読後充実度 84ppm のお話

“OCNブログ人”で2014年6月まで7年間書いた記事をこちらに移行した「保存版」です。  いまは“新・読後充実度 84ppm のお話”として更新しています。左サイドバーの入口からのお越しをお待ちしております(当ブログもたまに更新しています)。  背景の写真は「とうや水の駅」の「TSUDOU」のミニオムライス。(記事にはアフィリエイト広告が含まれています)

2014年6月21日以前の記事中にある過去記事へのリンクはすでに死んでます。

April 2017

The 蹲踞♪間宮芳生/子供の領分

MamiyaTab  いや、無理もないでしょう
 「いなかっぺ大将」というマンガがあったことを知っている人は、少なくなくはないだろう。

 マンガ自体は知らなくとも、「大ちゃん数え唄」はその後もアレンジされて歌われているのを聴いたことがあるので、そちらの方は知っているという人は数多くいることもないかもしれない。

 オリジナルの「大ちゃん数え唄」は天童よしみがまだ吉田よしみという名のときに歌ったものだ。ということは、天童よしみはいまおいくつなんだろう。それを数えている人はいるだろうか?

 大ちゃん数え唄というくらいだから、主人公大ちゃん。
 風大左衛門という。

 このいなかっぺのだいちゃんが、あるとき西洋人の自宅に招かれたときのこと。

 トイレに入ったはいいが、使い方がわからない。
 そう、洋式便座だったのである。ウェスタン・スタイルってやつである。

 大ちゃんは四苦八苦したあげく……

 間宮芳生(Mamiya,Michio 1929-  北海道)の「合唱のためのコンポジション第4番『子供の領分』(Composition for Chorus 'Children's Field')」(1963)。

 ここに書いたように、間宮が失われつつあるわらべうたを後世に残そうと書いた曲。
 児童合唱と管弦楽の作品で5つの楽章からなる。
 多くのわらべうたが素材として用いられており、第4楽章は“数え唄”である。

 私は、子どもたちが歌うわらべうたとオーケストラの響きが見事に融合しているこの曲がたいへん好きで、東京勤務時代に高関健指揮の都響の定期演奏会で生で聴くことができたのは、実に幸運だった。プレトークで生マミヤさんを見ることもできたし(プレトークという儀式を私は好まないが、作曲家自らが語ってくれるのは価値あることだと思う)。
 ただ、この演奏会の感想を書いた過去記事が見当たらない。私がブログを始める前のことだったのかもしれない。

 井上道義指揮東京都交響楽団、東京放送児童合唱団のライヴ盤がベスト。

 1996年ライヴ録音。フォンテック。

  う~ん、安楽無香空間
 私は小学生に上がる前から父の勤務先の社宅に住んでいた。

 最初に住んだのは木造平屋。浦河というしばしば強い地震に襲われる土地だったので、そんなときは家が崩れるんじゃないかと思った。実際、震度5に襲われたとき、まったく同じ造りの隣の家が基礎から大きくずれた。

 小学校4年生のときに新しい社宅に引っ越した。
 2階建ての集合住宅である。
 そこが洋式で、なんて楽ちんなんだろうと感激したものだ。おまけに水洗だから臭わない。
 これなら便座に座りながらカレーライスを食べることだって可能だと思ったくらいだ。

 ただ、当時は洋式便座がまだ珍しい時代。
 水のタンクにはマッチ棒を組み合わせたような人の絵が描いてあって、男の人のおしっこの場合はこうやって立ってする、ビッグのときはタンクを背にして座ってブリるということが、視覚的にわかるように説明してあった。

 なのに、やっぱりいまでも使い方がわからない人もいるようだ。
 現在の新千歳空港内の、とあるトイレ。
 どうやら主に非西欧系外国人を対象にしているようだ。

2017041009390000

 絵はずっと絵らしくなっているが、これを見てとてもなつかしく思った。

 でも、この禁止例の絵を見ると、こういうスタイルをとるのはかなり体幹がしっかりしている上に脚の筋力が相当ないと困難だ。
 仮にその2つの条件をクリアしたとしても、この絵によるとブツは便器外に落ちるし……

 トイレの個室からシャッター音がしたら、もしや盗撮ではと思われかねないため(通常なら盗撮目的以外で個室でシャッターは切らないだろう。自撮りするってことも考えられなくはないが)、焦って撮った。

 だからぶれててごめんなさい。

 えっ?“蹲踞”?
 “そんきょ”って読みます。力士が仕切りのときにとる姿勢です。

受難に耐える丈夫な紙袋と近づく復活の日♪シュッツ/復活祭オラトリオ

20150225Kaikan  王国は王国でも、ここは王国会館に非ず
 先月、タウンウォッチングをしていたときのこと。

 集会所のような、あるいは何かの道場(あれとはまったく場所も大きさも違う)のような建物を見かけた。
 けっこう古いどこからみても木造の建築物である。

 その裏手側-道路から丸見えなのだった、敷地に侵入して裏を見学したのではない-には“王国”と書かれた紙袋が。

 昨日や今日に吊り下げられたばかりのものには見えない。
 雨や風にさらされても破けもとろけもしない丈夫さに、なぜか感動してしまった。

 中身が何かはしらないが、釣り下がり方(持ち手のひもの様相)も奇妙だ。

 この建物、ひっそりとしていてひと気がなかったし、いつも使われているような雰囲気もなかったが、紙袋が下がっているということは、やはり利用されているのだろう。

 もし何かの道場だとしたら、袋のなかは汗のにおいが浸み込んだタオルとかかもしれない(って、そんな放置の仕方はしないか……)。

 彩りを添える傘も、ぞんざいに扱われていそうなハンガーも寂しそうだ。
 ダンボールも涙をそそるし……

20170326Chirashi
  「イースターおめでとう」と話すヒヨコをトムは食べようとした
 ところで、王国会館は某キリスト教系の新宗教の崇拝の拠点となる建物だが、キリスト教といえば今月の16日はイースター(復活祭)である。

 なんで私がそのことを知っているかというと、実は私は敬虔なクリスチャンなのだ。

 全然信じてくれないとは思うが、信じてくれない方が正しい。
 4月1日です、今日は。

 こんなつまらないウソをついてしまって、神様ごめんなさい。

 16日がイースターと知ったのは、郵便受けにチラシが入っていたからSchutzChristmasOratorioだ。


 十字架にはりつけになって死んだイエスが3日後に復活!
 それを祝うのが復活祭である。

 イースターという言葉、そしてそれがおめでたいということは子どものころに知った。

 “トムとジェリー”で「イースターおめでとう」と話すアヒルか何かのヒヨコが出演する話があったからだ。

 声は日本語に吹き替えられているが、最後の最後に「イースターおめでとう」と言う場面で、吹き替えのかわいらしい声と、向こうのオリジナルのガラガラ声とが重なって、なんじゃこりゃと思ったものだ。

f30b00bb.jpg 16日は日曜日だが珍しく仕事。しかも、全然前向きな気持ちにならない用務である。
 仕事が入っていなくても教会には行かないけど……

 ということで、今日はシュッツ(Heinrich Schutz 1585-1672 ドイツ)の「復活祭オラトリオ-われらが唯一の救い主イエス・キリストの喜ばしく勝ち誇れる復活の物語(Oster-Oratorium - Historia der frolichen und siegreichen Aufferstehung unsers einigen Erlosers und Seligmachers Jesu Christi)」Op.3,SWV.50(1623刊)。


 ベルニウス指揮ムジカ・フィアタ・ケルン,シュトゥットガルト・バロック・オーケストラ,シュトゥットガルト室内合唱団の演奏を。


 1990年録音。ソニークラシカル。 


 土曜日なので周りにウソをつく相手もいないし、カレーでも作るか……関係ないけど

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