
腕の良いコックも顔負けの進化
単身赴任暮らしでの食生活で欠かすことができないもの。それは冷凍食品である。
以前単身生活をしていた時に比べ冷食を利用する機会は高まっている。子どものお弁当用みたいな味が良いとは言えないものだけでなく、パスタやチャーハン、ハンバーグなど本格的なものが増えたためで、冷凍庫にストックがないとちょっぴり不安になる。
このあたり、一般家庭では肉とか魚の冷凍の方が冷凍庫に占める割合が高い(たぶん)のとは対照的である。
冷食は実際、非常に美味しくなっている。
外食などで料理からデザートまで、いかに多くの冷凍食品が使われているか、意外と知らない人は多い。それはファミレスなんかだけにとどまらない。
そのくらい完成度が高くなっているのだ。
おまけに価格もむかしほど割高感がない。
便利なうえに-内袋のままレンジで加熱できるなんて、なんて画期的だろう-味もそこそこ良い冷凍食品だが、いつになってもなかなか慣れないことがある。
それはパッケージの盛り付けイメージ写真あるいは調理例と、内袋から皿へと中身をすべり出させたときの姿とのギャップだ。
アメリケーヌソースなるものが中央に鎮座している例
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ソテースパゲティが絡んでまとまっている状況
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ウィンナーが存在感を主張しているのがちょっぴりうれしい。
だが、見ようによっては得体の知れない怪人の顔の用にも見える。
ボトンと落としたような投げやりな姿
平らにならさないと、なんだか醜い……
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青ネギが鮮やかじゃないのが残念な例
このあとほぐして添付のきざみ海苔をかけた。
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こういったレンジによる加熱後の姿は、もちろん整えてやれば立派な料理へと変わる。
生まれたままの姿ではだめなのだ。
いずれも味には-多少レベルの差はあるが-不満がない。
理想が醜いものへと……
バルトーク(Bartok,Bela 1881-1945 ハンガリー)の「2つの肖像(Ket portre)」Op.5,Sz.37。
第1曲は「理想的なもの(Egy idealis)」(1907-08)で、ヴァイオリン協奏曲第1番Sz.36(1907-08。1958年に発見)の第1番から転用した(そのため独奏ヴァイオリンが用いられている)。
第2曲は「醜いもの(Egy torz)」(1911)で、「14のピアノ小品(14のバガテル)」Op.6,Sz.38(1908)の第14曲「ワルツ-踊るわたしの恋人」。
「わたしの恋人」を醜いだなんて穏やかではないが、ヴァイオリン協奏曲第1番の存在を隠していた理由とも関係があるのかもしれない。いやあるのだろう。
ヴァイオリン協奏曲第1番を捧げたのに、その愛する女性はコンチェルトをお蔵入りにしてしまった。
そして別な男と結婚してしまった。
かわいさ余って憎さ百倍。ベルリオーズが「幻想交響曲」で愛しの女性を終楽章では魔女にしてしまったように、バルトークは醜い女にしたのだろう。男の嫉妬、逆恨みは怖い。
私が聴いているのはシュナイト/南西ドイツ放送交響楽団による演奏。
1989年録音。アルテノヴァ・クラシックス。
これはほとんどギャップレス
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ケチャップのかけ方が下手で、逆に見た目を悪くしてしまった私。