読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行した「保存版」です。  いまは“新・読後充実度 84ppm のお話”として更新しています。左サイドバーの入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。  背景の写真は「とうや水の駅」の「TSUDOU」のミニオムライス。(記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

May 2014

こういう変更ってちょっと卑怯っぽい♪ディーリアス/3つの小音詩

4d1ff73a.jpg  いまさらながらに怒るのは「遅れてるぅ!」って言われそうだが、気づいていなかった、この私は。

 高速道路の“平日朝夕割引”のことである。

 4月からETCマイレージに登録していないと朝と夕方の料金30%割引が適用されなくなることは知っていたが、すでにご登録済みの私は「自動的に引き続き割り引いていただける」と解釈をし余裕をかましていた。

 ところが先日、樽前サービスエリアのセイコーマートでおにぎりを買い、そのあとトイレに寄って(今考えると逆の順序の方が行動様式として好ましかったと言える)、さらに入口においてあったパンフレットを読んで、コトの深刻さに気づいてしまった。

 “平日朝夕割引”は月に5回未満の利用なら還元の対象にならないって、そんなこと知らんかった。

d145ca69.jpg  となれば、金曜日の夕方に自宅に戻り日曜日の日中に舞い戻ってくる私としては、毎週金曜日に帰っているわけじゃないので、5回利用という条件をクリアすることは事実上不可能だ。朝夕の通勤で高速道路を利用している人はいいんだろうが、私に対してはまったく配慮されていない。そういう意味では、今まで通り“通勤割引”と言われた方があきらめもつきやすい。

 じゃあ、いっそのこと3000円が休日割引で半額になる土曜日の朝に移動しようかとも思ったが、1500円を惜しんでわざわざ金曜日の夜はこちらでじっと待機っていうのも、そりゃ1500円は大きいが、せせこましく理不尽で時間の無駄だ。それに休日割引も7月からは3割引きになる。

 それにしても、このチラシ、利用例(適用例)が極端だし、還元だの請求だの、顧客に理解していただこうという意気込みが希薄に思えてならない。
 
 よく考えると、今の政権になってからというもの、良くないことばかりが起こったり論議されている。
 TPPだの集団的自衛権だの配偶者控除廃止だのブログ人サービス廃止だのフロントガラス破損交換だのだのだ…の……
 なんとかしてくれ。

 朝夕に関連し、ディーリアス(Federick Delius 1862-1934 イギリス)の「3つの小音詩(Three small tone poems)」(1890)。
 
 この作品がなんで朝と夕に関連するかというと、3つの曲のタイトルが「夏の夕べ」「冬の夜(そり滑り)」「春の朝」だから。私の勝手な理屈に他ならないが。

 「冬の夜」は朝夕に関係ないが、冬の夜の運転は気をつけないといけない。そりは滑るためにあるが、車は滑ったら怖いし危ない。この理屈も関係ないけど。

 ディーリアスの作品の中で、なぜかこの曲はあまりメジャーな存在ではないが(「そり滑り」は単独で取り上げられる機会が少なからずある)、独特のしっとり感や郷愁を誘うメロディーがたっぷりで、放置されている理由がわからない。
 それぞれのタイトルの季節の情景が目に浮かぶ絵画のような音楽だ。

 ロイド=ジョーンズ指揮ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団の味わい深い演奏を。
 2002録音。ナクソス。

 とにかく、コンビニに新聞を買いに行って、そのあとバラいじりしなきゃ。
 午後はコンサートだ。

岸バラ園とかじゃなくて…♪R.シュトラウス/組曲「ばらの騎士」

5cd1941c.jpg  今日は仕事を終えた後に自宅へと戻る。

 明日は午前中は庭のバラの面倒をみる。今年はまだ殺虫剤も殺菌剤も散布していない。そろそろ悪い虫や良くない病気がはびこりはじめているはずで、私はバラを守る騎士のごとく、鉄兜のかわりにYANMERと刺繍されたキャップ(前に工場見学したときにおみやげにいただいた)をかぶり、なんとなくプロの栽培人になった気になって作業をするつもりである。

 リヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss 1864-1949 ドイツ)の組曲「ばらの騎士(Der Rosenkavalier)」。

 組曲のもととなっているはH.v.ホーフマンスタールの台本による3幕の歌劇「ばらの騎士」Op.59(1909-10)で、後年R.シュトラウス自身も管弦楽組曲版を書いたが(1945)、今日はドラティの編曲によるもの(1940年代)を取り上げる。

 編曲といっても、ドラティはR.シュトラウスのオペラの譜面には一切手を加えなかったと語っている。そしてまた、ドラティ版の方が作曲者編の組曲よりも原曲のイメージに近いとされている(まぁ、一切手を加えてないんだから当たり前だわな……)。

 「ばらの騎士」というのは、ウィーンの貴族が婚約を申し込むセレモニーのときに遣わす使者のことで、銀のばらの花を届けるためにこう呼ばれる。ただしこれは、ホーフマンスタールの創作で、実際に行なわれていたものではないようだ。

 ドラティ版は、
 
 1. 序奏
 2. 銀のばら
 3. 紛糾
 4. オックス・フォン・レルヘナウ男爵
 5. 大詰め-大ワルツ

の5曲からなっており、シュトラウスの豪華で官能的なワルツを中心とした音楽が楽しめる。
 そしてまた、始まってすぐのホルンが爽快極まりないし、「アルプス交響曲」を思わせる自然描写的な美しさもR.シュトラウスらしい。

 ドラティ指揮デトロイト交響楽団の録音は1983年。
 デッカ。

 明日の午後は、久しぶりの札響の定期演奏会。
 待ちに待ったオール・伊福部プロである。

簡単で安全で確実と誘う者♪ブリテン/歓迎のオード

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 なぁにが大歓迎だか……
 まぁ、カモは大歓迎ってことなんだろうけど。

 ブリテン(Benjamin Britten 1913-76 イギリス)の合唱曲「歓迎の頌歌(Welcome Ode)」Op.95(1976)

 女王の在位25周年記念祭のために書かれた作品で、現代的な刺激に富んだスパイスがところどころに効いているものの、親しみやすくどこか人を食ったようなユーモアも感じさせる小品。
 なお、このOp.95の作品番号は、ブリテンの最後の作品番号である。

 次の5つの曲からなり、これらは続けて演奏される。

 1. マーチ
 2. ジーグ
 3. ラウンデル
 4. モデュレーション
 5. カノン

 第2曲と第4曲はオーケストラのみで、他は児童合唱が加わる。歌詞はT.デッカー、J.フォード他である。

 ヒコックス指揮シティ・オブ・ロンドン・スクール・フォー・ガールズ管弦楽団、同合唱団、シティ・オブ・スクール・ロンドン合唱団の演奏で。ロンドンとスクールの順が微妙に違うのが気になるが、CDの表記を信じよう……

 1990録音。シャンドス。

  聴くとなんだかニヤリとさせられる。作曲者が亡くなるちょっと前に書いたとはとても思えない曲だ。

で、落下した原因は?♪ハイドン/Sym96

724f50fb.jpg  被害があの程度で収まったのは奇蹟としか言いようがない。
 いや、今日は車のフロントガラスのことではない。

 先週のある朝のことだ。

 目覚めると私の頭の周辺には小指の先ほどの白い物体がいくつも落ちていた。
 一瞬何かわからなかった。
 が、それは私が使っているパイプ枕のパイプであることがわかった。
 
 私はパイプ枕の感触と通気性がが好きである。
 あっ、ご存知のこととは思うがパイプ枕というのは下水用のパイプのようなものを枕にすることではない。直径と長さが1cmくらいのパイプ片がなかにごまんと詰まっている枕である。
 理論上、パイプならダニが発生したり、そばの芽が生えてきたりしないから、無機質的な衛生さがある。

 夜のうちにどこかが破れたのだろうか?
 にしても、こぼれ出たのが32個で収まっていたのは奇蹟的だった。
 全部、いや半分でも出てしまっていたら回収するのにけっこう手間がかかったはずだ。
 これもひとえに、私の頭の小ささと脳の軽さ、寝相の良さによるものだろう。

 ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809 オーストリア)の交響曲第96番ニ長調Hob.Ⅰ-96「奇蹟(The Miracle)」(1791)。

 奇蹟の愛称の由来は、この曲が初演されたときに、会場のシャンデリアが落下してきたが奇蹟的に誰1人けがをしなかった、ということからきている。しかし、近年の研究では、どうやらこの事故が起こったのは102番のときじゃないかとされている。

 この嘘っぱちのタイトルと音楽自体の性格が一致しないせいか、地味な存在である。
 アバド/ヨーロッパ室内管弦楽団による演奏は、「決して地味なわけじゃない!」と言わんばかりのハツラツとしたもの。このイキイキした演奏で、奇蹟というタイトルを無視して純粋に作品を味わっていただきたい。
 1996録音。グラモフォン。

 こういうパイプってパイプ枕専門の工場なんかで作っているのだろうか?
 ニ〇リなんかに納入価格を大幅にたたかれ、困っているところに半沢直樹が融資してあげるなんてストーリーがありそうな、町場の小さなコウバで……
 いや、輸入なんだろうな。

 町場のコウバといえば、久しぶりに小説を読んだ。
 いまや飛ぶ鳥を落とす勢いの池井戸潤だが、氏の作品を初めて読んだ。「下町ロケット」(小学館文庫)である。

16aeb9be.jpg  研究者の道をあきらめ、家業の町工場・佃製作所を継いだ佃航平は、製品開発で業績を伸ばしていた。そんなある日、商売敵の大手メーカーから理不尽な特許侵害で訴えられる。圧倒的な形勢不利の中で取引先を失い、資金繰りに窮する佃製作所。創業以来のピンチに、国産ロケットを開発する巨大企業・帝国重工が、佃製作所が有するある部品の特許技術に食指を伸ばしてきた。特許を売れば窮地を脱することができる。だが、その技術には、佃の夢が詰まっていた――。男たちの矜恃が激突する感動のエンターテインメント長編!第145回直木賞受賞作。

 読ませてくれるねぇ~。
 水戸黄門のクライマックスのようにスカッとさせてくれるねぇ~。なんとなく先の予想がつくのも黄門さまっぽいし。

 でも、TVで観た半沢直樹とかルーズヴェルトゲームと登場人物がオーバーラップしちゃう。
 おもしろかったけど、そういう意味で一度読んだものを読み返しているような錯覚に襲われた。

100歳になるまで不滅であれ!とは言わないが…♪レハール/金と銀

4872802a.jpg  日曜日はブログの記事更新が夕方になってしまったが、それは1泊2日で妻の実家にお出かけしていたからである。

 土曜日の朝に帯広を出発。
 ちょうど昼どきに有珠サービスエリアにさしかかったので、そこで昼食を食べることにした。
 地元の黄金豚を使ったメニューがウリのようなので、カニ飯を頼んだりはせず、かといって生姜焼き定食は現在の私の生きざまに若干ながら反するので(このときはどうしても完食してしまいそうだった)、黄金豚チャーシューメンにした。

 ラーメンのスープはあっさりしていて悪くないが、ちょいと何かが物足りない。でも、こういうところにしては合格点だ。モヤシとメンマがたっぷりなのもポイントが高い。

1f668a31.jpg  チャーシューは昔風のかためでちょいとパサパサした赤身主体のもの。が、薄切りなので食べにくいというものではない。いま流行(はやり)の脂身に価値観をおいているトロトロしたチャーシューをあまり好ましく思っていない私にとっては、味も質感も満足のいくものだった。

 また、このサービスエリアからは伊逹の街や有珠山、昭和新山が一望できる。
 写真上の左側が有珠山、右が昭和新山である。もやっているけど……
 そしてまた下の写真が、いま故障されると道民がパニック状態に陥る頼みの綱の伊逹火力発電所である。

 ところで、この前、道央道で千歳付近を走行中、追越し車線で乗用車が私の車を追い抜いた際、小石(と思われる)がフロントガラスに当たった。タイヤの溝に挟まっていたものが飛んできたのだろう。
 思わず「勘弁してくれよっ!」と叫んだ私。
 でも、やっぱガラスを交換しておいてよかった。石は大迷惑だが、虫がぶつかって来てははじけ飛んで行く。この連続体当たり衝撃は、おそらくひびを大きくしたことだろう。

 石による影響はないかと思いきや、あとから確認するとごくごく小さなかすり傷のようなものがガラスについていた。
 新品なのに、早くも……。しくしく、である。

 昨日の北海道新聞朝刊(地方版)に、映画「銀の匙」の映画館別入場者数でシネマ太陽帯広が全国1位になったという記事が載っていた。
 上映期間が長いということもあるようだが、さすが地元である。

 この映画、ポスターに「畑に弱虫は、一匹もいない」って書いてあるが、バラを愛で育てている私としては、強い虫ばかりはびこられると実に困る。
 あっ、バラを植えている場所は畑とは言わないか……

8c32adb4.jpg  そんなわけで、レハール(Franz Lehar 1870-1948 オーストリア)のワルツ「金と銀(Gold und Silber)」Op.79(1899)。
 
 ウィーンのメッテルニヒ家の令嬢パウリーネ主催の謝肉祭の舞踏会場が、金色と銀色で飾られたことにちなんだ曲で、ウィンナ・ワルツの代表作の1つ。

 フィードラー/ボストン・ポップス管弦楽団の演奏で。
 1960録音。RCA。

 先週腰が抜けるほど驚くことがあった。

 OCNがブログ・サービスをやめると発表したのだ。
 私が驚き、うめき、怒り、失望し、生きる気力値が大幅に下がったのは言うまでもない。なぜなら、私もブログ人の1人だからだ。

 平素より「OCNブログ人」をご利用いただき、誠にありがとうございます。

 この度、誠に勝手ながら「OCNブログ人」のサービス提供は、2014年11月30日をもちまして終了させていただくことになりました。これに伴い、2014年5月31日をもってOCNブログ人の新規申込み受付を停止させていただきます。


 まったくもって、誠に勝手だ。
 私に報告、連絡、相談(いわゆるホウレンソウ)もなく、突然一方的に宣言するなんて、ひどい。
 いきなり濃霧警報が出されている有珠山山頂に放置されたような気分だ。
 そりゃないっしょ!と思わず北海道弁が口から出た。

 で、ブログを続けたければ引っ越してくださいって。

 ブログを継続されるお客さま、これからブログを始められるお客さまには、NTTレゾナント社が提供する「gooブログ」を推奨いたします。ご利用中のお客さまが「gooブログ」へ引越しいただく方法については、以下をご確認ください。

 「この家は大家の意向で取り壊すことになりました。ついては、新しく住むところを斡旋します」ということだ。
 あぁ、上戸彩のアドバイス無しに、うまく引っ越せるかしら……
 gooブログ以外に引っ越そうか?いや、ならさらに厄介そうだしな……

 それにしても、なぜOCNはブログ・サービスから撤退するのだろう?
 登録者が減ってきているのだろうか?いろいろなブログの中で、確かにメジャーな印象はない。でも、天下のOCNである。なのにやめちゃうなんて……
 
 2007年の夏からこのブログを始めたが、まさか私がパソコンを触れなくなるくらいまで老いる、あるいは死んでしまう前に(金さん銀さんほど長生きできないのは明白だし)、先に“ブログ人”がなくなるとは考えてもみなかった。

 残念である。
 ぼやいてもしょうがない。
 今後の自分の方向性を固めなければ……

干からびたライスは誰かのいたずらか?ドラティのR.シュトラウス/ティル

9912f265.jpg  ご飯の話ばかりが続いて恐縮だが、今日はご飯はご飯でもちょっと毛色が異なる奇妙な話。

 先日自宅に帰ったとき、玄関ポーチの端のほうにやや乾燥したご飯があった。
 分量は箸で一つまみ程度。

 なんで玄関にそんなものがあるのだ。
 不思議だ。

 カラスが生ゴミをあさって、それをわが家の玄関前で食した残りか?
 いや、それならそっくり平らげるだろう。

 誰かがいたずらで置いていったのか?
 誰だ?ティルの仕業か?
 が、わざわざご飯一つまみをここまで持ってきて置いていくだろうか?
 それに、そのいたずらの目的は?

 謎である。

 いずれにしろ私はそれを片付けた。

 リヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss 1864-1949)の交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら(Till Eulenspiegels lustige Streiche)」Op.28(1894-95)。

 作品についてはご面倒でもこちらをご覧いただきたくとして、今日はドラティ指揮デトロイト交響楽団の演奏で。
 ドラティらしい痛快な演奏。オーケストラの各楽器(特に管)も巧い!

 CDには録音年が1979と1980という2つの表記がある。どっちかが正しくてどっちかが間違いなのに違いないのだが、ブックレットにある初出時の欧文解説の縮小コピーによると1980年のようだ。
 デッカ(TOWER RECORDS UNIVERSAL VINTAGE COLLECTION +plus)

 このCDは2枚組みで、オリジナルのジャケット・デザインを採用しているが、上に載せた写真はブックレット裏面のものである。

 にしても、残飯(どう考えても)を置いていくなんて、いたずらとしても愉快ではない。いたずらでなかったら不気味だ。

パパ、木馬さん楽しかったね!♪マゼール/POのGM4

36f7dd29.jpg  わが家の古い車、でも愛着がある車のフロントガラスが私の不注意によりひび割れし、交換した事件は記憶に新しい。少なくとも私には。

 そして、純正品だと交換で総額15万ほどかかるが、社外製品だと8万弱で収まることがわかり、水が低いところに流れるように、私はそれを選択したことは報告したとおりだ。

 社外製品といっても、ちゃんと上部は青緑色のスモークが入っているし、下部には融雪用の熱線も入っている。純正品との違いはUVカットできないということだった。

 交換後帰宅してガラスのロゴを見ると“FY”と書いてある。
 ネットで調べると、中国のフヤオという会社の製品だという。
 社外品だよな、確かに。国産とは一言も言ってなかったもんな。
 最近の中国は好きじゃないが、でもこのフヤオのガラス、たいそうレベルが高い製品なんだそうだ。
 ただ私が疑問に思うのは“UV”とも書いてある。
 これって紫外線防止処理が(程度の問題はあるが)なされてるってことじゃないのかなぁ。
 でも、修理工場の人はそんなこと間違えないだろうし……

 で、ガラスといえば透明。
 ゆえに、透明感のある演奏を。

 マゼール/フィルハーモニア管弦楽団によるマーラー(Gustav Mahler 1860-1911 オーストリア)の交響曲第4番ト長調(1892,1899-1901/改訂1901-10)。

 透明感があり、伸びやかで健康的な演奏。それでいてところどころ毒がさりげなく顔を出しては引っ込む。

 “本当は怖いグリム童話”じゃないが、第4番は表面上のメルヘンチックな姿とは裏腹に毒気がある。だが、マゼールはマーラーの意図をわざと無視するように進める。

 なぜか私はこの曲を聴くと遊園地のメリーゴーランドを連想してしまう。
 そして、例えばテンシュテットの録音では夜の遊園地の不気味な木馬の姿をイメージさせるのに対し、マゼールのは昼間の楽しい遊園地のようだ。これなら良い子に聴かせても怖がらない。
 メロディーと響きに素直に身をゆだねられる、テンシュテット系アプローチとは反対の形だが、こういうのも悪くない。同じ傾向のシノーポリよりもずっと楽しめる。
 第4楽章のソプラノ独唱はフォックス。

 2011年ライヴ。signum。

続けすぎて膨満感…♪ヨッフム/ドレスデンのブルックナー/Sym5

797f2e2d.jpg  昔、幕の内弁当というのは俵型になったご飯が入っている弁当のことだと、私は思っていた。

 が、ご飯をただふつうに詰めたものも幕の内弁当であると知ったとき、なんだかつまんない気持ちになった。ただの弁当じゃん、それなら。そして、私はただの弁当のことを幕の内弁当と称するのだと、気持ちの整理をし、現在に至っている。

 月曜日の会議では昼食で弁当が出たが、そのご飯は俵型だった。
 現在、ご飯を残すように心がけている私としては、実にありがたかった。
 というのも、8つある俵のうちいくつ残すかということで、容易に分量調節ができるからだ。

 最初に4個+4個で2列になっている俵のうち、上の列の右端1個ならびに下の右側2個を隔離するように箸で溝を深くし、5個を食べることにした。
 3俵だと6口分くらい残すことになり、ちょっと食べ足りないのは明らかだが、おしっこが甘くなるよりは断然ましだと我慢した。

 一方、おとといの会議でも昼に弁当が出たが、それは普通にご飯を詰めたものだった。
 もう失望も落胆もしない。こういうことには慣れた。

 で、ほぼ正しく3口分を残した。
 そしてまた、わずかながらも入っていた野菜は食べたし、最初に煮物のしいたけを食べた。食事のはじめにキノコを食べることは良いことなのだそうだ。看護師曰く。

 そんなこととは関係ないが(ごはん→ごばん、という関連性を指摘するには無理がある)、ヨッフム/シュターツカペレ・ドレスデンによるブルックナー(Anton Bruckner 1824-96 オーストリア)の交響曲シリーズから、今日は交響曲第5番変ロ長調WAB.105(1875-78)。

 この演奏もすばらしい。音楽が自然に息づいているような流れがある。

 実は私、ブルックナーの交響曲では第2番と第5番があまり得意ではない。取り上げている回数も少ないはずだ。聴くのに得意も不得意もないのだが、はっきりいえば、好きではない。
 でも、この演奏では苦痛を伴うことなく聴きとおせた。
 それは、うまくいえないが、ヨッフムの上手さなんだろう。
 1980録音。ワーナークラシックス(EMI)。

 この演奏の使用楽譜はノヴァーク版だが、私がこの曲を最初に聴いたとき-それは廉価盤LPの購入によってであったが-の演奏は、シャルク改訂版を用いていた。
 クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィルの演奏である。

 クナの録音はシャルク改訂版を用いた演奏として有名なものだが、この改訂版自体がすこぶる評判が悪い。大胆なカットやオーケストレーションの変更が行なわれており、ここ30~40年はもはやほとんど演奏されていないようだ。

 はたしてその演奏がどういうものだったか私はすっかり忘れてしまったが、いまだに5番が苦手ってことは、このときにそうとう好きになれない何かがあって、その後遺症だと思っている。

 なお、ヨッフムが指揮した5番としてはアムステルダム・コンセルトヘボウ管を振った「ライヴは必聴」と中野雄氏が書いているが(「クラシックCDの名盤 演奏家篇」:文春新書)、私はその言葉に従わず、まだ聴いたことがない。

 ところで、最近ブルックナーを聴くことが多く(そして記事にもしてきたが)、ちょっと食傷気味な私。げっぷが出ちゃう感じぃ~。だからブルックナーはちょいと休もう。
 そういえば、げっぷが出るほどおなかいっぱい食べてないな、最近……
 相変わらずげっぷが出るほど炭酸は飲んでいるけど。

 昨日の午前中に札幌から帯広に移動。
 沿線にオオバナノエンレイソウなどの山野草が咲いているのが車窓から見えたが、この季節、山野草好きの運転士がいたら、たまらなくうれしいだろうな。そんなことを思ってしまった。

お尻を出す覚悟はできていた♪キーシン&小澤のラフマニノフ/p協3

5beffc58.jpg  で、ブドウ糖負荷試験体験記である。

 8:30に病院に行く。
 まずは左腕から採血。
 空腹時の状態を調べるためだ。

 そこでガラス瓶(写真はイメージです)に入ったちょっと気の抜けたサイダーのようなものが紙コップに移され、それを飲まされる。
 前日の21時以降絶食しているのでもっとがっつくかと思ったが、そこは紳士な私、ハイボールを舐めるように優雅に飲んだ。

 ここからが時間との闘い。じゃあなくて、正確な時間ごとに採血する。
 サイダーを飲み終わったのが8:41。
 次の採血は9:11である。

 「5分前までに戻って来てくださいね」と看護師さんに言われたが、この時間ならコンビニとキオスクぐらいしか開いてない。しかもタバコもまだ吸ってはいけない。だからそのまま待合室にいた。

 案外30分経つのは早いものだ。トムとジェリーのある1日の3本立てを思い起こしていたら、20分ぐらいは経った。あとは時間調整で次回の予告編を思い出せばいい。

 9:11。第2回目の採血。
 今度は右腕。
 次は30分後の9:41。また待合室で待つことにした。

 9:41。第3回目。両腕に穴を開けてしまったので、次はお尻かなって思ったが、再び左腕だった。
 次は60分後の10:41。

 さすがにまた待合室に、しかもこれまでの倍の時間いるのは受付の人たちにも悪いと思い、行くあてもなく外出。
 といっても、まだビックカメラも東急百貨店も開いてないわけで、駅の本屋に行き糖尿病関連の本をぱらぱらめくり、そのうち10時を過ぎたので東急に行ったが用事もなく、でもちょうどよい時間になったので病院に戻った。

 最後の採血は予期していた通り、やっぱりも一度右腕だった。

 結果は早ければ午後にわかると言われたが私は午後のJRで帰らなきゃならないわけで、後日医師と面談することになった。褒められるのか説教されるのか微妙なところだ。

 病院をあとにした私はESTAの10階に行き、まずは喫煙所で立て続けにタバコを2本吸い、そのあと四川飯店に行って担々麺を食べた。これまでの私だったら検査後の解放感からご飯とのセットを注文するところだが、私は変わったのだ。単品注文にした。

 そして、これまたJRの発車時間まで時間があったのだが、なんとか時間をつぶし、帰って来た。

622bb7fc.jpg  帰りのJRの中でキーシンが弾いたラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943 ロシア)のピアノ協奏曲第3番ニ短調Op.30(1909)を聴いた。
 小澤征爾指揮ボストン響による1993年ライヴ。

 実は私があまり好んでいない演奏だが、ブログにそのうちアップしようとウォークマンの中に入れていたのだ。いくら開放的な気分になっていたとはいえ、これを聴こうと思うなんて魔が差したとしか言いようがない。

 キーシンのテクニックは完璧とも言えるもの。が、それ以上のものが伝わってこない。
 なによりキーシン&小澤は、全体的に音を抑制気味にし、さらにテンポはもったいつけるような遅めのもの。なんとなく抒情的に感じなくもないが、そんなの表面的な疑似抒情。命が吹き込まれていないような仕上がりだ。特売が定番となっている、大豆の味がしない水っぽい豆腐のよう。
 ゲルギエフとの第2番では、やっぱりキーシンの情感不足ではあったが、ここまでひどくなかった。

 また第3番では、先日ボレットの独奏、フィッシャーの指揮による演奏を紹介したが、知名度、有名度ではキーシン&小澤の方がずっと高いだろう。が、演奏は逆。
 知名度に惑わされちゃいけないのね……

 ソニークラシカル。

 あっ、上の瓶たちの写真、わが家で見られる光景ではありません。
 私、ビン収集の趣味ないですから。
 骨董品屋に飾っていたものです。売り物だったのかどうか知りませんけど……

炭素の中で…?ライリーの「イン・C」とか…

e8a91c5d.jpg  ブドウ糖(グルコース)の分子式はC6H12O6である。

 ご承知のように、C、つまり炭素を含む化合物のことを有機化合物という。

 しかし、私がウイスキーを飲むときに欠かせない炭酸水に含まれる炭酸ガス(二酸化炭素CO2)や、テントの中で練炭を焚いて暖をとるつもりが中毒になってしまう一酸化炭素(CO)、ベーキングパウダーの主成分である重曹(炭酸水素ナトリウムNaHCO3)などは、有機化合物ではなく無機化合物に分類される。このように慣習的に勝手なことをすることが、世間に化学嫌いを増やす一要因となっている可能性もある。

 そのブドウ糖を用いた検査、ブドウ糖負荷試験を火曜日に受けたわけだが、要するにおしっこに糖が混じる病気、糖尿病になりかけていないかを調べたのである。

 音楽においてはCはハである。
 C majorはハ長調であり、C minorはハ短調である。

 そんなわけで、ライリー(Terry Riley 1935-  アメリカ)の「In C」(1964)。
 このCDは前にも紹介しているが60分ほどのすべてがハ長調なんだそうだ。名前にうそ偽りはない。

 ロバート・P・モーガン編、長木誠司監訳「西洋の音楽と社会11 現代Ⅱ 世界音楽の時代」(音楽之友社:1997)には、次のような記述がある。

 わかりやすさと商品化というジレンマにたいするもうひとつの回答はミニマリズムである。それは結果的に1970、80年代の音楽におけるひとつの新しい焦点を生み出した。最も重要な作品はテリー・ライリーの《イン・C》(1964)であった。この作品では、演奏者は、一連の短い音楽の断片を反復しながら、どのように、そしてどの時点で先に進むかを選択する。《イン・C》の構造は1960年代の開かれた形式の構造に似ている。しかしながら、演奏の仕方は非常に明快で、誰にでも理解できるシンプルな楽譜は録音されたLPのジャケットに掲載されているほどである。さらに《イン・C》の耳に聞こえてくる側面は、多くの宣伝用の広告と同様、この先に何が生じるのかということがすぐわかるものである。変化のないパルス音、限定された音高素材、断片の反復、連打するドローンなどが結び付き、変化ではなく固定し、変わらぬものが示される。このような作品は、全体として大量生産商品となるわけではないが、そうした商品という面をひとつの構成要素としてとり入れているのである。《イン・C》は、ファッションや使い捨て商品に対抗するのではなく、むしろそれらを肯定しており、専門家ではなく消費者という聴衆を要求しているのである。
 
 ここでは「In C」がミニマム・ミュージック誕生の最も重要な作品と位置づけているにもかかわらず、ライリーの名前は、しかしながら井上和男編の「クラシック音楽作品名辞典」(三省堂)には載っていない。グラスやライヒは載っているのに、である。
 ライリーはクラシック音楽作品とは見なされていないのか?少なくとも井上氏はそう位置づけているのだろう。

da338a9f.jpg  ヨーロピアン・ミュージック・プロジェクトの演奏。2002録音。wergo。

 が、これを聴き終わると、クラシック音楽らしい音楽を聴きたくなるのも事実。少なくとも私はそう。
 久しぶりに in C しちゃったあと、私が手にしたのはベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調Op.67、いわゆる「運命」のCDだった。
 今回はジンマン/チューリヒ・トーンハレ管弦楽団の演奏にした。
 落ち着くぅぅぅぅ~。
 そして、私はハ長調よりもハ短調の方が好きなのである。曲にもよるが……

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