《前回の振り返り》
経済性は健康に勝るとの方針でラーメン・セットを食べたあと、私は不届きな左折車を目撃したが、そのあとマジシャンのように口から金塊ならぬ銀塊を出すことになる。誰にも気付かれないようティッシュでその宝物を包み、あいまいな発音で「行ってきましゅ」と宣言し、出張に出た。
社をあとにする。
この突如現れた口中右側の空間をどうすべきか?
アロンアルファで自己治療するか?いやいや、無謀だ。場所が場所だけにきちんとはめる自信もない。
次回、札幌のかかりつけの歯科にかかるのは4月の10日すぎだ。
この間、私はおかゆ生活なのか?
その方が痩せられるかもしれんが……
いや待てよ。
なにを義理がたい、いや保守的な、まるで一穴主義的なことを考えているのだ?私は。
緊急事態じゃないか!なう。
いつもの歯医者にかかる前に、こちらの歯医者で応急処置をしてもらえばいいではないか!
なんでこんな簡単なことに気づかなかったのだろう。2次方程式を解こうと悩んでいるときに、あっという間にツルカメ算で小学生が答えを出しちゃうようなものだ。
駅に向かう途中の道沿いに歯科医院がある。
ガラスのドア越しにのぞいてみる。
患者らしき2人が待っている姿が見えた。
飛び込みで入っても、診てもらえるのはかなりあとだろう。
JRの時間まで、私には25分しか残されていない。
む、むりだ……
で、私がとった次のアクションは……
帯広駅のホーム。
列車が来るまであと5分ほど。
私は携帯電話をいじくった。
iモードで“釧路駅 歯科”と検索。
そこで最初に表示された歯科医院に電話を入れる。
と、診てくれるという。
いま出張中なんです。これから釧路に向かうんです。釧路駅に着いたら必ず絶対に間違いなく行きますからと告げ、医院の場所を確認し(幸い釧路はあまり詳しくない私でもわかる場所だった)、やれやれ一安心。電話口の女性が天使のように思えた。
が、あくまで応急処置にしかならない。
私の心は輝きを失ったままだ。
もしかしたら、外れた原因、反動なんかで、口臭が強くなってないだろうかと、余計なことまで心配する。
列車は混んでいた。
こんなに釧路に行く人が多いとは思わなかった。
私の隣の席は私より年配の女性。おみやげ物をたくさん持っていた。楽しい旅行だったに違いない。そう、不幸なのは私だけだ。
池田駅に近づくと、そこで下車しようと通路を通った人がいた。取引先の良く知った人だった。向こうも気づき、「出張?釧路?」と尋ねる。
「ええ、ふしりょ」
いけない。やはり風の抜け方が変化している。
そして傷心の私は、「しょのうち、また」と暗く挨拶をした。
乗車して1時間ほどしたとき。
私はウトウトして気づかなかったが、隣にいた女性がおみやげやバックごといなくなっていた。
列車は池田以外、途中停車していない。
もしかして私の寝息が匂ってどこかへ避難したのだろうか?
と、ほどなくして列車は停車。白糠だ。
ホームにその女性の姿を見て、ほっとする。なんだ、私のこと避けたんじゃなくて、降りたかったのね。そんなに早くデッキに向かわなくてもいいのに……。びっくりしちゃうじゃない!
釧路に着き、このあいだ報告したようにまずはホテルにチェックインし、ちらっと歯科医院の場所を確認した後、支社へ。
そこで打ち合わせをし、大変申し訳ないがこのあと歯医者に行かざるを得ない状況下に置かれている。ついては食事は6時半からにしてほしいとまったくもって平身低頭。歯科へ向かった。
歯科医院のスタッフ ―女性2名と医師― は私のような一見の客にも親切だった。
とれた物体を見て、医師はこれはだめかもと嘆いたが、はめてみるとなんとか行けそうということで、セメントで接着してくれた。もう土台に打ち込んでいる軸も腐食しているようだし、土台も使い物にならないかもという。帰ったらすぐにかかりつけの歯科医に行くようにと言われた。
親切で丁寧な先生だった。スタッフも人触りのよい人たちだった。
釧路の人って良い人だと思った。
釧路バスターミナル向かいの〇橋歯科である。ほんとうにありがとうございました。
おかげさまで、そのあとザンギもツブのガーリックバター焼きもおいしく食べることができました。センセ、ぼく、なるべく左側で食べるようにしたんだよ!
次の日は、釧路駅で朝食兼昼食として“釧路湿原弁当”を購入。味もボリュームも満足ゆくものだった。
なお、エビは残したことを申し添えておく。食べにくいから。
途中、沿線に数頭の鹿の群れを見かけた。
かかりつけの歯科に連絡しなければ。
そう思いながら、札幌へ向かった。
今日のところは伊福部昭(Ifukube,Akira 1914-2006 北海道)の交響的音画「釧路湿原(Kushiro Marshland)」(1993)。
作品と演奏についてはこちらをご覧いただきたい。
そして、今日現在、まだ歯はとれていない。ちゃんとついている。
豊〇歯科さん、ほんとうにありがとう。
March 2014
木曜日。
朝、目にした今日の星座占い。私の全体運は第12位。しかし、コメントは「今日は思わずガッツポーズを取りたくなるようなラッキーデー」。
ワケわかんない……。
へんなところで気遣いしてくれなくていい。言ってることが破たんしている。
いつもと同じ時刻に家を出て、会社へ向かって歩く。
クラクションの音がした。そちらを見ると、私の歩行速度よりも遅いくらいのスピードでタラタラ走っている車があった。明らかに車の流れを阻害している。後ろに続くタクシーから鳴らされたのだ。
若葉マークをつけていた。
が、それだけではなかった。運転席を見るとドライバーは晩年のクレンペラーみたいな顔をしたじいさんだった。
私は悩んだ。
この場合、もみじマークを付けるべきじゃないのだろうか?
それとも両方か?
あのじいさん、ほんとうに免許とりたてだったのだろうか?
それとも若葉ともみじの区別もつかないくらいモーロクしていたのだろうか?
だとしたら、末期的である。
悲劇的なことが起こる前に、運転するのやめなさいと私は心で叫んだ。ホント、悪いこと言わないから……
会社に着き、いつものような1日が始まった。
そして、いつものように昼になった。
私は河西さん、ヤマダ課長、阿古屋係長と一緒にラーメン屋に行った。
ここのランチ・サービスはすばらしい。
ラーメン単品の値段は650円だが、70円プラスのセットにすると、小皿のおかずと小ライスがついてくる。この日のおかずは豚肉のショウガ焼きだった。
わかってる。人間ドックが近いことは、十分わかっている。
が、ここでセットを頼まない方が非常識と言えないだろうか?たとえ健康概念が欠如していようとも、私にはしっかりとした経済観念が(ミクロ的だが)備わっているのだ。
で、頼んだ。セットを。私もヤマダ課長も、私,too。
でも、河西さんは謀反を起こした。
タンタン麺の単品にしたのだ。
が、河西さんを非難することは間違いである。というのも、タンタン麺の方が、単品でも私たちのセットより100円以上高かったわけだから。
「おいしかったね」「うん、満足したね」「おなかい~っぱい」などと話しながら、私たちは社に戻った。
が、その途中、2車線のセンター側を走っていた車がいきなり左折したのを目撃した。
今度のドライバーは性別が瞬時に判別できないくらいのばあさんだった。
斜め左後方を走行していた車のドライバー ― 品の良さそうな30過ぎくらいの奥様風の女性 ― はユヅルくんの得点が発表されたときに横にいた女性コーチのような驚きの顔をしていた。幸い接触はしなかったが、かわいそうに、奥さまはひどい目に遭ったものだ。
が、その10数分後、私がひどい目に遭うことになる。
《ふぅ。今日もちょっと食べ過ぎたかな。でもな、あれでラーメンだけって絶対心残りになるしなあ。
おっ、あと5分で休みも終わりか。
ちょっと口の中がネギネギしてるからガムでも食べておくか。
クチャクチャクチャ……グギ、ゴゴ、ガキン……
……な、な、な、何が起きたんだ???》
その時私は、口の中でガムが超常現象で急硬化反応を起こしたのでは、と思った。
その直後には、事情はわからないにせよ口の粘膜の岩盤崩落が起きたと思った。
慌ててガムを出すと、そこにはプラチナの塊が……ではなく、銀色に輝く冠に覆われた歯が!
さし歯が土台から脱落したのだ。冠だけじゃなく、もとからとれた。
現場は右上奥。崩落個所は歯3本分に及び、崩落した土砂、いや歯は3本が冠で連結されたものだった。若干の出血も、なぜかあった。
どーしよー。
これから出張に行かなければならないというのに。
どーしよー。
これがダメになったら、もう土台の歯も弱ってるので治せませんよと、ずっと前に宣告されていたのに。
あぁ、占いは成就してしてしまった。
あぁ、ガムなんて買うんじゃなかった。
今朝コンビニでガムを買ったあと、イヤホンの片側のパッドが無くなっていて、焦って見渡すと隣のレジで会計している若い女性の足元に落ちていて、痴漢と思われないように拾うのが大変だったことを思い出した。
あのときから、「思わずガッツポーズを取りたくなる」不幸は始まっていたのだ。
が、もう時間がない。とにかく出張に行かなければ。
私は風通しがよくなった状態で、会社を出た(続く)。
ショルティ/シカゴ響によるマーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第6番イ短調「悲劇的(Tragische)」(1903-05/改訂'06。その後たびたび管弦楽配置を変更)。
この録音、エアチェックできる可能性が見通せないために、LPを購入。たぶん初めて耳にしたショルティ/シカゴ響の演奏だったと思う。
私にとって交響曲第6番は、第1番、「大地の歌」に続く、3曲目に知ったのマーラー作品だった。
というのも、N響が第6番を定期演奏会で取り上げ、それがTVで放映された。
もちろん印象的だったのは終楽章で振り下ろされるハンマー。
その半年後くらいにやっと購入できたLPがショルティ盤だった。玉光堂のオーロラタウン店で買った。
楽曲はもちろん、音の良さに驚いた(そのころはレコードプレーヤーで聴いていたのだが)。
冒頭のコントラバスの重低音、締まったティンパニの音……。鋭い切れ味に炸裂するサウンド。
これで私はショルティの信奉者になってしまったのだった。
後年、就職試験のある面接で「尊敬する人物は?」と聞かれたときには「小澤征爾さんです」って答えたけど……。だって「ショルティです」って言ったところで理解していただけると思います?
当時この作品の推薦盤としてあがっていたのは、セル/クリーヴランド管、クーベリック/バイエルン放送響といったものだったが、偶然にもショルティ盤が店にあったことが、私のその後の好みを決定づけた。
いまでも、この第6番(そして先日取り上げた第7番。さらには第5、第8、第9、「大地の歌」)の録音を聴くと、これまでいろいろすばらしい演奏のCDが出ているのに、やっぱり絶対に捨てがたい魅力を感じる。
あのLPのジャケット写真 もかっこよかった。
1970録音。デッカ。
昨日に引き続き、海に関した音楽を。
前日とは打って変わって、今度は“上り”のスーパーおおぞらから海を見る。
下りから上りへの大転換。ガッツ石松なら360°向きが変わったと言うに違いない。
窓からの眺めはというと、しかしながら、濃い霧のために、そしてまた前の日のトラブルを引きずったままの私は、気分も晴れないまま。
ホテルの窓から写した、駅の近くの教会。木曜の夕方と、昨日の朝。違いがわからない人はゴールドブレンドを味わう資格無し!
広瀬(廣瀬)量平(Hirose,Ryohei 1930-2008 北海道)の混成合唱組曲「海の詩」(1975)と同「海鳥の詩」(1977)。
「海の詩」は岩間芳樹の詩による5つの楽章からなる組曲。
各楽章は「海はなかった」「内なる怪魚(シーラカンス)」「海の子守歌」「海の匂い」「航海」。
第1曲「海はなかった」は1975年のNHK全国学校音楽コンクール高校の部の課題曲としてその年の1月に完成していたが、さらに東洋大学混声合唱団の委嘱によって第2~5曲が作られ組曲の形となった。その際、岩間氏に歌詞を書き下ろしてもらったという。
また「海鳥の詩」の詩は更科源蔵のもの。「オロロン鳥」「エトピリカ」「海鵜」「北の海鳥」の4つの楽章からなる。
NHKの委嘱によって作曲された。
「海の詩」は美しいところも、激しいところも、ちょっとブッキーなところもある作品。
「海はなかった」は合唱コンクールの課題曲だったという先入観がなくとも、「おぉ、合唱コンクールだぁ」っていうムード全開。それに、海の詩(うた)と宣言しておきながら、いきなりしょっぱなで“海はなかった”ってかい?
にしても、どうして合唱コンクールで歌ってる若者たちって、あんなに不自然なほどまじめかつ感情移入した表情で、しかも上半身を動かすんだろう?プロの合唱団ではまず見ることのない光景だ。
「海鳥の詩」は「海の詩」に比べ、より躍動的で人間味がある。
この2つの組曲を続けて聴くと、同じ海にまつわるものとはいえ、作曲者の詩に合わせた音楽づくりに感心する。
ただこの手の曲(ピアノ伴奏の日本語歌詞による混声合唱曲)に対し、私はどうも“鑑賞”するという気持に切り替えれない。なぜだろう?
中学の音楽の授業で合唱ばかりさせられたせいか?合唱部でもないのに、年がら年中、合唱コンクールだの何かの行事だので歌う合唱の練習をさせられていた気がする。
なお、オロロン鳥というのはウミガラスのこと。オロロン、オロロン、ウルルルルーンと鳴くそうだが、ハクション大魔王のような姿はしていない。
「海の詩」と「海鳥の詩」のCDだが、私が持っているのは杉並混声合唱団、小川やえこのピアノ伴奏のもの。前者の指揮は小林光雄、後者は石橋義也。
録音年は不明だが、LPとしての初出が1978年だったので、その少し前の録音と思われる。
東芝。
ところで、更科源蔵といえば、伊福部昭の合唱頌詩「オホーツクの海」(1958)も更科の詩による。
この曲、かつて手塚幸紀/東京交響楽団、東京音大他の合唱によるLPがキングから出ていたが、残念ながらいま入手できるのは独唱用編曲版のCDだけである。
そうそう、火曜の昼に久々に長寿庵に行ってきた。暖かくなってくると行動範囲が広がるのだ。
私は玉子丼を頼んだ。ミニそばがついてくるのだが、注文の際に「おそばは冷たいのと温かいの、どっちにします?」と聞かれたので、「冷たいの!」と答えた。愛想よく。
にもかかわらず、お盆には玉子丼と湯気立ちのぼるミニかけそばがのせられてきた。前にも同じような意思の疎通のなさがあった気がする。
参考までに記しておくと、ヤマダ課長と阿古屋係長はカツ丼(もちろんそば付き。温かいソバをチョイス)、加西さん(本邦初デビュー。好きな食べ物~枝豆、出来ないスポーツ~スキージャンプ)は親子ソバ(単品)を注文した。
すなわち、ボリュームの点では4人中私は3位。
ほれ、ドックに向けがんばっているでしょ?まあ、あくまで相対での順位であり、高ボリュームであることには違いないが……
医者に、さらに保健師に罵られ、私はただただオロロンオロロンと泣くばかり……。あぁ、鳥になって逃げたい。なに?重くて飛べない?
横道にそれてしまったが、更科で思い出したので……
そしてそれたまま終わる。
今日は会議。
終わったあとはおとなしく現住所へと帰る。
とにかく、書くことがいろいろあってお待ちいただいているが、木曜日の悲劇については今後報告する。きっと、必ず。
昨日の昼食のあと、私が予想していなかった災難に襲われた。これについては、あらためて詳しく述べなければならないだろう。
しかし、そんな困難のなか、私は出張のために2時ごろに会社を出た。
駅に行き、下りスーパーおおぞらに乗り、1時間半後に釧路駅のホームに降り立った。
途中の釧路市に入る少し前、浦幌町の厚内駅をすぎたところで海が見えるようになる。
カモメさんが優雅に飛んでいる。
でも、いま津波が来たらどうなるんだろうと私は考えてしまう。
このとき私が窓から外を見るにあたってやや不自由した。というのも、私の席は内陸側だったから。こっち側から見える鳥といったら、カラスばかり……
まずは駅前のホテルにチェックインし、釧路支社に出向いた。
それにしても、この街に来るといつも思うのだが、人が歩いていない。走ってもいないし、はいはいもしていない。みんなどこに隠れているの?
支社で打ち合わせをし、そのあとは食事をしに(もっとはっきり言えば飲みに)繁華街へ行く……予定が、上に書いた昼過ぎの災難の影響のために開始が遅れてしまった。支社の方々、お待たせして申し訳なかった。
ザンギを食べる。
なんで海の幸を食べないのだ?と思う方もいるだろうが、釧路はザンギの発祥の地である。ザンギというのは北海道でしか通用しないようだが、牧師さんの前で悪事を告白することではなく、鶏の唐揚げのことである。
気づくと、いつの間にか繁華街はけっこうな人でにぎわっていた。
いったいみんな、どこに隠れていたの?
ブリテン(Benjamin Britten 1913-76 イギリス)の「4つの海の間奏曲(Four Sea Interludes)」Op.33a(1944)。
歌劇「ピーター・グライムズ(Peter Grimes)」のなかの音楽で、しばしば独立したオーケストラ作品として演奏される。各曲は「夜明け」「日曜の朝」「月光」「嵐」。
ピーター・グライムズは漁師。そんなわけで、4つの海ってことになっている。
今日はバーンスタイン/ボストン交響楽団による1990年のライヴを。
これは1990年8月19日に行なわれたバーンスタイン最後のライヴ。この2か月後、10月14日に亡くなった。
このCDには同日のベートーヴェンの交響曲第7番も収められているが、実はこの年の6月29日に札幌の北海道厚生年金会館で行なわれたPMFで、バーンスタインは「4つの海の間奏曲」とベートーヴェンの7番を振っている。オーケストラはロンドン交響楽団。
私はそのコンサートを聴くことができたが、このCDを聴くと別なコンサートの録音ながら、懐かしく感じる。
グラモフォン。
今日はこのあとスーパーおおぞらに乗って釧路をあとにする。
駅弁も買っちゃおうかな……
明日の会議のために、行き先は札幌である。
「終わらざる夏」の下巻は一気に読み終えた。
折しも今、ロシアとウクライナ、クリミアの問題が現在進行中。
読みながら、8月15日の日本の降伏後にソヴィエト軍が千島列島に攻め込んできた小説の内容と、ウクライナ問題がオーバーラップした。
とても面白く、また勉強にもなったが、気に入らなかったところもある。
疎開先から東京の親もとへと脱走の旅に出た子どもたちが途中でコサック兵に出会った(もちろん日本で)ところ。あるいは、その子供たちを途中から引率するはめになったヤクザ者が実はコサック兵だったかもしれないといったところ。このようないくつかの現実離れした、ある意味超常現象、よく言えばファンタジー、でもやっぱり変な夢だったわいとはすまされない展開が、余計に思うことはあっても必要なのかがわからなかった。それともなにかい?私には、空想力、想像力が欠如しているのかい、タチャーナ?
このあたり(コサック兵が書いたお便り)を読んでいると、私の頭は混乱し、イザイのヴァイオリン・ソナタを聴いているときのように小難しい顔になってしまった。そうだろ、ミーチャ?
イザイ(Eugene Ysaye 1858-1931 ベルギー)は名ヴァイオリニストだった人。作曲家、指揮者としても活動した。
そのイザイの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」Op.27(1923-24)。
6曲からなり、各曲はそれぞれ親交のあったヴァイオリニストに献呈されている。作曲のきっかけとなったのは、シゲティが弾いたJ.S.バッハの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」を聴いたことだという。
各曲は、以下のとおり。
1. ト短調(3楽章,J.シゲティに献呈)
2. イ短調(3楽章,J.ティボーに献呈)
3. ニ短調「バラード」(単一楽章,G.エネスコに献呈)
4. ホ短調(3楽章,F.クライスラーに献呈)
5. ト長調(2楽章,M.クリックボームに献呈)
6. ホ短調(単一楽章,M.キロガに献呈)
これらの作品が書かれた時期は、イザイが健康上の理由から作曲と指導に重きを置き始めたころだそう。優れたヴァイオリニストとしての演奏経験で蓄積したヴァイオリン技法をここに集大成させたわけだ。
必ずしも耳に心地よい曲ばかりではないが、そこに要求されている技巧、それを弾きこなす奏者にはしっぽ、いや、舌を巻く。君も巻いてみないかい、エルニーニョ?
ツィンマーマンの演奏で。
1993-94録音。EMI.
今日は出張で釧路に行って来る。
ちょっぴり千島に近づくってことだ。
むかし聴いたガストルディ(Giovanni Giacomo Gastoldi 1555頃-1622 イタリア)の「狩人たちの行進」という曲を聴きたいなぁと、急に思った。もしかして、私には狩猟民族の血が流れているのだろうか?
クイズ・ハンターっ!←柳生博の叫び!←←まったく脈絡なし……
ところが、せっかくの私の思い立ちにかかわらず、狩人の“あずさ2号”の音源は比較的簡単に手に入れられるのに、ガストルディの狩人は見つからない。かといって、加藤兄弟の歌声がその代替、気晴らし、合理化になるはずもない。
ガストルディは生没年を見てもおわかりのように、ルネサンス期の人物。マントヴァの宮廷歌手からこの地のサンタ・バルバラ教会楽長、ミラノ大聖堂楽長になった。
で、「狩人たちの行進」探しははとりあえず断念し、「ドーリの勝利(Il trionfo di Dori)」というCDを買った。ガストルディで検索したらヒットしたからだ。
イタリア・ルネサンスのマドリガーレ選集で、ガストルディの曲も1曲入っている(1曲しか入っていないと言うべきか?)。それゆえにヒットしたってわけ。
発売元はこのように説明してくれている。
ルネサンス時代のイタリア、1592年にアンジェロ・ガルダーノにより、ヴェネツィアで出版されたマドリガーレ選集「ドリの勝利」。
ヴェネツィアの貴族であるレオナルド・サヌードに献呈された「ドリの勝利」は、パレストリーナやガブリエリ、ストリッジョ、アネリオ、ヴェッキなど、29人の作曲家たちの"マドリガーレ"が集められた当時のイタリアのマドリガーレのハイライトとも言える豪華な選集なのである。後にマドリガル選集「オリアーナの勝利」を編纂するトマス・モーリーが参考にしたとも伝わる「ドリの勝利」。イタリア・ルネサンスの貴重なマドリガーレ選集の録音は、イタリアのタクトゥス(Tactus)ならではの好企画! 東京エムプラス
ということで、以上を25字以内にまとめると、「1592年にガルダーノが出版したマドリガーレ選集である」。2文字オーバーか……
ガルダーノという名も私は初めて知ったが、Angelo Gardanoという綴りで、1540年に生まれ、1611年に亡くなったらしい。
収録曲は、
G.クローチェ/草と花々の間で
O.コロンバーニ/ドーリが姿を現し
O.ヴェッキ/すべての風がやみ
G.ガブリエーリ/もしも小鳥たちが歌い
A.プレーティ/踊りにおいで,乙女たち
L.マレンツィオ/優美な乙女と恋する牧人たち
G.デ・マック/野をさまよう乙女たち
I.バックージ/ある日,聖なるパレスに
G.カヴァッチョ/ドーリがここに来て
A.スタービレ/西風が戻る間に
P.ボッツィ/美しいブナの木陰で
T.マッサイーノ/花咲く岸辺で
G.M.アゾラ/緑の海岸で
G.エレミータ/海岸はエメラルド色だった
P.デ・モンテ/澄んだ清流の途中で
I.サビーノ/楽しい気持ちが起きるところで
P.A.ボニーニ/楽しげな愛らしい娘が
A.ストリッジョ/乙女と牧人たちだった
G.フローリオ/とても薄いヴェール
L.レオーニ/羊飼いの言葉遣いの
F.アネーリオ/うす暗い洞窟の中で
G.ゼルト/銀色に光る岸辺
R.ジョヴァンネッリ/おまえが現われた時,ああ優雅で愛しいドーリよ
G.コスタ/この周辺の物陰で
L.ベルターニ/この物陰とそよ風にドーリは
L.バルビ/牧人と乙女たちが
G.G.ガストルディ/澄んだ清流のささやきに
C.ポルタ/朝の曙光の訪れに
G.P.ダ・パレストリーナ/第三天(金星天)から
知らない音楽家(作曲家)の名前もたくさんあって、初めて参加した異業種交流会のようだ。
どの音楽も、当たり前のことだが、もろにルネサンス音楽である。多声部の絡みが快感。でも、このころの音楽に特有の“陰り”はあまりなく、爽やか系。
それにしても美しい歌声、美しいハーモニー!
BGMとしてだけでなく、睡眠導入にも効果的だ。とても薄いヴェールを羽織ってこれを聴きながら昼寝してはいかが?物陰のドーリを夢見ながらなんて、ある意味すっごく贅沢な聴き方じゃないですか。ちょっぴり淫靡な雰囲気が漂うけど……
コッラディーニ指揮声楽グループ“アルシ&テージ”の演奏。
2013録音。TACTUS。
で、ドーリって誰?
そしてまた、このジャケットの女の人のおなかを見ると、私なんてまだまだじゃんと自信がもてたりする。
先日、初めてBOOK OFFにCDを売りに行った。
いや、すいません、CDを買い取っていただいた。
エコー・インダストリーとかFICといったところが輸入販売していた、いわゆるリプリント盤。これって海賊盤ってことになるのかなぁ?
これらのCDを「お財布に優しいわ」と買っていたのはいまから15~20年ほど前のこと。
書店やドラッグストア、地場のさえないCDショップなんかで売っていた。
が、前に書いたように、私のリサーチによるとBOOK OFFでは750円とか950円といった、いっちょま
えの値段で売られている。
ちなみに、これらは定価2,000円の表記がある。が、当時はどこでもかしこでも示し合わせたように1,000円で売っていた。それが「お得!」としか考えられなかった私は愚かだ。良い買い物ができたと信じていた私はロバだ。
さて、捕らぬ狸の皮算用じゃないが、確かに古いCDとはいえ、BOOK OFFの店頭ではそのような価格で売られているのだ。きっと買い取り価格も1枚50円、いや、100円にはなるんじゃないか?
小雪ちらつくなか、私は売却行為のために出かけたのだった。
買取カウンターに出したのは20枚。100円だとして2000円。50円だとしても1000円になる。
まかり間違って ―その可能性は十分ある― 200円の値がオープン・ザ・プライスだったら、4000円!その足でチャーシュー麺を食べに行っちゃおうかな、なんて思ったりした。いや、担担麺&小ライスも悪くないな……
10数分後。「イの4番さん」って感じで呼ばれた。
人間ドックの結果を聞くときのように、ちょいとドキドキする。
「こんなんなりました」と見せられたレシートに、私は驚愕した!
買取価格、計100円。
買取単価は一律5円。
ごえ~ん!??▼!!@?!!↓!?И??
「となっておりますが、よろしいでしょうか」
今さら持ち帰りますという勇気もなく、「はい結構です」。
こうして、輝きを失った平成6年製の100円玉を1枚もらいましたとさ。
チャーシューメンとか担担麺とか悩む必要がなくなってホント良かった……って、「すっぱいブドウ」の狐かっ!
にしても、ここまで来たガソリン代にもなるかならないかだ。
こんなことなら歩いてくりゃよかった。
考えてみれば、CDのプラケースが3個セットで100均で売っている今日。
いくら古いとはいえ、CD付にもかかわらず、私が持ち込んだCDケースは1個5円の価値しかなかったのだ。3個セットで15円だ。
いやいや、落ち着け。違う!私が売ったのはCDケースじゃなくCDだった。
だったら、カラス除けにあちこちにぶら下げた方が、まだ有意義な活用法だったのだろうか?
で、あれはいったいいくらで売られるのだろうか?
買取価格の10倍で売るとして50円。そんな価格設定はしないか……
じゃあ、頼むからせいぜい200円ぐらいにしてくれ。
750円とかは勘弁してほしい。
そりゃ御社としてもいろいろな経費がかかるのはわかる。査定してくれた店員の人件費、20枚のCDを入れて行った紙袋の処分、新たな値付け作業……
でも、そうしてくれなきゃ、私があまりにかわいそうだと思いません?
今回、処分したこういったたぐいのCD。実はすべて処分したわけではない。何枚かは手元に残した。ケースが破損してたものとか……
狸に騙された気分に追い打ちをかけるべく、あえて残しておいたものの中から自虐的に1枚を選んで聴いた。
クレンペラー/フィルハーモニア管弦楽団によるブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲第4番変ホ長調WAB.104「ロマンティック(Die Romantische)」。1878-80年のノヴァーク第2稿を用いているという。
実に久しぶりに聴いた。もうこういったリプリント盤は聴くことがなくなっていたのだ(だからこそ売ったのだ)。
あまり考えさせない演奏。力はあるが淡々と進む。ブルックナーの“しつこさ”がないので、これを好む人も少なくないだろう。第4楽章はかなり速いテンポ。じっくり吟味するんじゃなくて、高速査定タイプ。
なんか、気持ちがすっきりしたような……
1963録音。
かつてこの演奏について、音楽評論家の根岸さんという方が、「(第1楽章)第2主題に入り、第2ヴァイオリンが右側からにょろにょろと聞こえてくるのは一種の快感」と書いていた。
が、私は特に気持良くならなかった。
もうにょろにょろくらいじゃダメなんです。アタシ……
私の昼食の話の続きである。
18日(水)。
本社から偉い方-A氏としよう-がやって来て、まずは昼食。
ところがこの日の私はなぜかおなかがピーピー。
腹部が貧乏なのではなく(むしろ繁栄している)、朝から下りっぱなし。
あっ、お食事中の方いらっしゃいましたか?だめですよ、食事しながらネットやってちゃ!
昼食の場所は、市内のそば屋。すっごい有名というわけではないが美味しいと評判(われわれの間では)の店。A氏と同行者2名。こちらは数で勝負ってわけじゃないが5名。合計8名。
「Aさん、何になさいますか?」
「そうですね……では五目そばを」
実は私も密かに五目そばに目をつけていた。偶然にもA氏と私の目の付けどころは一致した。が、何度も繰り返すが(もう箸は置いたかな?)、この日の私はひどい下痢だった。ごぼう天という揚げ物が入っているものを口にするのは、肛門にグリースを塗るのに匹敵する。そこで私は料金的にも一歩引きさがり、かしわそばに宗旨替えしようと考えた。
「Aさん、五目そばですね?他に五目そばの人は?」
何人かがだらしない中学生のように手を上げた。その数6人(宣言済みのA氏は挙手せず)。
んっ?つーことは私以外のすべての民が五目に制圧されたということだ。
こうなると、私だけがかしわかしわとゴネるわけにはいかない。いや、意思を貫くことは大切だし可能だ。だが、7杯の五目そばが出てきたあとも、しばらーくかしわそばだけが出来上がって来ないなんていう最悪最低絶望的な状況にならないとも限らない。私は肛門に力を入れて民意を尊重することにした。
でも、そばは美味しかったし、ごぼう天はおなかに悪さをしなかった。
なお、私とA氏の狙いが最初に一致したことと、ほかの人びとまでもが五目にしたことの理由がわかった。メニューのそこに“当店イチオシ!」と書いてあったのだ。
19日(木)
前日のお下りモードは治った。前日はあんなにひどかったのに、少しも痩せていないことが腹立たしい。
この日は本社から別な偉い方-B氏としよう-がやって来た。
午前中に到着し、そのまま車で1時間ほどの取引先へ。
まずは昼食ということで、着くや否やそのまま店に案内してくれた。
店に入るや否や、先方の部長が「日替わり定食!」と宣誓した。
やがて運ばれてきたのは、厚切りベーコンと温泉玉子、豚肉のすき焼き風という、例えば健康な男性でももし90歳だったなら絶対に食べきれないほどのボリューム。
とても美味しいベーコンだった。地元産なのだろうか?
厄介だったのはベーコンの横に落とし盛られた温泉玉子。
向かいに座った取引先の専務の行動を見ていたが、温泉玉子は手つかず。
私はベーコンに絡ませながら食べようと崩してしまったが、なかなか絡まず、皿にノターっと広がってしまった温泉玉子をすくい取ることはできなかった。まさか、皿を持って直接口でずずーっとすするわけにはいかない。実に難しい食べ物だった。
ボリューム満点ながら私は完食。ただし温泉玉子以外は。
そんなわけで現在の体重は70.4kg。
まずい……
阿古屋係長は私よりもずっと食がいい。でもすごくスリムだ。
若いから代謝が良いせいだろうか?
うらやましい限りだ。
その阿古屋係長が新車を買った。
自転車じゃなく、自動車である。
先日納車になった。
「ETCは付けたの?」
「はい。でも、まだカードが届いてないんです」
「カードが発行されるまで、ちょっと時間がかかるからなぁ」
「ええ。……、はい、……あっ、カード申し込んでないんです」
「申し込まないぶんには、きっとずっと届かないね……」
「そ、そうですよねっ!ずっと届かないですよね。あっはははは!」
このように阿古屋係長はナチュラルに面白い。ナチュラルテイスト製法で育てられたのだろう。
そして、ハイドンのコンチェルトのように明るい。
ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809 オーストリア)のピアノ協奏曲ニ長調Op.21,Hob.ⅩⅧ-11(1782以前/'84刊)。
ピアノ協奏曲とは言っても、実際にはチェンバロまたはフォルテピアノを独奏楽器として書かれた作品。終楽章である第3楽章は“ハンガリー風ロンド”として有名だ。
この作品については、これまでアックスやアルゲリッチの演奏を取り上げているが、今日はキーシンのピアノ独奏による演奏を。
溌剌さと甘美さのバランスがとても良い。
スピヴァコフ指揮モスクワ・ヴィルトゥーゾ。
1988録音。ソニークラシカル。
このCDには他にショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)のピアノ協奏曲第1番ハ短調Op.35(1988録音。上記メンバーにトランペットのカンが加わる)、シューマンのピアノ協奏曲(ジュリーニ指揮ウィーン・フィル。1992ライヴ)も収められている。
ショスタコーヴィチの方は、作曲者の若い時期の作品にふさわしい若々しくダイナミックでアクロバット的演奏。すごい演奏だが、迫力というか気迫はアルゲリッチに譲る。
シューマンも好演だが、ときおり音楽の流れがもたつくというか、どんくささを感じる箇所がある。ピアノじゃなくてオケ側の問題のような感じだが。
ところで4月1日からETC割引が変わる。
平日朝夕割引についてはETCマイレージクラブに登録していないと対象にならない。
ただし、すでにETCマイレージクラブに登録済みの場合は、あらためての登録は不要。つまり自動エントリーってわけである。
にしても、数年前にはETCをつけりゃ高速無料とか言ってなかったっけ?
しばらく私のブログに対してスパム・コメントは来ていなかったが、近ごろまたポツポツとやって来るようになった。
キャプチャ認証、つまりそのときそのときでランダムに表示される英数字を入力しなければコメントを寄せることができない設定にしたのに、どうやっているのだろう?
ご苦労なことに、1つ1つを手作業で丁寧に投稿しているのだろうか?
だったらそのまま捨てるのはかわいそうだ(とはちっとも思ってないけど)。
とはいえ、そのまま投げ捨てるには惜しい。ある意味芸術性のある、乱数のような日本語なのだ。こんなに筋の通っていない文章は、書くのが逆に非常に難しいだろう。
あなたが汗をかいた足で、過回内筋がおありであれば、あなたは間違いなくルイヴィトンスーパーコピーエアズーム構造トライアックスを見てみなければならない。
これらの靴は、あなたはこの1つの数字のうちの呼び出しを制限したり、それらの美しく赤いダストカバーのあなたのLobs場合、そして喜ばせていない場合はイングリッシュ・ナショナル・バレエ・タイムの恩恵を受けて先週はまだ長いです。……
この文をあなたの場合読んだとき脳みそがおありであれば今日は土曜日です。
以上、喜ぶ場合にそれらのなった、あなたは間違いなく。
このほか、ブログとは別にこういうメールも来た。
腕時計,バッグ,財布新型は発売します!
価格が低い,100%品質保証!
予約購入を歓迎します!
こっちは価格以前に程度が低いな……
クレメンティ(Muzio Clementi 1752-1832 イタリア)の交響曲第3番ト長調wo.34「グレート・ナショナル・シンフォニー(Great national symphony)」(1823)。アタシの母国語では「大国民交響曲」ってことになるが、ここのナショナルはどこの国かというとイギリス。
クレメンティはイタリア生まれの作曲家だが、15歳のときからイギリスで過ごした。この曲の第2楽章にはイギリス国歌が引用されていることからこの名で呼ばれるようになった。
クレメンティの番号付き交響曲は4曲あるが(ここを参照)、バラバラな形で発見されたため、P.スパダが復元した。
ピアニスト、作曲家としてモーツァルトのライバルだったクレメンティだが、交響曲の作曲においてはハイドンにもモーツァルトにも及ばなかった(交響曲に限らないか……)。
クレメンティのこの交響曲、薬味のないつゆで食べるもりそばって感じか?
コアラの昼寝のように、のたーってしてるし。
でも、メロディーは悪くないし、私、学生の自分にこの曲を知ったときはけっこう集中的に聴きこんだものだ。もちろん自主的に積極性をもって。
だから懐かしの1曲だし、それだけでなく、曲自体なかなかお上品で良いと思うのだが……
今日のところは前に紹介したダヴァロス指揮フィルハーモニア管弦楽団による演奏を。
1992録音。ASV。
いまから12年前、秋葉原の石丸レコードワンでこのCD(この曲のCD)を見つけたときは、うれしさのあまり思わずガッツポーズをとったほどだ(目立たないように右足で)。
さて、早いもので連休最終日。
今日はまた移動だ。
3連休のドラゴ、いや中日である。
おとといの夜は幸い大きな障害もなく自宅へ帰ってくることができた。
高速道路はずっとほぼドライ。だが路面には障害となるキレもコクもなく運転しやすかった。
節約のために夕張インターで降り(ここで下りた方が早く着くし、料金節約になる)、274号線を少しばかりと走り、さらに抜け道となる道道(北海道だから県道じゃなくて道道)に入り由仁を経由して長沼へ。
この間も道路はドライ。道路わきの雪山もほとんどないではないか!こんなに雪解けが進んでいたのかぁ~。
で、長沼町内のスーパーに寄った。トイレを借りるためである。
だが、トイレだけの借りっぱなしは騎士道に反する。私は騎士でも棋士でもないし、岸と申す者でもないが、紳士ではある。自称だが。
そこで、紳士道に反しないために、帰宅後の晩酌用にと缶ビールを買った。加えてちょっぴり紳士らしくないが、ワゴンセール中の日清のワンタン麺も買った。
が、私の正しき行為は失敗だった。
その店からわが家までは、実はさらに30分ほどかかる。家に着いて缶を開けると、プシュッ!ではなく、プシュー~っというガス漏れのような音がし、カニの泡みたいな(でもビールの泡なのよ)白い泡が大量に出てきた。振動と冷却不足のせいだ。
そしてやっぱり、最悪なことに口にするとすっかりぬるくなっていた。でも、「男は黙って札幌ビール!」って具合にがまんして飲んだ。
そしてまた、夕張でも、由仁でも、長沼でもあんなに雪がなかったのに、わが居住区域はやたら雪が残ってる。どうしたことだろう?自衛隊が雪まつり会場と間違えてわざわざ雪を運んで下さったのでは、と思われるほどだ。幸い自宅前の歩道には雪山はなく、問題なくカーポートに車を入れることはできたが……
連休初日の昨日、私がまずしたことは散髪である。
断髪と読み間違えた方は増税前にメガネを新調することをお勧めしたい。
伸びた髪を切って記者会見に……って、しゃみゅりゃぐぉぅちじゃあるまいし、とにかくスプリング・フェアがあちこちで開催されてるようなので、なんとなくスプリング・ヘアにしてくる。「いつもどおりで」ってバーバーのマスターに言っただけだけど……
あとほんの少し残したまま中断していた浅田次郎の「終わらざる夏」の中巻をようやっと読み終えた。読み始めるとぐんぐん進む。「きことわ」と違って苦痛にならない。ストーリーに引き込まれ、登場人物に魅かれる。
どういう傾向の小説が好きかはもちろん人によって違う。が、いくら芥川賞受賞作とはいえ、私は「きことわ」ですっかりやられた。濃霧の中で理研の記者会見の説明を聞いてるような、つまり退屈、イライラ状態。盛り上がりをみせない、どことなく暗いトーン。そして私は途中棄権。
浅田に戻るとほっとした。
この話、千島列島が舞台となる。
終戦時のソヴィエトの侵攻である。
で、ソヴィエトは今はロシアだが、ウクライナ情勢がいろいろ厄介なことになっている。
大露西亜が小露西亜をにらんでいるわけだ。どっちが正義か私にはわからないが……
チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-93 ロシア)の交響曲第2番ハ短調Op.17「小ロシア(Little Russian)」(1872/改訂1879-80)。
私が思うに、チャイコフスキーのシンフォニーの中ではいちばん田舎テイストの強い作品。というか、6曲中この第2番が異質な存在。そして田舎臭く盛り上がるのだが、それにけっこう興奮させられちゃうのである。
作品についてはこちらをご覧いただくとして、ゲルギエフ/ロンドン交響楽団による演奏はかなり都会的に洗練されたアプローチ。変な言い方だが、かなり本来のチャイコフスキーっぽく仕上がっている。
この曲をここまで格調高く仕上げている演奏は、そうそうないのではないか?
2011年ライヴ録音。LSO Live。SACD。
話が前後しちゃったが、小ロシアというのはウクライナのこと。
覚える必要はないが、ウクライナのことを漢字で烏克蘭、または、宇克蘭と書くそうだ。
「終わらざる夏」の下巻にこれから入る。
あらすじは、
1945年8月15日、玉音放送。国民はそれぞれの思いを抱えながら、日本の無条件降伏を知る。国境の島・占守島では、通訳要員である片岡らが、終戦交渉にやって来るであろう米軍の軍使を待ち受けていた。だが、島に残された日本軍が目にしたのは、中立条約を破棄して上陸してくるソ連軍の姿だった。 ― 美しい北の孤島で、再び始まった「戦争」の真実とは。戦争文学の新たなる金字塔、堂々の完結。
というものだ。
まったく関係ないけど、ウインナーソーセージの袋ってどうして必要以上に大きいんだろう?
マジック・オープン(こちらがわのどこからでも開封できます)で袋を開けて、中から出てくるのは、あらあらたったの5本か6本。あの袋の大きさなら10本は入っていそうな錯覚に襲われる。
毎度のことながらも、慣れることができない。このガッカリ感に……
- 今日:
- 昨日:
- 累計:
- 12音音楽
- J.S.バッハ
- JR・鉄道
- お出かけ・旅行
- オルガン曲
- オーディオ
- ガーデニング
- コンビニ弁当・実用系弁当
- サボテン・多肉植物・観葉植物
- シュニトケ
- ショスタコーヴィチ
- スパムメール
- セミ・クラシック
- タウンウォッチ
- チェンバロ曲
- チャイコフスキー
- ノスタルジー
- バラ
- バルトーク
- バレエ音楽・劇付随音楽・舞台音楽
- バロック
- パソコン・インターネット
- ピアノ協奏作品
- ピアノ曲
- ブラームス
- プロコフィエフ
- ベルリオーズ
- マスコミ・メディア
- マーラー
- モーツァルト
- ラーメン
- ルネサンス音楽
- ロマン派・ロマン主義
- ヴァイオリン作品
- ヴァイオリン協奏作品
- 三浦綾子
- 世の中の出来事
- 交響詩
- 伊福部昭
- 健康・医療・病気
- 公共交通
- 出張・旅行・お出かけ
- 北海道
- 北海道新聞
- 印象主義
- 原始主義
- 古典派・古典主義
- 合唱曲
- 吉松隆
- 名古屋・東海・中部
- 吹奏楽
- 周りの人々
- 国民楽派・民族主義
- 声楽曲
- 変奏曲
- 多様式主義
- 大阪・関西
- 宗教音楽
- 宣伝・広告
- 室内楽曲
- 害虫・害獣
- 家電製品
- 広告・宣伝
- 弦楽合奏曲
- 手料理
- 料理・飲食・食材・惣菜
- 映画音楽
- 暮しの情景(日常)
- 本・雑誌
- 札幌
- 札幌交響楽団
- 村上春樹
- 歌劇・楽劇
- 歌曲
- 民謡・伝承曲
- 江別
- 浅田次郎
- 演奏会用序曲
- 特撮映画音楽
- 現代音楽・前衛音楽
- 空虚記事(実質休載)
- 組曲
- 編曲作品
- 美しくない日本
- 舞踏音楽(ワルツ他)
- 行進曲
- 西欧派・折衷派
- 邦人作品
- 音楽作品整理番号
- 音楽史
- 駅弁・空弁
© 2007 「読後充実度 84ppm のお話」