読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行した「保存版」です。  いまは“新・読後充実度 84ppm のお話”として更新しています。左サイドバーの入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。  背景の写真は「とうや水の駅」の「TSUDOU」のミニオムライス。(記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

November 2013

番外編のくせに3つも版がある交響曲♪プロコ/シンフォニエッタ

8f417fc7.jpg  今日は早い時間から仕事である。

 もう少ししたら家を出る。出発という意味だ。家出ではない。
 仕事は14時過ぎには終わると思うが、そのあと夕方のJRで自宅に戻る。
 今週は札幌に行ったり来たりだったが、出張がらみで自宅に帰ることができるのはありがたいことだ。
 来週は月~水で東京と札幌に出張。
 というわけで、今日のうちから札幌に行き、月曜日は千歳から羽田に飛ぶわけ。

 そんなこんなで、外に出ているといろいろなことに遭遇するわけだが、月曜日の会議の時には、「おぉっ!こんなところで」と感嘆せざるを得ないことがあった。

 会議の会場となったホテル。その廊下のスピーカーから流れていたのはC.P.E.バッハのトリオ・ソナタだった。
 C.P.E.バッハですよ!すごくマニアックだと思いません?
 そしてまた、この曲、耳に心地よく響くことはあっても、決して邪魔にはならない。これがプロコフィエフだったら、そうはいかない。絶妙なる選曲だ。
 もっとも、多くの人はそんなこと全然考えない、もしくは、気づかない、あるいは、関心がないんだろうけど。もしこれがクラシック音楽じゃなきゃ、逆に私はまったく関心を示さないわけだし。

 さて、そのプロコフィエフ(Sergei Sergeevich Prokofiev 1891-1953)の「シンフォニエッタ イ長調(Sinfonietta)」Op.48(1929)。
 プロコフィエフは第7番まで交響曲を書いたが、これは番外編の交響曲である。

 この曲、ブルックナーっぽく3つの稿がある。

 最初に書かれた「シンフォニエッタ イ長調」は1909年。作品番号は5である。
 これを改訂した第2稿は1914年の作。
 そして、1929年に最終版として第3稿が出版された。作品番号も48となった。

 プロコフィエフの交響曲としては親しみやすく、「古典交響曲(交響曲第1番)」(1916-17)と同じテイストの作品。
 だが、理不尽なくらいあまり聴かれることがない。プロコフィエフ自身も「古典交響曲」と「シンフォニエッタ」がこんなに違う運命をたどるのが理解できないと、不満に思っていたという。

 5つの楽章から成る。

 ムーティ指揮フィルハーモニア管弦楽団の演奏を。
 1977録音。EMI。

罰は受けなかった大食い者♪WAM/ドン・ジョヴァンニ

0f5fc966.jpg  さて、25日に病院に行ったときの結末を書かねばなるまい。私が定期検診のたびに、血液検査の数値の良不良に一喜一憂しているのを、おもしろがって読んでいる不健康予備軍および不健康な方は少なくないだろうから。
 
 じゃーん!
 なんと今回は血液検査は免除された。
 医者に見放されたのではない。
 前回の検査結果で、悪いゾーンにとどまっているなりにも、著しい数値の改善が見られたからだろう。医者は何にも言ってくれなかったけど。

 ただし、体重は今回も新弟子検査のごとく計られ、そして1kg増えてしまっていた。うっかり方にグラニュ糖の1キロ袋を乗せたまま計ってしまったのかと思ったほどだ。

 体重計は70.9kgを示していた。看護師さんが衣服分500gを引いてくれ、結果70.4kgである。
 70kgを超えてしまったのはショックだ。「今日の衣装は体力増強仕様でして、実は下着だけでも800gは下りません。息が上がっているのも、脈が速いのもそのせいです」と食い下がろうとしたが(実際、脈拍数は107だった)、あまり騒ぐと腕に注射針を刺されそうなのでやめた。
 よし!体重を減らすぞ!2ヵ月後の定期健診までに1000g!
 
 実はこの日の朝食に敗因があった。何のことはない。たらふく食べてしまったのだ。
 その前の週の禁断のチャーシュー、魔性のラーメンライスだけでもドンと出させるに十分効果的なのに、この日はタラコや塩辛、鮭の切り身にベーコンエッグ、ホウレンソウのバター炒めと、冷蔵庫内在庫一掃セールのように食べてしまったのだ。ご飯も2杯。
 その2時間半後に体重を計ったんだから、そりゃ重いわな…・・・

 基本的に以上の話とは関係ないけど、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)の歌劇「ドン・ジョヴァンニ(Don Giovanni)」K.527(1787)。あまり呼ばれることはないが、このオペラ、またの名を「罰を受けた道楽者(Il dissoluto punito)」という。

 ドン・ジョヴァンニは「ドン・ファン」のイタリア読み。2幕26曲で、台本はダ・ポンテ。

 ショルティ/ロンドン・フィルの抜粋盤をここではご紹介しておく。
 ソリストはターフェル(Br),フレミング(S)ほか。
 1996録音。Eloquence(DECCA)。

トランペットが気に入らないけれど…♪KleeのGM/Sym1

2d45416f.jpg  実は今朝を自宅で迎えている。

 って、私のこと何にも知らない人にとっては、自宅で朝を迎えるのは古今東西しごく当たり前のことなのに、何へんてこなこと言ってんだと思うだろう。ここであらためてとやかく書くのはめんどーなので、知らない人は以下の文から私が置かれた状況を読みとっていただきたいが、宮部みゆきの「レベル7」の冒頭のような、不可思議な目覚めではないからご安心して結構である。どーせ心配はしてないだろうけど。

 先週の木曜日、私は支社の管轄エリアでも最も遠い町に行き、そこでクマ肉を食べ、そのまま宿泊した。夜にクマすき鍋を食べたあとは帰って来れない場所だから泊まったわけだが、そこにはネットブックPCを持って行かなかった。
 私の予想通り、そのホテルの部屋にはLANのラの字もなかった。それどころか、冷蔵庫もなかった。

 支社に帰って来た翌日の金曜日。夜は観楓会であった。
 ここにもPCは持って行かなかった。温泉宿の部屋にはLANのンの字もなかった。が、ロビー階には無料で使えるPCが置いてあって、私は土曜日の朝の投稿をそこで行なった。

 マンションに帰ったあと、ワンタッチで車で自宅に帰った。

 日曜日。このブログは2222回目を迎えたが、大量のスパムコメントの祝福に見舞われた。
 それをどのようにブロックするかいろいろやった。キャプチャ認証を強制するように設定したが、それでもスパムコメントは私を祝福し続けた。ようやっと月曜日になって止まったが、きっとキャプチャ認証を強制するという設定がきちんと反映されるまで一定の時間が必要だったのだろう。この間届いたスパムコメントは18,000を超えた。
 日曜日の日中は、そんな悩みを抱えながらバラの冬囲いをした。右手の指の3か所にトゲを刺してしまい、血が出た。

 月曜日は札幌で会議だった。会議の前には病院にも行った。
 そして火曜日にこちらに帰ってきた。

 が、火曜日の午後に打合せをしていたら、急きょ札幌に行って打合せ、依頼、懇願しなければならないことが発生した。
 で、昨日の水曜日にまた札幌へ向かった。
 だから今朝を自宅で迎えたわけだ。んでもって、今日勤務地へと戻り、そしてまた今日も取引先との泊りがけの集いがある。

 以上のことからわかるように、多忙な私には投稿する記事の下書き、専門用語で言うならば“ストック”がなくなってしまった。文を書く時間がないのだ。
 列車の中で書けって?
 一理ある、その指摘には。
 が、ネットブックPCを持って歩くのもけっこうがさばる。
 少なくとも文庫本2冊分よりも重いし……
 だから私は新聞配達人なみに早起きして(といっても、だいたい尿意をもよおすので自然に覚醒する)、朝から怪しげにPCを打つのである。

 昨日のJRでの移動中に聴いた曲から、本日はクレー指揮ベルリン放送交響楽団の演奏によるマーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第1番ニ長調(1883-88/改訂1893-96)。

 CDが安くなっていたのですっごい期待するわけでもなく購入した。
 クレーの名前が懐かしかったから。
 ずいぶん昔にNHK交響楽団を振ってたのをTVでチラ見した覚えがある。いまから40年ぐらい前のことで、私もまだ「大きくなったら大人になる」という将来の夢をもつ少年だった。あのころのクレーはまだ30代だったってことになる。1936年生まれだというから。
 で、名前は懐かしいがN響との演奏はまったく覚えていない、印象に残っていない、あれは幻だったの?って感じ。

 このマーラーの1番は1979年のライヴ。ということは、N響を振りに来た時代に近い。クレーも若かった。
 そして、この演奏も若々しいエネルギッシュなものだ。

 粗いざらついたサウンドだが、演奏の印象は好感がもてるもの。この曲はマーラーが20代のときに書いたものだが、作品のもつ熱き青春の思いみたいなものをあらためて気づかせてくれる。ハツラツとしたオロナミンCの世界。聴衆も元気に拍手喝采、ブラボー絶叫!

 トランペットの音がいくつかの箇所で、私にとっては「感じ悪~い!」のだが、期待するわけでもなくという私の期待を裏切った演奏である。

 Altus。

手にマメのない奴は残飯を食え!♪プロコフィエフ/イワン雷帝

45e680a8.jpg  そういえば今から20年ぐらい前に、文庫本の「イヴァンの馬鹿」を買って読んだ。

 「イワンのバカ」に似ていて間違えやすいが、林家木久蔵(今の名は木久扇)が歌ってたのは、「♪イヤァ~ン、バカぁ~ん」である。

 「イヴァンの馬鹿」という話は、たぶん、子供のときにもどこかで読んだことがあり、青年になってから懐かしく思って文庫を買ったのだが、はて、どんな話だったか今となってはまったく思い出せない。 

 そこで茶色に焼けたページをめくってみた。

 出だしは、

 昔ある国のある所に、金持ちの百しょうが住んでいました。この金持ちの百しょうには三人の息子がありました。軍人のセミョーンと、布袋腹のタラスと、馬鹿のイヴァン、そのほかにマラーニャという唖(おし)の娘でした。軍人のセミョーンは王様につかえて、戦争に出、布袋腹のタラスは商売をするために町の商人のところへ行き、馬鹿のイヴァンは妹といっしょに家に残って、こつこつと働いていました。……

ってもの。
 布袋腹ってどんなんだ?なんとなく想像つくけど。
 唖って、いまや使ってはいけない言葉じゃなかろうか?

 そして終わりは、

 イヴァンは今でも生きていて、人はみんなその王国におしかけて来ます。二人の兄もやって来ましたが、イヴァンはそれを養っています。誰かやって来て、「おれを養ってくれ」と言うと、「なに、いいさ、くらすがいい。おれたちのとこには何でもどっさりあるから」と答えます。ただ一つこの国にはしきたりがあって、手にまめのあるものはテーブルにつかせてもらえるが、まめのないものは食べ残りをあてがわれるのです。

というわけで、人生ゲームはとんでもない結末を迎えたようだ。

 にしても、タイトルはなぜ“馬鹿なイワン”じゃなく“イワンの馬鹿”なんだろう。
 「MUUSANの馬鹿っ!」みたいな、罵りなんだろうか?

f19522e3.jpg  気になるけど、まっいいや…… 

 プロコフィエフ(Sergei Sergeevich Prokofiev 1891-1953 ソヴィエト)の「イワン雷帝(Iwan the Terrible)」。S.エイゼンシュタイン監督が1944年から46年にかけて制作した映画のための音楽である。

 イワン雷帝と呼ばれたイヴァン4世の生涯を描いた映画で、当初は全3部構成となる予定だった。第1部はスターリンからお褒めをいただいたものの、第2部がスターリンを暗に批判していたために上映禁止となり、結局第3部は完成されなかった。 

 ストーリーはともかくとして、プロコフィエフの音楽は、彼らしく無愛想な機械的なものかと思ったら突然お花畑に放り出されたかのように心地良いものに変わったり(私は義剛の顔を目にすると心地よくなくなる)、コサックダンスを踊りたくなるようなものが出てきたり(私は踊れません)、そしてまたチャイコフスキーの「1812年」にも使われている正教会聖歌「神よ汝の民を救い」も出てきたりして、この季節にはうれしい具だくさんのおでんのよう。たいていおでんは具だくさんだけどね。
 はちゃめちゃとシリアス、ユーモアと皮肉が同居している、今のNHK朝ドラ「ごちそうさん」の西門家のようである。

 ムーティ指揮フィルハーモニア管弦楽団、アンブロジアン合唱団、アルキポヴァ(Ms),モクレンコ(Br),モルグノフ(語り)による演奏で。
 1977録音。EMI。

dea02f17.jpg  ところで怒帝王のその後であるが、極めて絶望的だ。
 地下部が腐ったために、まだ健康そうな地上部だけを切り残し土に置いておいたのだが、今回土に接している部分がまた腐り出していた。
 そこで、さらに腐敗した部分を切り落としたが、おやおや、なんて気持ち悪いいろなんでしょう!切り口は鮮やかなオレンジ色になった。
 テントウムシのゲロみたいな色だ。

 一応この部分に、消毒の意味で石灰を塗った。園芸用の石灰を切らしていたので、海苔の缶の中のなかの乾燥剤を使った。もちろん石灰の乾燥剤である。シリカゲルじゃ何にもならない。
 そしてまた、切り口がよく乾いたら、しつこく土に挿すつもりである。

でもPASSOってどんな車だったっけ?♪ヘンデル/カンタータHWV.83

04d32c73.jpg  全然知らない曲だが、安かったので買った。
 安かったおかげで、新たな曲を知ることができた。

 ヘンデル(Georg Friedrich Handel 1685-1759 ドイツ→イギリス)のカンタータ「アミンタとフィッリデ『歩みを止めて』(Aminta e Fillide 'Arresta il passo')」HWV.83(1708)。

 私には曲についての詳しい情報がないが、イタリア時代のヘンデルのパトロンの1人、ルスポーリ公爵のために書かれたという。
 編成は2人のソプラノ独唱と弦楽、通奏低音。

 よどみなく流れる明るい旋律が心地良い。また、特に二重唱で歌われる音楽が実に美しい。

 フェルトホーフェンとトゥルーの独唱、ヴィターレ/コントラスト・アルモニコの演奏で。
 廉価なのに良い演奏。いや、良い演奏なのに廉価なCDだ。

 2010録音。ブリリアント・クラシックス。

 そっかぁ。PASSOって“歩み”って意味だったのか。
 今日はこれから都市間高速バスで勤務地へと戻る。

 もしバスを猛スピードで追い越していくPASSOがいたなら、私は心の中で「身の程知らずの危険者!歩め!」とつぶやいてやろう。

 そういえば、昔ミリンダって飲み物があったな……
 アミンタ⇔ミリンダ。あっ、あんまり似てないか……

 にしても、この天使、すけべったらしい顔してるよな。
 なんかおっさんくさいし……

悪魔の狙いは彼女、謎の外人の狙いは私?♪ウェーバー/魔弾の射手

5914750d.jpg  今日は札幌で会議があるが、つまりいま私は自宅に帰っているわけで、それはともかく会議の前にかかりつけの病院に行く。
 先週、急に思い立って予約の電話を入れると、なんとか待ち行列の合間を縫って診てくれることになったのだ。

 なぜ急に思い立ったのか?
 このままでいくと、12月の末に薬がなくなることに気づいたからだ。
 この先、年内に病院に行ける可能性は低い。行けたとしても、忘年会やら何やらで、血液検査の結果が医者に好印象を与えることは難しい。せっかく行ったのに叱られるのでは割に合わない。

 そこでこの機会に薬をもらっておこうと思ったのだ。

 が、しつこく言うが、急に思い立ったわけで、健全になるための計画的生活はまったくしてこなかった。まるで言い訳のようだが……
 つまりは、やっぱり叱られるのだ。今までもそんなことしたことなかったし……

 大きな致命傷になりそうなのが、先週火曜日の昼に食べた“担々麺+小ライス”と、水曜日の昼に食べた“チャーシューメン(しょう油)+小ライス+豚肉の炒め物”である。
 また、少なからず致命傷になりそうなのが連日の飲酒である。
 血中の中性脂肪は麺とライスによって増え、チャーシューは尿酸の値を押し上げる。
 実にわかりやすいではないか!

 最近はラーメンにライスをつけることを我慢してきたつもりなのだが、タイミング悪く我慢できなくなってしまったのが先週のこと。
 私はチャーシューメンを頼むことはまずないのだが、醤油ラーメンと小ライスだけならバランス的にタンパク質が少ないと思い、珍しくチャーシューメンを頼んだのだ。良心的におかずとして豚肉の炒め物がついてくるなんて知らずに……

 あぁ、禁断のチャーシュー……

 さぁ、連想は飛躍する。

 ってことで、ウェーバー(Carl Maria von Weber 1786-1826 ドイツ)の歌劇「魔弾の射手(Der Freischutz)」Op.77(1817-21)。
 J.アーベルとF.ラウンの「妖怪物語」により、F.キントが台本を作った3幕5場のジングシュピールで、初演は1821年(ベルリン)。

 悪魔に魂を売って、必ず標的に当たる魔弾を手に入れる射手の話である。この魔弾、7発中6発は射手の望むところに必ず命中する。しかし、1発は悪魔の望むところに命中する。

 “マックスは恋人のアガーテと結ばれるためには射手競技で優勝しなければならなかった。そこで魔弾を手に入れるが、最後の弾はアガーテに当たってしまう。マックスは罪に問われるが、信仰を誓って許され、2人は結婚する”という筋。

 ウェーバーは、当時ドイツの音楽圏でも圧倒的な人気を博していたイタリア・オペラに対抗して、ドイツ国民オペラの確立に努めた。その使命感は「魔弾の射手」に結実し、大成功を収めたのだった。

 この曲の巧みさは、まず序曲に現れている。冒頭のホルンを除き、序曲はすべてオペラの中のメロディーで構成されており、しかもソナタ形式になっている。
 また、ホルンはドイツの森、クラリネットは悪人のザミエル、トロンボーンは隠者と、管楽器の扱いが工夫されている。有名な「狩人の合唱」を耳にすれば、合唱部分の効果にも感心させられる。
 「魔弾の射手」はワーグナーをひどく感動させたが、その後ワーグナーが実現した壮大な計画の原点は「魔弾の射手」にあると言われている。

 今日はピリオド演奏の「魔弾の射手」を。
 ブルーノ・ヴァイル指揮WDRカペラ・コロニエンシス,ケルンWDR放送合唱団による「魔弾の射手」は、ぼてぼてと着ぶくれしたようなところがなく、すがすがしいもの。
 また詳しいことはわからないが、シュテフェン・コペツキによる新テクスト版とのこと。

 独唱陣は、プレガルディエン(T),ゲルハーヘル(Br)他。
 2001録音。ドイツ・ハルモニア・ムンディ。

 さて、驚いたことに、かつ、厄介なことに土曜から日曜にかけてコメントが10,000通以上寄せられた。10,000ですよ!1万ですよ!一万ですよ!壱萬ですよ!
 これは2222回目を祝福する英語のコメント……。って、スパムコメントじゃん。
 しかも、コメント投稿者(投稿マシーン)は、UGG outlet というところと Louis Vuitton Outlet というもの。見事に狙われた私。
 スパムコメントとして振り分けられてはいるのだが、それを端っからブロックすることはできない。
 コメントを寄せていただく方には手間をかけるが、今回コメントを寄せる際にキャプチャ認証の画面が表示されるようにさせていただいた。ご理解賜りたい(いままでしていなかったことが、脇が甘いということか?)。
 が、そのように設定したあとも、この2者からは引き続きコメントがうねりのように押し寄せてきている。キャプチャ認証設定がうまく反映されていないのだろうか?
 いま、OCNさんにヘルプをお願いしているところである。
 

大指揮者としてのマーラーの遺産♪GM編のLvB/Sym9

7419c7f3.jpg  日曜日である。

 しかし今日の日曜日はふだんの日曜日とは違う。そのことにみなさんはお気づきか?

 「11月最後の日曜日でしょ?」って?
 見事だ!鋭い!的を得ている!
 ……っっっって違うのっ!私が言いたいことは。

 今日でこのブログが第2222話目を迎えた。

 「ニーニーニーニーだってぇ!?」と、今皆さんはまさにビックリ仰天卒倒寸前になったことは容易に想像できるが、この日が来るまでサプライズ効果を狙うべく、私はずっとほのめかすことを我慢していたのだ。
 特に苦しかったのは2200回目を迎えたときで、「今日が2200話目である」と書きたい誘惑に打ち勝つのに、私がいかに苦労したか察してほしい。

 「あれ?MUUSAN、今日が2200回目じゃないですか?」という鋭い指摘のコメントが入ったらどう対処しようかとひどく心配したが、幸いそのことに気づいた読者はいなかったようだ。
 って、1000回目だろうが、2000回目だろうが、そんなん読み手にはカンケーないことだよな。究極の自己満足、自己陶酔、子どものころよくなったのは自家中毒。

 とはいえ、皆さんにほんのちょっとでも和の心があるなら、本日の22:22に北極星に向かってそっとつぶやいてほしい。「王様の耳はロバの耳」と。
8ddb5f14.jpg  そうそう。先日出張先で泊まったホテルの部屋が偶然にも222号室だったほどだ。2222号室じゃないが、2階建てなんだからしょうがない。

 単に2が並んだだけで、7が並ぶのに比べれば全然祝祭的じゃないが、でも祝おう(先日名刺交換する機会があった人の名は岩雄)。

 きっと大好きなマーラーを取り上げるんだろうなって?

 いやいや。でも惜しい!象印賞!

 こういうときは、ミーハー的に第九。それも元祖「第九」である。

 元祖「第九」とはもちろん、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827 ドイツ)の交響曲第9番ニ短調Op.125(1822-24)。

 言うまでもなく、日本では年末にどこのホールでも鳴り渡る曲。年末に第九を聴くという風習は日本だけのものらしいが、そもそもはオーケストラの団員が年越しの収入を得るために合唱の入る曲を取り上げたのだという。
 というのも、地元主体の合唱団のメンバーは「ねえねえ、私の晴れ舞台を観に来て!」とチケットをさばいてくれるので、客席は肉親や知人友人で埋まるって寸法らしい。

 それにふさわしい曲が「第九」だったわけだ。もう10年近く私は第九公演に出かけていないので最近の様子は知らないが、なんとなく第九の演奏会は客層が違うのはそのためであり、今でもそれは変わらないんじゃないだろうか?

 なぜ「第九」じゃなきゃならなかったのか?
 たぶんレクイエムとかだったら縁起悪いと思う人もいるだろうし、やっぱり「歓びの歌」は1年を締めくくるにふさわしいのだろう。たとえ、楽しいことがなかった1年だったとしても。

 とはいえ、私はこの2222という節目に、やはりマーラーを無視することはできない。そこで折衷的にマーラー編曲による「第九」 。

 「第九」はスコア通りに演奏してもうまく鳴り響かないといわれる。だから、指揮者たちはスコアに手を入れるわけだが、大指揮者だったマーラーもビシバシとやってくれている。
 それがマーラー版「第九」ってわけで、当然、オケの音が大きくなるように補強されている。

 おもしろいといえばとてもおもしろいし、ちょっとゲテモノっぽくない?と言われればそれもそのとおり。

 第2楽章の「つーららたったたったたった つーららたったたったたった」のところなんて(これじゃどこかわかんないだろうけど)、金管ががっつりと補強されている。
 いつも聴く第九と違うところはたくさんあるが、私には第2楽章がいちばん印象的だった。

 発売元からのセールス・メッセージは以下のとおり。

 首席指揮者クリスチャン・ヤルヴィ&名門トーンキュンストラー管
 ベートーヴェンの「第9」マーラー版
 ハイドンの「パリ・セット」(PRCD.90765)につづく、プライザーの「トーンキュンストラー・ライヴ」第2弾は、首席指揮者クリスチャン・ヤルヴィによるベートーヴェンの「第9」。2006年秋に、ウィーンのムジークフェラインザールで行われた演奏会の模様を収めたものです。
 ■マーラー編曲版によるベートーヴェンの「第9」
 「ベートーヴェンの交響曲は、たいていの指揮者にとって単純には解決できない問題をもたらす。そのことをわたしはいよいよ見抜くのだ。ベートーヴェンの交響曲は間違いなく、解釈と改訂が必要なのだ。」1900年の冬、マーラーは友人のナタリー・バウアー=レヒナーに向けてこのように述べています。ひとりの指揮者として、そしてひとりの作曲家として、マーラーはベートーヴェンの「第9」を、当時すでに確立されていた演奏方法に遵って演奏することがどうしてもできませんでした。マーラーは、ベートーヴェンの時代とみずからの時代との間に起きた途方も無い、オーケストラ組織全体における技術の発展を考慮したうえで、作曲当時のオリジナルの音響バランスを想定し、「第9」のオーケストレーションをやり直すことに決めました。すなわち、オーケストレーションを増強し、具体的には、ブラス・パート改良された技術上の発展性に適合させて、倍管をはじめ、さまざまなパートの人数を倍にしたり、フレージングとアーティキュレーションを強めたりと手を加えています。
 ■「新クリティカル・マーラー・エディション」にもとづく最初の録音
 ベートーヴェンの交響曲といえば、先ごろクリスチャンの兄パーヴォがドイツ・カンマー・フィルとの顔合わせで全集録音を完成させており、2008年に収録された「第9」はベーレンライター版による演奏でした。これに対して、おなじく“作品のオリジナルの姿”に立ち返るという立場でも、弟クリスチャンがここでマーラーによる編曲版の楽譜を選択しているのはたいへん興味深いところです。第1弾のハイドンでも、モダン楽器使用の手兵を相手に、持ち前のリズム感のよさと懐の深いアプローチを聞かせていただけに、たとえばアダージョのすいこまれるような美しさやフィナーレでのドラマづくりなど、このたびの「第9」の出来ばえにもおおいに期待が高まります。なお、当アルバムは、国際グスタフ・マーラー協会の公認した、ウィーンのウニフェルサル・エディションとの協力により、音楽出版社ヨゼフ・ワインベルガーによる「新クリティカル・マーラー・エディション」にもとづく最初の録音になります。
 ■黄金のホール、ムジークフェラインザールでの録音
 さらに、当アルバムのポイントといえるのが、前作に引き続き「黄金のホール」と謳われるムジークフェラインの大ホールにおけるレコーディングである点。このたびは、SACDハイブリッド仕様ということで、美しいホールトーンが、よりいっそうご堪能いただけるつくりとなっています。


 ただしですね、クリスチャン・ヤルヴィの演奏はどーも軽い。「ほぅりゃっ!ベートーヴェンだぜぇ!」という押しつけがましさが希薄。

 マーラーはもっとがっしりしたものをホールに繰り広げようと思ったはずだ。
 別な演奏で聴きたくなる版である。

 独唱はフォンターナ(S),ヘルツル(A),ベズイエン(T),マイヤー(Bs)。オーケストラはウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団。そして、スロヴァキア・フィルハーモニー合唱団。
 2006年ライヴ。PREISER(SACD)。

 ベートーヴェンの「第九」の第4楽章では、それまでの第1~3楽章のメロディーの断片が出てくる。そしてそのあとに「おお友よ、こんな調べではなく……」と歌われる。
 つまり、それまでに出て来たものを全否定するわけだ。第4楽章の「歓びの歌」が出てくるのをお尻の痛さを我慢してじっと待っていた人たちにとっては、あまりにも気の毒なことだ。じゃあ最初っから第4楽章をやってくれと言いたくなるだろうが、その人たちはそもそもこのベートーヴェンのサド的手法に気づいてないかもしれない。

 「今回「『第九』を取り上げたってことは、MUUSANは過去の記事を全否定して新たな境地に入るつもりなのか」って考える人が居ないでもないかもしれない。が、それは深読みってもの。私はなーんも考えてない。

 明日もまた成長のかけらもみられない文を書いちゃうのである。

ヴィッセルは神戸、ビュッセルはフランス♪ドビュッシー/小組曲

c27a984b.jpg  コマーシャルなどで少なからず使われていたりもするのに、意外とCDの発売点数が少ないい曲というのがある。

 ドビュッシー(Claude-Achille Debussy 1862-1918 フランス)の「小組曲(Petite Suite)」(1886-89)の第1曲「小舟にて」のフルートの透き通ったメロディーは、多くの人が耳にしたことがあるはずだ。

 プチ・スイートというのは、小さな甘味じゃない。ひどく余計なことだが。

 この作品、もともとは4手ピアノ、つまりピアノ連弾のためのもの。
 小舟にて/行列/メヌエット/バレエの4曲からなる、文字通り小さな組曲。
 オーケストラ用に編曲したのはビュッセルで、その編曲にはドビュッシー自身も満足していたというし、おそらくこのすばらしい編曲-そのとき用いられる楽器がメロディーの性格に実によく合っている-がなければ、ここまで知られることはなかったかもしれない。

 私も中学生のときに、札響の無料演奏会である“ほくでんファミリーコンサート”で初めてこの曲を聴き、その清楚で純真な音楽に、まるで鏡で自分自身の姿を見つめているような気分になったものだ。

 クリヴィヌ指揮国立リヨン管弦楽団の演奏で。
 1994-95録音。DENON。
 ジャケットの絵もほのぼのとしていて感じが良い。

 小舟といったら、「♪ 歩いても 歩いても 小舟のように~」を思い浮かべる人いますか?
 そう。ブルー・ライト・ヨコハマです。
 私が小さいとき流行ってました。
 いえ、それだけです。

 昨日は支社の懇親旅行だった。支社から車で30分ほどで行ける場所に有名な温泉地がある。そこに泊まりがけで行ってきた。これが新婚旅行だったら花嫁はたぶん不満に思うことだろう。街から30分の場所だなんて、と。

 北海道ではこの季節のこういう旅行や宴会を観楓会(かんぷうかい)という。どうやら北海道の方言のようだが、文字通り楓を観る会なのだ。
 が、春の花見のときに宿命的に“花より団子”(あるいは“花よりジンギスカン”)となるように、もみじを狩っている人は絶対零度的に1人もいなかった。

 その前日は、車で1時間半ほどの町にある大切な取引先の方に急きょ誘われたので、泊りがけで行ってきた。
 「熊をしとめた!」という電話が来たのだ。
 熊の肉を食べさせてくれるという。
 「く、熊ですか?」
 「そう!社長がいいのをしとめた」

 私の好物の中に熊肉は残念ながら入っていない。が、せっかくのお誘いだ。誘っていただけることはとても栄誉なことだ。
 熊の肉は赤みが強いが、今回の肉は脂肪が純白といえるほど美しく、そのコントラストはクリスマスケーキにおける生クリームとイチゴのようだった。

 3月にもお誘い受けたが、そのときに食べた感想は、硬い、臭い、というもの。
 しかし同じくすき焼きで食べた今回は、臭みがほとんどなく、また柔らかく美味だった。そしてまた、脂肪にクセがないのに驚いた。
 社長は「豚や牛の脂はくどいけど、熊はそうじゃない。だから脂身と呼ばず白肉って言うのです」と教えてくれたが、本当に脂という感じがせず、あっさりしていた。そしてまた、こういう白肉がきれいで美味しい熊にはめったに当たらないということだった。

 なお、今回の熊パーティーは先日私がデパートで熊油を見かけたこととはまったく関連性はない。

 さて、これから自宅へと戻る。
 明日は日曜日である。いちいち言われる筋合いはないだろうけど。

 月曜日は札幌で会議である。
 明日はなんとしてもバラの冬囲いを終えなければ。作業が完遂できた暁には……ぼろぼろの体調で会議に臨むことになるだろう。

余計なことして、ベームさんごめん…♪WAM/Sym34

361e45ce.jpg  12月の予定も、望んでもいないのにどんどん埋まっていき、さらに年明けのスケジュールも入ってきている。

 いつ手帳を来年のものに切り替えるか……。
 この時期、毎年悩んでしまう。

 私が愛用している手帳“サジェス”の2014年版では、週間ダイアリーの部分が2013年12月2日から始まっている。
 当然、すでに12月2日以降の予定は新手帳に記入しているが、同時に今年の手帳にも書き入れている。というのも、サラリーマンにとっては常に将来を見据えていればいいというわけにはいかないからだ。
 「あの日はなにがあったっけ?」と過去を振り返る必要性に迫られることもある。

 だから、「はい、12月2日からは新手帳。古いのはおさらばね」ってことにはならない。少なくとも年内は新旧2冊を持ち歩いた方が、不便だが便利に違いない。

 このようにしていると、たとえば突然「古い話で恐縮だが、8月8日の昼は何を食べたっけ?」と上司に尋ねられても、「その日はインデアンに行きカレーを食べました」と、私は即答できるわけだ。実にすばらしい心構えだと自分では思うが、そのような質問をこれまでも一度もされていないことは、実に残念である。

 来年は、前にも書いたように、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714-88)の生誕300年にあたる。
 彼の「4つのシンフォニア」Wq.183について、私はこれまでもしつこく賞賛してきた。この作品が出版されたのは1780年のことである。

 同じころ、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-91 オーストリア)はどんなシンフォニーを書いていたのか?
 24歳・年男のモーツアルトが1780年に書いたシンフォニーは交響曲第34番ハ長調K.338である。

 これの次の交響曲、つまり第35番(1782)は「ハフナー」と呼ばれる傑作である。
 これの前の交響曲、つまり第33番(1779)はそうそう聴かれる曲ではないが、第1楽章で“ジュピター動機”が現われるのがチャーム・ポイント。

 ではこの2曲に中間の第34番はというと、はっきり言って地味である。マイナーである。34というナンバリングが重荷になっていないかと気の毒に思う。老いたとはいえ(逆に熟練してたわけだが)、そして前時代的になっていたとはいえ、C.P.E.バッハのシンフォニア(=交響曲(の前駆体))の方が、はるかに激しい。

 第34番はモーツァルトがザルツブルクの宮廷音楽家として活躍していた時代に最後に書いた交響曲。3つの楽章から成る。

 音楽学者のA.アインシュタインは、のちにメヌエットK.409がこの曲に追加され4楽章になったと推察した。ベーム/ベルリン・フィルによる録音(1966)はこの説に基づいて4楽章厚構成の交響曲として演奏しているが、現在ではアインシュタインの説は否定されている。

 コープマン指揮アムステルダム・バロック管弦楽団による演奏を。
 1991年ライヴ。エラート。

 なお、第33番の方は1782年頃に第3楽章としてメヌエットが加えられて、現在では4楽章からなる交響曲として演奏されている。

 2014年に生誕300年を迎える(つまり1714生まれ)作曲家は、ほかにグルックがいる。
 また生誕200年の作曲家にはヘンゼルトが、生誕100年には早坂文雄、伊福部昭、小山清茂がいる。
 生誕150年となると、R.シュトラウスやタイケがいる。タイケは、まっ、いいか。

 一方、没後150年の作曲家はフォスターやマイアベーア。没後100年はリャードフ。そして没後250年にはラモーがいる。

 ところで、先日BOOK OFFに行ってみた。
 私が持っているベーム/ベルリン・フィルによる34番(1966録音)が入っているCDはエコー・インダストリーというところから出ていたリプリント盤である。
 エコー・インダストリーなどから出ていたこういうCDは定価は2000円と表示されてはいるが、実際には1000円で売られていた。ショッピングセンターの中に入っている小さなCDショップや本屋、さらにはドラックストアに並んでいて、きちんとしたCDショップにはなかったと思う。

 そのリプリント盤のシリーズの中古CDがそのBOOK OFFの店で売られていたが、なんと価格は950円!
 実売価格1000円のものが950円である。
 高い!

 きっと表示されている定価(?)だけを鵜呑みにしてこういう値段をつけたんだろうな。
 中古CDショップなら500円ぐらいで売られているはずだろうに……

駝鳥でも熊でもない。男はやっぱり馬だ!♪ベルリオーズ/トロイア人

faf28b8f.jpg  麻生きみ子さんはたいへんな苦労をしているようだ。
 こんな目に遭っているなんて、私も最近まで知らなかった。
 今のNHKの朝ドラに匹敵するほどのいじめだ。ただ、きみ子さんはちょっぴり歓んでいる気がしないでもない。

 【麻生きみ子】
 「きみ子さん、どうだ?これ、何かわかるだろう?古来日本から悪名高い女性器拷問具の三角木馬だ。きみ子さん、今からやり方を説明するから良く聞け。木馬は鋭角に設定してある。お前が跨る木馬の上部全体にはギザギザになってある」。
 確かに2~3mmほどのギザギザが見えました。
 「運が悪ければ〇〇〇〇はこのギザギザの上に乗ることになる。天井の柱から垂れ下がっている赤いロープに掴まって股間を守るんだ」と嬉しそうに義父が熱弁してました。
 町内会のSM同好会はこれを使うことになりそうです。一度、義父が会長を務めるSM同好会に参加して頂けないでしょうか?如何に義父が常軌を逸しているかわかる筈です。


 だけど、私には麻生きみ子が誰であるかも、義父がどんな容姿の人であるのかもわからない(想像するに、義父はやせ形で白髪のような気がしてならない)。

 このような同好会をもっている町内会があるとは知らなかった。
 日曜大工が得意な人ってけっこうあちこちにいるが、その中にはテーブルとか柵とかだけじゃなく、木馬を作っている素人職人いるってことなんだろう。
 そして、同好会の存在は、定められた額以上に町内会費を納めている人にしか教えられてないんじゃないかと思う。
 今回の私へのお誘いは、基本町内会費しか払っていない私のようなものには貴重な機会でだ。
 が、私が誘われる理由がわからない。そして、そもそもそういう趣味は私には完璧にまったくない。

 ロープは赤じゃなきゃならないのかとか、旦那は守ってくれないのかとか、「ギザギザになってある」って言葉が変だとか、いくつかの疑問は残るが、このメールで義父が常軌を逸していることは十分に伝わってくる。久々に笑える悪意が感じられないばかばかしいメールではあった。

 さて、いま私は馬にかけている。
 競馬の話ではない。

 先日デパートの催事会場に行ってみた。物産展である。
 そこには熊油やダチョウ油が売っていた。

 濃淡で言えば濃に調整済みの化粧をした販売に、「お兄さん、お兄さん。ダチョウの油試してみて。手にちょっと塗っただけでツルツルしっとりになるから」と声をかけられた。

 でも、私は試さなかった。
 この人が嘘つきだとすぐに見抜いたからだ。
 だって私のことを「お兄さん」と呼んだのだ。それともお兄さん×2だから、40歳くらいという意味なのかもしれないが、それでも見え透いている。

 さらに彼女は嘘を重ねた。

 妻に向かって「お嬢さん!」と声をかけたのだ。
 つまり、ダチョウ油の効果のほどはともかく、彼女のこの呼びかけによって、力説する効能を全面的に信じるわけにはいかなかった。

 2つ隣りのブースでは熊の油も売っていた。
 その効果はダチョウ油と同じであらゆる肌トラブルに効くというもの。

 そこで私がふと思い出したのが馬油。
 家に戻ってから、馬油についてネットでいろいろ調べてみたところ、どこまで本当かわからないが(商業的な提灯記事かもしれない)、何となく良さそうだ。シミが薄くなるとまで書いてある。

 はっきり言って私は、かつて色白で肌が絹ごし豆腐のようにきれいと言われていた。
 しかし、バラを育てるようになってから徐々に顔にシミが増えてしまった。
 また、加齢だけでなく、これも紫外線の影響大だと思うのだが、ご存じの通り私の首には老人性イボ(老人性疣贅)が多発している(紫外線が当たらない股間近くの太ももに1個できているのが不思議だ)。

 シミが薄くなるというのは興味深い。
 そして、確かJR北海道で馬油を売っていることを思い出した(特急車内のシートポケットにあるギフトカタログで見たのだ)。

8d23e23b.jpg  いろいろと信頼をなくしているJR北海道だが、あまり知らない会社の製品を買うよりもJRのものの方がまだ良いような気がした。いざとなったら文句をつけやすそうだし……(いえ、私はクレーマーではない)。

 その名は“麗雪馬油”。
 小雪が淡麗生を飲んでいるような誤解を招きそうなので、セールスコピーをご紹介すると、

 馬油高配合 なのにベタつかない!
 JR北海道が開発した、オリジナルスキンケア商品です。
 人間の皮脂に極めて近い性質を持つ天然化粧品として知られる「馬油」を、92%配合しております。
 高配合にも関わらずベタつかず、さらっとした仕上がりが特長です。
 ※馬油・・・人間の皮脂に近い性質を持つため、強い浸透力があり、高い保湿力が期待できる天然化粧品です。
 【商品の特長】
 ■馬油を高配合(92%配合、高配合にも関わらず、さらっとした仕上がり)
 ■ヒアルロン酸、ユビキノン、北海道産コラーゲンを配合、潤いアップ
 ■馬油の本場であるアジア圏の方々に対しアンケートを実施し、それを基に商品化


というもの。

 「馬油の研究開発をするくらいなら、その前にエンジンの開発を優先させろ」と思う方もいるだろう。でも、この記事のせいであなたのJRに対する怒りが高まったとしたら、私としてはそれは困る。余計なことを書くなと文句を言われそうだ。

 最寄りの駅には置いてあるようなので、なぜか焦って駅に行き、KIOSKで買った(どこのKIOSKにも置いてあるわけではない)。
 ダチョウとクマがきっかけでなぜか馬に向かってしまったわけだが、「中原の虹」に馬賊が出てくるから潜在的に影響を受けてしまったのかもしれない。

 塗り始めてまだ数日なので効果のほどはわからないが、まったくベタつかないかと言えばそうではない。
 鼻の横が脂漏性湿疹でしばしば皮がむける私だが、妻は「脂漏性湿疹なのに油を塗っていいものやら……」と疑問を呈した。

 悔しいが鋭い指摘だ。

 だが、皮がむけるということは保湿が必要だとねじ曲げて解釈することにした。
 そしてまた、肌に潤い成分が浸透するということは、もしかするとイボにも効果があるかもと拡大解釈している。本当にそうなるかどうかは、私の人体実験の結果を待っていただきたい(せめて東京オリンピック前に結論が出ればいいのだが……)。

 些細な不満は、気のせいか顔が馬臭い気がしないでもないこと。暑い季節になると馬あぶが寄ってこないか心配だ。まっ、熊臭いよりいいか……

 ところで、木馬といえばトロイア(トロイ)である。コンピューター・ウィルスの“トロイの木馬”じゃなく、ギリシャ神話に出てくる木馬のことだ。

 ベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-69 フランス)の歌劇「トロイアの人々(Les Troyens)」(1856-58/改訂1859-60,1863)は、2部構成で、各幕間を15分として全曲の演奏に4時間半もかかるお化け作品である。

 古代ローマ最大の詩人と言われるウェルギリウスの長編(全12巻というボリューム)の叙事詩「アエネイス」などから、ベルリオーズ自身が台本を作った。

 5幕から成るこのオペラ、あまりに長く上演に至らなかったため、ベルリオーズはオペラを2部に分けたのだった。
 第1部は「トロイアの占領(La prise de Troie)」。3幕4場から成る。第1部の主要曲は「トロイア人の行進曲(Marche troyenne)」である。
 第2部は「カルタゴのトロイアの人々(Les Troyens a Carthage)」。4幕6場から成る。主要曲は第2幕第2場の前の間奏曲「王の狩りと嵐(Chasse royale et orage)」。

 物語は、第1部はギリシア軍の木馬の計略で陥落したトロイアの王女カッサンドラの悲劇である。第2部はカルタゴに逃れたトロイアの王子エーネアスが、一度は王女ディドーと結ばれながらもこれを捨ててイタリアに出発するまでの話。
 4時間半を3行にしちまってごめん。

 今日は「トロイアの行進曲」「王の狩りと嵐」そして「バレエ音楽」が収められているアミ指揮フランス放送フィルのCDを。
 1980録音。apex(原盤エラート)。

 なお、当初ベルリオーズが意図したとおりの5幕ノーカット版を初演したのはクーベリック。
 1957年のことである。

 にしても、今日の記事もいたずらに長いな……
 2日に分けりゃよかったかな……

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