁ。
えっ?800円は高いだろうって?
何をおっしゃる。ずっと店の倉庫で大切に守られ保管されてきたものなのだ。もし保管料がかかったと考えたなら、超特価である。しかもレア品。
水差し収集家にはたまらないだろう。
他にもファンシー小物入れが。この200円は安すぎる。大切な小物はぜひこれに入れておきたいものだ。
ということで、“やきもの市”に興味を持った方は、ぜひこれらのDead Stockも見落とさないようお願いしたい。
迷ったら買った方がいい。
2度と手にできないかもしれない。
それにしても、恐るべし“大山商店”(って名前だったような気がする)。
♪ 金曜日。
またまたタワレコに立ち寄って、やっぱり購入してしまった。CDを。
いくつか買ったうち、今回最も楽しみなのはバーンスタインがニューヨーク・フィルと1960年代に取り組んだマーラーの交響曲全集である(第8番のみロンドン響)。
バーンスタインのマーラーはこれまでも聴いて来ているが、この全集のなかですでに単売で手元にもあるのは第1番と第5番だけである。
同じころショルティもマーラーの交響曲全集の録音を行なっているが、ショルティ派だった私としてはバーンスタインを積極的に聴こうという気にはあまりならなかった。
特にニューヨーク・フィルとのこのシリーズでは上に書いたように、2曲しか知らないで齢を重ねてしまった。
今回店頭でこのセットを見つけて購入しようと即座に思い立った理由は、価格が2990円と安かったこともあるが、各CDのスリーヴがLP時代のジャケットのオリジナル・デザインを採用しているらしいからだった。
ボックスの裏面(2枚目の写真)にそれをほのめかす写真がずらりと並んでいた。そして家に帰って開けてみると、まさにその通り。廉価ながらもこういう配慮をしてくれることに感謝感激。
第1番のCDはすでに輸入盤で持っているが、そのジャケットは3枚目に載せたの写真のもの。
しかし、私はこの録音、今から30年以上前、つまり昭和の時代、水差しの水を飲むのがおしゃれだと信じていた、お金のない学生だったときにレギュラー価格だったLPを購入(それはもう処分してしまっているが)。そのLPジャケットと同じデザイン(写真4枚目)をこのセットで目にし、懐かしくてそれだけでも即「買わねば!」という気持ちになったのだった。
このバーンスタイン/ニューヨーク・フィルによるマーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第1番ニ長調(1883-88/改訂'93-96)の演奏については前に書いているので、ここで再度触れることはしない。気になる方は過去記事へワープ! 1966録音。ソニー・クラシカル。
このセットの他の交響曲の演奏については、順次書いていきたいと思う。
ちなみに、かつてマーラー演奏ではショルティ派だった私だが、この第1番についてはショルティの演奏を耳にしたのはかなりあとになってから、バーンスタイン盤の方がずっと先だった。
タワレコの店頭で2990円で買って喜んでいた私だが、オンライン・ショップではそれよりもさらに、そしてはるかに安いことが先ほどわかった。
すっごく悔しい気分である。
やれやれ……(ただし、必ずしもオンライン・ショップの方が安いとは限らないから厄介だ。店頭の方が安い場合もある)。
昨日は久々に、自分で洗車した。昼前のことだ。
自分で、というのはコイン洗車といった所でじゃなく手洗いで、という意味だ。
なんせ体当たりしてきた虫たちの死骸が汚らしくボディーにこびりついている。そこでカーシャンプーを使ってごしごしした。
でも、全然落ちない。
厄介だ。
そのあとワックスがけをした。それで頑固な汚れも落ちるかなと思ったのだ。
それでも落ちない。
だんだんやる気が失せてきて、ワックスがけも途中でやめてしまった。
しかもその直後に通り雨。
いわゆる踏んだり蹴ったりであった。
洗車しようなんて思い立つんじゃなかった。
バラの花にやって来て花びらを食い散らし、さらにそのなかで交尾しているコガネムシにキンチョールをかける。そういう前向きなことをするべきだった。
その雨はすぐに上がり、夕方近くに“やきもの市”に行ったわけだ。
いろいろと話は入り組んだが、そういうわけだ。
面白いスパムメールが来ると、私はその文章をいったんメモ帳に保管する。
「保管する」と書いたからには、紙を束ねて冊子状になったいわゆる“メモ帳”に書き写すわけではないことに気づいていただけただろうか?
そう、Windowsに標準装備されている“メモ帳”、つまりNotePadにコピペするのである。コピペって知らない?俗語です。コピー&ペースト、複写と貼り付けのこと。
直接ブログ記事の入力画面にコピペすることもできるが、書体や色などの余計な情報が含まれているのでペーストした後に修正しなければならないことがある。しかし“メモ帳”はそういった複雑な情報を切り捨て、純粋にテキストだけを保管してくれるので二度手間のようだが楽ちんなのだ。
にしても、まるでスパムメールを収集しているようで、なんか変な私。
その“メモ帳”、ウィンドウズの種類によってはエラーが出ることがある。
「メモリ不足のためこの操作を実行できません。Windowsアプリケーションをいくつか終了して空きメモリ領域をふやしてから再実行してください」
他にアプリケーションを使っていなくてもこう表示されることがある。
“YAHOO!知恵袋”にも紹介されているが、このようなメッセージが出てもファイルはちゃんと保管されているので心配することはない。これはウィンドウズのバグである。
“YAHOO!知恵袋”だが、これを読んでいるとなかにはすっごく意地悪な書き方の答えを寄せている人もいる。質問者を無知扱いし小馬鹿にしているような書き方。こういうのって他人事ながら質問者が気の毒になる。そういう人は知恵があっても徳はないと言える。
ところでペーストという言葉、レバー・ペーストのペーストと同じ綴り、pasteである。ここで敢えてこのようなことを書くのは、私がレバー・ペーストを苦手としているからである。そこのところご承知おきいただきたい。
ペーストで思い出したが、皆さんはカレーを作るときにタマネギをペースト状になるまで炒めるタイプだろうか?
私は炒めるタイプである。
タマネギの姿がはっきりと残っている昭和40年代の大衆食堂風カレーもときどき欲してしまうが、基本は姿を消してもらう派である。
しかし、タマネギをぐちゃぐちゃになるまで炒めるのは時間がかかるし、そもそも手首に悪い。そこで、別段すごいアイデアではないが、切ったタマネギをレンジにかけしんなりさせる。いや、しんなりよりももう少しとどめを刺すくらいにレンジにかける。
そのあと炒めると、非常に時間の短縮になる。
昨日私はカレーを作ったが、このように調理した。こう書いているにもかかわらずそうしないとなると、私はウソつきになってしまうし。
そういえば、レンジにかけることを、この電子音社会になった今でも「チンする」と言う人がいるが、犬じゃあるまいし、チンするな。さすがに「エレックさんする」という人は絶滅したようで幸いである。
ペースト話で盛り上がったところで(皆さんも盛り上がったと推定される)、交響幻想曲「テンペスト(The tempest)」Op.18。チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-93 ロシア)がスターソフの勧めで1873年に書いた管弦楽曲である。
タマネギとかレバーのペーストとは一切関係なく、シェイクスピアの戯曲「テンペスト」による。
シェイクスピアはチャイコフスキーが敬愛した作家の1人で、この「テンペスト」の前には幻想序曲「ロメオとジュリエット」(Op.番号なし。1869)を、また1888年には幻想序曲「ハムレット」Op.67を作曲している。 「テンペスト」は3つの部分から成る作品で、初演は好評を博した。
チャイコフスキー自身も作曲当初は成功作として自負していたが、後年は平板で長ったらしく幻滅していたと言われる。なお、メック夫人は「テンペスト」を聴いて感激し、それがのちにチャイコフスキーを援助するきっかけになったという。
私もこれより先に書かれた「ロメオとジュリエット」の方が優れた作品だと感じている(ただし「ロメオとジュリエット」は改訂が重ねられて第3稿まであり、第3稿の作曲年は1886年)。
アバド指揮シカゴ交響楽団による演奏を。
1984録音。ソニー・クラシカル。
ちなみに、「ハムレット」で私が(たまにだけど)聴いているのは、リーパー指揮ポーランド国立カトヴィツェ交響楽団の演奏によるナクソス盤。1991録音。
ところで「テンペスト」という音楽作品では、別な曲を思い浮かべる人の方が多いだろう。
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第17番ニ短調Op.31-2「テンペスト(Tempest)」(1802)である。こちらの方は通称。
弟子のシンドラー(こやつが、ベートーヴェンのウソだらけの美化した伝記を残した)がこれと第23番のピアノ・ソナタの解釈についてベートーヴェンに尋ねたところ、「シェイクスピアのテンペストを読め」と言われたんだそうで、そこからこの通称がつけられた。
絶対ウソだな、この話も。
私は今、ベートーヴェンの「テンペスト」のCDは1種類しか持っていない。
ハイドシェックの演奏によるものだ。
この演奏が良いかどうかはわからない(録音はあまり良くない)。ただ、ハイドシェックが札響と共演したのを聴いたことがあって、なんとなく親近感を覚えるピアニストである。
北海道ローカルだと思うが、ハウスのカレーのCMで「トマトとながいものカレー」っているのが紹介されている。
ながいも、とろっとろになってしまわないのだろうか?
今年購入したバラの1つ、“エリドゥ・バビロン”が咲いた。
とてもかわいい!
宮部みゆきの「英雄の書」(新潮文庫)の上巻を読み終えた。
正直なところあまり読む時間が取れない中(寝る前は毎日酔っぱらって良い調子になってしまっているので、とても本など読めない。読んでも翌朝すっかりストーリーを忘れている)、昼休みを最大限に利用して読んだ。
なぜそこまでするか?
面白いからだ。
宮部みゆきはやはりすごい。とにかく先へ進みたくなる(でも、夜に酒を休むまでには至らない)。
主人公は小学5年生の森崎友里子。
同級生を刺し殺し失踪してしまった中学生の兄・大樹(ひろき)を救い出すために、友里子は“無名の地”へと旅立つ。
現世とは違うところへの旅立ちという点ではブレイブ・ストーリーに似ている。
友里子がこう話すところがある。
「お兄ちゃんは騙されてるんだ。そうでなかったら、絶対ゼッタイ絶対に、あんなひどいことしないもん!」
ん?
この言い方、どこかで最近目にしたことがある。
と、ネタのために“メモ帳(NotePad)”にコピーして保管してあった文を探してみる。
あった、あった。
スパムメールである。
【タイトル】
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【本文】
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決して他言は無用です。
スタビがどんなものであるか知らない私には、興奮と感動が蘇ることはないが、じゃああなたは自分が美味しい思いをしなくていいのか?なぜそんなに親切なのか?と突っ込みたくなる。
答えは1つ。
この人、ウソをついてる。
“絶対”ウソだ。
何が「他言は無用です」だか…… さて、リヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss 1864-1949 ドイツ)の交響詩「英雄の生涯(Ein Heldenleben)」Op.40(1897-98)。
この曲の演奏ではこれまでブロムシュテット盤とライナー盤を紹介したが、今日はジンマン/チューリヒ・トーンハレ管弦楽団による演奏を。
「英雄の生涯」は、私にとってはR.シュトラウスの管弦楽作品中でも最初に知った作品ということもあり最も愛着があり、また好きな曲だ。
英雄=シュトラウス自身であり、ここでは自らの生涯を音楽で描いているのだが、30歳そこそこで自らの生涯を描くというのもなかなか高慢ちきである。
曲は6つの部分からなっており、英雄/英雄の敵/英雄の伴侶/英雄の戦い/英雄の業績/英雄の引退と完成とタイトルがつけられている。
第1部で自画像を披露し、第2部では自分に批判的な批評家たちなどを描く。第3部では妻を描き、第4部では批評家たちと戦い勝利を収める。第5部では“業績”ということで、自分の過去作品のメロディーをいろいろと登場させ、第6部では余生を送っている姿を描く。
冷静にストーリーを読むと、まったくやれやれな男である。
「英雄の引退と完成」なんて言ってるが、このあともR.シュトラウスは死ぬまで作曲をしていた。
その自称・英雄は、しかしながら後進の音楽家にまったくと言っていいほど影響を与えなかった。
H.C.ショーンバーグは書いている(「大作曲家の生涯(下)」:共同通信社)
いずれにせよ、シュトラウスが新しい楽派の作曲家たちに、ほとんど、もしくは全然影響を及ぼさなかったことは明白である。新しい楽派のあらかたの作曲家たちは、シュトラウスの作品をきらい、なかには軽蔑する者さえいた。……
こうなると、シュトラウスは気の毒なことに、ほとんど取り柄がなくなるが、正直なところ、かつては電撃的だった「英雄の生涯」の荒い息遣いや、「ドン・キホーテ」の自然描写や、いや一時は多数の人びとに多大の感銘を与えた大半の作品を、今日我慢して聴くのは難しい。単なる煽情主義ほど早く時代遅れになるものはなく、シュトラウスの悲劇は、実質よりも効果を重視する願望に災いされた、優れた作曲家の悲劇にほかならない。
私が初めて「英雄の生涯」を聴いたのはもう30年以上前のことだ。
シュトラウスにとって、事態はいっそう悪くなっていることが私にも実感できる。
ジンマンの演奏は他の多くの指揮者と異なる派手さを抑えたもの。軽快ですらある。そして、各楽器の音が良く聴こえる見通しのよいもの。
こういう演奏で聴くと、“煽情主義”というだけではないと見方が変わってくる。
2001録音。ARTENOVA。
大津の中学生自殺の問題が連日報道をにぎわせている。
学校あるいは教育委員会がウソをついているのは明らかなように見える。
そしてまた、「英雄の書」では中学生のいじめ問題が扱われている。
宮部みゆきは別な小説でもいじめ問題をストーリーに絡めているが、このように現代社会のひずみを小説を通じて訴えているのである。
〈前回までのあらすじ〉
突然私の住む町へ来るというアルフレッド氏からの連絡を受け、私は多忙な毎日を送っているにもかかわらず、なぜかこの日は奇跡的にフリーであったため、一緒に食事をすべく、私は彼に、市内の百貨店の玄関前にあるライオンならぬ鹿の置物にまたがって待っているように指示した。
♪
私たちは市内でも有名な焼き肉店に行った。
この店は前にも紹介したことがある。
「わぁ~、ここ来てみたかったんです」とアルフレッド。
こういう言葉を聞くと、私としても善行したようでなんとなくうれしくなる。
しかし、いろいろ話をしているうちに、彼が過去にもここに来たことがあるのが明らかになった。正しい日本語を使いなさい!
例⇒「ここ、また来てみたいと思ってたんです」、「前に来たことありますけど、すっごく美味しいですよね。うれしいなぁ」「前に来たことなんてないです。忘れてしまってますから」etc,etc……
カルビとサガリとタン塩とジンギスカンと塩ホルモンを注文し、私は塩ホルモン以外を何枚かずつ食べた。
ここでの報告事項は以上である。
焼き肉にすることに決めたのは私だ。
だが、居酒屋が休みで、中華料理屋は誰も電話に出ず、その結果の選定だった。
私の心の中は熱々の湯気が上がっているカニチャーハン。あるいはバランスの良い塩加減の和風スパゲティに支配されていたからだ。モードがそういう風になっているとき、たとえそれがどんなに美味しくとも、気持ちを切り替えるのは大変だ。
うな重を食べようと店に行ったら休みで、しかたがないから、代わりにその近くの超有名うどん屋できつねうどんを食べたとしても、あなたはウナギのモードから抜けきることができず満足感は得られないだろう。そういうものだ。
だから焼き肉にもこの焼き肉店にも何の罪もない。
いろいろと話が弾み、とても楽しい時間を過ごしたが、不思議と何を話したかあまり記憶にない。煙とともに排気口から逃げていってしまったかのようだ。
ただ、彼もアイゼンシュタイン氏とはその後連絡を取ってなく、どうなっているのか不明であることが判明した。食事前に彼は「あとから電話してみましょうか?」とおちゃらけて言っていたが、肉を焼き始めてからはすっかり忘れているらしく、ついぞそのようなことをしなかったし、はっきり言って私もすっかり忘れていた。翌朝になってそんなことを言ってたっけなぁと、思い出した。
焼き肉屋で十分おなかは満たされたはずだ。
しかし、仕上げはソバ。
今回“長次郎”という間違いを犯したアルフレッドのために、“長”にちなんで“長寿庵”に行く。
この店は、少し前にナシニーニ氏と来たことがある店だ。考えてみればそのときは、正次郎→長寿庵というルートだった。
私はかしわせいろ、アルフレッド氏は天かしわそば、〇〇氏は、はて?いったい何を頼んだんだっけか?
ということで、突然開催が決定した宴は終了、夜想曲が似合う時間帯に解散した。こう強制的に終わらさなければ「道化師の朝の歌」の時間帯になってしまうのだ。 ボロディン(Alexander Borodin 1833-87 ロシア)の弦楽四重奏曲第2番ニ長調(1881)。
4つの楽章からなるが、第3楽章「夜想曲」が非常に有名。
この曲はボロディンが妻に愛を告白してから20周年を迎えた記念として、妻に献呈されている。そのような背景のせいだろう。全曲を通して甘美で温かみのある音楽で、19世紀ロシアにおける室内楽作品の代表作の1つと言われている。
私がよく聴いているのはモスクワ弦楽四重奏団の演奏によるもの。
1995録音。ブリリアント・クラシックス。ボロディンの室内楽作品集。
ところで本州の人には“サガリ”という名はあまりなじみがないかもしれない。
簡単に言うと“ハラミ”のことだが、厳密には違う。
“ハラミ”は牛の横隔膜のことだが、“サガリ”はそのなかの横隔膜の腰椎に近い部分を指す。ただし、“サガリ”と“ハラミ”を分けずに“ハラミ”と言う場合もある。ただし北海道では“ハラミ”という呼び方で供されたり売られたりしていることはあまりなく、“サガリ”である。
この日、昼食を食べそびれたといいながらも、サガリを遠慮がちに食べていた〇〇さんについて少し触れておこう。
彼は”どら猫酔狂堂”の社員ではなく、ここと組んで仕事している会社の社員である。
とてもまじめで、きちんとした仕事をこなしてくれる。
そんな彼は、実は熟女好きなんだそうだ。
30歳半ばながら、70歳位でも許容範囲だと言っていた。何の許容の範囲なのかはよく知らないが……
私のところに届いたこんなメールが〇〇さんのところに届いたなら狂喜乱舞しちゃうかもしれない。なんせ“完熟”どころか“甘熟”ですもん。
お世話になります、高野倫子と申します。
検索結果に該当された貴方様に、コミュニティクラブ【甘熟ママ】事務担当:高野倫子がお伝えします。より納得していただいたうえで【甘熟ママ】にご参加いただくため、よくある質問と回答をご紹介させていただきます。
1)なぜ会員制なのか?
会員制コミュニティクラブと聞くと抵抗を感じられるかもしれませんが、 家庭やプライバシーを守るには、主婦や奥様がクラブを間に挟むことで、「御相手」と自由な匿名交際が可能になるのです。
2)男性からも探せるのか?
男性は「御相手」として登録いただくことで、女性会員からの御誘いを受け取れます。
もちろん男性会員からの御誘いも可能です。ナウタイム検索を使えば今すぐの密会も可能です。
3)なぜ完全無料なのか?
主婦たちの読者交流からはじまった【甘熟ママ】は、女性会員からの会費で成り立っています。
また大変な人気のため女性誌に広告出稿⇒さらに女性会員増⇒再び広告出稿と好循環ができています。
尚、現在では女性会員と御相手とを結ぶ機能に特化しており、低コスト運営が可能になっております。
重ねて申し上げますが、【甘熟ママ】では真摯な御相手を求めております。主婦の方々の参加理由は、人によって異なりますが、どなたも本気で交際を求められています。
それも、じっくり恋するというのではなく、ほとんどの方が割り切った関係を望まれており、
御誘いのメールではかなりストレートな内容になっておりますが、どなたもふつうの主婦の方ばかりです。
ただ家庭での心の渇きを満たしたいだけなのです。
◆興味をもっていただけましたら、御相手として無料登録をお願いいたします。
こちらからお願いします
⇒http://www.joobdai.com/k*******/
※基本的に男性の方に費用は一切かかりません。
【甘熟ママ】は女性会員様からのクラブ費で成り立っています。
※また当クラブの性質上、期間限定での受付となっておりますので、
通知なく受付を終了させていただくことがございます。
ご了承ください。
(その際はリンク切れとなります。)
よろしくお願い申し上げます。
高野倫子 こういう女性たち、“はらんだ”らどうするんだろう?まっ、こういうママは実在しないんだろうけど。
なお、私に置かれては、「検索結果に該当された」って意味が、ぜんぜんわからない。
にしても、〇〇さん、山田五十鈴が亡くなって落ち込んでないかなぁ?
さて、今出張で札幌へ戻って来ている。
昨日と今日が業務。明日は夏休みをとった。
ということは金~月が休みである。
庭仕事しなきゃ……
でも今日は雨。植物にとっては久々のお湿りだ。が、明日以降は晴れてほしいなぁ。
今年新たにわが庭に仲間入りしたバラの1つ、“ストラボ・バビロン”が咲いた。
かわいい!が、想像していたほどではなかった。しゅん……
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