右足の小指が疼く。
というのも、1週間ほど前、旭川で痛めたのだ。
ホテルの部屋で、なぜかしらベッドの足を蹴ってしまった。現象としてはぶつけてしまったのだが、その勢いは蹴ってしまったというにふさわしいものだった。
すっごく痛かった。でも、痛いときってなぜ笑ってしまうのだろう。アホみたいだ。
いまだ痛いのは、歳のせいで回復力が落ちてしまっているせいだろう。
最近朝の目覚めが悪い。
秋だからだろうか?日の出が遅くなったからだろうか?
これまでだったら目覚まし時計が鳴り響く前に必ず目が覚めたのに、ここ数日は目覚まし時計のピニューピニューピニューというアラーム音で起こされる。
いや、実はアラームが鳴る前に1度は目が覚めている。ただ、それが夜中の3時とかで、アラームが鳴るはるか前なのだ。そんなことで、アラーム直前には起きれなくなっているようだ。
起きた後もすぐにはスキッとしない。前だったら起床とともにじっとしてられなかったのに、このところはぼーっとした状態が続く。3分くらい。
ところでこの週末は札幌に帰らなかった。
自宅に帰ってしなければならないことがたくさんある。特にバラの冬囲いである。
まだ早いのだが、そうそう作業ができるわけではないので、できるうちにやり始めておきたい。そう思うとかなり焦ってくる。とはいえ、あんまり早くやると囲いの中でバラたちがムレムレになっちゃうし……
おまけに昨冬の大雪のせいで、冬囲いに使う支柱はことごとくだめになった。新たに購入しなければならない。支柱を買って、ロープも買って、囲えるようにバラを強剪定し、そして支柱を立て、ネットをかけ、ロープで結ぶ。
こうやって書くととても手間のかかる作業のように思われるだろうが、実際手間がかかるのだ。
冬タイヤも買わなければならない。もう4シーズン履いたからだ。
限られた自宅への帰省中に注文し、ホイールに組み込んでもらわなければならない。
このような焦燥感と、でもわかない気力。
困ったものだ。
元気を出そう。
そう思ってインデアンにカレーを食べに行ったわけさ。
私の人生において3回目のインデアンである。
そういえば子どものころ「インディアン、ウソつかない」って言葉があった。よく使っていたわけじゃないけど、あれはいったいどこが出所だったんだろう?
そしてこの言葉、決して北海道は浦河のローカル言葉ではない。
コンタロウが描いた“1・2のアッホ!!”という傑作漫画があったが、そのなかに「インディアン、尻ふかない」っていうのがあったからだ。これはどう捻じ曲げて解釈しても「インディアン、ウソつかない」のパロディ以外のなにものでもなく、同時に全国区の言葉であることが明白である。
で、3回目のインデアンのカレーだが、確かに美味しいもののそうバカ騒ぎするほどのものではないということに気づいた(あくまで個人的見解)。
ここのルーはご飯にしみこまないほどの粘性があり、意外とくどい。体調によっては胸焼けする。気力がないと体力も衰えるのか(もっとも私は常に体力はない)、この日は午後のひとときを食道から胃にかけての積極的な存在感のアピールを経験した。
とはいえ、インデアンのカレーはある種の懐かしさもあって、また食べたくなるんだろうな。
そうそう、何日か前に日経新聞を読んでいたら、1面の下に雑誌の“園芸ガイド”の広告が載っていた。
「へぇ、園芸ガイド、日経に広告出すんだ。そういえば、久しく買ってないな」と思って、今号の特集をチェックしようともう一度広告を見たら、園芸ガイドのものじゃなかった。
やれやれ、早とちりしたわい(もしくは目が弱ったわい)。
カレーを食べても元気が出ないし、園芸と霊園を間違えるなんて、爺もすっかり弱ったわい。
しかたがない、大好きな曲を聴いて元気を出そう。
そう思って久々に聴いたのは伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の「ピアノと管絃楽のための『リトミカ・オスティナータ(Ritmica Ostinata)』」(1961)。
いやぁ、はっきり言って元気が出た。
すっごく出た。ユンケルを飲んだときほどじゃあなかったが。
「リトミカ・オスティナータ」についてはだいぶ前に取り上げているが、タイトルの意味は「執拗に反復する律動的な音楽」。
この執拗さがステキ!
今回元気を与えてくれたのは小林仁のピアノ独奏、若杉弘指揮読売日本響による演奏。
私が知っている限りでは、この曲のCDは3種類出ていて、そのなかでこの小林が弾いた録音は1971年といちばん古いが、いちばん良い演奏だと思っている(札響定期の演奏も良かった)。
September 2012
で、話は月曜のことに遡るが、鉢上げしたパパイヤは結局自宅に置いてきた(すっごく前の話題でまったくもって申し訳ございません)。
車に積んでこちらに持って帰って来ようと思ったのだが、後部座席の足元の床に置いても、その高さは車の天井ぎりぎり。切れ込み豊富な巨大な葉は運転席や助手席の方へも広がり、まるでジャングル・カーのよう(ジャングル・カーっていったいなぁに?)。
運転する私の頭の上にも、河童の皿のように葉が広がって来るので、結局断念した。
先日初めて花をつけてくれたが、よく見ると蕾がまだ2つほどある。また咲いてくれるのだろうか?
それとも移植による生育環境の変化のショックで落ちちゃうんだろうか?
そうそう、今年は庭に植えてあるプルーンがまったくの不作だった。ほとんど実がつかなかった。そして、葉は何の虫によってか知らないがぼろぼろの穴だらけとなって色も悪い。そのおかげで、のこぎりでギコーギコー枝切りをしても、振動で落ちた実が私の中枢部である頭にボトボト落ちてくることは避けられた。
実がつかなかったのはプルーンだけではない。アロニアもほとんどだめだった。
もっとも実を食べると目に効果があると言うので植えたアロニアだが、収穫適期がよくわからないし、あの渋みをどうしてよいのかもわからないので、毎年放置しているだけだが……
そんななか、ブルーベリーは元気である。実もそこそこ成っている。
が、これまた、真剣に収穫しようという意欲がない(私には)。
小鳥たちよ、食べにおいで!
それにしても今週は一気に気温が下がり、まさに秋の気配だ。
なんだか物寂しくなる私である。
こういうときに私の気質として褒められない点は、それに見合った寂しげな曲を聴きたくなることである。こういうときこそ明るいアッパラパー系の曲を聴いて寂しさ追放を果たす人もいるのだろうが、力なきオレンジ色の夕日が差し込み、しかもカラスの声が遠くから聞こえる部屋の中で笑点を大爆笑しながら観るようなことは、私にはできないのである。
そんなことを思っていたら、元気が出てくるようなメールが舞い込んできた。
タイトルはズバリ、「人生のどん底にいた私が、起業して成功を収めることができた秘密」。
本文を味わってみよう。
「現代の日本人の平均年収は、1997年の467万円を頂点として、完全に右肩下がりになっているといった現状はご存知でしょうか?」
ご存知なかったです。
「この不況の折、ボーナスカットや減給などは当たり前。一息つきたくても、缶コーヒーを買うか、タバコを買うか…小遣いは、常に小銭との戦い(泣)。一息ついたはずだが、満足にリフレッシュできずに、仕事を再開させてもミスが続き、結果、上司にお説教を食らうハメとなる」
缶コーヒーやらタバコでミスが続くっていうのは見当違いではないかと……。それとに小銭と戦うって意識が小銭に嫌われることにもなりかねないと……
「帰宅すれば…晩酌も減らされ、文句でも言おうモノなら「もっと稼いでこい!」と一喝されるあり様(泣)。そんなご経験はお持ちではありませんか?」
お持ちではありません。
「申し遅れました。私、藤枝真理子と申しまして、もうすぐ38歳になります」
晩酌を減らされたというのは真理子さんのことだったのですか?
「5年前から、輸入雑貨のショップを経営し、幸いこの不況でも多くのお客様から支持を頂いて、毎年の決算でも黒字収支を計上しております。
30歳になった頃、子宮がんが発覚しまして、幸いにも命を取られることは避けられましたが…
子宮を全部摘出するまでに病魔に侵されていました。
子供が作れない女の現実といういのは悲しいもので…
当時の婚約者も、この件が原因で私の元を去っていってしまいました。
もう、結婚も出産も諦めなければならない私は、奈落の底に突き落とされた気分で、何もする気力もなく、ただ、毎日を泣いて過ごし、一時は、うつ病と診断されていました。
医師や知人の協力もあり、何か新しいことを始めることを考えられるようになるまで回復するようになったある日、以前から輸入雑貨に興味があったことを思い出しました」
自分の興味がなんであるかも忘れるほどだったんですね……
「これ以上、日本にいると、去って行った男性のことを思い出し、辛くなる自分が見えるような気がしてきて…
思い切って、海外に在住する道を選択しました。
でも…
資金となるお金は、子宮がんを治すために使ってしまったし…。でも、何としても夢を実現させたい!
そう考えているときに、偶然に出会ったサイトがありました。
そのサイトは「1日20?30分で100万稼げます!」とありました。
そんなの、信じられませんよね」
はい、信じられません。
「ま、時間もあるし…冗談半分だけど試しにやってみようかな…
それに、100万稼げなかったら文句言えばいいしね。
って思って始めてみたんですが
ここで、私が目にしたものって…
20?30分じゃなくて、本当にたかが10分程度!
それだけの時間で、私は107万が手に出来たんです!
そんな夢みたいな話なんてあるわけない!、といった私の固定観念を一瞬で覆されました。
でも、1回だけじゃね。もう1回、100万稼げたら信じるよ」
いきなり「よ」という言い方かい……
「1度だけでは、半信半疑の気持ちは捨てられず、そんな思いでもう1回やってみました。
そうしたら、次は100万まで届かなくても97万!
コレって本当なんだ!信じれば、もっと稼げるんだ!
そう思って2年続けた結果…
約3000万を貯金することが出来ました!
念願の輸入雑貨のお店を出店し、今では体調も万全になったので、海外と日本を往復する多忙な日々を送っています」
私なら起業なんてせずに、2年といわず3年4年5年とこのサイトと付き合いますが……
「私のように、運よくトントン拍子で事が進む人間なんて多くないと思います。
ですが、誰にだって『可能性』というものはあります。
その可能性を信じることで、私のように成功する人間だっているのですから。
あなたにだって『可能性』はあるんです!
その『可能性』を信じて、私のように成功を勝ち取って下さい!
成功者に成れるためのノウハウはここにあります
⇒⇒⇒ http://stx001.*************
競馬で“勝ち組”になる方法
配信者:片岡尚之」
いきなり競馬かい……
で、藤枝真理子はどこに行った?いつ尚之にすり替わったんだ?
♪
そんなことを考えているうちに昼休みになってしまった。
いかんいかん。
仕事中に不埒なことを考えてしまった。
オオサワ課長が「なにを食べましょうか?」と言う。
「よし、今日はデパートの地下に行こう!」と私が提案し、喜んでそれは受諾された。
デパ地下に行くといっても、試食で腹を満たすということではない。
総菜売り場の横にイートインのコーナーがあるのだ。
私は生姜焼き定食を頼んだ。肉4枚。サラダ、小鉢、味噌汁、漬物付きで600円。
味も良い。ここの生姜焼きは密かにお薦めである。
が、私のほくそ笑みに気づいたのか、オオサワ課長も「僕も生姜焼き」と頼んだ。
私が頼んだことのないメンチカツ定食を頼んでほしかったのに……
それで美味しそうなら、次回私はそれを頼む段取りがつけられたのに、残念ながら実験台になってくれなかった。
その数分後。会社の同僚2人もやって来た。
2人とも生姜焼き定食を頼んだ。
まったく気の利かないやつらだ。まあ、生姜焼きはすごく美味しいので無理はないんだけど。
生姜焼きが美味しいのはともかく、いずれにしろ秋である。
この季節になるとドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904 ボヘミア)の弦楽のための「セレナード」ホ長調Op.22,B.52(1875)を聴きたくなる気分になることが多い。
この音楽そのもの“秋めいた”なにかがあるのかどうかはわからない。私にはもはや判断できないのだ。
私がこの季節に欲するのは、最初にこの曲を聴いたのが今ごろの季節だったせいだろう。
札響のほくでんファミリーコンサートで聴き、またその公開録音がHBCラジオ(AM放送である)で流されたのを録音し繰り返し聴いたのが、今ごろのちょいと物寂しくなる季節だったわけだ。
弦楽セレナードといえばチャイコフスキーのものが非常に有名だし、確かに名曲だが、ドヴォルザークのセレナードはもっともっともっと聴かれておかしくない作品である。
今日はプラハ室内管弦楽団の演奏で。
う~ん、きれいな演奏だ。
“レコード芸術”誌の推薦盤となったものである。
1993録音。DENON。
今日はいつも以上にダラダラと書いてしまったが、伝えたかったことはこのブログも本日1800回目を迎えたということだ。
要するに、祝いなさい!
最近ふとしたときに、頭の中に執拗に流れる曲が2つある。
1つは内山田洋とクール・ファイブの「そして、神戸」である。
街中で信号待ちをしているとき、喫煙所でタバコに火をつけたとき、庭仕事をしているとき……「こぉぅべぇぇ~、泣いてどうなるのかぁぁぁ~」という歌が頭に鳴り渡るのである。
なぜだろう?
いきなりどうしたんだろう?
だが、この原因はすぐにわかった。
少し前に神戸さんという人と名刺交換したんだった。そのせいに違いない。ただし、コウベじゃなくてカンベさんだったんだけど。
やれやれ……
もう1つはショスタコの第6交響曲の第2楽章の頭の部分である。
信号が青になったとき、タバコを吸い終わったとき、剪定ばさみを片付けているとき、頼んだ生姜焼き定食が運ばれてきたとき……ツゥ~タラ、タララララ~、ラリルレロレ、ロリルレラレ……というクラリネットによるメロディーが内耳の奥で鳴り渡るのだ。
なぜだろう?
突如何がおこったんだろう?
少し前にショスタコさんという人と名刺交換したことはないし、マリオネットという店の看板は見かけたがクラリネットを見た記憶はない。
謎だ。
やれやれ……
ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-1975 ソヴィエト)の交響曲第6番ロ短調Op.54(1939)。
この曲についてはこれまでも取り上げているが(例えばこれ)、大絶賛を得た第5交響曲のあと、そしてレニングラード攻防戦を描いた大きな第7交響曲の前に書かれた、つまり5と7の間だから6なんだけど、これらウケ狙いの2作品に挟まれた不思議な存在の交響曲である。
第6番でロ短調の交響曲というと、有名なチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」がある。「悲愴」はゆっくりとした楽章で曲が閉じられるが、ショスタコの第6はゆっくりとした第1楽章で始まる。
ショスタコーヴィチはこの曲について、「第6交響曲は悲劇性や緊張の瞬間を特質とする第5交響曲と、気分と情緒的緊張の点で対照的である。書きおえたばかりの交響曲は、物思いに沈んだ、叙情的な音楽が支配的である。このなかで私は青春と、喜び、若々しい気分を伝えたいと願った」と述べているが、なんだか言ってることがわかるようなわからないような内容である。
楽章の数も3つと変則的。
ただ、3楽章構成の交響曲というのは異質な部類に入るだろうけどひどく珍しいものでもない。
フランクの「交響曲ニ短調」は3つの楽章しかないし、ハチャトゥリアンの第1交響曲もそうだ。
だがショスタコの6番では、3つの楽章のうち第1楽章が長くて、続く2つの楽章は短いというアンバランスな構成になっており、それが不思議感覚を私に与えたものだ。
若いころはこの第1楽章が苦手でちっとも良さがわからなくて、躍動感あふれる第3楽章ばかりを聴いていた。頻度で言えばその次に聴いたのが第2楽章。第1楽章はあまり聴かなかった。にもかかわらず、そのメロディーは案外としっかり頭に残ったものだ。
第1楽章の暗さは陰鬱さは、物思いに沈んだなんてレベルのものではない。
ところが第2楽章になるとノリが良くなる。とはいえ、なんだが空虚な明るさ。
終楽章はやけくそ的というか上っ面な騒ぎって感じだ。
初演当時は当惑と失望をもって迎えられたというが、当惑という点ではいまも状況は大きく変わっていないのかもしれない。まっ、聴いていて心地よいとはいえない第1楽章、このでっかい頭が人をなかなか寄せつけないというのもあるんだろう。
なお、この交響曲には通常第1楽章がそうであるソナタ形式の楽章が存在しない。
その点もまた、非常に意味ありげである。
今日はインバル指揮ウィーン交響楽団の演奏を。
相変わらず精緻で分析的な演奏だ。第1楽章でもむせび泣くような激しい感情表現はないし、続く2つの楽章でもはめをはずしたりはしない。しかし決して無機質ではなく、むしろほんのりとした人間味を感じさせる。オーバーなリアクションがない分、この曲の素顔が見えてくるよう。だから、聴く者を拒否するような演奏になっておらず、聴きやすい。お試しあれ。
1991録音。DENON。
“レコード芸術”誌の準推薦盤となったディスクである。
インバルの演奏では、先日スメタナの「ボヘミアの森と草原より」を取り上げたが、スメタナでもショスタコーヴィチでも、インバルの作品に対するアプローチは一貫している。
会社のビル前に献血車が来た。
むろん献血者を募るためである。
どこの会社でも同じようなものなのか知らないが、館内には主旨を要約するならば「血が足りない。血をおくれ」というアナウンスが流れる。
それに加え、ご丁寧にも献血車から係員が事務所にやってきて「あと〇〇人分足りません。ご協力を!」と呼びかけていく。
私はここ十数年、いやもっとになるだろうか、献血をしていない。
あんまりしつこく協力依頼でやって来るので、意を決して献血することにした。
受付に行くとマークシートにいろいろと答えるようになっている。
昔はこんなしくみではなかったと思う。
真剣に書く。私の後から来た女性社員はあっという間に記入が終わっていたが、あれは真剣に取り組む姿勢があるのだろうかと疑問に思ったほどだ。
記入を終えると、今度は口頭質問である。
「昨夜は何時間ぐらい睡眠をとりましたか?」
「6時間半です」
「今朝は何時ごろ食事をとりましたか?」
「6時半です」
「今朝は何時にご飯が炊きあがりましたか?」
「6時半です」
最後のは個人的に想定していた質問と回答なのだが、残念ながら聞かれなかったものだ。
私が真摯な態度で記入したマークシートを見て、その人は尋ねた。
「お薬を飲んでいるようですが、何の薬ですか?」
「血圧と尿酸と中性脂肪です」
「血圧のお薬は一種類ですか?」
「はい」
「尿酸のお薬を飲んでいる方は献血できません」
「……別に悔しくありません」
こうして私の善意あふれる勇気ある行動は未遂に終わった。
にしても、尿酸の薬がダメっていうんなら、その前に血圧の薬の種類を尋ねた意味はあったのだろうか?
とにかく、献血の日の朝に尿酸値を下げる薬を飲んではいけないそうである。
去ろうとする私の背後で、あのマークシート記入で私を追い抜いた女性社員が言った。
「お気の毒様です……」
もうそれ以上言わないでくれ。私は腹が立つか泣き出すかのどちらかだ。
会社の席に戻るとき、エルガーの血ェロ協奏曲のあの陰鬱なメロディーが頭の中でエコーした。
暗いよね、哀しいよね、孤独だよね。でもいい曲だよね。
エルガー(Edward Elgar 1857-1934 イギリス)のチェロ協奏曲ホ短調Op.85(1919)。古今のチェロ協奏曲の中でも最高傑作に入る作品である。
この曲の演奏ではデュ・プレが独奏を務めたものが極めて有名だ。その演奏についてはこちらで書いているので、今日はもう少し洗練された演奏を。
マイスキーの独奏、シノーポリ指揮フィルハーモニア管弦楽団による演奏は、オケがあまり前面に出ばらず、マイスキーのソロを引き立てている。そして、この曲のしっとり感がよく表現されたものだ。
1990録音。グラモフォン。
にしても、献血して後日「アナタのケツエキはツカエマセンデシタ」って通知されるよりはマシと解釈することもできるわけだ。
そう考えると、ちょっと前向きな気持ちになってきた。
とはいえ、やっぱり仲間外れにされたことは間違いないけど……
長男が住んでいるアパートのすぐ近くに“三浦綾子記念文学館”がある。
日曜日の朝、せっかくだからと初めて行ってみた。
たいしたことないだろうと思ったが、なんとも言えぬ捉えどころのないモアっとした感動に襲われた。
彼女の経歴などを紹介したパネルなどを見て、いまだ1冊も読んだことのない三浦綾子の作品を読んでみたいという衝動に、強くかられている今の私である。
そしてまた、その感動は購買欲として顕在化し、オリジナルの文庫カバーを買ってしまった。えっ?読みたいと思ったなら本を買えよって?いや、まずは形から入るのもよろしいかと……
この記念館は“外国樹種見本林”の一角に位置している。
この見本林もまた見事で、散策するには絶好の場所だろう。こういうきちんとそれなりに整備されている林って、人工的ながらも明るさがあって憩いの場としてはなかなかいいものだ。
そのあと、やはりすぐ近くにある農協の直売店に寄ったが、レジ待ちで長蛇の列。旭川といえば江丹別産のそばが有名で、新そばが出ているかなと思ったが、店内にとぐろを巻く列でまともに見ることもできず、すぐに退散。
あんなに人が入ってるなんて、すごいなぁ。
息子の所へ寄ってピックアップし、そのまま街中へ(といってもすぐなんだけど)。
昼食は旭川ターミナルホテル1階のレストラン“オリオン”で。
この店、何の変哲もないように見えるのだが味はなかなかで、私が旭川に出張したときには何度かここで昼食をとっている。
旭川ターミナルホテルは今月いっぱいで営業をやめるそうだ。ということは“オリオン”もなくなっちゃうわけね。
しょっちゅう行くわけじゃないものの、とっても残念である。
吉松隆(Yoshimatsu,Takashi 1953- 東京)のトロンボーン協奏曲「オリオン・マシーン(Orion Machine)」Op.55(1993)。
CDはシャンドスの一連のシリーズの中でも出ているが、今日は箱山芳樹のトロンボーン、外山雄三指揮日本フィルのライヴ盤を。
というのもこの作品、1992年春に日本フィルからトロンボーンの首席奏者である箱山をソリストとした協奏曲を書いて欲しいという依頼で書かれたもので、このライヴ盤は記念すべき初演時の録音なのである。
依頼を受けたあと、どのような作品にするか悩んだ吉松だったが、秋の夜に方向が固まる。
その夜に見上げた星座(オリオン)と、トロンボーンという金属製の仕掛け(マシーン)が頭の中でひとつに収斂していった。それをきっかけにして、オリオン(ソリストである箱山芳樹氏)がマシーン(オモチャ)を扱っている玩具的なイメージが重なり、グレン・ミラーやJ.J.ジョンソンなどのジャズ・トロンボニストの残像や、さらにジャズとロックを融合させたプログレッシヴ・ロックの雄ソフト・マシーン、H.ミュラーの刺激的な戯曲ハムレット・マシーンなど、色々なイメージが万華鏡のように集まり、トロンボーン協奏曲「オリオン・マシーン」という奇妙なタイトルの音楽が見えてきた。
また、作品そのものについて、吉松は次のように書いている。
曲は、オリオンの星座の外枠の四角の4ツ星(左上のベテルギウス、右上のベラトリクス、左下のサイフ、右下のリゲル)と中央の3ツ星(ミンタカ、アルニラム、アルニタク)に模した5つの部分から成り、続けて演奏される。
オーケストラの形もオリオンの星座を模していて、中央に、ピアノ、ハープ、パーカッションという三つ星が準独奏者として配置され、それをオーケストラが取り囲む。この三つ星はオーケストラ(オリオン)にオスティナートやリズムを供給する機関(マシーン)でもある。
1. ベテルギウス:巨大な星座の発光で始まり、オスティナートに導かれてトロンボーンの歌が揺れる叙情的なアダージョ。
2. ベラトリクス:機関部がはじき出す10ビート(5/8)のリズムに乗って疾走するビッグ・バンド・ジャズあるいはブラス・ロック風のアレグロ。
3. 悲歌と歪んだワルツ:主題は三つ星にちなむワルツで、悲歌はその下にあるM42星雲にちなむMM42のテンポで奏でられる。
4. サイフ:管楽器群や弦楽器群との玩具的なからみとスイング・ジャズの残像がよぎる錯乱したカデンツァ。
5. リゲル:金管群によるファンファーレの唱和から、徐々に全楽器が加わって大きな協和音の虹を作って行くフィナーレ。
まったく、やってくれるね、吉松センセ……
なお、曲の冒頭は“鉄腕アトム”の出だしにそっくり。
また、M42星雲というのはオリオン大星雲のこと。MMというのはメトロノーム記号のことである。
1993録音。カメラータ。
“オリオン”で私が注文したのはハンバーグ。揚げたタマネギが付け合わせとして皿に盛られていた。
タマネギの自動皮むき機のことはオニオン・マシーンって言うのだろうか?言わないだろうな……
旭川から札幌への帰りは時折稲妻が光り走るなかでの走行。雨もパラパラ。
しかし自宅まで帰ってくると降った形跡がなく、ガーデニング作業。
高く伸び過ぎたプルーンの木を切ったり(のこぎりで切りながら、その太さに途中何度も挫折しそうになった)、バラの枝の剪定をしたり。
日没で断念のため作業時間は2時間余りだったが、いやぁ疲れた。
そうそう、パパイヤの鉢上げも行なったが土のブレンドが悪かったのか、水はけがあまり良くない。はっきりいって失敗したがこれで耐え抜いてもらおう。
麓郷をあとにし、その後国道に合流したのは11:30ころであった。
国道を美瑛方向に少し進むと、フラノーブルという大きなドライブイン(死語か?)というか、おみやげやというか、お休み処(デパート催事のイートインか?)があったので、そこにトイレ休憩のつもりで入った。
すると良い匂いというか嫌な臭いというか、その微妙なバランスの匂いが鼻腔を刺激した。
これはジンギスカンの匂いである。
で、私の頭の中で何がどうなったのかよくわからないが、昼ご飯はジンギスカンにしようと決断してしまった。松尾ジンギスカンの店である。
断わっておくが、今回は妻も同行していた。私は一人でジンギスカンを食べに店に入る勇気などこれっぽっちも持ち合わせていない。
うん。美味しかった。
この間“かねひろジンギスカン”を食べたが、まだその余韻が残っていたのだろう。さして好 物でもないジンギスカンをこんな短い間隔でまた食べてしまったのだから。
それに羊肉は太らないって言うしさ……
食事のあとは旭川へ。
途中美瑛の“ケンとメリーの木”を見る。
ケンとメリーって、私には幼心にかすかに記憶がある。スカイラインのCMの画像と歌である。ここはその撮影現場になったところらしい。私は、CMで木が映っていたかどうかもまったく覚えてないが……
予想以上に巨木で驚いた。
そりゃそうか、あれから何十年も経っているんだ。
きっとメリーさんもおばあさんになっているんだろう。
その場所から遠くの山の景色を眺めたあとは、そそくさと旭川へ。
旭川につき、まずは息子の家に。
う~ん、換気が悪いのだろう。けっこう黴々ルーム。
夜は6月に来た時も行った“貴あじ”という居酒屋。
あのとき食べたメンチカツはすごく美味だった。
で、今回もメンチカツを頼んだ。
う、美味い!おそらく手作りなのだろう、きちんと成型されていないのがうれしいし、“つなぎ”の変なあと味が残らない。デミソースも非常にGOOD!
この店はどの料理も美味い!手作り感いっぱいの安心して食べられるものばかりだ。
そして驚くほどメニューが豊富。通常の居酒屋メニューを網羅しているのはもちろん、イタリアンから中華まで、よくこれだけ揃えられるなってくらいのラインナップだ。
ところで私は 私は外で飲むときもハイボールを頼む。
最初はビールだが、2杯目、遅くとも3杯目からはウイスキーのハイボールに変える。1年ほど前までは最初から最後までビールだったのに、ハイボールを飲みつけるようになるとビールがあまり飲めなくなる。おもしろいものだ。
そして、私は必ずハイボールにレモンを入れる。たっぷりと。
居酒屋で「レモンを1個分。櫛切りで」と頼むと、しかしこれが通じないことがある。
「えっと、えっと、半月みたいに」というと通じやすい。
なかには満月と間違えたのか、輪切りスライスが出てくることもあるが……
その点、大手チェーンの居酒屋だと、最初から飲み物のサイドメニューとしてレモンがあるのでとても注文するのが楽ちんだ。
オルフ(Carl Orff 1895-1982 ドイツ)の「月(Der Mond)」(1937-38/改訂'41)。3幕からなる舞台音楽で、グリム童話を基にオルフが書いた台本による。オルフの代表作である「カルミナ・ブラーナ」もそうだが、彼の舞台作品の多くは歌劇とカンタータの中間のような形をとった独自のもの。この「月」は歌劇として上演されることが多い。
物語の筋は、
昔々。ある国。
その国には月がなく、夜になると真っ暗だった。
この国から4人の若者が旅に出た。
訪れた別な国で、夜なると淡く輝きあたりが良く見える光の玉、すなわち“月”を見つけ、自分たちの村に持ち帰った。
真っ暗にならなくなった村では、夜になってもにぎやかになる。
しかし、やがて月を持ち帰った4人は年老い、1人が死ぬたびに月の4分の1を切り取って棺桶に収められた。4人目が死んだとき、月を失った村の夜は真っ暗になってしまった。
その反対に、死者の世界では4つの月の断片を1つにしたことで明るくなり、明るさの中で死者たちが賭け事をするなど騒々しくなった。そこにやって来た古老の羊飼いは「光は生きている者のためにある」と言って、月を天に吊るした。
というもの。
オルフの親しみやすい(そして、「カルミナ・ブラーナ」を思い起こさせる)メロディーによって、楽しく聴ける作品である。
宮下誠は「20世紀音楽 クラシックの運命」(光文社新書)のなかで、この作品について次のように書いている。
グリム童話をモティーフにしたオペラ。月を奪われた村人の困惑を描くファンタジー。最後にはペテロ様が現れて月を返してくれる。農民たちのダンスや夜の情景を描く間奏曲など実に魅力的な音楽が多く書かれている。筋書きは単純でわかりやすく、児童合唱の扱いも巧みで、掛け値なしに楽しめる。
掛け値なしっていうのはちょっと誇大表現のような気もするが、楽しめるという見解に対して、私は無抵抗に賛同する。
CDはサヴァリッシュ指揮フィルハーモニア管弦楽団、同合唱団、同児童合唱団。独唱はホッター、シュミット=ヴァルターほか。
録音は1957年と古い(でもステレオ録音)。そう、合唱の児童たちももうおじいさん、おばあさんになっちゃっているわけさ。
EMI。
で、“貴あじ”の場合は、あらかじめレモン汁を入れたものという“レモンハイボール”っていうのがあって、それを頼んだのでレモンの月型切りとか言わなくても済んだ。
ただ、けっこうウイスキーが濃くて(これはうれしい)、またただのレモン汁ではない感じで、早くに酔いが回ってしまった。
そういえば、ハイボールにレモンを絞ってもあまりビタミン効果はないって噂を聞いたけど、本当ですか?
まず初めに断っておくが、今日の私は仕事が休みである。お暇を取らせていただいているのである。
話は金曜日に遡る。
昼になり、オオサワ課長と何かを食べに行くことになった。
さて、どこに行こうか?
するとオオサワ課長から提案があった。
「今日は涼しいですからラーメンでもいかがですか?」
うん、同意!
ということで、ちょいと離れたところにあるラーメン屋に行った。
私は味噌ラーメンを頼んだ。
味噌ラーメンである。
だから、味噌ラーメンである。
要するに、味噌ラーメンなわけだ。
まだ気づかぬか?
つまり、私は味噌ラーメン単品で我慢し、小ライスは頼まなかったのだ。
なんて誠実なヒトだろう、私は。
私は病院で経験したあのいたたまれない気持ちを二度としないよう、そして次回は誉め讃えられるようになるために、カロリー過多摂取防止対策をきちんと実行にうつしはじめたのである。
ラーメンを待っている間、私はオオサワ課長に尋ねた。
「明日旭川に行こうと思うんだけど、糠平湖の方を回って層雲峡経由のルートはどうかと思ってるんだけど……」
「あれは長く感じますよ」
オオサワ課長は旭川に勤務していたこともあり、けっこうそっち方面の道に詳しいのだ。
「調べてみると、富良野経由とあまり時間は変わらないようだけど……」
「山の中を走るんで長く感じるんです。紅葉の季節なら、そりゃビュー・ポイントもあるんでしょうけど、とにかく退屈ですよ」
「じゃあ、高速を占冠で降りるのとトマムで降りるのとはどっちがいい?」
オオサワ課長は非常に厳しい表情で思考を巡らした結果、こう答えた。
「それには派閥があります。占冠派とトマム派です。しかし私はトマムで降りることをお薦めします」
6月に帯広から旭川に向かったとき、私は占冠で降りて向かってみたが、国道38号線に出るまでけっこう遠かったし、富良野の町を通り抜けるにも時間がかかった。そう伝えると、オオサワ課長はわが意を得たりいう感じでこう唱えた。
「トマムで降りて国道38号線に出たあと、富良野の町に入る前に麓郷の方に入って上富良野へ抜けると速いです」
このときラーメンがやってきた。
私は味噌ラーメンを食べ始めた。ライスを伴わない味噌ラーメンは独りぼっちでちょっと寂しそうだった。ちなみにオオサワ課長が頼んだのはホルモンラーメンであった。
とろけるようなチャーシューを口に含んだとき、私は心が決まった。
麓郷経由で行こう、と。
翌朝。
旭川に住む長男の顔を見に行くべく出発した私は、オオサワ課長の推奨するとおりトマムICで降り、国道38号線まで向かい、富良野の街の手前で国道から麓郷方面へ右折。
麓郷と言えば、ご存知の方も多いだろうが、「北の国から」で純や蛍が住んでいたところで ある。せっかくだからそれを見に寄り道をした。
上の3枚の写真は五郎の最初の家。
4枚目の写真は2番目だか3番目の家である。
この“麓郷の森”であるが、森っていうぐらいだから木が生えていて、要するに林の中にこれらの建物がある。ということは、すっごく虫が多い。蚊だかブヨだかわからないが、私の中性脂肪豊富な血を吸いたいと寄ってくる。
皆さんが訪問する際には、ぜひとも虫よけスプレーの持参をお薦めする。
このあと、ここから少し離れた“五郎の石の家”というところにも行ってみたが、そちらは有料ということで中を見ずにリターン。オオサワ課長の言葉、ならびにカーナビの案内に従って裏街道を走り国道237号線へ合流すべく車を走らせたのであった。
“北の国から”の本編を私はリアルタイムで観てはいない。
2002年に放送されたスペシャルの「遺言」はそのときに観ているが、ラヴェル(Maurice Ravel 1875-1937 フランス)の「亡き王女のためのパヴァーヌ(Pavane pour une infante defunte)」がライトモティーフのように使われていた。
「亡き王女のためのパヴァーヌ」はもともとピアノ曲として1899年に作曲された。その後、1910年に小管弦楽のために編曲されている。
曲名も何かいわくありげで、それがまたこの作品の人気を高めている感もあるが、ラヴェルは「亡くなった王女を追悼する哀歌という意味ではない」と述べている。
個人的にはピアノ原曲よりもオーケストラ版の方を断然お薦めしたい。なんてたってラヴェルは“管弦楽の魔術師”と呼ばれた人だし。
ここではクリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団によるしっとりした演奏を挙げておく。
1961-62録音。EMI。
水曜日の朝、病院に行った私は診察券と保険証を窓口に出し、待合室の椅子に座り不運にも釣り上げられた深海魚のように深呼吸を繰り返した。
とりたてて息苦しかったわけではない。
このあと受付の女性から「血圧を測っておいてください」と言われるのが恒例だとわかっているからだ。仮にもしそう声をかけられなかったとしたら、それは私の診察券がまったく彼女に認知されていないことになり、極めて重大な問題である。
2分後。期待していたとおりというか、できれば避けたかったというべきか、「血圧を測っておいてください」と言われた。
私はできるだけ体を動かさないように-動きに伴い血圧が上昇しては困るではないか-年老いたゾウガメのように電子血圧計(なにが“電子”なんだろう?)のところへ移動し、ゆっくりと右腕を上げ、そろりと腕を機械に入れ、左手の中指で優しくスタートボタンを押した。
計測中は安静が求められる。ちょっとした不用意な体の動きが血圧上昇を誘発する。
私は首をねん挫して左右に回せない人のように、真正面を見据えたまま測り終わるのを待った。
ブニィィィ~ンという空気圧上昇の音とともに上腕が挟まれ、ピシュシュゥゥゥゥ~という空気を排出する音とともに解放される。
ビニビニビニビニという音をたてながらレシートが出てくる。
そこには“計測料金100円”とか書かれているのではない。
計測結果が印字されているのだ。
最高血圧122、最低血圧71、脈拍101。
すばらしい!
紙を見て私は内心ほくそえんだ。厳密に言うならば、その前にデジタル表示された値でほくそえんでいたのだが、印字ミスの可能性も否定できない。正しい印字内容を確認して、初めておおやけに内心ほくそえんだのだった。
これは私としては完璧に近い値である。脈拍は速いが、私の場合もともとふだんから脈は速いのだ。先祖はネズミなのかもしれない。
そのことを知らずに、学生のときの体力測定でやらされた踏み台昇降で、時間が経過しても脈拍数が全然落ちずにひどい結果になったことがあるが、いま声を大にして言いたい。私は昇降後に時間が経っても、速いままなのだ、と。
それにしてもこのような血圧値なら、今日を最後に降圧剤を飲むのをやめてもいいくらいじゃないのか?素人ながら、そう思った。
やがて準備室のドアが開き、呼ばれる。
準備室というのは、診察前に心の準備をする部屋ではなくて、検査などを行なう部屋だ。自然に考えれば診察の前の準備を行なう部屋って意味なのだろうが、不自然に考えなくても妙な名前ではある。
最初に体重を測る。
身長計も一体となったタイプだ。私の場合、測るのは体重だけで身長は関係ないのだが、毎回なぜか背筋を伸ばしてアゴを引いてしまう自分がいじらしい。
……71kg!
なんてことだ。
少しでも重量を軽減しようとポケットから小銭入れと鍵を出しておいたにもかかわらず、米1俵+1割増量サービスよりも重いではないか!
私の人生の中で70kg台になったのは初めてのことだ。育ち盛りだった小学3年生のときだってこんなに体重はなかった。最近靴底の減りが速いように感じていたのはこのせいか?
失意のまま次は採血。
椅子に座るときしんだような気がする。それほどショックは大きかったのだ。
「ちょっとチクっとしますよ」と言われ、ここは気を取り直して、「はぁ~い」とちょっぴり良い子ぶった返事をする。毎度のことではあるが、今回も看護師さんの言葉にウソはなかった。本当に、ちょっとチクっとした。
あとは午後、会議が終わった後になる。検査結果を聞き、診察を受け、高価な薬を購入する。私は会議が行なわれるホテルへと向かった。
余談だが、会議のときに出た弁当は私があまり好きではないかぼちゃコロッケが入っていた。メンチカツかと思ったのに、一口食べた時の私の落胆ぶりに共感してほしい。
まったくもって、今日はついてない日だ。
会議が終わり病院へ行く。
けっこう混んでいて、そのことに確かな相関関係があることが理解できるくらい待たされた。
やっと診察室に呼ばれる。
中に入るや否や、私の顔を見る前に白いカーテン越しに医者が言う。
「今回はどーしたの!悪いよ、結果が!」
私の頭の中はカーテンと同じくらい真っ白になった。
カーテンを手でよけずにそのまま前進しそうになったほどだ。
空腹時血糖ではないが、血糖値が122。正常値は109以下だ。
「上がってるな?どうしたの?」
「わかりません」
実は心当たりがある。カレーとスパゲティと炊き込みご飯とチャーハンを同時に食べたことが原因として怪しい。先週の話だけど。だが、そのことを医者に話してどうなるというのだろう。説明するとしたら、私が刺身をあまり好まないところから始めなくてはならない。しかも寝不足が続き、疲れが残っていることも。
ASTが58、ALTが43。正常値はどちらも30以下。前回の値は、ASTが22でALTが26だったから、なかなかの伸びである。
どちらも肝臓機能に関する項目だ。
ついでにγ-GTPは99。この項目は酒飲みだと上がるのだが、正常値は50以下。前回は74だった。
つまり、あらゆる視点から考えても酒の飲み過ぎという可能性が高い。
でも、そんなに変わってないはずなんだけどな、飲酒量は。
中性脂肪も上がった。が、これは毎回上がったり下がったりするのでたいしたショックは受けなかった。
結論。アルコールを含め栄養過多ということだ。
肝臓の数値も気になるが、体重の方が問題だ。血糖値も一時的な異常値として解決しなければならない。
適正体重になるための方策は2つしかない。
身長を伸ばすか、体重を落とすかだ。しかしながら、医学が発達した現代といえども、今後どれだけがんばっても私の背が伸びることはないだろう。
ということは、痩せるしかない。
食事に気をつけなければならない。
暗ーい気分になった。
さびしげなリコーダーの音が頭の中で鳴っていた。
しくしく……
エイク(アイク。Jacob van Eyck 1589/90-1657 オランダ)の「涙のパヴァーヌ(Pavane Lachrymae)」。ソプラノ・リコーダーのための作品である。
エイクはユトレヒトのカリヨン奏者となった人。カリヨンというのは教会の塔に吊り下げられた、鍵盤や時計仕掛けの装置によって奏でられるセットになった鐘である。彼は市のすべてのカリヨンや鐘の監督を行なったが、教会の中庭ではリコーダーを演奏して来訪者を楽しませたという。また、彼は盲目だったという。
「涙のパヴァーヌ」は、エイクによる3巻から成るリコーダーのための無伴奏曲集「笛の楽園(Der fluyten lust-hof)」(1646-54出版)のなかの1曲。正式な名称は「『涙のパヴァーヌ』による4つのフィギュレーション(4 Figurations on 'Pavane lachrymae')」である。
基となっている作品「涙のパヴァーヌ」は、エリザベス朝からチャールズ1世にかけてのイギリスの時代を代表するリュート奏者だったジョン・ダウランド(John Dowland 1563-1626 イギリス)が作曲したリュート歌曲「涙(流れよ、わが涙)」。エイクの作品はこの曲のメロディーによる主題と4つの変奏曲である。
ブリュッヘンのリコーダーによる演奏を。
1960年代の録音。テルデック。
いずれにしろこんな状況に追い込まれた私は、とても医者に「血圧の薬はそろそろやめてもいいんじゃないですか」と切り出すわけにはいかなかった。
火曜日の夜から木曜日の朝まで札幌の“自宅”に戻っていた。
会議があったためである。
すでに詳細にご報告した通り(だが、会社においてはいまだに復命書を書いていない)、先週の水曜日から金曜日まで視察研修旅行に行き、そのときは札幌にも1泊したが、団体行動の規律をしっかりと守る私はみんなと一緒に札幌市内のホテルに宿泊し(こういう経験もそうそうできるものではない)、自宅には立ち寄ることなく帰ってきた。
しかしその翌日の土曜日は、日月と連休になるということもあって再び自宅に帰った。
車は相変わらずエンジンからカラカラと、下手で乱暴な運転手のタクシー(マニュアル車)のような音を発しているが、それは私の運転テクのせいではなく(だってオートマだもの)かなり疲れきっているせいだ。いままで乗ってきた自家用車のうち、いまのがいちばん距離を乗っており、先日はついぞ9万キロを超えてしまった。
問題は来年夏に控えている車検である。
決して調子がいいとは訴えていないエンジン音、タイミングベルトの交換時期、夏タイヤの 微小な穴……そんなことを考慮すると買い換えたい気持ちは山々だが、先立つものがない。困ったものだ。
いや、話を戻すと、その連休に帰った際に、庭で予想外の光景に出くわした。
花が咲いていたのである。パパイヤの花が……
何度か触れているが、やっぱりしつこく念のために書いておくと、鉢植えで育てていた矮性種のパパイヤである“ビクトリー”という品種。今夏はそれを庭に地植えしてみた。
そののびのびとした生育度合いは目を見張るほどであったが、気づかないうちにこいつは蕾を作り、そしてさりげなく咲いていたのである。
こうなると、実がなることを期待してしまうのが、成人男性の自然な感情であろう。
私の楽しげな姿を、すぐ横のバラの葉の上で無表情で眺めていたのはカエルくん。少しは楽しそうな顔をしろよ!
ところで、ネットで調べてみると、パパイヤは雌雄異株であるという。
まずい、これが雄株だったら実がつかないではないか!
しかし、雄花はだらりと垂れさがるという。
私のビクちゃんの花は、だらりと垂れさがった生殖器のようにはなっていない。
雌花であることが期待できる。また、両性花の場合もあるという。
しかしである。
このところ涼しくなってきたのはいいが、そろそろ庭から鉢上げしなきゃならないタイミングだ。もうすぐ10月。ふつうの年ならかなり涼しくなるはずで、そろそろパパイヤには過酷な気候になってしまう。
これから実をつけようとする株を鉢上げしたらどうなっちゃうのだろう?
環境変化で実どころでなく、葉までいちど落葉してしまうかもしれない。
私はいまそれを心配している。
以上、MUUSANの今日の悩みでした。
それでである。
冒頭に触れた会議で戻った際(つまり連休最終日の月曜日にいちどこちらに戻り、翌日再び札幌へ向かったわけです)には、2か月に一度の通院も果たした。
会議の前の朝いちばんに病院に行って採血をし、そのあと会議に行き、会議が終わったあとに結果を聞きに行ったわけだが、皆さんには悲しいお知らせになってしまうが、結果は改善されるどころか悪化していた。
その驚くべき内容についてはいまここで触れている暇がない。すなわち、明日以降に引っ張る。いや、暇がないというよりもけっこうショックを受けているのだ、私。
会議は病院近くのホテルで開催された。
廊下には小さなボリュームでクラシック音楽が流れていた。
リストの「愛の夢」が鳴っていたが、その次はベートーヴェンの交響曲第7番の第1楽章になった。
ベートーヴェンの、それも第7交響曲がBGMで流れるなんて意表を突いている。が、それほど違和感がなかった。誰の演奏かはさっぱりわからないが、そして天井に埋め込まれたスピーカーのせいなのかもしれないが、すっごくうすっぺらいベートーヴェンだった。
ラトル指揮ウィーン・フィルの7番は楽しい。
ベートーヴェン交響曲全集の1枚だが、ほかの交響曲の演奏同様、軽快だが軽薄ではなく、いきいきとしたベートーヴェンだ。
ベートーヴェンのシンフォニーといえば、厚い低音をベースにした重量級の響き、妥協を許さぬ頑固な男らしさというのがかつての演奏の主流であり、私もそれこそが名演と思っていたが、こういうのを聴かされるとすっかり考えが変わってしまう。
ベートーヴェンの音楽って、武骨がトレードマークだったわけじゃないようだ。
彼が生きていた当時も、こんなサウンドで鳴り響いていたんだろうし。
そして、ベーレンライター原典版世界初録音で話題となったジンマンの演奏が物珍しさという面で騒がれた側面もあったものの、ラトルの演奏はまったくもって自然に聴こえる。
これは棚に備えておく価値があるディスクだと思うな、私は(すっごく安いし)。
今日はこれから長男が住む旭川に行ってみるが、このベートーヴェンは、7番は、まっこと爽快な気分になれるので、ドライブにも合うに違いない。
3時間半ほどの移動だが、途中の峠越えのあたりではFM放送も入らなくなるだろうから、今回はこれを聴くことにしよう。
ハンドルさばきもスムーズになりそうだ。フィナーレが爆走気味なので、アクセルを踏み込み過ぎないよう気をつけなきゃ……
2002年ライヴ録音。EMI。
ただし、エンジン音できちんと聴こえない箇所がたくさんありそうではある。
そして研修最終日である。
午前中にあるところで説明を受け、そのあと昼食。
昼食は北広島市にある“くるるの杜”。バイキング形式(正しくはカフェテリア方式というらしい)だが、これまで海産物を中心とした和食攻めに遭っていた私が迷いもなく目指した場所、それは炊飯ジャー、次いで銀色の大きな鍋。
そう、いきなりカレーライスの場へと駆け寄ったのだった。
平皿にご飯を盛り、カレーをかけたわけだが、高まる欲望のためにご飯の量が皿の割に多かった。さらには、その皿をトレーに乗せたままの作業だったので、カレーの鍋から皿まで微妙な距離感があり、すくいあげたカレーはトレーにぼたぼたと滴を垂らしたあげく、皿からもあふれそうになってしまった。
この歳になって、まったく恥ずかしい限りである。
小さい子や美しい若奥様に見られていなくてよかった。「タロウちゃん、あんなガツガツした卑しい大人になっちゃだめよ」なんて言われたら、私はその場で泣き崩れるところだった。
しかし、ボタボタと垂らして汚れてしまったトレーや溢れそうになった消化不良の物体のようなカレーの様相にもめげず、私はしっかりと福神漬けも取ることを忘れなかった。うん、なかなか落ち着いているではないか!
別な深皿には-こっちの皿こそがカレーにふさわしかったようだ-トマトソースのパスタも盛り付け、2度目の出陣では炊き込みご飯とチャーハンを少量ずつではあるが取って来るという、血糖値が上がるのが間違いないという取り組みであった。
あとはバスで帰るだけで、うとうとと眠って行こうと計画を立てたが、なかなか寝付けなかった。ところが、バスが停車する振動でふと気づくと、そこはすでに1時間ほど走った占冠パーキングエリアで、やれやれ、どうやら眠れない夢をみていたらしい。
こうなると、積丹の夜も本当に眠れなかったのか少々自信が揺らいでくる。
ふだんなら日中の水分補給のためにはお茶かミネラルウォーターしか買わない私であるが、占冠PAにおいては異様に甘い飲み物が飲みたくて(昼にあれだけ炭水化物を摂取したのに実に不思議だ)、下車しておしっこをしてタバコを吸ったあとに、自販機で発見したパイナップル・カルピスを買って飲んだ。
すると、小学生のときにアポイ岳に登ったときのことが、100年前のことのように思い出された。寝ぼけてさかのぼり過ぎたのだ。
父の職場の同僚とその家族たちで、アポイ岳に登ったことがあった。
要するに家族を含めての職場の親睦会である。
父の仕事は森林に入ることが多いものだったが(だからといって、木こりではない)、それにもかかわらずレクレーションでも山に登るとは、いま思えばよっぽどの物好きか、職業病だったのか、あるいは単に発想が貧困だったかだ。
様似町にあるアポイ岳は高さ800mほどだが、海岸線からそびえているので、登山口からはモロにほぼ800mの高さを登ることになる。そしてまたこの高さにもかからわず特異な植生で、高山植物が豊かである。小学生の私は高山植物を見てワクワクしたものだ(ウソです)。
下山したあとは近くの河原で、みんなでジンギスカンを食べた。
子どもたちにしてみれば、これがメイン・イベントである。
そのとき私が水筒に入れて持って来ていたのが、実はパイン・カルピスだった。家で水で薄めて作ってきたものである。当時はまだペットボトルは発明されていなかった(と思う)。
パイン味のカルピスはなかなか美味しく、真剣に探してこなかったのでずっと売られ続けていたかどうかは知らないが、私は今回数十年ぶりに口にすることができた。
ため息が出るほどではないが、かなり美味しかった。
んっ?
そういえば、この2日前に私はジンギスカンを食べた。
そっか、私の体内のどこかの細胞がジンギスカンとパイン・カルピスの組み合わせを覚えていて、今回導いたのだ。そうに違いない!……わけがない。
そんなこんなで、交響詩「ボヘミアの森と草原より(Aus Bohmens Hain und Flur)」(1875)。残念ながら音楽史上「アポイの森と草原より」というアッポイポイ気分あふれる作品は存在しないので代わりに紹介させていただく。
この曲は、6つの交響詩から成るスメタナ(Bedrich Smetana 1824-84 チェコ)の連作交響詩「わが祖国(Mein Vaterland」)」(1872頃-79)の第4曲。
このなかの第2曲は有名な「モルダウ(Die Moldau)」(最近はチェコ名の「ヴルタヴァ(Vltava)」と呼ばれることも多い)である。が、個人的にはこの第4曲がいちばん好きである。
スメタナは「ボヘミアの森と草原より」について、「チェコの森と牧草地には、喜びの歌もあれば、悲しみの歌もあって、それがまわりから聞こえてくる。ホルンのソロで描かれる森林地帯。エルベ河畔の谷あいの肥沃な低地など、ボヘミアの森と草原はどこでも、心に深い、感慨を催させる」と解説している。
前にノイマンのご当地演奏ものを紹介したが、今日はインバル指揮フランクフルト放送交響楽団の演奏を。
それにしても、あらためて思うのは、インバルって実に広いレパートリーのレコーディングをしているな。儲けましたね、インバルさん?ってこと。
インバルとスメタナってなんだか変な組み合わせのように感じてしまうが、どうしてどうして、なかなか良いのである。
というのも、インバルは民族色(と私たちが感じる雰囲気)を強調するわけではなく、余計な愛想をふらずにこの交響詩(ということは標題音楽だが)を紡いでいく。
それが変なくどさというか、よくわからない情に流されず、この音楽自体がもつ作品のすばらしさを教えてくれるわけだ。
1988録音。テルデック。
カルピスといえば、コマーシャルで「からだにピース!」と言っているが、原田君はどうしているだろう。
学生時代に浅い付き合いのあった人物だが、缶ピースを吸っていた。
カルピスで思い出した。
原田にピース……
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