読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行した「保存版」です。  いまは“新・読後充実度 84ppm のお話”として更新しています。左サイドバーの入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。  背景の写真は「とうや水の駅」の「TSUDOU」のミニオムライス。(記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

September 2016

日々の継続は力なり、ではなくて?♯シュニトケとかリャードフとか

  リバイバル?
 8月末から9月頭にかけて、私としては信じられない奇妙な現象が起こった。

 簡単に言えば逆転現象である。

 簡単に言わなければ、あなたはもう世間から忘れられているはずなのに、現役バリバリに働いているやつのプライドを傷つけやがって。でも、なかなか大したものだ。老いてますます盛んとは、あなたのためにあるような言葉で飲んでないのにニンニク卵黄効果、ってことである。


 どうしてこうなったのか、まっこと不思議。

 無関心を装えば自然の摂理ってことになるのだが、じゃあ自然っていったい何だ?と自分で問題提起し、セルフツッコミをしたくなる。

 毎日更新しているブログが月に2度しか更新しないブログに負けたのだ。ランキングで。

 正社員がパート従業員に、准教授が非常勤講師に足を引っ張られたようなものだ。

20160905FC2


 読者のみなさんが古いものを邪険に扱わず、大切にしてくれているとしたらうれしいが、毎日ツウ(「つるの恩返し」のことアルネ)のように寝る間も惜しんで作り上げている“新・読後充実度”が負けてしまったとなると、悪夢とまではいかないが、複雑な男心になるのは事実である。ツウよりも「アリとキリギリス」のキリギリスが幸せになったようなものだ。

 考えられる理由はあんまりないが、“新・読後充実度”の記事内では旧ブログである“読後充実度”へのリンクを少なからず貼っているので、そのために旧記事の露出が増えた、ってことはあるかもしれない。

 しかし、これとて“新・読後充実度”になってからもう2年以上経つので、明快な答えとは言い難い。
 給湯器のリモコンのケーブルのように謎が残る(←のリンクは明日から有効)。


 旧ブログ(つまり、いまあなたが目にしているこれだ)も月に2回という継続性は保っているものの、毎日更新の記事がこうなってしまうと、浪人中に受験用模試を添削してくれていた通信教育会社が掲げていた“継続は力なり!”って言葉はなんだったんだろうと八つ当たりのひとつもしたくなる。

 もっとも、あの通信教育、継続できずに途中でやめちまったけど、継続してても力にならなかった可能性が、これを機ににわかに浮上してきた。

404b07b8.jpg  シュニトケ,ではなくて……
 シュニトケ(Alfred Schnittke 1934-98 ロシア→ドイツ)の「夏の夜の夢,ではなくて((K)ein Sommernachttraum)」(1984)。「夏の夜の悪夢」と訳されることもある。

 この大オーケストラのための作品は、私がシュニトケの作品と出会うきっかけとなったもの。1年前にも取り上げている

 だから、別な曲。

 リャードフ(Anatol Konstantinovich Liadov 1855-1914 ロシア)のバラード「古い時代から」Op.21b。

 この曲の英語名は“About older times”と書かれていたり“From days of old”と書かれていたりで、どっちが一般的、あるいは正しいのかわからない。原題がロシア語なわけで、どっちも一般的かつ正しいのかもしれないし……
 
 「古い時代から」は1889年に作曲されたピアノ曲(Op.21)。
 それをリャードフ自身が管弦楽編曲したものを私は聴いている(ごくたまにだけど)。管弦楽編の作品番号が21bである。


 サウンドは色彩的で、民謡っぽいメロディーも悪くない。
 けど、心を虜にさせられるような曲でもない(私には)。
 だから人気がないんだろうけど……


 私が持っているのはシュピラ指揮暮らすの安く、おっとどっこい西友じゃあるまいし、クラスノヤスク交響楽団による演奏。

 2001年録音。ブリリアント・クラシックス。


牛丼でも豚丼でもかしわ丼でもなく……♪WAM/p協1(by ソフロニツキ)

Yoshikawaya  PENTAXを看板にする良いお店
 今日になってしまった、つまりセプテンバーになったために、先月の出来事になってしまうのだが、今池という場所に用があって出かけた。
 散歩ではない。仕事である。


 なお、犬などの重大なるウイルス疾患はジステンバーである。


 その今池の交差点のところにPENTAXの大きなネオン看板があった。いや、大きなネオン看板を支えているビルがあった。

 私とPENTAXの出会いは、大学生の時に過酷なバイトの成果として一眼レフのMEsuperを買ったことに始まり、中間はなく、去年はデジタル一眼を買うに至った

 つまり、一眼レフといえば私にとってはPENTAX。
 旭光学はいまやリコーに統合されてしまったが、それはしょうがない。

 それにしてもこの背の高い看板は、台風でも来たら風にあおられて真新しいとは言えないビルを道連れにして倒れてしまうのではないかと心配してしまう。

 そうそう、現在、PENTAXのデジタル一眼は自宅に置いてある。
 バラや庭の写真を撮るためだ。撮影拠点のメインは自宅なのだ。

 一方こちらには、私が能力がないと小ばかにしたオリンパスのコンパクト・デジカメを持って来ている。オリンパスが悪いのではない。私が買った機種が安売り商材相応ということだ。

 また、今日載せた写真は携帯電話(ガラケー)で撮った。レンズも拭かずに……

 そんなわけで、私の写真の腕前はさておいて、写真の質が統一されていないのはそのせいである。


  ママ、ウフギってなぁに?
 で、気になるのは松屋カメラではなく、その隣のブラック&ホワイトなる存在の、一歩間違えればすっごくおいしいものを食べさせてくれそうな店である。

f4f0 この店に私は強い興味を持たざるを得なかったが、行く勇気はまったく湧いてこなかった。
 ここに1人で入るくらいなら、朝、人々で混雑する駅のホームで、入線してきた電車の運転手さんに向かって背筋を伸ばして敬礼するというアブノーマルなふるまいをするほうが、まだできるかもしれない。


 “うなぎ”の“な”の字が“奈”由来の旧ひらがなってところが、この店の短くなく軽々しくもない歴史に勝手に思いをはせてしまう。
 これ、一般水準の小学生だったら“うふぎ”と読むだろう。

 “肉丼”というのも、わかるようでわからない得体の知れない肉弾のような料理だ。
 いったいどんな味付けなのか、このふた文字からは想像がつかない。“丼”の下の横棒が伸びているところもしゃれている。
 この瞬間にも、店の中ではハイカラなご婦人が和装で丼をかっ食らっていそうだ。

 その下には縦書きで店の名が。
 見る者の目線を単調に陥ることのないよう、縦横テクを使っているところが巧みだ。
 一般水準の学童なら、この店の名が“とん吉川屋かつ”と思うことだろう。
 私だって初めて小樽に行ったときに、あちこちに書かれている“北一硝子”というのを目にして、しょうこさんって何者だろうと思ったものだ。

 が、もちろん大人は“とん吉川屋かつ”とは読まない。そこまで純情でないからだ(例外の存在は必ずある。別な意味で)。

 “とん”と“かつ”の間に“吉川屋”という屋号を配することによって、1つのアートを形成していることに気づくであろうし(カツサンドもあるでよ、という布石か?)、店主がとんかつに相当な自信を持っていることを理解するだろう。

 しかも、これらの文字の中にはネオン管が仕組まれている。夜になると道行く人たちは、その美しさとどことない懐かしさに引き寄せられるに違いない。

 ところが攻撃はそこで終わらない。
 その下には、目線は低いが漢字に強い幼児に店の名を読んでもらおうという念の入れよう。
 しかも、その横には再び“うなぎ”の文字が。それも“一番”というアピール。

 肉丼もとんかつもうなぎも、どれもがこの店の推しであり、さりげなく「お客さん、迷いますよ」とサドっぽく、だが強烈かつオスティナートのように見る者へ訴えかける(個人的希望だが、ざるそばはないのだろうか?)。

 たたみかけるような攻勢はそれで終わらない。

 建物の横には、寝技に持ち込むように、しゃぶしゃぶと焼肉も品揃えしていることをアピールする看板が。
 “しゃぶしゃぶ”と“焼肉”の間にある青っぽい文字が消えかかっていて読めないが、“ノーパン”ではないものと推察される。

 肉を職人技でいかようにでもアレンジしてお出ししますというアピール。
 加えて一番のうなぎも供するという自信。

 すっごく気になる。
 誰か、私とともに探検に行かないか?

  子どもながら天才技のアレンジ

 モーツァルト(Wollfgang Amadeus Mozart 1756-94 オーストリア)のピアノ協奏曲第1番ヘ長調K.37(1767)。

0f5d89d6.jpg なに?一番の意味が違うって?
 そんな細かいこと言わず、肉丼のようにどんと構えなさい。


 このコンチェルトは過去の3つの記事(→とん吉川屋かつ)にもあるように、11歳のモーツァルトがラウバッハやホーナウアーの作品からメロディーを引用してピアノ・コンチェルトにアレンジしたものである。


 ソフロニツキのチェンバロ、カロラク指揮ムジケ・アンティケ・コレギウム・ヴァルソヴィエンセの演奏を。

 過去に何度もしつこくオスティナート的に私が讃えているように、このモーツァルトのピアノ協奏曲全集は実にすばらしい出来栄えだ。
 どのくらいの人に買われているか知らないが、モーツァルトのピアノ・コンチェルトが好きな人なら絶対に見逃してはいけない(と偉そうに独白する)。

 2005-06年録音。PRO MUSICA CAMERATA。


 ここに来て調べてみると、ありました。情報が。


 どうやらこの店の正式な名前は“吉川屋 うなぎ一番”ではなく、“吉川屋どん丼”らしい。

 しかも、近くには“本店”もある。

 肉屋直営らしい(なら、なぜう奈ぎも?)。

 う~ん、ますます気になる。 

 ところで、上に書いた文からお察しのことと思うが、私はスマートフォンを持っていない。
 なぜなら、スマートフォンなのに略すとスマフォじゃなくスマホになるのが気に入らないからだ。ってわけなはずはないが。

 だから、自分のブログがスマートフォンではどのように表示されるのかわからないままでいる。


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