このあいだ、3楽章までで未完に終わったブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲第9番のことを書いた。
第4楽章として「テ・デウム(Te Deum)」ハ長調WAB.45(1881-84/改訂1883-'85)を代わりに演奏しても良いと、ブルックナー自身が言ったらしいということも書いた。
以上の2点、よろしいか?
ならば、今日はその「テ・デウム」。
“テ・デウム”というのは“われら汝を主と賛美し奉る”という意味。
ローマ・カトリック教会の聖務日課の朝課の最後に歌われる。その歌詞の最初、“Te deum laudamus te dominum confitemur”から、この名がある。
これまで演奏会用作品として「テ・デウム」を書いた作曲家は少なからずいるが、このブルックナーの曲はそのなかでも最高に位置するほどの傑作。ブルックナーの神への深い信仰がそのまま音楽に結晶化したかのようだ。
そして、チェリビダッケが指揮した演奏が、これまたすごい。
名演と簡単に言ってはいけないほど、感動的な、心を揺さぶる演奏だ。
相変わらずテンポは遅いがまったく弛緩しない。むしろじっくりとこの神の音楽に浸り味わうことができる。
ライヴだが録音もとても良い。
オーケストラはミュンヘン・フィル。ソリストはプライス(S)、ボルヒャーズ(A)、アーンシェ(T)、ヘルム(Bs)。
1982録音。
December 2012
私の人生の中でもっとも充実したクリスマスを迎えたのは、たぶん小学校低学年のある年だった思う。
充実したと言っておきながら正確に覚えていなくてまことに遺憾である。
なぜ充実していたかというと、いつもの年なら親からしか、いやサンタさんからしかプレゼントがもらえないのに、この年に限ってなぜか母親の友人(私から言わせれば近所のおばさん)からもプレゼントをもらったのだ。このとき私の母と近所との交友関係が良好化していたのだろう。
それは宇宙船アポロのプラモだった。
子どものころはよくプラモデルを作った私だが、同梱されている接着剤で足りた試しがない。
たしかアポロのときは、接着剤を使いきったあと、家にあったボンドで製作を続けたが、ボンドのウンコ色があちこちではみ出して、まったくさえないアポロ号に仕上がったと記憶している。
そんなわけでブリテン(Benjamin Britten 1913-76 イギリス)の「若きアポロ(Young Apollo)」Op.16(1939)。もちろん、このアポロは宇宙船のことではない。ローマ神話の太陽神・アポロの若いときってことだ。
編成はピアノと弦楽四重奏に弦楽合奏という、珍しい組み合わせ。
作品にまつわる情報を私は持ち合わせていないが、なんでもこの曲、ブリテンは生前には出版を許さなかったという。
7分ほどのこの小品、なかなか良い曲だと思うんだけど、なんで作曲者は出版を拒んだのかな?
ケント・ナガノ指揮ハレ管弦楽団他の演奏で。
1998録音。apex(原盤エラート)。
ところで、ロングセラーの明治アポロチョコ。
子どものころ、私は底部のミルクチョコと上部のストロベリーチョコの境目に下の前歯を合わせ、キュッとして、見事に分離して食べていた。
おかしいですか?
確かに貧乏たらしいけど。
世の中にはアポロが月に着陸したのは作り話だと信じてやまない人もいるらしい。
私はそうは思えないけど……
月曜日に温泉のあるホテルに泊まったという報告をしたが、火曜日の朝、どうも目に見えるものすべてがやや歪んで見えた。
やれやれ、まだお酒がのこっているのかしら?と思ったものの、どうも違う。
メガネを調べると、微妙以上に歪んでいた。
枕元に置いて寝たのだが、寝ている最中に私は眼鏡になんらかのちょっかいを出してしまったらしい。
社に戻ったあと、途中抜け出してメガネ屋に。
けっこう狂っていた。いや、だからフレームが。メガネの。
やはり無造作に畳の上に置いて寝てはいけないということを、あらためて知った。
しかし、バカだねぇ、アタシも。
2日続けてクリスマスに関連した記事を書いたが、おかげさまをもって皆さんもクリスマス気分が盛り上がってきたのではないかとお慶び申し上げます。
その盛り上がりに水を差して心苦しいが、今日はチャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-93 ロシア)の「悲愴(Pathetique)」。
つまり交響曲第6番ロ短調Op.74(1893)である。
といっても、そんなに不安がる必要はない。どうせ不安がっていないだろうし。
あまり悲愴感漂わないフェドセーエフ指揮モスクワ放送交響楽団による演奏。
先日取り上げたフェドセーエフによる「シェエラザード」がLPでリリースされた前後に「悲愴」もリリースされ、私もそのLPを買ったが(当然、針が飛ぶというわくわくするような注意書き付きだった)、今回は1991年の録音。
そしてこの録音の最大の売りは“自筆譜による世界初録音”ってこと。
どういうことかというと、現在出版されている楽譜では、終楽章は“アダージョ・ラメントー ソ”となっているが、実はそれはチャイコフスキーの死後の追悼演奏会で「悲愴」を振ったナプラーヴニクが行なったもので、本来は“アンダンテ・ラメントーソ”だというのだ(ほかにも細かな訂正(改ざん?)箇所がある。くわしくはこちら)。
ナプラーヴニクが楽譜に書き込んだものがそのまま出版されて今日に至っているわけで(掲載した楽譜は全音楽譜出版社のスコア)、終楽章はチャイコフスキーの自筆からして“アンダンテ・ラメントーソ”で演奏するのが正しいというわけだ。
ちなみにアダージョは“遅く”、アンダンテは“歩むようなテンポで”である。なんか、すっきりしない違いだけど。また、ラメントーソは“悲しげに 嘆くように”である。私の毎日のようだ。
さて、“アンダンテ”によるこのフェドセーエフの終楽章だが、ボーっとして聴いていると何の違和感もない。はっきり言って明らかに違うっていうふうには感じない。「言われてみれば」って感じである。
終楽章に限らず、フェドセーエフの演奏は全曲を通じてパワフルではあるが感情的にはあっさり。あまり感傷的にならない。去年までの人間ドックの結果はオール・グッドだったが、今年は1つ要経過観察がついちゃった、っていう軽い悲愴感だ。
ただ、だからといってつまらないわけでも、可もなく不可もなく、ではない。
繊細で美しい。そしてスケールが大きい。聴きながら悲しみを共有したい人には向かないだろうけど。
録音も優秀で、「シェエラザード」のときのような不満はまったくない。広く左右に広がり、分離も良い。
「シェエラザード」から10年。技術の進歩とも言えるだろうが、どちらかといえば「シェエラザード」の録り方が悪かったような気がする。
月曜日の夕方、近郊のホテルで泊まり込みでの会議があった。
最上階に眺めが一望できるという温泉浴場があり、朝5時からやっているというので-お酒を飲んだ夜は危険なのでやめた-珍しく行ってみる気がおき、生まれたままの姿で足を踏み入れた。
外は真っ暗だった。
そりゃそうだ。日の出まではまだ1時間以上あるわけで、そのことをすっかり失念していた。
そして、温泉では湯あたりしてしまう私は、カラスの行水以上の短時間であがったのであった。
ちなみに“カラスの行水”の反対の意味の言葉は“腰抜け風呂”なんだとさ。
私なら腰が抜ける前にひどく気持ちが悪くなるのは必至である。
この時期、ニワトリや七面鳥にとっては悪夢のようなものだと書いたが、クリスマスが楽しくないのはサンタの格好をさせられたプレゼント配送のバイトの兄ちゃんたちも同じだろう。
でも、人々のクリスマスを楽しくさせてあげているのだ。
がんばれ!
そしてまた、私は昨夜悪夢を見た。
どこか見たことのある風景の街を歩いている。
で、気がつくと、私は下半身がパジャマ姿なのだ。
これはまずいと急ぎ足で家に戻ろうとするが、進む道という道がすべて袋小路で建物にぶち当たってしまう。しかし、そのうちの1つがひどくボロいビルで、しかも通り抜けられそうだ。
そこに恐る恐る入ってみると、なんということでしょう、そこは大勢の人たちでにぎわうイオン・ショッピングセンターの店内なのである。
やれやれ、まいったね……
でも、誰も私を見たり、指をさしたりしない。
わけわかんね……
そこで目が覚めた。
ニールセン(Carl August Nielsen 1865-1931 デンマーク)の「『楽しいクリスマス』の夢(The Dream of 'Silent Night')」 FS.34(1905)。
ちょっと見では気づかないが、タイトルをよく見ると、現実の“楽しいクリスマス”ではなく、それの夢ってことだ。ま、どうでもいいけど……
この曲は、みなさんご存知の聖歌「清しこの夜(Stille Nacht,heilige Nacht)」のメロディーによる透明な響きの美しいピアノ小品。2分ちょっとの曲だ。
なお、「清しこの夜」はオーストリアのグルーバー(Franz Xaver Gruber 1787-1863)が1818年に作曲したもの。グルーバーはオーストリアの田舎町の教会のオルガニストだった人物で、「清しこの夜」1曲で世界的に有名である。
エランドのピアノ演奏で。
1992-93録音。membran。
日曜日にプリンタでスキャンをしようとしたら、動かない。
無線LANでパソコンとプリンタをつなげているのだが、何回やっても“認識できるプリンタが見つかりません”という非情なメッセージが表示されるだけだ。
もちろんプリンタの電源を入れ直したり、PCを再起動したりしたがダメ。
なにもいじっていないのに、なぜ突然こんなことになるのか?
前回使ったときと違うのは、プリンタの横に小さな電波時計を置いただけだ。
パジャマ姿で外を歩きまわった罰か?いや、あれは望みもしなかった夢だ。
結局、USBケーブルでPCとプリンタを接続したあと、あらためてCD-ROMを入れてインストールし直して使えるようになったが、原因がわからないまま。
こういうのって、なんかスッキリしない。
そしてまた、余計な時間を食ってしまった。
さて、おそらく今週は1年の中で最もニワトリが絞められる週だろう。
いや、もっと早くに肉と化し保管されているか……
いずれにしろ、1年の中で最もニワトリが消費されるだろう。
いや、24日も25日も来週か……
細かいこと言うな!←セルフ切れキャラ
高校生の頃、私が住んでいた家の近くに西友西野店っていうのがあって、クリスマスの時期にローストした七面鳥が売っていた。
本来クリスマスといえばニワトリではなく七面鳥なはずで、最初に見かけたときに私は迷わず買ってみた。
まだあどけなさが残るかわいい男子高校生が、クリスマスの雰囲気に満ちあふれたスーパーの店頭で、七面鳥の丸焼きを手にしている姿を想像してみてごらんなさい。あなたは愛おしく感じずにはいられないだろう。
私はローストチキンが大好物で、自己歩行できるようになってからというもの、親に連れられてデパートに行くと、まずは地下でローストチキンを買ってもらい、それにかぶりつきながら親の買い物について歩いたものだ。
考えてみればあんなものを持って売り場をうろついているなんて、店としては危険幼児以外のなにものでもなかったろうし、そもそも非常識である。
私が出来心で、そのレッグを衣料品なんかにベッとつけたりしたら大変なことだ。
親の教育がなってなかったと言わざるを得ない。
しかし、今や多数の脚がゆっくりと回りながら焼かれているロースターと、たこ焼き屋がデパ地下からほとんど無くなってしまったことは非常に残念である。
そんな私が、思春期を迎え、どれだけ七面鳥を食べてみたいという欲望を持っていたか、あなたなら理解してくれるだろう。
初の七面鳥は、しかし、「うげっまずい」というものだった。
ニワトリと違ってくどくてクセがある。
私は七面鳥の丸焼きを購入するという、高校生らしからぬ欲望を抱き我慢できなかったことを大いに悔やんだ。
♪ さぁたいへんだ シチメンチョウが 逃げていく……
そんなフォークダンスの歌(藁の中の七面鳥)が頭をよぎったわい。
それにしてもニワトリや七面鳥たちは、「私たちに救い主はいないの?コケーコッコ!」と嘆いていることだろう。七面鳥がコケコッコと鳴くとも思えないが……
そこでヘンデル(Georg Friedrich Handel 1685-1759 ドイツ→イギリス)のオラトリオ「メサイア(Messiah)」HWV.56(1742初演)。台本は聖書をもとにジェネンズが書いた。
言うまでもなくメサイアというのはメシア(救世主)のことで、救世主であるイエスの生涯が歌い上げられる。「第九」には及ばないが、この時期演奏会で取り上げられる機会が増える作品である。
今日はクレオバリー指揮ブランデンブルク・コンソート、ケンブリッジ・キングズ・カレッジ合唱団による演奏を。独唱は、ドーソン(S)、サマーズ(A)、エインズリー(T)、マイルズ(Bs)。
スカッとする現代的な演奏。清潔感があり、表情もとても豊か。
1993録音。デッカ。
発売元による、この録音のセールス・トークは次のとおり。
これぞ、本場ブリティッシュの正式なメサイア!
1752年の上演にもとづくドナルド・バロウズ校訂版を使用した録音です。この1年後に同メンバーによるライヴ録音は別レーベルより発売されていましたが、Deccaでのスタジオ盤は久々の復活です。本拠地であるキングズ・カレッジの教会は、1441年にヘンリー6世により建設され、ケンブリッジに建ち並ぶカレッジ群の中でもっとも美しい建物です。その教会の荘厳なる残響とともに、名曲メサイアをお聴きください。
なるほど。
それにしても、このチェケットの絵、絶妙である。布の位置が。
いえ、失礼しました。
日曜日を1週間の最終日という条件のもとで話をさせてもらうと、“今週”の昼食は結果的に麺類が連続した。
数日にわたって続けてメンを食ったわけで、もし剣道の試合でこれだけのメンを食らったら、私は失神しちゃっただろう。
§
「お風呂をたく」月曜日。
私を含め3人で外勤。
途中、昼はそば屋で。
私は“天かしわそば”を頼んだが、続くあとの2人は“天丼”を頼んだ。
チッ!こんなことなら私も“親子丼”を頼むんだった。そば屋に寄るということはみんなそばを食べたいんだなと思い込んだ私の考えが浅かった。
でも“天かしわそば”は美味しかった。それが傷ついた私の心に大いなる救いとなり、体も温まった。かしわそばに大きなエビ天が乗っかっているわけで、エビの下半身は丼からはみ出している。ちょいと箸使いをミスし、その下半身の尾に近い部分の衣がテーブルに散乱してしまった。粗相してすいませんでした。
なお、夜はスパゲッティを食べた。
§
「お風呂に入る」火曜日。
昼めがけて良く知っているお客さんが来た。
オオサワ課長が気を利かせ、「お昼でも」と誘ったところ、その人は「いいねぇ、ソバなんか」と、かなり強引に自分が食べたいものを主張した。
だからそば屋に行った。昨日のそば屋は西の方。今回は東を目指した。
オオサワ課長が行くことを決めた店は、でも行ってみると“火曜定休”だった。
お客さんは「アタチの知ってる店がある」と、その近くの店に行きたいという態度を露骨にして、私たちはそこへと誘導された。口ぶりから、そのそば屋をよく使っているらしかった。セット物が充実しているという。
行ってみると充実しているといってもセットものは3種類しかなく、その中で私は、前日の復讐のために天丼セットにした。小天丼にソバがついているものだ。
天丼はそこそこ美味しかったが、そばはごくふつうのものだった。
食べ終わって店を出るとき、そのお客さんは「また、来るからね!」と、親しげに店の人に声をかけた。
オオサワ課長が「よく行くんですか?」と尋ねると、「うん、年に2、3回」とその客人は答えた。
2、3回?
下手すれば、通りがかりの客よりも少ない頻度だ。
そして、午後になって私は胸焼けに襲われた。
§
「あなたと会う」水曜日。
セルフのうどん屋に行こうという話になった。
で、かけうどんにとり天とちくわ天、そしていなりずしを1個、私はセレクトした。
私の後ろでオオサワ課長が、「昨日みたく、セット物はあとでこたえますよ」とアドバイスしてくれたが、私は「これはセット物ではない。オプションだ」と意思を曲げなかった。安い店のはずなのに、そんなわけで会計は560円に達してしまった。
午後になって、口の中で一瞬ゴマの味がした。どこかにはさまっていたゴマ粒を噛んでしまったらしい。
なお、夜は宴席があり、メインは鍋料理だった。鍋の仕上げで投入されたラーメンを、私は数本食べた。
§
「あなたを送った」木曜日。
前日の宴席は飲み放題だったが、粗悪なウイスキーだったのか目覚めは爽快でなかった。タバコも美味しく感じない。いつもと体調が違うのは、ふだんめったに飲むことのない甘さたっぷりの缶コーヒーを欲したことでも明らかだ。
こういう日の昼食は汁ものに限る。つまりそばとかラーメンとかだ。
しかし、3日間メン類が続いている。世の中には昼はそばに決めているという人も少なくないので、それでもいいのだが、でも私は変化をつけたかった。
ということで、中華料理店に行く。
本日の日替わり定食は“野菜炒めと肉団子”だ。550円。
すっごく食指を動かされたわけではないが、まあいいだろう。やっとご飯が食べられる(こと昼食に限ってのことだが)。
そして、私は紳士的に注文の一声を発した。
「広東麺!」
なんてことだろう!私の思考、願望、決意とは裏腹に、口から発せられてしまっていた言葉は「カントンメン」だったわけだ。しかも定食より高いし……
ヌメヌメのあんかけがかかっている広東麺。それで私は食べてる途中で舌をやけどした。ちなみにウズラの卵は2個だった。
§
「糸巻きをさぼった」金曜日
ここまで来ると、平日最後となるこの日もメン類で貫くか、あるいは新天地を求めるが如く意地悪くメン類を回避するか、私は大いに迷った。午前中の仕事が手につかなかったほどだ。
で、運命のチャイムが鳴った。12時だ。
私は密かに意を決していた。ビル内の食堂の“本日の日替わり”がとろろそば+五目チラシだったから。もう味がどうとかではなく、行かなきゃと思ったのだ。
ところがオオサワ課長が、生チラにしましょうと自己主張してきた。
いたしかたない。
生チラかぁ。うふふ……
こうしてランチ・生ちらしを食べに行ったのだった。
記録は4日でストップした。
さて、このように書いていると、私は会社に行きながら常に昼ごはんの心配をしているように思われるかもしれないが、実際そうなのだ。
♪
チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-93 ロシア)の 幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ(Francesca da Rimini)」Op.32(1876)。
「なんで『フランチェスカ・ダ・リミニ』なんだ?」と思ったあなたはノーマル。
よくご覧になって。
“ランチ”って文字列が含まれているでしょ?
「なぁ~んだ。くだらない」と思ったあなたは正統的ノーマル。こんな発想をした私自身、ちょいと恥らっている、なう。
ダンテの「神曲」のなかの詩による、導入部と3つの部分から成る作品。
もととなっている詩の筋は、「ボレンタ家の姫である美しいフランチェスカは、宿敵のマラテスタ家と和解するために父の命令でマラテスタ家の長男ジョヴァンニと結婚することになる。しかしジョヴァンニは醜く、フランチェスカは美青年の弟パオロと恋に落ちる。ある夜、2人が密会しているところをジョヴァンニに見つけられ、2人は殺され地獄に落ちる」というもので、音楽もそれに沿った形で進んでいく。
ということで、私の昼食事情とは直接関係ない選挙区、いや選曲ですまなかった。
レナルト指揮チェコスロヴァキア放送交響楽団の演奏を紹介しておく。
1988録音。
テイチクのオーヴァーシーズ・レーベル。原盤はたぶんナクソス。
貴志祐介の「新世界より」(講談社文庫)の上巻を読み終わり、中巻に入った。
上巻のあと、中巻より先に下巻を読むような行為に走らないところなんか、私が極めて常識的な人間であることの一端を表わしていると言えるだろう。
そしていま、主人公たちが思春期を迎えたところを読んでいる。話はエロくなってきている。
彼ら彼女らが、「家路」の作曲者である“ドボルザーク”という奇妙な名前の大昔の作曲家の名前を知っていても、青少年の教育のための曲を書いたブリテンのことは知るまい。
いや、観葉植物のベンジャミンのことも知らないかもしれない。
ブリテン(Benjamin Britten 1913-1976 イギリス)の「青少年のための管弦楽入門 - パーセルの主題による変奏曲とフーガ(The young person's guide to the orchestra - Variations and fugue on a theme of Henry Purcell)」Op.34(1946)。
この作品については前に書いているので細かいことは書かないが、オーケストラの楽器を知るための音楽として、プロコフィエフの「ピーターと狼」とともによく知られている。 が、ナレーションなしで聴くと、1つの音楽作品としても傑作であることが感じ取れる(感じ方には個人差があります)。
そんなわけで、今日もナレーションなしの録音を紹介しておこう。
ペシェク指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団による演奏。
音楽教育用の音楽にとどまらないということを主張する、渋めの演奏だ。
1989録音。EMI。
話は変わるが“美代子 自殺”という文字をネットで見たときには驚いた。
てっきり浅田美代子かと勘違いしてしまった。
浅田美代子ってホントかわいかったよなぁ。歌は悲惨だったけど。
いや、今もあの年齢では驚きのかわいさだけど。
すいません、勘違いしてしまって。
自殺したのは2秒も写真を見続けられないような、怖い顔したおばさんでした。
だけど、自殺させるなよなぁ……
明日は投票日か……
今日は「最後のお願いにまいりました」って、うるさいんだろうな。
当選してもそういう低姿勢を維持してもらいたいものだが……
もうずいぶんと前になるが、ある行政機関を通じてわが社で海外研修生を1名受け入れてほしいという依頼があった。
そのときに受入担当窓口となったのが、当時私が所属していた課だった。そしてまた、スウェーデンの視察研修生のときと同様、運悪くというかなんというか、私が担当となってしまった。
その海外研修生は、総勢でアジア圏各国の男女15名ほど。
わが社に研修受け入れの要請があったのは、フィリピンの男性が1名。
そのあとに顔写真が真っ黒につぶれてしまった履歴書的な内容のファクシミリが送られてきたが、綴りは忘れたが、その研修生の名前はカギミンさんといった。いや、本人が来る前にはそれをなんと読むのかわれわれは大いに悩んだ。カグイミンとかカギュイミンとかカギミュンとか考えられる読みを列挙してみたが、結局本人が来てわかったのはカギミンが最も近いということだった。
彼が話せるのはタガログ語だけ。
正直、私はこのとき初めてタガログ語という言語があることを知った。
で、彼は日本語をほとんど話せなかった。
せめて英語でも話せたらと思ったが、ふと我の胸に手を当ててみると、私も英語が話せないことを思い出した。
彼が来た初日に一緒に昼食を食べに行ったが、はて、なにを選択していいかわからない。
中華料理なら無難だろうと思って、エスタの四川飯店に連れて行ったが、麻婆豆腐を食べながらやや涙目になっていた。辛い物が苦手だったのかもしれない。スプーンで食べられるから良いかと、私なりに配慮したつもりだったのだが……
日本語が話せないというのは想像はついたが、それでも少しは話せるだろうと楽観していた。でも、ほんとに見事に話せなかった。よく日本に来たもんだと、その勇気に感銘を受けたほどだ。
それでも、わが社に来る前に、カギミンさんはほかの研修生たちと一緒に、行政機関による日本語の勉強をしてきたという。
確かに、「勉強したので基本的な日本語は大丈夫です」と、その行政機関の人は私に事前に言っていた。結局それは真っ赤なウソだった。
彼が私のところに来てリュックから取り出したのは“はじめてのにほんご”という、発達の速い幼稚園年長さんが挑戦するのにちょうど良い内容のテキストだった。
当然のことながら、私たちはコミュニケーション・ギャップに苦しんだ。
視察研修と銘打って他の施設に預けてお茶を濁そうと思ったが、どこに行っても言葉が通じないのは変わりない。
そんなことをしているうちに(といっても数日しか経っていない)、カギミンさんには奥さんと子供がいて、早く帰りたいと言い出す始末(どうして彼の気持ち、主張が私に理解できたのか思い出せない)。
ホームシックを慰めるためにフィリピンバナナを買ってあげようと思ったが、バカにしてると誤解され私が行政処分を受けては割に合わないので、それは思いとどまった。
もし逆の立場で、私がフィリピンで無口なまま孤独に研修をしているときに、善意で「ゲンキダセ、コイツ!ハイ、コレニッポンノリョウリダロ?タベナ!」とイカソーメンを差し入れられても、きっと私は食べないに違いないし。ナマモノはちょっとね……そういう問題じゃないか。
正直なところ、彼はほとんど何も研修できずに終わったと思う。
お互い相当しんどかった。
そもそもまったく言葉が通じないので無理があったのだ。せめて英語が話せるなら、こちらも英語が話せる人を用意したのだが、どう探してもタガログ語ができる人は社内はもちろん、探し得る範囲ではいなかった。
ごめんね。カギミンさん。
でも、私のせいじゃないよ。
あの研修制度そのものに無理があったと私は思っている。
伊福部昭(Ifukube ,Akira 1914-2006 北海道)の「フィリッピン國民に贈る管絃楽序曲(Overture to the Nation of Philippines)」(1944)(これは初演時のタイトル。本CDでの表記は「フィリピンに贈る祝典序曲」)。
大戦中に陸軍省から委嘱されて書かれた作品で、3管編成のオーケストラにピアノが2台加わる。
初演後に楽譜はフィリピン政府に渡され、その後行方不明になったが、10年ほど前に写譜が日本国内で発見され蘇演された。
1944年の初演時のプログラムに伊福部は、「第1部では律動的情緒を、第2部では旋律的情緒を強調し、再び第1部を提示した後結尾に依って上昇的効果(祝意)を意図致した。フィリピンのどちらかと云えば、展開様式のものより、浪漫風音楽的嗜好を反映させようとした」と書いている。
委嘱されたといっても当時の状況では断ることができない命令であった。当時の日本は大東亜共栄圏構想のもと東南アジア各国の独立運動を支持。1943年10月にはフィリピン共和国が生まれた。この序曲はこのような政治的背景のもとで書かされたわけだ。
次から次へと、なじみ深い伊福部メロディーが登場する。
その後書かれる映画音楽や純粋音楽(といっても、映画音楽と共通する素材の物も多い)のメロディーが、予告編のように次から次へと出てくるのだ。
軍に依頼され無理やり書いた作品でも、伊福部のスタンスは同じ。そんな13分ほどながらも大規模な管弦楽曲である。
CDは本名徹次指揮日本フィルハーモニー交響楽団のものが出ている。
2004年5月に行なわれた“伊福部昭 卆寿を祝うバースデイ・コンサート”のライヴ録音。
キングレコード。
ファンタジーの日本語の意味は“幻想”である。
ほかに“空想”“白日夢”“気まぐれ”という意味もある。
音楽なら“幻想曲”だ。
しかし、ファンタジーという言葉を耳にして、まっさきに“ファンタジー・ドーム”を思い出す人もいるに違いない。ファンタ・オレンジには劣るだろうが、特にそれがあった地方都市では可能性は高い。
“ファンタジー・ドーム”というのは、長崎屋系列の屋内遊園地である。
その昔。
男の子と“ファンタジー・ドーム”でデートしている夢をみた女の子が、夢からさめ、むくっと起き上がって「行かなきゃ!」と言う。
そんなテレビコマーシャルがずいぶんと流れていた。
行かなきゃと思っても、すでにいまはなき“ファンタジー・ドーム”。
でも、CMの女の子と同世代の少年少女にとっては、思い出深いのではないだろうか(かなりローカルチックだけど)。
私が今住んでいる街には長崎屋がある。
なかなか巨大な建物だが、なぜならば、ここにも“ファンタジー・ドーム”があったからだ。
いまでは単なる広大なゲーセンと化しているが、かつてはここにジェットコースターなんかがあったのだ。お猿の電車ならともかく、屋内でジェットコースターである。
察するに、相当うるさかっただろう。
そして、いまだに屋上にはその看板が撤去されずに残っている。
錆が涙のようだ。 そんな暗い気分を吹き飛ばし、心地よい爽快さを味わうために、今日はブルッフ(Max Bruch 1838-1920 ドイツ)の「スコットランド幻想曲(Schottische Fantasie)」変ホ長調Op.46(1880)。
スコットランドの白日夢でも、スコットランドの気まぐれでもなく、幻想曲である。
この曲はスコットランド民謡のメロディーを自由に用いたもので、独奏ヴァイオリンとオーケストラのための曲だが、ハープも独奏的に活躍する。
初演時に独奏を務めたのはサラサーテである。
ブルッフは「スコットランド音楽博物館」というスコットランドの歌集から曲選び、このファンタジーに用いたのだった。使われている曲は「年老いたロブ・モリス」、「粉まみれの粉屋」、「ジョニーがいなくてがっかり」、「はやし言葉」、「ウォレスとともに血を流したスコットランドの民よ」などである(そうだ)。
私はこの曲を聴くと、いつでも根拠のない強烈な郷愁のようなものに襲われる。
それはすがすがしくて、何かが懐かしくて、そして心に優しい。
もしかすると先祖にスコットランド人、もしくはスコットランド民謡歌手がいたのかもしれない。可能性は無限にゼロに近いが……
この曲の演奏ではチョン・キョンファがヴァイオリン・ソロを務め、ベテランのケンぺがタクトをとった演奏がすごくいい。オケはロイヤル・フィル。
まだ新進だったのに、チョン・キョンファはすごい。甘くささやいたり、優しく微笑みかけたり、高らかに歌い上げたりと、さっすがたいしたもんだ。
聴いてて私は“うっとりハッピーちゃん”になってしまう。
1972録音。デッカ。
このLPが初めてリリースされたとき、“レコ芸”に載っていた広告のすばらしい宣伝文句にすっかり洗脳され、私は財源が枯渇してしまうのにもかかわらず購入してしまった。
とにかくすばらしい音であり演奏であるといった、バラ色に染まったようなPR文だった。
冷静に考えると、「アタシ、すっごく胸が大きいんです」という風俗店のA嬢の自己アピールに通ずるものがないとも言えないし、広告だから“たいしたことない音、それなりの演奏”なんて書くわけがないのだが、この私を煽ってるとわかっていてもなお、煽られずにはいられなかったわけだ。若かったし……
当時最新の録音技術・機材を使った録音で、そのカッティングから、確か通常の針圧ではフォルテッシモのところでは針が飛んでしまうという、マニアなら狂喜乱舞するような脅し言葉が書かれていたような気がする。それだけでもなんかすごいレコードって思わずにはいられなかった。
じゃあフォルテシッシモの箇所ではどうなったのだろう?トーンアームが宙に舞ったのだろうか?
どうしてそのときに気づかず、こんなふうにあとからウジウジ考えてしまうのだろう。私ってやつは……
あっ、申し遅れました。
フェドセーエフが指揮する、リムスキー=コルサコフ(Nikolai Rimsky-Korsakov 1844-1908 ロシア)の交響組曲「シェエラザード(Scheherazade)」Op.35(1888)のことである。
しかしながら、実は私、あのとき、LPジャケットの色鮮やかな絵にもひかれたのだった(このCDと同じもの)。
なんとなく、これなら演奏も良いに違いないと思った。少々腕が太い気もするが、この腕のおかげでニュウボウを隠すことができているわけだ。
手にして、まず最初にプレーヤーの針圧を重めに調整した。どれくらい重くしたらよいかわからないので、そこはテキトー。おかげで、広告で警告されていたような針飛びはしなかったが、針圧がいつもどおりのままでももしかしたら針飛びしなかったのではないかと、今さらながら、再び機を逸した疑問を抱いている。
LPを聴いたときに思い、そして今、ン十年ぶりに、CDとなったこの演奏を聴いても、実にクリアで絢爛豪華なサウンドだ。一音一音が粒立つ。いかにもソヴィエトの指揮者とオーケストラという重量感のある演奏だが、野暮ったさはない。
しかも、今回のCD化にあたっては、K2HD MASTERING+HQとかいう、オバQも青くなるような名称の高次元マスタリング技術を使っているそうだ。
なんとかQの効果はともかく、LP時代から感じていたのは、惜しいことに木管の音がマイクに近すぎる感じがすること。キーのカチャカチャ音に「リアルすぎるぅ~」と粒立ちの良い感動の鳥肌を立てるか、あるいは「ウッセーナ!」とうるさいと感じるかは、聴き手の生い立ちによって異なるだろう。
それと、オーケストラの左右の広がりがやや乏しく、どうも窮屈。ステージがコンパクトに感じられ、私はこの点がいちばん気にかかる。こんな優秀録音なのに、なぜ左右の広がりが狭いのだろう?木を見て森を見ずってやつか?
また、演奏面ではアンサンブルが怪しくなるところがあるが、こちらのほうはソヴィエトのオケらしいって感じもする。
このLPはずいぶんと前に中古ショップに売ってしまったが、はて、何百円で買い取ってくれたのだろう。売るときには買い取り価格の10倍くらいの値づけをしたんだろうな。
このフェドセーエフ指揮モスクワ放送交響楽団(このオーケストラ、今ではチャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラと改称しているらしい)の録音は1981年。
ビクター。
で、ニュウボウである。
漢字で書くと乳房。チブサとも読む。
漢字を見てとっさにニュウボウと読むかチブサと読むかは、あなたのこれまでの社会における経験や苦労によるだろう。
で、
佐伯美園(化粧品会社経営)さんからメールが届きました。
【タイトル】
私は自信を持って他人の誇れる部分を持っていません…でも唯一の取り柄といえば、胸の大きさくらいです。
【本文】
先ほどの写真ではごめんなさい、うつむいてる写真じゃ失礼でしたよね…だから勇気を出してしっかりと撮りました。
容姿に自信はないですが、真心と誠実さだけは自信あります!
親からも、「人を騙すくらいなら騙されろ」と教わってきたので。
ネット上ですと何が本当で何が嘘なのか分かりにくいため、こういう場で一番大切なのは信頼関係だとよく理解した上でお誘いしています。
少し堅苦しいでしょうか…?ごめんなさい、でもいい加減な気持ちでお誘いしていないことを伝えたかったのです。
気軽に一度出逢ってみませんか?前向きにお会いする事だけを考えていきたいので本気で宜しくお願いします。
しっかし、こいつかなり胸に自信をもってるな。なにが「唯一の取り柄といえば」だよ。
でも、世の男の皆が大きな乳房(←さっ、どう読んだ?)が好きとは限らないだろうに。
それに、間違いなく、すでに親からの教えを破っているな。
みんな、騙されないようにね。
そもそも“先ほどの写真”すら送られてきてないもの。
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