1人でアトラクション……悲しさ倍増
それにしても、読んでいて胸が痛んだ。
5月21日の朝日新聞朝刊の読者投稿欄“声”に載っていた、いたたまれない思い出を綴った悲痛な声である。
アタシなんか、朝から闇の世界に入りこんだような気分になった。
で、卓は囲んだのか?
とにかく人間って奇数集まると、必ずといっていいくらい余されるヒトが出て来る。
これが偶数だとそうでもない。例えば4人で行動していてそのうちの1人が余されるとしたら、それは相当な事情があるに違いない(他の3人がタガログ語しか話せないなど)。
にしても、旧姓は知らないが、鈴子さんにいやな思いをさせた4人、鉄子、鍋子、針子、鐘子はどう思っているのだろうか?
すっかり忘れて幸せな生活をおくっているのだろうか?あるいはバチがあたって悲惨な人生を歩んでいるのだろうか?
これを読んで、何も感じないのか?
それとも読売新聞を購読しているのか?
もしかすると鈴子さんの方にも何か問題があったのかもしれない。
そこはわからないが、いまの私は鈴子さんの味方だ。
こいつらは夜も4人だけで集まり、マージャン卓でも囲んだのかもしれない。
百人一首はやりたくてもできなかったからだ。4人なら読み手がいない。 あなたには聴こえます?
エルガー(Edward Elgar 1857-1934 イギリス)の行進曲「威風堂々(Pomp and circumstance)」Op.39(1901-30)。
第1番から第5番までの5曲からなるが、ここで取り上げるのは最もよく知られている第1番ニ長調(1901)。
どのくらい世に“普及”しているかというと、私が使っている携帯電話の着メロとしてプリインストールされているくらいなのだ。ほかにもここに書いたように、とにかくこの10年位で突然あらゆるところで使われ始めた。なぜか知らんけど……
ついでにいうと、このむかしの記事には本文と関係のない、別な記事で使った“北電ファミリーコンサート”のチケットの写真が掲載されている。なぜか知らんけど……
OCNのブログからlivedoorに移行させたときに、起きてはいけない過ちが起こってしまったらしい。
今日この曲を取り上げたのは「鈴子さん、そんな嫌なことはすっかり忘れて堂々たれ!」と激励するためではない。
「威風堂々」第1番の編成の中に-音楽之友社のミニチュアスコアの解説によれば-“そりの鈴”が用いられているからである。
掲載したのはスコアの最初ページだが、Schellen(Jingles)という段があるのがわかる。
ただ、私としてはこの曲を聴いていて「あっ!そりがやって来た!」と思わされたことはない。
コンサートで聴いたときも、マーラーの交響曲第4番のように、シャンシャンと鈴が鳴らされていた記憶がない。
よくはわからないが、Jingleというのはタンバリンの胴にいくつもついている小さなシンバル(というか、金色の2枚重ねの円盤)のことも指すという。
シノーポリ指揮フィルハーモニア管弦楽団の演奏を。
これを聴く限りでは、しゃんしゃん馬橇ではなく、聴こえてくるのはタンバリンの音だけのような気がする。
1991年録音。グラモフォン。
このCDにはエルガーの「エニグマ変奏曲」とチェロ協奏曲、また威風堂々は1番と4番が収められている。
どーでもいいことですが、鈴子さん、お子さん生まれるの遅かったんですね。