松本由梨絵さんからのメール
私と楽しい時間を過ごしてもらえないですか?
真面目な妻演じてるのが馬鹿らしくなりました。
仕返しって事で私と楽しい時間を一緒に過ごしてもらえないですか?
こんな人妻を相手にするんですからこちらから謝礼金も出しますよ。
http://yra9h38cpe.info/f2nq9vcucr
サイトに登録してるのでメール下さい。
お待ちしてますね。
意味わかんね。2行目から3行目への飛躍が……
和恵さんからのメール
夫の浮気が発覚しまして…
真面目な妻演じてるのが馬鹿らしくなりました。
仕返しって事で私と楽しい時間を一緒に過ごしてもらえないですか?
こんな人妻を相手にするんですからこちらから謝礼金も出しますよ。
http://yra9h38cpe.info/8ta55fdj7h
サイトに登録してるのでメール下さい。
お待ちしてますね。
これなら少し理解できる。
しかし、松本由梨絵さんからのメールと2行目以降がほぼ一緒なのが受取人をある意味バカにしている。
松本由梨絵さんからのメール、再び。
夫の浮気が発覚しまして…
真面目な妻演じてるのが馬鹿らしくなりました。
仕返しって事で私と楽しい時間を一緒に過ごしてもらえないですか?
こんな人妻を相手にするんですからこちらから謝礼金も出しますよ。
http://xmdwoa6wrw.info/a5vt92uert
サイトに登録してるのでメール下さい。
お待ちしてますね。
さすがに1通目はおかしかったと、おかしい送り手は気づいたのか?和恵バージョンにそろえてきた。
にしても、ここで注意すべきは記載されておるURLが3つとも違っているということ。
同様に送信者のアドレスも違う。こういうときはメール・フィルターの設定がやっかいだ。
送信者を受信拒否にしても同じ内容のメールが着続ける。本文中の何かの文字列を選んで“〇〇を本文に含むメールを拒否する”としても、特徴的な語句がない。「下さい。」とか「ました」を拒否キーワードに設定してしまったらほとんどのメールが来なくなるだろうし。
あっ、私と同じように純真で真面目な皆さんは、出来心でもこのURLにアクセスしないようにしてくださいね。馬鹿らしいことにしかならないはずですから。
ところで「真面目な妻演じてるのが」って、ということは実は真面目な妻でないってことだな。それで間違いないな?由梨絵に和恵。
真面目と言えば、ベルティーニ指揮ケルン放送交響楽団によるマーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第1番ニ長調(1883-88/改訂1893-96)は、まったくもって真面目で丁寧な演奏だ。
ベルティーニのマーラーはこれまでも紹介してきたように、どれも真面目さが伝わってくる素晴らしい演奏だ。
この第1番もそういう演奏なのだが、他の番号の交響曲演奏に比べると物足りなさが残る。
有名なフランス料理店で、見た目も味も良い品々をお召し上がりになったものの、どこか物足りなさが残り、帰りにラーメンを食って仕上げたいって思う欲望に似たものを感じる。
私はベルティーニの指揮でマーラーの1番を生で聴いたことがある。
10数年前のことだが、日付はわかるのに年の記憶があいまいだ。会場は北海道厚生年金会館、いまのニトリ文化ホールである。ということは、まだKitaraができる前のこと。
確かに目の前ではこの曲が鳴っていた。心を揺さぶられもした。しかし、その記憶はあまりに色あせるのが早かった。聴いていて共感できなかったのだろう。
ただすごく記憶に残っているのは、私の数列前に座っていた母子連れである。子供の方はまだ3~4歳だった思う。その子が最初から最後まで、約1時間にわたってひどい咳をし続けていたのだ。
ほんとうに“し続ける”という咳だった。
しかし母親はときおり背中をさする程度。結局最後まで鑑賞を放棄することもなく、咳き込む子を隣においてこの母親は聴き続けた。
いい加減にしろよな!
子供を責める気はない。むしろあの子も被害者だ。
いくら聴きたくたって、子供のこと、そしてほかの客のことを考えれば、どう考えても退出という選択肢を取らざるを得なかったはずだ。この身勝手ママめ!
あの母親の後ろ姿を思い出すたびに、むしょうに腹が立ってくる。
あぁ、こんなことを書いていたら、また真剣に血がたまって、いや上ってきた。
やれやれ。
えっ?
あ、そうそう。
ベルティーニのマーラーの交響曲第1番ね。
いや、ですから整った良い演奏です。でも、若き日のマーラーが書いたいわば“青春交響曲”。若気の至りみたいなのをもっとやっちゃって欲しいです、私は。咳き込む子も黙るくらいに……
1991年11月、東京でのライヴ。
私が厚生年金会館で聴いたのが11月22日だったから、きっとそれは同じ1991年のことだったんだろう。すげ、11が2つ、22と99が1つずつ、ぞろ目が4つだ。
いや、だから何だと言われても何でもないけど、確か次の日は勤労感謝の日だったはずだ。
August 2012
こんな勿体ない事をして本当に宜しいのですか?
こういうタイトルのメールが舞い込んで来ると、[おいおい、私はそんなにもったいないことをしているのか?」と驚いてしまうが、本文を読むと「いや、よろしくはないかもしんないけど、かといってどうしてもあなたを信じられなくて」って思っちゃう。
本文は、
【馬プロ】緊急情報調査班の松任谷です。
【ID******1】様、遂に締切時間の17時までにご参加の確認が取れませんでした。何故ご参加をされなかったのでしょうか?
これだけの素晴らしい情報提供者を確保して、これ以上の条件でのご案内は、今後絶対に二度とございません。
それ程素晴らしい内容なのに、ご参加をされないというのは、正直理解に苦しむところであります。
本当にこのままご参加をされないで宜しいのですか?
しかし幸いな事に、今回は【ID1******】様ただお一人様だけへのご案内ですので、ある程度締切時間の融通を利かせる事はこちらとしても可能ではあります。やはり、これ程のレベルの情報ですから、このまま終わらせるのも我々と致しましても心苦しい思いなのであります。
せっかくたった1名しか選ばれないあまりにも究極すぎる抽選にご当選をされ、参加権を得られたのに、ご参加をされずに回収金も手にする事なく過ごされてしまうのは、非常に勿体ないばかりでございます。
たった1名様しか選ばせて頂かなかったその意味を今一度お考え下さい!
そこまで徹底してその方に『利益を何としても掴んで頂こう』と考えていなければ、たった1名様しか選出しないという事はまず考えません。
本当に、今回の提供者である早稲田隆仁氏にも、無理を言ってようやく自身の情報をご提供して頂ける段取りを付けた経緯もございます。
ご自身が長年をかけて編み出した究極の投資術の極意を、人様にご披露される事を了承頂いたのも、“確実に儲ける事が出来る”裏付けがある情報だからに他なりません。
その究極の馬券投資術に触れる事ができる唯一の会員様が【ID***9***】様ただお一人なのです。
私の独断で《明日の15時まで》ご参加受付を延長させて頂きますので、どうか今一度ご再考頂ければと思います。
そして今度こそ、ご参加に前向きに検討頂きたいと思います。
ご参加さえ頂ければ、どんな事があろうとも絶対に、≪420万?600万円≫の利益は掴ませると早稲田氏もおっしゃっておりますので。
【ID******1】様のご参加を、心からお待ち致しております。
【ご参加手続き】【提供内容確認】はコチラから
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
http://uamapuro.com/member/contents78.****************
にしても、アタシ選んでくれなんて1度たりともお願いしてませんし、そんなに言うなら早稲田氏とか松任谷氏とかやらが自ら稼げばいいんじゃないかと思うわけです。自慰的に理解に苦しまないで、どうか私をほっといてください。私はそんなご厚情を受ける立場にございません。
いずれにしろ、こういう儲け話のお誘いのときに思うのは、それならあなた自身が稼げばいいじゃん。それを見ず知らずの人に紹介するってこと自体があり得ない話であって、私にははなっから人をだまして金をむしり取ろうって魂胆であるようにしか思えないのです。そう思う私って心が汚れているのでしょうか?
でも、1つお礼申し上げます。
「あまりにも究極すぎる」って日本語、どっかで使えそうです。参考になりました。
この“馬プロ”ってホントしつこい。
メール中の特徴的な語句や送信者アドレス、文中のURLなんかをキーワードにして受信拒否設定しても、平気で次々舞い込んでくる。そっちの方のプロとも言える。
それにしても、どうしてフィルターをスルーするのだろう?謎だ。
おもてづらの文字列は変装した姿であり、裏に何かのからくりがあるのだろか?次々と変化するとか。
エルガー(Edward Elgar 1857-1934 イギリス)の「創作主題による変奏曲『エニグマ』(Variations on an original theme 'Enigma')」Op.36(1898-99)。通称「エニグマ変奏曲」。エニグマとは「謎の」という意味。
つまり「謎の変奏曲」だが、何をもってして謎なのかはこちらをお読みいただきたい。
この曲、今回はシノーポリ指揮フィルハーモニア管弦楽団の演奏で。
これははっきり言って名演である。
熱い演奏だが、とはいえ大音響の中でのバカ騒ぎには陥らない。緻密で洗練されているのに表情豊か。ときにこの上なく優しく、ときにこの上なく激しい。知性と情熱の魅惑的な表情変化。これは惚れずにはいられない。最後など、涙なみだの大感動。
シノーポリのエルガーでは、交響曲第2番の演奏にどうもピンとこなかった私。それゆえ、エニグマ変奏曲も「どうかなぁ」とさして期待を抱かず接したのだが、一発で恋に落ちました、アタシ。
1987録音。グラモフォン。
シノーポリで思い出したけど、むかし家にあったモノポリー、どこにいっちゃったんだろうな……
チェリビダッケには熱狂的な信望者がいる。一方で、「なにチェリ、チェリしてんだよ」と冷ややかな声もある(と思う)。
私はどちらでもない。ただ、彼の演奏はそんなに聴いてこなかったのは事実。毛嫌いしていたわけでもなんでもなく、ふつうにチェリチェリしてなかっただけ。
遅ればせながら最近になってチェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルによるブルックナー演奏をいくつか聴いた。
ブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲ってこのところあまり聴かなくなった。そんなにたくさんいろんな演奏で聴いてきたわけではないが、でも、どの演奏で聴いてもなんだか物足りない。心に訴えかけてくるものがない。
なんでなんだろ?
タワレコをぶらついていたら、チェリビダッケ/ミュヘン・フィルによるブルックナー交響曲集が目に留まり、ちょいと買ってみた。
で、交響曲第4番変ホ長調WAB.104「ロマンティック」(1874,第2稿'78,第3稿'79~80,第4稿'86)。
はっきり言って、久々のブルゾク体験をしてしまった。いえ、ですから“ブルックナーで背筋ゾクゾク”体験です。
この曲、聴いていてたいていどこかで気が抜けるというか魂がどこかに遊びに行ってしまうのだが、今回初めて聴いたときにはすっかり引き込まれ、挙句の果てにすぐにもう1度最初から聴きなおしてしまった。やられた!
この演奏、いろいろな感想をネットと読むと「異端的」という声も少なくないが、私には異端とは思えなかった。テンポも、チェリビダッケのことだからすごく遅く進めるのかと思ったら、そうではない。が、たっぷり歌いまわすところなんかは、よくぞここをじっくりとやってくれました、と私は拍手喝采。男一人、部屋の中で感動にやけ顔で拍手喝采。異端的に不気味な光景。
なんというか、とにかく大きな大きな演奏。重厚長大で壮麗。
また最後の部分の弦で刻むリズムは、これまで耳で認識したことがなかったもの(なお使用楽譜はハース版。ノヴァーク版のスコアにあるような32分音符では弾いていないよう)。心臓の鼓動のようなリズムが、これまたすごくすっごくゾクゾク。来るぞ、来るぞ、「ばあさんや、は、はやく救心!」って感じ。何が来るのかはうまく言えないけれど。
いいんです、周りの人が変だと言おうと、ちょっと違うと言おうと、私はこのブル4、ひっじょーに気に入ったのです。
非常に気に入ったと言えば、アルフレッド氏はインデアンのカレーを気にいったようだ。
おとといの午後は、ムッカマール氏とアルフレッド氏とともにわが社の取引先に、ある用件で訪問することになっていた。私は案内人ということでお付き合いしたのだった。
そのへんの話はともかく、行く前に昼食をとろうということになった。
アルフレッド氏がちょっぴりずるそうな目つきで私に言った。
「実は、恥ずかしっすけど、ボク、まだインデアンのカレーを食べたことがないんすよね」というものだった。
もちろん私は、「それは本当か?いい歳をして恥を知れ!」と罵ったりはせずに、大人の対応として「そうですか……、へぇ~」と答えた。
社会人たるもの、あいまいな表現はよくない。もしそれが「だから今日はインデアンに行ってカレーを食べたい」とはっきり言ってくれたなら、こちらだってすぐに「いやだ!」とか「いいよ!」とか答えられる。しかし、「食べたことがないんすよね」→「そうかい」で完結することは決して不自然なことではない。
でも、優しい私は尋ねてあげた。「食べたいの?」
「はい」
ということで、昼食はインデアンのカレーライスということになった。
私は“インデアンカレー”を頼んだ(インデアン・ルー以外にも、ベーシック・ルーとかがある)。
ムッカマール氏は「辛さが選べるってあるけど、かなり辛い?」と店員に尋ねた。
「ふつうのはお子様でも食べられる辛さです。辛いのがお好きな方は極辛でも大丈夫だと思います」
ムッカマール氏、「じゃあ、インデアンの激辛」
アルフレッド氏、「じゃあ、インデアンの極辛」
私はあわてて、「インデアン、ウソつかない!」じゃなかった、「中辛!」
だってボク、もうお子様じゃないもん。
アルフレッド氏はかなりの二日酔いだったようだ。
だから辛さで汗をかき、アルコールを体の外に出したかったのだという。全然生理学的に正しくない屁理屈だが、彼は一生懸命汗をかきながら「辛っ!」と何度もつぶやきながら食べていた。
なお、ムッカマール氏は極辛より1つ下の激辛だったが、なにせ平らげるのが3人中ダントツで速かったことを申し添えておく。
カレーを食べて汗だくの3人は車で取引先へ。
途中でアルフレッド氏が「なんか、ソフトクリーム食べたくなってきたっすね」なんて言うもんだから、途中の“道の駅”に寄って、ソフトを食べる。
「なんか、観光みたいでいいっすね」と、仕事を忘れている様子。
それでも打合せは無事終了。
ところで、アルフレッド氏を二日酔いに追い込んだ(いや、自業自得か)日曜日の夜。
べリンスキー侯や姥向井さん、札幌時代の私の同僚の鉋さんなどとともに居酒屋で飲んだ。
残念ながら特筆すべきハプニングはなかった。残念である。べリンスキー侯が「バイアグラは効いた。自分じゃないみたいだった」と何かの折に訴えていたが、私はというと、和風スパゲティを食べるのに忙しく、「じゃあ実際、そこは他人のだったんじゃありませんか」とまったく不誠実に応えるのがせいぜいだった。
私はその店一軒で帰ったが、そのあとアルフレッド氏は二日酔いへの道へと歩んだようだ。
が、その二日酔いも極辛カレーとソフトクリームで完治。
すごい。
私なら完治するまえにおなかを壊すだろう。
これがメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短。あっ。この曲なら知ってる知ってます。ほらっ。チラーラ、チラーラ。ラチラリララー。このメロディがつまり、テーマなんです。そうです。思い出しました。さっきですね、あの、中学生時代に二、三曲好きになったといいましたけど、そのひとつがこの曲だったんですよほら、またきました。チラーラ、チラーララチラリララー。今度は合奏ですね。さっきのはヴァイオリンの独奏でしたけどね。そう。思い出しましたよ。さっき、音楽の好きな友人がいたってことお話ししましたけど、そいつとふたりでよくこれを歌ったもんです。いや、思い出してきました。あの頃はねえ、この曲全部、口で歌えたんですよ。……
筒井康隆の「経理課長の放送」の一節である(角川文庫「農協 月へ行く」に収められている)。
放送局の職員のストライキによって、急きょアナウンサーをすることになった経理課長によるラジオ放送の内容を書いたものである。
クラシックを聴き始めて半年ほどで私もこの曲、メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn 1809-47 ドイツ)のヴァイオリン協奏曲ホ短調Op.64(1844)を知った。TV放送でたまたま観たのであるが、すぐにそれをちゃんと聴けそうな機会があった。が、結局恥をかく結果になった。あの夜の苦い思いは今でも心に残っている。
そういえば、メンデルの法則なるものを習ったのは中学生のときだ。
緑色で丸い豆、緑色でしわがある豆、黄色で丸い豆、黄色でしわがある豆。この4つが主人公でそれは遺伝子の組み合わせで決まるってやつだった(それは高校になってからの授業でだっけか?)。
私は遺伝学が好きだったわけではないが、結果としては大学で植物の遺伝について専攻することになった。で、世の中の遺伝というのはそんな単純なものではなく、組み換えが起こるだのなんだのって、ひどくめんどくさい思いをさせられた。
で、これまた「確か」というレベルの話だが、遺伝子の研究でショウジョウバエの例が出てきたような気がする。
私はそれまでショウジョウバエなんていう名前を耳にしたことがなくて、ギンバエとイエバエしか知らなかったわけで、なんで処女のハエが増えるのかな、単為生殖かななんて思ったものだ。
その後めでたくショウジョウバエがどんなものかを知ることができたが、ずっと後年になってある居酒屋でやたら小さなハエが飛んでいて、料理にはたかるは、ジョッキの中にも何匹も寄ってきては落ちるはで、なんじゃいこれはと思ったら、それもショウジョウバエだった。その店の話は前に書いたが、その後ほどなくして閉店したのは何よりである。
話が滑落した。
ということで、今日はそのメンコンをケネディのヴァイオリン独奏、テイト指揮イギリス室内楽団のスカッとする演奏で。
1987録音。EMI。
日曜日の夜、そして昨日の私と“どら猫酔狂堂”とのからみについては、明日あたりに報告させていただく予定である。
昨日のブログで予告した通り、昨日は午前8時にムッカマール氏&アルフレッド氏、2人合わせてムッカレッドという弱そうな機動戦士、もしくはまったく効かない殺虫剤みたいな名前ではあるが、とにかく、このお二方と合流し帯広の地へと向かった。
その途中、あと30分もすると家に到着するというところで、私の携帯に見慣れぬ番号の着信があった。
先祖代々の教えで、こういうときは名乗らない上にけっこう不愛想に出ることにしているが、それはこちらで住まわせていただいているマンションの会社からだった。
「〇〇〇号室のMUUSANの携帯でしょうか?」
「いえ、これは会社の携帯で、法人契約ですのでMUUSANの携帯とは言えません」
なんて答えることはもちろんせず、ここは素直に「はい、そうです」
「いま、ご在宅じゃないですよね?」
「はい、家に帰る途中です。ちょうどトイレから出たところです」
「実は昨晩の地震で、電気温水器の配管が損傷したらしく水漏れが起こっています。下の階の方から連絡があったのですがMUUSANがお留守でしたので、昨夜のうちに水道の元を閉めさせていただきました。お帰りになる時間を見計らって修理に伺います。もしかすると床がかなりびしゃびしゃかもしれませんが……」
このとき私は、なぜか金曜日にTVでやっていた「崖の上のポニョ」の一場面を思い出してしまった(といってもTVは10分ぐらいしか観てなかったけど)。
ムッカレッドといったん別れ、私はマンションへと入る。
温水器のある洗面所付近の床一面がびしょびしょ。そう覚悟して部屋に踏み込んだ私だったが、あらあら、リノリウムの床にほんのちょっと水があるだけで、まるで砂漠の水たまりのよう。
いや、砂漠に行ったことはないです。それどころか鳥取砂丘にも行ったことはありません。つまり、その、ほとんど水がないというイメージでありまして……
グローフェ(Ferde Grofe 1892-1972 アメリカ)の「デス・ヴァレー組曲(Death Valley suite)」。4曲から成るこの組曲の第3曲が「砂漠の水たまり(Desert Water Hole)」ってわけ。
ちなみに、第1曲「死の山々」、第2曲「49年の移民の隊列」、第4曲は「砂嵐」である。
グローフェの代表作はご存知の方も多いと思うが組曲「グランド・キャニオン」。しかし、ほかにもアメリカの名所を題材にした「ミシシッピ組曲」(かつて日テレの“アメリカ横断ウルトラクイズ”で使われていた)、「ハリウッド組曲」「ハドソン川組曲」「ナイヤガラの滝組曲」「サンフランシスコ組曲」なんかを残してる。
ちなみにグローフェはポール・ホワイトマン・バンドでピアニスト兼アレンジャーとして活躍していた人で、ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」をアレンジしたことで名声を博した。
「デス・ヴァレー組曲」の「砂漠の水たまり」は、砂漠の中で水たまりを見つけたときのこの上ない喜びを描いたもの。したがって水たまりといっても雨降りのときにできるような水深2cmくらいのしょぼいものとは、またティッシュで拭きとれたような我が家の床の状態とはまったく違う。紛らわしい展開、申し訳ない。
とにかくその喜びようはすさまじく、もはや民謡のごとくアメリカ人にしみこんでいるフォスターの「おお、スザンナ」や「故郷の人びと(スワニー川)」が鳴り渡るのである。
CDはW.T.ストロンバーグ指揮ボーンマス交響楽団によるナクソス盤を。
2000年録音。カップリングは「ハリウッド組曲」と「ハドソン川組曲」。
私の帰宅時間を見計らって配管修理の方がお見えになった。
約30分で修理は終了。温水器上部の配管継ぎ手が損傷していた。
わが部屋と隣の部屋がやられたらしい。
下の部屋にお住まいの方の謝りに行ったほうがいいのではと思ったが、マンションの管理会社の人に聞くと「いえ、そこまでしなくても大丈夫です」というのでノーアクションとした。ほんとにいいんだろうか?まあ、たいして水はしみてなかったというから、お言葉に甘えよう。
なお他の被害は、本棚から本が2冊床に落ちていた。スピーカーの位置がずれていた。棚に置いてあった温度計が倒れていた。なぜか電池を交換したばかりなのに動かなくなっていた100均で購入した置時計の動きが復活していた。以上。
夕方になってムッカレッドたちと合流。
その報告はまたあらためて。
詳しく書くとなると背景事情、経過、政府の対応等については触れなくてはならないので一言で済ますが、今日は朝から“どら猫酔狂堂”のムッカマール氏ならびにアルフレッド氏と行動を共にする。
このあたりの登場人物について、何がなんやらさっぱりわからないという読者の方はこちらを参考にしていただくとよいが、とはいえあまり参考にならないし、「このような人物がいるんだな」程度で読み進んでもストーリーを理解する上でまったく支障はない。
ところで、もう朝じゃないかって?
そうです。もう朝です。だから何か?
朝って言っても幅があるわけで、私と彼らは8時に合流。
で、今日はずっと一緒かというとそうではなくて、第1ステージはおおむね11時までである。
どこでかというと、私の単身赴任先の町においてである。
日中はそれぞれがフリータイムで(といっても私は家に帰る)、夕方に再び合流。
その第2ステージではベリンスキー侯と姥向井好男(うばむかいよしお)さんも加わるでしょう、というのが今朝5時ちょうど発表の予報である。
なんで夕方に合流するのかというと、もちろん楽しく線香花火大会をするはずがなく、どこかでグジグジ、ウダウダとお酒を飲みながら翌朝には記憶あいまいになるという一時的に熱いものの中長期的には無駄な論議をするわけだが、目下のところその論議がどこの場でもたれるかは決まっていない。たぶん私が決めなくてはならないはずだ。
そんなこんなで、今日はベリンスキーならぬアレンスキー(Anton Stepanovich Arensky 1861-1906 ロシア)の「チャイコフスキーの主題による変奏曲(Variations on a Theme by Tchaikovsky)」Op.35a(1894)。
アレンスキーは裕福な家庭に生まれ育ったために幼い頃から音楽教育を受け、18歳のときには作曲をリムスキー=コルサコフに学ぶようになった。このあたりがベリンスキーと決定的に違う。
ペテルブルク音楽院卒業後はモスクワ音楽院で作曲法の教鞭をとったが、卒業生の中にはスクリャービンやラフマニノフもいる。
しかし、精神病になったため教職を辞し、晩年(といっても短い生涯であったが)は与えられた豊かな年金で公職につかずに過ごしたという。
アレンスキーと同じ時代のロシアの作曲家にはカリンニコフやグラズノフなどがいるが、アレンスキーの音楽は彼らほど民族的な要素を感じさせない。「モスクワ派を代表する作曲家でチャイコフスキーの亜流と言われ、抒情性にあふれた作品を残した」作曲家という評価である(井上和男編著「クラシック音楽作品名辞典」:三省堂)。
「チャイコフスキーの主題による変奏曲」は彼の弦楽四重奏曲第2番Op.35(1893-94)の第2楽章を弦楽合奏用に編曲したもの。1893年に亡くなったチャイコフスキーへ追悼の意を込め作曲されたとされる。
主題と7つの変奏、そしてコーダから成る。
なお、主題に使われたチャイコフスキーの作品は、歌曲集「16の子供のための歌」Op.54の第5曲「聖史曲」である。
私が聴いているCDはエルムレル指揮コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団による演奏のもの。チャイコフスキーのバレエ「くるみ割り人形」全曲とのカップリング。
私の持っている写真掲載のCDは現在廃盤だが、同じものがソニークラシカルから出ている。
1989録音。
ところで車のタイヤの1本の空気圧が非常に緩やかに下がる、つまり空気が漏れているという私の悩みについて書いた。
このたび、こちらに出張して来ていたので時間の合間をぬって、ある自動車整備工場に持ち込んだ。実は3年前にこのタイヤを買ったところだ。
結果、パンクだとわかった。
通常の空気圧2.1のところを約2倍の4にして調べたところ、タイヤの側面から空気が漏れていることが発見されたのだ。偉大なる発見である。
しかしこの場所、修理不可能という。いや、修理できないことはないが、サイドなため中のワイヤを傷つけてしまうとまずいという。一か八かやってみますか?だめだった場合は責任取れませんけど、と言うので、私は修理を断念した。
通常の空気圧ならば急にエアが抜けることは今までのようにないので、こまめに空気圧をチェックして乗りましょう。ただ抜けが速くなってきたら新品と交換しなくてはなりません。このタイヤはまだ新品が入手可能ですが、そうですね、やはりタイヤは4本全部買えるのが理想ですよね。もうすぐスタッドレスのシーズンになりますので、様子を見ましょう。
そういうことになった。
原因がわかり解決して心がスキッとしたが、でも未解決といえば未解決のままだ。
どこかにぶつけたとしたらホイールも傷つくはず。じゃあいたずら?いやがらせ?怨恨?
この穴は千枚通しを刺したよりも小さい。
いったいどこで穴が開いたのだろうか?
先日、取引先のある式典に出席した。
野外での式典である。
私はこの席で乾杯のあいさつをしてほしいと、わが支社の担当部署を通じて依頼されていた。
挨拶は苦手である。奥ゆかしい性格の私は、人前に出ることでさえ、血圧に悪い。
でも、とても大切なお取引様である。何度も復唱して頭に叩き込んだ。
そして当日。
どうしても1箇所だけ度忘れしがちな語句があり、それは手のひらにボールペンで小さく書いておいた。
ところでその日の朝、コンビニに寄ったら、店員のお姉さんが手の甲にボールペンで大きく“おはようございます”と書いてあったが、あれは何だったんだろう?
非常に好天、というよりも灼熱の炎天下のなか式典が始まった。
まずは主催者、つまり取引先の代表が挨拶をした。
とても上手だった。
次に来賓の挨拶になった。
「最初に〇〇様」と司会が言った。
ということは、来賓挨拶は複数の人によって行われるということだ。そのあとに私の出番が来る。私は最終仕上げで頭の中で乾杯の挨拶を復唱した。
最初の来賓挨拶(これまた上手だった)が終わり、司会が「それではもう御一方、むぅさん。よろしくお願いします」と言った。
……へっ……アタシ?
この場で「話が違う!」と泣き叫ぶわけにはいかない。
この上ない焦りを内に秘め、私は悠然と立ち話し始めた。
基本は乾杯挨拶の前段部分をそのまましゃべった。しかし、進むにつれこれをどう締めたものかと混乱に陥った。なんせ「それでは乾杯の音頭をとらせていただきます。乾杯ぃ~っ!」で締まる予定だったのだ。
こうなると、本来用意していた内容までもがしだいにうまく話せず滞りがちになり、ときに無呼吸になり、ずたずたになった。さらに懸念していた箇所はやはり度忘れし(この異常環境下なら無理もないだろう)、こっそり手を開いたら折からの暑さと予想だにしない展開のせいで手のひらは汗だくでカンニング用の文字は黒いシミと化して判読不能。
どのようにごまかし、どんなことを言って最後締めたのだろう、私は?
やれやれ……
挨拶が終わりって失意のどん底に私は落ちた。
式典が滞りなく終了し(個人的には私の担当部分だけ相当滞ったが)、一緒に列席していたわが社の窓口の社員に衰弱死しつつあるセミのように尋ねた。「いったい、なぜに、出番が来賓に変更になっていたわけ?」
彼は、「さぁ、おととい確認したときには間違いなかったんですが」と、灼熱のアスファルトに放り出され救いようのない脱水状態になったカタツムリのような声で答えた。
断っておくが私は彼を責めるような口調では言わなかった。なんせ衰弱死寸前のせみのようだったのだ。それに彼も確認すべきことは確認していたのだ。要は私と彼の知らない世界でいつの間にか乾杯挨拶が来賓挨拶になっていたわけだ。
やれやれ……
私は悲しみに沈みつつ、涙ではなくいっそう大量の汗を流した。
にもかかわらず、遠くから「い~し、やぁ~きぃも~っ!イモっ!」という、石やきいもの移動販売車の声が聞こえた。
気温32℃というこんなときに買う人いるのかね?
シベリウス(Jean Sibelius 1865-1957 フィンランド)の「5つの特徴的な印象(5 Characteristic impressions)」Op.103(1924)。
曲名の通り5曲から成るピアノ曲で、各曲は、1.式典/2.ハプニング/3.度忘れ/4.物売りの声/5.悲しみに沈んで、である。なんていうのはウソで、正しくは、
1. 村の教会(The village church)
2. ヴァイオリン弾き(The fiddler)
3. 舟の漕ぎ手(The oarsman)
4. 嵐(The storm)
5. 悲しみに沈んで(In mournful mood)
の5曲。
ところで第2曲「ヴァイオリン弾き」の英名が、ヴァイオリニストではなくフィドラーとなっていることに疑問を持った人もいるだろう(いや、たぶんいないね。賭けてもいい)。
フィドルというのはヴァイオリンのこと。構造としてはヴァイオリンと同じだが、民族音楽などで使われるヴァイオリンをフィドルと呼ぶ。ヴァイオリンという言葉の語源はイタリア語だが、フィドルは英語なんだそうだ。そういえばアンダーソンには「フィドル・ファドル」っていう素敵な曲がある。
シベリウスのピアノ曲は独特の清潔感と哀愁、きらめきがある。
式典後の私は汗だくで、疲れ果てていて、独特の不潔感と哀愁、よどみがあったに違いない。
そして「悲しみに沈んで」は、まさに私のあのときの気分にぴったりの曲だ。まるでシベリウスは私の悲劇を予期していたかのようだ。
いろんなことがあった一週間だった。
昼ご飯を食べる貴重な店を失うことになり、ロト6は当たらず(だからこうやって書き続けている)、タイヤの空気はやはり抜け、とどめはまさかの出番変更……
出番変更に比べれば、対局前の突然の碁盤変更なんてまったく問題にならない。そんなことを痛感した。いえ、私は碁はルールすら知りません。勝手なこと書いて、全国ン万人の囲碁愛好者の皆さん、以後気をつけます。
シベリススのCDだが、私が持っているのはラウリアラの独奏によるナクソス盤。繊細だがちょいと深遠さに乏しいかなと思う。人間的に深遠でない私には言われたくないだろうが。
1995録音。
お盆ウィークも終わりけだるい日々が再スタートしたが(って、もう金曜日だけど)、この期間休んでいたあそこの店も営業再開。えっ、パスタ屋?いえ、あそこにはその後近寄っていません。そうじゃなくて盆休みに入っていたあの店のこと。
その名も“肝っ玉食堂”。
私たちが頻繁に昼食で使っている店である。
夜の居酒屋営業が本業だが昼もやっていて、メニューも豊富。しかもワンコインのメニューあるのが嬉しい。念のために申し添えておくが、ワンコインというのは500円玉×1であり50円玉のことではない。
したがって応用動作にはなるが、どうしても100円玉で支払いたい場合はファイヴ・コインということにならざるを得ない。
月曜日。
ガラガラガラと引き戸を開けて入ると、奥の正面の壁-そこの天井近くには年代物の小型テレビが作り付けの棚に鎮座していて、“いいとも”が映っていた-に毛筆で何かが書かれた大きな紙が貼られていた。
けっこうと長めの文だったが、要約すると「今月いっぱいで昼の営業をやめる」という内容ものだった。
それを読んだ店内に衝撃が走った(といっても、私ともう1名の2名しかいなかったけど)。500円(もちろん税込)で、ラーメンもチャーハンも中華丼もカレーライスも親子丼もねぎソバもナポリタンも食べられる店がなくなってしまうのだ。
カレーは昔風の粘度の高いものだが味は私の好みだし、チャーハンはさらっとしていないがなかなか良い味がするし、ラーメンはベルの華味ではないかと推定できる懐かしいあっさり味が嬉しい。中華丼はけっこう甘目でお子様は喜ぶ可能性があるし、親子丼は私には場違いと思われるシメジの香りがやや強いが食物繊維が豊富そうだし、ねぎソバは食べたことも食べている人を見たこともないがナポリタンはオオサワ課長が推奨する一品である。
もちろんリッチなあなたのために、目玉焼きがのったカレーライスやチキンライスを手間暇かけて卵でくるんだオムライスなどもラインナップされているし(以上600円)、他の客と明らかに格差をつけて優越感に浸りたい人には、生姜焼き定食や日替わり焼き魚定食もある(以上750円)。
このように実に良心的な店なのである。
あのラーメン屋なら味噌ラーメンで780円。ということは醤油でも730円はするだろうし、あそこのチャーハンは700円だった。
安くて美味しいカレーを食べたいならインデアンに399円カレーを食べに行くという手もあるが、やや遠いし、いざというときの切り札にしておきたい。自分でも言ってることが良く理解できないけど……
“肝っ玉食堂”はなぜ昼の営業を止めるのか?(壁に貼られたお触れ書きには「しばらく休む」と書いているが、どう考えても半永久的に休むという告白が行間からにじみ出ている)。
内気な私は勇気を奮って麦茶とおしぼりをもって注文を取りに来たおばちゃんに尋ねてみた。
寂しげな笑顔で彼女は言った。「もうみんな歳をとって昼と夜の両方をやるのはしんどいの」
そっか。じゃあしょうがないね。それにきっとペイしないんだろうな。
私は昼も夜の両方やっているのに(食べたり飲んだりって意味です)あんまりしんどくならないのはなぜだろう?おまけに幸福的に腹が出てきているし……(自分としては膨張気味の下腹部に不幸を感じているのだが)。
あぁ、私たちはこれからどこで安定した昼食を摂取すればいいのだろう?
てなことを考えながら、この日私はカレーライスを食べたのであった。
ちょっぴり哀しい味がした。そののち胸焼けがした。
二重に哀しかった。
バーンスタイン(Leonard Bernstein 1918-90 アメリカ)が旧約聖書の「エレミア哀歌」を歌詞に用いた交響曲第1番「エレミア(Jeremiah)」(1941-42)。
バーンスタインはユダヤ系であったが(だからこそマーラーにも積極的に取り組んだ)、この曲でバーンスタインはユダヤ人作曲家であることを表明した。
3つの楽章から成り、第1楽章「預言」、第2楽章「冒涜」、第3楽章「哀歌」。第3楽章でメゾ・ソプラノ独唱によって「エレミア哀歌」からの詞がヘブライ語で歌われる。
とはいえ、この作品にはすでにバーンスタインのノリノリの特徴も聴かれる。もちろん敬虔なポリシーで書かれているのだが、ズドーンとした深刻さに悩まされることはあまりない。
まっ、言うならばもう“肝っ玉食堂”で昼を食べられないと重い気分になるが、四六時中そのことで落ち込んではいないって感じ(と書くと怒られそうだが)。
若書きの作品ということもあるのかまだまだ重要視されていない面があるが、のちの作品の萌芽が認められる重要な作品と言えるし、もっと聴かれておかしくないと思うのだが……
いや、若書きではない交響曲第3番もそう聴かれる曲ではない。どうも作曲家としてのバーンスタインはクラシック作曲家としては評価がいま一つのままだ。
CDはバーンスタイン自身が指揮したイスラエル・フィル、ルートヴィヒ(Ms)の演奏を。
私が持っている写真を載せたCDは現在入手が困難のようだが、同じ録音を含むバーンスタイン作品集のボックス・セットが出ている。
1977録音。グラモフォン。
ところで職場から最も近い食堂は、実は会社のビル内にある。社食ではなく、テナントの純商業施設である。
が、私はこちらに転勤して来て半年以上になるが一度も足を踏み入れたことがない。それは岸和田さんが「あそこのラーメンはぬるい」というひと言がきっかけだった。
しかし私は岸和田さんにこう尋ねた。
「お客さんがスムーズに食べられるよう、そして食道にやけどをしないよう配慮しているんじゃないでしょうか?」
「カレーもぬるい!」。岸和田さんのその答えに私はほぼ納得したものの「セカンド・オピニオンを聞いてみることにした。
オオサワ課長「あそこはねぇ……」
ヤマチ係長「人にものを食べていただくという姿勢が感じられない」
ということで、もっとも近いこのレストランに行く勇気はすっかり失せてしまったのだった。
これからは少し遠出しよう。
その方が運動にもなるし……
(↑ これはみなさんに私の実行を約束しているという意味ではありません)。
私は毎回ロト6を買っているが、買い始めた当初は2回ほど、それもあまり間を開けずに約1万円が当たったものの、その後はレス夫婦のようにすっかりごぶさたである。
毎回毎回1億円以上が当たっている人が存在すると思うと、羨ましくて口唇の両脇から牛のごとくよだれがだらだら出そうになるが、一方で、本当に当たっている人がいるんだろうかと、いけない疑念を抱いたりもする。
だってこれまで生きてきたにもかかわらず、自分の身の回りで宝くじの1等が当たったっていう人の話を1度として耳にしたことがない。
そりゃ危険を察知して「当たった!」と騒がないようにしてるんだろうが-宮部みゆきの「模倣犯」のなかの一家惨殺事件は、宝くじ当選の噂を聞きつけたやつによって起こされたではないか!-、それにしてもあまりにもそういう話が聞こえてこなさすぎる。UFOを見たことがあるって騒いでいた奴は2、3人知っているのに、現実に起こっているはずの高額当選者について何も耳にしたことがないのは不思議なことだ。
私はロト6をみずほ銀行のATMで買っている。
当たったときに調べなくても、当選金が口座に自動的に振り込まれる仕組みだからだ。
もっとも、その機能の恩恵にあずかっていないけれども……
と思っていたら、こんな案内メールが来た。
☆メール本文☆
みづは銀行から【6億円】の受取は終わりましたか?送金期限が迫っているようですので明日中に必ず受取を完了させて下さい。
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メール配信元(株)ファインモーション
やれやれ“みづは銀行”かい……
詐欺の片棒を担ぐ気はまったくないけど、それにしてももう少し紛らわしいというか気の利いた名前を考えつかなかったんだろうか?これじゃ誰も相手にせんだろうに……
それに6億円の話と無料写真閲覧のつながりがわからないし、景気のいい話のあとに5000円が3000円にお安くと書かれても、ピンとこないな。
ピンと来ないといえば、シュニトケ(Alfred Garrievich Schnittke 1934-98 ソヴィエト→ドイツ)の交響曲第6番(1992)はどうも聴いていてピンとこない。
彼の作品の隅から隅までぜーんぶ好きってほどではないが、それでも私はシュニトケがとても好きである。少なくとも交響曲第5番(1988。これは合奏協奏曲第4番の名も持つ)までは。
はじめて彼の作品を聴いたのは「真夏の夜の夢,ではなくて」。それでシュニトケ好きになり、決定打は「イン・メモリアム」と交響曲第1番だった。
シュニトケは1985年に脳疾患でこん睡状態に陥ったがその後奇跡的に回復、1990年からはドイツに定住したが1994年の脳血管発作で全身がマヒし作曲活動が事実上できなくなった。
交響曲第6番は、ドイツに渡ったものの健康がすぐれないなかで書かれたもので、その苦悩そのまま音楽になったような感じ。かつての多様式主義と呼ばれる多彩な表情は少なく、内向的で聴くものを拒絶するような曲である。
それに比べると交響曲第7番(1993)はまだかつてのシュニトケを思わせるところがある。体調はより悪くなっていたはずだが、独特の混沌さと飛び出してくる動機の数々が印象的で、第6番よりも親しみやすく魅力的だ。
第7交響曲は指揮者のマズアとニューヨーク・フィルのために作曲された。“Deutschland”を音名とした音形を用いているそうだ。Deutschlandってもちろんドイツのことである。
1995録音。
今日は木曜日。
ロト6の抽選日である。
1等が当たったら、ブログなんてやめよう。
気になる商品が新発売された。テレビ・コマーシャルがずいぶんと流されている。
それは何か?
ハウスの“ザ・ホテル・カレー”ってものである。
私はレトルトのカレーはあまり好きではない。なぜって、安いものから高いものまですべてがいわゆる“レトルトの味”がするからである。
でも、どうしても自分で作ってられないほど急にもよおしたときにはレトルトを買うことになるが、そのなかでまあ美味しい方だなと思うのはカレー・マルシェである。
そのハウスが久々に出した(と思う)レトルトカレーの新商品である。
私にとって気にならないわけがない。
コマーシャルによると味は2種類である。芳醇タイプとスパイシータイプ。
これは試食してみなければならない。と思い立って3日。まだ買ってないの。すいません。
あのコマーシャルで流れている曲はヘンデル(Georg Frideric Handel 1685-1759 ドイツ→イギリス)のオルガン協奏曲第6番変ロ長調Op.4-6,HWV.294(1735-36頃)であるが、この曲の独奏楽器はオルガンではなくハープでもOK。つまりそちらの方が有名とも言えるが、ハープ協奏曲変ロ長調Op.4-6と同一作品である(ヘンデルのオルガン協奏曲についてはこちらもご覧いただきたい。いや、そんな高慢ちきな書き方はいけない。ご覧になってみれば?)。
ヘンデルの音楽は日本の皇室ものの番組のBGMでよく使われる。
それはヘンデルの活動がイギリス王室と密接なつながりがあったためだろうが、よくよく考えてみれば天皇家の番組でイギリスのヘンデルをいつも使っているのはヘンといえばヘンである。日本の伝統的音楽もあるだろうに……
ただ、ハウスのコマーシャルで今回ヘンデルを使ったのには意味があるのかもしれない。
イギリス人も賞讃する味のカレーみたいな……。いや、考えすぎですね、アタシの。
CDは、前にも紹介したタヘッツィのオルガン独奏、アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクムによるものを。
1975録音。apex(原盤テルデック)。
ところで、村上春樹の「サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3」(マガジンハウス)のなかのある話の「今週の村上」って欄に、「昼寝して起きると、自分がどこにいるのか、今がいつなのか、見失うことがある。わりに好きです」って書いてある。
私も同様であり、同感です。
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