音楽ファンも憂う首相の君臨
雑誌「レコード芸術」6月号の“読者投書箱”。
そこに音楽雑誌としては珍しくいまの政治の動きを憂う投稿が載っていた。
甲府市の61歳男性の現政権に対する思いである。
ショスタコーヴィチの交響曲第11番《1905年》を聴いて、いつの時代にも時の権力は、国民の気持ちを汲もうとせず、ひとりよがりの政治をし続けるものだなと、改めて、悲しさとやるせなさと、もどかしさと憤りを感じた。-(中略)-
どこかの国でも、平和を壊しかねないような政治の暴走が見られ、国民の平和への希求に全く耳を貸そうとせず、戦争のできる国への転換を目指している人物がいる。そのような時、国民は何を成すべきか。ひたすら祈るのみか。それとも、ありとあらゆる手段を駆使して抵抗するべきなのか。第4楽章の最後の箇所で、ベルが鳴らされ続ける。それは私たちに対する警鐘以外の何物でもなかった。
ショスタコーヴィチのシンフォニー第11番は、現代に生きる者への強烈なメッセージを内包している。それは、社会や国の在り方にまで示唆を与えてくれるのだ。これからも1音たりともおろそかにはできない。
音楽との関連はともかくとして、今の日本で、ある人にとっては強く思っていること、またある人にとっては漠然と感じていることが、ここに書かれている。
耳を貸さないのは国民が愚かだから?
ショスタコーヴィチ(Dmity Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第11番ト短調Op.103「1905年(The Year 1905)」(1957)。
1905年にロシアで起こった第1次革命を題材にしている。標題をもつ4つの楽章からなる。
第1楽章 宮廷前広場
第2楽章 1月9日
第3楽章 永遠の記憶
第4楽章 警鐘
国会答弁で「首相、首相」と自分のことを連呼し、暗に権力を誇示しているように感じられる。
ヤジを飛ばす品の無さ。このヤジこそがあいてを威圧して我を通そうとする姿勢の象徴に思える。
育ちの良いお坊ちゃまのたちの悪いわがまま。
国民に選んでもらったということを忘れているのではないだろうか?
いや、選ばれたから何をやってもよいと勘違いしているのか?
でも選挙のときに語られていたのは良いことばかり。
選ばれてしまったあとは、後出しじゃんけんの様相。
安全保障関連法案だって、法案が提出されたあとに国会で議論するはずが、議論は煮詰まったという形に持ち込もうとしている。
法案の内容以前に、その進め方が問題だ。
これは原発、TPP、基地移設でも同じ。
「圧政者らよ激怒せよ われらを愚弄せよ」
第11交響曲の第4楽章「警鐘」は、この歌詞を持つ革命歌のモティーフで始まる。
ひとりよがりの大将の取り巻き、そしてその意を汲んで出世をめざす官僚。
その人たちには警鐘が聞こえないのか……
ヤンソンス指揮フィラデルフィア管弦楽団の演奏を。
1996年録音。EMI。ショスタコ交響曲全集の中の1枚。
※ アーベーツェーデー……。ドイツ語ではABCD……をこう発音する。