このあいだの日曜日の真っ昼間。JRの普通列車に乗る機会があった。いや、だから私が。
札幌駅と苗穂駅の間。札幌厚生病院裏手の踏切手前で、電車は悲鳴のように警笛を鳴らし続けた。ピー、ピー、ピピー、ピーピーピー。ここだけ読むとおふざけしているようだが、実に切迫感があった。
そして電車は急停車した。
私の感覚からすれば、踏切にさしかかる前に停まったはずだ。
衝撃音はなかったから、立ち往生した、あるいは強引に踏切を渡ろうとした車に衝突したとは考えられない。
では人をはねてしまったのか?
車内の乗客たちの間に緊張が走る(私の勝手な憶測)。
すると車掌のアナウンスが。
「ただいまこの先の踏切で、シカが線路内に侵入しました。そのために急停車しました。運転再開までしばらくお待ちください」
座っていた私は首を40度くらい回して(その車両はロングシートタイプだったのだ)、窓から外を見た。
あっ!ホントだ。いたいた。
そっか、歯科医じゃなくて鹿が侵入したのかぁ~。なーんだ。……っっっっって、こんな街中に鹿だって?ここは奈良か?
この近くには山や森なんてないぞ。山田さんとか森田さんの家はあるのかもしれないけど。
この辺りは苗穂駅に隣接するJRの運転所やら工場があるので、線路が何本もあり、敷地が広い。鹿は東側へと走って行き、どこか-Arioの方だ-へ行ってしまった。
「鹿が線路内から出て行ったことが確認されましたので、運転を再開します」
ああ、よかった!
って、確かにこっちはよかったが、街中へ出て行った鹿はその後どうなったのだろう?
アリオに現れたとか、通行人にぶつかったとか、車に突進したとか、そういう報道はその後一切なかった。街の真ん中に鹿が現われるのって、近ごろの札幌じゃ珍しくないのか?
報道では、札幌市内(といっても山の方だ)に熊が出たってことばかり言っていた。
花札に熊が描かれているだろうか?鹿は描かれているぞ。
なのに、鹿の話をないがしろにしていいのか?
石勝線の占冠あたりとかの出来事じゃないんだよ。ファイターズの屋内練習場とか札幌ビール園がある場所なんだよ。
もし、あのとき電車が鹿を轢いてしまったなら、大きく報道されたのだろうか?
プーランク(Francis Poulenc 1899-1963 フランス)の「牝鹿(Les biches)」(1923)。1幕もののバレエの音楽で、初演は1924年。
マリー・ローランサンの絵画に啓発されて書かれた8つの場面から成る、筋のない男女の戯れ。牝鹿には“かわいい人”とか“若い娘”の意味があるという。
このバレエもディアギレフ・バレエ団のために作曲されたが、ディアギレフはプーランクのピアノ曲「常動曲」で、彼に注目していたらしい。
下で紹介しているCDの解説(家里和夫氏による)には次のように書かれている。
……
プーランクもサティに対して大きな賞賛を惜しまぬ一人だった。バレエ曲「牝鹿」もサティから大きくその精神の流れをくんでいる。……「レ・シルフィード」の現代版をというディアギレフのそもそもの意図に添って、特定の筋書きを持たない明るく快活なディヴェルティスマンとも言える作品がここに出現することになった。
……
1939年から40年にかけて、プーランクはこのバレエから5曲を選んで組曲とした。
1. ロンド
2. アダージェット
3. ラグ・マズルカ
4. アンダンティーノ
5. フィナーレ
まあ、楽しい曲だが、とりとめのない感じもする。まぁ、筋書きがないわけだし。
ヴァーレク指揮チェコ・フィルの演奏で。
1985録音。スプラフォン。レコ芸推薦盤。
で、あの鹿-1頭だった-がメスなのか、それともオスだったのか知らないが、見たところ体つきからしてメスだったように思う。ふふふっ。
ちなみにプーランクの作品の「牝鹿」は複数形である。
本日のタイトルと本文が一部一致していないことを、なんとなくおわびします。
October 2013
皆さんは気になっていることだろう。“怒帝王”のその後のことを。
最近の姿をお見せしよう。
土の中の状態がどうなっているか、すなわち根が出ているのか、張っているのかはわからないが、地上部を見る限りかなり健康に見える。腐敗の難から逃れることができたようだ。
居候させてくれているディコトマ(茎しか写っていないが)の、同属の回復にさぞかし喜んでいる、と同時に、熾烈な養分の奪い合いをしていることだろう。
さらに、妻の実家にあった鉢植えから数節の葉をもぎ取って、そのまま土の上に置いておいたシャコバかカニバのサボテン。節の間から毛がにの毛のように根が出てきている。こいつも新たな株立ちに向けて着実に前進しているようだ。おまけに、いちばん先に蕾さえもっているではないか!
怒帝王の元気そうな顔色を記念して、今日はハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809 オーストリア)の交響曲第50番ハ長調Hob.Ⅰ-50(1771頃)。
疾風怒濤期(シュトゥルム・ウント・ドラング=Sturm und Drang)におけるハイドンの作品の1つである。
シュトゥルム・ウント・ドラングというのは1767年から1785年(1769-1786あるいは1765-1795という見方もある)にドイツに起こった革新的な文学運動。
理性よりも感情に重きをおくことを訴え、のちのロマン主義へとつながった。
ハイドンの交響曲の創作時期では、1766年から73年までをシュトゥルム・ウント・ドラング期と呼ぶ習慣があるようで、単純に考えれば、1770年頃に作曲されたとされる第41番から1773年の第50番までが該当することになる(第51番は1774年以前の作曲とされており、ビミョー)。
エラート・レーベルのコープマン指揮による第44、45、49番が収められたCDには、“疾風怒濤期の交響曲集”という、わかりやすくて直接的だが、ちょっとなぁ~ってタイトルがついている。
実は(ってことではないが)、交響曲第50番は譜断片のみが残っている序劇「神々の怒り(Der Gotterrat)」(1773)Hob.ⅩⅩⅨa-1aの序曲に転用されたという。
ほら、怒涛に怒りだ。怒帝王もさぞかし喜ぶことだろう。
ヴァイル指揮ターフェルムジーク・バロック管弦楽団による激しい演奏を。
1993録音。VIVARTE。
まっ、曲としてはそんなにドトーしてはいないし、ワクワクもしないんだけどね……
…(略。以下同)…
……
そう、それからつい今しがた思いついたことなのですが、あなたのこよなく愛したヴァイオリニスト、「赤毛のアントニオ」の楽譜を同封しようと思います。
覚えていらっしゃるでしょう。ヴェネツィアの孤児院で司祭をつとめるかたわら、サン・マルコ大聖堂のオーケストラで魔法のようなヴァイオリンを弾いていた、あの赤毛のアントニオのことですよ。
あのころは彼もまだ若く、孤児たちにヴァイオリンを教える風変りな司祭でしたが、そのうちくろうとはだしのシンフォニアやオペラを作曲しはじめ、とうとう全ヨーロッパを走り回るような大音楽家になってしまいました。
……
……
さて、おびただしい彼の作品のうち、いったいどれをお送りしようかと考えた末、私の大好きな、かつ彼の代表作とされているところの協奏曲「四季」を同封します。
これはボヘミアのフォン・モルツィン伯爵に捧げられた名曲で、1725年、つまりあなたがヴェネツィアを去られてから10年後に、アムステルダムで出版されたものです。発表したとたんにたいへんな評判をとり、ルイ15世の御前でも称賛をうけたということです。
……
……
残念なことに、アントニオ・ヴィヴァルディは1741年にウィーンで客死しました。
生涯に500曲に余る作曲をなし、5万ドゥカートを稼いだといわれる型破りの天才は、どういうわけか名声にかまけて聖職者であることも忘れ。浪費と放蕩三昧の末に無一文で死んでしまったそうです。
……
……
これは浅田次郎の「蒼穹の昴」第2巻のなかにある、ジョヴァンニ・バティスタ・ティエポロがジュゼッペ・カスチリョーネに送った手紙の一部分である。
ジョヴァンニ・バティスタ・ティエポロとジュゼッペ・カスチリョーネが誰であるかは、まあ、今んとこは気にしないでいて欲しい。
赤毛のアントニオというのは、アントニオ古賀でもアントニオ猪木でもなく、もちろんアントニーン・Dでもなく、すでに書かれてはいるが、アントニオ・ヴィヴァルディ(Antonio Vivaldi 1678-1741 イタリア)である。そして、「四季(Le quattro stagioni)」である。
この曲はヴァイオリン協奏曲集「和声と創意の試み(Il cimento dell'armonia e dell'inventione)」Op.8(1725出版)の第1番から第4番の曲だが、「和声と創意の試み」は2部、全12曲から成る。
いまさらながら、「四季」は次の4曲。
1. ホ長調「春(La primavera)」RV.269
2. ト短調「夏(L'estate)」RV.315
3. ヘ長調「秋(L'autunno)」RV.293
4. ヘ短調「冬(L'inverno)」RV.297
ヴィヴァルディの最期がさびしいものだったのは事実だったようである。
ヴェネツィアでの人気が陰りはじめ、彼はウィーンへと向かった。が、その途中にパトロンのカール6世が亡くなる。この死によってオーストリアは1年間の喪に入り興業禁止となってしまう。オペラ公演を準備していたヴィヴァルディは、これで多額の負債を抱えることになったようだ。さらに、マリア・テレジアがカール6世の帝位を継承することで勃発したオーストリア継承戦争が勃発してしまった。
結局、ヴィヴァルディはこの地ウィーンで亡くなった。貧民墓地に埋葬されたが、実際すっからかんの身ではあったものの、それは外国人で身寄りがなかったためだと言われる。
今日はピノック指揮イングリッシュ・コンサート(vn独奏スタンデイジ)の1978録音のものを。
ピノックといえば、針状結晶のようにトゲがある、それが関節にたまったら痛タタタタっていうような激しいアプローチのイメージがあるが、この78年盤「四季」は、ソフトタッチである。
まあ、あんまりお痛な演奏だと、「四季」には向かないのかもしれないが、美人だけど中身がカラッポの女性がいきなり知的になったような面白さがある。
ブリリアント・クラシックス。原盤CRD。
「金星」という名の交響曲を紹介したが、金星だけじゃない。木星だってある。
第1楽章で序奏なしに堂々と第1主題が現われるさまは、この星が太陽系一巨大な惑星であることを堂々と見事に表現している。
第2楽章の穏やかさはこの星がガス惑星であることをあらためて気づかせてくれる。この優しさは水素ガスのそよ風といったところであろうか?
第3楽章の楽しげな雰囲気は、この星が有する数多くの衛星たちの戯れと言えるだろう。
そして終楽章は巨大な大赤斑の威容を讃えるが如くである。
って、違う!違う!
ジュピターはジュピターでも木星じゃなくてローマ神話の神の方。
モーツァルト(Wollfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の交響曲第41番ハ長調K.551(1788)。
この曲を「ジュピター(Jupiter)」と名づけたのは、モーツァルトと同時代のJ.P.ザロモンだという。ハイドンをロンドンに招いた、あのザロモンである(このときにハイドンが書いた第93番から104番の交響曲は「ザロモン・セット」と呼ばれる)。ザロモン自身はヴァイオリニスト兼指揮者兼作曲家兼興行師であった。
第41番のスケールの大きさや輝かしさなどから、ローマ神話の最高神であるユーピテルにちなんだ名“ユーピター”をつけたと考えられている(ジュピターは英語名)。
クーベリック指揮ウィーン・フィルによる演奏を。
このディスクは先日取り上げた「ハフナー交響曲」と同じもの。セラフィム・レーベルの廉価LPのときには35番、36番、そして41番と3つの交響曲が収められていたのに、CDとなったら収録可能時間増の恩恵を拒否して35番と41番の2曲だけとは、ずいぶんとケチなことをしてくれるわい。
ずんずんと先へ先へ進んでいく演奏。その速さは通勤快速のよう。でも、軽々しくならないところはさすが。
ところで、クーベリックと言えば、私には左奥にコントラバス配置の印象が強烈に残っている。
その昔、バイエルン放送響と来日したそのコンサートの模様が、NHK-TVで何度か放送されていた。そこで観た光景は、ステージに向かって左奥にコントラバスがあるというもの。この配置は初めてみるもので驚いたが、慣れといえば慣れだが、私としてはどーしても低音弦楽器は右側にあってほしい。 高関が札響を振るときもベースは左奥配置で、今だから言うけど、わたしはちょっぴり嫌だった。
このウィーン・フィルの演奏は、ちゃんと低弦は右から聴こえる。
精神衛生上、たいへんよろしい。
1961録音。EMI。
先日シルヴェストリによるショスタコの交響曲第5番を取り上げたが、今日はショルティを。
立て続けにこの2つの演奏を聴くと、録音技術の進歩をあらためて思い知らされた。
そのショルティ指揮ウィーン・フィルによるショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第5番ニ短調Op.47(1937)。
たとえばシルヴェストリの演奏とはずいぶん違う。アクがない。“七味とうがらし”さんがショルティのショスタコ演奏を直線的と表現していたが、まさに言い得て妙。
あんまり難しいこと考えなくてもいいんじゃない?このメロディー、このサウンドに心ふるわせましょうよ、って演奏。とはいえ、無機質でドライなわけじゃない。小ぎれいな店で、それなりに美味しい料理を味わっているような感じ。
重厚な響きから透明な弦の歌まで、どこをとっても美しい。
アプローチも素直と言えるのだろう。
ただし、「なんかさぁ、ショスタコっぽくなくね?」と感じる人もいるだろう。
この演奏を標準盤にしていると、ショスタコの別な面、裏の顔がいつまでも見えてこないかもしれない。
でも、これはこれで名演だと私は思う。個人的にはかなりコーフンするです。いけないですか?機能美の極み。
1993録音。デッカ(TOWER RECORDS VINTAGE COLLECTION Vol.10)。
このディスクにはカップリングで交響曲第1番ヘ短調Op.10(1924-25)が収められているが、若々しさ炸裂の演奏。ショスタコもこの曲を書いたときは、余計かつ深刻な騒動に巻き込まれるなど考えていなかったわけで、そういう点ではショルティのイケイケ演奏がはまっている。
こちらのオーケストラはロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団。
1991録音。ライヴ。
さて、昨日は幸い天気も崩れず、冬に向けての庭の準備をすることができた。
たまたまこの日の北海道新聞朝刊に冬囲いのことが載っていて、耐寒力をつけるためにも囲うのは11月下旬が良い、ただし土がしばれて(=凍って)支柱を刺しにくくなることもあるので、支柱を先に立てておくと良い、と書いてあった。
そうだよな。まだネットで覆うのは早いよな。
にしても、このソヴィエトのおばさんがた、寒さには強そうだよな。
そしてまた、支柱などをとめるには結束バンドを使うと便利と書いてあった。
なるほど!確かに便利だ。ロープと違って、ネットの網目を通すのも簡単だ。安いし。
床屋に行った帰りに、その筋向いのスーパーの中にあるダイソーで結束バンドを買った。
安かった。といっても均一価格の105円だが。
こうして、すべてではないが支柱立てを終えた。
庭の様子のビフォー&アフターが載せた写真である。言わんくてもわかるだろうが、上がビフォー、下がアフター、中が結束バンドを使った様子である。
つーことで、それでもふだん体を動かしてないせいか、昨日の夜から筋肉痛である。
だが、今日は朝から雨が降っている。無理して働いて良かったではないか!
木曜日。
新たにランチ営業を始めた“酒場”に昼ご飯を食べに行ってみた。
ヤマダ課長と一緒である。
ここにバーがあることは知っていたが、来たことはなかった。
そしてまた、この店がランチを始めたということは新聞の地方版の記事で知った。
日替わりは、当店自慢と銘打った、ポークソテー・トマトソースがけ。
地元産の豚の豚肉だそうだ。回りくどくて変な表現だけど。
また、ここはカレーライスもウリであるそうだ。
カレーといえば、先日書いたように私は自分で作ったカレーを数日間食べ続けた。
だから、ヤマダ課長がカレーを頼んでも、私は頼む気にはならなかった。
あのカレーで、私は今回初めてエノキダケを入れてみた。
味的にはなんら問題なかったが、コメントが寄せられてもいたように、やはりカレーにエノキというのは奇異に感じる人もいたようだ。そもそも作りながら私も奇異に感じたぐらいだ。
妻も「えっ?エノキを入れたの?」と、突然家を訪れた見知らぬエノキさんという人物をうかつにも家にあげてしまったかのような驚きの声を上げたほどだ。
が、繰り返し言うが、味はまったく悪くない。
たが、もう少し細かく切るべきだったと反省した。
反省したが、きっとカレーにエノキダケを入れることを、私はもうしないだろう。次は、ない……
で、私はその店でポークソテーを頼んだのだが、出て来たものの焼き方はレアだった。
ポークでレアねぇ……
でも、焼き時間が足りなくて結果的に生焼けになったという感じではない。これは明らかに店の人がそういう焼き方、食べさせ方にこだわっている感じだ。そしてまた、真のグルメ人なら、これはすばらしい!とj感嘆する一品のような気がする。
外観からもレアだとわかるのだ。赤い肉汁がにじんでいるもの。これがミスだとしたら、盛り付けのときに気づかないはずがない。視力が正常ならば。
地元産の豚だ。
きっと安全安心に違いない。
で食べたが、やっぱ豚肉はちゃんと火を通した方がおいしい。
生焼け度の強いところは私は残した。
やっぱ、カレーにすればよかった。福神漬けがついてない、まさにカレーとライスだけだったけど。
社に戻っても、生焼けのことが気になってしょうがない。
あのときと同じだ。歴史は繰り返される……
なぜ、「レアのようですが、これはこのような焼き方で食べても大丈夫なブタさんなのですか?」と、どうしてあのとき聞く勇気を持たなかったのか?
そんなことを考えていると、まさに病は気からで、おなかの調子の悪化と吐き気に微かながら襲われ、またのどのあたりもモヤモヤしてきた。
赤みが残る、あのポークソテーの姿が脳裏から離れない。
私になんてことをしてくれたのだ!
肉よ、謝れ!
さて、ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904 チェコ)の序曲「謝肉祭(Karneval)」Op.92,B.169(1891)。組曲「自然と人生と愛」の第2部に当たる作品だ。
この曲の演奏で、私がLP時代に親しんでいたのがシルヴェストリ指揮ロンドン・フィルのもの。
EMIから出ている15枚組のシルヴェストリのボックス・セットでひどく久しぶりに再会した。
これだ!
私が待ちわびていたのは、すっかり忘れていたけど、これだ!
この曲の録音はそう多くないが、CD時代になってガンゼンハウザーやマリナーが指揮したものを聴いてきた。が、どこか満たされなかった私。
シルヴェストリ盤を聴いて-この演奏が私にすっかり刷り込まれているのだろうけど-、はちみつ壺に頭を突っ込んだプーさんのように、久々に満たされた。
パワー全開で始まり、たたみ込むように終わる。圧巻だ。
そして何より、泣かせないでよ!と言いたくなる濃厚なノスタルジアをぷんぷんと放つ中間部。
単に昔これに親しんだから、これに洗脳されたから、というにとどまらない、感動的な演奏である。
この作品の演奏の中では最高峰と言えるものだ(キッパリ!)。
1958録音。
LPではこの「謝肉祭」、交響曲第8番ト長調Op.88,B.163(1889)とのカップリングだった。
ドヴォ8については、シルヴェストリよりも同じ廉価盤でも、RCAのミュンシュ盤を聴くことの方が多かったが、あらためてシルヴェストリの演奏を聴くと、なんだか心がウキウキしてくる。
メリハリ効いた鳴らせ方、歌わせ方は、この曲の特長をうまく引き出しているかのようだ。とかく強調(中傷?)されがちだが、シルヴェストリは決して言われるような爆演でムラのある異端児的指揮をする、だけではないことを実感する。こういう“つまらなくない”聴き手を引き込む演奏、意外と少ないものだ。
オーケストラは同じロンドン・フィル。1957録音。
さて、胸がモヤモヤ、喉がヌラヌラ、おなかがパピパピしていた(ような気が明らかにした)私は、マンションに帰ると胃洗浄殺菌の意味も込めて、いつものようにハイボールを飲んだ。
結局、この日おなかはこわさなかったし、酔いが回るにつれ昼のことを忘れがちになってくると、諸症状は消えた。
翌朝は、気分が悪かったが、それはレア・ポークのせいではなく、朝から雨が降っていたからに過ぎない(とはいえ、可能性は低いが感染症(E型肝炎)や寄生虫の危険はまだ残っている。
カーニバルの語源は、ラテン語のcame vale(カルネ・ウァレ)、「肉よ、お別れだ」だという説がある。
私としては、「生肉よ、もう食卓に出るな」って気持ちである。
今日は仕事を終えたあと、自宅へと帰る。
すでにみなさんご承知のとおり、タイヤも冬タイヤに換えてあるので、急に雪が降っても-それはまったく歓迎しないが-大丈夫だろう。
一方で、ずっとドライの路面だとタイヤが減りそうで、ちょっと損した気分になる(実際にはそんなに心配するようなことではないらしいが)。
なお、天気予報によると本日はどしゃ降りのようである。
実は今週の火曜日の午後から水曜日の午前にかけて、札幌に出張に行った。
なに?帰って来てすぐにまた行くのかい?って感じだが、出張では移動して、泊まって、会議に出て、帰って来たってわけで、庭の様子も一瞥する程度しかできなかった。
今回は、明日ちゃんとこさとこやさんに髪を切りに行き(←読みづらかったでしょう?)、バラの冬囲いを順次進めていきたいと考えている。
問題は天候だ。
台風の影響が心配される。予報通りだったら作業を行うことは絶望的だが、その翌週の連休もしつこく帰るつもりでいる。
にしても、前回の台風26号の影響はすごかった。
朝は雨。それがみぞれに変わったと思ったら、昼には雪になり、あたりは雪景色になってしまった。劇的な変化だった。
ということで、レスピーギ(Ottrino Respighi 1879-1936 イタリア)の「劇的交響曲(Sinfonia drammatica)」(1913-14)。
3楽章から成り、60分を要する大曲である。
レスピーギというと、色鮮やかなオーケストレーションと、中世、ルネサンス、バロック時代のイタリア音楽の要素を取り入れた作風が特徴だが、以前にも書いたように、この曲はちょっと趣きが違う。
作曲が始められた1913年は、レスピーギがローマのサンタ・チェチーリア音楽院で教鞭をとり始めた年。
彼の傑作である「ローマ三部作」のうち、最初に書かれた「ローマの噴水」の作曲に着手したのは1914年のことなので、「劇的交響曲」のときには、まだイタリアというものに強くこだわっていなかったのかもしれない。
あるいは、1908年から翌年にかけてベルリンに滞在し、イタリア以外の国の音楽にも関心を持ったというので、この曲にはドイツ音楽の影響が出ているのかもしれない。
とにかく渋い。レスピーギの特徴である流麗さ、華麗さは、ここにはあまりない。
仰々しい響きだが、見かけ倒しって感じもしないではない。
最後も、めいっぱい石が詰め込まれたリュックを背負ったまま三叉路にぶつかり、どっちへ行けばいいもんだか解決しないまま、あとはお好きなようにって見捨てられたように終わる。
ただ「劇的」っていう看板に偽りなしなのは、私が保証する(保証書がないと保証の対象にはなりません)。
この重苦しさって、第1次世界大戦につながる当時の危うい世情を反映しているのかもしれない。
ラ・ヴェッキア指揮ローマ交響楽団の演奏を。
ローマのオケがやっても、やっぱりイタリアっぽくない曲だ。
2011録音。ブリリアント・クラシックス。
その火曜~水曜の出張は、今話題に事欠かないのJR北海道を利用。
で、帰りの列車のこと。
札幌駅ですでに入線していた“スーパーとかち”に乗りこむと、車内は客がまばらなのに、私の持っている指定席(窓側)の隣、つまり通路側のC席にはすでにおじさんが座っているではないか!
よりによって、なぜこんな状況で局部攻撃のごとく密着させられなきゃならないんだ?
時おり思うのだが、みどりの窓口の人というのは、“顧客サービスとはいったい何か?”ということをまじめに考えていないんじゃないかと思う。
混んでいるときはしかたない。でも、「ガラガラぁ!」と言って「正解です」と答えが返ってくるような状況なのだ。
しかも、そのおじさん、飛行機なら機内持ち込みぎりぎりアウトかセーフというスーツケースを両足の間に挟んで置いている。つまり、私は自分の陣地であるD席に座るために、そこをタカアシガニのようにまたぐか、そのおじさんに一度退避してもらわなくてはならない。
私は、いまいましいと思いながらも、でもそのおじさんに責任はないし、そのおじさんだって隣に人が来るのは歓迎していないだろうから、丁重に「すいません」と言った。言わなければ、つまり近づいただけでは微動だにしなかったからだ、おじさんは。
そのおじさんは立ち上がり、よっこいしょとばかり荷物を通路にずらした。私は不安定な体勢で自分の席に座ったが、心配していたとおり、すでにおじさんのひざあたりが、すでに私の領地に入り込んでいる。そりゃそうだ。あんな大きなものを股にぶら下げて、いや挟んでいるのだ。もし、この人がうとうとし始めたら、絶対に私の足に足を押しつけて来るに違いない。ズボンの生地ごしに伝わってくる、ヒトの温もり……
私は考えた。
そして言った。
「すいません。もう一度出させてください」
おじさんは、厄介そうにまた立ち上がった。
私は隣の自由席車両に行ってみた。
6人しか乗っていなかった。
そこでバッグを空いているシートに置き(ほとんど空いているのだが)、再びおじさんのところへ戻った。
「自由席が空いてますので、私はそちらに座ります。どうぞ、隣の席は自由にお使いください」
おじさんは声を出すわけでもなく、わけがわかったのかわかってないのかわからないような顔をしていた(←重ねて読みづらかったでしょう?)。
いったん自分の席に戻り-まさに自由を得た感じだ。これでトイレにだっていつでも行ける-、ホームのキオスクに水を買いに行った。
窓越しに、あのおじさんが窓側に、本来は私の席であるD席に座っているのが見えた。
なんだ、ちゃっかりしてるじゃないか!
ぼわーんとした顔をしていたが、心の中ではしめしめと思ったに違いない。
だったら、すいませんとかありがとうの一言くらい言って欲しかった。
純真な子どものころ、“すいせい”というものが2種類あるとは知らなかった。
子どもは子どもでも、ややかわいげがなくなってきたころに2つあることを知った。水星と彗星である。
実物を見たことはもちろんなかったが、良い子の理科図鑑みたいなものに載っていた“すい星の写真”は、緑がかった長い尾があって、かっこいい星だなあと思った。
そしてまた、もし彗星が地球に近づいたら、尾の長さは空の端から端ぐらいまであるのかと思った。図鑑に載っていたイケヤ・セキ彗星の写真は、地上の建物も写っていて、そういう誤解をしてもしょうがないものだった。
その後、水星なるものがあることを知ったが、そちらの“すい星”は小っちゃい惑星だということで、ふんっ!って気分になった。
そもそも図鑑で“すい星”なんて書くから紛らわしいのだ。水星と彗星、そして彗星の方にはルビをふる。そういう風にしてくれたら、私は回り道をしないで済んだのにと思う。
ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809 オーストリア)の交響曲第43番変ホ長調Hob.Ⅰ-43(1772以前。1771年という説がある)。
4つの楽章から成るこの曲には「マーキュリー(Mercury)」という愛称がある。19世紀になってからつけられたようだ。愛称といっても全然愛らしくないが……
なぜこのような名で呼ばれるようになったかは不明。曲を聴いても水星を感じさせるところはない。って、水星らしさがいかなるものか、私には見当がつかないが……
また、マーキュリーは水銀のことでもある。
その図鑑(別な巻)には、紙の上に置いた水銀が玉になっている写真も載っていた。水銀は常温常圧で液体状態にある元素だが、表面張力が非常に強いため、紙や布にしみ込んだりしない。
私は一度体温計を割って水銀を取り出して確かめたことがある。図鑑を読んでこのように自ら実験するなんて、なんて好奇心旺盛の子だったのだろう。そんなことに無理解な母に、体温計を割ったことをたいそう叱られた。
でも、そのときは知らなかったが、水銀は猛毒である(水俣病の原因となった物質だ)。
そのとき一歩間違って私が中毒になったらどうなったのだろう?図鑑には素手で触らないこと、とか、飲まないこと、なんて注意書きはなかった。何かあったら出版社に責任が生じたのだろうか?
おおらかな時代だったな。水銀はともかくとしても、いまの次代は何でも他人のせいにしすぎるし、みんなびくびくしている気がする。
私が子どものころなんて、間違ってヒュイッと飲みこんじゃら明らかに窒息する大きな飴玉も売っていたし、父親に頼まれた5歳児の私が近くの店にタバコを買いに行っても「成人してますか?」と聞かれることはなかった。
それはともかく、交響曲第43番は恐るべき表面張力のごとく突っぱってるような曲調である、なんてことはない。
ただし、第1楽章は第1主題と第2主題の区分けがはっきりしなかったして不安定な感じなんだそうだ。水銀という物質が、あるいは水星という惑星が不安定なものかどうかは知らんけど。
いずれにしろ、無責任に愛称なんてつけちゃいかんね。
でももし今の世でそんなことしたら、一斉攻撃されたり仲間外れにされちゃうのかもしれない。
ヴァイル指揮ターフェルムジーク・バロック管弦楽団の演奏を。
1992録音。ソニークラシカル。
先週、すごく久しぶりに週刊ポストを買った。
新聞広告の記事の見出しで興味を引くものがあったのだ。いや、だから“女子アナ「派閥とライバル」完全大図解”じゃなくて、“こんなに「コネ」がまかり通っている日本というシステム”である。
が、読んでみると、あぁやっぱりかという程度の内容。雑誌自体、紙質のせいか持っても重みがないが、中身もより一層軽くなっている。
だから、もう一つ興味をひかれた“「友達がいない80歳」にならないためにいまからやっておくべき10の心得”は目を通さなかった。
日曜日の午後、昼寝をしようといろっぽいオットセイのようなポーズで横になって本を読んでいた。
浅田次郎の「蒼穹の昴」(講談社文庫)の第2巻である。
中国人の登場人物の名がどうにもたまに残らず、実に難儀して読んでいるが、第2巻のあらすじはカバー裏の記載によれば、こんなものである。
官吏となり政治の中枢へと進んだ文秀。一方の春児は、宦官として後宮へ仕官する機会を待ちながら、鍛錬の日々を過ごしていた。この時、大清国に君臨していた西太后は、観劇と飽食とに明けくれながらも、人知れず国の行く末を憂えていた。権力を巡る人々の思いは、やがて紫禁城内に守旧派と改革派の対立を呼ぶ。
で、まぶたが重くなってきて、呼吸がスリーピング・モードになってきたのが自分でもわかったときに、いきなり携帯電話が鳴った。まぁ、予告後に鳴るってことはあまり経験がないが……
それは会社貸与ではなく個人の携帯電話の方。この番号を知っているのは家族だけだ。
が、背面ディスプレイには登録した家族の名ではなく、着信番号が表示されている。
こういうわけで、私は警戒し、マクドナルドのバイトなら即刻クビになるような愛想っ気のない声ででる。
「はい……」
「もしもし、ヤマだけど?」
「はい[E:up]?」
「えっ、あっ?オレ、間違ってる?」
「私、ボブだけど」(実際にはボブではなく危険を冒して実の姓を言った)。
「あら、間違ってるかもしんないね。いや、オレ、間違った。ごめんなさ~い」
こうして切れた。
なんか、私の心の中を疾風が通り過ぎたような感じだった。
そんなことがあったという報告を終わる。
で、「蒼穹の昴」のあらすじに改革派って文字があったから、今日はショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-1975 ソヴィエト)の交響曲第5番ニ短調Op.47(1937)。
なんでかっていうと、「革命」の通称があるから。といっても、この曲が「革命」と呼ばれることはずいぶんと少なくなった。
ボックス・セットを買っちゃったものだから、最近登場回数の多いシルヴェストリを今回も取り上げる。
オーケストラはウィーン・フィル。1960録音。
全体に音ががさついているが、演奏自体はそんなに変態的なことはしていない。
重々しい第1楽章の開始にはなかなかひきつけられるものがあるし、第2楽章も茶目っ気というより貫録がある。
第3楽章ではアンサンブルが危うい箇所があるが、逆にそこでの音の絡み合いが万華鏡をぐるぐる回して見ているかのような面白さがある。
第4楽章の驚くほどの高速で始まる。間違って一味唐辛子をなめてしまった幼児が大衝撃でバタバタとあたりを早足で歩きまわるかのよう。
そして、この曲自体はやっぱり良い曲だと、なぜか納得させられる、不思議なパワーを秘めた味のある演奏だ。
まぁ、ぜひとも聴いとかなきゃならない1枚に位置づけることはないだろうけど。
ただ、お買い得セットの1枚だから、損した気分にはならないはずだ。
EMI。
ところで、文秀は“ふみひで”じゃなくて“ウエンシウ”。春児は“はるじ”じゃなくて“チユンル”と読む。
春児は宦官を目指しているが、宦官とは去勢された官吏である。
20日の記事で、なんかこいつ、奇妙な趣味があるのかなと、あれだけ断ったのに、それでも思った方もいるかもしれないが、この小説を読んでああいう表現になったのである。
つまり、ああは書いたものの、私には去勢された男性の知り合いはいないということを、重ねて申し上げておく。
土曜日の午後、仕事から戻った私は自家用車のタイヤをヨコハマのECOSからブリジストンのICEPARTNERに交換したわけだが、つまりは夏タイヤからスタッドレスタイヤに履き替えたわけだ。
次回のタイヤ交換が6か月から6か月半先のことだと思うとうんざりする。いや、またタイヤ交換作業をしなきゃならないということではなくて、あまりに冬期間が長いことにうんざりなのだ。
そのこととは関係ないが、帰宅途中に百貨店の地下に寄り、そこでメンチカツを買った。
どうしてもそこのメンチカツが食べたかったのだ。1個120円だが、スーパーで売っている衣が脂っぽくて中身の得体もよくわからない、でも100円のものとは、やはりモノが違う。
メンチカツを持ち帰った私は、これを冷蔵庫に入れるか、揚げ物だから室内にそのまま置いといてもよいかしばし迷った末、そのまま置いておくことにし、着替え、タイヤ交換作業のために1Fに下りた。
交換作業はちょうど1時間かかった。
ワイパーも冬用に換えたが、助手席側のもののゴムに少し亀裂が入り、拭き取りが悪くなっている。買い替えが必要だが、冬用のワイパーブレードは夏用よりも高いのでちょっとムッとした。
週末はなんとなくカレーが食べたかった。レトルトとかじゃなくて、手作りのカレーを、である。
そこで、作業を終えたあと、スーパーに行きカレールゥと漬物と肉を買ってきた。タマネギとニンジンは冷蔵庫にある。ジャガイモは、私は入れない。
ウチでは妻も子供たちもジャガイモ入りが好きである。が、私は外食レストランの多くの店において、カレーにはジャガイモが入っていないというかなり無謀な主張をして、イモは入れないことにしている。時間とともにとろみが強くなるのがいやなのだ。
その代わりというわけではないが、最近になって、健康のことも考慮し、体に良いとされるキノコを入れるようにしている(といっても、過去1度しかやってないけど)。
ただし、今はふだん子供たちは別に住んでいるが、いたとしたらキノコ入りカレーは拒否するに違いない。
肉は豚肉の角切りに決めている。カレー・シチュー用というやつだ。
だが、今回売っていたものはあまりに脂身が少ない。赤身ばかりだ。脂身好きじゃないが、これでは食感が悪すぎる。
そこでやむなく、豚もものスライス肉にする。もも肉にしたのはお財布とひそひそ相談した結果だ。見苦しくパックされたトレーをあれこれ物色し、適度に脂が残っているものを選ぶ。
漬物は、自然食志向の人なら原材料に不安があるから絶対に買わないだろうと思われる1袋100円のつぼ漬けをカゴに入れる。88円の福神漬けにも一瞬目が行ったが、福神漬けはカレー以外での汎用性が極めて低く、残った分が冷蔵庫の不良在庫になる。青じそ大根も同様だ。
カレールゥはバーモントカレー。今回は辛口にした。
ほかにミネラルウォーターを買う。
レジの人が、「この人、今夜はカレーなのね」と気づくに違いないラインナップだ。
大丈夫。私の計算では大丈夫なはずだ。
実は財布の中には1万円札1枚と1000円札1枚しか入っていなかった。小銭はゼロ。1枚も持っていなかった。
だから会計のときに1000円以内に収まるように計算していたのだ。これで「1,052円です」とレジ係の人に宣告され、1万円札を出し、「1万円からでよろしいでしょうか?」と問われると、責められているようで心が痛むと同時に何とも恐縮してしまう。
同じルーを使って、同じような材料を使っても出来上がりの味が微妙に違うのが、カレーの不思議さだ。
今回の出来はまぁまぁ。
と最後になって気づいた。
キノコを買うのを、入れるのを忘れたことに。
こうして私は、エノキダケを買いに、再びスーパーに行くはめになったのだった(ほんとはシメジにしようかと思ったのだが、エノキの方が安かった)。
なんで、カレーのことをわざわざ書いたのかというと、先日読み返していた村上春樹の「雑文集」(新潮社)の中に、
そう、小説家とは世界中の牡蠣フライについて、どこまでも詳細に書きつづける人間のことである。
という記述があるからだ(ついでに言うと、ここにはメンチカツという言葉も出て来てしまう)。
だから頼まれもしないのに、カレーのことを書いた。厳密にはカレーを作るための買い出しについて書いた。私は小説家を目指しているわけではないが……。
さらには、その前にはメンチカツも買ってしまった。
小説家じゃないから、カレーについての上の記述も詳細さに欠ける。
本来なら、タマネギをどういう角度でどういう大きさで切ったとか、どんなオイルを使って炒めたとか、フライパンのサイズは何センチだとか、肉はどういう下味をつけたかとか、ニンジンの皮むきはどのような道具を使ったのかなど、一切書けていない。
その次のページには、氏の「約束された場所で」(文春文庫)を執筆する際、オウム真理教の信者にインタビューしたことが書かれている。
彼らの多くは、自分というものの「本来的な実体」とは何かという、出口の見えない思考トラックに深くはまりこむことによって、現実世界とのフィジカルな接触を少しずつ失っていった。人は自分を相対化するためには、いくつかの血肉ある仮説をくぐり抜けていかなくてはならない。ちょうどモーツァルトの歌劇「魔笛」において王子タミーノと王女パミーナが、水と火の試練をくぐり抜けることによって(メタフォリカルな死を経験して、と言ってもいいかもしれない)、愛と正義の普遍性を理解し、それを通して自己というポジションのありようを認識していくように。……
そこで今日は牡蠣でもメンチでもバーモントでもなく、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の歌劇「魔笛(Die Zauberflote)」K.620(1791)。
作品についてはこちらで触れているので省略。
しかも今日は全曲ではなく抜粋盤をご紹介。
カラヤンのもの。私にとっては「なぜ?」って感じなのだが、手元にあるのは事実。そして、定評のある演奏である(全曲盤から序曲と15曲を選んでいる)。
カラヤン指揮ベルリン・フィル、ダム(ザラストロ)、オット(夜の女王)、マティス(パミーナ)、タミーノ(アライサ)、パパゲーノ(ホーニク)他。
1980録音。グラモフォン。
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