日曜日の朝。
目覚めはちょっぴりスキっとしなかった。が、それは前の晩にちょっと飲み過ぎたせいかなと思った。実際、前夜に朝食用に買ってあったサンクスの弁当はきちんと美味しくいただけた。
が、どうも軽い悪心がある。一応断っておくが、悪心(おしん)というのは胸の気持ち悪さで、悪いことを考える私の心のことではない。
そして体もだるい。
とはいえ、ずっとホテルにいるわけにはいかないし、行動を開始したら治ると思っていた。
福岡空港行の地下鉄に乗るため天神駅まで歩く。およそ5~6分の距離だ。
が、歩いてほどなくして妙に汗が出てくる。
しかし、それも九州の暑さのせいだと思った。
地下鉄に乗る。
たいした乗車時間ではない。ふだんなら立っていても全然平気だ。ところがこのときは座りたかった。実際座った。空いててよかった……
空港に着くころには頭がぼーっとしてきた。おなかも痛くなってきた。
まずはトイレに向かう。
幸いにして第2ターミナルの出発ロビーのショッピング街の先。第3ターミナルへ続くあたりにあるトイレは人通りが少ないせいかすいていて、待たされることなく個室に入ることができた。
この文の句読点以降はスープカレーを食べながらは読まない方が良いと思うが、水のような下痢だった。
だるい、汗が出る、水様便……明らかに変だ。これらが日常的なのは病人だけだ。
職場へのおみやげは長崎で買ってあったので、ここでおみやげ選びをしなくてもよかったが、逆におなじものがここ福岡空港でも売っていてちょっとショックを受ける。
だるさと脂汗と水のような便にショックが加わったのだ。
そうだ。胃薬を買って飲んでおこうと思い、コクミンを覗く。
が、私が愛用しているタケダのザッツ21は置いてなかった。
こうなったら薬に頼らず、自らの抗力に頼るしかない。
と思っているうちに、体の節々まで痛くなってきた。
食欲もない。
これは重症だ。
アップグレード・ポイントを持っているので、プレミアム・シートに替えようかと悩む。幸い空席はある。
が、待てよ。
福岡11:50発だ。ということは、プレミアムだと昼食が出る。
食べてまたピーゴロゴロになったらどうする?
トイレに行けばいい?
でも、トイレは前方だ。何度も行ったら、席に戻るたびにみんなの注目を浴びる。それは恥ずかしい。
食事を断ればいい?
なんかカッコツケてるようでいやらしい。また、キャビンアテンダントが私を心配するあまり、、昨夜食べたものをこと細かく質問してこられても困る。
幸いにして、いま持っている座席は最後尾だ。
これならひっそりと何度でもトイレに行ける。
ということで、アップグレードはやめることにした。
セキュリティ・チェックを受けて中に入る。
7番搭乗口の横のカレーショップからすっばらしく良い香りが漂ってきた。
がぜん食欲がわいてきた。
しかも、“カツカレー うれしいカツ30g増量!”と書いてある。
去年だったか、おととしだったかも、ここでカレーを食べてみたいと思ったことを思い出した。
が、やはり危険だ。
食べたとたんに猛烈な腹痛と下りっ腹に襲われそうだ。
結局今回もここでカレーは食べられなかった。
飛行機に乗る。
と、猛烈な眠気に襲われた。
これは体調が悪い典型的な症状だ。私は風邪のひきはじめなど、目があけてられないくらいの眠気に襲われることが多い。
自分が自分でないような幽体離脱状態のまま、やっとのことで札幌の自宅に着く。
寒気までして来ていた。
体温を測る。
1回目37.7℃。2回目37.6℃。3回目37.8℃。
明らかに熱がある。
3回測ってこの結果だ。手元の体温計の精度は信頼できると言える。
そして夜。
ものすごく寝汗をかいた。
途中2回も下着を替えた。着替えのたびにブルブルと震えた。
何回かトイレにも行った。下痢をしているから小はほとんどもよおさない。おしりからおしっこが出ているようなもんだ。そのときもブルブルと震えた。
少ないおしっこは風邪薬のせいもあって、妙に黄色く、もしかして黄疸かと思っただ、白目は黄色くないし、爪も黄色くなっていない。
翌朝。月曜日の朝。
水たまりに転んでいる夢で目が覚めた。
パジャマまで汗でぬれていた。
が、体温を測ると36.4℃だった。
少なくとも熱は下がった。
食欲はなかったが、それでも一生懸命ご飯茶碗半分のご飯を食べた。
下痢は続いている。
節々の痛みは軽減された。
こんな感じで久々の九州出張は終わった。
とりあえず、デュファイ(Guillaume Dufay 1400頃-74 フランス)の「かくも激しく 身に迫り来るわが痛みは(Les douleurs,dont me sens tel somme)」という4声のロンドー(詞はアントワーヌ・ド・キュイーズ)をご紹介し、出張報告を終わらせていただくことといたしたい。
ロンドン中世アンサンブルの演奏。1980録音。
タワーレコード・ヴィンテージ・コレクションVol.13(原盤はオワゾリール)。
October 2012
さて、初めて訪問した長崎(長崎屋へはしょっちゅう行っているのに、長崎県には来たことがなかったのである)。翌日の土曜日の朝には長崎市をあとにした。
あいにくの雨だったが、思案橋にあるホテルを出て長崎駅まで歩いてみた。
ふだんなら必ず折りたたみの傘をかばんに忍ばせている私であるが、よりによって今回は持ってこなかった。
ちぇっ!
だいたい世の中こういう展開になる。
ホテルのロビーにあるビニール傘の自販機で、しょうがないから購入。だからビニール傘を。500円の緊急出費だ。
ユニクロならもう少し足せば折りたたみ傘が買えるのに……。ビジネスホテルの近くにコンビニがあるのが珍しくない昨今、ユニクロもできないものだろうか?
足元も袖もびちゃびちゃになりながら駅に着く。
切符を買おうと壁の上の方にある料金表を見ていると、年配の駅員が寄ってきて「どこまでいかれるんですか?」と聞いてきた。
いったいどの程度まで頭の調子がおかしくなるのですか?という意味ではないようだ。
どこまで列車で移動したいかと尋ねているらしい。
それにしても案内板を見ているだけですばやく寄ってくるなんて、よっぽど私が幼いか大年寄りに見えたかのどちらかだろう。はじめてのおつかいor人生最後のおつかい……
でも、その駅員さんはどう見ても私より10歳以上は先輩だと見受けられた。
「サセボです」
「〇〇円ですね。ここに、ほれ、書いてあります」
だから、わかってますって!
「ここにお金を入れてください」
ですから、切符の買い方は承知していますって!
でも、親切な人そうなので聞いてみた。
「電車は発車の何分前くらいに入線しますか?」
「そうですね、だいたい10分前くらいかな」
くらい?……そういうのってきちんと決まってるんじゃないの?折り返し運行の列車のはずだもの。
「混みますか?」
「そうでもないですよ。3番ホームですから」
字面ではへんな日本語だが、そんなに混んでないですよ。そして、発車番線は3番ホームですということを、いっぺんに言われたわけだ。3番ホーム出発だから混まないという意味ではない。
「ありがとうございます」。私はきちんとお礼を述べて、彼のもとから去った。
発車時刻まではまだ40分ある。
駅に隣接するビルに行ってみた。タワレコの看板が目に入ったからだ。
タワレコはそのビルの4階にあったが、2階の通路にあるレストランのショーケースに長崎名物という“トルコライス”のサンプルがあった。
一見して私の好物ばかり。唯一違うのはケチャップごはん。私はケチャップごはんで大いにむねやけした経験があり、それ以降は敬遠気味だ。
でも、“トルコライス”を食べてみたい気持ちにはなった。が、まだ11時前。時間が早すぎるのでパス。
タワレコは予想通りスカ。クラシックのスペースがとても小さい。
早々に店を出たら、隣にゲームコーナーがあった。
UFOキャッチャーで時間つぶしをしようと思ったが、ふだんは全然キャッチできないくせに、えてしてこういうときに限って大物が獲れたりするものだ。出張中だから、さすがに巨大なプーさんを背負って歩くわけにはいかないだろう。ゲームに興じることを断念する。
まだ20分前だったが再び改札口のところまで行くと、なんとまあもう列車が入ってきている。
駅員さんは私に誤情報を2つ伝えたわけだ。1つは入線時刻。もう1つは電車じゃなくてディーゼルカーだということだ。
活気のない車内でじっと待つこと20分。
列車が動き出すと、予想以上にディーゼル・エンジンの音がうるさくて、ウォークマンで音楽を聴くことはあきらめざるを得なかった。
“シーサイドライナー”って名前の快速だから景色でも楽しもうと心にもないことを思ったが、トンネルばかりで海なんてほとんど見えない。やっぱり心にもないことは思わない方がいいという教訓だ。
車内の中吊り広告に、博多座でジェイン・エアの舞台公演のものがあった。
松たか子と榎本さとしという名と、写真が載っている。
ブロンテの「ジェイン・エア」は前に光文社古典新訳文庫のものを読んだことがある。
ロチェスターなる男は決して容姿は良くないというイメージを持っていたが、榎本さとしという人の写真はかっこよくて、どうもなぁ、ジェイン・エア役の松たか子はともかくとして……と、ヒマだから余計なことを考えてしまう。
以降の話は割愛し、夕方。
車で福岡に向かったのだが、高速道路はきわめて順調。
が、福岡市内のインターで下りると、そこから1km先のホテルまで渋滞で1時間もかかってしまった。
土曜日の夕方なんだから、みんな車で出かけてこないで家でゆっくりしてりゃいいようなものを……と自己都合に合わせた立腹をする。
その後活イカと辛子明太子を食べて、この日は終わった。
イッポリトフ=イヴァノフ(Mikhail Mikhailovich Ippolitov-Ivanov 1859-1935 ロシア)の「トルコ行進曲(Turkish March)」Op.55と「トルコの断章(Turkish Fragments)」Op.62。作曲年はワタシ的には不明。
「トルコ行進曲」といえばベートーヴェンやモーツァルト(トルコ風ロンド)が超有名だが、ロシアにもあるのだ。
また「トルコの断章」は「キャラバン/休憩/夜/祭り」の4曲からなる。
イッポリトフ=イヴァノフといえば組曲「コーカサスの風景」第1番Op.10のみが有名でほかの作品が演奏されることはまずない。
今回は“トルコライス”を記念してこの曲を取り上げたが、ふだん聴かれないのもしょうがないかなって作品である。
とはいえ、トルコ好きの方々にはぜひ一度聴いてみることをお勧めしたい、という定型句をもってご紹介に当たっての挨拶に代えさせていただく。
CDはファイゲン指揮ウクライナ国立交響楽団の演奏によるナクソス盤が出ている。
1995録音。
このディスクには「コーカサスの風景」第1組曲のほか、これまたまず耳にすることのできない第2組曲も収められている。
今日は午後から1泊の出張である。
今夜泊まるのは旅館であり、ネット環境はないものと予想される。
明日の昼までには戻る。
ブログのアップはそれ以降になるだろうが、心配なさらないでほしい。
ブルックナーは交響曲第9番を完成させぬままこの世を去った。
マーラーの交響曲は第10番が未完となった。
ベートーヴェンやドヴォルザークが残した最後の交響曲は第9番である。
そういったジンクスを避けるため(?)、ショスタコーヴィチは軽薄短小的な第9交響曲を書いた。
モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の場合はしかし、14歳にして第10番を書き上げている。
今で言えば中学生なのにすごい!
モーツァルトの初期交響曲集。
ウォード指揮ノーザン室内管弦楽団の演奏。1993録音。ナクソス。
収められている作品は次の5曲。
第6番ヘ長調K.43(1767)
第7番ニ長調K.45(1768)
第8番ニ長調K.48(1768)
第9番ハ長調K.73(1769-70)
第10番ト長調K.74(1770)
第7番は歌劇「偽ののろま娘(La finta semplice)」K.51(46a)(1768)の序曲として改作された作品だが、12歳くらいで第7番としての交響曲を書いているのも驚きだが(もちろん交響曲という形式が確立される前の小さなものではあるが)、この歳で「偽ののろま娘」なんて名の台本を題材にオペラを書いているのもすごい。親はどんな教育をしていたんだろう?
また、第10番は歌劇「ポントの王ミトリダーデ(Mitridate,re di Ponto)」K.87(74a)(1770)の序曲として作曲されたと考えられている。
どの作品も健康的でみずみずしい。
恐るべきこの天才少年の輝かしき栄光がそのまま音楽になったかのようだ。
後に落ちぶれた最期を遂げるなんて、このとき誰が予想できただろう?
クラスメートの謎の死の原因を明らかにすべく中学生が学校内裁判を行なうが、現実離れしている感がなくはないものの、こちらもすごい中学生たちである。
ところで、昨日福岡から帰ってきたが、福岡空港に向かうあたりから体が異常にダルオモになり、家にやっと着いたときには体温が37.7度あった。
つまり、モーツァルトの初期交響曲と違って不健康な私になってしまった。
幸い、今朝は平熱に戻っているが、そのような事情で当初予定の“九州出張記”は明日以降に、このエピソードも盛り込んでアップしたい。
羽田から長崎へのANA共同運航便のソラシドエア(昨日の記事の話の続きです)。
ソラシドエアに乗るのは2回目だったが、どーもソラシドっていう名前に航空会社らしさを感じられない。
まっ、個人的なわがままな感想にすぎないけど。
機内の飲み物サービスでスープを頼んだ。
完全にANAで供されるようなビーフコンソメかと思って口に含むと、魚くさい。
なんと、トビウオのスープだった。だし汁みたい。
そういえば、家でそばのつゆを作ろうと思ってだしパックを水に入れて温めたら、得体の知れぬだし汁になったことがあった。
だしパックと間違って、麦茶のパックを煮出してしまったのだった。
はい。悪いのは私です。
あぁ、夏の思ひ出。
もう冬になったので、麦茶パックもなくなったからこのような過ちをしなくてすむ。
ああ、よかった!
ところで、おととい宿泊した長崎市内のホテル。
部屋の中には空気清浄機が備えられていた。
自動モードにしておく。
タバコを吸うと、賢いことに本当に自動で動き出す。いや、部屋の中を動き回るんじゃなくて作動するという意味だ。それは納得していただけますよね?
ところが、夜ベッドに寝て、天使のような顔で眠りにつこうとしたら、こいつがまたグォ~ンと動きだすではないか。
なんかすごくいや。
だって私がいることによって部屋の空気が汚れましたって訴えられているようだから。
やれやれ……
ところで、前にソラシドエアについて書いたときに、記事の中で取り上げたのはマーラーの交響曲第4番だった(クレンペラー盤)。
今日は同じ第4番でも、南の地・九州のイメージとは結びつかないグラズノフのものを。
グラズノフ(Aleksandr Glazunov 1865-1936 ロシア)の交響曲第4番変ホ長調Op.48(1893)。3楽章から成る作品である。
この曲はグラズノフにとって第1番から第3番までとは違い、作曲者自身が「個性的で、自由で、主観的な自己の印象」を表現していると述べている。
どういうことかというと、それまでの彼の民謡に基づく国民楽派的な交響曲ではないということらしい。
しかし、曲の最初に現れ全曲を支配する哀愁を帯びたメロディーはチャイコフスキーの「白鳥の湖」に出てくるメロディーに似ており(組曲には入っていないメロディーだが)、もしかすると共通するロシア民謡が素材になっているのではないかと思っている。
また第2楽章の軽快で親しみやすい音楽は、いかにもロシアっぽい。この第2楽章はベックリンが描いた「ディアーナの狩」という絵を表現しようとしたものだという。どんな絵か、私は知らないけど……
いずれにしろ、もっと聴かれるべき作品であると私は思う。
演奏はセレブリエール指揮スコティッシュ・ナショナル管弦楽団の優雅で甘美だが力強い演奏を。
ワーナー・クラシックス。2007録音。
そんでもって、今回の旅行記、いや出張復命については明日以降にもう少しこってりと書かせていただきたいと思っている。
早く読みたいだろうが、待て!
昨日のブログ記事に「九州に行く」と書いた。
そして、それはクール・ファイブとは関係ないとも書いた。
律儀な方-もちろんあなたのことだ-は、クール・ファイブについての過去記事に飛んで、どんな話だったかなと確かめてくれたはずだ。
しかし、そこには「♪ こぉ~べぇぇぇ~」という歌のことしか書いてなくて、何が九州なんだか途方にくれたかもしれない。
私の説明不足とあなたの発想力不足がもたらした悲劇といえるだろう。
つまりだ。クール・ファイブのヒット曲には「長崎は今日も雨だった」っていうのがあるでしょ?私はそこに結び付けたかっただけだ。
いや、すまない。
私の言葉足らず、舌足らず、小遣い足らず、である。
そのバチが当たったのか、今日の長崎は雨になるらしい。
ということで、昨日長崎空港に降り立った。
長崎県を訪れるのは、私にとって初めて。
長崎市内のホテルに泊まったが、なんというかごちゃごちゃとしていて、細い道が入り組んでいてわかりにくい。
夕食は思案橋にある居酒屋に行ったが、思案して行動したのに道に迷ってしまった。
そういえばその昔、“思案橋ブルース”だかっていうヒット曲があったような気がする。
さて、子どものころ、指先がささくれているのを忘れきってミカンの皮を剥いたりなんかして、意表を突くしみるような痛い思いをしたことが何度もある。
最近は自分でミカンを剥いて食べることはなくなったが-ご親切にも皮を剥いてくれる誰かがいるというわけではなく、ミカンを食べる習慣がなくなった-、昨夜ひさびさにグギュッっと来た。
ハイボールにレモンを絞ったときだ。
ところでなぜささくれ(ささむけ)になるのだろう?
どうやら指先の脂分が少ないとそうなるようだが、手を洗いすぎているということなんだろ うか?
あるいは親不孝だからだろうか?
そんなことはどうでもいいか……
そうそう、私が言いたかったのは“しみる”ということであった。
ペンデレツキ(Krzysztof Penderecki 1933- ポーランド)の「古い形式による3つの小品(3 Pieces in Old Style)」(1963)はしみるぅ~。特に第1曲の涙がにじみ出てきそうになる美しさは格別だ。
現在ナクソスからペンデレツキの作品のCDがシリーズ化されて出ているが、その“帯”にはこの曲について次のように書かれている。
1963年に書かれた「古い形式による3つの小品」は、もともと映画のために構想された作品で、明らかに後期ロマン派風のバロック作品のバスティーシュです。当時の若い作曲家は前衛的なスタイルを持ちながらも、このような作品を書くことで自らの音楽技法を認めさせたのです。
なんでいきなり牢獄が?、と思ったら、バスティーユじゃなくてバスティーシュなのね。バスティーシュっていうのは“作風の模倣”のことだそう。
後段の日本語はわかりにくいが、まぁ、とにかくどこにも「尖ったところがない音楽」だ。
美しく、また親しみやすい。
ヒジョーにお薦めな1曲である。
ヴィト指揮ワルシャワ・フィルハーモニー室内管弦楽団の演奏。
2008年録音。
今日はこれから九州に出張に出る。
先日クール・ファイブの話をしたが、それとは150%関係ない。
北海道はもうコートを着て歩いている人がけっこういるほど寒くなり(私はまだ着ないで頑張っている)、もう秋なんかじゃなくて冬だ。札幌は昨日、初氷を観測した。
もう冬間近と判断したからこそ、もう車のタイヤもスタッドレスに換えたんだけど、まだ夏タイヤで走っている車を見ると(おそらく半数くらい)、なぜか悔しい気持ちになってしまう。
九州に向かうに当たって、「北海道讃歌」を。
伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)が1961年に作曲した作品である(このCDもそうだが、「北海道賛歌」と表記している文献もある)。
作詞は森みつ(1922-67)。当時は日高の新冠に住んでいた主婦だが、1941年に処女作「雪の哀願」を発表して以降、詩を書き続けた。
夫が戦死し戦後は活動を中断していたらしいが、再婚して新冠に住んでいた時に讃歌の公募を知り応募した。
応募の理由は、山登りが好きな夫に副賞のラジオをプレゼントしたかったからだという。
先日リリースされたCD「ラウダ」の最後にこの曲も収められている(石丸基司編)。
メゾソプラノは金子美香。ピアノは川上敦子。
金子の歌唱はすごい。
言葉は悪いが、非常にどすが効いていて、この曲にぴったりとはまっている。
その曲自体だが、威厳があり雄大さを備え、まさに北海道の大地、自然を彷彿とさせるもの。
ただし曲調は明るいとは言えず、一般的に想像する“讃歌”とは異なるもの。それが、この曲が次第に歌われなくなった原因だろう。北海道生まれ北海道育ちの私も今回初めて知った。
が、聴けば聴くほどクセになる(曲にも詞にも金子の歌唱にも)。
詞も曲も、厳しい自然と闘いながらもこの大地を愛するという強い思いがひしひしと伝わってくる。
♪ 「雪は深く 生けるもの すべてを包み……」
でも、私はこれから暑いであろう九州に行って来る。
帰って来て風邪ひかないようにしなきゃ。
そうそう音更町の図書館の中に、伊福部昭の記念室みたいのがあるそうだ。
これは行ってみなければならない!
録音は2012。ゼール音楽事務所。
うれしいご報告をしよう。
日曜日に体重計を買った。
いや、そりゃあなたにはうれしくもなんともないことだろうが、いろいろ考えた結果、私がダイエット作戦を遂行する上においては、体重計はぜひとも備えておくべきマシンであるという結論に達した。そして、こういうものを買うと、出費面ではうれしくないが、この先の成功が保証されたかのようでうれしい。減量には根性も必要だが、道具も重要だ。
とはいえ、体重計もお安くなった。ダイエットをうたい文句にしているサプリメント1か月分とあまり変わらない値段で買える。ケーズデンキで在庫があと1つだったオムロンの機種を手にし、そのあと店内をうろうろしながら近頃の家電製品を見て回った。手に持ちながらそうしたのは、うろうろしている間に誰かに買われてしまっては困るからであることは言うまでもない。
今後気をつけなければならないのは-そしてたいていそうなるのだが-うれしさがすぐ冷めて、本来の目的である減量まで投げやりになってしまうことである。
この体重計は体脂肪と内臓脂肪も計測してくれる。
どういうからくりなのかわからないが、きっとラブテスターのようなもんなんだろう。つまり微電流で測ると思われる。だから計測時には生まれたままの姿にならなければならない。足だけだが。
さっそく試してみる。
最初に行なったのは箱から出すことだった。
次に行なったのは電池を入れることだった。単4電池4本。あまり重要なことではないが6Vってことである。
さて、私の年齢と身長と性別を入力する。多くの場合に必ず要求される氏名や電話番号、パスワードは入力する必要がないからわずらわしくない。反面、心無い人が我が家に忍び込みこの体重計をいじると、私の年齢や身長、さらには性別といった個人情報を難なく見ることができるということに一抹の不安を感じる。
情報を登録して靴下を脱いでのってみる。
知らない人が見たら、これから足湯につかると勘違いされるかもしれない。
体重は〇〇.〇kgであった。やはり私としてはあと5~6kgは落としたい。
そうすれば若かりし頃のベストと思われる体重に戻る。
そして内臓脂肪量……。おや、数値とともに“標準”の位置で液晶が点滅した。こいつ、なかなかかわいいやつだ。
さらに体脂肪。“やや高い”という位置で点滅。こいつ、なかなかお世辞が下手なやつだ。
お世辞が下手というか、人を喜ばせておきながら最後は気に障ることをしたのがショスタコーヴィチ(Dmirty Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)だ。
第2次世界大戦の勝利という時代背景のなかで作曲された彼の交響曲第9番変ホ長調Op.70(1945)。ショスタコ自身がこの曲について「祖国の勝利と国民の偉大さを讃える合唱交響曲を制作している」と事前アナウンスした。
となると、これはすっごく壮大な作品になると想像しない方が無理だ。
“第9番”というナンバー、そして合唱が入る。おまけに讃えちゃうのだ。
偉大なるベートーヴェンの「第9」に挑戦する大交響曲が発表されるに違いないと周囲が信じるのも無理はないし、実際ショスタコがそう思うように煽ったのだ。
この曲については今から4年前に詳しく書いたが、ご存知の通り発表されたタコキューは軽いタッチのコンパクトな作品。
高級車でお迎えに上がりますと言われて待っていたら、軽自動車がやって来た感じだ。
この肩すかし交響曲。
ショスタコの狙いは明確にはわからないが、重厚さも壮大さも意図的に回避されていることは間違いない。
そして、ケーゲルがライプツィヒ放送交響楽団を振った演奏では、「ったく、やってらんねぇよ」というかったるさが備わっていて、単にスターリンをはじめ当局を揶揄しているだけではない。この曲を書いたときのショスタコの精神状態を映し出しているかのようだ。
もっとも、この演奏こそがこの曲の真髄を表わしている、とは言わないけど……
好き嫌いが分かれるであろう、クセとアクのある演奏である。
1978録音。WEITBLICK。
このボックスの他の演奏同様、終演時の聴衆の冷めた拍手も聞きもの。
「ったく、やってらんねぇよ」って気分にならないように気をつけなきゃ。
先週の土曜日、20日付けの北海道新聞夕刊のトップ記事は“村上春樹ファン美深へ 「羊をめぐる冒険」の舞台?”というものだった。
トップ記事がこういうものであるということは、少なくともこの日の昼過ぎまでは北海道もニッポン国も大きなトラブルや事件に遭遇しなかったということを証明している。
この記事の内容は、地元で羊650頭を飼育しながら民宿「ファームイン・トント」を経営する柳生さん(65)が「羊をめぐる冒険」の舞台となっているのは美深町の仁宇布であると発信し続けたのおかげで、村上文学の聖地としてこの地を訪れる人が増えてきている、というもの。
村上春樹自体は小説の舞台が美深(びふか)の仁宇布(にうぷ)であると述べたことはないが、条件的にはここである可能性が極めて高い。というよりも、ほぼ間違いないだろう。そのことは、私も一応控え目に書いたことがある。
そんなわけで“羊飼い”。
「羊飼いのオッサン」という音楽作品はないが「羊飼いの少年」という曲はある。前に取り上げたことがあるグリーグの「抒情組曲」の第1曲である。
あるいは、メンデルスゾーンの「無言歌」には「羊飼いの訴え」という曲があるし、ヴィヴァルディの作と言われてはいるが実はシェドヴィルの作曲によるらしい「忠実な羊飼い」という曲もある。
が、今日は村上春樹ファンの“聖地巡礼”ということで、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91)の「グルックの『メッカの巡礼』の『おろかな民が思うには』による10の変奏曲(10 Variationen uber "Unser dummer Pobel meint" aus der Oper "Die Pilgrimme von Mecca" von Gluck)」ト長調K.455(1784)にしておく。
ぜひとも誤解しないでほしいが、私が仁宇布を訪れる人々が“おろかな民”だと思っているなんてことはこれっぽっちもない。たまたま“巡礼”という言葉から取り上げたまでだ。
モーツァルトは他の音楽家が書いた作品のメロディーを用いて、このようなピアノのための変奏曲をいくつか残している。
そしてまた、このK.455の変奏曲は、チャイコフスキーの組曲第4番「モーツァルティアーナ」の第4曲「主題と変奏」に用いられている作品である。
グルックの曲をモーツァルトが変奏曲にし、モーツァルトを敬愛したチャイコフスキーがさらにそれを題材にしたわけだ。
ではオールトの“ピアノフォルテ”演奏によるCDを。
2002録音。ブリリアント・クラシックス。
大学受験の浪人生活に入ってほどなく。
5月のある晩のNHK-FMの“FMクラシックアワー”
番組のテーマが何だったか忘れたが、その日はハープシコード(チェンバロ)奏者の小林道夫が解説を務めていた。
番組の中で私は1曲だけエアチェックした。どういう判断基準でそうしたのか、今となってはまったく思い出せない。
その作品はカール・ハインリッヒ・グラウンのハープシコード協奏曲ハ短調というもの。哀愁に満ちたその音楽は、当時の私の気分に「ぴったりぃ~っ!」って喜んでいる場合ではないのだが、とても印象的で、カセットテープを処分してから久しいいまでもそのメロディーが頭に残っている。
ところで、“クラシック音楽作品名辞典”(三省堂)を見ると、カール・ハインリッヒ・グラウンの項には「チェンバロ協奏曲」というのは載っていない。もちろん彼のすべての作品が載っているわけではない。しかし気にかかるのは、ヨハン・ゴットリーブ・グラウンの項に「チェンバロ協奏曲ハ短調」というのがあることである。あの時の作曲者紹介は間違っていたのだろうか?
実はこの2人のグラウンは兄弟。英語で言うならグラウン・ブラザーズってことになる。
カール・ハインリッヒ・グラウン(Carl Heinrich Graun 1704-59 ドイツ)は宮廷のテノール歌手だった人で、1735年にフリードリヒ皇太子(のちに大王となる)の宮廷で楽長を務め、歌劇や多くの器楽作品を書いた。宗教作品も20曲以上残している。
カールの兄がヨハン・ゴットリーブ・グラウン(Johann Gottlieb Graun 1702/03-71)で、弟よりも早く、1732年にフリードリヒ皇太子に仕えた。初期の古典派の様式のシンフォニアや協奏曲を多数残している。
グラウン兄弟は名声を得たが、2人が同じところで活躍していたこともあり、どちらが書いた作品かわからないものも少なくないという。
したがって、あのとき小林道夫が紹介したのが正しいのか間違いなのか、今のところ私にはわからない。
そのグラウンの協奏作品を集めたCDを。
収録曲は以下の5曲。
1. J.G.グラウン/弦楽と通奏低音のための交響曲
2. J.G.グラウン/ヴァイオリンとヴィオラ、弦楽と通奏低音のための協奏曲
3. ファゴットと弦楽と通奏低音のための協奏曲
4. リコーダー、ヴァイオリン、弦楽と通奏低音のための協奏曲
5. フルート、2台のヴァイオリンと通奏低音のための協奏曲
3.~5.の作品は兄と弟のどちらか、あるいはグラウン兄弟以外の作かもしれないというもの。ただ、私がいまだ再会できていない「ハープシコード協奏曲ハ短調」とは、いずれの協奏曲も雰囲気がやや異なる気がする。
演奏はカペラ・アカデミカ・フランクフルト。
2007録音。CPO。
時代的にはC.P.E.バッハと重なり、またともにフリードリヒ大王に仕えていたことになる(C.P.E.バッハは1740年にフリードリヒ大王の宮廷音楽家兼チェンバロ奏者となった)。
このCDを聴く限りでは、音楽も両者には似たものがあり、刺激性と情緒に富んだものだ。
昨日の日曜日。
18時過ぎに観るとはなしにテレビをつけていた。チャンネルはテレ朝だったが、味の素(いまはAjinomotoと書くのが正しいのだろうか?)提供の料理番組をやっていた。で、番組の終わりで流れた味の素グループの企業コマーシャルで、私の耳に引っかかった曲があった。
アレンジのせいですぐにはわからなかったが、ユーマンス(ユーマンズ)の「2人でお茶を(Tea for Two)」だった。前に書いたように、この曲は「ノー・ノー・ナネット」というミュージカルのなかの1曲である。
この「2人でお茶を」を管弦楽編曲したのがショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)で、曲名は「タヒチ・トロット(Tahiti Trot)」Op.16である。1928年の作品だから、ショスタコーヴィチが22歳ころのときである。
ヴォルコフの「ショスタコーヴィチの証言」(中央公論社)には次のような“証言”がある。
もっと小さなくだらぬ作品を再現することにもわたしは成功した。ある指揮者の家に客に招かれたときのことである。そのとき、わたしは20歳を少し過ぎたところだった。レコードがかかっていた。その当時、流行していたフォックストロットのレコードだった。わたしはフォックストロットが気に入ったが、ただ、その演奏は気に入らなかった。
わたしはその家の主人に自分の考えを述べた。すると不意に、彼はわたしにこう言った。「ああ、この演奏がきみには気に入らないのか?いいだろう。もしもお望みなら、いますぐこの曲を思い出して楽譜に書きなさい。それを管弦楽に編曲しなさい。わたしがきみの編曲で演奏しよう。もちろん、きみならそれができるだろう。簡単ではないかもしれないが、一定の時間内にやってもらおう。きみに1時間をあげよう。本当にきみが天才なら、一時間でできるはずだ」。
わたしは45分間で仕上げた。(108p)
はて?
ここでは「2人でお茶を」という曲名は出てきていないし、「タヒチ・トロット」という語句もない。あるのは「フォックストロット(foxtrot)」である。
じゃあこのときショスタコが45分で仕上げたのは「タヒチ・トロットではなかったのか?……
フォックストロットというのは1910年代中ごろから流行ったアメリカの社交ダンスである。
で、ショスタコーヴィチには「フォクストロット」という曲もあるのである。
それは「ジャズ・バンドのための組曲(ジャズ組曲。Jazz suite)第1番」のなかにある。この組曲の第3曲が「フォックストロット」なのだ。
ただ「ジャズ組曲第1番」の作曲年は1934年。ということは先の“証言”にある「わたしは20歳を少し過ぎたところだった」と合致しない。
ふつうなら「わたしは30歳のちょっと前だった」と言うのが自然だろう。
ということは、どこでフォックスがタヒチに変わったのかは知らないが、ショスタコが編曲したこの「フォックストロット」が「タヒチ・トロット」ということなのだろう。そう書いてある資料もあることだし……
今日は1枚で「タヒチ・トロット」も「フォックストロット」も聴けちゃうCDをご紹介。
ヤンソンス指揮フィラデルフィア管弦楽団の演奏。1996録音。EMI。
味の素のCMを観たあと、チャンネルをuhb(フジテレビ系)に替えた。
サザエさんが始まった。観たかったわけではないが、何となくそうしてしまった。
「サザエでございまぁ~す」と、おなじみの声。
そして、ツッ、ツ・ツツツンというイントロのあと歌が始まる。
♪おさかなくわえたどら猫、追いかけて、
はだしで駆けてく、陽気なサザエさん
私は今回初めて思った。
「陽気な」じゃなくて「病気な」が適切なんじゃないだろうかって……
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