もう8月ですけど……
 スパイクタイヤがアスファルトを削り春先は粉じんだらけになる。
 そういうことでスタッドレスタイヤへと移行、スパイクタイヤは使用禁止になった。

 が、あのころは雪がすっかり溶けたあともスパイクタイヤのままジャリジャリと走り続け、アスファルトを削りまくっていた車も少なからず見かけた。運転しててうるさいし乗り心地も悪いだろうに、その神経が理解できない(夏タイヤを持っていないとか?)。

 ああいう無頓着というか、非常識な人がいなかったらあそこまでスパイクタイヤの存在は非難されなかったんじゃないだろうか?

  これだって、ちゃんと始末してくれれば……
 一部の心なき犬、というか、飼い主のせいで、犬が神社の境内に入ることが禁止されてしまった。

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 「神を見た犬」って話があるくらいだから、世の中には信心深い犬だっているだろうに、まったくもって気の毒なことだ。

神を見た犬

 それにしても、参道だの国旗掲揚塔だの燈篭に鳥居と、要するにあちらにもこちらにもいたる所が糞と尿にまみれてたってことは、1匹や2匹(1主人、2主人)の犯行ではないな。

 看板からは神主の怒りがにじみ出ているのが感じ取れる。

Renaisance ビクトリア(Tomas Luis Victoria 1548-1611 スペイン)の「あちらへこちらへと(Vadam et circuibo)」.。

 ビクトリアは、イタリアでルネサンス期の最大の教会音楽作曲家と言われるパレストリーナに師事した。
 世俗音楽は残さず教会音楽を書いたが、その作風はローマ楽派の様式にスペインの神秘主義を結びつけたものとされる。

 私が持っているCDはサマーリー指揮オックスフォード・カメラータの演奏によるもの。
 「ルネサンス・マスターピース」というアルバムの中の1曲。

 1993年録音。ナクソス。

 ところで、Vivaldiはヴィヴァルディである。
 Verdiはヴェルディで、Vaugham Williamsはヴォーン・ウィリアムズだ。

 なのに、Victoriaはなぜビクトリアなんだろう?

 「クラシック音楽作品名辞典」(井上和男編:三省堂)のミスかと思いきや、音楽之友社の書籍でもビクトリアの表記である。

 きっと何かウラ事情があるに違いない……