怖さイロイロ?
中川右介の「怖いクラシック」(NHK出版新書)を読んだ。電子書籍版である。
なんだか書名からして、真面目なんだかギャグをかましてくれるのか中途半端な印象を持ったが-こういうタイトルの本を書くなら鈴木淳史氏が適任であるように思う-、読んだあとは、なんだかまとまりが希薄で雑多な感じがして、これまで読んだ何冊かの中川氏の本に比べると、内容が中途半端で強引な感じがした。
この本は、
クラシック音楽は、日本ではいつからか「癒しの音楽」と喧伝されるようになった。だが、本質はその対極にある。死、神、孤独、戦争、国家権力――。こうした「恐怖」こそが、偉大な音楽家たちを駆り立ててきたのだ。モーツァルトからショスタコーヴィチまで、「恐怖」をキーワードに辿る、異色の西洋音楽史。
ということなのだが、「恐怖」をキーワードに辿るといったって、たとえばベートーヴェンの第5交響曲と第6交響曲についてはこうだ。
この(引用者注:交響曲第6番「田園」のこと)なかで「怖い音楽」は、第4楽章の〈雷雨、嵐〉である。「地震・雷・火事・親父」の二番目だ。しかし第4楽章以外は、穏やかで楽しく、まさに牧歌的な音楽だ。だから、《田園交響曲》全体は「怖い音楽」ではない。
むしろ、同じ日に初演された、「運命」と言う俗称で呼ばれることの多い第5番のほうが、怖いと言えば、怖い。幼児に何の予備知識も与えずにいきなり聴かせたら、冒頭のダダダダーンというところで、感受性の強い子だったら泣き出すかもしれない。少なくともびっくりはするだろう。
だったら、うとうとしているご婦人たちを驚かせようと仕組んだハイドンの交響曲第94番「驚愕」も怖い音楽とみなさないと、差別になる。
感受性の強いご婦人だったら悲鳴を上げるかもしれないくらいの曲だからだ。
8つの章からなっていて、各章はモーツァルト、ベートーヴェン、ベルリオーズ、ショパン、ヴェルディ、ラフマニノフとマーラー、ヴォーン=ウィリアムズ、ショスタコーヴィチを中心に書かれている。
では、ショスタコーヴィチの交響曲第4番について。
たしかに第4番は、演奏の技術面において難しい曲だった。狂っているとしか思えない、混沌とした音楽だ。曲想が次々と変化していく。落ち着かない。具体的な標題はないが、ひとを不安に陥れ、混乱させる。心理的に「怖い音楽」だ。
同じくショスタコーヴィチの、交響曲第10番。
第10番は標題音楽ではない。暗い。最初から最後まで徹頭徹尾、陰鬱だ。絶望の音楽であり、もちろん「怖い音楽」だ。究極の「怖い音楽」である。
究極って、あなたのその決めつけが怖いの……
要するにいろんな種類の怖さが-それって怖さなのかなぁっていうのもある-ごちゃまぜになっていて、何が当たるかわからないとっても怖い闇鍋状態。
闇鍋といえば、私はアニメ「巨人の星」の一場面を思い出す。
野球部員たちが闇鍋を作って食べるのだが、伴宙太か誰かが鍋に箸を突っ込んで取り上げたのが下駄だったのだ。
それからというもの、私は闇鍋というのは非食料品を煮込む料理だとばかり思っていた。
全体的に、話のまとめ上げ方がNHK的である。関係ないかもしれないけど。
ついでにラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。
このピアノ協奏曲第2番も「怖い音楽」だ。冒頭は弔いの鐘のような重厚なピアノの響きの連打で始まる。
つまり、冒頭が弔いの鐘のようだから怖いんですね?
しつこくチャイコフスキーの交響曲第1番。
……第1楽章に「冬の日の幻想」という標題が付けられているので、そう呼ばれているが、交響曲全体の標題ではない。第2楽章には「陰気な土地、霧の土地」という標題があり、その題の通り、陰鬱な楽章だ。「怖い音楽」に入れていいだろう。第3、第4楽章には標題はない。
いいんですか?本当に入れてしまって。
とにかく、恐怖の味噌汁かと思いきや、今日麩の味噌汁って感じなのだ。
あるいは、登別伊達時代村のろくろ首人形みたいだ。
じゃあ、怖くない音楽を。
アンダーソン(Leroy Anderson 1908-75 アメリカ)の「タイプライター(The Typewriter)」(1950)。
いや、これだって考えようによっては怖い音楽と言っていいだろう。アームが紙を打つ瞬間指を挟んだときのことを思えば。
それよりなにより、いまの若い人たちはタイプライター自体を知らないだろう。それまた怖い。
フェネル/イーストマン=ロチェスター・ポップス管弦楽団の演奏を。
1958年録音。マーキュリー。
こっちは本当に怖いぞ
怖いといえば、松居一代、泰葉、豊田真由子。
3人ともその精神構造がわからない不気味さと暴力性を兼ね備えている。
松居一代のスッピン投稿動画では食欲をなくしたし、豊田真由子におかれましては独裁首相に罵声を浴びせてほしいと思ったし、泰葉については病院に行った方がいいんじゃないかと感じた。
名古屋で見かけた看板。
この車、子どもの飛び出しに驚いているんじゃなく、危ない顔つきでひこうとしているようにしか見えない。
その点、下の陸別でみかけた、驚きの表情のトラックとは違って怖い。
が、陸別の方のは、あえて物置の中の看板たちを外に見せようとしている持ち主がある意味怖い。
要するに、何でも見よう言いようによっては怖いものになるってわけ(あの3人の女性は正真正銘筋金入りのように思えるが)。