毎年この時期、行なうことがある。
“レコード芸術”の1月号を買うのだ。
いや、ほかにもサンタさんに手紙を書くとか、いろいろすることはあるのだが、そこはほれ、言葉のあやってやつだ。
昔は義理堅く毎月買っていたのだが、いまは1月号の付録の“レコード・イヤー・ブック”だけは欲しいということで、年に1回の購入となっている。
たまたまこの1月号では札幌交響楽団が取り上げられていた。
“日本のオーケストラを聴く”という連載が始まっており、その第8回目として偶然にも私が手にしたこの号が札響の番だった。
札響ファンとしてはなかなか嬉しいことを書いてくれている。
ちょいと持ち上げすぎって感じもするが、おそらくほかのオケも同じようなタッチで書かれているのだろう(わざわざ取り上げられてけなされた日ににゃやりきれんもんね)。
付録CDには、札響の演奏によるベートーヴェンの交響曲第3番の第4楽章(尾高指揮)と、ドヴォルザークの「スケルツォ・カプリッチョーソ」(エリシュカ指揮)が収められている。
ベートーヴェンの方は2011年10月の定期のライヴ。
2011年は札響創立50周年に当たる年で、尾高忠明の指揮でベートーヴェンの交響曲全曲が取り上げられた。その演奏はCDになっているが、この付録CDに収められているのは販売されている交響曲全集では未使用のものだという。
また、ドヴォルザークの方は2012年4月の定期のライヴ。誌面では、あるいはCDスリーヴでの表示は“2011年4月”となっているが、2012年の誤りである。
私はいずれのコンサートにも行っていないし、ベートーヴェンの全集も購入していない。
すなわち、いずれの演奏も初めて聴いた。
札響の音源提供ということだが、さすがに音響面での調整が行われていないので、聴こえてくる音はやや雑である。が、鑑賞には十分耐えうるもの。
ひいき目で言うわけじゃないが、いずれも見事な演奏である。
はつらつとした第3番、味わい深いドヴォルザーク。
札響の力をあらためて認識させられた。
この誌面では、札響を知るためのお薦めCDとして、尾高指揮によるベートーヴェンの交響曲全集、エリシュカ指揮によるドヴォ5とヤナーチェクの「シンフォニエッタ」、そしてやはり尾高指揮の武満他の日本人作品集の3点が紹介されている。
さて、昨日は雨の中雪かきをし、そのあとカレーを作った私だが、言葉づかいも変えて言っておくことがある。
「今年も1年間、みなさんにはたいへんお世話になったことを心から感謝いたします。支えて下さってありがとうございます」ってことだ。
私にとっての今年は、まず大きな出来事として転勤したことがあげられる。
もう1つ大きなことが起こった。ブログを書くページに突如ログインできなくなったのである。
この原因は料金未納ということだったが、どう考えても私には非が無いように思えてならない。過去記事が消滅しなかったのが不幸中の幸いだった。
そんなこんなな1年だったが、来年も(とはいえ、明日からすぐにスタートしちゃうわけだが)よろしくお願い申し上げ、本年の締めくくりといたしたい。
ではみなさん、良いお年をお迎えください。
どーか、私にへんなお迎えが来ないように!
おっと、今日は今年最後の“燃やせるゴミ”の収集日だ。
危ねぇ、忘れるところだった。
December 2012
「♪ 花嫁はぁ~ 夜汽車に乗って 嫁いでゆくのぉ~」という歌が昔あったが、昨日王子は朝列車に乗って帰省したわけだ。
私が王子と自分で呼んでいるのは、ほかでもなく隠しようのない高貴さからだが、一部の心無い人は王子製紙の関係者だと誤解しているようだ。そちらの方面の、王子にも大王にも、私はまったく関係していない。
そんな私を認めてくれているのか、こんなメールが届いた。
『150Pt』無料譲渡の申請が王子様宛に御座いましたのでご連絡をさせて頂きます。
王子様とのご連絡を希望されており、Ikuko(私の貰って下さい)様は既にお手続きを完了されております。
Ikuko(私の貰って下さい)様へ初返信時に『150Pt』が無料で自動加算される形となります。
受取り方法詳細に関しましては、下記よりご確認下さいませ。
『受取期限⇒24時迄』
まったく、王子にこんなメールを送って来るなんて、分をわきまえてないとしか言いようがない。
そんな話はともかくとして、昨日の列車の話である。
私は狂喜のスカスカ踊りを乱舞したくなるほど、列車はすいていた。
ご覧のように、私が発車20分前に乗り込んだときには、1番のりだったのだが、このあとも私を入れて8人の乗客しかいなかった。
列車の編成が通常の倍近くってこともあるにせよ、それにしても空きすぎぃ~。次の列車は新聞の指定席情報では満席になっているので、そのギャップは大きすぎる。
こんなに空いてて大丈夫かと多少JR北海道のことが心配になったが、札幌からの折り返し運転の際にはびっしりと埋まるのかもしれない。
席に座っていると、頭の左ほほ当たりに何か撫でられるような不快な感触があった。小さな虫が這うような感じである。
なんだろう?
顔に何かついているのだろうか?
エチケットのために常に小銭入れに入れている小さな鏡を出して顔を見てみるが、異常はない。
でも、シートの背もたれに身を任せると、やはり何かが触れる。
よぉく調べると、シートの生地の中から1本の長い髪の毛が出ていて、それが私の肌に触れていることがわかった。
掃除で取りきれなかったのだろう。
どう考えても女性の髪だが、こういうのってイヤだなぁ。
7号車の8人の乗客のうち、5人は南千歳駅で降りた。
みんな飛行機に乗ってどこかに出かけるのだろう。いや、もしかしたらレラに買い物に来た可能性もゼロとは言えないが。
でも、いいな。
ガラガラの列車って。
そんなこんなで30日である。
お飾りは今日飾った方がいい。そんな30日である。だって明日だと一夜飾りってことになってあまりよろしくないんでしょ?
さてと、モーツァルト(Walfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の交響曲第30番ニ長調K.202(186b)(1774)。だって30日だから30にしたわけ……
4楽章から成り、編成は弦楽の他に2オーボエ、2ホルンと2トランペット。
この作品は、モーツァルトが1777年から'78年にかけて行なったパリへの旅行の前の、最後の交響曲である。そして、この曲はその前のイタリア旅行で得たものを折り込んでいるため、“イタリア的”に仕上がっている。
明るく健康的なモーツァルトの特徴はもちろんのこと、トランペットが加わっていることによって非常に華々しい。
充実した第29番と第31番(このすばらしい交響曲について、私はまだ記事でとりあげていない)の間に挟まれて、そうそう耳にする機会がない作品だが、決して駄作ではない。
私が持っているのはリンデン指揮アムステルダム・モーツァルト・アカデミーによる演奏。
2001録音。ブリリアント・クラシックス。
さて、台所の換気扇の掃除をしなきゃ。
油汚れが頑固なのよね……
これから自宅へ帰る。
正月の帰省である。
朝一番の特急に乗って帰る。32D列車である。
なぜそんなに早い時間のJRに乗るのかって?
この1本あとの列車は指定席が満席なのだ。
いや、私が指定券を手配したときにはそれもまだ空きがあった。
だから理由にならない。
いちばんの理由は、早朝列車なら空いているだろう、ということだ。
ビチビチに混んだ乗り物は、なんとなく嫌だ。
列車が何かのトラブルで立ち往生したときだって、満員なら炊き出しのおにぎりの血で血を洗う争奪戦が起こる可能性が高まる。
もし、トンネル火災が起きたとしたら、満員なら逃げ遅れる可能性がある。
そんなわけで朝一番で帰ることにしたのだ。
これで、実際に乗ったらこの列車も満員だったらしゃれにならないな。
私のこの旅がどのようになったかは明日報告するとして、先日急にブラームス(Johannes Brahms 1833-97 ドイツ)の交響曲第1番(ハ短調Op.68(1876))を聴きたくなった。それもウォークマンじゃなくて部屋のオーディオで。
選んだのは、最初に聴いたときに「なんとすばらしい演奏だろう!」と身も心も震わされたベーム指揮ウィーン・フィルによるCDをかけてみた。
が、あれ?
あんなに重厚でどっしりした見事な演奏だと思ったのに、今聴くとかつてのようにビビンとこない。久々に聴いたが、その長い間にあまりにも頭の中で美化しすぎたのか?いやぁ、最初はオーディオの調子がおかしいのかと思っちゃった。
が、そのあとに入っている「ハイドンの主題による変奏曲」の方は、過去の印象と同じくすばらしい演奏で、響きも豊か。ってことは、オーディオのせいではない。
このブラ1の録音、1976年度のレコード・アカデミー賞を受賞したほどのもの。
で、誤解してほしくないが、私もこの演奏はかなりのものだと思う。
つまり、上に書いたように、記憶が想定以上に美化されていたということ。
もひとつ、やはり録音が古くなったってこと(2年後に録音のハイドン・ヴァリエーションはそうでもないけど)。
そういえばベームの人気って、死後、大方の予想に反して急速に落ちたような気がする。
この演奏に聴かれるような成熟した安定感が今の時代に合わないのか?
1975録音。グラモフォン。
ところで木曜日の未明は、妙な騒音でよく眠れなかった。
たぶん除雪関係の音だとは思うのだが、ただのブルの音ではない。
起き上がってみたものの、マンションの窓からは直下の様子がわからなかったが、大騒ぎとなっていなかったところをみると、異星人の襲来とかじゃなかったことは間違いない。やっぱ、除雪なんだろう。
私はその直前、戦車に追われる夢を見ていた。
毛むくじゃらの動物が戦車を操って、私たち人間を絶滅させようとしているのだ。
そこで目が覚めたが、この夢の原因は除雪の騒音であることに、そして数日前に読み終えた貴志祐介の「新世界より」であることに間違いない。
「新世界より」はその内容が表面効果狙い的なところもあるが、それでもどんどん読み進んでしまうものだ。読後感は決してよくないし、ボリュームがあるわりに最後の終り方に物足りなさも感じる。しかし、強烈な印象を残す。私としては、お薦めしたい小説の1つ。
で、外が明るくなって、朝刊を取りに行ったついでに、外に出て道路を見てみた。
除雪とか排雪をした痕跡はまったくなかった。
なんだったんだろう。あの執拗に続いていた音は……
金曜日である。
そして今日は仕事納めの日である。
とはいえ、私は特に瞳を輝かせてこの日を迎えたわけではない。
いつもと同じだ。
寒いのも同じだ。
TVでは「木に氷がはりついてます」って大騒ぎしていたが、ほれ、ウチの庭の木だってこんな風になるんだよ(これはクリスマス前に帰ったときに撮ったもの)。でも私は大騒ぎなんかしない。珍しくもないことに大騒ぎしたら、気がふれたと思われるから。
そんなごくふつうに始まった今日。
メールボックスを開けると、“ひとみ”からメールが届いていた。
【タイトル】ひとみ えどうして?なんで?なんであんたがここに登録してるの?
いきなりな言い方である。
そして本文は、
スタイルは自分で言うのも変ですけど悪くないって思うんです
でも私…身長が174?aあって↓
これがコンプレックスで男の人に対して前向きになれないのが悩みです(汗)
唐突ですけど…
背の高い女の子でもお付き合いしてくれる人ですか?
ダメかな・・・あぁーエッチしたいょ(笑)
↓友達に勧められて登録してみたけど全然メール来ない・・・
http://i76m****************
タイトルと本文が合っているような合ってないような、である。
ひとみはアホとみた。
この深夜のメールの1時間後には、清水美紗からメールが届いている。
【タイトル】清水美沙 写メつきで返信してくれたら100%返信するよ
スタイルは自分で言うのも変ですけど悪くないって思うんです
でも私…身長が174?aあって↓
これがコンプレックスで男の人に対して前向きになれないのが悩みです(汗)
唐突ですけど…
背の高い女の子でもお付き合いしてくれる人ですか?
ダメかな・・・あぁーエッチしたいょ(笑)
↓友達に勧められて登録してみたけど全然メール来ない・・・
http://j3h9****************
あれ?どっかで読んだことあるような……
なんちゅことでしょう!ひとみも美沙もおんなじ身長なんだ。
すっごい偶然。カンドー!
って、この文章、前にも同じのが来てたじゃん。
やれやれ。
URLが毎回違うところは誉めてやろうか?
美沙にちなんで、今日はミサ。
ブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)のミサ曲第3番ヘ短調WAB.28(1867-68,第2稿'76,第3稿'81/改訂1896)。
今日もまたチェリビダッケの“亀さんよ”的演奏。
これもまたとっても遅い演奏だ。
ミサ曲第3番は「テ・デウム」とならびブルックナーが残した宗教作品のなかの最高傑作とされているもの。「キリエ」「グローリア」「クレド」「サンクトゥス」「ベネディクトゥス」「アニュス・デイ」の6曲から成る。
ブルックナーの信仰心をそのまま音楽に凝縮してという点では「テ・デウム」と一緒だが、私には「テ・デウム」ほど魅力を感じない。
それほど魅力を感じない作品を、ここまでゆったり演奏されたら、「いやっ、もうじらさないで~」という気持ちを禁じ得ない。その気持ちはやがてイライラへと変化しそうになる。
すいません。
傑作、そしてこの曲の名演と言われているのに……
もう、アタシったらせっかちなんだからぁ~。
あぁー、Hしてほしいょ(笑) ← Hは“速く”です。
チェリビダッケの指揮について行っているのは、ミュンヘン・フィルと同合唱団、プライス(S)、ゾッフェル(A)、ストラーカ(T)、ヘーレ(Bs)。
この遅さによく持ちこたえてます。
1990年ライヴ。EMI。
クリスマスは暴雨のように過ぎ去った。
そして花祭りにはまだだいぶあるが、正月はもうすぐそこという今日このごろ、私は魔がさしてズドーンと「バビ・ヤール」を聴いてしまった。
これ、「新世界より」を読んだ影響もあると思う。なんとも明るくない世界……。「新世界より」については、近くあらためて触れるとして、そういうことでズドーンというのは、まあどちらかというと明るくない曲かな?ってことなんだけど、知らない人に断っておくが、“どちらかというと”という心構えで聴くと、あなたは日本語の意味がわからなくなってしまうような、まあそんな曲だ。
でも、「クリスマスと正月に挟まれた神々の日々に、なぜそんな曲をあえて聴くのか」と、あなたは私に聞くのか?
お答えしよう。
この曲が初演されたのは12月18日。続く再演は12月20日。1962年のことだ。
クリスマスを間近に控えたこの日にコンサートに臨んだ人たちは、どんな曲なんだろとやや覚悟をもっていたとは思うが、覚悟したのは正しくて、「いやぁ、この世にサンタさんなんかいないんだ!」って気持ちになったろう。
いや、ですから、今年はすでにクリスマスは終わりましたけど。2日前に。
で、この時期の新聞が薄いように、私の記事も、内容が薄いのは1年中一貫しているとしても、年末だから短めに。
というのも、この期に及んでなぜか連日会議。まるで年末日替わり大感謝祭のようだ。
そして連夜の飲酒を伴うミーティング(適切な日本語として“忘年会”が意味的には近いと告白せざるを得ない)。
その結果、家に帰ったときにはほろ酔いを超えた鈍った感覚、いうなればボロ酔い状態になってしまっていて、ブログの文をなかなか書けないというのが、いまの私が置かれている状況といえる。
ならば朝に書くという手がある。
しかし昨日の朝だって、年末年始の新聞を休むという電話を販売店にし、そのあと1階に新聞を取りに行き、しまった!ついでに燃えないごみを持ってくればよかったと、部屋に戻って再び下に降り、ゴミステーションに行こうとマンションの裏側の出入り口に行ったら外から入れないで困っている人がいたので、中にいる私が戸を開けてやり(どうも開錠ボックスがいかれかけているらしい)、ゴミを捨てて戸口の所へ戻り、なかに入ろうとキーを差し込むとキーが回らず、今度は私が入れない羽目になり、しかたないので正面玄関に回ってやっとマンション内部に戻ることができたという、バカバカしくも凍死の危険もある時間を過ごした。
これほど忙しいわけだ。
にしても寒かった。
ソヴィエトで、寒空のもと配給の列に並ぶのはたいへんだったというのが、想像上ながら実感できた。
さて、ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第13番変ロ短調Op.113(1962)。「バビ・ヤール」の通称を持つ。。
第3楽章では、寒い中で行列に並ぶソヴィエト婦人のことが歌われる。
この曲では、コンドラシンやヤンソンス、インバルといった名演をこれまで取り上げてきたが、今日はコフマン。
はっきり言って、これもいい。
非常にしっとりした演奏で、世の無常をあきらめきった、静かなもの悲しさが伝わってくる。
各楽器の音も美しく響き、特にチェレスタの音が効果的に聴こえてくる。
残念なのは、バスのソロがやや不安定なところか?この不安定さが曲に合っていると考える人もいるような気がするが……
その独唱はシュトンダ。オーケストラはボン・ベートーヴェン管弦楽団。合唱はブルノ・チェコ・フィルハーモニック合唱団。
2005録音。MDG。
今日は取引先への年末のあいさつ回りで、1日お出かけする。
さ、クリスマスも終わったことだし、気持ちを切り替えて今日はお釈迦様にご登場願おう。
釈迦の本名はゴータマ・シッタルダというと、中学の社会の時間に習った。
が、今回Wikipediaで調べてみたら、ゴータマ・シッダッタとかガウタマ・シッダールタと書いてあって、私がとても苦手としていた社会科教諭が偉そうに私たち生徒に言い放っていた名前とはちと違う。
にしても、あの先生はまったくもって変わっていた。
足が短いというか、胴が長いのはともかくとして、いつも不機嫌で、歩きながらブツブツ言っていないことはなく、たぶん性格は意地悪だった。
どういう老後を送っているのだろう?
釈迦というのは釈迦牟尼の略。
釈迦という名はシッダッタ(なんて入力しづらいのだろう)の部族もしくは国の名だという。また、牟尼(むに)は聖者の意味で、これらをポイント加算すると、釈迦牟尼は釈迦国(あるいは釈迦族)の聖者ということになる。
一方、仏陀というのは仏の悟りを開いた人のことである。
釈迦の誕生日は4月8日とされる。この日を花祭りという。
にしても、イエスの誕生日にはニッポンの人たちもこんなに盛り上がって、美味しいものを食べたり、若い雌雄はイチャイチャしたりしているのに(聖夜ならぬ性夜という傑作な当て字をどこかで目にした。あぁ、トゥランガリーラ!)、キリスト教よりも身近な(はずの)仏教の開祖の誕生日は、なぜこれほどまで話題にならないのだろう?
これは寺による宣伝が足りないか、それを商業ベースで利用しようという企業が現れないためと考えざるを得ない。
たとえば、“スジャータ”なる商品を販売している会社が、“花まつりにはコーヒークリーム一気飲み!”キャンペーンを大々的に展開すれば、どんなことになるだろう?(スジャータというのは釈迦に乳粥を与えて命を救った娘の名である)。
クリスマスにケーキがつきものなら、たとえば、花祭りには「切腹最中」だと、新正堂がキャンペーンを打ったらどんなもんだろう?
クリスマスがチキンなら、たとえば、花祭りには豚まんは欠かせないと、蓬莱が豚まんバーレルを期間限定で販売したら、反響はいかがなものだろう?
そんなくだらない妄想はさておき、伊福部昭(Ifukube, Akira 1914-2006 北海道)の交響頌偈(じゅげ)「釈迦(Gotama the Buddha)」(1989)。
しかも、これまたバースディと関係している。伊福部のバースディ・コンサートのライヴなわけだ。
伊福部には釈迦をテーマにした作品が3曲ある。
最初に書かれたのは1953年のバレエ「人間釈迦」だが、これはスコアが失われている。
次に書かれたのが、バレエ「人間釈迦」の素材を用いていると言われる映画「釈迦」(1961)のための音楽である。
そして、3つ目となる交響頌偈「釈迦」はまた、映画「釈迦」の音楽をベースにしている。
浄土宗東京教区青年会、東宝ミュージック、ユーメックスの委嘱で書かれ、1989年4月8日に行なわれた同青年会主催の「釈迦降誕会コンサート」で、小松和彦指揮で初演された。
曲は3つの楽章から成るが、各楽章について、作曲者は次のように述べている。
第1楽章「カピラバスツの悉達多」。
「ヒマラヤ南麓の迦毘羅城で幸福な王子の生活を送っていた釈迦が、生老病死の四苦に覚め、悟りを求めて、深夜、王城を捨てるまでが描かれる」。
第2楽章「ブダガヤの降魔」
「この章では、インドの聖地、ブダガヤで永い年月、苦行と瞑想を続け、幾多の煩悩と闘い、終に、悟りを得るまでが描かれます。男声、女声、混声の順で歌われる言葉は、パーリ語仏典に依るもので、その総てが『煩悩』を示す異名同義語です。13の言葉が用いられますが、女声の箇所は霊肉煩悶を暗示しています」
第3楽章「頌偈」
「長い苦行の末、悟りに達した釈迦を讃える頌歌で、歌われる歌詞は南伝大蔵経、大王統史の一節です。仏法は吾々凡人の思惟を超えたものであると云うような意です」
私はこれまで小松和彦指揮による初演時のライヴ録音CDを聴いてきたが、今回本名徹次(ほんみょう 徹次ではない)指揮、日本フィルハーモニー交響楽団による演奏を聴いてみた。
小松の演奏を聴いている分には、やや表現が平板かなという印象はあったが、でもそれなりに満足していた。そもそも小松和彦という指揮者は表現の深みが乏しいという短所がある(私が思うに)。ただ、「釈迦」の演奏でそれを補っているのは、初演という気負いが良い方向に出ているところだ。
本名の演奏は(しつこいようだが、ほんみょうではない)、強奏時の迫力こそ小松の初演ライヴにやや劣るが、とても音楽的だ。つまり、表情が豊か。音楽が繊細となる場面で、それは特に成功している。
そしてまた、ガンガン力で押してくる演奏ではないのに、伊福部の作品が持つ野性っぽさ、土俗的な香りがプンプンしている。いいんじゃない?
2004年ライヴ。合唱は東京混声合唱団、コールジューン、卆寿祝賀合唱団。
キングレコード。
書き残されている最古の音楽。
それはグレゴリア聖歌(Cantus Gregorianus)である。
教皇グレゴリウス1世(590-604在位)が編纂したとされているローマ・カトリック教会の典礼音楽だが、Wikipediaによると、主に9世紀から10世紀にかけて西欧から中欧のフランク人(ゲルマン人の1支族)の居住地域で発展。フランク王国2番目の王朝であるカロリング朝時代に、ローマとガリアの聖歌を統合したものと考えられているようだ。
もうどれくらい前のことか忘れたが、ヒーリング・ミュージックとしてグレゴリア聖歌の人気が高まったことがある。そして、いまでもそこそこの人気があるようだ。
“癒し”といえば確かにそうではあるが、言葉を変えれば退屈ってことにもなりかねない音楽だ。だからこそ癒しなのか?
で、今日は「教会暦のグレゴリオ聖歌集」というCDを紹介しよう。
というのも、このCDには「クリスマス」の聖歌が5曲収められているからだ。
言っておくけど、今日はクリスマス当日。
昨日のイヴでブレイクしすぎて、もうクリスマスが終わったと思っている人もいるのではないか?
かくいう私もそうだ。どちらかといえば。
そうだ、鏡餅、そろそろ買わなきゃな……
他に「降臨節」、「復活祭」、「キリストの昇天」、「聖霊降臨祭」、「マリアの生涯」のための聖歌も収められており、全30曲を聴くことができる。
いやぁ、でも私には“癒し”というよりは“苦痛”だ。その永遠に続くような刺激のない流れは時にイライラしちゃう。何か悪さをして、罰としてずっと正座させられているような……
あっ、真剣に鑑賞しようとするからいけないのか……
流しときゃ癒しになるんだろう、きっと。
指揮はドップ神父。歌っているのはウィーン・ホーフブルクカペルレ・コーラルスコラ。
発売元はこのCDについて、
美しく心洗われる、修道士たちの日常的に歌うさまの記録
日本では"癒しの音楽"としても高い人気をもつグレゴリオ聖歌。グレゴリオ聖歌はカトリック教会のラテン語典礼文を歌った聖歌ですが、ドップ神父指揮によるウィーン・ホーフブルクカペルレ・コーラルスコラの録音は、1974年のヴァティカン版ミサ聖歌集にもとづいて歌われた注目のグレゴリオ聖歌集。グレゴリオ聖歌のなかでも有名かつ音楽的な聖歌がふんだんに収められており、美しく心洗われるア・カペラ合唱には、しみじみと人の心を打つものがあります。
と消費者に訴えている。
1990-95年の録音。デッカ。
そういえば、かつて“スコラ”っていう青年向け雑誌があったなぁ。
私の場合は、その前の“GORO”世代だったけど。
で、スコラって何かというと、ラテン語の“学校”なわけ。
ヌード雑誌が“学校”ていうのも変な話だが、コーラルスコラだったら学校の合唱団ってことで、うん、何らおかしくない。同じコーラルという単語に“珊瑚(さんご)”っていうのもある。そちらの意味でのコーラル・アイランドとなると、まぁトロピカル!って印象だが、これまた“学校島”だったら、学校だらけの地獄のような島になっちまう。上陸したくないな。観光地にはなりえないな。
ついでに言えば、神父ならいいけど、新婦の名がドップだったらヤだな。なんとなく語感が……
いよいよ本当のクリスマス・イヴである、今日は。←秘技:倒置法。
そして、いま私は自宅に滞在しているが、青空である、今日の当地方は。
クリスマス・イヴのイヴっていうのは、前夜祭っていう意味なんだそうだ。eveningが語源らしい。
うすうす感じてはいたが、知らんかったぁ~。
ていうことは、12月30日はオオミソカ・イヴだし、2月17日はバースディ・イヴってことになる(つまり言うまでもなく私のだ。肝に銘じておくように)。
おや?じゃあ12月31日はガンタン・イヴだな。みんな疑いもなくオオミソカって言ってるけど(そして、それは正しい)。
前にも書いたことがあるはずだが、AV(Audio Visualじゃない方)の初期のころに人気があった女優にイヴちゃんって人がいた。
レンタル・ショップでイヴちゃんのビデオを借りようとしたら、カウンターにいたおばさんが(そこは老夫婦2人でやっている個人店だった)「この人すっごく人気あるんですよ。お兄さんもファンなんですか」と私に話しかけた。
頼むから、こういうときに余計なことを話しかけないで欲しかった。
変に私に気を遣わなくていいから、事務的に処理してほしかった。
それに“お兄さん”はないだろ?
その後、友人が同じビデオの流出版を貸してくれた。
編集前のモザイクがかかっていないやつだ。
それを見て、やるべきことをしていないことが判明した。
信じていたのに……
つまんないの……
さて、リムスキー=コルサコフ(Nikolai Rimsky-Korsakov 1844-1908 ロシア)の組曲「クリスマス・イヴ(Christmas eve)」(1903)。
この曲は前にも取り上げているが、あまり有名ではないものの私にとってはリムスキー=コルサコフの作品中ではかなり好きな曲である。
華やかでワクワクして、ほんのりと温かな気持ちになる。
原曲は彼の歌劇「クリスマス・イヴ」(1895初演)で、それを組曲に編曲したもの。
オペラの台本のもとになっているのはゴーゴリの「ディカーニカ近郊夜話」のなかの同名の話。
同じ話を使ってチャイコフスキーも「チェレヴィチキ」というオペラを残している。
この曲を初めて聴いたのは、FMで放送されたアンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団の演奏によるもの。それをエア・チェックしてずいぶんと聴いたものだ。
その演奏のCDを今年になって手にすることができた(「シェエラザード」や「ロシアの復活祭」でも取り上げたディスク)。
まだとても若い、おそらくは多感なころにずいぶんと聴いただけあって、この演奏を聴くといろんなことが思い出される。それは具体的な光景ではなく、漠然としたあのころの“雰囲気”のよみがえりだ。
他の演奏でこの曲を聴いてもそんなことはないのに、不思議なものである。
1958年の録音(デッカ)だが、あまり古さを感じさせない音。
録音から50年以上経つが、考えてみれば私がこれを最初に聞いたときは録音から20年経っていなかったってことになる。
やれやれ、細胞も老化するわけだ。
でもって、将来、私に年金はあたるのだろうか?
伊福部昭がまだ札幌で暮らしていたころの話(20歳過ぎだ)として、こんなことを語っている。
私が「日本狂詩曲」を書いていた頃だったと記憶していますが、ロシア語で青空という意味のネヴォという喫茶店に「ペレアスとメリザンド」などのモダンなレコードがあったので、よく聴きに行っていました。そこには大宅壮一さんや、作家の小林多喜二さん、俳優の西村晃さんなどが出入りしていたようです。今になってみると、とても不思議な顔ぶれですが(笑)。それからヨーゼフ・シゲティの弾いたプロコフィエフの「バイオリン・コンチェルト第1番」のレコードが、今も残っている千秋庵という店にあるというので、早坂君と三浦淳史君と僕と3人で行ったんです。でも、1楽章の途中で早坂君は青くなって失神しちゃったんですよ。もう、レコードを止めて、頭を冷やすなどして大騒ぎでした。後で「どうした」って聞いたら「いや、ちょっとショックだった」と言って(笑) 相良侑亮編「伊福部昭の宇宙」:音楽之友社
千秋庵というのは、千秋庵製菓のことで、現在でこそ店舗数は減ったが私が子供のころは あちこちに店があった。代表的なお菓子は山親爺というせんべいで、子供心に「こんなおいしいものがあるのか」と思ったものだった。
おいおい、そのころから私がおやじくさかったのではないぞ。バターと牛乳をたっぷり使った甘みのあるせんべいで、せんべいといってもとてもモダーンな味なのだ。
TVコマーシャルの「♪ 出てきた 出てきた 山親爺 笹の葉かついで 鮭しょって……」という歌は、しっかりと脳にこびりついている。あっ、山親爺というのはヒグマのことであることを、ここに明らかにしておこう。
千秋庵といえば、あと、パインの輪切りが上にのっていて、中央のパインの穴のところに缶詰のチェリーが1個鎮座していた円筒型のケーキが好きだった。あの、今ではちょっと貧乏たらしい味が懐かしい。まだ売ってるのだろうか?売ってないだろうな、さすがに。
伊福部が言っている千秋庵というのは、たぶん狸小路3丁目近くの店舗だろう。
この店はまだあるが、最近注意して見ていないのでどうなっているのかわからないが、かつては2階が、ハヤシライスが美味しいとされたレストランだった。
早坂文雄がプロコのコンチェルトで失神してしまったというが、いまは誰も失神しない。私の知る限りでは。
でも、当時は驚くべき“新しい”音楽だったということだろう。
2曲のヴァイオリン協奏曲を書いたプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953 ソヴィエト)のヴァイオリン第1番ニ長調Op.19(1916-17)は彼の初期の傑作。
ベートーヴェンやブラームス、そしてチャイコフスキーのコンチェルト同様、ニ長調という調性だが、曲そのものは毒気のあるもので、また、独奏ヴァイオリンは広い音域を駆け巡り、さまざまな奏法が用いられてもする。
そんな従来のものとは異なるこのコンチェルトは、初演では好意的に迎えられなかったようだ。
曲は3楽章から成り、どの楽章もプロコフィエフらしい刺激を含むが、聴き返しているうちにクセになる中毒性に近いものを備えている。
第2番のときに紹介したモルドコヴィチのソロによる演奏は、第1番でもすばらしい。
けど、初めて失神させられるような怖いものに挑戦するには2,000円近く出す勇気がないって人のために、廉価なナクソス盤を紹介しておこう。
パパヴラミのヴァイオリン、ヴィト指揮ポーランド国立放送交響楽団による演奏。
1996録音。ナクソス。
さて、今週も土曜日である。
景気のよい話もないし、ここらでスパムメールで息抜きをしよう。
先日、次のように順を踏んだメールが届いた。
1.
由香里さんより新着メールです。
優遇ゲスト名義として今から500万円をサイトに入金しますね。...(続く)
2.
由香里さんより新着メールです。
500万円優遇ゲスト名義ということで振込みましたよ。あとは優遇ゲストさんが...(続く)
3.
由香里さんより新着メールです。
どうしたんですか?500万円は優遇ゲストさんが間違ってサイトに入金したものだから…(続く)。
そして、このあとに“入金管理部”ってところからメールが来た。
先ほど【優遇ゲスト】様のご名義でネットバンクより当サイトの高額専用口座へ5,000,000円の送金がございました。
一度に500万円以上の入金があった場合には正しいのか間違いなのかをご確認した上で、間違いであればご本人様に返却する事が出来ます。
これは優遇ゲスト様のご入金でしょうか?
このご入金が優遇ゲスト様からのご入金でしたら勿論、無償で【優遇ゲスト様に返却】も出来ます。
※優遇ゲスト様には一切の負担はございません。
つまりだ。由香里さんが“優遇ゲスト様”(ここでは私のことだ)に事前予告の上で出会い系サイトに500万を振り込んだ。これでポイントを購入せよってことだ。
なのにモタモタしているうちに、“入金管理部”ってところから、あんたの名前で振り込みがあったけど間違いじゃないのかい?ってメールが届いたってわけだ。
間違いも何も、私の知らない世界。
でも、欲を出して「それ、僕のです。間違って振り込んじゃったんです。返して」って連絡したら、たいへんなことになるって寸法だ。みなさん、金の斧、銀の斧、鉄の斧のお話を知ってますでしょ?ウソを言っちゃいけないんです。
にしても、由香里も入金管理部も送信アドレスが同じ。
しっかし、頭隠して尻隠さずだなぁ。
さて次は、“昼間少し時間ありませんか?完全割り切り希望です”というタイトルのメールをよこしたゆみこさん。
真面目そうに見られがちですけどそんな女が・・・
↓こんなエッチな所に登録すると思いますか??
http://h3qu87***********
みんな私の事分かってないよ!!
よかったら会って色々お話しましょ。
会ってみないと分からないこともありますからね。
あぁそうだ目隠しとか好きかもw
「思いますか??」って、知ったこっちゃないよ。
目隠しして福笑いでもしたらいいんじゃない?まだ時期的にちょっと早いけど。
“【お詫び】先程の内容は忘れて下さい”というタイトルのメールの差出人は新井由美さん。
でも、本文が、
いつもお世話になります。
副業研究会の新井です。
今日お伝えする副業は最近様々な雑誌、メディアで取り上げられている投資法についてです。
その投資法は興味深いところが結構あるのでいくつかご紹介しますね。
その前にすぐ確認したいという方は下記から "無料" で試す事ができます。
⇒ http://www.f419as***********
ってわけで、タイトルとなんにも結びつくところがない。
変なの。
こういうやつに投資がどうのこうの言われても、まったく信用できない。
“ストレートに誘います。エチ友になりませんか?”と積極的に誘ってきたのは真里菜さん。
スタイルは自分で言うのも変ですけど悪くないって思うんです
でも私…身長が174□aあって↓
これがコンプレックスで男の人に対して前向きになれないのが悩みです(汗)
唐突ですけど…背の高い女の子でもお付き合いしてくれる人ですか?
174の単位は何なんだ?
haか?
それは面積だな……。
となると、地球上の単位ではないのか?どこの星から送ってきたんだ?
でも、エチ友ってなかなか秀逸な(私にとっては)新語だ。
熟妻さゆり(40)は、“この年で初めての不倫に挑戦します。お相手役として貴方にご依頼したいのですが宜しいですか?”まったく謙虚さのない誘いをしてきたが、私はよろしくないです。
誰かと話がまとまって、明日の日曜日が良きものになればいいですね(と、まったく思ってない)。
にしても、熟妻ってなんかすごい言葉だ。
今日も日曜日も熟カレーでも作り続けてろ!と言いたくなる。
リムスキー=コルサコフ(Nikolai Rimsky-Korsakov 1844-1908 ロシア)の「ロシアの復活祭序曲『輝かしい日曜日』」Op.36(1888)。ふつう序曲「ロシアの復活祭」(Russian Easter festival overture)と呼ばれている作品である。
復活祭というのは十字架の上で殺されたイエス・キリストが3日後に復活したことを祝う祭りのことだ。
すまないね、誕生日の前だっていうのに、復活祭だなんて……
作曲者によると、この曲は「受難土曜日の夕方の陰鬱で神秘的な気分から、復活祭日曜日の朝のとびきり楽しい気分への変化」を描いたという。
モチーフやテーマはロシア正教会の聖歌集「オビホッド」からとられている。
日本の演歌によく聞かれるようなモチーフが出てくるのもおもしろい(うん、あれは吉幾三だな)。
あるいは、のちにイギリスの地でヴォーン・ウィリアムズが書いた「揚げひばり」を思い起こしてしまうような箇所もある。
今日はかつて名盤とされていたアンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団による演奏を。
1959録音と古いが、迫力満点。時代を感じさせる“良い音”だ。この点は、同じアンセルメの「シェエラザード」の演奏もそうだった。
重低音もすごいが、これは当時の録音時の歪みだろう。
そこがすごく懐かしく感じられる。
まぁ、もっとすっきりしたサウンドを楽しみたいなら、ヤルヴィの演奏なんかがお薦めだ。
さて、今日は床屋に行って髪を切って来る。
さっぱり爽やかになってくるわい。
あとは雪かき。
年賀状も買って来なきゃ。
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