読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行した「保存版」です。  いまは“新・読後充実度 84ppm のお話”として更新しています。左サイドバーの入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。  背景の写真は「とうや水の駅」の「TSUDOU」のミニオムライス。(記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

August 2013

乾いた私に、日を改めて水爆弾の洗礼?♪マゼールの「悲愴」

31b67eed.jpg  今週は東京と札幌へ出張したが、けっこう疲れた。
 それは暑さと精神的なものによる。

 月曜日の夕方に羽田に到着。
 ところが、都心に向かったものの、そのあとの予定の時刻ぎりぎりになってしまったため(精神的疲労その1)、途中、走りはしなかったが相当なはや歩きをした。都民は私がスーツ姿の競歩選手と思ったかもしれない。

 荷物もあるので、スーツを脱いで手に持つのも邪魔。
 だもんだから、都民のみなさんと違って、クソ暑い中スーツを着たまま動き回ったのだ。
 汗が噴き出て、脱水症状になるかと思っているのに、沿道には給水ボランティアがいるはずもなく、冷蔵庫から出して結露している干物のような状態で、その会場についた(暑熱疲労その1)。

 が、ほかの人たちも遅れていて、はや歩き損のくたびれ儲け、だった。やれやれ……(精神的疲労その2)。

 そのあと、そんな状態でビールを飲んだら、乾いたスポンジに水をかけたかのように急速に吸収されたのか、けっこう酔いが回るのが速かった(暑熱疲労その2)。

 しかも、凝りもせず帰りにコンビニで缶ビールを買ったが、ホテルの部屋で飲もうとすると、なんとグラスが置いてない。あるのはマグカップだけだ。
 私はマグカップでビールを飲むのが大嫌いだ(缶から直接飲むのはもっと嫌いだ)。

 ってことで、しかたなくマグカップにビールを注いで飲んだが、どうも美味しく感じなく、悲しい思いを胸にそのままふて寝した(精神的疲労その3)。

 翌日は昼過ぎまで会議。
 昼食に弁当が用意されていて、これがなかなか豪華で、これだけでも東京に来たかいがあったわいと思わないでもなかった(一時的幸福その1)。

 そのあと今度は羽田から千歳へ飛んだが、飛行機は完璧なまでに定刻通りで自分がパイロットでもないのに、「よし、やったぞ!」という満足感に浸った(一時的幸福その2)。

 ところが到着ロビーに出ると、なぜかバスの切符売り場に長蛇の列。
 なにかあったのかな、と思ったら、ほんとになにかあったわけで、JRがゲリラ豪雨のためにレールが冠水し運転を見合わせているという。
 やれやれ、悲惨だ。いつになると動くのだろう。あるいは、バスに乗れるのはいつのことになるのだろう。東方を向きながら途方に暮れた(精神的疲労その4)
 完璧なフライトがぱぁになってしまう。

 携帯で-私はスマホとかは持っていない-JRのサイトを知らべると、今まさに運転再開という案内が。
 駅に向かうと、すぐに再会後一番列車となる列車が発車するというアナウンスが遠くから聞こえてきた(一時的幸福その3)。

 私は走った。前にはおじさんも走っていた。
 吹き出す汗をぬぐう暇もなく改札まで行くと、地下のホームからは。一番列車が私もおじさんもおいて、プシュゥ~ッというドアが閉まる音と、ガッタン、ガッタン、ガタン、ガタン、ガタガタガタガタ……という、発車してしまった音がした(暑熱疲労その3と精神的疲労その5によるフーガ)。
 悲しい。

 が、もう1編成ホームに停まっていた。
 それに乗り込む。
 一番列車が出たすぐあとなので、まだ座席に空きがあった。
 私はそれに乗り込み、座った。
 車掌があと10分ほどで発車するという(優越的幸福その1)。

 結局、乗り込んでから20分くらい待たされたが-バスの切符売り場での長い列を見たときに、これは長期戦になるかもと、トイレに寄って用を足しておいてよかった-、それでも発車してくれた。アナウンスでは「このあとの列車がくるのは、かなりあとになります」と叫んでいた。私はラッキーだったと言えよう。悲愴感は薄らいだ(優越的幸福その1b)。

 「エスカレーターが混みあってます。階段をご利用ください」というアナウンスが流れている。

 私が改札を通ったあとも、ホームへの下りエスカレーターに乗ろうとする人たちがだんご状態になっていた。私はもちろん階段を使ったが、なんであんなに混んでるのにエスカレーターに固執する人が多いのか、私には不思議だ(固執する人が多いから混むんだろうけど)。

 列車は140分遅れで札幌に到着。140分というのはその列車の本来の発車時刻からということで、私にとっては20分遅れ程度。なんか、ずっと待っていた人に申し訳ないっす(優越的幸福その2と一時的幸福その4によるロンド)。

 翌日は朝一番で会議があり、終わったあと、ワケあっていったん自宅に戻り、またすぐに帰るために駅に向かう。

 そのときである。
 上空からカラスの尿攻撃を受けたのは。
 幸い肩をかすめた程度で、水爆弾は歩道のアスファルトを濡らしたが、それでも肩がちょっと濡れたのは大いに憤慨すべき悲しい出来事だった(精神的疲労その6)。

 こういうときに限って、帰りの特急の隣の席には女性が座る(精神的疲労その7)。
 「この人、カラスのションベン臭いわ」と思われてるんじゃなかろうかと、まさに肩身の狭い思いをしたが、途中の駅から老人の団体ツアー客がどっと乗り込んできて満席状態。
 車内は一挙に古いふとんのような臭いに包まれ、おそらくはカラスの臭気は目立たなくなったことだろう(合理化思考その1)。

 でも、隣の女性は平気で美味しそうに鮭弁当を食べていたから、そもそも私はカラスのションベン臭くはなかったのかもしれない(合理化思考その2)。

 そんなこんなで、総体的には“喜び<悲しみ”という結果だったので、チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-93 ロシア)の交響曲第6番ロ短調Op.74(1893)。
 ご存知「悲愴(Pathetique)」である。

 作品についてはこちらをご覧いただくとして、本日は若き日のマゼールの力演を。
 オーケストラはウィーン・フィルだが、鳴ってる鳴ってる、鳴らしてる!
 感情の起伏が大きいが、とはいえ、へんなクセはない。むしろ正統的な情熱的名演。

 デッカの録音は、特にこの当時はそのように感じるが、各楽器の音を鮮明に拾い上げようとするもの。音は良いが、反面オーケストラ全体の立体感に不自然さが出るところがある。
 大太鼓の音がドライすぎるのが、私には不満。

 1963録音。デッカ。

 で、帰宅後に恐る恐る問題の箇所に鼻を近づけてみたが、妙なる臭いはしなかった。気が抜けた……(精神的疲労総仕上げ!)。

耳にピアスの穴。歯間に微妙な幅♪DRDのブルックナー/Sym7

27c973fd.jpg  シュニトケはブルックナーの交響曲第7番が好きだったようだ。
 戦争中のこととして、次のように述べている。

 クレンペラーのコンサートに行ったときの思い出として、「そこで演奏されたのはヘンデルの《ハープ協奏曲》(僕は後にこの曲に対する興味をすっかり失ってしまいました)とブルックナーの《交響曲第7番》でした。この交響曲がなぜか僕の気に入ったのですが、誰にも信じてもらえず、きざなこと言ってると思われてしまいました。この交響曲は難解で、へんてこりんな音楽だと考えられていたのです。 (イヴァシキン編「シュニトケとの対話」:春秋社。22p)。

 シュニトケのピアノ協奏曲第2番では、突如この第7番の交響曲の第2楽章のメロディーが現れる。その感動的ともいえる引用は、失礼ながら、原曲を聴いているとき以上の美しさを感じさせる。

 ブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲第7番ホ長調WAB.107(1881-83)。
 ブルックナーとしては珍しい例だが、初演が成功した作品。現在でも、「ロマンティック」のタイトルを持つ第4番とこの曲は、ブルックナーの交響曲中でも人気が高い。

 申し訳ないが、クレンペラー指揮の演奏ではなくて、ちょっぴり私を洗脳しかけた-でも最後はこらえ抜くぞ-D.R.デイヴィス指揮のものを(オーケストラはリンツ・ブルックナー管弦楽団)。

 この曲の版には、①1881-33年稿=ハース版およびノヴァーク版、②改訂版、がある。

 ①におけるハース版とノヴァーク版との大きな違いは、第2楽章でのシンバル、トライアングル、ティンパニの使用についてで、ハース版ではこれらは使われないが、ノヴァーク版では使われている。ほかにも両者の間では管弦楽法や速度指示(があるかないか)の違いがある。

 D.R.デイヴィスが使っているのは1883年ノヴァーク版。
 ただし第2楽章での金属打楽器は、使われていない。金物は自分の耳たぶだけで満足ってわけではないだろうが……
 顔に似合わず(私の、ではない)爽やかな演奏だが、どこか物足りない感じもする演奏。
 2007年ライヴ。ARTE NOVA

 CDジャケットは、これまたD.R.デイヴィスのポートレート。
 7番のこれは、演奏同様なんだかさっぱりしていて、「さっき食ったシシカバブー、美味かったな」みたいに満足げだ。
 ちょっと開いた唇からは……ん、DRDさん、もしかして、すきっ歯?
 サイズの合う歯間ブラシないでしょ?

ベルリオーズの嘆きはいまも続く…♪グヴィ/2pのためのソナタ

0da7f1d3.jpg  おそらくはほとんど知られていないだろう。
 グヴィのことだ。

 南の無人島で発見された愛くるしい新種の有袋類とかではない。
 作曲家だ。

 グヴィ(Louis Theodore Gouvy 1819-98 フランス)の名は、三省堂の「クラシック音楽作品名辞典」にも載っていない。私もこの人の詳しいことはなんにも知らない。
 ところが「2台のピアノのためのソナタ(Sonate pour deux pianos)」ニ短調Op.66っていうのがあって、これがまた、なんで陽の目を見ないのか不思議なほど良い曲なのだ。

 グヴィはドイツとフランスの係争地だった現在のザールブリュッケンに生まれた。
 ここは、グヴィの兄が生まれたときはフランス領だったが、グヴィが生まれたときにはドイツ領になっていたという。
 このため、後年パリ音楽院い入学しようとしたときに、フランス人でないということで入学を拒否された。

 32歳でフランス国籍を取得。
 このころベルリオーズは、グヴィの音楽がパリで理解されていないことは嘆かわしいことだと、雑誌に寄せている。が、その後も評価されないままだった。

 作品数は多い。しかし出版されたものはわずか。
 それが彼をほぼ無名のままにしたのだろう。
 作品は、2国の関係に翻弄されたせいか、ドイツ人作曲家の雰囲気が強いが、フランス的な優雅な香りも漂う。
 ちなみにオッフェンバックは同年生まれである。
 
 そのグヴィの「2台のピアノのためのソナタ」ニ短調だが、激流のような第1楽章、悩んでいるかと思えば気を取り直すような二面的な第2楽章、肉の塊を目の前に魅せられた腹ペコの犬が狂喜乱舞するような、ショパンのワルツをパワーアップしたような第3楽章。どれもがユニークでエキサイティングだ。

 騙されたと思って(CD購入予算に余力がある人は)買ってみて欲しい。
 買った後の感想には個人差があるだろうから、クレームは一切受け付けないけど。

 マルタンとデュボアのピアノ。
 ほかに、2台のピアノのための作品が5曲収められている。
 2012録音。Ligia。
 録音も良い。

現代に蘇るコンチェルト・グロッソ♪シュニトケ/CG6

445daa9c.jpg  バッハのヴァイオリン協奏曲の記事でさかんに出てきた(ってほどでもないが)コンチェルト・グロッソ(concerto grosso)って言葉。

 直訳すれば“大協奏曲”なのだが、世の中はそれを許さず“合奏協奏曲”と訳す。

 あらためて書くと、コンチェルト・グロッソはバロック時代の重要な合奏曲の形式で、独奏楽器群による小合奏部(コンチェルティーノ)とオーケストラによる大合奏部(リピエーノ、トゥッティ、コンチェルト・グロッソ)の対比を原則とする協奏曲である。

 バッハのブランデンブルク協奏曲第2、4、5番(第1、3、6番は独奏楽器を持たないシンフォニアのような形のコンチェルト)や、ヘンデルの作品(Op.3とOp.6の合奏協奏曲集や「アレクサンダーの饗宴」)が有名である。

 コンチェルト・グロッソの形式は廃れたが、現代においても、この名をもつ作品を何曲も書いた作曲家がいる。シュニトケ(Alfred Garrievich Schnittke 1934-98 ロシア→ドイツ)である。

 最初に書かれたコンチェルト・グロッソ第1番は、ヴァイオリンのクレーメルとの出会いによって書かれたが、シュニトケの“多様式主義”と“引用主義”が用いられている。

 結局シュニトケは6番までのコンチェルト・グロッソを書いたが(第4番は交響曲第5番でもある)、バロック期の形式を新たな形で蘇らせたのだった。

fefb7c70.jpg  イヴァシキン編「シュニトケとの対話」(秋元里予訳:春秋社)では、イヴァシキン(I)とシュニトケ(S)との次のようなやりとりがある。

 S: 例えば、コンチェルト・グロッソにしても、非常にドイツ的なものに目を向けていることになります。
 I: なぜイタリアではなくて、ドイツなんですか?
 S: 僕のはバッハを通してわが国に入ってきたドイツ的なコンチェルト・グロッソであって、ヴィヴァルディやコレルリのイタリア的なコンチェルト・グロッソではないからです。
 I: シュニトケさんにはコンチェルト・グロッソのほかに単に協奏曲、交響曲もありますが、この3つはどう違うのでしょう?
 S: 今、説明してみますね。コンチェルト・グロッソはオーケストラに対立しない独奏者という1つの論理です。協奏曲ではこの独奏者とオーケストラの関係が対立的性質を帯びてきます。《コンチェルト・グロッソ第2番》ではこの違いがあまりはっきりしていません。最初の3楽章は虚偽の輪の中を回り、第4楽章になってようやく本当の道に出ます。
 (77p)

 I: コンチェルト・グロッソというジャンルを用いることには、音楽の中に2つの異なる面、つまり、個人という前景と群集という背景を設定しようとするシュニトケさんの意志が現れているのではありませんか?
 S: ある意味で君の言うとおりです。…… 
(299p)

 そのシュニトケのこのジャンルでの最後となった、「コンチェルト・グロッソ第6番」(1993)。
 独奏はヴァイオリンとピアノ、オーケストラは弦楽という編成。3つの楽章から成る。
 全曲の演奏時間は15分ほど。

 第1楽章はピアノが躍動的に、というかせわしなく動き回る。どこか切迫感を感じさせる。
 第2楽章は悲しげに叫ぶヴァイオリンが印象的。
 終楽章は再び切迫感を感じさせるもので、非常に密度が濃い感じ。
 親しみやすい曲とは言い難いが、凝縮された複雑な美が感じられる。

 ポースニコヴァのピアノ、サーシャ・ロジェストヴェンスキーのヴァイオリン、ロジェストヴェンスキー指揮ロイヤル・ストックホルム交響楽団の演奏で。
 1994録音。シャンドス。

 以前、浅田真央が、「シュニトケのタンゴ」の名で使っていた曲は、コンチェルト・グロッソ第1番の第5楽章「ロンド」のなかに出てくるものである(この第5楽章はバロック素材を用いたタンゴ)。

 ロバート.P.モーガン編「西洋の音楽と社会11 世界音楽の時代」(長木誠司監訳:音楽之友社)には、次のように書かれている。

 シュニトケにとってタンゴは、特別な魅力をもったものである。すなわち喜びだけではなく悲しみをも伴ったそのどこか不吉な語り口は、彼が〈多様式〉芸術と呼ぶものによって異なった意味レヴェルに達しようとする思いと共鳴しているのである。

 ふむふむ。

 

クラシック以前の協奏曲なれどクラシック音楽です♪Bach/vn協

f71de6df.jpg  どんな本でも必ずと言っていいほど賞賛されているヴァイオリン・コンチェルトがある。
 これだけ皆がみな、褒めているのは褒め殺しをたくらんでるんじゃないかと思えるほどだ。

 それはバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750 ドイツ)の3つのヴァイオリン協奏曲だ。

 たとえば、かなり前に書かれたものではあるが、宇野功芳センセは、第2番のコンチェルトについて、「この曲はバッハの存命中、さらには彼の音楽がまったく忘れさられていた時代にも、しばしば演奏された珍しい例であり、もちろん現代でも『第1番』や『2つのヴァイオリンのための協奏曲』以上に愛奏、愛聴されている。その理由としては、作風がもっとも近代的であり、ヴァイオリンの歌う性質を強調し、旋律的で、複音楽的な要素が少なく、独奏楽器の個性を生かしている点などが挙げられよう」と書いており、第1番については、「『第2番』ほどポピュラーではないが、第1楽章が短いとはいえ、その魅力の点では決して劣るものではない」としている。
 「2つのヴァイオリンのための協奏曲」では、「形態的には合奏協奏曲の名残であるが、この曲の場合、2つのヴァイオリンは合奏部と対立するのではなく、むしろ互いにからみ合い、合奏部は独奏部の伴奏をするという形式で、従来の合奏協奏曲よるは遥かに進んだものといえよう。特に第2楽章は美しい姉妹の仲睦まじい語らい、と評されるほど親密な情趣にあふれている」と述べている(以上、音楽之友社「最新レコード名鑑 協奏曲編」)。

 その3曲は、

 ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調BWV.1041(1717⇔23)
 ヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調BWV.1042(1717⇔23)
 2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調BWV.1043(1717⇔23)

 なお、第1番はチェンバロ協奏曲第7番BWV.1058に編曲されている。

 W.フェーリクス「バッハ 生涯と作品」(杉山好 訳。講談社学術文庫)には、次のように書かれている。

 独奏オブリガート楽器による協奏曲の中では、《ヴァイオリン協奏曲イ短調》および《同ホ長調》、さらに《2つのヴァイオリンと弦楽オーケストラのための協奏曲ニ短調》がたいそう広く愛好されている。これらの曲を見ても、オーケストラ全奏部と独奏協奏部とのあいだに生き生きとした緊張関係をうち立てていきながら、しかも弦楽オーケストラのリトルネルロ(反復回帰部
)と独奏オブリガートのエピソード(挿入的間奏句)のあいだにあくまで強固な関連性をもたせているバッハの協奏曲技法が鮮やかに示される。しかし、バッハは同一の主題を絶えず反復回帰させる手法のみに決して固執することなく、全奏部と独奏協奏部をモティーフ的、主題的に明確に区分し対置させることによってきっちりと解決を生み出すすべをもまた心得ている。


 なんか堅苦しい話だが、要するにバッハはすごいということを言っている、といえよう。

 協奏曲(concerto)の語源はラテン語の「闘争する」。イタリア語では「調和させる」という意味がある。

 もともと、器楽の協奏曲は合奏協奏曲(コンチェルト・グロッソ)が最初。
 その後、1つ(あるいは2~3)の独奏楽器とオーケストラが協奏するという形がトレッリの作品に登場。さらにヴィヴァルディがそれを受け継いだ。
 バッハはヴィヴァルディの協奏曲を研究し、近代的な形へと発展した、といえよう。

 門馬直衛著「音楽形式」(音楽之友社)では、協奏曲を3つに分けている。
 バロック協奏曲、合奏協奏曲、クラシック協奏曲である(この本は権威的な言い回しのくせにそこはかとなく胡散くさく、また、しばしばプッツンし投げやりな表現が出てきて笑える)。

 バロック協奏曲は、「独奏楽器を1つまたはそれ以上持っていて、独奏者の技巧を発揮させると同時に、独奏と合奏の変化と対比を興味の中心として重んじている」もの。
 ただし、この時代はソナタ形式そのものが確立されていないため、急-緩-急という3楽章構成であっても、のちの協奏曲のようなソナタ形式の楽章は含まれていない。

4e7331eb.jpg  合奏協奏曲(コンチェルト・グロッソ)も時代的にはバロック期の概念。独奏楽器が複数で、その独奏楽器群(小協奏部=コンチェルティーノ)に対して合奏部(大協奏部=コンチェルト・グロッソ(またはトゥッティ、リピエーノ))が対置されるもの。バッハのブランデンブルク協奏曲の第2、4、5番は合奏協奏曲の代表的作品と言える。

 クラシック協奏曲はいわば古典派時代に確立されたもの。「クラシック音楽の協奏曲は、みんなクラシック協奏曲だろう?」ってご意見もあるだろうが、はいはい、わかりましたよ。
 つまりは第1楽章にソナタ形式を採用したもの。通常、第2楽章は歌曲形式、第3楽章はロンド形式となっている。

 さて、今日はモダン演奏ののびのびとした演奏のバッハのヴァイオリン協奏曲を。
 ジャケットの写真がバッハの作品にそぐわなくて気に入らないが、まぁ、「タイスの瞑想曲」とか「スペイン交響曲」まで入ったセットなので仕方ない。

 ムターのヴァイオリン独奏(2vnのためのコンチェルトは指揮のアッカルドが担当)、アッカルド指揮イギリス室内管弦楽団による演奏。

 1982録音。EMI。

ワックスで滑り、アックスで立ち直る?♪ハイドン/p協奏曲

44ab3471.jpg  先日、ある活気のないセルフサービスの某社の社員食堂で昼ご飯を食べたときのこと。

 その日の日替わり定食は“チャーハン”と書いてあり、なかなかのチャーハン好きな私としてはちょっと心を動かされたが、投げやりな態度ですでに食べている客(2人だけだったが)のそれを見ると、急性腸炎の人の顔色のようにひどく色が悪くてまったく食欲をそそるようなものでなかったのでやめた。

 あらためてカウンターを見ると、村はずれの孤独な地蔵のように炊飯ジャー(一般家庭にあるようなサイズ)が置いてあり、そこから好きなだけチャーハンを盛るようになっていたが(相撲力士ならこれだけじゃ足りないだろう)、つまりは炒めているんじゃなくて炊いたもの、あるいは、炒めたあとジャーに入れたもので、どうりで薄味の山菜おこわみたいな色をしていたわけだと納得した。

 キュウリの漬物(キューちゃんだな、あれは)と紅ショウガも取り放題だったが、食べている人の全員が(繰り返すが2人だ)キュウリとショウガをかなり盛りつけていたところからすると、きっとチャーハンのまずさをそれでごまかしているのだろうと推測した。だいたいにして、誰もが(しつこいようだが2人だ)不幸せそうな表情で食べていたもの。

 3人目の客となる私はというと、かしわそばを頼んだ。
 おばちゃんがお盆にそばの入った丼をのせてくれたのはいいが、威勢よく汁をぶっかけたのか、お盆に汁がこぼれていた。

 で、私がそれを持った瞬間、雪質に合ったワックスを塗ったスキーのため好スタートをきった高梨沙羅のように、丼がツーっとお盆の上で滑走して、危ない危ない、危うくキュウリの漬物のタッパーにぶちまけてしまうところだった。
 皆さんも、お盆またはトレイにのった汁ものを運搬するときは気をつけた方がいい。

 そんなわけで、アックスが弾き振りをした、ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809 オーストリア)のピアノ協奏曲集(1992録音。ソニークラシカル)。

 収録されているのは、

 チェンバロ(またはオルガン)協奏曲ヘ長調Hob.ⅩⅧ-3(1765頃)
 チェンバロ(またはフォルテピアノ)協奏曲ト長調Hob.ⅩⅧ-4(1770頃?)
 チェンバロ(またはフォルテピアノ)協奏曲ニ長調Op.21,Hob.ⅩⅧ-11(1782以前,1784刊)

の3曲。

 弾き振りっていうぐらいだから、アックスが弾いてるのはピアノで、振ってるのは腕。ピアノを振ってるんじゃなくて何よりだ。
 オーケストラはフランツ・リスト室内管弦楽団。

 アックスは「知・情・意のバランスがとれ、職人的な腕の確かさを身に付けたまさにプロフェッショナルなピアニスト。明るくクリアーで、しかも温かい音色、卓越した演奏技巧にささえられたヒューマンで健康的な表現が特徴」(音楽之友社「ピアノとピアニスト2003」:ONTOMO MOOK)のピアニストとして、評価が高い。

 収録されている3曲のうち、ニ長調の協奏曲は、終楽章が「ハンガリー風ロンド」として有名で、演奏される機会も多い(彼のピアノ三重奏曲第25番(ランドンによるドーブリンガー版では第39番)の終楽章も「ハンガリー風ロンド」だ)。一方、ヘ長調とト長調の協奏曲はあまり聴かれることはない。

 が、ニ長調の曲だけでなく、ほかの2曲もなかなか耳に心地よい。
 それはアックスの美しくも端正な演奏が曲の魅力を引き出しているからだろう。
 弾いて振って引き出しちゃったってわけ。
 これを聴いていると、「ハイドンって退屈」なんて言えなくなる。

 ちなみに販売元のセールス・コメントは以下の通り。

 詩的な美しい音、そして見事なテクニックが持ち味の、世界でも指折りの実力派ピアニスト、エマニュエル・アックスによる、ハイドンのピアノ・ソナタと協奏曲録音を集大成。チェンバロやフォルテピアノで演奏するのが通常になった現在、モダン・ピアノの機能をフルに駆使したアックスのハイドンは、創意工夫がつぎ込まれたこれらの作品を内面から掘り起こし、絶妙で繊細なタッチによって、躍動感、優美さ、そして機知とユーモアが次々に湧き出してくる演奏と言えるでしょう。

 1992録音。ソニークラシカル。
 ピアノ・ソナタ集のセットのなかの1枚。

 私が喜怒哀楽を押し殺したままかしわそばを食べ終わったころ、若い男性4人組の客が来た。
 この人たちは全員が日替わりであるチャーハンを頼んだ(ジャーのふたを開けた瞬間、一瞬たじろいだように見えた)。
 あのままならけっこう余っただろうに、この4人が来てくれたおかげで店のおばさんも助かったに違いない。

 今日は昼から東京に行って来る。
 替えのソックスは2足持った。

でも、甲虫って笑わんだろ!♪A.尾高/orgファンタジー

7e83205f.jpg  最近は居酒屋でも周囲でタバコを吸ってる人が少ないので、私も自ずと本数が減る。
 両隣の客が吸ってくれていると、そりゃあ落ち着くってもんだ。

 最初からテーブルに灰皿を置いてある店も減った気がする。
 そんなときは、店員に「Ash tray , please!」と、オシャレにお願いしたいところだが、「トイレですか?入り口の右横です」なんて答えられたら困るので、「あのぅ、ここは禁煙なんでしょうか?」と様子をうかがいながら頼むようにしている。

 このあいだ指揮者・尾高忠明の父・尾高尚忠の「フルート協奏曲」を取り上げたが、今日は忠明氏の兄が書いた曲を。

 尾高惇忠(Otaka Atsutada 1944-  東京)の「オルガンとオーケストラのためのファンタジー(Fantasy for Organ and Orchestra)」(1999)。

 以上のことからわかっちゃったかもしれないが、尾高忠明の兄は作曲家である。

 東京芸大で矢代秋雄、池内友次郎、三善晃から作曲を、安川加寿子からピアノを学び、卒業後はパリに渡りデュリュフレなどに師事した。

 1981年に「オーケストラのための『イマージュ』」(1980-81)で尾高賞を受賞(この曲を尾高忠明指揮で札幌交響楽団の定期演奏会で聴いたことがあるが、けっこう私好みだった記憶がある)、「オルガンとオーケストラのためのファンタジー」では2001年度の別宮賞を受賞している。
 30分ほどの大曲。
 金管による甲虫の嘲笑のようなフレーズで開始され、すぐにオルガンが力強く入り込んでくる。プーランクの作品をちょっぴり思い起こさせる厳しくシリアスな音楽。
 でも、やっぱゲンダイオンガクの顔つきしており、幻想曲とはいえほんわかしたものではない。

 尾高忠明/札響、オルガン独奏がアシュレイによる演奏を(灰皿の話題がここに来て連想ゲーム的に苦しくかつ縁遠く関与してくるわけだ)。
 2000年に札幌コンサートホール・Kitaraで録音されたもの。
 シャンドス。

 さて、8月も最終週を迎えた(日曜日始まりのカレンダーならば)。
 今年の夏の心温まる思い出といえば、黒い猫の宅急便のことだ。

 私はここの会社のメンバー登録をしているが、8月の初旬にメールが来た。
 お荷物をお届けに上がりましたがご不在でした、っていう内容だ。
 留守にしていた札幌の自宅に荷物が届いたらしい。

 私は配送センターに電話をかけて、こちらに転送してもらうようお願いした。

 翌日、こちらに転送されてきた。
 が、さすがサービスが徹底していると思ったのは、転送再配達にかかる料金をとられなかったこと。前に、同じようなケースで飛脚の会社に頼んだ時は、しっかりと着払いで料金を取られた。
 それとも、猫ちゃんのメンバーに入っていたから特別だったのだろうか。
 いずれにしろ感心した。

どっちにしろ俺って耳が自慢なのさ♪D.R.Dのブルックナー/Sym4

bfde17f2.jpg  何の情報も与えられずに聴かされたなら、「これ、すっごくブルックナーの交響曲第4番に似てる。パロッてるのかな?」と思うに違いない。

 デニス・ラッセル・デイヴィス-そう、あの耳飾りのおっさんだ-が棒を振ったブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック(Romantische)」WAB.104の演奏のことだ。

 そんなに奇抜な演奏をしているのかって?
 いや、演奏ではなく使っている楽譜の版のせいだ。

 この曲には大きく分けて3つの版がある。

 ① 1874年稿=ノヴァーク版第1稿
   この曲が作曲されたのが1874年。その際の楽譜ということになる。
   ただし、ブルックナーは1877年に全面改訂を考え、翌78年から作業を開始した。

 ② 1878-80年稿=ハース版,ノヴァーク版第2稿
   ①の改訂で1878年11月に完成した楽譜は1878年稿という。
   第1稿の第3楽章はまったく新しいものに入れ替えられた。
   さらに1880年に第4楽章を大幅に修正している(1878/1880年稿)。
   今日もっとも使われている版が、このハース版もしくはノヴァーク版第2稿。

 ③ レーヴェ改訂版
   1887~88年にかけてブルックナー監修のもとで弟子たちが改訂したもの。
   第3稿あるいは1888年稿とも呼ばれる。
   レーヴェというのはこのときに第1楽章と第4楽章の改訂を担当した人。
   交響曲第4番で最初に出版された版がこれ(1889年)。

 D.R.デイヴィスのは①を使った演奏。

 その前にCDのジャケット写真について。

 第6番のときよりも衝撃度は少ないが、やや青みがかった顔色がドラゴンボールの悪役風。
 人間界で言えば、狸小路4丁目の交差点近くの路上に青い布を敷いて手作りアクセサリーピアスを並べ、“おトクです、いらっしゃませぇ”と書いた段ボール紙を置き、その前にしゃがみこんでいる国籍不明の物売りを連想させる(布の色が顔に反射してるってわけ)。

 ただ、この写真からは、このときピアスをしているのかどうかはよくわからない。
 耳のとんがり方がなかなか印象的だが。

 この第4番のCDは、D.R.デイヴィスによるブルックナーの交響曲全曲ライヴ録音の第1弾となったもの。雑誌“レコード芸術”で特選盤に輝いている。

 先日紹介した第6番がたっぷりと音楽を味わうような雄大な演奏だったのに対し、こちらではコンパクト気味でサクサクと進んでいく。響きは全体的に軽やかなフェザー級。

 いつも聴きなれているハース版あるいはノヴァーク版第2稿とは、異母兄弟ぐらい違いすぎる。とにかく、「おまえ誰だ?」っていうくらいのもので、私がここで「けっこう違う」と5000回コピペして書き連ねても伝わらないだろうし、それ以前にあなたのお怒りを買うだろう。
 だから、お願い、実際に自ら聴いてみて。

 なんつーか、そっくり入れ替わった第3楽章は別として、あたかもブルックナー作曲「自作の『ロマンティック・シンフォニー』による大幻想曲」って感じだ(もちろんこっちの方が先に書かれているのだけど……)。

 何度聴いても、頭の中で準備している次のフレーズが何度も裏切られるところは、「オレってまたまた同じあやまちを繰り返しちまった」と、いった自虐的快感さえおぼえる。

 2003録音。ライヴ。ARTE NOVA。

幻想曲はピアノの方でしてサックスじゃないです♪ドビュッシー/p幻想曲

2db9ffa5.jpg  若いころの作品ながら、ドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918 フランス)の浮遊するような特徴ある響きが、芳香のごとくプンプンと香り立っている作品。それが「ピアノと管弦楽のための幻想曲(Fantasie pour piano et orchestre)」(1889-91)だ。

 3楽章から成り(表向きは2つの楽章だが、第2楽章が緩→急の2部分から成るため3楽章構成といえる)、第1楽章はソナタ形式。つまり、実質はピアノ協奏曲である。

 この曲が書かれたのはドビュッシーが“ローマ賞”を受賞して留学しているとき。とはいえ、ローマでの生活が気に入らなかったドビュッシーは、留学期間を短縮。実は、パリに戻ってからこれを作曲している。

 1990年にダンディの指揮によって初演される予定だったが、ダンディが第2~3楽章をカットして第1楽章のみを取り上げようとしたことからドビュッシーが反発。結局、この時は演奏されなかった。

 このあとドビュッシーは作品を改訂している(曰く「ピアノとオケが競うようなものから、共存するようなものに」)が、生前に演奏されることはなく、初演は1919年になってからだった。

 ティボーテのピアノ、準・メルクル指揮フランス国立リヨン管弦楽団の演奏で。
 2011録音。ナクソス。

 このCDは「クラリネットのための第1狂詩曲」のときに紹介したが、ほかに 「管弦楽とサクソフォーンのための狂詩曲 (Rapsodie pour orchestre et saxophone)」(1901-1908)、「 神聖な舞曲と世俗的な舞曲」(1904)も収められている(前者のサックス独奏はドワシー、後者のハープ独奏はセソン)。

 ただし、日本語表記の“帯”には、「サックスと管弦楽のための幻想曲」と子羊を迷わせるような誤表記があるのでご注意を。

毒気が隠された爽快さは入門にもぴったり♪プレヴィンのDSch/Sym4

7eccadb2.jpg  世界陸上が終わった。
 世界が終わったわけではなく、何よりだ。

 とにかく、開催地にちなんで、ってわけじゃないけど、 ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第4番ハ短調Op.43(1935-36)。

 この曲は初演の直前になって作曲者によってそれがキャンセルされ、1961年になってやっと初演された作品。そのあたりの話はこちらをご覧いただけたらと思う。

 とにかく気難しい曲だ。
 聴き手にちっとも愛想をふってくれない。ほぼ同じ時期、1935年に初演されたバレエ「明るい小川」Op.39とは、ずいぶんと違う音楽だ。

 が、聴くたびに新たな発見-というとオーバーな言い方に感じもするが-がある。

 そんなフレンドリーさのない曲なので、ガッツンと演奏されると、体調によっては耐えられなくなる。
 その点、プレヴィン/シカゴ交響楽団の演奏は重量感があまりなく、胃もたれしないもの。妙に考え込まされもしない。
 健康な状態で聴くと物足りない感じがするのだろうが、洗練されたこの演奏は第4番という化け物が化け物っぽくなく処理されていて、なかなかユニーク。
 「ちゃんと治ってからにしなさい。ショスタコを聴くのは」と叱られている、病み上がりの方へ特にお薦め。

 1977録音。EMI。

 ところで、世界陸上の中継の何かのコーナーで、アレンジされたショスタコの交響曲第12番第1楽章の終わりの部分が使われていた。
 ロシアで開催されているからなんだろうけど、それにしても第12番を使うなんて、なかなかマニアックだ。
 こっそり感心してしまった。

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